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2016年6月8日 (水) 01:40時点における版
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澤 宗紀 | |
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プロフィール | |
リングネーム |
澤 宗紀 ランジェリー武藤 |
本名 | 同じ |
ニックネーム |
プロレス大道芸人 やりすぎくらいがちょうどイイ |
身長 | 174cm |
体重 | 80kg |
誕生日 | 1979年4月20日(45歳) |
出身地 | 東京都杉並区 |
所属 |
格闘探偵団バトラーツ (最終所属) |
トレーナー |
石川雄規 岡本魂 ビル・ロビンソン |
デビュー | 2003年8月31日 |
引退 | 2011年11月9日 |
澤 宗紀(さわ むねのり、1979年4月20日 - )は、日本の元プロレスラー。東京都杉並区出身。
経歴
- 高校はレスリング部。
- 当時珍しかったプロレス団体によるアマチュアマッチ『第1回アマチュアバトラーツ グラップリングB』においてベストファイター賞に選出される。その時に石川雄規から『何か、おまえとは数年後にタッグを組んでいる気がする』と言われ、それから8年後のビッグマウス・ラウド後楽園大会においてその言葉が現実のものとなっている。
- その後はバトラーツでの練習を主に担当していた岡本魂が怪我でフェードアウトしたため、つられるようにフェードアウト。
- 大学卒業後はCM会社に就職するも、わずか2週間で退社。
- 2002年
- 9月14日、東京・Z-Zone NAGAYAMAにてキングダム・エルガイツにおける高津十樹戦で総合格闘技プロデビュー。
- その後、素顔でプロレスリングrに移籍し、週末は新狭山にあるショーパブで薄いマットを敷いての1試合2,000円という非公式な試合や、国際プロレス、アジアン・スポーツ・プロモーションで経験を積むが行き詰まり、2005年、原点である石川雄規のバトラーツに出戻る。
- 11月27日、全日本コンバットレスリングオープン選手権80kg級優勝(出場選手は澤を含め3人だった)。
- 2006年
- 3月22日、ビッグマウス・ラウドのリングにおいて、念願の石川雄規とのタッグが実現。
- 2009年
- 3月オーストラリア・アデレードで行なわれた芸術祭 「アデレード・フリンジ・フェスティバル」において、日本からのサムライアートとして富豪2夢路、澤宗紀、小笠原和彦、ヌンチャク・アーティストの宏樹が招待され試合を行なった。試合は『地下プロレスEXIT』として行なわれ、会場はレストランに薄いマットを敷き、3日間試合を行なった。また、ストリートパフォーマンスとしてアデレード市街で澤宗紀vs富豪2夢路の路上マッチ、宏樹によるヌンチャクパフォーマンス、小笠原和彦による空手の演舞が行なわれた。
- 5月29日、旧JCBホールで行われたキン肉マン生誕30周年を記念したプロレスイベント『キン肉マニア2009』においてウォーズマンの「中身」を担当したとされている。
- 6月28日、DDT後楽園ホール大会のメインで組まれていた無差別級挑戦者決定トーナメント決勝戦を、飯伏幸太が急性咽頭炎のため欠場。そのピンチヒッターとして高木三四郎が即決でオファーしたのが澤だった。2日前の緊急決定、さらにはその日の2試合目にもかかわらず、後楽園ホールを揺るがす大熱戦を展開。そんな男気に打たれた高木三四郎がその場で両国国技館大会出場を打診し、参戦が決定した[1]。また、これがきっかけとなり後に高木と「変態大社長」を結成することとなる。
- 9月、頸堆ヘルニアのため欠場。
- 10月24日、復帰戦で佐藤耕平、KAMIKAZE組が持つNWAインターコンチネンタルタッグ、そして自身が持つNWAインターナショナルライトタッグのベルトをかけ、ダブルタイトル戦に挑戦。相棒・日高郁人がKAMIKAZEを下し、ヘビー、タッグの2冠王となる。
- 11月29日、東京ビッグサイトで行なわれた「国際ロボット展」において澤がROBO-ONE 優勝者のロボット「真グレートキングカイザー」に対戦表明。人類初の『ロボットvsプロレスラー』を実現させた。試合中、澤は司会者からロボットの製作費が数百万円というアナウンスに怯えるもドロップキックを炸裂させダウン奪取。しかしその後のシャイニング・ウィザードをよけられ、パンチ3連発を浴びてTKO負けを喫した。
- 2010年
- 1月10日、DDT名古屋大会、今池ガスホール大会にてインフルエンザで欠場した高木三四郎のピンチヒッターとして登場。DDT vs CEO率いるベルトハンターハンター全面対抗5vs5勝ち抜き戦でヨシヒコとマサ高梨に対戦し勝利した澤は同時に第828代アイアンマンヘビー級メタル王者となる(数秒後にタノムサク鳥羽に奪われる)。
- 1月17日、アメリカで旗揚げされた新団体『EVOLVE』に参戦。シングルマッチでTJPと闘いお卍固めで勝利。
- 1月27日 ZERO1新宿Face大会におけるNWAインターコンチネンタルタッグ王座戦において相棒タッグは大谷晋二郎、曙のタッグチーム『華斬』の挑戦を受けたが大谷のスパイラルボムで澤が敗れ初防衛に失敗した。
- 2月11日、DDT後楽園ホール大会において高木三四郎とのタッグ「変態大社長」でKUDO&ヤス・ウラノ組のKO-Dタッグ王座に挑戦。お卍固めでウラノからギブアップを奪い、第31代王者となる。このとき澤の「初防衛は路上でやりましょう」という発言[2]がきっかけとなり鉄工所、公園、廃屋や両国国技館全体など様々な場所で防衛戦を繰り広げた。
- 3月、ドイツのプロレス団体wXwが毎年行なうトーナメント「16 CARAT GOLD 2010」に出場。1回戦ポール・トレイシーにお卍固めで勝利したものの続いて2回戦目のビッグ・ヴァン・ウォルターにはパワーボムで敗れ2回戦で敗退。急遽組まれたタイトル戦「wXwジュニア・チャンピオンシップ」でザック・セイバーJr.に挑戦したが 足とり腕十字固めで敗れている。
- 9月11日、アメリカ・ニュージャージーにおいて現・WWEのブライアン・ダニエルソンと澤のシングルマッチが『EVOLVE5』のメインイベントで行われた。日程がブライアンのWWE契約後であったため何回かながれかけたが9月11日に実現。 澤は試合前のプロモにおいて、新宿ゴールデン街の路上で山本裕次郎とバチバチ戦う映像をアメリカに送りつけた。試合はブライアンがバトラーツの世界に入り込み、壮絶な打撃戦の末、ラーベルロックで澤から勝利した。
- 「僕がプロレスをやっている意義はバトラーツという会社を大きくすることでした。20代半ばから30代前半まで毎日をその時間につぎ込みました。結果的にクローズしてしまいますけど。僕はプロレスありきのバトラーツではなくバトラーツという自分が大好きな団体ありきのプロレスだったのでバトラーツが終わった後のことは、例えばどこか他の団体に入ったりだとかそういうことは全く自分でイメージがつきません。あと毎試合毎試合引退試合のつもりでやりすぎくらがちょうどいい闘いをと公言してきましたがやっぱりやりすぎたかなと。その辺を含めまして、バトラーツ11月5日新宿大会解散興行。これを絶対成功させてその数日後に僕も引退しようと思います。本当は11月5日バトラーツと一緒に引退しようかと思ったんですけどそうするとやっぱり11月5日のテーマが解散なので僕の引退も入るとちょっと焦点がぶれてしまうので。ジムを見送り、石川屋を見送り、吉川祐太を見送り、及川千尋を見送り、矢野啓太も退団して、みんな一人ひとり見送ってきました。最後に、格闘探偵団バトラーツという、僕の大好きだった団体を見送って、選手生命を終わろうと思います。」
- その後引退までの間国内外、プロアマ、果てには大学構内や花やしきという場所すらも問わず時間のある限り参戦する「やりすぎ」なスケジュールを送る一方で、バトラーツの解散興行に元メンバーを集めるために奔走、当日には不仲といわれていた元メンバーたちを集め解散に花を添えた。
- 11月9日、バトラーツ解散から4日後のZERO1後楽園大会で、先輩である日高郁人と引退試合を行なった。団体が解散したため本来フリーということになるが本人の意向により格闘探偵団バトラーツの澤としてコールされた。
- 試合は、日高の必殺技を何度も受け、最後も両手を広げ野良犬ハイキックを正面から受け止め10カウントを許しKO負けを喫した。
- 試合後、10カウントゴングを終えると澤は足早に控え室に移動。そして「それでは歌って終わりましょう!」と この日参戦した選手やゆかりのある選手と共に「いい湯だな」の替え歌を歌った。
- ♪ババンババンバンバン ババンババンバンバン
- いいもんだ プロレスは さよならするのはつらいけど
- 決めたこと しかたがない やりすぎくらいがちょうどイイ♪
- 「僕が引退しても全団体のレスラーが一所懸命戦います。これからもプロレスを応援よろしくお願いします!それではごきげんよう!また来週!」
- 「来週はねぇよ!」と突っ込まれながら最後まで笑いの絶えない澤らしい引退セレモニーとなった。
ランジェリー武藤
ランジェリー武藤( - むとう)は、澤宗紀が扮するコミックレスラーで「珍日本プロレス」という団体の所属を名乗る。
スキンヘッドのかつらを装着し、更にその名の通り下着(女性もの)をつけた姿で武藤敬司ムーブを行なう。ご丁寧にも、武藤と同様に膝に爆弾を抱えており、どこを攻められても必ずその痛みが膝に来るというギミックが持ち味。主戦場は澤名義でも出場しているZERO1-MAXだが、他のインディー団体にも登場している。2006年5月5日ZERO1-MAXにおける大森隆男戦では敗れたものの大森を「ランジェリー大森」にしてしまうという離れ業をやってのけた。
新宿カス野郎プロレスVol.2にビッグサプライズゲストとして現れた本物の武藤から「神奈月より似てるな」と本人お墨付きの認定を受け、同時に「シャイニング・ウィザード使用料1回2000円だぞ」と返答に困るジョークを仕掛けられている。逆に全日本プロレス主催の武藤祭りで行なわれた武藤ランブルでは試合中、武藤にランジェリーを渡し、武藤本人を困らせた。
また、「変態大社長」として組んでいた高木も「ブラジャー蝶野としてランジェリー武藤とタッグを組んだことがある。
ファイティングTVサムライ「速報☆バトルメン」にて 「鈴木みのるが気仙沼で興行をやった時にランジェリー武藤も来てさ。そこに、津波で家族を亡くしてそれ以来ずっと笑っていなかったっていう方がいたんだよ。その人がランジェリー武藤の試合を見て笑って、周りの人が『何々さんが笑った!』って喜んでたんだよ。俺はプロレス凄いと思ったね」 と、出演していた和田京平レフリーより胸を打つエピソードが紹介された。 [3]。
一時、「バレリーナ天山」(天山広吉をモチーフ)のを練習するも完成せず断念の過去があるらしい。
2011年11月6日、ZERO1「YARISUGI FOREVERⅠ」大会にて引退。
引退後
「引退後もバカなことをやり続けたい」と語り、やりたいことを聞かれた際には「パレード、指揮者、それと海女をやりたい」と語っていたが、2011年12月の福岡ソフトバンクホークスの博多での日本一凱旋パレードにスタッフとしてしれっと混ざっている姿が目撃され、早くも一つ目を達成。
2011年12月31日、年越しプロレス2011年において2011年度インディープロレス大賞MVPを受賞。
- 名前が発表されると現役時代のコスチュームのままなぜかマンモス半田を引き連れ入場。リング四方を周りながら客席にタオル、レガース、ニーパットなどコスチュームを次々脱いでは投げ入れ、最後はマンモス半田が持っていたスーツに着替えてリングインした。
2012年1月、AERA1月15日号において『解散興業を満席にしたもう一人の「澤」』として記事が掲載された。
2014年11月、「プロレスキャノンボール2014」にDDTスペシャルチームの対戦相手として招聘され、ランジェリー武藤で試合を行う。当時の選手Twitter等ではシークレットとされていたが、2015年2月公開の「劇場版プロレスキャノンボール2014」にて明かされる。
2016年3月26日、新宿FACEで開催されたタケシマケンヂ卒業興行にて、タケシマのラストシングルマッチの対戦相手Xとして澤が登場。引退以来初の公式な試合を行う。
柔術の試合やZSTのグラップリングマッチ等にも出場を続けている。
得意技
- シャイニング・ウィザード
- 足4の字固め
- 伊良部パンチ
- お卍固め
- ろくでなし腕十字固め(足取り式腕十字固め)
入場曲
- リボルバー・ジャンキーズ/thee michelle gun elephant
映画
- 平成トンパチ野郎〜男はツラだよ〜(2009年)(マジカル/グラッソ)
脚注
- ^ 2009年8月23日の「両国ピーターパン 〜大人になんてなれないよ〜」パンフレットから引用。
- ^ このことは高木に事前の相談のないアドリブであったという。
- ^ 三田佐代子オフィシャルTwitterより抜粋。
外部リンク
- やりすぎくらいがちょうどイイ! (ブログ)
- モテナイ・ドリル (旧ブログ)
- ブログ (旧ブログ)