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|name = ティッパー・ゴア<br />Tipper Gore |
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|image = Tipper Gore 1999.jpg |
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|caption = ティッパー・ゴア(1999年12月撮影) |
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|birth_date = {{生年月日と年齢|1948|8|19|no}} |
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|birth_place = [[ワシントンD.C.]] |
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|order = [[セカンドレディ|アメリカ合衆国のセカンドレディ]] |
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| predecessor = [[マリリン・クエール]] |
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|successor = [[リン・チェイニー]] |
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| religion = |
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|nationality = {{USA}} |
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| spouse = [[アル・ゴア]] |
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|spouse = [[アル・ゴア|アル・ゴア・ジュニア]](1970 - 2010、<small>別居</small>) |
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|children = {{仮リンク|カレナ・ゴア・シフ|en|Karenna Gore Schiff|label=カレナ・ゴア}}<br />{{仮リンク|クリスティン・ゴア|en|Kristin Gore}}<br />サラ・ゴア<br />アル・ゴア3世 |
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|alma_mater = [[ボストン大学]]<br />[[ピーボディ大学|ジョージ・ピーボディ大学]] |
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|occupation = [[著作家]]、[[写真家|カメラマン]] |
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|religion = [[米国聖公会|アメリカ聖公会]] |
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⚫ | '''ティッパー・ゴア'''({{Lang-en|'''Tipper Gore'''}})、本名'''メアリー・エリザベス・ゴア'''({{Lang-en|'''Mary Elizabeth Gore'''}}、旧姓エイチェソン(Aitcheson)、[[1948年]][[8月19日]] - )は、[[アメリカ合衆国]]の[[著作家]]、[[写真家]]。第45代[[アメリカ合衆国副大統領]][[アル・ゴア]]の妻でもあった。[[1993年]][[1月20日]]から[[2001年]]1月20日まで[[セカンドレディ|アメリカ合衆国のセカンドレディ]]の役割を担った。ゴア夫妻は[[2010年]]に離婚することを公表した。 |
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[[File:Defense.gov News Photo 980305-D-9880W-105.jpg|thumb|350px|right|演説を行うティッパー・ゴア(1998年3月5日)]] |
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[[Image:Hillary Clinton Bill Al Gore Four principals.jpg|250px|right|thumb|ゴア夫妻と[[ビル・クリントン|クリントン]]夫妻。ティッパー夫人は左から2番目。2007年撮影。]] |
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'''[[PMRC]]'''を率いて[[ヘヴィメタル]]、[[パンク・ロック|パンク]]、[[ヒップホップ・ミュージック|ヒップホップ]]分野をおもに、暴力的あるいは性的に[[卑語|露骨な歌詞]]が含まれる音楽を批判し、[[レコード]]に「[[ペアレンタル・アドバイザリー]]」の[[ラベル|ステッカー]](通称:ティッパーステッカー)を貼るのを義務づけるよう促進した彼女はセカンドレディになる前から著名人であった。 |
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ティッパー・ゴア(以下、ティッパー)は、1948年8月19日、[[ワシントンD.C.]]に、水道会社社長ジョン・"ジャック"・ケネス・エイチェソン(John "Jack" Kenneth Aitcheson)と、その妻マーガレット・オダム(Margaret Odom)の娘として誕生し、[[ヴァージニア州]][[アーリントン (バージニア州)|アーリントン]]で育った。やがて、両親は離婚し、ティッパーは、母と祖母に育てられた。ティッパーは、ヴァージニア州[[アレクサンドリア (バージニア州)|アレクサンドリア]]の[[米国聖公会]][[聖スティーブンと聖アグネス学院]]に入学し、[[スポーツ]]や女子[[バンド (音楽)|バンド]]の[[ドラムセット|ドラム]]で優秀な成績を残した。 |
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== 経歴 == |
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ティッパーは、ワシントンD.C.の[[聖アルバンス学院]]の[[プロム|シニアプロム]]で、将来の夫アル・ゴア(以下、アル)と出会い、二人はすぐに交際し始めた。卒業後、アルは[[ハーバード大学]]へ、ティッパーは[[ボストン大学]]へ進み、心理学を専攻した。ティッパーは[[1970年]]にボストン大学の文学士号を取得し、1970年[[5月19日]]にアルと結婚した。[[1975年]]には、[[ジョージ・ピーボディ大学]](のちに[[ヴァンダービルト大学]]と合併)で[[心理学]]修士号を取得した。またティッパーは、アルが[[1976年]]に[[下院議員]]に選出されるまで、新聞カメラマンとして働いた。 |
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メアリー・エリザベス・エイチェソンは[[1948年]][[8月19日]]に[[アメリカ合衆国]]の[[首都]]である[[ワシントンD.C.]]にて、水道会社を経営するジョン・ケネス・エイチェソン・ジュニアと前の夫を[[第二次世界大戦]]で亡くしたマーガレット・アン・カールソン・オダム(1924–2001)の一人娘として生まれた<ref name="CNN">{{cite web|url=https://edition.cnn.com/ALLPOLITICS/1996/conventions/chicago/players/gore/tipper.shtml|title=Tipper Gore Bio|publisher=[[CNN|CNN.com]]|language=英語|accessdate=2015年1月1日}}</ref><ref name="Wargs">{{cite web|author=William Addams Reitwiesner|url=http://www.wargs.com/political/aitcheson.html|title=The Ancestors of Tipper Gore|publisher=Wargs.com|language=英語|accessdate=2015年1月1日}}</ref>。祖先には[[イングランド人]]、[[スコットランド人]]、[[ドイツ人]]、[[スウェーデン人]]も含まれる<ref name="Wargs" /><ref>[[#Maraniss(2001年)|Maraniss(2001年)]] p.259</ref>。[[1952年]]に両親の離婚が成立し<ref name="Wargs" />、[[バージニア州]][[アーリントン (バージニア州)|アーリントン]]にあるマーガレットの実家で育てられた<ref name="CNN" />。[[愛称|ニックネーム]]の"ティッパー"は、幼少期にお気に入りだった[[子守唄]]「ティッパー、ティッパー、ティン({{Lang|en|Tippy, Tippy, Tin}})」より母親が名付けた<ref name="CNN" />。 |
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バージニア州[[アレクサンドリア (バージニア州)|アレクサンドリア]]に位置する民間の女子校、{{仮リンク|聖スティーブンス・聖アグネス学院|en|St. Stephen's & St. Agnes School|label=聖アグネス学院}}に入学したティッパーは[[バスケットボール]]と[[ソフトボール]]と[[フィールドホッケー]]のチームでプレーし、[[ガールズバンド]]「ワイルドキャッツ」にも所属して[[ドラムセット|ドラム]]を担当した<ref name="CNN" />。 |
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ゴア夫妻には、カレナ(Karenna、[[1973年]]-、ドリュー・シフと結婚)、クリスティン(Kristin、[[1977年]]-、ポール・キューサックと結婚)、サラ(Sarah、[[1979年]]-、ビル・リーと結婚)、アル・3世(Al III、[[1982年]]-)の1男3女がいる。また、夫妻には、2人の孫ワイアット・シフ(Wyatt Gore Schiff、[[1999年]]-)とアンナ・シフ(Anna Hunger Schiff、[[2001年]]-)がいる。カレナは弁護士、著述家およびジャーナリストとして活動している。クリスティンは著述家およびテレビ番組のライターとして活動している。サラは[[カリフォルニア大学サンフランシスコ校]]で医療を学んでおり、アル・3世は慈善事業雑誌の出版者として働いている。 |
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1965年に[[アル・ゴア]]が通う{{仮リンク|聖アルバンス学院 (ワシントンD.C.)|en|St. Albans School (Washington, D.C.)|label=ワシントンD.C.の聖アルバンス学院}}の[[プロム|シニアプロム]]に参加して彼と出会い、二人はすぐに交際を開始した<ref>{{cite web|author=David Maraniss, Ellen Y. Nakashima|url=https://www.washingtonpost.com/wp-srv/politics/campaigns/wh2000/stories/gore101099b.htm|title=Al Gore: Growing Up in Two Worlds|page=2|publisher=[[ワシントン・ポスト|Washingtonpost.com]]|language=英語|date=1999年10月10日|accessdate=2015年1月1日}}</ref>。高校を卒業したゴアは[[ハーバード大学]]に進学し、ティッパーも{{仮リンク|ガーランド短期大学|en|Garland Junior College}}に進学した<ref>{{cite web|author=Annie Groer|url=http://www.politicsdaily.com/2010/06/01/al-and-tipper-gore-split-after-40-years-of-marriage/|title=Al and Tipper Gore Split After 40 Years of Marriage|publisher=Politicsdaily.com|language=英語|date=2010年6月1日|accessdate=2015年1月1日}}</ref>。ティッパーはその後に[[ボストン大学]]に転学した<ref name="CNN" />。1970年に同校で[[心理学]]の[[学士]]号を取得した彼女は心理学を追求して1975年には[[ピーボディ大学|ジョージ・ピーボディ大学]]で[[修士]]号を取得した<ref name="ABC">{{cite web|url=http://abcnews.go.com/Politics/story?id=123086&page=1|title=Tipper Gore In and Out of Public Eye|publisher=[[ABCニュース (アメリカ)|ABCNews.go.com]]|language=英語|date=2006年1月6日|accessdate=2015年1月1日}}</ref>。翌1976年に夫のゴアが[[アメリカ合衆国議会|連邦議会]]を構成する議員の一人に選出されるまでは[[テネシー州]]で新聞カメラマンとして働いた<ref name="ABC" />。 |
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== 音楽との闘争 == |
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ティッパーは、しばしば最初の現代的なセカンドレディと考えられている。ティッパーが、アメリカの映画やテレビ、音楽などのエンターテイメント産業から猥褻な要素を払拭させる活動に積極的だったからである。[[1985年]]、自宅で[[プリンス (ミュージシャン)|プリンス]]のアルバム『[[パープル・レイン]]』の収録曲『[[ダーリン・ニッキー]]』を11歳のカレナが聞いているのを見つけ、歌詞が卑猥であると憤慨して「問題のある内容のレコードに[[ウォーニング・ステッカー]]を貼る事を義務付ける法案」を連邦議会に提出した。ティッパーは、[[トゥイスティッド・シスター]]の[[ディー・スナイダー]]や[[ジョン・デンバー]]、[[フランク・ザッパ]]らを激しく非難し、公聴会ではフランク・ザッパから「文化に対するテロリストだ」と非難された。その後、[[父母音楽情報源センター]]([[w:Parents Music Resource Center|Parents Music Resource Center]]、略称[[PMRC]])を立ち上げ、青少年に悪影響を与える映画、音楽、テレビ番組等を排除する運動を率いた。また、ティッパーに批判的な[[ジェロ・ビアフラ]]や[[エミネム]]などとの論争も生んだ。 |
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== 家族と私生活 == |
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[[File:Al Gore with wife and daughter 1992.jpg|thumb|300px|right|副大統領候補になったアル・ゴアとティッパー、末娘サラ(1992年10月26日)]] |
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愛称の"ティッパー(Tipper)"は、幼少期にお気に入りだった子守唄『Tippy, Tippy, Tin』に由来する。 |
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[[File:05 05 RFC WDC 6jun98.jpg|300px|right|thumb|ゴア夫妻(1998年6月6日)]] |
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アル・ゴア・ジュニアとメアリー・エリザベス・エイチェソンは[[1970年]]5月19日に[[ワシントン大聖堂]]で結婚式をあげた<ref name="PBS">{{cite web|url=http://www.pbs.org/wgbh/pages/frontline/shows/choice2000/gore/cron.html|title=Gore Chronology|publisher=[[公共放送サービス|PBS.org]]|language=英語|accessdate=2015年1月1日}}</ref>。夫婦は4人の子供をもうけた。 |
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*'''{{仮リンク|カレナ・ゴア・シフ|en|Karenna Gore Schiff|label=カレナ・エイチェソン・ゴア}}'''(1973年8月6日生まれ<ref name="PBS" />) - [[著作家]]、[[弁護士]]、[[ジャーナリスト]]<ref name="Women">{{cite web|author=Alexandra Starr|url=http://www.nytimes.com/2006/02/12/books/review/12starr.html?_r=0|title=Women Warriors|publisher=[[ニューヨーク・タイムズ|NYTimes.com]]|language=英語|date=2006年2月12日|accessdate=2015年1月1日}}</ref>。1997年7月12日に[[ニューヨーク]]で[[総合診療医]]を務めるアンドリュー・ニューマン・シフと結婚<ref>{{cite web|url=http://www.nytimes.com/1997/07/13/style/andrew-schiff-karenna-gore.html|title=Andrew Schiff, Karenna Gore|publisher=NYTimes.com|language=英語|date=1997年7月13日|accessdate=2015年1月1日}}</ref>。[[2000年アメリカ合衆国大統領選挙]]では父親の選挙キャンペーンで主導的な役割を果たし、著書''『{{Lang|en|Lighting the Way: Nine Women Who Changed Modern America}}』''は選挙の敗北によって生じた自身の精神的苦痛を和らげるために書いたものだと述べている<ref name="Women" />。シフとの間に3人の子供をもうけたが、2010年6月9日(両親が離婚の発表をした翌週)に二人が離婚に向けて既に別居していることが報じられた<ref>{{cite web|author=Ron Fournier|url=http://www.huffingtonpost.com/2010/06/09/karenna-gore-schiff-separ_n_605775.html|title=Karenna Gore Schiff Separation: Gore Daughter SPLITS From Husband|publisher=[[ハフィントン・ポスト|Huffingtonpost.com]]|language=英語|date=2010年6月9日|accessdate=2015年1月1日}}</ref>。 |
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*'''{{仮リンク|クリスティン・ゴア|en|Kristin Gore|label=クリスティン・カールソン・ゴア}}'''(1977年6月5日生まれ<ref name="PBS" />) - 著作家、[[脚本家]]<ref name="shocking">{{cite web|author=Mark Duell|url=http://www.dailymail.co.uk/news/article-2009644/Al-Gores-daughter-Kristin-says-divorce-rattled-parents-happy-love.html|title='They still love each other': Al Gore's daughter opens up about her parents' shocking split|publisher=[[デイリー・メール|Dailymail.co.uk]]|language=英語|date=2011年6月29日|accessdate=2015年1月1日}}</ref>。2005年に元議会スタッフのポール・キューサックと結婚したが、2009年6月に離婚した<ref name="shocking" /><ref>{{cite web|url=http://voices.washingtonpost.com/reliable-source/2009/05/love_etc_50.html|title=Reliable Source - Love, Etc. |publisher=Washingtonpost.com|language=英語|date=2009年5月28日|accessdate=2015年1月1日}}</ref>。 |
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*'''サラ・ラフォン・ゴア'''(1979年1月7日生まれ<ref name="PBS" />) - [[カリフォルニア大学サンフランシスコ校]]で[[医療]]を学んだが、進路を変更して[[芸術家]]になった<ref name="Dailymail">{{cite web|author=Meghan Keneally|url=http://www.dailymail.co.uk/news/article-2610576/Al-Gores-youngest-daughter-Sarah-35-gets-remarried-old-pine-tree-casual-outdoor-service-California.html|title=Al Gore's youngest daughter Sarah, 35, gets remarried under an old pine tree in casual outdoor service in California|publisher=Dailymail.co.uk|language=英語|date=2014年4月22日|accessdate=2015年1月1日}}</ref>。2007年7月に[[台湾系アメリカ人]][[実業家]]のビル・リー(李君偉)と結婚した<ref>{{cite web|author=Dan Bloom|url=http://www.taipeitimes.com/News/editorials/archives/2007/07/25/2003371199|title=When Sarah Gore married Bill Lee|publisher=[[Taipei Times|Taipeitimes.com]]|language=英語|date=2007年7月25日|accessdate=2015年1月1日}}</ref>。2014年4月にパトリック・マイアニと再婚したことが報じられた(リーといつ離婚したかは不明)<ref name="Dailymail" />。 |
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*'''アルバート “アル” ゴア3世'''(1982年10月19日生まれ<ref name="PBS" />) - [[経営学修士]](MBA)の候補者<ref name="People">{{cite web|author=Stephen M. Silverman|url=http://www.people.com/article/albert-gore-al-tipper-gore-son-marries-brittany-toscano-washington-dc|title=Albert Gore, Son of Al and Tipper Gore, Marries in D.C.|publisher=[[ピープル (雑誌)|People.com]]|language=英語|date=2014年6月1日|accessdate=2015年1月1日}}</ref>。過去には父親が[[アメリカ合衆国副大統領]]を退任した後に[[大麻|マリファナ]]所持が原因の逮捕のニュースが二度報じられた<ref name="Dailymail" />。2014年5月にブルターニュ・トスカーノと結婚した<ref name="People" />。 |
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ティッパーは2000年8月17日に[[ロサンゼルス]]に位置する[[ステイプルズ・センター]]にて、[[民主党 (アメリカ合衆国)|民主党]]の大統領候補指名を受け入れた夫と長く、濃厚なキスを交わした<ref name="End">{{cite web|author=Patrick Healy|url=http://www.nytimes.com/2012/08/26/fashion/the-end-of-the-line.html|title=The End of the Line|page=1|publisher=NYTimes.com|language=英語|date=2012年8月25日|accessdate=2015年1月1日}}</ref>。 |
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2003年に「イレイジング・ザ・スティグマ・アワーズ」において、息子のアル・ゴア3世が幼少期に[[自動車]]にはねられて瀕死の重傷を負った際に[[うつ病]]に苦しみ、それを克服した彼女自身の経験について講演した<ref>{{cite web|author=John Morgan, Stephen A. Shoop|url=http://www.drdonnica.com/celebrities/00006388.htm|title=Tipper Gore Honors Mental Health Achievements|publisher=DrDonnica.com|language=英語|date=2003年6月2日|accessdate=2015年1月1日}}</ref>。 |
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[[2010年]]6月1日に熟慮と協議を経た末の結論として、ゴア夫妻は40年におよぶ結婚生活に終止符を打ち、離婚すると公表した<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20150102163326/http://www.47news.jp/CN/201006/CN2010060201000290.html|title= |
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ゴア元米副大統領夫妻が離婚 米主要メディア報道|publisher=[[47NEWS|47news.jp]]|date=2010年6月2日|accessdate=2015年1月1日}}</ref><ref>{{cite web|author=Amy Argetsinger, Roxanne Roberts|url=https://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/06/01/AR2010060104013.html|title=40 more years? Not for Al and Tipper Gore, who've announced their separation|publisher=Washingtonpost.com|language=英語|date=2010年6月2日|accessdate=2015年1月1日}}</ref>。[[2012年]]8月25日付の『[[ニューヨーク・タイムズ]]』は二人が年に数回、家族旅行や[[クリスマス]]などの機会に会っていると報じた<ref name="End" />。 |
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== 政治への関与 == |
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1984年に当時11歳だった長女のカレナが聴いていた[[プリンス (ミュージシャン)|プリンス]]の[[アルバム]]『[[パープル・レイン]]』の収録曲「{{仮リンク|ダーリン・ニッキー|en|Darling Nikki}}」に耳を傾けて[[卑語|露骨な歌詞]]が含まれていると感じて憤慨し、翌[[1985年]]に[[アメリカ合衆国財務長官]][[ジェイムズ・ベイカー (国務長官)|ジェームズ・ベイカー]]の妻スーザン・ベイカーらと共同で'''[[PMRC]]'''を設立した<ref name="neatorama">{{cite web|author=Miss Cellania|url=http://www.neatorama.com/2012/01/02/tipper-vs-music/|title=Tipper vs. Music|publisher=Neatorama.com|language=英語|date=2012年1月2日|accessdate=2015年1月1日}}</ref>。「[[ナショナル・パブリック・ラジオ]]」(NPR)の記事によると、この出来事がティッパーに子供たちへの警告目的で暴力的にあるいは性的に露骨な歌詞が含まれる音楽の[[レコード]]に[[ラベル|ステッカー]]を貼るように義務づける法案を連邦議会に提出するための働き掛けを開始する決意を促すことになった<ref>{{cite web|author=Robert Siegel|url=http://www.npr.org/templates/story/story.php?storyId=4279560|title=Tipper Gore and Family Values|publisher=[[ナショナル・パブリック・ラジオ|NPR.org]]|language=英語|date=2005年1月11日|accessdate=2015年1月1日}}</ref>。[[政治家]]や[[ビジネスマン]]の夫人たちで構成されるPMRCは夫たちの力を利用して[[アメリカ合衆国上院|上院]]において、「[[ポピュラー音楽]]の憂慮すべき[[コンテンツ]]に関する」[[公聴会]]を開催させたが、会に出席して証言した[[音楽家|ミュージシャン]]の[[フランク・ザッパ]]と[[ジョン・デンバー]]、「[[トゥイステッド・シスター]]」に所属する[[ディー・スナイダー]]のいずれもが[[検閲]]に強く反対する意思を表明した<ref name="neatorama" />。PMRCを率いたティッパーは多くの音楽業界関係者から批判されることになり、ザッパは「文化に対する[[テロリズム|テロリスト]]だ」と彼女を評した<ref name="CNN" />。[[ウォレント]]は1990年に発売したアルバム『{{仮リンク|いけないチェリーパイ|en|Cherry Pie (album)}}』の収録曲「オード・トゥー・ティッパー・ゴア」で卑猥な語句を挿入して彼女を馬鹿にした<ref>{{cite web|author=Jeff Vrabel|url=http://popdose.com/the-steel-horse-archives-warrant-cherry-pie-1990/|title=The Steel Horse Archives: Warrant, “Cherry Pie” (1990)|publisher=Popdose.com|language=英語|date=2009年8月10日|accessdate=2015年1月1日}}</ref>。 |
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また、青少年を取り巻く社会環境に警告を発する本を出版してこれが[[ベストセラー]]になり、[[1988年アメリカ合衆国大統領選挙]]で候補の一人として名乗りを上げたゴアはこの時に「本人より先に、妻の名前が知られている初めての候補者」と呼ばれたり、「あのティッパーの亭主」と紹介されることもしばしばあった<ref name="多賀205">[[#多賀(1990年)|多賀(1990年)]] p.205</ref>。しかし、ティッパーは「彼(ゴア)は私の口を封じようとしたことは一度もありませんし、私も夫への影響を恐れて活動を中止するつもりは全くありません」と言い切っている<ref name="多賀205" />。 |
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[[セカンドレディ|アメリカ合衆国のセカンドレディ]]としてのティッパーはより良い[[メンタルヘルス]]を提唱し、[[精神障害|精神疾患]]に対する偏見を根絶するキャンペーンを展開したことで称賛を獲得した<ref name="ABC" />。1999年には[[ホワイトハウス]]で史上初めて開催されたメンタルヘルスについての会議で議長を務めた<ref name="ABC" />。彼女は自身のうつ病体験を公にしている<ref name="ABC" />。 |
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著者または共著者として、数冊の本を出している。 |
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* ''Raising PG Kids in an X-Rated Society'' (1987年) (ISBN 978-0687352838) |
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* ''Picture This: A Visual Diary'' (1996年) (ISBN 978-0553067200) |
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**『副大統領夫人の写真日記』 [[浜野保樹]]訳、[[朝日新聞社]] 1998年。ISBN 978-4022572684 |
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* ''From the Bottom of Our Hearts'' (2002年) (ISBN 978-1931718455) |
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* ''Joined at the Heart: The Transformation of the American Family'' (2002年) (ISBN 978-0805068931) - 夫のアル・ゴアとの共著 |
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* ''The Spirit of Family'' (2002年) (ISBN 978-0805068931) - 夫のアル・ゴアとの共著 |
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{{Reflist}} |
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== 参考文献 == |
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* {{Cite book|author=David Maraniss, Ellen Y. Nakashima|date=2001年|title=The Prince of Tennessee: Al Gore Meets His Fate|publisher=Simon & Schuster;1st Touchstone Ed edition|language=英語|isbn=978-0743210508|ref=Maraniss(2001年)}} |
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* {{Cite book|和書|author=多賀幹子|authorlink=多賀幹子|date=1990年|title=その名はアメリカ大統領夫人(ファースト・レディー)―41の愛と野望|publisher=[[徳間書店]]|isbn=978-4195541326|ref=多賀(1990年)}} |
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== 外部リンク == |
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{{Commonscat|Tipper Gore}} |
{{Commonscat|Tipper Gore}} |
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* [http://tippergore.com/ tippergore.com] |
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{{アメリカ合衆国のセカンドレディ}} |
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{{Normdaten}} |
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{{DEFAULTSORT:こあ ていつはあ}} |
{{DEFAULTSORT:こあ ていつはあ}} |
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[[Category:アメリカ合衆国の |
[[Category:20世紀アメリカ合衆国の写真家]] |
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[[Category:21世紀アメリカ合衆国の写真家]] |
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[[Category:20世紀アメリカ合衆国の女性芸術家]] |
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[[Category:21世紀アメリカ合衆国の女性芸術家]] |
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[[Category:20世紀の女性写真家]] |
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[[Category:21世紀の女性写真家]] |
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[[Category:アメリカ合衆国のセカンドレディ]] |
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[[Category:アメリカ合衆国の女性写真家]] |
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[[Category:アメリカ合衆国の著作家]] |
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[[Category:米国聖公会の信者]] |
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[[Category:イングランド系アメリカ人]] |
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[[Category:スコットランド系アメリカ人]] |
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[[Category:ドイツ系アメリカ人]] |
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[[Category:スウェーデン系アメリカ人]] |
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[[Category:ワシントンD.C.出身の人物]] |
[[Category:ワシントンD.C.出身の人物]] |
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[[Category:1948年生]] |
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[[Category:存命人物]] |
[[Category:存命人物]] |
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{{DEFAULTSORT:こあ ていつはあ}} |
2024年12月16日 (月) 23:41時点における最新版
ティッパー・ゴア Tipper Gore | |
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ティッパー・ゴア(1999年12月撮影) | |
アメリカ合衆国のセカンドレディ | |
任期 1993年1月20日 – 2001年1月20日 | |
前任者 | マリリン・クエール |
後任者 | リン・チェイニー |
個人情報 | |
生誕 | 1948年8月19日 ワシントンD.C. |
国籍 | アメリカ合衆国 |
配偶者 | アル・ゴア・ジュニア(1970 - 2010、別居) |
子供 | カレナ・ゴア クリスティン・ゴア サラ・ゴア アル・ゴア3世 |
出身校 | ボストン大学 ジョージ・ピーボディ大学 |
職業 | 著作家、カメラマン |
宗教 | アメリカ聖公会 |
ティッパー・ゴア(英語: Tipper Gore)、本名メアリー・エリザベス・ゴア(英語: Mary Elizabeth Gore、旧姓エイチェソン(Aitcheson)、1948年8月19日 - )は、アメリカ合衆国の著作家、写真家。第45代アメリカ合衆国副大統領アル・ゴアの妻でもあった。1993年1月20日から2001年1月20日までアメリカ合衆国のセカンドレディの役割を担った。ゴア夫妻は2010年に離婚することを公表した。
PMRCを率いてヘヴィメタル、パンク、ヒップホップ分野をおもに、暴力的あるいは性的に露骨な歌詞が含まれる音楽を批判し、レコードに「ペアレンタル・アドバイザリー」のステッカー(通称:ティッパーステッカー)を貼るのを義務づけるよう促進した彼女はセカンドレディになる前から著名人であった。
経歴
[編集]メアリー・エリザベス・エイチェソンは1948年8月19日にアメリカ合衆国の首都であるワシントンD.C.にて、水道会社を経営するジョン・ケネス・エイチェソン・ジュニアと前の夫を第二次世界大戦で亡くしたマーガレット・アン・カールソン・オダム(1924–2001)の一人娘として生まれた[1][2]。祖先にはイングランド人、スコットランド人、ドイツ人、スウェーデン人も含まれる[2][3]。1952年に両親の離婚が成立し[2]、バージニア州アーリントンにあるマーガレットの実家で育てられた[1]。ニックネームの"ティッパー"は、幼少期にお気に入りだった子守唄「ティッパー、ティッパー、ティン(Tippy, Tippy, Tin)」より母親が名付けた[1]。
バージニア州アレクサンドリアに位置する民間の女子校、聖アグネス学院に入学したティッパーはバスケットボールとソフトボールとフィールドホッケーのチームでプレーし、ガールズバンド「ワイルドキャッツ」にも所属してドラムを担当した[1]。
1965年にアル・ゴアが通うワシントンD.C.の聖アルバンス学院のシニアプロムに参加して彼と出会い、二人はすぐに交際を開始した[4]。高校を卒業したゴアはハーバード大学に進学し、ティッパーもガーランド短期大学に進学した[5]。ティッパーはその後にボストン大学に転学した[1]。1970年に同校で心理学の学士号を取得した彼女は心理学を追求して1975年にはジョージ・ピーボディ大学で修士号を取得した[6]。翌1976年に夫のゴアが連邦議会を構成する議員の一人に選出されるまではテネシー州で新聞カメラマンとして働いた[6]。
家族と私生活
[編集]アル・ゴア・ジュニアとメアリー・エリザベス・エイチェソンは1970年5月19日にワシントン大聖堂で結婚式をあげた[7]。夫婦は4人の子供をもうけた。
- カレナ・エイチェソン・ゴア(1973年8月6日生まれ[7]) - 著作家、弁護士、ジャーナリスト[8]。1997年7月12日にニューヨークで総合診療医を務めるアンドリュー・ニューマン・シフと結婚[9]。2000年アメリカ合衆国大統領選挙では父親の選挙キャンペーンで主導的な役割を果たし、著書『Lighting the Way: Nine Women Who Changed Modern America』は選挙の敗北によって生じた自身の精神的苦痛を和らげるために書いたものだと述べている[8]。シフとの間に3人の子供をもうけたが、2010年6月9日(両親が離婚の発表をした翌週)に二人が離婚に向けて既に別居していることが報じられた[10]。
- クリスティン・カールソン・ゴア(1977年6月5日生まれ[7]) - 著作家、脚本家[11]。2005年に元議会スタッフのポール・キューサックと結婚したが、2009年6月に離婚した[11][12]。
- サラ・ラフォン・ゴア(1979年1月7日生まれ[7]) - カリフォルニア大学サンフランシスコ校で医療を学んだが、進路を変更して芸術家になった[13]。2007年7月に台湾系アメリカ人実業家のビル・リー(李君偉)と結婚した[14]。2014年4月にパトリック・マイアニと再婚したことが報じられた(リーといつ離婚したかは不明)[13]。
- アルバート “アル” ゴア3世(1982年10月19日生まれ[7]) - 経営学修士(MBA)の候補者[15]。過去には父親がアメリカ合衆国副大統領を退任した後にマリファナ所持が原因の逮捕のニュースが二度報じられた[13]。2014年5月にブルターニュ・トスカーノと結婚した[15]。
ティッパーは2000年8月17日にロサンゼルスに位置するステイプルズ・センターにて、民主党の大統領候補指名を受け入れた夫と長く、濃厚なキスを交わした[16]。
2003年に「イレイジング・ザ・スティグマ・アワーズ」において、息子のアル・ゴア3世が幼少期に自動車にはねられて瀕死の重傷を負った際にうつ病に苦しみ、それを克服した彼女自身の経験について講演した[17]。
2010年6月1日に熟慮と協議を経た末の結論として、ゴア夫妻は40年におよぶ結婚生活に終止符を打ち、離婚すると公表した[18][19]。2012年8月25日付の『ニューヨーク・タイムズ』は二人が年に数回、家族旅行やクリスマスなどの機会に会っていると報じた[16]。
政治への関与
[編集]1984年に当時11歳だった長女のカレナが聴いていたプリンスのアルバム『パープル・レイン』の収録曲「ダーリン・ニッキー」に耳を傾けて露骨な歌詞が含まれていると感じて憤慨し、翌1985年にアメリカ合衆国財務長官ジェームズ・ベイカーの妻スーザン・ベイカーらと共同でPMRCを設立した[20]。「ナショナル・パブリック・ラジオ」(NPR)の記事によると、この出来事がティッパーに子供たちへの警告目的で暴力的にあるいは性的に露骨な歌詞が含まれる音楽のレコードにステッカーを貼るように義務づける法案を連邦議会に提出するための働き掛けを開始する決意を促すことになった[21]。政治家やビジネスマンの夫人たちで構成されるPMRCは夫たちの力を利用して上院において、「ポピュラー音楽の憂慮すべきコンテンツに関する」公聴会を開催させたが、会に出席して証言したミュージシャンのフランク・ザッパとジョン・デンバー、「トゥイステッド・シスター」に所属するディー・スナイダーのいずれもが検閲に強く反対する意思を表明した[20]。PMRCを率いたティッパーは多くの音楽業界関係者から批判されることになり、ザッパは「文化に対するテロリストだ」と彼女を評した[1]。ウォレントは1990年に発売したアルバム『いけないチェリーパイ』の収録曲「オード・トゥー・ティッパー・ゴア」で卑猥な語句を挿入して彼女を馬鹿にした[22]。
また、青少年を取り巻く社会環境に警告を発する本を出版してこれがベストセラーになり、1988年アメリカ合衆国大統領選挙で候補の一人として名乗りを上げたゴアはこの時に「本人より先に、妻の名前が知られている初めての候補者」と呼ばれたり、「あのティッパーの亭主」と紹介されることもしばしばあった[23]。しかし、ティッパーは「彼(ゴア)は私の口を封じようとしたことは一度もありませんし、私も夫への影響を恐れて活動を中止するつもりは全くありません」と言い切っている[23]。
アメリカ合衆国のセカンドレディとしてのティッパーはより良いメンタルヘルスを提唱し、精神疾患に対する偏見を根絶するキャンペーンを展開したことで称賛を獲得した[6]。1999年にはホワイトハウスで史上初めて開催されたメンタルヘルスについての会議で議長を務めた[6]。彼女は自身のうつ病体験を公にしている[6]。
著書
[編集]著者または共著者として、数冊の本を出している。
- Raising PG Kids in an X-Rated Society (1987年) (ISBN 978-0687352838)
- Picture This: A Visual Diary (1996年) (ISBN 978-0553067200)
- 『副大統領夫人の写真日記』 浜野保樹訳、朝日新聞社 1998年。ISBN 978-4022572684
- From the Bottom of Our Hearts (2002年) (ISBN 978-1931718455)
- Joined at the Heart: The Transformation of the American Family (2002年) (ISBN 978-0805068931) - 夫のアル・ゴアとの共著
- The Spirit of Family (2002年) (ISBN 978-0805068931) - 夫のアル・ゴアとの共著
脚注
[編集]- ^ a b c d e f “Tipper Gore Bio” (英語). CNN.com. 2015年1月1日閲覧。
- ^ a b c William Addams Reitwiesner. “The Ancestors of Tipper Gore” (英語). Wargs.com. 2015年1月1日閲覧。
- ^ Maraniss(2001年) p.259
- ^ David Maraniss, Ellen Y. Nakashima (1999年10月10日). “Al Gore: Growing Up in Two Worlds” (英語). Washingtonpost.com. p. 2. 2015年1月1日閲覧。
- ^ Annie Groer (2010年6月1日). “Al and Tipper Gore Split After 40 Years of Marriage” (英語). Politicsdaily.com. 2015年1月1日閲覧。
- ^ a b c d e “Tipper Gore In and Out of Public Eye” (英語). ABCNews.go.com (2006年1月6日). 2015年1月1日閲覧。
- ^ a b c d e “Gore Chronology” (英語). PBS.org. 2015年1月1日閲覧。
- ^ a b Alexandra Starr (2006年2月12日). “Women Warriors” (英語). NYTimes.com. 2015年1月1日閲覧。
- ^ “Andrew Schiff, Karenna Gore” (英語). NYTimes.com (1997年7月13日). 2015年1月1日閲覧。
- ^ Ron Fournier (2010年6月9日). “Karenna Gore Schiff Separation: Gore Daughter SPLITS From Husband” (英語). Huffingtonpost.com. 2015年1月1日閲覧。
- ^ a b Mark Duell (2011年6月29日). “'They still love each other': Al Gore's daughter opens up about her parents' shocking split” (英語). Dailymail.co.uk. 2015年1月1日閲覧。
- ^ “Reliable Source - Love, Etc.” (英語). Washingtonpost.com (2009年5月28日). 2015年1月1日閲覧。
- ^ a b c Meghan Keneally (2014年4月22日). “Al Gore's youngest daughter Sarah, 35, gets remarried under an old pine tree in casual outdoor service in California” (英語). Dailymail.co.uk. 2015年1月1日閲覧。
- ^ Dan Bloom (2007年7月25日). “When Sarah Gore married Bill Lee” (英語). Taipeitimes.com. 2015年1月1日閲覧。
- ^ a b Stephen M. Silverman (2014年6月1日). “Albert Gore, Son of Al and Tipper Gore, Marries in D.C.” (英語). People.com. 2015年1月1日閲覧。
- ^ a b Patrick Healy (2012年8月25日). “The End of the Line” (英語). NYTimes.com. p. 1. 2015年1月1日閲覧。
- ^ John Morgan, Stephen A. Shoop (2003年6月2日). “Tipper Gore Honors Mental Health Achievements” (英語). DrDonnica.com. 2015年1月1日閲覧。
- ^ “ゴア元米副大統領夫妻が離婚 米主要メディア報道”. 47news.jp (2010年6月2日). 2015年1月1日閲覧。
- ^ Amy Argetsinger, Roxanne Roberts (2010年6月2日). “40 more years? Not for Al and Tipper Gore, who've announced their separation” (英語). Washingtonpost.com. 2015年1月1日閲覧。
- ^ a b Miss Cellania (2012年1月2日). “Tipper vs. Music” (英語). Neatorama.com. 2015年1月1日閲覧。
- ^ Robert Siegel (2005年1月11日). “Tipper Gore and Family Values” (英語). NPR.org. 2015年1月1日閲覧。
- ^ Jeff Vrabel (2009年8月10日). “The Steel Horse Archives: Warrant, “Cherry Pie” (1990)” (英語). Popdose.com. 2015年1月1日閲覧。
- ^ a b 多賀(1990年) p.205
参考文献
[編集]- David Maraniss, Ellen Y. Nakashima (2001年) (英語). The Prince of Tennessee: Al Gore Meets His Fate. Simon & Schuster;1st Touchstone Ed edition. ISBN 978-0743210508
- 多賀幹子『その名はアメリカ大統領夫人(ファースト・レディー)―41の愛と野望』徳間書店、1990年。ISBN 978-4195541326。