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「トミオ・オカムラ」の版間の差分

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2016年6月7日 (火) 23:56時点における版

トミオ・オカムラ
Tomio Okamura
トミオ・オカムラ(2013年8月)
生年月日 (1972-07-04) 1972年7月4日(52歳)
出生地 日本の旗 日本東京都板橋区
現職 実業家政治家作家
所属政党 直接民主主義の夜明け
公式サイト TOMIO OKAMURA

選挙区 ズリーン
在任期間 2012年10月20日 -
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トミオ・オカムラチェコ語: Tomio Okamura, 日本名: 岡村 富夫(おかむら とみお)、1972年昭和47年)7月4日[1] - )は、チェコ共和国日系人男性政治家実業家作家

経歴

東京都板橋区出身。父は日本人、母はチェコ人[2]日本で約10年間を過ごした後、1990年代にチェコに渡った。プラハの養護施設に入ることとなった。日本に一時的に渡航し、都内の映画館で働いていた。その時に出会ったのが元妻で、現在はビジネス上のパートナーとして共同活動をしている。 観光業や日本食材店などの事業を展開。地元のテレビや雑誌などのマスメディアにも出演し、知名度を高めた。作家としても活動しており、いくつかの著書はチェコ国内でベストセラーになった。

2012年10月の上院議員選挙ズリーン選挙区から立候補して当選した(任期は2018年10月20日まで)。

直後、2013年に行われるチェコ共和国大統領選挙への出馬を表明[3]し、政治腐敗の一掃を公約に署名6万2000人分を集め立候補を届け出た。この署名はチェコの法律に則り内務省が調査したが、全体の4割にあたる2万6000人分の署名で、記載された住所と人物の一致が確認できないとして無効と判断された。この結果、立候補に必要な5万人分の署名を下回ったためオカムラは立候補資格を失った[4]

2013年1月、「内務省による署名の確認作業は不透明で全く信用できない」と主張[5]し、チェコ憲法裁判所に選挙手続きは違憲の可能性があると提訴したが、立候補資格に関しては訴えを退けられている[6]

2013年7月新党『直接民主主義の夜明け』を設立し、自身が党首となった。 2013年10月に行われたチェコ議会下院選挙にて6.88%の得票率を得て、チェコ共和国議会代議院で14議席を獲得した[7]

政治主張

オカムラは、「チェコがイスラム過激派から損傷を受けないように、われわれはなんらかの処置を講じなければいけない」として、自分たちの国を「イスラム化」から守るために、25のポイントで説明している。その内容は、「嫌がらせ」と呼ぶべきものであり、「モスクの周辺に、犬や豚を連れて散歩に行く」「ケバブを食べない」「イスラム教徒が運営する店舗で買わない」(20 Minuten.chより引用)などである。さらに、2014年には第二次世界大戦中、「ボヘミアのLetyにあった強制労働収容所は存在しなかった」という見解を示している。第二次世界大戦中、ロマ人はナチスにより強制労働収容所での労働を強いられていた[8]

脚注・参照

外部リンク