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2016年6月8日 (水) 01:26時点における版
佐伯 米子 | |
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生誕 |
池田米子 1903年7月7日 日本 東京府東京市京橋区銀座尾張町 |
死没 |
1972年11月13日 (69歳没) 日本 東京都渋谷区 |
国籍 | 日本 |
教育 | 東京女学館卒業 |
著名な実績 | 洋画家 |
配偶者 | 佐伯祐三 |
受賞 |
サロン・ドートンヌに入選 第21回二紀展文部大臣奨励賞受賞 |
選出 | 二紀会絵画部理事(1949年) |
影響を受けた 芸術家 |
川合玉堂 モーリス・ド・ヴラマンク |
佐伯 米子(さえき よねこ、1903年7月7日 - 1972年11月13日)は、大正-昭和時代の洋画家。
東京府東京市京橋区銀座尾張町(現東京都中央区銀座)出身。旧姓は池田。東京女学館卒。川合玉堂に日本画を学ぶ。
1921年佐伯祐三と結婚。1923年夫とともにフランスにわたり、モーリス・ド・ヴラマンクに師事。1925年「アルルのはね橋」がサロン・ドートンヌに入選。
1926年2月帰国し、13回二科展に出品し、5点が入選した。
1927年9月再び渡仏。1928年8月、夫祐三と娘弥智子がフランスで相次いで死去。1928年10月帰国。
1946年三岸節子らと女流画家協会を創立。1949年より二紀会絵画部理事。1967年、第21回二紀展文部大臣奨励賞受賞[1]。
脚注
出典
- “佐伯米子”. 東京文化財研究所. 2015年10月14日閲覧。