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「旧磯野家住宅」の版間の差分

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== 保存 ==
== 保存 ==
大谷家はこの住宅の保存と維持継承をと考えながら、愛着を持って丁寧に使いながら、保存の為に技術的に万全を期した。都心の中で、隣接地でのマンション建設等、周辺環境が大きく変わって行く中で、何とかこの建物を守りたいと考えた。そして、建物自体も銅御殿と言われる様にユニークな建物であったこと、技術的にも意匠的にも確り造られていることなどが、今日に生かされている。
大谷家はこの住宅の保存と維持継承をと考えながら、愛着を持って丁寧に使いながら、保存の為に技術的に万全を期した。都心の中で、隣接地でのマンション建設等、周辺環境が大きく変わって行く中で、何とかこの建物を守りたいと考えた。そして、建物自体も銅御殿と言われる様にユニークな建物であったこと、技術的にも意匠的にも確り造られていることなどが、今日に生かされている。

保存にかかわった[[鈴木博之]]は言っている、都心での[[文化財]]のあり方、文化財を保存する人の負担と、その文化財から恩恵を請ける人、どうコントロールするのか。この住宅保存の成功例からも、都心部の建物だけではなく、地方での明治末から昭和初期にかけての立派な建物が残っているが、今後、文化財のあり方も含め十分に検討していかなければならない大きな課題である<ref>鈴木博之著『保存言論-日本の伝統建築を守る-』澤崎明治、市ヶ谷出版社、2013年5月30日</ref>。


== 建築概要 ==
== 建築概要 ==
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== 交通 ==
== 交通 ==
*[[東京メトロ]]、[[丸の内線]]、[[茗荷谷駅]]、下車徒歩約3分
*[[東京メトロ]]、[[丸の内線]]、[[茗荷谷駅]]、下車徒歩約3分

== 脚注 ==
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== 参考文献 ==
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2015年5月12日 (火) 14:32時点における版

旧磯野家住宅(きゅういそのけじゅうたく)は、東京都文京区小石川に所在する歴史的建造物(民家)。重要文化財に指定されている。

概要

茗荷谷駅から春日通りを渡った数分の所に、実業家の磯野敬(いそのけい)によって、1909年明治42年)に建てられた近代和風の住宅である。明治末から大正初期にかけての和風建築の粋を凝らし、材料・意匠・技法において伝統的な木造建築の技術と、明治以降の大工技術を見ることができる。現在の所有者はホテルニューオータニの創業者大谷米太郎の子孫が運営する財団法人大谷美術館である。

主屋の屋根と外壁に銅版が張りめぐらされている外観から「銅(あかがね)御殿」と呼ばれている。施主の磯野敬は千葉県夷隅の出身で、山林王、元衆議院議員であった。その後、新潟の石油王の中野貫一が譲り受け、さらに戦後、ホテルニューオータニ創業者の大谷米太郎の子・大谷哲平の所有となった。

主屋

主屋の建物構成は、平屋建ての書院棟、3階建の応接棟、平屋建ての台所棟と車寄せからなっている。屋根は銅版葺きで、外壁にも銅版が張りめぐらされ、銅版の軽量で不燃材という材料を惜しげもなく使用されている。木曽の檜を大量に買い付け、木材は狂いが生じないように3回も削り直し、壁はひび割れをしないように11回も塗り重ねた。その為に、施主の磯野敬は、自ら若くて優れた棟梁である北見米造を選び、その下に100名を越す優れた職人を集めた。また、室内の天井、欄間、建具、棚等の造作は、木曽の檜、屋久島の杉、御蔵島の桑等、国内の吟味された材料を使用し、硝子は当時最高級とされたベルギーから輸入し使われた。

施主の磯野敬が注文した際に出した要望は、寺院風で、地震に強く、火災に強いの3点だけで、建築費用や工事工期の制限はなかった。そうした条件下で、全てが厳選された建築材料と、名人技の職人の手により造られた建物ゆえに、関東大震災太平洋戦争の戦火にも被害が及ぶことはなく、現在も竣工当時のままの姿を保っている。

表門

表門は、1913年(大正2年)に竣工、主屋に劣らず金に糸目を付けず趣向を凝らした門である。四脚門の柱は尾州檜の太い丸太を使い、屋根は美しい曲線を描き、垂木の構造も独特である。門は、7cmもの厚みを持つ楠木の一枚板で作られている。

保存

大谷家はこの住宅の保存と維持継承をと考えながら、愛着を持って丁寧に使いながら、保存の為に技術的に万全を期した。都心の中で、隣接地でのマンション建設等、周辺環境が大きく変わって行く中で、何とかこの建物を守りたいと考えた。そして、建物自体も銅御殿と言われる様にユニークな建物であったこと、技術的にも意匠的にも確り造られていることなどが、今日に生かされている。

保存にかかわった鈴木博之は言っている、都心での文化財のあり方、文化財を保存する人の負担と、その文化財から恩恵を請ける人、どうコントロールするのか。この住宅保存の成功例からも、都心部の建物だけではなく、地方での明治末から昭和初期にかけての立派な建物が残っているが、今後、文化財のあり方も含め十分に検討していかなければならない大きな課題である[1]

建築概要

主屋 - 建築面積547.08㎡、木造平屋建て、一部3階建、銅版葺
表門 - 四脚門、切妻造、銅版葺

見学状況

  • 見学実施日 - 不定期で春季と秋季の金、土曜日に実施
  • 見学時間 - 午前11時、午後1時の1日2回
  • 所要時間 - 45分程度
  • 申込方法 - 往復葉書にて申込む
  • 見学方法 - 敷地内のみで建物内は未公開
  • 見学費用 - 540円

交通

脚注

  1. ^ 鈴木博之著『保存言論-日本の伝統建築を守る-』澤崎明治、市ヶ谷出版社、2013年5月30日

参考文献

  • 鈴木博之著『保存言論-日本の伝統建築を守る-』澤崎明治、市ヶ谷出版社、2013年5月30日
  • 『東京人』都市出版、特集国宝、文化財-建築を見に行こう「銅御殿-旧磯野家住宅」2010年7月、NDL-OPAC/10725141

外部リンク


座標: 北緯35度43分8.42秒 東経139度44分17.76秒 / 北緯35.7190056度 東経139.7382667度 / 35.7190056; 139.7382667