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{{Infobox UK place |
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{{出典の明記|date=2015年5月}} |
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|country = イングランド |
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{{世界の市 |
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|map_type = Greater London |
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|正式名称 = ハイベリー |
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|region= ロンドン |
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|公用語名称 = Highbury |
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|population= 21,959 |
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|愛称 = |
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|official_name= Highbury |
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|標語 = |
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|latitude= 51.552 |
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|画像 = Highbury Clock-1.jpg |
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|longitude= -0.097 |
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|画像サイズ指定 = 250px |
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|os_grid_reference= TQ319854 |
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|画像の見出し = ハイベリー・クロック |
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|post_town= LONDON |
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|市旗 = |
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|postcode_area= N |
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|市章 = |
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|postcode_district= N5 |
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|位置図 = |
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|london_borough= [[イズリントン区]] |
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|位置図サイズ指定 = |
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|dial_code= 020 |
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|位置図の見出し = |
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|constituency_westminster= イズリントン北選挙区{{enlink|Islington North (UK Parliament constituency)|a=on}} |
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|位置図2 = |
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|static_image_name = Highbury House.jpg |
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|位置図サイズ指定2 = |
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|static_image_caption = 1800年頃のハイベリー・ハウス |
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|位置図の見出し2 = |
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|緯度度 =51 |緯度分 =55 |緯度秒 = |N(北緯)及びS(南緯) =N |
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|経度度 =0 |経度分 =09 |経度秒 = |E(東経)及びW(西経) =W |
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|成立区分 = |
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|成立日 = |
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|成立区分1 = |
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|成立日1 = |
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|成立区分2 = |
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|成立日2 = |
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|旧名 = |
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|創設者 = |
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|下位区分名 = [[イギリス]] |
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|下位区分種類1 = 国 |
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|下位区分名1 = [[イングランド]] |
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|下位区分種類3 = 行政区 |
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|下位区分名3 = [[大ロンドン]] |
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|下位区分種類4 = 地域 |
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|下位区分名4 = [[ロンドン]] |
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|下位区分種類5 = [[ロンドン特別区|特別区]] |
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|下位区分名5 = [[イズリントン・ロンドン特別区]] |
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|規模 = |
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|最高行政執行者称号 = |
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|都市圏面積(平方キロ) = |
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|都市圏面積(平方マイル) = |
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|標高(メートル) = |
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|標高(フィート) = |
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|人口の時点 = |
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|人口に関する備考 = |
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|総人口 = |
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|人口密度(平方キロ当たり) = |
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|人口密度(平方マイル当たり) = |
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|市街地人口 = |
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|市街地人口密度(平方キロ) = |
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|市街地人口密度(平方マイル) = |
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|都市圏人口密度(平方キロ) = |
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|都市圏人口密度(平方マイル) = |
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|等時帯 = |
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|夏時間の協定世界時との時差 = |
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|郵便番号の区分 = |
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|郵便番号 = |
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|公式ウェブサイト = |
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|備考 = |
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'''ハイベリー''' (Highbury) は、[[ロンドン]]中心部[[イズリントン・ロンドン特別区]]にある地区。 |
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'''ハイベリー'''({{lang-en-short|Highbury}})は[[ロンドン]]・[[イズリントン区]]の1地区である。 |
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==交通== |
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[[ナショナルレール]]、[[ロンドン地下鉄]]・[[ヴィクトリア線]]の[[ハイベリー&イズリントン駅]]など |
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== 歴史 == |
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=== 初期のハイベリー === |
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かつて[[アーセナルFC]]の本拠地[[アーセナル・スタジアム]]が存在していた。「ハイベリー」は、このスタジアムの愛称でもあった。 |
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現在[[イズリントン区]]に含まれるこの地区は、かつてトレントン[[荘園#ヨーロッパの荘園|荘園]]の一部だった(この荘園は[[ドゥームズデイ・ブック]]にも掲載されている)。トレントン荘園({{lang-en-short|Tolentone}})はイルガーの兄弟レナルフ({{lang-en-short|Ranulf brother of Ilger}})のもので<ref>{{cite web|url=http://opendomesday.org/name/424500/ranulf-brother-of-ilger/|title=Ranulf brother of Ilger|publisher=Open Domesday Book|accessdate=2016-05-02}}</ref>、キャノンベリー・ロード({{lang-en-short|Canonbury Road}})の北側、ハロウェイ・ロード({{lang-en-short|Holloway Road}})の東側区域全てを含んでいた。領主の邸宅は現在のホーンジー・ロード({{lang-en-short|Hornsey Road}})の東側、セブン・シスターズ・ロードとの交差点付近にあった。荘園が無くなった後の[[1271年]]、南東側に新しい荘園の領主邸宅が建てられた(以下参照)。元々あった領主邸宅と区別するため、この邸宅は丘の上に立てられ、「ハイベリー」({{lang-en-short|'''Highbury'''}})と名付けられた。地区名はこの邸宅から取られている。 |
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ハイベリー荘園の場所は[[ブリタンニア]]時代の駐屯軍によって、サマー・キャンプとして活用されていたと考えられている。[[1781年]]に新しいハイベリー・ハウスが建築された際、ブリタンニア時代もしくは[[ノルマン人]]のタイルが発見されたが、不運にもその後紛失されている。 |
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=== ハイベリー荘園 === |
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その後ハイベリーの所有権はアリシア・ド・バロウ({{lang-en-short|Alicia de Barrow}})に移り、[[1271年]]には[[聖ヨハネ騎士団|英国ホスピタル騎士団]]としても知られる、「エルサレムの聖ヨハネ小教会」({{lang-en-short|The Priory of St John of Jerusalem}})へと譲渡された。この裕福な領主小教会は、農場と納屋が付いた石造りの田舎風大屋敷としてハイベリー荘園を建立した。 |
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[[ワット・タイラーの乱|農民反乱]]中の[[1381年]]、ジャック・ストロー{{enlink|Jack Straw (rebel leader)|Jack Straw}}は、ホスピタル騎士団の「富と高慢に激怒する」2万人の暴徒を指揮して、この荘園屋敷を破壊した。当時の教会長{{enlink|List of the priors of Saint John of Jerusalem in England|a=on}}である{{仮リンク|ロバート・へイルズ|en|Robert Hales}}は、[[ロンドン塔]]に逃げ込んだものの捕らえられ、{{仮リンク|タワー・ヒル|en|Tower Hill}}で打ち首に遭っている。ジャック・ストローと彼に従った数人は、ハイベリーを一時的な本部として使い、屋敷は捨てられた後も500年間『ジャック・ストローの城』({{lang-en-short|Jack Straw’s Castle}})として知られることになった。なお[[ハムステッド]]のホワイトストーン・ポンドにも、同じく彼の名前から名前が取られた『ジャック・ストローの城』が存在する。以前は[[パブ]]、現在では[[アパート|フラット]]として使われており、『ジャック・ストローの城』としてはこちらの方が知名度が高い。 |
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=== ハイベリー・ハウス === |
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[[File:Highbury Clock-1.jpg|thumb|upright=0.75|200px|ハイベリー・クロックは{{仮リンク|ハイベリー・フィールズ|en|Highbury Fields}}のすぐ北、ハイベリー・バーンとハイベリー・ヒルの交差点近くに位置している。この時計は[[ヴィクトリア (イギリス女王)|ヴィクトリア女王]]の在位60年を祝し、1897年に寄贈された。]] |
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聖ヨハネ騎士団が所有していたハイベリー荘園は、[[1540年]]、[[ヘンリー8世 (イングランド王)|ヘンリー8世]]によって没収された。この土地は、[[17世紀]]に{{仮リンク|イングランド議会|en|Parliament of England}}が売却を始めるまで王領地であった。 |
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裕福な{{仮リンク|株式仲買人|en|Stockbroker|preserve=1}}だったジョン・ドーズ({{lang-en-short|John Dawes}})は、周辺の土地{{convert|247|acre|km2}}と合わせて『ジャック・ストローの城』を入手した。[[1781年]]には1万ポンドをかけて、かつてハイベリー荘園があった場所に、ハイベリー・ハウスを建築した。それからの30年間、屋敷は次の領主である{{仮リンク|アレクサンダー・オーバート|en|Alexander Aubert}}、更に次の領主ジョン・ベントレー<ref group="注">{{lang-en-short|John Bentley}}</ref> |
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によって、大きな{{仮リンク|観測所|en|Observatory}}や豪勢な庭も含め、拡張され続けた。 |
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ハイベリー・ハウス周辺の敷地は、[[1794年]]から売却が進められた。[[1894年]]までには、ハイベリー・ハウスと、売却後も残った敷地が学校に変えられている。[[1938年]]、ハイベリー・ハウスはついに廃止され、現在では跡地にイートン・ハウス・フラットが建っている。この建物はレイ・ロード({{lang-en-short|Leigh Road}})沿いにあり、[[1939年]]にオールド・イートン建設協会({{lang-en-short|The Old Etonian Housing Association}})によって建設されたものである。 |
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=== ハイベリー・バーン === |
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[[File:Highbury Barn.jpg|thumb|1819年のハイベリー・バーン]] |
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1381年に荘園屋敷が破壊された後、農場と納屋は、ホッピング・レーンの南側を走る、現在のセント・ポールズ・ロードの東側に保存された。セント・ポールズ・ロードはハイベリー・パーク、ハイベリー・グロウヴ(A1201)と交差する位置にある{{refnest|group="注"|{{lang-en-short|Highbury Park / Highbury Grove}}. "{{en|Grove}}" には「並木道」との意味がある<ref name="geniusbig">{{Cite encyclopedia|author=[[小西友七]]|author2=南出康世|date=2001-04-25|year=2001|title=ジーニアス英和大辞典|place=[[東京都]][[文京区]]|publisher=[[大修館書店]]|publication-date=2011|series=[[ジーニアス (辞典)|ジーニアス]]|id={{NCID|BA51576491}}. {{ASIN|4469041319}}. {{全国書誌番号|20398458}}|isbn=978-4469041316|oclc=47909428}}</ref>。また A1201 は、ハイベリー地区をハイベリー&イズリントン駅に向かってほぼ南北に走る通りで、中腹部では「ハイベリー・パーク」、南端では「ハイベリー・グロウヴ」との名前になる<ref>{{harvtxt|London Street Atlas|2008|p=66}}</ref>。ロンドンでは同じ番号の通りに、場所によって別の名前が付けられていることがある。}}。[[1740年]]には、ハイベリー・バーン{{refnest|group="注"|{{lang-en-short|Highbury Barn.}} "{{en|Barn}}" の本来の意味は「(農場の)納屋、物置」{{r|geniusbig}}。本来、"{{en|Highbury Barn}}" とは「ハイベリーの納屋」との意味だが、この記事では固有名詞化されていることを鑑み、『ハイベリー・バーン』の名称で統一する。}}に小さな[[エール (ビール)|エール]]とケーキの店がオープンした。 |
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[[1770年]]、ウィリアム・ウィロビーがハイベリー・バーンを引き継ぎ、人気を大いに高めた。彼は、隣の農場から土地と建物を譲り受けてハイベリー・バーンの規模と設備を拡張した。これにより敷地は現在のケルヴィン・ロードの先まで達し、[[ローンボウルズ]]や{{仮リンク|バット・アンド・トラップ|label=トラップ・ボール|en|Bat and trap}}用の芝生、庭も整備された。ハイベリー・バーンは2,000人分の夕食を賄え、コンサートやダンスも行われたほか、ロンドンで最も人気のある店の1つになった。 |
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[[1854年]]にハイベリー・バーンの庭で行われた、毎年恒例のローンボウルズ大会では、[[チャールズ・グリーン (気球乗り)|チャールズ・グリーン]]による気球飛行が行われた。[[1865年]]まで、ここには大きなダンス舞台や改築された劇場、[[ミュージックホール]]があり、綱渡りショーや[[パントマイム]]、[[チャン&エン・ブンカー兄弟]]<ref group="注">[[結合双生児]]を指す「シャム双生児」の語源となった双子。</ref>の見世物などが行われていた。ハイベリー・バーンは、自らの成功で首を絞めることになった。[[1869年]]に、[[聖バーソロミュー病院|バーツ病院]]の生徒が起こした暴動の後、地域住民はバーンで呑み騒ぐ淫らな顧客が増えていることに対し抗議した。この訴えは裁判沙汰になり、当局が[[1871年]]にバーンのダンスホール営業権を剥奪する事態となった。 |
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=== 住民の増加 === |
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[[1794年]]までのハイベリーは、ハイベリー・ハウスとハイベリー・ヒル・ハウス、ハイベリー・バーン、ハイベリー・テラスの門付きテラス、ハイベリー・プレース<ref group="注">{{lang-en-short|Highbury House and Highbury Hill House, Highbury Barn and the gated terraces of Highbury Terrace and Highbury Place}}</ref>で構成されており、いずれもジョン・ドーズが貸し出した土地に建てられていた。ハイベリー地区はこのスタイルを守るつもりだったようで、その証拠にセント・ポールズ・ロード / ボールズ・ポンド・ロードとセブン・シスターズ・ロード<ref group="注">{{lang-en-short|St Paul's Road/Balls Pond Road and the Seven Sisters Road.}}</ref>の間に、広さ{{convert|250|acre|km2}}の公園「アルバート・パーク」を建設する計画が持ち上がっていた。代わりに、現在のハイベリー・フィールズにあたる27.5エーカー (111,000 m²) の土地が[[1869年]]に保存された。この地区には、115エーカー (465,000 m²) のフィンズベリー・パーク({{lang-en-short|Finsbury Park}})が作られ、残りの地区は開発された。 |
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地区開発の大半は2つのフェーズで進行した。1870年代までに多くのイタリア風[[ヴィラ]]が建てられ、多くはハイベリーの南側に集中した。続いて、家々が密集して建てられ開発が進んだ。多くは[[テラスハウス]]で、主にハイベリーの北側に建設された。[[1918年]]まで空き地への家屋建設は進み、[[第二次世界大戦]]後までほとんど改築されなかった。 |
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1920年代には、キリスト教住民の礼拝のため場所が必要となり、[[1920年]]、ケルロス・ロード({{lang-en-short|Kelross Road}})に委託を受けた聖ジャンヌ・ダルク教会({{lang-en-short|St Joan of Arc's church}}、英語読み転記:聖ジョアン・オブ・アルク教会)が建立された。この教会は、列聖された[[ジャンヌ・ダルク]]の名を冠した最初の教会と考えられ<ref name="londonreviewofbooks">{{cite web|url=http://www.lrb.co.uk/v35/n13/marina-warner/death-in-plain-sight?utm_source=newsletter&utm_medium=email&utm_campaign=3513&hq_e=el&hq_m=2586093&hq_l=11&hq_v=e32b94d7b1|title=Death in Plain Sight|author=Marina Warner on Emily Davison|publisher=London Review of Books|date=2013-07-04|accessdate=2016-05-04}}</ref>、今でも教会堂は同じ位置に建っている{{r|londonreviewofbooks}}。教会はすぐに発展したが、戦争後のキリスト教住民流入に伴って、より大きく新しい教会が必要となった<ref name="rcdow">{{cite web|url=http://www.rcdow.org.uk/highbury/aboutus/default.asp|publisher=Roman Catholic Church of St Joan of Arc|title=Roman Catholic Church of St Joan of Arc|accessdate=2016-05-04}}</ref>。新しい教会にもジャンヌ・ダルクの名前が冠され、[[1962年]][[9月3日]]にハイベリー・パークに開設されている{{r|rcdow}}。 |
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ハイベリーは[[ザ・ブリッツ]](ロンドン大空襲)で爆撃を受け、[[V1飛行爆弾]]の爆撃も受けている。[[1944年]][[6月27日]]、V1飛行爆弾はハイベリー・コーナーを吹き飛ばし、26人が死亡、159人が負傷した。ハイベリー・コーナーには印象的な駅・ホテルがあり、この攻撃で被害を受けている。一方でメインの建物は、1960年代に[[ヴィクトリア線]]が引かれて取り壊されるまで使用され続けた。元々の西へ延びるプラットフォームはハロウェイ・ロードの反対側に保存され、元々のエントランスは一部が現在の駅のエントランス左側に保存されている。この出来事を記念する赤い[[銘板|プラーク]]が、建物壁の[[ラウンドアバウト]]を見渡せる位置に設置されている。 |
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第二次世界大戦後ハイベリー地区の大規模改築が行われ、爆撃を受けた建物を取り壊して新しい公営住宅が建てられた。近代的でなかったヴィラには、より多くの公営住宅を建てるため取り壊されたものもあったが、一部は保存のため指定文化財とされた。1980年代初頭の資産価格高騰を受けて、この地区にも[[ジェントリフィケーション]]の波が訪れ<ref>{{cite news|url=http://www.telegraph.co.uk/property/propertyadvice/propertymarket/3337160/Highbury-onto-a-winner.html|title=Highbury onto a winner|publisher=[[デイリー・テレグラフ|''Telegraph.co.uk'']]|date=24 November 2004|author=Sonia Purnell|accessdate=2016-05-04}}</ref>、カウンシルは大邸宅の一部を、ヴィラを修復できるだけの資産を持つ個人開発者たちに売却し始めた。例えば、[[2004年]]にイズリントン・カウンシルは、ハイベリー・ニュー・パークにある4つの建物を、それぞれ100万ポンドで開発者たちに売却している。 |
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[[1997年]]には、ハイベリー・コミュニティ・アソシエーション (HCA) が設立された。以来HCAは、ハイベリーとロウアー・ハロウェイ、フィンズベリー・パークの住民や店舗を代表している。HCAは、ロンドンの北イズリントンに位置するこの地区に関して、住環境・労働環境の様々な面からキャンペーンを展開している。 |
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=== アーセナル・スタジアム === |
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[[File:Arsenal Stadium interior Clock End.jpg|thumb|right|250px|2005年のアーセナル・スタジアム、クロック・エンド({{lang-en-short|The Clock End}})。解体前の様子。]] |
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[[1913年]]、[[アーセナルFC|ウリッジ・アーセナルFC]]は北側のハイベリーに本拠地を移転させ、その名前から[[ウーリッジ|ウリッジ]]との名前を外した。理事長の{{仮リンク|ヘンリー・ジョージ・ノリス|label=ヘンリー・ノリス|en|Henry George Norris}}は、セント・ジョンズ・ホール({{lang-en-short|St John's Hall}})のグラウンドの一部を、20年2万ポンドの契約で借り受けた。新しい[[アーセナル・スタジアム]]はこの場所に建設され、地域名と同じ『ハイベリー』との愛称を得た。セント・ジョンズ・ホールは、[[1825年]]に現在のオーバート・パーク({{lang-en-short|Aubert Park}})に、[[大英博物館]]を彷彿とさせる、[[イオニア式]]風の建築で建てられた。"Highbury College (of Divinity)"(ハイベリー大学(神学部))とも呼ばれていたセント・ジョンズ・ホールは、[[1946年]]に全焼し、跡地は1区画のフラットに作り替えられた。 |
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クラブは成功し、[[1925年]]までには土地の自由保有権代を支払えるまでになった。アーセナルの成功はハイベリーの名前を広く知らしめることになっtが、近隣住宅には悪影響を及ぼした。[[2006年]]、クラブは本拠地を、ハイベリー地区ドレイトン・パークの西側にある、アシュバートン・グロウヴ({{lang-en-short|Ashburton Grove}})の[[エミレーツ・スタジアム]]に移した。旧スタジアムは、高級複合住宅{{仮リンク|ハイベリー・スクエア|en|Highbury Square}}に作り替えられた。指定文化財だった2つのメイン・スタンドはアパートに変わり、元々の外観はほぼ全てが保存された。指定文化財でなかったノース・バンク({{lang-en-short|North Bank}})とクロック・エンド({{lang-en-short|Clock End}})は、新しいアパートを作るために取り壊された。ピッチは庭に変えられ、地下にはプライベート・ジムとスイミング・プールが作られた。今日でも、旧ハイベリー・スタジアム周辺の不動産は人気が高く、旧スタジアム内に建てられたアパートは、開始価格30万ポンドの値を付けている。 |
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== 芸術作品中のハイベリー == |
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[[1965年]]から40年間、ハイベリー・ニュー・パークは{{仮リンク|ウェセックス・サウンド・スタジオズ|en|Wessex Sound Studios}}の本拠地だった。このスタジオは、[[ビートルズ]]のプロデューサー、[[ジョージ・マーティン]](ハイベリー地区ドレイトン・パーク生まれ)が設立したもので、[[クイーン (バンド)|クイーン]]、[[ジェネシス (バンド)|ジェネシス]]、[[ローリング・ストーンズ]]、[[セックス・ピストルズ]]、[[ザ・クラッシュ]]などの有名アルバムも多数収録されている。スタジオのあった建物は、現在「ザ・レコーディング・スタジオ」と呼ばれる住居区画にあり、住所は「ハイベリー・ニュー・パーク106番地」である<ref group="注">{{lang-en-short|106, Highbury New Park}}</ref><ref group="注"><!--出典が無く、どういう文脈か分からないので翻訳不能-->George Martin speaking on [[英国放送協会|BBC]] Radio 4's {{enlink|Desert Island Discs|s=off|p=off|i=on}}; [[インデペンデント|The Independent]], 3 November 2004; the "Queen – Days of our Lives" documentary screened by BBC4 in April 2012.{{要出典|date=2016-05}}</ref>。 |
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ハイベリーには、ウェセックス・スタジオズと同じ通りに、映画・テレビ・録音スタジオの{{仮リンク|ハイベリー・スタジオズ|en|Highbury Studios}}も存在した(住所はハイベリー・ニュー・パーク65A番地)。スタジオは、隣接した廃[[教会堂]]を使ってトレーニング・スクールを開設していた。元々[[1890年]]に音楽学校として建てられたこの施設は、[[1926年]]にピカディリー・レーベル({{lang-en-short|the Piccadilly}})のレコーディング・スタジオになった。[[1933年]]には名前を『ハイベリー(フィルム)スタジオズ』<ref group="注">{{lang-en-short|the Highbury (film) Studios}}</ref>と名前を変え、[[1945年]]には{{仮リンク|ランク・オーガナイゼーション|en|Rank Organisation}}の傘下に入った。経済難から、ランクはスタジオを閉鎖し、建物も[[1960年]]に取り壊された。現在ではフラット『アテナウム・コート』がこの位置を占めている{{refnest|group="注"|{{lang-en-short|Athenaeum Court}}. "{{en|Athenaeum}}" とは、ドイツ語の "{{de|Athenäum}}" を英語転記した単語で、元の単語には「[[アテーナー|アテネ]]の聖殿、学問の殿堂」との意味がある<ref>{{Cite book|和書|author=[[在間進]]|origdate=2010-04-01|title=アクセス独和辞典|edition=第3版|publisher=[[三修社]]|id= |isbn=978-4-384-01234-7}}</ref>。}}。 |
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以下の本や映画には、ハイベリーに関する言及がある。 |
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* 本 "{{en|''A London Family 1870–1900''}}" 、{{仮リンク|メアリー・ヴィヴィアン・ヒューズ|label=モリー・ヒューズ|en|Mary Vivian Hughes}}作、ISBN 0-19-282896-7。特にハイベリー・ニュー・パークへの言及がある。 |
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* 2002年の英国映画 "''Killing Her Softly''" は一部がハイベリー・ニュー・パークで撮影された<ref>{{cite web|url=https://lightscameraislington.com/tag/killing-me-softly/|title=Joseph Fiennes and Heather Graham’s Naughty Games in Highbury New Park|date=2014-07-24|publisher=Lights, Camera…Islington!|accessdate=2016-05-04}}</ref>。 |
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* 1997年の映画『[[ぼくのプレミアライフ|ぼくのプレミアライフ フィーバーピッチ]]』{{enlink|Fever Pitch (1997 film)|Fever Pitch}}は、アーセナル・スタジアム周辺とハイベリー・ヒル沿いで撮影された。 |
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* 1994年の映画『[[フォー・ウェディング]]』は、[[ヒュー・グラント]]がハイベリー・コーナーでタクシーを捕まえようとするシーンで始まり、{{仮リンク|ハイベリー・フィールズ|en|Highbury Fields}}を囲む家々の前で映画が終わる。 |
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* 1939年の映画『{{仮リンク|ザ・アーセナル・スタジアム・ミステリー|en|The Arsenal Stadium Mystery}}』は、アーセナル・スタジアム内・周辺で撮影された。 |
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* {{仮リンク|ジョン・ベチェマン|en|John Betjeman}}による詩 "''Summoned by Bells''" {{enlink|Summoned by Bells|a=on}}。この自伝詩の中ではハイベリーが何度か登場し、彼が足を運んでいたアバディーン・パークの救世主教会<ref group="注">{{lang-en-short|St Saviours Church on Aberdeen Park}}</ref>などに言及がある。救世主教会は1980年に閉鎖され、現在ではアート・スタジオが入っている。 |
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* ハイベリーは[[Mr.ビーン]]が住む地区である。 |
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* 作家の[[アラン・ムーア]]は 『{{訳語疑問点範囲|beat seance|ビート降霊会|date=2016年5月}}』 をハイベリー内外で記録し、"''The Highbury Working''"として発表している{{enlink|The Moon and Serpent Grand Egyptian Theatre of Marvels}}。 |
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* 70年代初頭、[[英国放送協会|BBC]]のドラマ "{{en|''The House on Highbury Hill}}" がハイベリーで撮影された<ref>{{imdb title|tt0675312|The House on Highbury Hill}}</ref>。 |
|||
* ハイベリーは[[ウィリアム・メイクピース・サッカレー]]の小説『[[虚栄の市]]』に登場する。第4章では、セドリィ一家が『オルダーマン・ボールズと食事しにハイベリー・バーンへ行こうよ』と話す<ref group="注">原文:"{{en|to dine with Alderman Balls, at Highbury Barn.}}"</ref>。 |
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* [[ジェーン・オースティン]]の小説『[[エマ (小説)|エマ]]』では、舞台がハイベリーという名の村に設定されているが、この村は[[サリー]]に含まれる設定である。 |
|||
* [[T・S・エリオット]]の詩『[[荒地 (詩)|荒地]]』第3部「火の祈り」({{lang-en-short|The Fire Sermon}}) にも、"Highbury bore me. Richmond and Kew / Undid me." としてハイベリーが登場する。 |
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== 人口統計 == |
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{{更新|date=2016-05|section=1}} |
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[[2001年]]の国勢調査によれば、ハイベリーの人口は東西2地区を合わせて21,959人だった<ref>{{cite web|url=http://www.islington.gov.uk/Community/412.asp|title=2001 census for London Borough of Islington|deadlinkdate=2016-05-01|publisher=[[イズリントン区]]|archiveurl=https://web.archive.org/web/20041109095222/http://www.islington.gov.uk/Community/412.asp|archivedate=2004-11-09|accessdate=2016-05-01}}</ref>。内訳は白人75%、黒人11%、アジア系6%だった。この地区の住民は、40%が持ち家生活である。この地区は多民族の高級住宅街と考えられている。 |
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== 地理 == |
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[[File:Islington Met. B Ward Map 1916.svg|thumb|1916年に作られたイズリントン・メトロポリタン・バラでのハイベリーの区割り]] |
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ハイベリーは[[チャリング・クロス]]から{{convert|4.4|miles|km}}北側に位置する。面積はおよそ{{convert|500|acre|km2}}である。 |
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=== 鉄道・地下鉄駅 === |
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最寄りの鉄道・地下鉄駅は次の通り。 |
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* [[アーセナル駅]] |
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* {{仮リンク|キャノンベリー駅|en|Canonbury railway station}} |
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* {{仮リンク|ドレイトン・パーク駅|en|Drayton Park railway station}} |
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* [[フィンズベリー・パーク駅]] |
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* [[ハロウェイ・ロード駅]] |
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* {{仮リンク|ハイベリー&イズリントン駅|en|Highbury & Islington station}} |
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=== 近隣地区 === |
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近隣地区は以下の通り。 |
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* {{仮リンク|フィンズベリー・パーク (ロンドン)|label=フィンズベリー・パーク|en|Finsbury Park, London}} - ハイベリー地区の北側 |
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* {{仮リンク|ハロウェイ (ロンドン)|label=ハロウェイ|en|Holloway, London}} - ハイベリー地区の西側 |
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* [[イズリントン]]、{{仮リンク|キャノンベリー|en|Canonbury}} - ハイベリー地区の南側 |
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* {{仮リンク|ニューイントン・グリーン|en|Newington Green}} - ハイベリー地区の東側 |
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* {{仮リンク|ストーク・ニューイントン|en|Stoke Newington}} - ハイベリー地区の北東 |
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* {{仮リンク|バーンズベリー|en|Barnsbury}} |
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== 著名な住人 == |
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* {{仮リンク|エインズリー・ハリオット|en|Ainsley Harriott}} - 人気シェフ・ホスト |
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* [[アラン・デイヴィス (俳優)|アラン・デイヴィス]] - コメディアン |
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* {{仮リンク|アンディ・バロウズ|en|Andy Burrows}} - [[レイザーライト]]の元メンバー、ドラマー |
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* [[アナ・ポップルウェル]] - 女優、代表作は『[[ナルニア国物語 (映画)|ナルニア国物語]]』のスーザン・ペベンシー役 |
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* [[ボリス・ジョンソン]] - [[ロンドン市長]] |
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* {{仮リンク|チャールズ・クラフト (大道芸)|label=チャールズ・クラフト|en|Charles Cruft (showman)}} - {{仮リンク|クラフツ|en|Crufts}}・ドッグ・ショーの発案者。ハイベリー・グロウヴ在住だった。 |
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* {{仮リンク|チャス・スマッシュ|en|Chas Smash}} - [[マッドネス]]のメンバー |
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* [[クリス・ロウ]] - [[ペット・ショップ・ボーイズ]]のメンバー、ハイベリー・グレンジ({{lang-en-short|Highbury Grange}})在住 |
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* {{仮リンク|クライブ・アンダーソン|en|Clive Anderson}} - テレビ司会者、コメディ作家 |
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* {{仮リンク|デーモン・ビーズリー|en|Damon Beesley}} - 作家 |
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* {{仮リンク|ディヴィッド・スターキー|en|David Starkey}} - 歴史学者、テレビ司会者 |
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* [[ドミニク・ハワード]] - [[ミューズ (バンド)|ミューズ]]のドラマー |
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* [[エド・オブライエン]] - [[レディオヘッド]]のギタリスト |
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* [[ジョージ・マーティン]] - [[ビートルズ]]のプロデューサー・アレンジャー |
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* {{仮リンク|グウィネス・ストロング|en|Gwyneth Strong}} - 女優 |
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* [[ヘンリー・ローソン]] - [[オーストラリア]]人の詩人・作家。[[1901年]]に、セント・ジェームズ・ロードとハロウェイ・ロードから逸れたパラダイス・レーンに住んでいた。 |
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* [[ホーガン・エフレイム]] - プロサッカー選手、[[ウィコム・ワンダラーズFC]]所属 |
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* {{仮リンク|イアン・ジャック|en|Ian Jack}} - ジャーナリスト・作家 |
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* {{仮リンク|ジェシー・バードソール|en|Jesse Birdsall}} - 俳優 |
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* {{仮リンク|ジミー・カー|en|Jimmy Carr}} - コメディアン |
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* [[ジョゼフ・チェンバレン]] - 政治家。1845年から1854年まで住んだ幼少期の家が、ハイベリー・プレース25番地<ref group="注">{{lang-en-short|no. 25 Highbury Place}}</ref>にある。 |
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* [[リリアン・バエル]] - 後のレティ侯爵夫人リリアン、[[レオポルド3世 (ベルギー王)|レオポルド3世]]の妻 |
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* {{仮リンク|ナン・ヤングマン|en|Nan Youngman}} - 画家、教育者 |
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* {{仮リンク|ニール・アシャーソン|en|Neal Ascherson}} - 歴史学者、ジャーナリスト、作家 |
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* [[ニック・ホーンビィ]] - 作家、処女作は先述の『[[ぼくのプレミアライフ]]』 |
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* {{仮リンク|ニック・ロビンソン|en|Nick Robinson}} - [[英国放送協会|BBC]]政治部デスク{{enlink|Political editor}} |
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* {{仮リンク|ナイジェル・スレーター|en|Nigel Slater}} - フード・ライター、アナウンサー |
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* {{仮リンク|オーウェン・トーマス (ジャーナリスト)|label=オーウェン・トーマス|en|Owen Thomas (journalist)}} - BBC司会者 |
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* ポール・ブリンドリー({{lang-en-short|Paul Brindley}}) - {{仮リンク|ザ・サンデーズ|en|The Sundays}}のベーシスト |
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* {{仮リンク|ビーター・オーボーン|en|Peter Oborne}} - 政治コラムニスト、テレビ司会者 |
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* {{仮リンク|フィリップ・フィッシュ|en|Philip Fysh}} - オーストラリアの政治家、[[タスマニア州]]知事 |
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* [[ローワン・アトキンソン]]、俳優 |
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* [[スキャンダー・ケインズ]] - 俳優、代表作は『[[ナルニア国物語 (映画)|ナルニア国物語]]』のエドマンド・ペベンシー役 |
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* [[ウォルター・シッカート]] - 画家。1927年から1934年まで、彼のスタジオはハイベリー・プレース1番地にあった<ref group="注">{{lang-en-short|no. 1 Highbury Place}}</ref>。 |
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== 脚注 == |
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=== 注釈 === |
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=== 出典 === |
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== 参考文献 == |
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* [http://www.islington.gov.uk/Community/412.asp 2001 census for London Borough of Islington] |
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* Mary COSH (1993), ''The Squares of Islington, Part II'', pp. 97–116, ISBN 0-9507532-6-2 |
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* Chris Lowe of the Pet Shop Boys http://www.petshopboys.net/html/literallys/literally_31/page5.htm |
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* Tanis HINCHCLIFFE (1981), ''Highbury New Park: A Nineteenth-Century Middle-Class Suburb'', in: The London Journal Vol 7, p29-44. |
|||
* John NELSON (1811), ''The History of Islington'', pp. 123–216, reprinted 1980, ISBN 0-85667-104-5 |
|||
* John RICHARDSON (1988), ''Islington Past'', pp. 49–52, ISBN 0-948667-01-X |
|||
* {{Cite book|date=August 28, 2010|origdate=2008-08-03|title=London Street Atlas|edition=8th|publisher=Geographers' A–Z Map Company Limited|location=[[セブノークス|Sevenoaks]]|series={{enlink|Geographers' A–Z Street Atlas|A-Z Street Atlas|p=off|s=off}}|isbn=978-1-84348-602-2|oclc=259710758|asin=1843486024|ref=harv}} |
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== 外部リンク == |
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*[http://www.arsenal-land.co.uk/history/highbury/ 'A History of Highbury' tribute at Arsenal-land] |
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*[http://lltv.libsyn.com/index.php?post_id=364823 London Landscape TV episode (6 mins) about Highbury and Arsenal] |
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*[http://www.highburycommunity.org/ The Highbury Community Association represents residents and businesses in the Highbury, Lower Holloway and Finsbury Park areas of North London] |
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2016年5月4日 (水) 12:43時点における版
ハイベリー
| |
---|---|
1800年頃のハイベリー・ハウス | |
グレーター・ロンドンにおけるハイベリーの位置 | |
人口 | 21,959人 |
英式座標 | TQ319854 |
セレモニアル カウンティ | グレーター・ロンドン |
リージョン | |
構成国 | イングランド |
国 | イギリス |
郵便地域 | LONDON |
郵便番号 | N5 |
市外局番 | 020 |
警察 | メトロポリタン |
消防 | ロンドン |
救急医療 | ロンドン |
欧州議会 | ロンドン |
英国議会 |
|
ハイベリー(英: Highbury)はロンドン・イズリントン区の1地区である。
歴史
初期のハイベリー
現在イズリントン区に含まれるこの地区は、かつてトレントン荘園の一部だった(この荘園はドゥームズデイ・ブックにも掲載されている)。トレントン荘園(英: Tolentone)はイルガーの兄弟レナルフ(英: Ranulf brother of Ilger)のもので[1]、キャノンベリー・ロード(英: Canonbury Road)の北側、ハロウェイ・ロード(英: Holloway Road)の東側区域全てを含んでいた。領主の邸宅は現在のホーンジー・ロード(英: Hornsey Road)の東側、セブン・シスターズ・ロードとの交差点付近にあった。荘園が無くなった後の1271年、南東側に新しい荘園の領主邸宅が建てられた(以下参照)。元々あった領主邸宅と区別するため、この邸宅は丘の上に立てられ、「ハイベリー」(英: Highbury)と名付けられた。地区名はこの邸宅から取られている。
ハイベリー荘園の場所はブリタンニア時代の駐屯軍によって、サマー・キャンプとして活用されていたと考えられている。1781年に新しいハイベリー・ハウスが建築された際、ブリタンニア時代もしくはノルマン人のタイルが発見されたが、不運にもその後紛失されている。
ハイベリー荘園
その後ハイベリーの所有権はアリシア・ド・バロウ(英: Alicia de Barrow)に移り、1271年には英国ホスピタル騎士団としても知られる、「エルサレムの聖ヨハネ小教会」(英: The Priory of St John of Jerusalem)へと譲渡された。この裕福な領主小教会は、農場と納屋が付いた石造りの田舎風大屋敷としてハイベリー荘園を建立した。
農民反乱中の1381年、ジャック・ストロー (Jack Straw) は、ホスピタル騎士団の「富と高慢に激怒する」2万人の暴徒を指揮して、この荘園屋敷を破壊した。当時の教会長 (en) であるロバート・へイルズは、ロンドン塔に逃げ込んだものの捕らえられ、タワー・ヒルで打ち首に遭っている。ジャック・ストローと彼に従った数人は、ハイベリーを一時的な本部として使い、屋敷は捨てられた後も500年間『ジャック・ストローの城』(英: Jack Straw’s Castle)として知られることになった。なおハムステッドのホワイトストーン・ポンドにも、同じく彼の名前から名前が取られた『ジャック・ストローの城』が存在する。以前はパブ、現在ではフラットとして使われており、『ジャック・ストローの城』としてはこちらの方が知名度が高い。
ハイベリー・ハウス
聖ヨハネ騎士団が所有していたハイベリー荘園は、1540年、ヘンリー8世によって没収された。この土地は、17世紀にイングランド議会が売却を始めるまで王領地であった。
裕福な株式仲買人だったジョン・ドーズ(英: John Dawes)は、周辺の土地247エーカー (1.00 km2)と合わせて『ジャック・ストローの城』を入手した。1781年には1万ポンドをかけて、かつてハイベリー荘園があった場所に、ハイベリー・ハウスを建築した。それからの30年間、屋敷は次の領主であるアレクサンダー・オーバート、更に次の領主ジョン・ベントレー[注 1] によって、大きな観測所や豪勢な庭も含め、拡張され続けた。
ハイベリー・ハウス周辺の敷地は、1794年から売却が進められた。1894年までには、ハイベリー・ハウスと、売却後も残った敷地が学校に変えられている。1938年、ハイベリー・ハウスはついに廃止され、現在では跡地にイートン・ハウス・フラットが建っている。この建物はレイ・ロード(英: Leigh Road)沿いにあり、1939年にオールド・イートン建設協会(英: The Old Etonian Housing Association)によって建設されたものである。
ハイベリー・バーン
1381年に荘園屋敷が破壊された後、農場と納屋は、ホッピング・レーンの南側を走る、現在のセント・ポールズ・ロードの東側に保存された。セント・ポールズ・ロードはハイベリー・パーク、ハイベリー・グロウヴ(A1201)と交差する位置にある[注 2]。1740年には、ハイベリー・バーン[注 3]に小さなエールとケーキの店がオープンした。
1770年、ウィリアム・ウィロビーがハイベリー・バーンを引き継ぎ、人気を大いに高めた。彼は、隣の農場から土地と建物を譲り受けてハイベリー・バーンの規模と設備を拡張した。これにより敷地は現在のケルヴィン・ロードの先まで達し、ローンボウルズやトラップ・ボール用の芝生、庭も整備された。ハイベリー・バーンは2,000人分の夕食を賄え、コンサートやダンスも行われたほか、ロンドンで最も人気のある店の1つになった。
1854年にハイベリー・バーンの庭で行われた、毎年恒例のローンボウルズ大会では、チャールズ・グリーンによる気球飛行が行われた。1865年まで、ここには大きなダンス舞台や改築された劇場、ミュージックホールがあり、綱渡りショーやパントマイム、チャン&エン・ブンカー兄弟[注 4]の見世物などが行われていた。ハイベリー・バーンは、自らの成功で首を絞めることになった。1869年に、バーツ病院の生徒が起こした暴動の後、地域住民はバーンで呑み騒ぐ淫らな顧客が増えていることに対し抗議した。この訴えは裁判沙汰になり、当局が1871年にバーンのダンスホール営業権を剥奪する事態となった。
住民の増加
1794年までのハイベリーは、ハイベリー・ハウスとハイベリー・ヒル・ハウス、ハイベリー・バーン、ハイベリー・テラスの門付きテラス、ハイベリー・プレース[注 5]で構成されており、いずれもジョン・ドーズが貸し出した土地に建てられていた。ハイベリー地区はこのスタイルを守るつもりだったようで、その証拠にセント・ポールズ・ロード / ボールズ・ポンド・ロードとセブン・シスターズ・ロード[注 6]の間に、広さ250エーカー (1.0 km2)の公園「アルバート・パーク」を建設する計画が持ち上がっていた。代わりに、現在のハイベリー・フィールズにあたる27.5エーカー (111,000 m²) の土地が1869年に保存された。この地区には、115エーカー (465,000 m²) のフィンズベリー・パーク(英: Finsbury Park)が作られ、残りの地区は開発された。
地区開発の大半は2つのフェーズで進行した。1870年代までに多くのイタリア風ヴィラが建てられ、多くはハイベリーの南側に集中した。続いて、家々が密集して建てられ開発が進んだ。多くはテラスハウスで、主にハイベリーの北側に建設された。1918年まで空き地への家屋建設は進み、第二次世界大戦後までほとんど改築されなかった。
1920年代には、キリスト教住民の礼拝のため場所が必要となり、1920年、ケルロス・ロード(英: Kelross Road)に委託を受けた聖ジャンヌ・ダルク教会(英: St Joan of Arc's church、英語読み転記:聖ジョアン・オブ・アルク教会)が建立された。この教会は、列聖されたジャンヌ・ダルクの名を冠した最初の教会と考えられ[4]、今でも教会堂は同じ位置に建っている[4]。教会はすぐに発展したが、戦争後のキリスト教住民流入に伴って、より大きく新しい教会が必要となった[5]。新しい教会にもジャンヌ・ダルクの名前が冠され、1962年9月3日にハイベリー・パークに開設されている[5]。
ハイベリーはザ・ブリッツ(ロンドン大空襲)で爆撃を受け、V1飛行爆弾の爆撃も受けている。1944年6月27日、V1飛行爆弾はハイベリー・コーナーを吹き飛ばし、26人が死亡、159人が負傷した。ハイベリー・コーナーには印象的な駅・ホテルがあり、この攻撃で被害を受けている。一方でメインの建物は、1960年代にヴィクトリア線が引かれて取り壊されるまで使用され続けた。元々の西へ延びるプラットフォームはハロウェイ・ロードの反対側に保存され、元々のエントランスは一部が現在の駅のエントランス左側に保存されている。この出来事を記念する赤いプラークが、建物壁のラウンドアバウトを見渡せる位置に設置されている。
第二次世界大戦後ハイベリー地区の大規模改築が行われ、爆撃を受けた建物を取り壊して新しい公営住宅が建てられた。近代的でなかったヴィラには、より多くの公営住宅を建てるため取り壊されたものもあったが、一部は保存のため指定文化財とされた。1980年代初頭の資産価格高騰を受けて、この地区にもジェントリフィケーションの波が訪れ[6]、カウンシルは大邸宅の一部を、ヴィラを修復できるだけの資産を持つ個人開発者たちに売却し始めた。例えば、2004年にイズリントン・カウンシルは、ハイベリー・ニュー・パークにある4つの建物を、それぞれ100万ポンドで開発者たちに売却している。
1997年には、ハイベリー・コミュニティ・アソシエーション (HCA) が設立された。以来HCAは、ハイベリーとロウアー・ハロウェイ、フィンズベリー・パークの住民や店舗を代表している。HCAは、ロンドンの北イズリントンに位置するこの地区に関して、住環境・労働環境の様々な面からキャンペーンを展開している。
アーセナル・スタジアム
1913年、ウリッジ・アーセナルFCは北側のハイベリーに本拠地を移転させ、その名前からウリッジとの名前を外した。理事長のヘンリー・ノリスは、セント・ジョンズ・ホール(英: St John's Hall)のグラウンドの一部を、20年2万ポンドの契約で借り受けた。新しいアーセナル・スタジアムはこの場所に建設され、地域名と同じ『ハイベリー』との愛称を得た。セント・ジョンズ・ホールは、1825年に現在のオーバート・パーク(英: Aubert Park)に、大英博物館を彷彿とさせる、イオニア式風の建築で建てられた。"Highbury College (of Divinity)"(ハイベリー大学(神学部))とも呼ばれていたセント・ジョンズ・ホールは、1946年に全焼し、跡地は1区画のフラットに作り替えられた。
クラブは成功し、1925年までには土地の自由保有権代を支払えるまでになった。アーセナルの成功はハイベリーの名前を広く知らしめることになっtが、近隣住宅には悪影響を及ぼした。2006年、クラブは本拠地を、ハイベリー地区ドレイトン・パークの西側にある、アシュバートン・グロウヴ(英: Ashburton Grove)のエミレーツ・スタジアムに移した。旧スタジアムは、高級複合住宅ハイベリー・スクエアに作り替えられた。指定文化財だった2つのメイン・スタンドはアパートに変わり、元々の外観はほぼ全てが保存された。指定文化財でなかったノース・バンク(英: North Bank)とクロック・エンド(英: Clock End)は、新しいアパートを作るために取り壊された。ピッチは庭に変えられ、地下にはプライベート・ジムとスイミング・プールが作られた。今日でも、旧ハイベリー・スタジアム周辺の不動産は人気が高く、旧スタジアム内に建てられたアパートは、開始価格30万ポンドの値を付けている。
芸術作品中のハイベリー
1965年から40年間、ハイベリー・ニュー・パークはウェセックス・サウンド・スタジオズの本拠地だった。このスタジオは、ビートルズのプロデューサー、ジョージ・マーティン(ハイベリー地区ドレイトン・パーク生まれ)が設立したもので、クイーン、ジェネシス、ローリング・ストーンズ、セックス・ピストルズ、ザ・クラッシュなどの有名アルバムも多数収録されている。スタジオのあった建物は、現在「ザ・レコーディング・スタジオ」と呼ばれる住居区画にあり、住所は「ハイベリー・ニュー・パーク106番地」である[注 7][注 8]。
ハイベリーには、ウェセックス・スタジオズと同じ通りに、映画・テレビ・録音スタジオのハイベリー・スタジオズも存在した(住所はハイベリー・ニュー・パーク65A番地)。スタジオは、隣接した廃教会堂を使ってトレーニング・スクールを開設していた。元々1890年に音楽学校として建てられたこの施設は、1926年にピカディリー・レーベル(英: the Piccadilly)のレコーディング・スタジオになった。1933年には名前を『ハイベリー(フィルム)スタジオズ』[注 9]と名前を変え、1945年にはランク・オーガナイゼーションの傘下に入った。経済難から、ランクはスタジオを閉鎖し、建物も1960年に取り壊された。現在ではフラット『アテナウム・コート』がこの位置を占めている[注 10]。
以下の本や映画には、ハイベリーに関する言及がある。
- 本 "A London Family 1870–1900" 、モリー・ヒューズ作、ISBN 0-19-282896-7。特にハイベリー・ニュー・パークへの言及がある。
- 2002年の英国映画 "Killing Her Softly" は一部がハイベリー・ニュー・パークで撮影された[8]。
- 1997年の映画『ぼくのプレミアライフ フィーバーピッチ』 (Fever Pitch) は、アーセナル・スタジアム周辺とハイベリー・ヒル沿いで撮影された。
- 1994年の映画『フォー・ウェディング』は、ヒュー・グラントがハイベリー・コーナーでタクシーを捕まえようとするシーンで始まり、ハイベリー・フィールズを囲む家々の前で映画が終わる。
- 1939年の映画『ザ・アーセナル・スタジアム・ミステリー』は、アーセナル・スタジアム内・周辺で撮影された。
- ジョン・ベチェマンによる詩 "Summoned by Bells" (en) 。この自伝詩の中ではハイベリーが何度か登場し、彼が足を運んでいたアバディーン・パークの救世主教会[注 11]などに言及がある。救世主教会は1980年に閉鎖され、現在ではアート・スタジオが入っている。
- ハイベリーはMr.ビーンが住む地区である。
- 作家のアラン・ムーアは 『beat seance[訳語疑問点]』 をハイベリー内外で記録し、"The Highbury Working"として発表している (The Moon and Serpent Grand Egyptian Theatre of Marvels) 。
- 70年代初頭、BBCのドラマ "The House on Highbury Hill" がハイベリーで撮影された[9]。
- ハイベリーはウィリアム・メイクピース・サッカレーの小説『虚栄の市』に登場する。第4章では、セドリィ一家が『オルダーマン・ボールズと食事しにハイベリー・バーンへ行こうよ』と話す[注 12]。
- ジェーン・オースティンの小説『エマ』では、舞台がハイベリーという名の村に設定されているが、この村はサリーに含まれる設定である。
- T・S・エリオットの詩『荒地』第3部「火の祈り」(英: The Fire Sermon) にも、"Highbury bore me. Richmond and Kew / Undid me." としてハイベリーが登場する。
人口統計
2001年の国勢調査によれば、ハイベリーの人口は東西2地区を合わせて21,959人だった[10]。内訳は白人75%、黒人11%、アジア系6%だった。この地区の住民は、40%が持ち家生活である。この地区は多民族の高級住宅街と考えられている。
地理
ハイベリーはチャリング・クロスから4.4マイル (7.1 km)北側に位置する。面積はおよそ500エーカー (2.0 km2)である。
鉄道・地下鉄駅
最寄りの鉄道・地下鉄駅は次の通り。
近隣地区
近隣地区は以下の通り。
- フィンズベリー・パーク - ハイベリー地区の北側
- ハロウェイ - ハイベリー地区の西側
- イズリントン、キャノンベリー - ハイベリー地区の南側
- ニューイントン・グリーン - ハイベリー地区の東側
- ストーク・ニューイントン - ハイベリー地区の北東
- バーンズベリー
著名な住人
- エインズリー・ハリオット - 人気シェフ・ホスト
- アラン・デイヴィス - コメディアン
- アンディ・バロウズ - レイザーライトの元メンバー、ドラマー
- アナ・ポップルウェル - 女優、代表作は『ナルニア国物語』のスーザン・ペベンシー役
- ボリス・ジョンソン - ロンドン市長
- チャールズ・クラフト - クラフツ・ドッグ・ショーの発案者。ハイベリー・グロウヴ在住だった。
- チャス・スマッシュ - マッドネスのメンバー
- クリス・ロウ - ペット・ショップ・ボーイズのメンバー、ハイベリー・グレンジ(英: Highbury Grange)在住
- クライブ・アンダーソン - テレビ司会者、コメディ作家
- デーモン・ビーズリー - 作家
- ディヴィッド・スターキー - 歴史学者、テレビ司会者
- ドミニク・ハワード - ミューズのドラマー
- エド・オブライエン - レディオヘッドのギタリスト
- エレイン・ローダン
- ジョージ・マーティン - ビートルズのプロデューサー・アレンジャー
- グウィネス・ストロング - 女優
- ヘンリー・ローソン - オーストラリア人の詩人・作家。1901年に、セント・ジェームズ・ロードとハロウェイ・ロードから逸れたパラダイス・レーンに住んでいた。
- ホーガン・エフレイム - プロサッカー選手、ウィコム・ワンダラーズFC所属
- イアン・ジャック - ジャーナリスト・作家
- ジェシー・バードソール - 俳優
- ジミー・カー - コメディアン
- ジョゼフ・チェンバレン - 政治家。1845年から1854年まで住んだ幼少期の家が、ハイベリー・プレース25番地[注 13]にある。
- リリアン・バエル - 後のレティ侯爵夫人リリアン、レオポルド3世の妻
- ナン・ヤングマン - 画家、教育者
- ニール・アシャーソン - 歴史学者、ジャーナリスト、作家
- ニック・ホーンビィ - 作家、処女作は先述の『ぼくのプレミアライフ』
- ニック・ロビンソン - BBC政治部デスク (Political editor)
- ナイジェル・スレーター - フード・ライター、アナウンサー
- オーウェン・トーマス - BBC司会者
- ポール・ブリンドリー(英: Paul Brindley) - ザ・サンデーズのベーシスト
- ビーター・オーボーン - 政治コラムニスト、テレビ司会者
- フィリップ・フィッシュ - オーストラリアの政治家、タスマニア州知事
- ローワン・アトキンソン、俳優
- スキャンダー・ケインズ - 俳優、代表作は『ナルニア国物語』のエドマンド・ペベンシー役
- ウォルター・シッカート - 画家。1927年から1934年まで、彼のスタジオはハイベリー・プレース1番地にあった[注 14]。
脚注
注釈
- ^ 英: John Bentley
- ^ 英: Highbury Park / Highbury Grove. "Grove" には「並木道」との意味がある[2]。また A1201 は、ハイベリー地区をハイベリー&イズリントン駅に向かってほぼ南北に走る通りで、中腹部では「ハイベリー・パーク」、南端では「ハイベリー・グロウヴ」との名前になる[3]。ロンドンでは同じ番号の通りに、場所によって別の名前が付けられていることがある。
- ^ 英: Highbury Barn. "Barn" の本来の意味は「(農場の)納屋、物置」[2]。本来、"Highbury Barn" とは「ハイベリーの納屋」との意味だが、この記事では固有名詞化されていることを鑑み、『ハイベリー・バーン』の名称で統一する。
- ^ 結合双生児を指す「シャム双生児」の語源となった双子。
- ^ 英: Highbury House and Highbury Hill House, Highbury Barn and the gated terraces of Highbury Terrace and Highbury Place
- ^ 英: St Paul's Road/Balls Pond Road and the Seven Sisters Road.
- ^ 英: 106, Highbury New Park
- ^ George Martin speaking on BBC Radio 4's Desert Island Discs; The Independent, 3 November 2004; the "Queen – Days of our Lives" documentary screened by BBC4 in April 2012.[要出典]
- ^ 英: the Highbury (film) Studios
- ^ 英: Athenaeum Court. "Athenaeum" とは、ドイツ語の "Athenäum" を英語転記した単語で、元の単語には「アテネの聖殿、学問の殿堂」との意味がある[7]。
- ^ 英: St Saviours Church on Aberdeen Park
- ^ 原文:"to dine with Alderman Balls, at Highbury Barn."
- ^ 英: no. 25 Highbury Place
- ^ 英: no. 1 Highbury Place
出典
- ^ “Ranulf brother of Ilger”. Open Domesday Book. 2016年5月2日閲覧。
- ^ a b 小西友七; 南出康世 (25 April 2001). ジーニアス英和大辞典. ジーニアス. 東京都文京区: 大修館書店 (published 2011). ISBN 978-4469041316. OCLC 47909428. NCID BA51576491. ASIN 4469041319. 全国書誌番号:20398458。
- ^ London Street Atlas (2008, p. 66)
- ^ a b Marina Warner on Emily Davison (2013年7月4日). “Death in Plain Sight”. London Review of Books. 2016年5月4日閲覧。
- ^ a b “Roman Catholic Church of St Joan of Arc”. Roman Catholic Church of St Joan of Arc. 2016年5月4日閲覧。
- ^ Sonia Purnell (24 November 2004). “Highbury onto a winner”. Telegraph.co.uk 2016年5月4日閲覧。
- ^ 在間進『アクセス独和辞典』(第3版)三修社(原著2010年4月1日)。ISBN 978-4-384-01234-7。
- ^ “Joseph Fiennes and Heather Graham’s Naughty Games in Highbury New Park”. Lights, Camera…Islington! (2014年7月24日). 2016年5月4日閲覧。
- ^ The House on Highbury Hill - IMDb
- ^ “2001 census for London Borough of Islington”. イズリントン区. 2004年11月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年5月1日閲覧。
参考文献
- 2001 census for London Borough of Islington
- Mary COSH (1993), The Squares of Islington, Part II, pp. 97–116, ISBN 0-9507532-6-2
- Chris Lowe of the Pet Shop Boys http://www.petshopboys.net/html/literallys/literally_31/page5.htm
- Tanis HINCHCLIFFE (1981), Highbury New Park: A Nineteenth-Century Middle-Class Suburb, in: The London Journal Vol 7, p29-44.
- John NELSON (1811), The History of Islington, pp. 123–216, reprinted 1980, ISBN 0-85667-104-5
- John RICHARDSON (1988), Islington Past, pp. 49–52, ISBN 0-948667-01-X
- London Street Atlas. A-Z Street Atlas (8th ed.). Sevenoaks: Geographers' A–Z Map Company Limited. (August 28, 2010) [2008-08-03]. ASIN 1843486024. ISBN 978-1-84348-602-2. OCLC 259710758