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「ナッシュビル・プレデターズ」の版間の差分

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|英語表記 = Nashville Predators
|英語表記 = Nashville Predators
|本拠 = [[テネシー州]][[ナッシュビル]]
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|創設年度 = [[1998年]]
|チームロゴ = Nashville Predators Logo (2011).svg
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|アリーナ = [[ブリヂストン・アリーナ]]
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|ームカラー = 青、金
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|チームカラー = 黄金、濃紺、白<ref name="Preds Unveil New Logos">{{cite web |url=http://predators.nhl.com/club/news.htm?id=566603 |title=Preds Unveil New Logos |publisher=Nashville Predators |accessdate=June 22, 2011}}</ref>
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|オーナー = プレデターズ・ホールディングス
|ゼネラルマネージャー = デッド・ポイル
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|ヘッドコーチ = バリー・トロ
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|}}

'''ナッシュビル・プレデターズ'''('''Nashville Predators''')は[[アメリカ合衆国]][[テネシー州]][[ナッシュビル]]を本拠としている[[ナショナルホッケーリーグ]]([[NHL]])所属のプロ[[アイスホッケー]]チームである。
'''ナッシュビル・プレデターズ'''('''Nashville Predators''')は[[アメリカ合衆国]][[テネシー州]][[ナッシュビル]]を本拠としているプロ[[アイスホッケー]]チーム。[[ナショナルホッケーリーグ]]([[NHL]])[[ウェスタン・カンファレンス (NHL)|ウェスタン・カンファレンス]]・[[セントラル・ディビジョン (NHL)|セントラル・ディビジョン]]に所属している。


== 歴史・チームについて ==
== 歴史・チームについて ==
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*[[ナッシュビル]]は Music city と呼ばれているように、各ピリオド間にはバンドの生演奏も行われる。
*[[ナッシュビル]]は Music city と呼ばれているように、各ピリオド間にはバンドの生演奏も行われる。
*初試合は[[1998年]][[10月10日]]にホームで行われた対[[フロリダ・パンサーズ]]戦で0対1で敗れた。
*初試合は[[1998年]][[10月10日]]にホームで行われた対[[フロリダ・パンサーズ]]戦で0対1で敗れた。
*チーム発足時から在籍している選手は、デービッド・レグワンド(David Legwand, チーム史上初のドラフト指名選手)のみである。また、後述のうに、GMとヘッドコーチは変わったことがない。
*チーム発足時から在籍していデービッド・レグワンド(チーム史上初のドラフト指名選手)ヘッドコーチであったバリー・トロツは2014年でチームの職を離れた。またゼネラル・マネージャーは変わったことがない。


== チームの歴史 ==
== チームの歴史 ==
=== 歴代ヘッドコーチ ===
=== 誘致 ===
1995年終盤、[[ニュージャージー・デビルス]]がナッシュビル・アリーナ(現ブリヂストン・アリーナ)に移転するという噂が流れ始めた<ref>{{Cite news| url=http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=990CE4DF1F3AF93AA15755C0A963958260 | work=The New York Times | title=HOCKEY; Fans Caught Between Devils and Nashville | first=Neil | last=MacFarquhar | date=June 29, 1995 | accessdate=May 19, 2010}}</ref>。ナッシュビルは移転してくるチームに2千万ドルを提示し、デビルスは[[ニュージャージー州]]とのリースを終了しようとしたが結局ニュージャージー州に留まることになった<ref>{{Cite news| url=http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=990CE7DA123DF93BA35755C0A963958260&scp=61&sq=nashville+devils&st=nyt | work=The New York Times | title=1995 N.H.L. PLAYOFFS; Devils Reject Offer on New Lease | first=Richard | last=Sandomir | date=June 8, 1995 | accessdate=May 19, 2010}}</ref><ref>{{Cite news| url=http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=990CEFDA173AF937A25754C0A963958260&scp=104&sq=nashville+devils&st=nyt | work=The New York Times | title=HOCKEY; Devils and New Jersey Call Truce and Strike Deal | first=Richard | last=Sandomir | date=July 14, 1995 | accessdate=May 19, 2010}}</ref>。
*初代 バリー・トロッツ (Barry Trotz, 1998~)


=== 1997年-1998年: NHL拡張およびプレデターズの加入 ===
=== 歴代GM ===
デビルス獲得失敗後、NHL理事ゲイリー・ベットマンはナッシュビルが拡張の候補地に挙がるだろうと記した<ref>{{Cite news| url=http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=990CE0D71E3BF937A25754C0A963958260&scp=105&sq=nashville+devils&st=nyt | work=The New York Times | title=HOCKEY; Nashville Still Seeks Team | date=July 14, 1995 | accessdate=May 19, 2010}}</ref>。ホッケーの代わりに[[NBA]]の[[サクラメント・キングス]]を獲得しようとしたが失敗し、1996年にアリーナが開業した<ref name=si>[http://sportsillustrated.cnn.com/vault/article/magazine/MAG1014493/2/index.htm Hockey-tonk Town], ''[[Sports Illustrated]]''</ref>。
*初代 デービッド・ポイル (David Poile, 1998~)


1997年1月、[[ウィスコンシン州]]の実業家クレイグ・レイポルド率いる一団がNHL拡張に関して公式発表を行なった<ref>{{Cite news| url=http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9F03E5DA1038F937A25752C0A961958260&scp=177&sq=nashville+franchise&st=nyt | work=The New York Times | title=Cities Line Up To Join The N.H.L | first=Frank | last=Litsky | date=January 14, 1997}}</ref>。ベットマンとNHL職員がナッシュビルのアリーナを訪れた際、何千もの人々がアリーナ前の広場で出迎えた。6月、NHLは[[オハイオ州]][[コロンバス (オハイオ州)|コロンバス]]([[コロンバス・ブルージャケッツ]])、[[ジョージア州]][[アトランタ]]([[アトランタ・スラッシャーズ]])、[[ミネソタ州]][[ミネアポリス・セントポール都市圏]]([[ミネソタ・ワイルド]])そしてナッシュビルに拡張する決定を下した。NHLは1998年3月31日までに1万2千枚のシーズン・チケットを売ることを条件に、ナッシュビルのチームの試合を1998年に開始する予定にした<ref>{{Cite news| url=http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9B07E7D9163EF93BA25755C0A961958260&scp=185&sq=nashville+franchise&st=nyt | work=The New York Times | title=N.H.L. Names 4 Cities For Its New Franchises | date=June 18, 1997 | accessdate=May 19, 2010}}</ref>。上記4都市中、アリーナが完成していたのはナッシュビルだけだったため最初に試合を開始した。1ヶ月後、レイポルドは[[ワシントン・キャピタルズ]]の元ゼネラル・マネージャーであるデイヴィッド・ポイルをチームの初代ゼネラル・マネージャーに任命した<ref>"NHL Expansion Franchise Nashville Chooses Poile For GM".''[[Boston Globe]]''. July 10, 1997.</ref>。8月6日、ポートランド・パイレーツのヘッド・コーチであったバリー・トロツがチームの初代ヘッド・コーチに任命され<ref name="autogenerated1">[http://www.wsmv.com/sports/13383940/detail.html Nashville Predators Timeline - Sports News Story - WSMV Nashville<!-- Bot generated title -->]</ref>、ミッチ・コーンが初代ゴール・コーチに任命された。
=== 歴代キャプテン ===
*初代 トム・フィッツジェラルド (Tom Fitzgerald, 1998~2002)
*2代目 グレッグ・ジョンソン(Greg Johnson, 2002~2006)
*3代目 キーモー・ティモネン(Kimmo Timonen, 2006~2007)
*4代目 ジェーソン・アーノット(Jason Arnott, 2007~2010)
*5代目 シェー・ウェバー (Shea Weber, 2010~)


1997年9月25日、レイポルドとチームの会長ジャック・ディラーは記者会見で[[剣歯虎|サーベルタイガー]]([[スミロドン]]・フロリダナス)を基にした新しいロゴを発表した<ref name="autogenerated1" />。このロゴは、1971年にナッシュビルのダウンタウンでファースト・アメリカン国立銀行(現[[USBタワー (ナッシュビル)|USBタワー]])建設中にスミロドンの頭部の一部が発見されたことに由来する
ウェバーが生え抜き選手では初となるキャプテンに就任した。
<ref>{{Cite news
また、元[[ワシントン・キャピタルズ]]のスコット・ウォーカー (Scott Walker)は2003年1月に数試合、ジョンソンの代理でキャプテンをつとめている。
| last = Ingram
| first = Tom
| title = Specialists to Study Cave Bones
| newspaper = [[::en:Nashville Tennessean|Nashville Tennessean]]
| page = 7
| date = October 2, 1971
}}</ref><ref>{{Cite journal
| last = Guilday
| first = John E.
| title = Sabertooth Cat, Smilodon Floridanus (Leidy), and Associated Fauna From a Tennessee Cave (40DV40), the First American Bank Site.
| journal = Journal of the Tennessee Academy of Science
| volume = 52
| issue = 3
| pages = 84–94
|date=July 1977}}</ref>。

ロゴが発表された後、チーム名のファン投票が行われた。75の候補から「アイス・タイガース」、「フュアリ」(猛威)、「アタック」の3つに絞られた。レイポルドは特例で「プレデターズ」を追加した。11月13日、レイポルドは記者会見において自分が挙げた候補が選ばれ、「ナッシュビル・プレデターズ」となることを発表した<ref name="autogenerated1" />。

ある時、初試合前にすでに移転する噂が流れ始めた。レイポルドの計画により[[カナダ]]の[[アルバータ州]][[エドモントン]]を拠点とする[[エドモントン・オイラーズ]]がナッシュビルに移転し、プレデターズが[[テキサス州]][[ヒューストン]]へ移転するという噂であった。レイポルドはこの噂に対して「そんな機会はない」と一蹴した<ref>{{Cite news| url=http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9C04E7DE103CF930A25751C0A96E958260&scp=4&sq=nashville+leipold&st=nyt | work=The New York Times | title=PLUS: N.H.L. -- NASHVILLE; Owner Denies Franchise Swap | date=February 13, 1998 | accessdate=May 19, 2010}}</ref>。

NHL加盟の費用8千万ドルのうちナッシュビル市が31.50%を負担することとなった。市がアリーナを操業することになり、約380万ドルを負担することになった<ref>http://www.nashville.gov/council/docs/analysis/080415.pdf</ref>。人件費は1,500万ドルでNHL最安値となった<ref name=si/>。

1998年10月10日、プレデターズは[[フロリダ・パンサーズ]]とのホーム・ゲームで1対0で敗退した。プレデターズ最初の5試合で完売したのはこの試合のみであった。3日後の10月13日、[[カロライナ・ハリケーンズ]]との試合で3対2で初勝利をおさめた。フォワードのアンドリュー・ブルネットが初ゴールを決めた。


== プレデターズシーズンレキャップ ==
== プレデターズシーズンレキャップ ==
;1998-99
*1998-99 参戦1年目。新チームの1年目の成績としてはNHL歴代3位に入る28勝をあげる(勝ち点63)。
参戦1年目。新チームの1年目の成績としてはNHL歴代3位に入る28勝をあげた(勝ち点63)。28勝47敗7引分でウエスタン・カンファレンスで13チーム中12位であった。
*1999-00 昨年度活躍したベテランらを放出して、若手主体のチームとして再び28勝をあげた(勝ち点70)。
;1999-00
*2000-01 この年は[[さいたまスーパーアリーナ]]で開幕。チームは34勝36敗と善戦、勝ち点80を獲得。最後の一週間までプレーオフ圏内にとどまるなど、三年目にして飛躍を見せた。
昨年度活躍したベテランらを放出して、若手主体のチームとして再び28勝をあげた(勝ち点70)。前年とあまり変わらない28勝47敗7引分7[[シュートアウト]]だったが、カンファレンス13チーム中最下位となった。2000年2月20日の対[[ニューヨーク・アイランダーズ]]戦においてプレデターズは3分38秒で4ゴールを決めた。
*2001-02 シーズン中にオルターネート・ジャージー(3rd Jersey)をデビューさせる。一方のチームは全体的に振るわず、成績がまた28勝に戻る。シーズン終盤には、チーム創設時から貢献してきたベテラン選手の大量放出を行い、世代交代を押し進めた。
;2000-01
*2002-03 開幕直後はつまずいたものの、中盤の快進撃でプレーオフ圏内へと浮上。しかし3月に、チーム得点王のレグワンドが骨折すると、それに影響されたのかチームも大失速。結局チーム史上ワーストとなる27勝に終わる。
この年は[[さいたまスーパーアリーナ]]での対[[ピッツバーグ・ペンギンズ]]戦2試合で開幕した。日本のアイスホッケー史上最高の観客動員の中、それぞれが1勝した。[[ゴールテンダー]]のマイク・ダンハムとトーマス ・ヴォコアンの活躍により、カンファレンス15チーム中10位で34勝36敗9引分3シュートアウトと善戦、勝ち点80を獲得した。最後の一週間までプレーオフ圏内にとどまるなど、三年目にして飛躍を見せた。最終的に10点差でプレーオフ圏外となった。
*2003-04 オフシーズンにはディフェンスマン6人中4人を放出する大規模な入れ替えを行い、当時チーム記録となる91ポイントを上げ第8シードでプレーオフ初参加。強敵[[デトロイト・レッドウィングス]]相手に第6戦まで粘ったものの2勝4敗で敗れ去った。
;2001-02
*2004-05 [[2004年から2005年のNHLロックアウト]]により全試合中止
シーズン中に第3ジャージが披露された。一方のチームは全体的に振るわず、成績がまた28勝に戻った。シーズン終盤には、チーム創設時から貢献してきたベテラン選手の大量放出を行い、世代交代を押し進めた。2001年12月6日、プレデターズ史上100勝となった。これにより1990年代のNHL拡張で編成されたチームの中で最も早く100勝に到達した。シュートアウトに恵まれず、28勝41敗13引分0シュートアウトとなり、勝ち点69でカンファレンス15チーム中14位となった。
*2005-06 スピードを重視するナッシュビルに有利になるルール変更があっただけでなく、大スター・[[ポール・カリヤ]](Paul Kariya)を獲得した。シーズンではまたしても当時チーム記録の106ポイントをあげ、ホームアドバンテージを持つ第4シードに食い込むが、プレーオフでは[[サンノゼ・シャークス]]相手に1勝4敗で1回戦敗退。
;2002-03
*2006-07 1ヶ月近い間、30チーム中1位の成績を維持し、[[プレジデンツトロフィー]](会長賞)も視野に入っていたのだが、終盤に失速。それでもチーム記録の110ポイントをあげた。プレーオフでは前年に引き続き、シャークスと対戦することになったが、最終的に2年連続の1勝4敗、3年連続の1回戦敗退に終わる。
バリー・トロツ監督が監督試合数392でNHL拡張チームの初代監督の中で最高となった。開幕直後はつまずいたものの、中盤の快進撃でプレーオフ圏内へと浮上した。しかし3月に、チーム得点王のレグワンドが骨折すると、それに影響されたのかチームも大失速した。結局チーム史上ワーストとなる27勝に終わった。27勝35敗13引分7シュートアウト、勝ち点74でカンファレンス14位となった。
*2007-08 オーナーの財政難、それに伴う移転問題(後述)もあり、主力を大量放出せざるを得なくなったプレデターズは、過去2年に比べ苦戦。最終的にカンファレンス8位ギリギリで、4年連続のプレーオフ進出を決めたものの、レッドウィングス相手に太刀打ちできるわけがなく、2勝4敗で4年連続プレーオフ1回戦敗退となった。
;2003-04
*2008-09 アレキサンダー・ラデュロブ (Alexander Radulov) の二重契約問題でいきなりシーズンに暗雲が漂ったプレデターズは、序盤からカンファレンス最下位を争う低空飛行。その後チームは持ち直して、一時はプレーオフ圏内まで上るが、最終的に[[セントルイス・ブルース]]や[[アナハイム・ダックス]]に阻まれ、5年連続のプレーオフ進出はならなかった。
オフシーズンにはディフェンスマン6人中4人を放出する大規模な入れ替えを行い、当時チーム記録となる91ポイントを上げ、バリー・トロツ監督のもとプレデターズはカンファレンス15チーム中8位となり、プレーオフに初参加した。カンファレンス準々決勝で強敵[[デトロイト・レッドウィングス]]相手に第6戦まで粘ったものの2勝4敗で敗れ去った。
*2009-10 攻撃力不足は解決しなかったものの、若手選手の台頭やチーム力で勝利を積み重ね、最終戦でチーム史上3度目となる100ポイントに到達した。が、カンファレンス7位で臨んだプレーオフでは、一回戦で後の覇者・ブラックホークスと激突。あえなく敗退する。一回戦で後の覇者と対戦するのは2回連続である。
;2004-05
*2010-11 またしても攻撃力不足に悩まされるが、ペカ・リネー (Pekka Rinne) が最優秀ゴーリー (ヴェジナ・トロフィー) 投票で、キャプテンのウェバーが最優秀ディフェンスマン (ノリス・トロフィー) 投票で、ともに2位になるなどの活躍で、4度目の100ポイントこそ僅差で逃したものの、カンファレンス5位で、2年連続6度目のプレーオフ進出。1回戦では[[アナハイム・ダックス]]と対戦し、4勝2敗で、6度目にして初めてプレーオフ2回戦進出を果たした。
[[2004年から2005年のNHLロックアウト]]により全試合中止
*2011-12 シーズン前に新しいロゴとユニフォームを導入。
;2005-06
スピードを重視するプレデターズに有利になるルール変更があっただけでなく、大スターの[[ポール・カリヤ]]を獲得した。最初の4試合を1点差で勝利した。ただしうち2試合はシュートアウトでの勝利でありこれについては前年と同様である。NHL史上8勝0敗で開幕した4つめのチームとなった。2006年3月16日、対[[フェニックス・コヨーテズ]]戦で2対0で完封し、この時点で39勝をおさめた。この試合でクリス・メイソンが、得点を獲得した9人めのゴールテンダーとなった。プレデターズ史上初めて勝ち点100以上の106ポイントをあげ、49勝25敗8引分、ホームでは32勝8敗1引分となった。


ホームアドバンテージを持つ第4シードに食い込むが、プレーオフではカンファレンス準々決勝として[[サンノゼ・シャークス]]相手に5試合中先制したが、1勝4敗で1回戦敗退した。
== 2008年以降のプレデターズ移転説 ==
;2006-07
*プレデターズの旧オーナーであるクレイグ・レポイド(Craig Lepoid)がカナダ人のビジネスマン([[ブラックベリー (企業)|リサーチ・イン・モーション]]の共同[[最高経営責任者|CEO]]ジム・バルシリー)にチームを譲渡することが決定した。また、この新オーナーがカナダの[[オンタリオ州]][[ハミルトン (オンタリオ州)|ハミルトン]]市への移転を考えている。しかし、本拠地である「ソメット・センター」との契約で、2009年まで本拠地移転はできないのだが、2007-2008年度の1試合平均入場者数が14000人を超えない場合、その契約を破棄することができ、その翌年以降にハミルトンへの移転の可能性が高いようだ。また、[[カンザスシティ (ミズーリ州)|カンザスシティ]]などハミルトン以外への移転説も浮上している。これの対策として、ナッシュビル周辺の企業家たちが名乗りを上げてプレデターズ買収に乗り出している。また、7月20日には移転反対の「ファンラリー」が開かれた。しかし、8月に入り、レポイドはカナダ人ビジネスマンではなく、移転反対のため、チーム買収に名乗りを上げたナッシュビル周辺の企業家集団にチームを売却することを決定し、チームの移転説は否定された。
2006年7月2日、フリーエージェントでベテランのセンターであるジェイソン・アーノットを獲得した。アーノットとデイヴィッド・レグウォンドはそれぞれ27点を獲得した。シーズン後期、プレデターズはかつてドラフト第1ラウンドで指名したスコッティ・アプシャルとライアン・ペアレントをトレードに出し、NHLオールスターに5回選ばれている[[フィラデルフィア・フライヤーズ]]の[[ピーター・フォースバーグ]]を獲得した。


1ヶ月近い間、30チーム中1位の成績を維持し、[[プレジデンツトロフィー]](会長賞)も視野に入っていたのだが、終盤に失速した。それでもチーム記録の51勝23敗8引分で110ポイントをあげ15チーム中4位となった。このポイントは全体でみると[[バッファロー・セイバーズ]]の113ポイント(53勝22敗7引分)、[[デトロイト・レッドウィングス]]の113ポイント(50勝19敗13引分)に次ぐ3位の成績であった。NHLはウェスタンと[[イースタン・カンファレンス (NHL)|イースタン]]の2つのカンファレンスでランキングを付け、デトロイトがトップ、[[アナハイム・ダックス]](48勝20敗14引分110ポイント)、[[バンクーバー・カナックス]](49勝26敗7引分105ポイント)に次いでプレデターズは4位となった。カンファレンス準々決勝となるプレーオフでは前年に引き続き、シャークスと対戦することになったが、最終的に2年連続の1勝4敗、3年連続の1回戦敗退に終わった。
== チーム記録 ==
;2007-08
*年間最多ゴール… ジェイソン・アーノット (Jason Arnott), 33 (2008-09)
オフシーズンに主力を大量放出し、チームを買収する可能性のある人が複数おり、過去2年に比べ苦戦しシーズン半ばまで移転の噂が流れた(後述)。[[フロリダ・パンサーズ]]にトレードされたトーマス・ヴォコアンの控えのゴールテンダーのクリス・メイソンは不安定なシーズンを送り、ダン・エリスとゴールテンダーを度々交代した。シーズン前に[[ダラス・スターズ]]から打診を受けていたエリスは、シーズン終盤にNHL史上5番目に最長の233:39で完封し、最終的に91ポイント、カンファレンス8位ギリギリで4年連続のプレーオフ進出を決めた。
*年間最多アシスト… ポール・カリヤ (Paul Kariya), 54 (2005-06)
*年間最多得点… ポール・カリヤ, 85 (2005-06)
*年間最多ゴール(ディフェンスマン)… シェイ・ウェバー (Shea Weber), 23 (2008-09)
*年間最多得点(ディフェンスマン)… キーモー・ティモネン (Kimmo Timonen), 55 (2006-07)
*年間最多得点(新人)… アレキサンダー・ラデュロブ (Alexander Radulov), 37 (2006-07)
*年間最多ペナルティー・ミニッツ(PIM)… パトリック・コーテー (Patrick Cote), 242 (1998-99)
*年間最多勝…トーマス・ヴォークーン (Tomas Vokoun), 36 (2005-06)
*年間最多完封…ペカ・リネー (Pekka Rinne), 7 (2008-09, 2009-10)


[[プレジデンツトロフィー]]およびスタンレーカップ優勝を目指したが、デトロイト・レッドウィングス相手に2勝4敗で、4年連続プレーオフ1回戦敗退となった。
*通算最多出場… デービッド・レグワンド (David Legwand), 768
;2008-09
*通算最多ゴール… デービッド・レグワンド, 169
新たなオーナーのもとでいくつかの人事異動が行なわれたが、アレキサンダー・ラデュロブの二重契約問題でいきなりシーズンに暗雲が漂ったプレデターズは、序盤からカンファレンス最下位を争う低空飛行をした。オールスター後、トレード締切まで大きな動きはなく、シーズン最後までプレイオフ出場権を求めて戦った。腰の怪我で2シーズン休養していたスティーヴ・サリヴァンの復帰でチームは持ち直して一時はプレーオフ圏内まで上り、プレデターズは88ポイント獲得したが、カンファレンス10位となり、最終的に[[セントルイス・ブルース]]や[[アナハイム・ダックス]]に阻まれ、5年連続のプレーオフ進出はならなかった。
*通算最多アシスト… デービッド・レグワンド, 279
;2009-10
*通算最多得点… デービッド・レグワンド, 448
サンノゼ・シャークスのフォワードのマーセル・Gocを獲得し、シーズン半ばに契約延長した。また[[モントリオール・カナディアンズ]]のディフェンスであるフランシス・ブイヨンも獲得した。期待の新人コリン・ウイルソンを獲得したが、キャンプ中の足の付け根の怪我によりシーズン前半を欠場し、2009年11月、[[アメリカン・ホッケー・リーグ]]のミルウォーキー・アドミナルズに送られた。2010年2月に復帰して15試合で11ポイント獲得し、最終的に35試合で15ポイントを獲得した。


2005年ドラフト最下位で入団した[[スウェーデン]]人で23歳のペイトリック・Hörnqvistはこのシーズンで活躍した。前年28試合中2ポイントしか獲得しなかったが、このシーズンでは30ポイントを獲得し、スティーヴ・サリヴァン、ポール・カリヤ、ジェイソン・アーノットに続きプレデターズ史上4番目の高得点となった。彼はしばしばゴール前におり、レッドウィングスのウインガーであるトーマス・ホームストロムと比較されることが多かった。
== プレーオフ戦績 ==
===カンファレンス準々決勝(1回戦)敗退 ===
*2003-2004,2007-2008シーズン(2-4 Red Wings)
*2005-2006,2006-2007シーズン(1-4 Sharks)
*2009-2010シーズン(2-4 Blackhawks)


Hörnqvistのタイムリー・ゴールが続き、ゴールテンダーの[[ペッカ・リネ]]の素晴らしいプレイにより、若手選手の台頭やチーム力で勝利を積み重ね、シーズン終盤までにカンファレンス5位まで上り詰め最終戦でチーム史上3度目となる100ポイントに到達したが、最終的にカンファレンス7位でプレイオフに進出し、[[シカゴ・ブラックホークス]]と戦った。
===カンファレンス準決勝(2回戦)敗退 ===

*20010-11シーズン(4-2 Ducks, 2-4 Canucks)
プレーオフでは後の覇者となるブラックホークスと激突し、一回戦で後の覇者と対戦するのは2回連続である。4月16日に[[ユナイテッド・センター]]で行われた初戦では4対1で勝利した。最初の4試合は2チーム共交互に勝利し2勝2敗となり5試合目はテレビで全米放送された。5試合目では残り1分3秒でブラックホークスのフォワードの[[マリアン・ホッサ]]がプレデターズのディフェンダーのダン・ハムヒュイスを越して得点したが、4対3でプレデターズが勝っていた。その後パワー・プレイでブラックホークスの[[パトリック・ケイン]]が得点し、オーバータイムにもつれ込んだ。オーバータイムではホッサが得点してブラックホーク スが勝利した。ブリヂストン・アリーナで行われた6試合目は5対3でプレデターズが負け、2勝4敗となった。ポスト・シーズンのパワー・プレイでは1回しか得点しなかった。
;2010-11
ゼネラル・マネージャーのデイヴィッド・ポイルは主将ジェイソン・アーノットとニュージャージー・デビルスのウィンガーであるマシュウ・ハリシャックをトレードに出し、モントリオール・カナディアンズからフォワードのセルゲイ・Kostitsynを獲得し、ダン・ハムヒュイス、ダスティン・ボイド、ダン・エリスがフリー・エージェントとなり、フィラデルフィア・フライヤーズからライアン・ペアレントを呼び戻した。フリー・エージェントのジョナス・アンダーソンおよびスウェーデンのライナス・クレセンと契約した。またスイスのローマン・ジョシ、スウェーデンのアンダース・リンドバック、フィンランドのAtte Engrenなど海外から、また初の地元出身者としてナッシュビル近郊[[ブレントウッド (テネシー州)|ブレントウッド]]生まれでホビー・ベイカー賞受賞者のブレイク・ジョフリョンを獲得した。7月2日、プレデターズはベテラン・フォワードのマシュウ・ロンバーディと3年間1,050万ドルで契約したことを発表した。

7月9日、プレデターズはディフェンスの[[シェイ・ウェバー]]が第5代主将となることを発表した。9月19日、ディフェンスのライアン・サターとフォワードのスティーヴ・サリヴァンが代替主将となることを発表した。フォワードのマイケル・サントレリをフロリダ・パンサーズにドラフト・ピックと引換でトレードに出した。またディフェンスのライアン・ペアレントとフォワードのジョナス・アンダーソンをバンクーバー・カナックスのシェーン・オブアイアンとフォワードの選手をトレードした。また、まだ若いディフェンスのアーロン・ジョンソン、ブレット・ペイリン、グラント・ルイスと契約した。他にフォワードのジェイミー・ランドマークとも契約した。2月11日、プレデターズは[[オタワ・セネターズ]]の20点獲得を4回達成したプロ11年のベテランの[[マイク・フィッシャー (アイスホッケー)|マイク・フィッシャー]]を、2011年のドラフト1巡目指名権と2012年のコンディション・ピックと引換で獲得した。2月25日、ディフェンスコンディションの7巡目指名権と引換にアレキサンダー・サルツァーをフロリダ・パンサーズにトレードに出した。そしてフォワードのウエイド・ベラクをウェイバーに据えた。

2011年4月22日、ペッカ・リネが[[ヴェジーナ賞]] (最優秀ゴーリー) 投票で、キャプテンのウェバーが[[ジェームス・ノリス記念賞]] (最優秀ディフェンスマン) 投票で、ともに2位になるなどの活躍で<ref>[http://www.ontheforecheck.com/2011/4/22/2126208/pekka-rinne-finalist-vezina-trophy-tim-thomas Pekka Rinne named a finalist for Vezina Trophy], ontheforecheck.com, April 22, 2011.</ref>、4度目の100ポイントこそ僅差で逃したものの、カンファレンス5位で、2年連続6度目のプレーオフ進出した。1回戦では[[アナハイム・ダックス]]と対戦し、2011年4月24日、満席のブリヂストン・アリーナにおいて4勝2敗で、6度目にして初めてプレーオフ2回戦進出を果たした。

2回戦ではNHLランキング1位のバンクーバー・カナックスと対戦し、2勝4敗で敗退した。

試合結果以外でも成功しており、レギュラー・シーズンの16試合で、プレイオフでは6試合で完売した。

2011年8月31日、プレデターズに2008年に所属しファンにもとても人気のあった元[[トロント・メープルリーフス]]、フロリダ・パンサーズ、[[コロラド・アバランチ]]、[[カルガリー・フレームス]]のウエイド・バラクがカナダの[[オンタリオ州]][[トロント]]のコンドミニアムで遺体として発見された。この夏、NHLのエンフォーサーで亡くなったのは計3名であった。2011-2012シーズンではヘルメットに追悼のステッカーを貼った。

2011年9月7日、[[ロシア]]にて[[ロコモティフ・ヤロスラヴリ]]が[[ヤロスラヴリ旅客機墜落事故|旅客機墜落事故]]に遭い、ホッケー界に激震が走った。犠牲者のうち3名がプレデターズと関連があった。カールリス・スクラスティンスは1998年から2003年に、ヨーゼフ・ヴァシチェックは2006年から2007年にプレデターズに所属していた。ロベルト・ディートリッヒはプレデターズのマイナーリーグであるミルウォーキー・アドミナルズに所属していた。
;2011-12
2011年6月22日、シーズン前に新しいロゴとユニフォームを導入した。色合いは青、金、白と簡素化され、オレンジ、銀、鋼色は削除された。古いロゴが取り外され、ギターのピックや[[テネシー州の旗]]のデザインが取り入れられた新しいロゴが設置された<ref name="Preds Unveil New Logos"/>。

2011年11月3日、ゴールテンダーのペッカ・リネと7年間4,900万ドルで契約した。これはプレデターズ史上最高の契約で、この年のNHLでのゴールテンダーで最高給となった。

2012年2月17日、ゼネラル・マネージャーのディヴィッド・ポイルは地元出身のブレイク・ジョフリョン、およびロバート・スレイニーをトレードに出し、2012年のドラフト2巡目指名のディフェンスのハル・ギルを獲得した。2月24日、フェイス・オフの名手ジャレッド・スミソンをフロリダ・パンサーズにトレードに出し、ドラフト指名権を得た。

2012年2月27日のNHLトレード締切日、プレデターズはアンドレイ・コスティシンをモントリオール・カナディアンズから、ポール・ゴースタッドをバッファロー・セイバーズから獲得した。プレデターズは結局ドラフト指名権を放棄した。

2012年3月19日、[[KHL]]で4年間活動していたロシアのフォワードのアレクサンダー・ラドロフがプレデターズに復帰した。

2012年4月20日、スタンレーカップのプレイオフで2年連続2回目の2回戦に進出した。デトロイト・レッドウィングス相手に4勝1敗で勝ち越した<ref>{{cite news|title=Predators Eliminate Redwings|url=http://www.nytimes.com/2012/04/21/sports/hockey/nhl-hockey-roundup.html|accessdate=21 April 2012|newspaper=New York Times|date=21 April 2012}}</ref>。

2012年5月7日、カンファレンス準決勝において2年連続でフェニックス・コヨーテズに敗退した。
;2012-13
[[2012年から2013年のNHLロックアウト]]により試合数が限られ、プレデターズは2008-09シーズン以来初めてプレイオフを逃した。
;2013-14
2年連続プレイオフを逃し、プレデターズは15年務めたヘッド・コーチのバリー・トロツを解任したが、別のポジションで球団に残ることを依頼した。2014年5月6日、プレデターズは新たなヘッド・コーチとしてピーター・ラヴィオレットが就任したことを発表した。トレード締切日、1998年から所属しており人気のあったデイヴィッド・レグウォンドをデトロイト・レッドウィングスにトレードに出した。
;2014-15
ピーター・ラヴィオレットのヘッド・コーチとしての最初のシーズンで、セントラル・ディヴィジョンで2位となった。2015年4月のプレイオフでは1回戦で後の優勝者シカゴ・ブラックホークスと対戦し、ホーム・アドヴァンテージに関わらず6試合2勝4敗で敗退した。

== 2007年以降のプレデターズ移転説 ==
2007年5月23日、プレデターズのオーナーであったクレイグ・レイポルドがカナダ人のビジネスマンで[[ブラックベリー (企業)|リサーチ・イン・モーション]]の会長および共同[[最高経営責任者|CEO]]のジム・バルシリーにチームを譲渡する暫定合意に達したと報じられた<ref name=Balsille>[http://www.tsn.ca/nhl/news_story/?ID=208661&hubname= Balsillie attempting to buy Predators], tsn.ca, May 23, 2007. {{wayback|url=http://www.tsn.ca/nhl/news_story/?ID=208661&hubname= |date=20150112084331 }}</ref>。当時レイポルドはチームの2007-08シーズンをナッシュビルで行うと明言していたが、その後に関しては不透明であった<ref>[http://www.newschannel5.com/Global/story.asp?S=6560713 Nashville Predators Being Sold], newschannel5.com, May 23, 2007.</ref>。バルシリーは長い間サザン・オンタリオに別のチームを配属することに興味があるのではないかと噂されていた。この取引は2007年6月30日まで決定しなければならなかった<ref name=ESPN>[http://sports.espn.go.com/nhl/news/story?id=2881837 Sale terms call for deal to be completed by June 30], ESPN, May 24, 2007.</ref>。NHLの規約違反にも関わらず、バルシリーはまだ所有が始まっていないチームの移転話を進め始めた<ref name="check"/>。移転先はトロント・メープルリーフスとバッファロー・セイバーズの本拠地から約50マイル(80km)のカナダの[[オンタリオ州]][[ハミルトン (オンタリオ州)|ハミルトン]]市のコップス・コロシアムが考えられた。ハミルトンへの移転はメープルリーフスの領有権侵害として賠償金を要求される可能性があった。セイバーズはNHLが定める50マイルからやや外側にあったのだが、賠償金を要求される可能性は捨てきれなかった<ref>[http://sports.espn.go.com/nhl/news/story?id=2904747 Sabres Mum on Preds' Move]</ref>。6月13日、翌日から[[チケットマスター]]を通じて「ハミルトン・プレデターズ」の名の入ったシーズン・チケットが販売されることになったことからまたNHLの規約違反となった<ref>[http://www.nationalpost.com/sports/story.html?id=1842506 NHL to Jim Balsillie: Anyone but you<!-- Bot generated title -->]</ref>。カナダでのホッケーのチケットの購入者が多いサザン・オンタリオへNHLの拡張を行なうというバルシリーの考えがNHLの理事会で披露された<ref>[http://www.globesports.com/servlet/story/RTGAM.20070613.wsptpreds13/GSStory/GlobeSportsHockey/home Tickets? Who needs tickets?], www.GlobeSports.com, June 13, 2007.</ref><ref>[http://www.thespec.com/News/BreakingNews/article/207495 NHL ticket drive launched for potential Hamilton team], www.TheSpec.com, June 13, 2007.</ref>。

6月23日、複数のメディアがレイポルドはもはやバルシリーにプレデターズを売却するつもりはないと報じた。しかしレイポルドは間接的にバルシリーとの契約はまだ可能性があると伝えた<ref>[http://www.thestar.com/Sports/article/228704 NHL calling the tune in Nashville, www.TheStar.com, June 23, 2007.]</ref>。バルシリーの弁護士であるリチャード・ロディアはレイポルドからNHLへの文書を引用し、売却の進捗の一部は単に形式的であり、この未決の売却に関して若干の変更があると語った<ref>[http://www.globesports.com/servlet/story/RTGAM.20070623.wspt-preds-sale_new-22/GSStory/GlobeSportsHockey/home RIM boss hit by delay of game], www.GlobeSports.com, June 23, 2007.</ref>。カナダの関係者たちはこれらの情報や遅延作戦はNHLがチームをカナダに移転させたくないからだろうと考えたが、NHLはこれを否定した<ref>[http://www.globesports.com/servlet/story/RTGAM.20070623.wspt-balsillie-preds23/GSStory/GlobeSportsHockey/home Balsillie still in the hunt for Predators], www.GlobeSports.com, June 23, 2007.</ref>。レイポルドはのちにバルシリーは買収後もナッシュビルに据え置くことを考えておらず、プレデターズとナッシュビル市との繋がりに干渉し、移転することを前提に買収しようとしていると明かした<ref name= check>[http://www.ontheforecheck.com/2009/8/5/978644/craig-leipold-unloads-on-balsillie Craig Leipold unloads on Balsillie and Rodier, alleges attempts to undermine the Nashville Predators - On the Forecheck<!-- Bot generated title -->]</ref>。そのためバルシリーとレイポルドの交渉は決裂した<ref name="check"/>。

2007年6月下旬、[[ミズーリ州]][[カンザスシティ (ミズーリ州)|カンザスシティ]]への移転説も浮上した<ref name="Predators get boost">Covitz, Randy. [http://www.kansascity.com/sports/story/168728.html Kansas City's chances for the NHL's Predators get boost] ''Kansas City Star'', June 28, 2007. {{wayback|url=http://www.kansascity.com/sports/story/168728.html |date=20071016123858 }}</ref>。カナダの『[[ナショナル・ポスト]]』紙で匿名により、プレデターズのオーナーであるクレイグ・レイポルドは、2008-09シーズンに合わせてカンザスシティの新しい[[スプリント・センター]]にチームを移転したがっているサンノゼの投資家ウイリアム・デル・ビアージョ3世に売却する計画を立てていると報じられた<ref name="Predators get boost"/>。スプリング・センターを本拠地とするNHLのチームを所有するために[[アンシュッツ・エンターテイメント・グループ]]と契約していたデル・ビアージョは推定約1億9千万ドルでの買収を申し出た。2年前の2005年、デル・ビアージョはピッツバーグ・ペンギンズの買収に同意に達したが、NHLドラフト・ロッタリーで指名権を得て1巡目で[[シドニー・クロスビー]]を獲得したため撤回された<ref name="Predators get boost"/>。プレデターズがナッシュビルの会場のリースがまだ残っているにも関わらず、バルシリーはハミルトンでシーズン・チケットを発行し、NHLのオーナーで理事のゲイリー・ベットマンを失望させ、レイポルドはバルシリーへの売却を考え直したと報じられた<ref name="Predators get boost"/>。デル・ビアージョはカンザスシティで法人向けチケットの販売を開始したが<ref>[http://www.thespec.com/News/article/212750 Kansas City back in the running for Preds] www.TheSpec.com, June 28, 2007.</ref>、バルシリーが行なったようなシーズン・チケットは含まれていなかった。その後レイポルドはデル・ビアージョとのみ交渉しているという噂を否定し、まだバルシリーとの契約の可能性が残っており全ての入札を明らかにすると語った<ref>[http://ca.today.reuters.com/news/newsArticle.aspx?type=sportsNews&storyID=2007-06-28T223734Z_01_N28359722_RTRIDST_0_SPORTS-NHL-PREDATORS-COL.XML&archived=False Predators owner says open to all bids], www.reuters.ca, June 28, 2007.</ref>。レイポルドはバルシリーがプレデターズを移転させないという約束を反故にし、手付金の支払いを行なわなかったと語った。2007年7月4日、『[[グローブ・アンド・メール]]』紙は30名の投資家たちがナッシュビルにチームを留めておくための入札をする団体を結成したと報じた<ref name="Third Party">[http://www.theglobeandmail.com/servlet/story/LAC.20070704.PREDATORS04/TPStory/Sports Nashville consortium throws hat into ring to buy franchise] ''The Globe and Mail'', July 4, 2007.</ref>。

2007年7月19日、地元の企業家グループによる「アワ・チーム・ナッシュビル」がソメイ・センター(現ブリヂストン・アリーナ)に集まり、プレデターズをナッシュビルに留めるためチームのファンにシーズン・チケットを購入することを薦めた。7,500名ものファンが詰め掛け、シーズン・チケットが726セット売れた<ref>[http://predators.nhl.com/team/app/?service=page&page=NewsPage&articleid=334837 Nashville Predators - News: Local supporters stage successful ticket rally - July 20, 2007<!-- Bot generated title -->]</ref>。この集まりはのちに地元ラジオ局WGFX104.5の番組『The Zone』のスポーツキャスターとなるジョージ・プラスターが大きく貢献した。

2007年8月1日、グループはレイポルドからの文書を発表した<ref>http://sports.espn.go.com/nhl/news/story?id=2957518.</ref>。ナッシュビル市との交渉後、デイヴィッド・フリーマン率いる地元のグループがカール・ディーン市長との合意に達し、NHL理事会は2007年11月29日付けでの売却を承認した。1億7,200万ドルの買収額には約6,100万ドルの借金の返済と220万ドルの手数料や経費が含まれた。

主にテネシー州の人々で構成されたこのグループには、かつてカンザスシティへの移転を試みたデル・ビアージョも参加した。地元の購入者が73%を占め、デル・ビアージョなど少数のパートナーが残り27%を占めた。

=== デル・ビアージョによる詐欺 ===
2008年6月、デル・ビアージョは多くのローン未返済により法的トラブルとなり、[[連邦倒産法第11章]]により破産を申請した<ref>[http://www.nationalpost.com/news/canada/story.html?id=569578 National Post story on Del Biaggio bankruptcy] {{wayback|url=http://www.nationalpost.com/news/canada/story.html?id=569578 |date=20090110042006 }}</ref>。さらにデル・ビアージョのチームへの出資金も不正に入手したものであるとしてFBIの調査が行われ刑事責任が追及されることになった<ref>[http://www.theglobeandmail.com/servlet/Page/document/v5/content/subscribe?user_URL=http://www.theglobeandmail.com%2Fservlet%2Fstory%2FGAM.20080613.BOOTS13%2FTPStory%2FTPComment&ord=163024663&brand=theglobeandmail&force_login=true Globe and Mail story on the Del Biaggio criminal investigation]</ref>。刑期97ヶ月の判決が下された。

[[連邦倒産法]]により、借金返済のためプレデターズへの出資金を含む資産を売却することになった。バルシリーがデル・ビアージョの出資分を買い取り、破産をまぬがれたと報じられた<ref>[http://www.nationalpost.com/sports/story.html?id=566333 National Post story on Del Biaggio's negotiations with Balsillie] {{wayback|url=http://www.nationalpost.com/sports/story.html?id=566333 |date=20090110024734 }}</ref>。しかしNHLや地元グループがこれを完全に阻止し、バルシリーに出資分が移行する前にデル・ビアージョの権利は無効になっていたと伝えられた。

多くの北米スポーツ・リーグはチームの巨額の出資をする者は誰でも支払能力を考慮しており、デル・ビアージョの破産はNHLにとって深刻な[[パブリック・リレーションズ]]の失敗となった<ref>[http://slam.canoe.ca/Slam/Columnists/Simmons/2008/06/08/5811521-sun.html NHL turns down money for bankruptcy]</ref><ref>[http://www.faceoff.com/story.html?id=d69956a0-38e1-4d7a-9152-f867d46bd370 Turning blind eye leaves NHL with another shiner]</ref>。1997年に詐欺師ジョン・スパノがニューヨーク・アイランダーズを短期間所有していたが、[[財務諸表]]が不正だったためNHLはオーナーとなる者を[[アーンスト・アンド・ヤング]]や[[ニューヨーク]]の会計事務所で入念に検査するようになった。またバッファロー・セイバーズのオーナーのジョン・リガスが詐欺で有罪となったが、チームに被害はなかった。

2009年2月4日、[[カルガリー]]の実業家W・ブレット・ウイルソンはプレデターズの大株主デイヴィッド・フリーマンと会合し、別のスポーツ・チームへの投資を持ち掛けた。ウイルソンはスポーツ・チームへの投資に合意したと発表したがいまだ詳細は明かされていない。ウイルソンは27%の小株主の1人であるウイリアム・デル・ビアージョ3世からプレデターズの権利を名目上買い取った。

2008-09年および2009-10年、プレデターズは1試合につきチケット購入者が平均14,000名で、世界的な経済不況の中利益を上げたと発表した<ref name=citypaper>[http://www.nashvillecitypaper.com/news.php?viewStory=63170 Former Preds suitor attempting to get share of team from bankruptcy court | Nashville City Paper: Nashville's Online Source for Daily News<!-- Bot generated title -->]</ref>。

2011年11月、W・ブレット・ウイルソンはプレデターズの株の5%を購入したと報じられた<ref>[http://www.montrealgazette.com/sports/Denis+takes+rare+path/5723053/story.html The Montreal Gazette - November 17, 2011 - Risky business]</ref>。

== チームについて ==
チームは[[センテニアル・スポーツプレックス]]で練習を行なっている。2007-08年のシーズンでは新たな縞の入ったジャージが作られた。ロゴも色も変更はなかった。アウェイ用のジャージにもロゴがついている。2011-12年のシーズンではジャージのデザインや色合いを変更した。ホーム・ジャージは明るい黄金色地に濃紺と白の線が入り、アウェイ・ジャージは白地に黄金色と濃紺の線の入ったものである。またロゴも白、黄金色、濃紺で作られたものに変わった。ナッシュビルの音楽の歴史を物語るように、新しいジャージの肩にはテネシー州の旗の三ツ星の入ったギターのピックが描かれ、背番号にはギターの弦の絵が横断し、首回りの内側にはピアノの鍵盤が描かれている。今回は第3のジャージは作られて いない。

=== ファンのお約束 ===
デトロイト・レッドウィングスのタコ投げの伝統にならい、プレデターズのファンはチーム愛を表明するためアメリカ南部の名物ナマズをアイスリンクに投げ入れる。2003年10月30日に『テネシアン』紙で初めて報じられた<ref>Tennessean.com, [http://www.tennessean.com/sports/predators/archives/03/11/42549488.shtml?Element_ID=42549488/ Catfish hunters: Fans throw a curve at Preds]{{Dead link|date=August 2010}}</ref>。2003年11月13日の初ゴールの際は少なくとも4匹のナマズがリンクに投げ込まれた。

ブリヂストン・アリーナのセクション303は「セルブロック」と呼ばれ、「NHLで最もうるさいアリーナで、最もうるさいセクション」とされている<ref>{{Cite web|url=http://www.nashvillecitypaper.com/news.php?viewStory=9821|title=Section 303: I came, I saw - I yawned|first=Dominic last=Bonvissuto|publisher=Nashville City Paper|accessdate=2008年4月3日}}</ref>[http://section303.com/]。ファンが独自に組織したグループであるが、プレデターズ事務局にも認識されており、セクション後ろの壁に事務局作成の大きなバナーが貼られていた。

2008年4月3日、セントルイス・ブルースと対戦したレギュラー・シーズン最終ホーム・ゲームで、満席のソメイ・センター(現ブリヂストン・アリーナ)で4:30に3対2でリードしており、テレビ中継でファンはずっと[[スタンディングオベーション]]を続けた。プレデターズはそのまま勝ち抜けてプレイオフに進出し、以降最後のテレビ中継にはスタンディングオベーションすることが伝統となった。

プレデターズのマスコットはナッシュ(Gnash)という青いサーベルタイガーである。1998年に初登場し、高速の懸垂下降、ジップ ・ライン、振り子などのスタントを特徴としており、スコアボードの下やリンクのすぐそばに登場する。

マスコット以外に、プレデターズのファンはパワー・プレイの際に「ファン・フィンガー」(この場合のファン(fang)は牙の意)で応援する。売店で手袋型のものを購入することもできるが、多くの観客は両手でピースを作り、人差し指と中指を少し折って牙のような形にし、上下に振って威嚇するようにする。この時BGMには[[アルフレッド・ヒッチコック]]の映画『[[サイコ (1960年の映画)|サイコ]]』のホラーの音楽が流れる<ref>http://predators.nhl.com/club/news.htm?id=527289</ref>。

== プレーオフ戦績 ==
* 2004年、1回戦デトロイト・レッドウィングス(2勝4敗)
* 2006年、1回戦サンノゼ・シャークス(1勝4敗)
* 2007年、1回戦サンノゼ・シャークス(1勝4敗)
* 2008年、1回戦デトロイト・レッドウィングス(2勝4敗)
* 2010年、1回戦シカゴ・ブラックホークス(2勝4敗)
* 2011年、1回戦アナハイム・ダックス(4勝2敗)、2回戦バンクーバー・カナックス(2勝4敗)
* 2012年、1回戦デトロイト・レッドウィングス(4勝1敗)、2回戦フェニックス・コヨーテズ(1勝4敗)
* 2015年、1回戦シカゴ・ブラックホークス(2勝4敗)


==戦績==
==戦績==
[[File:Nashville Predators Alternate Logo.svg|thumb|right|150px|2001年から2007年に使用された第3ジャージのロゴ]]
'''''注:''' GP = 試合数, W = 勝, L = 敗, T = 引き分け(2005-2006年以降廃止), OTL = 延長敗, Pts = ポイント, GF = 得点, GA = 失点, PIM = 反則時間(分)''
'''''注:''' GP = 試合数, W = 勝, L = 敗, T = 引き分け(2005-2006年以降廃止), OTL = 延長敗, Pts = ポイント, GF = 得点, GA = 失点, PIM = 反則時間(分)''


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|シーズン || GP || W || L || T || OTL || Pts || GF || GA || PIM || 順位 || Playoffs
|シーズン || GP || W || L || T || OTL || Pts || GF || GA || PIM || 順位 || Playoffs
|-
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| 1998-99 || 82 || 28 || 47 || 7 || — || 63 || 190 || 261 || 1420 || 4位, Central ||
| 1998-99 || 82 || 28 || 47 || 7 || — || 63 || 190 || 261 || 1420 || 4位, Central ||
|- bgcolor="#eeeeee"
|- bgcolor="#eeeeee"
| 1999-00 || 82 || 28 || 40 || 7 || 7 || 70 || 199 || 240 || 946 || 4位, Central ||
| 1999-00 || 82 || 28 || 40 || 7 || 7 || 70 || 199 || 240 || 946 || 4位, Central ||
|-
|-
| 2000-01 || 82 || 34 || 36 || 9 || 3 || 80 || 186 || 200 || 944 || 3位, Central ||
| 2000-01 || 82 || 34 || 36 || 9 || 3 || 80 || 186 || 200 || 944 || 3位, Central ||
|- bgcolor="#eeeeee"
|- bgcolor="#eeeeee"
| 2001-02 || 82 || 28 || 41 || 13 || 0 || 69 || 196 || 230 || 1071 || 4位, Central ||
| 2001-02 || 82 || 28 || 41 || 13 || 0 || 69 || 196 || 230 || 1071 || 4位, Central ||
|-
|-
| 2002-03 || 82 || 27 || 35 || 13 || 7 || 74 || 183 || 206 || 969 || 4位, Central ||
| 2002-03 || 82 || 27 || 35 || 13 || 7 || 74 || 183 || 206 || 969 || 4位, Central ||
120行目: 225行目:
| 2005-06<ref group="注釈">延長敗の勝ち点1を含む。</ref> || 82 || 49 || 25 || — || 8 || 106 || 259 || 227 || 1489 || 2位, Central || 1回戦敗退
| 2005-06<ref group="注釈">延長敗の勝ち点1を含む。</ref> || 82 || 49 || 25 || — || 8 || 106 || 259 || 227 || 1489 || 2位, Central || 1回戦敗退
|-
|-
| 2006-07 || 82 || 51 || 23 || — || 8 || 110 || 272 || 212 || ||2位, Central || 1回戦敗退
| 2006-07 || 82 || 51 || 23 || — || 8 || 110 || 272 || 212 || 1,155 ||2位, Central || 1回戦敗退
|- bgcolor="#eeeeee"
|- bgcolor="#eeeeee"
| 2007-08 || 82 || 41 || 32 || — || 9 || 91 || 183 || 175 || || 2位, Central || 1回戦敗退
| 2007-08 || 82 || 41 || 32 || — || 9 || 91 || 227 || 224 || 1,015 || 2位, Central || 1回戦敗退
|-
|-
| 2008-09 || 82 || 40 || 34 || — || 8 || 88 || 213 || 233 || ||5位, Central ||
| 2008-09 || 82 || 40 || 34 || — || 8 || 88 || 213 || 233 || 982 ||5位, Central ||
|- bgcolor="#eeeeee"
|- bgcolor="#eeeeee"
| 2009-10 || 82 || 47 || 29 || — || 6 || 100 || 225 || 225 || || 3位, Central || 1回戦敗退
| 2009-10 || 82 || 47 || 29 || — || 6 || 100 || 225 || 225 || 982 || 3位, Central || 1回戦敗退
|-
|-
| 2010-11 || 82 || 44 || 27 || — || 11 || 99 || 219 || 194 || ||2位, Central || 2回戦退
| 2010–11 || 82 || 44 || 27 || — || 11 || 99 || 219 || 194 || 720 || 2位, Central || カンファレンス準決勝2勝4([[バンクーバー・カナックス|カナックス]])
|- bgcolor="#eeeeee"
|- bgcolor="#eeeeee"
| 2011–12 || 82 || 48 || 26 || — || 8 || 104 || 237 || 210 || 689 || 2位, Central || カンファレンス準決勝1勝4敗([[アリゾナ・コヨーテズ|コヨーテズ]])
|-
| 2012–13 || 48 || 16 || 23 || — || 9 || 41 || 111 || 139 || 471 || 5位, Central ||
|- bgcolor="#eeeeee"
| 2013–14 || 82 || 38 || 32 || — || 12 || 88 || 216 || 242 || 808 || 6位, Central ||
|-
| 2014-15 || 82 || 47 || 25 || — || 10 || 104 || 232 || 208 || 693 || 2位, Central || カンファレンス準々決勝2勝4敗([[シカゴ・ブラックホークス|ブラックホークス]])
|- align="center" style="font-weight:bold; background-color:#dddddd;" |
|- align="center" style="font-weight:bold; background-color:#dddddd;" |
| Totals || 738 || 324 || 307 || 60 || 46 || 663 || 1884 || 1968 || 9346 || — ||
| Totals || 1278 || 604 || 504 || 60 || 110 || 1,615 || 3,119 || 3,458 || 16,185 || — || ''プレイオフ8回出場、2回戦出場2回''
|}
|}
<div class="references-small"><references group="注釈"/></div>
<div class="references-small"><references group="注釈"/></div>

=== 選手一覧 ===
姓のアルファベット順。<small>2015年7月1日現在。</small><ref>{{cite web | url=http://predators.nhl.com/club/roster.htm | title=Predators Roster | publisher=''Nashville Predators'' | accessdate=July 1, 2015}}</ref>
{| class="wikitable"
|- style="font-weight:bold; background-color:#dddddd;" |
| style="text-align:left;"| # || Nat || Player || Pos || S/G || Age || Aquired || Birthplace
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| style="text-align:left;"| 64 || {{Flagicon|CAN}} || [[ヴィクター・バートリー]] || D || L || 27 || 2011 || [[オンタリオ州]][[オタワ]]
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| style="text-align:left;"| 11 || {{Flagicon|CAN}} || [[コディ・ホッジソン]] || C || R || 25 || 2015 || オンタリオ州[[トロント]]
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| style="text-align:left;"| 24 || {{Flagicon|USA}} || [[エリック・ニーストロム]] || LW || L || 32 || 2013 || [[ニューヨーク州]]サイオセット
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| style="text-align:left;"| - || {{Flagicon|CAN}} || [[マックス・ラインハート]] || C || L || 23 || 2015 || ブリティッシュコロンビア州 [[バンクーバー]]
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| style="text-align:left;"| 35 || {{Flagicon|FIN}} || [[ペッカ・リネ]] || G || L || 32 || 2004 || ケンペル
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| style="text-align:left;"| 6 || {{Flagicon|CAN}} || [[シェイ・ウェバー]](主将) || D || R || 30 || 2003 || ブリティッシュコロンビア州シカマス
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|}

=== 歴代ヘッドコーチ ===
* 1998年~2014年、バリー・トロツ
* 2014年~、ピーター・ラヴィオレット

=== 歴代GM ===
* 1998年~、デイビッド・ポイル

=== 歴代キャプテン ===
* 1998年~2002年、トム・フィッツジェラルド
* 2002年~2006年、グレッグ・ジョンソン
* 2006年~2007年、キーモー・ティモネン
* 2007年~2010年、ジェイソン・アーノット
* 2010年~、シェイ・ウェバー

ウェバーが生え抜き選手では初となるキャプテンに就任した。
また、元[[ワシントン・キャピタルズ]]のスコット・ウォーカーは2003年1月に数試合、ジョンソンの代理でキャプテンを務めた。

=== ドラフト1巡目指名選手 ===
{{Main|ナッシュビル・プレデターズのドラフト指名一覧}}

=== 最多得点選手 ===
プレデターズ史上最多得点選手上位10名を以下に示す。

''Pos = ポジション; GP = 試合数; G = ゴール数; A = アシスト; Pts = 得点数; P/G = 試合平均得点; * = チーム現役''
<!--レギュラー・シーズン終了後にのみ変更のこと-->
{| class="wikitable"
|- style="text-align:center; font-weight:bold; background:#ddd;"|
| style="text-align:left;"| Player || Pos || GP || G || A || Pts || P/G
|- style="text-align:center;"
| style="text-align:left;"| デイヴィッド・レグウォンド || C || 956 || 210 || 356 || '''566''' || .59
|- style="text-align:center; background:#eee;"
| style="text-align:left;"| マーティン・イラット || LW || 723 || 163 || 318 || '''481''' || .65
|- style="text-align:center;"
| style="text-align:left;"| シェイ・ウェバー* || D || 685 || 146 || 246 || '''392''' || .57
|- style="text-align:center; background:#eee;"
|align="left" | キモ・ティモネン || D || 573 || 79 || 222 || '''301''' || .53
|- style="text-align:center;"
| style="text-align:left;"| ジャン・ピア・デュモント || C || 388 || 93 || 174 || '''267''' || .69
|- style="text-align:center; background:#eee;"
| style="text-align:left;"| スティーヴ・サリヴァン || LW || 317 || 100 || 163 || '''263''' || .83
|- style="text-align:center;"
| style="text-align:left;"| スコット・ウォーカー || RW || 410 || 96 || 151 || '''247''' || .60
|- style="text-align:center; background:#eee;"
| style="text-align:left;"| グレッグ・ジョンソン || C || 502 || 93 || 145 || '''238''' || .47
|- style="text-align:center;"
| style="text-align:left;"| ライアン・サッター || D || 542 || 38 || 200 || '''238''' || .44
|- style="text-align:center; background:#eee;"
| style="text-align:left;"| ジェイソン・アーノット || C || 275 || 107 || 122 || '''229''' || .83
|}

== 受賞歴 ==
'''レスター・ペイトリック・トロフィ'''
* デイヴィッド・ポイル: 2000–01

'''ビル・マスタートン記念トロフィ'''
* スティーヴ・サリヴァン: 2008–09

'''NHLファンデーション選手賞'''
* [[マイク・フィッシャー (アイスホッケー)|マイク・フィッシャー]]: 2011–12

'''NHLファースト・オールスター・チーム'''
* シェイ・ウェバー: 2010–11, 2011–12

'''NHLセカンド・オールスター・チーム'''
* [[ペッカ・リネ]]: 2010–11
* シェイ・ウェバー: 2013–14

== チーム記録 ==
*年間最多ゴール… ジェイソン・アーノット, 33 (2008-09)
*年間最多アシスト… ポール・カリヤ, 54 (2005-06)
*年間最多得点… ポール・カリヤ, 85 (2005-06)
*年間最多ゴール(ディフェンスマン)… シェイ・ウェバー, 23 (2008-09, 2013–14)
*年間最多得点(ディフェンスマン)… シェイ・ウェバー, 56 (2013–14)
*年間最多得点(新人)… フィリップ・フォースバーグ, 63 (2014–15)
*年間最多ペナルティー・ミニッツ(PIM)… パトリック・コーテー (Patrick Cote), 242 (1998-99)
*年間最多勝…[[ペッカ・リネ]], 43 (2011–12)
*年間最多完封…ペカ・リネー (Pekka Rinne), 7 (2008-09, 2009-10)

*通算最多出場… デービッド・レグワンド, 768
*通算最多ゴール… デービッド・レグワンド, 169
*通算最多アシスト… デービッド・レグワンド, 279
*通算最多得点… デービッド・レグワンド, 448

== 脚注 ==
{{Reflist|30em}}


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* [http://www.nashvillepredators.com/ Nashville Predators official web site]
* [http://www.nashvillepredators.com/ Nashville Predators official web site]


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2015年9月20日 (日) 19:57時点における版

ナッシュビル・プレデターズ
Nashville Predators
カンファレンス ウェスタン・カンファレンス
ディビジョン セントラル・ディビジョン
創設年 1997年6月25日
歴代チーム名 ナッシュビル・プレデターズ(1998 - )
ホームアリーナ ブリヂストン・アリーナ
ホームタウン テネシー州ナッシュビル
チームカラー 黄金、濃紺、白[1]

     

メディア FSプレデターズ
ザ・ゲーム (102.5 FM)
オーナー プレデターズ・ホールディングス
GM デイヴィッド・ポイル
ヘッドコーチ ピーター・ラヴィオレット[2]
キャプテン シェイ・ウェバー
獲得タイトル(獲得年)
スタンレーカップ優勝
なし
アブコワールド
なし
カンファレンス優勝
なし
ディビジョン優勝
なし
プレジデンツトロフィー
なし

ナッシュビル・プレデターズNashville Predators)はアメリカ合衆国テネシー州ナッシュビルを本拠としているプロアイスホッケーチーム。ナショナルホッケーリーグNHLウェスタン・カンファレンスセントラル・ディビジョンに所属している。

歴史・チームについて

  • チーム名は、ナッシュビルでアムサウス・センターの建設工事中、1万年前に絶滅したと言われるサーベルタイガー(スミロドン)の牙と脚の骨が発掘されたことにちなむ。
  • 地元のファンは「Preds」(プレッズ)と呼んでいる。
  • チームマスコットは「Gnash」「ナッシュ」。Gは発音されない。
  • パワー・プレイになると場内アナウンスで「ザ、プレデターズ アー、オ~ン・ザ・パワープレー!」とコールされ、プレデターズファンも一緒に「オ~ン・ザ・パワープレー!」を合唱する。
  • ナッシュビルは Music city と呼ばれているように、各ピリオド間にはバンドの生演奏も行われる。
  • 初試合は1998年10月10日にホームで行われた対フロリダ・パンサーズ戦で0対1で敗れた。
  • チーム発足時から在籍していたデービッド・レグワンド(チーム史上初のドラフト指名選手)およびヘッドコーチであったバリー・トロツは2014年でチームの職を離れた。またゼネラル・マネージャーは変わったことがない。

チームの歴史

誘致

1995年終盤、ニュージャージー・デビルスがナッシュビル・アリーナ(現ブリヂストン・アリーナ)に移転するという噂が流れ始めた[3]。ナッシュビルは移転してくるチームに2千万ドルを提示し、デビルスはニュージャージー州とのリースを終了しようとしたが結局ニュージャージー州に留まることになった[4][5]

1997年-1998年: NHL拡張およびプレデターズの加入

デビルス獲得失敗後、NHL理事ゲイリー・ベットマンはナッシュビルが拡張の候補地に挙がるだろうと記した[6]。ホッケーの代わりにNBAサクラメント・キングスを獲得しようとしたが失敗し、1996年にアリーナが開業した[7]

1997年1月、ウィスコンシン州の実業家クレイグ・レイポルド率いる一団がNHL拡張に関して公式発表を行なった[8]。ベットマンとNHL職員がナッシュビルのアリーナを訪れた際、何千もの人々がアリーナ前の広場で出迎えた。6月、NHLはオハイオ州コロンバス(コロンバス・ブルージャケッツ)、ジョージア州アトランタ(アトランタ・スラッシャーズ)、ミネソタ州ミネアポリス・セントポール都市圏(ミネソタ・ワイルド)そしてナッシュビルに拡張する決定を下した。NHLは1998年3月31日までに1万2千枚のシーズン・チケットを売ることを条件に、ナッシュビルのチームの試合を1998年に開始する予定にした[9]。上記4都市中、アリーナが完成していたのはナッシュビルだけだったため最初に試合を開始した。1ヶ月後、レイポルドはワシントン・キャピタルズの元ゼネラル・マネージャーであるデイヴィッド・ポイルをチームの初代ゼネラル・マネージャーに任命した[10]。8月6日、ポートランド・パイレーツのヘッド・コーチであったバリー・トロツがチームの初代ヘッド・コーチに任命され[11]、ミッチ・コーンが初代ゴール・コーチに任命された。

1997年9月25日、レイポルドとチームの会長ジャック・ディラーは記者会見でサーベルタイガー(スミロドン・フロリダナス)を基にした新しいロゴを発表した[11]。このロゴは、1971年にナッシュビルのダウンタウンでファースト・アメリカン国立銀行(現USBタワー)建設中にスミロドンの頭部の一部が発見されたことに由来する [12][13]

ロゴが発表された後、チーム名のファン投票が行われた。75の候補から「アイス・タイガース」、「フュアリ」(猛威)、「アタック」の3つに絞られた。レイポルドは特例で「プレデターズ」を追加した。11月13日、レイポルドは記者会見において自分が挙げた候補が選ばれ、「ナッシュビル・プレデターズ」となることを発表した[11]

ある時、初試合前にすでに移転する噂が流れ始めた。レイポルドの計画によりカナダアルバータ州エドモントンを拠点とするエドモントン・オイラーズがナッシュビルに移転し、プレデターズがテキサス州ヒューストンへ移転するという噂であった。レイポルドはこの噂に対して「そんな機会はない」と一蹴した[14]

NHL加盟の費用8千万ドルのうちナッシュビル市が31.50%を負担することとなった。市がアリーナを操業することになり、約380万ドルを負担することになった[15]。人件費は1,500万ドルでNHL最安値となった[7]

1998年10月10日、プレデターズはフロリダ・パンサーズとのホーム・ゲームで1対0で敗退した。プレデターズ最初の5試合で完売したのはこの試合のみであった。3日後の10月13日、カロライナ・ハリケーンズとの試合で3対2で初勝利をおさめた。フォワードのアンドリュー・ブルネットが初ゴールを決めた。

プレデターズシーズンレキャップ

1998-99

参戦1年目。新チームの1年目の成績としてはNHL歴代3位に入る28勝をあげた(勝ち点63)。28勝47敗7引分でウエスタン・カンファレンスで13チーム中12位であった。

1999-00

昨年度活躍したベテランらを放出して、若手主体のチームとして再び28勝をあげた(勝ち点70)。前年とあまり変わらない28勝47敗7引分7シュートアウトだったが、カンファレンス13チーム中最下位となった。2000年2月20日の対ニューヨーク・アイランダーズ戦においてプレデターズは3分38秒で4ゴールを決めた。

2000-01

この年はさいたまスーパーアリーナでの対ピッツバーグ・ペンギンズ戦2試合で開幕した。日本のアイスホッケー史上最高の観客動員の中、それぞれが1勝した。ゴールテンダーのマイク・ダンハムとトーマス ・ヴォコアンの活躍により、カンファレンス15チーム中10位で34勝36敗9引分3シュートアウトと善戦、勝ち点80を獲得した。最後の一週間までプレーオフ圏内にとどまるなど、三年目にして飛躍を見せた。最終的に10点差でプレーオフ圏外となった。

2001-02

シーズン中に第3ジャージが披露された。一方のチームは全体的に振るわず、成績がまた28勝に戻った。シーズン終盤には、チーム創設時から貢献してきたベテラン選手の大量放出を行い、世代交代を押し進めた。2001年12月6日、プレデターズ史上100勝となった。これにより1990年代のNHL拡張で編成されたチームの中で最も早く100勝に到達した。シュートアウトに恵まれず、28勝41敗13引分0シュートアウトとなり、勝ち点69でカンファレンス15チーム中14位となった。

2002-03

バリー・トロツ監督が監督試合数392でNHL拡張チームの初代監督の中で最高となった。開幕直後はつまずいたものの、中盤の快進撃でプレーオフ圏内へと浮上した。しかし3月に、チーム得点王のレグワンドが骨折すると、それに影響されたのかチームも大失速した。結局チーム史上ワーストとなる27勝に終わった。27勝35敗13引分7シュートアウト、勝ち点74でカンファレンス14位となった。

2003-04

オフシーズンにはディフェンスマン6人中4人を放出する大規模な入れ替えを行い、当時チーム記録となる91ポイントを上げ、バリー・トロツ監督のもとプレデターズはカンファレンス15チーム中8位となり、プレーオフに初参加した。カンファレンス準々決勝で強敵デトロイト・レッドウィングス相手に第6戦まで粘ったものの2勝4敗で敗れ去った。

2004-05

2004年から2005年のNHLロックアウトにより全試合中止

2005-06

スピードを重視するプレデターズに有利になるルール変更があっただけでなく、大スターのポール・カリヤを獲得した。最初の4試合を1点差で勝利した。ただしうち2試合はシュートアウトでの勝利でありこれについては前年と同様である。NHL史上8勝0敗で開幕した4つめのチームとなった。2006年3月16日、対フェニックス・コヨーテズ戦で2対0で完封し、この時点で39勝をおさめた。この試合でクリス・メイソンが、得点を獲得した9人めのゴールテンダーとなった。プレデターズ史上初めて勝ち点100以上の106ポイントをあげ、49勝25敗8引分、ホームでは32勝8敗1引分となった。

ホームアドバンテージを持つ第4シードに食い込むが、プレーオフではカンファレンス準々決勝としてサンノゼ・シャークス相手に5試合中先制したが、1勝4敗で1回戦敗退した。

2006-07

2006年7月2日、フリーエージェントでベテランのセンターであるジェイソン・アーノットを獲得した。アーノットとデイヴィッド・レグウォンドはそれぞれ27点を獲得した。シーズン後期、プレデターズはかつてドラフト第1ラウンドで指名したスコッティ・アプシャルとライアン・ペアレントをトレードに出し、NHLオールスターに5回選ばれているフィラデルフィア・フライヤーズピーター・フォースバーグを獲得した。

1ヶ月近い間、30チーム中1位の成績を維持し、プレジデンツトロフィー(会長賞)も視野に入っていたのだが、終盤に失速した。それでもチーム記録の51勝23敗8引分で110ポイントをあげ15チーム中4位となった。このポイントは全体でみるとバッファロー・セイバーズの113ポイント(53勝22敗7引分)、デトロイト・レッドウィングスの113ポイント(50勝19敗13引分)に次ぐ3位の成績であった。NHLはウェスタンとイースタンの2つのカンファレンスでランキングを付け、デトロイトがトップ、アナハイム・ダックス(48勝20敗14引分110ポイント)、バンクーバー・カナックス(49勝26敗7引分105ポイント)に次いでプレデターズは4位となった。カンファレンス準々決勝となるプレーオフでは前年に引き続き、シャークスと対戦することになったが、最終的に2年連続の1勝4敗、3年連続の1回戦敗退に終わった。

2007-08

オフシーズンに主力を大量放出し、チームを買収する可能性のある人が複数おり、過去2年に比べ苦戦しシーズン半ばまで移転の噂が流れた(後述)。フロリダ・パンサーズにトレードされたトーマス・ヴォコアンの控えのゴールテンダーのクリス・メイソンは不安定なシーズンを送り、ダン・エリスとゴールテンダーを度々交代した。シーズン前にダラス・スターズから打診を受けていたエリスは、シーズン終盤にNHL史上5番目に最長の233:39で完封し、最終的に91ポイント、カンファレンス8位ギリギリで4年連続のプレーオフ進出を決めた。

プレジデンツトロフィーおよびスタンレーカップ優勝を目指したが、デトロイト・レッドウィングス相手に2勝4敗で、4年連続プレーオフ1回戦敗退となった。

2008-09

新たなオーナーのもとでいくつかの人事異動が行なわれたが、アレキサンダー・ラデュロブの二重契約問題でいきなりシーズンに暗雲が漂ったプレデターズは、序盤からカンファレンス最下位を争う低空飛行をした。オールスター後、トレード締切まで大きな動きはなく、シーズン最後までプレイオフ出場権を求めて戦った。腰の怪我で2シーズン休養していたスティーヴ・サリヴァンの復帰でチームは持ち直して一時はプレーオフ圏内まで上り、プレデターズは88ポイント獲得したが、カンファレンス10位となり、最終的にセントルイス・ブルースアナハイム・ダックスに阻まれ、5年連続のプレーオフ進出はならなかった。

2009-10

サンノゼ・シャークスのフォワードのマーセル・Gocを獲得し、シーズン半ばに契約延長した。またモントリオール・カナディアンズのディフェンスであるフランシス・ブイヨンも獲得した。期待の新人コリン・ウイルソンを獲得したが、キャンプ中の足の付け根の怪我によりシーズン前半を欠場し、2009年11月、アメリカン・ホッケー・リーグのミルウォーキー・アドミナルズに送られた。2010年2月に復帰して15試合で11ポイント獲得し、最終的に35試合で15ポイントを獲得した。

2005年ドラフト最下位で入団したスウェーデン人で23歳のペイトリック・Hörnqvistはこのシーズンで活躍した。前年28試合中2ポイントしか獲得しなかったが、このシーズンでは30ポイントを獲得し、スティーヴ・サリヴァン、ポール・カリヤ、ジェイソン・アーノットに続きプレデターズ史上4番目の高得点となった。彼はしばしばゴール前におり、レッドウィングスのウインガーであるトーマス・ホームストロムと比較されることが多かった。

Hörnqvistのタイムリー・ゴールが続き、ゴールテンダーのペッカ・リネの素晴らしいプレイにより、若手選手の台頭やチーム力で勝利を積み重ね、シーズン終盤までにカンファレンス5位まで上り詰め最終戦でチーム史上3度目となる100ポイントに到達したが、最終的にカンファレンス7位でプレイオフに進出し、シカゴ・ブラックホークスと戦った。

プレーオフでは後の覇者となるブラックホークスと激突し、一回戦で後の覇者と対戦するのは2回連続である。4月16日にユナイテッド・センターで行われた初戦では4対1で勝利した。最初の4試合は2チーム共交互に勝利し2勝2敗となり5試合目はテレビで全米放送された。5試合目では残り1分3秒でブラックホークスのフォワードのマリアン・ホッサがプレデターズのディフェンダーのダン・ハムヒュイスを越して得点したが、4対3でプレデターズが勝っていた。その後パワー・プレイでブラックホークスのパトリック・ケインが得点し、オーバータイムにもつれ込んだ。オーバータイムではホッサが得点してブラックホーク スが勝利した。ブリヂストン・アリーナで行われた6試合目は5対3でプレデターズが負け、2勝4敗となった。ポスト・シーズンのパワー・プレイでは1回しか得点しなかった。

2010-11

ゼネラル・マネージャーのデイヴィッド・ポイルは主将ジェイソン・アーノットとニュージャージー・デビルスのウィンガーであるマシュウ・ハリシャックをトレードに出し、モントリオール・カナディアンズからフォワードのセルゲイ・Kostitsynを獲得し、ダン・ハムヒュイス、ダスティン・ボイド、ダン・エリスがフリー・エージェントとなり、フィラデルフィア・フライヤーズからライアン・ペアレントを呼び戻した。フリー・エージェントのジョナス・アンダーソンおよびスウェーデンのライナス・クレセンと契約した。またスイスのローマン・ジョシ、スウェーデンのアンダース・リンドバック、フィンランドのAtte Engrenなど海外から、また初の地元出身者としてナッシュビル近郊ブレントウッド生まれでホビー・ベイカー賞受賞者のブレイク・ジョフリョンを獲得した。7月2日、プレデターズはベテラン・フォワードのマシュウ・ロンバーディと3年間1,050万ドルで契約したことを発表した。

7月9日、プレデターズはディフェンスのシェイ・ウェバーが第5代主将となることを発表した。9月19日、ディフェンスのライアン・サターとフォワードのスティーヴ・サリヴァンが代替主将となることを発表した。フォワードのマイケル・サントレリをフロリダ・パンサーズにドラフト・ピックと引換でトレードに出した。またディフェンスのライアン・ペアレントとフォワードのジョナス・アンダーソンをバンクーバー・カナックスのシェーン・オブアイアンとフォワードの選手をトレードした。また、まだ若いディフェンスのアーロン・ジョンソン、ブレット・ペイリン、グラント・ルイスと契約した。他にフォワードのジェイミー・ランドマークとも契約した。2月11日、プレデターズはオタワ・セネターズの20点獲得を4回達成したプロ11年のベテランのマイク・フィッシャーを、2011年のドラフト1巡目指名権と2012年のコンディション・ピックと引換で獲得した。2月25日、ディフェンスコンディションの7巡目指名権と引換にアレキサンダー・サルツァーをフロリダ・パンサーズにトレードに出した。そしてフォワードのウエイド・ベラクをウェイバーに据えた。

2011年4月22日、ペッカ・リネがヴェジーナ賞 (最優秀ゴーリー) 投票で、キャプテンのウェバーがジェームス・ノリス記念賞 (最優秀ディフェンスマン) 投票で、ともに2位になるなどの活躍で[16]、4度目の100ポイントこそ僅差で逃したものの、カンファレンス5位で、2年連続6度目のプレーオフ進出した。1回戦ではアナハイム・ダックスと対戦し、2011年4月24日、満席のブリヂストン・アリーナにおいて4勝2敗で、6度目にして初めてプレーオフ2回戦進出を果たした。

2回戦ではNHLランキング1位のバンクーバー・カナックスと対戦し、2勝4敗で敗退した。

試合結果以外でも成功しており、レギュラー・シーズンの16試合で、プレイオフでは6試合で完売した。

2011年8月31日、プレデターズに2008年に所属しファンにもとても人気のあった元トロント・メープルリーフス、フロリダ・パンサーズ、コロラド・アバランチカルガリー・フレームスのウエイド・バラクがカナダのオンタリオ州トロントのコンドミニアムで遺体として発見された。この夏、NHLのエンフォーサーで亡くなったのは計3名であった。2011-2012シーズンではヘルメットに追悼のステッカーを貼った。

2011年9月7日、ロシアにてロコモティフ・ヤロスラヴリ旅客機墜落事故に遭い、ホッケー界に激震が走った。犠牲者のうち3名がプレデターズと関連があった。カールリス・スクラスティンスは1998年から2003年に、ヨーゼフ・ヴァシチェックは2006年から2007年にプレデターズに所属していた。ロベルト・ディートリッヒはプレデターズのマイナーリーグであるミルウォーキー・アドミナルズに所属していた。

2011-12

2011年6月22日、シーズン前に新しいロゴとユニフォームを導入した。色合いは青、金、白と簡素化され、オレンジ、銀、鋼色は削除された。古いロゴが取り外され、ギターのピックやテネシー州の旗のデザインが取り入れられた新しいロゴが設置された[1]

2011年11月3日、ゴールテンダーのペッカ・リネと7年間4,900万ドルで契約した。これはプレデターズ史上最高の契約で、この年のNHLでのゴールテンダーで最高給となった。

2012年2月17日、ゼネラル・マネージャーのディヴィッド・ポイルは地元出身のブレイク・ジョフリョン、およびロバート・スレイニーをトレードに出し、2012年のドラフト2巡目指名のディフェンスのハル・ギルを獲得した。2月24日、フェイス・オフの名手ジャレッド・スミソンをフロリダ・パンサーズにトレードに出し、ドラフト指名権を得た。

2012年2月27日のNHLトレード締切日、プレデターズはアンドレイ・コスティシンをモントリオール・カナディアンズから、ポール・ゴースタッドをバッファロー・セイバーズから獲得した。プレデターズは結局ドラフト指名権を放棄した。

2012年3月19日、KHLで4年間活動していたロシアのフォワードのアレクサンダー・ラドロフがプレデターズに復帰した。

2012年4月20日、スタンレーカップのプレイオフで2年連続2回目の2回戦に進出した。デトロイト・レッドウィングス相手に4勝1敗で勝ち越した[17]

2012年5月7日、カンファレンス準決勝において2年連続でフェニックス・コヨーテズに敗退した。

2012-13

2012年から2013年のNHLロックアウトにより試合数が限られ、プレデターズは2008-09シーズン以来初めてプレイオフを逃した。

2013-14

2年連続プレイオフを逃し、プレデターズは15年務めたヘッド・コーチのバリー・トロツを解任したが、別のポジションで球団に残ることを依頼した。2014年5月6日、プレデターズは新たなヘッド・コーチとしてピーター・ラヴィオレットが就任したことを発表した。トレード締切日、1998年から所属しており人気のあったデイヴィッド・レグウォンドをデトロイト・レッドウィングスにトレードに出した。

2014-15

ピーター・ラヴィオレットのヘッド・コーチとしての最初のシーズンで、セントラル・ディヴィジョンで2位となった。2015年4月のプレイオフでは1回戦で後の優勝者シカゴ・ブラックホークスと対戦し、ホーム・アドヴァンテージに関わらず6試合2勝4敗で敗退した。

2007年以降のプレデターズ移転説

2007年5月23日、プレデターズのオーナーであったクレイグ・レイポルドがカナダ人のビジネスマンでリサーチ・イン・モーションの会長および共同CEOのジム・バルシリーにチームを譲渡する暫定合意に達したと報じられた[18]。当時レイポルドはチームの2007-08シーズンをナッシュビルで行うと明言していたが、その後に関しては不透明であった[19]。バルシリーは長い間サザン・オンタリオに別のチームを配属することに興味があるのではないかと噂されていた。この取引は2007年6月30日まで決定しなければならなかった[20]。NHLの規約違反にも関わらず、バルシリーはまだ所有が始まっていないチームの移転話を進め始めた[21]。移転先はトロント・メープルリーフスとバッファロー・セイバーズの本拠地から約50マイル(80km)のカナダのオンタリオ州ハミルトン市のコップス・コロシアムが考えられた。ハミルトンへの移転はメープルリーフスの領有権侵害として賠償金を要求される可能性があった。セイバーズはNHLが定める50マイルからやや外側にあったのだが、賠償金を要求される可能性は捨てきれなかった[22]。6月13日、翌日からチケットマスターを通じて「ハミルトン・プレデターズ」の名の入ったシーズン・チケットが販売されることになったことからまたNHLの規約違反となった[23]。カナダでのホッケーのチケットの購入者が多いサザン・オンタリオへNHLの拡張を行なうというバルシリーの考えがNHLの理事会で披露された[24][25]

6月23日、複数のメディアがレイポルドはもはやバルシリーにプレデターズを売却するつもりはないと報じた。しかしレイポルドは間接的にバルシリーとの契約はまだ可能性があると伝えた[26]。バルシリーの弁護士であるリチャード・ロディアはレイポルドからNHLへの文書を引用し、売却の進捗の一部は単に形式的であり、この未決の売却に関して若干の変更があると語った[27]。カナダの関係者たちはこれらの情報や遅延作戦はNHLがチームをカナダに移転させたくないからだろうと考えたが、NHLはこれを否定した[28]。レイポルドはのちにバルシリーは買収後もナッシュビルに据え置くことを考えておらず、プレデターズとナッシュビル市との繋がりに干渉し、移転することを前提に買収しようとしていると明かした[21]。そのためバルシリーとレイポルドの交渉は決裂した[21]

2007年6月下旬、ミズーリ州カンザスシティへの移転説も浮上した[29]。カナダの『ナショナル・ポスト』紙で匿名により、プレデターズのオーナーであるクレイグ・レイポルドは、2008-09シーズンに合わせてカンザスシティの新しいスプリント・センターにチームを移転したがっているサンノゼの投資家ウイリアム・デル・ビアージョ3世に売却する計画を立てていると報じられた[29]。スプリング・センターを本拠地とするNHLのチームを所有するためにアンシュッツ・エンターテイメント・グループと契約していたデル・ビアージョは推定約1億9千万ドルでの買収を申し出た。2年前の2005年、デル・ビアージョはピッツバーグ・ペンギンズの買収に同意に達したが、NHLドラフト・ロッタリーで指名権を得て1巡目でシドニー・クロスビーを獲得したため撤回された[29]。プレデターズがナッシュビルの会場のリースがまだ残っているにも関わらず、バルシリーはハミルトンでシーズン・チケットを発行し、NHLのオーナーで理事のゲイリー・ベットマンを失望させ、レイポルドはバルシリーへの売却を考え直したと報じられた[29]。デル・ビアージョはカンザスシティで法人向けチケットの販売を開始したが[30]、バルシリーが行なったようなシーズン・チケットは含まれていなかった。その後レイポルドはデル・ビアージョとのみ交渉しているという噂を否定し、まだバルシリーとの契約の可能性が残っており全ての入札を明らかにすると語った[31]。レイポルドはバルシリーがプレデターズを移転させないという約束を反故にし、手付金の支払いを行なわなかったと語った。2007年7月4日、『グローブ・アンド・メール』紙は30名の投資家たちがナッシュビルにチームを留めておくための入札をする団体を結成したと報じた[32]

2007年7月19日、地元の企業家グループによる「アワ・チーム・ナッシュビル」がソメイ・センター(現ブリヂストン・アリーナ)に集まり、プレデターズをナッシュビルに留めるためチームのファンにシーズン・チケットを購入することを薦めた。7,500名ものファンが詰め掛け、シーズン・チケットが726セット売れた[33]。この集まりはのちに地元ラジオ局WGFX104.5の番組『The Zone』のスポーツキャスターとなるジョージ・プラスターが大きく貢献した。

2007年8月1日、グループはレイポルドからの文書を発表した[34]。ナッシュビル市との交渉後、デイヴィッド・フリーマン率いる地元のグループがカール・ディーン市長との合意に達し、NHL理事会は2007年11月29日付けでの売却を承認した。1億7,200万ドルの買収額には約6,100万ドルの借金の返済と220万ドルの手数料や経費が含まれた。

主にテネシー州の人々で構成されたこのグループには、かつてカンザスシティへの移転を試みたデル・ビアージョも参加した。地元の購入者が73%を占め、デル・ビアージョなど少数のパートナーが残り27%を占めた。

デル・ビアージョによる詐欺

2008年6月、デル・ビアージョは多くのローン未返済により法的トラブルとなり、連邦倒産法第11章により破産を申請した[35]。さらにデル・ビアージョのチームへの出資金も不正に入手したものであるとしてFBIの調査が行われ刑事責任が追及されることになった[36]。刑期97ヶ月の判決が下された。

連邦倒産法により、借金返済のためプレデターズへの出資金を含む資産を売却することになった。バルシリーがデル・ビアージョの出資分を買い取り、破産をまぬがれたと報じられた[37]。しかしNHLや地元グループがこれを完全に阻止し、バルシリーに出資分が移行する前にデル・ビアージョの権利は無効になっていたと伝えられた。

多くの北米スポーツ・リーグはチームの巨額の出資をする者は誰でも支払能力を考慮しており、デル・ビアージョの破産はNHLにとって深刻なパブリック・リレーションズの失敗となった[38][39]。1997年に詐欺師ジョン・スパノがニューヨーク・アイランダーズを短期間所有していたが、財務諸表が不正だったためNHLはオーナーとなる者をアーンスト・アンド・ヤングニューヨークの会計事務所で入念に検査するようになった。またバッファロー・セイバーズのオーナーのジョン・リガスが詐欺で有罪となったが、チームに被害はなかった。

2009年2月4日、カルガリーの実業家W・ブレット・ウイルソンはプレデターズの大株主デイヴィッド・フリーマンと会合し、別のスポーツ・チームへの投資を持ち掛けた。ウイルソンはスポーツ・チームへの投資に合意したと発表したがいまだ詳細は明かされていない。ウイルソンは27%の小株主の1人であるウイリアム・デル・ビアージョ3世からプレデターズの権利を名目上買い取った。

2008-09年および2009-10年、プレデターズは1試合につきチケット購入者が平均14,000名で、世界的な経済不況の中利益を上げたと発表した[40]

2011年11月、W・ブレット・ウイルソンはプレデターズの株の5%を購入したと報じられた[41]

チームについて

チームはセンテニアル・スポーツプレックスで練習を行なっている。2007-08年のシーズンでは新たな縞の入ったジャージが作られた。ロゴも色も変更はなかった。アウェイ用のジャージにもロゴがついている。2011-12年のシーズンではジャージのデザインや色合いを変更した。ホーム・ジャージは明るい黄金色地に濃紺と白の線が入り、アウェイ・ジャージは白地に黄金色と濃紺の線の入ったものである。またロゴも白、黄金色、濃紺で作られたものに変わった。ナッシュビルの音楽の歴史を物語るように、新しいジャージの肩にはテネシー州の旗の三ツ星の入ったギターのピックが描かれ、背番号にはギターの弦の絵が横断し、首回りの内側にはピアノの鍵盤が描かれている。今回は第3のジャージは作られて いない。

ファンのお約束

デトロイト・レッドウィングスのタコ投げの伝統にならい、プレデターズのファンはチーム愛を表明するためアメリカ南部の名物ナマズをアイスリンクに投げ入れる。2003年10月30日に『テネシアン』紙で初めて報じられた[42]。2003年11月13日の初ゴールの際は少なくとも4匹のナマズがリンクに投げ込まれた。

ブリヂストン・アリーナのセクション303は「セルブロック」と呼ばれ、「NHLで最もうるさいアリーナで、最もうるさいセクション」とされている[43][1]。ファンが独自に組織したグループであるが、プレデターズ事務局にも認識されており、セクション後ろの壁に事務局作成の大きなバナーが貼られていた。

2008年4月3日、セントルイス・ブルースと対戦したレギュラー・シーズン最終ホーム・ゲームで、満席のソメイ・センター(現ブリヂストン・アリーナ)で4:30に3対2でリードしており、テレビ中継でファンはずっとスタンディングオベーションを続けた。プレデターズはそのまま勝ち抜けてプレイオフに進出し、以降最後のテレビ中継にはスタンディングオベーションすることが伝統となった。

プレデターズのマスコットはナッシュ(Gnash)という青いサーベルタイガーである。1998年に初登場し、高速の懸垂下降、ジップ ・ライン、振り子などのスタントを特徴としており、スコアボードの下やリンクのすぐそばに登場する。

マスコット以外に、プレデターズのファンはパワー・プレイの際に「ファン・フィンガー」(この場合のファン(fang)は牙の意)で応援する。売店で手袋型のものを購入することもできるが、多くの観客は両手でピースを作り、人差し指と中指を少し折って牙のような形にし、上下に振って威嚇するようにする。この時BGMにはアルフレッド・ヒッチコックの映画『サイコ』のホラーの音楽が流れる[44]

プレーオフ戦績

  • 2004年、1回戦デトロイト・レッドウィングス(2勝4敗)
  • 2006年、1回戦サンノゼ・シャークス(1勝4敗)
  • 2007年、1回戦サンノゼ・シャークス(1勝4敗)
  • 2008年、1回戦デトロイト・レッドウィングス(2勝4敗)
  • 2010年、1回戦シカゴ・ブラックホークス(2勝4敗)
  • 2011年、1回戦アナハイム・ダックス(4勝2敗)、2回戦バンクーバー・カナックス(2勝4敗)
  • 2012年、1回戦デトロイト・レッドウィングス(4勝1敗)、2回戦フェニックス・コヨーテズ(1勝4敗)
  • 2015年、1回戦シカゴ・ブラックホークス(2勝4敗)

戦績

ファイル:Nashville Predators Alternate Logo.svg
2001年から2007年に使用された第3ジャージのロゴ

注: GP = 試合数, W = 勝, L = 敗, T = 引き分け(2005-2006年以降廃止), OTL = 延長敗, Pts = ポイント, GF = 得点, GA = 失点, PIM = 反則時間(分)

シーズン GP W L T OTL Pts GF GA PIM 順位 Playoffs
1998-99 82 28 47 7 63 190 261 1420 4位, Central
1999-00 82 28 40 7 7 70 199 240 946 4位, Central
2000-01 82 34 36 9 3 80 186 200 944 3位, Central
2001-02 82 28 41 13 0 69 196 230 1071 4位, Central
2002-03 82 27 35 13 7 74 183 206 969 4位, Central
2003-04 82 38 29 11 4 91 216 217 1360 3位, Central 1回戦敗退
2004-05[注釈 1]
2005-06[注釈 2] 82 49 25 8 106 259 227 1489 2位, Central 1回戦敗退
2006-07 82 51 23 8 110 272 212 1,155 2位, Central 1回戦敗退
2007-08 82 41 32 9 91 227 224 1,015 2位, Central 1回戦敗退
2008-09 82 40 34 8 88 213 233 982 5位, Central
2009-10 82 47 29 6 100 225 225 982 3位, Central 1回戦敗退
2010–11 82 44 27 11 99 219 194 720 2位, Central カンファレンス準決勝2勝4敗(カナックス)
2011–12 82 48 26 8 104 237 210 689 2位, Central カンファレンス準決勝1勝4敗(コヨーテズ)
2012–13 48 16 23 9 41 111 139 471 5位, Central
2013–14 82 38 32 12 88 216 242 808 6位, Central
2014-15 82 47 25 10 104 232 208 693 2位, Central カンファレンス準々決勝2勝4敗(ブラックホークス)
Totals 1278 604 504 60 110 1,615 3,119 3,458 16,185 プレイオフ8回出場、2回戦出場2回
  1. ^ ストにより全試合中止。
  2. ^ 延長敗の勝ち点1を含む。

選手一覧

姓のアルファベット順。2015年7月1日現在。[45]

# Nat Player Pos S/G Age Aquired Birthplace
64 カナダの旗 ヴィクター・バートリー D L 27 2011 オンタリオ州オタワ
57 カナダの旗 ゲイブリエル・ボーク LW L 24 2009 ケベック州リムスキ
14 スウェーデンの旗 マティアス・エコーム D L 25 2009 [[::en:Borlänge|Borlänge, Sweden]]
4 カナダの旗 ライアン・エリス D R 24 2009 オンタリオ州ハミルトン
12 カナダの旗 マイク・フィッシャー(主将代行) C R 35 2011 オンタリオ州ピーターボロ
9 スウェーデンの旗 フリップ・フォースバーグ C R 21 2013 [[::en:Östervåla|Östervåla, Sweden]]
28 アメリカ合衆国の旗 ポール・ゴースタッド C L 33 2012 ノースダコタ州ファーゴ
11 カナダの旗 コディ・ホッジソン C R 25 2015 オンタリオ州トロント
30 カナダの旗 カーター・ハットン G L 29 2013 オンタリオ州サンダーベイ
5 カナダの旗 バレット・ジャクソン D L 34 2015 ブリティッシュコロンビア州トレイル
19 スウェーデンの旗 Calle Jarnkrok C R 23 2014 イェヴレボリ県イェヴレ
3 アメリカ合衆国の旗 セス・ジョーンズ D R 20 2013 テキサス州アーリントン
59 スイスの旗 Roman Josi D L 25 2008 ベルン州ベルン
18 カナダの旗 ジェイムズ・ニール(主将代行) LW L 28 2014 オンタリオ州ウィットビー
24 アメリカ合衆国の旗 エリック・ニーストロム LW L 32 2013 ニューヨーク州サイオセット
- カナダの旗 マックス・ラインハート C L 23 2015 ブリティッシュコロンビア州 バンクーバー
63 カナダの旗 マイク・リベイロ C L 35 2014 ケベック州モントリオール
35 フィンランドの旗 ペッカ・リネ G L 32 2004 ケンペル
15 アメリカ合衆国の旗 クレイグ・スミス C R 26 2009 ウィスコンシン州マディソン
6 カナダの旗 シェイ・ウェバー(主将) D R 30 2003 ブリティッシュコロンビア州シカマス
33 アメリカ合衆国の旗 コリン・ウイルソン C L 25 2008 コネチカット州グリニッジ

歴代ヘッドコーチ

  • 1998年~2014年、バリー・トロツ
  • 2014年~、ピーター・ラヴィオレット

歴代GM

  • 1998年~、デイビッド・ポイル

歴代キャプテン

  • 1998年~2002年、トム・フィッツジェラルド
  • 2002年~2006年、グレッグ・ジョンソン
  • 2006年~2007年、キーモー・ティモネン
  • 2007年~2010年、ジェイソン・アーノット
  • 2010年~、シェイ・ウェバー

ウェバーが生え抜き選手では初となるキャプテンに就任した。 また、元ワシントン・キャピタルズのスコット・ウォーカーは2003年1月に数試合、ジョンソンの代理でキャプテンを務めた。

ドラフト1巡目指名選手

最多得点選手

プレデターズ史上最多得点選手上位10名を以下に示す。

Pos = ポジション; GP = 試合数; G = ゴール数; A = アシスト; Pts = 得点数; P/G = 試合平均得点; * = チーム現役

Player Pos GP G A Pts P/G
デイヴィッド・レグウォンド C 956 210 356 566 .59
マーティン・イラット LW 723 163 318 481 .65
シェイ・ウェバー* D 685 146 246 392 .57
キモ・ティモネン D 573 79 222 301 .53
ジャン・ピア・デュモント C 388 93 174 267 .69
スティーヴ・サリヴァン LW 317 100 163 263 .83
スコット・ウォーカー RW 410 96 151 247 .60
グレッグ・ジョンソン C 502 93 145 238 .47
ライアン・サッター D 542 38 200 238 .44
ジェイソン・アーノット C 275 107 122 229 .83

受賞歴

レスター・ペイトリック・トロフィ

  • デイヴィッド・ポイル: 2000–01

ビル・マスタートン記念トロフィ

  • スティーヴ・サリヴァン: 2008–09

NHLファンデーション選手賞

NHLファースト・オールスター・チーム

  • シェイ・ウェバー: 2010–11, 2011–12

NHLセカンド・オールスター・チーム

チーム記録

  • 年間最多ゴール… ジェイソン・アーノット, 33 (2008-09)
  • 年間最多アシスト… ポール・カリヤ, 54 (2005-06)
  • 年間最多得点… ポール・カリヤ, 85 (2005-06)
  • 年間最多ゴール(ディフェンスマン)… シェイ・ウェバー, 23 (2008-09, 2013–14)
  • 年間最多得点(ディフェンスマン)… シェイ・ウェバー, 56 (2013–14)
  • 年間最多得点(新人)… フィリップ・フォースバーグ, 63 (2014–15)
  • 年間最多ペナルティー・ミニッツ(PIM)… パトリック・コーテー (Patrick Cote), 242 (1998-99)
  • 年間最多勝…ペッカ・リネ, 43 (2011–12)
  • 年間最多完封…ペカ・リネー (Pekka Rinne), 7 (2008-09, 2009-10)
  • 通算最多出場… デービッド・レグワンド, 768
  • 通算最多ゴール… デービッド・レグワンド, 169
  • 通算最多アシスト… デービッド・レグワンド, 279
  • 通算最多得点… デービッド・レグワンド, 448

脚注

  1. ^ a b Preds Unveil New Logos”. Nashville Predators. June 22, 2011閲覧。
  2. ^ http://predators.nhl.com/club/news.htm?id=718131
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外部リンク