コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「カルロス・ゴーン」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Kihowiki (会話 | 投稿記録)
離婚した http://fortune.com/2014/12/29/renault-nissan-carlos-ghosn/
(5人の利用者による、間の10版が非表示)
1行目: 1行目:
{{Infobox 人物
{{Infobox 人物
|氏名=カルロス・ゴーン・ビシャラ
|氏名=カルロス・ゴーン
|画像=Carlos Ghosn.jpg
|画像=Carlos Ghosn.jpg
|画像サイズ=200px
|画像サイズ=200px
7行目: 7行目:
|生誕地={{BRA}}、[[ポルト・ヴェーリョ]]
|生誕地={{BRA}}、[[ポルト・ヴェーリョ]]
|職業=[[日産自動車]][[社長]]兼[[最高経営責任者]](CEO) / [[ルノー]][[役員 (会社)#プレジダン・ディレクトゥー・ジェネラル|取締役会長兼CEO (PDG)]]
|職業=[[日産自動車]][[社長]]兼[[最高経営責任者]](CEO) / [[ルノー]][[役員 (会社)#プレジダン・ディレクトゥー・ジェネラル|取締役会長兼CEO (PDG)]]
|配偶者=リタ・ゴーン
|配偶者=
}}
}}
'''カルロス・ゴーン'''<!--日本の百科事典では人物名に英国内の称号をつけない。英国内の称号というのは、あくまでイギリスの権力者が様々な政治的な意図も込めて与えている称号なので、(イギリス人や英語話者の一部が、名前の前につけたがることはあっても)その国の外では基本的に無視して表記しない。 -->
'''カルロス・ゴーン'''({{lang-ar-short|كارلوس غصن}}、{{lang-pt-short|Carlos Ghosn}}、{{lang-fr-short|Carlos Ghosn}}、又は {{lang|fr|Bichara}}(ビシャラ)若しくは {{lang|fr|Ghosn Bichara}}、[[1954年]][[3月9日]] - )は、[[ブラジル]]人([[レバノン系ブラジル人]])の[[実業家]]。[[ルノー]]の[[役員 (会社)#プレジダン・ディレクトゥー・ジェネラル|取締役会長兼CEO (PDG) ]]で、[[日産自動車]]の[[社長]]兼[[最高経営責任者]](CEO)も務める。親は[[レバノン]]人、生まれはブラジル、育ちはフランス。レバノンとブラジルとフランスの多重国籍を有する。[[アラビア語]]と[[フランス語]]、[[英語]]、[[スペイン語]]、[[ポルトガル語]]の5言語を話せる。日産の社員に対して自ら語りたい時は、敢えて日本語でスピーチするようにしている。[[法政大学]]名誉博士(2004年)。
(Carlos Ghosn、1954年3月9日- )は、フランスの自動車会社[[ルノー]]の[[取締役]][[会長]]兼[[CEO]]([[PDG]])にして、[[日産自動車]]の[[社長]]兼最高経営責任者(CEO)。またルノーと日産は、2010以降全世界自動車市場の約10%のシェアを保っているが
<ref name="2010 annual report" /><ref name="2013 alliance fact" />、ゴーンは両社の株式の相互保有を含む戦略的パートナーシップを統括する「ルノー・日産アライアンス」の社長兼最高経営責任者(CEO)をも兼務する。


両親は[[レバノン]]人で、[[ブラジル]]で誕生。幼少期をブラジルで過ごし、中等教育は父の母国であるレバノンの[[ベイルート]]で受けた。[[フランス]]国立[[パリ国立高等鉱業学校|パリ高等工業大学]]を卒業した後、フランス大手タイヤメーカー、[[ミシュラン]]に入社し18年間在籍。同社での業績を評価され、[[ルノー]]に上席副社長としてスカウトされ、同社の再建にも貢献した。
== プロフィール ==
=== 生い立ち ===
ブラジル北部の中規模の都市である[[ポルト・ヴェーリョ]]で生まれた。父は[[レバノン系ブラジル人]]、母はアルジェリア生まれの[[レバノン系フランス]]人である。6歳の時に父の母国の[[レバノン]]の[[首都]]である[[ベイルート]]に引越し、ベイルートの[[イエズス会]]系の学校でフランス語で中等教育を受ける。


1999年3月、当時経営と財政危機に瀕していた日産がルノーと資本提携を結び<ref>[http://www.nissan.co.jp/MS/TOKYO2001/JP/EVENT/011030_newsrelease.html 株式の相互保有、共同運営組織「ルノー・日産 BV」の設立により]. 日産自動車. (2001/10/30)。</ref>、同年6月、ルノーの上席副社長の職にあったゴーンが、ルノーにおけるポジションを維持しつつ、日産の最高執行責任者([[COO]])に就任。後に日産の社長兼最高経営責任者(CEO)、ルノーの取締役会長兼CEO(PDG)、ルノー・日産アライアンスの会長兼最高経営責任者(CEO)に就任。
高等教育は、フランスのエリート養成校の代表である[[グランゼコール]]の一つ、[[エコール・ポリテクニーク]](École Polytechnique)を卒業([[パリ国立高等鉱業学校]](École des Mines de Paris)にてCorps des Mines課程修了)。 


フランスと日本の2国をまたぎ、その重責を果たしている。「コストキラー」<ref name= "ストキラーは">[http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_1126.html コストキラーは日産をどう変える]. NHK クローズアップ現代. (1999/07/27)。</ref>「ミスター調整(FIX IT)」<ref>[http://content.time.com/time/magazine/article/0,9171,1004877,00.html 自動車業界の動向: ザ・コストキラー](英語). [[タイム (雑誌)|タイム]]. (2003/05/19)。</ref> などの異名をとるゴーンは、日産再建に向け社員とともに「日産リバイバルプラン」を作成。短期間で日産の経営立て直しを果たし、2003年に[[フォーチュン (雑誌)|フォーチュン誌]]は、彼を「アメリカの外にいる10人の最強の事業家の一人」と称している<ref>[http://fortune.com/2012/11/21/the-25-most-powerful-people-in-business/ 25人の最強事業家達](英語). フォーチュン. (2003/08/11)。</ref>。
20歳代で、フランスの大企業の幹部の座が約束された人生を歩むことになった。


レバノンとブラジルとフランスの多重国籍を有する。[[アラビア語]]と[[フランス語]]、[[英語]]、[[スペイン語]]、[[ポルトガル語]]の5言語を話せる。日産の社員に対して自らの肉声で語りたい時は、敢えて日本語でスピーチするようにしている。2004年には[[法政大学]][[名誉博士]]に成っている。 極度の経営不振と経済的危機の状態にあった日産自動車を立て直したということで、他社の社外取締役に招聘されたり、大学の委員なども務めたりもしている。また、自らコマーシャルに出演するなど<ref>[http://www.oricon.co.jp/prof/artist/1160006/products/cm/ CM: カルロス・ゴーン]. オリコン芸能人事典。</ref><ref name="CM" />、マスメディアにも積極的に登場。漫画誌・ビッグコミック・スペリオールに「カルロス・ゴーン物語」<ref>[http://response.jp/article/2001/11/19/13227.html あの、ゴーンが漫画になった!]. Response.jp. (2001/11/19)。</ref>が掲載されるなど、広く知られる存在となっている。レバノン系フランス人の妻<ref>[http://books.rakuten.co.jp/RBOOKS/pickup/interview/ghosn_r/ リタ・ゴーンが初めて明かす『ゴーン家の家訓』]. 楽天ブック著者インタビュー。</ref> との間に4人の子供がいる<ref>[http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20060808/107704/ 『ゴーン家の家訓』リタ・ゴーン著]. 集英社 (2006/05)。</ref>。
=== ミシュランからルノーへ ===
[[1978年]]に、フランスの大手[[タイヤ]]製造会社の[[ミシュラン]]社に入社。27歳でフランス国内の[[工場長]]に就任後、31歳でブラジル・ミシュラン社の社長を経て、35歳で北アメリカ・ミシュラン社の社長・経営最高責任者([[最高経営責任者|CEO]])に抜擢されるなど順調にキャリアを重ねていった。その後、[[ユニロイヤル]]部門の再建を成功させた事などが評価され、[[1996年]]に、フランスの大手自動車製造会社であるルノー上級副社長を務めた。


[[KBE]] ([[大英帝国勲章]]・ナイトコマンダー)。
ルノーでは、不採算事業所の閉鎖や調達先の集約などで経費の圧縮を進め、赤字だったルノーは数年で黒字に転換した。ルノーの[[ベルギー]]工場閉鎖などは、両国間の外交問題へと発展した。これによって、ゴーンには「コストカッター」「コストキラー」の異名が付くことになる。


=== 日産へ出向 ===
== 生い立ちと来歴 ==
祖父ビチャラ・ゴーンは、[[レバノン]]で生まれ13歳で[[ブラジル]]に移住し<ref>[http://books.google.co.jp/books?id=RZ-RuS9VNSgC&pg=PA1 Shift: Inside Nissan's Historic Revival; 1ページ](英語). カルロス・ゴーン著. (2006/03/21)。</ref><ref name="カルロス・ゴーン経営を語る" />、ブラジル北部、ブラジルと[[ボリビア]]国境近くの[[ロンドニア州]]の奥地 [[:w:São Miguel do Guaporé|São Miguel do Guaporé]] サン・ミゲウ・ド・グアポレ でゴム産業に参入<ref name="shift3" />。最終的には農産物を売買する会社のオーナーとなった<ref name="shift3" />。レバノン系ブラジル人である父 ホルヘ・ゴーンはロンドニア州の州都[[ポルト・ヴェーリョ]]に居を構え、同じく[[ナイジェリア]]生まれのレバノン人の女性と結婚<ref>[http://books.google.co.jp/books?id=2ht476S0twwC&pg=PA6 The Carlos Ghosn Story―カルロス・ゴーン; 6ページ].(英語)IBCパブリッシング (2007/02)</ref><ref>[http://books.google.co.jp/books?id=2ht476S0twwC&pg=PA8 The Carlos Ghosn Story―カルロス・ゴーン; 8ページ](英語). IBCパブリッシング (2007/02)</ref><ref>[http://books.google.com/books?id=RZ-RuS9VNSgC&pg=PA4 Shift: Inside Nissan's Historic Revival; 4ページ](英語). カルロス・ゴーン著. (2006/03/21)。</ref><ref name="カルロス・ゴーン経営を語る">[https://www.utobrain.co.jp/review/2003/121500/ 書籍『カルロス・ゴーン経営を語る』の紹介文]. UBブックレビュー. (2003/09/10。)</ref>。
[[1999年]]3月、ルノーが当時経営危機にあった[[日本]]第2位の[[自動車]]会社日産自動車と資本提携。同社を傘下に収めた後に、当時のルイ・シュヴァイツァー会長の指示により、ルノーの子会社となった日産自動車の最高執行責任者(COO)に就任。家族共々日本へ移り住む。


1954年3月9日にカルロス・ゴーンが誕生した<ref>[http://books.google.co.jp/books?id=2ht476S0twwC&pg=PA4 The Carlos Ghosn Story―カルロス・ゴーン; 4ページ] (英語). IBCパブリッシング (2007/02)</ref>。カルロスが2歳くらいの頃、不衛生な水を摂取したことで病気となり、母親とともに[[リオ・デ・ジャネイロ]]に移転<ref name="shift5">[http://books.google.com/books?id=RZ-RuS9VNSgC&pg=PA5 Shift: Inside Nissan's Historic Revival; 5ページ] (英語). カルロス・ゴーン著. (2006/03/21)。</ref>。その後、カルロスが6歳の時<ref>[http://fortune.com/2011/10/05/what-carlos-ghosn-sees-in-brazil/ カルロス・ゴーンはブラジルで何を見たのか](英語). フォーチュン誌. (2011/10/05)。</ref>、彼の3人の姉妹と母とともに<ref name="shift5" />、祖父の母国であるレバノン・[[ベイルート]]に転居し<ref name=shift3>[http://books.google.com/books?id=RZ-RuS9VNSgC&pg=PA3 Shift: Inside Nissan's Historic Revival; 3ページ](英語). カルロス・ゴーン著. (2006/03/21)。</ref>、ベイルートの[[イエズス会]]系の [[:w:Collège Notre-Dame de Jamhour.|Collège Notre-Dame de Jamhour]] コレージュ・ドゥ・ノートルダム・ドゥ・ジャンブールで中等教育を受けた<ref>[http://books.google.com/books?id=RZ-RuS9VNSgC&pg=PA6 Shift: Inside Nissan's Historic Revival; 6ページ](英語). カルロス・ゴーン著. (2006/03/21)。</ref>。その後、[[パリ]]にあるプレップスクール [[:w:Lycée Stanislas|Lycée Stanislas]] リセ・スタニスラス、そして、[[:w:Lycée Saint-Louis|Lycée Saint-Louis]] リセ・サン=ルイ で学ぶ<ref>[http://books.google.com/books?id=RZ-RuS9VNSgC&pg=PA9 Shift: Inside Nissan's Historic Revival; 9ページ](英語). カルロス・ゴーン著. (2006/03/21)</ref>。1974年、[[エコール・ポリテクニーク]](École Polytechnique)([[グランゼコール]]エリート養成校の一つ)を卒業し<ref name="CEOX2" />、1978年に[[パリ国立高等鉱業学校]](École des Mines de Paris)で工学博士を取得し卒業<ref name="BG2011">[http://www.ie.edu/microsites/comunicacion/Sem%2013%20junio%202011/Carlos%20Ghosn%20Bio%20Alliance%20UK%20March%202011.pdf ルノー・日産アライアンス取締役謙CEO; カルロス・ゴーン](英語). ルノー・日産. (2011/03/03)。</ref><ref name="CEOX2" />。
=== 日産復活へ ===
当初は、両社の文化的土壌の違いやラインナップの重複、日産自動車の負債の大きさや[[労働組合]]の反発などを理由に、同業他社やアナリストをはじめとする多くの専門家がその行く先を危惧した。


大学卒業後、1978年に欧州最大のタイヤメーカー、[[ミシュラン]] Michelin に入社した<ref name="BG2011" /><ref>[http://books.google.com/books?id=RZ-RuS9VNSgC&pg=PA18 Shift: Inside Nissan's Historic Revival; 18ページ](英語). カルロス・ゴーン著. (2006/03/21)。</ref>。[[フランス]]国内で工場長、産業用タイヤ部門の研究開発ヘッドを歴任<ref name="BG2011" /><ref name="Rekinin">[http://www.ngmf.jp/ngmf2012/speakers/10.html 講師カルロス・ゴーン略歴]. 第14回日経フォーラム; 世界経営者会議 (2012/10/29)。</ref> 後1985年、30歳の時に3億ドルの市場を持つ南米ミシュランの最高執行責任者(COO)に任命された<ref name="BG2011" /><ref name="brazil" />。生誕地であるブラジルに戻ったゴーンは、彼に操業の立て直しを命じた{{仮リンク|フランソワ・ミシュラン|fr|François Michelin}}に、ブラジルの[[ハイパーインフレ]]<ref>[http://www.nomura-am.co.jp/emergingfund/brazil/relation/sangyo/kiso.php ブラジル関連情報]. 野村アセットマネジメント. (2014年8月)。</ref> 下における事業の不採算性と困難について直訴している<ref name="brazil">[http://books.google.co.jp/books?id=Uwjr3zGswBoC&pg=PA125 変革をもたらす CEO達: 日本でのリーダーシップとマネージメントの成功; 125ページ](英語). [[:w:Edward Elgar Publishing|Edward Elgar 出版]]. (2006/01)。</ref>。しかしその中で、南米事業部におけるフランス、ブラジル、その他多国籍の従業員の間での最良な業務形態を模索し、[[クロスファンクショナルマネージメントチーム]]を結成<ref name="Impatient Ghosn" /><ref>[http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/ir/college/bulletin/Vol.25-2/09_Syobu.pdf CFT とその構成; 9ページ]ゴーンが発揮したリーダーシップ ─ CFTによる暗黙知の活用 ─. [[立命館大学]] (2012/10/02)。</ref>。このブラジルでの多文化体制下での経験は、後に彼の経営理念の核となるクロス・カルチャーな経営スタイルと強さの基盤を形成した<ref>[http://books.google.co.jp/books?id=EXPpamnvtyAC&pg=PA137 ビジネスモデル・イノベーション: 知を価値に転換する賢慮の戦略論; 137ページ]. 東洋経済新報社.(2014/6/12)。</ref>。「人は多様性から学び、そして共通性に安らぎを感じる。」とゴーンは語っている<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=h-cMpytGmtk カルロス・ゴーン多様性について語る](英語). [[TBWA\HAKUHODO|TBWA]]のロバート・シュワルツによるインタビュー. (2009/06/22)。</ref>。1989年、南米事業部を黒字転換させた後<ref name="Impatient Ghosn" />、ミシュランの北米事業部の社長兼ミシュランの北米事業部の社長兼(COO)に選ばれ<ref name="greenvilleroots">[http://greenvilleroots.com/carlos-ghosn/ カルロス・ゴーン日産に向かう前にミシュラン北米を指揮](英語). グリーンビル・ルーツ。</ref>、家族を伴い米国[[サウスカロライナ州]][[グリーンビル (サウスカロライナ州)|グリーンビル]]へと移転<ref name="greenvilleroots" />。1990年にミシュランの北米の最高経営責任者(CEO)に昇格する<ref name="BG2011" /><ref name="greenvilleroots" />。1996年に、[[ルノー]]の上席副社長にヘッドハンティングされ<ref name="SmaStation" />、再びフランスへと居を移したが、1999年にルノーと日産の資本提携が行われた後<ref name="ルノー日産資本提携" /><ref name="Nissan CEO" />、ルノーでの役職も維持しながら日産の最高執行責任者(COO)に就任<ref name="CEOX2" /><ref name="alliance press release" />。家族とともに日本に移り住んだ<ref>[http://books.google.com/books?id=RZ-RuS9VNSgC&pg=PA75 Shift: Inside Nissan's Historic Revival; 75ページ](英語). カルロス・ゴーン著. (2006/03/21)。</ref>。

[[ファイル:Carlos Ghosn - India Economic Summit 2009.jpg|right|220px|thumb|世界経済フォーラムインド経済サミット 2009]]
米フォーブス誌には「過酷な競合が繰り広げられる世界の自動車業界において最も多忙な男」と呼ばれ<ref name="Impatient Ghosn">[http://www.forbes.com/forbes/2006/0522/104.html 落ち着きのないゴーン](英語). [[フォーブス (雑誌)|フォーブス]]・マガジン. (2006/05/05)。</ref>、日本のメディアからは「セブンーイレブン(早朝から深夜まで非常にハードに働く)」と称され<ref>[http://books.google.co.jp/books?id=1nYDBAAAQBAJ&pg=PA32 カルロス・ゴーンが「セブンーイレブン」と呼ばれた理由]. ユナイテッド・ブックス. 成功者に学ぶ時間術; 32ページ. (2012/2/28)。</ref>、パリと東京の両拠点での職務に自らの時間を分割するゴーンの航空移動距離は、一年で約15万[[マイル]]にのぼる<ref name="Impatient Ghosn" />。

[[マルチリンガル]]で、[[アラビア語]]と[[フランス語]]、[[英語]]、[[スペイン語]]、[[ポルトガル語]]の5言語を流暢に話す<ref name="SmaStation">[http://www.tv-asahi.co.jp/ss/193/special/top.html 日産を蘇らせた男「カルロス・ゴーン」特集]. テレビ朝日. SmaStation-5. (2006/01/20)。</ref>。さらに日本語も学んでおり、日産社内で自らの肉声で語る際には、あえて日本語でのスピーチを行うようにしているという<ref>[http://www.youtube.com/watch?v=KKLuTH29FSc カルロスゴーンCEOスピーチ].大阪で行われた日産リーフのオーナミーティング. (2013/03/23)。</ref>。ブラジルとフランス両国の[[市民権]]を有し<ref>[http://www.kouenkai.org/ist/docf/yanagihara.html 「二重国籍」容認が国を変える]. 月刊現代 2001年7月号。</ref>、また少年期10年の間居住し、初等ー中等教育を修了したレバノンとの強い繋がりも維持。レバノン北部海岸沿いの街 [[:w:Batroun|Batroun]]にある環境に配慮したワイン農場でワインの輸出も行う「[[:w:IXSIR wine|IXSIR]]」に出資している<ref>[https://web.archive.org/web/20120402130437/http://www.yomiuri.co.jp/gourmet/drink/wnews/20120118-OYT8T00301.htm カルロス・ゴーン出資、レバノンの「イクシール」]. 読売新聞. (2012/01/18)。</ref>。

しばしばレバノンの大統領候補として名前があげられ<ref>[http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/151995 当選確実? 日産ゴーン社長「レバノン大統領転身」の現実味]. 日刊現代. (2014/07/19)。</ref>、日本でも保険会社の[[アクサ損害保険|アクサ]]が[[東日本大震災]]後の2011年6月に行った「震災後の日本をまかせたい有名人」のアンケートで7位([[バラク・オバマ|オバマ大統領]]は9位、アンケート実施当時の[[菅直人|菅首相]]は19位)に選ばれた<ref>[http://www2.axa.co.jp/info/news/2011/pdf/110627.pdf この国を任せたい有名人]. アクサ生命『震災後に「見直したもの」実態調査』. (2011/06/27)。</ref>。しかし、自身は一切の政治的野心は持っていないとして、現段階ではこういった要請を受けるつもりがないことを表明している<ref>[http://archive.today/H4rX3 車輪の裏に潜む男](英語). [[:w:Forward Magazine|Forward マガジン]]. (2009/07/01)</ref>。

== キャリア ==
=== ミシュラン ===
大学卒業後、1978年に欧州最大のタイヤメーカー、ミシュランMichelinに入社<ref name="CEOX2">[http://www.jahfa.jp/jahfa4/pala/person4.htm カルロス・ゴーン(Carlos Ghosn)氏 略歴]. 日本自動車殿堂。</ref>。3年目の1981年に、27歳でフランス国内のル・ピュイ工場の工場長に抜擢され<ref>[http://books.google.com/books?id=RZ-RuS9VNSgC&pg=PA24 Shift: Inside Nissan's Historic Revival; 24ページ](英語). カルロス・ゴーン著. (2006/03/21)。</ref>、1984年に同社の産業用タイヤ部門の研究開発ヘッドを務めた<ref name="NissanBio">[http://www.nissanusa.com/about/corporate-info#biography カルロス・ゴーン; バイオグラフィー](英語). 日産自動車。</ref>。翌1985年には、ブラジルを拠点とするミシュランの南米事業の最高執行責任者(COO)に任命された<ref name="NissanBio" /><ref name="CEOX2" />。5年後の1990年、35歳でミシュランの北米事業部の社長兼最高経営責任者(CEO)に就任し、[[ユニロイヤル・グットドリッチタイヤ]]社を買収後のリストラを主導するなど、18年間のミシュラン在籍期間中、重要な役職を歴任した<ref name="CEOX2" />。

=== ルノー ===
1996年、ルノー会長(当時)の{{仮リンク|ルイ・シュバイツァー|fr|Louis Schweitzer (haut fonctionnaire)}}から[[スカウト]]され<ref name="ghosn scout">[http://digital.asahi.com/articles/DA3S11303357.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11303357 日産と提携、個性尊重し成功/ゴーン氏なら異文化に対応 ルノー元会長・シュバイツァー氏]. 朝日新聞. (2014/08/17)。</ref>、購買、研究、先進技術のエンジニアリングと開発、製造、および南米ルノーのスーパーバイジング担当の上席副社長として、ルノーに入社<ref name="Rekinin" /><ref>[http://books.google.com/books?id=RZ-RuS9VNSgC&pg=PA59 Shift: Inside Nissan's Historic Revival; 59ページ](英語). カルロス・ゴーン著. (2006/03/21)</ref>。シュバイツァー自身、国営自動車会社ルノーの時代に経営再建の為、請われてフランス予算省の上級官僚から転職した人物<ref>[http://www.nikkei.co.jp/hensei/ngmf2000/speakers/04.html ルイ・シュバイツァー]. 日経フォーラム; 世界経営者会議。</ref>。ルノーは過激左派組織のテロなど<ref>[http://www.answers.com/topic/renault-s-a ルノーS.A.](英語). [[:w:Gale (publisher)|ゲイル]]ディレクトリ会社史:ルノーS.A.。</ref>、フランス国内外での混乱を生じながらも[[民営化]]し<ref>[http://www.renault.jp/about/history.html 新しい時代へ向けて]. ルノーの歴史。</ref>、民営化後も人員削減を押し進め、いったんは国内集中にシフトしていた事業展開を再び国際化へと方針転換していた最中で、ゴーンの手腕をかったシュバイツァー会長が自らヘッドハンティングを行った<ref name="ghosn scout" />。ルノーに入社したゴーンは、ベルギーのビルボールド工場閉鎖など不採算事業所の閉鎖や<ref>[https://www.toyo.ac.jp/uploaded/attachment/938.pdf リーダーシップ論の展開とリーダーシップ開発論; 11ページ]. 東洋大学経営力創成研究センター. (2010/03/05)。</ref>、調達先の集約などで経費の圧縮を進め、赤字だったルノーの経営を数年で黒字へと転換<ref>[http://books.google.co.jp/books?id=DTfHL0K-BugC&pg=PT103&lpg=PT103&dq=%E8%B5%A4%E5%AD%97%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%83%AB%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%81%AE%E7%B5%8C%E5%96%B6%E3%82%92%E6%95%B0%E5%B9%B4%E3%81%A7%E9%BB%92%E5%AD%97%E3%81%B8%E3%81%A8%E8%BB%A2%E6%8F%9B&source=bl&ots=tUW9NIwJ3m&sig=7KXLuvjKQjZUAleL9zN3bKRzG5Y&hl=en&sa=X&ei=Rin9U5LRM8Ph8AXixICoBg&ved=0CDMQ6AEwAg#v=onepage&q=%E8%B5%A4%E5%AD%97%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%83%AB%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%81%AE%E7%B5%8C%E5%96%B6%E3%82%92%E6%95%B0%E5%B9%B4%E3%81%A7%E9%BB%92%E5%AD%97%E3%81%B8%E3%81%A8%E8%BB%A2%E6%8F%9B&f=false 人を動かし、時代を変えた心を揺さぶる名経営者の言葉]. (2010/7/1)。</ref>。これによりゴーンは「コストカッター」「コストキラー」の異名を拝するようになった<ref name= "ストキラーは" />。

=== ルノー・日産の資本提携と日産の復活 ===
[[ファイル:Renault Clio III Facelift front 20100410.jpg|right|220px|thumb|ルノーと日産自動車の共通のプラットフォームを使用する[[ルノー・クリオ]]<br />(日本名 ルノー・ルーテシア)]]
[[ファイル:Renault Clio III Facelift front 20100410.jpg|right|220px|thumb|ルノーと日産自動車の共通のプラットフォームを使用する[[ルノー・クリオ]]<br />(日本名 ルノー・ルーテシア)]]
1999年3月27日にルノーが日産の株式の36.8%を取得し、ルノーと日産の間で資本提携が結ばれ<ref name="alliance press release">[http://www.nissan-global.com/GCC/Japan/Alliance/press_release.html 日産自動車とルノー、力強い成長のために - 利益ある成長を達成するための新たな提携 -]. 日産自動車株式会社・RENAULT プレスリリース. (1999/03/27)。</ref>、同年6月、ゴーンはルノーにおける役割を維持したままで、最高執行責任者(COO)として日産に入社した<ref name="alliance press release" /><ref name="ルノー日産資本提携">[http://www.nissan.co.jp/ALLIANCE/alliance-j.html 日産・ルノー両社、世界規模の緊密な協力体制を展開]. 日産自動車. (1999/10/20)。</ref>。翌年2000年6月に日産自動車の取締役に就任<ref name="ルノー日産資本提携" />。さらに2001年6月に日産の最高経営責任者(CEO)に選出された<ref name="Nissan CEO">[http://www.nissan-global.com/JP/DOCUMENT/PDF/ALLIANCE/HANDBOOK/2005/arriance_hb2005_04.pdf ルノー・日産アライアンス 提携の歩み]アライアンス・ハンドブック (2006/02/16)。</ref>。
しかしその後、ルノーからの巨額な資金投入が行われた上で、ゴーンの指揮の下両社の間で[[プラットフォーム (自動車)|プラットフォーム]]やエンジン、トランスミッションなどの部品の共通化、購買の共同化などを通じて両社のコストダウンを行う傍ら、「日産リバイバルプラン」計画の下、[[東京都]][[武蔵村山市]]にあった[[日産自動車村山工場]]などの生産拠点の閉鎖や子会社の統廃合、余剰資産の売却や早期退職制度による人員の削減などの大幅なリストラや新車種の投入、[[インテリア]]・エクステリアデザインの刷新や[[ブランド]]イメージの一新などの計画を次々に敢行した。


ゴーンが入社した当時の日産は約2兆円(200億ドル)の有利子[[負債]]を抱え<ref name="2兆円">[http://www.nissan-global.com/JP/DOCUMENT/HTML/FINANCIAL/REFERENCE/CONSOLIDATION/1999/fs_reference_con1999.html 99年9月期決算参考資料]. 日産自動車株式会社 (1999/11/22)。</ref><ref name="子会社統廃合">[http://books.google.co.jp/books?id=BUL6g88RLXsC&pg=PT15 シャドーワーク―知識創造を促す組織戦略; 15ページ]. 東洋経済新報社. (2007/02)。</ref>、国内販売でもラインナップされた46モデル中、3モデルだけが収益をあげている状況だった<ref>[http://www.nissan-global.com/EN/DOCUMENT/PDF/ALLIANCE/HANDBOOK/2008/AllianceFigureAndFacts2008.pdf アライアンスの事実; 6ページ](英語). 2008年アライアンス企業データ. ルノー・日産。</ref>。ルノーからの巨額な資金投入が行われた上で<ref name="ルノー日産資本提携" />、ゴーンの指揮下、両社の間でプラットフォームやエンジン、トランスミッションなどの部品の共通化、購買の共同化などを通じて両社のコストダウンを行う<ref>[http://www.nissan-global.com/JP/NEWS/2009/_STORY/090327-02-j.html ルノー・日産、アライアンス締結10周年を発表]. 日産グローバル. (2009/03/27)。</ref> 傍ら、「日産リバイバルプラン」計画<ref>[http://www.nissan.co.jp/NRP/NEWS/news-j.html 日産自動車、『日産リバイバル・プラン』を発表]. 日産プレスリリース. (1999/10/18)。</ref><ref>[http://www.nissan-global.com/GCC/NRP/SUPPORT/revival-j.pdf 日産リバイバルプラン]. nissan-global.com. (1999/10/18)。</ref> の下、東京都武蔵村山市にあった日産自動車村山工場などの生産拠点の閉鎖<ref>[http://www.nissan-global.com/JP/NEWS/2001/_STORY/010329-01.html 日産自動車、村山工場の車両生産中止について]. 日産プレスリリース. (2001/03/29)。</ref> や子会社の統廃合<ref name="子会社統廃合" /><ref name="日産180PR">[http://www.nissan-global.com/JP/DOCUMENT/HTML/FINANCIAL/SPEECH/2002/fs_speech20020509.html 日産リバイバルプラン及び日産180に関する記者会見 ゴーン社長スピーチ]. 日産自動車. (2002/05/09)。</ref>、航空宇宙機など余剰資産の売却<ref>[http://www.nissan-global.com/JP/NEWS/2002/_STORY/020509-01.html 日産自動車 過去最高の2001年度決算見込みを発表]. 日産プレスリリース. (2002/05/09)。</ref> や21,000人(総従業員の14%)を目標とした早期退職制度による人員の削減など大幅なリストラを行った<ref>[http://www.nissan-global.com/JP/DOCUMENT/PDF/FINANCIAL/ABSTRACT/2000/fs_abstract2000h.pdf 2001年3月期 中間決算報告書; 4ページ]. 日産自動車。</ref>。同時に新車種の投入、インテリア・エクステリアデザインの刷新やブランドイメージの一新などの計画を次々に敢行<ref>[http://www.nissan-global.com/JP/DOCUMENT/PDF/AR/2000/ar2000.pdf 2000 アニュアルレポート; 19ページ]日産グローバル。</ref><ref>[http://www.nissan.co.jp/MS/TOKYO2001/JP/EVENT/011018_speeches.html 日産リバイバルプラン進捗状況記者会見 カルロス・ゴーン社長スピーチ]. 第35回 東京モーターショー. (2001/10/18)。</ref>。また社内の公式言語を日本語から英語に変更し<ref>[http://books.google.co.jp/books?id=RZ-RuS9VNSgC&pg=PA161 Shift: Inside Nissan's Historic Revival; 161~163ページ](英語). カルロス・ゴーン著. (2006/03/21)。</ref><ref name="Impatient Ghosn" />、初めてのキー・グローバル戦略会議は<ref>[http://www.businessweek.com/1999/99_46/b3655013.htm Remaking Nissan「日産の再構築)」](英語). [[ビジネスウィーク]]. (1999/11/15)。</ref>、ヨーロッパや北米の幹部も出席して開催された。日本の商慣習にとらわれない過激な手法に、米ウォールストリートジャーナル紙が「公共の怒りの対象となる」とのコメントを掲載するなど<ref>[http://online.wsj.com/news/articles/SB940185831386718137 "Nissan's Plan for Jump-Start Faces Formidable Obstacles"](英語). The Wall Street Journal. (1999/10/18)。</ref><ref>[http://dspace.mit.edu/bitstream/handle/1721.1/32114/63201635.pdf 文化的変化:日本におけるダグラス·マッカーサーとカルロス·ゴーンの変革行動に関する比較研究; 15ページ](英語). [[マサチューセッツ工科大学]]. (2005/06)</ref>、先行きを危惧する声も少なからずあったが、ゴーンは自らテレビコマーシャル出演し<ref name="CM">[http://www.nissan.co.jp/AP-CONTENTS/POSTOFFICE/ANSWERS/5132.html CM RENAISSANCE 「宣言」篇]. 企業CM/日産グループCM情報. (1999/10/20)。</ref>、インタビューに応えるなど、積極的にメディアに登場<ref name="media appearance">[http://books.google.co.jp/books?id=RZ-RuS9VNSgC&pg=PA129 Shift: Inside Nissan's Historic Revival; 129ページ](英語). カルロス・ゴーン著. (2006/03/21)。</ref>。残された日産社員および株主、関係者への配慮を見せ<ref>[http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20060720/106587/ ゴーン社長が狙う世界制覇]. [[日経ビジネス]]. (2006/07/24)。</ref>、日産自動車株主総会を日本語で行うなど<ref name="火星人がやってきた">[http://www.kyoto.zaq.ne.jp/ark/global/GENDAI.HTM 【火星人がやってきた】カルロス・ゴーン]. 月刊「現代」2002年9月号。</ref>、全ての利害関係者に向けて社内改革をアピールした。その結果、1998年には約2兆円あった有利子負債を<ref name="2兆円" />、2003年6月には全額返済(社債を発行して、銀行からの借入金を全部返済している)<ref name="nomoredebt">[http://books.google.co.jp/books?id=Uwjr3zGswBoC&pg=PA136 変革をもたらす CEO達: 日本でのリーダーシップとマネージメントの成功; 136ページ](英語). [[:w:Edward Elgar Publishing|Edward Elgar 出版]]. (2006/01)。</ref>。1999年度には1.4%であったマージンは2003年度には11.1%へと増加させる成果をあげ、<ref>[http://www.nissan-global.com/JP/DOCUMENT/PDF/FINANCIAL/PRESEN/2003/fs_presen2003.pdf 2003年度決算報告; 20ページ]. 日産180進捗状況及び2003年度決算発表. (2004/04/26)。</ref> 12%前後まで落ちた国内シェアを20%近くまで回復させた<ref>[http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2008/anohi/CK2007061502124491.html 1999年10月18日 日産 ゴーン改革発表 再生へ『ケイレツ』破壊]. 東京新聞. (2006/12/28)。</ref>。
また、ゴーン自身が、テレビコマーシャルやインタビューなど、メディアへの積極出演により、残された日産社員および株主、関係者への配慮を見せた。日産自動車株主総会を日本語で行うなど、全ての利害関係者へ、社内改革をアピールした。


しかし同時に2002年にゴーン氏が打ち立てた3か年経営計画「日産180」<ref name="日産180PR" />(全世界での売上台数を100万台増加させ、8%の営業利益率を達成し、自動車関連の実質有利子負債をなくす)における販売台数目標達成のために、計画終了(2005年9月30日)前に集中して新型車投入を行ったことによる、計画終了以降の国内販売台数の深刻な低迷や、「ゴーン以前」に入社した居残り組と、「ゴーン後」に入社した中途採用組の社内闘争など、深刻な問題を残したままの親会社への復帰に疑問の声も上がっている。
その結果、[[1998年]]には約2兆円あった有利子負債を、[[2003年]]6月には全額返済し([[社債]]を発行して、銀行からの借入金を全部返済している。)、12%前後まで落ちた国内シェアを20%近くまで回復させた。


2005年5月には、ルノーの取締役会長兼CEO(PDG)にも選ばれ<ref name="President CEO Renault">[https://bib.kuleuven.be/files/ebib/jaarverslagen/RENAULT_2005.pdf ルノー2005年度アニュアルレポート; 7ページ](英語). ルノー. (2006/05/04)。</ref>、これによりゴーンはルノーと日産という[[フォーチュン・グローバル500]]にリストされる2社を同時に率いる世界で初めてのリーダーとなった<ref>[http://archive.fortune.com/2006/07/10/news/companies/8381630.fortune/index.htm ゴーンは日産をいかに修復するのか] (英語). [[フォーチュン (雑誌)|フォーチュン]]. (2006/07/10)。</ref>。また、ゴーンは両社の[[株式持ち合い]]と同等所有権を含む戦略的パートナーシップを統括するルノー・日産アライアンスの社長兼最高経営責任者(CEO)をも兼務している。2010~2014年の間、ルノー・日産アライアンス(AvtoVAZを含めた)は、全世界自動車市場の約10%のシェアを維持し続けている<ref name="2010 annual report">[http://www.nissan-global.com/JP/NEWS/2011/_STORY/110128-02-j.html ルノー・日産アライアンス、2010年暦年(1月~12月累計)の販売実績を発表]. 日産グローバル・ニュースリリース. (2011/01/28)。</ref><ref>[http://www.nissan-global.com/JP/NEWS/2012/_STORY/120201-03-j.html ルノー・日産アライアンス2011年暦年(1月~12月累計)の販売実績を発表 - 3年連続で過去最高の販売台数を記録 -]. 日産グローバル・ニュースリリース. (2012/02/01)。</ref><ref>[http://www.media.renault.com/download/media/specialfile/41823_1_5.aspx ルノー・日産アライアンス2013年企業実績](英語). ルノー・日産アライアンス。</ref><ref name="2013 alliance fact">[https://web.archive.org/web/20140924042313/http://blog.alliance-renault-nissan.com/sites/default/files/BookletAlliance2014_GB.pdf ルノー・日産アライアンス2014年企業実績](英語). ルノー・日産アライアンス. (2014/02/28)。</ref>。2014年の時点でアライアンスは世界第4位の自動車グループとなった<ref>[http://www.nissan-global.com/JP/DOCUMENT/HTML/FINANCIAL/SPEECH/2013/2013results_speech_548_j.html 2013年度決算発表 日産自動車株式会社 最高経営責任者 カルロス ゴーン]. 日産グローバル. (2014/05/12)。</ref><ref name="2013 alliance fact" />。
=== ルノー会長 ===
[[2001年]]6月には、[[日産自動車]]の[[社長]]兼[[最高経営責任者]](CEO)に就任。極度の経営不振の状態にあった日産自動車を立て直したということで、他社の社外取締役に招聘されている。また、2005年4月からはシュヴァイツァー[[役員 (会社)#プレジダン|取締役会長]]の後をついで日産自動車の親会社の[[ルノー]]の[[役員 (会社)#プレジダン・ディレクトゥー・ジェネラル|取締役会長兼CEO (PDG) ]]も兼任している。


2006年以降、関連会社の日産と歩調をあわせるようにルノーの業績も悪化していることもあり、ルノーの取締役会長兼CEO (PDG) になった後の2006年2月には、日産に対するリストラのような従業員の解雇を行わずに、2009年の販売台数を2005年の約250万台から80万台多い330万台とし、2009年の売上高に対する営業利益率を6%にするという内容の中期経営計画「ルノー・コミットメント2009」を発表した<ref>[http://automobile.challenges.fr/dossiers/20060206.LQA1324/renault-contrat-2009-le-plan-de-relance-de-ghosn-rendez-vous-en-2009.html 「2009年度ルノーのコミットメント - ゴーンの刺激プラン:2009年にお会いしましょう!」] (フランス語). [[:fr:Challenges|Challenges]]誌. (2006/02/06)。</ref>
日産自動車の3か年経営計画「日産180」(全世界での売上台数を100万台増加させ、8%の営業利益率を達成し、自動車関連の実質有利子負債をなくす)における販売台数目標達成のために、計画終了(2005年9月30日)前に集中して新型車投入を行ったことによる、計画終了以降の国内販売台数の深刻な低迷や、「ゴーン以前」に入社した居残り組と、「ゴーン後」に入社した中途採用組の社内闘争など、深刻な問題を残したままの親会社への復帰に疑問の声も上がっている。


[[ファイル:Carlos Ghosn Honmoku 3.jpg|right|220px|thumb|本牧埠頭を視察するゴーン社長 (2011年07月)]]
[[2006年]]以降、関連会社の日産と歩調をあわせるようにルノーの業績も悪化していることもあり、ルノーの取締役会長兼CEO (PDG) になった後の[[2006年]]2月9日には、日産に対するリストラのような従業員の解雇を行わずに、[[2009年]]の販売台数を[[2005年]]の約250万台から80万台多い330万台とし、2009年の売上高に対する営業利益率を6%にするという内容の中期経営計画「ルノー・コミットメント2009」を発表した。
2011年3月11日、歴史に類をみない大規模自然災害となった東日本大震災が発生した。ゴーンは地震と津波による被害の復旧支援活動を率先して行う<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXNASDD130K7_T10C11A5000000/ 日産ゴーン社長「無名の英雄たたえるのが私の責任」 いわき工場、まもなくフル稼働へ]. 日本経済新聞. (2011/5/13)。</ref><ref>[http://www.youtube.com/watch?v=HcsG8IaaSxI#t=47 日産自動車社長 カルロス ゴーン インタビュー(日産いわき工場)]. 日産ニュースルーム. (2012/03/28)</ref> に留まらず、震災による打撃とともに、福島第一原子力発電所の放射性物質漏れ事故の影響下にあった福島いわきエンジン工場の操業回復をいち早く決定<ref>[http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-20314920110329 いわき工場は6月初めまでにフル生産に=ゴーン日産CEO]. ロイター通信. (2011/03/29)。</ref><ref>[http://www.thetruthaboutcars.com/2011/05/with-nissan%E2%80%99s-carlos-ghosn-near-fukushima-a-glowing-report/ 白熱レポート; 日産のカルロス・ゴーン福島へ](英語). The Truth About Cars. (2011/05/17)。</ref>。再構築を推進、奨励する為、自ら頻繁にテレビ番組などに登場した<ref>[http://www.news24.jp/articles/2011/05/17/06182873.html 日産・ゴーン社長、被災工場視察し社員激励]. 日本テレビ. (2011/05/17)。</ref><ref>[http://www.nikkei.com/news/print-article/?ng=DGXNASFZ0202N_S1A600C1K14901 現場に甘えぬ経営者 震災対応第2幕、問われる決断]. 日本経済新聞. (2011/06/05)。</ref><ref>[http://datazoo.jp/tv/%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%93%E3%82%B8%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%82%B5%E3%83%86%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%88/475581 ニッポン復活の道 ものづくり大国のゆくえ]. TV DATA ZOO. (2011/03/29)。</ref><ref>[https://www.facebook.com/note.php?note_id=163484233710024 カルロス・ゴーンのインタビュー; 「ワールド・ビジネス・サテライト」](英語). [[テレビ東京]]. (2011/04/07)。</ref>。さらに、[[2011年]][[5月]]にゴーンは、最低100万台の日本国内での自動車およびトラック生産をコミット<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXNASDD120HL_S1A510C1TJ0000/ 日産・ゴーン社長、世界販売台数「さらに伸びる」]. 日本経済新聞. (2011/05/12)。</ref><ref>[http://www.bloomberg.com/news/2011-05-12/nissan-beats-estimates-after-earthquake.html ゴーン氏云わく、サプライヤー達は地震からリカバーしてきている](英語). Bloomberg. (2011/05/12)。</ref>。

2012年6月に、[[アフトヴァース|OAO AvtoVAZ]]の取締役会の副会長に選ばれ<ref>[http://web.archive.org/web/20120820081706/http://www.lada.ru/biography.xml AvtoVAZ役員リスト](ロシア語). AvtoVAZ. (2012/08/20)。</ref><ref>[http://www.reuters.com/finance/stocks/companyOfficers?symbol=AVAZ.MM People: Avtovaz OAO (AVAZ.MM)] (英語). ロイター通信。</ref>、翌2013年6月には会長に任命された<ref>[http://markets.ft.com/research/Markets/Tearsheets/Directors-and-dealings?s=AVAZPS:MCX Avtovaz OAO 取締役および執行役員] (英語). [[:w:Financial Times|Financial Times]]。</ref><ref>[http://www.autoindustriya.com/auto-industry-news/russian-carmaker-avtovaz-names-carlos-ghosn-chairman.html ロシアの自動車メーカーアフトヴァズ社カルロス·ゴーンを会長に任命](英語). autoindustriya.com. (2013/06/29)。</ref>。さらに、極度の経営不振の状態にあった日産自動車を立て直したということで、他社の社外取締役に招聘されている<ref>[http://www.bloomberg.com/news/2012-06-21/nissan-says-ghosn-may-step-down-before-next-business-plan.html 日産ゴーン、次の事業計画前に降任も](英語). Bloomberg. (2012/06/21)。</ref>。ブラジルの銀行[[イタウ・ウニバンコ|バンコ・イタウ]]の国際諮問委員を務める他<ref>[http://ww13.itau.com.br/PortalRI/HTML/ing/download/CCI.pdf ブラジルのイタウ·ウニバンコ銀行 - 国際諮問委員会を形成](英語). イタウ·ウニバンコ銀行。</ref>、北京の[[清華大学]]の国際諮問委員<ref>[http://www.sem.tsinghua.edu.cn/portalweb/appmanager/portal/MBAen;SEMPORTALJSESSIONID=zv8nQGhH00BXngTT1t1FdLpBVGSQxG1YFp6CfCyGTCYYmyM1ww0k!578764396?_nfpb=true&_windowLabel=T25803926801270713397649&u=NEWS%2F53941.htm%3Ftarget%3Dno&_pageLabel=P7800326801270713368685 ルノー·日産アライアンスの最初の日産清華講座](英語). 清華大学. (2012/06/04)。</ref><ref name="UN" />、[[ベイルート・アメリカン大学|ベイルートのアメリカン大]]<ref>[http://www.aub.edu.lb/main/about/Pages/iac.aspx AUB 国際諮問委員会](英語). アメリカン・ユニバーシティ・オブ・ベイルート。</ref>、[[:w:Saint Joseph University|セント・ジョセフ大学]]の戦略会議メンバーを務めている<ref name="UN">[http://www.un.org/wcm/content/site/sustainableenergyforall/home/members/Ghosn 持続可能エネルギーを促進するハイレベル・グループ](英語). 国連ウェブサイト。</ref>。


== パーソナリティ ==
== パーソナリティ ==
[[ファイル:Fernando Alonso 2006 Canada.jpg|right|220px|thumb|2006年度のチャンピオンマシンのルノーR26]]
[[ファイル:Fernando Alonso 2006 Canada.jpg|right|220px|thumb|2006年度のチャンピオンマシンのルノーR26]]
[[ファイル:Carlos Ghosn Honmoku 1.jpg|right|220px|thumb|本牧埠頭を視察するゴーン社長 (2011年07月)]]
経営陣のトップであるが自らハンドルを握って運転する事を好む。彼が立場を越えてルノーや日産自動車の車種に限定されず各社の枠を越え、自動車の運転に好意的な事を示した過去の報道からも明らかである。この事は、ゴーン体制下の日産自動車が、[[2002年]]の排ガス規制で生産終了が決定していた[[日産・スカイライン|スカイラインGT-R]]の後継車種である[[日産・GT-R]]や、[[日産・フェアレディZ|フェアレディZ]]を復活させた大きな要因である(両車ともゴーン自らゴーサインを出し、自ら発表している)。『[[日経スペシャル カンブリア宮殿]]』に出演した際に、「ハンドルを握って5分も運転すれば、どんな嫌なことも吹き飛ぶ。車以外にこんな製品がありますか?」と言っている。
経営陣のトップであるが自らハンドルを握って運転する事を好む。この事は彼が立場を越えてルノーや日産自動車の車種に限定されず、自動車の運転に好意的な事を示した過去の報道からも明らかである。この事は、ゴーン体制下の日産自動車が、[[2002年]]の排ガス規制で生産終了が決定していた[[日産・スカイライン|スカイラインGT-R]]の後継車種である[[日産・GT-R]]や、[[日産・フェアレディZ|フェアレディZ]]を復活させた大きな要因である(両車ともゴーン自らゴーサインを出し、自ら発表している)。『[[日経スペシャル カンブリア宮殿]]』に出演した際に、「ハンドルを握って5分も運転すれば、どんな嫌なことも吹き飛ぶ。車以外にこんな製品がありますか?」と言っている。


しかしながら、日産自動車の[[日産・セドリック|セドリック]]/[[日産・グロリア|グロリア]]、[[日産・サニー|サニー]]といった伝統的な車名を次々に廃止したことに対しては、ゴーン自身は車名が体現する伝統の大事さを訴え、販売部署が望んだブランド名変更に最後まで反対だったという<ref>徳大寺有恒「間違いだらけの車選び」より</ref>。また、日産が長年参戦してきたル・マン24時間レースからの完全撤退など、モータースポーツに関しては比較的否定的な立場であり、[[ルノーF1]]チームが[[2005年]]と[[2006年]]の2年連続で世界チャンピオンに輝いたにもかかわらず、同チームの継続的な参戦にはブランドイメージ形成や予算の面から懐疑的だと伝えられている。ただしF1チームの中では予算が少ないと言われているルノーでも、年間予算は100億円を優に超える(ただし、[[SUPER GT]]に関しては例外中の例外であり、近年ではGT-Rによる[[FIA GT選手権]]への参戦も果たしている)。
しかしながら、日産自動車の[[日産・セドリック|セドリック]]/[[日産・グロリア|グロリア]]、[[日産・サニー|サニー]]といった伝統的な車名を次々に廃止したことに対しては、ゴーン自身は車名が体現する伝統の大事さを訴え、販売部署が望んだブランド名変更に最後まで反対だったという<ref>徳大寺有恒「間違いだらけの車選び」より</ref>。また、日産が長年参戦してきたル・マン24時間レースからの完全撤退など、モータースポーツに関しては比較的否定的な立場であり、[[ルノーF1]]チームが[[2005年]]と[[2006年]]の2年連続で世界チャンピオンに輝いたにもかかわらず、同チームの継続的な参戦にはブランドイメージ形成や予算の面から懐疑的だと伝えられている。ただしF1チームの中では予算が少ないと言われているルノーでも、年間予算は100億円を優に超える(ただし、[[SUPER GT]]に関しては例外中の例外であり、近年ではGT-Rによる[[FIA GT選手権]]への参戦も果たしている)。


また、就任1年目の[[1999年]]夏に[[第70回都市対抗野球大会|第70回都市対抗野球]]を視察に訪れた際、スタンドの応援団と観客の盛り上がりに感銘を受け、その直後に記者会見を開いて当時存廃問題が取りざたされていた[[日産自動車硬式野球部|野球部]]の存続を明言し、「[[都市対抗野球]]こそが日本の企業文化の象徴である」とまで公言した。しかしながら、2009年には[[世界金融危機 (2007年-)|金融危機]]による不況により、日産ゴーン体制初の営業赤字に転落し、その対策として、グローバル人員を2万人削減すると同時に、野球部を含む運動部の休止が発表された。
また、就任1年目の[[1999年]]夏に[[第70回都市対抗野球大会|第70回都市対抗野球]]を視察に訪れた際、スタンドの応援団と観客の盛り上がりに感銘を受け、その直後に記者会見を開いて当時存廃問題が取りざたされていた[[日産自動車硬式野球部|野球部]]の存続を明言し、「[[都市対抗野球]]こそが日本の企業文化の象徴である」とまで公言した。しかしながら、2009年には[[世界金融危機 (2007年-)|金融危機]]による不況により、日産ゴーン体制初の営業赤字に転落し、その対策として、グローバル人員を2万人削減すると同時に、野球部を含む運動部の休止が発表された。


==脚注==
== 脚注 ==
{{reflist|2}}
<references />


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
59行目: 77行目:
* 「カルロス・ゴーンの『答えは会社のなかにある』」(あさ出版)
* 「カルロス・ゴーンの『答えは会社のなかにある』」(あさ出版)
* 「ルネッサンス ― 再生への挑戦」(ダイヤモンド社)
* 「ルネッサンス ― 再生への挑戦」(ダイヤモンド社)
* 「ゴーン神話はこうして作られた」(ぱる出版)遠藤 徹(著)
* 「ゴーン神話はこうして作られた」(ぱる出版)遠藤 徹(著)
* 「カルロス・ゴーンが語る5つの革命」(講談社)長谷川洋三(著)
* 「ゴーン・テキストービジネスの教科書」(文藝春秋)カルロス・ゴーン、


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
78行目: 98行目:


{{日産自動車社長}}
{{日産自動車社長}}
{{Normdaten}}

{{DEFAULTSORT:こおん かるろす}}
{{DEFAULTSORT:こおん かるろす}}
[[category:フランスの実業家]]
[[category:フランスの実業家]]

2015年1月12日 (月) 23:14時点における版

カルロス・ゴーン
生誕 (1954-03-09) 1954年3月9日(70歳)
ブラジルの旗 ブラジルポルト・ヴェーリョ
職業 日産自動車社長最高経営責任者(CEO) / ルノー取締役会長兼CEO (PDG)
テンプレートを表示

カルロス・ゴーン (Carlos Ghosn、1954年3月9日- )は、フランスの自動車会社ルノー取締役会長CEO(PDG)にして、日産自動車社長兼最高経営責任者(CEO)。またルノーと日産は、2010以降全世界自動車市場の約10%のシェアを保っているが [1][2]、ゴーンは両社の株式の相互保有を含む戦略的パートナーシップを統括する「ルノー・日産アライアンス」の社長兼最高経営責任者(CEO)をも兼務する。

両親はレバノン人で、ブラジルで誕生。幼少期をブラジルで過ごし、中等教育は父の母国であるレバノンのベイルートで受けた。フランス国立パリ高等工業大学を卒業した後、フランス大手タイヤメーカー、ミシュランに入社し18年間在籍。同社での業績を評価され、ルノーに上席副社長としてスカウトされ、同社の再建にも貢献した。

1999年3月、当時経営と財政危機に瀕していた日産がルノーと資本提携を結び[3]、同年6月、ルノーの上席副社長の職にあったゴーンが、ルノーにおけるポジションを維持しつつ、日産の最高執行責任者(COO)に就任。後に日産の社長兼最高経営責任者(CEO)、ルノーの取締役会長兼CEO(PDG)、ルノー・日産アライアンスの会長兼最高経営責任者(CEO)に就任。

フランスと日本の2国をまたぎ、その重責を果たしている。「コストキラー」[4]「ミスター調整(FIX IT)」[5] などの異名をとるゴーンは、日産再建に向け社員とともに「日産リバイバルプラン」を作成。短期間で日産の経営立て直しを果たし、2003年にフォーチュン誌は、彼を「アメリカの外にいる10人の最強の事業家の一人」と称している[6]

レバノンとブラジルとフランスの多重国籍を有する。アラビア語フランス語英語スペイン語ポルトガル語の5言語を話せる。日産の社員に対して自らの肉声で語りたい時は、敢えて日本語でスピーチするようにしている。2004年には法政大学名誉博士に成っている。 極度の経営不振と経済的危機の状態にあった日産自動車を立て直したということで、他社の社外取締役に招聘されたり、大学の委員なども務めたりもしている。また、自らコマーシャルに出演するなど[7][8]、マスメディアにも積極的に登場。漫画誌・ビッグコミック・スペリオールに「カルロス・ゴーン物語」[9]が掲載されるなど、広く知られる存在となっている。レバノン系フランス人の妻[10] との間に4人の子供がいる[11]

KBE (大英帝国勲章・ナイトコマンダー)。

生い立ちと来歴

祖父ビチャラ・ゴーンは、レバノンで生まれ13歳でブラジルに移住し[12][13]、ブラジル北部、ブラジルとボリビア国境近くのロンドニア州の奥地 São Miguel do Guaporé サン・ミゲウ・ド・グアポレ でゴム産業に参入[14]。最終的には農産物を売買する会社のオーナーとなった[14]。レバノン系ブラジル人である父 ホルヘ・ゴーンはロンドニア州の州都ポルト・ヴェーリョに居を構え、同じくナイジェリア生まれのレバノン人の女性と結婚[15][16][17][13]

1954年3月9日にカルロス・ゴーンが誕生した[18]。カルロスが2歳くらいの頃、不衛生な水を摂取したことで病気となり、母親とともにリオ・デ・ジャネイロに移転[19]。その後、カルロスが6歳の時[20]、彼の3人の姉妹と母とともに[19]、祖父の母国であるレバノン・ベイルートに転居し[14]、ベイルートのイエズス会系の Collège Notre-Dame de Jamhour コレージュ・ドゥ・ノートルダム・ドゥ・ジャンブールで中等教育を受けた[21]。その後、パリにあるプレップスクール Lycée Stanislas リセ・スタニスラス、そして、Lycée Saint-Louis リセ・サン=ルイ で学ぶ[22]。1974年、エコール・ポリテクニーク(École Polytechnique)(グランゼコールエリート養成校の一つ)を卒業し[23]、1978年にパリ国立高等鉱業学校(École des Mines de Paris)で工学博士を取得し卒業[24][23]

大学卒業後、1978年に欧州最大のタイヤメーカー、ミシュラン Michelin に入社した[24][25]フランス国内で工場長、産業用タイヤ部門の研究開発ヘッドを歴任[24][26] 後1985年、30歳の時に3億ドルの市場を持つ南米ミシュランの最高執行責任者(COO)に任命された[24][27]。生誕地であるブラジルに戻ったゴーンは、彼に操業の立て直しを命じたフランソワ・ミシュランフランス語版に、ブラジルのハイパーインフレ[28] 下における事業の不採算性と困難について直訴している[27]。しかしその中で、南米事業部におけるフランス、ブラジル、その他多国籍の従業員の間での最良な業務形態を模索し、クロスファンクショナルマネージメントチームを結成[29][30]。このブラジルでの多文化体制下での経験は、後に彼の経営理念の核となるクロス・カルチャーな経営スタイルと強さの基盤を形成した[31]。「人は多様性から学び、そして共通性に安らぎを感じる。」とゴーンは語っている[32]。1989年、南米事業部を黒字転換させた後[29]、ミシュランの北米事業部の社長兼ミシュランの北米事業部の社長兼(COO)に選ばれ[33]、家族を伴い米国サウスカロライナ州グリーンビルへと移転[33]。1990年にミシュランの北米の最高経営責任者(CEO)に昇格する[24][33]。1996年に、ルノーの上席副社長にヘッドハンティングされ[34]、再びフランスへと居を移したが、1999年にルノーと日産の資本提携が行われた後[35][36]、ルノーでの役職も維持しながら日産の最高執行責任者(COO)に就任[23][37]。家族とともに日本に移り住んだ[38]

世界経済フォーラムインド経済サミット 2009

米フォーブス誌には「過酷な競合が繰り広げられる世界の自動車業界において最も多忙な男」と呼ばれ[29]、日本のメディアからは「セブンーイレブン(早朝から深夜まで非常にハードに働く)」と称され[39]、パリと東京の両拠点での職務に自らの時間を分割するゴーンの航空移動距離は、一年で約15万マイルにのぼる[29]

マルチリンガルで、アラビア語フランス語英語スペイン語ポルトガル語の5言語を流暢に話す[34]。さらに日本語も学んでおり、日産社内で自らの肉声で語る際には、あえて日本語でのスピーチを行うようにしているという[40]。ブラジルとフランス両国の市民権を有し[41]、また少年期10年の間居住し、初等ー中等教育を修了したレバノンとの強い繋がりも維持。レバノン北部海岸沿いの街 Batrounにある環境に配慮したワイン農場でワインの輸出も行う「IXSIR」に出資している[42]

しばしばレバノンの大統領候補として名前があげられ[43]、日本でも保険会社のアクサ東日本大震災後の2011年6月に行った「震災後の日本をまかせたい有名人」のアンケートで7位(オバマ大統領は9位、アンケート実施当時の菅首相は19位)に選ばれた[44]。しかし、自身は一切の政治的野心は持っていないとして、現段階ではこういった要請を受けるつもりがないことを表明している[45]

キャリア

ミシュラン

大学卒業後、1978年に欧州最大のタイヤメーカー、ミシュランMichelinに入社[23]。3年目の1981年に、27歳でフランス国内のル・ピュイ工場の工場長に抜擢され[46]、1984年に同社の産業用タイヤ部門の研究開発ヘッドを務めた[47]。翌1985年には、ブラジルを拠点とするミシュランの南米事業の最高執行責任者(COO)に任命された[47][23]。5年後の1990年、35歳でミシュランの北米事業部の社長兼最高経営責任者(CEO)に就任し、ユニロイヤル・グットドリッチタイヤ社を買収後のリストラを主導するなど、18年間のミシュラン在籍期間中、重要な役職を歴任した[23]

ルノー

1996年、ルノー会長(当時)のルイ・シュバイツァーフランス語版からスカウトされ[48]、購買、研究、先進技術のエンジニアリングと開発、製造、および南米ルノーのスーパーバイジング担当の上席副社長として、ルノーに入社[26][49]。シュバイツァー自身、国営自動車会社ルノーの時代に経営再建の為、請われてフランス予算省の上級官僚から転職した人物[50]。ルノーは過激左派組織のテロなど[51]、フランス国内外での混乱を生じながらも民営化[52]、民営化後も人員削減を押し進め、いったんは国内集中にシフトしていた事業展開を再び国際化へと方針転換していた最中で、ゴーンの手腕をかったシュバイツァー会長が自らヘッドハンティングを行った[48]。ルノーに入社したゴーンは、ベルギーのビルボールド工場閉鎖など不採算事業所の閉鎖や[53]、調達先の集約などで経費の圧縮を進め、赤字だったルノーの経営を数年で黒字へと転換[54]。これによりゴーンは「コストカッター」「コストキラー」の異名を拝するようになった[4]

ルノー・日産の資本提携と日産の復活

ルノーと日産自動車の共通のプラットフォームを使用するルノー・クリオ
(日本名 ルノー・ルーテシア)

1999年3月27日にルノーが日産の株式の36.8%を取得し、ルノーと日産の間で資本提携が結ばれ[37]、同年6月、ゴーンはルノーにおける役割を維持したままで、最高執行責任者(COO)として日産に入社した[37][35]。翌年2000年6月に日産自動車の取締役に就任[35]。さらに2001年6月に日産の最高経営責任者(CEO)に選出された[36]

ゴーンが入社した当時の日産は約2兆円(200億ドル)の有利子負債を抱え[55][56]、国内販売でもラインナップされた46モデル中、3モデルだけが収益をあげている状況だった[57]。ルノーからの巨額な資金投入が行われた上で[35]、ゴーンの指揮下、両社の間でプラットフォームやエンジン、トランスミッションなどの部品の共通化、購買の共同化などを通じて両社のコストダウンを行う[58] 傍ら、「日産リバイバルプラン」計画[59][60] の下、東京都武蔵村山市にあった日産自動車村山工場などの生産拠点の閉鎖[61] や子会社の統廃合[56][62]、航空宇宙機など余剰資産の売却[63] や21,000人(総従業員の14%)を目標とした早期退職制度による人員の削減など大幅なリストラを行った[64]。同時に新車種の投入、インテリア・エクステリアデザインの刷新やブランドイメージの一新などの計画を次々に敢行[65][66]。また社内の公式言語を日本語から英語に変更し[67][29]、初めてのキー・グローバル戦略会議は[68]、ヨーロッパや北米の幹部も出席して開催された。日本の商慣習にとらわれない過激な手法に、米ウォールストリートジャーナル紙が「公共の怒りの対象となる」とのコメントを掲載するなど[69][70]、先行きを危惧する声も少なからずあったが、ゴーンは自らテレビコマーシャル出演し[8]、インタビューに応えるなど、積極的にメディアに登場[71]。残された日産社員および株主、関係者への配慮を見せ[72]、日産自動車株主総会を日本語で行うなど[73]、全ての利害関係者に向けて社内改革をアピールした。その結果、1998年には約2兆円あった有利子負債を[55]、2003年6月には全額返済(社債を発行して、銀行からの借入金を全部返済している)[74]。1999年度には1.4%であったマージンは2003年度には11.1%へと増加させる成果をあげ、[75] 12%前後まで落ちた国内シェアを20%近くまで回復させた[76]

しかし同時に2002年にゴーン氏が打ち立てた3か年経営計画「日産180」[62](全世界での売上台数を100万台増加させ、8%の営業利益率を達成し、自動車関連の実質有利子負債をなくす)における販売台数目標達成のために、計画終了(2005年9月30日)前に集中して新型車投入を行ったことによる、計画終了以降の国内販売台数の深刻な低迷や、「ゴーン以前」に入社した居残り組と、「ゴーン後」に入社した中途採用組の社内闘争など、深刻な問題を残したままの親会社への復帰に疑問の声も上がっている。

2005年5月には、ルノーの取締役会長兼CEO(PDG)にも選ばれ[77]、これによりゴーンはルノーと日産というフォーチュン・グローバル500にリストされる2社を同時に率いる世界で初めてのリーダーとなった[78]。また、ゴーンは両社の株式持ち合いと同等所有権を含む戦略的パートナーシップを統括するルノー・日産アライアンスの社長兼最高経営責任者(CEO)をも兼務している。2010~2014年の間、ルノー・日産アライアンス(AvtoVAZを含めた)は、全世界自動車市場の約10%のシェアを維持し続けている[1][79][80][2]。2014年の時点でアライアンスは世界第4位の自動車グループとなった[81][2]

2006年以降、関連会社の日産と歩調をあわせるようにルノーの業績も悪化していることもあり、ルノーの取締役会長兼CEO (PDG) になった後の2006年2月には、日産に対するリストラのような従業員の解雇を行わずに、2009年の販売台数を2005年の約250万台から80万台多い330万台とし、2009年の売上高に対する営業利益率を6%にするという内容の中期経営計画「ルノー・コミットメント2009」を発表した[82]

本牧埠頭を視察するゴーン社長 (2011年07月)

2011年3月11日、歴史に類をみない大規模自然災害となった東日本大震災が発生した。ゴーンは地震と津波による被害の復旧支援活動を率先して行う[83][84] に留まらず、震災による打撃とともに、福島第一原子力発電所の放射性物質漏れ事故の影響下にあった福島いわきエンジン工場の操業回復をいち早く決定[85][86]。再構築を推進、奨励する為、自ら頻繁にテレビ番組などに登場した[87][88][89][90]。さらに、2011年5月にゴーンは、最低100万台の日本国内での自動車およびトラック生産をコミット[91][92]

2012年6月に、OAO AvtoVAZの取締役会の副会長に選ばれ[93][94]、翌2013年6月には会長に任命された[95][96]。さらに、極度の経営不振の状態にあった日産自動車を立て直したということで、他社の社外取締役に招聘されている[97]。ブラジルの銀行バンコ・イタウの国際諮問委員を務める他[98]、北京の清華大学の国際諮問委員[99][100]ベイルートのアメリカン大[101]セント・ジョセフ大学の戦略会議メンバーを務めている[100]

パーソナリティ

2006年度のチャンピオンマシンのルノーR26
本牧埠頭を視察するゴーン社長 (2011年07月)

経営陣のトップであるが自らハンドルを握って運転する事を好む。この事は彼が立場を越えてルノーや日産自動車の車種に限定されず、自動車の運転に好意的な事を示した過去の報道からも明らかである。この事は、ゴーン体制下の日産自動車が、2002年の排ガス規制で生産終了が決定していたスカイラインGT-Rの後継車種である日産・GT-Rや、フェアレディZを復活させた大きな要因である(両車ともゴーン自らゴーサインを出し、自ら発表している)。『日経スペシャル カンブリア宮殿』に出演した際に、「ハンドルを握って5分も運転すれば、どんな嫌なことも吹き飛ぶ。車以外にこんな製品がありますか?」と言っている。

しかしながら、日産自動車のセドリック/グロリアサニーといった伝統的な車名を次々に廃止したことに対しては、ゴーン自身は車名が体現する伝統の大事さを訴え、販売部署が望んだブランド名変更に最後まで反対だったという[102]。また、日産が長年参戦してきたル・マン24時間レースからの完全撤退など、モータースポーツに関しては比較的否定的な立場であり、ルノーF1チームが2005年2006年の2年連続で世界チャンピオンに輝いたにもかかわらず、同チームの継続的な参戦にはブランドイメージ形成や予算の面から懐疑的だと伝えられている。ただしF1チームの中では予算が少ないと言われているルノーでも、年間予算は100億円を優に超える(ただし、SUPER GTに関しては例外中の例外であり、近年ではGT-RによるFIA GT選手権への参戦も果たしている)。

また、就任1年目の1999年夏に第70回都市対抗野球を視察に訪れた際、スタンドの応援団と観客の盛り上がりに感銘を受け、その直後に記者会見を開いて当時存廃問題が取りざたされていた野球部の存続を明言し、「都市対抗野球こそが日本の企業文化の象徴である」とまで公言した。しかしながら、2009年には金融危機による不況により、日産はゴーン体制初の営業赤字に転落し、その対策として、グローバル人員を2万人削減すると同時に、野球部を含む運動部の休止が発表された。

脚注

  1. ^ a b ルノー・日産アライアンス、2010年暦年(1月~12月累計)の販売実績を発表. 日産グローバル・ニュースリリース. (2011/01/28)。
  2. ^ a b c ルノー・日産アライアンス2014年企業実績(英語). ルノー・日産アライアンス. (2014/02/28)。
  3. ^ 株式の相互保有、共同運営組織「ルノー・日産 BV」の設立により. 日産自動車. (2001/10/30)。
  4. ^ a b コストキラーは日産をどう変える. NHK クローズアップ現代. (1999/07/27)。
  5. ^ 自動車業界の動向: ザ・コストキラー(英語). タイム. (2003/05/19)。
  6. ^ 25人の最強事業家達(英語). フォーチュン. (2003/08/11)。
  7. ^ CM: カルロス・ゴーン. オリコン芸能人事典。
  8. ^ a b CM RENAISSANCE 「宣言」篇. 企業CM/日産グループCM情報. (1999/10/20)。
  9. ^ あの、ゴーンが漫画になった!. Response.jp. (2001/11/19)。
  10. ^ リタ・ゴーンが初めて明かす『ゴーン家の家訓』. 楽天ブック著者インタビュー。
  11. ^ 『ゴーン家の家訓』リタ・ゴーン著. 集英社 (2006/05)。
  12. ^ Shift: Inside Nissan's Historic Revival; 1ページ(英語). カルロス・ゴーン著. (2006/03/21)。
  13. ^ a b 書籍『カルロス・ゴーン経営を語る』の紹介文. UBブックレビュー. (2003/09/10。)
  14. ^ a b c Shift: Inside Nissan's Historic Revival; 3ページ(英語). カルロス・ゴーン著. (2006/03/21)。
  15. ^ The Carlos Ghosn Story―カルロス・ゴーン; 6ページ.(英語)IBCパブリッシング (2007/02)
  16. ^ The Carlos Ghosn Story―カルロス・ゴーン; 8ページ(英語). IBCパブリッシング (2007/02)
  17. ^ Shift: Inside Nissan's Historic Revival; 4ページ(英語). カルロス・ゴーン著. (2006/03/21)。
  18. ^ The Carlos Ghosn Story―カルロス・ゴーン; 4ページ (英語). IBCパブリッシング (2007/02)
  19. ^ a b Shift: Inside Nissan's Historic Revival; 5ページ (英語). カルロス・ゴーン著. (2006/03/21)。
  20. ^ カルロス・ゴーンはブラジルで何を見たのか(英語). フォーチュン誌. (2011/10/05)。
  21. ^ Shift: Inside Nissan's Historic Revival; 6ページ(英語). カルロス・ゴーン著. (2006/03/21)。
  22. ^ Shift: Inside Nissan's Historic Revival; 9ページ(英語). カルロス・ゴーン著. (2006/03/21)
  23. ^ a b c d e f カルロス・ゴーン(Carlos Ghosn)氏 略歴. 日本自動車殿堂。
  24. ^ a b c d e ルノー・日産アライアンス取締役謙CEO; カルロス・ゴーン(英語). ルノー・日産. (2011/03/03)。
  25. ^ Shift: Inside Nissan's Historic Revival; 18ページ(英語). カルロス・ゴーン著. (2006/03/21)。
  26. ^ a b 講師カルロス・ゴーン略歴. 第14回日経フォーラム; 世界経営者会議 (2012/10/29)。
  27. ^ a b 変革をもたらす CEO達: 日本でのリーダーシップとマネージメントの成功; 125ページ(英語). Edward Elgar 出版. (2006/01)。
  28. ^ ブラジル関連情報. 野村アセットマネジメント. (2014年8月)。
  29. ^ a b c d e 落ち着きのないゴーン(英語). フォーブス・マガジン. (2006/05/05)。
  30. ^ CFT とその構成; 9ページゴーンが発揮したリーダーシップ ─ CFTによる暗黙知の活用 ─. 立命館大学 (2012/10/02)。
  31. ^ ビジネスモデル・イノベーション: 知を価値に転換する賢慮の戦略論; 137ページ. 東洋経済新報社.(2014/6/12)。
  32. ^ カルロス・ゴーン多様性について語る(英語). TBWAのロバート・シュワルツによるインタビュー. (2009/06/22)。
  33. ^ a b c カルロス・ゴーン日産に向かう前にミシュラン北米を指揮(英語). グリーンビル・ルーツ。
  34. ^ a b 日産を蘇らせた男「カルロス・ゴーン」特集. テレビ朝日. SmaStation-5. (2006/01/20)。
  35. ^ a b c d 日産・ルノー両社、世界規模の緊密な協力体制を展開. 日産自動車. (1999/10/20)。
  36. ^ a b ルノー・日産アライアンス 提携の歩みアライアンス・ハンドブック (2006/02/16)。
  37. ^ a b c 日産自動車とルノー、力強い成長のために - 利益ある成長を達成するための新たな提携 -. 日産自動車株式会社・RENAULT プレスリリース. (1999/03/27)。
  38. ^ Shift: Inside Nissan's Historic Revival; 75ページ(英語). カルロス・ゴーン著. (2006/03/21)。
  39. ^ カルロス・ゴーンが「セブンーイレブン」と呼ばれた理由. ユナイテッド・ブックス. 成功者に学ぶ時間術; 32ページ. (2012/2/28)。
  40. ^ カルロスゴーンCEOスピーチ.大阪で行われた日産リーフのオーナミーティング. (2013/03/23)。
  41. ^ 「二重国籍」容認が国を変える. 月刊現代 2001年7月号。
  42. ^ カルロス・ゴーン出資、レバノンの「イクシール」. 読売新聞. (2012/01/18)。
  43. ^ 当選確実? 日産ゴーン社長「レバノン大統領転身」の現実味. 日刊現代. (2014/07/19)。
  44. ^ この国を任せたい有名人. アクサ生命『震災後に「見直したもの」実態調査』. (2011/06/27)。
  45. ^ 車輪の裏に潜む男(英語). Forward マガジン. (2009/07/01)
  46. ^ Shift: Inside Nissan's Historic Revival; 24ページ(英語). カルロス・ゴーン著. (2006/03/21)。
  47. ^ a b カルロス・ゴーン; バイオグラフィー(英語). 日産自動車。
  48. ^ a b 日産と提携、個性尊重し成功/ゴーン氏なら異文化に対応 ルノー元会長・シュバイツァー氏. 朝日新聞. (2014/08/17)。
  49. ^ Shift: Inside Nissan's Historic Revival; 59ページ(英語). カルロス・ゴーン著. (2006/03/21)
  50. ^ ルイ・シュバイツァー. 日経フォーラム; 世界経営者会議。
  51. ^ ルノーS.A.(英語). ゲイルディレクトリ会社史:ルノーS.A.。
  52. ^ 新しい時代へ向けて. ルノーの歴史。
  53. ^ リーダーシップ論の展開とリーダーシップ開発論; 11ページ. 東洋大学経営力創成研究センター. (2010/03/05)。
  54. ^ 人を動かし、時代を変えた心を揺さぶる名経営者の言葉. (2010/7/1)。
  55. ^ a b 99年9月期決算参考資料. 日産自動車株式会社 (1999/11/22)。
  56. ^ a b シャドーワーク―知識創造を促す組織戦略; 15ページ. 東洋経済新報社. (2007/02)。
  57. ^ アライアンスの事実; 6ページ(英語). 2008年アライアンス企業データ. ルノー・日産。
  58. ^ ルノー・日産、アライアンス締結10周年を発表. 日産グローバル. (2009/03/27)。
  59. ^ 日産自動車、『日産リバイバル・プラン』を発表. 日産プレスリリース. (1999/10/18)。
  60. ^ 日産リバイバルプラン. nissan-global.com. (1999/10/18)。
  61. ^ 日産自動車、村山工場の車両生産中止について. 日産プレスリリース. (2001/03/29)。
  62. ^ a b 日産リバイバルプラン及び日産180に関する記者会見 ゴーン社長スピーチ. 日産自動車. (2002/05/09)。
  63. ^ 日産自動車 過去最高の2001年度決算見込みを発表. 日産プレスリリース. (2002/05/09)。
  64. ^ 2001年3月期 中間決算報告書; 4ページ. 日産自動車。
  65. ^ 2000 アニュアルレポート; 19ページ日産グローバル。
  66. ^ 日産リバイバルプラン進捗状況記者会見 カルロス・ゴーン社長スピーチ. 第35回 東京モーターショー. (2001/10/18)。
  67. ^ Shift: Inside Nissan's Historic Revival; 161~163ページ(英語). カルロス・ゴーン著. (2006/03/21)。
  68. ^ Remaking Nissan「日産の再構築)」(英語). ビジネスウィーク. (1999/11/15)。
  69. ^ "Nissan's Plan for Jump-Start Faces Formidable Obstacles"(英語). The Wall Street Journal. (1999/10/18)。
  70. ^ 文化的変化:日本におけるダグラス·マッカーサーとカルロス·ゴーンの変革行動に関する比較研究; 15ページ(英語). マサチューセッツ工科大学. (2005/06)
  71. ^ Shift: Inside Nissan's Historic Revival; 129ページ(英語). カルロス・ゴーン著. (2006/03/21)。
  72. ^ ゴーン社長が狙う世界制覇. 日経ビジネス. (2006/07/24)。
  73. ^ 【火星人がやってきた】カルロス・ゴーン. 月刊「現代」2002年9月号。
  74. ^ 変革をもたらす CEO達: 日本でのリーダーシップとマネージメントの成功; 136ページ(英語). Edward Elgar 出版. (2006/01)。
  75. ^ 2003年度決算報告; 20ページ. 日産180進捗状況及び2003年度決算発表. (2004/04/26)。
  76. ^ 1999年10月18日 日産 ゴーン改革発表 再生へ『ケイレツ』破壊. 東京新聞. (2006/12/28)。
  77. ^ ルノー2005年度アニュアルレポート; 7ページ(英語). ルノー. (2006/05/04)。
  78. ^ ゴーンは日産をいかに修復するのか (英語). フォーチュン. (2006/07/10)。
  79. ^ ルノー・日産アライアンス2011年暦年(1月~12月累計)の販売実績を発表 - 3年連続で過去最高の販売台数を記録 -. 日産グローバル・ニュースリリース. (2012/02/01)。
  80. ^ ルノー・日産アライアンス2013年企業実績(英語). ルノー・日産アライアンス。
  81. ^ 2013年度決算発表 日産自動車株式会社 最高経営責任者 カルロス ゴーン. 日産グローバル. (2014/05/12)。
  82. ^ 「2009年度ルノーのコミットメント - ゴーンの刺激プラン:2009年にお会いしましょう!」 (フランス語). Challenges誌. (2006/02/06)。
  83. ^ 日産ゴーン社長「無名の英雄たたえるのが私の責任」 いわき工場、まもなくフル稼働へ. 日本経済新聞. (2011/5/13)。
  84. ^ 日産自動車社長 カルロス ゴーン インタビュー(日産いわき工場). 日産ニュースルーム. (2012/03/28)
  85. ^ いわき工場は6月初めまでにフル生産に=ゴーン日産CEO. ロイター通信. (2011/03/29)。
  86. ^ 白熱レポート; 日産のカルロス・ゴーン福島へ(英語). The Truth About Cars. (2011/05/17)。
  87. ^ 日産・ゴーン社長、被災工場視察し社員激励. 日本テレビ. (2011/05/17)。
  88. ^ 現場に甘えぬ経営者 震災対応第2幕、問われる決断. 日本経済新聞. (2011/06/05)。
  89. ^ ニッポン復活の道 ものづくり大国のゆくえ. TV DATA ZOO. (2011/03/29)。
  90. ^ カルロス・ゴーンのインタビュー; 「ワールド・ビジネス・サテライト」(英語). テレビ東京. (2011/04/07)。
  91. ^ 日産・ゴーン社長、世界販売台数「さらに伸びる」. 日本経済新聞. (2011/05/12)。
  92. ^ ゴーン氏云わく、サプライヤー達は地震からリカバーしてきている(英語). Bloomberg. (2011/05/12)。
  93. ^ AvtoVAZ役員リスト(ロシア語). AvtoVAZ. (2012/08/20)。
  94. ^ People: Avtovaz OAO (AVAZ.MM) (英語). ロイター通信。
  95. ^ Avtovaz OAO 取締役および執行役員 (英語). Financial Times
  96. ^ ロシアの自動車メーカーアフトヴァズ社カルロス·ゴーンを会長に任命(英語). autoindustriya.com. (2013/06/29)。
  97. ^ 日産ゴーン、次の事業計画前に降任も(英語). Bloomberg. (2012/06/21)。
  98. ^ ブラジルのイタウ·ウニバンコ銀行 - 国際諮問委員会を形成(英語). イタウ·ウニバンコ銀行。
  99. ^ ルノー·日産アライアンスの最初の日産清華講座(英語). 清華大学. (2012/06/04)。
  100. ^ a b 持続可能エネルギーを促進するハイレベル・グループ(英語). 国連ウェブサイト。
  101. ^ AUB 国際諮問委員会(英語). アメリカン・ユニバーシティ・オブ・ベイルート。
  102. ^ 徳大寺有恒「間違いだらけの車選び」より

参考文献

  • 「カルロス・ゴーン 経営を語る」(日本経済新聞社)
  • 「カルロス・ゴーンの『答えは会社のなかにある』」(あさ出版)
  • 「ルネッサンス ― 再生への挑戦」(ダイヤモンド社)
  • 「ゴーン神話はこうして作られた」(ぱる出版)遠藤 徹(著)
  • 「カルロス・ゴーンが語る5つの革命」(講談社)長谷川洋三(著)
  • 「ゴーン・テキストービジネスの教科書」(文藝春秋)カルロス・ゴーン、

関連項目

外部リンク