コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「後藤祐樹」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
106.128.3.103 (会話) による ID:57725587 の版を取り消し
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m WP:BOTREQ: Category:東京都区部出身の人物新設に伴う貼り変え作業
76行目: 76行目:
[[Category:EE JUMP]]
[[Category:EE JUMP]]
[[Category:過去のアップフロント所属者]]
[[Category:過去のアップフロント所属者]]
[[Category:東京都出身の人物]]
[[Category:東京都区部出身の人物]]
[[Category:1986年生]]
[[Category:1986年生]]
[[Category:存命人物]]
[[Category:存命人物]]

2016年6月8日 (水) 06:02時点における版

ユウキ
出生名 後藤祐樹
生誕 (1986-07-10) 1986年7月10日(38歳)
出身地 日本の旗 日本 東京都江戸川区
ジャンル J-POP
活動期間 2000年 - 2002年
レーベル トイズファクトリー2000年 - 2002年
事務所 ハーモニープロモーション2000年 - 2002年

後藤 祐樹 (ごとう ゆうき、1986年7月10日 - )は、日本コラムニスト、元アイドル歌手本名同じ[1]EE JUMP時代の旧芸名はユウキYUKI

東京都江戸川区瑞江出身。江戸川区立瑞江第三中学校卒業。後藤真希は年子のである[1]

来歴

1999年に後藤真希モーニング娘。メンバーとしてデビューした直後のイベントで関係者席に家族と座っていた所、和田薫にスカウトされ、ギターとダンスのレッスンを受け始める。2000年1月、ソニンケン(1stシングル発売前に脱退)とともにダンスボーカルユニット『EE JUMP』を結成。担当はラップ。2000年10月18日にシングル「LOVE IS ENERGY!」で歌手デビューした。

2001年8月12日、仙台での仕事のため前泊していた八重洲富士屋ホテルから帰宅して友達と遊びたいと抜け出し、ホテルの玄関で女性マネージャーと口論となり暴行を加え、知人と車を呼び寄せて栃木県へ逃亡した。和田はこの事態を重く見て「反省坊主」にするとしていた[2]が、その後譲歩して反省坊主は撤回し、3か月間の謹慎処分とした[1]

2002年2月に6thシングル「青春のSUNRISE」の発売とともに復帰。同年3月には中学を卒業した。しかし当時ジャニーズJr.だった友人と東京都新宿区歌舞伎町キャバクラのVIPルームで飲酒している写真が4月12日発売の写真週刊誌FRIDAY』(講談社)に掲載されることが発売前日に事務所へ通報される。和田はけじめとして私生活も管理下に置いて芸能活動を継続させることを通告したが、それを拒否したためEE JUMPを脱退。その時点でつんくは「破門」としているが、芸能界からも追放となり、4月13日にEE JUMPの無期限活動休止(事実上の解散)が発表された。

芸能界引退後

中学卒業・芸能界引退後は、定時制高校に進学するも半年程度で中退し、鳶職や実家の居酒屋で働くなどしていた。その間に一般人としてヘア雑誌やバイク雑誌の読者モデルとして掲載されたことがある。2005年、19歳でできちゃった結婚。2007年までに3児をもうける。

2007年7月から、建設工事現場に不法侵入して銅線を盗んで転売する銅線窃盗(金属泥棒)を友人2人とともに主犯格として行い始める。9月26日には東京都渋谷区の工事現場で警備員を殴打した上で銅線を強奪した。同年10月に共犯者1名が逮捕されたことを受け、同年10月19日に1件の犯行のみ家族に打ち明け、翌10月20日に弁護士同伴で小松川警察署自首窃盗容疑逮捕された。しかしながら警察は複数の犯行を把握しており、警備員への暴行容疑などの余罪が追及され、同年12月4日に強盗傷害容疑で再逮捕された。動機は生活費に困ったためと当時報じられたが、後の自叙伝ではスリルにのめり込んでしまったという表現になっている。これらを含め約10件の金属泥棒への関与を認めた。

2008年5月21日、東京地方裁判所にて懲役5年6か月の実刑判決を受ける。控訴はせず、川越少年刑務所に収監された。

2012年10月に川越少年刑務所から仮釈放され[3][4]、同年12月27日発売の『週刊文春』2013年1月3日・10日号の「“金欠”元モー娘。後藤真希復帰プランはイメージビデオ付き写真集?」記事で、仮釈放したことが報じられるとともに、自身の近況についてインタビューに応じた。

2013年1月7日、入れ墨・彫り師のポータルサイト「タトゥーナビ」にて、連載コラム『後藤祐樹〜自由への疾走〜』をスタートし、入れ墨だらけの上半身裸を露わにした写真と、入れ墨や獄中生活についてのインタビュー記事が掲載された。しかし、仮釈放期間中の活動が問題視され、同月下旬に記事の削除と連載中止が公表された。

2013年4月29日、ミリオン出版から『実話ナックルズ』の編集による自叙伝形式の暴露本「懺悔 ゴマキの弟と呼ばれて」を刊行。これと前後して『日刊サイゾー』などのニュースサイトにも取り上げられるようになる。同年6月19日には東京都世田谷区下北沢の『本屋B&B』においてトークライブ「後藤祐樹くんの未来をみんなで一緒に考えようの会」が開催され、実に11年3か月ぶりに一般観衆の前に姿を現した。

人物

  • 1996年10月27日に奥久慈男体山ロッククライミング中に滑落死した父と家族の中で最後に言葉を交わしている。
  • 小学校時代からやんちゃで、いわゆる不良少年と親しく、金属泥棒までに次のような犯行を重ね、自叙伝で明らかにしている。
    • 小学校高学年の時、図工室の段ボール箱の中の紙に興味本位でマッチ火を付けたところ、教室を全焼させた(放火)。
    • 小学校6年生の時、年上の不良中学生と連んで原動機付自転車を盗み、運転して補導された。
    • 中学校1年生の時、授業中に遊んでいたゲームボーイを取り上げた校長を暴行した。だがそのときはカッとなっただけで本人曰く「基本的には穏やかなんで、暴力はあまり好きじゃないです」と語っている。
    • 高校入学当時、ゲームセンターなどで「カツアゲ」行為をした。
  • 姉の真希とは顔が似ており、EE JUMPデビュー当時から「ゴマキの弟」としてソニンよりも認知度が高かった。
  • EE JUMPデビュー当時は変声期途中であり、1stシングル「LOVE IS ENERGY!」では後の楽曲と比べて声のトーンが高くなっている。
  • 20歳より上半身の胸部や腕に入れ墨を彫るようになり、首筋にも入れ墨がある[5]
  • EE JUMPの最大のヒット曲である「おっととっと夏だぜ!」を嫌っている。これは、自分のキャラクターと後半部分のギャグみたいな曲調・PVが合わないと感じていたため。

書籍

脚注

  1. ^ a b c 後藤祐樹が自叙伝「懺悔 ゴマキの弟と呼ばれて」で真相告白”. ナタリー (2013年4月9日). 2013年4月11日閲覧。
  2. ^ カラスの女房」の売上ノルマ(オリコン10位)が未達成だったことで中澤ゆうこのマネージャーであった和田薫が坊主頭になった実績がある。
  3. ^ ひっそり社会復帰していたゴマキの弟リアルライブ、2012年12月27日)
  4. ^ 後藤真希の弟が出所! 姉のAV出演にコメント(メンズサイゾー、2012年12月27日)
  5. ^ 2007年の逮捕時および裁判時に確認されている。

外部リンク