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2016年6月8日 (水) 04:48時点における版

ほそき かずこ
細木 数子
別名義 細木先生 
生年月日 (1938-04-04) 1938年4月4日(86歳)
出生地 大日本帝国の旗 大日本帝国東京府東京市渋谷区
(現:東京都渋谷区
職業 卜占師
タレント
活動期間 卜占師1982年 -
タレント2003年 - 2008年
主な作品
ズバリ言うわよ!
幸せって何だっけ 〜カズカズの宝話〜 
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細木 数子(ほそき かずこ、1938年昭和13年)4月4日 - )は、日本作家タレント・占術家。テレビ出演の際の肩書きは心照学研究家・人間学研究家などと称する場合もある。下記のようにかつては実業家でもあった。東京府東京市渋谷区(現:東京都渋谷区)出身。寅年、八白土星、牡羊座。

経歴

生い立ち

東京・渋谷に生まれた。 父・之伴の許には大野伴睦や、松葉会会長の兄などが出入りしており、暴力団関係にも幅広い人脈をもっていた[1]。之伴は太平洋戦争が始まる頃、政治活動から身を引き、「ロマンスクラブ」という名前のカフェを始めた[2]。「ロマンスクラブ」はやがて「南海」という名に改められた。

1945年[3]2月、(数子が満7歳の時)父・之伴は70歳で病没した[4]。店は「娘茶屋」という名に変わった。

16歳のころにはミス渋谷に選ばれた。1955年、東京駅の高架下で「ポニー」というスタンドコーヒーの店を開く。成徳女子高等学校在学中に宝塚音楽学校に合格するが入学辞退した。その後、高校を3年で中退し、店を切り盛りした。17歳の時だった[5]

銀座の女

ポニーを開店から、わずか半年で売却。その資金をもとに、新橋のガード近くにクラブ「潤」をオープン。翌年には売却する。1958年には、銀座に「かずさ」をオープン。

20歳で銀座クラブを開くなど、若い頃から飲食店の仕事を行ってきた。

1963年、店に来ていた客のプロポーズを受け結婚。相手は静岡眼鏡店の後継ぎ息子だった。しかし3ヵ月で婚家を飛び出し、1966年に離婚した[6]

1975年に4億円の負債を抱えた島倉千代子の後見人としてこれを解決、島倉の興行の権利、レコードの販売権、同歌手の所有していた赤坂のマンションを手に入れた。

1977年 芸能プロダクション「ミュージック・オフィス」を設立。細木は「光星龍」という名前で社長に就任し、島倉の作詞も手掛けるようになる[7]

占い師として

1982年に、独自の研究で編み出したとされる“六星占術”という占いに関する本を出版。1985年に出した『運命を読む六星占術入門』がベストセラーとなり、以降、「六星占術」に関する著作を次々に発表、「六星占術」ブームを巻き起こし、人気占い師となる[8]

銀座のクラブのママであった1983年(45歳)に、政財界にも力を持つ事で知られる陽明学者の安岡正篤(1898年 - 1983年)と知り合い、結婚の約束を取り交わす。安岡の親族が反対する中、安岡と交わした結婚誓約書をもとに単独で婚姻届を提出し、受理されたが、当時安岡は85歳と高齢であり、入院先の病院での検査では認知症の症状があったとも言われ[9]、安岡の親族が「婚姻の無効」の調停申し立てを行った翌月、安岡は他界した[7]。調停により、婚姻は無効であるとした和解が成立し、初七日には籍を抜くこととなった。

また細木が相談者に先祖供養として勧めていたお墓の購入に関して、1993年には「人の不幸、不安につけこんで不当に高額な墓を買わされた」と霊感商法ばりの損害賠償を求める訴訟が全国各地で起こった[7]。細木は墓の鑑定料として10万円を受取り、相談者は鑑定で勧められた1000万円を越える墓を購入、借金の返済に苦しんだ[7]。当時細木は久保田家石材商店とつながりがあり細木の著書の巻末には同社の連絡先一覧も掲載されていた[7]

1990年代は細木はテレビに出るなどの表立った活動を自粛あるいは避けていたが、それは細木本人が大殺界の時期だったからとしている。ただし、フジテレビ料理の鉄人』へは『テレビはコミュニケーションの場』と、異例のノーギャラで出演していた。

1999年に勃発した浅香光代野村沙知代のバトル(ミッチー・サッチー騒動)の際には、野村と親交があることから彼女を擁護する立場を取っていた。

その後、2003年頃から、細木が人生相談を行う特別番組が20%前後の高視聴率を挙げるようになったことから、各局で多くのレギュラー番組を持つようになり、「視聴率の女王」と呼ばれるようになった。そして、野村やデヴィ・スカルノらに代わって、熟女タレントの代表的存在とされるようになった。

テレビ出演

京都府内に豪邸があり、所有する多数の高価な骨董品等が『ウンナンの気分は上々。』などのテレビ番組で紹介されている。

2004年後半にはブームのピークを迎え、8月にはTBSズバリ言うわよ!』、10月にはフジテレビ『幸せって何だっけ 〜カズカズの宝話〜』と2本のレギュラー番組が始まった。出演タレントくりぃむしちゅーネプチューン等。両者2番組に出演していた頃は態度の悪い一般人・芸能人に対して容赦なくスパルタ指導していた。

タレントなどに対して改名を促したことでも度々話題となった。テレビ番組やインタビューなどで「すぐにでも名前を元に戻したい」と発言していたモンキッキーハッピハッピー。、結局旧芸名のX-GUNに戻した丁半コロコロ、映画『ゴーストシャウト』など、改名しても目立った成果が得られなかったケースばかりで、次長課長のように改名を拒否した後にブレイクしたケースもある。また、他人に対する厳しい叱責や、歯に衣着せぬ自由奔放な発言(「地獄に堕ちる」「私を誰だと思ってる」「あなたは死ぬ」など)は毒舌と非難されることも多い。

テレビ出演セミリタイアとその後

「テレビの仕事の充電期間を設けたい」「本業の仕事に専念する」との理由により、2008年3月を以ってテレビでのレギュラー出演を終了させた。『ズバリ言うわよ!』と『幸せって何だっけ 〜カズカズの宝話〜』は細木の降板に伴い打ち切りとなった。以後、テレビ出演は稀に行う程度となった(後述)。

この後も『六星占術』関連のCM等には出演している。

2013年1月2日放送のTBS『有田とマツコと男と女 新年から禁断の大バトル!!〜細木数子も緊急参戦〜』に出演し、約5年ぶりのくりぃむしちゅー・有田哲平とのテレビ共演を果たした。この間では、爆笑問題と共演したTBSの特別番組爆!爆!爆笑問題』がある。

占い

盗作疑惑

  • 六星占術は、 神煕玲の六大天冲殺からの盗作であると溝口敦著『魔女の履歴書』にて明かされている。

的中した例

  • 1985年の阪神タイガースの21年ぶりのリーグ優勝、そして日本一を的中させた。なお、この予言は当時信奉していた占い師神煕玲の発言を無断で流用したものである。
  • 1987年に春風亭小朝泰葉が離婚すると予言し、2007年11月12日に離婚。その後、春風亭小朝が「ズバリ言うわよ!」にて離婚の真相を明かした。
  • 2003年10月にTBS系列で放送された『細木数子VSウンナン!』で、広末涼子について「この人、もうすぐ結婚するでしょう」と占った。2カ月後の12月15日、モデル兼デザイナーの岡沢高宏とのできちゃった結婚を発表した
    • 2008年3月13日に離婚し、2010年10月8日にキャンドルアーティストのCandle JUNEと再婚していた。
  • 2004年1月に放送した『史上最強占いバトル』で「プロ野球の優勝チームは西武」と占い、的中させた。
  • また、アテネオリンピック水泳日本代表の北島康介を「金メダルの可能性大」と占い、的中させた。
  • 2005年に横峯さくらは「今年は活躍する」と予言した。横峯は初優勝を含むツアー2勝をあげ、2005年の賞金ランク4位となった。
  • 2005年10月放送の「幸せって何だっけ 〜カズカズの宝話〜」において、元日本テレビアナウンサーの福澤朗のフリー宣言については「最悪の時期に独立してしまったため、その後の苦労は目に見えている」と占う。その後「ぴーかんバディ」をはじめ、福澤がメインキャスターを務めた多くの番組が不祥事を起こし、打ち切りに追い込まれた。
  • 2007年1月2日の『ズバリ言うわよ!お正月スペシャル!』にスピードワゴンが出演時に井戸田潤が「離婚する可能性がある」と占い、2009年1月8日に安達祐実と離婚した。
  • 2007年11月放送の『ズバリ言うわよ!』にて加藤紀子に「37、8〜40歳までにと離婚すると思います。」と占い、2010年4月15日にクリエイティブ・ディレクター若槻善雄と離婚した。
  • 2007年12月放送の「幸せって何だっけ 〜カズカズの宝話〜」にて交流がある秋元康に「あんた、これから10年巨万の富稼ぐわよ」と占い、2009年頃にAKB48が大ブレークし、シングル・アルバムを通して初登場1位になり、CD売上も2010年に初のミリオンセラーを達成し、2011年には5作連続ミリオンセラーを記録するなど過去の売上数などの記録を大幅に上回り、第53回と第54回日本レコード大賞にAKB48が受賞。細木が頻繁に嫌っているモーニング娘。のシングル売上記録を5年11か月、シングル首位獲得を11作を2年9ヶ月ぶりに抜き、女性グループの中でシングル4部門などすべて抜き歴代1位を獲得したため売上を上位に占め、女性アーティストの売上数を7年4か月で歴代1位になる快挙を成し遂げた。東京ドームでの公演を2012年7月に実現、2013年には、シングル総売上を作詞家として歴代1位になり、2015年にはシングル部門でAKB48がシングル売上数がアーティストとして歴代1位にもなった。

的中しなかった例

  • 昭和64年(1989年)に株が大暴落すると占ったが当時はバブル景気の真っ只中であり、同年(平成元年)の大納会日経平均株価は史上最高値をつけている(現在もこの高値は破られていない)。ただし翌1990年にはバブルが崩壊し、株価はおよそ半額にまで値を下げた。事実上のバブル崩壊1991年である。
  • 2003年1月放送の「ウンナンの気分は上々」にて内村光良に「25歳から宿命大殺界に入っており、44歳で抜ける、それまでに結婚はない」と発言するも内村は2005年に徳永有美と結婚している。
  • 2004年4月7日、「春の人生ダメだしスペシャル!細木数子の人生ダメ だし道場」にて、サッカー日本代表について「ジーコ監督はサッカー日本代表チームが思い通りにいっておらず、精神的に参っている。来年(2005年)はいいが、今年(2004年)はダメ。ジーコ監督は交代になる可能性がある」と語ったが実際は04年にアジア杯を制している。なおジーコ監督はW杯本大会終了後に任期満了により退任しており辞任、解任はされていない。
  • 2003年9月放送の「最強の占い師細木数子VSウンナン・あの超有名人100人の運命メッタ斬りスペシャル!!」にて、当時ニューヨークヤンキースへ移籍したての松井秀喜に対し「2年後に腰を故障し日本球界に復帰する」と予想するも、実際には2012年に現役を引退するまで日本球界に復帰せずメジャーリーグでプレーした。なお、同選手は03年当時から3年後の06年に左手首を故障している。
  • 2004年、この年日本に復帰した新庄剛志は派手な言動でチームメートの反感を買い、チーム内で嫌われて2004年に引退すると予言した。しかし、新庄の加入で2004年の北海道日本ハムファイターズは前年度最下位からAクラスへと躍進を遂げ、2006年には日本一となり、この年引退した。
  • 2005年6月10日の『幸せって何だっけ 〜カズカズの宝話〜』で、横峯さくらが父親の横峯良郎とともに出演し「キャディーをお父さんから経験のある他の男性に変えるように」と占ったが、4アンダー13位で終わっている。
  • 2005年7月に行われた川嶋勝重徳山昌守のタイトルマッチの勝者を川嶋と占ったが、徳山が勝利した。
  • 2005年のパシフィック・リーグプレーオフ福岡ソフトバンクホークスの優勝を占うも、千葉ロッテマリーンズが優勝した。さらにこの年の日本シリーズでは阪神タイガースの日本一を予想するも、これもまた千葉ロッテマリーンズが日本一を獲得した。
  • 2006年1月1日テレビ朝日で放送された『細木数子が緊急大予言・アナタの将来を幸せにするSP』で堀江貴文ライブドア社長(当時)と共演した際、ライブドアの株価について「これから5倍に上がる」[10]と予言し、「あんたの背中には龍が憑いている」と堀江のパイオニア精神を賞賛した(人間性については批判している)。また、『女性関係に気を付けないとスッテンテンになる』と助言した。放送から1ヶ月足らず後に堀江は逮捕され、ライブドアの株価は10分の1になった末に上場廃止となった。
  • 内閣が第89代小泉純一郎内閣から次期内閣へと移る際、武部勤が次期内閣総理大臣になると2度に渡って占ったが、実際には武部は立候補せず、安倍晋三が第90代内閣総理大臣となった。安倍の総理就任後に収録された『幸せって何だっけ 〜カズカズの宝話〜』では「安倍さんは種子だから運気がいい」と発言したが、安倍内閣は支持率を落とし、わずか1年で退陣することとなった。但し、2012年12月26日に再度組閣している(第2次安倍内閣)。
  • 2006年1月にその年のペナントレースを予想。セ・リーグについて「中日(の優勝)はないね」と占ったが、中日がリーグ優勝した。
  • 2006年2月、ドン小西に「へその上に手遅れに近い癌がある」と占ったが、本人が番組収録後に病院で血液検査を受けたところ、癌の疑いは見られなかった。同月、細川茂樹に「腹に命に関わるデキモノができている。収録が終わったらすぐに病院へ行きなさい」と発言したが、3つの病院で検査しても何も見つからなかった。
  • 細川直美セイン・カミュ出川哲朗渡辺満里奈だいたひかる神田うの見栄晴など、結婚出来ないと占われたが実際には結婚出来た芸能人が数多く存在する。
    • だいたは2006年1月16日に結婚したが、1年後の2007年1月16日に離婚。
  • 黒川紀章若尾文子夫婦の結婚当初、「すぐ離婚する」と占ったが、黒川が亡くなるまで離婚することはなかった。
  • おさるモンキッキという芸名へ改名することで「人気が出て1、2年で冠番組が持てる」と占ったが、改名を行った2004年以降2012年11月26日に元の芸名に戻すまで冠番組は持てていない。ちなみに細木は「人に言われてホイホイ改名するのは馬鹿のすることです」と語っている。なお、元の芸名に戻してからも冠番組は持てていない。
  • “家庭をよくしたい”と相談して来た「コアラ」を「ハッピハッピー。」に改名させるも、妻である三原じゅん子と2007年に離婚した。三原は、離婚前に細木の番組にゲスト出演し、ハッピハッピー。との離婚の件を相談、「離婚すべき」との助言を細木から受ける。なお三原は離婚を決断した要因に細木の後押しがあったと発言している。
  • 2007年の千代大海を、「正月場所(初場所)はだめだ。でも3月場所で活躍するよ。」と占ったが、初場所は10勝5敗・3月場所は7勝8敗という結果となり、しかもその後再び共演した際には千代大海に、「3月場所は『予言通り』だめだったね。」と発言した。
  • 千代大海は2007年 - 2008年に横綱になると予言したが、横綱になるどころか2010年初場所に関脇へ陥落してしまい、この場所中に引退した。
  • 2008年『今年「再会」来年「財成」「安定」これは行きますわ。何をやっても上手くいく。ものすごい大金を残す時期(これからの20年)もう一度すごい時期に入ったから何の心配も無い。』と言われた小室哲哉が逮捕される。
  • 1995年に関東大震災が起きると予言したが1995年に関東大震災は起きず阪神・淡路大震災が起きている。
  • 和田アキ子が新曲を披露した際に「新曲は売れない」と発言したがトップ10入りしている。
    • 「細木数子が平成18年を緊急大予言!! アナタの将来を幸せにするSP」にて和田が「この人意外と当たらないのよ」と細木を挑発し、細木も「上位3曲(TOP3)に入らなきゃヒットとは言わない!」と応戦していた。
  • ネプチューン名倉大殺界と言われたが結婚している。
  • 田代まさしに「あんた、これからどんどん良くなるわよ」と言ったが、盗撮行為で逮捕されたのを機に、のぞきや薬物所持・使用などを繰り返し、事実上芸能界を追放された。
    • 覚醒剤の使用などで芸能界を2004年で引退しており、その後も5度目の逮捕に至っている。
  • ナインティナイン岡村に「2、3年のうちに必ず結婚する」と言ったが2015年10月現在結婚はしていない。
  • ハイヒールモモコの娘が出演した時に「テレビに出していると7歳まで生きられない」と言ったが7歳過ぎても生きている。
  • みのもんたに、「新潟県中越地震に寄付しないと手術が成功しない、そして車椅子の生活を送る。」と言ったが、手術は成功して、車椅子の生活は送っていない。
  • 「朝青龍は色々な騒動を起こしているが、いずれ相撲協会の理事長になる。」と発言したが、朝青龍は引退と同時に日本相撲協会を退職した。
  • 2005年11月25日の「幸せって何だっけ 〜カズカズの宝話〜」にて中村紀洋に「5,6年先に自殺する」と予言しているが、2015年9月現在生きている。
  • 杉浦太陽に「30歳で自殺する」と予言しているが、自殺する事なく2015年3月10日に34歳の誕生日を迎え、現在も存命中である。

結果待ち

  • 人の死を多く占っているが「自分は250歳まで生きる」と発言している。
  • 2030年に日本人がみな難民になり住む場所がなくなる」と予言している。
  • 劇団ひとりに「心臓病で40歳までに死ぬ」「40歳の7月に葬式」と予言。「39歳に結婚すれば120歳まで寿命をのばす事ができる」とアドバイスした。
    • ひとりは33歳時(2009年)に結婚。40歳の7月は2017年7月を指す。
  • 2005年11月8日の『ズバリ言うわよ!』で西郷輝彦に「離婚経験があるから自殺する」と予言している。
    • 西郷のブログでは「自殺をなんて考えたこともない」と語っていた。

批判

細木に対しては過去の経歴やメディアでの言動に関して、以下の批判がある。

  • 北朝鮮に賠償金支払いや米の支援を行うよう発言した。
  • 安岡正篤と結婚しようとした時期は、細木自身が新しいことを始めるのはよくないと説明している六星占術における「大殺界」の真っ最中であったことから、細木自身が六星占術のタブーを守っていないとの批判がある。
  • かねてから細木の勧める先祖供養に対し、墓石業者や仏壇業者と組んだ“霊感商法”的な商売ではないかという批判があるが、細木は自著で、業者と組んでいるわけではないと否定し、「そうした疑問を抱く方もときおりおられますが、心が曲がっていることを残念に思います」と述べている[11]。しかし細木の著書の巻末には事務所本部として東京駅前の久保田家石材関連企業の事務所や全国各地にある同社の支店、営業所などの連絡所一欄が載っている[7]
  • 月刊誌 『サイゾー』 は島倉千代子との過去や、占い師業界の中での評価を理由に批判を行っている。
  • 『細木数子の参拝作法』などで放送した、神社の参拝の方法(音を立てないように拍手を打つ、女性は皇后陛下に倣って一拝のみで拍手を打たない、など)が間違っているとして、全国の神社・氏子などから苦情が寄せられ、東京練馬・石神井の「氷川神社」のホームページには「ある占い師が、テレビで間違った作法を教えている」という内容の文章を記載している[12]。また神社本庁も取材に対し「間違った参拝作法をテレビで公言している。(細木サイドに)指導してほしい、という苦情がかなりきています」と明かしている[13]
  • 占いの当たり外れについて「外れた」と攻められた時に「私の占いに一つもはずれはない、断言する、ただし悪い予言は、良い予言に変えられる。」と必ず発言をする。
  • 週刊現代誌上でノンフィクションライター溝口敦の手による「魔女の履歴書」と題した細木の半生を追ったルポ連載内で、売春斡旋や暴力団との深い関係、 神煕玲からの占いパクリ疑惑を指摘された。それに対して細木は2006年6月に連載差し止めと名誉毀損で6億円の損害賠償を求める訴訟を起こした。溝口によると細木の訴えは当時出演していた「ズバリ言うわよ!」「幸せって何だっけ 〜カズカズの宝話〜」を継続させるための延命工作で、2008年3月に二番組を細木が降板後、裁判所の和解に応じて、同年7月に細木は訴訟を取り下げた。

家系

細木数子の父親細木之伴を生んだのは小野藤(ふじ)という女性である[14]。小野家は土佐(現在の高知県)で代々代官をしていた名家であり、藤(ふじ)は同じく土佐の代官をしていた細木家に一度嫁ぐ[14]。しかし今でいう嫁いびりを受けたため実家に戻ってきたが、その時すでに腹の中に子供がいた[14]。それが之伴であり、父方の細木姓を名乗ったが、実際は私生児である[14]
之伴は十代の頃に東京に上り、神田神保町にあった永易弁護士事務所に書生のような形で入り込んだ[14]。近くに下宿屋があり、そこの橋本タイという小田原旧家の娘と結婚し、子供も授かったが後に離婚[14]。その後之伴は東京を離れ富山へ行き、そこで知りあった竹内シケという料理屋の娘と二度目の結婚をした[14]
シケとともに東京に戻った之伴は落合に家を構え、シケには渋谷の円山町芸者屋と料理屋と待合をやらせた[15]。之伴は院外団の壮士として活躍[15]。生命保険会社の代理店も始め、新聞広告で女事務員を募集[15]。これに数子やその兄妹たちの母親長門ミツが応募してきた[15]。之伴は正妻のシケとの間には子供はなかった[15]

著書

  • 六星占術による 相性運入門 二人の仲を裂く“相性殺界”はいつ訪れるか! (ごま書房、1982年10月 ISBN 4-341-03020-5
  • 六星占術による運命の読み方 あなたの運命は12年周期で揺れ動く(ごま書房、1983年 ISBN 4-341-03017-5
  • 大殺界-六星占術 「家康」に学ぶ運命操縦法(講談社 1983年4月 ISBN 4062005794
  • 幸せになるための先祖の祀り方(ベストセラー 2003年3月ISBN 4584187266)

参考文献

関係者

  • 神煕玲細木数子のかつての師匠。
  • 神真快細木数子とは兄弟弟子の関係

出演していた番組

脚注

  1. ^ 佐野眞一『あぶく銭師たちよ!―昭和虚人伝』184頁
  2. ^ 佐野眞一『あぶく銭師たちよ!―昭和虚人伝』185頁
  3. ^ 佐野眞一著『あぶく銭師たちよ!―昭和虚人伝』185頁には「之伴は昭和二十一年に死亡」とある
  4. ^ 溝口敦著『細木数子―魔女の履歴書』23頁。
  5. ^ 佐野眞一『あぶく銭師たちよ!―昭和虚人伝』186頁
  6. ^ 溝口敦著『細木数子―魔女の履歴書』44-46頁
  7. ^ a b c d e f お墓と“たたり””. しんぶん赤旗 (2005年11月). 2010年8月8日閲覧。
  8. ^ 細木の著書は今日まで100冊以上に上り、その売り上げは総計6500万部以上(KKベストセラーズ発表による)と言われ、「占いの本を世界一売った人」としてギネスブックにも掲載されている[ [1]
  9. ^ 『週刊文春』1983年12月22日・29日合併号
  10. ^ 正確には(男の株)が上がるというニュアンスだが、司会の質問は株価だったという擦れ違い。
  11. ^ a 細木数子(著)『幸せになるための先祖の祀り方』(KKベストセラーズ)
  12. ^ 石神井 氷川神社「参拝の作法について」
  13. ^ 細木数子の参拝作法は「誤り」全国の神社から苦情(2007年3月1日、J-CASTニュース)
  14. ^ a b c d e f g 佐野眞一著『あぶく銭師たちよ!―昭和虚人伝』219頁
  15. ^ a b c d e 佐野眞一著『あぶく銭師たちよ!―昭和虚人伝』220頁
  16. ^ この番組に細木はノーギャラで出演していた。
  17. ^ 三月場所の11日目。朝青龍の激励に訪れ、食事をしながら歓談している部分が紹介される。

外部リンク