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「アポロ17号」の版間の差分

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{{Infobox spaceflight
{{thumbnail:begin}}
| name = アポロ17号
{| bgcolor="#f9f9f9" cellpadding="4" cellspacing="0" style="border: 1px solid #aaaaaa; margin: 0 0 1em 1em; padding: 0; width:220px; font-size: 85%"
| image = NASA Apollo 17 Lunar Roving Vehicle.jpg
|-
| image_caption = 最初の船外活動で[[月面車]]を運転するユージン・サーナン
! colspan="2" style="background-color: #008888; color:#ffffff; font-size:130%;" width="100%" | アポロ17号
| insignia = Apollo 17-insignia.png
|-
| align="center" colspan="2" style="padding: 5px 0px; background: #ffffff;" | [[画像:AP7lucky7.png|200px|]]
|- style="background: #e0ffff;"
! align="left" style="width: 80px;" | ミッション名
| Apollo 17
|- style="background: #ffffff;"
! align="left" | コールサイン
| 指令機械船: [[アメリカ合衆国|アメリカ]]<br />月着陸船: チャレンジャー
|- style="background: #e0ffff;"
! align="left" | 乗員数
| 3名
|- style="background: #ffffff;"
! align="left" | 発射
| [[1972年]][[12月7日]]<br />05:33:00 ([[協定世界時|UTC]])<br />[[ケネディ宇宙センター]]39番A発射台
|- style="background: #e0ffff;"
! align="left" | 月面着陸
| [[1972年]][[12月11日]]<br />19:54:57 ([[協定世界時|UTC]])<br />[[タウルス・リトロー]](北緯20度11分26秒88 東経30度46分18秒05)
|- style="background: #ffffff;"
! align="left" | 月面活動時間
| 1回目: 7時間11分53秒<br />2回目: 7時間36分56秒<br />3回目: 7時間15分8秒<br />合計: 22時間3分57秒
|- style="background: #e0ffff;"
! align="left" | 深宇宙活動時間
| 1時間5分44秒
|- style="background: #ffffff;"
! align="left" | 月面滞在時間
| 74時間59分40秒
|- style="background: #e0ffff;"
! align="left" | 岩石採集量
| 110.52キログラム
|- style="background: #ffffff;"
! align="left" | 帰還日時
| [[1972年]][[12月19日]]<br />19:24:59 ([[協定世界時|UTC]])<br />南緯17度53分 西経166度7分<br />サモア諸島の南東650キロメートルの太平洋上
|- style="background: #e0ffff;"
! align="left" | 飛行時間
| 12日13時間51分59秒
|- style="background: #ffffff;"
! align="left" | 月周回回数
| 75回
|- style="background: #e0ffff;"
! align="left" | 月周回時間
| 147時間43分37秒11
|- style="background: #ffffff;"
! align="left" | 質量
| 指令機械船: 3万369キログラム<br />月着陸船: 1万6456キログラム
|-
| align="center" colspan="2" style="padding: 4px 4px 0px 4px; border-top: #aaaaaa 1px solid;" | [[画像:Apollo 17 crew.jpg|210px|]]
|-
| colspan="2" style="padding: 3px 6px;" | [[ハリソン・シュミット]](左)、[[ロン・エヴァンス]](右奥)、[[ジーン・サーナン]](手前)。
|-
| align="center" colspan="2" style="padding: 4px 4px 0px 4px; border-top: #aaaaaa 1px solid;" | [[画像:Apollo_17_The_Last_Moon_Shot.jpg|210px|]]
|-
| colspan="2" style="padding: 3px 6px;" | 発射を待つアポロ17号。
|}
{{thumbnail:end}}
'''アポロ17号''' (Apollo 17) は、[[アメリカ航空宇宙局]]による[[アポロ計画]]における第11番目の有人飛行ミッション、第6番目の[[月面着陸]]ミッションであり、アポロ計画最後のミッションである。アポロ計画史上初めて、夜間に打ち上げが行われた。


| mission_type = 有人月面着陸
== 乗員 ==
| operator = [[NASA]]<ref name="Orloff">{{cite book |last=Orloff |first=Richard W. |title=Apollo by the Numbers: A Statistical Reference |url=http://history.nasa.gov/SP-4029/SP-4029.htm |accessdate=24 July 2013 |series=NASA History Series |origyear=First published 2000 |date=September 2004 |work=NASA History Division, Office of Policy and Plans |publisher=[[NASA]] |location=Washington, D.C. |isbn=0-16-050631-X |lccn=00061677 |id=NASA SP-2000-4029 |chapter=Table of Contents |chapterurl=http://history.nasa.gov/SP-4029/Apollo_00g_Table_of_Contents.htm|archiveurl=https://web.archive.org/web/20070823124845/http://history.nasa.gov/SP-4029/SP-4029.htm|archivedate=23 August 2007}}</ref>
* [[ユージン・サーナン]](船長)
| COSPAR_ID = 司令・機械船:1972-096A<br/>着陸船:1972-096C
* [[ロン・エヴァンス]](指令船操縦士)
| SATCAT = 司令・機械船:6300<br/>着陸船:6307
* [[ハリソン・シュミット]](月着陸船操縦士)
| mission_duration = 12日13時間51分59秒


| spacecraft = アポロ司令・機械船 CSM-114<br/>アポロ月着陸船 LM-12
=== 予備乗員 ===
| manufacturer = 司令・機械船:[[ロックウェル・インターナショナル]]<br/>着陸船:[[グラマン]]
* [[ジョン・ヤング (宇宙飛行士)|ジョン・ヤング]](船長)
| launch_mass = 46,980&nbsp;キログラム<br/><small>司令船:5,840&nbsp;キログラム<br/>機械船:24,514&nbsp;キログラム<br/>着陸船:16,658&nbsp;キログラム</small>
* [[スチュアート・ローザ]](指令船操縦士)
| landing_mass =
* [[チャールズ・デューク]](月着陸船操縦士)


| launch_date = 1972年12月7日 05:33:00 (UTC)
=== 支援乗員 ===
| launch_rocket = [[サターンV|サターン5型ロケット]] SA-512
* [[ロバート・オーバーマイヤー]]
| launch_site = [[ケネディ宇宙センター]] [[ケネディ宇宙センター第39複合発射施設|39A発射台]]
* [[ロバート・A・パーカー]]
* [[ゴードン・フラートン]]


| landing_date = 1972年12月19日 19:24:59 (UTC)
== ミッション内容 ==
| landing_site = 南太平洋<br/>{{Nowrap|{{Coord|17.88|S|166.11|W|type:event|name=Apollo 17 splashdown}}}}
* [[質量]]
** 発射時: 292万3387キログラム
** 宇宙船: 4万6678キログラム
*** 指令機械船: 3万0320キログラム
**** 指令船: 5960キログラム
**** 機械船: 2万4360キログラム
*** 月着陸船: 1万6448キログラム
**** 上昇部: 4985キログラム
**** 下降部: 1万1463キログラム
* 地球軌道
** 周回回数: 3回
*** 出発時: 2回
*** 帰還時: 1回
** [[近地点]]: 169.9キロメートル
** [[遠地点]]: 171.3キロメートル
** [[軌道傾斜角]]: 28.526度
** [[軌道周期]]: 87.83分
* 月軌道
** 周回回数: 75回
** [[近月点]]: 97.4キロメートル
** [[遠月点]]: 314.8キロメートル
** [[軌道傾斜角]]: 159.9度
** [[軌道周期]]: -分
** 着陸地点: 北緯20度11分26秒88 東経30度46分18秒05


| orbit_epoch = 12月11日 4:04 (UTC)
=== 結合/分離 ===
| orbit_reference = [[月周回軌道]]
* 分離: [[1972年]][[12月11日]]17時20分56秒 ([[協定世界時|UTC]])
| orbit_periapsis = 26.9&nbsp;キロメートル
* 結合: [[1972年]][[12月15日]]01時10分15秒 ([[協定世界時|UTC]])
| orbit_apoapsis = 109.3&nbsp;キロメートル
| orbit_inclination =
| orbit_period =
| apsis = selene


|interplanetary =
=== 船外活動 ===
{{Infobox spaceflight/IP
==== EVA 1 ====
|type = orbiter
* 活動者: [[ユージン・サーナン]]、[[ハリソン・シュミット]]
|object = Lunar
* 開始時刻: [[1972年]][[12月11日]]23時54分49秒 ([[協定世界時|UTC]])
|component = 司令・機械船
* 終了時刻: [[1972年]][[12月12日]]07時06分42秒 ([[協定世界時|UTC]])
|orbits = 75
* 活動時間: 7時間11分53秒
|arrival_date = 1972年12月10日 19:47:22 (UTC)
|departure_date = 1972年12月16日 23:35:09 (UTC)
}}
{{Infobox spaceflight/IP
|type = lander
|object = Lunar
|component = 着陸船
|arrival_date = 1972年12月11日 19:54:57 (UTC)
|departure_date = 1972年12月14日 22:54:37 (UTC)
|location = タウルス・リットロウ(Taurus Littrow)<br/>{{Nowrap|{{Coord|20.19080|N|30.77168|E|globe:Moon|name=Apollo 17 landing}}}}
|sample_mass = 110.52&nbsp;キログラム
|surface_EVAs = 3
|surface_EVA_time = 22時間3分57秒
<small>第1回:7時間11分53秒<br/>第2回:7時間36分56秒<br/>第3回:7時間15分8秒</small>
}}
{{Infobox spaceflight/IP
|type = rover
|object = Lunar
|distance = 35.74&nbsp;キロメートル
}}


<!--Cargo parameters-->
==== EVA 2 ====
| payload_items = 科学機器搭載区画 (SIM)<br>[[月面車]]
* 活動者: [[ユージン・サーナン]]、[[ハリソン・シュミット]]
| cargo_mass = SIM:<br>LRV: 210キログラム
* 開始時刻: [[1972年]][[12月12日]]23時28分06秒 ([[協定世界時|UTC]])
| instruments = <!--a list of instruments on the satellite-->
* 終了時刻: [[1972年]][[12月13日]]07時05分02秒 ([[協定世界時|UTC]])
* 活動時間: 7時間36分56秒


| docking =
==== EVA 3 ====
{{Infobox spaceflight/Dock
* 活動者: [[ユージン・サーナン]]、[[ハリソン・シュミット]]
| docking_target = 着陸船
* 開始時刻: [[1972年]][[12月13日]]22時25分48秒 ([[協定世界時|UTC]])
| docking_type = ドッキング
* 終了時刻: [[1972年]][[12月14日]]05時40分56秒 ([[協定世界時|UTC]])
| docking_date = 1972年12月7日 09:30:10 (UTC)
* 活動時間: 7時間15分08秒
| undocking_date = 1972年12月11日 17:20:56 (UTC)
| time_docked =
}}
{{Infobox spaceflight/Dock
| docking_target = 着陸船上昇段
| docking_type = ドッキング
| docking_date = 1972年12月15日 01:10:15 (UTC)
| undocking_date = 1972年12月15日 04:51:31 (UTC)
| time_docked =
}}


| crew_size = 3
==== EVA 4 ====
| crew_members = [[ユージン・サーナン]]<br/>[[ロナルド・エヴァンス]]<br/>[[ハリソン・シュミット]]
* 活動者: [[ロン・エヴァンス]]
| crew_EVAs = 遷移軌道上で1回<br/><small>月面で3回</small>
* 開始時刻: [[1972年]][[12月17日]]20時27分40秒 ([[協定世界時|UTC]])
| crew_EVA_duration = 1時間5分44秒<br/><small>フィルムのカセット回収のための船外活動</small>
* 終了時刻: [[1972年]][[12月17日]]21時33分24秒 ([[協定世界時|UTC]])
| crew_callsign = 司令・機械船:''アメリカ''<br/>着陸船:''チャレンジャー''
* 活動時間: 1時間05分44秒
| crew_photo = Apollo 17 crew.jpg
| crew_photo_caption = (左から)シュミット、サーナン(着座)、エヴァンス


| previous_mission = [[アポロ16号]]
=== 回収艦艇 ===
| programme = [[アポロ計画]]<br/><small>有人宇宙飛行</small>
* [[空母]][[タイコンデロガ (空母)|タイコンデロガ]]([[エセックス級航空母艦|エセックス級]])
}}


'''アポロ17号'''は、[[アメリカ合衆国]]の[[アポロ計画]]における最後の飛行である。現在、史上6度目にして最後の有人[[月面着陸]]を行い、また[[低軌道|地球周回低軌道]]を越えて人類が宇宙を飛行した最後の例となっている<ref name=astronautix/><ref name=alsjoverview>{{cite web|title=Apollo 17 Mission Overview|url=http://www.hq.nasa.gov/alsj/a17/a17ov.html|publisher=Apollo Lunar Surface Journal|accessdate=25 August 2011}}</ref>。また、[[アポロ宇宙船]]を月面着陸という本来の目的で使用する最後の飛行ともなった。同宇宙船がこの後に使われたのは、[[スカイラブ計画]]と[[アポロ・ソユーズテスト計画]]のみであった。船長[[ユージン・サーナン]] (Eugene Cernan)、[[アポロ司令・機械船|司令船]]操縦士[[ロナルド・エヴァンス]] (Ronald Evans)、[[アポロ月着陸船|月着陸船]]操縦士[[ハリソン・シュミット]] (Harrison Schmitt) の3名を乗せて[[1972年]][[12月7日]]に[[フロリダ州]][[ケープ・カナベラル]]の[[ケネディ宇宙センター]]から打ち上げられた。
==ミッションのハイライト==
[[Image:Apollo_17_Cernan_on_moon.jpg|thumb|left|シュミットが撮影したサーナンの写真。星条旗と月面車の傘型高利得アンテナとともに。3度目そして最後の月面探索の始めに撮影された。特徴的な形をした丘が背景に写っている。サーナンのヘルメットに映っているのは、写真を撮っているシュミットの姿。]]
[[Image:A17-plaque.JPG|thumb|right|着陸船チャレンジャーに取り付けられた銘盤]]
[[Image:Ap17-S72-55974.jpg|thumb|着水した司令船から飛行士たちを回収する米海軍のヘリコプター 。ヘリコプターの後方の空母は、回収母艦となった空母タイコンデロガ (NASA)]]
[[Image:The Earth seen from Apollo 17.jpg|thumb|200px|right|アポロ17号から撮影された「青い円盤」・地球]]
[[Image:Apollo 17 America Space Center Houston.JPG|thumb|200px|right|ジョンソン宇宙センターに展示されているアポロ17号司令船]]
月面に足跡を記した(現時点で)人類最後の2人のひとりは、最初の科学者出身(地質学者)の宇宙飛行士でもあるハリソン・シュミットであった。エヴァンズが司令船で月を周回する間、シュミットとサーナンは3回の月面歩行の間に109キログラムの岩石を収集した。2人は、月面車に乗ってタウルス=リットロウ峡谷を34キロメートル移動し、オレンジ色の土を発見した。また、月面にALSEPに格納された実験機器を設置した。このミッションはアポロ計画で最後のものであった。


17号は、アメリカの有人[[宇宙船]]としては初めて夜間に発射された。また[[サターンV|サターン5型ロケット]]を有人飛行に使用するのは、これが最後のこととなった。この飛行はアポロ計画の中では[[アポロ計画飛行種別一覧|J計画]]に分類されるものであり、3日間の月面滞在の間に[[月面車]]を使用して広範な科学的探査を行った。サーナンとシュミットはタウルス・リットロウ (Taurus–Littrow) 渓谷で3度の[[船外活動]]を行い、サンプルを採集してアポロ月面実験装置群 (Apollo Lunar Surface Experiments Package, ALSEP) を設置した。一方この間エヴァンスは司令・機械船に乗り、[[月周回軌道]]にとどまった。3人の飛行士は[[12月19日]]、約12日間の飛行を終えて地球に帰還した<ref name=astronautix/>。
===月面活動===
このミッションの着陸地点は、[[晴れの海]]の南縁、南西にある[[タウルス山地]] ([[:en:Montes Taurus|Montes Taurus]]) であった。ここは、3つの高く険しい岩塊の間に開けた土地で、タウルス=リットロウ地域として知られていた。ミッション前に撮影された写真によれば、山麓に沿って大きな礫があり、それらは岩床の標本になると考えられた。この一帯はまた、地すべりやいくつかの衝突クレーター、および、火山の噴火跡と思われるものがあった。


タウルス・リットロウ渓谷への着陸は、17号の本来の目的を念頭に置いて決定された。その目的とは即ち、(1) [[雨の海]]を形成した巨大[[隕石]]の衝突よりも古い[[月の地質#高地|月の高地]]の資料を採集すること。(2) 比較的新しい[[火山]]活動が周辺であった可能性について調査すること、であった。谷の北部と南部にある岸壁では高地のサンプルを採集できることが期待され、また谷の周辺にある暗い物質に囲まれたいくつかの[[クレーター]]では火山活動の痕跡を発見できる可能性があったため、この地が着陸地点に選ばれた<ref name=lpi/>。
このJクラス・ミッションで、2人は[[LRV (月面車)|月面車]]を用いて3度(それぞれ7.2時間、7.6時間、7.3時間)の月面探索を行った。このミッションによって月面から持ち帰られた標本は110.5kgにおよぶ。


17号はまた、(1) 最も長く宇宙に滞在し (当時)、(2) 最も長く月面活動を行い、(3) 最も大量に月面からサンプルを持ち帰り、(4) 最も長く月周回軌道に滞在した、などのいくつかの記録を打ち立てた<ref name=records>{{cite web|title=December 11, 1972 – Longest lunar stay by humans|url=http://todayinspacehistory.wordpress.com/2007/12/11/december-11-1972-longest-lunar-stay-by-humans/|work=Today in Space History|accessdate=25 August 2011}}</ref><ref name=evarecord>{{cite web|title=Extravehicular Activity|url=http://history.nasa.gov/SP-4029/Apollo_18-30_Extravehicular_Activity.htm|publisher=NASA|accessdate=25 August 2011|archiveurl=https://web.archive.org/web/20041118103553/http://history.nasa.gov/SP-4029/Apollo_18-30_Extravehicular_Activity.htm|archivedate=18 November 2004}}</ref>。
現在、司令船はNASAの[[ジョンソン宇宙センター]]([[テキサス州]][[ヒューストン]])で展示されている。月面着陸船は、[[1972年]][[12月15日]]1時50分([[東部標準時|アメリカ東部時間]])、月面の北緯19度96分・東経30度50分地点に衝突した。
<!--
[[December 15]] [[1972]] at 06:50:20.8 UT (1:50 AM EST) at 19.96 N, 30.50 E.
-->


== 搭乗員 ==
このミッションで、宇宙飛行士たちは「青い円盤」([[ザ・ブルー・マーブル]])として知られる地球の写真を撮影した。
{{Spaceflight crew
|terminology = 飛行士
|references = <ref name=nasmcrew>{{cite web |url=http://www.nasm.si.edu/collections/imagery/apollo/as17/a17crew.htm |title=Apollo 17 Crew |work=The Apollo Program |publisher=[[National Air and Space Museum]] |location=Washington, D.C. |accessdate=26 August 2011}}</ref>
|position1 = 船長
|crew1_up = ユージン・サーナン
|flights1_up = 3
|position2 = 司令船操縦士
|crew2_up = ロナルド・エヴァンス
|flights2_up = 1
|position3 = 月着陸船操縦士
|crew3_up = ハリソン・シュミット
|flights3_up = 1
}}


17号の搭乗員には、本来はサーナン、エバンスおよび[[ジョー・エングル]](Joe Engle) が指名されるはずであった。この3名は、[[アポロ14号]]で予備搭乗員を務めていた<ref name=a17pre>{{cite web|title=A Running Start – Apollo 17 up to Powered Descent Initiation|url=http://next.nasa.gov/alsj/a17/a17.prepdi.html|publisher=Apollo Lunar Surface Journal|accessdate=25 August 2011}}</ref>。エングルは[[極超音速]]実験機[[X-15 (航空機)|X-15]]のパイロットとして16回飛行し、最高時速7,272キロメートル、最高到達高度85.5キロメートル の記録を打ち立てたことのある人物だった<ref name=englebio>{{cite web|title=Astronaut Bio: Joe Henry Engle|url=http://www.jsc.nasa.gov/Bios/htmlbios/engle-jh.html|publisher=NASA|accessdate=25 August 2011}}</ref>。一方でシュミットは、[[アポロ15号]]の予備搭乗員を務めていた。アポロ計画の飛行士のローテーションでは、予備搭乗員はその3つあとの飛行で本搭乗員を務めるという規定があり、これに従えばシュミットはアポロ18号で月着陸船操縦士を務めることになっていたのだが、18号(さらに19号、20号)は[[1970年]]9月に中止が決定された。この決定を受け、科学者らの協会は17号では宇宙飛行士に訓練で[[地質学]]を学ばせるのではなく、地質学者そのものを月面に赴かせるよう[[NASA]]に圧力をかけた。この科学者からの要望を考慮して、地質学の専門学者であるシュミットが着陸船操縦士に指名された<ref name=a17pre/>。
===注記===
*地質学者のシュミットは、現時点で最初で最後の月面を歩いた科学者である。
*彼ら以前のアポロ計画の飛行士たちと同じく、アポロ17号のクルーも[[アメリカ領サモア]]付近の太平洋に着水し、回収された。そして回収母艦(空母タイコンデロガ)からサモアの[[タフナ]] ([[:en:Tafuna, American Samoa|Tafuna]]) の空港に着くと、ホノルルを経由してヒューストンに出発するまで、サモアの人々から熱烈な歓迎を受けた。
* 月着陸船チャレンジャーの下段に残された銘盤には次のようにある。
::ここに人類最初の月面探検は完結する。西暦1972年12月。平和の精神が、全人類の生に反映せんことを願って(''Here Man completed his first explorations of the moon. December 1972 AD. May the spirit of peace in which we came be reflected in the lives of all mankind''.)
:銘盤は地球の両半球と月の表半球を表している。加えて、3人の飛行士と当時のニクソン大統領の署名が入っている。
* サーナン船長は、[[チェコスロヴァキアの国旗]]を月面に残してきたが、これは彼の先祖が[[チェコスロヴァキア]]出身であったためである。
*シュミットはもともとアポロ18号(中止)で飛行する予定だった。しかし、科学界からの圧力により、もともと月面着陸船パイロットをつとめるはずだったジョー・アングルにかわって搭乗することになった。
*アポロ17号は、以前の飛行による記録のいくつかを破っている。それらを挙げると、有人月着陸飛行、月面における船外活動、月軌道滞在のそれぞれの最長記録、および、月面から持ち帰った標本の重量である。
*17号では[[月着陸船]]の上昇段が離陸していく場面が、月面に放置したルナビークル([[月面車]])のカメラを地上の管制官が遠隔操作することによって初めて撮影された。地球から発信した電波が月面に到達するまでには、約1.3秒のタイムラグが生じる。それを計算に入れた上で、秒読みのタイミングを見計らいながら画面の中央に着陸船の姿が収まるようにカメラを操作するというのは、神業に近い作業であった。担当した管制官は15・16号で撮影に失敗しており、彼にとってはこれが名誉を挽回する最後のチャンスであったが、結果は見事に成功した。
*[[ロン・エヴァンス]]がミッション時に着用していた船内宇宙服は、現在[[財団法人日本宇宙フォーラム]]が保有していることが、2009年8月11日の[[開運!なんでも鑑定団]]で明らかにされた。当時の放送の説明によると、宇宙関係の展示を心がけようとした取り組みに[[ロン・エヴァンス]]が賛同して展示の目玉においていったが、計画が頓挫したため、財団法人日本宇宙フォーラムが買い取ったとの事。ちなみに、アポロ計画において[[米国]]国家以外で保有している宇宙服はほぼ存在しないために世界中の博物館が入手できる唯一の商品と言うこともあり、鑑定値段は1億3000万円かつこれは最低価格との鑑定士による発言があった。


この変更を受け、17号の残りの搭乗員には誰を指名するかという問題が発生した。15号の予備搭乗員であったリチャード・ゴードン (Richard F. Gordon, Jr.)、ヴァンス・ブランド (Vance D. Brand) をシュミットとともにスライドさせるのか、もしくは14号のサーナンとエヴァンスをそのまま搭乗させるのかという選択に迫られたが、NASAの飛行人事部長だった[[ドナルド・スレイトン]] (Deke Slayton) は最終的にサーナンとエヴァンスを指名した<ref name=a17pre/>。
==引用集==
「おい、地球が見えるぞ。みんなが見えるんだ。」
:&mdash; ジャック・シュミット、月着陸船パイロット


=== 予備搭乗員 ===
「私は人類最後の足跡を月面に残し、地球に帰ります。ですが、遠からざる未来を私たちは信じています。&mdash;ここに私の夢を歴史に遺させていただきたいと思います。今日のアメリカの挑戦は、明日の人類の運命を作り上げました。私たちは、月に来たときと同じように月のタウルス=リットロウから去ります。そして、神の御心のままに、私たちはここに戻って来るでしょう。全人類の平和と希望とともに。アポロ17号のクルーに幸運あれ」
==== 当初 ====
<!--"As I take man's last step from the surface, back home for some time to come - but we believe not too long into the future &mdash; I'd like to just [say] what I believe history will record. That America's challenge of today has forged man's destiny of tomorrow. And, as we leave the Moon at Taurus-Littrow, we leave as we came and, God willing, as we shall return, with peace and hope for all mankind.Godspeed the crew of Apollo 17."-->
{{Spaceflight crew
:&mdash; ユージーン・A・サーナン、アポロ17号船長。現時点で月面を歩行した最後の人類([[1972年]][[12月14日]])
|terminology = 飛行士
|references = <ref name=15dropped/>
|position1 = 船長
|crew1_up = [[デイヴィッド・スコット]] (David Scott)
|position2 = 司令船操縦士
|crew2_up = アルフレッド・ウォーデン (Alfred Worden)
|position3 = 月着陸船操縦士
|crew3_up = [[ジェームズ・アーウィン]] (James Irwin)
|notes = 彼らはアポロ15号の本搭乗員だった
}}


==== 変更後 ====
「オーケー、ジャック。おふくろさんをここから連れて帰ろうぜ」
{{Spaceflight crew
:&mdash; ユージーン・A・サーナン、アポロ17号船長。月面からの離陸1秒前、月面で発した最後のインフォーマルな発言。
|terminology = 飛行士
|references = <ref name=nasmcrew/><ref name=15backup>{{cite news|title=Apollo crew warned about commercialism|url=https://news.google.com/newspapers?id=kAsUAAAAIBAJ&sjid=94oDAAAAIBAJ&pg=5667,8302&dq=apollo+17+backup+crew&hl=en|accessdate=26 August 2011|newspaper=The Free Lance-Star|date=1 August 1972}}</ref>
|position1 = 船長
|crew1_up = [[ジョン・ヤング (宇宙飛行士)|ジョン・ヤング]] (John Young)
|position2 = 司令船操縦士
|crew2_up = スチュアート・ルーサ (Stuart Roosa)
|position3 = 月着陸船操縦士
|crew3_up = [[チャールズ・デューク]] (Charles Duke)
}}


17号はアポロ計画最後の飛行であり、予備搭乗員がその後に飛行することはなかったため、当初は15号の本搭乗員が指名されていた。だが1972年初め、スコットらが金銭的な報酬と引き換えに月に記念切手を持って行ったという事実が発覚し、NASAと[[アメリカ空軍|空軍]]から懲戒を受けた(彼らは3人とも現役の空軍軍人であった)ため、飛行人事部長のスレイトンは彼らを任務から外し、代わりに[[アポロ16号|16号]]の本搭乗員だったヤングとデューク、そして14号の本搭乗員で16号の予備搭乗員だったルーサを指名した<ref name=15dropped>{{cite news|title=2 Astronauts Quitting Jobs And Military|url=https://news.google.com/newspapers?id=plwxAAAAIBAJ&sjid=6wEEAAAAIBAJ&pg=7112,4977778&dq=roosa+apollo+17&hl=en|accessdate=26 August 2011|agency=[[Associated Press]]|newspaper=[[Toledo Blade]]|date=24 May 1972}}</ref><ref>Slayton & Cassutt 1994, p. 279</ref>。
==ミッションバッジ==
アポロ17号の円形のミッションバッジは、一連のアポロ計画の中でも最も込み入ったもののひとつである。NASAの公式プレス・リリースは次のように述べている。
:このバッジは、[[ギリシャ神話]]の太陽の神である[[アポロン]]の図像が基調となっている。アポロの頭部の背後の宇宙に浮かんでいるのは、[[ハクトウワシ]](訳注:アメリカの国鳥)を現代的にデザインしたものである。ワシの翼の赤いラインはアメリカ国旗のそれをあらわしている。3つの白い星は3人の宇宙飛行士を、背景の深く青い宇宙とそのなかの月、[[土星]]、そして渦巻き型の[[銀河]]または[[星雲]]である。ワシの翼は部分的に月にかぶさっているが、このことは、天体を人間がすでに訪れ、その意味では征服された(conquered)ことを意味する。ワシの羽ばたきとアポロのまなざしは、[[土星]]と銀河に向けられているが、このことは、宇宙における人類の目標には、いつの日にかほかの[[惑星]]やあるいは恒星が含まれていることを暗示している。紋章の色、赤、白、青はアメリカ国旗の色である。これに金色が加わることによって、アポロ17号の月面着陸によって始まるであろう宇宙飛行の黄金時代がシンボル化されている。この紋章に用いられているアポロの姿は、[[バチカン]]のベルヴェデーレ絵画館(訳注:[[バチカン]]にある美術館)のアポロ像である。この紋章は美術家のロバート・T・マッコール(Robert T. McCall)と宇宙飛行士たちの協力のもとでデザインされた。


=== 支援飛行士 ===
== LROから撮影されたアポロ12,14,17号の着陸地点 ==
* ロバート・オーバーマイヤー (Robert F. Overmyer)<ref>{{cite web|title=Astronaut Bio: Robert Overmyer|url=http://www.jsc.nasa.gov/Bios/htmlbios/overmyer.html|publisher=NASA|accessdate=26 August 2011}}</ref>
月周回衛星[[ルナー・リコネサンス・オービター|LRO]]によってアポロ12,14,17号の着陸地点が撮影され、月着陸船や、設置した観測機器、月面を歩行した跡等が撮影され、2011年9月に公開された[[http://www.nasa.gov/mission_pages/LRO/news/apollo-sites.html 写真はこちら]]。
* ロバート・パーカー (Robert A. Parker)<ref>{{cite web|title=Astronaut Bio: Robert Allan Ridley Parker|url=http://www.jsc.nasa.gov/Bios/htmlbios/parker-rar.html|publisher=NASA|accessdate=26 August 2011}}</ref>
* ゴードン・フラートン (C. Gordon Fullerton)<ref>{{cite web|title=Astronaut Bio: C. Gordon Fullerton|url=http://www.jsc.nasa.gov/Bios/htmlbios/fullerton-cg.html|publisher=NASA|accessdate=26 August 2011}}</ref>


=== 計画の記章 ===
記章の中で最も特徴的なのは、[[ギリシャ神話]]の[[太陽神]][[アポローン|アポロン]]と、背景に描かれたアメリカを象徴する鳥[[ハクトウワシ]]である。ワシの中には[[星条旗]]を表す赤い横線が引かれ、その上の3つの星は宇宙飛行士を象徴している。背景には月と[[土星]]そして[[銀河]]が描かれ、さらにワシの羽根の一部は月にかかっていて、人類がそこに降り立ったことを示唆している。アポロンとワシの視線が外宇宙に向けられているのは、人類の[[宇宙開発]]の目的地がそこであることを表している<ref name=insignia>{{cite web|title=Apollo Mission Insignias|url=http://history.nasa.gov/SP-4029/Apollo_18-18_Mission_Insignias.htm|publisher=NASA|accessdate=25 August 2011| archiveurl= https://web.archive.org/web/20110721234247/http://history.nasa.gov/SP-4029/Apollo_18-18_Mission_Insignias.htm| archivedate= 21 July 2011 <!--DASHBot-->| deadurl= no}}</ref>。


記章の色には、星条旗を構成する色である赤・白・青とともに、17号から始まるであろう宇宙飛行の「黄金時代」を象徴する金色が含まれている。太陽神の顔は、「[[ベルヴェデーレのアポロン]] (Apollo Belvedere)」と呼ばれる彫刻が元になっている。この記章は、飛行士たちの意見を元にイラストレーターのロバート・マッコール (Robert McCall) がデザインした<ref name=insignia/>。
==参照==

== 計画と訓練 ==
[[File:Apollo 17 - Gene Cernan training in Sudbury.jpg|thumb|right|[[オンタリオ州]][[サドバリー (オンタリオ州)|サドバリー]]で地質学の訓練に参加するサーナン。1972年5月。]]

17号はその前の15号や16号と同様に、月面に3日間滞在し月面車を使って科学的探査の能力を向上させた「J計画」に分類されるものであった。アポロ計画では最後の飛行となるため、着陸地点の選択においては、いまだ訪れたことがないような場所であることが最重要項目として挙げられた。第一の候補であった[[コペルニクス (クレーター)|コペルニクス]]クレーターは、[[アポロ12号|12号]]がすでにその場所が形成されたときの隕石衝突の生成物を持ち帰ってきており、また他の飛行でも雨の海周辺のサンプルは得られているという理由で除外された。月の高地にある[[ティコ (クレーター)|ティコ]]クレーターも考慮されたが、地形が荒く着陸には適さないという理由で却下された。また[[月の裏|月の裏側]]にある[[コンスタンチン・ツィオルコフスキー|ツィオルコフスキー]]クレーターは、技術的な問題や月面活動をする際の地球との通信にかかる費用の点などが考慮され除かれた。さらに[[危難の海]]の南西部は、[[ソビエト連邦|ソ連]]の宇宙船でも容易に接近できるという理由で候補から外れた。事実、17号の着陸地点が決定した直後に無人探査機[[ルナ20号]]がその場所に降り立ち、30gのサンプルを持ち帰ってきたのである<ref name=lpi>{{cite web|title=Landing Site Overview|url=http://www.lpi.usra.edu/lunar/missions/apollo/apollo_17/landing_site/|work=Apollo 17 Mission|publisher=[[Lunar and Planetary Institute]]|accessdate=23 August 2011}}</ref>。

こうしていくつかの候補が除外された後、最終的にアルフォンサス (Alphonsus) クレーター、ガセンディ (Gassendi) クレーター、タウルス・リットロウ渓谷の3つが残った。最終決定をするにあたって考慮に入れられたのは、17号の根本的な飛行目的だった。その目的とは、(1) 雨の海から相当程度離れている月の高地のサンプルを採集すること (2) 若い (たとえば30億年以前) 火山活動の生成物を採集すること (3) 司令船が月周回軌道上から月面を観測する際、その領域が15号や16号のものとはあまり重ならず、なるべく新しいデータを得られるようにすること、であった<ref name=lpi/>。

タウルス・リットロウが選ばれたのは、谷の南壁で起こった地滑りの残余物から古い高地の物質のサンプルを得られるかもしれないと予測されたことや、その地域で比較的新しい時代に噴火活動が起こった可能性があったからだった。リットロウは15号の着陸地点と同様に[[月の海]]の周辺に位置していたが、その利点は欠点を上回ると考えられたため、17号の目的地と決定した<ref name=lpi/>。

17号では、アポロ計画で唯一「横断重力計実験 (Traverse Gravimeter Experiment, TGE)」が行われた。この装置は飛行士が船外活動をしながら着陸地点周辺の様々な場所の相対[[重力]]を測定するよう、[[マサチューセッツ工科大学]]の[[チャールズ・スターク・ドレイパー研究所|ドレイパー研究所]]によって作られたものだった。科学者らはこの装置で得られたデータを、着陸地点と周辺地域の地質学的構造に関する情報を集めるために使うことになっていた<ref name=alsjtge>{{cite web|title=Apollo 17 Traverse Gravimeter Experiment|url=http://www.hq.nasa.gov/alsj/a17/a17-TGE.html|publisher=Apollo Lunar Surface Journal|accessdate=23 August 2011}}</ref>。

それ以前の飛行と同様、飛行士らは月面でのサンプル収集・[[宇宙服]]の使用方法・月面車の操作・地質学の学習・サバイバル訓練・地球への帰還時の海上から[[ヘリコプター]]への回収・機器の操作など、広範な訓練を行った<ref name=training>{{cite news|last=Mason|first=Betsy|title=The Incredible Things NASA Did to Train Apollo Astronauts|url=http://www.wired.com/wiredscience/2011/07/moon-landing-gallery/?pid=1688&viewall=true|work=[[Wired (magazine)|Wired Science]]|publisher=[[Condé Nast Publications]] |accessdate=23 August 2011|date=20 July 2011}}</ref>。

== 機器と実験 ==
=== 横断重力計実験 ===
前述のとおり、横断重力計実験 (TGE) はアポロ計画の中では17号でのみ行われたものだった。[[重力法]]は地球での地質学調査で有用であることが証明されており、この実験の目的は、同じ技術を月の内部構造を探るために使うことが可能であるかを検証することだった。この計測器を使って、着陸船の近辺および探査ルートの様々な位置で測定値が得られた。TGEは月面車に搭載され、月面車が動いていない時か、または計測器が月面に置かれている時に飛行士がデータを測定した<ref name=presskit>{{cite web |url=https://mira.hq.nasa.gov/history/ws/hdmshrc/all/main/DDD/17980.PDF |title=Apollo 17 Press Kit |date=26 November 1972 |publisher=NASA |location=Washington, D.C. |format=PDF |id=72-220K |accessdate=26 August 2011 |archiveurl= https://web.archive.org/web/20110721080816/https://mira.hq.nasa.gov/history/ws/hdmshrc/all/main/DDD/17980.PDF |archivedate=21 July 2011 <!--DASHBot-->| deadurl=no}}</ref>。

計測は3回の月面活動の中で合計26回行われ、満足な結果が得られた。一方でALSEP(月面実験装置群)の中にも重力計があり、月面に設置されたが、こちらのほうはついにうまく機能することはなかった<ref name=alsjtge/>。

=== 科学機器搭載区画 ===
[[File:Apollo 17 CSM SIM bay.jpg|thumb|right|17号の科学機器搭載区画 (SIM)。月周回軌道上で着陸船から撮影。]]

[[アポロ司令・機械船#|機械船]]内部は中心から六つに等分割されており、その中の第1区画が科学機器搭載区画 (Scientific Instrument Module, SIM) に割り当てられていた。SIMは月面電磁サウンダー、[[赤外線|赤外]][[放射計]]、[[紫外線]][[分光器]]という3つの主要な実験装置から成り立っており、また地図作成用カメラ、[[パノラマカメラ]]、[[レーザー]][[高度計]]なども搭載されていた<ref name=presskit/>。

月面電磁サウンダーは月の表面に向けて[[電磁波]]の[[パルス]]を放射し、地下1.3キロメートル までの月の内部構造に関する地質学的データを得るものであった<ref name=presskit/>。

赤外放射計は、月の表面の温度分布図を作成し、岩場・[[地殻]]の構造差・[[火山]]活動の痕跡などの特徴を明らかにする目的で設計された<ref name=presskit/>。

遠紫外線分光器は、月の組成や密度および[[月の大気]]のデータを取得するために使用された。また、この分光器は、太陽から放射され月面で反射した遠紫外線も検出するように設計された<ref name=presskit/>。

レーザー高度計は宇宙船の高度を誤差2メートル以内で測定し、そのデータをパノラマカメラと地図作成用カメラに送信するように設計された<ref name=presskit/>。

=== 閃光現象 ===
アポロ計画の宇宙飛行士たちは、飛行中に[[まぶた]]を閉じていても閃光が目の前を走るのを目撃していた。「稲妻 (streaks)」「光点 (specks)」などと呼ばれたこの光は、宇宙船内の光量が落とされた睡眠時間中によく観測された。その頻度は1分間に2回ほどで、月に向かう軌道上、月を周回する軌道上、月から帰還する軌道上で発生したが、なぜか月面では観測されなかった<ref name=presskit/>。

この現象は[[宇宙線]]と関連するものと見られており、それを検証すべくNASAと[[ヒューストン]]大学の共同で実験が行われた。16号でも実施されたこの実験では、飛行士の1人が測定器を身につけ、装置を貫通した高エネルギー[[素粒子]]の時間・強度・軌跡などが記録された。分析結果は、この閃光現象が[[荷電粒子]]が[[網膜]]を通過することにより発生するのではないかとする仮説を支持するものであった<ref name=presskit/><ref name=lightflash>{{cite book |last1=Osborne |first1=W. Zachary |last2=Pinsky |first2=Lawrence S. |last3=Bailey |first3=J. Vernon |editor-last1=Johnston |editor-first1=Richard S. |editor-last2=Dietlein |editor-first2=Lawrence F. |editor-last3=Berry |editor-first3=Charles A. |others=Foreword by [[Christopher C. Kraft, Jr.]] |title=Biomedical Results of Apollo |url=https://lsda.jsc.nasa.gov/books/apollo/cover.htm |accessdate=26 August 2011 |year=1975 |publisher=NASA |location=Washington, D.C. |id=NASA SP-368 |chapter=Apollo Light Flash Investigations |chapterurl=https://lsda.jsc.nasa.gov/books/apollo/S4CH2.htm}}</ref>。

=== 月面電気特性実験 ===
[[File:Apollo 17 rover at final resting site.jpg|thumb|right|月面での廃棄地点に置かれた月面車。車両右後部の高利得アンテナの上にあるのが月面電気特性 (SEP) の受信機。]]

17号で唯一行われた実験の中に、月面電気特性 (Surface Electrical Properties, SEP) 実験があった。この実験機器は2つの装置で構成されており、1つは着陸船の近くに設置される送信アンテナ、もう1つは月面車に搭載されている受信アンテナである。送信アンテナからは、電気信号が発信される。信号は地中を伝わり、着陸船から離れた場所を移動している月面車がそれを受信する。発信された信号と受信された信号を比較することにより、月の土壌の電気的特性を解明することが可能になる。実験の結果は[[月の石]]の組成とも矛盾せず、月の地層の表面2キロメートル (1.2マイル) は極めて乾燥していることを示すものだった<ref name=sep/>。

=== 月面車 ===
{{main|月面車}}

17号では、15、16号に続いて月面車 (Lunar Roving Vehicle, LRV) が使用された。月面車はステーション (観測地点) の間を単に移動するだけでなく、月面探査のための道具や通信機器、採集したサンプルなどを運んだ<ref name=presskit/>。また17号のLRVには横断重力計や月面電気特性の受信機などが搭載されていた<ref name=alsjtge/><ref name=sep>{{cite web|title=Surface Electrical Properties|url=http://www.lpi.usra.edu/lunar/missions/apollo/apollo_17/experiments/sep/|work=Apollo 17 Science Experiments|publisher=Lunar and Planetary Institute|accessdate=26 August 2011}}</ref>。17号の月面車の総走行距離は約35.9キロメートル (22.3マイル) 、総走行時間は約4時間26分だった。サーナンとハリソンは、着陸船から最大で7.6キロメートル (4.7マイル) 離れた<ref name=lunarrover>{{cite web|title=The Apollo Lunar Roving Vehicle|url=http://nssdc.gsfc.nasa.gov/planetary/lunar/apollo_lrv.html|publisher=NASA|accessdate=26 August 2011<!-- | archiveurl= https://web.archive.org/web/20110715222253/http://nssdc.gsfc.nasa.gov/planetary/lunar/apollo_lrv.html| archivedate= 15 July 2011 |deadurl= no --> }}</ref>。

=== 宇宙線の影響を調査する動物実験 ===
17号では、宇宙線が生体に与える影響を調査するための動物実験 (biological cosmic ray experiment, BIOCORE) が行われた。この実験では[[頭皮]]の下に[[放射線]]測定器が埋め込まれた5匹のポケット・マウス (学名''Perognathus longimembris'') が宇宙に連れて行かれた<ref name=biocoreSPP330>{{cite book |author = Bailey. O.T., et al. |year=1973 |chapter=26. Biocore Experiment |title=Apollo 17 Preliminary Science Report (NASA SPP-330) |url=http://the-moon.wikispaces.com/NASA+SP-330 }}</ref>。

この[[ネズミ]]が選ばれたのは、観察が容易で、身体が小さくて体重も軽く、隔離された状況 (飛行中に水を与える必要がなく、汚物が充満したような状況にも耐えることができた) に保つことができ、環境的なストレスに耐える能力があったからである。飛行終了までに4匹が生き残ったが、1匹については死因は不明である<ref name=biocoreSPP330/>。

4匹は後の研究で頭皮と[[肝臓]]に病変があるのが発見されたが、双方に関連性は見られず、宇宙線の影響によるものではないと考えられた。また網膜と内臓には何の異常も見られなかった<ref name=biocoreSPP330/>。[[脳]]については17号の科学的中間報告書が発表されたときはまだ解剖されていなかった<ref name=biocoreSPP330/>が、その後の研究では特に影響は見られなかった<ref name=bioCoreSP368>{{cite book |last1=Haymaker |first1=Webb |last2=Look |first2=Bonne C. |last3=Benton |first3=Eugene V. |last4=Simmonds |first4=Richard C. |date=January 1, 1975 |chapter=The Apollo 17 Pocket Mouse Experiment (Biocore) |chapterurl=http://history.nasa.gov/SP-368/s4ch4.htm |editor1-last=Johnston |editor1-first=Richard S. |editor2-last=Berry |editor2-first=Charles A. |editor3-last=Dietlein |editor3-first=Lawrence F. |title=SP-368 Biomedical Results of Apollo (SP-368) |url=http://history.nasa.gov/SP-368/sp368.htm |publisher=Lyndon B. Johnson Space Center |publication-date=January 1, 1975 |oclc=1906749 }}</ref>。

==主要な任務==
=== 発射から月周回軌道まで ===
[[File:Apollo 17 liftoff.jpg|thumb|right|17号の発射。1972年12月7日。]]

17号は1972年12月7日午前0時33分 ([[東部標準時|米東部標準時]])、ケネディ宇宙センター[[ケネディ宇宙センター第39複合発射施設|39A発射台]]から打ち上げられた。サターン5型ロケットで有人飛行を行うのはこれが最後のことであり、またアポロ計画では唯一、夜間に打ち上げが実行された。発射30秒前に自動停止装置が作動したことにより予定が2時間40分遅れたが、原因は小さなエラーであることがすぐに突き止められた。技術者が対処し、秒読みは打ち上げ22分前の状態から再開したが、ハードウェアの故障で打ち上げが遅れたのはアポロ計画ではこれが唯一の事例であった。発射は成功し、宇宙船は正常に[[地球周回軌道]]に乗った<ref name=astronautix/><ref name=launchops>{{cite web|title=Apollo 17 Launch Operations|url=http://www.hq.nasa.gov/office/pao/History/SP-4204/ch23-7.html|publisher=NASA|accessdate=16 November 2011}}</ref>。

深夜であるのにもかかわらず、センター周辺にはおよそ50万人の見物人が訪れたものと見られた。ロケットの炎は800キロメートル彼方からも確認され、[[マイアミ]]では北の夜空を赤い光跡が横切るのが目撃された<ref name=launchops/>。

午前3時46分(東部標準時)、第3段[[S-IVB]]のエンジンが再点火され、宇宙船は速度を増し[[ホーマン遷移軌道|月への軌道]]へと投入された<ref name=astronautix>{{cite web|last=Wade|first=Mark|title=Apollo 17|url=http://www.astronautix.com/flights/apollo17.htm|publisher=Encyclopedia Astronautica|accessdate=22 August 2011}}</ref>。

[[12月10日]]、機械船の主エンジン (Service Propulsion System, SPS) を点火し、宇宙船は月周回軌道に進入した。安定した軌道に乗ると、飛行士らは[[タウルス・リットロウ渓谷]]への着陸の準備を開始した<ref name=astronautix/>。

=== 月面着陸 ===
着陸船「チャレンジャー」を司令・機械船から切り離した後、サーナンとシュミットは軌道を修正し、タウルス・リットロウへの降下の準備を始めた。一方その間、司令船操縦士のエヴァンスは軌道上に残り、月面の観察や実験を行い、数日後の仲間の帰還を待った<ref name=astronautix/><ref name=alsjland>{{cite web|title=Landing at Taurus-Littrow|url=http://www.hq.nasa.gov/alsj/a17/a17.landing.html|publisher=Apollo Lunar Surface Journal|accessdate=22 August 2011}}</ref>。

準備完了後、ただちに降下が開始された。数分後、着陸船は姿勢を月面に対して垂直にし、飛行士らは目標地点を目視することが可能になった。サーナンが理想的な着陸地点を探す一方で、シュミットはコンピューターからのデータを読み上げた。[[12月11日]]午後2時55分 (東部標準時)、チャレンジャーは月面に着陸した。2人の飛行士はただちに船内を月面滞在モードに設定し、第1回船外活動の準備を開始した<ref name=astronautix/><ref name=alsjland/>。

=== 月面 ===
[[File:Apollo 17 Cernan on moon.jpg|thumb|right|月面に立つサーナン。1972年12月13日。]]

第1回船外活動は、着陸からおよそ4時間後の12月11日午後6時55分に始まった。飛行士らの最初の任務は、月面車やその他の機器を着陸船の格納庫から下ろすことだった。月面車を組み立てているとき、サーナンは誤ってハンマーをひっかけて右後部の[[フェンダー (自動車)|フェンダー]]を破損させてしまった。同じことは16号でもヤング船長がやっており、さして深刻な問題とは言えなかったものの、このおかげでサーナンとシュミットは走行中に月面からはね上げられる砂埃にまみれることになってしまった<ref name="brokenfender">{{cite web|title=ALSEP Off-load|url=http://www.hq.nasa.gov/alsj/a17/a17.alsepoff.html|publisher=Apollo Lunar Surface Journal|accessdate=24 August 2011}}</ref>。[[ダクトテープ]]で折れたフェンダーを貼りつけようとしたがうまくいかず、計画終了までテープは砂埃に耐えることはできなかった<ref name="fenderfix">{{cite web |url=http://science.nasa.gov/science-news/science-at-nasa/2008/21apr_ducttape/ |title=Moondust and Duct Tape |last=Phillips |first=Tony |date=April 21, 2008 |website=Science@NASA |publisher=NASA |accessdate=24 August 2011}}</ref>。その後飛行士らは、ALSEP (アポロ月面実験装置群) を着陸地点のすぐ西に設置した。作業終了後、両名は最初の地質学的探査に出発し、14キログラムの資料を採取した。また7箇所で重力計の測定をし、2箇所に爆薬をセットした。これは後に地上からの遠隔操作で爆破され、その振動を17号以前の飛行で月面に設置された換振器 (geophone) や[[地震計]]が感知した<ref>{{cite journal |last1=Brzostowski |first1=Matthew |last2=Brzostowski |first2=Adam |date=April 2009 |title=Archiving the Apollo active seismic data |url=http://tle.geoscienceworld.org/content/28/4/414.abstract |journal=[[Society of Exploration Geophysicists#Journals, books, and newsletters|The Leading Edge]] |location=Tulsa, OK |publisher=[[Society of Exploration Geophysicists]] |volume=28 |issue=4 |pages=414-416 |doi=10.1190/1.3112756 |issn=1070-485X |accessdate=12 June 2014}}</ref>。船外活動は7時間12分で終了した<ref name=astronautix/><ref name=alsjeva1>{{cite web|title=The First EVA|url=http://www.hq.nasa.gov/alsj/a17/a17.html|publisher=Apollo Lunar Surface Journal|accessdate=22 August 2011| archiveurl= https://web.archive.org/web/20110716040118/http://www.hq.nasa.gov/alsj/a17/a17.html| archivedate= 16 July 2011 <!--DASHBot-->| deadurl= no}}</ref>。

[[File:584392main M168000580LR ap17 area.jpg|right|thumb|17号の着陸地点。2011年、ルナー・リコネッサンス・オービターが撮影。]]
[[File:Lunar Regolith 70050 from Apollo 17 in National Museum of Natural History.jpg|right|thumb|17号が採集した月の砂 ([[レゴリス]])。]]

[[12月12日]]午後6時28分 (東部標準時)、サーナンとシュミットは第2回船外活動を開始した。この日の最初の任務は、前日破損させてしまった月面車の右後輪のフェンダーを修理することだった。クロノパック (cronopaque) という4枚の地図をダクトテープで貼り合わせ、走行中に砂が降りかからないよう後輪フェンダーに固定した<ref name="brokenfender" /><ref name="fenderfix" /><ref name=eva2prep>{{cite web|title=Preparations for EVA-2|url=http://www.hq.nasa.gov/alsj/a17/a17.eva2prep.html|publisher=Apollo Lunar Surface Journal|accessdate=24 August 2011}}</ref>。今回は峡谷で、オレンジ色の土壌を含むいくつかの異なる種類の資料が発見された。7時間37分の活動の間に34キログラムのサンプルを採集し、ALSEPで3つの機器を設置し、7箇所で重力計の測定をした<ref name=astronautix/>。

アポロ計画において最後のものとなる第3回船外活動は、[[12月13日]]午後5時26分 (東部標準時) に開始された。今回は66キログラムのサンプルが採取され、9箇所で重力計測定が行われた。活動終了前に飛行士は[[礫岩#角礫岩|角礫岩]]を採集し、それを[[テキサス州]]ヒューストンの管制センターに当時参加していた複数の国々に捧げた。また着陸船の脚にはめ込まれていた、アポロ計画の業績を称える銘板の覆いが外された。最後に着陸船に帰還する前、船長ジーン・サーナンは自らの思いを次のように表した:<ref name=astronautix/>

{{bquote|...私は今、月面にいます。そして人類として最後の足跡を残して故郷に帰りますが、必ずまた戻ってきます。それは決して遠くない将来であると信じます。私は、歴史が記録に残すであろうと信じている、とだけ言いたいと思います。それはアメリカの今日の挑戦が、人類の明日の運命を切り開いたことをです。我々はここに来たときと同じように、ここ月面のタウルス・リットロウを去りますが、神の御心のままに、すべての人類のための平和と希望とともに私たちは必ず戻ってきます。17号の搭乗員たちを神が見守ってくださいますように<ref name=alsjeva3>{{cite web|title=EVA-3 Close-out|url=http://www.hq.nasa.gov/alsj/a17/a17.clsout3.html|publisher=Apollo Lunar Surface Journal|accessdate=22 August 2011| archiveurl= https://web.archive.org/web/20110718153102/http://www.hq.nasa.gov/alsj/a17/a17.clsout3.html| archivedate= 18 July 2011 <!--DASHBot-->| deadurl= no}}</ref>。}}

約7時間15分の船外活動を終え、サーナンは着陸船に帰還し、シュミットも後に続いた<ref name=astronautix/>。

=== 地球への帰還 ===
[[File:SH-3 Sea King of HC-1 recovers Apollo 17 astronauts off USS Ticonderoga (CVS-14), 19 December 1972 (Ap17-S72-55974).jpg|thumb|right|17号の着水後の回収作業。]]

[[12月14日]]午後5時55分 (東部標準時)、サーナンとシュミットが乗る上昇段は月面から離陸し、軌道上で待機するエヴァンスが乗る司令・機械船との[[ランデブー (宇宙開発)|ランデブー]]と[[宇宙機のドッキングおよび係留|ドッキング]]に成功した。上昇段は地球に持ち帰る機器やサンプルを移し替えたのち密封され、[[12月15日]]午前1時31分に切り離された。その後地上からの遠隔操作で月面に衝突させられ、その衝撃を17号やそれ以前の飛行で月面に設置された地震計が計測した<ref name=astronautix/><ref name=alsjreturn>{{cite web|title=Return to Earth|url=http://www.hq.nasa.gov/alsj/a17/a17.homeward.html|publisher=Apollo Lunar Surface Journal|accessdate=22 August 2011}}</ref>。

[[12月17日]]午後3時27分 (東部標準時)、地球への帰還途中でエヴァンスは1時間7分の船外活動を行い、機械船の科学機器搭載区画から露光フィルムを回収することに成功した<ref name=astronautix/>。

12月19日、役目を終えた機械船が切り離された。17号はもはや司令船のみとなり、[[大気圏再突入]]に備えた。午後2時25分、17号は[[太平洋]]に着水した。回収船[[タイコンデロガ (空母)|タイコンデロガ]]からは6.4キロメートル の地点であった。サーナン、エヴァンス、シュミットらはヘリコプターにホイスト (釣り上げ) され、着水から52分後に艦上の人となった<ref name=astronautix/><ref name=alsjreturn/>。

== 宇宙船の現在の状態 ==
[[Image:Apollo 17 America Space Center Houston.JPG|thumb|200px|right|ジョンソン宇宙センターに展示されているアポロ17号司令船]]
司令船「アメリカ」は、現在はテキサス州ヒューストンにある[[ジョンソン宇宙センター]]の、[[ヒューストン宇宙センター]]に展示されている<ref name=currentloc>{{cite web|title=Apollo: Where are they now?|url=http://nssdc.gsfc.nasa.gov/planetary/lunar/apolloloc.html|publisher=NASA|accessdate=26 August 2011| archiveurl= https://web.archive.org/web/20110717164926/http://nssdc.gsfc.nasa.gov/planetary/lunar/apolloloc.html| archivedate= 17 July 2011 <!--DASHBot-->| deadurl= no}}</ref>。

着陸船「チャレンジャー」の上昇段は、1972年12月15日午前6時50分20秒8 ([[協定世界時|UTC]]、東部標準時午前1時50分) に月面上{{Coord|19.96|N|30.50|E|globe:Moon|name=Apollo 17 LM ascent stage}}に衝突した<ref name=currentloc/>。下降段は着陸地点{{Coord|20.19080|N|30.77168|E|globe:Moon|name=Apollo 17 LM descent stage}}に現存している<ref name="Orloff"/>。

[[2009年]]と[[2011年]]に、[[ルナー・リコネサンス・オービター]]は17号の着陸地点をより低軌道から撮影した<ref>{{cite web |url=http://www.nasa.gov/mission_pages/LRO/news/apollo-sites.html |title=NASA Spacecraft Images Offer Sharper Views of Apollo Landing Sites |last1=Neal-Jones |first1=Nancy |last2=Zubritsky |first2=Elizabeth |last3=Cole |first3=Steve |editor-last=Garner |editor-first=Robert |date=September 6, 2011 |publisher=NASA |id=Goddard Release No. 11-058 (co-issued as NASA HQ Release No. 11-289) |accessdate=24 July 2013}}</ref>。

== 物語における描写 ==
17号の飛行計画の一部は、[[1998年]][[HBO]]制作のテレビシリーズ「[[フロム・ジ・アース/人類、月に立つ]]」の中で、第12話「月世界旅行 (Le Voyage Dans La Lune)」というタイトルでドラマ化されている<ref name=hbomin>{{cite web|title=From the Earth to the Moon - Season 1, Episode 12: Le Voyage Dans La Lune|url=http://www.tv.com/from-the-earth-to-the-moon/le-voyage-dans-la-lune/episode/159367/summary.html|work=[[TV.com]]|publisher=[[CBS Interactive]]|location=San Francisco, CA|accessdate=26 August 2011}}</ref>。

ホーマー・ヒッカム (Homer Hickam) の[[1999年]]の小説「月への帰還 (Back to the Moon)」の導入部は、17号の第2回月面活動から始まっている。この小説では、飛行士が発見したオレンジ色の土壌が物語の大きなヒントとなっている<ref>Hickam 1999, pp. 3–8</ref>。

ダグラス・プレストン (Douglas Preston) の[[2005年]]の小説「[[ティラノサウルス]]の峡谷 (Tyrannosaur Canyon)」は、17号の月面活動の描写および公式記録に残されているそのときの飛行士の会話から始まっている<ref name=tycanyon>{{cite news|last=Anderson|first=Patrick|title=Rex Marks the Spot|url=https://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2005/09/18/AR2005091801146.html|accessdate=24 August 2011|newspaper=[[The Washington Post]]|date=19 September 2005}}</ref>。

また17号の飛行士をイメージして、フィクションとして「最後に月面を歩いた男」を描いた映画や小説、テレビドラマは数多くある。その中の一つが、テレビドラマ「[[600万ドルの男]] (The Six Million Dollar Man)」の主人公スティーブ・オースティン (Steve Austin) である。このドラマの原作となった1972年の小説「サイボーグ (Cyborg)」では、オースティンは「17号の飛行で遠ざかる」地球を目撃したことを記憶しているという設定になっていた<ref>Caidin 1972, p. 15</ref>。1998年の映画「[[ディープ・インパクト (映画)|ディープ・インパクト]]」では、[[ロバート・デュヴァル]] (Robert Duvall) が演じる宇宙飛行士スパージョン・“フィッシュ”・タナー (Spurgeon "Fish" Tanner) は、モーガン・フリーマン (Morgan Freeman) が演じる[[アメリカ合衆国大統領|大統領]]の共同記者会見の場面で「月面を歩いた最後の男」と描写されていた<ref>{{cite web |url=http://www.subzin.com/search.php?title=Deep+Impact&imdb=&q=You+were+the+last+man+to+walk+on+the+moon%2C+weren%27t+you&search_sort=Popularity&genre=-1&type=All |title=Deep Impact quotes |work=Subzin.com |accessdate=24 July 2013}}</ref>。

[[テレビアニメ|アニメ]]「[[アルドノア・ゼロ]]」では、17号が月面で、地球と火星を繋ぐ滅亡した古代文明の遺産「ハイパーゲート」を発見したことになっている。この発見は、物語の[[歴史改変SF]]における分岐点となっている。

== 映像 ==
<gallery>
image:Apollo 17 The Last Moon Shot Edit1.jpg|発射を待つ17号のサターン5型ロケット。
image:Spiro Agnew Congratulates Launch Control After Launch of Apollo 17 - GPN-2002-000058.jpg|発射後、管制センターで関係者をねぎらう[[スピロ・アグニュー]] (Spiro Agnew) [[アメリカ合衆国副大統領|副大統領]]。
image:The Earth seen from Apollo 17.jpg|月に向かう途中で撮影された、[[ザ・ブルー・マーブル]]の名で知られる地球の写真。
File:Taurus-Littrow valley 4078 h3.jpg|[[ルナ・オービター4号]]が撮影したタウルス・リットロウ。写真中央付近が着陸地点。
image:Ap17 schmitt falls.ogv|月面活動中に転倒するシュミット飛行士。
image:Astronaut Harrison 'Jack' Schmitt, American Flag, and Earth (Apollo 17 EVA-1).jpg|第1回船外活動で、地球を背景に星条旗の前でポースをとるシュミット。ヘルメットのバイザーにはサーナンが映っている。
image:Waning crescent earth seen from the moon.jpg|月の地平線から昇る、「三日月」の地球。下に見えるのは{{仮リンク|リッツクレーター|en|Ritz (crater)}}。
image:Moon-apollo17-schmitt boulder.jpg|第3回船外活動で、巨大な岩石の横に立つシュミット。視線の先、岩の右のへりには着陸船が見える。
image:AS17-145-22224.jpg|第3回船外活動後、着陸船内のサーナン。
image:Harrison Schmitt inside LM on surface, Apollo 17.jpg|第3回船外活動後、着陸船内のシュミット。
image:Ap17-ascent.ogv|月面から離昇する上昇段。月面車のテレビカメラを地球から遠隔操作して撮影。
File:Apollo 17 astronaut Ronald E. Evans performs an extravehicular activity during the trans-Earth coast.jpg|地球への帰還途上で船外活動をするエヴァンス。
image:A17-plaque.JPG|月面に残された17号の銘板。
image:Apollo17UV.jpg|月の大気の構成を初めて正確に計測するために使用された紫外線分光器の模型。
image:Challenger 4x.png|2009年にルナー・リコネッサンス・オービターが撮影した17号の着陸地点。
image:Apollo 17 LM Challenger LRO.png|2011年、ルナー・リコネッサンス・オービターが撮影した着陸地点の望遠画像。月面車の軌跡や飛行士の足跡が周囲に見える。
</gallery>

== 脚注 ==
{{Reflist|colwidth=30em}}

== 参照 ==
* [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/sc-query.html NASA NSSDC Master Catalog]
* [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/sc-query.html NASA NSSDC Master Catalog]
* [http://nssdc.gsfc.nasa.gov/planetary/lunar/apollo17info.html Apollo 17 Info by NASA]
* [https://nssdc.gsfc.nasa.gov/planetary/lunar/apollo17info.html Apollo 17 Info by NASA]
* [http://history.nasa.gov/SP-4029/Apollo_00a_Cover.htm APOLLO BY THE NUMBERS: A Statistical Reference by Richard W. Orloff (NASA)]
* [http://history.nasa.gov/SP-4029/Apollo_00a_Cover.htm APOLLO BY THE NUMBERS: A Statistical Reference by Richard W. Orloff (NASA)]
* [http://www.hq.nasa.gov/office/pao/History/SP-4209/appb.htm Development of Manned Space Flight, American and Soviet NASA SP-4209]
* [http://www.hq.nasa.gov/office/pao/History/SP-4209/appb.htm Development of Manned Space Flight, American and Soviet NASA SP-4209]
192行目: 303行目:
* [http://history.nasa.gov/SP-4012/vol3/table2.45.htm Apollo 17 Characteristics - SP-4012 NASA HISTORICAL DATA BOOK]
* [http://history.nasa.gov/SP-4012/vol3/table2.45.htm Apollo 17 Characteristics - SP-4012 NASA HISTORICAL DATA BOOK]
* [http://www.hq.nasa.gov/alsj/a17/a17.html Apollo 17 entry at Apollo Lunar Surface Journal] - Provides an extensive insight of the mission, along with full transcripts and detailed interviews with the crewmembers.
* [http://www.hq.nasa.gov/alsj/a17/a17.html Apollo 17 entry at Apollo Lunar Surface Journal] - Provides an extensive insight of the mission, along with full transcripts and detailed interviews with the crewmembers.
*Lattimer, Dick (1985). 'All We Did was Fly to the Moon. Whispering Eagle Press. ISBN 0961122803.
* Lattimer, Dick (1985). 'All We Did was Fly to the Moon. Whispering Eagle Press. ISBN 0961122803.


==外部リンク==
== 外部リンク ==
{{commons|Apollo 17}}
{{commons|Apollo 17}}

* [http://www.astronautix.com/flights/apollo17.htm Apollo 17 entry in Encyclopedia Astronautica]
* [http://www.astronautix.com/flights/apollo17.htm Apollo 17 entry in Encyclopedia Astronautica]
* [http://magma.nationalgeographic.com/ngm/0407/online_extra.html?c=Newsletters&n=2Q04_Insider2&t=internal September 1973 National Geographic Magazine article]
* [http://magma.nationalgeographic.com/ngm/0407/online_extra.html?c=Newsletters&n=2Q04_Insider2&t=internal September 1973 National Geographic Magazine article]
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[[Category:1972年12月]]
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[[Category:天文学に関する記事]]
{{Link GA|fr}}

2024年12月5日 (木) 23:31時点における最新版

アポロ17号
最初の船外活動で月面車を運転するユージン・サーナン
任務種別有人月面着陸
運用者NASA[1]
COSPAR ID司令・機械船:1972-096A
着陸船:1972-096C
SATCAT №司令・機械船:6300
着陸船:6307
任務期間12日13時間51分59秒
特性
宇宙機アポロ司令・機械船 CSM-114
アポロ月着陸船 LM-12
製造者司令・機械船:ロックウェル・インターナショナル
着陸船:グラマン
打ち上げ時重量46,980 キログラム
司令船:5,840 キログラム
機械船:24,514 キログラム
着陸船:16,658 キログラム
乗員
乗員数3
乗員ユージン・サーナン
ロナルド・エヴァンス
ハリソン・シュミット
コールサイン司令・機械船:アメリカ
着陸船:チャレンジャー
EVA遷移軌道上で1回
月面で3回
EVA期間1時間5分44秒
フィルムのカセット回収のための船外活動
任務開始
打ち上げ日1972年12月7日 05:33:00 (UTC)
ロケットサターン5型ロケット SA-512
打上げ場所ケネディ宇宙センター 39A発射台
任務終了
着陸日1972年12月19日 19:24:59 (UTC)
着陸地点南太平洋
南緯17度53分 西経166度07分 / 南緯17.88度 西経166.11度 / -17.88; -166.11 (Apollo 17 splashdown)
軌道特性
参照座標月周回軌道
近点高度26.9 キロメートル
遠点高度109.3 キロメートル
元期12月11日 4:04 (UTC)
Lunarオービター
宇宙船搭載構成物 司令・機械船
軌道投入 1972年12月10日 19:47:22 (UTC)
軌道脱出 1972年12月16日 23:35:09 (UTC)
軌道周回数 75
Lunar着陸船
宇宙船搭載構成物 着陸船
着陸 1972年12月11日 19:54:57 (UTC)
帰還 1972年12月14日 22:54:37 (UTC)
着陸地点 タウルス・リットロウ(Taurus Littrow)
北緯20度11分27秒 東経30度46分18秒 / 北緯20.19080度 東経30.77168度 / 20.19080; 30.77168 (Apollo 17 landing)
標本採集量 110.52 キログラム
船外活動回数 3
船外活動時間

22時間3分57秒

第1回:7時間11分53秒
第2回:7時間36分56秒
第3回:7時間15分8秒
Lunarローバー
走行距離 35.74 キロメートル
着陸船のドッキング(捕捉)
ドッキング(捕捉)日 1972年12月7日 09:30:10 (UTC)
分離日 1972年12月11日 17:20:56 (UTC)
着陸船上昇段のドッキング(捕捉)
ドッキング(捕捉)日 1972年12月15日 01:10:15 (UTC)
分離日 1972年12月15日 04:51:31 (UTC)
ペイロード
科学機器搭載区画 (SIM)
月面車
重量SIM:
LRV: 210キログラム

(左から)シュミット、サーナン(着座)、エヴァンス
アポロ計画
有人宇宙飛行

アポロ17号は、アメリカ合衆国アポロ計画における最後の飛行である。現在、史上6度目にして最後の有人月面着陸を行い、また地球周回低軌道を越えて人類が宇宙を飛行した最後の例となっている[2][3]。また、アポロ宇宙船を月面着陸という本来の目的で使用する最後の飛行ともなった。同宇宙船がこの後に使われたのは、スカイラブ計画アポロ・ソユーズテスト計画のみであった。船長ユージン・サーナン (Eugene Cernan)、司令船操縦士ロナルド・エヴァンス (Ronald Evans)、月着陸船操縦士ハリソン・シュミット (Harrison Schmitt) の3名を乗せて1972年12月7日フロリダ州ケープ・カナベラルケネディ宇宙センターから打ち上げられた。

17号は、アメリカの有人宇宙船としては初めて夜間に発射された。またサターン5型ロケットを有人飛行に使用するのは、これが最後のこととなった。この飛行はアポロ計画の中ではJ計画に分類されるものであり、3日間の月面滞在の間に月面車を使用して広範な科学的探査を行った。サーナンとシュミットはタウルス・リットロウ (Taurus–Littrow) 渓谷で3度の船外活動を行い、サンプルを採集してアポロ月面実験装置群 (Apollo Lunar Surface Experiments Package, ALSEP) を設置した。一方この間エヴァンスは司令・機械船に乗り、月周回軌道にとどまった。3人の飛行士は12月19日、約12日間の飛行を終えて地球に帰還した[2]

タウルス・リットロウ渓谷への着陸は、17号の本来の目的を念頭に置いて決定された。その目的とは即ち、(1) 雨の海を形成した巨大隕石の衝突よりも古い月の高地の資料を採集すること。(2) 比較的新しい火山活動が周辺であった可能性について調査すること、であった。谷の北部と南部にある岸壁では高地のサンプルを採集できることが期待され、また谷の周辺にある暗い物質に囲まれたいくつかのクレーターでは火山活動の痕跡を発見できる可能性があったため、この地が着陸地点に選ばれた[4]

17号はまた、(1) 最も長く宇宙に滞在し (当時)、(2) 最も長く月面活動を行い、(3) 最も大量に月面からサンプルを持ち帰り、(4) 最も長く月周回軌道に滞在した、などのいくつかの記録を打ち立てた[5][6]

搭乗員

[編集]
地位[7] 飛行士
船長 ユージン・サーナン
3回目の宇宙飛行
司令船操縦士 ロナルド・エヴァンス
1回目の宇宙飛行
月着陸船操縦士 ハリソン・シュミット
1回目の宇宙飛行

17号の搭乗員には、本来はサーナン、エバンスおよびジョー・エングル(Joe Engle) が指名されるはずであった。この3名は、アポロ14号で予備搭乗員を務めていた[8]。エングルは極超音速実験機X-15のパイロットとして16回飛行し、最高時速7,272キロメートル、最高到達高度85.5キロメートル の記録を打ち立てたことのある人物だった[9]。一方でシュミットは、アポロ15号の予備搭乗員を務めていた。アポロ計画の飛行士のローテーションでは、予備搭乗員はその3つあとの飛行で本搭乗員を務めるという規定があり、これに従えばシュミットはアポロ18号で月着陸船操縦士を務めることになっていたのだが、18号(さらに19号、20号)は1970年9月に中止が決定された。この決定を受け、科学者らの協会は17号では宇宙飛行士に訓練で地質学を学ばせるのではなく、地質学者そのものを月面に赴かせるようNASAに圧力をかけた。この科学者からの要望を考慮して、地質学の専門学者であるシュミットが着陸船操縦士に指名された[8]

この変更を受け、17号の残りの搭乗員には誰を指名するかという問題が発生した。15号の予備搭乗員であったリチャード・ゴードン (Richard F. Gordon, Jr.)、ヴァンス・ブランド (Vance D. Brand) をシュミットとともにスライドさせるのか、もしくは14号のサーナンとエヴァンスをそのまま搭乗させるのかという選択に迫られたが、NASAの飛行人事部長だったドナルド・スレイトン (Deke Slayton) は最終的にサーナンとエヴァンスを指名した[8]

予備搭乗員

[編集]

当初

[編集]
地位[10] 飛行士
船長 デイヴィッド・スコット (David Scott)
司令船操縦士 アルフレッド・ウォーデン (Alfred Worden)
月着陸船操縦士 ジェームズ・アーウィン (James Irwin)
彼らはアポロ15号の本搭乗員だった

変更後

[編集]
地位[7][11] 飛行士
船長 ジョン・ヤング (John Young)
司令船操縦士 スチュアート・ルーサ (Stuart Roosa)
月着陸船操縦士 チャールズ・デューク (Charles Duke)

17号はアポロ計画最後の飛行であり、予備搭乗員がその後に飛行することはなかったため、当初は15号の本搭乗員が指名されていた。だが1972年初め、スコットらが金銭的な報酬と引き換えに月に記念切手を持って行ったという事実が発覚し、NASAと空軍から懲戒を受けた(彼らは3人とも現役の空軍軍人であった)ため、飛行人事部長のスレイトンは彼らを任務から外し、代わりに16号の本搭乗員だったヤングとデューク、そして14号の本搭乗員で16号の予備搭乗員だったルーサを指名した[10][12]

支援飛行士

[編集]
  • ロバート・オーバーマイヤー (Robert F. Overmyer)[13]
  • ロバート・パーカー (Robert A. Parker)[14]
  • ゴードン・フラートン (C. Gordon Fullerton)[15]

計画の記章

[編集]

記章の中で最も特徴的なのは、ギリシャ神話太陽神アポロンと、背景に描かれたアメリカを象徴する鳥ハクトウワシである。ワシの中には星条旗を表す赤い横線が引かれ、その上の3つの星は宇宙飛行士を象徴している。背景には月と土星そして銀河が描かれ、さらにワシの羽根の一部は月にかかっていて、人類がそこに降り立ったことを示唆している。アポロンとワシの視線が外宇宙に向けられているのは、人類の宇宙開発の目的地がそこであることを表している[16]

記章の色には、星条旗を構成する色である赤・白・青とともに、17号から始まるであろう宇宙飛行の「黄金時代」を象徴する金色が含まれている。太陽神の顔は、「ベルヴェデーレのアポロン (Apollo Belvedere)」と呼ばれる彫刻が元になっている。この記章は、飛行士たちの意見を元にイラストレーターのロバート・マッコール (Robert McCall) がデザインした[16]

計画と訓練

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オンタリオ州サドバリーで地質学の訓練に参加するサーナン。1972年5月。

17号はその前の15号や16号と同様に、月面に3日間滞在し月面車を使って科学的探査の能力を向上させた「J計画」に分類されるものであった。アポロ計画では最後の飛行となるため、着陸地点の選択においては、いまだ訪れたことがないような場所であることが最重要項目として挙げられた。第一の候補であったコペルニクスクレーターは、12号がすでにその場所が形成されたときの隕石衝突の生成物を持ち帰ってきており、また他の飛行でも雨の海周辺のサンプルは得られているという理由で除外された。月の高地にあるティコクレーターも考慮されたが、地形が荒く着陸には適さないという理由で却下された。また月の裏側にあるツィオルコフスキークレーターは、技術的な問題や月面活動をする際の地球との通信にかかる費用の点などが考慮され除かれた。さらに危難の海の南西部は、ソ連の宇宙船でも容易に接近できるという理由で候補から外れた。事実、17号の着陸地点が決定した直後に無人探査機ルナ20号がその場所に降り立ち、30gのサンプルを持ち帰ってきたのである[4]

こうしていくつかの候補が除外された後、最終的にアルフォンサス (Alphonsus) クレーター、ガセンディ (Gassendi) クレーター、タウルス・リットロウ渓谷の3つが残った。最終決定をするにあたって考慮に入れられたのは、17号の根本的な飛行目的だった。その目的とは、(1) 雨の海から相当程度離れている月の高地のサンプルを採集すること (2) 若い (たとえば30億年以前) 火山活動の生成物を採集すること (3) 司令船が月周回軌道上から月面を観測する際、その領域が15号や16号のものとはあまり重ならず、なるべく新しいデータを得られるようにすること、であった[4]

タウルス・リットロウが選ばれたのは、谷の南壁で起こった地滑りの残余物から古い高地の物質のサンプルを得られるかもしれないと予測されたことや、その地域で比較的新しい時代に噴火活動が起こった可能性があったからだった。リットロウは15号の着陸地点と同様に月の海の周辺に位置していたが、その利点は欠点を上回ると考えられたため、17号の目的地と決定した[4]

17号では、アポロ計画で唯一「横断重力計実験 (Traverse Gravimeter Experiment, TGE)」が行われた。この装置は飛行士が船外活動をしながら着陸地点周辺の様々な場所の相対重力を測定するよう、マサチューセッツ工科大学ドレイパー研究所によって作られたものだった。科学者らはこの装置で得られたデータを、着陸地点と周辺地域の地質学的構造に関する情報を集めるために使うことになっていた[17]

それ以前の飛行と同様、飛行士らは月面でのサンプル収集・宇宙服の使用方法・月面車の操作・地質学の学習・サバイバル訓練・地球への帰還時の海上からヘリコプターへの回収・機器の操作など、広範な訓練を行った[18]

機器と実験

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横断重力計実験

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前述のとおり、横断重力計実験 (TGE) はアポロ計画の中では17号でのみ行われたものだった。重力法は地球での地質学調査で有用であることが証明されており、この実験の目的は、同じ技術を月の内部構造を探るために使うことが可能であるかを検証することだった。この計測器を使って、着陸船の近辺および探査ルートの様々な位置で測定値が得られた。TGEは月面車に搭載され、月面車が動いていない時か、または計測器が月面に置かれている時に飛行士がデータを測定した[19]

計測は3回の月面活動の中で合計26回行われ、満足な結果が得られた。一方でALSEP(月面実験装置群)の中にも重力計があり、月面に設置されたが、こちらのほうはついにうまく機能することはなかった[17]

科学機器搭載区画

[編集]
17号の科学機器搭載区画 (SIM)。月周回軌道上で着陸船から撮影。

機械船内部は中心から六つに等分割されており、その中の第1区画が科学機器搭載区画 (Scientific Instrument Module, SIM) に割り当てられていた。SIMは月面電磁サウンダー、赤外放射計紫外線分光器という3つの主要な実験装置から成り立っており、また地図作成用カメラ、パノラマカメラレーザー高度計なども搭載されていた[19]

月面電磁サウンダーは月の表面に向けて電磁波パルスを放射し、地下1.3キロメートル までの月の内部構造に関する地質学的データを得るものであった[19]

赤外放射計は、月の表面の温度分布図を作成し、岩場・地殻の構造差・火山活動の痕跡などの特徴を明らかにする目的で設計された[19]

遠紫外線分光器は、月の組成や密度および月の大気のデータを取得するために使用された。また、この分光器は、太陽から放射され月面で反射した遠紫外線も検出するように設計された[19]

レーザー高度計は宇宙船の高度を誤差2メートル以内で測定し、そのデータをパノラマカメラと地図作成用カメラに送信するように設計された[19]

閃光現象

[編集]

アポロ計画の宇宙飛行士たちは、飛行中にまぶたを閉じていても閃光が目の前を走るのを目撃していた。「稲妻 (streaks)」「光点 (specks)」などと呼ばれたこの光は、宇宙船内の光量が落とされた睡眠時間中によく観測された。その頻度は1分間に2回ほどで、月に向かう軌道上、月を周回する軌道上、月から帰還する軌道上で発生したが、なぜか月面では観測されなかった[19]

この現象は宇宙線と関連するものと見られており、それを検証すべくNASAとヒューストン大学の共同で実験が行われた。16号でも実施されたこの実験では、飛行士の1人が測定器を身につけ、装置を貫通した高エネルギー素粒子の時間・強度・軌跡などが記録された。分析結果は、この閃光現象が荷電粒子網膜を通過することにより発生するのではないかとする仮説を支持するものであった[19][20]

月面電気特性実験

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月面での廃棄地点に置かれた月面車。車両右後部の高利得アンテナの上にあるのが月面電気特性 (SEP) の受信機。

17号で唯一行われた実験の中に、月面電気特性 (Surface Electrical Properties, SEP) 実験があった。この実験機器は2つの装置で構成されており、1つは着陸船の近くに設置される送信アンテナ、もう1つは月面車に搭載されている受信アンテナである。送信アンテナからは、電気信号が発信される。信号は地中を伝わり、着陸船から離れた場所を移動している月面車がそれを受信する。発信された信号と受信された信号を比較することにより、月の土壌の電気的特性を解明することが可能になる。実験の結果は月の石の組成とも矛盾せず、月の地層の表面2キロメートル (1.2マイル) は極めて乾燥していることを示すものだった[21]

月面車

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17号では、15、16号に続いて月面車 (Lunar Roving Vehicle, LRV) が使用された。月面車はステーション (観測地点) の間を単に移動するだけでなく、月面探査のための道具や通信機器、採集したサンプルなどを運んだ[19]。また17号のLRVには横断重力計や月面電気特性の受信機などが搭載されていた[17][21]。17号の月面車の総走行距離は約35.9キロメートル (22.3マイル) 、総走行時間は約4時間26分だった。サーナンとハリソンは、着陸船から最大で7.6キロメートル (4.7マイル) 離れた[22]

宇宙線の影響を調査する動物実験

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17号では、宇宙線が生体に与える影響を調査するための動物実験 (biological cosmic ray experiment, BIOCORE) が行われた。この実験では頭皮の下に放射線測定器が埋め込まれた5匹のポケット・マウス (学名Perognathus longimembris) が宇宙に連れて行かれた[23]

このネズミが選ばれたのは、観察が容易で、身体が小さくて体重も軽く、隔離された状況 (飛行中に水を与える必要がなく、汚物が充満したような状況にも耐えることができた) に保つことができ、環境的なストレスに耐える能力があったからである。飛行終了までに4匹が生き残ったが、1匹については死因は不明である[23]

4匹は後の研究で頭皮と肝臓に病変があるのが発見されたが、双方に関連性は見られず、宇宙線の影響によるものではないと考えられた。また網膜と内臓には何の異常も見られなかった[23]については17号の科学的中間報告書が発表されたときはまだ解剖されていなかった[23]が、その後の研究では特に影響は見られなかった[24]

主要な任務

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発射から月周回軌道まで

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17号の発射。1972年12月7日。

17号は1972年12月7日午前0時33分 (米東部標準時)、ケネディ宇宙センター39A発射台から打ち上げられた。サターン5型ロケットで有人飛行を行うのはこれが最後のことであり、またアポロ計画では唯一、夜間に打ち上げが実行された。発射30秒前に自動停止装置が作動したことにより予定が2時間40分遅れたが、原因は小さなエラーであることがすぐに突き止められた。技術者が対処し、秒読みは打ち上げ22分前の状態から再開したが、ハードウェアの故障で打ち上げが遅れたのはアポロ計画ではこれが唯一の事例であった。発射は成功し、宇宙船は正常に地球周回軌道に乗った[2][25]

深夜であるのにもかかわらず、センター周辺にはおよそ50万人の見物人が訪れたものと見られた。ロケットの炎は800キロメートル彼方からも確認され、マイアミでは北の夜空を赤い光跡が横切るのが目撃された[25]

午前3時46分(東部標準時)、第3段S-IVBのエンジンが再点火され、宇宙船は速度を増し月への軌道へと投入された[2]

12月10日、機械船の主エンジン (Service Propulsion System, SPS) を点火し、宇宙船は月周回軌道に進入した。安定した軌道に乗ると、飛行士らはタウルス・リットロウ渓谷への着陸の準備を開始した[2]

月面着陸

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着陸船「チャレンジャー」を司令・機械船から切り離した後、サーナンとシュミットは軌道を修正し、タウルス・リットロウへの降下の準備を始めた。一方その間、司令船操縦士のエヴァンスは軌道上に残り、月面の観察や実験を行い、数日後の仲間の帰還を待った[2][26]

準備完了後、ただちに降下が開始された。数分後、着陸船は姿勢を月面に対して垂直にし、飛行士らは目標地点を目視することが可能になった。サーナンが理想的な着陸地点を探す一方で、シュミットはコンピューターからのデータを読み上げた。12月11日午後2時55分 (東部標準時)、チャレンジャーは月面に着陸した。2人の飛行士はただちに船内を月面滞在モードに設定し、第1回船外活動の準備を開始した[2][26]

月面

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月面に立つサーナン。1972年12月13日。

第1回船外活動は、着陸からおよそ4時間後の12月11日午後6時55分に始まった。飛行士らの最初の任務は、月面車やその他の機器を着陸船の格納庫から下ろすことだった。月面車を組み立てているとき、サーナンは誤ってハンマーをひっかけて右後部のフェンダーを破損させてしまった。同じことは16号でもヤング船長がやっており、さして深刻な問題とは言えなかったものの、このおかげでサーナンとシュミットは走行中に月面からはね上げられる砂埃にまみれることになってしまった[27]ダクトテープで折れたフェンダーを貼りつけようとしたがうまくいかず、計画終了までテープは砂埃に耐えることはできなかった[28]。その後飛行士らは、ALSEP (アポロ月面実験装置群) を着陸地点のすぐ西に設置した。作業終了後、両名は最初の地質学的探査に出発し、14キログラムの資料を採取した。また7箇所で重力計の測定をし、2箇所に爆薬をセットした。これは後に地上からの遠隔操作で爆破され、その振動を17号以前の飛行で月面に設置された換振器 (geophone) や地震計が感知した[29]。船外活動は7時間12分で終了した[2][30]

17号の着陸地点。2011年、ルナー・リコネッサンス・オービターが撮影。
17号が採集した月の砂 (レゴリス)。

12月12日午後6時28分 (東部標準時)、サーナンとシュミットは第2回船外活動を開始した。この日の最初の任務は、前日破損させてしまった月面車の右後輪のフェンダーを修理することだった。クロノパック (cronopaque) という4枚の地図をダクトテープで貼り合わせ、走行中に砂が降りかからないよう後輪フェンダーに固定した[27][28][31]。今回は峡谷で、オレンジ色の土壌を含むいくつかの異なる種類の資料が発見された。7時間37分の活動の間に34キログラムのサンプルを採集し、ALSEPで3つの機器を設置し、7箇所で重力計の測定をした[2]

アポロ計画において最後のものとなる第3回船外活動は、12月13日午後5時26分 (東部標準時) に開始された。今回は66キログラムのサンプルが採取され、9箇所で重力計測定が行われた。活動終了前に飛行士は角礫岩を採集し、それをテキサス州ヒューストンの管制センターに当時参加していた複数の国々に捧げた。また着陸船の脚にはめ込まれていた、アポロ計画の業績を称える銘板の覆いが外された。最後に着陸船に帰還する前、船長ジーン・サーナンは自らの思いを次のように表した:[2]

...私は今、月面にいます。そして人類として最後の足跡を残して故郷に帰りますが、必ずまた戻ってきます。それは決して遠くない将来であると信じます。私は、歴史が記録に残すであろうと信じている、とだけ言いたいと思います。それはアメリカの今日の挑戦が、人類の明日の運命を切り開いたことをです。我々はここに来たときと同じように、ここ月面のタウルス・リットロウを去りますが、神の御心のままに、すべての人類のための平和と希望とともに私たちは必ず戻ってきます。17号の搭乗員たちを神が見守ってくださいますように[32]

約7時間15分の船外活動を終え、サーナンは着陸船に帰還し、シュミットも後に続いた[2]

地球への帰還

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17号の着水後の回収作業。

12月14日午後5時55分 (東部標準時)、サーナンとシュミットが乗る上昇段は月面から離陸し、軌道上で待機するエヴァンスが乗る司令・機械船とのランデブードッキングに成功した。上昇段は地球に持ち帰る機器やサンプルを移し替えたのち密封され、12月15日午前1時31分に切り離された。その後地上からの遠隔操作で月面に衝突させられ、その衝撃を17号やそれ以前の飛行で月面に設置された地震計が計測した[2][33]

12月17日午後3時27分 (東部標準時)、地球への帰還途中でエヴァンスは1時間7分の船外活動を行い、機械船の科学機器搭載区画から露光フィルムを回収することに成功した[2]

12月19日、役目を終えた機械船が切り離された。17号はもはや司令船のみとなり、大気圏再突入に備えた。午後2時25分、17号は太平洋に着水した。回収船タイコンデロガからは6.4キロメートル の地点であった。サーナン、エヴァンス、シュミットらはヘリコプターにホイスト (釣り上げ) され、着水から52分後に艦上の人となった[2][33]

宇宙船の現在の状態

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ジョンソン宇宙センターに展示されているアポロ17号司令船

司令船「アメリカ」は、現在はテキサス州ヒューストンにあるジョンソン宇宙センターの、ヒューストン宇宙センターに展示されている[34]

着陸船「チャレンジャー」の上昇段は、1972年12月15日午前6時50分20秒8 (UTC、東部標準時午前1時50分) に月面上北緯19度58分 東経30度30分 / 北緯19.96度 東経30.50度 / 19.96; 30.50 (Apollo 17 LM ascent stage)に衝突した[34]。下降段は着陸地点北緯20度11分27秒 東経30度46分18秒 / 北緯20.19080度 東経30.77168度 / 20.19080; 30.77168 (Apollo 17 LM descent stage)に現存している[1]

2009年2011年に、ルナー・リコネサンス・オービターは17号の着陸地点をより低軌道から撮影した[35]

物語における描写

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17号の飛行計画の一部は、1998年HBO制作のテレビシリーズ「フロム・ジ・アース/人類、月に立つ」の中で、第12話「月世界旅行 (Le Voyage Dans La Lune)」というタイトルでドラマ化されている[36]

ホーマー・ヒッカム (Homer Hickam) の1999年の小説「月への帰還 (Back to the Moon)」の導入部は、17号の第2回月面活動から始まっている。この小説では、飛行士が発見したオレンジ色の土壌が物語の大きなヒントとなっている[37]

ダグラス・プレストン (Douglas Preston) の2005年の小説「ティラノサウルスの峡谷 (Tyrannosaur Canyon)」は、17号の月面活動の描写および公式記録に残されているそのときの飛行士の会話から始まっている[38]

また17号の飛行士をイメージして、フィクションとして「最後に月面を歩いた男」を描いた映画や小説、テレビドラマは数多くある。その中の一つが、テレビドラマ「600万ドルの男 (The Six Million Dollar Man)」の主人公スティーブ・オースティン (Steve Austin) である。このドラマの原作となった1972年の小説「サイボーグ (Cyborg)」では、オースティンは「17号の飛行で遠ざかる」地球を目撃したことを記憶しているという設定になっていた[39]。1998年の映画「ディープ・インパクト」では、ロバート・デュヴァル (Robert Duvall) が演じる宇宙飛行士スパージョン・“フィッシュ”・タナー (Spurgeon "Fish" Tanner) は、モーガン・フリーマン (Morgan Freeman) が演じる大統領の共同記者会見の場面で「月面を歩いた最後の男」と描写されていた[40]

アニメアルドノア・ゼロ」では、17号が月面で、地球と火星を繋ぐ滅亡した古代文明の遺産「ハイパーゲート」を発見したことになっている。この発見は、物語の歴史改変SFにおける分岐点となっている。

映像

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脚注

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  1. ^ a b Orloff, Richard W. (September 2004) [First published 2000]. “Table of Contents”. Apollo by the Numbers: A Statistical Reference. NASA History Series. Washington, D.C.: NASA. ISBN 0-16-050631-X. LCCN 00-61677. NASA SP-2000-4029. オリジナルの23 August 2007時点におけるアーカイブ。. http://history.nasa.gov/SP-4029/Apollo_00g_Table_of_Contents.htm 24 July 2013閲覧。 
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n Wade, Mark. “Apollo 17”. Encyclopedia Astronautica. 22 August 2011閲覧。
  3. ^ Apollo 17 Mission Overview”. Apollo Lunar Surface Journal. 25 August 2011閲覧。
  4. ^ a b c d Landing Site Overview”. Apollo 17 Mission. Lunar and Planetary Institute. 23 August 2011閲覧。
  5. ^ December 11, 1972 – Longest lunar stay by humans”. Today in Space History. 25 August 2011閲覧。
  6. ^ Extravehicular Activity”. NASA. 18 November 2004時点のオリジナルよりアーカイブ。25 August 2011閲覧。
  7. ^ a b Apollo 17 Crew”. The Apollo Program. Washington, D.C.: National Air and Space Museum. 26 August 2011閲覧。
  8. ^ a b c A Running Start – Apollo 17 up to Powered Descent Initiation”. Apollo Lunar Surface Journal. 25 August 2011閲覧。
  9. ^ Astronaut Bio: Joe Henry Engle”. NASA. 25 August 2011閲覧。
  10. ^ a b “2 Astronauts Quitting Jobs And Military”. Toledo Blade. Associated Press. (24 May 1972). https://news.google.com/newspapers?id=plwxAAAAIBAJ&sjid=6wEEAAAAIBAJ&pg=7112,4977778&dq=roosa+apollo+17&hl=en 26 August 2011閲覧。 
  11. ^ “Apollo crew warned about commercialism”. The Free Lance-Star. (1 August 1972). https://news.google.com/newspapers?id=kAsUAAAAIBAJ&sjid=94oDAAAAIBAJ&pg=5667,8302&dq=apollo+17+backup+crew&hl=en 26 August 2011閲覧。 
  12. ^ Slayton & Cassutt 1994, p. 279
  13. ^ Astronaut Bio: Robert Overmyer”. NASA. 26 August 2011閲覧。
  14. ^ Astronaut Bio: Robert Allan Ridley Parker”. NASA. 26 August 2011閲覧。
  15. ^ Astronaut Bio: C. Gordon Fullerton”. NASA. 26 August 2011閲覧。
  16. ^ a b Apollo Mission Insignias”. NASA. 21 July 2011時点のオリジナルよりアーカイブ。25 August 2011閲覧。
  17. ^ a b c Apollo 17 Traverse Gravimeter Experiment”. Apollo Lunar Surface Journal. 23 August 2011閲覧。
  18. ^ Mason, Betsy (20 July 2011). “The Incredible Things NASA Did to Train Apollo Astronauts”. Wired Science (Condé Nast Publications). http://www.wired.com/wiredscience/2011/07/moon-landing-gallery/?pid=1688&viewall=true 23 August 2011閲覧。 
  19. ^ a b c d e f g h i Apollo 17 Press Kit” (PDF). Washington, D.C.: NASA (26 November 1972). 21 July 2011時点のオリジナルよりアーカイブ。26 August 2011閲覧。
  20. ^ Osborne, W. Zachary; Pinsky, Lawrence S.; Bailey, J. Vernon (1975). “Apollo Light Flash Investigations”. Biomedical Results of Apollo. Foreword by Christopher C. Kraft, Jr.. Washington, D.C.: NASA. NASA SP-368. https://lsda.jsc.nasa.gov/books/apollo/S4CH2.htm 26 August 2011閲覧。 
  21. ^ a b Surface Electrical Properties”. Apollo 17 Science Experiments. Lunar and Planetary Institute. 26 August 2011閲覧。
  22. ^ The Apollo Lunar Roving Vehicle”. NASA. 26 August 2011閲覧。
  23. ^ a b c d Bailey. O.T., et al. (1973). “26. Biocore Experiment”. Apollo 17 Preliminary Science Report (NASA SPP-330). http://the-moon.wikispaces.com/NASA+SP-330 
  24. ^ Haymaker, Webb; Look, Bonne C.; Benton, Eugene V.; Simmonds, Richard C. (January 1, 1975). “The Apollo 17 Pocket Mouse Experiment (Biocore)”. In Johnston, Richard S.; Berry, Charles A.; Dietlein, Lawrence F.. SP-368 Biomedical Results of Apollo (SP-368). Lyndon B. Johnson Space Center. OCLC 1906749. http://history.nasa.gov/SP-368/s4ch4.htm 
  25. ^ a b Apollo 17 Launch Operations”. NASA. 16 November 2011閲覧。
  26. ^ a b Landing at Taurus-Littrow”. Apollo Lunar Surface Journal. 22 August 2011閲覧。
  27. ^ a b ALSEP Off-load”. Apollo Lunar Surface Journal. 24 August 2011閲覧。
  28. ^ a b Phillips, Tony (April 21, 2008). “Moondust and Duct Tape”. Science@NASA. NASA. 24 August 2011閲覧。
  29. ^ Brzostowski, Matthew; Brzostowski, Adam (April 2009). “Archiving the Apollo active seismic data”. The Leading Edge (Tulsa, OK: Society of Exploration Geophysicists) 28 (4): 414-416. doi:10.1190/1.3112756. ISSN 1070-485X. http://tle.geoscienceworld.org/content/28/4/414.abstract 12 June 2014閲覧。. 
  30. ^ The First EVA”. Apollo Lunar Surface Journal. 16 July 2011時点のオリジナルよりアーカイブ。22 August 2011閲覧。
  31. ^ Preparations for EVA-2”. Apollo Lunar Surface Journal. 24 August 2011閲覧。
  32. ^ EVA-3 Close-out”. Apollo Lunar Surface Journal. 18 July 2011時点のオリジナルよりアーカイブ。22 August 2011閲覧。
  33. ^ a b Return to Earth”. Apollo Lunar Surface Journal. 22 August 2011閲覧。
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  35. ^ NASA Spacecraft Images Offer Sharper Views of Apollo Landing Sites”. NASA (September 6, 2011). 24 July 2013閲覧。
  36. ^ From the Earth to the Moon - Season 1, Episode 12: Le Voyage Dans La Lune”. TV.com. San Francisco, CA: CBS Interactive. 26 August 2011閲覧。
  37. ^ Hickam 1999, pp. 3–8
  38. ^ Anderson, Patrick (19 September 2005). “Rex Marks the Spot”. The Washington Post. https://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2005/09/18/AR2005091801146.html 24 August 2011閲覧。 
  39. ^ Caidin 1972, p. 15
  40. ^ Deep Impact quotes”. Subzin.com. 24 July 2013閲覧。

参照

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外部リンク

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