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|プロ入り年度 = {{NPBドラフト|1990}}
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* [[愛媛県立松山商業高等学校]]
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* [[近畿大学]]工学部
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* [[大阪近鉄バファローズ|近鉄バファローズ<br />大阪近鉄バファローズ]] (1991 - 1999)
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* エルマイラ・パイオニアーズ (2002)
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* エルマイラ・パイオニアーズ (2004 - 2005)
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'''佐野 慈紀'''(さの しげき、本名及びかつての[[登録名]]:'''佐野 重樹'''(読み同じ){{#tag:ref|本名については次の資料を<ref name="sanop_pro_1999" /><ref name="12kyudan_2003" />参照。『12球団全選手カラー百科名鑑2004』では「本名重樹。」という記述あり<ref name="12kyudan_2004" />。|group="注"}}。[[1968年]][[4月30日]]{{#tag:ref|生年月日については、現役当時の各種プロ野球名鑑を参照。ただし、一部資料では[[8月30日]]と誤記<ref name="ep_web_ros_2002_0730" />。|group="注"}} - )は、[[愛媛県]][[松山市]]出身{{#tag:ref|愛媛県出身である旨は次の資料を<ref name="sanop_pro_1999">[https://web.archive.org/web/19990427034416/http://www.sanop.com/profile1.html [[1999年]]当時、佐野の公式サイト内で配信されたプロフィール] ([[インターネットアーカイブ]]同[[4月27日]]付保存キャッシュ)</ref><ref name="sb_pm_2000">『[[週刊ベースボール]]』[[2000年]][[2月21日]]号「2000年プロ野球全選手名鑑号」 (第55巻第7号通巻2389号。2000年2月21日、[[ベースボール・マガジン社]]発行)掲載のプロフィール</ref>、松山市生まれである旨については次の資料を<ref name="chuspo_web_19991107" />、同市出身である旨については次の資料を<ref name="12kyudan_2000">『12球団全選手カラー百科名鑑2000』 (『ホームラン』2000年[[3月]]号増刊。同[[3月31日|31日]]、[[日本スポーツ出版社]]発行)P34掲載のプロフィール</ref><ref name="12kyudan_2003">『12球団全選手カラー百科名鑑2003』 (『ホームラン』2003年3月号増刊。同[[3月29日|29日]]、日本スポーツ出版社発行)P222掲載のプロフィール</ref><ref name="12kyudan_2004">『12球団全選手カラー百科名鑑2004』 (『ホームラン』[[2004年]]3月号増刊。同31日、日本スポーツ出版社発行)P237掲載の[[野球解説者|解説者]]プロフィール (CS系というくくりで紹介)</ref><ref name="12kyudan_2007">『12球団全選手カラー百科名鑑2007』 (『ホームラン』[[2007年]]3月号増刊。同31日、日本スポーツ出版社発行)P231掲載の解説者プロフィール (「NHK・BS」解説者として紹介)</ref>参照。|group="注"}}の元[[プロ野球選手]]([[投手]])。[[野球解説者]]。[[野球評論家]]。[[サン・オフィス]]所属<ref name="san-office">{{Cite web |title=佐野 慈紀 |url=https://san-office.jp/talent/shigeki-sano.html |website=サンオフィス |access-date=2024-05-03}}</ref>。愛称は「'''ハゲ魔神'''」<ref name="chusupo20240503">{{Cite news |url=https://www.chunichi.co.jp/article/779064 |title=『ハゲ魔神』佐野慈紀さん「今日は中秋の名月」と現役時代の写真投稿にフォロワー「これは変化球」「元気出ました」 |newspaper=中日新聞Web |date=2023-09-29 |accessdate=2024-05-03}}</ref>。
'''佐野 慈紀'''(さの しげき、本名:'''佐野 重樹'''(読み同じ)、[[1968年]][[4月30日]] - )は、[[愛媛県]][[松山市]]出身の元[[プロ野球選手]]([[投手]])、[[野球解説者]]・[[野球評論家]]。


[[リリーフ|中継ぎ投手]]としては、[[日本プロ野球]]([[日本野球機構|NPB]])史上初の年俸1億円プレイヤーだった<ref name="kin_p81">『近鉄バファローズ球団史 1950-2004』P81</ref>。
現在は、[[サンケイスポーツ]](大阪版)にて評論家活動を行っているほか、[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]・[[Tigers-ai]]でのプロ野球中継、[[NHK-BS]]でのメジャーリーグ中継で解説を務めている。


== 経歴 ==
また、[[BCリーグ]]・[[石川ミリオンスターズ]]の[[取締役]]も務めている。
=== 選手時代 ===
[[愛媛県立松山商業高等学校]]時代の{{by|1986年}}夏に[[水口栄二]]らと[[第68回全国高等学校野球選手権大会]]に出場して準優勝に貢献した(当時は[[右翼手]]兼控え[[投手]])。[[近畿大学]]工学部([[呉市|呉]]キャンパス)進学後、同学部内[[近畿大学工学部硬式野球部|硬式野球部]]([[広島六大学野球連盟]]加盟チーム){{#tag:ref|[[近畿大学体育会硬式野球部]]([[関西学生野球連盟]]加盟)とは別チーム。各種プロ野球名鑑に経歴が記載される場合、「近大工学部」<ref name="12kyudan_2004" />または「近大呉工学部」<ref name="sponichi_pt_1991_pro">『'91スポニチプロ野球手帳』P31掲載「佐野 重樹」プロフィール</ref><ref name="sb_pm_2000" /><ref name="12kyudan_2000" /><ref name="12kyudan_2003" /><ref name="sponichi_web_meikan_2003" />と表記。近鉄選手時代に開設したウェブサイト内プロフィールでは「近畿大学呉工学部」と記載<ref name="sanop_pro_1999" />。『近鉄バファローズ球団史 1950-2004』では、「近大工学部」<ref name="kin_p81" />、「近大呉工学部」とそれぞれ表記<ref name="kin_p116" />。|group="注"}}でエースとなり、リーグ10連覇に貢献<ref name="sponichi_pt_1991_pro" />、最優秀投手賞を4回受賞<ref name="sponichi_pt_1991_pro" />する。


[[1990年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|1990年度ドラフト会議]]にて[[野村貴仁]]のクジを外した近鉄バファローズから3位指名を受けて入団。
愛称は「'''ハゲ魔神'''」。


{{by|1991年}}では中継ぎ中心に登板して6勝を挙げた。
== 経歴 ==

[[愛媛県立松山商業高等学校|松山商業高校]]時代の{{by|1986年}}に[[水口栄二]]らと[[第68回全国高等学校野球選手権大会|夏の甲子園]]に出場して準優勝に貢献した(当時は[[右翼手]]兼控え[[投手]])。[[近畿大学]]工学部([[呉市|呉]]キャンパス)進学後、同学部内硬式野球部([[広島六大学野球連盟]]所属チーム)でエースとなり、{{by|1990年}}の[[プロ野球ドラフト会議|ドラフト]]3位で[[大阪近鉄バファローズ|近鉄バファローズ]]に入団。ルーキーイヤーの{{by|1991年}}では中継ぎ中心に登板して6勝を挙げた。
{{by|1993年}}シーズンには、防御率2.00(厳密には1.995<!--小数点第3位以下を示す場合は切り捨て-->)を挙げ、近鉄では主に中継ぎ投手として活躍。

{{by|1995年}}シーズンには自身初の二桁10勝を挙げる。

{{by|1996年}}シーズンオフには中継ぎ投手として日本プロ野球史上初の1億円プレーヤーとなる。

{{by|1997年}}シーズンオフに渡米して[[フランク・ジョーブ]]博士による[[トミー・ジョン手術]]を受けた<ref>{{Cite web |title=第77回 復帰後は新たな“松坂伝説”を! |url=https://www.ninomiyasports.com/archives/12936 |access-date=2023-10-04 |language=ja |last=佐野慈紀 |date=2011-06-25 |website=SPORTS COMMUNICATIONS}}</ref><ref>{{Cite web |title=トミー・ジョン手術とは?費用やリハビリ方法・全知識 |url=https://www.toyoda-clinic.info/blog/injury/tommy-john/ |website=とよだクリニック・心療内科・内科・総合診療科 |access-date=2023-10-04 |language=ja |date=2019-01-06}}</ref>。

{{by|1998年}}は一軍登板はなかった(近鉄球団はリリーフ投手の穴埋めとして[[中根仁]]とのトレードで[[盛田幸妃]]投手を獲得した)。

{{by|1999年}}は[[4月4日]]開幕二戦目となる[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハムファイターズ]]二回戦にて先発[[ロブ・マットソン]]から代わり二番手として一軍復帰登板を果たし、[[7月7日]]の[[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]]戦でプロ初完封勝利を無四球で挙げるも<ref>2000 ベースボにール・レコード・ブック 94 - 95頁 1999年度主要記録集「佐野が9年目の初完封」より。</ref>、年間ではリリーフでも先発としても不本意な成績に終わり、同年のシーズンオフに[[梨田昌孝]]監督が就任して[[小池秀郎]]・[[善村一仁]]とともに[[門倉健]]・[[東瀬耕太郎]]・[[古池拓一]]との3対3の交換トレードで[[中日ドラゴンズ]]へ移籍<ref name="chuspo_web_19991107">[https://web.archive.org/web/20000815064638/http://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/ 2000年当時の中日スポーツウェブサイト内中日ドラゴンズポータル](インターネット・アーカイブ同8月15日付保存キャッシュ) → [https://web.archive.org/web/20000818002035/http://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/topics/topics.html 1999年度トピックス一覧](インターネット・アーカイブ2000年8月18日付保存キャッシュ) → [https://web.archive.org/web/20010305012407/http://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/topics/tp1107-2.htm (11月7日)門倉、古池、東瀬が近鉄へ移籍/小池、佐野、善村と電撃トレード](1999年11月7日付記事。インターネット・アーカイブ2001年3月5日付保存キャッシュ)を参照。</ref>。

{{by|2000年}}5月に一軍登録されたものの<ref name="sponichi_web_sekibetsu_2000_d" />、[[6月21日]]の対巨人戦(ナゴヤドーム)で1イニング4被本塁打の日本プロ野球タイ記録を作り<ref name="sponichi_web_sekibetsu_2000_d" />、翌日登録抹消<ref name="sponichi_web_sekibetsu_2000_d" />。以降、一軍への出場機会がないまま<ref name="sponichi_web_sekibetsu_2000_d" />、同年のシーズンオフに[[戦力外通告]]を受け、[[アメリカ合衆国]]へ渡る<ref>{{Cite web |title=完全燃焼目指し米球界挑戦 |url=http://www.nikkansports.com/news/baseball/00/intai/intai-chunichi.html |website=nikkansports.com |access-date=2023-10-04 |archive-url=https://web.archive.org/web/20010203070100/http://www.nikkansports.com/news/baseball/00/intai/intai-chunichi.html |archive-date=2001-02-03}}</ref><ref name="sponichi_web_sekibetsu_2000_d">{{Cite web |title=惜別球人2000 |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/sekibetsu/dragons.htm |website=スポニチAnnex |access-date=2023-10-04 |archive-url=https://web.archive.org/web/20010609012756/http://www.sponichi.co.jp/baseball/sekibetsu/dragons.htm |archive-date=2001-06-09}}</ref>。

{{by|2001年}}は[[独立リーグ]]の[[エルマイラ・パイオニアーズ]]でプレー<ref>{{Cite web |title=元近鉄の人気者・佐野慈紀が晩年の流転人生を振り返る「さすがに人間不信になりました」 - スポーツ - ニュース |url=https://wpb.shueisha.co.jp/news/sports/2015/02/01/42691/ |website=週プレNEWS[週刊プレイボーイのニュースサイト] |date=2015-02-01 |access-date=2023-10-04 |language=ja}}</ref>。

{{by|2002年}}は[[メジャーリーグベースボール|MLB]]の[[ロサンゼルス・ドジャース]]と[[マイナーリーグ|マイナー]]契約するも、[[リーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボル]]の[[キンタナロー・タイガース|メキシコシティ・タイガース]]へ移籍した後、エルマイラ・パイオニアーズに復帰する。

{{by|2003年}}に[[オリックス・バファローズ|オリックス・ブルーウェーブ]]へテスト入団し、日本球界へ復帰{{#tag:ref|2月9日にテスト合格を発表<ref name="hochi_web_20030209">[https://web.archive.org/web/20030408054605/http://www.yomiuri.co.jp/hochi/baseball/feb/o20030209_30.htm 元中日・佐野オリックス合格] - 『スポーツ報知』ウェブサイト野球ニュース2003年2月9日付(インターネット・アーカイブ同4月8日付保存キャッシュ)</ref>。同10日に正式に入団が発表された<ref>[https://web.archive.org/web/20030410170948/http://www.yomiuri.co.jp/hochi/baseball/feb/o20030210_80.htm BW佐野 年俸500万円背番号68] - 『スポーツ報知』ウェブサイト野球ニュース2003年2月10日付保存キャッシュ(インターネット・アーカイブ同4月10日付保存キャッシュ)</ref><ref>[http://www.47news.jp/CN/200302/CN2003021001000370.html オリックスが佐野獲得] - 『47NEWS』2003年2月10日12時41分付(ソース:共同通信)</ref>|group="注"}}。また、入団テストの頃より活動名義を「'''佐野 慈紀'''」へ変更{{#tag:ref|2003年当時の『スポーツ報知』ウェブサイト内各種記事より、1月17日のオリックス入団テスト発表時では「佐野重樹」と報道された<ref>[https://web.archive.org/web/20031004104018/http://www.yomiuri.co.jp/hochi/baseball/jan/o20030117_40.htm オリックスが元中日・佐野テスト 宮古島キャンプで] - 『スポーツ報知』ウェブサイト野球ニュース2003年1月17日付(インターネット・アーカイブ同10月4日付保存キャッシュ)</ref>が、テスト開始後となる2月3日の報道より「佐野慈紀(重樹から改名)」と記述<ref>[https://web.archive.org/web/20030410172738/http://www.yomiuri.co.jp/hochi/baseball/feb/o20030203_40.htm 野茂が佐野をゲキ励 テスト生に「死ぬ気でやれ」] - 『スポーツ報知』ウェブサイト野球ニュース2003年2月3日付(インターネット・アーカイブ同4月10日付保存キャッシュ)</ref>。同9日の報道でも「佐野慈紀(重樹から改名)」と記述<ref name="hochi_web_20030209" />。|group="注"}}。しかし、一軍登板は2試合にとどまり、現役を引退{{#tag:ref|参考:<ref name="sponichi_annex_selobetsi_2003">[https://web.archive.org/web/20031216184110/http://www.sponichi.co.jp/baseball/sekibetsu/2003/index.html スポニチアネックス内『惜別球人』2003年版](インターネット・アーカイブ同12月16日付保存キャッシュ) → [https://web.archive.org/web/20031221181624/http://www.sponichi.co.jp/baseball/sekibetsu/2003/bluewave.htm 第2回オリックス編](インターネット・アーカイブ同12月21日付保存キャッシュ)を参照。</ref>。2003年12月2日に[[日本野球機構]](NPB)から[[自由契約]]が公示された<ref>[http://www.npb.or.jp/players/2003pn_released.html 2003年度 自由契約選手] - 日本野球機構オフィシャルサイトより</ref>。|group="注"}}。

=== 引退後 ===
{{by|2004年}}より、野球評論家・解説者に転身{{#tag:ref|引退時に『スポニチアネックス』内で配信された記事より、進路について「フリーの野球解説者」と記載<ref name="sponichi_annex_selobetsi_2003" />。|group="注"}}。各テレビ・ラジオ局の番組に出演{{#tag:ref|『12球団全選手カラー百科名鑑』シリーズに掲載されるプロ野球解説者名鑑では2004年版から2006年版までCS系というくくりで紹介。2007年版<ref name="12kyudan_2007" />以降「NHK・BS」解説者として紹介(2015年現在。「」内局名表記は、原資料より)。|group="注"}}。{{by|2006年}}より、[[サンケイスポーツ]](大阪)評論家。

また、2003年に近鉄時代の同僚・[[野茂英雄]]らが設立した[[社会人野球]]チーム[[NOMOベースボールクラブ|NOMO Baseball Club]]の理事を{{by|2005年}}頃まで務めた{{#tag:ref|インターネット・アーカイブにおける、NOMO Baseball Club公式サイト内運営役員紹介ページの保存キャッシュ
* 現存最古(2003年創設時)<ref>[https://web.archive.org/web/20031205183946/http://www.nomo-baseball.jp/officer.html 2003年当時のNOMO Baseball Club公式サイト内運営役員紹介ページ](インターネット・アーカイブ同12月5日付保存キャッシュ) ※「佐野重樹」名義で記載。</ref>
* 最後に佐野が理事として明記された時の保存版<ref>[https://web.archive.org/web/20050205202617/http://www.nomo-baseball.jp/officer.html 2005年2月当時のNOMO Baseball Club公式サイト内運営役員紹介ページ](インターネットアーカイブ同5日付保存キャッシュ) ※「佐野重樹」名義で記載。</ref>|group="注"}}。

{{by|2011年}}は[[独立リーグ]]・[[ベースボール・チャレンジ・リーグ|BCリーグ]](BCL)の[[石川ミリオンスターズ]]で応援広報大使を務め、翌{{by|2012年}}より[[取締役]]に就任した{{R|san-office}}。

{{by|2015年}}より、「プロ野球の有名OB(解説者)が野球について語り尽くす動画サイト」として開設された「OBTV」に出演{{#tag:ref|参考…<ref>[http://baseball.obtv.jp/about OBTVについて] - OBTVより</ref><ref>[https://ameblo.jp/setupper-sano/entry-12007256760.html OBTV] - 『佐野慈紀のピッカリブログ』2015年3月28日19時31分25秒</ref>|group="注"}}。


{{by|2018年}}より[[ジーニー堤]]が経営する芸能事務所がマネージメントを請け負うと発表された<ref>{{Cite web |title=“借金問題”謝罪の佐野慈紀氏 お笑い芸人経営事務所がマネジメント「どのようなお仕事でも…」 |url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/10/26/kiji/20181026s00041000225000c.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2023-10-04 |language=ja |date=2018-10-26}}</ref><ref>{{Cite web |title=佐野 慈紀 |url=https://entame-g.com/talent_post/%E4%BD%90%E9%87%8E%E6%85%88%E7%B4%80/ |website=ジーニーズエンターテイメント|GENIE'S ENTERTAINMENT |access-date=2023-10-04 |language=ja}}</ref>。
{{by|1993年}}には、防御率2.00(厳密には1.995<!--小数点第3位以下を示す場合は切り捨て-->)を挙げ、近鉄では主に中継ぎ投手として活躍。{{by|1996年}}オフには中継ぎ投手として日本プロ野球史上初の1億円プレーヤーとなる。


2018年12月より、知人に紹介された飲食店のコンサルタント会社の社長の運転手をしていた<ref>{{Cite web |title=野茂英雄氏と借金トラブル 元1億円投手の佐野慈紀さんは今|あの人は今こうしている |url=https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/247450 |website=日刊ゲンダイDIGITAL |date=2019-02-18 |access-date=2023-10-04}}</ref>。
しかし{{by|1998年}}、肘の故障で一軍登板はなく、{{by|1999年}}は[[7月7日]]の[[福岡ダイエーホークス]]戦でプロ初完封勝利を無四球で挙げるも<ref>2000 ベースボール・レコード・ブック 94〜95頁 1999年度主要記録集「佐野が9年目の初完封」より。</ref>、不本意な成績に終わり、同年オフに[[小池秀郎]]・[[善村一仁]]とともに、[[門倉健]]・[[東瀬耕太郎]]・[[古池拓一]]との交換トレードで[[中日ドラゴンズ]]へ移籍(同時に[[登録名]]を'''佐野 慈紀'''に改名)。しかし中日でも結果を残せず、{{by|2000年}}オフに[[戦力外通告]]を受け、渡米。


2019年より、野球少年たちを相手にしたピッカリ対決を[[YouTube]]において披露している。
{{by|2001年}}は[[アメリカ合衆国|アメリカ]][[独立リーグ]]の[[エルマイラ・パイオニアーズ]]でプレー。{{by|2002年}}は[[ロサンゼルス・ドジャース]]とマイナー契約するも、[[メキシカンリーグ]]の[[キンタナロー・タイガース|メキシコシティ・タイガース]]に移籍した後、エルマイラ・パイオニアーズに復帰する。


かねてから[[糖尿病]]の治療を行っており、[[インスリン製剤|インスリン]]療法や[[人工透析]]を行っていた<ref name="flash0515">[https://smart-flash.jp/lifemoney/286143/1/1/ 元近鉄・佐野慈紀氏 右腕切断後「やれることがあったんじゃないか」と痛感…「糖尿病は本当に怖い」心から訴え] - Smart FLASH 2024年5月15日</ref>。
{{by|2003年}}に[[オリックス・バファローズ|オリックス・ブルーウェーブ]]にテスト入団。入団テスト合格を祝して、近鉄時代の先輩であり同僚となった[[吉井理人]]にシェービングクリームで作られたクリームパイを顔面に押しつけられ祝福される。しかし一軍登板は2試合にとどまり、再渡米。{{by|2004年}}から{{by|2005年}}まで再びエルマイラ・パイオニアーズに所属。


2023年4月中旬、足底の激痛を訴え、主治医の診察を受けたところ[[急性動脈閉塞症|重症下肢虚血]]であることが判明し入院。同年5月末に[[骨髄炎]]状態となっていた足裏の骨(中指)を一部切断する手術を受け無事に終了し、療養中であることを自身のブログで公表している<ref>{{Cite web |title=元近鉄・佐野慈紀氏が足裏手術で「骨を一部切断」 4月に「重症下肢虚血」で緊急入院していた |url=https://www.daily.co.jp/baseball/2023/06/03/0016428769.shtml |website=デイリースポーツ online |date=2023-06-03 |access-date=2023-10-04 |language=ja}}</ref>。さらに[[動脈硬化]]が進行し、血流を改善するカテーテル治療も受けていたという<ref name="flash0515"/>。
[[2006年]]より[[サンケイスポーツ]](大阪)評論家。また日本とアメリカそれぞれで野球チームを[[野茂英雄]]と共同運営している。


2024年4月30日、自身のブログにおいて、前年12月に糖尿病の影響により感染が悪化したため、指先(右手人差し指と中指)を切断した事や同年1月に[[心臓弁膜症]]を発症した事など、入院中の経緯を説明したうえで、翌5月1日に感染の悪化から右腕を切断する手術を受ける事を公表した<ref>{{Cite web |title= 56歳 |url=https://ameblo.jp/setupper-sano/entry-12850210347.html |date=2024-04-30 |access-date =2024-04-30 }}</ref><ref>{{Cite web|url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2024/04/30/kiji/20240430s00001173126000c.html|title=佐野慈紀氏 右腕切断手術受けると告白 糖尿病からの感染症進み…「生きる為には乗り越えないと」|accessdate=2024-05-01|publisher=スポニチ}}</ref><ref name="flash0515"/>。同日の手術は無事に終了し、今後はリハビリ生活に入る<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/news/202405020000368.html 佐野慈紀氏がブログ更新「無事に」1日に右腕切断手術] - 日刊スポーツ 2024年5月2日</ref>。
[[2011年]]は[[独立リーグ]]の[[BCリーグ]][[石川ミリオンスターズ]]の応援広報大使を務め、翌年の[[2012年]]より取締役に就任している。


== 人物 ==
== 人物 ==
球界きっての明るい性格・芸達者で知られ、若手時代から髪が薄いことを自虐ネタとして大いに披露していた。[[島田紳助]]からは「今すぐ引退してお笑い芸人になっても十分生活できる」と絶賛されるほどであった。
球界きっての明るい性格・芸達者で知られ、若手時代から髪が薄いことを自虐ネタとして大いに披露していた。[[島田紳助]]からは「今すぐ引退してお笑い芸人になっても十分生活できる」と絶賛されるほどであった{{#tag:ref|各種出版物より、次のような記述が見られる
* 『12球団全選手カラー百科名鑑2010』…『島田紳介に「今すぐ引退しても芸人で食べていける」と褒められたことも。』との記述あり(『』内は原文より引用)<ref>12球団全選手カラー百科名鑑2010(『廣済堂ベストムック』151号。2010年2月17日発売、廣済堂あかつき発行。コード:ISBN 4331801543)P275掲載プロフィール</ref>。
* 自らを'''『チビで、デブで、ハゲ』'''と三拍子揃っていると自慢していた。
* 『プロ野球&メジャーリーグ解説者名鑑 ただいま放送席の音声のみでお送りしています』…『自らを“チビで、デブで、ハゲの三拍子揃った男”と自慢する佐野を、島田紳助は「今すぐ芸人になってもやっていける」と絶賛。』との記述あり(『』内は原文より引用)<ref name="p_and_m_km_2013_pro">『プロ野球&メジャーリーグ解説者名鑑 ただいま放送席の音声のみでお送りしています』P50掲載プロフィール</ref>。|group="注"|name="sano_shinsuke"}}。このほか、以下のような、ハゲ頭関連のエピソードが見られる(箇条書き部分を参照)。
* 対オリックス戦でワインドアップの際、高々と上げた両腕が帽子に当たり、帽子がずれて頭があらわになってしまった。このまま投げていいものか迷っていたら、打者の[[中嶋聡]]が笑いながらタイムをコールし、投げずに済んだ。その年のオフに『[[プロ野球珍プレー・好プレー大賞]]』にゲスト出演した際に「これは何投法と言うのですか?」と聞かれ、自ら「必殺!テカテカ投法」と命名。リクエストに応え、番組放送直前に行われた東西対抗野球で披露し、番組内でVTRが流された。
* 自らを'''『チビで、デブで、ハゲ』'''と三拍子揃っていると自慢していた<ref group="注" name="sano_shinsuke" />。もっとも、身長はプロ野球選手平均よりはやや低めという程度で、一般人に比べれば高い。
* 自虐的な歌'''「♪ハゲ、ハゲ、ハゲ・ハゲ・シゲ~ みんなで歌おう ハゲ・ハゲ・シゲ」'''という[[ゲゲゲの鬼太郎 (曲)|ゲゲゲの鬼太郎]]の替え歌を同僚の[[池上誠一]]と歌っていた。
* 対オリックス戦でワインドアップの際、高々と上げた両腕が帽子に当たり、偶然、前頭部があらわになった。このまま投げていいものか迷っていたら、打者の[[中嶋聡]]が笑いながらタイムをコールしたため、投げずに終わった。その年のオフの『[[プロ野球珍プレー・好プレー大賞]]』にゲスト出演した際に「これは何投法と言うのですか?」と聞かれ、自ら「必殺!テカテカ投法」と命名。リクエストに応え、番組放送直前に行われた東西対抗野球で披露し、番組内でVTRが流された。
* '''「カツラ業界の皆さん、ドラフト1位でどうですか?」'''、'''「[[アルシンド・サルトーリ|アルシンド]]になってるよー!」'''などの持ちネタがあり、[[アートネイチャー]]のCM曲の替え歌'''「男はオオカミ 俺は少髪(しょうかみ)」'''なども歌っていた。
* オリックス在籍時は、その頃から自分と同じく頭が薄い[[和田一浩]](西武に在籍)をライバル視していた<ref name="p_and_m_km_2013_pro" />。
* 『[[プロ野球オールスタースポーツフェスティバル]]』で、ハゲ頭の[[かつら (装身具)|カツラ]]をつけて登場し、[[バスケットボール]]の[[シュート (バスケットボール)|シュート]]をする際、ボールを[[ドリブル]]しゴールに近づいた瞬間にカツラを取り、それをボール代わりにシュートして大爆笑を誘った。
* 『[[ゲゲゲの鬼太郎 (曲)|ゲゲゲの鬼太郎]]』の歌を'''「♪ハゲ、ハゲ、ハゲ・ハゲ・シゲ~ みんなで歌おう ハゲ・ハゲ・シゲ」'''という替え歌にし、同僚の[[池上誠一]]と歌っていた。
*1997年8月31日の[[福岡ダイエーホークス|ダイエー]]戦で代走として出場したことがある。
* '''「カツラ業界の皆さん、ドラフト1位でどうですか?」'''、'''「[[アルシンド・サルトーリ|アルシンド]]になってるよー!」'''などのネタがあり、[[アートネイチャー]]のCM曲の替え歌'''「男はオオカミ 俺は少髪(しょうかみ)」'''なども歌っていた。
* 近鉄時代の1999年に当時の大阪府知事の[[横山ノック]]が大阪ドームで始球式に登場した試合の先発を務めたが、プロ野球の珍プレー・好プレーの特番でほぼ同じ箇所がハゲていたせいかノックとのツーショットシーンを「親子競演(ノックが佐野の父親)」などと言われたことがある。
* 『[[プロ野球No.1決定戦!バトルスタジアム|プロ野球オールスタースポーツフェスティバル]]』で[[バスケットボール]]競技にハゲの[[かつら (装身具)|カツラ]]をつけて登場。[[シュート (バスケットボール)|シュート]]をする際に[[ドリブル]]していたボールを捨ててカツラを取り、ボール代わりにシュートした。
* オリックス在籍時は、その頃から自分と同じく頭が薄い[[和田一浩]](当時,西武に在籍)をライバル視していた。
* そのユーモア精神は今も健在であり、野茂主催のチャリティー野球教室で、勢い余ってフェンスに激突し、司会の人に「佐野さん、怪我ないですかー?」と聞かれ、「はーい怪我(毛がないでーす…やかましいわ!!(笑)」と言い、場内を爆笑の渦に巻き込んだ
* 野茂主催のチャリティー野球教室で、捕球の際に勢い余ってフェンスに激突し、司会からの「佐野さん、怪我ないですかー?」と心配する声に「はーい毛がないでーす」と返答した
* 「テカテカ投法」は最終的に「ピッカリ投法」と言う名前に落ち着き、[[プロ野球マスターズリーグ]]や[[モルツ#モルツ球団|モルツドリームマッチ]]などのOB戦では牽制球の際にも帽子を落とす「ピッカリ牽制」も見せている。
* 「テカテカ投法」は最終的に「ピッカリ投法」と言う名前に落ち着き、[[プロ野球マスターズリーグ]]や[[モルツ球団|モルツドリームマッチ]]などのOB戦では牽制球の際にも帽子を落とす「ピッカリ牽制」も見せている。また、ドリームマッチでは同じくハゲ仲間の[[小田幸平]]とバッテリーを組み和田と対戦し、何らかの切っ掛けで帽子、ヘルメットを飛ばして乱闘する「ピッカリ劇場」が恒例行事となっている。
** 2017年には佐野、小田共に金色に輝くグラブとミットでバッテリーを組んだほか、同じく頭が薄い鈴木球審、大和塁審も巻き込んでネタを披露した。
* [[セガサターン]]ソフト[[プロ野球チームをつくろう!|プロ野球チームもつくろう!]]では、選手のデフォルメキャラクターは通常所属しているチームの帽子をかぶっているが、佐野のデフォルメキャラクターは帽子をかぶっておらず禿頭で、おでこの部分に近鉄の猛牛マークの[[入れ墨|刺青]]を入れている設定になっている。なおこのゲーム内でプレイヤーが近鉄以外の球団を経営し、トレードなどで近鉄から佐野を獲得した場合、前述の刺青は反映されず、禿頭のままになる。
** 2018年には横の髪を1年間延ばし続け、挙げ句当日朝にパーマをかけるという仕込みで脱ハゲ疑惑を演出、前年に巻き込んだ2人の審判も含めた4人の抗議を受けるも最終的にピッカリ投法で光り輝く頭頂部を見せて4人と和解するというネタを披露した。この年は和田にヒットを打たれるも、ピッカリ牽制で見事刺している。
* [[1998年]]に[[セガサターン]]用ソフトとして発売された、プロ野球球団経営シミュレーションゲーム『[[プロ野球チームをつくろう!|プロ野球チームもつくろう!]]』では、選手のデフォルメキャラクターは通常所属チームの帽子をかぶっているが、佐野は帽子をかぶっておらずハゲ頭で、おでこの部分に近鉄の猛牛マークの[[入れ墨|刺青]]が入った設定となっている{{#tag:ref|ハゲ頭のグラフィックについては、『プロ野球チームもつくろう! オフィシャルガイドブック イケイケ編』(1998年、ソフトバンク出版事業部発行。コード:ISBN 4797305142)内の選手名鑑にも掲載されている。|group="注"}}。これは、監修者・野茂の強い要望で実現したものである<ref>{{Cite web |title=佐野 慈紀|スペシャルインタビュー |url=http://www.yakyutsuku-online.com/hangame/library/special/vol05/ |website=プロ野球チームをつくろう!ONLINE 2 |access-date=2023-10-04 |archive-url=https://web.archive.org/web/20100430215222/http://www.yakyutsuku-online.com/hangame/library/special/vol05/ |archive-date=2010-04-30}}</ref>。なお、プレイヤーが近鉄以外の球団を経営し、トレードなどで近鉄から佐野を獲得した場合、前述の刺青は反映されず、ハゲ頭のままになる。


1997年8月31日の対[[福岡ソフトバンクホークス|ダイエー]]戦([[大阪ドーム]])では、延長最終回となる12回裏に[[フィル・クラーク (内野手)|フィル・クラーク]]の[[代走]]として出場した。しかし次打者の[[山本和範]]が凡退したため、本塁生還はならなかった。
現役時代は個人[[ホームページ]]を開設し、ファンからの質問にも丁寧に答えていた。また、このホームページ上で着信時に頭の部分が光るサノピーストラップなるキャラクタグッズを販売していた。


現役時代は個人[[ホームページ]]が存在{{#tag:ref|[[1998年]][[9月15日]]、MC21(Management Consulting 21)により企画・制作・開設<ref>[https://web.archive.org/web/20021124005537/http://www.000.nu/mc21/seika.html MC21公式サイト内事業実績ページ](インターネット・アーカイブ2002年11月24日付保存キャッシュ)</ref>。|group="注"}}し、ファンからの質問にも答えていた。また、2000年にはホームページ上を通じ、着信時に頭の部分が光る「サノピーストラップ」というキャラクターグッズを販売していた{{#tag:ref|参考…<ref>[https://web.archive.org/web/20000823030404/http://www.sanop.com/ 2000年8月当時の佐野重樹公式ホームページ](インターネット・アーカイブ同23日付保存キャッシュ)</ref>。販売は、次のサイトが直接担当<ref>[https://web.archive.org/web/20000919055656/http://www.sporction.com/onsale/sanop.html スポーツ専門オークションサイト『SPORCTION』内サノピーストラップ発売告知ページ](インターネット・アーカイブ2000年9月19日付保存キャッシュ)</ref>。|group="注"}}。
[[野茂英雄]]の親友としても知られ、野茂がシーズンオフに帰国すると連れ立って[[吉井理人]]、[[赤堀元之]]らと共に[[バラエティ番組]]に出演していた。自ら「野茂成金」と公言していた。以前に野茂と一緒に出演した「[[さんまのまんま]]」では、少年野球教室にチャリティーで来てくれないかと野茂と一緒に明石家さんまに依頼した。その際に、野球教室にさんまがノーギャラで駆けつけることを半ば強制的に約束させただけでなく、野球教室に必要な資材や、今後の野球人口育成のためにボール・バット等の寄付をねだった。挙句の果てにはさんまから「そんな事言われても、訪問するのにも準備要るし、行ったらすぐに帰れへんやないか。(場所は大阪だったらしいが)第一泊まりの準備もいるやろ」と文句を言われたら、すかさず「ウチ(佐野の自宅)に泊まって下さいよ~!」とあっさり返し、これにはさんまも「撃沈」されてしまった。

近鉄時代の同僚・[[中根仁]]が立ち上げた元アスリートのセカンドキャリア情報配信などを行うポータルサイト「アスリート街.com」の協力スタッフとして活動している<ref>{{Cite web |title=アスリート街.comご協力スタッフ |url=https://www.athletegai.com/p-staff/ |website=アスリート街.com |date=2017-08-08 |access-date=2023-10-04 |language=ja}}</ref>。

野球用電子スコアブックシステム「Touch Score」の監修者<ref name="ts_net">[http://touchscore.net/ 野球用電子スコアブックシステム「Touch Score」配信ホームページ]</ref><ref name="ts_press_20110801_prnavi">[http://prnavi.jp/wordpress/wp-content/uploads/2011/08/e993002f41bf79bed89daad6123196b1.pdf 全国 1,700 万人の野球ファンに贈る 野球用 電子スコアブックシステムの販売開始] - [[2011年]][[8月1日]]、有限会社セットアッパー・株式会社CTU連名によるプレスリリース (prnavi.jpで配信された、[[PDF]]文書ファイル)</ref>。


== 詳細情報 ==
== 詳細情報 ==
98行目: 137行目:
|-
|-
|style="text-align: center;"|{{by2|1999}}
|style="text-align: center;"|{{by2|1999}}
|28||8||1||1||1||3||8||1||--||.273||325||72.1||85||13||27||1||5||26||1||0||46||44||5.47||1.55
|28||8||1||1||1||3||8||1||--||.273||325||72.1||85||13||27||1||5||26||1||1||46||44||5.47||1.55
|-
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|style="text-align: center;"|{{by2|2000}}
|style="text-align: center;"|{{by2|2000}}
109行目: 148行目:
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!colspan="2"|通算:10年
!colspan="2"|通算:10年
|353||11||1||1||1||41||31||27||--||.569||2772||648.1||699||78||210||24||19||414||10||0||301||274||3.80||1.40
|353||11||1||1||1||41||31||27||--||.569||2772||648.1||699||78||210||24||19||414||10||1||301||274||3.80||1.40
|}
|}
* 各年度の'''太字'''はリーグ最高
* 各年度の'''太字'''はリーグ最高
122行目: 161行目:
* 初セーブ:1991年7月6日、対[[オリックス・バファローズ|オリックス・ブルーウェーブ]]16回戦([[神戸総合運動公園野球場|グリーンスタジアム神戸]])、8回裏2死に3番手で救援登板・完了、1回1/3を無失点
* 初セーブ:1991年7月6日、対[[オリックス・バファローズ|オリックス・ブルーウェーブ]]16回戦([[神戸総合運動公園野球場|グリーンスタジアム神戸]])、8回裏2死に3番手で救援登板・完了、1回1/3を無失点
* 初先発:1992年9月24日、対オリックス・ブルーウェーブ26回戦(グリーンスタジアム神戸)、6回2/3を2失点(自責点1)
* 初先発:1992年9月24日、対オリックス・ブルーウェーブ26回戦(グリーンスタジアム神戸)、6回2/3を2失点(自責点1)
*初先発勝利:1997年8月14日、対オリックス・ブルーウェーブ19回戦([[大阪ドーム]])、7回1失点
* 初先発勝利:1997年8月14日、対オリックス・ブルーウェーブ19回戦([[大阪ドーム]])、7回1失点
*初完投勝利・初完封勝利:1999年7月7日、対福岡ダイエーホークス17回戦(大阪ドーム)
* 初完投勝利・初完封勝利:1999年7月7日、対福岡ダイエーホークス17回戦(大阪ドーム)


=== 背番号 ===
=== 背番号 ===
* '''37''' (1991年 - 1994年){{#tag:ref|次の資料を参照<ref name="bbm_2006_summer">『ベースボールマガジン』2006年夏季号(第30巻・第3号・通巻167号。2006年7月1日、ベースボール・マガジン社発行)に掲載された、NPB球団別背番号年表(1950年から2006年シーズン途中までのNPB全球団における、年度毎の背番号別メンバー一覧表)。</ref><ref name="kin_sebango">『近鉄バファローズ球団史』に掲載された、背番号年表。</ref>。|group="注"}}
* '''37''' (1991年 - 1994年)
* '''14''' (1995年 - 1999年)
* '''14''' (1995年 - 1999年){{#tag:ref|次の資料を参照<ref name="bbm_2006_summer" /><ref name="kin_sebango" />。|group="注"}}
* '''31''' (2000年)
* '''31''' (2000年){{#tag:ref|次の資料を参照<ref name="bbm_2006_summer" />。|group="注"}}
* '''11''' (2001年)<ref name="ep_web_ros_2001_0620">[https://web.archive.org/web/20020210151933/http://www.elmirapioneers.com/roster.html 2001年6月20日現在のエルマイラ・パイオニアーズ公式サイト内選手一覧](英語。インターネット・アーカイブ2002年2月10日付保存キャッシュ)</ref>
* '''68''' (2003年)
* '''41''' (2002年) ※エルマイラ在籍時<ref name="ep_web_ros_2002_0730">[https://web.archive.org/web/20020810193518/http://elmirapioneers.com/roster.html 2002年7月30日現在のエルマイラ・パイオニアーズ公式サイト内選手一覧](英語。インターネット・アーカイブ同8月10日付保存キャッシュ)</ref>
* '''68''' (2003年){{#tag:ref|次の資料を参照<ref name="bbm_2006_summer" />。|group="注"}}


=== 登録名 ===
=== 登録名 ===
*'''佐野 重樹''' (さの しげき、1991年 - 1999年)
* '''佐野 重樹''' (さの しげき、1991年 - 2000年){{#tag:ref|次の資料を参照<ref name="bbm_2006_summer" />(近鉄在籍時=1999年まで<ref name="kin_sebango" />。|group="注"}}
* '''Shigeki Sano''' (2001年・2002年){{#tag:ref|所属当時のエルマイラ・パイオニアーズ公式サイト内選手一覧を参照<ref name="ep_web_ros_2001_0620" />。2002年度シーズン当時は、ファミリーネームより表記('''Sano Shigeki''')<ref name="ep_web_ros_2002_0730" />。|group="注"}}
*'''佐野 慈紀''' (さの しげき、2000年 - )
* '''佐野 慈紀''' (さの しげき、2003年){{#tag:ref|次の資料を参照<ref name="bbm_2006_summer" />(重樹より改名の旨も記載<ref name="bbm_2006_summer" />)。一部資料では、2000年・2003年の登録名と誤記<ref name="kin_p116">『近鉄バファローズ球団史 1950-2004』P116</ref>。|group="注"}}


== 関連情報 ==
== 関連情報 ==
=== 現在の出演番組 ===
=== 出演番組 ===
参考{{#tag:ref|『ORICON STYLE』芸能人事典内「佐野慈紀」情報ポータル(外部リンク)より、テレビ出演情報を参照。|name="oricon_s_sano_tv"}}{{#tag:ref|2013年発行の書籍『プロ野球&メジャーリーグ解説者名鑑 ただいま放送席の音声のみでお送りしています』巻末の解説者リストでは、NHK-BS MLB中継、読売テレビ、Tigers-ai、フリーそれぞれの一覧に「佐野慈紀」の名前が記載。|group="注"|name="2013_meikan"}}
* [[メジャーリーグ中継 (NHK)|NHK-BS メジャーリーグ中継]]
* [[Dramatic Game 1844]](読売テレビローカル)
* [[ズームイン!!SUPER]](読売テレビのローカルパートのみ)
* [[Tigers-ai]]
* [[サタデースポーツ]]、[[サンデースポーツ]]


* プロ野球中継(MLB)
=== 過去の出演 ===
** [[メジャーリーグ中継 (NHK)|NHK制作分]]([[NHK BS1]]) - 解説{{#tag:ref|『12球団全選手カラー百科名鑑』シリーズでは、2007年版から「NHK・BS」と明記<ref name="12kyudan_2007" />。最初の掲載時には、「BS大リーグ解説」という記述あり<ref name="12kyudan_2007" />。|group="注"}}<ref group="注" name="2013_meikan" />
* 映画:[[恋と花火と観覧車]](1996年) - 41歳独身で糖尿病もちの電気屋のおっさん役で出演(佐野は当時28歳)
** 『メジャーリーグ中継』([[テレビ東京]]) - 2013年頃より、直前にセットで放送される情報番組『MLB宣言』とともに解説を担当{{#tag:ref|参考…2013年6月16日ブリュワーズタイレッズ戦中継<ref name="oricon_s_sano_tv" /><ref>[https://ameblo.jp/setupper-sano/entry-11553710543.html 近鉄バファローズ!] - 『佐野慈紀のピッカリブログ』2013年6月16日18時4分付</ref>|group="注"}}
* CM:[[住友生命保険|住友生命]]
* プロ野球中継(NPB) - 解説
* TV番組:[[とんねるずのみなさんのおかげでした]]
** [[次の瞬間、熱くなれ。THE BASEBALL|読売テレビローカル向け中継]]<ref group="注" name="2013_meikan" />
: ※ともに[[松嶋菜々子]]との競演
** [[Tigers-ai]]制作[[阪神タイガース]]主催試合中継<ref group="注" name="2013_meikan" />
*** [[スカイ・Aスタジアム]]([[スカイ・エー|スカイ・A]]配信分)
*** [[GAORAプロ野球中継]]([[GAORA]]配信分)
** 『[[J SPORTS STADIUM]]』{{#tag:ref|2004年当時すでに担当<ref name="jspo_web_pro_2004_0620">参考リンク(インターネット・アーカイブの保存キャッシュ)…[https://web.archive.org/web/20040619190619/http://www.jsports.co.jp/program_guide/month/japanese/today.html J SPORTS公式サイト内2004年6月20日の番組表](同19日付保存キャッシュ)→[https://web.archive.org/web/20040610031040/http://www.jsports.co.jp/program/info/4125.html 『J SPORTS STADIUM2004 オリックス vs. 大阪近鉄(06/20)』(12:45より、J SPORTS 3で放送予定)番組情報](同10日付保存キャッシュ)を参照。※解説者として明記(ただし、「佐野 慈樹」と誤記)。</ref>|group="注"}}
** 『[[文化放送ライオンズナイター]]』{{#tag:ref|参考:2004年<ref>[https://web.archive.org/web/20040803034227/http://www.joqr.co.jp/spo_q/ 2004年8月当時の文化放送スポーツサイト](インターネット・アーカイブ同3日付保存キャッシュ)より、8月5日放送予定の『ライオンズナイター』近鉄対西武戦の解説として明記。</ref>、2005年<ref>[https://web.archive.org/web/20050516000343/http://www.joqr.co.jp/spo_q/ 2005年5月当時の文化放送スポーツサイト](インターネット・アーカイブ同16日付保存キャッシュ)より、5月18日放送予定の『ライオンズナイター』阪神対西武戦の解説として明記。</ref>、2006年<ref>[https://web.archive.org/web/20060507054016/http://tv.nikkansports.com/tv.php?mode=20&site=007&sort=d&sdate=20060428&shour=05&lhour=24&area=008&ldate=2&genre=D2&template=genre&category=rn 2006年4月28日から30日早朝までの東京地区におけるラジオ野球番組一覧表] - 『tv.nikkansports.com』(インターネット・アーカイブ同5月7日付保存キャッシュ)より、同28日17:50 - 21:30に文化放送で放送予定の『プロ野球〜スカイマーク オリックス×西武』番組情報を参照。「佐野慈紀」のクレジットあり。</ref>|group="注"}}
** 『[[MBSベースボールパーク|MBSタイガースライブ]]』([[MBSラジオ]]。2013年4月20日のオリックス対ソフトバンク戦中継で、[[山内和宏]]とともにゲスト解説として出演){{#tag:ref|参考…2013年4月20日の放送予定を記した出典<ref name="mbs_web_b_onair_2013_03-04">[https://web.archive.org/web/20130329204645/http://www.mbs.jp/tigers/onair.shtml MBS(毎日放送)公式サイト内テレビ・ラジオプロ野球中継放送予定表(2013年3・4月分)] - インターネット・アーカイブ同年3月29日付保存キャッシュ ※ゲスト解説の欄に佐野、解説の欄に山内和宏の名が記載(佐野は「佐野 滋紀」と誤記)。</ref>、同日の放送を記した出典<ref>[http://www.mbs.jp/announcer/blog/13/201304.shtml MBS公式サイト『赤木誠のベースボールワールド』2013年4月23日付配信分] ※20日のオリックス対ソフトバンク戦中継で実況を担当した[[赤木誠]](MBSアナウンサー)のブログ。山内がゲスト解説を務めていたことが明記(「山内和弘」と誤記)。</ref><ref>[https://ameblo.jp/setupper-sano/entry-11515711414.html だからプロ野球は面白い!] - 『佐野慈紀のピッカリブログ』2013年4月21日17時46分付 ※20日のオリックス対ソフトバンク戦でラジオの解説を務めた旨が記載(局名については明記されず)。</ref>|group="注"}}
** 『[[侍プロ野球]]』([[BS-TBS]]。2014年に担当{{#tag:ref|2014年当時の『侍プロ野球』解説担当については、次の資料を<ref>[http://www.bs-tbs.co.jp/genre/detail/episode/?mid=probaseball2014 BS-TBS公式サイト内『侍プロ野球2014』過去の放送予定一覧] ※6月11日のロッテ対阪神、同13日の西武対広島を参照。</ref>参照。|group="注"}})
** [[全力闘球|BSジャパン向け中継]](2015年6月21日に京セラドーム大阪で開催されたオリックス対西武戦を担当{{#tag:ref|参考…<ref>[https://www.bs-tvtokyo.co.jp/sportsportal/ BSジャパン スポーツ総合サイト]より、『プロ野球 2015 オリックス×西武』の番組情報を参照。</ref><ref>[http://www.bs-j.co.jp/program/detail/21667_201506211400.html プロ野球全力闘球 2015 オリックス×西武] - BSジャパン公式サイト内番組情報</ref><ref>『東奥日報』2015年6月21日付朝刊ラテ欄(BS・CS・ラジオほかの番組表掲載面)より、「BSジャパン」番組表を参照。</ref>|group="注"}})
* [[ズームイン!!SUPER]]([[日本テレビ系列]]。読売テレビのローカルパートのみ)
* [[サタデースポーツ]]、[[サンデースポーツ]](以上、[[NHK総合テレビジョン|NHK総合テレビ]])


=== 出演映画 ===
* [[J SPORTS STADIUM]]
* [[恋と花火と観覧車]](1997年) - 41歳独身で糖尿病もちの電気屋のおっさん「海老原義和」役で出演(佐野は当時28歳){{#tag:ref|参考:
* 出演情報(登場人物名も記載)…<ref>{{Allcinema title|153122|恋と花火と観覧車}}</ref><ref>{{Kinejun title|29714|恋と花火と観覧車}}</ref>
* 「20代の佐野慈紀が41歳糖尿持ちモテない男を演じきった『恋と花火と観覧車』('97年)」と紹介された記事<ref>[http://number.bunshun.jp/articles/-/182302?page=4 『マネーボール』から水島作品まで、正月必見の“野次馬的”野球映画。(4/4)] - [野次馬ライトスタンド] - Number Web - ナンバー 2012年1月2日8時2分配信(文:村瀬秀信)</ref>|group="注"}}


==脚註==
=== 出演CM ===
* [[住友生命保険|住友生命]] ※[[松嶋菜々子]]との共演

== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{reflist}}
{{Reflist|group="注"|2}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2|refs=
<ref name="sponichi_web_meikan_2003">[https://web.archive.org/web/20030416053520/http://www.sponichi.co.jp/baseball/meikan/2003/bluewave/68.htm 2003年当時、『[[スポニチアネックス]]』内で配信されたプロフィール] ([[インターネットアーカイブ]]同[[4月16日]]付保存キャッシュ)</ref>
}}

== 参考資料 ==
* [[スポーツニッポン新聞社]]編『'91スポニチプロ野球手帳』(1991年2月24日印刷発行、洋々社発売<ref>『'91スポニチプロ野球手帳』目次ページ(P1)内発行情報欄より(発行元クレジット無し)。</ref>) ISBN 4-89674-091-2
* 近鉄バファローズ球団史 1950-2004(『B.B.MOOK』833「スポーツシリーズ」NO.703。2012年8月4日発行・発売、ベースボール・マガジン社発行)ISBN 978-4583618692
* [[古矢徹]]著『プロ野球&メジャーリーグ解説者名鑑 ただいま放送席の音声のみでお送りしています』(2013年7月1日、メタモル出版発行)ISBN 978-4-89595-8448
** P50にプロフィール、P51に解説者としてのエピソードが掲載。
** P158-159掲載の解説者リスト(P159に、同年6月20日現在の情報である旨が明記)
* 各種外部リンク
** [https://web.archive.org/web/20031001134426/http://www.yomiuri.co.jp/hochi/baseball/index.htm 2003年当時の『スポーツ報知』ウェブサイト内野球ポータルサイト](インターネット・アーカイブ同10月1日付保存キャッシュ)
*** [https://web.archive.org/web/20030811181004/http://www.yomiuri.co.jp/hochi/baseball/conts11.htm 2003年1月6日から8月2日までのオリックス関連記事バックナンバー一覧](インターネット・アーカイブ同8月11日付保存キャッシュ)

'''備考'''
<references />


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
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== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
{{NPB|51653883|佐野慈紀}}
* [http://www.sanoshigeki.com/ 佐野慈紀オフィシャルサイト]
* [http://ameblo.jp/setupper-sano/ 佐野慈紀のピッカリブログ]
* [https://ameblo.jp/setupper-sano/ 佐野慈紀のピッカリブログ]
*{{Twitter|shigekisano}}
*{{Twitter|shigekisano}}
* [https://web.archive.org/web/20070315175824/http://www.setupper.com/kaisya/index.html 有限会社セットアッパー(所属事務所)公式サイト内プロフィール] - インターネット・アーカイブ2007年3月15日付保存キャッシュ
* [http://www.baseball-reference.com/minors/player.cgi?id=sano--001shi Baseball-Reference選手の通算成績] - Shigeki Sano Minor League Statistics & History
* [https://web.archive.org/web/*/http://www.sanop.com/ 旧公式サイト(www.sanop.com)の保存キャッシュ一覧(1998年から2002年途中頃まで残存)] - インターネット・アーカイブより
* [https://web.archive.org/web/*/http://www.sanoshigeki.com/ 佐野慈紀オフィシャルサイトの保存キャッシュ一覧(2008年 - 2013年)] - インターネット・アーカイブより
* [https://www.baseball-reference.com/register/player.fcgi?id=sano--001shi Baseball-Reference選手の通算成績] - Shigeki Sano Minor League Statistics & History
* [https://www.oricon.co.jp/prof/1153648/ 『ORICON STYLE』芸能人事典内「佐野慈紀」情報ポータル] ※テレビ出演情報が記載。
* [https://entame-g.com/talent_post/%e4%bd%90%e9%87%8e%e6%85%88%e7%b4%80/ 佐野 慈紀 - ジーニーズエンターテイメント|GENIE'S ENTERTAINMENTジーニーズエンターテイメント|GENIE'S ENTERTAINMENT]


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2024年9月19日 (木) 07:27時点における最新版

佐野 慈紀(佐野 重樹)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛媛県松山市
生年月日 (1968-04-30) 1968年4月30日(56歳)
身長
体重
175 cm
87 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1990年 ドラフト3位
初出場 1991年4月9日
最終出場 2003年7月27日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

佐野 慈紀(さの しげき、本名及びかつての登録名佐野 重樹(読み同じ)[注 1]1968年4月30日[注 2] - )は、愛媛県松山市出身[注 3]の元プロ野球選手投手)。野球解説者野球評論家サン・オフィス所属[9]。愛称は「ハゲ魔神[10]

中継ぎ投手としては、日本プロ野球NPB)史上初の年俸1億円プレイヤーだった[11]

経歴

[編集]

選手時代

[編集]

愛媛県立松山商業高等学校時代の1986年夏に水口栄二らと第68回全国高等学校野球選手権大会に出場して準優勝に貢献した(当時は右翼手兼控え投手)。近畿大学工学部(キャンパス)進学後、同学部内硬式野球部広島六大学野球連盟加盟チーム)[注 4]でエースとなり、リーグ10連覇に貢献[12]、最優秀投手賞を4回受賞[12]する。

1990年度ドラフト会議にて野村貴仁のクジを外した近鉄バファローズから3位指名を受けて入団。

1991年では中継ぎ中心に登板して6勝を挙げた。

1993年シーズンには、防御率2.00(厳密には1.995)を挙げ、近鉄では主に中継ぎ投手として活躍。

1995年シーズンには自身初の二桁10勝を挙げる。

1996年シーズンオフには中継ぎ投手として日本プロ野球史上初の1億円プレーヤーとなる。

1997年シーズンオフに渡米してフランク・ジョーブ博士によるトミー・ジョン手術を受けた[15][16]

1998年は一軍登板はなかった(近鉄球団はリリーフ投手の穴埋めとして中根仁とのトレードで盛田幸妃投手を獲得した)。

1999年4月4日開幕二戦目となる日本ハムファイターズ二回戦にて先発ロブ・マットソンから代わり二番手として一軍復帰登板を果たし、7月7日福岡ダイエーホークス戦でプロ初完封勝利を無四球で挙げるも[17]、年間ではリリーフでも先発としても不本意な成績に終わり、同年のシーズンオフに梨田昌孝監督が就任して小池秀郎善村一仁とともに門倉健東瀬耕太郎古池拓一との3対3の交換トレードで中日ドラゴンズへ移籍[6]

2000年5月に一軍登録されたものの[18]6月21日の対巨人戦(ナゴヤドーム)で1イニング4被本塁打の日本プロ野球タイ記録を作り[18]、翌日登録抹消[18]。以降、一軍への出場機会がないまま[18]、同年のシーズンオフに戦力外通告を受け、アメリカ合衆国へ渡る[19][18]

2001年独立リーグエルマイラ・パイオニアーズでプレー[20]

2002年MLBロサンゼルス・ドジャースマイナー契約するも、リーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルメキシコシティ・タイガースへ移籍した後、エルマイラ・パイオニアーズに復帰する。

2003年オリックス・ブルーウェーブへテスト入団し、日本球界へ復帰[注 5]。また、入団テストの頃より活動名義を「佐野 慈紀」へ変更[注 6]。しかし、一軍登板は2試合にとどまり、現役を引退[注 7]

引退後

[編集]

2004年より、野球評論家・解説者に転身[注 8]。各テレビ・ラジオ局の番組に出演[注 9]2006年より、サンケイスポーツ(大阪)評論家。

また、2003年に近鉄時代の同僚・野茂英雄らが設立した社会人野球チームNOMO Baseball Clubの理事を2005年頃まで務めた[注 10]

2011年独立リーグBCリーグ(BCL)の石川ミリオンスターズで応援広報大使を務め、翌2012年より取締役に就任した[9]

2015年より、「プロ野球の有名OB(解説者)が野球について語り尽くす動画サイト」として開設された「OBTV」に出演[注 11]

2018年よりジーニー堤が経営する芸能事務所がマネージメントを請け負うと発表された[32][33]

2018年12月より、知人に紹介された飲食店のコンサルタント会社の社長の運転手をしていた[34]

2019年より、野球少年たちを相手にしたピッカリ対決をYouTubeにおいて披露している。

かねてから糖尿病の治療を行っており、インスリン療法や人工透析を行っていた[35]

2023年4月中旬、足底の激痛を訴え、主治医の診察を受けたところ重症下肢虚血であることが判明し入院。同年5月末に骨髄炎状態となっていた足裏の骨(中指)を一部切断する手術を受け無事に終了し、療養中であることを自身のブログで公表している[36]。さらに動脈硬化が進行し、血流を改善するカテーテル治療も受けていたという[35]

2024年4月30日、自身のブログにおいて、前年12月に糖尿病の影響により感染が悪化したため、指先(右手人差し指と中指)を切断した事や同年1月に心臓弁膜症を発症した事など、入院中の経緯を説明したうえで、翌5月1日に感染の悪化から右腕を切断する手術を受ける事を公表した[37][38][35]。同日の手術は無事に終了し、今後はリハビリ生活に入る[39]

人物

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球界きっての明るい性格・芸達者で知られ、若手時代から髪が薄いことを自虐ネタとして大いに披露していた。島田紳助からは「今すぐ引退してお笑い芸人になっても十分生活できる」と絶賛されるほどであった[注 12]。このほか、以下のような、ハゲ頭関連のエピソードが見られる(箇条書き部分を参照)。

  • 自らを『チビで、デブで、ハゲ』と三拍子揃っていると自慢していた[注 12]。もっとも、身長はプロ野球選手平均よりはやや低めという程度で、一般人に比べれば高い。
  • 対オリックス戦でワインドアップの際、高々と上げた両腕が帽子に当たり、偶然、前頭部があらわになった。このまま投げていいものか迷っていたら、打者の中嶋聡が笑いながらタイムをコールしたため、投げずに終わった。その年のオフの『プロ野球珍プレー・好プレー大賞』にゲスト出演した際に「これは何投法と言うのですか?」と聞かれ、自ら「必殺!テカテカ投法」と命名。リクエストに応え、番組放送直前に行われた東西対抗野球で披露し、番組内でVTRが流された。
  • オリックス在籍時は、その頃から自分と同じく頭が薄い和田一浩(西武に在籍)をライバル視していた[41]
  • ゲゲゲの鬼太郎』の歌を「♪ハゲ、ハゲ、ハゲ・ハゲ・シゲ~ みんなで歌おう ハゲ・ハゲ・シゲ」という替え歌にし、同僚の池上誠一と歌っていた。
  • 「カツラ業界の皆さん、ドラフト1位でどうですか?」アルシンドになってるよー!」などのネタがあり、アートネイチャーのCM曲の替え歌「男はオオカミ 俺は少髪(しょうかみ)」なども歌っていた。
  • プロ野球オールスタースポーツフェスティバル』でバスケットボール競技にハゲのカツラをつけて登場。シュートをする際にドリブルしていたボールを捨ててカツラを取り、ボール代わりにシュートした。
  • 野茂主催のチャリティー野球教室で、捕球の際に勢い余ってフェンスに激突し、司会からの「佐野さん、怪我ないですかー?」と心配する声に「はーい、毛がないでーす」と返答した。
  • 「テカテカ投法」は最終的に「ピッカリ投法」と言う名前に落ち着き、プロ野球マスターズリーグモルツドリームマッチなどのOB戦では牽制球の際にも帽子を落とす「ピッカリ牽制」も見せている。また、ドリームマッチでは同じくハゲ仲間の小田幸平とバッテリーを組み和田と対戦し、何らかの切っ掛けで帽子、ヘルメットを飛ばして乱闘する「ピッカリ劇場」が恒例行事となっている。
    • 2017年には佐野、小田共に金色に輝くグラブとミットでバッテリーを組んだほか、同じく頭が薄い鈴木球審、大和塁審も巻き込んでネタを披露した。
    • 2018年には横の髪を1年間延ばし続け、挙げ句当日朝にパーマをかけるという仕込みで脱ハゲ疑惑を演出、前年に巻き込んだ2人の審判も含めた4人の抗議を受けるも最終的にピッカリ投法で光り輝く頭頂部を見せて4人と和解するというネタを披露した。この年は和田にヒットを打たれるも、ピッカリ牽制で見事刺している。
  • 1998年セガサターン用ソフトとして発売された、プロ野球球団経営シミュレーションゲーム『プロ野球チームもつくろう!』では、選手のデフォルメキャラクターは通常所属チームの帽子をかぶっているが、佐野は帽子をかぶっておらずハゲ頭で、おでこの部分に近鉄の猛牛マークの刺青が入った設定となっている[注 13]。これは、監修者・野茂の強い要望で実現したものである[42]。なお、プレイヤーが近鉄以外の球団を経営し、トレードなどで近鉄から佐野を獲得した場合、前述の刺青は反映されず、ハゲ頭のままになる。

1997年8月31日の対ダイエー戦(大阪ドーム)では、延長最終回となる12回裏にフィル・クラーク代走として出場した。しかし次打者の山本和範が凡退したため、本塁生還はならなかった。

現役時代は個人ホームページが存在[注 14]し、ファンからの質問にも答えていた。また、2000年にはホームページ上を通じ、着信時に頭の部分が光る「サノピーストラップ」というキャラクターグッズを販売していた[注 15]

近鉄時代の同僚・中根仁が立ち上げた元アスリートのセカンドキャリア情報配信などを行うポータルサイト「アスリート街.com」の協力スタッフとして活動している[46]

野球用電子スコアブックシステム「Touch Score」の監修者[47][48]

詳細情報

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年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
1991 近鉄 38 0 0 0 0 6 2 2 -- .750 319 73.0 82 7 30 1 1 57 2 0 33 31 3.82 1.53
1992 31 1 0 0 0 4 2 1 -- .667 273 62.1 67 6 24 2 4 44 2 0 30 29 4.12 1.46
1993 43 0 0 0 0 2 3 3 -- .400 305 76.2 67 8 27 4 2 44 1 0 17 17 2.00 1.23
1994 47 0 0 0 0 8 4 2 -- .667 384 93.1 95 6 22 2 1 51 1 0 39 36 3.47 1.25
1995 44 0 0 0 0 10 4 6 -- .714 336 79.2 77 12 27 6 1 55 0 0 36 31 3.50 1.31
1996 57 0 0 0 0 5 3 7 -- .625 407 97.2 96 12 22 2 4 75 0 0 38 32 2.95 1.21
1997 52 2 0 0 0 2 5 5 -- .286 326 73.2 96 6 24 5 1 47 2 0 38 32 3.91 1.63
1999 28 8 1 1 1 3 8 1 -- .273 325 72.1 85 13 27 1 5 26 1 1 46 44 5.47 1.55
2000 中日 11 0 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 77 16.2 22 7 7 1 0 15 1 0 17 15 8.10 1.74
2003 オリックス 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 20 3.0 12 1 0 0 0 0 0 0 7 7 21.00 4.00
通算:10年 353 11 1 1 1 41 31 27 -- .569 2772 648.1 699 78 210 24 19 414 10 1 301 274 3.80 1.40
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰

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記録

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  • 初登板:1991年4月9日、対福岡ダイエーホークス1回戦(藤井寺球場)、8回表に4番手で救援登板・完了、2回2失点
  • 初奪三振:同上、8回表に岸川勝也から
  • 初勝利:1991年5月25日、対福岡ダイエーホークス8回戦(鹿児島県立鴨池野球場)、7回裏2死に3番手で救援登板・完了、2回1/3を無失点
  • 初セーブ:1991年7月6日、対オリックス・ブルーウェーブ16回戦(グリーンスタジアム神戸)、8回裏2死に3番手で救援登板・完了、1回1/3を無失点
  • 初先発:1992年9月24日、対オリックス・ブルーウェーブ26回戦(グリーンスタジアム神戸)、6回2/3を2失点(自責点1)
  • 初先発勝利:1997年8月14日、対オリックス・ブルーウェーブ19回戦(大阪ドーム)、7回1失点
  • 初完投勝利・初完封勝利:1999年7月7日、対福岡ダイエーホークス17回戦(大阪ドーム)

背番号

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登録名

[編集]
  • 佐野 重樹 (さの しげき、1991年 - 2000年)[注 20]
  • Shigeki Sano (2001年・2002年)[注 21]
  • 佐野 慈紀 (さの しげき、2003年)[注 22]

関連情報

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出演番組

[編集]

参考[52][注 23]

出演映画

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  • 恋と花火と観覧車(1997年) - 41歳独身で糖尿病もちの電気屋のおっさん「海老原義和」役で出演(佐野は当時28歳)[注 31]

出演CM

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脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 本名については次の資料を[1][2]参照。『12球団全選手カラー百科名鑑2004』では「本名重樹。」という記述あり[3]
  2. ^ 生年月日については、現役当時の各種プロ野球名鑑を参照。ただし、一部資料では8月30日と誤記[4]
  3. ^ 愛媛県出身である旨は次の資料を[1][5]、松山市生まれである旨については次の資料を[6]、同市出身である旨については次の資料を[7][2][3][8]参照。
  4. ^ 近畿大学体育会硬式野球部関西学生野球連盟加盟)とは別チーム。各種プロ野球名鑑に経歴が記載される場合、「近大工学部」[3]または「近大呉工学部」[12][5][7][2][13]と表記。近鉄選手時代に開設したウェブサイト内プロフィールでは「近畿大学呉工学部」と記載[1]。『近鉄バファローズ球団史 1950-2004』では、「近大工学部」[11]、「近大呉工学部」とそれぞれ表記[14]
  5. ^ 2月9日にテスト合格を発表[21]。同10日に正式に入団が発表された[22][23]
  6. ^ 2003年当時の『スポーツ報知』ウェブサイト内各種記事より、1月17日のオリックス入団テスト発表時では「佐野重樹」と報道された[24]が、テスト開始後となる2月3日の報道より「佐野慈紀(重樹から改名)」と記述[25]。同9日の報道でも「佐野慈紀(重樹から改名)」と記述[21]
  7. ^ 参考:[26]。2003年12月2日に日本野球機構(NPB)から自由契約が公示された[27]
  8. ^ 引退時に『スポニチアネックス』内で配信された記事より、進路について「フリーの野球解説者」と記載[26]
  9. ^ 『12球団全選手カラー百科名鑑』シリーズに掲載されるプロ野球解説者名鑑では2004年版から2006年版までCS系というくくりで紹介。2007年版[8]以降「NHK・BS」解説者として紹介(2015年現在。「」内局名表記は、原資料より)。
  10. ^ インターネット・アーカイブにおける、NOMO Baseball Club公式サイト内運営役員紹介ページの保存キャッシュ
    • 現存最古(2003年創設時)[28]
    • 最後に佐野が理事として明記された時の保存版[29]
  11. ^ 参考…[30][31]
  12. ^ a b 各種出版物より、次のような記述が見られる。
    • 『12球団全選手カラー百科名鑑2010』…『島田紳介に「今すぐ引退しても芸人で食べていける」と褒められたことも。』との記述あり(『』内は原文より引用)[40]
    • 『プロ野球&メジャーリーグ解説者名鑑 ただいま放送席の音声のみでお送りしています』…『自らを“チビで、デブで、ハゲの三拍子揃った男”と自慢する佐野を、島田紳助は「今すぐ芸人になってもやっていける」と絶賛。』との記述あり(『』内は原文より引用)[41]
  13. ^ ハゲ頭のグラフィックについては、『プロ野球チームもつくろう! オフィシャルガイドブック イケイケ編』(1998年、ソフトバンク出版事業部発行。コード:ISBN 4797305142)内の選手名鑑にも掲載されている。
  14. ^ 1998年9月15日、MC21(Management Consulting 21)により企画・制作・開設[43]
  15. ^ 参考…[44]。販売は、次のサイトが直接担当[45]
  16. ^ 次の資料を参照[49][50]
  17. ^ 次の資料を参照[49][50]
  18. ^ 次の資料を参照[49]
  19. ^ 次の資料を参照[49]
  20. ^ 次の資料を参照[49](近鉄在籍時=1999年まで[50])。
  21. ^ 所属当時のエルマイラ・パイオニアーズ公式サイト内選手一覧を参照[51]。2002年度シーズン当時は、ファミリーネームより表記(Sano Shigeki[4]
  22. ^ 次の資料を参照[49](重樹より改名の旨も記載[49])。一部資料では、2000年・2003年の登録名と誤記[14]
  23. ^ a b c d 2013年発行の書籍『プロ野球&メジャーリーグ解説者名鑑 ただいま放送席の音声のみでお送りしています』巻末の解説者リストでは、NHK-BS MLB中継、読売テレビ、Tigers-ai、フリーそれぞれの一覧に「佐野慈紀」の名前が記載。
  24. ^ 『12球団全選手カラー百科名鑑』シリーズでは、2007年版から「NHK・BS」と明記[8]。最初の掲載時には、「BS大リーグ解説」という記述あり[8]
  25. ^ 参考…2013年6月16日ブリュワーズタイレッズ戦中継[52][53]
  26. ^ 2004年当時すでに担当[54]
  27. ^ 参考:2004年[55]、2005年[56]、2006年[57]
  28. ^ 参考…2013年4月20日の放送予定を記した出典[58]、同日の放送を記した出典[59][60]
  29. ^ 2014年当時の『侍プロ野球』解説担当については、次の資料を[61]参照。
  30. ^ 参考…[62][63][64]
  31. ^ 参考:
    • 出演情報(登場人物名も記載)…[65][66]
    • 「20代の佐野慈紀が41歳糖尿持ちモテない男を演じきった『恋と花火と観覧車』('97年)」と紹介された記事[67]

出典

[編集]
  1. ^ a b c 1999年当時、佐野の公式サイト内で配信されたプロフィール (インターネットアーカイブ4月27日付保存キャッシュ)
  2. ^ a b c 『12球団全選手カラー百科名鑑2003』 (『ホームラン』2003年3月号増刊。同29日、日本スポーツ出版社発行)P222掲載のプロフィール
  3. ^ a b c 『12球団全選手カラー百科名鑑2004』 (『ホームラン』2004年3月号増刊。同31日、日本スポーツ出版社発行)P237掲載の解説者プロフィール (CS系というくくりで紹介)
  4. ^ a b c 2002年7月30日現在のエルマイラ・パイオニアーズ公式サイト内選手一覧(英語。インターネット・アーカイブ同8月10日付保存キャッシュ)
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  6. ^ a b 2000年当時の中日スポーツウェブサイト内中日ドラゴンズポータル(インターネット・アーカイブ同8月15日付保存キャッシュ) → 1999年度トピックス一覧(インターネット・アーカイブ2000年8月18日付保存キャッシュ) → (11月7日)門倉、古池、東瀬が近鉄へ移籍/小池、佐野、善村と電撃トレード(1999年11月7日付記事。インターネット・アーカイブ2001年3月5日付保存キャッシュ)を参照。
  7. ^ a b 『12球団全選手カラー百科名鑑2000』 (『ホームラン』2000年3月号増刊。同31日日本スポーツ出版社発行)P34掲載のプロフィール
  8. ^ a b c d 『12球団全選手カラー百科名鑑2007』 (『ホームラン』2007年3月号増刊。同31日、日本スポーツ出版社発行)P231掲載の解説者プロフィール (「NHK・BS」解説者として紹介)
  9. ^ a b 佐野 慈紀”. サンオフィス. 2024年5月3日閲覧。
  10. ^ “『ハゲ魔神』佐野慈紀さん「今日は中秋の名月」と現役時代の写真投稿にフォロワー「これは変化球」「元気出ました」”. 中日新聞Web. (2023年9月29日). https://www.chunichi.co.jp/article/779064 2024年5月3日閲覧。 
  11. ^ a b 『近鉄バファローズ球団史 1950-2004』P81
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  53. ^ 近鉄バファローズ! - 『佐野慈紀のピッカリブログ』2013年6月16日18時4分付
  54. ^ 参考リンク(インターネット・アーカイブの保存キャッシュ)…J SPORTS公式サイト内2004年6月20日の番組表(同19日付保存キャッシュ)→『J SPORTS STADIUM2004 オリックス vs. 大阪近鉄(06/20)』(12:45より、J SPORTS 3で放送予定)番組情報(同10日付保存キャッシュ)を参照。※解説者として明記(ただし、「佐野 慈樹」と誤記)。
  55. ^ 2004年8月当時の文化放送スポーツサイト(インターネット・アーカイブ同3日付保存キャッシュ)より、8月5日放送予定の『ライオンズナイター』近鉄対西武戦の解説として明記。
  56. ^ 2005年5月当時の文化放送スポーツサイト(インターネット・アーカイブ同16日付保存キャッシュ)より、5月18日放送予定の『ライオンズナイター』阪神対西武戦の解説として明記。
  57. ^ 2006年4月28日から30日早朝までの東京地区におけるラジオ野球番組一覧表 - 『tv.nikkansports.com』(インターネット・アーカイブ同5月7日付保存キャッシュ)より、同28日17:50 - 21:30に文化放送で放送予定の『プロ野球〜スカイマーク オリックス×西武』番組情報を参照。「佐野慈紀」のクレジットあり。
  58. ^ MBS(毎日放送)公式サイト内テレビ・ラジオプロ野球中継放送予定表(2013年3・4月分) - インターネット・アーカイブ同年3月29日付保存キャッシュ ※ゲスト解説の欄に佐野、解説の欄に山内和宏の名が記載(佐野は「佐野 滋紀」と誤記)。
  59. ^ MBS公式サイト『赤木誠のベースボールワールド』2013年4月23日付配信分 ※20日のオリックス対ソフトバンク戦中継で実況を担当した赤木誠(MBSアナウンサー)のブログ。山内がゲスト解説を務めていたことが明記(「山内和弘」と誤記)。
  60. ^ だからプロ野球は面白い! - 『佐野慈紀のピッカリブログ』2013年4月21日17時46分付 ※20日のオリックス対ソフトバンク戦でラジオの解説を務めた旨が記載(局名については明記されず)。
  61. ^ BS-TBS公式サイト内『侍プロ野球2014』過去の放送予定一覧 ※6月11日のロッテ対阪神、同13日の西武対広島を参照。
  62. ^ BSジャパン スポーツ総合サイトより、『プロ野球 2015 オリックス×西武』の番組情報を参照。
  63. ^ プロ野球全力闘球 2015 オリックス×西武 - BSジャパン公式サイト内番組情報
  64. ^ 『東奥日報』2015年6月21日付朝刊ラテ欄(BS・CS・ラジオほかの番組表掲載面)より、「BSジャパン」番組表を参照。
  65. ^ 恋と花火と観覧車 - allcinema
  66. ^ 恋と花火と観覧車 - KINENOTE
  67. ^ 『マネーボール』から水島作品まで、正月必見の“野次馬的”野球映画。(4/4) - [野次馬ライトスタンド] - Number Web - ナンバー 2012年1月2日8時2分配信(文:村瀬秀信)

参考資料

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備考

  1. ^ 『'91スポニチプロ野球手帳』目次ページ(P1)内発行情報欄より(発行元クレジット無し)。

関連項目

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外部リンク

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