コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「沼波万里子」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
全体的に修正しました。
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m WP:BOTREQ: Category:東京都区部出身の人物新設に伴う貼り変え作業
117行目: 117行目:
{{DEFAULTSORT:ぬなみ まりこ}}
{{DEFAULTSORT:ぬなみ まりこ}}
[[Category:歌人]]
[[Category:歌人]]
[[Category:東京都出身の人物]]
[[Category:東京都区部出身の人物]]
[[Category:1921年生]]
[[Category:1921年生]]
[[Category:存命人物]]
[[Category:存命人物]]

2016年6月8日 (水) 03:52時点における版

沼波 万里子
誕生 沼波 まり子
(1921-08-21) 1921年8月21日(103歳)
日本の旗 日本東京府東京市本郷区(現:東京都文京区本郷
職業 歌人
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 第一神戸高等女学校卒業
活動期間 1930年代 -
代表作 『五十銭銀貨』
親族 父:沼波瓊音国文学者
テンプレートを表示

沼波 万里子(ぬなみ まりこ、1921年8月21日 - )は、日本の女性歌人である。父は国文学者沼波瓊音(本名 : 沼波 武夫)。母は神戸女子薬学専門学校(現神戸薬科大学)元理事の沼波たき。また、名付け親は、安井哲(元東京女子大学学長)。

略歴

  • 1921年(大正10年) 東京本郷に生まれる。
  • 1934年(昭和9年) 番町小学校卒業。
  • 1935年(昭和10年) 母の勤務に従い私のみ神戸へ行き母と二人暮らし。
  • 神戸の旧制第一神戸高等女学校在学中 歌誌「ハハキ木」(吉沢義則主宰)に所属。
  • xxxx年 旧制第一神戸高等女学校卒業。
  • 1938年(昭和13年) 歌誌「潮音」(太田水穂主宰) に転社。
  • 1948年(昭和23年) 「潮音」特別社友。
  • 1959年(昭和34年) 「潮音」同人。
  • 1965年(昭和40年) 「潮音」横浜あゆみ歌会発足。
  • 1975年(昭和50年) ライトセンター録音奉仕団。
  • 1977年(昭和52年) 凍土の会を結成し、副会長になる。(2001年解散)。
  • 1981年(昭和56年) 「潮音」実行委員。
  • 1982年(昭和57年) 孤児連合会の理事に就任。
  • 1983年(昭和58年)
    • 横浜日中友好協会の理事に就任。
    • 中国残留孤児問題全国協議会 理事。
    • 中国残留孤児帰国者の自立指導員。
  • 1985年(昭和60年)
    • 孤児連(菅原幸助)を脱退。
    • 有志数人で自費にて日本語教室開催(ユッカの会の前身)。
  • 1987年(昭和62年) 「潮音」幹部同人。
  • 1988年(昭和63年) ユッカの会として発足 代表者となる。
  • 1993年(平成5年) 「潮音」常任幹部会委員。
  • 1993年(平成5年) 「日本歌人クラブ」神奈川県委員。
  • 1994年(平成6年) 「日本歌人クラブ」中央幹事 推薦。
  • 1995年(平成7年) 「小布施歌会」短歌指導。
  • 1996年(平成8年)
    • 「日本歌人クラブ」中央幹事 当選。
    • 長野須高歌人クラブ創立 選者となる。
  • 1999年(平成11年) 「日本歌人クラブ」中央幹事 継続。
  • 2002年(平成14年) 「日本歌人クラブ」南関東ブロック参与。


作品

  • 歌集
    • 砂のぬくみ
    • 青苔の道
    • 五十銭銀貨

脚注


関連項目

  • 北一輝 代表作の五十銭銀貨では、北一輝の思い出を語っている。