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常識にとらわれず商売をそっちのけで理想を追い求める逸平は、妻の実家や親戚と揉め事が絶えず、はなが5歳の時にしがらみを断って一家で上京し、南品川で葉茶屋を営むようになる。城南尋常小学校に通うはなは、心象風景を短歌や句作にして詠んでは楽しむ幼少期を過ごした。その頃、社会主義活動に加わった逸平は特に教育の機会均等を訴え、娘の才能を伸ばすべく奔走し、[[1903年]](明治36年)、学校創設者との信仰上の繋がりから、10歳のはなを[[東洋英和女学院中学部・高等部|東洋英和女学校]]に給費生としての編入学を実現させる。一方、家族の生活は困窮しており、8人兄弟のうち高等教育を受けたのは長女のはなのみで、他の兄弟は次女と三女を残して皆養子などに出されている。はなの入学は、兄弟達の犠牲の上に成されたものであった。 |
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2014年4月2日 (水) 17:48時点における版
村岡花子 | |
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誕生 |
安中はな 1893年6月21日 山梨県甲府市 |
死没 |
1968年10月25日(75歳没) 東京都大田区 |
職業 | 児童文学者、翻訳家 |
国籍 | 日本 |
最終学歴 | 東洋英和女学校高等科 |
代表作 | 『赤毛のアン』翻訳 |
主な受賞歴 | 藍綬褒章(児童文学への貢献) |
配偶者 | 村岡儆三 |
子供 | 道雄(長男・早世)、みどり(養女:妹・梅子の長女) |
親族 | 村岡美枝・村岡恵理(孫) |
公式サイト | 赤毛のアン記念館・村岡花子文庫 |
ウィキポータル 文学 |
村岡 花子(むらおか はなこ、1893年(明治26年)6月21日 - 1968年(昭和43年)10月25日)は日本の翻訳家・児童文学者。児童文学の翻訳で知られ、モンゴメリの著作の多くと、エレナ・ポーター、オルコットなどの翻訳を手がけた。
経歴
生い立ち
山梨県甲府市の安中逸平・てつ夫妻の長女として生まれる。本名は安中 はな(あんなか はな)。安中夫妻はクリスチャンの家庭で、幼少時にカナダ・メソジスト派の甲府教会において小林光泰牧師より幼児洗礼を受けている。父の逸平は駿府(静岡県)の小さな茶商の家に生まれ、茶の行商中にカナダ・ソメジスト派協会に出入りするようになり、熱心なクリスチャンとなって布教の流れで甲府に移り住み、そこで出会ったてつと結婚してその実家に住むようになる。教会での交流で新しい文化の影響を受けた逸平は、利発な長女のはなに過剰なほどの期待をかけた。
常識にとらわれず商売をそっちのけで理想を追い求める逸平は、妻の実家や親戚と揉め事が絶えず、はなが5歳の時にしがらみを断って一家で上京し、南品川で葉茶屋を営むようになる。城南尋常小学校に通うはなは、心象風景を短歌や句作にして詠んでは楽しむ幼少期を過ごした。その頃、社会主義活動に加わった逸平は特に教育の機会均等を訴え、娘の才能を伸ばすべく奔走し、1903年(明治36年)、学校創設者との信仰上の繋がりから、10歳のはなを東洋英和女学校に給費生としての編入学を実現させる。一方、家族の生活は困窮しており、8人兄弟のうち高等教育を受けたのは長女のはなのみで、他の兄弟は次女と三女を残して皆養子などに出されている。はなの入学は、兄弟達の犠牲の上に成されたものであった。
女学校入学
東洋英和女学校でカナダ人宣教師から英語を学ぶ傍ら、同級生柳原白蓮の紹介で佐佐木信綱から万葉集など日本の古典文学を学ぶ。この頃からペンネームとして安中 花子を名乗るようになる。同校高等科在学中からアイルランド文学の翻訳家松村みね子(歌人としての筆名に片山廣子。芥川龍之介の晩年の恋人)の勧めで童話を執筆。
1914年に東洋英和女学院高等科を卒業すると、英語教師として山梨英和女学校に赴任。同年、友人と共に歌集『さくら貝』を刊行。この時期、キリスト教の夏季講座で市川房枝と出会う。
1917年から、東京銀座のキリスト教出版社である教文館に女性向け・子供向け雑誌の編集者として勤務。1919年に福音印刷合資会社の経営者村岡儆三[1]と結婚し、村岡姓となる。1920年に誕生した長男を、1926年に病で失う。このことを機に、英語児童文学の翻訳紹介の道に入る。1927年、片山廣子の勧めにより、マーク・トウェインの"Prince and Pauper"を『王子と乞食』の邦題で翻訳し、平凡社から公刊。
1932年から1942年までJOAKのラジオ番組『コドモの時間』の一コーナー『コドモの新聞』に出演、「ラジオのおばさん」として人気を博した。第二次世界大戦中は大政翼賛会後援の大東亜文学者大会に参加するなど、戦争遂行に協力的な姿勢を取った。また、市川房枝の勧めで婦選獲得同盟に加わり、婦人参政権獲得運動に協力(その一方、婚外子への法的差別撤廃には反対した[2])。その他、文部省嘱託や行政監察委員会委員、女流文学者協会理事、公明選挙連盟理事、家庭文庫研究会会長、キリスト教文化協会婦人部委員などを歴任。1960年、児童文学に対する貢献によって藍綬褒章を受ける。1968年、脳血栓で死去。
長男・道雄の病死後、子供に恵まれなかった事から、妹・梅子の長女・みどり(1932年生)を養女とする。そのみどりの娘で花子の孫にあたる村岡恵理は赤毛のアン記念館館長を務めている。
クリスチャンとしては日本基督教団大森めぐみ教会の会員として、教会に通った。[3]
モンゴメリと村岡
村岡とモンゴメリとの出会いは、日本を去る宣教師のミス・ショーに手渡された『赤毛のアン』の原書、1908年の冬版であった[4]。この出会いは1939年のことで、村岡は灯火管制のもと翻訳を続けて終戦の頃に訳し終え[5]、1952年に三笠書房から出版された『赤毛のアン』は日本の読者にも広く受け入れられた。村岡はその後、アンシリーズ、エミリーシリーズ、丘の家のジェーン、果樹園のセレナーデ、パットお嬢さんなど、モンゴメリの作品翻訳を次々と手がける。村岡の最後の翻訳作品となった『エミリーの求めるもの』は、彼女の没後、1969年に出版された[6]。山本史郎の『東大の教室で『赤毛のアン』を読む―英文学を遊ぶ9章』(東京大学出版会)は村岡の訳の中に一部が欠落していることの理由を考えた講義である。
略年表
同年、友人と共に歌集『さくら貝』を刊行。
- 1917年から、教文館に女性向け・子供向け雑誌編集者として勤務。
- 1919年、結婚。
- 1920年、長男誕生。
- 1926年、長男を疫痢で喪う。
- 1927年、マーク・トウェインの"Prince and Pauper"を翻訳し邦題『王子と乞食』として公刊。
- 1932年から1942年までJOAK(NHK東京放送センター)のラジオ番組の『コドモの新聞』コーナーに出演、「ラジオのおばさん」として人気を博す。
- 1939年、宣教師のミス・ショーからモンゴメリの"Anne of Green Gables" を受け取る。
- 1952年、モンゴメリの"Anne of Green Gables" を翻訳し邦題『赤毛のアン』として公刊。
- 1960年、児童文学に対する貢献によって藍綬褒章受賞。
- 1963年、夫を喪う。
- 1967年、カナダを訪問。
- 1968年、脳血栓で死去。
著訳書
訳書
- 炉辺 日本基督教興文協会 1917
- モーセが修せし国 救世軍 1919
- 王子と乞食 マーク・トウェイン 平凡社 1927 のち岩波文庫
- 花咲く家 ペリー 教文館 1929
- 見知らぬ国へ 冒険実話集 カザリン・クロンク 教育館出版部 1930
- パレアナの成長 エレナ・ポーター 平凡社 1930 「パレアナの青春」角川文庫
- 姉は闘ふ パレアナ姉妹篇 エレナ・エチ・ポーター 教文館出版部 1932 「スウ姉さん」角川文庫
- ディッケンス物語の子供たち 春陽堂 1933
- 日本イソップ繪物語 大日本雄辯會講談社 1933
- 聖書物語 エステル・ルツ 基督教出版 1935
- 愛情の道 ウイドマー 教文館出版部 1936
- 喜びの本 ポーター 中央公論社 1939
- 母の生活 パアル・バック 第一書房 1940
- 家なき天使 方洙源 那珂書店 1943
- 巨人岩 ナサニエル・ホーソン 耳野卯三郎絵 羽田書店 1948
- 奴隷トム物語 ハリエット・ビーチャー・ストウ 湘南書房 1948
- 薔薇の少女 八人のいとこたち ルイザ・メイ・オルコット 新少國民社 1948 「八人のいとこ」角川文庫
- 炉辺のこほろぎ ディッケンズ 隆文堂 1949 のち新潮文庫
- ジェーンへの手紙 シュルツ女史 霞書房 1950-51
- べにはこべ オルツィ夫人 英宝社 1950
- イエス・キリストの一生 いばらの冠の王さま ノルマン・エフ・ラングフォルド 教文館 1951
- しあわせな王子さま オスカー・ワイルド 日本書房 1951
- ジャックと豆の木 潮文閣 1951
- あしながおじさん ジーン・ウェブスター あかね書房 1951
- 王女物語 マリオン・クロフォード ダヴィッド社 1952
- フランダースの犬 ウィーダ 日本書房 1952 のち新潮文庫
- ふしぎな国のアリス ルイス・キャロル 潮文閣 1952
- エレン物語 ワーナー ポプラ社 1952
- 赤毛のアン L・M・モンゴメリ 三笠書房 1952 新潮文庫 1954
- クリスマス・カロル チャールズ・ディケンズ 新潮文庫 1952
- 母の肖像 パール・バック ダヴィッド社 1952年 のち新潮文庫
- ジェーン・アダムスの生涯 ジャッドソン 岩波少年文庫 1953
- 愛の一家 ザッパー 日本書房 1953
- 小公女 バーネット夫人 あかね書房 1954
- 続・赤毛のアン モンゴメリ 三笠書房 1954 「アンの青春」新潮文庫
- ピーターという男 妻の描いた夫の肖像 キャスリン・マーシャル 創元社 1954
- 赤ちゃんはどこからくるの? S.M.グルエンベルグ 中央公論社 1955
- 秘密の花園 バーネット夫人 ポプラ社 1955
- 母の曲 プローチ 講談社 1955
- 愛についての演習 G.D.シュルツ 中央公論社 1955
- 赤毛のアン 第3 モンゴメリ 三笠書房 1955 「アンの愛情」新潮文庫
- ばらとゆびわ サッカレイ 日本書房 1956
- エステル物語 新教出版社 1956 (聖書少年文庫)
- 赤毛のアンの幸福 モンゴメリー 講談社 1956
- ナンシー姉さん ケート・ウィギン 秋元書房 1956
- 第四赤毛のアン モンゴメリ 三笠書房 1956 「アンの友達」新潮文庫
- 栗毛のパレアナ エレナ・ポーター 村岡みどり共訳 秋元書房 1956
- 水の国の子 キングスレイ 日本書房 1956
- きんのりんご 北欧神話 日本書房 1957
- 小公女 バーネット 日本書房 1957
- 黄色い猫の秘密 エラリイ・クウィーン 早川書房 1957 のち文庫
- 第五赤毛のアン モンゴメリ 三笠書房 1957 「アンの幸福」新潮文庫
- リンバロストの乙女 正続 ジーン・ポーター 秋元書房 1957 のち角川文庫
- そばかす ジーン・ポーター 秋元書房 1957
- バレー・シューズ ストリートフィールド 講談社 1957
- 果樹園のセレナーデ モンゴメリイ 新潮社 1957 のち文庫
- 子じか物語 ローリングス 日本書房 1958
- アンの夢みる家 モンゴメリ 三笠書房 1958 「アンの夢の家」新潮文庫
- 虹の谷のアン モンゴメリイ 新潮社 1958 のち文庫
- 花ざかりのローズ オルコット 佐川和子共訳 三笠書房 1958 のち新潮文庫
- 薔薇のロザリンド カスリーン・ノリス 新潮社 1958
- アンの楽しい家庭 モンゴメリ 三笠書房 1958 「炉辺荘のアン 第七赤毛のアン」新潮文庫
- アンをめぐる人々 モンゴメリ 三笠書房 1958 のち新潮文庫
- 少女パレアナ エレナ・ポーター 1959
- 風の中のエミリー モンゴメリ 秋元書房 1959 「可愛いエミリー」新潮文庫
- ハックルベリイ・フィンの冒険 マーク・トウェイン 新潮文庫 1959
- 雨に歌うエミリー モンゴメリ 秋元書房 1959 「エミリーはのぼる」新潮文庫
- 続・あしながおじさん ウェブスター 町田日出子共訳 角川文庫 1959
- 神の栄光 オノーレ・モロウ 角川文庫 1959
- アンの娘リラ 第十赤毛のアン モンゴメリ 新潮文庫 1959
- 昔かたぎの少女 オルコット 朋文堂 1959
- ハイジの子どもたち トリッテン 朋文堂 1959
- ケレー家の人びと ウィギン 朋文堂 1959 のち角川文庫
- パットお嬢さん モンゴメリ 朋文堂 1960 のち新潮文庫
- 丘の家のジェーン モンゴメリ 新潮文庫 1960
- 聖書物語 ヴァン・ルーン 角川文庫 1960
- 美しいポリー オルコット少女名作全集 5 岩崎書店 1961
- いたずらきかんしゃちゅうちゅう バージニア・リー・バートン 福音館書店 1961
- アンディとらいおん ジェームズ・ドーハーティ(en:James Daugherty) 福音館書店 1961
- 叫べ、愛する国よ アラン・ペイトン 聖文社 1962
- 中共の子供たち マーガレット・ウイリー 自由アジア社 1963
- ごきげんならいおん ルイーズ・ファティオ(en:Louise Fatio)福音館書店 1964
- ポーラスものがたり 1-3 ジーン・ダリュー あかね書房 1965
- 白い子ジカ ヒギンス・プローティ 講談社 1967
- こびとのビートルキンの冒険 J.ダリュー あかね書房 1967
- 世に与えた彼女の手紙 エミリー・ディッキンソン ポリー・ロングワース 東京メディカル・センター出版部 1968
- エミリーの求めるもの モンゴメリー 新潮文庫 1969
創作
- 『紅い薔薇』青蘭社 1926年
- お山の雪 青蘭社書房 1928
- 強い美しい女王の話・優しい孝行なお嫁の話 昭陽堂書店 1928
- 子供のための善きひつじかひの歌 教文館出版部 1931
- 村岡花子童話集 金の星社 1938
- 青イクツ 新潮社 1940 (学年別新選童話集 1年生)
- 『たんぽぽの目』鶴書房 1941
- 『桃色の玉子』弘文社 1948
- 花になった子供星 美和書房 1948
- りすのゆめ 二葉書店 1949
- きんぎょのおともだち 小峰書店 1952
- おばさんのおはなし 金子書房 1952
- マリヤさま 聖母ものがたり 日本書房 1958
随筆・評論
- 母心随想 時代社 1940
- 静に想ふ 母親教育シリーズ 新生堂 1941
- 心の饗宴 随筆集 時代社 1941
- わが少女の日(編)甲鳥書林 1942
- 母心抄 西村書店 1942
- 母の愛行 今井福治郎共著 有精堂 1943
- 新日本の女性に贈る(編)羽田書店 1946
- 見知らぬ国へ 労働文化社 1947
- 『雨の中の微笑』新美社 1947
- 光に向ふ 隆文堂 1947
- 友情論 湘南書房 1947
- やさしいおかあさん 寿書房 1948
- 女学生の生活と友情論 小峰書店 1951
- 小学生のエチケット あかね書房 1951
- 生活の流れに棹さして 東洋経済新報社 1953 (家庭文庫)
- 親と子 要書房 1953
- 女性の生き甲斐 牧書房新書 1953
- めざめたる純潔(編)三笠新書 1954
- ナイチンゲール 赤十字のおかあさん 日本書房 1955
- ストー夫人 講談社 1955 (世界伝記全集
- 世界名作とその作家たち 名作を味わうために さ・え・ら書房 1957
- ヘレン・ケラー 金子書房 1957
- 若き母に語る 池田書店 1960
- ママと子ども ママへの注文12章 牧書店 1961
- 努力の偉人 苦しみをのりこえた人びと あかね書房 1962
- 『生きるということ-村岡花子遺稿集』あすなろ書房 1969年
伝記ドラマ
関連項目
- 柳原白蓮 - 東洋英和女学院在学時の同級生で、花子の「腹心の友」とされる。
- 佐佐木信綱 - 花子の古典文学の師。
- ヘレン・ケラー - 来日時に花子が通訳を務める。
- 小池喜孝 - 元三笠書房編集者。邦題『赤毛のアン』の命名者。
- 村岡平吉 - 花子の義父。聖書の印刷で知られ、「バイブルの村岡さん」と呼ばれる。1898年に福音印刷合資会社を設立する。
- 村岡美枝 - 花子の孫。翻訳家・英米文学者。
- 村岡恵理 - 花子の孫。美枝の妹。作家。著書『アンのゆりかご-村岡花子の生涯-』は前述の『花子とアン』の原案となる。美枝と共に赤毛のアン記念館を主宰。
- 村岡希美 - 花子の姪孫[7]。女優。前述の『花子とアン』にも出演[8]。
- 中村佐喜子 - 角川文庫版『赤毛のアン』の訳者。花子訳の新潮文庫版と並ぶロングセラーとなった。
- 週刊こどもニュース - 戦後のNHKの子供向け報道番組。
脚注
- ^ 賀川豊彦の妻賀川ハルのいとこで、村岡平吉の子
- ^ 1946年8月22日の臨時法制調査会第2回総会における発言
- ^ 『日本キリスト教歴史大事典』1385頁
- ^ 村岡みどり 「初めての『赤毛のアン』」 東洋英和女学院機関紙『敬和会』52号、p. 27、1990年3月
- ^ 『アボンリーへの道(4)』 村岡美枝訳 金の星社 ISBN 9784323019734 p. 182
- ^ 『エミリーの求めるもの』1969年 新潮社 滑川道夫によるあとがき
- ^ “私の大叔母にあたる村岡花子が朝ドラに!”. 村岡希美@jojomizumi. 2014年3月28日閲覧。
- ^ 『連続テレビ小説 花子とアン Part1(NHKドラマ・ガイド)』NHK出版、2014年。ISBN 9784149235677