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2016年10月17日 (月) 12:59時点における版
レミー・キルミスター Lemmy Kilmister | |
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カナダ・エドモントン公演(2005年5月) | |
基本情報 | |
出生名 | Ian Fraser Kilmister |
生誕 | 1945年12月24日 |
出身地 | イングランド ストーク・オン・トレント |
死没 |
2015年12月28日(70歳没) アメリカ合衆国 カリフォルニア州 ロサンゼルス |
ジャンル | ロックンロール、サイケデリック・ロック、ヘヴィメタル、ハードロック、ロカビリー、ハードコア・パンク、ブルース |
職業 | ミュージシャン、ソングライター、俳優 |
担当楽器 | ベース、ギター、ハーモニカヴォーカル |
活動期間 | 1965年 - 2015年 |
共同作業者 |
モーターヘッド ホークウインド プロボット ダムド ラモーンズ ガールスクール |
公式サイト | www.backstreet-merch.com |
著名使用楽器 | |
Rickenbacker 4001, 4003, 4004 |
レミー(Lemmy)、あるいはレミー・キルミスター(Lemmy Kilmister)の芸名で知られるイアン・フレイザー・キルミスター(Ian Fraser Kilmister 1945年12月24日 - 2015年12月28日[1])は、イングランド・スタッフォードシャー出身のロック・ミュージシャン。
イギリスのロック・バンド、モーターヘッドの創設者にしてリーダーであり、グループではベース、激しいダミ声を使ったヴォーカルおよび大多数のレパートリーで作曲を担当していた。
来歴
ストーク・オン・トレントで生まれ、ウェールズのアングルシー島で育った。
少年時代からライヴ通いし、駆け出し時代のザ・ビートルズも見ている(そればかりか、ジョン・レノンが客と殴り合いをするところまで目撃したと語っている)。
1960年代にはジミ・ヘンドリックスのローディをしていたという。タブラを使用した異色ロックバンド、サム・ゴパル(SAM GOPAL)でヴォーカルとギターを担当した後、1972年にサイケデリック・ロック・バンド「ホークウインド」へヴォーカリスト/ベーシストとして加入、同バンドの全盛期を支えたが、ドラッグの問題などで1975年バンドを解雇される。その後同年に、大音量で演奏するフリークアウト・ミュージックをコンセプトにした自らをフロントマンとする「モーターヘッド」を結成。
以来40年に渡り、モーターヘッドで文字通り不動のフロントマンとして活動。この間、パンク・ロック興隆とハードロック衰退、NWOBHM勃興と世界的なヘヴィメタルブーム、オルタナティヴ・ミュージックの台頭などロックシーンは激動するも、彼が創り出す独特の爆走型ロックン・ロールは不変であり続け、「レミー没後の現在も」どの世代からもどの時代のミュージシャンからも支持され続けている。それぞれの時代で若手バンドをツアーに帯同させて成功へのチャンスを与えるなど、常にロック・シーンで兄貴分として敬愛され続ける存在でもあった(ガールスクールやタンクを発掘したのも彼であった)。
- モーターヘッドの項も参照
ホークウィンド、モーターヘッド以外の活動では、ラモーンズのライヴにゲスト参加したり、アイアン・メイデンのトリビュートアルバムで「The Trooper」、クイーンのトリビュートアルバムで「Tie Your Mother Down」をカバーしている他、フー・ファイターズのフロントマンのデイヴ・グロールのプロジェクトである「プロボット」に参加していた。
近年体調を崩していたが、2015年12月26日に末期癌であることを宣告される。既に脳などにも転移が見られ、手の施しようがない状態だったという。その2日後である12月28日、ロサンゼルスの自宅にて逝去。70歳没[1]。死因は前立腺癌と不整脈と心不全だった。
彼の死を受けて、モーターヘッドのメンバーであるミッキー・ディーはバンド解散を公式に表明した。
器材・演奏スタイル
ベースは一貫してリッケンバッカーを使用。4001、4003を使用し、最近はシグネイチャー・モデルの4004を使用していた。シグネイチャーモデルはボディがウォルナットで作られており、ボディ表面にオークの葉の彫刻が施されている。この大きなベースをフロントピックアップ付近(かなりネック寄りの位置)でピック弾きするのが彼のスタイル。高音弦を多用し、複弦を用いての5度コードを基本としていた。
マーシャル・アンプとの組み合わせでベースとは思えない、ギターのような歪んだ音で演奏する、非常に個性的なスタイルを貫き通していた。マーシャルからは後に彼のシグネイチャーモデルが発売されていた。
またマイクを顔より高い位置にセットし、やや上を向いて歌うのも特徴であった。理由は、「下を向くと吐いてしまうからさ」と言われているが、本人は「この方が楽だったからね」と生前述べていた。
人物
- ひげ面、長髪、頬の大きなイボがトレードマーク。本国イギリスでは良くも悪くもロック・ミュージシャンの象徴的存在として老若男女に知れ渡っており、テレビで彼の生き様を取り上げた特番やツアーの特集が組まれたり、ポテトチップス(現地ではクリスプスと呼ぶ)のテレビCMに出演するなど、意外にもお茶の間の人気者でもあった。
「日本では、その風貌故“極悪ロッカー”というキャッチコピーが常に付いて回っていた」
- コーラのジャックダニエル割り(「ジャックダニエルのコーラ割り」ではない)を常に愛飲し、1975年のバンド結成以来シラフでいたことは一度もなかったという。2005年頃から体調を崩すことがあったが、インタビューで2000年頃に糖尿病と診断されていたことを公表。
- ライヴ後は睡眠時間を削ってでも本を手にする(ツアーのドキュメントによれば、4時間しか眠らないらしい)という非常な読書家でもあり、戦記物などを特に愛読していた。
- ナチス関係のコレクターであり、世界一を自称する。このことでドイツ人やユダヤ系の団体から糾弾されることもある。但し本人曰く、これはあくまで単なるコレクションであり、ナチスやネオナチの思想に賛同することはなく、コレクションの理由は純粋にデザインが美しいからであったり、何故あのような悲劇が起こったかへの関心であると述べていた[2]。
- 結婚などについては生涯公表していなかったが、息子が少なくとも一人おり、ミュージシャンである(あった?)ことは確実。但しこれについても、「自分のイメージが彼にとってマイナスとなる可能性もある」ために公にはしていなかったが、実は陰で物心両面ともサポートしていたらしい。彼の思慮深さを語るエピソードであった。2010年に公開されたレミーのドキュメンタリー映画『極悪レミー』に息子が出演している。
- 若き時代からJ・R・R・トールキン『指輪物語』のファンであり、トールキン・ファンが多数登場するドキュメンタリー映画『リンガーズ ~ロード・オブ・ザ・ファンズ~』にも主要なコメント担当者として出演していた。
脚注
- ^ a b “モーターヘッドのレミー、死去”. BARKS. (2015年12月29日) 2015年12月29日閲覧。
- ^ アルバム『ボマー』のライナーノーツより
外部リンク
- Motorhead Official Website - モーターヘッド公式サイト
- Backstreet Merch.com - マーチャンダイズ