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'''メアリー・エリザベス・エイチェソン・ゴア'''('''Mary Elizabeth Aitcheson " Tipper " Gore''' ,[[1948年]][[8月19日]] - )は、第45代[[アメリカ合衆国副大統領]][[アル・ゴア]]の妻([[セカンドレディ|アメリカ合衆国のセカンドレディ]])であった。ゴア夫妻の結婚生活は[[2010年]]に終わりを告げた。
[[File:Defense.gov News Photo 980305-D-9880W-105.jpg|thumb|350px|right|演説を行うティッパー・ゴア(1998年3月5日)]]
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'''ティッパー・ゴア'''('''Tipper Gore'''、[[1948年]][[8月19日]] - )、本名メアリー・エリザベス・エイチェソン・ゴア(Mary Elizabeth Aitcheson Gore)は、元[[アメリカ合衆国副大統領]][[アル・ゴア]]の妻で、[[1993年]]から[[2001年]]までの[[セカンドレディ|アメリカ合衆国セカンドレディ]]である。"ティッパー"の愛称で知られる。


'''[[PMRC]]'''を率いて[[ヘヴィメタル]]、[[パンク・ロック|パンク]]、[[ヒップホップ・ミュージック|ヒップホップ]]分野を主に、暴力的あるいは性的に[[卑語|露骨な歌詞]]が含まれる音楽を批判し、[[レコード]]に[[ペアレンタル・アドバイザリー]]の[[ラベル|ステッカー]](通称:ティッパーステッカー)を貼るのを義務付けるよう促進した彼女はセカンドレディになる前から著名人であった。
== 来歴 ==
ティッパー・ゴア(以下、ティッパー)は、1948年8月19日、[[ワシントンD.C.]]に、水道会社社長ジョン・"ジャック"・ケネス・エイチェソン(John "Jack" Kenneth Aitcheson)と、その妻マーガレット・オダム(Margaret Odom)の娘として誕生し、[[ヴァージニア州]][[アーリントン (バージニア州)|アーリントン]]で育った。やがて、両親は離婚し、ティッパーは、母と祖母に育てられた。ティッパーは、ヴァージニア州[[アレクサンドリア (バージニア州)|アレクサンドリア]]の[[米国聖公会]][[聖スティーブンと聖アグネス学院]]に入学し、[[スポーツ]]や女子[[バンド (音楽)|バンド]]の[[ドラムセット|ドラム]]で優秀な成績を残した。


== アルとの出会い ==
== 経歴 ==
[[File:Al Gore wedding.jpg|thumb|200px|right|[[アル・ゴア]]との結婚式写真(1970年5月19日)]]
ティッパーは、ワシントンD.C.の[[聖アルバンス学院]]の[[プロム|シニアプロム]]で、将来の夫アル・ゴア(以下、アル)と出会い、二人はすぐに交際し始めた。卒業後、アルは[[ハーバード大学]]へ、ティッパーは[[ボストン大学]]へ進み、心理学を専攻した。ティッパーは[[1970年]]にボストン大学の文学士号を取得し、1970年[[5月19日]]にアルと結婚した。[[1975年]]には、[[ジョージ・ピーボディ大学]](のちに[[ヴァンダービルト大学]]と合併)で[[心理学]]修士号を取得した。またティッパーは、アルが[[1976年]]に[[下院議員]]に選出されるまで、新聞カメラマンとして働いた。
メアリー・エリザベス・エイチェソンは[[1948年]][[8月19日]]に[[ワシントンD.C.]]にて、水道会社を経営するジョン・ケネス・エイチェソン・ジュニアと前の夫を[[第二次世界大戦]]で亡くしたマーガレット・アン・カールソン・オダムの一人娘として生まれた<ref name="CNN">{{cite web|url=http://www.cnn.com/ALLPOLITICS/1996/conventions/chicago/players/gore/tipper.shtml|title=Tipper Gore Bio|publisher=[[CNN|CNN.com]]|language=英語|accessdate=2015年1月1日}}</ref><ref name="Wargs">{{cite web|author=William Addams Reitwiesner|url=http://www.wargs.com/political/aitcheson.html|title=The Ancestors of Tipper Gore|publisher=Wargs.com|language=英語|accessdate=2015年1月1日}}</ref>。祖先には[[イングランド人]]、[[スコットランド人]]、[[ドイツ人]]、[[スウェーデン人]]も含まれる<ref name="Wargs" /><ref>[[#Maraniss(2001年)|Maraniss(2001年)]] p.259</ref>。[[1952年]]に両親の離婚が成立し<ref name="Wargs" />、[[バージニア州]][[アーリントン (バージニア州)|アーリントン]]にあるマーガレットの実家で育てられた<ref name="CNN" />。[[愛称|ニックネーム]]の"ティッパー"は、幼少期にお気に入りだった[[子守唄]]「ティッパー, ティッパー, ティン」より母親が名付けた<ref name="CNN" />。


バージニア州[[アレクサンドリア (バージニア州)|アレクサンドリア]]に位置する民間の女子校、{{仮リンク|聖スティーブンス・聖アグネス学院|en|St. Stephen's & St. Agnes School|label=聖アグネス学院}}に入学したティッパーは[[バスケットボール]]と[[ソフトボール]]と[[フィールドホッケー]]のチームでプレーし、[[ガールズバンド]]「ワイルドキャッツ」にも所属して[[ドラムセット|ドラム]]を担当した<ref name="CNN" />。
== 家族 ==
ゴア夫妻には、カレナ(Karenna、[[1973年]]-、ドリュー・シフと結婚)、クリスティン(Kristin、[[1977年]]-、ポール・キューサックと結婚)、サラ(Sarah、[[1979年]]-、ビル・リーと結婚)、アル・3世(Al III、[[1982年]]-)の1男3女がいる。また、夫妻には、2人の孫ワイアット・シフ(Wyatt Gore Schiff、[[1999年]]-)とアンナ・シフ(Anna Hunger Schiff、[[2001年]]-)がいる。カレナは弁護士、著述家およびジャーナリストとして活動している。クリスティンは著述家およびテレビ番組のライターとして活動している。サラは[[カリフォルニア大学サンフランシスコ校]]で医療を学んでおり、アル・3世は慈善事業雑誌の出版者として働いている。


[[1965年]]に[[アル・ゴア]]が通う{{仮リンク|聖アルバンス学院 (ワシントンD.C.)|en|St. Albans School (Washington, D.C.)|label=ワシントンD.C.の聖アルバンス学院}}の[[プロム|シニアプロム]]に参加して彼と出会い、二人はすぐに交際を開始した<ref>{{cite web|author=David Maraniss, Ellen Y. Nakashima|url=http://www.washingtonpost.com/wp-srv/politics/campaigns/wh2000/stories/gore101099b.htm|title=Al Gore: Growing Up in Two Worlds|page=2|publisher=[[ワシントン・ポスト|Washingtonpost.com]]|language=英語|date=1999年10月10日|accessdate=2015年1月1日}}</ref>。高校を卒業したゴアは[[ハーバード大学]]に進学し、ティッパーも{{仮リンク|ガーランド短期大学|en|Garland Junior College}}に進学した<ref>{{cite web|author=Annie Groer|url=http://www.politicsdaily.com/2010/06/01/al-and-tipper-gore-split-after-40-years-of-marriage/|title=Al and Tipper Gore Split After 40 Years of Marriage|publisher=Politicsdaily.com|language=英語|date=2010年6月1日|accessdate=2015年1月1日}}</ref>。ティッパーはその後に[[ボストン大学]]に転学した<ref name="CNN" />。[[1970年]]に同校で[[心理学]]の[[学士|学士号]]を取得した彼女は心理学を追求して[[1975年]]には[[ピーボディ大学|ジョージ・ピーボディ大学]]で[[修士|修士号]]を取得した<ref name="ABC">{{cite web|url=http://abcnews.go.com/Politics/story?id=123086&page=1|title=Tipper Gore In and Out of Public Eye|publisher=[[ABCニュース (アメリカ)|ABCNews.go.com]]|language=英語|date=2006年1月6日|accessdate=2015年1月1日}}</ref>。翌[[1976年]]に夫のゴアが[[アメリカ合衆国議会]]を構成する議員の一人に選出されるまでは[[テネシー州]]で新聞カメラマンとして働いた<ref name="ABC" />。
== 音楽との闘争 ==
ティッパーは、しばしば最初の現代的なセカンドレディと考えられている。ティッパーが、アメリカの映画やテレビ、音楽などのエンターテイメント産業から猥褻な要素を払拭させる活動に積極的だったからである。[[1985年]]、自宅で[[プリンス (ミュージシャン)|プリンス]]のアルバム『[[パープル・レイン]]』の収録曲『[[ダーリン・ニッキー]]』を11歳のカレナが聞いているのを見つけ、歌詞が卑猥であると憤慨して「問題のある内容のレコードに[[ウォーニング・ステッカー]]を貼る事を義務付ける法案」を連邦議会に提出した。ティッパーは、[[トゥイスティッド・シスター]]の[[ディー・スナイダー]]や[[ジョン・デンバー]]、[[フランク・ザッパ]]らを激しく非難し、公聴会ではフランク・ザッパから「文化に対するテロリストだ」と非難された。その後、[[父母音楽情報源センター]]([[w:Parents Music Resource Center|Parents Music Resource Center]]、略称[[PMRC]])を立ち上げ、青少年に悪影響を与える映画、音楽、テレビ番組等を排除する運動を率いた。また、ティッパーに批判的な[[ジェロ・ビアフラ]]や[[エミネム]]などとの論争も生んだ。


== 愛称 ==
== 家族と私生活 ==
[[File:Al Gore with wife and daughter 1992.jpg|thumb|300px|right|副大統領候補になったアル・ゴアとティッパー夫人、末娘サラ(1992年10月26日)]]
愛称の"ティッパー(Tipper)"は、幼少期にお気に入りだった子守唄『Tippy, Tippy, Tin』に由来する。
[[File:05 05 RFC WDC 6jun98.jpg|300px|right|thumb|ゴア夫妻(1998年6月6日)]]
アル・ゴアとメアリー・エリザベス・エイチェソンは[[1970年]][[5月19日]]に[[ワシントン大聖堂]]で結婚式を挙げた<ref name="PBS">{{cite web|url=http://www.pbs.org/wgbh/pages/frontline/shows/choice2000/gore/cron.html|title=Gore Chronology|publisher=[[公共放送サービス|PBS.org]]|language=英語|accessdate=2015年1月1日}}</ref>。夫婦は4人の子供をもうけた。

*'''{{仮リンク|カレナ・ゴア・シフ|en|Karenna Gore Schiff|label=カレナ・ゴア}}'''([[1973年]][[8月6日]]生まれ<ref name="PBS" />) - [[著作家]]、[[弁護士]]、[[ジャーナリスト]]<ref name="Women">{{cite web|author=Alexandra Starr|url=http://www.nytimes.com/2006/02/12/books/review/12starr.html?_r=0|title=Women Warriors|publisher=[[ニューヨーク・タイムズ|NYtimes.com]]|language=英語|date=2006年2月12日|accessdate=2015年1月1日}}</ref>。1997年7月12日に[[ニューヨーク]]で[[総合診療医]]を務めるアンドリュー・ニューマン・シフと結婚<ref>{{cite web|url=http://www.nytimes.com/1997/07/13/style/andrew-schiff-karenna-gore.html|title=Andrew Schiff, Karenna Gore|publisher=NYtimes.com|language=英語|date=1997年7月13日|accessdate=2015年1月1日}}</ref>。[[2000年アメリカ合衆国大統領選挙|2000年合衆国大統領選挙]]では父親の[[選挙運動]]で主導的な役割を果たし、著書''『Lighting the Way: Nine Women Who Changed Modern America』''は選挙の敗北によって生じた自身の精神的苦痛を和らげるために書いたものだと述べている<ref name="Women" />。シフとの間に3人の子供をもうけたが、2010年6月9日(両親が離婚の発表をした翌週)に二人が離婚に向けて既に別居していることが報じられた<ref>{{cite web|author=Ron Fournier|url=http://www.huffingtonpost.com/2010/06/09/karenna-gore-schiff-separ_n_605775.html|title=Karenna Gore Schiff Separation: Gore Daughter SPLITS From Husband|publisher=[[ハフィントン・ポスト|Huffingtonpost.com]]|language=英語|date=2010年6月9日|accessdate=2015年1月1日}}</ref>。
*'''{{仮リンク|クリスティン・ゴア|en|Kristin Gore}}'''([[1977年]][[6月5日]]生まれ<ref name="PBS" />) - 著作家、[[脚本家]]<ref name="shocking">{{cite web|author=Mark Duell|url=http://www.dailymail.co.uk/news/article-2009644/Al-Gores-daughter-Kristin-says-divorce-rattled-parents-happy-love.html|title='They still love each other': Al Gore's daughter opens up about her parents' shocking split|publisher=[[デイリー・メール|Dailymail.co.uk]]|language=英語|date=2011年6月29日|accessdate=2015年1月1日}}</ref>。2005年に元議会スタッフのポール・キューサックと結婚したが、2009年6月に離婚した<ref name="shocking" /><ref>{{cite web|url=http://voices.washingtonpost.com/reliable-source/2009/05/love_etc_50.html|title=Reliable Source - Love, Etc. |publisher=Washingtonpost.com|language=英語|date=2009年5月28日|accessdate=2015年1月1日}}</ref>。
*'''サラ・ゴア'''([[1979年]][[1月7日]]生まれ<ref name="PBS" />) - [[カリフォルニア大学サンフランシスコ校]]で[[医療]]を学んだが、進路を変更して[[芸術家]]になった<ref name="Dailymail">{{cite web|author=Meghan Keneally|url=http://www.dailymail.co.uk/news/article-2610576/Al-Gores-youngest-daughter-Sarah-35-gets-remarried-old-pine-tree-casual-outdoor-service-California.html|title=Al Gore's youngest daughter Sarah, 35, gets remarried under an old pine tree in casual outdoor service in California|publisher=Dailymail.co.uk|language=英語|date=2014年4月22日|accessdate=2015年1月1日}}</ref>。2007年7月に[[台湾系アメリカ人]][[実業家]]のビル・リー(李君偉)と結婚した<ref>{{cite web|author=Dan Bloom|url=http://www.taipeitimes.com/News/editorials/archives/2007/07/25/2003371199|title=When Sarah Gore married Bill Lee|publisher=[[Taipei Times|Taipeitimes.com]]|language=英語|date=2007年7月25日|accessdate=2015年1月1日}}</ref>。2014年4月にパトリック・マイアニと再婚したことが報じられた(リーといつ離婚したかは不明)<ref name="Dailymail" />。
*'''アルバート・ゴア3世'''([[1982年]][[10月19日]]生まれ<ref name="PBS" />) - [[経営学修士]](MBA)の候補者<ref name="People">{{cite web|author=Stephen M. Silverman|url=http://www.people.com/article/albert-gore-al-tipper-gore-son-marries-brittany-toscano-washington-dc|title=Albert Gore, Son of Al and Tipper Gore, Marries in D.C.|publisher=[[ピープル (雑誌)|People.com]]|language=英語|date=2014年6月1日|accessdate=2015年1月1日}}</ref>。過去には父親が[[アメリカ合衆国副大統領]]を退任した後に[[大麻|マリファナ]]所持が原因の逮捕のニュースが二度報じられた<ref name="Dailymail" />。2014年5月にブルターニュ・トスカーノと結婚した<ref name="People" />。

ティッパーは[[2000年]]8月17日に[[ロサンゼルス]]に位置する[[ステイプルズ・センター]]にて、[[民主党 (アメリカ)|民主党]]の大統領候補指名を受け入れた夫と長く、濃厚なキスを交わした<ref name="End">{{cite web|author=Patrick Healy|url=http://www.nytimes.com/2012/08/26/fashion/the-end-of-the-line.html|title=The End of the Line|page=1|publisher=NYtimes.com|language=英語|date=2012年8月25日|accessdate=2015年1月1日}}</ref>。

[[2003年]]に「イレイジング・ザ・スティグマ・アワーズ」において、息子のアル・ゴア3世が幼少期に[[自動車]]にはねられて瀕死の重傷を負った際に[[うつ病]]に苦しみ、それを克服した彼女自身の経験について講演した<ref>{{cite web|author=John Morgan, Stephen A. Shoop|url=http://www.drdonnica.com/celebrities/00006388.htm|title=Tipper Gore Honors Mental Health Achievements|publisher=DrDonnica.com|language=英語|date=2003年6月2日|accessdate=2015年1月1日}}</ref>。

[[2010年]][[6月1日]]に熟慮と協議を経た末の結論として、ゴア夫妻は40年に及んだ結婚生活に終止符を打ち、離婚すると公表した<ref>{{cite web|url=http://www.47news.jp/CN/201006/CN2010060201000290.html|title=
ゴア元米副大統領夫妻が離婚 米主要メディア報道|publisher=[[47NEWS|47news.jp]]|date=2010年6月2日|accessdate=2015年1月1日}}</ref><ref>{{cite web|author=Amy Argetsinger, Roxanne Roberts|url=http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/06/01/AR2010060104013.html|title=40 more years? Not for Al and Tipper Gore, who've announced their separation|publisher=Washingtonpost.com|language=英語|date=2010年6月2日|accessdate=2015年1月1日}}</ref>。[[2012年]]8月25日付の『[[ニューヨーク・タイムズ]]』紙は二人が年に数回、家族旅行や[[クリスマス]]などの機会に会っていると報じた<ref name="End" />。

== 政治への関与 ==
[[1984年]]に当時11歳だった長女のカレナが聴いていた[[プリンス (ミュージシャン)|プリンス]]の[[アルバム]]『[[パープル・レイン]]』の収録曲「{{仮リンク|ダーリン・ニッキー|en|Darling Nikki}}」に耳を傾けて[[卑語|露骨な歌詞]]が含まれていると感じて憤慨し、翌[[1985年]]に[[アメリカ合衆国財務長官|合衆国財務長官]][[ジェイムズ・ベイカー (国務長官)|ジェームズ・ベイカー]]の妻スーザン・ベイカーらと共同で'''[[PMRC]]'''を設立した<ref name="neatorama">{{cite web|author=Miss Cellania|url=http://www.neatorama.com/2012/01/02/tipper-vs-music/|title=Tipper vs. Music|publisher=Neatorama.com|language=英語|date=2012年1月2日|accessdate=2015年1月1日}}</ref>。[[ナショナル・パブリック・ラジオ]](NPR)の記事によると、この出来事がティッパーに子供達への警告目的で暴力的にあるいは性的に露骨な歌詞が含まれる音楽の[[レコード]]に[[ラベル|ステッカー]]を貼るように義務付ける法案を連邦議会に提出するための働き掛けを開始する決意を促すことになった<ref>{{cite web|author=Robert Siegel|url=http://www.npr.org/templates/story/story.php?storyId=4279560|title=Tipper Gore and Family Values|publisher=[[ナショナル・パブリック・ラジオ|NPR.org]]|language=英語|date=2005年1月11日|accessdate=2015年1月1日}}</ref>。[[政治家]]や[[ビジネスマン]]の夫人達で構成されるPMRCは夫の力を利用して[[アメリカ合衆国上院|上院]]において、「[[ポピュラー音楽]]の憂慮すべき[[コンテンツ]]に関する」[[公聴会]]を開催させたが、会に出席して証言した[[音楽家|ミュージシャン]]の[[フランク・ザッパ]]と[[ジョン・デンバー]]、[[トゥイステッド・シスター]]に所属する{{仮リンク|ディー・スナイダー|en|Dee Snider}}のいずれもが[[検閲]]に強く反対する意思を表明した<ref name="neatorama" />。PMRCを率いたティッパーは多くの音楽業界関係者から批判されることになり、フランク・ザッパは「文化に対する[[テロリズム|テロリスト]]だ」と彼女を評した<ref name="CNN" />。[[ウォレント]]は1990年に発売したアルバム『{{仮リンク|いけないチェリーパイ|en|Cherry Pie (album)}}』の収録曲「オデ・トゥー・ティッパー・ゴア」で卑猥な語句を挿入して彼女を馬鹿にした<ref>{{cite web|author=Jeff Vrabel|url=http://popdose.com/the-steel-horse-archives-warrant-cherry-pie-1990/|title=The Steel Horse Archives: Warrant, “Cherry Pie” (1990)|publisher=Popdose.com|language=英語|date=2009年8月10日|accessdate=2015年1月1日}}</ref>。

また、青少年を取り巻く社会環境に警告を発する本を出版してこれが[[ベストセラー]]になり、[[1988年アメリカ合衆国大統領選挙|1988年合衆国大統領選挙]]で候補の一人として名乗りを上げたゴアはこの時に「本人より先に、妻の名前が知られている初めての候補者」と呼ばれたり、「あのティッパーの亭主」と紹介されることもしばしばあった<ref name="多賀205">[[#多賀(1990年)|多賀(1990年)]] p.205</ref>。しかし、ティッパーは「彼(ゴア)は私の口を封じようとしたことは一度もありませんし、私も夫への影響を恐れて活動を中止するつもりは全くありません」と言い切っている<ref name="多賀205" />。

[[セカンドレディ]]としてのティッパーはより良い[[メンタルヘルス]]を提唱し、[[精神障害|精神疾患]]に対する偏見を根絶するキャンペーンを展開したことで称賛を獲得した<ref name="ABC" />。[[1999年]]には[[ホワイトハウス]]で史上初めて開催されたメンタルヘルスについての会議で議長を務めた<ref name="ABC" />。彼女は自身のうつ病体験を公にしている<ref name="ABC" />。

== 著書 ==
ティッパー・ゴアは数冊の本の著者または共著者である。
* ''Raising PG Kids in an X-Rated Society'' (1987年) (ISBN 0-687-35282-7)
* ''Picture This: A Visual Diary'' (1996年) (ISBN 0-553-06720-6)
* ''From the Bottom of Our Hearts'' (2002年) (ISBN 1-931718-32-6)
* ''Joined at the Heart: The Transformation of the American Family'' (2002年) (ISBN 0-8050-7450-3) , ([[アル・ゴア]]との共著)
* ''The Spirit of Family'' (2002年) (ISBN 5-550-15167-7) , (アル・ゴアとの共著)

== 脚注 ==
{{Reflist}}

== 参考文献 ==
* {{Cite book|author=David Maraniss, Ellen Y. Nakashima|date=2001年|title=The Prince of Tennessee: Al Gore Meets His Fate|publisher=Simon & Schuster;1st Touchstone Ed edition|language=英語|isbn=978-0743210508|ref=Maraniss(2001年)}}
* {{Cite book|和書|author=[[多賀幹子]]|date=1990年|title=その名はアメリカ大統領夫人(ファースト・レディー)―41の愛と野望|publisher=[[徳間書店]]|isbn=978-4195541326|ref=多賀(1990年)}}


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2015年1月11日 (日) 08:49時点における版

ティッパー・ゴア
Tipper Gore
ファイル:Mary Elizabeth Gore.JPG
ティッパー・ゴア(1999年10月撮影)
アメリカ合衆国のセカンドレディ
任期
1993年1月20日 – 2001年1月20日
前任者マリリン・クエール
後任者リン・チェイニー
個人情報
生誕 (1948-08-19) 1948年8月19日
ワシントンD.C.
国籍アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
配偶者アル・ゴア(1970 - 2010)
子供カレナ・ゴア英語版
クリスティン・ゴア英語版
サラ・ゴア
アルバート・ゴア3世
出身校ボストン大学
ジョージ・ピーボディ大学
職業著作家カメラマン
宗教アメリカ聖公会

メアリー・エリザベス・エイチェソン・ゴアMary Elizabeth Aitcheson " Tipper " Gore1948年8月19日 - )は、第45代アメリカ合衆国副大統領アル・ゴアの妻(アメリカ合衆国のセカンドレディ)であった。ゴア夫妻の結婚生活は2010年に終わりを告げた。

PMRCを率いてヘヴィメタルパンクヒップホップ分野を主に、暴力的あるいは性的に露骨な歌詞が含まれる音楽を批判し、レコードペアレンタル・アドバイザリーステッカー(通称:ティッパーステッカー)を貼るのを義務付けるよう促進した彼女はセカンドレディになる前から著名人であった。

経歴

アル・ゴアとの結婚式写真(1970年5月19日)

メアリー・エリザベス・エイチェソンは1948年8月19日ワシントンD.C.にて、水道会社を経営するジョン・ケネス・エイチェソン・ジュニアと前の夫を第二次世界大戦で亡くしたマーガレット・アン・カールソン・オダムの一人娘として生まれた[1][2]。祖先にはイングランド人スコットランド人ドイツ人スウェーデン人も含まれる[2][3]1952年に両親の離婚が成立し[2]バージニア州アーリントンにあるマーガレットの実家で育てられた[1]ニックネームの"ティッパー"は、幼少期にお気に入りだった子守唄「ティッパー, ティッパー, ティン」より母親が名付けた[1]

バージニア州アレクサンドリアに位置する民間の女子校、聖アグネス学院英語版に入学したティッパーはバスケットボールソフトボールフィールドホッケーのチームでプレーし、ガールズバンド「ワイルドキャッツ」にも所属してドラムを担当した[1]

1965年アル・ゴアが通うワシントンD.C.の聖アルバンス学院英語版シニアプロムに参加して彼と出会い、二人はすぐに交際を開始した[4]。高校を卒業したゴアはハーバード大学に進学し、ティッパーもガーランド短期大学英語版に進学した[5]。ティッパーはその後にボストン大学に転学した[1]1970年に同校で心理学学士号を取得した彼女は心理学を追求して1975年にはジョージ・ピーボディ大学修士号を取得した[6]。翌1976年に夫のゴアがアメリカ合衆国議会を構成する議員の一人に選出されるまではテネシー州で新聞カメラマンとして働いた[6]

家族と私生活

副大統領候補になったアル・ゴアとティッパー夫人、末娘サラ(1992年10月26日)
ゴア夫妻(1998年6月6日)

アル・ゴアとメアリー・エリザベス・エイチェソンは1970年5月19日ワシントン大聖堂で結婚式を挙げた[7]。夫婦は4人の子供をもうけた。

ティッパーは2000年8月17日にロサンゼルスに位置するステイプルズ・センターにて、民主党の大統領候補指名を受け入れた夫と長く、濃厚なキスを交わした[16]

2003年に「イレイジング・ザ・スティグマ・アワーズ」において、息子のアル・ゴア3世が幼少期に自動車にはねられて瀕死の重傷を負った際にうつ病に苦しみ、それを克服した彼女自身の経験について講演した[17]

2010年6月1日に熟慮と協議を経た末の結論として、ゴア夫妻は40年に及んだ結婚生活に終止符を打ち、離婚すると公表した[18][19]2012年8月25日付の『ニューヨーク・タイムズ』紙は二人が年に数回、家族旅行やクリスマスなどの機会に会っていると報じた[16]

政治への関与

1984年に当時11歳だった長女のカレナが聴いていたプリンスアルバムパープル・レイン』の収録曲「ダーリン・ニッキー英語版」に耳を傾けて露骨な歌詞が含まれていると感じて憤慨し、翌1985年合衆国財務長官ジェームズ・ベイカーの妻スーザン・ベイカーらと共同でPMRCを設立した[20]ナショナル・パブリック・ラジオ(NPR)の記事によると、この出来事がティッパーに子供達への警告目的で暴力的にあるいは性的に露骨な歌詞が含まれる音楽のレコードステッカーを貼るように義務付ける法案を連邦議会に提出するための働き掛けを開始する決意を促すことになった[21]政治家ビジネスマンの夫人達で構成されるPMRCは夫の力を利用して上院において、「ポピュラー音楽の憂慮すべきコンテンツに関する」公聴会を開催させたが、会に出席して証言したミュージシャンフランク・ザッパジョン・デンバートゥイステッド・シスターに所属するディー・スナイダーのいずれもが検閲に強く反対する意思を表明した[20]。PMRCを率いたティッパーは多くの音楽業界関係者から批判されることになり、フランク・ザッパは「文化に対するテロリストだ」と彼女を評した[1]ウォレントは1990年に発売したアルバム『いけないチェリーパイ英語版』の収録曲「オデ・トゥー・ティッパー・ゴア」で卑猥な語句を挿入して彼女を馬鹿にした[22]

また、青少年を取り巻く社会環境に警告を発する本を出版してこれがベストセラーになり、1988年合衆国大統領選挙で候補の一人として名乗りを上げたゴアはこの時に「本人より先に、妻の名前が知られている初めての候補者」と呼ばれたり、「あのティッパーの亭主」と紹介されることもしばしばあった[23]。しかし、ティッパーは「彼(ゴア)は私の口を封じようとしたことは一度もありませんし、私も夫への影響を恐れて活動を中止するつもりは全くありません」と言い切っている[23]

セカンドレディとしてのティッパーはより良いメンタルヘルスを提唱し、精神疾患に対する偏見を根絶するキャンペーンを展開したことで称賛を獲得した[6]1999年にはホワイトハウスで史上初めて開催されたメンタルヘルスについての会議で議長を務めた[6]。彼女は自身のうつ病体験を公にしている[6]

著書

ティッパー・ゴアは数冊の本の著者または共著者である。

脚注

  1. ^ a b c d e f Tipper Gore Bio” (英語). CNN.com. 2015年1月1日閲覧。
  2. ^ a b c William Addams Reitwiesner. “The Ancestors of Tipper Gore” (英語). Wargs.com. 2015年1月1日閲覧。
  3. ^ Maraniss(2001年) p.259
  4. ^ David Maraniss, Ellen Y. Nakashima (1999年10月10日). “Al Gore: Growing Up in Two Worlds” (英語). Washingtonpost.com. p. 2. 2015年1月1日閲覧。
  5. ^ Annie Groer (2010年6月1日). “Al and Tipper Gore Split After 40 Years of Marriage” (英語). Politicsdaily.com. 2015年1月1日閲覧。
  6. ^ a b c d e Tipper Gore In and Out of Public Eye” (英語). ABCNews.go.com (2006年1月6日). 2015年1月1日閲覧。
  7. ^ a b c d e Gore Chronology” (英語). PBS.org. 2015年1月1日閲覧。
  8. ^ a b Alexandra Starr (2006年2月12日). “Women Warriors” (英語). NYtimes.com. 2015年1月1日閲覧。
  9. ^ Andrew Schiff, Karenna Gore” (英語). NYtimes.com (1997年7月13日). 2015年1月1日閲覧。
  10. ^ Ron Fournier (2010年6月9日). “Karenna Gore Schiff Separation: Gore Daughter SPLITS From Husband” (英語). Huffingtonpost.com. 2015年1月1日閲覧。
  11. ^ a b Mark Duell (2011年6月29日). “'They still love each other': Al Gore's daughter opens up about her parents' shocking split” (英語). Dailymail.co.uk. 2015年1月1日閲覧。
  12. ^ Reliable Source - Love, Etc.” (英語). Washingtonpost.com (2009年5月28日). 2015年1月1日閲覧。
  13. ^ a b c Meghan Keneally (2014年4月22日). “Al Gore's youngest daughter Sarah, 35, gets remarried under an old pine tree in casual outdoor service in California” (英語). Dailymail.co.uk. 2015年1月1日閲覧。
  14. ^ Dan Bloom (2007年7月25日). “When Sarah Gore married Bill Lee” (英語). Taipeitimes.com. 2015年1月1日閲覧。
  15. ^ a b Stephen M. Silverman (2014年6月1日). “Albert Gore, Son of Al and Tipper Gore, Marries in D.C.” (英語). People.com. 2015年1月1日閲覧。
  16. ^ a b Patrick Healy (2012年8月25日). “The End of the Line” (英語). NYtimes.com. p. 1. 2015年1月1日閲覧。
  17. ^ John Morgan, Stephen A. Shoop (2003年6月2日). “Tipper Gore Honors Mental Health Achievements” (英語). DrDonnica.com. 2015年1月1日閲覧。
  18. ^ ゴア元米副大統領夫妻が離婚 米主要メディア報道”. 47news.jp (2010年6月2日). 2015年1月1日閲覧。
  19. ^ Amy Argetsinger, Roxanne Roberts (2010年6月2日). “40 more years? Not for Al and Tipper Gore, who've announced their separation” (英語). Washingtonpost.com. 2015年1月1日閲覧。
  20. ^ a b Miss Cellania (2012年1月2日). “Tipper vs. Music” (英語). Neatorama.com. 2015年1月1日閲覧。
  21. ^ Robert Siegel (2005年1月11日). “Tipper Gore and Family Values” (英語). NPR.org. 2015年1月1日閲覧。
  22. ^ Jeff Vrabel (2009年8月10日). “The Steel Horse Archives: Warrant, “Cherry Pie” (1990)” (英語). Popdose.com. 2015年1月1日閲覧。
  23. ^ a b 多賀(1990年) p.205

参考文献

  • David Maraniss, Ellen Y. Nakashima (2001年) (英語). The Prince of Tennessee: Al Gore Meets His Fate. Simon & Schuster;1st Touchstone Ed edition. ISBN 978-0743210508 
  • 多賀幹子『その名はアメリカ大統領夫人(ファースト・レディー)―41の愛と野望』徳間書店、1990年。ISBN 978-4195541326