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'''李普'''(りふ、 |
'''李普'''(りふ、[[824年]]([[宝暦]]元年)-[[828年]]([[大和]]2年) )は、[[唐]]の[[皇族]]。第十三代皇帝・[[敬宗 (唐)|敬宗]]の長男で、[[諡]]は'''悼懷太子'''。生母は'''郭貴妃'''([[郭子儀]]の曾孫・[[郭義]]の娘)である。 |
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晋王に封じられる。[[828年]]にわずか5歳で[[夭折]]した。'''悼懐太子'''としての[[称号]]を贈られたという。 |
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彼は生まれつき素質があり、初めは[[晋]]王に封じられる。[[830年]]、[[皇太子]]に立てられた。父・文宗は[[宝暦 (唐)|宝暦]]年間の[[飢饉]]の状況を見て、自ら倹約を奨励した。太子の李普はこれを厳守したので、父帝はもとより重臣達の信望も篤かったという。だが、彼は[[832年]]に惜しくも早世し、父の文宗を嘆き悲ませた。その後、当分は立太子の建議は保留されたが、止むなくあまり素質が芳しくない異母弟の李永が新太子に指定されたという。 |
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[[Category:中国史の人物|りふ]] |
[[Category:中国史の人物|りふ]] |
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{{生没年|ふんそう|824年|828年}} |
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[[Category:832年没|りふ]] |