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{{世界の市 |
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|正式名称= マンスフィールド市 |
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|公用語名称 = City of Mansfield |
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|愛称= The Fun Center of Ohio (オハイオの楽しみの中心) |
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|標語= The Heart of Ohio (オハイオの中心) |
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|画像= Mansfield skyline.jpg |
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|画像サイズ指定= 250px |
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|画像の見出し= マンスフィールドのダウンタウン |
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|市旗= |
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|市章= |
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|位置図= Richland County Ohio Mansfield highlighted.png |
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|位置図サイズ指定= 250px |
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|位置図の見出し= 右: オハイオ州におけるリッチランド郡の位置<br />左: リッチランド郡におけるマンスフィールドの市域 |
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|下位区分名= [[アメリカ合衆国]] |
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|下位区分種類1= 州 |
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|下位区分名1= [[オハイオ州]] |
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|下位区分種類2= 郡 |
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|下位区分名2= [[リッチランド郡 (オハイオ州)|リッチランド郡]] |
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|最高行政執行者称号= |
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|最高行政執行者名= |
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|成立区分= 創設 |
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|成立日= 1808年6月11日 |
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|規模= 市 |
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|総面積(平方キロ)= 80.08 |
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|総面積(平方マイル)= 30.92 |
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|陸上面積(平方キロ)= 79.95 |
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|陸上面積(平方マイル)= 30.87 |
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|水面面積(平方キロ)= 0.13 |
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|水面面積(平方マイル)= 0.05 |
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|水面面積比率= |
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|市街地面積(平方キロ)= |
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|市街地面積(平方マイル)= |
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|都市圏面積(平方キロ)= |
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|都市圏面積(平方マイル)= |
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|人口の時点= 2010年 |
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|人口に関する備考= |
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|総人口= 47,821 |
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|人口密度(平方キロ当たり)= 598.1 |
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|人口密度(平方マイル当たり)= 1,549.1 |
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|都市圏人口= 124,475 |
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|都市圏人口密度(平方キロ)= |
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|都市圏人口密度(平方マイル)= |
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|市街地人口= |
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|等時帯= [[東部標準時]] |
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|協定世界時との時差= -5 |
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|夏時間の等時帯= [[東部夏時間]] |
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|夏時間の協定世界時との時差= -4 |
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|緯度度= 40 |緯度分= 45 |緯度秒= 17 |N(北緯)及びS(南緯)= N |
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|経度度= 82 |経度分= 31 |経度秒= 22 |E(東経)及びW(西経)= W |
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|標高(メートル)= 378 |
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|標高(フィート)= 1,240 |
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|公式ウェブサイト= http://www.ci.mansfield.oh.us/ |
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|備考= |
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}} |
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<!-- 以上Infobox。これより下記事本文。--> |
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'''マンスフィールド'''('''Mansfield''')は、[[アメリカ合衆国]][[オハイオ州]]中北部に位置する都市。[[アルゲイニー台地]]の西縁、州都[[コロンバス (オハイオ州)|コロンバス]]と[[クリーブランド (オハイオ州)|クリーブランド]]のほぼ中間に位置する。人口は47,821人([[2010年]][[国勢調査]])<ref name="FactFinder">[http://factfinder2.census.gov/main.html American FactFinder]. U.S. Census Bureau. 2011年2月4日.</ref>。マンスフィールドに郡庁を置く[[リッチランド郡 (オハイオ州)|リッチランド郡]]1郡のみで成る[[アメリカ合衆国大都市統計地域|都市圏]]は124,475人、近隣の[[アシュランド (オハイオ州)|アシュランド]]および[[ビューサイラス (オハイオ州)|ビューサイラス]]を含む[[合同統計地域|広域都市圏]]は221,398人(ともに2010年国勢調査)の人口を抱えている<ref name="FactFinder" />。 |
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{{Infobox settlement |
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|name = マンスフィールド |
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マンスフィールドは[[1808年]]に創設され、市名は北西部領土測量隊長ジャレッド・マンスフィールドにちなんでつけられた。一帯は郡名のリッチランドが示すように肥沃な土地に恵まれ、農地が広がったが、やがて[[19世紀]]も後半に入ると、鉄道交通の発展に伴い、工業都市として成長した。しかし、[[1970年代]]以降、[[ラストベルト]]の多くの工業都市と同様に、この地域における重工業が衰退に向かい、人口は減少傾向にある。そのため、地域経済は多角化、特に重工業依存からの脱却と[[第三次産業]]への転換を進めている。 |
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|official_name = マンスフィールド市 |
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|settlement_type = [[市]] |
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== 歴史 == |
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|nickname = |
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[[File:MansfieldOH Welcome.jpg|left|thumb|250px|創設年の「1808」が描かれたウェルカム・サイン]] |
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|motto = |
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|image_skyline = Mansfield skyline.jpg |
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マンスフィールドは[[1808年]]6月、北西部領土測量隊長ジャレッド・マンスフィールドの指揮の下、ジェームズ・ヘッジズ、ジョス・ラーウェル、およびジェイコブ・ニューマンによって創設された。入植地の名であるマンスフィールドはこの指揮官、ジャレッド・マンスフィールドにちなんでつけられた。もともとは、パブリック・スクエアと呼ばれる広場(現在のセントラル・パーク)を中心として、入植地は正方形に区画されていた。やがて、最初の入植者となったサミュエル・マーティンが、この入植地で最初の、そして1808年中に建てられた唯一の建物となった丸太小屋を区画97に建てた<ref name="BriefHistory_Beginning">[http://freepages.genealogy.rootsweb.ancestry.com/~censusresearch/MansfieldAlmanac/Beginning.htm Brief History of Mansfield ... Beginning]. pp.26, 36. ''The Mansfield Savings Bank Almanac''. 1923年. 2015年9月6日閲覧.</ref>。マーティンはこの小屋で冬を越し、先住民に[[ウイスキー]]を売っていた。しかし、この行為は違法とされ、マーティンは郡外への逃亡を余儀なくされた。翌[[1809年]]、マーティンが去った後のこの小屋にジェームズ・カニンハムが入居した<ref name="Graham_p237">''History of Richland Country 1807–1880''. p.237. A.A. Graham & Co.</ref>。やがて[[1812年]]、[[米英戦争]]の最中、先住民の攻撃から入植地を防衛するため、2棟の方形小要塞がパブリック・スクエアに建てられた<ref name="BriefHistory_Beginning" />。これらの小要塞は一晩にして建てられたものであった<ref name="Graham_p272">''History of Richland Country 1807–1880''. p.272. A.A. Graham & Co.</ref>。終戦と前後して、これらの小要塞のうちの1棟が初代の郡地方裁判所庁舎、および監獄に転用された<ref name="BriefHistory_Beginning" />。 |
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|imagesize = |
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|image_caption = Skyline of downtown Mansfield |
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マンスフィールドは[[1828年]]2月24日、[[オハイオ州議会]]の議決により、正式に村として法人化された。その後、[[1857年]]には、マンスフィールドは人口5,121人を数え、市制を施行した<ref name="Baughman">Baughman, A. J. [http://www.rootsweb.ancestry.com/~ohrichla/Hist-Mansfield1903.htm Mansfield]. CHAPTER L, ''History of Richland County''. 1903年11月21日. 2015年9月6日閲覧.</ref>。 |
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|image_flag = |
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|image_seal = |
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[[19世紀]]中盤に入ると、各地で[[鉄道]]の整備が進み、マンスフィールドにも鉄道が次々と開通した。マンスフィールドに初めて開通した鉄道は、[[1846年]]、マンスフィールドと[[エリー湖]]岸の[[サンダスキー (オハイオ州)|サンダスキー]]とを結ぶ、全長87kmのマンスフィールド・アンド・サンダスキー・シティ鉄道(後に[[ボルチモア・アンド・オハイオ鉄道]]の一部)であった。この鉄道は、その後[[1850年]]に[[ニューアーク (オハイオ州)|ニューアーク]]まで延伸された<ref name="BriefHistory_Railroad">[http://freepages.genealogy.rootsweb.ancestry.com/~censusresearch/MansfieldAlmanac/Railroads.htm Brief History of Mansfield ... Early Railroads]. pp.42-43. ''The Mansfield Savings Bank Almanac''. 1923年. 2015年9月6日閲覧.</ref>。その後、1850年にはピッツバーグ・アンド・フォートウェイン鉄道(後に[[ペンシルバニア鉄道]]の一部)が、[[1863年]]にはアトランティック・アンド・グレート・ウェスタン鉄道(後に[[エリー鉄道]]の一部)がそれぞれ開通した。しかし、[[1870年]]に計画されたマンスフィールド・コールドウォーター・アンド・レイク・ミシガン鉄道は、マンスフィールドまで開通することは無かった<ref name="MansfieldRailroads">[http://www.rootsweb.ancestry.com/~ohrichla/Hist-MansfieldRR.htm Mansfield's Railroads]. ''Mansfield Weekly News''. 1887年12月22日. 2015年9月6日閲覧.</ref>。 |
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|image_map = Richland County Ohio Mansfield highlighted.png |
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|mapsize = 250px |
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[[File:Downtown Mansfield on N Main at Third.jpg|right|thumb|250px|マンスフィールドのダウンタウン([[1908年]])]] |
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|map_caption = 州内での位置図 |
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|subdivision_type = [[国]] |
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[[1880年代]]、これらの鉄道の存在によって、マンスフィールドは州中北部における工業と通商の中心地として発展を遂げて行くようになった。この頃、マンスフィールドでは[[扉]]、[[黄銅|真鍮]]加工品、[[アマ (植物)#亜麻仁油(アマニ油)|亜麻仁油]]、[[サスペンダー]]、紙箱などが生産されていた。マンスフィールド最大の雇用主は[[たばこ]]製造会社のホーツェンローダー社で、1888年時点で285人を雇用していた<ref name="OhioHistoryCentral">[http://www.ohiohistorycentral.org/w/Mansfield,_Ohio?rec=1968** Mansfield, Ohio]. ''Ohio History Central''. 2015年9月7日閲覧.</ref>。19世紀末には、マンスフィールドのダウンタウンには[[ビクトリア建築]]様式の建物が建ち並ぶようになった<ref name="MainStreet">[http://www.preservationnation.org/main-street/awards/gamsa/2001/mansfield-ohio.html Mansfield, Ohio]. National Main Street Center. 2000年4月2日. 2015年9月7日閲覧.</ref>。[[1913年]]には、アメリカ合衆国初の大陸横断ハイウェイである[[リンカーン・ハイウェイ]]がマンスフィールドを通り、さらなる経済発展がもたらされた<ref name="FHWA-LH">Weingroff, Richard F. [http://www.fhwa.dot.gov/infrastructure/lincoln.cfm The Lincoln Highway]. ''Highway History''. Federal Highway Administration. 2015年4月13日. 2015年9月7日閲覧.</ref>。その後、[[20世紀]]初頭から中盤に至るまで、マンスフィールドは成長し続けた<ref name="MainStreet" />。[[1970年]]には、マンスフィールドの人口は55,047人を数え、ピークに達した。 |
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|subdivision_type1 = [[アメリカ合衆国の州|州]] |
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|subdivision_type2 = [[オハイオ州の郡一覧|郡]] |
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しかし、1970年前後以降、ダウンタウンの活力は次第に失われていった。[[1969年]]には、マンスフィールドの西に隣接する[[オンタリオ (オハイオ州)|オンタリオ]]に郊外型の[[ショッピングモール]]ができ、ダウンタウンの[[百貨店|デパート]]は閉店するか、周縁部へと移転していった<ref name="MainStreet" />。[[1970年代]]後半から[[1980年代]]にかけては、重工業が労働力の安いアメリカ合衆国外へと流出したことにより、[[ラストベルト]]の多くの他都市と同様、マンスフィールドにおける工業は衰退し、[[都心の荒廃|市の中心部は荒廃]]していった。市内の建物は次々と空き家になり、窓ガラスは割れ、犯罪、[[売春]]や[[麻薬]]が横行するようになった<ref name="Mansfield-Project">[http://financialservices.house.gov/media/pdf/030602lr.pdf Mansfield, Ohio: "PR Project-Path to Revitalization", Brownfield Initiative – A National Model]. p.2. City of Mansfield and McCabe En |
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|subdivision_name = [[アメリカ合衆国]] |
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gineering & Contracting. 2015年9月8日閲覧. (PDFファイル)</ref>。特に荒廃が酷かったのは、セントラル・パークから北へ2ブロック、4thストリートとメイン・ストリートの交差点周辺であった<ref name="MainStreet" />。 |
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|subdivision_name1 = [[オハイオ州]] |
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|subdivision_name2 = [[リッチランド郡 (オハイオ州)|リッチランド郡]] |
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[[1990年代]]に入ると、ダウンタウンの立て直しが行われた。[[1991年]]に、4thストリートとメイン・ストリートの南西角にリッチランド・カルーセル・パークが開園すると、その周辺には再び各種小売店や飲食店、オフィスが建ち並ぶようになった。[[1999年]]には、カルーセル・パーク周辺地域の入居率は100%になった。また、建物の修復だけではなく、景観やレンガ、さらには鉄製の装飾も用いて、ダウンタウンの美観を回復した<ref name="MainStreet" />。 |
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|government_type = |
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|leader_title = 市長 |
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[[2000年代]]後半の[[世界金融危機 (2007年-)|世界金融危機]]がもたらした不況はマンスフィールドの財政にも打撃を与えた。[[2008年|2008]]-[[2009年|09年]]にかけて、マンスフィールドの財政は急激に悪化し、財政緊縮策に失敗したこともあって、市は380万[[アメリカ合衆国ドル|ドル]]もの赤字を出した。これにより、[[2010年]]8月19日、州の監査局はマンスフィールドを「財政危機」にあると宣言した<ref>Grazier, Steven M. [http://www.indeonline.com/article/20131019/NEWS/310199941 Mansfield, like Massillon, faces 'fiscal emergency']. ''The Independent''. Massillon, Ohio. 2013年10月19日. 2015年9月8日閲覧.</ref>。[[2014年]]7月9日、市は財政危機を脱した<ref>[http://www.ci.mansfield.oh.us/pdf/Fiscal-Emergency-Ends-2014.pdf Mansfield, Ohio Removed from Fiscal Emergency]. City of Mansfield. 2014年7月9日. 2015年9月8日閲覧. (PDFファイル)</ref>。 |
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|leader_name = Timothy Theaker |
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<!-- Area --> |
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== 地理 == |
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|unit_pref = Imperial |
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[[File:Mansfield-Ashland-Bucyrus CSA.png|left|thumb|225px|'''マンスフィールド・アシュランド・ビューサイラス広域都市圏''' |
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|area_footnotes = |
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{{legend|#FF0000|マンスフィールド都市圏}} |
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|area_magnitude = |
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{{legend|#0000FF|アシュランド小都市圏}} |
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|area_total_km2 = 80.08 |
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{{legend|#FFFF00|ビューサイラス小都市圏}} |
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|area_land_km2 = 79.95 |
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]] |
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|area_water_km2 = 0.13 |
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|area_total_sq_mi = 30.92 |
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マンスフィールドは{{ウィキ座標度分秒|40|45|17|N|82|31|22|W|}}に位置している。市は[[オハイオ州]]の3大都市を結ぶ[[州間高速道路]][[州間高速道路71号線|I-71]]の沿線にあり、州都[[コロンバス (オハイオ州)|コロンバス]]から北東へ約100km、[[クリーブランド (オハイオ州)|クリーブランド]]からは南西へ約120kmである。 |
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|area_land_sq_mi = 30.87 |
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|area_water_sq_mi = 0.05 |
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[[アメリカ合衆国国勢調査局]]によると、マンスフィールド市は総面積80.08km<sup>2</sup>(30.92mi<sup>2</sup>)である。そのうち79.95km<sup>2</sup>(30.87mi<sup>2</sup>)が陸地で0.13km<sup>2</sup>(0.05mi<sup>2</sup>)が水域である。総面積の0.16%が水域となっている。市域は[[アルゲイニー台地]]の西縁に広がっており、市域はやや起伏に富み、オハイオ州の都市の中では標高の高い部類に入る。市中心部の標高は378mであるが、市の最高点である市南西部の地下貯水池、ウッドランド貯水池では標高455mである。 |
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|area_water_percent = |
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<!-- Population --> |
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マンスフィールドの都市圏は、マンスフィールドに郡庁を置くリッチランド郡のみで成っている。広域都市圏は、この都市圏にアシュランド小都市圏([[アシュランド郡 (オハイオ州)|アシュランド郡]])およびビューサイラス小都市圏([[クロウフォード郡 (オハイオ州)|クロフォード郡]])を加えた3郡から成っている。 |
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|population_as_of = 2010 |
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|population_est = 47052 |
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=== 気候 === |
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|pop_est_as_of = 2012<ref name="2012 Pop Estimate">{{cite web|title=Population Estimates|url=http://www.census.gov/popest/data/cities/totals/2012/SUB-EST2012.html|publisher=[[United States Census Bureau]]|accessdate=2013-06-17}}</ref> |
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{{climate chart |
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|population_footnotes = |
|||
| マンスフィールド |
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|population_total = 47821 |
|||
| -7.6 | 0.4 | 73.7 |
|||
|population_density_km2 = 598.1 |
|||
| -6.4 | 2.4 | 61.0 |
|||
|population_density_sq_mi = 1549.1 |
|||
| -2.2 | 7.9 | 86.4 |
|||
|population_urban = 75250 |
|||
| 3.4 | 15.2 | 104.1 |
|||
|population_metro = 124475 |
|||
| 8.9 | 20.8 | 114.3 |
|||
|population_blank1_title = |
|||
| 14.1 | 25.6 | 121.9 |
|||
|population_blank1 = |
|||
| 16.3 | 27.6 | 111.8 |
|||
|postal_code_type = [[ZIP code]]s |
|||
| 15.6 | 26.7 | 111.8 |
|||
|postal_code = 44900-44999 |
|||
| 11.4 | 22.9 | 83.8 |
|||
|area_code = 419/567 |
|||
| 5.5 | 16.4 | 96.5 |
|||
|timezone = [[東部標準時]] |
|||
| 0.6 | 9.7 | 76.2 |
|||
|utc_offset = -5 |
|||
| -5.1 | 2.5 | 83.8 |
|||
|timezone_DST = [[東部夏時間]] |
|||
| float = right |
|||
|utc_offset_DST = -4 |
|||
| clear = both |
|||
|coordinates_display = inline,title |
|||
| source = [http://www.weatherbase.com/weather/weather.php3?s=642527 Weatherbase.com] |
|||
|coordinates_type = region:US_type:city |
|||
|latd = 40 |latm = 45 |latNS = N |
|||
|longd = 82 |longm = 31 |longEW = W |
|||
|elevation_footnotes = <ref name="GR3">{{cite web|url=http://geonames.usgs.gov|accessdate=2008-01-31|title=US Board on Geographic Names|publisher=[[United States Geological Survey]]|date=2007-10-25}}</ref> |
|||
|elevation_m = 378 |
|||
|elevation_ft = 1,240 |
|||
|website = [http://www.ci.mansfield.oh.us/ www.ci.mansfield.oh.us] |
|||
|blank_name = [[Federal Information Processing Standard|FIPS code]] |
|||
|blank_info = 39-47138<ref name="GR2">{{cite web|url=http://factfinder2.census.gov|publisher=[[United States Census Bureau]]|accessdate=2008-01-31|title=American FactFinder}}</ref> |
|||
|blank1_name = [[Geographic Names Information System|地名情報システム]] ID |
|||
|blank1_info = {{GNIS 4|1056410}} |
|||
|footnotes = |
|||
|established_title = 建設 |
|||
|established_date = 1808年6月11日 |
|||
|established_title2 = 自治体承認 |
|||
|established_date2 = 1828 (村) |
|||
|established_title3 = – |
|||
|established_date3 = 1857 (市) | |
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}} |
}} |
||
'''マンスフィールド'''は、[[アメリカ合衆国]]の[[オハイオ州]]にある市で、 [[リッチランド郡 (オハイオ州)|リッチランド郡]]の[[郡庁所在地]]。[[福島県]][[田村市]]の姉妹都市。 |
|||
マンスフィールドの気候は四季がはっきりしており、特に冬の厳しい寒さと降雪に特徴付けられる、大陸性の気候である。最も暑い7月の平均気温は約22℃、最高気温の平均は約28℃で、日中32℃を超えることは平年で月に1-2日程度である。最も寒い1月の平均気温は氷点下4℃、最低気温の平均は氷点下8℃で、月のほとんどの日は気温が氷点下に下がる。降水量は春から夏、4月から8月にかけてはやや多く、月間100-120mm程度、一方秋から冬、9月から3月にかけてはやや少なく、月間60-100mm程度である。年間降水量は1,120mm程度である。また、冬季の12月から3月にかけての月間降雪量は20-35cm、年間降雪量は123cmに達する<ref name=weatherbase />。[[ケッペンの気候区分]]では、マンスフィールドは[[アメリカ合衆国中西部|中西部]]の大部分に分布する[[亜寒帯湿潤気候]](''Dfb'')に属する。 |
|||
== 参考文献 == |
|||
{| class="wikitable" style="width: 80%; text-align:center; margin: 0 auto 0 auto;" |
|||
|+ '''マンスフィールドの気候'''<ref name=weatherbase>[http://www.weatherbase.com/weather/weather.php3?s=642527 Historical Weather for Mansfield, Ohio, United States of America]. Weatherbase.com. 2015年9月5日閲覧.</ref> |
|||
|- |
|||
! |
|||
! [[1月]] !! [[2月]] !! [[3月]] !! [[4月]] !! [[5月]] !! [[6月]] !! [[7月]] !! [[8月]] !! [[9月]] !! [[10月]] !! [[11月]] !! [[12月]] !! 年 |
|||
|- |
|||
! 平均気温([[セルシウス度|℃]]) |
|||
| -3.6 || -2.0 || 2.8 || 9.3 || 14.8 || 19.8 || 21.9 || 21.1 || 17.2 || 10.9 || 5.2 || -1.3 || 9.7 |
|||
|- |
|||
! 降水量([[ミリメートル|mm]]) |
|||
| 73.7 || 61.0 || 86.4 || 104.1 || 114.3 || 121.9 || 111.8 || 111.8 || 83.8 || 73.7 || 96.5 || 83.8 || 1,122.8 |
|||
|- |
|||
! 降雪量([[センチメートル|cm]]) |
|||
| 33.8 || 29.0 || 19.8 || 6.6 || - || - || - || - || - || 1.2 || 5.6 || 26.7 || 122.7 |
|||
|} |
|||
=== 都市概観と建築物 === |
|||
[[File:Vasbinder Fountain.JPG|left|thumb|250px|セントラル・パークのバスバインダー噴水]] |
|||
[[File:Chase Tower.jpg|right|thumb|167px|チェース・タワー]] |
|||
マンスフィールドの街路はダウンタウンでは比較的整然と区画されている。ダウンタウンの中心となっているのは、ノース・パーク・ストリート、サウス・パーク・ストリート、メイン・ストリート、およびダイアモンド・ストリートに囲まれた、2[[エーカー]](8,094m<sup>2</sup>)のセントラル・パークである<ref>[http://www.mansfieldtourism.com/what-to-do/sports-and-recreation/parks-and-reservoirs/central-park-in-downtown-mansfield Central Park in Downtown Mansfield]. Mansfield/Richland County Convention and Visitors Bureau. 2015年9月5日閲覧.</ref>。南北に通る通りは、セントラル・パークを突っ切るパーク・アベニューを境に南(S)と北(N)に分かれている。また、東西に通る通りは、メイン・ストリートを境に東(E)と西(W)に分かれている。 |
|||
マンスフィールドのダウンタウンに建つ建物はほとんどが中低層のものである。市で最も高い建物は、セントラル・パークから西へ2ブロック、パーク・アベニューとウォルナット・ストリートの北西角に建つチェース・タワーである。この12階建て、高さ48mの[[石灰石|ライムストーン]]造、[[アール・デコ]]様式のビルは、[[1929年]]に建てられたものである<ref>[http://www.emporis.com/buildings/129402/chase-bank-building-mansfield-oh-usa Chase Bank Building]. Emporis. 2015年9月5日閲覧.</ref>。 |
|||
== 政治 == |
|||
[[File:Mansfield Municipal Building.jpg|left|thumb|250px|マンスフィールド市庁舎]] |
|||
マンスフィールドは[[市長制]]を採っている。市長は市の行政の最高責任者であり、市政府各局の監督および管理に責任を負う。また、市長は市の治安の首席保全者であり、全ての法令や条例が完全に遵守され、施行されることに責任を負う。市長は市の儀礼的な長でもある。このほか、市長は 1) オハイオ州憲法、およびオハイオ州法の定めにより与えられた司法権を行使する、 2) 市議会での議論に参加し、その検討事項に対して提案をする、および 3) マンスフィールド市憲章、条約、議決、もしくはオハイオ州法で認められた、もしくは義務付けられた権限、任務、および機能を果たす、の3点に対しても責任を負う。市長は全市から選出され、その任期は4年である<ref>[http://www.ci.mansfield.oh.us/city-government/mayor.html Mayor]. City of Mansfield. 2015年9月5日閲覧.</ref><ref>"ARTICLE IV - The Mayor", PART ONE - Administrative Code. Codified Ordinances of Mansfield, Ohio. City of Mansfield. 2014年12月15日.</ref>。 |
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市の立法機関である市議会は議長および8人の議員から成っている。8人の市議員のうち、6人は市を6つに分けた選挙区から1人ずつ選出され、残りの2人は全市から選出される。市議員の任期は4年で、2年ごとに半数を改選する<ref>"ARTICLE III - Council", PART ONE - Administrative Code. Codified Ordinances of Mansfield, Ohio. City of Mansfield. 2014年12月15日.</ref>。市議会議長は市長および市議員とは別に全市から選出され、その任期は4年である<ref>"ARTICLE V - President of Council", PART ONE - Administrative Code. Codified Ordinances of Mansfield, Ohio. City of Mansfield. 2014年12月15日.</ref>。 |
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== 経済 == |
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マンスフィールドがまだ工業都市として栄えていた頃、タッパン・ストーブはマンスフィールドに本社を置き<ref>[http://ohiohistorycentral.org/entry.php?rec=2620 Tappan Stove Company]. ''Ohio History Central''. 2015年9月10日閲覧.</ref>、また[[ウェスティングハウス・エレクトリック]]は買収したコープマン電気ストーブ会社をマンスフィールドに置く<ref>[http://www.appliance411.com/faq/WhiteWestinghouse.shtml White-Westinghouse]. ''Appliance411''. 2015年9月10日閲覧.</ref>など、市は特に[[家電機器]]および[[ストーブ]]の製造で知られていた。 |
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[[File:AK Steel Mansfield.JPG|right|thumb|400px|AKスチールのマンスフィールド工場]] |
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しかし、[[1970年代]]の鉄鋼不況に始まって、製造業のアメリカ合衆国外への流出、[[労働争議]]の長期化、そして工場設備の老朽化によって、[[ラストベルト]]の他の多くの工業都市と同様、マンスフィールドの地域経済を支えていた重工業は大きく衰退し、工業都市としての地位は大きく低下した。マンスフィールド・タイヤ・アンド・ラバー、オハイオ・ブラス、ウェスティングハウス、タッパンなど、マンスフィールドに本社もしくは重要拠点を置いていた会社は次々と買収されるか、移転されるか、あるいは閉鎖された。さらに、[[2009年]]に[[ゼネラルモーターズ]]が経営破綻し、[[連邦倒産法第11章]]の適用を申請すると、翌[[2010年]]6月、再建の一環として[[オンタリオ (オハイオ州)|オンタリオ]]にあった同社の[[プレス加工|プレス]]工場、マンスフィールド・オンタリオ・メタル・センターが閉鎖された<ref>Samavati, Shaheen. [http://www.cleveland.com/business/index.ssf/2009/06/two_ohio_cities_parma_and_onta.html Two Ohio cities, Parma and Ontario, react to news from General Motors]. ''The Plain Dealer''. 2009年6月1日閲覧,</ref>。こうして、マンスフィールドに残った重工業は、[[シンシナティ]]郊外に本社を置くAKスチールのマンスフィールド工場のみとなった。 |
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重工業の衰退は商業にも影響を与えた。加えて、オンタリオに[[ショッピングモール]]ができ、[[チェーンストア|チェーン]]の大型[[スーパーマーケット]]や[[レストラン]]も相次いで開業して客を奪った。その結果、[[1960年代]]までマンスフィールド中心部に建ち並んでいた小売店は次々と閉店に追い込まれた。 |
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[[File:Gorman-Rupp Pumps.JPG|left|thumb|250px|ゴーマン・ラップ本社]] |
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こうした背景から、マンスフィールドの地域経済は多角化を進め、重工業への依存度を減らしてきている。現在マンスフィールドに残っている製造業としては、前述のAKスチールのほか、[[三恵技研工業]]の北アメリカ法人で、[[本田技研工業]]の現地法人に部品を供給している[[自動車]]部品メーカーのニューマン・テクノロジー<ref>[http://www.sankei-gk.co.jp/base/index.html 生産拠点]. 三恵技研工業. 2015年9月10日閲覧.</ref><ref>[http://www.newmantech.com/ Home]. Newman Technology. 2015年9月10日閲覧.</ref>、[[発電機]]メーカーのヒュンダイ・アイディアル・エレクトリック<ref>[http://www.hyundaiideal.com/about/index.php About Hyundai Ideal Electric Co.] Hyundai Ideal Electric. 2015年9月10日閲覧.</ref>、[[エマソン・エレクトリック]]傘下の[[サーモスタット]]メーカーのサーモディスク<ref>[http://www.thermodisc.com/en-US/About/Pages/default.aspx About Us]. Emerson Electric. 2015年9月10日閲覧.</ref>、[[ポンプ]]メーカーのゴーマン・ラップ<ref>[http://www.gormanrupp.com/history/ Company History]. Gorman-Rupp. 2015年9月10日閲覧.</ref>、[[配管]]メーカーのクレーン・プランビング<ref>[http://www.craneplumbing.com/company.aspx Company Information]. Crane Plumbing. 2015年9月10日閲覧.</ref>、[[メリーゴーラウンド]]メーカーのカルーセル・ワークス<ref>[http://www.carouselworks.com/history.htm History]. Carousel Works. 2015年9月10日閲覧.</ref>、学校用品メーカーのスクール・スペシャリティ<ref>[http://www.schoolspecialty.com/about About Us]. School Specialty. 2015年9月10日閲覧.</ref>、および各種部品メーカーのマンスフィールド・エンジニアード・コンポーネンツ<ref>[http://www.mansfieldec.com/about-us/history History]. Mansfield Engineered Components. 2015年9月10日閲覧.</ref>が挙げられる。 |
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[[File:MedCentral Mansfield Hospital.JPG|right|thumb|250px|メドセントラル・マンスフィールド病院]] |
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一方、マンスフィールドのみならず、リッチランド郡最大の雇用主となっているのは、保健産業に属するメドセントラル・ヘルス・システムである<ref>[https://oaa.osu.edu/assets/files/RegionalCampusData/Top%20employers%20by%20county.xlsx Regional Campus Data: Top Employers by County]. Ohio State University. 2015年9月10日閲覧. (Microsoft Excel XMLファイル)</ref>。同システムのマンスフィールド病院は、326床のベッドを有し、レベルIIの救急医療センターとして年間で救急患者46,000人以上の治療を行い、13,000人以上の入院患者を受け入れ、8,000症例以上の手術を行い、1,300人以上の新生児を誕生させている<ref>[http://www.medcentral.org/main/MansfieldHospital.aspx Mansfield Hospital]. MedCentral. 2015年9月10日閲覧.</ref>。 |
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また、マンスフィールドは3社の有名食品会社ゆかりの地でもある。 ''What would you do for a Klondike Bar?'' のキャッチコピーで知られた[[クロンダイクバー]]を[[1920年代]]に開発したアイサリー・デイリーは、マンスフィールドに本社を置いている。クロンダイクバーは、その後[[1993年]]に[[ユニリーバ]]に売却され、同社のブランドとなっている<ref>[http://www.klondikebar.com/#Main&o=AboutKlondike About Klondike]. ''Klondike''. 2015年9月10日閲覧.</ref>。全米に60店舗を展開するレストランチェーン、スチュワーツ・レストランズは、もともとは[[1924年]]に、フランク・スチュワートが[[ルートビア]]のスタンドとしてマンスフィールドで創業したものであった<ref>[http://www.stewartsallamerican.com/about/ About Us]. Stewart's Restaurents. 2015年9月10日.</ref>。 ''Jones' ''のブランド名で知られる[[ポテトチップス]]製造専門会社のジョーンズ・ポテト・チップは、[[1945年]]にマンスフィールドで創業し、現在もマンスフィールドに本社を置いている<ref>[http://joneschips.com/Jones-History Jones' Potato Chip Company History]. Jones Potato Chip. 2015年9月10日閲覧.</ref>。 |
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== 交通 == |
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[[File:164th Airlift Squadron - Alenia-Lockheed Martin C-27J Spartan 08-27015.jpg|left|thumb|250px|マンスフィールド・ラム地域空港に駐機中の、オハイオ空軍州兵第179空輸航空団の[[C-27J スパルタン]]]] |
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マンスフィールドに最も近い商業空港は、[[コロンバス (オハイオ州)|コロンバス]]のダウンタウンの東11km<ref>[http://www.gcr1.com/5010web/airport.cfm?Site=CMH Port Columbus Int'l]. ([http://www.gcr1.com/5010web/REPORTS/AFD08202015CMH.pdf Form 5010]) ''Airport Master Record''. Federal Aviation Administration. 2015年8月20日. 2015年9月10日閲覧.</ref>に立地する[[ポート・コロンバス国際空港]]([[IATA空港コード|IATA]]: '''CMH''')、もしくは[[クリーブランド (オハイオ州)|クリーブランド]]のダウンタウンの南西17km<ref>[http://www.gcr1.com/5010web/airport.cfm?Site=CLE Cleveland Hopkins Int'l]. ([http://www.gcr1.com/5010web/REPORTS/AFD08202015CLE.pdf Form 5010]) ''Airport Master Record''. Federal Aviation Administration. 2015年8月20日. 2015年9月10日閲覧.</ref>に立地する[[クリーブランド・ホプキンス国際空港]](IATA: '''CLE''')で、いずれもマンスフィールドのダウンタウンからは約100kmである。市域北端、ダウンタウンの北5.5km<ref>[http://www.gcr1.com/5010web/airport.cfm?Site=MFD Mansfield Lahm Rgn'l]. ([http://www.gcr1.com/5010web/REPORTS/AFD08202015CLE.pdf Form 5010]) ''Airport Master Record''. Federal Aviation Administration. 2015年8月20日. 2015年9月10日閲覧.</ref>に立地するマンスフィールド・ラム地域空港(IATA: '''MFD''')は、[[ゼネラル・アビエーション]]と呼ばれる、自家用機等の発着が主となっている規模の小さい空港で、定期旅客便は発着していない。また、このマンスフィールド・ラム地域空港には、[[オハイオ航空州兵]]の第179空輸航空団が本拠を置いている<ref>[http://www.179aw.ang.af.mil/history/index.asp History of the 179th Airlift Wing]. 179th Airlift Wing, Ohio Air National Guard. 2015年9月10日閲覧</ref>。 |
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[[File:U.S. Route 30 in Mansfield Ohio.jpg|right|thumb|250px|マンスフィールド市内を通る国道30号線]] |
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[[州間高速道路]][[州間高速道路71号線|I-71]]は市の南東を南西-北東に通っている。I-71はクリーブランドと[[ルイビル (ケンタッキー州)|ルイビル]]とを結ぶ高速道路で、州間高速道路としては短いものの、オハイオ州内においてはクリーブランドから、コロンバス、[[シンシナティ]]へと、州の3大都市を結ぶ、最も重要な道路である。また、市北部を通る[[国道30号線 (アメリカ合衆国)|国道30号線]]も、I-71以西、[[インディアナ州]]との州境近くまで高速道路規格となっている。国道30号線は、西へは[[ビューサイラス (オハイオ州)|ビューサイラス]]や[[ライマ (オハイオ州)|ライマ]]都市圏へ、また東へは一般道路規格となるものの、[[ウースター (オハイオ州)|ウースター]]や[[カントン (オハイオ州)|カントン]]へと通じている。 |
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[[19世紀]]後半、マンスフィールドに工業都市としての成長と繁栄をもたらした鉄道は、現在では[[ペンシルバニア鉄道]]の流れをくむ[[ノーフォーク・サザン鉄道]]、および[[ボルチモア・アンド・オハイオ鉄道]]と[[エリー鉄道]]のうち、この地域にわずかに残った路線をつなげて、マンスフィールドから[[アシュランド (オハイオ州)|アシュランド]]を経由して[[ウェストセーラム (オハイオ州)|ウェストセーラム]]へと至るようにしたアシュランド鉄道の2路線のみになってしまった。これらの鉄道は専ら貨物輸送のみに用いられており、マンスフィールドには[[アムトラック]]の駅は無い。 |
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[[グレイハウンド (バス)|グレイハウンド]]のバスストップは市の南端、I-71と州道13号線とのインターチェンジ近くの[[セブンイレブン]]に併設されている<ref>[http://locations.greyhound.com/bus-stations/us/ohio/mansfield/bus-station-250712 Mansfield: 7-Eleven (e)]. Greyhound. 2015年9月10日閲覧.</ref><ref>[http://www.baronsbus.com/bus-stop-locations Bus Stop Locations]. Barons Bus. 2015年9月10日閲覧.</ref>。このバスストップには、コロンバスとクリーブランドとを結ぶグレイハウンドのバスが北行、南行とも1日各1便、またコロンバスと[[アクロン (オハイオ州)|アクロン]]とを結ぶバロン・バスのバスが北行、南行とも1日各1便停車する。 |
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市内の公共交通機関としては、リッチランド郡交通局(RCT)が[[路線バス]]網を運営している。同局はマンスフィールド市内、および[[オンタリオ (オハイオ州)|オンタリオ]]を中心に、14路線を運行しており、そのうち1路線は北西郊の[[シェルビー (オハイオ州)|シェルビー]]にも至る。しかし、運行頻度は少なく、ほとんどの路線は1-2時間に1便の頻度である<ref>[http://www.rctbuses.com/fixed-routes.html Fixed Routes]. Richland County Transit. 2015年9月10日閲覧.</ref>。 |
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== 教育 == |
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[[File:John O. Riedl Hall.JPG|left|thumb|250px|オハイオ州立大学マンスフィールドキャンパス]] |
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[[オハイオ州立大学]]は4つある地方キャンパスのうちの1つをマンスフィールドに置いている<ref>[http://undergrad.osu.edu/our-campuses/learn-more.html Our Campuses]. Ohio State University. 2015年9月11日閲覧.</ref>。640エーカー(2,590,000m<sup>2</sup>)のマンスフィールドキャンパスはダウンタウンから北西へ7.5km、市域北西端の森の中に立地している<ref>[http://mansfield.osu.edu/ Home]. Ohio State University at Mansfield. 2015年9月11日閲覧.</ref>。同学の学生はマンスフィールドキャンパス単体でも9つの[[学士]]、および[[教育学]]と[[ソーシャルワーク]]の2つの[[修士]]専攻プログラムの中から専攻を選び、修了・卒業することができるが、マンスフィールドキャンパスで科目を取り始め、最終的には学部に170以上の専攻プログラムを有するコロンバスの本校で修了・卒業することもできる<ref>[http://mansfield.osu.edu/academics/ Academics]. Ohio State University at Mansfield. 2015年9月11日閲覧.</ref>。 |
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オハイオ州立大学マンスフィールドキャンパスは地元の[[コミュニティ・カレッジ]]、ノースセントラル州立カレッジのメインキャンパスも兼ねている(ただし科目および教職員は別個である)。同学は60以上の[[準学士]]専攻プログラムを有し、3,100人の学生を抱えている<ref>[http://www.nctc.tec.oh.us/cms/about-nc-state About NC State]. North Central State College. 2015年9月11日閲覧.</ref>。同学はメインキャンパスのほか、シェルビー、アシュランド、ビューサイラス、およびマンスフィールドのダウンタウンにも分校を持っている<ref>[http://www.ncstatecollege.edu/cms/about-nc-state/maps-and-directions MAps and Directions]. North Central State College. 2015年9月11日閲覧.</ref>。 |
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アシュランドにメインキャンパスを構える[[キリスト集会|ブレズレン]]系私立の[[アッシュランド大学|アシュランド大学]]は、ダウンタウンの南西4km、マリオン・アベニューとサウス・トリンブル・ロードの南西角に看護・保健学部の看護実習施設を置いている<ref>[https://www.ashland.edu/conhs/about-college/nursing-facilities-mansfield-campus Nursing Facilities - Mansfield Campus]. Dwight Schar College of Nursing and Health Sciences, Ashland University. 2015年9月11日閲覧.</ref>。 |
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[[File:Mansfield-ohio-library.jpg|right|thumb|250px|マンスフィールド・リッチランド郡公立図書館本館]] |
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マンスフィールドにおける[[K-12]]課程は主にマンスフィールド市学区の管轄下にある公立学校によってまかなわれている。同学区は小学校(就学前・1-3年生)3校、[[スペイン語]][[イマージョン・プログラム|イマージョン]]校1校、中等小学校(4-6年生)1校、中学校(7-8年生)1校、高校(9-12年生)1校、および[[オルタナティブ教育]]校1校を有し、約4,600人の児童・生徒を抱えている<ref>[http://www.tygerpride.com/AboutUs.aspx About Us]. Mansfield City Schools. 2015年9月12日閲覧.</ref>。なお、市の東部はマンスフィールド市学区ではなく、マンスフィールドを取り囲むマディソン郡区に本部を置くマディソン地域学区の管轄下に属している。 また、マンスフィールドをその管轄下に置く[[カトリック教会|カトリック]]のトレド司教区は、マンスフィールドに2校のカトリック系私立学校を置いている<ref>[http://toledodiocese.org/schools All Schools]. Diocese of Toledo. 2015年9月12日閲覧.</ref>。このほか、マンスフィールドには[[超教派]]の[[キリスト教]]系学校<ref>[http://www.mcsflames.org/why-mcs/about-mcs About MCS]. Mansfield Christian School. 2015年9月12日閲覧.</ref>や、[[国際バカロレア]]候補校もある。 |
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マンスフィールドには[[1855年]]から公立図書館があったが、マンスフィールド・リッチランド郡公立図書館の歴史は[[1887年]]にさかのぼる<ref>[http://www.mrcpl.org/about-us/mrcpl-then-now-and-future/library-history-and-timeline Library History and Timeline]. Mansfield/Richland County Public Library. 2015年9月12日閲覧.</ref>。同館はダウンタウンに立地する本館のほか、郡内8ヶ所に支館を置いている<ref>[http://www.mrcpl.org/branches Locations]. Mansfield/Richland County Public Library. 2015年9月12日閲覧.</ref>。 |
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== 文化 == |
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=== 歴史的建築物と博物館 === |
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[[File:Oak Hill Cottage and Museum.jpg|left|thumb|250px|オーク・ヒル・コテージ]] |
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オーク・ヒル・コテージはダウンタウンの北、かつて市の経済を支えた工業地区の中に立地している。[[ゴシック・リヴァイヴァル建築|ゴシック・リバイバル]]様式の[[煉瓦]]造のこの家屋は、[[1847年]]にマンスフィールド・アンド・サンダスキー・シティ鉄道の[[職長]]であったジョン・ロビンソンが建てたものである。[[1864年]]に地元の眼科・耳鼻科医、ヨハネス・ジョーンズがこの家屋を購入すると、その後100年にわたってジョーンズ一族が住み続けたが、[[1965年]]にリッチランド郡歴史協会に家屋・家具ともに売却され、修復・保全されることになった<ref name="OakHillCottage_History">[http://oakhillcottage.org/History.htm History]. ''Oak Hill Cottage''. Richland County Historical Society. 2015年9月14日閲覧.</ref>。[[1969年]]には、オーク・ヒル・コテージは[[アメリカ合衆国国家歴史登録財|国家歴史登録財]]に指定された<ref name="NRHP_RichlandCountyOH">[http://www.nationalregisterofhistoricplaces.com/OH/Richland/state.html OHIO - Richland County]. ''National Register of Historic Places''. 2015年9月14日閲覧.</ref>。現在では、オーク・ヒル・コテージは博物館として一般公開されている。展示されている家具はジョーンズ一家が購入したもので、そのほとんどは[[ニューヨーク]]からマンスフィールドまで鉄道で運ばれたものである<ref name="OakHillCottage_History" />。 |
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市北部、リッチランド更生施設の南隣には旧オハイオ州立矯正院が立地している。城塞を思わせるこの監獄は、[[1886年]]にクリーブランドの建築家が設計したもので、ビクトリアン・ゴシック、[[ロマネスク建築|ロマネスク]]、および[[クイーン・アン様式|クイーン・アン]]の3つの様式を組み合わせている。この監獄は[[1990年]]まで本来の目的に使用されていたが、その後は一般に公開され、秋には[[ハロウィン]]のイベントにも使われている<ref>[http://www.mrps.org/ Home]. Ohio State Reformatory. 2015年9月14日閲覧.</ref>。旧オハイオ州立矯正院は、[[1983年]]に国家歴史登録財に指定された<ref name="NRHP_RichlandCountyOH" />。 |
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[[File:Soldiers & Sailors Memorial Bldg - Mansfield, Ohio.jpg|right|thumb|188px|マンスフィールド記念博物館]] |
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ダウンタウンに立地するマンスフィールド記念博物館は、[[1889年]]に陸海軍人記念館として一般に公開されたもので、リッチランド郡最古の博物館である。同館は古代のネイティブ・アメリカンから、アフリカ系・アジア系に至るまでの、軍事史および自然史に関する事物を展示している。同館の代表的な展示物としては、航空史を物語る約600機の航空機が挙げられる。また、[[1939年]]の[[ニューヨーク万国博覧会 (1939年)|ニューヨーク万国博覧会]]に出品された、ウェスティングハウス製の[[ロボット]]も同館で保存・展示されている<ref>[http://www.themansfieldmuseum.com/tmm/ Home - About the Museum]. Mansfield Memorial Museum. 2015年9月14日閲覧.</ref>。陸海軍人記念館は、[[1980年]]に国家歴史登録財に指定された<ref name="NRHP_RichlandCountyOH" />。 |
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市西部、ミルズボロ・イースト・ロードとマリオン・ロードの南西角の森の中にはマンスフィールド芸術センターが立地している。同館は美術館として、作品の展示を通じて地域住民向けに美術作品に触れる機会を提供しているほか、美術教育を提供し、また地域の芸術家のサポートも行っている<ref>[http://www.mansfieldartcenter.org/about.html About]. Mansfield Art Center. 2015年9月14日閲覧.</ref>。 |
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リッチランド更生施設および旧オハイオ州立矯正院のすぐ東には、ダイアモンド・ヒル大聖堂に併設された、オハイオ州唯一の[[蝋人形]]博物館であるバイブルウォークが立地している。同館は[[聖書]]に描かれている70シーンを再現する、300体以上の蝋人形を展示している<ref>[http://biblewalk.us/ Home]. Biblewalk. 2015年9月14日閲覧.</ref>。また、同館は教会員が寄付した宝飾品や、[[1500年代]]まで遡る各国の珍しい聖書なども展示している<ref>[http://biblewalk.us/exhibits Exhibits]. Biblewalk. 2015年9月14日閲覧.</ref>。 |
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=== 演技芸術 === |
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[[File:The Renaissance Mansfield Ohio.JPG|left|thumb|250px|ルネサンス・シアター]] |
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ダウンタウンに立地するルネサンス・シアターは、もともとはオハイオ・シアターという[[映画館]]として[[1928年]]に建てられたものであった。オハイオ・シアターは[[1940年代]]までは繁盛していたが、その後は[[テレビ]]の普及もあって経営難に陥り、[[1979年]]には[[ポルノ映画]]館へと転換した。同館が「[[ディープ・スロート (映画)|ディープ・スロート]]」を放映した際には、地元の活動家によって営業停止へと追い込まれた。しかし、[[1980年]]にミス・オハイオ(後述)がオハイオ・シアターに戻ってきたのをきっかけに、地元の博愛主義者がオハイオ・シアターを買い上げ、[[1984年]]に225万ドルの寄付を集めて翌[[1985年]]に改修、名もルネサンス・シアターに改められ、劇場として復活した<ref>[http://mansfieldtickets.com/learn-more/theatre Theatre]. Renaissance Theatre. 2015年9月14日閲覧.</ref>。[[1997年]]には、[[1930年]]:から続く地元[[オーケストラ]]、マンスフィールド交響曲団と経営統合した<ref>[http://mansfieldtickets.com/learn-more/symphony Symphony]. Renaissance Theatre. 2015年9月14日閲覧.</ref>。ルネサンス・シアターは、[[1983年]]に国家歴史登録財に指定された<ref name="NRHP_RichlandCountyOH" />。 |
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=== イベント === |
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[[ミス・アメリカ]]のオハイオ州予選であるミス・オハイオはマンスフィールドで開かれている。マンスフィールドが初めてミス・オハイオの開催都市となったのは[[1959年]]であった。[[1963年]]にミス・オハイオの会場は[[サンダスキー (オハイオ州)|サンダスキー]]の[[シダーポイント]]に移されたものの、[[1975年]]にマンスフィールドに戻り、[[1980年]]からはルネサンス・シアターで開催されている<ref>[http://www.missohio.org/ History]. Miss Ohio. 2015年9月13日閲覧.</ref>。 |
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リッチランド・カウンティ・フェアは市の北西部に立地する、106エーカー(430,000m<sup>2</sup>)のフェアグラウンドで開催される<ref>[http://www.richlandcountyfair.com/ Home]. Richland County Fair. 2015年9月13日閲覧.</ref>。マンスフィールドは[[1849年]]以来、リッチランド・カウンティ・フェアの開催地であった。また、[[1872年|1872]]-[[1873年|73年]]には、マンスフィールドは(通常は州都[[コロンバス (オハイオ州)|コロンバス]]で開催される)オハイオ・ステート・フェアの開催地にもなった<ref>[http://www.richlandcountyfair.com/about-us/history History]. Richland County Fair. 2015年9月13日閲覧.</ref>。 |
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=== スポーツ === |
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南西郊の[[レキシントン (オハイオ州)|レキシントン]]の近く、[[モロー郡 (オハイオ州)|モロー郡]]トロイ郡区には[[ミッドオハイオ・スポーツカーコース]]が立地している<ref>[https://www.midohio.com/Fan-Guide/Directions Directions]. Mid-Ohio Sports Car Course. 2015年9月16日閲覧.<br />実際にはコロンバス都市圏に含まれるモロー郡北東端のトロイ郡区内に立地しているが、住所はマンスフィールド都市圏に含まれるレキシントンになっている。</ref>。この[[サーキット]]は、もともとは[[1962年]]に週末の[[スポーツカーレース]]用に造られたものであったが、[[1981年]]に[[レッド・ルーフ・イン]]創業者のジム・トゥルーマンが買収すると、野外劇場型の客席や車庫を設け、コース自体も再舗装や拡幅、安全性の向上など、大規模な改修が行われた<ref>[https://www.midohio.com/Fan-Guide/Track-History Track History]. Ohio Sports Car Course. 2015年9月16日閲覧.</ref>。1周2.258マイル(3.634km)のこのコースでは、[[インディカー・シリーズ]]のホンダ200<ref>[https://www.midohio.com/Schedule/The-Honda-Indy-200-at-Mid-Ohio-%282%29 The Honda Indy 200 at Mid-Ohio]. Ohio Sports Car Course. 2015年9月16日閲覧.</ref>や、[[NASCAR]][[エクスフィニティ・シリーズ]]のネイションワイド小児病院200<ref>[https://www.midohio.com/Schedule/Mid-Ohio-Vintage-Grand-Prix-%281%29 Nationwide Childrens Hospital 200]. Ohio Sports Car Course. 2015年9月16日閲覧.</ref>が開催される。また、このサーキットには、プロドライバーの養成から運転免許取りたての10代のドライバーに対する安全運転講習まで、様々なレベルの講座を提供する自動車学校、ミッドオハイオ・スクールも併設されている<ref>[https://www.midohio.com/School/About-Us About Us]. Mid-Ohio School. 2015年9月16日閲覧.</ref>。 |
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=== 公園とレクリエーション === |
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マンスフィールドは市内に大小33の公園を有している<ref>[http://www.ci.mansfield.oh.us/index.php/parks-and-recreation Parks and Recreation]. City of Mansfield. 2015年9月18日閲覧.</ref>。そのうち最大のものであるサウス・パークには、[[1812年]]にもともと市の中心部、現在のセントラル・パークに建てられた小要塞のうちの1棟が、[[1900年代]]にここに移設されて残っている<ref>[http://www.thetravelingpraters.com/the-blockhouse-in-south-park-icon-of-mansfield-ohio/ The Blockhouse in South Park: Icon of Mansfield, Ohio]. ''The Traveling Praters''. 2012年4月26日. 2015年9月18日閲覧.</ref>。 |
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[[File:The Richland Carrousel Park II.jpg|right|thumb|250px|リッチランド・カルーセル・パーク]] |
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ダウンタウンに立地するリッチランド・カルーセル・パークは、[[1991年]]にダウンタウン再生の一環として開園したものである<ref name="MainStreet" />。同園はアメリカ合衆国内では[[1930年代]]以降見られなくなっていた、手彫りの木製の、屋内の[[メリーゴーラウンド]]である。メリーゴーラウンドを構成する52頭の動物(うち馬は30頭)はすべて、設計から、彫刻、塗装に至るまで、マンスフィールド市内のカルーセル・ワークス社によるものである。また、メリーゴーラウンドの音楽は、州内の[[ベルファウンテン (オハイオ州)|ベルファウンテン]]にあるスティンソン・パイプオルガン社製の[[オルガン]]で奏でられている<ref>[http://www.richlandcarrousel.com/our-story Welcome to Richland Carrousel Park]. Richland Carrousel Park. 2015年9月18日閲覧.</ref>。 |
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[[File:Kingwood center.jpg|left|thumb|250px|キングウッド・センター]] |
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ダウンタウンの西約2kmに立地するキングウッド・センターは、もともとは[[1926年]]に建てられた、オハイオ・ブラスの電気技術者から社長に昇り詰めたチャールズ・ケリー・キングの豪邸であった。キングの死後、[[1953年]]に豪邸とその47エーカー(190,000m<sup>2</sup>)の敷地は一般に公開された<ref>[http://www.kingwoodcenter.org/cms/index.php/about/history History]. Kingwood Center. 2015年9月18日閲覧.</ref>。その際、キングの遺志に従って、豪邸は図書館および管理事務所に<ref>[http://www.kingwoodcenter.org/cms/index.php/about/mansion Mansion]. Kingwood Center. 2015年9月18日閲覧.</ref>、また庭園は[[植物園]]へと転用された<ref>[http://www.kingwoodcenter.org/cms/index.php/gardens Gardens]. Kingwood Center. 2015年9月18日閲覧.</ref>。キングウッド・センターは、[[1976年]]に国家歴史登録財に指定された<ref name="NRHP_RichlandCountyOH" />。 |
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[[File:Malabar Farm Main Dairy Barn.JPG|right|thumb|250px|マラバー農場州立公園]] |
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南東郊のモンロー郡区(住所は[[ルーカス (オハイオ州)|ルーカス]])に立地するマラバー農場州立公園は、もともとはマンスフィールド出身の[[ピューリッツァー賞]]作家、[[ルイス・ブロムフィールド]]が[[1939年]]に購入した3つの農場、および自宅であった<ref>[http://www.malabarfarm.org/history/historical-timeline Historical Timeline]. Malabar Farm Foundation. 2015年9月18日閲覧.</ref>。現在では、この875エーカー(354ha)の農場は観光農場、またハイキングコース、レストラン、キャンプ場も備える州立公園となっており、年間30万人(うち2/3はオハイオ州内から)の観光客が訪れる<ref>[http://www.malabarfarm.org/park-info-and-maps/park-information-and-hours Park Information and Hours]. Malabar Farm Foundation. 2015年9月18日閲覧.</ref>。マラバー農場は、[[1973年]]に国家歴史登録財に指定された<ref name="NRHP_RichlandCountyOH" />。 |
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市の南に広がる標高450mの小高い丘は、スノー・トレイルズというスキー場になっている。スノー・トレイルズは標高差91m、最も長いコースでも長さ610mという小規模なスキー場であるが、[[1961年]]に開場した、オハイオ州最古のスキー場であり、現在オハイオ州内で営業している数少ないスキー場の1つである<ref>[http://www.snowtrails.com/essential-information/get-to-know-snow-trails Get to Know Snow Trails]. Snow Trails Winter Resort. 2015年9月18日閲覧.</ref>。 |
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[[ボルチモア・アンド・オハイオ鉄道]]は[[1986年]]にこの地の路線を廃止したが、線路跡はその後リッチランド郡公園局に買い取られ、リッチランド・B・アンド・O・トレイルという自転車道になっている。全長29.6kmのこの自転車道は、南東郊の[[バトラー (オハイオ州)|バトラー]]を起点とし、[[ベルビル (オハイオ州)|ベルビル]]やレキシントンを経由してマンスフィールド市域に入り、ダウンタウンの北西に立地するノース・レイク・パークを終点とする<ref>[http://www.gormannaturecenter.org/GNC_Bike.html Rails to Trails]. Richland County Park District. 2015年9月18日閲覧.</ref>。 |
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=== 映画 === |
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[[File:Mansfield OH - Reformatory - Closed.jpg|left|thumb|250px|数多くの映画が撮影された旧オハイオ州立矯正院]] |
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旧オハイオ州立矯正院はまだ現役であった[[1970年代]]から、[[ハリウッド]]映画をはじめとする数々の[[映画]]の撮影に使われてきた。旧オハイオ州立矯正院で撮影された主な作品には、「[[ニューヨーク一獲千金]]」([[1976年]]、[[マーク・ライデル]]監督、[[ジェームズ・カーン]]主演)、「[[デッドフォール]]」([[1989年]]、[[アンドレイ・コンチャロフスキー]]監督、[[シルヴェスター・スタローン]]主演)、「[[ショーシャンクの空に]]」([[1994年]]、[[フランク・ダラボン]]監督、[[ティム・ロビンス]]主演)、「[[エアフォース・ワン (映画)|エアフォース・ワン]]」([[1997年]]、[[ウォルフガング・ペーターゼン]]監督、[[ハリソン・フォード]]主演)などが挙げられる。加えて、[[2000年代]]以降には、[[ゴッドスマック]]の ''Awake'' ([[2000年]])、[[リル・ウェイン]]の ''Go D.J.'' ([[2004年]])や、[[アンタイ・フラッグ]]の ''This is the New Sound'' ([[2012年]])など、[[ミュージック・ビデオ]]の撮影にも使われている<ref>[http://www.mrps.org/learn/film-and-television Film and Television]. Ohio State Reformatory. 2015年9月28日閲覧.</ref>。 |
|||
また、[[1950年代|1950]]-[[1960年代|60年代]]にかけては、マンスフィールドは脅迫的な交通教育映画製作で悪名高かったハイウェイ安全財団が本部を置き、その撮影の大半を行っていた地であった。また、同財団の制作した映画の中には、交通安全とは関係の無い(そしてより悪名高い)、例えば公共便所に設置された防犯カメラで同性愛者の性行為をとらえた ''Camera Surveillance'' ([[1964年]])や、少女への性的虐待・殺害を題材とした ''The Child Molester'' (1964年)といったものまであった<ref>Heller-Nicholas, Alexandra. [http://brightlightsfilm.com/strangers-with-candy-the-highway-safety-foundation-and-the-child-molester-1964/#.Vgk2VpcrYhR Strangers with Candy: The Highway Safety Foundation and The Child Molester (1964)]. 2011年4月30日. 2015年9月28日閲覧.</ref>。 |
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=== メディア === |
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[[File:The Mansfield News Journal.jpg|right|thumb|250px|ダウンタウンに立地するマンスフィールド・ニュース・ジャーナル本社]] |
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マンスフィールドの新聞紙は、[[USAトゥデイ]]なども所有する[[ガネット]]社傘下の<ref>[http://www.gannett.com/brands/ Our Brands]. Gannett. 2015年9月29日閲覧.</ref>、マンスフィールド・ニュース・ジャーナル1紙のみである。同社は、[[1885年]]創立のマンスフィールド・デイリー・ニュース社と[[1930年]]創立のマンスフィールド・ジャーナル社が[[1932年]]に合併してできた新聞社で、[[2000年]]にガネット社傘下に入った<ref>[http://www.careerbuilder.com/jobs/company/c8a5zd6d87tsvhmwknf/news-journal-media-mansfield-oh News Journal Media (Mansfield, OH)]. ''CareerBuilder''. 2015年9月29日閲覧.</ref>。 |
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テレビおよびラジオのメディア市場においては、マンスフィールドはクリーブランド圏に入るものの、コロンバスにも物理的に近いことから、住民はコロンバスの放送局の[[地上波]]も受信できる。マンスフィールドには[[ABC加盟局の一覧#オハイオ州|ABC]]、[[CBS加盟局の一覧#オハイオ州|CBS]]、[[NBC加盟局の一覧#オハイオ州|NBC]]といった全米[[ネットワーク (放送)|ネットワーク]]の支局は置かれていないが、独立系テレビ局のWMFD-TVおよびWOHZ-CDがある。また、[[オハイオ州立大学]]が所有するWOSUラジオは、コロンバスの本局(WOSA)のほかに4つある支局のうちの1つ、WOSVをマンスフィールドに置いている<ref>[http://wosu.org/2012/about/ About]. WOSU Public Media. 2015年9月29日閲覧.</ref>。 |
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== 人口動態 == |
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{{Wikisource|オハイオ州マンスフィールド市の人口統計データ}} |
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=== 都市圏人口 === |
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マンスフィールドの都市圏は[[リッチランド郡 (オハイオ州)|リッチランド郡]]1郡のみで形成されている。広域都市圏を形成する各郡の人口は以下の通りである(2010年国勢調査)<ref name="FactFinder" />。 |
|||
;マンスフィールド・アシュランド・ビューサイラス広域都市圏 |
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{| class="wikitable" style="width: 80%; text-align:center; margin: 0 auto 0 auto;" |
|||
! 都市圏/小都市圏 !! 郡 !! 州 !! 人口 |
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|- |
|||
| マンスフィールド都市圏 || リッチランド郡 || [[オハイオ州]] || align="right" | 124,475人 |
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|- |
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| アシュランド小都市圏 || [[アシュランド郡 (オハイオ州)|アシュランド郡]] || オハイオ州 || align="right" | 53,139人 |
|||
|- |
|||
| ビューサイラス小都市圏 || [[クロウフォード郡 (オハイオ州)|クロフォード郡]] || オハイオ州 || align="right" | 43,784人 |
|||
|- style="background-color:#e0e0e0" |
|||
| colspan="3" | '''合計''' || align="right" | 221,398人 |
|||
|} |
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=== 市域人口推移 === |
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以下にマンスフィールド市における[[1820年]]から[[2010年]]までの人口推移を表およびグラフでそれぞれ示す<ref>Gibson, Campbell. [http://www.census.gov/population/www/documentation/twps0027/twps0027.html Population of the 100 Largest Cities and Other Urban Places in the United States: 1790 to 1990]. US Census Bureau. 2005年.</ref>。 |
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{| class="wikitable" style="float:right; margin-left:3px; text-size:80%; text-align:right" |
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! 統計年 !! 人口 |
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|- |
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| [[1820年]] || 288人 |
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|- |
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| [[1830年]] || 840人 |
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|- |
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| [[1840年]] || 1,328人 |
|||
|- |
|||
| [[1850年]] || 3,557人 |
|||
|- |
|||
| [[1860年]] || 4,581人 |
|||
|- |
|||
| [[1870年]] || 8,029人 |
|||
|- |
|||
| [[1880年]] || 9,859人 |
|||
|- |
|||
| [[1890年]] || 13,473人 |
|||
|- |
|||
| [[1900年]] || 17,640人 |
|||
|- |
|||
| [[1910年]] || 20,768人 |
|||
|- |
|||
| [[1920年]] || 27,824人 |
|||
|- |
|||
| [[1930年]] || 33,525人 |
|||
|- |
|||
| [[1940年]] || 37,154人 |
|||
|- |
|||
| [[1950年]] || 43,564人 |
|||
|- |
|||
| [[1960年]] || 47,325人 |
|||
|- |
|||
| [[1970年]] || 55,047人 |
|||
|- |
|||
| [[1980年]] || 53,927人 |
|||
|- |
|||
| [[1990年]] || 50,627人 |
|||
|- |
|||
| [[2000年]] || 49,346人 |
|||
|- |
|||
| [[2010年]] || 47,821人 |
|||
|} |
|||
<timeline> |
|||
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</timeline> |
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== 姉妹都市 == |
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マンスフィールドは以下2都市と[[姉妹都市]]提携を結んでいる。 |
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* {{flagicon|Japan}} [[田村市]]([[日本]]・[[福島県]]) - もともと[[2000年]]に旧[[船引町]]がマンスフィールドと締結していたが、[[日本の市町村の廃置分合#平成の大合併|合併]]後、[[2007年]]に田村市がマンスフィールドと改めて締結した<ref>"15日に姉妹都市締結 田村市と米マンスフィールド市". 福島民報. 2007年5月2日.</ref>。 |
|||
* {{flagicon|United Kingdom}} [[マンスフィールド (イングランド)|マンスフィールド]]([[イギリス]]・[[イングランド]])<ref>[http://www.chad.co.uk/news/appeal-for-new-mansfield-sister-cities-association-members-1-6624523 Appeal for new Mansfield Sister Cities Association members]. ''Chad''. Mansfield, Nottinghamshire, England. 2014年5月19日. 2015年9月5日閲覧.</ref> |
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== 註 == |
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{{Reflist}} |
{{Reflist}} |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
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{{Commons&cat|Mansfield, Ohio}} |
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* [http://www.city.tamura.lg.jp/soshiki/4/kikaku-kokusaikouryuu.html 田村市国際交流協会] |
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* [http://www.ci.mansfield.oh.us/ City of Mansfield] - 市公式サイト |
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* [http://www.mansfieldtourism.com/ Mansfield/Richland County Convention and Visitors Bureau] |
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* [http://www.downtownmansfield.com Main Street Mansfield] |
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* [http://www.thenation.com/article/american-idle "American Idle" from ''The Nation'' (January 21, 2010)] |
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* [http://www.city-data.com/city/Mansfield-Ohio.html Mansfield, Ohio] - City-Data.com |
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{{Coord|40.754856|-82.522855|display=title}} |
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2015年9月28日 (月) 23:49時点における版
マンスフィールド市 City of Mansfield | |
---|---|
マンスフィールドのダウンタウン | |
愛称 : The Fun Center of Ohio (オハイオの楽しみの中心) | |
標語 : "The Heart of Ohio (オハイオの中心)" | |
位置 | |
右: オハイオ州におけるリッチランド郡の位置 左: リッチランド郡におけるマンスフィールドの市域 | |
座標 : 北緯40度45分17秒 西経82度31分22秒 / 北緯40.75472度 西経82.52278度 | |
歴史 | |
創設 | 1808年6月11日 |
行政 | |
国 | アメリカ合衆国 |
州 | オハイオ州 |
郡 | リッチランド郡 |
市 | マンスフィールド市 |
地理 | |
面積 | |
市域 | 80.08 km2 (30.92 mi2) |
陸上 | 79.95 km2 (30.87 mi2) |
水面 | 0.13 km2 (0.05 mi2) |
標高 | 378 m (1,240 ft) |
人口 | |
人口 | (2010年現在) |
市域 | 47,821人 |
人口密度 | 598.1人/km2(1,549.1人/mi2) |
都市圏 | 124,475人 |
その他 | |
等時帯 | 東部標準時 (UTC-5) |
夏時間 | 東部夏時間 (UTC-4) |
公式ウェブサイト : http://www.ci.mansfield.oh.us/ |
マンスフィールド(Mansfield)は、アメリカ合衆国オハイオ州中北部に位置する都市。アルゲイニー台地の西縁、州都コロンバスとクリーブランドのほぼ中間に位置する。人口は47,821人(2010年国勢調査)[1]。マンスフィールドに郡庁を置くリッチランド郡1郡のみで成る都市圏は124,475人、近隣のアシュランドおよびビューサイラスを含む広域都市圏は221,398人(ともに2010年国勢調査)の人口を抱えている[1]。
マンスフィールドは1808年に創設され、市名は北西部領土測量隊長ジャレッド・マンスフィールドにちなんでつけられた。一帯は郡名のリッチランドが示すように肥沃な土地に恵まれ、農地が広がったが、やがて19世紀も後半に入ると、鉄道交通の発展に伴い、工業都市として成長した。しかし、1970年代以降、ラストベルトの多くの工業都市と同様に、この地域における重工業が衰退に向かい、人口は減少傾向にある。そのため、地域経済は多角化、特に重工業依存からの脱却と第三次産業への転換を進めている。
歴史
マンスフィールドは1808年6月、北西部領土測量隊長ジャレッド・マンスフィールドの指揮の下、ジェームズ・ヘッジズ、ジョス・ラーウェル、およびジェイコブ・ニューマンによって創設された。入植地の名であるマンスフィールドはこの指揮官、ジャレッド・マンスフィールドにちなんでつけられた。もともとは、パブリック・スクエアと呼ばれる広場(現在のセントラル・パーク)を中心として、入植地は正方形に区画されていた。やがて、最初の入植者となったサミュエル・マーティンが、この入植地で最初の、そして1808年中に建てられた唯一の建物となった丸太小屋を区画97に建てた[2]。マーティンはこの小屋で冬を越し、先住民にウイスキーを売っていた。しかし、この行為は違法とされ、マーティンは郡外への逃亡を余儀なくされた。翌1809年、マーティンが去った後のこの小屋にジェームズ・カニンハムが入居した[3]。やがて1812年、米英戦争の最中、先住民の攻撃から入植地を防衛するため、2棟の方形小要塞がパブリック・スクエアに建てられた[2]。これらの小要塞は一晩にして建てられたものであった[4]。終戦と前後して、これらの小要塞のうちの1棟が初代の郡地方裁判所庁舎、および監獄に転用された[2]。
マンスフィールドは1828年2月24日、オハイオ州議会の議決により、正式に村として法人化された。その後、1857年には、マンスフィールドは人口5,121人を数え、市制を施行した[5]。
19世紀中盤に入ると、各地で鉄道の整備が進み、マンスフィールドにも鉄道が次々と開通した。マンスフィールドに初めて開通した鉄道は、1846年、マンスフィールドとエリー湖岸のサンダスキーとを結ぶ、全長87kmのマンスフィールド・アンド・サンダスキー・シティ鉄道(後にボルチモア・アンド・オハイオ鉄道の一部)であった。この鉄道は、その後1850年にニューアークまで延伸された[6]。その後、1850年にはピッツバーグ・アンド・フォートウェイン鉄道(後にペンシルバニア鉄道の一部)が、1863年にはアトランティック・アンド・グレート・ウェスタン鉄道(後にエリー鉄道の一部)がそれぞれ開通した。しかし、1870年に計画されたマンスフィールド・コールドウォーター・アンド・レイク・ミシガン鉄道は、マンスフィールドまで開通することは無かった[7]。
1880年代、これらの鉄道の存在によって、マンスフィールドは州中北部における工業と通商の中心地として発展を遂げて行くようになった。この頃、マンスフィールドでは扉、真鍮加工品、亜麻仁油、サスペンダー、紙箱などが生産されていた。マンスフィールド最大の雇用主はたばこ製造会社のホーツェンローダー社で、1888年時点で285人を雇用していた[8]。19世紀末には、マンスフィールドのダウンタウンにはビクトリア建築様式の建物が建ち並ぶようになった[9]。1913年には、アメリカ合衆国初の大陸横断ハイウェイであるリンカーン・ハイウェイがマンスフィールドを通り、さらなる経済発展がもたらされた[10]。その後、20世紀初頭から中盤に至るまで、マンスフィールドは成長し続けた[9]。1970年には、マンスフィールドの人口は55,047人を数え、ピークに達した。
しかし、1970年前後以降、ダウンタウンの活力は次第に失われていった。1969年には、マンスフィールドの西に隣接するオンタリオに郊外型のショッピングモールができ、ダウンタウンのデパートは閉店するか、周縁部へと移転していった[9]。1970年代後半から1980年代にかけては、重工業が労働力の安いアメリカ合衆国外へと流出したことにより、ラストベルトの多くの他都市と同様、マンスフィールドにおける工業は衰退し、市の中心部は荒廃していった。市内の建物は次々と空き家になり、窓ガラスは割れ、犯罪、売春や麻薬が横行するようになった[11]。特に荒廃が酷かったのは、セントラル・パークから北へ2ブロック、4thストリートとメイン・ストリートの交差点周辺であった[9]。
1990年代に入ると、ダウンタウンの立て直しが行われた。1991年に、4thストリートとメイン・ストリートの南西角にリッチランド・カルーセル・パークが開園すると、その周辺には再び各種小売店や飲食店、オフィスが建ち並ぶようになった。1999年には、カルーセル・パーク周辺地域の入居率は100%になった。また、建物の修復だけではなく、景観やレンガ、さらには鉄製の装飾も用いて、ダウンタウンの美観を回復した[9]。
2000年代後半の世界金融危機がもたらした不況はマンスフィールドの財政にも打撃を与えた。2008-09年にかけて、マンスフィールドの財政は急激に悪化し、財政緊縮策に失敗したこともあって、市は380万ドルもの赤字を出した。これにより、2010年8月19日、州の監査局はマンスフィールドを「財政危機」にあると宣言した[12]。2014年7月9日、市は財政危機を脱した[13]。
地理
マンスフィールドは北緯40度45分17秒 西経82度31分22秒 / 北緯40.75472度 西経82.52278度に位置している。市はオハイオ州の3大都市を結ぶ州間高速道路I-71の沿線にあり、州都コロンバスから北東へ約100km、クリーブランドからは南西へ約120kmである。
アメリカ合衆国国勢調査局によると、マンスフィールド市は総面積80.08km2(30.92mi2)である。そのうち79.95km2(30.87mi2)が陸地で0.13km2(0.05mi2)が水域である。総面積の0.16%が水域となっている。市域はアルゲイニー台地の西縁に広がっており、市域はやや起伏に富み、オハイオ州の都市の中では標高の高い部類に入る。市中心部の標高は378mであるが、市の最高点である市南西部の地下貯水池、ウッドランド貯水池では標高455mである。
マンスフィールドの都市圏は、マンスフィールドに郡庁を置くリッチランド郡のみで成っている。広域都市圏は、この都市圏にアシュランド小都市圏(アシュランド郡)およびビューサイラス小都市圏(クロフォード郡)を加えた3郡から成っている。
気候
マンスフィールド | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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雨温図(説明) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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マンスフィールドの気候は四季がはっきりしており、特に冬の厳しい寒さと降雪に特徴付けられる、大陸性の気候である。最も暑い7月の平均気温は約22℃、最高気温の平均は約28℃で、日中32℃を超えることは平年で月に1-2日程度である。最も寒い1月の平均気温は氷点下4℃、最低気温の平均は氷点下8℃で、月のほとんどの日は気温が氷点下に下がる。降水量は春から夏、4月から8月にかけてはやや多く、月間100-120mm程度、一方秋から冬、9月から3月にかけてはやや少なく、月間60-100mm程度である。年間降水量は1,120mm程度である。また、冬季の12月から3月にかけての月間降雪量は20-35cm、年間降雪量は123cmに達する[14]。ケッペンの気候区分では、マンスフィールドは中西部の大部分に分布する亜寒帯湿潤気候(Dfb)に属する。
1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 | |
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平均気温(℃) | -3.6 | -2.0 | 2.8 | 9.3 | 14.8 | 19.8 | 21.9 | 21.1 | 17.2 | 10.9 | 5.2 | -1.3 | 9.7 |
降水量(mm) | 73.7 | 61.0 | 86.4 | 104.1 | 114.3 | 121.9 | 111.8 | 111.8 | 83.8 | 73.7 | 96.5 | 83.8 | 1,122.8 |
降雪量(cm) | 33.8 | 29.0 | 19.8 | 6.6 | - | - | - | - | - | 1.2 | 5.6 | 26.7 | 122.7 |
都市概観と建築物
マンスフィールドの街路はダウンタウンでは比較的整然と区画されている。ダウンタウンの中心となっているのは、ノース・パーク・ストリート、サウス・パーク・ストリート、メイン・ストリート、およびダイアモンド・ストリートに囲まれた、2エーカー(8,094m2)のセントラル・パークである[15]。南北に通る通りは、セントラル・パークを突っ切るパーク・アベニューを境に南(S)と北(N)に分かれている。また、東西に通る通りは、メイン・ストリートを境に東(E)と西(W)に分かれている。
マンスフィールドのダウンタウンに建つ建物はほとんどが中低層のものである。市で最も高い建物は、セントラル・パークから西へ2ブロック、パーク・アベニューとウォルナット・ストリートの北西角に建つチェース・タワーである。この12階建て、高さ48mのライムストーン造、アール・デコ様式のビルは、1929年に建てられたものである[16]。
政治
マンスフィールドは市長制を採っている。市長は市の行政の最高責任者であり、市政府各局の監督および管理に責任を負う。また、市長は市の治安の首席保全者であり、全ての法令や条例が完全に遵守され、施行されることに責任を負う。市長は市の儀礼的な長でもある。このほか、市長は 1) オハイオ州憲法、およびオハイオ州法の定めにより与えられた司法権を行使する、 2) 市議会での議論に参加し、その検討事項に対して提案をする、および 3) マンスフィールド市憲章、条約、議決、もしくはオハイオ州法で認められた、もしくは義務付けられた権限、任務、および機能を果たす、の3点に対しても責任を負う。市長は全市から選出され、その任期は4年である[17][18]。
市の立法機関である市議会は議長および8人の議員から成っている。8人の市議員のうち、6人は市を6つに分けた選挙区から1人ずつ選出され、残りの2人は全市から選出される。市議員の任期は4年で、2年ごとに半数を改選する[19]。市議会議長は市長および市議員とは別に全市から選出され、その任期は4年である[20]。
経済
マンスフィールドがまだ工業都市として栄えていた頃、タッパン・ストーブはマンスフィールドに本社を置き[21]、またウェスティングハウス・エレクトリックは買収したコープマン電気ストーブ会社をマンスフィールドに置く[22]など、市は特に家電機器およびストーブの製造で知られていた。
しかし、1970年代の鉄鋼不況に始まって、製造業のアメリカ合衆国外への流出、労働争議の長期化、そして工場設備の老朽化によって、ラストベルトの他の多くの工業都市と同様、マンスフィールドの地域経済を支えていた重工業は大きく衰退し、工業都市としての地位は大きく低下した。マンスフィールド・タイヤ・アンド・ラバー、オハイオ・ブラス、ウェスティングハウス、タッパンなど、マンスフィールドに本社もしくは重要拠点を置いていた会社は次々と買収されるか、移転されるか、あるいは閉鎖された。さらに、2009年にゼネラルモーターズが経営破綻し、連邦倒産法第11章の適用を申請すると、翌2010年6月、再建の一環としてオンタリオにあった同社のプレス工場、マンスフィールド・オンタリオ・メタル・センターが閉鎖された[23]。こうして、マンスフィールドに残った重工業は、シンシナティ郊外に本社を置くAKスチールのマンスフィールド工場のみとなった。
重工業の衰退は商業にも影響を与えた。加えて、オンタリオにショッピングモールができ、チェーンの大型スーパーマーケットやレストランも相次いで開業して客を奪った。その結果、1960年代までマンスフィールド中心部に建ち並んでいた小売店は次々と閉店に追い込まれた。
こうした背景から、マンスフィールドの地域経済は多角化を進め、重工業への依存度を減らしてきている。現在マンスフィールドに残っている製造業としては、前述のAKスチールのほか、三恵技研工業の北アメリカ法人で、本田技研工業の現地法人に部品を供給している自動車部品メーカーのニューマン・テクノロジー[24][25]、発電機メーカーのヒュンダイ・アイディアル・エレクトリック[26]、エマソン・エレクトリック傘下のサーモスタットメーカーのサーモディスク[27]、ポンプメーカーのゴーマン・ラップ[28]、配管メーカーのクレーン・プランビング[29]、メリーゴーラウンドメーカーのカルーセル・ワークス[30]、学校用品メーカーのスクール・スペシャリティ[31]、および各種部品メーカーのマンスフィールド・エンジニアード・コンポーネンツ[32]が挙げられる。
一方、マンスフィールドのみならず、リッチランド郡最大の雇用主となっているのは、保健産業に属するメドセントラル・ヘルス・システムである[33]。同システムのマンスフィールド病院は、326床のベッドを有し、レベルIIの救急医療センターとして年間で救急患者46,000人以上の治療を行い、13,000人以上の入院患者を受け入れ、8,000症例以上の手術を行い、1,300人以上の新生児を誕生させている[34]。
また、マンスフィールドは3社の有名食品会社ゆかりの地でもある。 What would you do for a Klondike Bar? のキャッチコピーで知られたクロンダイクバーを1920年代に開発したアイサリー・デイリーは、マンスフィールドに本社を置いている。クロンダイクバーは、その後1993年にユニリーバに売却され、同社のブランドとなっている[35]。全米に60店舗を展開するレストランチェーン、スチュワーツ・レストランズは、もともとは1924年に、フランク・スチュワートがルートビアのスタンドとしてマンスフィールドで創業したものであった[36]。 Jones' のブランド名で知られるポテトチップス製造専門会社のジョーンズ・ポテト・チップは、1945年にマンスフィールドで創業し、現在もマンスフィールドに本社を置いている[37]。
交通
マンスフィールドに最も近い商業空港は、コロンバスのダウンタウンの東11km[38]に立地するポート・コロンバス国際空港(IATA: CMH)、もしくはクリーブランドのダウンタウンの南西17km[39]に立地するクリーブランド・ホプキンス国際空港(IATA: CLE)で、いずれもマンスフィールドのダウンタウンからは約100kmである。市域北端、ダウンタウンの北5.5km[40]に立地するマンスフィールド・ラム地域空港(IATA: MFD)は、ゼネラル・アビエーションと呼ばれる、自家用機等の発着が主となっている規模の小さい空港で、定期旅客便は発着していない。また、このマンスフィールド・ラム地域空港には、オハイオ航空州兵の第179空輸航空団が本拠を置いている[41]。
州間高速道路I-71は市の南東を南西-北東に通っている。I-71はクリーブランドとルイビルとを結ぶ高速道路で、州間高速道路としては短いものの、オハイオ州内においてはクリーブランドから、コロンバス、シンシナティへと、州の3大都市を結ぶ、最も重要な道路である。また、市北部を通る国道30号線も、I-71以西、インディアナ州との州境近くまで高速道路規格となっている。国道30号線は、西へはビューサイラスやライマ都市圏へ、また東へは一般道路規格となるものの、ウースターやカントンへと通じている。
19世紀後半、マンスフィールドに工業都市としての成長と繁栄をもたらした鉄道は、現在ではペンシルバニア鉄道の流れをくむノーフォーク・サザン鉄道、およびボルチモア・アンド・オハイオ鉄道とエリー鉄道のうち、この地域にわずかに残った路線をつなげて、マンスフィールドからアシュランドを経由してウェストセーラムへと至るようにしたアシュランド鉄道の2路線のみになってしまった。これらの鉄道は専ら貨物輸送のみに用いられており、マンスフィールドにはアムトラックの駅は無い。
グレイハウンドのバスストップは市の南端、I-71と州道13号線とのインターチェンジ近くのセブンイレブンに併設されている[42][43]。このバスストップには、コロンバスとクリーブランドとを結ぶグレイハウンドのバスが北行、南行とも1日各1便、またコロンバスとアクロンとを結ぶバロン・バスのバスが北行、南行とも1日各1便停車する。
市内の公共交通機関としては、リッチランド郡交通局(RCT)が路線バス網を運営している。同局はマンスフィールド市内、およびオンタリオを中心に、14路線を運行しており、そのうち1路線は北西郊のシェルビーにも至る。しかし、運行頻度は少なく、ほとんどの路線は1-2時間に1便の頻度である[44]。
教育
オハイオ州立大学は4つある地方キャンパスのうちの1つをマンスフィールドに置いている[45]。640エーカー(2,590,000m2)のマンスフィールドキャンパスはダウンタウンから北西へ7.5km、市域北西端の森の中に立地している[46]。同学の学生はマンスフィールドキャンパス単体でも9つの学士、および教育学とソーシャルワークの2つの修士専攻プログラムの中から専攻を選び、修了・卒業することができるが、マンスフィールドキャンパスで科目を取り始め、最終的には学部に170以上の専攻プログラムを有するコロンバスの本校で修了・卒業することもできる[47]。
オハイオ州立大学マンスフィールドキャンパスは地元のコミュニティ・カレッジ、ノースセントラル州立カレッジのメインキャンパスも兼ねている(ただし科目および教職員は別個である)。同学は60以上の準学士専攻プログラムを有し、3,100人の学生を抱えている[48]。同学はメインキャンパスのほか、シェルビー、アシュランド、ビューサイラス、およびマンスフィールドのダウンタウンにも分校を持っている[49]。
アシュランドにメインキャンパスを構えるブレズレン系私立のアシュランド大学は、ダウンタウンの南西4km、マリオン・アベニューとサウス・トリンブル・ロードの南西角に看護・保健学部の看護実習施設を置いている[50]。
マンスフィールドにおけるK-12課程は主にマンスフィールド市学区の管轄下にある公立学校によってまかなわれている。同学区は小学校(就学前・1-3年生)3校、スペイン語イマージョン校1校、中等小学校(4-6年生)1校、中学校(7-8年生)1校、高校(9-12年生)1校、およびオルタナティブ教育校1校を有し、約4,600人の児童・生徒を抱えている[51]。なお、市の東部はマンスフィールド市学区ではなく、マンスフィールドを取り囲むマディソン郡区に本部を置くマディソン地域学区の管轄下に属している。 また、マンスフィールドをその管轄下に置くカトリックのトレド司教区は、マンスフィールドに2校のカトリック系私立学校を置いている[52]。このほか、マンスフィールドには超教派のキリスト教系学校[53]や、国際バカロレア候補校もある。
マンスフィールドには1855年から公立図書館があったが、マンスフィールド・リッチランド郡公立図書館の歴史は1887年にさかのぼる[54]。同館はダウンタウンに立地する本館のほか、郡内8ヶ所に支館を置いている[55]。
文化
歴史的建築物と博物館
オーク・ヒル・コテージはダウンタウンの北、かつて市の経済を支えた工業地区の中に立地している。ゴシック・リバイバル様式の煉瓦造のこの家屋は、1847年にマンスフィールド・アンド・サンダスキー・シティ鉄道の職長であったジョン・ロビンソンが建てたものである。1864年に地元の眼科・耳鼻科医、ヨハネス・ジョーンズがこの家屋を購入すると、その後100年にわたってジョーンズ一族が住み続けたが、1965年にリッチランド郡歴史協会に家屋・家具ともに売却され、修復・保全されることになった[56]。1969年には、オーク・ヒル・コテージは国家歴史登録財に指定された[57]。現在では、オーク・ヒル・コテージは博物館として一般公開されている。展示されている家具はジョーンズ一家が購入したもので、そのほとんどはニューヨークからマンスフィールドまで鉄道で運ばれたものである[56]。
市北部、リッチランド更生施設の南隣には旧オハイオ州立矯正院が立地している。城塞を思わせるこの監獄は、1886年にクリーブランドの建築家が設計したもので、ビクトリアン・ゴシック、ロマネスク、およびクイーン・アンの3つの様式を組み合わせている。この監獄は1990年まで本来の目的に使用されていたが、その後は一般に公開され、秋にはハロウィンのイベントにも使われている[58]。旧オハイオ州立矯正院は、1983年に国家歴史登録財に指定された[57]。
ダウンタウンに立地するマンスフィールド記念博物館は、1889年に陸海軍人記念館として一般に公開されたもので、リッチランド郡最古の博物館である。同館は古代のネイティブ・アメリカンから、アフリカ系・アジア系に至るまでの、軍事史および自然史に関する事物を展示している。同館の代表的な展示物としては、航空史を物語る約600機の航空機が挙げられる。また、1939年のニューヨーク万国博覧会に出品された、ウェスティングハウス製のロボットも同館で保存・展示されている[59]。陸海軍人記念館は、1980年に国家歴史登録財に指定された[57]。
市西部、ミルズボロ・イースト・ロードとマリオン・ロードの南西角の森の中にはマンスフィールド芸術センターが立地している。同館は美術館として、作品の展示を通じて地域住民向けに美術作品に触れる機会を提供しているほか、美術教育を提供し、また地域の芸術家のサポートも行っている[60]。
リッチランド更生施設および旧オハイオ州立矯正院のすぐ東には、ダイアモンド・ヒル大聖堂に併設された、オハイオ州唯一の蝋人形博物館であるバイブルウォークが立地している。同館は聖書に描かれている70シーンを再現する、300体以上の蝋人形を展示している[61]。また、同館は教会員が寄付した宝飾品や、1500年代まで遡る各国の珍しい聖書なども展示している[62]。
演技芸術
ダウンタウンに立地するルネサンス・シアターは、もともとはオハイオ・シアターという映画館として1928年に建てられたものであった。オハイオ・シアターは1940年代までは繁盛していたが、その後はテレビの普及もあって経営難に陥り、1979年にはポルノ映画館へと転換した。同館が「ディープ・スロート」を放映した際には、地元の活動家によって営業停止へと追い込まれた。しかし、1980年にミス・オハイオ(後述)がオハイオ・シアターに戻ってきたのをきっかけに、地元の博愛主義者がオハイオ・シアターを買い上げ、1984年に225万ドルの寄付を集めて翌1985年に改修、名もルネサンス・シアターに改められ、劇場として復活した[63]。1997年には、1930年:から続く地元オーケストラ、マンスフィールド交響曲団と経営統合した[64]。ルネサンス・シアターは、1983年に国家歴史登録財に指定された[57]。
イベント
ミス・アメリカのオハイオ州予選であるミス・オハイオはマンスフィールドで開かれている。マンスフィールドが初めてミス・オハイオの開催都市となったのは1959年であった。1963年にミス・オハイオの会場はサンダスキーのシダーポイントに移されたものの、1975年にマンスフィールドに戻り、1980年からはルネサンス・シアターで開催されている[65]。
リッチランド・カウンティ・フェアは市の北西部に立地する、106エーカー(430,000m2)のフェアグラウンドで開催される[66]。マンスフィールドは1849年以来、リッチランド・カウンティ・フェアの開催地であった。また、1872-73年には、マンスフィールドは(通常は州都コロンバスで開催される)オハイオ・ステート・フェアの開催地にもなった[67]。
スポーツ
南西郊のレキシントンの近く、モロー郡トロイ郡区にはミッドオハイオ・スポーツカーコースが立地している[68]。このサーキットは、もともとは1962年に週末のスポーツカーレース用に造られたものであったが、1981年にレッド・ルーフ・イン創業者のジム・トゥルーマンが買収すると、野外劇場型の客席や車庫を設け、コース自体も再舗装や拡幅、安全性の向上など、大規模な改修が行われた[69]。1周2.258マイル(3.634km)のこのコースでは、インディカー・シリーズのホンダ200[70]や、NASCARエクスフィニティ・シリーズのネイションワイド小児病院200[71]が開催される。また、このサーキットには、プロドライバーの養成から運転免許取りたての10代のドライバーに対する安全運転講習まで、様々なレベルの講座を提供する自動車学校、ミッドオハイオ・スクールも併設されている[72]。
公園とレクリエーション
マンスフィールドは市内に大小33の公園を有している[73]。そのうち最大のものであるサウス・パークには、1812年にもともと市の中心部、現在のセントラル・パークに建てられた小要塞のうちの1棟が、1900年代にここに移設されて残っている[74]。
ダウンタウンに立地するリッチランド・カルーセル・パークは、1991年にダウンタウン再生の一環として開園したものである[9]。同園はアメリカ合衆国内では1930年代以降見られなくなっていた、手彫りの木製の、屋内のメリーゴーラウンドである。メリーゴーラウンドを構成する52頭の動物(うち馬は30頭)はすべて、設計から、彫刻、塗装に至るまで、マンスフィールド市内のカルーセル・ワークス社によるものである。また、メリーゴーラウンドの音楽は、州内のベルファウンテンにあるスティンソン・パイプオルガン社製のオルガンで奏でられている[75]。
ダウンタウンの西約2kmに立地するキングウッド・センターは、もともとは1926年に建てられた、オハイオ・ブラスの電気技術者から社長に昇り詰めたチャールズ・ケリー・キングの豪邸であった。キングの死後、1953年に豪邸とその47エーカー(190,000m2)の敷地は一般に公開された[76]。その際、キングの遺志に従って、豪邸は図書館および管理事務所に[77]、また庭園は植物園へと転用された[78]。キングウッド・センターは、1976年に国家歴史登録財に指定された[57]。
南東郊のモンロー郡区(住所はルーカス)に立地するマラバー農場州立公園は、もともとはマンスフィールド出身のピューリッツァー賞作家、ルイス・ブロムフィールドが1939年に購入した3つの農場、および自宅であった[79]。現在では、この875エーカー(354ha)の農場は観光農場、またハイキングコース、レストラン、キャンプ場も備える州立公園となっており、年間30万人(うち2/3はオハイオ州内から)の観光客が訪れる[80]。マラバー農場は、1973年に国家歴史登録財に指定された[57]。
市の南に広がる標高450mの小高い丘は、スノー・トレイルズというスキー場になっている。スノー・トレイルズは標高差91m、最も長いコースでも長さ610mという小規模なスキー場であるが、1961年に開場した、オハイオ州最古のスキー場であり、現在オハイオ州内で営業している数少ないスキー場の1つである[81]。
ボルチモア・アンド・オハイオ鉄道は1986年にこの地の路線を廃止したが、線路跡はその後リッチランド郡公園局に買い取られ、リッチランド・B・アンド・O・トレイルという自転車道になっている。全長29.6kmのこの自転車道は、南東郊のバトラーを起点とし、ベルビルやレキシントンを経由してマンスフィールド市域に入り、ダウンタウンの北西に立地するノース・レイク・パークを終点とする[82]。
映画
旧オハイオ州立矯正院はまだ現役であった1970年代から、ハリウッド映画をはじめとする数々の映画の撮影に使われてきた。旧オハイオ州立矯正院で撮影された主な作品には、「ニューヨーク一獲千金」(1976年、マーク・ライデル監督、ジェームズ・カーン主演)、「デッドフォール」(1989年、アンドレイ・コンチャロフスキー監督、シルヴェスター・スタローン主演)、「ショーシャンクの空に」(1994年、フランク・ダラボン監督、ティム・ロビンス主演)、「エアフォース・ワン」(1997年、ウォルフガング・ペーターゼン監督、ハリソン・フォード主演)などが挙げられる。加えて、2000年代以降には、ゴッドスマックの Awake (2000年)、リル・ウェインの Go D.J. (2004年)や、アンタイ・フラッグの This is the New Sound (2012年)など、ミュージック・ビデオの撮影にも使われている[83]。
また、1950-60年代にかけては、マンスフィールドは脅迫的な交通教育映画製作で悪名高かったハイウェイ安全財団が本部を置き、その撮影の大半を行っていた地であった。また、同財団の制作した映画の中には、交通安全とは関係の無い(そしてより悪名高い)、例えば公共便所に設置された防犯カメラで同性愛者の性行為をとらえた Camera Surveillance (1964年)や、少女への性的虐待・殺害を題材とした The Child Molester (1964年)といったものまであった[84]。
メディア
マンスフィールドの新聞紙は、USAトゥデイなども所有するガネット社傘下の[85]、マンスフィールド・ニュース・ジャーナル1紙のみである。同社は、1885年創立のマンスフィールド・デイリー・ニュース社と1930年創立のマンスフィールド・ジャーナル社が1932年に合併してできた新聞社で、2000年にガネット社傘下に入った[86]。
テレビおよびラジオのメディア市場においては、マンスフィールドはクリーブランド圏に入るものの、コロンバスにも物理的に近いことから、住民はコロンバスの放送局の地上波も受信できる。マンスフィールドにはABC、CBS、NBCといった全米ネットワークの支局は置かれていないが、独立系テレビ局のWMFD-TVおよびWOHZ-CDがある。また、オハイオ州立大学が所有するWOSUラジオは、コロンバスの本局(WOSA)のほかに4つある支局のうちの1つ、WOSVをマンスフィールドに置いている[87]。
人口動態
都市圏人口
マンスフィールドの都市圏はリッチランド郡1郡のみで形成されている。広域都市圏を形成する各郡の人口は以下の通りである(2010年国勢調査)[1]。
- マンスフィールド・アシュランド・ビューサイラス広域都市圏
都市圏/小都市圏 | 郡 | 州 | 人口 |
---|---|---|---|
マンスフィールド都市圏 | リッチランド郡 | オハイオ州 | 124,475人 |
アシュランド小都市圏 | アシュランド郡 | オハイオ州 | 53,139人 |
ビューサイラス小都市圏 | クロフォード郡 | オハイオ州 | 43,784人 |
合計 | 221,398人 |
市域人口推移
以下にマンスフィールド市における1820年から2010年までの人口推移を表およびグラフでそれぞれ示す[88]。
統計年 | 人口 |
---|---|
1820年 | 288人 |
1830年 | 840人 |
1840年 | 1,328人 |
1850年 | 3,557人 |
1860年 | 4,581人 |
1870年 | 8,029人 |
1880年 | 9,859人 |
1890年 | 13,473人 |
1900年 | 17,640人 |
1910年 | 20,768人 |
1920年 | 27,824人 |
1930年 | 33,525人 |
1940年 | 37,154人 |
1950年 | 43,564人 |
1960年 | 47,325人 |
1970年 | 55,047人 |
1980年 | 53,927人 |
1990年 | 50,627人 |
2000年 | 49,346人 |
2010年 | 47,821人 |
姉妹都市
マンスフィールドは以下2都市と姉妹都市提携を結んでいる。
- 田村市(日本・福島県) - もともと2000年に旧船引町がマンスフィールドと締結していたが、合併後、2007年に田村市がマンスフィールドと改めて締結した[89]。
- マンスフィールド(イギリス・イングランド)[90]
註
- ^ a b c American FactFinder. U.S. Census Bureau. 2011年2月4日.
- ^ a b c Brief History of Mansfield ... Beginning. pp.26, 36. The Mansfield Savings Bank Almanac. 1923年. 2015年9月6日閲覧.
- ^ History of Richland Country 1807–1880. p.237. A.A. Graham & Co.
- ^ History of Richland Country 1807–1880. p.272. A.A. Graham & Co.
- ^ Baughman, A. J. Mansfield. CHAPTER L, History of Richland County. 1903年11月21日. 2015年9月6日閲覧.
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