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「楽々園遊園地」の版間の差分

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{{redirectlist|ファミリータウン広電楽々園|東京都[[青梅市]]にかつて存在した遊園地|青梅鉄道楽々園|その他|楽々園 (曖昧さ回避)}}
'''楽々園遊園地'''(らくらくえんゆうえんち)は、かつて[[広島県]][[佐伯郡]][[五日市町 (広島県)|五日市町]](現在の[[広島市]][[佐伯区]])にあった[[遊園地]]である。
{{基礎情報 テーマパーク
[[ファイル:楽々園遊園地跡01.JPG|300px|thumb|right|以前楽々園遊園地があった場所。現在はショッピングセンターになっている]]
| 名称 = 楽々園遊園地
| 画像 =
| 画像説明 =
| 愛称 =
| 前身 =
| テーマ =
| キャッチコピー = 電車で楽々行ける遊園地
| 事業主体 =
| 管理運営 = 広島瓦斯電軌株式会社 →<br />広島電鉄株式会社 →<br />有限会社楽々園 →<br />広島電鉄株式会社 →<br />広電観光株式会社 →<br />株式会社広電楽々園
| 面積 = 約1万坪
| 来園者数 =
| 開園 = [[1936年]]([[昭和]]11年)[[9月8日]]
| 閉鎖 = [[1971年]]([[昭和]]46年)[[8月31日]]
| 所在地郵便番号 =
| 所在地 = [[広島県]][[佐伯郡]][[五日市町 (広島県)|五日市町]]海老塩浜{{Efn|name=shiohama|1971年(昭和46年)住居表示導入および1985年(昭和60年)の町合併後は[[広島市]][[佐伯区]][[楽々園 (広島市)|楽々園]]}}
| 位置 = {{coord|34|21|43.4|N|132|21|8.4|E|type:landmark_region:JP|display=inline,title}}
| 公式サイト =
}}
{{基礎情報 会社
|社名 = 株式会社広電楽々園
|英文社名 =
|ロゴ =
|画像 =
|画像説明 =
|種類 = [[株式会社 (日本)|株式会社]]
|市場情報 =
|略称 =
|国籍 = {{JPN}}
|本社郵便番号 =
|本社所在地 = [[広島県]][[広島市]][[中区 (広島市)|中区]]東千田町二丁目9番29号<ref name="syoko92">『広島商工年鑑'92』 1550ページ</ref>
|設立 = [[1960年]](昭和35年)[[4月1日]]<ref name="HIRODEN10070_396">『広島電鉄開業100年・創立70年史』396ページ</ref>
|業種 =
|統一金融機関コード =
|SWIFTコード =
|事業内容 = 飲食店事業
|代表者 = 高石稔<ref name="syoko92"/>{{Efn|1990年まで広島電鉄の専務だった<ref name="HIRODEN10070_357">『広島電鉄開業100年・創立70年史』357ページ</ref>}}
|資本金 = 2000万円<ref name="syoko92"/>
|発行済株式総数 =
|売上高 =
|営業利益 =
|純利益 =
|純資産 =
|総資産 =
|従業員数 = 16人<ref name="syoko92"/>
|決算期 =
|主要株主 =
|主要子会社 =
|関係する人物 =
|外部リンク =
|特記事項 = 以上の情報は合併直前の『広島商工年鑑'92』の情報に基づく
}}
'''楽々園遊園地'''(らくらくえんゆうえんち)は、[[広島県]][[佐伯郡]][[五日市町 (広島県)|五日市町]]海老塩浜<ref name="shiohama" group="注釈"/>にかつて存在した[[遊園地]]<ref name="homenews220327">{{Cite web|和書|date=2022-03-27|title=【65年前にもあった】秘蔵映像で振り返る広島の遊園地|url=https://www.youtube.com/watch?v=94SVZVMGhcs|website=[[HOMEニュース]] – 公式[[YouTube]]|publisher=[[広島ホームテレビ]]|accessdate=2022-07-28}}</ref>。[[広島瓦斯電軌]]{{Efn|1942年に[[広島ガス]]・[[広島電鉄]]に再分離<ref name="HIRODEN10070_91">『広島電鉄開業100年・創立70年史』91ページ</ref>}}の電鉄部門<ref>『広島ガス80年史』 7ページ</ref>の土地経営事業<ref name="gas70_21">『広島ガス70年史』 21ページ</ref>により開発された<ref name="itukaiti_253">『五日市町誌 中巻』 253ページ</ref>。


現在は跡地に「'''[[イオンタウン楽々園]]'''」が営業している。
== 概要 ==

[[1936年]]([[昭和]]11年)9月に広島瓦斯電軌([[広島電鉄]]の前身)により開園。当時全国的に行われていた鉄道会社による沿線娯楽施設の一つであった。名称は「電車で'''楽々行ける遊園地'''」というキャッチフレーズに由来する。[[第二次世界大戦]]中は物資の集積場として利用され、戦後は一時さびれたが、[[1950年]]代に新しい遊具が増えると大レジャーランドとなり市民に親しまれた。その後、海水浴場の閉鎖により集客数は減少し、[[1971年]](昭和47年)に閉鎖された。現在は跡地の一角に[[ショッピングセンター]]・ファミリータウンが建設されている。また「楽々園」の地名は閉園後も旧五日市町・佐伯区の住所表示として存続しているため、現在では広島近辺で単に「[[楽々園 (広島市)|楽々園]]」といえば、遊園地の跡地およびその周辺に所在する'''住宅地'''と一般的には理解されている。
== 歴史 ==
=== 開園まで ===
名称は「[[電車]]で'''楽々行ける遊園地'''」というキャッチフレーズに由来し<ref name="homenews220327"/><ref name="hiroshima-1">[http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/0000000000000/1280729237116/html/common/52b90cad128.html 広島市広報紙 市民と市政 バックナンバー 平成22年 8月1日号 区報 佐伯区]</ref><ref name="hirogas100_66">『広島ガス100年史』66ページ</ref>、一般[[公募]]により命名された<ref name="rinen198905_27">『輪苑 1989年5月号』 27ページ(広島市広報誌『市民と市政』1989年5月1日号転載)</ref>。また開園当初は「[[中国地方]]の[[宝塚市|宝塚]]」を目指していた<ref name="itukaiti_253"/>、

[[江戸時代]]には、[[楽々園 (広島市)|楽々園]]のあたりは「海老塩浜」と呼ばれ、[[塩田]]での[[製塩]]が盛んな地域であった<ref name="itukaiti_203">『五日市町誌 中巻』 203ページ</ref>。[[万治]]年間(1658年から1661年)に[[干潟]]を[[干拓]]して塩田を造成<ref name="itukaiti_203"/>。毎年1000[[石 (単位)|石]]の[[塩]]を生産していたと『芸藩通志』に書かれている<ref name="itukaiti_203"/>。しかし[[1897年]](明治30年)頃になると、輸入塩などの増加により、小規模塩田だった海老塩浜での塩精製業は厳しくなり<ref name="itukaiti_207">『五日市町誌 中巻』 207ページ</ref>、塩の専売制導入と塩田業の整理施策により[[1911年]](明治44年)に当地での塩田業は廃業した<ref name="itukaiti_208">『五日市町誌 中巻』 208ページ</ref>。

[[観光地]]としては[[1897年]]([[明治]]30年)頃から、夏場は多くの[[海水浴場]]が[[海老山町 (広島市)|海老山]]周辺で営業していた<ref name="gasden_18">[{{NDLDC|1020556/22}} 『広島瓦斯電軌株式会社経営電車沿線案内』18ページ]</ref>。

[[箕面有馬電気軌道]](現・[[阪急電鉄]])による[[宝塚ファミリーランド|宝塚新温泉]]などの開発の成功により<ref name="HIRODEN10070_70">『広島電鉄開業100年・創立70年史』70ページ</ref>、当時[[日本]]国内で全体的に行われていた[[鉄道会社]]による[[レールサイド戦略|沿線]]観光振興により設置された娯楽施設の一つである<ref name="HIRODEN10070_70"/>。広島瓦斯電軌の電鉄部門の土地経営事業の中心事業として<ref name="gas70_21"/>、観光客誘致を目的とした大衆向け娯楽施設を計画<ref name="gas70_21"/>。[[1919年]]([[大正]]8年)時点の計画書で、場所は未定ながら住宅・運動場・潮湯場・海水浴場の整備を事業計画内で謳っていた<ref name="HIRODEN10070_70"/>。しかし、当時の[[広島電鉄宮島線|宮島線]]の沿線人口だけでは、十分な効果は期待できなかった<ref name="hiroden8050_h42">『広島電鉄開業80創立50年史』本編42ページ</ref>。

[[1927年]]([[昭和]]2年)頃より五日市町海老塩浜地区の[[農耕地]]に[[住宅地]]の[[造成]]を開始<ref name="HIRODEN10070_71">『広島電鉄開業100年・創立70年史』71ページ</ref>。[[1935年]](昭和10年)に、[[埋め立て]]を開始<ref name="itukaiti_280">『五日市町誌 中巻』 280ページ</ref>{{Efn|2014年(平成26年)6月1日現在の楽々園一丁目・二丁目・三丁目・四丁目あたり<ref name="itukaiti_280"/>}}。約5万坪(約165,289 [[平方メートル|m<sup>2</sup>]])を埋め立て<ref name="itukaiti_481">『五日市町誌 中巻』 481ページ</ref>、住宅地中央部の<ref name="rcc">[http://www.rcc.net/prewar-film/pref_hiroshima_content.htm ひろしま戦前の風景] - 中国放送</ref>約1万[[坪]](約33,058 [[平方メートル|m<sup>2</sup>]])を遊園地用地に<ref name="itukaiti_481"/>、残りを住宅地にした<ref name="itukaiti_481"/>。造成された住宅地は「塩浜住宅」と呼ばれた<ref name="HIRODEN10070_71"/>。埋め立てに使われた砂は、南側の海底の砂をサンドポンプで[[浚渫]]して使用<ref name="itukaiti_280"/>。表面は同じ町内の城根山の土で覆った<ref name="itukaiti_280"/>。

[[1936年]](昭和11年)より住宅地の販売を開始<ref name="HIRODEN10070_71"/>。宅地購入者への特典として、4年間宮島線および市内線で使える優待券を進呈し<ref name="itukaiti_280"/>、その優待券で楽々園遊園地に入園出来るようにした<ref name="itukaiti_280"/>。

[[1936年]](昭和11年)7月30日より海水浴場の営業を開始<ref name="itukaiti_481"/>。同年9月8日に楽々園遊園地および温泉施設が開園した<ref name="HIRODEN10070_429">『広島電鉄開業100年・創立70年史』429ページ</ref>。開園当初は広島瓦斯電軌の直営事業だった<ref name="HIRODEN10070_160">『広島電鉄開業100年・創立70年史』160ページ</ref>。

=== 開園から第二次世界大戦終戦まで ===
開園当初の園内には、遊戯場・売店・プール・休憩所を整備され<ref name="itukaiti_254">『五日市町誌 中巻』 254ページ</ref>、夏場には南側の砂浜で海水浴場が営業した<ref name="itukaiti_254"/>。[[1938年]](昭和13年)に撮影された動画には、ミニSL・ゴーカート・プール・猿山などが撮されている<ref name="rcc"/>。また、海水浴場はきめの細かい白い砂が印象的だったとする証言もある<ref>『広島市 新昭和の残像5 楽々園撮影会 水着姿に5000人群れ』 - 中国新聞 2001年8月11日 夕刊 1ページ</ref>。

開園日当日に温泉本館もオープン<ref name="hirogas100_66"/><ref name="hirogas60_93">『広島ガス60年史』93ページ</ref>{{Efn|1936年の開業当時の営業報告書に「温泉」と表記されているが[[温泉法]]施行以前のことなので、現在のスーパー銭湯に近いものだった可能性がある}}。館内には、真湯・潮湯・薬湯・家族湯の温浴施設のほか<ref name="hirogas100_66"/>、大食堂や演芸室なども整備された<ref name="hirogas100_66"/><ref name="hirogas60_93"/>{{Efn|五日市町誌には、同年8月より温泉施設の営業を開始とある<ref name="itukaiti_481"/>。}}。

開園当初は、春は花見<ref name="rinen197110">『輪苑 1971年10月号』 裏内表紙</ref>。夏は海水浴<ref name="rinen197110"/>。秋は菊の展示会で賑わった<ref name="rinen197110"/>。また[[ラジオ体操]]のイベントか開催され広島地区の新名所になった<ref name="HIRODEN10070_72">『広島電鉄開業100年・創立70年史』72ページ</ref><ref name="itukaiti_481"/>。開園効果は宮島線の乗客数にも影響を与え、[[1935年]](昭和10年)の306万人から1936年(昭和11年)は329万人に増加した<ref name="HIRODEN10070_73">『広島電鉄開業100年・創立70年史』73ページ</ref>。その後も、海水浴シーズンを中心に来場者を集めた<ref name="HIRODEN10070_95">『広島電鉄開業100年・創立70年史』95ページ</ref>。

また、遊園地周辺にも影響を与え、楽々園駅と遊園地の間に旧・五日市町でも数少ない商店街が形成{{Efn|[[1955年]](昭和30年)の新・五日市町成立時店でも、旧・五日市町の道筋と楽々園遊園地前程度しか商店街がなかった<ref name="itukaiti_248">『五日市町誌 中巻』 248ページ</ref>。2014年(平成26年)6月現在でも楽々園商店街として営業している<ref>[http://www.rakurakuen.net/ 広島市佐伯区にある楽々園商店街のお店紹介]</ref>。}}。また、[[1897年]](明治30年)頃より海老園周辺には海水浴場が整備されていたが<ref name="itukaiti_251">『五日市町誌 中巻』 251ページ</ref>、砂浜の減少や海水汚染なども重なり、楽々園遊園地に客を取られ衰退していった<ref name="itukaiti_253">『五日市町誌 中巻』 253ページ</ref>。

[[第二次世界大戦]]中もしばらくは営業を継続<ref name="HIRODEN10070_95"/>。[[1942年]](昭和17年)の[[広島ガス]]・[[広島電鉄]]の分離の時に、広島電鉄が引き継ぐことになった<ref name="HIRODEN10070_91"/>。[[1943年]]春頃に海軍および陸軍に関する展覧会を開催し<ref name="HIRODEN10070_95"/>、場内には小型並状旋回飛行塔が設置され<ref name="HIRODEN10070_95"/>、同年度上期の来場者数は26万人を数えた<ref name="HIRODEN10070_95"/>。しかし、戦況の悪化により園内の田園化も検討されるようになり<ref name="HIRODEN10070_95"/>、[[1944年]]12月に休園<ref name="HIRODEN10070_96">『広島電鉄開業100年・創立70年史』96ページ</ref>。施設は陸軍船舶部に貸し出された<ref name="HIRODEN10070_96"/>。その後、物資の集積場として使われた<ref name="rinen198905_27"/>。

=== 第二次世界大戦終戦から閉園まで ===
[[1945年]](昭和20年)[[8月6日]]の[[広島市への原子爆弾投下]]に伴い、本社要員を楽々園遊園地にも避難させた<ref name="hiroden8050_h77">『広島電鉄開業80創立50年史』本編77ページ</ref>。1945年(昭和20年)8月6日から[[1946年]](昭和21年)8月30日まで広島電鉄の本社が置かれていた<ref name="HIRODEN10070_431">『広島電鉄開業100年・創立70年史』431ページ</ref>。

[[1947年]](昭和22年)7月1日から<ref name="HIRODEN10070_431"/>[[1951年]](昭和26年)3月26日まで有限会社楽々園が委託して運営を行った<ref name="HIRODEN10070_432">『広島電鉄開業100年・創立70年史』432ページ</ref>。その後、一時期は本社の直営になった後<ref name="HIRODEN10070_432"/>、[[1957年]](昭和32年)10月1日から広電観光に賃貸され<ref name="HIRODEN10070_433">『広島電鉄開業100年・創立70年史』433ページ</ref>、経営を移管<ref name="HIRODEN10070_160">『広島電鉄開業100年・創立70年史』160ページ</ref>。[[1960年]](昭和35年)4月より広電観光から分離独立した<ref name="HIRODEN10070_396">『広島電鉄開業100年・創立70年史』396ページ</ref>、広電楽々園が運営していた<ref name="hiroden8050_h134">『広島電鉄開業80創立50年史』本編134ページ</ref>。

その間、旧・五日市町は周辺町村と合併し、[[1955年]](昭和30年)4月1日に新・五日市町に移行した<ref name="itukaiti_58">『五日市町誌 中巻』 58ページ</ref>。

戦時中および戦後まもなくは衰退していたが<ref name="itukaiti_254">『五日市町誌 中巻』 254ページ</ref>、昭和30年代(1955年から1965年)には、新規施設として観覧車や[[ローラーコースター|ジェットコースター]]、[[レーシングカート|ゴーカート]]、ウオーターシュート、[[プラネタリウム]]などが整備され、<ref name="hiroshima-1"/><ref name="hiroshima-2">[https://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/0000000000000/1309407865153/html/common/52bbce24011.html 広島市広報紙 市民と市政 7月1日号 ページタイトル]</ref><ref name="itukaiti_254"/>、夏にはプールが営業した<ref name="hiroshima-1"/><ref name="hiroshima-2"/>。温浴施設は、戦後「楽々園スパー」と呼ばれるようになった<ref name="hiroshima-1"/><ref name="hiroshima-2"/>。それらの施策により、第二次世界大戦前に匹敵する程の賑わいを見せた<ref name="rinen198905_27"/>。

[[1957年]](昭和32年)12月には、閑散期対策として、「楽々園スパー」と電車運賃を割り引く施策を実施<ref name="rinen195712_3">『輪苑 1957年12月号』 3ページ</ref>。好評だったため、[[1958年]](昭和33年)4月に割引を通年化した<ref name="rinen195804_3">『輪苑 1958年04月号』 3ページ</ref>。

[[1960年]](昭和35年)3月19日にオープンしたプラネタリウムは<ref name="rinen197111_26">『輪苑 1971年11月号』 26ページ</ref>、中国地方初かつ大型の施設で<ref name="rinen197111_26"/>、千代田光学精工製<ref name="rinen197111_26"/>{{Efn|後の[[ミノルタ]]<ref name="rinen197111_26"/>。会社の合併などで、現在は[[コニカミノルタ]]。}}が設置。国産一号機とされた<ref name="rinen197111_26"/>{{Efn|「国産一号機」の表記は疑問。[[プラネタリウム]]を参照。}}。またプラネタリウムの付属施設として、翌[[1961年]](昭和36年)5月に、楽々園天文台が設置された<ref name="rinen197201_22">『輪苑 1972年1月号』 22ページ</ref>。設置当時は広島県内最大の直径25cmの反射赤道儀が設置された<ref name="rinen197201_22"/>{{Efn|反射赤道儀は、閉園後に、ドームと合わせて[[広島修道大学ひろしま協創中学校・高等学校|鈴峯女子中学校・高等学校]]に移設<ref name="rinen197201_23">『輪苑 1972年1月号』 23ページ</ref>。2012年(平成24年)時点で壊れてはいるものの現存している<ref>[http://www.suzugamine.ac.jp/high/journal/1206.html スズガミネジャーナル1206] - 鈴峯女子高等学校</ref>}}。

[[1964年]](昭和39年)から秋の催し物に加え、春の催し物も始まり人気を集めた<ref name="rinen197110"/>。秋の催し物も長年「菊人形展」がよく行われていたが、マンネリ打破のため<ref name="rinen197111_29">『輪苑 1971年11月号』 29ページ</ref>、前年の[[1963年]](昭和38年)には「菊の忍者展」として、忍者を菊人形で作成<ref name="rinen197111_29"/>。伊賀の忍者館より歴史的資料を借りて展示し<ref name="rinen197111_29"/>、「菊の忍者展」は大盛況だった<ref name="rinen197111_29"/>。来場者数も増加し、年間60万人を突破した年もあった<ref name="itukaiti_254"/>。

[[1964年]](昭和39年)、埋め立ての進行により海水浴場は閉鎖<ref name="miyajima-kaido">[http://miyajima-kaido.jp/hakkei/imamukashi/?id=319 宮島街道いまむかし - 宮島街道]</ref>{{Efn|『輪苑 1989年5月号』には1962年(昭和37年)廃止とある<ref name="rinen198905_27"/>が、1963年(昭和38年)に海水浴場開きをしている事実<ref name="rinen196308_p6">『輪苑 1963年8月号』 6ページ</ref>および、1964年(昭和39年)のプール設置時に「埋め立てにより失われた」とあるので<ref name="rinen196408_p6">『輪苑 1966年6月号』 6ページ</ref>、1963年(昭和38年)まで海水浴場営業。1964年(昭和39年)からパラダイスプール営業と考えるのが自然と思われる。}}。その代替施設として、同年に閉園後もしばらく営業する「パラダイスプール」が開園した<ref name="rinen197110"/>。新しいプールは、鬼ヶ島一帯を整備<ref name="rinen196402_4">『輪苑 1964年2月号』 4ページ</ref>。総水面面積が約1,000坪(約 3,306 m<sup>2</sup>)の、大小3つのプールを整備した<ref name="rinen196402_4"/>{{Efn|name=umetate|埋め立てにより、これまで遊園地の人工物と、海岸の自然物の組み合わせが崩れ、ハッとしなくなる問題について、1962年(昭和37年)5月の社長の言葉で述べている<ref name="rinen196205_14">『輪苑 1962年5月号』 14ページ</ref>。}}。プール内にはクジラの形をした滑り台が設置された<ref>『まちかどの記憶 広島市佐伯区楽々園 モデル撮影会 カメラ大衆化男性夢中』 - 中国新聞 2008年8月13日 夕刊 1ページ</ref>。同年より開始した「臨海土地造成」で、元々海水浴場があった場所が埋め立て、造成された<ref name="itukaiti_282">『五日市町誌 中巻』 282ページ</ref><ref name="itukaiti_285">『五日市町誌 中巻』 285ページ</ref>{{Efn|2014年(平成26年)6月1日現在の楽々園五丁目・六丁目・海老園三丁目の一部<ref name="itukaiti_282"/>}}。

[[1966年]](昭和41年)には、[[楽々園駅]]舎内に、喫茶店「楽々園パーラー」が営業を開始<ref name="HIRODEN10070_396">『広島電鉄開業100年・創立70年史』396ページ</ref><ref name="rinen196902_14">『輪苑 1969年2月号』 14ページ</ref><ref name="rinen196904_16">『輪苑 1969年4月号』 16ページ</ref>。[[1969年]](昭和44年)に、増改築の上で、[[お好み焼き]]・[[寿司]]・[[焼肉]]を扱う「レストラン楽々園」にリニューアルし、遊園地閉園後もしばらく営業を続けた<ref name="HIRODEN10070_396"/><ref name="rinen196902_14"/><ref name="rinen196904_16"/>。

1969年(昭和44年)11月からは「パラダイスプール」に、開業当時日本一のテント式屋根方式のスケートリンクを設営し、「楽々園スケートリンク」として営業<ref name="chugoku19691102_9">『日本一のテント式 楽々園』 - 中国新聞 1969年11月2日 9ページ</ref><ref name="rinen196911">『輪苑 1969年11月号』 裏表紙</ref>。翌シーズンも営業した<ref name="rinen197011">『輪苑 1970年11月号』 裏表紙</ref>{{Efn|パティネ商会の持ち込み企画で、売り上げの10%を還元していた<ref name="rinen196908_21">『輪苑 1969年8月号』 21ページ</ref>。}}。その他オフシーズンには、ローラースケート場やアーチェリー場として営業していた時期もあった<ref name="chugoku19760810">『レジャー産業夏の陣1 プール ジリ貧の経営状態 魅力づくりが今後の課題』 - 中国新聞 1976年8月10日 6ページ</ref>。

しかし、夏場および休日以外の来場者は少なく経営に支障を与え<ref name="itukaiti_254"/>、1962年(昭和37年)以降来客数は減少<ref name="rinen198905_27"/><ref name="umetate" group="注釈"/>。[[1970年]](昭和45年)の秋頃から冬頃にかけて開店休業状態に陥り休園<ref name="itukaiti_254"/>。[[1971年]](昭和46年)8月31日に閉鎖された<ref name="HIRODEN10070_436">『広島電鉄開業100年・創立70年史』436ページ</ref>{{Efn|営業最終年の1971年の社内報に「[[広島市安佐動物公園|安佐動物公園]]の開設は痛手であると述べられている<ref name="rinen197101_29">『輪苑 1971年1月号』 29ページ</ref>。}}。楽々園遊園地の閉園までに、約1,200万人の入場者が訪れた<ref name="rinen197110"/>。

遊園地営業終了後の[[1971年]](昭和46年)12月に[[住居表示]]が実施され<ref name="itukaiti_66">『五日市町誌 中巻』 66ページ</ref>、[[町丁|町名]]も「[[楽々園 (広島市)|楽々園]]」となった。

なお、楽々園遊園地のプラネタリウム館長だった佐藤健は、[[1980年]](昭和55年)の[[広島市こども文化科学館]]開館時に転籍し、プラネタリウム室長に就任した<ref name="rinen198004_p2">『輪苑 1980年4月号』 2ページ</ref>。

== 跡地のその後 ==
{{商業施設
|書式 =
|名称 = イオンタウン楽々園
|外国語名称 =
|画像 =
|画像説明 = ファミリータウン広電楽々園<br />楽々園遊園地の跡地に建設されたショッピングセンター
|地図 =
|郵便番号 = 731-5136
|所在地 = [[広島県]][[広島市]][[佐伯区]][[楽々園 (広島市)|楽々園]]4丁目14
|緯度度 = |緯度分 = |緯度秒 =
|経度度 = |経度分 = |経度秒 =
|座標右上表示 =
|開業日 = [[1972年]](昭和47年)[[3月23日]](ひろでん楽々園ショッピングタウン)<ref name="HIRODEN10070_437" /><br />[[2024年]](令和6年)[[12月6日]](イオンタウン楽々園)
|閉業日 =
|店番号 =
|正式名称 =
|建物名称 =
|土地所有者 = [[広島電鉄]]<ref name="aeontown230623" /><ref name="流通ニュース230623" /><ref name="中国新聞230623" />
|施設所有者 = 広島電鉄
|施設管理者 = [[イオンタウン]]
|設計者 =
|施工者 =
|敷地面積 = |敷地面積脚注 = |敷地面積備考 =
|建築面積 = |建築面積脚注 = |建築面積備考 =
|延床面積 = |延床面積脚注 = |延床面積備考 =
|商業施設面積 = |商業施設面積脚注 = |商業施設面積備考 =
|店舗数 =
|中核店舗 = [[マックスバリュ]]イオンタウン楽々園店<ref>[https://www.maxvalu.co.jp/shop/?tenpo_code=36244 マックスバリュイオンタウン楽々園店] [[フジ (チェーンストア)|株式会社フジ]] 、2024年12月6日閲覧。</ref>
|営業時間 = 店舗により異なる
|駐車台数 = |駐車台数脚注 = |駐車台数備考 =
|駐輪台数 = |駐輪台数脚注 = |駐輪台数備考 =
|前身 = 楽々園遊園地<br />↓<br />ひろでん楽々園ショッピングタウン<br />↓<br />ファミリータウン広電楽々園
|後身 =
|商圏人口 =
|最寄駅 = [[楽々園駅]]
|最寄バス停 =
|最寄IC =
|外部リンク =
}}

楽々園遊園地の跡地には[[ショッピングセンター]]「'''イオンタウン楽々園'''」が営業している。

=== レジャー施設の変化 ===
楽々園遊園地の閉園後、遊園地を運営していた広電楽々園は事業を継続し、[[楽々園駅]]の「レストラン楽々園」{{Efn|[[1975年]](昭和50年)8月31日廃止<ref name="HIRODEN10070_396"/>。}}、および「パラダイスプール」が継続営業した<ref name="rinen197306">『輪苑 1973年6月号』 裏表紙</ref><ref name="rinen197406_p6">『輪苑 1974年6月号』 6ページ</ref>。翌[[1972年]](昭和47年)7月に「パラダイスプール」は幼児用プールを新設するなど改装した<ref name="rinen197207_p26">『輪苑 1972年7月号』 26ページ</ref>。

プールの晩年は、レジャーの多様化による客の伸び悩みと、オフシーズンの敷地の有効活用が困難だったことで、商業施設への集客効果を期待しての営業だった<ref name="chugoku19760810"/>{{Efn|[[1972年]](昭和47年)・[[1973年]](昭和48年)・[[1974年]](昭和49年)・[[1976年]](昭和51年)の社内報<ref name="rinen197207_p26"/><ref name="rinen197306"/><ref name="rinen197406_p6"/><ref name="rinen197604">『輪苑 1976年4月号』 背表紙</ref>、および同時期の中国新聞<ref name="chugoku19720725_12">中国新聞 1972年7月25日 12ページ 部分広告</ref><ref>中国新聞 1973年7月20日 16ページ 部分広告</ref><ref>中国新聞 1974年7月12日 11ページ 部分広告</ref><ref>中国新聞 1975年7月10日 16ページ 部分広告</ref><ref>中国新聞 1976年7月8日 4ページ 企画広告</ref>に広告がある。1977年(昭和52年)および1978年(昭和53年)の企画広告には楽々園プールの掲載はない。<ref>中国新聞 1977年7月14日 6ページ 企画広告</ref><ref>中国新聞 1978年7月6日 10ページ 企画広告</ref>。晩年の[[1976年]](昭和51年)の新聞記事ではプールを閉鎖し、他の利用法を模索する可能性にも触れられている<ref name="chugoku19760810"/>。}}。

[[1972年]](昭和47年)からは新規施設も整備され、同年の再オープン時の宣伝文句に「'''広電楽々園遊園地が装いも新たに、再出発しております'''」と宣伝していた<ref name="chugoku19720725_12"/>。

同1972年[[4月29日]]には「和食レストラン楽良久」が開店した<ref name="HIRODEN10070_396"/>{{Efn|1991年(平成3年)の広電ストア合併で移管<ref name="HIRODEN10070_396"/>。[[1995年]](平成7年)に弁当センターへ業務委託。<ref name="HIRODEN10070_392">『広島電鉄開業100年・創立70年史』392ページ</ref>。}}。

また、同1972年(昭和47年)5月10日には[[ボウリング]]場「広電楽々園ボウル」が新規開場した<ref name="HIRODEN10070_396"/>。2014年(平成26年)6月1日時点でダイキがあった場所に位置し<ref name="rinen197111_p19"/>、40レーンを有していた<ref name="rinen197111_p19">『輪苑 1971年11月号』 19ページ</ref>。ボウリングブームの終焉により、[[1974年]](昭和49年)3月31日をもって閉場した<ref name="HIRODEN10070_208">『広島電鉄開業100年・創立70年史』208ページ</ref>。2014年6月1日現在、ボウリング場の建物は現存し継続利用されている。

同1972年(昭和47年)にはそのほか、[[ビリヤード]]場も整備された<ref name="rinen197205_p3">『輪苑 1972年5月号』 3ページ</ref>

翌[[1973年]](昭和48年)には[[中国放送|RCC]]興発により、日本初登場となる[[パターゴルフ]]場<ref name="rinen197309_p3">『輪苑 1973年9月号』 3ページ</ref>「楽々園パットパットゴルフ」が開園し<ref name="HIRODEN10070_396"/>{{Efn|18コース<ref name="rinen197309_p3"/>、[[1982年]](昭和57年)8月直営化<ref name="HIRODEN10070_396"/>。1991年(平成3年)の広電ストア合併で移管<ref name="HIRODEN10070_396"/>。[[1998年]](平成10年)3月廃止<ref name="HIRODEN10070_392"/>。}}、人気施設となった<ref name="itukaiti_259">『五日市町誌 中巻』 259ページ</ref>。

会社としての広電楽々園は[[1991年]](平成3年)12月31日に広電ストアへ吸収合併された<ref name="HIRODEN10070_396"/>。「和食レストラン楽良久」および「楽々園パットパットゴルフ」は、広電ストアへの移管後もしばらくは営業を継続し<ref name="HIRODEN10070_392"/>、「楽々園パットパットゴルフ」は[[1998年]](平成10年)3月の廃止まで営業した<ref name="HIRODEN10070_392"/>。

===「ひろでん楽々園ショッピングタウン」の開業 ===
楽々園遊園地の閉園後、一部施設は取り壊され<ref name="itukaiti_254">『五日市町誌 中巻』 254ページ</ref>、跡地には広島電鉄子会社の[[広電ストア]]{{Efn|ショッピングセンター出店当時の社名は「広電興産」<ref name="HIRODEN10070_439">『広島電鉄開業100年・創立70年史』439ページ</ref>。[[1982年]](昭和57年)に「広電ストア」へ商号に変更<ref name="HIRODEN10070_439"/>。[[2018年]](平成30年)にスーパーマーケット事業を[[マックスバリュ西日本]]へ譲渡したのち解散。詳細は当該記事を参照。なお広電タクシーを[[1997年]](平成9年)に改称した<ref name="HIRODEN10070_395">『広島電鉄開業100年・創立70年史』395ページ</ref>、広電興産株式会社<ref name="HIRODEN10070_395"/>(2016年4月1日付で広島電鉄へ吸収合併<ref>[https://www.hiroden.co.jp/company/ir/pdf/news/2801-1.pdf 子会社の吸収合併(簡易合併・略式合併)に関するお知らせ] 広島電鉄株式会社、2006年1月25日、2023年6月26日閲覧。</ref>)とは別会社。}}により、総工費3億5000万円を掛け<ref name="chugoku19730423">『きょうオープン 広島県下初の"郊外型"ショッピングセンター 広島市外五日市町』 - 中国新聞 1973年4月23日 6ページ</ref>、[[1972年]](昭和47年)[[3月23日]]<ref name="HIRODEN10070_437" />{{efn|中国新聞の記事では「1973年4月23日オープン」とされており、『広島電鉄開業100年・創立70年史』と開業日に1年以上の食い違いがある<ref name="HIRODEN10070_437" />。}}、ショッピングセンター「'''ひろでん楽々園ショッピングタウン'''」がオープンした<ref name="HIRODEN10070_437">『広島電鉄開業100年・創立70年史』437ページ</ref>。食料品・衣料品売場は直営で<ref name="chugoku19730423"/>、28店舗の専門店が[[テナント]]出店<ref name="chugoku19730423"/>。200台収容できる駐車場が整備された<ref name="rinen197204">『輪苑 1972年4月号』 表内表紙</ref>。

[[1974年]](昭和49年)6月30日には、閉場したボウリング場跡を整備して別館をオープン<ref name="rinen197408_p2">『輪苑 1974年8月号』 2ページ</ref>。食料品売場を別館へ移し、元々あった建物は衣料品を充実させ<ref name="rinen197408_p2"/>。家電製品も扱うようになった<ref name="rinen197408_p2"/>。その登記・改装については[[大規模小売店舗法]]の発効直前に行われた<ref name="rinen197412_p12">『輪苑 1974年12月号』 12ページ</ref>。店舗面積拡大の背景には、[[イズミ|いづみ]]の出店決定および[[ジャスコ]]・[[ダイエー]]の進出の噂があり、地域一番店の立場を維持するために行ったものである<ref name="rinen197412_p12"/>。同1974年3月にいづみ五日市店の出店計画が明らかになり<ref>『郊外型ショッピングセンター 「いづみ」が二店目建設へ 五日市町(広島県)に来春完成』 - 中国新聞 1974年3月20日 6ページ</ref>、[[1977年]](昭和52年)[[5月20日]]に「いづみ五日市店」(のちの「[[ゆめタウン]]五日市」)がオープンしている<ref>『挑戦の流儀』 - 256ページ</ref>。

さらに[[1980年]](昭和55年)3月には、本館を拡張する形で増床オープンした<ref name="rinen198012_p5">『輪苑 1980年12月号』 5ページ</ref>。

「ひろでん楽々園ショッピングタウン」の屋上には、[[観覧車]]などがあるミニ遊園地が整備されていた<ref name="rinen198111_p7">『輪苑 1981年11月号』 7ページ</ref>。改装直前の[[1998年]]の写真<ref name="rinen199812_p11">『輪苑 1998年12月号』 12ページ</ref>には本館屋上に観覧車が写っている<ref name="rinen198111_p7">『輪苑 1981年11月号』 7ページ</ref>。。

また[[路線バス|バス路線]]等の整備も進められ、[[1981年]](昭和56年)11月には、石内地区の利便性向上のため、敷地内に[[バスターミナル]]を整備してバス路線が乗り入れるようになった<ref name="rinen198111_p7"/>。

[[1984年]](昭和59年)6月には、広島バス広島南営業所から分離・新設する形で「広電バス楽々園営業所」が設置された<ref name="HIRODEN10070_391">『広島電鉄開業100年・創立70年史』391ページ</ref>。

===「ファミリータウン広電楽々園」へのリニューアル ===
[[ファイル:マダムジョイ楽々園店・ナイスデイ.jpeg|thumb|ファミリータウン広電楽々園<br />右側は閉店した専門店街「ナイスデイ」棟。<br />左側は[[広電ストア]]が運営していた食品スーパー「マダムジョイ」楽々園店。[[マックスバリュ西日本]]への事業譲渡により「[[マックスバリュ]]楽々園店」へ転換。]]
[[1997年]](平成9年)頃より、[[商圏]]内の競争激化に伴う競争力向上を目的に増床を計画し<ref name="rinen199712_p10">『輪苑 1997年12月号』 10ページ</ref>、計画当初は4階建ての新館を建設する予定だったが<ref>『広電ストア 楽々園店リニューアル 4階建ての新館建設へ』 - 中国新聞 1997年7月29日 9ページ</ref>、[[1999年]](平成11年)7月より新食品館の建設を開始し<ref name="rinen199907_p10">『輪苑 1999年7月号』 10ページ</ref>、同年10月に新食品館「'''マダムジョイ'''」として開店<ref name="rinen199911_p2">『輪苑 1999年11月号』 2ページ</ref>。旧本館は専門店街「'''ナイスデイ'''」としてリニューアルした<ref name="rinen199911_p2"/>。また併せて旧食品館も改装し、同年12月に[[ダイキ]]{{efn|のちの[[DCMダイキ]]→[[DCM (企業)|DCM]]。}}が運営する[[ホームセンター]]「ディック」がオープンした<ref>『広電ストア楽々園にディックをオープン ダイキ』 - 中国新聞 1999年12月7日 7ページ</ref>。

この増床リニューアルに合わせ、施設名を「ひろでん楽々園ショッピングタウン」から[[複合商業施設]]「'''ファミリータウン広電楽々園'''」に改称<ref name="rinen199911_p2"/>。最終的には平屋建ての新館が建設され、このリニューアルにより広電ストア楽々園店は[[食品スーパー]]に特化することとなった<ref>『広電ストア楽々園店 きょう改装オープン ホームセンターも併設へ』 - 中国新聞 1999年10月15日 10ページ</ref>。

「広電バス楽々園営業所」は[[2006年]](平成18年)[[6月2日]]に[[廿日市市]]宮園上へ移転し「廿日市営業所」となったが、『広島電鉄開業100年・創立70年史』の発行時点(2012年11月)で廃止されている<ref name="HIRODEN10070_391"/>。旧広電バス楽々園営業所跡地には、[[2010年]]9月に「[[ヤマダ電機]]テックランド佐伯店」がオープン<ref name="rinen201010_p12">『輪苑 2010年10月号』 12ページ</ref>。[[2012年]](平成24年)には、敷地内に[[もみじ銀行]]の支店が移転した<ref>『もみじ銀行 楽々園のSC内に五日市支店移転へ』 - 中国新聞 2012年6月14日 7ページ</ref>。

[[2018年]]には[[広電ストア]]から[[マックスバリュ西日本]](現・[[フジ (チェーンストア)|フジ]])への事業譲渡に伴い、新食品館の「マダムジョイ」が「[[マックスバリュ]]楽々園店」へ転換した。

[[2019年]][[1月28日]]には[[ダイヤ改正]]により、旧広電バス楽々園営業所の閉鎖後も残っていた「ショッピング楽々園便」が廃止された<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.hiroden.co.jp/topics/2019/0111-0128dia.html|title=1/28(月) 佐伯線一部区間の自主運行バス移管ならびにダイヤ改正について |date=2019-01-18 |accessdate=2019-01-26 |publisher=広島電鉄}}</ref>。

[[2021年]]9月、専門店街「ナイスデイ」棟が老朽化のため閉店<ref>{{Cite web|和書|title=広電、佐伯区の「ファミリータウン」1棟閉館 9月末、建物が老朽化 |website=[[中国新聞]]デジタル |publisher=[[中国新聞]]|url=https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/91685|date=2021-02-12|accessdate=2023-06-01}}</ref><ref>[https://kaiten-heiten.com/familytown-hirodenrakurakuen/ 【閉店】ファミリータウン広電楽々園 NICE DAY 2021年9月30日(木)閉店] 開店閉店.com、2021年10月2日、2023年6月26日閲覧。</ref><ref>{{Cite web|和書|title=快足屋ウォーキング楽々園店 閉館閉店セール開催中|publisher=快足屋|url=https://kaisokuya.net/blogs/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9/%E5%BF%AB%E8%B6%B3%E5%B1%8B%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0%E6%A5%BD%E3%80%85%E5%9C%92%E5%BA%97-%E9%96%89%E9%A4%A8%E9%96%89%E5%BA%97%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%83%AB%E9%96%8B%E5%82%AC%E4%B8%AD|date=2021-06-26|accessdate=2023-06-01}}{{リンク切れ|date=2023-06}}</ref>。[[2022年]][[12月31日]]をもって「DCM楽々園店」(旧「ディック」→「ダイキ」→「DCMダイキ」、前述)も閉店した<ref>{{Cite web|和書|title=【広島県】DCM楽々園店 2022年12月31日(土)閉店のお知らせ|url=https://www.dcm-hc.co.jp/news/shop/20221115104645.html|publisher=[[DCM (企業)|DCM]]|date=2022-12-31|accessdate=2023-06-01}}</ref>。

=== イオンタウンによるSC建設計画 ===
上記の閉店した建物のうち、ナイスデイ棟は2022年7月までに解体を完了、ダイキ(DCM)が入居していた建物も2023年3月から解体が開始された<ref name="hiroden-20230623">{{Cite web|和書|title=楽々園における土地賃貸借契約の締結について|publisher=広島電鉄|url=https://www.hiroden.co.jp/topics/2023/0623-rakurakuen.html|date=2023-06-23|accessdate=2023-09-02}}</ref>。

[[2023年]][[6月23日]]付で、 広島電鉄と[[イオングループ]]の[[イオンタウン|イオンタウン株式会社]](千葉市)は土地[[賃貸借契約]]を締結し、「ファミリータウン広電楽々園」の敷地のうち、これらの建物(「ナイスデイ」棟および「DCM楽々園店」)が解体された跡地に、イオンタウンがショッピングセンターを建設予定であることを発表<ref name="hiroden-20230623" /><ref name="aeontown230623">[https://www.aeontown.co.jp/pdf/office/store/storage/cname_20230623153403.pdf 広島電鉄株式会社との土地賃貸借契約締結について] イオンタウン株式会社 ニュースリリース、2023年6月23日、2023年6月26日閲覧。</ref><ref name="流通ニュース230623">{{Cite web|和書|title=イオンタウン/ファミリータウン広電楽々園のナイスデイ棟跡地に新SC |url=https://www.ryutsuu.biz/store/p062317.html |website=[[流通ニュース]] |date=2023-06-23 |accessdate=2023-06-26 }}</ref><ref name="中国新聞230623">{{Cite web|和書|title=ファミリータウン広電楽々園内にイオンタウン 広島県内初、施設概要や開業時期未定 |url=https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/322997 |website=中国新聞デジタル |publisher=中国新聞社 |date=2023-06-23 |access-date=2023-06-26 |language=ja}}</ref>。この時点では施設内容や開店時期などの詳細については決定次第発表するとしており<ref name="流通ニュース230623" />、その後の2024年1月16日に、「'''イオンタウン楽々園'''」の名称で同年冬に開業予定であること、また「ファミリータウン広電楽々園」の敷地内の別の場所で営業しているマックスバリュ楽々園店(前述)も同所へ移転する予定であることがイオンタウンから発表された<ref>{{cite press release|和書|url=https://www.aeontown.co.jp/pdf/office/store/storage/cname_20240116130830.pdf|title=「イオンタウン楽々園」の出店について|publisher=[[イオンタウン]]|date=2024-01-16|accessdate=2024-01-25}}</ref>。

2024年11月1日にイオンタウンは、マックスバリュ楽々園店がイオンタウン楽々園内に移転した(上述)のちに、元のマックスバリュ楽々園店の跡地をイオンタウン楽々園の第2期オープン部分とする計画を発表するとともに、同所についても広島電鉄と土地賃貸借契約を結んだことを発表した<ref>{{cite press release|url=https://www.aeontown.co.jp/junkai/uploads/pdfs/aeontown/000005/000005/bdfef237.pdf|title=「イオンタウン楽々園」2期増床 オープンに向けた広島電鉄株式会社との土地賃貸借契約締結について|publisher=[[イオンタウン]]|date=2024-11-01|accessdate=2024-11-11}}</ref>。

2024年11月15日にイオンタウンは、「イオンタウン楽々園」の開業予定日を同年12月6日とすること、また株式会社フジは同所に移転するマックスバリュの店舗名を「マックスバリュイオンタウン楽々園店」とすることを発表した<ref name="aeontown1121">{{cite web|url=https://www.aeontown.co.jp/junkai/uploads/pdfs/aeontown/000005/000005/7df4677a.pdf|title=~多様な輝くココロが集まる交流拠点~ 広島県初出店! 『イオンタウン楽々園』12月6日(金)AM9:00グランドオープン!|publisher=[[イオンタウン]]・[[フジ (チェーンストア)|フジ]]|date=2024-11-15|accessdate=2024-11-21}}</ref>。従来のマックスバリュ楽々園店は同年11月24日に閉店し、予定通り12月6日にイオンタウン楽々園が開業<ref name="日本経済新聞20231206">{{cite news|url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCC063J50W4A201C2000000/|title=広島に初のイオンタウン、食品軸に 中核店はフジ運営|work=日本経済新聞|date=2024-12-06|accessdate=2024-12-13}}</ref>。イオンタウンの出店は広島県内では初となった<ref name="中国新聞230623" />{{efn|2023年6月時点でイオンタウンの商業施設は[[中国地方]]では[[島根県|島根]]・[[岡山県|岡山]]・[[山口県|山口]]の3県に所在していた<ref>[https://www.aeontown.co.jp/sclist/ 全国SC一覧] イオンタウン株式会社、2023年6月26日閲覧。</ref>。}}。従来のイオンタウンに比べて食品・飲食店の比重を高めており、出店テナント71店舗中、4割を超える30店舗を占めている<ref name="中国新聞230623" />。なお、ファミリータウン広島楽々園のテナントとして出店していた[[ヤマダデンキ]]テックランド佐伯店と[[もみじ銀行]]五日市支店はイオンタウン楽々園のテナントには含まれず、それぞれ独立店舗の扱いで営業を継続している<ref name="aeontown1121" />。

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ファイル:Family Town Hiroden Rakurakuen-3.JPG|専門店街「ナイスデイ」。最初に完成した建物の一つ。2021年9月閉店。
ファイル:Family Town Hiroden Rakurakuen-5.JPG|ホームセンター「DCMダイキ楽々園店」。最初に完成した建物の一つ。ボウリング場として建設され、ボウリング場の閉場後に食品売場へ転用されたのち、DCMダイキ(当初は「ディック」)が入居した。2022年12月31日閉店。
ファイル:Family Town Hiroden Rakurakuen-2.JPG|広電ストア「マダムジョイ」楽々園店(現・マックスバリュ楽々園店)。2024年11月24日閉店。
ファイル:Family Town Hiroden Rakurakuen-4.JPG|ヤマダ電機テックランド佐伯店
</gallery>

== 交通アクセス ==
* [[広島電鉄宮島線]] [[楽々園駅]]
** [[1935年]](昭和10年)12月1日「'''塩浜駅'''」として開設<ref name="konjaku156">『広電が走る街今昔』156ページ</ref>。楽々園駅遊園地の開園当日に「楽々園駅」へ改称した<ref name="konjaku156"/>。
** なお、[[1965年]](昭和40年)7月20日から[[1971年]](昭和46年)8月31日まで、駅名が「'''楽々園遊園地駅'''」だった時期もある<ref name="konjaku156"/>。

== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist|2}}
=== 出典 ===
{{Reflist|25em}}

== 参考文献 ==
; 社史
:* 『広島電鉄開業80創立50年史』(広島電鉄株式会社社史編纂委員会編) 1992年11月
:* 『広島電鉄開業100年・創立70年史』(広島電鉄株式会社社史編纂委員会編) 2012年11月
:* 『広島ガス60年史』(広島ガス株式会社) 1971年
:* 『広島ガス70年史』(広島ガス株式会社社史編集委員会) 1981年10月
:* 『広島ガス80年史』(広島ガス株式会社社史編集委員会) 1990年6月
:* 『広島ガス100年史』(広島ガス株式会社100年史編集事務局編)2010年3月
:
; 社内報
:* 『輪苑』(広島電鉄[[社内報]])各バックナンバー
:
; 町誌
:* 『五日市町誌 中巻』(五日市町誌編集委員会) 1979年
:
; 一般書
:* 『広電が走る街今昔』([[JTBパブリッシング]]・長船友則) ISBN 4533059864
:* 『広島商工年鑑'92』(広島商工会議所) 1992年8月
:
; 新聞
:* 『[[中国新聞]]』([[中国新聞社]])各バックナンバー


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
* [[ヒロシマナタリー]] - 楽々園遊園地の閉園後に広島電鉄宮島線沿線に開園した遊園地。
* [[楽々園 (広島市)|楽々園]]
* [[広島市こども文化科学館]] - 館内プラネタリウムのの佐藤健室長は、元は当園のプラネタリウム館長であった。
* [[楽々園駅]] - [[広島電鉄]][[広島電鉄宮島線|宮島線]]の最寄り駅。
* [[青葉学園物語]] - 『さよならは半分だけ』に登場するパチンコ屋「楽々館」の看板の話は、当園に由来すると思われる。
* [[天然温泉 ほの湯|塩屋天然温泉 ほの湯 楽々園]] - [[エネルギア不動産]]([[中国電力]]グループ)が運営する[[スーパー銭湯]]。
* [[太陽、海を染めるとき]] - 作中で楽々園遊園地が登場。


== 外部リンク ==
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* [http://www.rcc.net/prewar-film/pref_hiroshima_content.htm ひろしま戦前の風景] - 中国放送(RCC)。戦前の映像がある。
* [http://www.rcc.net/prewar-film/pref_hiroshima_content.htm ひろしま戦前の風景] - [[中国放送]]。戦前の映像がある。
* [http://www.rakurakuen.net/rekisi01.html Gallery 楽々園今昔] - 楽々園町内会が作成したウェブサイト。楽々園遊園地についても扱う。

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2024年12月13日 (金) 14:06時点における最新版

楽々園遊園地
施設情報
キャッチコピー 電車で楽々行ける遊園地
管理運営 広島瓦斯電軌株式会社 →
広島電鉄株式会社 →
有限会社楽々園 →
広島電鉄株式会社 →
広電観光株式会社 →
株式会社広電楽々園
面積 約1万坪
開園 1936年昭和11年)9月8日
閉園 1971年昭和46年)8月31日
所在地 広島県佐伯郡五日市町海老塩浜[注釈 1]
位置 北緯34度21分43.4秒 東経132度21分8.4秒 / 北緯34.362056度 東経132.352333度 / 34.362056; 132.352333座標: 北緯34度21分43.4秒 東経132度21分8.4秒 / 北緯34.362056度 東経132.352333度 / 34.362056; 132.352333
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株式会社広電楽々園
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
広島県広島市中区東千田町二丁目9番29号[1]
設立 1960年(昭和35年)4月1日[2]
事業内容 飲食店事業
代表者 高石稔[1][注釈 2]
資本金 2000万円[1]
従業員数 16人[1]
特記事項:以上の情報は合併直前の『広島商工年鑑'92』の情報に基づく
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楽々園遊園地(らくらくえんゆうえんち)は、広島県佐伯郡五日市町海老塩浜[注釈 1]にかつて存在した遊園地[4]広島瓦斯電軌[注釈 3]の電鉄部門[6]の土地経営事業[7]により開発された[8]

現在は跡地に「イオンタウン楽々園」が営業している。

歴史

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開園まで

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名称は「電車楽々行ける遊園地」というキャッチフレーズに由来し[4][9][10]、一般公募により命名された[11]。また開園当初は「中国地方宝塚」を目指していた[8]

江戸時代には、楽々園のあたりは「海老塩浜」と呼ばれ、塩田での製塩が盛んな地域であった[12]万治年間(1658年から1661年)に干潟干拓して塩田を造成[12]。毎年1000を生産していたと『芸藩通志』に書かれている[12]。しかし1897年(明治30年)頃になると、輸入塩などの増加により、小規模塩田だった海老塩浜での塩精製業は厳しくなり[13]、塩の専売制導入と塩田業の整理施策により1911年(明治44年)に当地での塩田業は廃業した[14]

観光地としては1897年明治30年)頃から、夏場は多くの海水浴場海老山周辺で営業していた[15]

箕面有馬電気軌道(現・阪急電鉄)による宝塚新温泉などの開発の成功により[16]、当時日本国内で全体的に行われていた鉄道会社による沿線観光振興により設置された娯楽施設の一つである[16]。広島瓦斯電軌の電鉄部門の土地経営事業の中心事業として[7]、観光客誘致を目的とした大衆向け娯楽施設を計画[7]1919年大正8年)時点の計画書で、場所は未定ながら住宅・運動場・潮湯場・海水浴場の整備を事業計画内で謳っていた[16]。しかし、当時の宮島線の沿線人口だけでは、十分な効果は期待できなかった[17]

1927年昭和2年)頃より五日市町海老塩浜地区の農耕地住宅地造成を開始[18]1935年(昭和10年)に、埋め立てを開始[19][注釈 4]。約5万坪(約165,289 m2)を埋め立て[20]、住宅地中央部の[21]約1万(約33,058 m2)を遊園地用地に[20]、残りを住宅地にした[20]。造成された住宅地は「塩浜住宅」と呼ばれた[18]。埋め立てに使われた砂は、南側の海底の砂をサンドポンプで浚渫して使用[19]。表面は同じ町内の城根山の土で覆った[19]

1936年(昭和11年)より住宅地の販売を開始[18]。宅地購入者への特典として、4年間宮島線および市内線で使える優待券を進呈し[19]、その優待券で楽々園遊園地に入園出来るようにした[19]

1936年(昭和11年)7月30日より海水浴場の営業を開始[20]。同年9月8日に楽々園遊園地および温泉施設が開園した[22]。開園当初は広島瓦斯電軌の直営事業だった[23]

開園から第二次世界大戦終戦まで

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開園当初の園内には、遊戯場・売店・プール・休憩所を整備され[24]、夏場には南側の砂浜で海水浴場が営業した[24]1938年(昭和13年)に撮影された動画には、ミニSL・ゴーカート・プール・猿山などが撮されている[21]。また、海水浴場はきめの細かい白い砂が印象的だったとする証言もある[25]

開園日当日に温泉本館もオープン[10][26][注釈 5]。館内には、真湯・潮湯・薬湯・家族湯の温浴施設のほか[10]、大食堂や演芸室なども整備された[10][26][注釈 6]

開園当初は、春は花見[27]。夏は海水浴[27]。秋は菊の展示会で賑わった[27]。またラジオ体操のイベントか開催され広島地区の新名所になった[28][20]。開園効果は宮島線の乗客数にも影響を与え、1935年(昭和10年)の306万人から1936年(昭和11年)は329万人に増加した[29]。その後も、海水浴シーズンを中心に来場者を集めた[30]

また、遊園地周辺にも影響を与え、楽々園駅と遊園地の間に旧・五日市町でも数少ない商店街が形成[注釈 7]。また、1897年(明治30年)頃より海老園周辺には海水浴場が整備されていたが[33]、砂浜の減少や海水汚染なども重なり、楽々園遊園地に客を取られ衰退していった[8]

第二次世界大戦中もしばらくは営業を継続[30]1942年(昭和17年)の広島ガス広島電鉄の分離の時に、広島電鉄が引き継ぐことになった[5]1943年春頃に海軍および陸軍に関する展覧会を開催し[30]、場内には小型並状旋回飛行塔が設置され[30]、同年度上期の来場者数は26万人を数えた[30]。しかし、戦況の悪化により園内の田園化も検討されるようになり[30]1944年12月に休園[34]。施設は陸軍船舶部に貸し出された[34]。その後、物資の集積場として使われた[11]

第二次世界大戦終戦から閉園まで

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1945年(昭和20年)8月6日広島市への原子爆弾投下に伴い、本社要員を楽々園遊園地にも避難させた[35]。1945年(昭和20年)8月6日から1946年(昭和21年)8月30日まで広島電鉄の本社が置かれていた[36]

1947年(昭和22年)7月1日から[36]1951年(昭和26年)3月26日まで有限会社楽々園が委託して運営を行った[37]。その後、一時期は本社の直営になった後[37]1957年(昭和32年)10月1日から広電観光に賃貸され[38]、経営を移管[23]1960年(昭和35年)4月より広電観光から分離独立した[2]、広電楽々園が運営していた[39]

その間、旧・五日市町は周辺町村と合併し、1955年(昭和30年)4月1日に新・五日市町に移行した[40]

戦時中および戦後まもなくは衰退していたが[24]、昭和30年代(1955年から1965年)には、新規施設として観覧車やジェットコースターゴーカート、ウオーターシュート、プラネタリウムなどが整備され、[9][41][24]、夏にはプールが営業した[9][41]。温浴施設は、戦後「楽々園スパー」と呼ばれるようになった[9][41]。それらの施策により、第二次世界大戦前に匹敵する程の賑わいを見せた[11]

1957年(昭和32年)12月には、閑散期対策として、「楽々園スパー」と電車運賃を割り引く施策を実施[42]。好評だったため、1958年(昭和33年)4月に割引を通年化した[43]

1960年(昭和35年)3月19日にオープンしたプラネタリウムは[44]、中国地方初かつ大型の施設で[44]、千代田光学精工製[44][注釈 8]が設置。国産一号機とされた[44][注釈 9]。またプラネタリウムの付属施設として、翌1961年(昭和36年)5月に、楽々園天文台が設置された[45]。設置当時は広島県内最大の直径25cmの反射赤道儀が設置された[45][注釈 10]

1964年(昭和39年)から秋の催し物に加え、春の催し物も始まり人気を集めた[27]。秋の催し物も長年「菊人形展」がよく行われていたが、マンネリ打破のため[48]、前年の1963年(昭和38年)には「菊の忍者展」として、忍者を菊人形で作成[48]。伊賀の忍者館より歴史的資料を借りて展示し[48]、「菊の忍者展」は大盛況だった[48]。来場者数も増加し、年間60万人を突破した年もあった[24]

1964年(昭和39年)、埋め立ての進行により海水浴場は閉鎖[49][注釈 11]。その代替施設として、同年に閉園後もしばらく営業する「パラダイスプール」が開園した[27]。新しいプールは、鬼ヶ島一帯を整備[52]。総水面面積が約1,000坪(約 3,306 m2)の、大小3つのプールを整備した[52][注釈 12]。プール内にはクジラの形をした滑り台が設置された[54]。同年より開始した「臨海土地造成」で、元々海水浴場があった場所が埋め立て、造成された[55][56][注釈 13]

1966年(昭和41年)には、楽々園駅舎内に、喫茶店「楽々園パーラー」が営業を開始[2][57][58]1969年(昭和44年)に、増改築の上で、お好み焼き寿司焼肉を扱う「レストラン楽々園」にリニューアルし、遊園地閉園後もしばらく営業を続けた[2][57][58]

1969年(昭和44年)11月からは「パラダイスプール」に、開業当時日本一のテント式屋根方式のスケートリンクを設営し、「楽々園スケートリンク」として営業[59][60]。翌シーズンも営業した[61][注釈 14]。その他オフシーズンには、ローラースケート場やアーチェリー場として営業していた時期もあった[63]

しかし、夏場および休日以外の来場者は少なく経営に支障を与え[24]、1962年(昭和37年)以降来客数は減少[11][注釈 12]1970年(昭和45年)の秋頃から冬頃にかけて開店休業状態に陥り休園[24]1971年(昭和46年)8月31日に閉鎖された[64][注釈 15]。楽々園遊園地の閉園までに、約1,200万人の入場者が訪れた[27]

遊園地営業終了後の1971年(昭和46年)12月に住居表示が実施され[66]町名も「楽々園」となった。

なお、楽々園遊園地のプラネタリウム館長だった佐藤健は、1980年(昭和55年)の広島市こども文化科学館開館時に転籍し、プラネタリウム室長に就任した[67]

跡地のその後

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イオンタウン楽々園
店舗概要
所在地 731-5136
広島県広島市佐伯区楽々園4丁目14
開業日 1972年(昭和47年)3月23日(ひろでん楽々園ショッピングタウン)[68]
2024年(令和6年)12月6日(イオンタウン楽々園)
土地所有者 広島電鉄[70][71][72]
施設所有者 広島電鉄
施設管理者 イオンタウン
中核店舗 マックスバリュイオンタウン楽々園店[69]
営業時間 店舗により異なる
前身 楽々園遊園地

ひろでん楽々園ショッピングタウン

ファミリータウン広電楽々園
最寄駅 楽々園駅
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楽々園遊園地の跡地にはショッピングセンターイオンタウン楽々園」が営業している。

レジャー施設の変化

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楽々園遊園地の閉園後、遊園地を運営していた広電楽々園は事業を継続し、楽々園駅の「レストラン楽々園」[注釈 16]、および「パラダイスプール」が継続営業した[73][74]。翌1972年(昭和47年)7月に「パラダイスプール」は幼児用プールを新設するなど改装した[75]

プールの晩年は、レジャーの多様化による客の伸び悩みと、オフシーズンの敷地の有効活用が困難だったことで、商業施設への集客効果を期待しての営業だった[63][注釈 17]

1972年(昭和47年)からは新規施設も整備され、同年の再オープン時の宣伝文句に「広電楽々園遊園地が装いも新たに、再出発しております」と宣伝していた[77]

同1972年4月29日には「和食レストラン楽良久」が開店した[2][注釈 18]

また、同1972年(昭和47年)5月10日にはボウリング場「広電楽々園ボウル」が新規開場した[2]。2014年(平成26年)6月1日時点でダイキがあった場所に位置し[85]、40レーンを有していた[85]。ボウリングブームの終焉により、1974年(昭和49年)3月31日をもって閉場した[86]。2014年6月1日現在、ボウリング場の建物は現存し継続利用されている。

同1972年(昭和47年)にはそのほか、ビリヤード場も整備された[87]

1973年(昭和48年)にはRCC興発により、日本初登場となるパターゴルフ[88]「楽々園パットパットゴルフ」が開園し[2][注釈 19]、人気施設となった[89]

会社としての広電楽々園は1991年(平成3年)12月31日に広電ストアへ吸収合併された[2]。「和食レストラン楽良久」および「楽々園パットパットゴルフ」は、広電ストアへの移管後もしばらくは営業を継続し[84]、「楽々園パットパットゴルフ」は1998年(平成10年)3月の廃止まで営業した[84]

「ひろでん楽々園ショッピングタウン」の開業

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楽々園遊園地の閉園後、一部施設は取り壊され[24]、跡地には広島電鉄子会社の広電ストア[注釈 20]により、総工費3億5000万円を掛け[93]1972年(昭和47年)3月23日[68][注釈 21]、ショッピングセンター「ひろでん楽々園ショッピングタウン」がオープンした[68]。食料品・衣料品売場は直営で[93]、28店舗の専門店がテナント出店[93]。200台収容できる駐車場が整備された[94]

1974年(昭和49年)6月30日には、閉場したボウリング場跡を整備して別館をオープン[95]。食料品売場を別館へ移し、元々あった建物は衣料品を充実させ[95]。家電製品も扱うようになった[95]。その登記・改装については大規模小売店舗法の発効直前に行われた[96]。店舗面積拡大の背景には、いづみの出店決定およびジャスコダイエーの進出の噂があり、地域一番店の立場を維持するために行ったものである[96]。同1974年3月にいづみ五日市店の出店計画が明らかになり[97]1977年(昭和52年)5月20日に「いづみ五日市店」(のちの「ゆめタウン五日市」)がオープンしている[98]

さらに1980年(昭和55年)3月には、本館を拡張する形で増床オープンした[99]

「ひろでん楽々園ショッピングタウン」の屋上には、観覧車などがあるミニ遊園地が整備されていた[100]。改装直前の1998年の写真[101]には本館屋上に観覧車が写っている[100]。。

またバス路線等の整備も進められ、1981年(昭和56年)11月には、石内地区の利便性向上のため、敷地内にバスターミナルを整備してバス路線が乗り入れるようになった[100]

1984年(昭和59年)6月には、広島バス広島南営業所から分離・新設する形で「広電バス楽々園営業所」が設置された[102]

「ファミリータウン広電楽々園」へのリニューアル

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ファミリータウン広電楽々園
右側は閉店した専門店街「ナイスデイ」棟。
左側は広電ストアが運営していた食品スーパー「マダムジョイ」楽々園店。マックスバリュ西日本への事業譲渡により「マックスバリュ楽々園店」へ転換。

1997年(平成9年)頃より、商圏内の競争激化に伴う競争力向上を目的に増床を計画し[103]、計画当初は4階建ての新館を建設する予定だったが[104]1999年(平成11年)7月より新食品館の建設を開始し[105]、同年10月に新食品館「マダムジョイ」として開店[106]。旧本館は専門店街「ナイスデイ」としてリニューアルした[106]。また併せて旧食品館も改装し、同年12月にダイキ[注釈 22]が運営するホームセンター「ディック」がオープンした[107]

この増床リニューアルに合わせ、施設名を「ひろでん楽々園ショッピングタウン」から複合商業施設ファミリータウン広電楽々園」に改称[106]。最終的には平屋建ての新館が建設され、このリニューアルにより広電ストア楽々園店は食品スーパーに特化することとなった[108]

「広電バス楽々園営業所」は2006年(平成18年)6月2日廿日市市宮園上へ移転し「廿日市営業所」となったが、『広島電鉄開業100年・創立70年史』の発行時点(2012年11月)で廃止されている[102]。旧広電バス楽々園営業所跡地には、2010年9月に「ヤマダ電機テックランド佐伯店」がオープン[109]2012年(平成24年)には、敷地内にもみじ銀行の支店が移転した[110]

2018年には広電ストアからマックスバリュ西日本(現・フジ)への事業譲渡に伴い、新食品館の「マダムジョイ」が「マックスバリュ楽々園店」へ転換した。

2019年1月28日にはダイヤ改正により、旧広電バス楽々園営業所の閉鎖後も残っていた「ショッピング楽々園便」が廃止された[111]

2021年9月、専門店街「ナイスデイ」棟が老朽化のため閉店[112][113][114]2022年12月31日をもって「DCM楽々園店」(旧「ディック」→「ダイキ」→「DCMダイキ」、前述)も閉店した[115]

イオンタウンによるSC建設計画

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上記の閉店した建物のうち、ナイスデイ棟は2022年7月までに解体を完了、ダイキ(DCM)が入居していた建物も2023年3月から解体が開始された[116]

2023年6月23日付で、 広島電鉄とイオングループイオンタウン株式会社(千葉市)は土地賃貸借契約を締結し、「ファミリータウン広電楽々園」の敷地のうち、これらの建物(「ナイスデイ」棟および「DCM楽々園店」)が解体された跡地に、イオンタウンがショッピングセンターを建設予定であることを発表[116][70][71][72]。この時点では施設内容や開店時期などの詳細については決定次第発表するとしており[71]、その後の2024年1月16日に、「イオンタウン楽々園」の名称で同年冬に開業予定であること、また「ファミリータウン広電楽々園」の敷地内の別の場所で営業しているマックスバリュ楽々園店(前述)も同所へ移転する予定であることがイオンタウンから発表された[117]

2024年11月1日にイオンタウンは、マックスバリュ楽々園店がイオンタウン楽々園内に移転した(上述)のちに、元のマックスバリュ楽々園店の跡地をイオンタウン楽々園の第2期オープン部分とする計画を発表するとともに、同所についても広島電鉄と土地賃貸借契約を結んだことを発表した[118]

2024年11月15日にイオンタウンは、「イオンタウン楽々園」の開業予定日を同年12月6日とすること、また株式会社フジは同所に移転するマックスバリュの店舗名を「マックスバリュイオンタウン楽々園店」とすることを発表した[119]。従来のマックスバリュ楽々園店は同年11月24日に閉店し、予定通り12月6日にイオンタウン楽々園が開業[120]。イオンタウンの出店は広島県内では初となった[72][注釈 23]。従来のイオンタウンに比べて食品・飲食店の比重を高めており、出店テナント71店舗中、4割を超える30店舗を占めている[72]。なお、ファミリータウン広島楽々園のテナントとして出店していたヤマダデンキテックランド佐伯店ともみじ銀行五日市支店はイオンタウン楽々園のテナントには含まれず、それぞれ独立店舗の扱いで営業を継続している[119]

交通アクセス

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  • 広島電鉄宮島線 楽々園駅
    • 1935年(昭和10年)12月1日「塩浜駅」として開設[122]。楽々園駅遊園地の開園当日に「楽々園駅」へ改称した[122]
    • なお、1965年(昭和40年)7月20日から1971年(昭和46年)8月31日まで、駅名が「楽々園遊園地駅」だった時期もある[122]

脚注

[編集]

注釈

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  1. ^ a b 1971年(昭和46年)住居表示導入および1985年(昭和60年)の町合併後は広島市佐伯区楽々園
  2. ^ 1990年まで広島電鉄の専務だった[3]
  3. ^ 1942年に広島ガス広島電鉄に再分離[5]
  4. ^ 2014年(平成26年)6月1日現在の楽々園一丁目・二丁目・三丁目・四丁目あたり[19]
  5. ^ 1936年の開業当時の営業報告書に「温泉」と表記されているが温泉法施行以前のことなので、現在のスーパー銭湯に近いものだった可能性がある
  6. ^ 五日市町誌には、同年8月より温泉施設の営業を開始とある[20]
  7. ^ 1955年(昭和30年)の新・五日市町成立時店でも、旧・五日市町の道筋と楽々園遊園地前程度しか商店街がなかった[31]。2014年(平成26年)6月現在でも楽々園商店街として営業している[32]
  8. ^ 後のミノルタ[44]。会社の合併などで、現在はコニカミノルタ
  9. ^ 「国産一号機」の表記は疑問。プラネタリウムを参照。
  10. ^ 反射赤道儀は、閉園後に、ドームと合わせて鈴峯女子中学校・高等学校に移設[46]。2012年(平成24年)時点で壊れてはいるものの現存している[47]
  11. ^ 『輪苑 1989年5月号』には1962年(昭和37年)廃止とある[11]が、1963年(昭和38年)に海水浴場開きをしている事実[50]および、1964年(昭和39年)のプール設置時に「埋め立てにより失われた」とあるので[51]、1963年(昭和38年)まで海水浴場営業。1964年(昭和39年)からパラダイスプール営業と考えるのが自然と思われる。
  12. ^ a b 埋め立てにより、これまで遊園地の人工物と、海岸の自然物の組み合わせが崩れ、ハッとしなくなる問題について、1962年(昭和37年)5月の社長の言葉で述べている[53]
  13. ^ 2014年(平成26年)6月1日現在の楽々園五丁目・六丁目・海老園三丁目の一部[55]
  14. ^ パティネ商会の持ち込み企画で、売り上げの10%を還元していた[62]
  15. ^ 営業最終年の1971年の社内報に「安佐動物公園の開設は痛手であると述べられている[65]
  16. ^ 1975年(昭和50年)8月31日廃止[2]
  17. ^ 1972年(昭和47年)・1973年(昭和48年)・1974年(昭和49年)・1976年(昭和51年)の社内報[75][73][74][76]、および同時期の中国新聞[77][78][79][80][81]に広告がある。1977年(昭和52年)および1978年(昭和53年)の企画広告には楽々園プールの掲載はない。[82][83]。晩年の1976年(昭和51年)の新聞記事ではプールを閉鎖し、他の利用法を模索する可能性にも触れられている[63]
  18. ^ 1991年(平成3年)の広電ストア合併で移管[2]1995年(平成7年)に弁当センターへ業務委託。[84]
  19. ^ 18コース[88]1982年(昭和57年)8月直営化[2]。1991年(平成3年)の広電ストア合併で移管[2]1998年(平成10年)3月廃止[84]
  20. ^ ショッピングセンター出店当時の社名は「広電興産」[90]1982年(昭和57年)に「広電ストア」へ商号に変更[90]2018年(平成30年)にスーパーマーケット事業をマックスバリュ西日本へ譲渡したのち解散。詳細は当該記事を参照。なお広電タクシーを1997年(平成9年)に改称した[91]、広電興産株式会社[91](2016年4月1日付で広島電鉄へ吸収合併[92])とは別会社。
  21. ^ 中国新聞の記事では「1973年4月23日オープン」とされており、『広島電鉄開業100年・創立70年史』と開業日に1年以上の食い違いがある[68]
  22. ^ のちのDCMダイキDCM
  23. ^ 2023年6月時点でイオンタウンの商業施設は中国地方では島根岡山山口の3県に所在していた[121]

出典

[編集]
  1. ^ a b c d 『広島商工年鑑'92』 1550ページ
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参考文献

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  • 『広島ガス70年史』(広島ガス株式会社社史編集委員会) 1981年10月
  • 『広島ガス80年史』(広島ガス株式会社社史編集委員会) 1990年6月
  • 『広島ガス100年史』(広島ガス株式会社100年史編集事務局編)2010年3月
社内報
  • 『輪苑』(広島電鉄社内報)各バックナンバー
町誌
  • 『五日市町誌 中巻』(五日市町誌編集委員会) 1979年
一般書
新聞

関連項目

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外部リンク

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