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2016年6月8日 (水) 02:58時点における版
広島東洋カープ コーチ #90 | |
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2012年6月14日 阪神甲子園球場 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 東京都江戸川区 |
生年月日 | 1975年6月13日(49歳) |
身長 体重 |
184 cm 78 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 内野手 |
プロ入り | 1993年 ドラフト3位 |
初出場 | 1999年5月18日 |
最終出場 | 2005年9月25日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
| |
コーチ歴 | |
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この表について
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玉木 朋孝(たまき ともたか、1975年6月13日 - )は、東京都江戸川区出身の元プロ野球選手(内野手)。
2011年から広島東洋カープ二軍守備走塁コーチを務めていた。
2015年からは、一軍守備走塁コーチに就任する。
来歴・人物
修徳高では同期に高橋尚成がいた。1年秋から四番・遊撃手を任され、3年春に腰を痛めてフォームの修正に時間がかかったものの夏の都大会では準決勝で同点2点タイムリーを放つ[1]など、チームの夏の甲子園出場に貢献。本大会では育英との準々決勝で公式戦9本目となる本塁打を打っている[2]。大型遊撃手として評価されて同年のドラフトで広島東洋カープに3位で指名を受け、契約金と年俸それぞれ5,000万円、480万円(いずれも推定)で入団した[3]。
1999年に初の一軍出場を果たすが、結果を残せず2000年オフに自由契約となり、オリックス・ブルーウェーブに入団した。2002年には、自己最多の49試合に出場し、規定打席には到達していないものの打率.302の成績を残した。試合終盤、代走や内野の守備固め(※主に三塁手・二塁手の守備固め)での出場が多い中、シーズン得点6と代走の役割を全うする。また失策0と鉄壁な守りでチームの勝利に貢献した。
2004年9月27日、オリックス・ブルーウェーブとしての最後の試合で9番サードでスタメン出場する。またその試合、終盤ファーストに守備変更、9回表2死、大阪近鉄バファローズ、星野おさむ(※大阪近鉄バファローズ最後の打者)が放ったセカンドゴロを4-3と受け取り、オリックス・ブルーウェーブとして、最後の刺殺(ウィニングボール)を記録する。
2005年の選手分配ドラフトではオリックス・バファローズに振り分けられ、引き続きオリックスと契約。同年オフに戦力外通告を受け、現役を引退した。
引退後は広島に戻り、スコアラー(先乗りスコアラー)を務めていた。2011年に同球団の二軍守備・走塁コーチに就任した。
RCC広島カープ携帯サイトでコラム、「玉木朋孝のスコアブック」を更新している。シーズンオフでも更新頻度は高い。※一軍守備走塁コーチ就任に伴い、2014年12月26日のコラムが最終更新。
2014年10月29日、2015年度のコーチング・スタッフが決定され、一軍守備・走塁コーチに就任することが決まった。
プロスポーツ昭和50年会[4]の会長としても活躍している。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1999 | 広島 | 20 | 18 | 17 | 1 | 5 | 1 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | .294 | .333 | .353 | .686 |
2000 | 12 | 14 | 12 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | .083 | .154 | .167 | .321 | |
2002 | オリックス | 49 | 48 | 43 | 6 | 13 | 1 | 0 | 0 | 14 | 5 | 0 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 1 | 12 | 0 | .302 | .348 | .326 | .673 |
2003 | 29 | 18 | 16 | 4 | 1 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 7 | 1 | .063 | .118 | .125 | .243 | |
2004 | 9 | 10 | 10 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .200 | .200 | .200 | .400 | |
2005 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | ---- | ---- | |
通算:6年 | 120 | 108 | 98 | 14 | 22 | 4 | 0 | 0 | 26 | 6 | 0 | 0 | 4 | 0 | 5 | 0 | 1 | 24 | 1 | .224 | .269 | .265 | .535 |
記録
- 初出場:1999年5月18日、対阪神タイガース7回戦(米子市民球場)、9回表に遊撃手として出場
- 初打席:1999年5月19日、対阪神タイガース8回戦(米子市民球場)、7回裏に山崎健の代打として出場、井川慶から四球
- 初先発出場:1999年6月9日、対阪神タイガース10回戦(大阪ドーム)、6番・三塁手として先発出場
- 初安打:同上、2回表に吉田豊彦から左中間へ二塁打
- 初打点:2000年4月11日、対中日ドラゴンズ1回戦(ナゴヤドーム)、7回表に佐藤康幸から左翼線へ適時二塁打
背番号
- 52 (1994年 - 2000年)
- 62 (2001年 - 2005年)
- 90 (2011年 - )
脚注
- ^ 読売新聞、1993年7月31日付朝刊、東京地方面
- ^ 読売新聞、1993年8月22日付朝刊、東京地方面
- ^ 読売新聞、1993年12月2日付朝刊、P.20
- ^ プロスポーツ昭和50年会