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「大井川鉄道DD20形ディーゼル機関車」の版間の差分

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{{鉄道
{{機関情報表
|車両名=大井川鉄道DD20形ディーゼル機関車
|車両名 = DD20形ディーゼル機関車<br/><small>ロートホルン形</small>
|色=Red
|背景 = Red
|文字色 = white
|画像=Oigawa-DD202.jpg
|画像 = Oigawa-DD202.jpg
|画像説明=大井川鉄道DD20形 長島ダム駅にて
|画像説明 = 大井川鉄道DD20形 "IKAWA"
|起動加速度=
|運用者 = [[大井川鐵道]]
|営業最高速度=
|製造所 = 日本車輌製造<ref name="1986-ys-68"/>
|設計最高速度=40
|製造年 = [[1982年]] - [[1986年]]
|減速度(通常)=
|製造数 = 6両
|減速度(非常)=
|軸配置 = B-B
|最大寸法=8,700×1,848×2,700 (mm)
|軌間 = 1,067 [[ミリメートル|mm]]
|車体長=8,000
|最高速度 = 40 [[キロメートル毎時|km/h]]<ref name="rf254-RF23002"/>
|車両重量=20.0t
|全長 = 8,700 mm<ref name="1986-ys-158"/>
|軌間=1,067
|全幅 = 1,848 mm<ref name="1986-ys-158"/>
|電気方式=
|全高 = 2,700 mm(DD201・DD202)<ref name="1986-ys-158"/><br/>2,691 mm(DD203以降)<ref name="1986-ys-158"/>
|モーター出力=
|車体長 =
|機関出力=335PS×1(コマツ・カミンズ NT855L)
|車体幅 =
|歯車比=6.147:1
|車体高 =
|駆動装置=液体式
|運転整備重量 = 20.0 [[トン|t]]<ref name="1986-ys-158"/>
|制御装置=
|空車重量 = 19.0 t<ref name="rf254-RF23002"/>
|ブレーキ方式=[[自動空気ブレーキ]]
|動力伝達方式 = 液体式
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|機関 = [[小松製作所]]・[[カミンズ]] NT-855L<ref name="1986-ys-158"/>
|メーカ=[[日本車輌製造]]
|機関出力 = 335 [[馬力|ps]](2,100[[Rpm (単位)|rpm]])<ref name="1986-ys-159"/> × 1基/両<ref name="1986-ys-159"/>
|備考=燃料タンク容量:600[[リットル|ℓ]](1個搭載)
|定格速度 =
|定格引張力 =
|歯車比 = 12.575(1速)<ref name="rf254-RF23002"/><br/>6.147(2速)<ref name="1986-ys-159"/>
|変速機 = [[新潟鐵工所]] TDCN-22-2001A<br/>2速トルクコンバータ<ref name="rf254-RF23002"/>
|制御装置 =
|台車 = [[日本車輌製造]] NL-45<ref name="1986-ys-158"/>
|制動方式 = DL14B空気ブレーキ<ref name="rf254-RF23002"/><br/>手ブレーキ<ref name="rf254-RF23002"/>
|保安装置 = ATS
|備考 =
|備考全幅 =
}}
}}
'''大井川鉄道DD20形ディーゼル機関車'''(おおいがわてつどうDD20がたディーゼルきかんしゃ)は、[[大井川鐵道]]が所有する[[気動車・ディーゼル機関車の動力伝達方式#液体式(流体式とも)|液体式]][[ディーゼル機関車]]である。


'''大井川鉄道DD20形ディーゼル機関車'''(おおいがわてつどうDD20がたディーゼルきかんしゃ)は、[[1982年]]([[昭和]]57年)に大井川鉄道(現・[[大井川鐵道]])が導入を開始した[[ディーゼル機関車]]である。
日本国内向けの鉄道車両では初めて[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の大手エンジンメーカー・[[カミンズ]]社設計のエンジンを採用したことで、その後の日本の鉄道業界における国外メーカー系エンジン再認識の端緒となった存在である。


日本国内向けの鉄道車両では初めて[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の大手エンジンメーカー・[[カミンズ]]社設計のエンジンを採用した車両で<ref name="2007-as-41"/>、[[日本国有鉄道]](国鉄)との比較においては電車以外の分野で私鉄技術が先行した数少ない事例とされている<ref name="rj343-66"/>。[[1986年]](昭和61年)までに6両が製造され、同社[[大井川鐵道井川線|井川線]]の全列車の[[動力車]]として使用されている<ref name="2007-as-35"/>。
== 概説 ==
[[1982年]]([[昭和]]57年)より3次にわたり、計6両が[[日本車輌製造]]で製造された。


本項では以下、DD20形については「ロートホルン形」と表記し、個別の車両については初出時以外は愛称で表記する。
それまで使用されていた[[大井川鉄道DB1形ディーゼル機関車|DB1形]]や[[大井川鉄道DD100形ディーゼル機関車|DD100形]]に代わって、[[大井川鐵道井川線|井川線]]における主力機関車となった。当初はさらに増備が実施される計画があったが、KE14ブレーキ弁([[国鉄EF65形電気機関車]]などでも使用)が製造打ち切りで入手困難となったためやむなく6両で増備が中止となった。


== 登場の経緯 ==
角型ボディーで、最高速度は井川線に必要なだけの40[[キロメートル毎時|km/h]]に抑えられている。下部[[前照灯]]は[[鉄道車両の台車|台車]]とワイヤーによってリンクされ、カーブに応じて首を振る構造となっている<ref>この下部前照灯のリンク機構は後の[[大井川鉄道クハ600形客車|クハ600形客車]]にも踏襲されている。</ref>。なお、他の井川線の車両と同様のいわゆる「4分の3自動連結器」を装着している。
大井川鉄道では、元来中部電力専用鉄道であった路線を[[1959年]](昭和34年)[[8月]]より井川線として営業を行っていた<ref name="rp436-10"/>。この路線は利用者数の季節波動が大きく<ref name="rf254-60"/>、閑散期には客車1両程度でも十分であった<ref name="rf254-60"/>が、繁忙期は客車を10両編成にしても満員になる状態であった<ref name="rf254-60"/>。


当時、井川線では小型8 [[トン|t]]級の[[大井川鉄道DB1形ディーゼル機関車|DB1形ディーゼル機関車]]と、大型35 t級の[[大井川鉄道DD100形ディーゼル機関車|DD100形ディーゼル機関車]]が運用されていたが、DB1形では客車2両の牽引が限界であり<ref name="rf254-60"/>、逆にDD100形では年間輸送量に対して過大であった<ref name="rf254-60"/>。両形式とも製造から20年以上が経過しており{{refnest|group="注釈"|DB1形に至っては、[[1936年]](昭和11年)製の車両が使用されていた<ref name="rf254-59"/>。}}、旧式エンジンの保守は困難で<ref name="rf254-60"/>、出力にも余裕がなく<ref name="rf254-60"/>連続上り勾配でオーバーヒートを起こすこともあった<ref name="rf254-60"/>。
当初は列車の進行方向にかかわらず常に編成の先頭に連結されていたが、[[1990年]]([[平成]]2年)の[[アプト式]]区間利用開始時より急勾配区間での[[連結器]]の負担軽減および損傷時のリスク軽減と列車編成の座屈現象の抑止を考慮し、重量物である機関車を列車の麓側([[千頭駅|千頭]]寄り)に連結し[[井川駅|井川]]方面への運転時には客車に設置した運転台から機関車を遠隔操作する[[動力集中方式#プッシュプル方式|プッシュプル方式(ペンデルツーク方式)]]で運転されている。


しかし、当時[[長島ダム]]の建設に伴い、井川線の施設を保有していた[[中部電力]]からダムの建設を機に井川線を廃止する意向が示されており<ref name="2012-ft-124-125"/>、これに対して当時親会社の[[名古屋鉄道]]から大井川鉄道に出向していた[[白井昭]]や地域住民が井川線の存続に向けて運動を展開している<ref name="2012-ft-128"/>という状況で、井川線の存廃の方向性が決まっていなかったため、新しい機関車は製造されていなかった<ref name="rf254-59"/>。その後[[1978年]](昭和53年)に、中部電力がダム建設によって水没する井川線の路線付け替えを決定した<ref name="dj86-66"/>ことを受けて、新型機関車の製造が検討されることになった<ref name="rf254-59"/>。
[[重連運転]]のほか、アプト式区間に入らない区間運転の列車を併結した運転や、編成中間に[[補助機関車]]として連結する運用を行うこともある(これらの場合、編成中間に一台機関車を挟む形となる)。アプト式区間では、[[大井川鉄道ED90形電気機関車|ED90形電気機関車]]を、こちらも勾配の麓側である千頭寄りに連結する。


この当時、日本の私鉄における内燃動車(ディーゼル機関車・気動車)において、国鉄の使用していないエンジンの導入を検討した事業者は存在しなかったと考えられている<ref name="2013-ty-140-141"/>{{refnest|group="注釈"|ただし、専用鉄道・専用線向けでは[[1976年]](昭和51年)日立製作所製の三井鉱山田川工場No.4ですでにカミンズ社製エンジンの採用例が存在した<ref name="rp891-31"/>。}}。しかし、白井は「300馬力以上のエンジンなら欧米製のほうが保守の上で有利である」と判断し<ref name="rf254-60"/>、世界的に遅れていた日本製の鉄道車両向けエンジンを使わず<ref name="2007-as-38"/>、世界的に内燃動車で広く使用されており<ref name="2007-as-38"/>、船舶用機関としても多数採用例のある<ref name="rj343-65"/>アメリカの大手エンジンメーカー、カミンズ製のエンジンを採用することによって、保守と出力余裕を持たせることにした<ref name="rf254-60"/>。エンジンの各部寸法が[[ヤード・ポンド法]]であるという懸念はあった<ref name="rf254-60"/>が、静岡県内の漁船の多数がカミンズ製エンジンを使用しており、共同補修で解決できると判断し、導入に踏み切った<ref name="rf254-60"/>。
=== エンジン ===
最大の特徴は、[[カミンズ|カミンズ社]]が設計し[[小松製作所]]がライセンス製作した335psエンジンを搭載したことである<ref>「RM LIBRARY 96 大井川鐵道井川線」(ネコ・パブリッシング)によると、その後コマツ製ライセンス品からカミンズの自社工場製輸入同型エンジンに換装しているという。</ref>。


また、新型機関車では欧米の鉄道と同様に固有名を付与することとし<ref name="rf254-62"/>、モデル名を「ロートホルン形」とした上で<ref name="rf254-62"/>、車両ごとに異なる愛称を設定することにした<ref name="rf254-62"/>。
日本国内では内燃鉄道車両技術を主導した[[日本国有鉄道|国鉄]]が技術育成を優先した国産主義であったため、気動車や中型以下の機関車用の比較的小型なエンジンについては[[戦後]]、海外メーカー製品導入が途絶えていた<ref>大型機関車用としてはスイスの[[スルザー|ズルツァー]]、ドイツのMAN・マイバッハなどからの導入例があったものの主力とはならず、信頼性・整備性を重視して性能を抑制した純国産エンジンが大勢を占めた。</ref>。それだけに大井川でのカミンズ採用は異例であったが、採用に踏み切るには十分な裏付けがあった<ref>DD20導入当時に大井川鉄道の副社長・技師長を務めていたのは、元[[名古屋鉄道]]社員で[[鉄道ファン]]・鉄道研究家としても知られる[[白井昭]](しらい・あきら、1927 - )である。白井は名鉄社員時代に[[アメリカ軍]]払い下げの輸入ディーゼル機関車[[国鉄DD12形ディーゼル機関車|8500形]]の信頼性の高さを実見し、一方で名鉄・大井川の両社が保有した初期の国産ディーゼル機関車の不調に悩まされた経験もあったことから、国鉄技術陣のような国産設計への拘泥は持たず、むしろその行き過ぎた姿勢には批判的であった。ゆえに優良な海外製品導入をも躊躇しなかったのである。</ref>。


こうして、設計検討に3年を費やし<ref name="rf254-60"/>、新たな井川線の主力機関車として登場したのがロートホルン形である。
機関車のメーカーである日本車輌では台湾の[[阿里山森林鉄道]]に納入した液体式ディーゼル式機関車で既にカミンズの採用実績があり、信頼性に問題はなかった。加えてカミンズは当時地元の静岡県内の漁船用エンジンとして大きなシェアを占めていた。海外メーカー系エンジン採用では補修用部品の購入費用と納期が大きな問題となるが、それらの課題は漁船向けとの共同購入等で大幅に改善でき、導入の障害が除かれた。


== 車両概説 ==
この機関車に採用されたカミンズ「NT-855」系は欧米で汎用エンジンとして長い実績のある優れた設計の直噴エンジンであり、性能が良好なだけでなく整備性にも優れていた<ref>後に、白井は自著「RM LIBRARY 96 大井川鐵道井川線」([[ネコ・パブリッシング]])の中で、DD20での試みについて「すべてに優れ成功」とコメントしている。</ref>。その後この系列のエンジンは、一部仕様変更されたカミンズ社英国工場製モデルが[[JR東海キハ85系気動車]]などに搭載され、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)などでも採用されることとなる。それらに先立つ大井川鉄道での採用は、鉄道業界におけるいち早いモデルケースとなった。
本節では登場当時の仕様を記述し、変更点については沿革で後述する。


それまでの井川線の機関車は重連総括制御ができなかったため、重連で運転する際には運転士が2人乗務する必要があった<ref name="rf254-60"/>が、ロートホルン形では重連総括制御を可能とした<ref name="1986-ys-68"/>。単機で客車5両まで、重連で客車10両まで牽引可能である<ref name="rf254-60"/>。また、井川線だけでなく大井川本線でも速度的に運行が可能な設計とした<ref name="rf254-61"/>ほか、将来は制御車を連結して[[動力集中方式#プッシュプル方式|プッシュプル方式]]を可能にすることも考慮した<ref name="rf254-59"/>。これは後述する、アプト式区間を含む路線付け替え後に活用されている。
== 愛称・塗色 ==
[[画像:Oigawa-DD201.jpg|thumb|250px|right|DD20形(旧塗色)]]
[[ブリエンツ・ロートホルン鉄道]]([[スイス]])との姉妹関係の絡みで、「ロートホルン型」と呼ばれる事があり、車両にも1両ごとに愛称がついている。
* DD20 1「ROTHORN」ロートホルン:ブリエンツ・ロートホルン鉄道に由来。
* DD20 2「IKAWA」井川:路線名にして終点の井川に由来。
* DD20 3「BRIENZ」 ブリエンツ:[[島田市]]の[[姉妹都市]]でもある[[ブリエンツ]]村に由来。
* DD20 4「SUMATA」 寸又:沿線の名勝、[[寸又峡]]に由来。
* DD20 5「AKAISHI」 赤石:流域の山、[[赤石岳]]([[日本百名山]]の一つ)に由来。
* DD20 6「HIJIRI」 聖:流域の山、[[聖岳]](日本百名山の一つ)に由来。


井川線の終点である[[井川駅]]は海抜が700 m近い高所にあるため、寒冷地対策を十分に行った<ref name="rf254-62"/>。ただし、ほとんど降雪がないことから耐雪対策は行われていない<ref name="rf254-62"/>。
塗色は2号機までは赤(ローズレッド)をベースにして白い縁取りをした紺の帯が入った塗装<ref>鉄道ファンからの投票により決定した(保育社「私鉄の車両14 大井川鉄道」による)。</ref>であったが、3号機以降は井川線標準色の赤ベースにクリーム色の太い帯が入ったもの(この節の画像)になった。また、近年は赤ベースに白い帯が入ったものとなっている。平成21年8月1日の開業50周年イベントを機にDD203が赤に紺帯の塗装となった。

=== 車体 ===
DD100形は凸形車体を有している<ref name="1986-ys-69"/>が、井川線では急曲線が多い{{refnest|group="注釈"|井川線の最小曲線半径は50 m<ref name="rf254-61"/>。}}ため、前方視野が不良であった<ref name="rf254-60"/>。このため、ロートホルン形では両運転台の箱型車体として見通しを良くした<ref name="rf254-60"/>。車体材質は普通鋼製で、全長は8.7 [[メートル|m]]である<ref name="1986-ys-158"/>。運転台に出入りする乗務員扉は片側だけに設けられ<ref name="rf254-60"/>、運転席横の側窓はユニットサッシの側引き戸を設けた<ref name="rf254-60"/>。正面のガラスは1枚ガラスとしており<ref name="rf254-61"/>、ワイパーは2連連動式とした<ref name="rf254-61"/>。[[前照灯]]は上部に固定式のヘッドライト2灯を設けた<ref name="rf254-61"/>ほか、下部には曲線で自動的に進行方向を向くヘッドライト1灯を設けた<ref name="1986-ys-68"/>。

正面下部には空気管・ジャンパ連結器・[[警笛|タイフォン]]を装備した<ref name="rf254-61"/>。

=== 主要機器 ===
ロートホルン形の最大の特徴は、前述のカミンズ製エンジンを'''日本の鉄道車両で初めて採用した'''ことである<ref name="2007-as-41"/>。ただし、カミンズNT-855シリーズのエンジンは、[[1990年]]([[平成]]2年)にJR各社で採用が開始された時点を基準にしても、それより四半世紀近く前に設計されたもので<ref name="2013-ty-125"/>決して斬新ではなく<ref name="rj283-84"/>、どちらかといえば保守的な設計といわれている<ref name="rj283-84"/>。ロートホルン形に採用されたエンジンはNT-855L形で<ref name="rf254-RF23002"/>、カミンズと技術提携<ref name="komatsu-cummins"/>および[[ライセンス生産|ライセンス]]契約<ref name="ipa"/>を交わしていた[[小松製作所]]で製造されたエンジンである。[[ターボチャージャー]]を装備することによって省[[燃費]]化を図っており<ref name="rf254-59"/>、[[定格]]出力は355 [[馬力|ps]]・[[回転速度]]は2,100 [[rpm (単位)|rpm]]である<ref name="dj86-72"/>。

変速機は大井川鉄道では初採用となる[[トルクコンバーター]]方式(液体式)で<ref name="rf254-60"/>、新潟コンバータ(現・[[日立ニコトランスミッション]])製トルクコンバータ付2速変速機であるTDCN-22-2001A形を採用した<ref name="dj86-72"/>。駆動方式は全[[歯車]]駆動式で、減速比は1速が12.575、2速が6.147である<ref name="rf254-RF23002"/>。

[[鉄道のブレーキ|制動装置(ブレーキ)]]はDL14B形空気ブレーキを採用した<ref name="dj86-72"/>。それまで井川線で使用されていたAR系空気ブレーキでは、長編成の際の緩解不良<ref name="rf254-61"/>による[[フラット防止装置#フラットの意味と影響|フラット]]が発生することがあった<ref name="rf254-61"/>が、このブレーキでは単独緩め扱いなどを可能にすることで解決策としている<ref name="rf254-61"/>。

最高速度は40 km/hである<ref name="rf254-RF23002"/>。

=== その他機器 ===
[[操縦席|乗務員室(運転室)]]の機器配置は、左側に[[マスター・コントローラー|主幹制御器(マスコン)]]が、右側にブレーキハンドルが配置される<ref name="rf254-62"/>。マスコンには[[緊急列車停止装置|EB装置]]が装備されている<ref name="rf254-62"/>ほか、スイッチ類はスイッチ自体が発光する自照式スイッチを大幅に取り入れている<ref name="rf254-62"/>。また、井川方の運転台(2エンド側)には、自動案内放送装置が設けられた<ref name="rf254-62"/>。

[[鉄道車両の台車|台車]]は日本車輌製造のNL-45形で<ref name="rf254-63"/>、撒水装置を装備している<ref name="rf254-63"/>。

== 沿革 ==
運行に先立ち、[[1981年]](昭和56年)末から1982年(昭和57年)初頭にかけて、機関車の外部塗装デザインについて鉄道雑誌などで公募が行われた<ref name="rj180-89"/>。この公募には1,500件あまりの応募があり<ref name="rf254-62"/>、その中からベースカラーをチャペルローズ(赤系統)とし、モスグリーンの帯を巻くというデザインが採用された<ref name="rf254-62"/>。

1982年(昭和57年)[[1月]]にDD201 "ROT HORN" とDD202 "IKAWA" が竣工し<ref name="1986-ys-160"/>、運用を開始した。両機の導入に伴い、DD100形のうちDD102と、DB1形のうちDB1・2が廃車となった<ref name="rf254-63"/>。

ロートホルン形が国鉄で採用実績のないエンジンを搭載したことは、当時の日本国内ではほぼ唯一の事例であり<ref name="2013-ty-140"/>、また日本においては気動車よりもはるかに先行したものであるとされ<ref name="2013-ty-140"/>、この時期の私鉄車両全体においても国鉄との比較において注目すべき事例とされている<ref name="rj343-65"/>。また、開発に携わった白井は、カミンズ製エンジンの導入を「すべてに優れ成功」としている<ref name="2007-as-38"/>。

[[1983年]](昭和58年)[[6月]]にはDD203 "BRIENZ" とDD204 "SUMATA" が導入され、その後にはDD100形のうちDD108<ref name="1986-ys-69"/>と、DB1形のうちDB3・5・7が廃車となった<ref name="1986-ys-116"/>。1986年(昭和61年)[[7月]]にはDD205 "AKAISHI" とDD206 "HIJIRI" が増備され<ref name="rj244-140"/>、これによって井川線の本線用機関車はロートホルン形に統一された<ref name="rj244-140"/>。

{{Double image aside|right|Oigawa-DD201.jpg|170|Oigawa DD203.JPG|217|当時の井川線の標準色に変更された "ROT HORN" |登場当時の塗装デザインに変更された "BRIENZ" }}

なお、塗装デザインについては、 "BRIENZ" と "SUMATA" 以降の増備車からは当時の井川線の標準色である赤地にクリーム帯に変更され<ref name="1986-ys-68"/>、その後 "ROT HORN" と "IKAWA" についても変更された<ref name="dj86-72"/>。その後、塗装デザインは赤地に白い帯が入ったものとなっている。

1990年(平成2年)秋に、井川線の一部区間が長島ダムによって水没するためによる付替が行われ、新経路のうちの急勾配部分にはアプト式が導入された。アプト式区間では、[[補助機関車]](補機)として、[[大井川鉄道ED90形電気機関車|ED90形]]がいずれの方面行きについても勾配の下側に付き、井川方面行きでは補機が後押し、千頭方面行きでは補機が牽引となる、補機付きの編成となる。これに伴い、井川線全線においてそれまでは進行方向先頭に機関車を連結していたのを変更し、機関車は常に千頭方として、反対側に制御客車を連結してプッシュプル運転を行うこととした。井川線の客車や貨車に引き通し線を増設する改造が行われ<ref name="rp532-24"/>、井川方の先頭車とする[[大井川鉄道クハ600形客車|クハ600形]]も登場した<ref name="rp532-24"/>。ロートホルン形は前述のようにこのような運用を考慮した設計としてあった。井川方面行きの列車では制御客車から本機が総括制御される<ref name="2007-as-38"/>。増結や運用上の都合で本機が編成中間に入る場合も、先頭車両から中間の本機が総括制御される<ref name="dj87-50"/>。

[[2007年]](平成19年)までに、搭載しているエンジンをオリジナルのカミンズ製エンジンに換装している<ref name="2007-as-38"/>。

また、[[2009年]](平成21年)[[8月1日]]の開業50周年イベントにあわせ、DD203 "BRIENZ" がロートホルン形登場当時に公募で決定した塗装デザインに変更された。

[[2014年]](平成26年)[[9月]]に発生した土砂崩れのため、2年半運休になっていた[[接岨峡温泉駅|接岨峡温泉]] - [[井川駅|井川]]間が[[2017年]](平成29年)[[3月]]に復旧開通したのを記念して、DD206"HIJIRI"が2代目のカラーに変更された。

[[2018年]](平成30年)1月現在、DD206のみ前照灯がLED化されている。

これによりDD20形は初代 (203) 、2代目 (206) 、3代目(201・202・204・205)のカラーが揃ったことになる。

== 車両一覧 ==
; DD201 "ROT HORN"
: ブリエンツ・ロートホルン鉄道に由来。
; DD202 "IKAWA"
: 路線名にして終点の井川に由来。
; DD203 "BRIENZ"
: [[島田市]]の[[姉妹都市]]でもある[[ブリエンツ]]村に由来。
; DD204 "SUMATA"
: 沿線の名勝、[[寸又峡]]に由来。
; DD205 "AKAISHI"
: 流域の山、[[赤石岳]]([[日本百名山]]のひとつ)に由来。
; DD206 "HIJIRI"
: 流域の山、[[聖岳]](日本百名山のひとつ)に由来。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
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{{脚注ヘルプ}}

{{reflist|2}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}

=== 出典 ===
{{Reflist|2|refs=
<ref name="1986-ys-68">[[#白井1986|白井良和『私鉄の車両14 大井川鉄道』 (2002) p.68]]</ref>
<ref name="1986-ys-69">[[#白井1986|白井良和『私鉄の車両14 大井川鉄道』 (2002) p.69]]</ref>
<ref name="1986-ys-116">[[#白井1986|白井良和『私鉄の車両14 大井川鉄道』 (2002) p.116]]</ref>
<ref name="1986-ys-158">[[#白井1986|白井良和『私鉄の車両14 大井川鉄道』 (2002) p.158]]</ref>
<ref name="1986-ys-159">[[#白井1986|白井良和『私鉄の車両14 大井川鉄道』 (2002) p.159]]</ref>
<ref name="1986-ys-160">[[#白井1986|白井良和『私鉄の車両14 大井川鉄道』 (2002) p.160]]</ref>
<ref name="2007-as-35">[[#白井2007|白井昭『RM LIBRARY 96 大井川鐵道井川線』 (1985) p.35]]</ref>
<ref name="2007-as-38">[[#白井2007|白井昭『RM LIBRARY 96 大井川鐵道井川線』 (1985) p.38]]</ref>
<ref name="2007-as-41">[[#白井2007|白井昭『RM LIBRARY 96 大井川鐵道井川線』 (1985) p.41]]</ref>
<ref name="2012-ft-124-125">[[#高瀬2012|高瀬文人『鉄道技術者 白井昭―パノラマカーから大井川鐵道SL保存へ』 (2012) pp.124 - 125]]</ref>
<ref name="2012-ft-128">[[#高瀬2012|高瀬文人『鉄道技術者 白井昭―パノラマカーから大井川鐵道SL保存へ』 (2012) p.128]]</ref>
<ref name="2013-ty-125">[[#湯口2013|湯口徹『日本の内燃動車』 (2013) p.125]]</ref>
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== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
=== 書籍 ===
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=== 雑誌記事 ===
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* {{Cite journal|和書|author= |year=1982 |month=2 |title=大井川鉄道新型DLのカラーデザインを募集!|journal=鉄道ジャーナル |issue=180 |page= 89 |publisher=鉄道ジャーナル社 |ref = RJ180}}
* {{Cite journal|和書|author=[[澤内一晃]] |year=2014 |month=7 |title=内燃機関車の歴史過程|journal=鉄道ピクトリアル |issue=891 |pages=22 - 31 |publisher=電気車研究会 |ref = 澤内891}}


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
* [[JR東海キハ85系気動車]]旅客車両では日本で初めてカミンズ製エンジンを導入した車両
* [[JR東海キハ85系気動車]] - 旅客車両では日本で初めてカミンズ製エンジンを導入した車両
* [[登山鉄道]]
* [[スイスの鉄道]]
* [[日本のディーゼル機関車史]]
* [[日本のディーゼル機関車史]]

== 外部リンク ==
* [https://daitetsu.jp/archives/library/dd20 DD20形 | 大井川鐵道【公式】]


{{大井川鐵道の車両}}
{{大井川鐵道の車両}}

2023年11月17日 (金) 11:51時点における最新版

DD20形ディーゼル機関車
ロートホルン形
大井川鉄道DD20形 "IKAWA"
大井川鉄道DD20形 "IKAWA"
基本情報
運用者 大井川鐵道
製造所 日本車輌製造[1]
製造年 1982年 - 1986年
製造数 6両
主要諸元
軸配置 B-B
軌間 1,067 mm
全長 8,700 mm[2]
全幅 1,848 mm[2]
全高 2,700 mm(DD201・DD202)[2]
2,691 mm(DD203以降)[2]
空車重量 19.0 t[4]
運転整備重量 20.0 t[2]
台車 日本車輌製造 NL-45[2]
動力伝達方式 液体式
機関 小松製作所カミンズ NT-855L[2]
機関出力 335 ps(2,100rpm[3] × 1基/両[3]
変速機 新潟鐵工所 TDCN-22-2001A
2速トルクコンバータ[4]
歯車比 12.575(1速)[4]
6.147(2速)[3]
制動装置 DL14B空気ブレーキ[4]
手ブレーキ[4]
保安装置 ATS
最高速度 40 km/h[4]
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大井川鉄道DD20形ディーゼル機関車(おおいがわてつどうDD20がたディーゼルきかんしゃ)は、1982年昭和57年)に大井川鉄道(現・大井川鐵道)が導入を開始したディーゼル機関車である。

日本国内向けの鉄道車両では初めてアメリカの大手エンジンメーカー・カミンズ社設計のエンジンを採用した車両で[5]日本国有鉄道(国鉄)との比較においては電車以外の分野で私鉄技術が先行した数少ない事例とされている[6]1986年(昭和61年)までに6両が製造され、同社井川線の全列車の動力車として使用されている[7]

本項では以下、DD20形については「ロートホルン形」と表記し、個別の車両については初出時以外は愛称で表記する。

登場の経緯

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大井川鉄道では、元来中部電力専用鉄道であった路線を1959年(昭和34年)8月より井川線として営業を行っていた[8]。この路線は利用者数の季節波動が大きく[9]、閑散期には客車1両程度でも十分であった[9]が、繁忙期は客車を10両編成にしても満員になる状態であった[9]

当時、井川線では小型8 t級のDB1形ディーゼル機関車と、大型35 t級のDD100形ディーゼル機関車が運用されていたが、DB1形では客車2両の牽引が限界であり[9]、逆にDD100形では年間輸送量に対して過大であった[9]。両形式とも製造から20年以上が経過しており[注釈 1]、旧式エンジンの保守は困難で[9]、出力にも余裕がなく[9]連続上り勾配でオーバーヒートを起こすこともあった[9]

しかし、当時長島ダムの建設に伴い、井川線の施設を保有していた中部電力からダムの建設を機に井川線を廃止する意向が示されており[11]、これに対して当時親会社の名古屋鉄道から大井川鉄道に出向していた白井昭や地域住民が井川線の存続に向けて運動を展開している[12]という状況で、井川線の存廃の方向性が決まっていなかったため、新しい機関車は製造されていなかった[10]。その後1978年(昭和53年)に、中部電力がダム建設によって水没する井川線の路線付け替えを決定した[13]ことを受けて、新型機関車の製造が検討されることになった[10]

この当時、日本の私鉄における内燃動車(ディーゼル機関車・気動車)において、国鉄の使用していないエンジンの導入を検討した事業者は存在しなかったと考えられている[14][注釈 2]。しかし、白井は「300馬力以上のエンジンなら欧米製のほうが保守の上で有利である」と判断し[9]、世界的に遅れていた日本製の鉄道車両向けエンジンを使わず[16]、世界的に内燃動車で広く使用されており[16]、船舶用機関としても多数採用例のある[17]アメリカの大手エンジンメーカー、カミンズ製のエンジンを採用することによって、保守と出力余裕を持たせることにした[9]。エンジンの各部寸法がヤード・ポンド法であるという懸念はあった[9]が、静岡県内の漁船の多数がカミンズ製エンジンを使用しており、共同補修で解決できると判断し、導入に踏み切った[9]

また、新型機関車では欧米の鉄道と同様に固有名を付与することとし[18]、モデル名を「ロートホルン形」とした上で[18]、車両ごとに異なる愛称を設定することにした[18]

こうして、設計検討に3年を費やし[9]、新たな井川線の主力機関車として登場したのがロートホルン形である。

車両概説

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本節では登場当時の仕様を記述し、変更点については沿革で後述する。

それまでの井川線の機関車は重連総括制御ができなかったため、重連で運転する際には運転士が2人乗務する必要があった[9]が、ロートホルン形では重連総括制御を可能とした[1]。単機で客車5両まで、重連で客車10両まで牽引可能である[9]。また、井川線だけでなく大井川本線でも速度的に運行が可能な設計とした[19]ほか、将来は制御車を連結してプッシュプル方式を可能にすることも考慮した[10]。これは後述する、アプト式区間を含む路線付け替え後に活用されている。

井川線の終点である井川駅は海抜が700 m近い高所にあるため、寒冷地対策を十分に行った[18]。ただし、ほとんど降雪がないことから耐雪対策は行われていない[18]

車体

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DD100形は凸形車体を有している[20]が、井川線では急曲線が多い[注釈 3]ため、前方視野が不良であった[9]。このため、ロートホルン形では両運転台の箱型車体として見通しを良くした[9]。車体材質は普通鋼製で、全長は8.7 mである[2]。運転台に出入りする乗務員扉は片側だけに設けられ[9]、運転席横の側窓はユニットサッシの側引き戸を設けた[9]。正面のガラスは1枚ガラスとしており[19]、ワイパーは2連連動式とした[19]前照灯は上部に固定式のヘッドライト2灯を設けた[19]ほか、下部には曲線で自動的に進行方向を向くヘッドライト1灯を設けた[1]

正面下部には空気管・ジャンパ連結器・タイフォンを装備した[19]

主要機器

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ロートホルン形の最大の特徴は、前述のカミンズ製エンジンを日本の鉄道車両で初めて採用したことである[5]。ただし、カミンズNT-855シリーズのエンジンは、1990年平成2年)にJR各社で採用が開始された時点を基準にしても、それより四半世紀近く前に設計されたもので[21]決して斬新ではなく[22]、どちらかといえば保守的な設計といわれている[22]。ロートホルン形に採用されたエンジンはNT-855L形で[4]、カミンズと技術提携[23]およびライセンス契約[24]を交わしていた小松製作所で製造されたエンジンである。ターボチャージャーを装備することによって省燃費化を図っており[10]定格出力は355 ps回転速度は2,100 rpmである[25]

変速機は大井川鉄道では初採用となるトルクコンバーター方式(液体式)で[9]、新潟コンバータ(現・日立ニコトランスミッション)製トルクコンバータ付2速変速機であるTDCN-22-2001A形を採用した[25]。駆動方式は全歯車駆動式で、減速比は1速が12.575、2速が6.147である[4]

制動装置(ブレーキ)はDL14B形空気ブレーキを採用した[25]。それまで井川線で使用されていたAR系空気ブレーキでは、長編成の際の緩解不良[19]によるフラットが発生することがあった[19]が、このブレーキでは単独緩め扱いなどを可能にすることで解決策としている[19]

最高速度は40 km/hである[4]

その他機器

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乗務員室(運転室)の機器配置は、左側に主幹制御器(マスコン)が、右側にブレーキハンドルが配置される[18]。マスコンにはEB装置が装備されている[18]ほか、スイッチ類はスイッチ自体が発光する自照式スイッチを大幅に取り入れている[18]。また、井川方の運転台(2エンド側)には、自動案内放送装置が設けられた[18]

台車は日本車輌製造のNL-45形で[26]、撒水装置を装備している[26]

沿革

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運行に先立ち、1981年(昭和56年)末から1982年(昭和57年)初頭にかけて、機関車の外部塗装デザインについて鉄道雑誌などで公募が行われた[27]。この公募には1,500件あまりの応募があり[18]、その中からベースカラーをチャペルローズ(赤系統)とし、モスグリーンの帯を巻くというデザインが採用された[18]

1982年(昭和57年)1月にDD201 "ROT HORN" とDD202 "IKAWA" が竣工し[28]、運用を開始した。両機の導入に伴い、DD100形のうちDD102と、DB1形のうちDB1・2が廃車となった[26]

ロートホルン形が国鉄で採用実績のないエンジンを搭載したことは、当時の日本国内ではほぼ唯一の事例であり[29]、また日本においては気動車よりもはるかに先行したものであるとされ[29]、この時期の私鉄車両全体においても国鉄との比較において注目すべき事例とされている[17]。また、開発に携わった白井は、カミンズ製エンジンの導入を「すべてに優れ成功」としている[16]

1983年(昭和58年)6月にはDD203 "BRIENZ" とDD204 "SUMATA" が導入され、その後にはDD100形のうちDD108[20]と、DB1形のうちDB3・5・7が廃車となった[30]。1986年(昭和61年)7月にはDD205 "AKAISHI" とDD206 "HIJIRI" が増備され[31]、これによって井川線の本線用機関車はロートホルン形に統一された[31]

当時の井川線の標準色に変更された "ROT HORN" 登場当時の塗装デザインに変更された "BRIENZ"
当時の井川線の標準色に変更された "ROT HORN"
登場当時の塗装デザインに変更された "BRIENZ"

なお、塗装デザインについては、 "BRIENZ" と "SUMATA" 以降の増備車からは当時の井川線の標準色である赤地にクリーム帯に変更され[1]、その後 "ROT HORN" と "IKAWA" についても変更された[25]。その後、塗装デザインは赤地に白い帯が入ったものとなっている。

1990年(平成2年)秋に、井川線の一部区間が長島ダムによって水没するためによる付替が行われ、新経路のうちの急勾配部分にはアプト式が導入された。アプト式区間では、補助機関車(補機)として、ED90形がいずれの方面行きについても勾配の下側に付き、井川方面行きでは補機が後押し、千頭方面行きでは補機が牽引となる、補機付きの編成となる。これに伴い、井川線全線においてそれまでは進行方向先頭に機関車を連結していたのを変更し、機関車は常に千頭方として、反対側に制御客車を連結してプッシュプル運転を行うこととした。井川線の客車や貨車に引き通し線を増設する改造が行われ[32]、井川方の先頭車とするクハ600形も登場した[32]。ロートホルン形は前述のようにこのような運用を考慮した設計としてあった。井川方面行きの列車では制御客車から本機が総括制御される[16]。増結や運用上の都合で本機が編成中間に入る場合も、先頭車両から中間の本機が総括制御される[33]

2007年(平成19年)までに、搭載しているエンジンをオリジナルのカミンズ製エンジンに換装している[16]

また、2009年(平成21年)8月1日の開業50周年イベントにあわせ、DD203 "BRIENZ" がロートホルン形登場当時に公募で決定した塗装デザインに変更された。

2014年(平成26年)9月に発生した土砂崩れのため、2年半運休になっていた接岨峡温泉 - 井川間が2017年(平成29年)3月に復旧開通したのを記念して、DD206"HIJIRI"が2代目のカラーに変更された。

2018年(平成30年)1月現在、DD206のみ前照灯がLED化されている。

これによりDD20形は初代 (203) 、2代目 (206) 、3代目(201・202・204・205)のカラーが揃ったことになる。

車両一覧

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DD201 "ROT HORN"
ブリエンツ・ロートホルン鉄道に由来。
DD202 "IKAWA"
路線名にして終点の井川に由来。
DD203 "BRIENZ"
島田市姉妹都市でもあるブリエンツ村に由来。
DD204 "SUMATA"
沿線の名勝、寸又峡に由来。
DD205 "AKAISHI"
流域の山、赤石岳日本百名山のひとつ)に由来。
DD206 "HIJIRI"
流域の山、聖岳(日本百名山のひとつ)に由来。

脚注

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注釈

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  1. ^ DB1形に至っては、1936年(昭和11年)製の車両が使用されていた[10]
  2. ^ ただし、専用鉄道・専用線向けでは1976年(昭和51年)日立製作所製の三井鉱山田川工場No.4ですでにカミンズ社製エンジンの採用例が存在した[15]
  3. ^ 井川線の最小曲線半径は50 m[19]

出典

[編集]
  1. ^ a b c d 白井良和『私鉄の車両14 大井川鉄道』 (2002) p.68
  2. ^ a b c d e f g h 白井良和『私鉄の車両14 大井川鉄道』 (2002) p.158
  3. ^ a b c 白井良和『私鉄の車両14 大井川鉄道』 (2002) p.159
  4. ^ a b c d e f g h i 『鉄道ファン』通巻254号付図 (RF23002)
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  33. ^ 鉄道ダイヤ情報 通巻87号 坂下孝広『私鉄フォーラム第44回 大井川鉄道(後篇)』 (1991) p.50

参考文献

[編集]

書籍

[編集]
  • 白井昭『RM LIBRARY 96 大井川鐵道井川線』ネコ・パブリッシング、2007年。ISBN 978-4777052042 
  • 白井良和『私鉄の車両14 大井川鉄道』(復刻版)保育社、2002年(原著1986年)。ISBN 978-4873662978 
  • 高瀬文人『鉄道技術者 白井昭―パノラマカーから大井川鐵道SL保存へ』平凡社、2012年。ISBN 4582835074 
  • 湯口徹『交通ブックス121 日本の内燃動車』成山堂書店、2013年。ISBN 9784425762019 

雑誌記事

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  • 大井川鉄道株式会社「概況 大井川鉄道」『鉄道ピクトリアル』第436号、電気車研究会、1984年9月、10 - 12頁。 
  • 坂下孝広「私鉄フォーラム第43回 大井川鉄道(前篇)」『鉄道ダイヤ情報』第86号、弘済出版社、1991年6月、62 - 73頁。 
  • 坂下孝広「私鉄フォーラム第44回 大井川鉄道(後篇)」『鉄道ダイヤ情報』第87号、弘済出版社、1991年7月、48 - 59頁。 
  • 白井昭「大井川のニューパワー DD20登場」『鉄道ファン』第254号、交友社、1982年6月、58 - 63頁。 
  • 白井良和「私鉄車両めぐり (126) 大井川鉄道」『鉄道ピクトリアル』第436号、電気車研究会、1984年9月、46 - 61頁。 
  • 曽根悟「ディーゼルカー 用途拡大の可能性」『鉄道ジャーナル』第28号、鉄道ジャーナル社、1990年5月、83 - 87頁。 
  • 吉川文夫「アプト式で話題の大井川鉄道・井川線」『鉄道ピクトリアル』第532号、電気車研究会、1990年9月、20 - 24頁。 
  • 吉川文夫「国鉄型と比較した同時代の私鉄車両」『鉄道ジャーナル』第343号、鉄道ジャーナル社、1995年5月、62 - 66頁。 
  • 東京工業大学鉄道研究部「昭和61年度上半期 私鉄車両の動き」『鉄道ジャーナル』第244号、鉄道ジャーナル社、1987年3月、139 - 141頁。 
  • 「大井川鉄道新型DLのカラーデザインを募集!」『鉄道ジャーナル』第180号、鉄道ジャーナル社、1982年2月、89頁。 
  • 澤内一晃「内燃機関車の歴史過程」『鉄道ピクトリアル』第891号、電気車研究会、2014年7月、22 - 31頁。 

関連項目

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外部リンク

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