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2016年6月8日 (水) 01:54時点における版

清水 隆行
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 東京都足立区
生年月日 (1973-10-23) 1973年10月23日(50歳)
身長
体重
183 cm
83 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1995年 ドラフト3位
初出場 1996年4月6日
最終出場 2009年8月27日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

  • 読売ジャイアンツ (2011 - 2015)

清水 隆行(しみず たかゆき、1973年10月23日 - )は、東京都足立区出身の元プロ野球選手外野手)、野球指導者。

2009年から2012年までの登録名清水 崇行(読み同じ)。

略歴

学生時代

浦和学院高等学校から東洋大学へ進学。高校では鷹野史寿とチームメイト、大学時代の同期生には、後に巨人で共にプレーすることになる川中基嗣がいる。東都大学リーグ通算78試合出場、253打数71安打、打率.281、6本塁打、46打点。ベストナイン4度受賞。4年時には福岡で開催されたユニバーシアード日本代表にも選ばれ銅メダル獲得。1995年のドラフト3位で読売ジャイアンツに入団。

プロ入り後

巨人時代

ルーキーイヤーの1996年から安定した打率を叩き出し、外野手のレギュラーに定着。同年はリーグ優勝にも貢献した。当初のポジションは左翼手中堅手を兼任していたが、松井秀喜の中堅手コンバートに従い左翼に定着。不動の2番だった川相昌弘の出場機会の減少に準じ、監督の長嶋茂雄に「バントと併殺が少ない攻撃型の2番打者」として起用されることになる。

同期入団の仁志敏久と不動の1番・2番コンビ、中堅手の松井、右翼手の高橋由伸と不動の外野陣を形成することになる。

1997年は初の規定打席到達を果たした。チームはBクラスに沈んだが打率.304をマークするなど気を吐いた。

1998年も3割を記録した。

1999年は打撃3部門全てで成績を下げた。打率.295で3割は逃したが決して悪い数字ではなかった。

2000年はさらに打率を下げたが、引き続きレギュラーとして出場し、チーム3年ぶりのリーグ優勝と6年ぶりの日本一に貢献した。

2001年は規定打席不足に終わったが、打率.324と高打率だった。なおこの年チームは2位でシーズンを終了したが長嶋監督がこの年限りで勇退した。

2002年は新監督の原辰徳の構想で1番打者に抜擢され、2年ぶりに規定打席に到達し、最多安打のタイトルを獲得。リーグ優勝・日本一に大きく貢献した。

2003年3月28日中日ドラゴンズとの開幕戦で前年巨人相手にノーヒットノーランを達成した川上憲伸から先頭打者本塁打を放つ幸先のいいスタートを切ったが(巨人では1956年与那嶺要以来)、メジャーリーグ移籍した松井の穴を埋める中堅手の守備練習や開幕早々の肉離れなどの故障などが重なり打率.240、14本塁打の成績に終わり、規定打席にも到達しなかった。

2004年に監督就任した堀内恒夫は、中堅手に当時成長著しかった斉藤宜之の起用を明言。元々外野手としての守備力に難があった清水は一塁手の練習を提案された。しかし、斉藤の故障などもありスタメン復帰を果たし、2年振りの打率3割をマークし、自己最多の16本塁打を記録した。この年チームはシーズン最多記録を更新する259本塁打を記録したが100打点を達成した打者が一人もいなかったこと、チーム最多の盗塁を記録したのが鈴木尚広の9と機動力をあまり駆使しせず繋がりを欠いたことや抑え投手陣を固定できなかったことでチームは3位でシーズンを終えた。

2005年にはセンターラインの強化にゲーブ・キャプラー外野手を獲得。清水は再び一塁手の練習に本格的に取り組むことになるが、選手層の厚さから序盤は代打に回される。キャプラーは打撃はもとより守備にも精彩を欠き、4月後半にはキャプラーと左翼を併用され、5月には定位置に復帰している。5月の西武ライオンズ戦では西武先発の西口文也が9回2アウトまでノーヒットノーランの投球を見せ、2アウト後の打席でノーヒットノーランを阻止するホームランを放ち、ノーヒットノーランの屈辱を回避することに成功した。もし、達成されればチームとしては3年ぶりの屈辱だった。その後も好調を維持し、終わってみれば2年連続で打率3割を記録した。

2006年、原辰徳が監督に復帰。前年のシーズン途中より台頭した矢野謙次鈴木尚広、シーズン途中に移籍してきた木村拓也小関竜也などとの外野のポジション争いが熾烈を極めていたが、原は「清水・由伸は格が違う」と発言、左翼のスタメンを確約される。秋季キャンプ広岡達朗の指導で課題のスローイングの修正に取り組み、万全の体制でシーズンを開幕したかに思われた。6月3日の西武戦では左打者キラーの星野智樹からサヨナラ本塁打を放ち、翌日4日は初回に相手先発の西口から先頭打者ホームランを放ち、同点の9回にはサヨナラ犠飛を放ち、2試合連続でのサヨナラ打となった[1]。しかし、その後は打撃が低迷し続け、打率2割近辺を上下するほどの打撃不振から抜け出せなくなってしまう。7月26日にはプロ入り11年目にして初めての二軍での調整試合を経験。再昇格後はセンターやライトでの出場も多くなる。打率.216、6本塁打という過去最低の打撃成績となり、大幅減俸を受け入れる。生え抜き野手最年長であった仁志の移籍により、当時の生え抜き野手最年長となった。

2006年に巨人で規定打席に到達した外野手はゼロとなり、高橋由と清水は出場機会を確保したものの、矢野や鈴木の台頭により、この年後半以降は不動のレギュラーを剥奪される。

2007年豊田清と一足早く自主トレに入り、鈴木や移籍してきた谷とともに「1番候補の一人」として春季キャンプを迎えた。だが怪我により開幕一軍からは外れ、前半戦は不調に苦しみ、一軍と二軍を往復。後半戦に入り徐々に調子を上げていき、スタメンでの出場機会も増えていった。特に9月以降は目覚しい活躍をみせ、少ない打席数ながらシーズン打率.339を挙げた。また、低めだった出塁率もこの年は4割を超えた。10月2日の対ヤクルト戦ではチームを5年ぶりのリーグ優勝を導く内野安打を放ち、中日とのクライマックスシリーズでも7番・センターでスタメン出場、左腕小笠原孝からヒットを放ちチャンスメイク。第2戦・第3戦は高橋由伸の腰痛による離脱で1番に入り、全3戦にスタメン出場した。

2008年オープン戦は再び感覚の狂いに苦しみ、また隠善智也の台頭などもあり2年続けての開幕二軍スタートとなった。二軍で結果を出したことや、一軍での故障者が続出したこともあり5月1日に一軍登録され、その日の対広島戦(東京ドーム)の6回裏に代打で登場。シーズン初打席でレフト前ヒットを放った。その後も主に代打要員として起用されるが、打率は1割台に低迷するなど不振から抜け出せず、後半戦は一軍出場が無かった。本塁打が0に終わったシーズンは入団後初めてであった。11月15日、自ら志願し、金銭トレードで埼玉西武ライオンズに移籍。

西武時代

移籍後の2009年1月8日、登録名を清水 崇行に変更した。同年の4月3日の開幕戦千葉ロッテマリーンズ戦(千葉マリンスタジアム)では7番指名打者で先発出場すると3打数3安打と起用に応えた。開幕から4試合連続でスタメン出場するなど序盤は好調で4月9日のオリックスバファローズ戦(西武ドーム)での試合では3安打で再び猛打賞を記録した。しかし、次第に成績を落としていった。最終的に44試合の出場で1本塁打、打率.208と力を発揮できず、この年限りで現役を引退した。なお引退試合は開催されていない。

引退後

2010年より日本テレビ(同年限りで引退した立浪和義赤星憲広とともに)[2]RFラジオ日本の野球解説者、スポーツ報知の野球評論家を1年間務める。2011年からは古巣・読売ジャイアンツ二軍打撃コーチを務める[3]。2014年からは一軍打撃コーチを務める。2015年はチーム打率・安打数がリーグ最下位に低迷し[4]、10月22日に今季をもって退団することが決まった[5]2016年より日本テレビの野球解説者、スポーツ報知の野球評論家に復帰。

人物

2004年シーズンから、安打1本につき1万円を盲導犬育成のために募金していた。2006年は68安打だったが「キリが良いから」と100万円を寄付した。

巨人に入団した年に1996年のメークドラマを経験し、西武に移籍する前年には2008年のメークレジェンドを経験。両方を経験した唯一の人物である。なお、1996年は広島、2008年は阪神に所属していた金本知憲は、敗者側として、双方を経験した唯一の人物である。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1996 巨人 107 307 287 37 84 14 4 11 139 38 9 5 1 0 13 1 6 41 2 .293 .337 .484 .821
1997 118 422 381 50 116 12 3 12 170 36 7 5 2 4 28 2 7 48 2 .304 .360 .446 .806
1998 129 535 492 79 148 17 2 13 208 52 16 6 9 4 22 1 8 64 9 .301 .338 .423 .761
1999 116 465 424 71 125 23 1 8 174 32 15 5 11 2 24 0 4 49 7 .295 .337 .410 .747
2000 115 431 388 65 105 25 1 11 165 46 11 10 18 2 21 0 2 52 0 .271 .310 .425 .735
2001 126 384 333 49 108 10 1 7 141 29 8 7 13 2 33 3 3 39 4 .324 .388 .423 .812
2002 139 646 609 92 191 26 5 14 269 58 12 6 2 3 31 6 1 69 3 .314 .346 .442 .788
2003 101 379 366 48 88 17 0 14 147 44 1 2 1 1 9 0 2 34 2 .240 .262 .402 .664
2004 135 607 578 86 178 39 0 16 265 60 4 2 1 1 22 0 5 65 9 .308 .338 .458 .797
2005 127 531 490 76 147 24 3 15 222 50 4 3 5 3 32 1 1 44 5 .300 .342 .453 .795
2006 121 343 315 36 68 9 0 6 95 20 3 3 1 1 25 4 1 34 5 .216 .275 .302 .576
2007 66 129 112 17 38 3 0 3 50 14 0 0 2 0 14 2 1 13 3 .339 .417 .446 .864
2008 41 51 42 3 6 0 0 0 6 2 0 0 1 1 7 1 0 10 1 .143 .260 .143 .403
2009 西武 44 134 125 9 26 4 1 1 35 7 0 1 0 0 8 0 1 19 1 .208 .261 .280 .541
通算:14年 1485 5364 4942 718 1428 223 21 131 2086 488 90 55 67 24 289 21 42 581 53 .289 .332 .422 .754
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績


外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
1996 94 147 4 3 1 .981
1997 109 166 6 2 1 .989
1998 126 192 3 2 0 .990
1999 111 199 3 1 1 .995
2000 108 170 4 2 0 .989
2001 116 159 5 1 1 .994
2002 138 230 6 1 1 .996
2003 88 129 4 2 1 .985
2004 135 218 2 2 0 .991
2005 110 170 4 1 0 .994
2006 87 113 4 1 0 .992
2007 43 35 0 0 0 1.000
2008 8 4 0 1 0 .800
2009 3 3 1 0 0 1.000
通算 1276 1935 46 19 6 .991
※各年度の太字は左翼手刺殺数最多
※2002年は中堅手・松井秀喜、右翼手・福留孝介に次ぐ3位

タイトル

表彰

記録

初記録
節目の記録
  • 1000本安打:2004年5月5日、対横浜ベイスターズ6回戦(横浜スタジアム)、4回表に三浦大輔から左前安打 ※史上218人目
  • 100本塁打:2004年5月29日、対横浜ベイスターズ9回戦(東京ドーム)、5回裏に門倉健から右越ソロ ※史上232人目
  • 1000試合出場:2004年6月5日、対ヤクルトスワローズ10回戦(明治神宮野球場)、2番・左翼手として先発出場 ※史上394人目
その他の記録

背番号

  • 35 (1996年 - 2001年)
  • 9 (2002年 - 2008年)
  • 4 (2009年)
  • 81 (2011年 - 2015年)

登録名

  • 清水 隆行 (しみず たかゆき、1996年 - 2008年、2013年 - )
  • 清水 崇行 (しみず たかゆき、2009年、2011年 - 2012年)

関連情報

出演番組

出典

関連項目

外部リンク