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2016年6月7日 (火) 23:40時点における版
おおさわ ゆうり 大沢 悠里 | |
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プロフィール | |
愛称 | 悠里さん、悠里ちゃん |
出身地 |
大日本帝国・東京府東京市浅草区 (現: 日本・東京都台東区) |
生年月日 | 1941年2月11日(83歳) |
最終学歴 | 早稲田大学法学部 |
職歴 | 元TBSアナウンサー |
活動期間 | 1964年 - |
ジャンル | ラジオ番組、ナレーション |
公式サイト | TBSラジオによるプロフィール |
出演番組・活動 | |
出演中 | 『大沢悠里のゆうゆうワイド土曜日版』 |
出演経歴 |
『大沢悠里のゆうゆうワイド』 『大沢悠里ののんびりワイド』 『そこが知りたい』 『クイズところ変れば!?』など |
大沢 悠里(おおさわ ゆうり、1941年(昭和16年)2月11日 - )は、日本のアナウンサー。本名同じ。男性。
1964年4月、TBSにアナウンサー第9期生として入社[1][2]。1991年2月、TBSを退社しフリーに[3][4]。主にラジオで活動。テレビでの露出をほとんど行わない。
略歴
- 1959年(昭和34年)3月 - 獨協高等学校卒業
- 1964年(昭和39年)3月 - 早稲田大学法学部卒業。これまで、中学・高校・大学と、部活・サークル活動はずっと放送部[5]。
- 1964年(昭和39年)4月 - TBSへアナウンサー第9期生として入社(同期には石川顯・小島康臣・平原晋太郎・桝井貞之・宇野淑子・高階玲子・二村義子・山田照子・吉野好子)[1][2]。当初の5年間は主にテレビ・ラジオの報道番組を担当[注釈 1]。
- 1964年(昭和39年)5月 - ラジオ編成局放送実施部に配属[4]。
- 1966年(昭和41年)1月 - ラジオ局放送部兼テレビ編成局アナウンス部に所属[4]。
- 1966年(昭和41年)11月 - テレビ『ヤング720』に出演(これが顔出しでのテレビデビューである)。
- 1967年(昭和41年)11月15日 - アナウンサー研修室設置に伴いラジオ局第一制作部勤務兼アナウンサー研修室付に[6]。
- 1969年(昭和44年)3月 - 放送部兼第一制作部兼第二制作部兼アナウンサー研修室付[4]。
- 1969年(昭和44年)4月 - この年からラジオ番組を中心に受け持つ。夕方の音楽番組や『土曜日です おはよう大沢悠里です』などに出演。
- 1970年(昭和45年)7月 - ラジオ本部アナウンス室(アナウンサー研修室より組織変更)[7]に所属[4]。
- 1972年(昭和47年)9月 - ラジオ本部アナウンス室兼ラジオ局第二制作部に勤務[4]。
- 1974年(昭和49年)10月 - JRN『ゴールデンワイド』木曜日の『ラジオ寄席』司会者として、東北各地をまわる。
- 1979年(昭和54年)4月 - 平日午後のワイド番組『大沢悠里ののんびりワイド』(後に『大沢悠里のがんばってますかー!昼はまるごと歌謡曲』)放送開始。
- 1984年(昭和59年)4月 - テレビ『ゆうYOUサンデー!』に出演(唯一の顔出しテレビ冠番組)。
- 1985年(昭和60年)4月 - 午後のワイド番組終了に伴い、長期休暇でアフリカ旅行。帰国後『スーパーワイドぴいぷる』の担当に。
- 1986年(昭和61年)4月 - 『大沢悠里のゆうゆうワイド』(平日 8:30 - 12:00、1996年4月より8:30 - 13:00)放送開始。
- 1988年(昭和63年)1月 - ラジオ局アナウンス部[8]兼ラジオ局第二制作部兼ラジオ局社会情報部に勤務[4]。
- 1991年(平成3年)2月 - 報道総局アナウンス部専門職部長[9]を経て退職[4]。個人事務所「有限会社大沢企画」設立。
- 1994年(平成6年)10月 - 脳梗塞で倒れ、一時休養。
- 2009年(平成21年)5月6日 - NHKラジオ第1『ラジオデー 広げようラジオの魅力』「ラジオ・トークセッション」にゲスト出演。
- 2010年(平成22年)1月3日 - NHKラジオ第1『ラジオ深夜便』にゲスト出演。「新春インタビュー・ラジオだから素敵なの」と題してアナウンサーの宇田川清江と対談。宇田川は2009年4月22日に『ゆうゆうワイド』にゲスト出演している。
- 2011年(平成23年)12月 - 狭心症の疑いで、検査入院[10]。
- 2015年(平成27年)3月 - 浅草公会堂の正面にあるスターの広場に彼の手形が設置された。
- 2016年(平成28年) - 1月18日、『ゆうゆうワイド』が同年4月8日で終了することが番組内で発表された[11][12]。3月7日、同番組が4月9日から「土曜日版」として継続することが発表された[13][14]。
- 2016年(平成28年)4月9日 - 『大沢悠里のゆうゆうワイド土曜日版』放送開始
- 2016年5月21日 - 放送人の会[1]より「放送人の会『放送人グランプリ 2016』特別賞」を贈呈される[15]
出演番組
現在の出演番組
- 大沢悠里のゆうゆうワイド土曜日版(土曜日 15時〜16時50分、さこみちよと共に - TBSラジオ)
- ラジオショッピング(不定期の日曜日 午前10時から、西村知江子と共に) - TBSラジオ
- 土曜スペシャル(テレビ東京、不定期)ナレーション
- 日曜ビッグバラエティ(テレビ東京、不定期)ナレーション
過去の出演番組
- ヤング720(1966年、TBSテレビ)東京製作分でグループ・サウンズへのインタビュアーとして出演[4]。
- 東京ワンポイント(1969年、TBSラジオ)[4]
- ミュージックダイヤル(1969年、TBSラジオ)[4]
- ミュージックパトロール(1970年、TBSラジオ)[4]
- どんとこい!電リク大進撃(1971年、TBSラジオ)[4]
- 歌謡スター夢のワンマンショー(1972年、TBSラジオ)[4]
- 土曜日です おはよう大沢悠里です(1972年4月15日-1979年3月31日、TBSラジオ)[4]
- サンデーホームメロディ(1973年、TBSラジオ)[4]
- 歌謡ホームジョッキー(1973年、TBSラジオ)[4]
- ラジオ寄席(1975年、TBSラジオ)[4]
- かつ江と悠里の色いろ問答(1976年、TBSラジオ)[4]
- かつ江と悠里の朝風呂問答(1977年、TBSラジオ) - 『かつ江と悠里の色いろ問答』の後継番組。1970年代後半に平日早朝放送の帯番組。群馬県伊香保温泉観光協会提供。[4]
- 悠里とみちよの朝風呂問答(TBSラジオ) - 上記の後継番組で、のちに「伊香保温泉・朝風呂一番!」に改称し1分番組となった。
- 大沢悠里ののんびりワイド(1979年4月9日 - 1983年9月29日、TBSラジオ)パーソナリティ[4]
- 大沢悠里のがんばってますかー!昼はまるごと歌謡曲(1983年10月3日 - 1985年4月4日、TBSラジオ)パーソナリティ[4]
- 大沢悠里のゆうゆうワイド(1986年4月7日 - 2016年4月8日、TBSラジオ) - TBS在職時から担当[4]。
- ゆうYOUサンデー!(1984年、TBSテレビ) - フリー時代を通じて唯一の顔出しでのテレビ冠番組[4]。
- スーパーワイドぴいぷる(1985年10月9日 - 1986年4月4日、TBSラジオ)水曜日パーソナリティ[4]
- クイズところ変れば!?( - 1990年度後半、テレビ東京)ナレーション
- 新装開店!SHOW by ショーバイ2(日本テレビ)ナレーション(末期に1回のみ)
- そこが知りたい(TBSテレビ)ナレーション
- ハマラジ音楽館(FMヨコハマ)
- 悠悠素敵話(TBSラジオ、2006年10月3日 - 2007年3月27日)
- 大沢悠里のゆうゆうサンデー(TBSラジオ、日曜 7:15 - 7:25頃『プレシャスサンデー』内)
- 大沢悠里のにっぽん元気カンパニー(TBSラジオ) - JRN系列局での放送タイトル。TBSラジオは『ゆうゆうワイド』内「ゆうゆうお昼のスーパートーク」として放送。
- 歸國(2010年8月14日、TBSテレビ)深夜ラジオでお便りを読むパーソナリティ(声のみ) 役
- 橋幸夫の地球楽団(2016年4月17日・24日、TBSラジオ・東北放送)ゲスト
CM
ラジオ
※TBSラジオでのCMをメインに担当している。
- 味の素(ハート・オブ・ポップス内で不定期にかけられていた)
- タジマヤ、食品の仕入問屋 - ニッポン放送でも放送。
- 大澤屋、群馬県・水沢うどん
- 伊香保温泉 - かつては番組形態のCMもあり。
- 群馬県・渋川市 日本シャンソン館
- 埼玉県・養蜂業者 武州養蜂園
- シーケーホーム(重量鉄骨の家)
- 群馬県 - 前群馬県知事の小寺弘之と共演。
- 群馬県高崎市 丸橋全人歯科
- ムカサのピスタチオ
- スターフライヤー、福岡線就航
- 埼玉県・不動産会社 柳田ハウス
テレビ
- ヒゲタ醤油、本膳(ナレーションのみ) - 2005年(平成17年)ぐらいまでのCMで現在とは異なる。
- JAつまごい村、嬬恋高原キャベツ(ナレーションのみ)
- 日本香堂、ご進物用お線香(2010年、声のみ) - 西村知江子と共演。
音楽
シングル
アルバム
- HIFANA Presents 南風ケーブル2(intro & outroに参加)
映画
- 白蛇抄(1983年、東映)劇中小道具のラジオから流れる番組パーソナリティー 役
- 真夜中の弥次さん喜多さん(2005年、アスミック・エース)本人 役
エピソード
子供の頃は、よくラジオを聴いていて、ラジオのアナウンサーの声真似をよくやっていた[16]。
落語が好きで、一時は噺家になろうかと思ったこともあったという[17]。
ラジオ人として
本人曰く「声が地味」で、新人の頃は「宴会などでは面白いのに、放送は面白くない」とよく言われたという。法律相談の番組や小唄の番組などに回され、1968年には番組宣伝部に回されそうになったこともあった。その後にラジオ番組『トヨタ・ミュージック・パトロール』のパーソナリティのオーディションに合格して同番組を担当し「初めて自分のペースで話せる番組を持てた」と思ったという[17]。
「ゆうゆうワイド」の裏番組を担当している高田文夫からは、その風貌を「下駄にモミアゲ」と揶揄されたこともある[18]。
TBSのアナウンサーでありながらテレビにほとんど出演しない大沢を、彼のラジオ番組を聞き面白いと感じたテレビ朝日『題名のない音楽会』の関係者が同番組に出演させたことがあった(1986年(昭和61年)9月14日放送)。局アナが他局の番組に出演するのも、テレビでラジオ風の番組を放送するのも異例の事だった。
フリーに転身後も、顔出しでのテレビ出演を一切やらないという方針で仕事をし続けている[16]。
TBSラジオでは、放送中に同局のコールサインである“JOKR”をコールすることが(放送開始・終了時を除いて)ほとんどないが、大沢は『ゆうゆうワイド』の番組内の時報の直前に「まもなく時報になります。ちょっとお手元の時計、合っているかどうか御確かめ下さい。TBSラジオです。J・O・K・R」と、唯一コールサインを読み上げる(尺により言わない時もあるが)ことで知られる。大沢はTBS社員を経て現在はフリーであり、放送局に属さない出演者がコールサインを読み上げることも異例であるといえる。また、このときにTBSラジオの周波数や出力の案内もすることがある[19]。
『ゆうゆうワイド』では高齢者に対する配慮から、問い合わせ先の電話番号などを読み上げるときは、とてもゆっくり、2度3度と繰り返す。これは自分自身のポリシーとのこと。また、小難しい英単語なども極力使わないことにしている[17]。
主に「悠里さん」と共演者やリスナーから下の名前で呼ばれることが多く、毒蝮三太夫からは「悠里ちゃん」[16]、中山秀征からは「大沢悠里大先生」と呼ばれている。ちなみに中山がパーソナリティを務めた『四番なかやま』にゲスト出演した際、大沢はエロに対する極意として「ストレートにではなく、想像させなければダメ」と述べている[要出典]。また「本当のスケベは、真面目だから出来ること」と言う考えを持っている[17]。
昔、スポーツ新聞のインタビューの“毎日欠かさずしていることは?”の問いに「茶碗一杯のせんぶりを飲んでいる」と答えたが、実際の記事では「茶碗一杯のとんぶり」となっており本人を苦笑させた。せんぶりとは胃に良いとされるとても苦い漢方薬で、煎じて用いる[20]。
「喋り声は極めてハト派だが、顔は思いっきりタカ派の大沢悠里」と言われている[16]。
上記の通り半世紀にわたってTBSラジオ番組をメインに活動してきたが、担当番組のほとんどが関東ローカルだった事もあり、全国的な知名度はあまり高くないと自らも話す[21]
2015年4月10日発売の『クロワッサン4/25特大号』にて、雑誌上での「顔出し」を交えつつインタビューに答えている(『TBSラジオ 大沢悠里のゆうゆうワイド 聞いて下さる方が、身近に感じる事が大事なんです。』[2])
その他
出身地が東京都台東区浅草という事から、幼い頃から寄席通いを続け、寄席でやる事すらも憚られる艶笑噺を含むいわゆる本物の笑芸に触れており、学生時代はアルバイトとして文化放送の演芸番組のスタッフでもあった。そのためか、こと笑芸に関しては非常に厳しい考えを持っている一面がある[17]。
批評だけで実行力が無い評論家に対しては軽蔑し、一線を画しているとのこと。また、福島瑞穂に対して寄付をしている[要出典]。
注釈
- ^ 当時、大半のテレビニュースはキャスターの顔出しがなく、字幕とニュース映像のみで構成されていた。
出典
- ^ a b 東京放送 編「III 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、237頁。「1964.4〈9期生〉 10人入社(男5・女5) 石川 顯 大沢悠里 小島康臣 平原晋太郎 桝井貞之 宇野淑子 高階玲子 二村義子 山田照子 吉野好子」
- ^ a b 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、16-18頁。「64.4 〈9期生〉10人入社(男5・女5) 石川 顯 大沢 悠里 小島 康臣 平原晋太郎 桝井 貞之 宇野 淑子 高階 玲子 二村 義子 山田 照子 吉野 好子」
- ^ 東京放送 編「III 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、237頁。「大沢悠里[1991.2退社] R「ミュージックダイヤル(1969)」「大沢悠里のゆうゆうワイド(1986)」 TV「ヤング720」「ゆうYOUサンデー(1984)」」
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、16頁。「大沢 悠里…[64.5R編成局放送実施部][66.1 R局放送部兼TV編成局アナウンス部][67.11 第一制作部兼アナウンサー研修室付][69.3 放送部兼第一制作部兼第二制作部兼アナウンサー研修室付][70.7R本部アナウンス室][72.9 兼R局第二制作部][88.1 兼R局社会情報部][89.1 報道総局アナウンス部兼R総局情報制作局Rワイド部][91.2 退社] R「東京ワンポイント(69)」「ミュージックダイヤル(69)」「ミュージックパトロール(70)」「どんとこい!電リク大進撃(71)」「歌謡スター夢のワンマンショー(72)」「土曜ですおはよう大沢悠里です(72)」「サンデーホームメロディ(73)」「歌謡ホームジョッキー(73)」「ラジオ寄席(75)」「かつ江と悠里の色いろ問答(76)〜朝風呂問答(77)」「おはよう大沢悠里です(78)」「大沢悠里ののんびりワイド(79)」「大沢悠里のがんばってますか〜!(84)」「スーパーワイド・ぴいぷる(85)」「大沢悠里のゆうゆうワイド(86)」 TV「ヤング720」「ゆうYOUサンデー(84)」 ☆78.10 小鳩くるみとのコンビでレコード発売「麻雀・風呂付き・お酒ルンバ」」
- ^ 『大沢悠里ののんびり(秘)奥様』(主婦の友社)、p.17。
- ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、22頁。「1967年11月15日 『アナウンサー研修室』設置 〈ラジオ局第一制作部勤務兼アナウンサー研修室付〉 榎本勝起、仁村秀雄、麻生雅子、田淵 威、清水将夫、鈴木史郎、古村朋子、大沢悠里、桝井貞之、宇野淑子、高階玲子、二村義子」
- ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、24頁。「1970年7月25日 「アナウンサー研修室」から『ラジオ本部アナウンス室』となる。」
- ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、28頁。「1983年6月29日 『組織変更』ラジオ局アナウンス室を『ラジオ局アナウンス部』とする。」
- ^ 東京放送 編「VII 各種表彰 3.社内表彰(社長賞・年間表彰)」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、301頁。「受賞年月日 1990.11.29 受賞理由 「大沢悠里のゆうゆうワイド」高聴収率で、ラジオ聴収率1位に貢献 受賞者 大沢悠里(報道総局アナウンス部専門職部長) 齊藤達裕(ラジオ総局編成制作局制作部主任職) 関谷浩至(ラジオ総局編成制作局制作部主任職) 櫻井美枝(ラジオ総局編成制作局制作部) 荻 作子(ラジオ総局編成制作局制作部参事) 牧 巌(ラジオ総局編成制作局制作部情報センター部主任職) 高山道治(ラジオ総局編成制作局制作部副部長職)」
- ^ “大沢悠里がラジオ休養、狭心症の疑いで検査”. サンケイスポーツ (2011年12月10日). 2011年12月21日閲覧。
- ^ 番組からのごあいさつ - 番組公式ページ、2016年1月18日
- ^ “大沢悠里、『ゆうゆうワイド』丸30年の4月で降板 後任は伊集院光”. ORICON STYLE (株式会社oricon ME). (2016年1月18日) 2016年3月7日閲覧。
- ^ ゆうゆうワイドが土曜日に引っ越します - 番組公式ページ、2016年3月7日
- ^ “「ゆうゆうワイド」一転継続 リスナー後押し、土曜版で:”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2016年3月7日) 2016年3月7日閲覧。
- ^ 放送人の会 「放送人グランプリ2016」特別賞 5月21日 土曜日 - TBSラジオ、2016年5月21日 土曜日 17:32分配信、同年6月4日閲覧。
- ^ a b c d 『放送文化』(NHK出版)2009年春号『大沢悠里インタビュー』、pp.4-12。
- ^ a b c d e 週刊文春 2003年7月24日号 pp.146-150、『阿川佐和子のこの人に会いたい・第495回』より。
- ^ 月刊ラジオパラダイス 1989年8月号、80p、『高田文夫のラジオでなしくずし』より。
- ^ 日刊ゲンダイ 2007年7月25日掲載記事より。
- ^ 2010年6月2日スポーツニッポン大阪『浜村淳&大沢悠里「生きている限り頑張る」』より。
- ^ 月刊現代 1999年12月、pp.222-231、『「ラジオ深夜便」「ゆうゆうワイド」「お早う!中年探偵団」-人気パーソナリティが一堂に会して--ラジオはテレビの100倍こころに響く』
関連人物
参考文献
- 東京放送 編『TBS50年史』東京放送、2002年1月。