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「水上ビル」の版間の差分

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{{建築物
[[画像:Toyohashi - Suijô Buildings02.jpg|thumb|260px|大豊水上ビル(豊橋市駅前大通先)]]
|名称 = 水上ビル
[[画像:Toyohashi - Suijô Buildings - Hazama-bashi Bridge.jpg|thumb|260px|ビルの狭間に架けられた狭間(はざま)橋]]
|旧名称 =
'''大豊水上ビル'''(たいほうすいじょうビル)は、[[愛知県]][[豊橋市]]の駅前大通先に並ぶ[[ビルディング|ビル]]の一群。通称、'''水上ビル'''(すいじょうビル)の名で親しまれている。
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|画像キャプション=
|用途 = 店舗・住居
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|備考 =
}}


'''水上ビル'''(すいじょうビル)は、[[愛知県]][[豊橋市]]に東西800メートルにわたって連なる板状建築物群の通称。豊橋のまちなかの象徴として市民に親しまれてきた<ref name=chunichi20140323>「ぶらり三河(105)豊橋・牟呂用水 いのちと心潤す流れ」中日新聞, 2014年3月23日</ref>。
== 概要 ==
[[昭和]]40年([[1965年]])、豊橋市駅前大通二・三丁目先の[[牟呂用水]]路上に3〜5階建てのビルが建設され、大豊水上ビル商店街が造られ、それが水上ビルと呼ばれた。昭和42年([[1967年]])には、大手橋から前田橋までの牟呂用水上に大手住宅(3階以上は[[県営住宅]])が建てられた。


== 特色 ==
大豊水上ビルには、旧狭間(はざま)小学校跡にあった大豊商店街の店舗が入り営業した。
[[File:Toyohashi Suijo Buildings OSM.png|thumb|450px|豊橋ビル、大豊ビル、大手ビルの3群からなる水上ビル]]

[[豊橋駅]]から東に向かって、[[豊橋鉄道]][[東田本線]](路面電車)が走る駅前大通りが伸びており、その南80mには駅前大通りに並行して[[農業用水]]の[[牟呂用水]]が流れている<ref name=asahi20051009>「若い作家、活気創出 豊橋の水上ビルで芸術祭 再生かけ、店主も賛同」朝日新聞, 2005年10月9日</ref>。牟呂用水を約800メートルにわたって暗渠化し、その上に建つ3階建-5階建のビル15棟の通称が水上ビルである<ref name=asahi20051009/><ref>なお、2005年10月9日付の朝日新聞記事では水上ビルの全長を800メートルではなく850メートルとしている。</ref>。西端には[[穂の国とよはし芸術劇場PLAT]]があり、[[国道143号]]と交差する東端部にはレインボータワーと呼ばれるモニュメントが設置されている。

西側から順に「豊橋ビル」、「大豊ビル」、「大手ビル」の3群に分けられ、それぞれ所有者が異なる<ref name="懇話"/><ref name="モノ語りマップ"/>。ビルの両側にはアーケードが設置されている<ref name=shien>[http://www.syoutengai-shien.com/news/201606/14-01.html 6月限定の「雨の日商店街」開催【愛知県豊橋市大豊商店街】] 全国商店街支援センター</ref>。商店街には小売店と問屋が共存しており、一般客が問屋で買い物を行うことも可能である<ref name=prefaichi>[http://www.pref.aichi.jp/shogyo/tokucho/pdf/t_taihou.pdf 大豊協同組合: アートイベント「sebone」による魅力発信] 愛知県</ref>。ビルの入店者や入居者は、豊橋市に対して河川占用料を納入している<ref name=chunichi19981007/>。水路は[[水資源機構]]、土地は豊橋市、建物は個人・企業・愛知県が所有する複雑な関係にあるため、建て替えは困難であるとされる<ref name=chunichi20140323/>。

== 歴史 ==
=== 大豊商店街の歴史 ===
[[File:Irrigation water "Muro-Yôsui" - Toyohashi City01.jpg|thumb|left|牟呂用水(郊外の豊橋市賀茂町)]]

1945年(昭和20年)6月19日深夜から20日未明にかけて[[豊橋空襲]]を受けた豊橋市では、青空市場([[闇市]])が戦後に賑わいを見せた<ref name=chunichi19981007/>。しかし戦前からの商店街が元の場所で復興しはじめたため、豊橋市当局は新たに正規の商店街を築いて青空市場の業者を移転させた<ref name=imamukashi>『豊橋いまむかし』名古屋郷土出版社, 1989年, p.148</ref>。

豊橋空襲で焼失していた豊橋市狭間小学校の跡地(現在の名豊ビルの場所)には間口50m・奥行き16mの大豊百貨店が建設され、この建物の裏側が大豊商店街に充てられた<ref name=imamukashi/>。大豊商店街は木造の棟割り住宅であり、一店舗あたりの面積は6坪(約20m<sup>2</sup>)程度、[[引揚者]]や戦災者が店を開いていた<ref name=chunichi19981007/>。その後には美観や防災面の観点から商店街の再開発計画が浮上し、商店主らは立ち退きに合意<ref name=chunichi19981007/>。大豊百貨店も含めて中心市街地の整備が進んだが、豊橋駅前に大豊商店街を移転させる用地が確保できなかったため、苦肉の策として市中心部を流れる[[牟呂用水]]上にビルを建設して移転することとなった<ref name=asahi20150407>「タブロイド紙『大豊ジャーナル』発行 商店主ら、50年記念 豊橋」朝日新聞, 2015年4月7日</ref>。1968年(昭和43年)には大豊百貨店の場所に複合商業施設・[[名豊ビル]]が開業している。

=== 水上ビルの完成 ===
[[File:Toyohashi Daiho Buildings ac (1).jpg|thumb|今日の大豊商店街]]

農業用水である牟呂用水の上に3-5階建ての大豊ビルが建設され、1964年(昭和39年)12月10日には1階部分に大豊商店街が移転開業した<ref name=asahi20141211>「『水上ビル』商店街、50歳誕生日お祝い 豊橋」朝日新聞, 2014年12月11日</ref>。豊橋駅に近い西側半分が卸問屋、東側半分は小売店であり、小売店には食堂・衣料品・鮮魚・青果などの店舗が連なった<ref name="大豊ジャーナル1"/>。開業時の大豊ビルには菓子問屋が多く名を連ねていた<ref name=chunichi20150217>「大豊商店街の半世紀 発信 豊橋 季刊タブロイド紙を発行」中日新聞, 2015年2月17日</ref>。

その後1965年(昭和40年)には豊橋ビルが、1967年(昭和42年)には大手ビルが建てられ<ref name=chunichi20131102/>、大手ビルには大手町にあった市場の商店が入居した<ref name=chunichi19981007/>。用水上に建設されたビルは全国的に見て珍しいとされ、他地域から視察団が訪れるほどだった<ref name=chunichi19981007/>。豊橋駅から近いこともあって、静岡県や長野県の[[南信地方]]からも客が訪れた<ref name="モノ語りマップ"/>。1980年(昭和55年)頃までは、国鉄[[飯田線]]を使って水上ビルの問屋街まで買い出しに来る人が行列を作ったという<ref name=chunichi20101107>「大豊商店街(水上ビル) こだわりの店魅力に」中日新聞, 2010年11月7日</ref>。

=== 近年 ===
[[豊川市]]出身の[[園子温]]も監督を手掛けた2013年(平成25年)のテレビドラマ「[[みんな!エスパーだよ!]]」(テレビ東京系)では、水上ビルもロケ地の一つとなった<ref name="大豊ジャーナル1"/>。2013年には水上ビルやその周辺の空き家・空き店舗を紹介する「まちなか空き家・空き店舗見学ツアー」が開催された<ref name=chunichi20130703>「空き家・空き店舗見定めて 建築士ら豊橋中心街で13日 活用促進へ紹介ツアー」中日新聞, 2013年7月3日</ref>。2014年(平成26年)12月10日には、商店街の成立50周年を祝って大豊ビルの屋上で記念イベントが開催された<ref name=asahi20141211/>。大豊商店街の店主らによる大豊協同組合は、2015年(平成27年)4月に季刊のフリーペーパー「大豊ジャーナル」の発行を開始した<ref name=asahi20150407/><ref name=chunichi20150217/>。

2015年からはアーケードと空き店舗を活用するために、6月の週末に期間限定でアンティークショップなどが営業する「雨の日商店街」を開催している<ref name=chunichi20160619>「『雨の日商店街』晴れでも活気 豊橋 26日まで土日開催」中日新聞, 2016年6月19日</ref>。2016年(平成28年)の「雨の日商店街」には、小道具・アクセサリー・雑貨などを取り扱う露天商やネット販売業者など60店が出店し、屋台やカフェなども出店した<ref name=chunichi20160619/>。2016年9月13日には、水上ビルを街歩きして集めた情報をインターネット百科事典・[[ウィキペディア]]上に発信するイベントが開催された<ref name=chunichi20160913>「豊橋の情報 ネット発信 30人が町を散策して収集」中日新聞, 2016年9月13日</ref>。

== 水上ビルとアート ==
[[File:Toyohashi Daiho Buildings ac (3).jpg|thumb|あいちトリエンナーレ開催中の水上ビル]]

=== sebone ===
2004年(平成16年)には地元の若者有志が商店主らに企画を持ち込み、水上ビルを舞台にしてアートイベント「sebone」を初開催した<ref name=asahi20130922>「豊橋の芸術祭実行委員・黒野有一郎さん 街にアート、10回目」朝日新聞, 2013年9月22日</ref>。イベントの名称は水上ビルを上空から見ると[[背骨]]に見えることに由来する<ref name=asahi20130922/><ref>[https://www.pref.aichi.jp/uploaded/attachment/45373.pdf 大豊協同組合] 愛知県</ref><ref name=prefaichi/>。このイベントでは、アーティストが絵画・彫刻・演劇・音楽などを発表しているほか、地元の小学生による絵画や工作が展示されている<ref name=asahi20130922/>。年を追うごとに規模が拡大しており、2010年には25,000人がイベントに来場した<ref name=prefaichi/>。

2005年のイベントでは、鳥かごを見つめるような猫の塑像が小鳥店に置かれたり、蜂蜜専門店に書道作品が展示されたり、アーケードに布が吊るされたりした<ref name=asahi20051009/>。sebone実行委員会や大豊商店街による投票で、建物の壁面(側面)を飾る作品が決定される<ref name="大豊ジャーナル1"/>。2015年からの3年間は、田原市在住の画家コータローによる「オレたちの日常はイカシてんだぜ!」の作品群が飾られている<ref name="大豊ジャーナル1"/>。

=== あいちトリエンナーレ2016 ===
2010年に初開催された[[あいちトリエンナーレ]]は2013年から豊橋市が会場のひとつとなっており、2016年には水上ビルが豊橋会場のひとつとなった。ブラジルの{{仮リンク|ラウラ・リマ|en|Laura Lima}}は100羽の小鳥を大豊ビルの一角に放ったインスタレーションを行い、鑑賞者は鳥小屋に見立てたビル内で小鳥が飛び回る様子を見ることができる<ref name=chunichi20130922>「あいちトリエンナーレ2016 豊敗にも独創的な空間 きょう開幕」中日新聞, 2016年8月11日</ref>。

== 建物 ==
* '''豊橋ビル'''(または豊橋商事ビル<ref name=chunichi19981007/>)
: 1965年(昭和40年)に完成した<ref name=chunichi20131102>「あいち現場考 水上ビルの明日 使い続ける知恵を」中日新聞, 2013年11月2日</ref>。5階建の1棟からなる<ref name=chunichi19981007>「水上ビル 延々と15棟900メートル ふたして用地をねん出」中日新聞, 1998年10月7日</ref>。養鰻組合を母体とする株式会社一社が所有しており<ref name="モノ語りマップ"/>、1階と2階が飲食店など、3階から5階が賃貸住宅として使用されている<ref name=chunichi20131102/>。下階はほぼすべての区画が飲食店である<ref name="大豊ジャーナル5"/>。
* '''大豊ビル'''
: 1964年(昭和39年)に完成した<ref name=chunichi20131102/>。3階建(一部の建物は増築して4階建<ref name="大豊ジャーナル5"/>)の9棟からなる<ref name=chunichi20131102/>。商店街組合に加盟する個人が1階から3階までを縦割りで所有しており、1階は店舗に、上階は住居に使用されている<ref name=chunichi20131102/><ref name="モノ語りマップ"/>。364メートルの<ref name=chunichi20150217/>大豊商店街は建物の1階部分に59店舗が連なっており、2014年時点ではこのうち約40店が営業を続けている<ref name=asahi20141211/>。2013年時点で所有者の多くは70歳以上である<ref name=chunichi20131102/>。

: 間取りは間口が4.5メートル、奥行きが8メートル<ref name="大豊ジャーナル5"/>。トイレが2階以上にしかなかったり、1階の店舗部分に階段があるなど、店舗部分と居住部分の境界が曖昧なことで、テナントの進出が進まずに空き店舗の増加につながった<ref name="大豊ジャーナル5"/>。

: 豊橋の象徴的存在の花火を売る花火店は3軒が営業しており、小鳥店や蜂蜜専門店<ref name=chunichi20101107/>、たばこ専門店や駄菓子店などがある<ref name="モノ語りマップ"/>。賃貸料が安価なため<ref name=chunichi20131102/>、近年に開店した店舗にはレコード店<ref name=chunichi20101107/>、複数の若者向けブティック<ref name=chunichi20131102/>、ラーメン店<ref name=chunichi19981007/>、家具店やクラフトビール専門店<ref name="モノ語りマップ"/>などがある。

* '''大手ビル'''
: 1967年(昭和42年)に完成した<ref name=chunichi20131102/>。5階建の5棟からなる<ref name=chunichi19981007/>。1-2階は個人所有の店舗や住居であり、3階から5階は愛知県営の賃貸住宅である<ref name=chunichi20131102/><ref name="モノ語りマップ"/>。

[[File:Suijo Buildings. Toyohashi, Aichi Prefecture. Aerial photograph. 2008.jpg|thumb|700px|水上ビル付近の空中写真。2008年撮影。{{国土航空写真}}。]]

<gallery>
File:Toyohashi Buildings ac.jpg|豊橋ビル
File:Toyohashi - Suijô Buildings02.jpg|大豊ビル
File:Toyohashi Ote Buildings ac.jpg|大手ビル
</gallery>

== 橋 ==
水上ビルのビル群の狭間には、暗渠となった[[牟呂用水]]にかかる橋の欄干が残っている<ref name=chunichi20101107/>。西から東へ、順に以下の通りである<ref group="注">橋の名称と建造・改築年月は欄干の表示による。</ref>。

* 萱町(かやまち)橋 (1951年2月改築)
* 下狭間(しもはざま)橋 (2013年3月建造)
* 狭間(はざま)橋 (2014年3月建造)
* 新川橋 (2013年3月建造)

<gallery>
File:Toyohashi - Suijô Buildings - Hazama-bashi Bridge.jpg|ビルの狭間に架けられた狭間橋の欄干
File:Toyohashi Daiho Buildings ac (2).jpg|建物の側面を飾るコータローの作品と下狭間橋の欄干
</gallery>

== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|refs=
<ref name="懇話">{{Cite web|url=http://www.trans.civil.nagoya-u.ac.jp/~cpij-cb/2010/dayori100825.pdf|format=PDF|title=中部支部 豊橋「水上ビル」懇話 ~その成り立ちと次の10年にむけて~|language=日本語|accessdate=2016-09-11|publisher=名古屋大学森川・山本・三輪研究室|author=黒野有一郎}}</ref>
<ref name="モノ語りマップ">{{Cite web|url=http://www.1484machinaka.jp/wp-content/uploads/2014/03/monomap01.pdf|format=PDF|title=まちなかモノ語りマップ vol.1 水上ビルとその界隈|language=日本語|date=2015-03|accessdate=2016-09-21|publisher=豊橋市役所まちなか活性課}}</ref>
<ref name="大豊ジャーナル1">{{Cite web|url=http://ekidesign.info/pdf/dj/01.pdf|format=PDF|title=大豊ジャーナル vol.1|language=日本語|date=2015-02-15|accessdate=2016-09-21|publisher=大豊協同組合}}</ref>
<ref name="大豊ジャーナル5">{{Cite web|url=http://ekidesign.info/pdf/dj/05.pdf|format=PDF|title=大豊ジャーナル vol.5|language=日本語|date=2016-06-18|accessdate=2016-09-21|publisher=大豊協同組合}}</ref>
}}


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
*[[牟呂用水]] - [[豊川]]を取水源とした農業用水路。1905年(明治38年)に通水した豊橋市街地を二分する全長24.6kmの用水路である。別名新川ともいう。かつて牟呂用水に隣接する小田原町には何軒ものうなぎ屋があり、牟呂用水の水で飼育したうなぎを豊橋駅から全国へ貨車で発送していた。
*[[牟呂用水]] - [[豊川]]を取水源とした農業用水路。
*[[穂の国とよはし芸術劇場PLAT]]


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
{{commonscat|Suijô Buildings}}
{{commonscat|Suijô Buildings}}
* 豊橋百科事典編集委員会--編 『豊橋百科事典』 豊橋市文化市民部文化課2006年、339頁
* {{Cite book|和書|editor=豊橋百科事典編集委員会|title=豊橋百科事典|publisher=豊橋市文化市民部文化課|year=2006|page=339頁|language=日本語|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|title=豊橋市の今昔|author=大林敦男|author2=駒木正清監修|publisher=樹林舎|year=2016|language=日本語|ref=harv}}


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[[Category:豊橋市の建築物]]
[[Category:豊橋市の建築物]]
[[Category:豊橋市の歴史]]
{{ウィキ座標|34|45|42.9|N|137|23|14.6|E|region:JP-23_type:landmark|display=title|name=大豊水上ビル}}
[[Category:居住用ビル]]
[[Category:1964年設立]]

2016年9月30日 (金) 08:31時点における版

水上ビル
情報
用途 店舗・住居
所在地 愛知県豊橋市
座標 北緯34度45分42.9秒 東経137度23分14.6秒 / 北緯34.761917度 東経137.387389度 / 34.761917; 137.387389座標: 北緯34度45分42.9秒 東経137度23分14.6秒 / 北緯34.761917度 東経137.387389度 / 34.761917; 137.387389
テンプレートを表示

水上ビル(すいじょうビル)は、愛知県豊橋市に東西800メートルにわたって連なる板状建築物群の通称。豊橋のまちなかの象徴として市民に親しまれてきた[1]

特色

豊橋ビル、大豊ビル、大手ビルの3群からなる水上ビル

豊橋駅から東に向かって、豊橋鉄道東田本線(路面電車)が走る駅前大通りが伸びており、その南80mには駅前大通りに並行して農業用水牟呂用水が流れている[2]。牟呂用水を約800メートルにわたって暗渠化し、その上に建つ3階建-5階建のビル15棟の通称が水上ビルである[2][3]。西端には穂の国とよはし芸術劇場PLATがあり、国道143号と交差する東端部にはレインボータワーと呼ばれるモニュメントが設置されている。

西側から順に「豊橋ビル」、「大豊ビル」、「大手ビル」の3群に分けられ、それぞれ所有者が異なる[4][5]。ビルの両側にはアーケードが設置されている[6]。商店街には小売店と問屋が共存しており、一般客が問屋で買い物を行うことも可能である[7]。ビルの入店者や入居者は、豊橋市に対して河川占用料を納入している[8]。水路は水資源機構、土地は豊橋市、建物は個人・企業・愛知県が所有する複雑な関係にあるため、建て替えは困難であるとされる[1]

歴史

大豊商店街の歴史

牟呂用水(郊外の豊橋市賀茂町)

1945年(昭和20年)6月19日深夜から20日未明にかけて豊橋空襲を受けた豊橋市では、青空市場(闇市)が戦後に賑わいを見せた[8]。しかし戦前からの商店街が元の場所で復興しはじめたため、豊橋市当局は新たに正規の商店街を築いて青空市場の業者を移転させた[9]

豊橋空襲で焼失していた豊橋市狭間小学校の跡地(現在の名豊ビルの場所)には間口50m・奥行き16mの大豊百貨店が建設され、この建物の裏側が大豊商店街に充てられた[9]。大豊商店街は木造の棟割り住宅であり、一店舗あたりの面積は6坪(約20m2)程度、引揚者や戦災者が店を開いていた[8]。その後には美観や防災面の観点から商店街の再開発計画が浮上し、商店主らは立ち退きに合意[8]。大豊百貨店も含めて中心市街地の整備が進んだが、豊橋駅前に大豊商店街を移転させる用地が確保できなかったため、苦肉の策として市中心部を流れる牟呂用水上にビルを建設して移転することとなった[10]。1968年(昭和43年)には大豊百貨店の場所に複合商業施設・名豊ビルが開業している。

水上ビルの完成

今日の大豊商店街

農業用水である牟呂用水の上に3-5階建ての大豊ビルが建設され、1964年(昭和39年)12月10日には1階部分に大豊商店街が移転開業した[11]。豊橋駅に近い西側半分が卸問屋、東側半分は小売店であり、小売店には食堂・衣料品・鮮魚・青果などの店舗が連なった[12]。開業時の大豊ビルには菓子問屋が多く名を連ねていた[13]

その後1965年(昭和40年)には豊橋ビルが、1967年(昭和42年)には大手ビルが建てられ[14]、大手ビルには大手町にあった市場の商店が入居した[8]。用水上に建設されたビルは全国的に見て珍しいとされ、他地域から視察団が訪れるほどだった[8]。豊橋駅から近いこともあって、静岡県や長野県の南信地方からも客が訪れた[5]。1980年(昭和55年)頃までは、国鉄飯田線を使って水上ビルの問屋街まで買い出しに来る人が行列を作ったという[15]

近年

豊川市出身の園子温も監督を手掛けた2013年(平成25年)のテレビドラマ「みんな!エスパーだよ!」(テレビ東京系)では、水上ビルもロケ地の一つとなった[12]。2013年には水上ビルやその周辺の空き家・空き店舗を紹介する「まちなか空き家・空き店舗見学ツアー」が開催された[16]。2014年(平成26年)12月10日には、商店街の成立50周年を祝って大豊ビルの屋上で記念イベントが開催された[11]。大豊商店街の店主らによる大豊協同組合は、2015年(平成27年)4月に季刊のフリーペーパー「大豊ジャーナル」の発行を開始した[10][13]

2015年からはアーケードと空き店舗を活用するために、6月の週末に期間限定でアンティークショップなどが営業する「雨の日商店街」を開催している[17]。2016年(平成28年)の「雨の日商店街」には、小道具・アクセサリー・雑貨などを取り扱う露天商やネット販売業者など60店が出店し、屋台やカフェなども出店した[17]。2016年9月13日には、水上ビルを街歩きして集めた情報をインターネット百科事典・ウィキペディア上に発信するイベントが開催された[18]

水上ビルとアート

あいちトリエンナーレ開催中の水上ビル

sebone

2004年(平成16年)には地元の若者有志が商店主らに企画を持ち込み、水上ビルを舞台にしてアートイベント「sebone」を初開催した[19]。イベントの名称は水上ビルを上空から見ると背骨に見えることに由来する[19][20][7]。このイベントでは、アーティストが絵画・彫刻・演劇・音楽などを発表しているほか、地元の小学生による絵画や工作が展示されている[19]。年を追うごとに規模が拡大しており、2010年には25,000人がイベントに来場した[7]

2005年のイベントでは、鳥かごを見つめるような猫の塑像が小鳥店に置かれたり、蜂蜜専門店に書道作品が展示されたり、アーケードに布が吊るされたりした[2]。sebone実行委員会や大豊商店街による投票で、建物の壁面(側面)を飾る作品が決定される[12]。2015年からの3年間は、田原市在住の画家コータローによる「オレたちの日常はイカシてんだぜ!」の作品群が飾られている[12]

あいちトリエンナーレ2016

2010年に初開催されたあいちトリエンナーレは2013年から豊橋市が会場のひとつとなっており、2016年には水上ビルが豊橋会場のひとつとなった。ブラジルのラウラ・リマ英語版は100羽の小鳥を大豊ビルの一角に放ったインスタレーションを行い、鑑賞者は鳥小屋に見立てたビル内で小鳥が飛び回る様子を見ることができる[21]

建物

  • 豊橋ビル(または豊橋商事ビル[8]
1965年(昭和40年)に完成した[14]。5階建の1棟からなる[8]。養鰻組合を母体とする株式会社一社が所有しており[5]、1階と2階が飲食店など、3階から5階が賃貸住宅として使用されている[14]。下階はほぼすべての区画が飲食店である[22]
  • 大豊ビル
1964年(昭和39年)に完成した[14]。3階建(一部の建物は増築して4階建[22])の9棟からなる[14]。商店街組合に加盟する個人が1階から3階までを縦割りで所有しており、1階は店舗に、上階は住居に使用されている[14][5]。364メートルの[13]大豊商店街は建物の1階部分に59店舗が連なっており、2014年時点ではこのうち約40店が営業を続けている[11]。2013年時点で所有者の多くは70歳以上である[14]
間取りは間口が4.5メートル、奥行きが8メートル[22]。トイレが2階以上にしかなかったり、1階の店舗部分に階段があるなど、店舗部分と居住部分の境界が曖昧なことで、テナントの進出が進まずに空き店舗の増加につながった[22]
豊橋の象徴的存在の花火を売る花火店は3軒が営業しており、小鳥店や蜂蜜専門店[15]、たばこ専門店や駄菓子店などがある[5]。賃貸料が安価なため[14]、近年に開店した店舗にはレコード店[15]、複数の若者向けブティック[14]、ラーメン店[8]、家具店やクラフトビール専門店[5]などがある。
  • 大手ビル
1967年(昭和42年)に完成した[14]。5階建の5棟からなる[8]。1-2階は個人所有の店舗や住居であり、3階から5階は愛知県営の賃貸住宅である[14][5]
水上ビル付近の空中写真。2008年撮影。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

水上ビルのビル群の狭間には、暗渠となった牟呂用水にかかる橋の欄干が残っている[15]。西から東へ、順に以下の通りである[注 1]

  • 萱町(かやまち)橋 (1951年2月改築)
  • 下狭間(しもはざま)橋 (2013年3月建造)
  • 狭間(はざま)橋 (2014年3月建造)
  • 新川橋 (2013年3月建造)

脚注

注釈

  1. ^ 橋の名称と建造・改築年月は欄干の表示による。

出典

  1. ^ a b 「ぶらり三河(105)豊橋・牟呂用水 いのちと心潤す流れ」中日新聞, 2014年3月23日
  2. ^ a b c 「若い作家、活気創出 豊橋の水上ビルで芸術祭 再生かけ、店主も賛同」朝日新聞, 2005年10月9日
  3. ^ なお、2005年10月9日付の朝日新聞記事では水上ビルの全長を800メートルではなく850メートルとしている。
  4. ^ 黒野有一郎. “中部支部 豊橋「水上ビル」懇話 ~その成り立ちと次の10年にむけて~” (PDF). 名古屋大学森川・山本・三輪研究室. 2016年9月11日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g まちなかモノ語りマップ vol.1 水上ビルとその界隈” (PDF). 豊橋市役所まちなか活性課 (2015年3月). 2016年9月21日閲覧。
  6. ^ 6月限定の「雨の日商店街」開催【愛知県豊橋市大豊商店街】 全国商店街支援センター
  7. ^ a b c 大豊協同組合: アートイベント「sebone」による魅力発信 愛知県
  8. ^ a b c d e f g h i j 「水上ビル 延々と15棟900メートル ふたして用地をねん出」中日新聞, 1998年10月7日
  9. ^ a b 『豊橋いまむかし』名古屋郷土出版社, 1989年, p.148
  10. ^ a b 「タブロイド紙『大豊ジャーナル』発行 商店主ら、50年記念 豊橋」朝日新聞, 2015年4月7日
  11. ^ a b c 「『水上ビル』商店街、50歳誕生日お祝い 豊橋」朝日新聞, 2014年12月11日
  12. ^ a b c d 大豊ジャーナル vol.1” (PDF). 大豊協同組合 (2015年2月15日). 2016年9月21日閲覧。
  13. ^ a b c 「大豊商店街の半世紀 発信 豊橋 季刊タブロイド紙を発行」中日新聞, 2015年2月17日
  14. ^ a b c d e f g h i j k 「あいち現場考 水上ビルの明日 使い続ける知恵を」中日新聞, 2013年11月2日
  15. ^ a b c d 「大豊商店街(水上ビル) こだわりの店魅力に」中日新聞, 2010年11月7日
  16. ^ 「空き家・空き店舗見定めて 建築士ら豊橋中心街で13日 活用促進へ紹介ツアー」中日新聞, 2013年7月3日
  17. ^ a b 「『雨の日商店街』晴れでも活気 豊橋 26日まで土日開催」中日新聞, 2016年6月19日
  18. ^ 「豊橋の情報 ネット発信 30人が町を散策して収集」中日新聞, 2016年9月13日
  19. ^ a b c 「豊橋の芸術祭実行委員・黒野有一郎さん 街にアート、10回目」朝日新聞, 2013年9月22日
  20. ^ 大豊協同組合 愛知県
  21. ^ 「あいちトリエンナーレ2016 豊敗にも独創的な空間 きょう開幕」中日新聞, 2016年8月11日
  22. ^ a b c d 大豊ジャーナル vol.5” (PDF). 大豊協同組合 (2016年6月18日). 2016年9月21日閲覧。

関連項目

  • 牟呂用水 - 豊川を取水源とした農業用水路。1905年(明治38年)に通水した豊橋市街地を二分する全長24.6kmの用水路である。別名新川ともいう。かつて牟呂用水に隣接する小田原町には何軒ものうなぎ屋があり、牟呂用水の水で飼育したうなぎを豊橋駅から全国へ貨車で発送していた。
  • 穂の国とよはし芸術劇場PLAT

参考文献

  • 豊橋百科事典編集委員会 編『豊橋百科事典』豊橋市文化市民部文化課、2006年、339頁頁。 
  • 大林敦男、駒木正清監修『豊橋市の今昔』樹林舎、2016年。