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「ゆめテラス祇園」の版間の差分

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'''ゆめタウン祇園'''(ゆめタウンぎおん)は、[[広島市]][[安佐南区]]に位置する[[イズミ|株式会社イズミ]]の郊外型[[ショッピングセンター]]である。[[1973]][[327]]いづみ祇園店として開業。後ゆめタウ祇園に転換・改名している
'''ゆめテラス祇園'''(ゆめテラスぎおん)は、[[広島市]][[安佐南区]][[祇園 (広島市)|西原]]に所在する[[ショッピングセンター]]。[[イズミ|株式会社イズミ]]が運営する都市型[[総合スパー|GMS]]「ゆめテラス」の店舗第一号店である。202361日に食品館部分が先行オープン、同年11月1日全面オープとなった


イズミ初の郊外店<ref name="syori39">『「ゆめタウン」勝利の方程式』39ページ</ref><ref name="syori48">『「ゆめタウン」勝利の方程式』 48ページ</ref>で、2000年代までイズミの広島地区の基幹店舗だった<ref name="chugoku20010224">『「ゆめタウン」に改称 イズミ祇園店 9日改装オープン』中国新聞 2001年2月24日 11ページ</ref>「いづみ祇園ショッピングセンター」→「イズミ祇園ショッピングセンター」→「ゆめタウン祇園」を建て替えの上でブランド変更したものである。
== 概要 ==

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== 歴史 ==
リビング館は2011年春に閉館、夏に取り壊されて、跡地にマンションが建設予定である。
[[ファイル:Youme town Gion.JPG|thumb|ゆめタウン祇園時代の外観]]
[[1971年]](昭和46年)10月に計画発表<ref name="chugoku19711019">「広島市外にもお目見え 郊外型ショッピングセンター 西日本で初めて 「いづみ」など 来年秋に完成 遊園地など併設」[[中国新聞]] 1971年10月19日 7ページ</ref>。1960年代半ばより[[アメリカ合衆国|アメリカ]]で流行していた店舗スタイルを取り入れ<ref name="chugoku19711019" />、[[国道54号]]沿いに計画された{{Refnest|group=補足|2008年4月1日の管理移管で、該当区間は[[国道183号]]の単独区間になっている<ref>[https://www.cgr.mlit.go.jp/hirokoku/o_p_release/release2/20080324.html 一般国道54号の路線名及び管理者が変更されます] - 国土交通省中国地方整備局広島国道事務所 平成20年3月24日</ref>}}、[[モータリゼーション]]に対応し<ref name="chugoku20111115">「生きて イズミ会長 山西義政さん(1922年-){{JIS2004フォント|⑨}} 郊外店 車社会にいち早く対応」中国新聞 2011年11月15日 10ページ</ref>、広島市外に出店する{{Refnest|group=補足|計画開始時点時点で店舗用地の所在地は広島県[[安佐郡]][[祇園町]]西原で、計画途中の[[1972年]](昭和47年)[[8月27日]]に広島市に編入された。}}イズミ初の郊外店で<ref name="izumi50_263" /><ref name="syori39" /><ref name="syori48" />、中国・四国地方初<ref name="chugoku20111115" /><ref name="syori39" /><ref name="syori48" />かつ日本全国でも[[二子玉川#郊外SCの先駆・玉川高島屋S・C|玉川高島屋ショッピングセンター]]に次ぐ規模で<ref name="chugoku19711019" />、日本全国でも例が少なかった<ref name="izumi50_104-105" /><ref name="syori39" /><ref name="syori48" />。

計画開始時点で、地上4階地下1階建てのショッピングセンターと[[ボウリング]]場を計画<ref name="chugoku19711019" />。約5,300 [[平方メートル|m<sup>2</sup>]]の直営部分<ref name="chugoku19711019" />と約4,000 m<sup>2</sup>のテナント部分には、[[広島本通商店街]]から約100店と[[東京都]]・[[大阪府]]から7 - 8店舗出店する計画だった<ref name="chugoku19711019" />。また、24時間営業の4階建てのレストラン棟<ref name="chugoku19711019" />、遊園地やプール、託児所などを計画していた<ref name="chugoku19711019" />。計画当初の事業費は約16億5000万円<ref name="chugoku19711019" />。仮称は'''祇園コミュニティセンター'''で<ref name="chugoku19711019" />、[[1972年]]1月から建設開始、同年10月に開店予定だった<ref name="chugoku19711019" />。

[[1972年]](昭和47年)5月20日に起工式を実施<ref name="chugoku19720523">「郊外型ショッピングセンター起工 いづみが広島県祇園町に」中国新聞 1972年5月23日 6ページ</ref>。その時点で、'''いづみ祇園ショッピングセンター'''(いづみ祇園店)の名称も決定<ref name="chugoku19720523" />。その時点の計画では、地上5階建てのショッピングセンターと地上3階建ての40レーン整備したボウリング場を予定<ref name="chugoku19720523" />。500台分の駐車場を予定し<ref name="chugoku19720523" />、開業予定は同年12月だった<ref name="chugoku19720523" />。

建設途中までは、ボウリング場の併設を予定し<ref name="izumi50_104-105" />、機材も発注済みだった<ref name="chugoku20111115" /><ref name="izumi50_104-105" />が、アメリカに視察に行った社長がブームの終焉を察知<ref name="izumi50_104-105" />。違約金を払って設計変更を行い、ボウリング場は中止された<ref name="izumi50_104-105" />。[[:ファイル:Youme town Gion.JPG|写真]]左側にある塔には、当初ボウリングピンが設置される予定だった<ref name="izumi50_104-105" />。

最終的には、3階建てと4階建ての2棟<ref name="chugoku19730320">「27日オープン いづみ祇園ショッピングセンター」中国新聞 1973年3月20日 6ページ</ref>にテナントが68店出店<ref name="chugoku19730320" />。275台分の無料駐車場が整備された<ref name="chugoku19730320" />。最終的な事業費は約24億円になった<ref name="chugoku19730320" />。

[[1973年]](昭和48年)[[3月27日]]10時に開業<ref name="chugoku19730327">全面広告 - 中国新聞 1973年3月27日 12・13ページ</ref>。開店当初は食料品・日用品・家電製品を扱い、食堂街も備えた<ref name="izumi50_104-105">『挑戦の流儀』104・105ページ</ref>'''ファミリーランド'''と呼ばれるB館・C館(地上3階建・売場面積 4,165 m<sup>2</sup><ref name="izumi50_263">『挑戦の流儀』263ページ</ref>)が先行開業<ref name="chugoku19730327" /><ref name="izumi50_104-105" />。当時250台分整備された無料駐車場<ref name="izumi50_104-105" /><ref name="chugoku19730327" />は、規模の大きさより客から驚かれ<ref name="chugoku20111115" />、開店日には車の行列ができた<ref name="chugoku20111115" />。開店日は約4万人が来店した<ref name="chugoku19730328">「開店セールに主婦ら四万人 祇園のいづみ郊外型店舗」中国新聞 1973年3月28日 6ページ</ref>。

同年[[5月2日]]10時に、衣料品を扱う'''ファッションランド'''と呼ばれるA館(地上4階建・売場面積 2,479 m<sup>2</sup><ref name="izumi50_263" />)が開店<ref name="chugoku19730502">全面広告 - 中国新聞 1973年5月2日 14・15ページ</ref>。約2倍の店舗面積になり全面開業した<ref name="chugoku19730502" />。1店舗で全てをまかなう「ワンストップ・オールライフ」をコンセプトにしていた<ref name="izumi50_104-105" />。開店当初は、A館とB館・C館は道路で隔てられていた。9月には貸会議室もオープンした<ref name="chugoku19730327" />。

開店当時、祇園ショッピングセンターは大成功し<ref name="chugoku19730903">「大当たり 郊外ショッピングセンター 予想を上回る売り上げ 年商41億も可能 多彩な催し物で固定客」中国新聞 1973年9月3日 6ページ</ref>、店舗の平均滞在時間がそれまでの50分から2時間に伸び<ref name="chugoku19730903" />、同社内の一人あたり売り上げ平均が当時700 - 800円だった<ref name="chugoku19730903" />のが、当店ではマイカーで1週間分の買い物をする客が多いことで2,400 - 2,500円の売り上げになった<ref name="chugoku19730903" />。年間売り上げ目標も、30億円から41億円に変更<ref name="chugoku19730903" />。開店した年の夏頃までに、駐車場の収容台数を160台増加させた<ref name="chugoku19740215">『スーパー前の国道渋滞 いづみ祇園店 マイカー順番待ち 出入り口拡張など改善を 可部署、店側に申し入れ』 - 中国新聞 1974年2月15日 13ページ</ref>が、それでも交通問題は避けられず<ref name="chugoku19740215" />、店前の国道は渋滞になり、休日は店の前に500 - 600 mの車の入場待ちが発生<ref name="chugoku19740215" />。[[安佐北警察署|可部警察署]]から、出入り口の拡張や河川敷を駐車場として活用するなどの指導が出た<ref name="chugoku19740215" />。

それらの成果から、広島市レベルの都市でも郊外型ショッピングセンターが成功することを証明し<ref name="chugoku19730903" />、その後同様のショッピングセンターが[[五日市町 (広島県)|五日市町]]など複数計画されることにつながった<ref name="chugoku19730903" />。

[[1975年]](昭和50年)[[3月7日]]には8億円かけて増床を行い、ファミリーランド(B館・C館)を4階建てに増築することで売場面積を3,200 m<sup>2</sup>増加させて約11,000 m<sup>2</sup>に拡大<ref name="chugoku19750306-1">「祇園店があす新装オープン」中国新聞 1975年3月6日 9ページ</ref><ref name="izumi50_264">『挑戦の流儀』264ページ</ref>。増床分は衣料品販売拡大に使用<ref name="chugoku19750306-1" />。売場の変更も行い、ファッションランドは'''リビングランド'''に改められた<ref name="chugoku19750306-2">部分広告 - 中国新聞 1975年3月6日 9ページ</ref>。

[[1980年]](昭和55年)[[6月13日]]に、大活性化工事(大改装)を実施しリニューアルオープン<ref name="izumi50_265">『挑戦の流儀』265ページ</ref><ref name="chugoku19800614">部分広告 - 中国新聞 1980年6月14日 24ページ</ref>。後日行われるブランド変更に伴う施設の若返りを目的とし<ref name="chugoku19800523">「いづみ→イズミ 販売戦略見直し 社名社章を変更」中国新聞 1980年5月23日 6ページ</ref>、売場の大部分を改装し、下り[[エスカレーター]]を新設した<ref name="chugoku19800523" />。同月27日には、全店一斉にブランド変更を行い、'''イズミ祇園ショッピングセンター'''(イズミ祇園店)にリブランドされた<ref name="chugoku19800623">全面広告 - 中国新聞 1980年6月23日 7ページ</ref><ref name="chugoku19800627">部分広告 - 中国新聞 1980年6月27日 10ページ</ref>。同年12月には、A館とB館・C館を結ぶ連絡橋が完成した<ref name="izumi50_265" />。

[[2001年]](平成13年)3月9日に、'''ゆめタウン祇園'''に再度リブランド<ref name="izumi50_269">『挑戦の流儀』269ページ</ref><ref name="chugoku20010224" /><ref name="syori88-89">『「ゆめタウン」勝利の方程式』88-89ページ</ref>。当時、比較的古い店舗が多かった広島地区では初めて「ゆめタウン」を名乗る店舗になり、改めて広島地区の基幹店舗の立場を明確にした<ref name="izumi50_269" /><ref name="syori88-89" />。1億4000万円かけて改装が行われ、食料品売場の強化や、高級下着のコーナーや医薬品コーナーを新設した<ref name="izumi50_269" /><ref name="syori88-89" />。改装により年間売り上げ目標を78億円から81億円に上方修正した<ref name="chugoku20010224" /><ref name="syori88-89" />。

[[2009年]]4月に食品売場を改装。リビング館(旧・ファッションランド)は2011年春に閉館、同年夏に取り壊されて、跡地には[[三菱地所]]によりマンション「ザ・パークハウス 祇園」が建設された<ref>[http://suumo.jp/journal/2012/04/21/17039/ 【NEWS】三菱地所レジデンス・マリモ『ゆめタウン祇園リビング館跡地に分譲マンションプロジェクト「ザ・パークハウス 祇園」』始動]{{リンク切れ|date=2018年3月|bot=InternetArchiveBot}} SUUMOニュース 2012年4月21日</ref>。

[[2020年]][[11月24日]]、老朽化を理由に店舗の建て替えを行うことが発表された。3・4階のフロアは翌2021年1月末で閉鎖し、建て替えに向けた準備を進める一方で1・2階は当面営業を続け、建て替えの後、[[2022年]]以降にゆめテラスを開店させる方針となった<ref>[https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/54859 【速報】イズミ、ゆめタウン祇園建て替えへ 新業態店で22年以降オープン] 中国新聞 2020年11月24日</ref>。[[2017年]][[2月3日]]に公表された広島県耐震性能調査において、当店は震度6強以上で「倒壊または崩壊する危険性が高い」と指摘されていた<ref>中国新聞 2017年2月11日 18版 25面</ref>。2021年1月31日をもって3・4Fフロアと立体駐車場は閉鎖された。残りのフロアについては、仮店舗(立体駐車場跡)が完成するまで営業を継続した。

[[2021年]][[11月23日]]に閉店し、1週間休業後の12月1日より仮店舗での営業を再開。2023年6月1日にゆめテラス祇園として食品館が先行オープンした<ref>[https://www.izumi.jp/tenpo/youmeterrace-gion/openteaser ゆめテラス祇園6月1日食品館先行オープン] イズミ</ref>。


== 館内 ==
== 館内 ==
現在のフロアマップは公式サイト参照。
=== ファミリー館 ===
* 1階 駐車場
** テナントとしてバッケンモーツアルト(洋菓子店)、飲食店、[[NTTドコモ|ドコモ]]ショップ・[[ソフトバンクモバイル|ソフトバンク]](以上携帯電話販売店)などがある。
* 2階 食料品のフロア
** テナントとしてフードコート([[ミスタードーナツ]]、[[ロッテリア]]、たこ一番など、飲食店テナント(グリーンオアシスなど)、菓子店テナント([[にしき堂]]、[[平安堂梅坪]]、[[香月堂 (広島県)|香月堂]]、[[とら屋]]など)がある。


=== 1973年5月3日全館完成当時 ===
* 3階 ファッション(レディース)、化粧品、装飾品のフロア、案内所(サービスカウンター)
開店当時の全面広告および社史に基づく<ref name="chugoku19730327" /><ref name="izumi50_104-105" />。
** テナント ビーズボックス(天然石アクセサリー店)、リエジュ(宝石店)、ラフィネ(リフレクソロジー)
* 4階 ファッション(メンズ)、こども服、アンダーウェアのフロア


=== リグ館 ===
==== ファミーラ ====
* 1階 - 駐車場
* 1階 ファンシーショップ(ガールズハウス)、[[100円ショップ]]([[大創産業|ダイソー]])、薬局
* 2階 - 食料品全般・日用雑貨・味の街(食堂街)
** テナント 書店(廣文館)、ナチュラルポケット(自然食品店)、アビ(手芸店)、タナカ(眼鏡店)
* 3階 - 家具・インテリア・家庭用品・家庭電器・屋上広場
* 2階 日用雑貨、文房具、靴
* 3階 寝具、インテリア、ペット関連
* 4階 ゲームセンター(ピノッキーランド)
** 1980年代中頃までは屋上遊園地もあったが、現在は閉鎖されている。


==== ファッションランド ====
== 備考 ==
* 1階 - 紳士服・肌着・舶来雑貨・カメラ・時計・ハンドバッグ
* イズミ(当時いづみ)初の郊外型ショッピングセンター。開業当時は西日本最大規模を誇っていた。
* 2階 - 婦人服・子供服・アクセサリ・呉服・憩いの広場
* 建物が古く、エレベーターがない(但し併設する立体駐車場には完備してある)。
* 3階 - 寝装品・袋物・靴・レコード・楽器・文具・玩具
* 付近に[[イオンモール広島祇園]]がオープンすることに対抗し、食品売り場を[[2009年]]4月に改装した。
* 4階 - 音楽教室・女性教室
* 屋上 - 屋上遊園地

=== 1975年3月7日増床オープン当時 ===
開店当時の広告に基づく<ref name="chugoku19750306-2" />。

==== ファミリーランド ====
* 1階 - 駐車場
* 2階 - 食品のフロア(総合食品売場・食堂街など)
* 3階 - 紳士と婦人のフロア(紳士服・婦人服など)
* 4階 - お子さまと実用衣料のフロア(子供服・下着など)

==== リビングランド ====
* 1階 - 日用雑貨とおしゃれのフロア(レジャー用品・化粧品・カー用品など)
* 2階 - 暮らしのフロア(電気小物・住宅設備・インテリアなど)
* 3階 - 住まいのフロア(食堂家具・居間家具)
* 4階 - ヤマハ音楽教室・ゲームコーナー・事務所
* 屋上 - 屋上遊園地

=== 1980年6月13日改装オープン当時 ===
開店当時の広告に基づく<ref name="chugoku19800614" />。

==== ファミリーランド ====
* 2階 - 食料品と食べ歩きのフロア
* 3階 - レディスとメンズのおしゃれフロア
* 4階 - お子さまと実用衣料のフロア

==== リビングランド ====
* 1階 - スポーツとレジャーのフロア
* 2階 - 暮らしのフロア
* 3階 - 住まいのフロア
* 4階 - 文化のフロア(各種催し会場) - 1983年6月24日に「ジョイフルランド」をオープン<ref name=":0">{{Cite news|title=夢と遊びをテーマにレイアウトと装飾|date=1983-08-01|newspaper=ゲームマシン|agency=アミューズメント通信社|url=https://onitama.tv/gamemachine/pdf/19830801p.pdf|publication-date=1983-08-01|editor=赤木真澄|issue=217|pages=18-19}}</ref>。


== 交通アクセス ==
== 交通アクセス ==
* [[可部線]][[下祇園駅]]より徒歩6分
* [[可部線]][[下祇園駅]]より徒歩6分
* [[広電バス|広島電鉄]]・[[広島交通]]バス 祇園出張所前バス停より徒歩2分
* [[広電バス|広島電鉄]]・[[広島交通]]バス 祇園出張所前バス停より徒歩2分

== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 補足 ===
{{Reflist|group=補足}}

=== 出典 ===
{{Reflist}}

== 参考文献 ==
* 『挑戦の流儀』(イズミ50年記念誌編纂事務局・2012年)
* 『「ゆめタウン」勝利の方程式』(西川立一・ぱる出版) ISBN 978-4827204803


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* {{official website}}
* [http://www.izumi.co.jp/tenpo/8/index.html ゆめタウン祇園]
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[[Category:1973年開業の施設]]
[[Category:安佐南区の建築物]]

2024年11月23日 (土) 01:33時点における最新版

ゆめテラス祇園
youme terrace Gion
外観
地図
地図
店舗概要
所在地 731-0113
広島県広島市安佐南区西原5丁目19番44号[1]
座標 北緯34度26分21.8秒 東経132度27分58.9秒 / 北緯34.439389度 東経132.466361度 / 34.439389; 132.466361 (ゆめテラス祇園)座標: 北緯34度26分21.8秒 東経132度27分58.9秒 / 北緯34.439389度 東経132.466361度 / 34.439389; 132.466361 (ゆめテラス祇園)
開業日 1973年3月27日(いづみ祇園ショッピングセンターとして)[1]
敷地面積 約20,000 m2[2]
商業施設面積 16,252 m²[3]
中核店舗 イズミ食品館
無印良品
営業時間 9:00 - 21:30 2階は20:00まで
前身 いづみ祇園ショッピングセンター
イズミ祇園ショッピングセンター
ゆめタウン祇園
最寄駅 JR下祇園駅
外部リンク www.izumi.jp/tenpo/youmeterrace-gion ウィキデータを編集
you me terrace
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ゆめテラス祇園(ゆめテラスぎおん)は、広島市安佐南区西原に所在するショッピングセンター株式会社イズミが運営する都市型GMS「ゆめテラス」の店舗第一号店である。2023年6月1日に食品館部分が先行オープン、同年11月1日に全面オープンとなった。

イズミ初の郊外店[4][5]で、2000年代までイズミの広島地区の基幹店舗だった[6]「いづみ祇園ショッピングセンター」→「イズミ祇園ショッピングセンター」→「ゆめタウン祇園」を建て替えの上でブランド変更したものである。

歴史

[編集]
ゆめタウン祇園時代の外観

1971年(昭和46年)10月に計画発表[7]。1960年代半ばよりアメリカで流行していた店舗スタイルを取り入れ[7]国道54号沿いに計画された[補足 1]モータリゼーションに対応し[9]、広島市外に出店する[補足 2]イズミ初の郊外店で[10][4][5]、中国・四国地方初[9][4][5]かつ日本全国でも玉川高島屋ショッピングセンターに次ぐ規模で[7]、日本全国でも例が少なかった[11][4][5]

計画開始時点で、地上4階地下1階建てのショッピングセンターとボウリング場を計画[7]。約5,300 m2の直営部分[7]と約4,000 m2のテナント部分には、広島本通商店街から約100店と東京都大阪府から7 - 8店舗出店する計画だった[7]。また、24時間営業の4階建てのレストラン棟[7]、遊園地やプール、託児所などを計画していた[7]。計画当初の事業費は約16億5000万円[7]。仮称は祇園コミュニティセンター[7]1972年1月から建設開始、同年10月に開店予定だった[7]

1972年(昭和47年)5月20日に起工式を実施[2]。その時点で、いづみ祇園ショッピングセンター(いづみ祇園店)の名称も決定[2]。その時点の計画では、地上5階建てのショッピングセンターと地上3階建ての40レーン整備したボウリング場を予定[2]。500台分の駐車場を予定し[2]、開業予定は同年12月だった[2]

建設途中までは、ボウリング場の併設を予定し[11]、機材も発注済みだった[9][11]が、アメリカに視察に行った社長がブームの終焉を察知[11]。違約金を払って設計変更を行い、ボウリング場は中止された[11]写真左側にある塔には、当初ボウリングピンが設置される予定だった[11]

最終的には、3階建てと4階建ての2棟[12]にテナントが68店出店[12]。275台分の無料駐車場が整備された[12]。最終的な事業費は約24億円になった[12]

1973年(昭和48年)3月27日10時に開業[13]。開店当初は食料品・日用品・家電製品を扱い、食堂街も備えた[11]ファミリーランドと呼ばれるB館・C館(地上3階建・売場面積 4,165 m2[10])が先行開業[13][11]。当時250台分整備された無料駐車場[11][13]は、規模の大きさより客から驚かれ[9]、開店日には車の行列ができた[9]。開店日は約4万人が来店した[14]

同年5月2日10時に、衣料品を扱うファッションランドと呼ばれるA館(地上4階建・売場面積 2,479 m2[10])が開店[15]。約2倍の店舗面積になり全面開業した[15]。1店舗で全てをまかなう「ワンストップ・オールライフ」をコンセプトにしていた[11]。開店当初は、A館とB館・C館は道路で隔てられていた。9月には貸会議室もオープンした[13]

開店当時、祇園ショッピングセンターは大成功し[16]、店舗の平均滞在時間がそれまでの50分から2時間に伸び[16]、同社内の一人あたり売り上げ平均が当時700 - 800円だった[16]のが、当店ではマイカーで1週間分の買い物をする客が多いことで2,400 - 2,500円の売り上げになった[16]。年間売り上げ目標も、30億円から41億円に変更[16]。開店した年の夏頃までに、駐車場の収容台数を160台増加させた[17]が、それでも交通問題は避けられず[17]、店前の国道は渋滞になり、休日は店の前に500 - 600 mの車の入場待ちが発生[17]可部警察署から、出入り口の拡張や河川敷を駐車場として活用するなどの指導が出た[17]

それらの成果から、広島市レベルの都市でも郊外型ショッピングセンターが成功することを証明し[16]、その後同様のショッピングセンターが五日市町など複数計画されることにつながった[16]

1975年(昭和50年)3月7日には8億円かけて増床を行い、ファミリーランド(B館・C館)を4階建てに増築することで売場面積を3,200 m2増加させて約11,000 m2に拡大[18][19]。増床分は衣料品販売拡大に使用[18]。売場の変更も行い、ファッションランドはリビングランドに改められた[20]

1980年(昭和55年)6月13日に、大活性化工事(大改装)を実施しリニューアルオープン[21][22]。後日行われるブランド変更に伴う施設の若返りを目的とし[23]、売場の大部分を改装し、下りエスカレーターを新設した[23]。同月27日には、全店一斉にブランド変更を行い、イズミ祇園ショッピングセンター(イズミ祇園店)にリブランドされた[24][25]。同年12月には、A館とB館・C館を結ぶ連絡橋が完成した[21]

2001年(平成13年)3月9日に、ゆめタウン祇園に再度リブランド[26][6][27]。当時、比較的古い店舗が多かった広島地区では初めて「ゆめタウン」を名乗る店舗になり、改めて広島地区の基幹店舗の立場を明確にした[26][27]。1億4000万円かけて改装が行われ、食料品売場の強化や、高級下着のコーナーや医薬品コーナーを新設した[26][27]。改装により年間売り上げ目標を78億円から81億円に上方修正した[6][27]

2009年4月に食品売場を改装。リビング館(旧・ファッションランド)は2011年春に閉館、同年夏に取り壊されて、跡地には三菱地所によりマンション「ザ・パークハウス 祇園」が建設された[28]

2020年11月24日、老朽化を理由に店舗の建て替えを行うことが発表された。3・4階のフロアは翌2021年1月末で閉鎖し、建て替えに向けた準備を進める一方で1・2階は当面営業を続け、建て替えの後、2022年以降にゆめテラスを開店させる方針となった[29]2017年2月3日に公表された広島県耐震性能調査において、当店は震度6強以上で「倒壊または崩壊する危険性が高い」と指摘されていた[30]。2021年1月31日をもって3・4Fフロアと立体駐車場は閉鎖された。残りのフロアについては、仮店舗(立体駐車場跡)が完成するまで営業を継続した。

2021年11月23日に閉店し、1週間休業後の12月1日より仮店舗での営業を再開。2023年6月1日にゆめテラス祇園として食品館が先行オープンした[31]

館内

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現在のフロアマップは公式サイト参照。

1973年5月3日全館完成当時

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開店当時の全面広告および社史に基づく[13][11]

ファミリーランド

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  • 1階 - 駐車場
  • 2階 - 食料品全般・日用雑貨・味の街(食堂街)
  • 3階 - 家具・インテリア・家庭用品・家庭電器・屋上広場

ファッションランド

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  • 1階 - 紳士服・肌着・舶来雑貨・カメラ・時計・ハンドバッグ
  • 2階 - 婦人服・子供服・アクセサリ・呉服・憩いの広場
  • 3階 - 寝装品・袋物・靴・レコード・楽器・文具・玩具
  • 4階 - 音楽教室・女性教室
  • 屋上 - 屋上遊園地

1975年3月7日増床オープン当時

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開店当時の広告に基づく[20]

ファミリーランド

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  • 1階 - 駐車場
  • 2階 - 食品のフロア(総合食品売場・食堂街など)
  • 3階 - 紳士と婦人のフロア(紳士服・婦人服など)
  • 4階 - お子さまと実用衣料のフロア(子供服・下着など)

リビングランド

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  • 1階 - 日用雑貨とおしゃれのフロア(レジャー用品・化粧品・カー用品など)
  • 2階 - 暮らしのフロア(電気小物・住宅設備・インテリアなど)
  • 3階 - 住まいのフロア(食堂家具・居間家具)
  • 4階 - ヤマハ音楽教室・ゲームコーナー・事務所
  • 屋上 - 屋上遊園地

1980年6月13日改装オープン当時

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開店当時の広告に基づく[22]

ファミリーランド

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  • 2階 - 食料品と食べ歩きのフロア
  • 3階 - レディスとメンズのおしゃれフロア
  • 4階 - お子さまと実用衣料のフロア

リビングランド

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  • 1階 - スポーツとレジャーのフロア
  • 2階 - 暮らしのフロア
  • 3階 - 住まいのフロア
  • 4階 - 文化のフロア(各種催し会場) - 1983年6月24日に「ジョイフルランド」をオープン[32]

交通アクセス

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脚注

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補足

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  1. ^ 2008年4月1日の管理移管で、該当区間は国道183号の単独区間になっている[8]
  2. ^ 計画開始時点時点で店舗用地の所在地は広島県安佐郡祇園町西原で、計画途中の1972年(昭和47年)8月27日に広島市に編入された。

出典

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  1. ^ a b 『「ゆめタウン」勝利の方程式』218ページ
  2. ^ a b c d e f 「郊外型ショッピングセンター起工 いづみが広島県祇園町に」中国新聞 1972年5月23日 6ページ
  3. ^ 都道府県別・政令指定都市別・市町村別SC (PDF) - 日本ショッピングセンター協会公式サイト内
  4. ^ a b c d 『「ゆめタウン」勝利の方程式』39ページ
  5. ^ a b c d 『「ゆめタウン」勝利の方程式』 48ページ
  6. ^ a b c 『「ゆめタウン」に改称 イズミ祇園店 9日改装オープン』中国新聞 2001年2月24日 11ページ
  7. ^ a b c d e f g h i j k 「広島市外にもお目見え 郊外型ショッピングセンター 西日本で初めて 「いづみ」など 来年秋に完成 遊園地など併設」中国新聞 1971年10月19日 7ページ
  8. ^ 一般国道54号の路線名及び管理者が変更されます - 国土交通省中国地方整備局広島国道事務所 平成20年3月24日
  9. ^ a b c d e 「生きて イズミ会長 山西義政さん(1922年-) 郊外店 車社会にいち早く対応」中国新聞 2011年11月15日 10ページ
  10. ^ a b c 『挑戦の流儀』263ページ
  11. ^ a b c d e f g h i j k 『挑戦の流儀』104・105ページ
  12. ^ a b c d 「27日オープン いづみ祇園ショッピングセンター」中国新聞 1973年3月20日 6ページ
  13. ^ a b c d e 全面広告 - 中国新聞 1973年3月27日 12・13ページ
  14. ^ 「開店セールに主婦ら四万人 祇園のいづみ郊外型店舗」中国新聞 1973年3月28日 6ページ
  15. ^ a b 全面広告 - 中国新聞 1973年5月2日 14・15ページ
  16. ^ a b c d e f g 「大当たり 郊外ショッピングセンター 予想を上回る売り上げ 年商41億も可能 多彩な催し物で固定客」中国新聞 1973年9月3日 6ページ
  17. ^ a b c d 『スーパー前の国道渋滞 いづみ祇園店 マイカー順番待ち 出入り口拡張など改善を 可部署、店側に申し入れ』 - 中国新聞 1974年2月15日 13ページ
  18. ^ a b 「祇園店があす新装オープン」中国新聞 1975年3月6日 9ページ
  19. ^ 『挑戦の流儀』264ページ
  20. ^ a b 部分広告 - 中国新聞 1975年3月6日 9ページ
  21. ^ a b 『挑戦の流儀』265ページ
  22. ^ a b 部分広告 - 中国新聞 1980年6月14日 24ページ
  23. ^ a b 「いづみ→イズミ 販売戦略見直し 社名社章を変更」中国新聞 1980年5月23日 6ページ
  24. ^ 全面広告 - 中国新聞 1980年6月23日 7ページ
  25. ^ 部分広告 - 中国新聞 1980年6月27日 10ページ
  26. ^ a b c 『挑戦の流儀』269ページ
  27. ^ a b c d 『「ゆめタウン」勝利の方程式』88-89ページ
  28. ^ 【NEWS】三菱地所レジデンス・マリモ『ゆめタウン祇園リビング館跡地に分譲マンションプロジェクト「ザ・パークハウス 祇園」』始動[リンク切れ] SUUMOニュース 2012年4月21日
  29. ^ 【速報】イズミ、ゆめタウン祇園建て替えへ 新業態店で22年以降オープン 中国新聞 2020年11月24日
  30. ^ 中国新聞 2017年2月11日 18版 25面
  31. ^ ゆめテラス祇園6月1日食品館先行オープン イズミ
  32. ^ “夢と遊びをテーマにレイアウトと装飾”. ゲームマシン. アミューズメント通信社 (217): pp. 18-19. (1983年8月1日). 1983-08-01. https://onitama.tv/gamemachine/pdf/19830801p.pdf 

参考文献

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  • 『挑戦の流儀』(イズミ50年記念誌編纂事務局・2012年)
  • 『「ゆめタウン」勝利の方程式』(西川立一・ぱる出版) ISBN 978-4827204803

外部リンク

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