沼波万里子
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沼波 万里子 | |
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誕生 |
沼波 まり子 1921年8月21日 日本・東京府東京市本郷区(現:東京都文京区本郷) |
死没 | 2013年4月27日(91歳没) |
職業 | 歌人 |
言語 | 日本語 |
国籍 | 日本 |
最終学歴 | 第一神戸高等女学校卒業 |
活動期間 | 1930年代 - 2013年 |
代表作 | 『五十銭銀貨』 |
親族 | 父:沼波瓊音(国文学者) |
沼波 万里子(ぬなみ まりこ、1921年8月21日 - 2013年4月27日[1])は、日本の女性の歌人である。中国残留孤児帰国運動にも携わった。
父は国文学者の沼波瓊音(本名 : 沼波 武夫)。母は神戸女子薬学専門学校(現神戸薬科大学)元理事の沼波たき。妹は女優で声優でもあった沼波輝枝。また、名付け親は、安井てつ(元東京女子大学学長)。
略歴
[編集]- 1921年(大正10年) 東京本郷に生まれる。
- 1934年(昭和9年) 番町小学校卒業。
- 1935年(昭和10年) 母の勤務に従い神戸へ行き母と二人暮らしする。
- 神戸の旧制第一神戸高等女学校在学中 歌誌「ハハキ木」(吉沢義則主宰)に所属。
- 1938年(昭和13年) 歌誌「潮音」(太田水穂主宰) に転社。
- 1948年(昭和23年) 「潮音」特別社友。
- 1959年(昭和34年) 「潮音」同人。
- 1965年(昭和40年) 「潮音」横浜あゆみ歌会発足。
- 1975年(昭和50年) ライトセンター録音奉仕団。
- 1977年(昭和52年) 凍土の会を結成し、副会長になる。(2001年解散)。
- 1981年(昭和56年) 「潮音」実行委員。
- 1982年(昭和57年) 孤児連合会の理事に就任。
- 1983年(昭和58年)
- 横浜日中友好協会の理事に就任。
- 中国残留孤児問題全国協議会 理事。
- 中国残留孤児帰国者の自立指導員。
- 1985年(昭和60年)
- 孤児連(菅原幸助)を脱退。
- 有志数人で自費にて日本語教室開催(ユッカの会の前身)。
- 1987年(昭和62年) 「潮音」幹部同人。
- 1988年(昭和63年) ユッカの会として発足 代表者となる。
- 1993年(平成5年) 「潮音」常任幹部会委員。
- 1993年(平成5年) 「日本歌人クラブ」神奈川県委員。
- 1994年(平成6年) 「日本歌人クラブ」中央幹事 推薦。
- 1995年(平成7年) 「小布施歌会」短歌指導。
- 1996年(平成8年)
- 「日本歌人クラブ」中央幹事 当選。
- 長野須高歌人クラブ創立 選者となる。
- 1999年(平成11年) 「日本歌人クラブ」中央幹事 継続。
- 2002年(平成14年) 「日本歌人クラブ」南関東ブロック参与。
作品
[編集]- 歌集
- 砂のぬくみ
- 青苔の道
- 五十銭銀貨
脚注
[編集]- ^ “沼波万里子のホームページです。”. www2.biglobe.ne.jp. JL1FYU. 2021年9月27日閲覧。
関連項目
[編集]- 北一輝 代表作の五十銭銀貨では、北一輝の思い出を語っている。