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'''今野 浩'''(こんの ひろし、[[1940年]][[8月11日]] - )は、日本の[[金融工学]]、[[東京業大学]][[名誉教授]]。[[Ph.D.]](スタンフォド大学、1971年)、[[博士(工学)|工学博士]]([[東京大学]]、1977年)<ref>論文題目『Bilinear programming: theory and applications』 - 博士論文書誌データベースより</ref>
'''今野 浩'''(こんの ひろし、[[1940年]]([[昭和]]15年) [[8月11日]]<ref name=profile/> - )は、日本の[[最適化問題|数理計画法]]、[[金融工学]]の研究者、[[著述家]]。[[Ph.D.]]([[スタンフォド大学]]、1971年){{Sfn|Konno|1971}}、[[博士(工学)|工学博士]]([[東京大学]]、1977年論文博士){{Sfn|今野|1977}}[[東京工業大学]][[名誉教授]]{{Sfn|今野|2013d|loc=奥付}}

[[筑波大学]]電子・情報工学系[[准教授|助教授]]、東京工業大学工学部人文社会群[[教授]](統計学担当)、同経営工学専攻教授、同[[大学院]]社会理工学研究科長、同理財工学センター長、[[中央大学]]教授を歴任し、学会関係では第13回国際数理計画法シンポジウム実行委員長{{Sfn|OR40年(10)|2005|p=}}、日本知財学会副会長{{Sfn|今野|2013d|p=173}}、金融・証券計量・工学学会(JAFEE)会長{{Sfn|OR40年(12)|2005|p=56}}、日本オペレーションズリサーチ学会会長{{Sfn|今野|2007b}}などを務めた。

[[資産運用]]の[[最適化]]では平均・絶対偏差モデル(MADモデル)を提唱し{{Sfn|今野|2013d|p=132}}{{refnest|group="注"|厳密には、1971年に発表された農業経済分野の論文で同様のモデルが提案されていたが、それは評価されず埋もれてしまっていた{{Sfn|今野|2013d|p=132}}。}}、線形計画法のアルゴリズムを特許化した通称カーマーカー特許には訴訟で抵抗した{{Sfn|OR40年(15)|2005|pages=58-60}}{{Sfn|今野|2013d|pages=171-174}}。週刊誌連載「大学教授の株ゲーム」の共著者であり{{Sfn|今野|2005a|pages=22-28}}{{Sfn|今野|1998|pages=123-125}}、「工学部ヒラノ教授」シリーズ{{Sfn|今野|2013d|loc=前付}}{{Sfn|岩波書店|2015|loc=編集部からのメッセージ}}{{refnest|group="注"|name=hirano|今野の「工学部ヒラノ教授」は、[[筒井康隆]]の「文学部唯野教授」に由来しており{{Sfn|日経BP|2012|p=1}}{{Sfn|山本|2014}}、ヒラノ教授(助教授{{Sfn|今野|2012c}}、名誉教授{{Sfn|今野|2013b}}は今野自身を指す{{Sfn|今野|2013d|loc=あとがき|pages=212-215}}。)。}} など多くの著書を執筆。研究者を引退してからも、「工学部の語り部」として執筆活動を続けている{{Sfn|本多|2012|p=2}}{{Sfn|今野|2013d|loc=奥付}}{{Sfn|岩波書店|2015|loc=著者紹介}}。

== 来歴 ==
=== 出生から学生時代 ===
[[1940年]]生まれ{{refnest|group="注"|name=birth_place|東京生まれ{{Sfn|今野|1995a|loc=著者紹介}}{{Sfn|今野|1998|loc=著者紹介}}と[[神奈川県]]生まれ{{Sfn|今野|2011|loc=奥付}}の表記がある。}}。祖父は[[旧制高等学校|旧制高校]]の校長を務めた人物で{{Sfn|今野|2011|p=10}}、父は[[数学]]を専門とする大学教員であった{{Sfn|今野|2009b|}}。今野は静岡県の小学校を卒業し、東京都の中学校へ進学。さらに[[日比谷高等学校]]を経て、[[東京大学]]理科一類に進む{{Sfn|今野|2010|pages=6-7}}。高校・大学の同級生に[[野口悠紀雄]]がいた{{Sfn|今野|2010|pages=12-13}}。

進学説明会における森口繁一の話に感化され、今野は[[オペレーションズ・リサーチ]]が自分の生涯の仕事と決意し{{Sfn|OR40年(1)|2004|p=}}、何とか[[東京大学大学院工学系研究科・工学部|東京大学工学部]]応用物理学科の数理工学コース(現在の計数工学科)への配属を勝ち取る{{Sfn|OR40年(1)|2004|p=}}。森口研究室に配属され、卒業研究では[[ゲーム理論]]を研究{{Sfn|OR40年(1)|2004|p=455}}、[[1963年]]には卒業と同時に結婚する{{Sfn|今野|2010|p=45}}。

大学院修士課程に進学し、修士課程では[[偏微分方程式]]の数値計算をテーマとする。今野は[[電力中央研究所]]から依頼を受けて[[ダム]]の地震時の振動の計算を実施し、これは論文となり書籍にも掲載される{{Sfn|今野|2010|pages=47-48}}。

今野は本心では博士課程進学を望んでいたが、先輩たちの優秀さに気が引け、就職の道を選ぶ。当初は奨学金の関係からメーカーへの就職が決まっていたが、指導教授の森口に断りを入れてもらい、自由な研究ができそうな電力中央研究所を選択する{{Sfn|今野|2010|pages=38-56}}。

=== 研究員、留学時代 ===
今野は[[1965年]]にから[[1974年]]まで[[財団法人]][[電力中央研究所]]に入所。原子力発電研究室に配属されたが、希望した計算機室ではなかったこともあり、研究所ではなかなか満足いく研究活動ができなかった{{Sfn|今野|2010|p=57-58}}。この間、[[野口悠紀雄]](当時[[大蔵省]])や[[斎藤精一郎]](当時[[日本銀行]])とともに、「21世紀の日本」懸賞論文コンテストに応募。今野らの「10倍経済社会と人間」は2位の[[堺屋太一]](当時[[通商産業省]])を抑え、内閣総理大臣賞を獲得。論文は書籍として刊行された({{Harvnb|野口ほか|1968}}){{Sfn|今野|2010|pages=58-59}}。

[[1968年]]には新設された海外留学制度を利用して[[スタンフォード大学]][[大学院]]へ留学、1965年に発足したばかりのオペレーションズ・リサーチ学科に所属する{{Sfn|OR40年(2)|2004|p=}}、統計学の修士号を取得する{{Sfn|OR40年(9)|2005|p=187}}とともに試験を突破して博士候補生となる。当初は2年間の予定であったが、電力中央研究所の都合で留学期間が1年延長される。今野は「線形計画法の父」である{{仮リンク|ジョージ・ダンツィク|en|George Dantzig}}のもとで博士論文研究に取り組み、双線形計画問題に切除反面法をあてはめるアイデアを出す{{Sfn|OR40年(3)|2004|p=}}。1971年の夏にオペレーションズ・リサーチの[[博士課程]]を修了し、[[Ph.D.]]を取得するものの{{Sfn|Konno|1971}}、ほかの研究者から証明の誤りを指摘されてしまう。後年正しい証明に成功し更なる発展を遂げるものの、長い間今野の研究生活に影を落とすことになる{{Sfn|OR40年(5)|2005|pages=709-710}}{{Sfn|OR40年(6)|2004|pages=771-772}}{{Sfn|今野|2013d|pages=69-72}}。

また、留学を終えた後に今野は約1年間の休職を取り、[[ウィスコンシン大学]]数学研究所に滞在{{Sfn|OR40年(6)|2004|p=771-772}}。目的であった前述の博士論文の問題は解決できなかったが、このとき出した論文がホアン・トイ教授らとの交流につながっていく{{Sfn|OR40年(6)|2004|pages=771-773}}。

=== 筑波大学時代 ===
[[1974年]]、声が掛かった複数のアカデミック・ポストの中から、「国際A級大学」「ソフトウェア科学の世界的拠点作り」の名に惹かれて[[筑波大学]]電子・情報工学系に[[助教授]]として就任。全学共通の情報科目を担当する一般教育を担当する{{Sfn|今野|2011|pages=21-24, 26}}{{Sfn|OR40年(7)|2005|pages=42-43}}{{refnest|group="注"|同時期に来て全学情報教育をともに担当した宇都宮公訓、[[斎藤信男]]とともに、学内では「筑波三銃士」、学外では「筑波の三バカ」と呼ばれていたと今野は自伝に記している{{Sfn|今野|2011|p=26}}{{Sfn|今野|2012c|pages=20-24}}。}}。

今野は着任早々の[[1974年]]、1年間ほど[[オーストリア]]の{{仮リンク|国際応用システム分析研究所|en|International Institute for Applied Systems Analysis}}で研究生活を送ることになる{{Sfn|OR40年(8)|2005|p=125}}。原子力発電システムの最適化問題に取り組み{{Sfn|OR40年(8)|2005|pages=125-126}}{{Sfn|OR40年(9)|2005|p=188}}、「数理モデルの具体的システムへの応用研究」の面白さに目覚めることになる{{Sfn|OR40年(8)|2005|p=126}}。また、この滞在中に博士論文の問題にも取り組み、証明を誤りを正して内容を拡張した2編の論文をまとめている{{Sfn|今野|2013d|pages=69-72}}。

また、[[1977年]]には[[東京大学]]において、論文博士で[[博士(工学)|工学博士]]を取得し{{Sfn|今野|1977}}、[[1979年]]には[[パデュー大学]]で4ヶ月ほど客員教員を務める{{Sfn|WC1988(3)|2010}}。

この間、今野は多くの授業を引き受けるとともに{{Sfn|OR40年(7)|2005|p=43}}、数冊の著書を執筆した{{Sfn|OR40年(7)|2005|p=44}}。特に山下浩との共著である『非線形計画法』は長く売れ続けた{{Sfn|OR40年(7)|2005|p=44}}{{refnest|group="注"|白川浩はこの本を読んで感動したと今野に語っており{{Sfn|今野|2009b}}、今野が金融工学に携わるきっかけとなった債権運用の非線形計画問題についての相談も、依頼者がこの本を見たことが影響している{{Sfn|今野|1998|p=119}}。}}。

=== 東京工業大学時代 ===
[[1982年]]には[[東京工業大学]][[工学部]]人文社会群に[[教授]]として招聘される。推薦したのは[[吉田夏彦]]で、スタンフォード大学の統計学修士号と著書『10倍経済社会と人間』が評価されたという{{Sfn|OR40年(9)|2005|p=187}}。当時の人文社会群には、吉田のほか[[江藤淳]]、[[永井陽之助]]らがいた{{Sfn|OR40年(9)|2005|p=187}}。

[[1994年]]同大学経営システム工学科教授、[[1996年]]同社会理工学研究科経営工学専攻教授、研究科長( - [[1998年]])、[[1999年]]同理財工学研究センター長。

四十代半ばからは「[[現代ポートフォリオ理論|資産運用理論]]」、六十歳ごろからは「[[信用リスク]]」を主な研究対象とした{{Sfn|今野|2011|p=12}}。

=== 中央大学時代以降 ===
[[2001年]]に東工大を定年退職した今野は、[[中央大学]][[理工学部]]経営システム工学科の[[教授]]に就任する。[[2004年]]には日本オペレーションズ・リサーチ学会の会長も務め、「OR40年」と題した会長随想を連載{{Sfn|今野|2007b}}、近藤賞の創設にも携わった{{Sfn|今野|2007b|p=349}}<ref name=kondo_prise/>。

[[2011年]]には中央大学も定年退職。晩年は「工学部の語り部」を自称{{Sfn|本多|2012}}。自身のやるせなさを表すのに“awkward”(ぶざまな、ぎこちない、などの意)という語が似つかわしいと述べている{{Sfn|今野|2011|pages=10-11}}。


== 人物 ==
== 人物 ==
今野は「拙速」を良しとし、期限を守ること、頼まれた依頼は断らないこと、研究成果は素早く公表することなどを掲げる{{Sfn|パワーレクチャー|2011}}{{Sfn|今野|2013d|pages=7-11}}。論文100本を目標とし{{Sfn|今野|2005a|p=218}}、最終的におよそ150本の実績をあげた{{Sfn|今野|2013d|p=183}}。
[[1963年]]、[[東京大学]][[工学部]]応用物理学科卒業、[[1965年]]から[[1974年]]まで[[財団法人]][[電力中央研究所]]研究員、1971年[[スタンフォード大学]][[大学院]]オペレーションズ・リサーチ学科[[博士課程]]修了。[[1974年]][[筑波大学]]電子・情報工学系[[助教授]]、[[1982年]]東京工業大学[[工学部]]人文社会群教授、[[1994年]]同大学経営システム工学科教授、[[1996年]]同社会理工学研究科経営工学専攻教授、研究科長( - [[1998年]])、[[1999年]]同理財工学研究センター長を経て[[2001年]][[中央大学]]理工学部教授。[[2011年]]に中央大学を定年退職。


また、今野は様々な身近な現実問題に[[オペレーションズ・リサーチ]]の手法を適用した。[[電力中央研究所]]時代には、自身が複数の誘いからどこへ転出するかそれとも残留するかという問題に対し、[[階層分析法]](AHP)に近いものを適用して筑波大学を選んでいる{{Sfn|OR40年(7)|2005}}。また、東京工業大学の受講学生が約1300人になる「総合講義」という科目において、12-15クラスへ学生を振り分ける問題に最適化手法を適用した<ref name=class_abst>{{Cite journal|和書|title=最適クラス編成法 : その後の展開(事例研究奨励賞)|author=今野浩|journal=日本オペレーションズ・リサーチ学会秋季研究発表会1992アブストラクト集|year=1992|month=9|pages=pp.30-31|url= http://ci.nii.ac.jp/naid/110003477693 }}</ref>。東京工業大学において定年の年齢変更が検討された際にも、AHPを適用して最適解を導出した<ref name=ahp_tokyo_tech/>。
<!-- 近年{{いつ|date=2014年9月}}は、 -->東工大時代の同僚[[白川浩]]の追想記、理系学者の実態などを描く一般向けの著作でも知られる。

今野は“Financial Engineering”の訳語として「金融工学」を避け、「理財工学」を提唱した{{Sfn|今野|1995a|loc=まえがき|page=vi}}{{Sfn|今野|1998|pages=134-135}}<ref name=plan/>。「金融」を避けたのはこの言葉に対するエンジニアの否定的な感情に配慮したためであり<ref name=plan/>、「理財」は明治時代に“Economics”の訳語として理財学が提案されていたことに由来する{{Sfn|今野|1995a|loc=まえがき|p=vi}}。

なお、論文査読や学会発表で他者に厳しいスタンスを取ったり「金融工学は単なる計算」と否定してきたりする経済学者に対し、今野は対抗心を持っていた{{Sfn|今野|2010|pages=84-91}}{{Sfn|今野|2010|p=227}}。東大大学院時代の[[工学部]]・[[経済学部]]・[[医学部]]合同の統計学輪講{{Sfn|OR40年(1)|2004|p=456}}、シンポジウムの招待講演でのやり取り{{Sfn|今野|2010|pages=84-91}}など、多くの経験を著作の中で語っている。また、師であるジョージ・ダンツィクがノーベル経済学賞受賞を逃したことも、同賞や経済学への疑問につながっていた{{Sfn|OR40年(8)|2005|p=127}}。


== 受賞 ==
== 受賞 ==
* 1967年 - 21世紀の日本懸賞論文コンテスト、内閣総理大臣賞{{Sfn|今野|2010|pages=58-59}}
* 1981年 [[日本オペレーションズ・リサーチ学会]]、文献賞
* 1981年 - [[日本オペレーションズ・リサーチ学会]]、文献賞<ref name=award_bunken/>
* 1987年 手島財団、手島賞
* 1987年 - 手島財団、手島賞<ref name=profile/>
* 1992年 [[日本オペレーションズ・リサーチ学会]]、事例研究奨励賞
* 2002 [[日本オペレーションズ・リサーチ学会]]業績
* 1992 - 日本オペレーションズ・リサーチ学会、事例研究奨励<ref name=award_jirei/><ref name=class_abst/>
* 2010 [[日本金融証券計量・工学学会]]JAFEE
* 2002 - 日本オペレーションズリサーチ学会、業績<ref name=award_gyoseki/>
* 2010年 - 日本金融・証券計量・工学学会、JAFEE賞<ref name=award_jafee/>


== 著書 ==
== 著書 ==
=== 単著 ===
=== 単著 ===
*線形計画法日科技連出版社1987
* {{Cite book|和書|title=線形計画法|publisher=日科技連出版社|year=1987|month=3|isbn=978-4817150141|url=}}
*数理決定法入門 キャンパスのOR[[朝倉書店]]シリーズ<現代人の数理>)、1992
* {{Cite book|和書|title=数理決定法入門 キャンパスのOR|publisher=[[朝倉書店]]|series=シリーズ現代人の数理|year=1992|isbn=|url=}}
*理財工学 1 平均・分散モデルとその拡張日科技連出版社1995
* {{Cite book|和書|title=理財工学I-平均・分散モデルとその拡張-|publisher=日科技連出版社|year=1995|isbn=|ref={{Sfnref|今野|1995a}} }}
*カーマーカー特許とソフトウェア 数学は特許になるか[[中公新書]]1995
* {{Cite book|和書|title=カーマーカー特許とソフトウェア数学は特許になるか-|series=[[中公新書]]|year=1995|isbn=|url=}}
*実践数理決定法日科技連出版社社会理工学シリーズ)、1997
* {{Cite book|和書|title=実践数理決定法|publisher=日科技連出版社|series=社会理工学シリーズ|year=1997|isbn=|url=}}
*理財工学 2 数理計画法による資産運用最適化日科技連出版社1998
* {{Cite book|和書|title=理財工学II-数理計画法による資産運用最適化-|publisher=日科技連出版社|year=1998|isbn=|ref={{Sfnref|今野|1998}} }}
*金融工学の挑戦 テクノコマース化するビジネス中公新書2000
* {{Cite book|和書|title=金融工学の挑戦テクノコマース化するビジネスー|series=中公新書|year=2000|isbn=|url=}}
*特許ビジネスはどこへ行くのか IT社会の落とし穴[[岩波書店]]2002
* {{Cite book|和書|title=特許ビジネスはどこへ行くのか-IT社会の落とし穴-|publisher=[[岩波書店]]|year=2002|isbn=|url=}}
*金融工学20年 20世紀エンジニアの冒険[[東洋経済新報社]]2005
* {{Cite book|和書|title=金融工学20年-20世紀エンジニアの冒険-|publisher=[[東洋経済新報社]]|year=2005|isbn=|ref={{Sfnref|今野|2005a}} }}
*役に立つ一次式 整数計画法「気まぐれな王女」の50年[[日本評論社]]2005
* {{Cite book|和書|title=役に立つ一次式整数計画法「気まぐれな王女」の50年-|publisher=[[日本評論社]]|year=2005|isbn=|ref={{Sfnref|今野|2005b}} }}
*21世紀のOR 「最適化の時代」の旗手日科技連出版社2007
* {{Cite book|和書|title=21世紀のOR 「最適化の時代」の旗手|publisher=日科技連出版社|year=2007|isbn=|ref={{Sfnref|今野|2007a}} }}
*「理工系離れ」が経済力を奪う[[日本経済新聞出版社]]日経プレミアシリーズ2009
* {{Cite book|和書|title=「理工系離れ」が経済力を奪う|publisher=[[日本経済新聞出版社]]|series=日経プレミアシリーズ|year=2009|isbn=|ref={{Sfnref|今野|2009a}} }}
*すべて僕に任せてください 東工大モーレツ天才助教授の悲劇[[新潮社]]2009
* {{Cite book|和書|title=すべて僕に任せてください東工大モーレツ天才助教授の悲劇-|publisher=[[新潮社]]|year=2009|isbn=|ref={{Sfnref|今野|2009b}} }}
*「金融工学」は何をしてきたのか日本経済新聞出版社日経プレミアシリーズ)、2009
* {{Cite book|和書|title=「金融工学」は何をしてきたのか|publisher=日本経済新聞出版社|series=日経プレミアシリーズ|year=2009|isbn=|ref={{Sfnref|今野|2009c}} }}
*スプートニクの落とし子たち 理工系エリートの栄光と挫折[[毎日新聞社]]2010
* {{Cite book|和書|title=スプートニクの落とし子たち理工系エリートの栄光と挫折-|publisher=[[毎日新聞社]]|year=2010|isbn=|ref={{Sfnref|今野|2010}} }}
*工学部ヒラノ教授新潮社2011 のち文庫 
* {{Cite book|和書|title=工学部ヒラノ教授|publisher=新潮社|year=2011|isbn=9784103147626|ref={{Sfnref|今野|2011}} }}のち文庫(2013年、ISBN 978-4101251615)
*工学部ヒラノ教授の事件ファイル新潮社2012
* {{Cite book|和書|title=工学部ヒラノ教授の事件ファイル|publisher=新潮社|year=2012|isbn=|ref={{Sfnref|今野|2012a}} }}のち文庫(2015年、ISBN 978-4101251622)
*工学部ヒラノ教授と4人の秘書たち技術評論社2012
* {{Cite book|和書|title=工学部ヒラノ教授と4人の秘書たち|publisher=技術評論社|year=2012|isbn=|ref={{Sfnref|今野|2012b}} }}
*工学部ヒラノ助教授の敗戦 日本のソフトウェアはなぜ敗れたのか青土社2012 
* {{Cite book|和書|title=工学部ヒラノ助教授の敗戦日本のソフトウェアはなぜ敗れたのか-|publisher=青土社|year=2012|isbn=|ref={{Sfnref|今野|2012c}} }}
*工学部ヒラノ教授と七人の天才青土社2013
* {{Cite book|和書|title=工学部ヒラノ教授と七人の天才|publisher=青土社|year=2013|isbn=|ref={{Sfnref|今野|2013a}} }}
*工学部ヒラノ教授のアメリカ武者修行新潮社2013
* {{Cite book|和書|title=工学部ヒラノ教授のアメリカ武者修行|publisher=新潮社|year=2013|isbn=|ref={{Sfnref|今野|2013b}} }}
*工学部ヒラノ名誉教授の告白 エンジニアが「物書き」になったわけ青土社2013
* {{Cite book|和書|title=工学部ヒラノ名誉教授の告白エンジニアが「物書き」になったわけ-|publisher=青土社|year=2013|isbn=|ref={{Sfnref|今野|2013c}} }}
*ヒラノ教授の論文必勝法 教科書が教えてくれない裏事情中央公論新社2013
* {{Cite book|和書|title=ヒラノ教授の論文必勝法教科書が教えてくれない裏事情-|publisher=中央公論新社|year=2013|isbn=|ref={{Sfnref|今野|2013d}} }}
*ヒラノ教授の線形計画法物語岩波書店2014
* {{Cite book|和書|title=ヒラノ教授の線形計画法物語|publisher=岩波書店|year=2014|isbn=|ref={{Sfnref|今野|2014a}} }}
*あのころ、僕たちは日本の未来を真剣に考えていた青土社2014
* {{Cite book|和書|title=あのころ、僕たちは日本の未来を真剣に考えていた|publisher=青土社|year=2014|isbn=|ref={{Sfnref|今野|2014b}} }}
*工学部ヒラノ教授の青春 -試練と再生と父をめぐる物語-』青土社2014
* {{Cite book|和書|title=工学部ヒラノ教授の青春試練と再生と父をめぐる物語-|publisher=青土社|year=2014|isbn=|ref={{Sfnref|今野|2014c}} }}


=== 共著 ===
=== 共著 ===
* [[野口悠紀雄]]、[[斎藤精一郎]])『21世紀の日本 十倍経済社会と人間』東洋経済新報社1968
* {{Cite book|和書|title=21世紀の日本 十倍経済社会と人間|author=[[野口悠紀雄]]、今野浩、[[斎藤精一郎]]|publisher=東洋経済新報社|year=1968|url= http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2976347 |ref={{Sfnref|野口ほか|1968}} }}
* (山下浩)『非線形計画法日科技連出版社1978
* {{Cite book|和書|title=非線形計画法|author=今野浩、山下浩|publisher=日科技連出版社|year=1978|isbn=|url=}}
* (鈴木久敏)『整数計画法と組合せ最適化日科技連出版社1982
* {{Cite book|和書|title=整数計画法と組合せ最適化|author=今野浩、鈴木久敏|publisher=日科技連出版社|year=1982|isbn=|url=}}
* (斎藤精一郎)『大学教授の株ゲーム 学者が書いた株式入門新潮社1989のち日経ビジネス人文庫
* {{Cite book|和書|title=大学教授の株ゲーム 学者が書いた株式入門|author=今野浩、斎藤精一郎|publisher=新潮社|year=1989|series=日経ビジネス人文庫|isbn=|url=}}のち日経ビジネス人文庫、2000年、ISBN 978-4532190071
* ([[中川淳司]])『ソフトウェア/アルゴリズムの権利保護朝倉書店1996シリーズ<現代人の数理>)
* {{Cite book|和書|title=ソフトウェア/アルゴリズムの権利保護|author=今野浩、中川淳司|publisher=朝倉書店|year=1996|series=シリーズ現代人の数理|isbn=|url=}}
* 藤田宏、田邉國士)『最適化法』岩波書店1998岩波講座応用数学 方法 7)
* {{Cite book|和書|title=最適化法|author=今野浩、藤田宏、田邉國士|publisher=岩波書店|year=1998|series=岩波講座応用数学 方法 7|isbn=|url=}}
* [[刈屋武昭]]、[[木島正明]])『金融工学事典』朝倉書店2004
* {{Cite book|和書|title=金融工学事典|author=今野浩、[[刈屋武昭]]、[[木島正明]]|publisher=朝倉書店|year=2004|isbn=|url=}}
* (後藤順哉)『意思決定のための数理モデル入門』朝倉書店、2011 (シリーズ〈オペレーションズ・リサーチ〉)


=== 編集 ===
=== 翻訳・編集 ===
* {{Cite book|和書|title=整数計画法とネットワーク・フロー|author=T.C.Hu 著|editor=今野浩、棚橋次彦 訳|publisher=[[培風館]]|year=1975|isbn=|url=}}
* 『金融技術とリスク管理の展開(ジャフィー・ジャーナル) 』東洋経済新報社、1999
* {{Cite book|和書|title=金融技術とリスク管理の展開|editor=今野浩 編集|publisher=東洋経済新報社|year=1999|series=ジャフィー・ジャーナル|isbn=|url=}}
* {{Cite book|和書|title=金融工学入門|author=デービッド・G.ルーエンバーガー|editor=今野浩、[[鈴木賢一]]、枇々木規雄 訳|publisher=日本経済新聞社|year=2002|month=4|isbn=4-532-13229-0|url=}}


=== 翻訳 ===
== 主な論文・解説 ==
=== 学位論文 ===
* (伊理正夫、棚橋次彦 共訳)『整数計画法とネットワーク・フロー』T.C.Hu 原著、[[培風館]]、1975
* {{Cite book|url= http://www.worldcat.org/title/bilinear-programming/oclc/38632802 |title=Bilinear programming|publisher=Dept. of Operations Research, Stanford University|series=Thesis (Ph.D.)|year=1971|ref={{Sfnref|Konno|1971}} }}([[WorldCat]])
* (鈴木賢一、枇々木規雄 共訳)『金融工学入門』デービッド・G.ルーエンバーガー 原著、日本経済新聞社、2002 ISBN 4-532-13229-0
* {{Cite book|url= http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007730086-00 |title=Bilinear programming : theory and applications|year=1977|month=1|series=博士論文(乙第4129号)|publisher=東京大学|ref={{Sfnref|今野|1977}} }}日本語題名『双線形計画法:理論と応用』<!--授与年月日:昭和52年1月20日、報告番号:乙第4129号-->


== 脚注・出典 ==
=== 記事 ===
(数理計画法)
* {{Cite journal|和書|url= http://dx.doi.org/10.11499/sicejl1962.25.223 |title=大規模数理計画法の現状|journal=計測と制御|volume=25|number=3|year=1986|month=3|pages=223-228}}
* {{Cite journal|和書|url= http://ci.nii.ac.jp/naid/110003891138 |title=線形計画法の現状|journal=シミュレーション|volume=6|number=1|pages=18-26|year=1987|month=3}}
* {{Cite journal|和書|url= http://ci.nii.ac.jp/naid/110007390291 |title=パラメトリック単体法による非凸型関数の大域的最小化|journal=応用数理|volume=1|number=1|pages=36-50|year=1991|month=3}}
* {{Cite journal|和書|url= http://ci.nii.ac.jp/naid/110006278895 |title=(特集 歴代会長からのメッセージ)数理計画法-個人的回想-|journal=オペレーションズ・リサーチ : 経営の科学|volume=52|number=6|pages=349-354|year=2007|month=6|ref={{Sfnref|今野|2007b}} }}
(金融工学)
* {{Cite journal|和書|url= http://dx.doi.org/10.5363/tits.4.4_66 |title=ビッグバンと経営工学|journal=学術の動向|volume=4|number=4|year=1999|month=4|pages=66-67|ref={{Sfnref|今野|1999a}} }}
* {{Cite journal|和書|url= http://ci.nii.ac.jp/naid/110002763987 |title=金融技術革新とエンジニア|journal=情報処理|volume=40|number=8|pages=802-806|year=1999|month=8|ref={{Sfnref|今野|1999b}} }}
* {{Cite journal|和書|url= http://ci.nii.ac.jp/naid/110001584094 |title=ORモデルと経済学モデル|journal=オペレーションズ・リサーチ : 経営の科学|volume=50|number=8|pages=529-532|year=2005|month=8}}
(知的財産)
* {{Cite journal|和書|url= http://dx.doi.org/10.11309/jssst.17.576 |title=ビジネス・モデル特許|journal=コンピュータソフトウェア|volume=17|number=6|pages=576-580|year=2000|month=11}}
* {{Cite journal|和書|url= http://ci.nii.ac.jp/naid/110001185442 |title=迷走するソフトウェア特許|journal=オペレーションズ・リサーチ : 経営の科学|volume=41|number=12|pages=700-704|year=1996|month=12}}
(その他)
* {{Cite journal|和書|url= http://ci.nii.ac.jp/naid/110002344571 |title=途上国援助のORT-TVAプロジェクトの教訓|journal=オペレーションズ・リサーチ : 経営の科学|volume=30|number=1|pages=24-28|year=1985|month=1}}
* {{Cite journal|和書|url= http://ci.nii.ac.jp/naid/110001187880 |title=座談会 21世紀に向けてのOR|author=森村英典、腰塚武志、今野浩、野村淳二、柳井浩、山上伸|journal=オペレーションズ・リサーチ : 経営の科学|volume=40|number=1|pages=9-18|year=1995|month=1|}}
* {{Cite journal|和書|title=ジョージ・ダンツィク先生を悼む|journal=オペレーションズ・リサーチ:経営の科学|volume=50|number=7|pages=pp.444-445|year=2005|month=7|url=http://ci.nii.ac.jp/naid/110001273578}}
* {{Cite journal|和書|title=ORを築いた人々(14) ジョージ・ダンツィク教授-20世紀のニュートンもしくはラグランジュ-|journal=オペレーションズ・リサーチ:経営の科学|volume=54|number=2|pages=pp.98-99|year=2009|month=2|url=http://ci.nii.ac.jp/naid/110007046155}}

=== 連載 ===
* {{Cite journal|和書|title=大学教授の株ゲーム|author=[[斎藤精一郎]]|author2=今野浩|journal=[[週刊新潮]]|year=1988-1989年}}{{Sfn|今野|2005a|page=22-28}}

* {{Cite journal|和書|title=アルゴリズムと特許|author=今野浩|journal=オペレーションズ・リサーチ : 経営の科学|volume=38|year=1993}}{{columns-list|2|
**{{Cite|url= http://ci.nii.ac.jp/naid/110001187851 ||title=その1. カーマーカー特許|journal=.|volume=38|number=8|pages=414-418|year=1993|month=8|ref=}}
**{{Cite|url= http://ci.nii.ac.jp/naid/110001187861 |title=その2. アルゴリズム特許と法律|journal=.|volume=38|number=9|pages=494-498|year=1993|month=9|ref=}}
**{{Cite|url= http://ci.nii.ac.jp/naid/110001187786 |title=その3. カーマーカー事件その後|journal=.|volume=38|number=10|pages=544-548|year=1993|month=10|ref=}}
**{{Cite|url= http://ci.nii.ac.jp/naid/110001187796 |title=その4. 時代は廻る|journal=.|volume=38|number=11|pages=596-601|year=1993|month=11|ref=}}
**{{Cite|url= http://ci.nii.ac.jp/naid/110001185027 |title=その5. カーマーカー特許に対する異議申し立て|journal=.|volume=38|number=12|pages=645-649|year=1993|month=12|ref=}}
}}

* {{Cite|和書|author=今野浩|title=会長随想 OR40年|year=2004-2006年|journal=オペレーションズ・リサーチ:経営の科学}}{{columns-list|2|
**{{Cite|journal=.|volume=49|issue=7|date=2004-07|pages=454-456|url= http://ci.nii.ac.jp/naid/110001183802 |title=1. ORとの出会い|ref={{Sfnref|OR40年(1)|2004}} }}
**{{Cite|journal=.|volume=49|number=8|date=2004-08|pages=525-527|url= http://ci.nii.ac.jp/naid/110001183814 |title=2. 怠惰で運のいい研究員|ref={{Sfnref|OR40年(2)|2004}} }}
**{{Cite|journal=.|volume=49|number=9|date=2004-09|pages=594-596|url= http://ci.nii.ac.jp/naid/110001183821 |title=3. 米国式詰め込み教育|ref={{Sfnref|OR40年(3)|2004}} }}
**{{Cite|journal=.|volume=49|number=10|date=2004-10|pages=656-658|url= http://ci.nii.ac.jp/naid/110001183767 |title=4. 移り変わるORの研究拠点|ref={{Sfnref|OR40年(4)|2004}} }}
**{{Cite|journal=.|volume=49|number=11|date=2004-11|pages=708-710|url= http://ci.nii.ac.jp/naid/110001185988 |title=5. ダンツィク教授の弟子となる|ref={{Sfnref|OR40年(5)|2004}} }}
**{{Cite|journal=.|volume=49|number=12|date=2004-12|pages=771-773|url= http://ci.nii.ac.jp/naid/110001185997 |title=6. ウィスコンシンの厳しい生活|ref={{Sfnref|OR40年(6)|2004}} }}
**{{Cite|journal=.|volume=50|number=1|date=2005-01|pages=42- 44|url= http://ci.nii.ac.jp/naid/110001186009 |title=7. ティーチングマシーン|ref={{Sfnref|OR40年(7)|2005}} }}
**{{Cite|journal=.|volume=50|number=2|date=2005-02|pages=125-127|url= http://ci.nii.ac.jp/naid/110001186026 |title=8. ウィーンのお城のものがたり|ref={{Sfnref|OR40年(8)|2005}} }}
**{{Cite|journal=.|volume=50|number=3|date=2005-03|pages=187-189|url= http://ci.nii.ac.jp/naid/110001232375 |title=9. 文系集団の中のエンジニア|ref={{Sfnref|OR40年(9)|2005}} }}
**{{Cite|journal=.|volume=50|number=4|date=2005-04|pages=285-287|url= http://ci.nii.ac.jp/naid/110001242914 |title=10. 国際数理計画法シンポジウム|ref={{Sfnref|OR40年(10)|2005}} }}
**{{Cite|journal=.|volume=50|number=5|date=2005-05|pages=349-351|url= http://ci.nii.ac.jp/naid/10020989007 |title=11. 投資と金融のOR部会|ref={{Sfnref|OR40年(11)|2005}} }}
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}}
* {{Cite journal|和書|author=今野浩|title=ワールドカップ1988-国際会議の舞台裏|year=2010-2011年|author=今野浩|journal=オペレーションズ・リサーチ:経営の科学}}{{columns-list|2|
**{{Cite|journal=.|volume=55|number=7|pages=426-429|year=2010|month=7|pages=|title=(1) 1.ボストン1885 2.モントリオール1979|url= http://ci.nii.ac.jp/naid/110007657904 |ref={{Sfnref|WC1988(1)|2010}} }}
**{{Cite|journal=.|volume=55|number=8|pages=485-488|year=2010|month=8|title=(2) 3.スタンフォード1970 4.「ジュウ」社会アメリカ1971|url= http://ci.nii.ac.jp/naid/110007686010 |ref={{Sfnref|WC1988(2)|2010}} }}
**{{Cite|journal=.|volume=55|number=9|pages=580-583|year=2010|month=9|title=(3) 5.インディアナ1979 6.RAMP1980|url= http://ci.nii.ac.jp/naid/110007731094 |ref={{Sfnref|WC1988(3)|2010}} }}
**{{Cite|journal=.|volume=55|number=10|pages=651-654|year=2010|month=10|title=(4) 7.東京1982 8.スタンフォード1984|url= http://ci.nii.ac.jp/naid/110007818523 |ref={{Sfnref|WC1988(4)|2010}} }}
**{{Cite|journal=.|volume=55|number=11|pages=714-717|year=2010|month=11|title=(5) 9.バトル1986 10.東京の暑い夏1987|url= http://ci.nii.ac.jp/naid/110007880838 |ref={{Sfnref|WC1988(5)|2010}} }}
**{{Cite|journal=.|volume=55|number=12|pages=782-785|year=2010|month=12|title=(6) 11.オールジャパン1987 12.招待客|url= http://ci.nii.ac.jp/naid/110007989428 |ref={{Sfnref|WC1988(6)|2010}} }}
**{{Cite|journal=.|volume=56|number=1|pages=41-44|year=2011|month=1|title=(7) 13.前夜 14.カーマーカーとディキン|url= http://ci.nii.ac.jp/naid/110008007161 |ref={{Sfnref|WC1988(7)|2011}} }}
**{{Cite|journal=.|volume=56|number=2|pages=111-114|year=2011|month=2|title=(8) 15.大事件発生 16.椿山荘事件|url= http://ci.nii.ac.jp/naid/110008465015 |ref={{Sfnref|WC1988(8)|2011}} }}
**{{Cite|journal=.|volume=56|number=3|pages=175-178|year=2011|month=3|title=(9) 17.涵徳亭の夜 18.あのバッグはどこに行ってしまったのでしょうか?|url= http://ci.nii.ac.jp/naid/110008593054 |ref={{Sfnref|WC1988(9)|2011}} }}
}}

== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
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=== 注釈 ===
{{Reflist}}
{{Reflist|group="注"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|3|refs=
<ref name=profile>{{Cite web|url= http://www.geocities.jp/h_konno_lab/profile.html |title=今野浩プロフィール|work=今野浩紹介|accessdate=2015-04-11}}</ref>
<ref name=kondo_prise>{{Cite journal|和書|title=第1回「近藤賞」|author=今野浩|journal=オペレーションズ・リサーチ:経営の科学|year=52|month=11|pages=pp. 732-733|year=2007|month=11|url=http://ci.nii.ac.jp/naid/110006440291}}</ref>
<ref name=plan>{{Cite journal|和書|url= http://ci.nii.ac.jp/naid/110003774854 |title=金融工学と人材教育|author=今野浩|journal=研究技術計画|volume=14|number=3|pages=169-173|year=1999|month=11}}</ref>
<ref name=ahp_tokyo_tech>{{Cite journal|和書|title=AHPを用いた停年制度の分析について|author=今野浩|author2=高瀬徹|author3=周宏傑|journal=日本オペレーションズ・リサーチ学会秋季研究発表会アブストラクト集|year=1994|pages=30-31|year=1994|month=10|naid=110000272808}}</ref>
<ref name=award_bunken>{{Cite web|url= http://www.orsj.or.jp/whatisor/award1.html |title=研究賞|work=表彰|publisher=日本オペレーションズ・リサーチ学会|accessdate=2015-04-11}}</ref>
<ref name=award_jirei>{{Cite web|url= http://www.orsj.or.jp/whatisor/award4.html |title=事例研究賞|work=表彰|publisher=日本オペレーションズ・リサーチ学会|accessdate=2015-04-12}}</ref>
<ref name=award_gyoseki>{{Cite web|url= http://www.orsj.or.jp/whatisor/award5.html |title=業績賞|work=表彰|publisher=日本オペレーションズ・リサーチ学会|accessdate=2015-04-11}}</ref>
<ref name=award_jafee>{{Cite web|url= http://www.jafee.gr.jp/17prize/jafee-prize.html |title=JAFEE賞、JAFEE論文賞|work=組織について|publisher=日本金融・証券計量・工学学会|accessdate=2015-04-11}}</ref>
}}

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== 参考文献 ==
* {{Cite web|url= http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0058840/top.html |title=more info ヒラノ教授の線形計画法物語|publisher=[[岩波書店]]|accessdate=2015-04-12|ref={{Sfnref|岩波書店|2015}} }}
* {{Cite web|url= http://www.power-lecture.com/koushi_ka/2011/konno-hiroshi11-07-02.html |title=製造業大国を支えた「工学部の教え・7カ条」今野浩氏(中央大学理工学部教授)|date=2011-07|publisher=Power Lecture|accessdate=2015-04-13|ref={{Sfnref|パワーレクチャー|2011}} }}
* {{Cite web|url= http://wedge.ismedia.jp/articles/-/2188 |title=「工学部の語り部」が語る大学の裏側と鳩山由紀夫と同時期の留学時代-『工学部ヒラノ教授の事件ファイル』 今野浩氏インタビュー-|publisher=WEDGE INFNITY|work=オトナの教養 週末の一冊|date=2012-09-07|author=本多カツヒロ|accessdate=2015-04-07|ref={{Sfnref|本多|2012}} }}
* {{Cite web|和書|url= http://business.nikkeibp.co.jp/article/book/20121210/240823/?rt=nocnt |title=工学部ヒラノ教授が語る、日本を支える「機々械々」な人々『工学部ヒラノ教授と4人の秘書たち』×『FabLife』|author=ザ・絶賛エディターズ|date=2012-12-26|work=日経ビジネスオンライン|publisher=[[日経BP]]|accessdate=2015-04-12|ref={{Sfnref|日経BP|2012}} }}
* {{Cite web|url= http://www.kumikomi.net/archives/2013/04/co20de48.php |title=デバイス古今東西(48) -日本のソフトウェアが米国に負けた三つの原因|author=山本靖|date=2014-03-24|work=Tech Village|publisher=[[CQ出版社]]|accessdate=2015-04-13|ref={{Sfnref|山本|2014}} }}


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
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== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* [http://www.geocities.jp/h_konno_lab/profile.html 今野浩紹介]
* [http://www.geocities.jp/h_konno_lab/profile.html 今野浩紹介]
* {{Kaken|10015969}}


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2015年4月27日 (月) 19:11時点における版

今野 浩
Hiroshi KONNO
生誕 (1940-08-11) 1940年8月11日(84歳)[1]
日本の旗 日本
居住 日本の旗 日本
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
 オーストリア
研究分野 数理計画法オペレーションズリサーチ金融工学
研究機関 常勤 - 電力中央研究所筑波大学東京工業大学中央大学
短期滞在 - ウィスコンシン大学、国際応用システム分析研究所、パデュー大学
出身校 東京都立日比谷高等学校[2]
東京大学(学部・修士課程)
スタンフォード大学(博士課程)
博士課程
指導教員
ジョージ・ダンツィク
他の指導教員 森口繁一、伊理正男[3]
博士課程
指導学生
鈴木賢一[4]
主な業績 平均・絶対偏差モデル
ソフトウェア特許訴訟[5]
工学部の語り部[6][7]
影響を
受けた人物
斎藤精一郎[8][9]
野口悠紀雄[10]
影響を
与えた人物
白川浩[11]
後藤公彦[2]
主な受賞歴 「21世紀の日本」懸賞論文 内閣総理大臣賞[10]、日本OR学会 事例研究奨励賞[12]、日本OR学会 業績賞[13]、JAFEE賞[14]
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今野 浩(こんの ひろし、1940年(昭和15年) 8月11日[1] - )は、日本の数理計画法金融工学の研究者、著述家Ph.D.スタンフォード大学、1971年)[15]工学博士東京大学、1977年、論文博士)[16]東京工業大学名誉教授[7]

筑波大学電子・情報工学系助教授、東京工業大学工学部人文社会群教授(統計学担当)、同経営工学専攻教授、同大学院社会理工学研究科長、同理財工学センター長、中央大学教授を歴任し、学会関係では第13回国際数理計画法シンポジウム実行委員長[17]、日本知財学会副会長[18]、金融・証券計量・工学学会(JAFEE)会長[19]、日本オペレーションズリサーチ学会会長[20]などを務めた。

資産運用最適化では平均・絶対偏差モデル(MADモデル)を提唱し[21][注 1]、線形計画法のアルゴリズムを特許化した通称カーマーカー特許には訴訟で抵抗した[22][23]。週刊誌連載「大学教授の株ゲーム」の共著者であり[9][24]、「工学部ヒラノ教授」シリーズ[25][26][注 2] など多くの著書を執筆。研究者を引退してからも、「工学部の語り部」として執筆活動を続けている[6][7][32]

来歴

出生から学生時代

1940年生まれ[注 3]。祖父は旧制高校の校長を務めた人物で[36]、父は数学を専門とする大学教員であった[37]。今野は静岡県の小学校を卒業し、東京都の中学校へ進学。さらに日比谷高等学校を経て、東京大学理科一類に進む[38]。高校・大学の同級生に野口悠紀雄がいた[39]

進学説明会における森口繁一の話に感化され、今野はオペレーションズ・リサーチが自分の生涯の仕事と決意し[3]、何とか東京大学工学部応用物理学科の数理工学コース(現在の計数工学科)への配属を勝ち取る[3]。森口研究室に配属され、卒業研究ではゲーム理論を研究[40]1963年には卒業と同時に結婚する[41]

大学院修士課程に進学し、修士課程では偏微分方程式の数値計算をテーマとする。今野は電力中央研究所から依頼を受けてダムの地震時の振動の計算を実施し、これは論文となり書籍にも掲載される[42]

今野は本心では博士課程進学を望んでいたが、先輩たちの優秀さに気が引け、就職の道を選ぶ。当初は奨学金の関係からメーカーへの就職が決まっていたが、指導教授の森口に断りを入れてもらい、自由な研究ができそうな電力中央研究所を選択する[43]

研究員、留学時代

今野は1965年にから1974年まで財団法人電力中央研究所に入所。原子力発電研究室に配属されたが、希望した計算機室ではなかったこともあり、研究所ではなかなか満足いく研究活動ができなかった[44]。この間、野口悠紀雄(当時大蔵省)や斎藤精一郎(当時日本銀行)とともに、「21世紀の日本」懸賞論文コンテストに応募。今野らの「10倍経済社会と人間」は2位の堺屋太一(当時通商産業省)を抑え、内閣総理大臣賞を獲得。論文は書籍として刊行された(野口ほか 1968[10]

1968年には新設された海外留学制度を利用してスタンフォード大学大学院へ留学、1965年に発足したばかりのオペレーションズ・リサーチ学科に所属する[45]、統計学の修士号を取得する[46]とともに試験を突破して博士候補生となる。当初は2年間の予定であったが、電力中央研究所の都合で留学期間が1年延長される。今野は「線形計画法の父」であるジョージ・ダンツィクのもとで博士論文研究に取り組み、双線形計画問題に切除反面法をあてはめるアイデアを出す[47]。1971年の夏にオペレーションズ・リサーチの博士課程を修了し、Ph.D.を取得するものの[15]、ほかの研究者から証明の誤りを指摘されてしまう。後年正しい証明に成功し更なる発展を遂げるものの、長い間今野の研究生活に影を落とすことになる[48][49][50]

また、留学を終えた後に今野は約1年間の休職を取り、ウィスコンシン大学数学研究所に滞在[51]。目的であった前述の博士論文の問題は解決できなかったが、このとき出した論文がホアン・トイ教授らとの交流につながっていく[52]

筑波大学時代

1974年、声が掛かった複数のアカデミック・ポストの中から、「国際A級大学」「ソフトウェア科学の世界的拠点作り」の名に惹かれて筑波大学電子・情報工学系に助教授として就任。全学共通の情報科目を担当する一般教育を担当する[53][54][注 4]

今野は着任早々の1974年、1年間ほどオーストリア国際応用システム分析研究所英語版で研究生活を送ることになる[57]。原子力発電システムの最適化問題に取り組み[58][59]、「数理モデルの具体的システムへの応用研究」の面白さに目覚めることになる[60]。また、この滞在中に博士論文の問題にも取り組み、証明を誤りを正して内容を拡張した2編の論文をまとめている[50]

また、1977年には東京大学において、論文博士で工学博士を取得し[16]1979年にはパデュー大学で4ヶ月ほど客員教員を務める[61]

この間、今野は多くの授業を引き受けるとともに[62]、数冊の著書を執筆した[63]。特に山下浩との共著である『非線形計画法』は長く売れ続けた[63][注 5]

東京工業大学時代

1982年には東京工業大学工学部人文社会群に教授として招聘される。推薦したのは吉田夏彦で、スタンフォード大学の統計学修士号と著書『10倍経済社会と人間』が評価されたという[46]。当時の人文社会群には、吉田のほか江藤淳永井陽之助らがいた[46]

1994年同大学経営システム工学科教授、1996年同社会理工学研究科経営工学専攻教授、研究科長( - 1998年)、1999年同理財工学研究センター長。

四十代半ばからは「資産運用理論」、六十歳ごろからは「信用リスク」を主な研究対象とした[65]

中央大学時代以降

2001年に東工大を定年退職した今野は、中央大学理工学部経営システム工学科の教授に就任する。2004年には日本オペレーションズ・リサーチ学会の会長も務め、「OR40年」と題した会長随想を連載[20]、近藤賞の創設にも携わった[66][67]

2011年には中央大学も定年退職。晩年は「工学部の語り部」を自称[68]。自身のやるせなさを表すのに“awkward”(ぶざまな、ぎこちない、などの意)という語が似つかわしいと述べている[69]

人物

今野は「拙速」を良しとし、期限を守ること、頼まれた依頼は断らないこと、研究成果は素早く公表することなどを掲げる[70][71]。論文100本を目標とし[72]、最終的におよそ150本の実績をあげた[73]

また、今野は様々な身近な現実問題にオペレーションズ・リサーチの手法を適用した。電力中央研究所時代には、自身が複数の誘いからどこへ転出するかそれとも残留するかという問題に対し、階層分析法(AHP)に近いものを適用して筑波大学を選んでいる[74]。また、東京工業大学の受講学生が約1300人になる「総合講義」という科目において、12-15クラスへ学生を振り分ける問題に最適化手法を適用した[75]。東京工業大学において定年の年齢変更が検討された際にも、AHPを適用して最適解を導出した[76]

今野は“Financial Engineering”の訳語として「金融工学」を避け、「理財工学」を提唱した[77][78][79]。「金融」を避けたのはこの言葉に対するエンジニアの否定的な感情に配慮したためであり[79]、「理財」は明治時代に“Economics”の訳語として理財学が提案されていたことに由来する[77]

なお、論文査読や学会発表で他者に厳しいスタンスを取ったり「金融工学は単なる計算」と否定してきたりする経済学者に対し、今野は対抗心を持っていた[80][81]。東大大学院時代の工学部経済学部医学部合同の統計学輪講[82]、シンポジウムの招待講演でのやり取り[80]など、多くの経験を著作の中で語っている。また、師であるジョージ・ダンツィクがノーベル経済学賞受賞を逃したことも、同賞や経済学への疑問につながっていた[83]

受賞

  • 1967年 - 21世紀の日本懸賞論文コンテスト、内閣総理大臣賞[10]
  • 1981年 - 日本オペレーションズ・リサーチ学会、文献賞[84]
  • 1987年 - 手島財団、手島賞[1]
  • 1992年 - 日本オペレーションズ・リサーチ学会、事例研究奨励賞[12][75]
  • 2002年 - 日本オペレーションズ・リサーチ学会、業績賞[13]
  • 2010年 - 日本金融・証券計量・工学学会、JAFEE賞[14]

著書

単著

  • 『線形計画法』日科技連出版社、1987年3月。ISBN 978-4817150141 
  • 『数理決定法入門 キャンパスのOR』朝倉書店〈シリーズ現代人の数理〉、1992年。 
  • 『理財工学I-平均・分散モデルとその拡張-』日科技連出版社、1995年。 
  • 『カーマーカー特許とソフトウェア-数学は特許になるか-』〈中公新書〉1995年。 
  • 『実践数理決定法』日科技連出版社〈社会理工学シリーズ〉、1997年。 
  • 『理財工学II-数理計画法による資産運用最適化-』日科技連出版社、1998年。 
  • 『金融工学の挑戦-テクノコマース化するビジネスー』〈中公新書〉2000年。 
  • 『特許ビジネスはどこへ行くのか-IT社会の落とし穴-』岩波書店、2002年。 
  • 『金融工学20年-20世紀エンジニアの冒険-』東洋経済新報社、2005年。 
  • 『役に立つ一次式-整数計画法「気まぐれな王女」の50年-』日本評論社、2005年。 
  • 『21世紀のOR 「最適化の時代」の旗手』日科技連出版社、2007年。 
  • 『「理工系離れ」が経済力を奪う』日本経済新聞出版社〈日経プレミアシリーズ〉、2009年。 
  • 『すべて僕に任せてください-東工大モーレツ天才助教授の悲劇-』新潮社、2009年。 
  • 『「金融工学」は何をしてきたのか』日本経済新聞出版社〈日経プレミアシリーズ〉、2009年。 
  • 『スプートニクの落とし子たち-理工系エリートの栄光と挫折-』毎日新聞社、2010年。 
  • 『工学部ヒラノ教授』新潮社、2011年。ISBN 9784103147626 のち文庫(2013年、ISBN 978-4101251615
  • 『工学部ヒラノ教授の事件ファイル』新潮社、2012年。 のち文庫(2015年、ISBN 978-4101251622
  • 『工学部ヒラノ教授と4人の秘書たち』技術評論社、2012年。 
  • 『工学部ヒラノ助教授の敗戦-日本のソフトウェアはなぜ敗れたのか-』青土社、2012年。 
  • 『工学部ヒラノ教授と七人の天才』青土社、2013年。 
  • 『工学部ヒラノ教授のアメリカ武者修行』新潮社、2013年。 
  • 『工学部ヒラノ名誉教授の告白-エンジニアが「物書き」になったわけ-』青土社、2013年。 
  • 『ヒラノ教授の論文必勝法-教科書が教えてくれない裏事情-』中央公論新社、2013年。 
  • 『ヒラノ教授の線形計画法物語』岩波書店、2014年。 
  • 『あのころ、僕たちは日本の未来を真剣に考えていた』青土社、2014年。 
  • 『工学部ヒラノ教授の青春-試練と再生と父をめぐる物語-』青土社、2014年。 

共著

  • 野口悠紀雄、今野浩、斎藤精一郎21世紀の日本 十倍経済社会と人間』東洋経済新報社、1968年http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2976347 
  • 今野浩、山下浩『非線形計画法』日科技連出版社、1978年。 
  • 今野浩、鈴木久敏『整数計画法と組合せ最適化』日科技連出版社、1982年。 
  • 今野浩、斎藤精一郎『大学教授の株ゲーム 学者が書いた株式入門』新潮社〈日経ビジネス人文庫〉、1989年。 のち日経ビジネス人文庫、2000年、ISBN 978-4532190071
  • 今野浩、中川淳司『ソフトウェア/アルゴリズムの権利保護』朝倉書店〈シリーズ現代人の数理〉、1996年。 
  • 今野浩、藤田宏、田邉國士『最適化法』岩波書店〈岩波講座応用数学 方法 7〉、1998年。 
  • 今野浩、刈屋武昭木島正明『金融工学事典』朝倉書店、2004年。 

翻訳・編集

  • T.C.Hu 著 著、今野浩、棚橋次彦 訳 編『整数計画法とネットワーク・フロー』培風館、1975年。 
  • 今野浩 編集 編『金融技術とリスク管理の展開』東洋経済新報社〈ジャフィー・ジャーナル〉、1999年。 
  • デービッド・G.ルーエンバーガー 著、今野浩、鈴木賢一、枇々木規雄 訳 編『金融工学入門』日本経済新聞社、2002年4月。ISBN 4-532-13229-0 

主な論文・解説

学位論文

記事

(数理計画法)

(金融工学)

(知的財産)

(その他)

連載

脚注

注釈

  1. ^ 厳密には、1971年に発表された農業経済分野の論文で同様のモデルが提案されていたが、それは評価されず埋もれてしまっていた[21]
  2. ^ 今野の「工学部ヒラノ教授」は、筒井康隆の「文学部唯野教授」に由来しており[27][28]、ヒラノ教授(助教授[29]、名誉教授[30]は今野自身を指す[31]。)。
  3. ^ 東京生まれ[33][34]神奈川県生まれ[35]の表記がある。
  4. ^ 同時期に来て全学情報教育をともに担当した宇都宮公訓、斎藤信男とともに、学内では「筑波三銃士」、学外では「筑波の三バカ」と呼ばれていたと今野は自伝に記している[55][56]
  5. ^ 白川浩はこの本を読んで感動したと今野に語っており[37]、今野が金融工学に携わるきっかけとなった債権運用の非線形計画問題についての相談も、依頼者がこの本を見たことが影響している[64]

出典

  1. ^ a b c 今野浩プロフィール”. 今野浩紹介. 2015年4月11日閲覧。
  2. ^ a b 今野 2010.
  3. ^ a b c OR40年(1) 2004.
  4. ^ 今野 2005a, p. 53.
  5. ^ OR40年(15) 2005.
  6. ^ a b 本多 2012, p. 2.
  7. ^ a b c 今野 2013d, 奥付.
  8. ^ 今野 2010, p. 13.
  9. ^ a b 今野 2005a, pp. 22–28.
  10. ^ a b c d 今野 2010, pp. 58–59.
  11. ^ 今野 2005a.
  12. ^ a b 事例研究賞”. 表彰. 日本オペレーションズ・リサーチ学会. 2015年4月12日閲覧。
  13. ^ a b 業績賞”. 表彰. 日本オペレーションズ・リサーチ学会. 2015年4月11日閲覧。
  14. ^ a b JAFEE賞、JAFEE論文賞”. 組織について. 日本金融・証券計量・工学学会. 2015年4月11日閲覧。
  15. ^ a b Konno 1971.
  16. ^ a b 今野 1977.
  17. ^ OR40年(10) 2005.
  18. ^ 今野 2013d, p. 173.
  19. ^ OR40年(12) 2005, p. 56.
  20. ^ a b 今野 2007b.
  21. ^ a b 今野 2013d, p. 132.
  22. ^ OR40年(15) 2005, pp. 58–60.
  23. ^ 今野 2013d, pp. 171–174.
  24. ^ 今野 1998, pp. 123–125.
  25. ^ 今野 2013d, 前付.
  26. ^ 岩波書店 2015, 編集部からのメッセージ.
  27. ^ 日経BP 2012, p. 1.
  28. ^ 山本 2014.
  29. ^ 今野 2012c.
  30. ^ 今野 2013b.
  31. ^ 今野 2013d, pp. 212–215, あとがき.
  32. ^ 岩波書店 2015, 著者紹介.
  33. ^ 今野 1995a, 著者紹介.
  34. ^ 今野 1998, 著者紹介.
  35. ^ 今野 2011, 奥付.
  36. ^ 今野 2011, p. 10.
  37. ^ a b 今野 2009b.
  38. ^ 今野 2010, pp. 6–7.
  39. ^ 今野 2010, pp. 12–13.
  40. ^ OR40年(1) 2004, p. 455.
  41. ^ 今野 2010, p. 45.
  42. ^ 今野 2010, pp. 47–48.
  43. ^ 今野 2010, pp. 38–56.
  44. ^ 今野 2010, p. 57-58.
  45. ^ OR40年(2) 2004.
  46. ^ a b c OR40年(9) 2005, p. 187.
  47. ^ OR40年(3) 2004.
  48. ^ OR40年(5) 2005, pp. 709–710.
  49. ^ OR40年(6) 2004, pp. 771–772.
  50. ^ a b 今野 2013d, pp. 69–72.
  51. ^ OR40年(6) 2004, p. 771-772.
  52. ^ OR40年(6) 2004, pp. 771–773.
  53. ^ 今野 2011, pp. 21–24, 26.
  54. ^ OR40年(7) 2005, pp. 42–43.
  55. ^ 今野 2011, p. 26.
  56. ^ 今野 2012c, pp. 20–24.
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  58. ^ OR40年(8) 2005, pp. 125–126.
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  63. ^ a b OR40年(7) 2005, p. 44.
  64. ^ 今野 1998, p. 119.
  65. ^ 今野 2011, p. 12.
  66. ^ 今野 2007b, p. 349.
  67. ^ 今野浩「第1回「近藤賞」」『オペレーションズ・リサーチ:経営の科学』2007年11月、pp. 732-733。 
  68. ^ 本多 2012.
  69. ^ 今野 2011, pp. 10–11.
  70. ^ パワーレクチャー 2011.
  71. ^ 今野 2013d, pp. 7–11.
  72. ^ 今野 2005a, p. 218.
  73. ^ 今野 2013d, p. 183.
  74. ^ OR40年(7) 2005.
  75. ^ a b 今野浩「最適クラス編成法 : その後の展開(事例研究奨励賞)」『日本オペレーションズ・リサーチ学会秋季研究発表会1992アブストラクト集』1992年9月、pp.30-31。 
  76. ^ 今野浩、高瀬徹、周宏傑「AHPを用いた停年制度の分析について」『日本オペレーションズ・リサーチ学会秋季研究発表会アブストラクト集』1994年10月、30-31頁、NAID 110000272808 
  77. ^ a b 今野 1995a, p. vi, まえがき.
  78. ^ 今野 1998, pp. 134–135.
  79. ^ a b 今野浩「金融工学と人材教育」『研究技術計画』第14巻第3号、1999年11月、169-173頁。 
  80. ^ a b 今野 2010, pp. 84–91.
  81. ^ 今野 2010, p. 227.
  82. ^ OR40年(1) 2004, p. 456.
  83. ^ OR40年(8) 2005, p. 127.
  84. ^ 研究賞”. 表彰. 日本オペレーションズ・リサーチ学会. 2015年4月11日閲覧。
  85. ^ 今野 2005a, p. 22-28.

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参考文献

関連項目

外部リンク