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{{Sakujo/本体|2014年7月5日|教祖}} |
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{{出典の明記|date=2014年7月5日 (土) 19:56 (UTC)}} |
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'''教祖'''('''きょうそ''')とは、[[宗教]]や[[宗派]]の創始者もしくは(必ずしも歴史的には裏付けられなくても)創始者として崇められている人のことである。 |
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== 概要 == |
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一般的には、存命中の[[新興宗教]]開祖者に対して使われる。また、創始者に限らず宗教団体の代表者を教祖と呼ぶことがある。教祖のなかには、[[ワールドメイト]]の[[深見東州]]のように、会社経営、執筆業、歌手活動などをおこなう者もいる<ref>{{cite web|url=http://www.oricon.co.jp/entertainment/column/yoshidago/vol007.html|title=吉田豪のギリギリレビュー!! Vol.7 深見東州『アメリカンポップス&J-POPS・ライブ名曲集』|work=[[ORICON STYLE]]|author=[[吉田豪]]|date=2012-07-03|accessdate=2014-07-05}}</ref>。日本において女性が新宗教の教祖を占める割合は高く、[[璽宇]]の[[璽光尊]]や[[天照皇大神宮教]]の[[北村サヨ]]らは、男性中心主義の社会に対して異議を唱えていた<ref>{{cite book|和書|author=[[井上順孝]]|title=宗教社会学がよ~くわかる本 現代を知るためのビジュアル入門書|publisher=[[秀和システム]]|year=2007|page=168}}</ref>。 |
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また、ある流行を作り出した人物に対して、それを慕う人々が教祖と呼ぶことがある(例・「ギャルの教祖」[[浜崎あゆみ]]<ref>{{cite web|url=http://www.premiumcyzo.com/modules/member/2013/07/post_4335/|title=宇多田ヒカルが”ブーム”を終わらせた!? ディーヴァの進化と退化の20年史|work=[[サイゾー|サイゾーpremium]]|date=2013-07-21|accessdate=2014-07-05}}</ref>、「10代の教祖」[[尾崎豊]]<ref>{{cite web|url=http://realsound.jp/2013/11/30-2.html|title="反抗の教祖"は尾崎豊の一面にすぎないーー今こそ音楽家としての功績を振り返る|work=[[Real Sound]]|date=2013-11-24|accessdate=2014-07-05}}</ref>、「恋愛の教祖」[[古内東子]]<ref>{{cite web|url=http://mdpr.jp/music/detail/1345296|title=Ms.OOJA、1年振りのニューシングルは“恋愛の教祖”古内東子が手がけた「大人の片想い」ソング|work=[[モデルプレス]]|date=2014-04-01|accessdate=2014-07-05}}</ref>)。 |
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教祖と呼ばれている当事者が、その自らの活動による社会への影響力について、[[宗教]]としての指導性を認識しない、あるいは主張しない、つまりは宗教的[[信仰]][[対象]]として自負を表明しないのに、この教祖という言葉を当てはめて使用するのは、むしろその「それを慕う人々」が自主的に使用するのでは無く、ある流行の中心となっている人物に対する、その熱烈な支持者群を揶揄して例える用法として比較的容易に使われる(例・「あいつは熱烈な(個人名)信者だから。なにせ(個人名)は、(個人名)教の教祖だしね」)。 |
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[[ロバート・ニーリー・ベラー]]の「宗教進化論」や[[森岡清美]]の「民衆宗教教祖論」において、教祖は「伝統的な[[儀礼主義]]や[[偶像崇拝]]を排除して超越的な聖性をうちたてた」存在だとされている<ref>{{cite book|和書|title=教祖とその周辺|editor=宗教社会学研究会|publisher=[[雄山閣]]|page=24|year=1987}}</ref>。近年の研究において、新宗教の教祖は主に[[シャーマン]]として位置づけられており、[[天理教]]の[[中山みき]]、[[立正佼成会]]の[[長沼妙佼]]らは元来「シャーマン的職能者」だったといわれている<ref>{{cite book|和書|title=日本の深層文化序説 三つの深層と宗教|author=[[津城寬文]]|publisher=[[玉川大学出版部]]|year=1995|pages=270-273}}</ref>。 また、[[対馬路人]]・[[西山茂]]・[[島薗進]]・[[白水寛子]]は論文「新宗教における生命主義的救済観」のなかで、新宗教の教祖が「生き神」として機能していることは[[農耕社会]]に由来するものだ、と論じている<ref>{{cite journal|和書|author=[[対馬路人]]・[[西山茂]]・[[島薗進]]・[[白水寛子]]|title=新宗教における生命主義的救済観|journal=思想|volume=665|publisher=[[岩波書店]]|year=1979|pages=92-100}}</ref>。一方、[[鎌田東二]]は、[[出口王仁三郎]]ら新宗教の教祖に[[トリックスター]]の側面を見いだしている<ref>{{cite book|和書|author=[[鎌田東二]]|title=神界のフィールドワーク 霊学と民俗学の生成|publisher=[[創林社]]|year=1985|pages=66, 71-73, 96-99}}</ref>。 |
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== 日本語の語彙としての教祖の使われ方 == |
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一般に、宗教上の[[指導者]]を示す言葉として、彼および彼ら団体自らが、指導者自身、若しくは自らの[[集団]]の[[最高指導者]](若しくはその宗派の[[開祖]]とされる[[人物]])をして、教祖と称することは稀である{{Refnest|group="注"|中には[[パーフェクト リバティー教団|PL教団]]や[[天理教]]のように公式の称号として「教祖」を用いている団体も存在する<ref>{{cite web|url=http://www.perfect-liberty.or.jp/kyouso.html|title=歴代教祖|work=[[PL教団]]|accessdate=2014-07-05}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.tenrikyo.or.jp/jpn/tenri/foundation/|title=信仰となりたち|work=[[天理教]]|accessdate=2014-07-05}}</ref>。}}。 |
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[[キリスト教徒]]が[[イエス・キリスト]]を、(キリスト教について全く知識の無い他者に紹介する場合は別として)「我等の教祖」とは、絶対に口にはしない。少なくとも日本語の語彙として、教祖という言葉は、ある宗教の指導者や、その創始者を第三者が理解する、若しくはさせうる上で、便宜上使われる言葉として理解するのが正しい。 |
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== 脚注 == |
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=== 注釈 === |
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{{Reflist|group="注"}} |
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=== 出典 === |
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{{Reflist}} |
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== 参考文献 == |
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* [[上之郷利昭]] 『教祖誕生』 ISBN 4103670010 ISBN 4061857398 |
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* [[早川和廣]] 『[[新興宗教]]教祖のウラの裏がわかる本』 ISBN 4893740210 |
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* [[秋山真人]] 『大教祖様養成講座』 ISBN 4900779016 |
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* [[米本和広]] 『教祖逮捕―「カルト」は人を救うか』 ISBN 4796617191 |
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== 関連項目 == |
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*[[カリスマ]] |
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*[[スティグマ]] |
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{{デフォルトソート:きようそ}} |
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[[category:宗教]] |
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[[category:新宗教の神]] |
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[[Category:宗教の称号・役職]] |
2014年7月14日 (月) 05:39時点における最新版
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