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{{サッカークラブ| |
{{サッカークラブ| |
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原語表記=Club Atlético Rosario Central |
|原語表記=Club Atlético Rosario Central |
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愛称=Los |
|愛称=Los Canallas(カナージャス、ならず者)<br />La Academia(アカデミア、学院)<br />Los Guerreros(ゲレーロス、戦士) |
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カラー=青と黄色 |
|カラー=青色と黄色 |
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創設=1889 |
|創設=1889 |
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リーグ=アルゼンチンプロサッカーリーグ |
|リーグ=アルゼンチンプロサッカーリーグ |
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ディビジョン=[[プリメーラB・ナシオナル]] |
|ディビジョン=[[プリメーラB・ナシオナル]] |
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ホームタウン=[[ロサリオ]] |
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スタジアム=[[エスタディオ・ヒガンテ・デ・アロシート|ヒガンテ・デ・アロシート]] |
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|代表=ノルベルト・スペシアーレ |
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代表=| |
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'''CAロサリオ・セントラル'''({{lang-es|Club Atlético Rosario Central}})は、[[アルゼンチン]]・[[サンタフェ州]]・[[ロサリオ]]を本拠地とする[[サッカー]]クラブである。2012-13シーズンは[[プリメーラB・ナシオナル]](2部)に所属する。 |
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首都[[ブエノスアイレス]]と[[ブエノスアイレス州]]([[大ブエノスアイレス都市圏]])以外に本拠地を置くクラブとしては、アルゼンチンでもっとも成功を収めているクラブのひとつである。[[プリメーラ・ディビシオン]](1部)で4度優勝しており、直近の優勝は1986-87シーズンである。さらに、1995年には[[コパCONMEBOL]]([[コパ・スダメリカーナ]]の前身となった大会)でも優勝した。 |
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'''ロサリオ・セントラル'''({{lang-es|Club Atlético Rosario Central}})は、[[アルゼンチン]]・[[サンタフェ州]]・[[ロサリオ]]を本拠地とする[[サッカー]]クラブである。2011-12シーズンは[[プリメーラB・ナシオナル]](2部)に所属する。 |
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同じロサリオに本拠地を置く[[ニューウェルズ・オールドボーイズ]]との試合はロサリオ・ダービーと呼ばれ、非常に白熱した試合になる。 |
アルゼンチン最古のサッカークラブのひとつであり、公式には1889年に設立された。クラブ名称はイギリス人が所有するセントラル・アルゼンチン鉄道会社に因んでいる。同じロサリオに本拠地を置く[[ニューウェルズ・オールドボーイズ]]との試合は[[クラシコ・ロサリーノ]](ロサリオ・ダービー)と呼ばれ、非常に白熱した試合になる。ホームスタジアムは[[エスタディオ・ヒガンテ・デ・アロシート]](エスタディオ・Dr. リサンドロ・デ・ラ・トーレ)であり、ロサリオ市で最も大きなスタジアムである。 |
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== 歴史 == |
== 歴史 == |
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=== 黎明期 === |
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1889年12月24日、セントラル・アルゼンチン鉄道のイギリス人労働者達によって、'''セントラル・アージェンティン・レールウェイ・アスレティック・クラブ'''(Central Argentine Railway Athletic Club)として設立された。1903年にセントラル・アルゼンチン鉄道とブエノスアイレス鉄道が合併し、クラブの名称が現在の'''クラブ・アトレティコ・ロサリオ・セントラル'''(Club Atlético Rosario Central)へと変更された。当初のユニフォームカラーは赤と白だったが、その後青と白の[[市松模様]]を経て、現在の青と黄色の縦縞に落ち着いた。 |
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[[File:Central railw athl 1903.jpg|thumb|right|300px|格子模様のジャージを着用していた1903年のチーム]] |
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1889年12月24日、セントラル・アルゼンチン鉄道のイギリス人労働者達によって、'''セントラル・アージェンティン・レールウェイ・アスレティック・クラブ'''(Central Argentine Railway Athletic Club)として設立された。1904年、セントラル・アルゼンチン鉄道とブエノスアイレス鉄道が統合され、クラブの名称が現在の'''クルブ・アトレティコ・ロサリオ・セントラル'''(Club Atlético Rosario Central)に変更された<ref>[http://es.scribd.com/doc/7250608/Alejandro-Fabbri-El-Nacimiento-de-Una-Pasion ''El Nacimiento de una Pasión'', Alejandro Fabbri - Buenos Aires, 2007]</ref>。当初のユニフォームカラーは赤と白だったが、その後青と白の格子模様を経て、現在の青と黄色の縦縞に落ち着いた。 |
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愛称の'''Los Canallas'''は"ならず者"という意味である。ニューウェルズとともに難病患者を迎えてのチャリティーマッチを企画したが、あらぬ誤解から試合をキャンセルしたため、ニューウェルズのファンにこう呼ばれたのが始まりである。本来ならば蔑称として使用される単語であるが、クラブもマスコミも堂々と使用している<ref>footballista、ソルメディア、2009年7月29日・8月5日合併号、39頁</ref>。[[チェ・ゲバラ]]はセントラルのサポーターであり、クラブを代表するマスコットの一人である。そのため、サポーターはLos Guerreros(戦士、ソルジャー、ゲリラ)という愛称で呼ばれる。また下部組織から優れた選手を多く輩出したことと、アマチュア時代の優勝回数が多いことが[[ラシン・クラブ]]に似ていることなどからLa Academia(ラ・アカデミア:学院)という愛称も持つ。 |
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=== アマチュアリーグ時代(1905年-1930年)=== |
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1997年11月23日のダービーには4-0で勝利したが、ニューウェルズはその試合の後半途中に試合を放棄したため、毎年11月23日は"Dia del abandono"(逃亡者の記念日)とされ、サポーターがお祝いをしている。2009-10シーズンの昇降格プレーオフでは[[CAオール・ボーイズ]]と対戦したが、2試合合計1-4で敗れて[[プリメーラB・ナシオナル]](2部)へ降格した。この際、オラシオ・ウサンディサーガ会長の経営手腕が疑問視され、サポーターから殺害予告を受けたため、ウンディサーガはスペインに逃避した。その後、会長選挙が行われてノルベルト・エスペシアーレが新会長に就任した。 |
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1905年、ロサリオ市のクラブらによってロサリオサッカーリーグが設立され、ロサリオ市のサンティアゴ・ピナスコ市長がトロフィーを寄贈したため、初回大会はコパ・サンティアゴ・ピナスコと名付けられた。5月21日に行われた[[CAデル・ロサリオ]]との初戦には3-1で勝利し、6月に行われた[[ノッティンガム・フォレストFC]](イングランド)との親善試合には0-5で敗れた。1908年には初のリーグ優勝を果たし、1913年にはリーグから脱退したが、1914年に復帰すると20試合を戦って19勝1分(99得点10失点)の圧倒的な成績を残し、51得点を挙げた[[フアン・エンリケ・ハジェス|ハリー・ハジェス]]が得点王に輝いた<ref>[http://www.rsssf.com/tablesa/arg-rosario14.html Liga de Rosario 1914] RSSSF</ref>。1915年と1916年にも優勝して3連覇を達成。1919年の優勝が最後のタイトルとなり、1920年に再びリーグを脱退した。脱退するやいなやアマチュア協会に加わったが、結局アマチュア協会に意見を異にしたセントラルなどのクラブは、1921年に再びロサリオサッカーリーグに復帰した。1923年、1927年、1928年、1930年にリーグ優勝し、ロサリオサッカーリーグの最多優勝クラブとなった。 |
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1915年には、[[ブエノスアイレス]]とロサリオの各リーグ優勝クラブによって争われる[[コパ・イバルグレン]]に出場し、ブエノスアイレス王者の[[ラシン・クラブ]]を3-1で破って優勝した<ref>[http://histofutbolrosarino.blogspot.com/2010/04/rosario-central-campeon-argentino-de.html Historia del Fútbol Rosarino]</ref>。同年の[[コパ・デ・オノール・ムニシパリダ・デ・ブエノスアイレス]]では[[CAインデペンディエンテ]]を1-0で破って優勝し、[[コパ・デ・コンペテンシア・ジョッキークラブ]]では再びラシンを破って優勝した。1920年のコパ・デ・コンペテンシアでは[[CAアルマグロ]]を破って優勝した。 |
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=== プロリーグ時代(1931年-現在) === |
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[[File:Rosariocentral 1951.jpg|thumb|right|270px|2度目のプリメーラ昇格を果たした1951年のチーム]] |
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1931年、アルゼンチンではプロリーグ化が行われ、ロサリオでは初のプロリーグを組織するためにロサリオサッカー協会が設立された。サンタフェ州知事のルシアーノ・モリーナスに因み、コパ・ナカシオ・ビラはトルネオ・ゴベルナドール・ルシアーノ・モリーナスという名称に変更された。セントラルは1937年と1938年にリーグ優勝した。 |
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1939年、セントラルとライバルの[[ニューウェルズ・オールドボーイズ]]は[[アルゼンチンサッカー協会]]に対してリーグ加盟の承認を求め、両クラブとも[[プリメーラ・ディビシオン]](1部)に受け入れられた。1941年のセントラルは20試合を戦って6勝しか挙げられず、[[プリメーラB・メトロポリターナ|プリメーラB]](当時2部相当)に降格したが、プリメーラBで過ごしたのはわずか1シーズンであり、1942年には25勝4敗の成績でプリメーラ・ディビシオン昇格を果たした。1950年には再びプリメーラB降格となったが、前回同様に降格から1年で昇格を果たした。 |
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==== 初のリーグ優勝 ==== |
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[[アンヘル・ラブルナ]]監督が率いたナシオナル1971ではプレーオフに出場し、準決勝では[[アルド・ポイ]]がダイビングヘッドで決勝点を決めてニューウェルズを破った。この得点は今日でもサポーターに記憶されており、12月19日にはポイが参加する祝賀行事が行われることもある<ref>[http://www.telam.com.ar/nota/10624 "La palomita de Poy, a 40 años de una jugada legendaria"], Télam, 2011-12-18</ref>。プレーオフ決勝では[[CAサン・ロレンソ]]を破り、初のプリメーラ・ディビシオン優勝を果たした。2年後のナシオナル1973では、[[カルロス・グリグオル]]監督が指揮して2度目のリーグ優勝を果たした。この時のチームの主力選手にはポイ、[[カルロス・アイマール]]、[[ホルヘ・ソラーリ]]などがおり、カルロス・ビアスット、ホルヘ・ゴンサーレス、アウレリオ・パスクティーニ、ダニエル・キリェール、マリオ・キリェール、アイマール、エドゥアルド・ソラーリ、ポイ、ラモン・ボベーダ、ロベルト・カブラル、ダニエル・アリコがレギュラーを務めた。1974年には[[インスティトゥート・コルドバ]]からストライカーの[[マリオ・ケンペス]]を獲得し、ケンペスは[[バレンシアCF]](スペイン)移籍後の[[1978 FIFAワールドカップ]]で得点王に輝く活躍を見せた。 |
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==== 1980年代 ==== |
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[[File:Rosario Central Campeon1980.jpeg|thumb|right|300px|3度目の優勝を飾った1980年のチーム]] |
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1970年代半ば以降は7年間無冠が続いたが、[[アンヘル・トゥリオ・ソフ]]監督が指揮したナシオナル1980で久々の優勝を飾った。この時のセントラルはピッチ上で優雅なプレーを見せ、「ラ・シンフォニカ」(オーケストラのシンフォニー)と呼ばれた。[[ラシン・デ・コルドバ]]と対戦した決勝では、ファーストレグで5-0と快勝し、セカンドレグに0-2と敗れたものの、得失点差でリーグ優勝を決めた。[[ダニエル・カルネバーリ]]、フアン・カルロス・ギエルメッティ、[[エドガルド・バウサ]]、オスカル・クライジャチッチ、ホルヘ・ガルシア、ホセ・ガイタン、ダニエル・スペランディオ、エドゥアルド・バカス、フェリクス・オルテ、ビクトル・マルチェッティ、ダニエル・テグリアがレギュラーだった。その後何年かは低調なシーズンが続き、1984年にプリメーラB降格となったが、ペドロ・マルチェッタ監督が采配を振るったチームはわずか1年でプリメーラ・ディビシオン復帰を果たした。ソフ監督が再び指揮を取った1986-87シーズンには4度目のリーグ優勝を果たした。この時のチームのレギュラーはアレハンドロ・ラナーリ、[[エルナン・ディアス]]、ホルヘ・バルビス、バウサ、ペデルネーラ、[[オマール・パルマ]]、アデルキ・コルナグリア、[[ロベルト・ガスペリーニ]]、[[オスバルド・エスクデロ]]、フェルナンド・ランシデイ、ウーゴ・ガジョーニだった。 |
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==== 1990年代以降 ==== |
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1990年代最初の数年間は国内リーグで低調な成績に終わったが、1995年の[[コパCONMEBOL]]で優勝を果たした。今日においても、この年のコパCONMEBOLはサンタフェ州のクラブが獲得した唯一の国際タイトルである。[[アトレチコ・ミネイロ]](ブラジル)戦ではアウェーでのファーストレグに0-4で敗れたが、ホームでのセカンドレグに4-0で勝利し、PK戦に4-3で勝利したロサリオが勝ち上がった。1997年11月23日のロサリオ・ダービーには4-0で勝利したが、ニューウェルズはその試合の後半途中に試合を放棄したため、毎年11月23日は"Dia del abandono"(逃亡者の記念日)とされ、セントラルのサポーターがお祝いをしている。2000年代後半には成績が低迷し、2009-10シーズン後に行われた昇降格プレーオフでは[[CAオール・ボーイズ]]と対戦したが、2試合合計1-4で敗れて[[プリメーラB・ナシオナル]](2部)に降格した。この際、オラシオ・ウサンディサーガ会長の経営手腕が疑問視され、サポーターから殺害予告を受けたため、ウンディサーガはスペインに逃避した。その後、会長選挙が行われてノルベルト・エスペシアーレが新会長に就任した。2012-13シーズン開幕時点で[[コパ・リベルタドーレス]]には10度出場しており、[[ボカ・ジュニアーズ]]、[[CAリーベル・プレート]]、[[CAインデペンディエンテ]]、[[CAサン・ロレンソ]]に次いでアルゼンチン5位タイ([[エストゥディアンテス]]や[[CAベレス・サルスフィエルド]]と同数)の出場回数を誇る。 |
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== ニックネーム == |
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最も一般的に使用される愛称はLos Canallas(ロス・カナージャス、ならず者)である。1920年代、ニューウェルズとともに難病患者を迎えてのチャリティーマッチを企画したが、あらぬ誤解から試合をキャンセルしたため、ニューウェルズのファンにこう呼ばれたのが始まりである。本来ならば蔑称として使用される単語であるが、クラブもマスコミも堂々と使用している<ref>footballista、ソルメディア、2009年7月29日・8月5日合併号、39頁</ref>。この出来事以来、ニューウェルズはLeprosos(レプロソス、ハンセン病患者)というニックネームで呼ばれている。1928年、セントラルのサポーターがライバルの[[CAベルグラーノ]]のスタジアム近くで布地を燃やし、その際に「ならず者! ならず者!」と呼ばれたのが始まりであるとする説もある<ref>''De Rosario y de Central'', Jorge Brisaboa, 1996 - ISBN 950-808-100-7</ref>。2007年1月にアメリカの[[ニュージャージー州]]で行われた記者会見で、ロサリオ出身の[[ロベルト・フォンタナローサ]]は愛称のスペル変更を行なった。彼によれば、ロサリオ出身の人々はスペイン語の「Cana'''ll'''as」という単語を使用しないということで、新しいスペルは「Cana'''y'''as」(カナ読みはいずれもカナージャス)となった。 |
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下部組織から優れた選手を多く輩出していることと、アマチュアリーグ時代の優勝回数が多いことが[[ラシン・クラブ]]に似ていることなどから、ラシン・クラブと同様のLa Academia(ラ・アカデミア、学院)という愛称も持つ。 |
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== サポーター == |
== サポーター == |
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[[File:Hinchada de Rosario Central Bandera151.jpg|300px|right|thumb|巨大な横断幕を掲げるセントラルのサポーター]] |
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2008年1月にはイギリスの雑誌「UK Football」が「世界のスタジアムの熱狂度」についてのランキングを発表した。ロサリオ・セントラルは14位でアルゼンチンのクラブ中最高位となり、[[CAリーベル・プレート]]が20位で、[[ボカ・ジュニアーズ]]が23位で、[[ラシン・クラブ]]が48位でロサリオ・セントラルに続いた。アルゼンチンのロサリオ市以外の地方都市では、全国的な人気クラブであるボカ・ジュニアーズやCAリーベル・プレートを応援するサポーターが人口の過半数を占めるとされるが、ロサリオ市では状況が異なる。1995年にナシオン紙が行った調査によると、ロサリオ市においてロサリオ・セントラルのサポーターは45%を占め、ニューウェルズのサポーターが30%で続いている。ボカ・ジュニアーズは7%、CAリーベル・プレートは6%にとどまっている。 |
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2008年1月にはイギリスの雑誌「UK Football」が「世界のスタジアムの熱狂度」についてのランキングを発表し、セントラルは14位でアルゼンチンのクラブ中最高位となった。[[CAリーベル・プレート]]が20位で、[[ボカ・ジュニアーズ]]が23位で、[[ラシン・クラブ]]が48位でセントラルに続いた<ref>[http://edant.ole.com.ar/notas/2008/01/05/01578521.html Hinchadas vibrantes]Ole、2008年1月5日</ref>。アルゼンチンの地方都市では、全国的な人気クラブであるボカ・ジュニアーズやリーベル・プレートを応援するサポーターが人口の過半数を占めるとされるが、ロサリオ市では状況が異なる。1995年にナシオン紙が行った調査によると、ロサリオ市においてセントラルのサポーターは45%を占め、ニューウェルズのサポーターが30%で続いている。ボカ・ジュニアーズは7%、リーベル・プレートは6%にとどまっている。 |
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[[チャカリタ・ジュニアーズ|CAチャカリータ・ジュニアーズ]]とは非常に良好な関係を築いており、チャカリータとの試合の際には、サポーター同士がユニフォームを交換したり、スタジアム外でバーベキューをして親睦を深めている。アルゼンチンの[[ヒムナシア・フフイ]]、[[サン・マルティン・トゥクマン]]、ウルグアイの[[ナシオナル・モンテビデオ]]、チリの[[CSDコロコロ]]、ペルーの[[アリアンサ・リマ]]、メキシコの[[クルス・アスル]]とも良好な関係であり、ロサリオ・セントラルの本拠地である[[エスタディオ・ヒガンテ・デ・アロシート|ヒガンテ・デ・アロシート]]ではこれらのクラブのユニフォーム姿のサポーターも見られる。 |
[[チャカリタ・ジュニアーズ|CAチャカリータ・ジュニアーズ]]とは非常に良好な関係を築いており、チャカリータとの試合の際には、サポーター同士がユニフォームを交換したり、スタジアム外でバーベキューをして親睦を深めている。アルゼンチンの[[ヒムナシア・フフイ]]、[[サン・マルティン・トゥクマン]]、ウルグアイの[[ナシオナル・モンテビデオ]]、チリの[[CSDコロコロ]]、ペルーの[[アリアンサ・リマ]]、メキシコの[[クルス・アスル]]とも良好な関係であり、ロサリオ・セントラルの本拠地である[[エスタディオ・ヒガンテ・デ・アロシート|ヒガンテ・デ・アロシート]]ではこれらのクラブのユニフォーム姿のサポーターも見られる。 |
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かつては[[CAサン・ロレンソ]]と友好関係にあり、アルゼンチン |
かつては[[CAサン・ロレンソ]]と友好関係にあり、アルゼンチンのクラブ間随一の友情関係だったとされることもあった。そのため、彼らがヒガンテ・デ・アロシートで優勝を決めた際に、バーベキューなどで祝福することもあったが、1998年頃にサン・ロレンソ側が裏切ったことから友情関係は壊れた。しかし、アペルトゥーラ2009の最終節、サン・ロレンソ対ニューウェルズ戦でサン・ロレンソがニューウェルズの優勝を阻止し、サン・ロレンソのサポーターがニューウェルズを侮蔑するチャント(普段はセントラルのサポーターによって歌われる)を歌ったことで、セントラルの一部のサポーターはサン・ロレンソとの友好関係復帰を望んでいるとされる<ref>[http://www.youtube.com/watch?v=JRTaQKM97cY san lorenzoニューウェルス戦(A) vs newell's(visitante) ] Youtube</ref>。 |
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[[ハビエル・マスチェラーノ]] |
セントラルサポーターの著名人には、[[アルベルト・オルメード]](コメディアン/俳優)、リタ・ラ・サルバヘ(芸術家)、[[リベルタ・ラマルケ]](歌手/女優)などがいる。[[オスバルド・バジェール]]、フォンタナローサなどの作家、[[フィト・パエス]]、[[フアン・カルロス・バグリエット]]、[[ホアキン・サビーナ]]などのミュージシャンもセントラルのサポーターである。ロサリオ出身の[[チェ・ゲバラ]](革命家)もセントラルのサポーターだった。ゲバラはクラブを代表するアイコンのひとりであるため、クラブやサポーターの愛称としてLos Guerreros(ロス・ゲレーロス、戦士/ゲリラ)が用いられる。[[ハビエル・マスチェラーノ]]と[[エセキエル・ラベッシ]]はセントラルの入団テストに落ちた過去があり、セントラルでのプレー経験はないが、両選手ともサポーターとして知られている。ラベッシは背中にセントラルのエンブレムのタトゥーを刻んでいる。 |
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== スタジアム == |
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ロサリオ市北東部のリサンドロ・デ・ラ・トーレ地区(アロシート地区として知られる)、アベジャネーダ大通りとジェノヴァ通りの交差部にある[[エスタディオ・ヒガンテ・デ・アロシート]]をホームスタジアムとしている。公式には41,654人を収容する。[[1978 FIFAワールドカップ]]では、[[サッカーアルゼンチン代表|アルゼンチン代表]]の2次リーグ3試合すべてがヒガンテ・デ・アロシートで行われた。かつてセントラルのアイドル的存在だった[[マリオ・ケンペス]]は大声援を受け、得点王に輝く活躍でアルゼンチン代表の優勝に貢献した。 |
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== 大衆文化 == |
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ロサリオ・セントラルは多くの映画、書籍、楽曲、演劇に登場し、いくつかの散文にも登場する。[[ロベルト・フォンタナローサ]]の「19 de diciembre de 1971」(1971年12月19日)という物語は、[[ニューウェルズ・オールドボーイズ]]戦のためにブエノスアイレスを訪れたセントラルサポーターを題材にしている。 |
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== ユニフォーム == |
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=== サプライヤーとスポンサー === |
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2011年8月以来、アルゼンチンの都市銀行であるインヘコンセールが胸スポンサーとなっている。2012年7月、ブラジルのスポーツブランドである[[オリンピクス (スポーツブランド)|オリンピクス]]とユニフォーム提供の契約を交わした。 |
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{{col-3}} |
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{| class="wikitable" style="text-align:left" |
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| colspan="2"| '''サプライヤー''' |
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! width=80px| 期間 |
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! width=150px| 企業 |
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|align=center| 1977-1982 || {{flagicon|GER}} [[アディダス]] |
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|align=center| 1983-1992 || {{flagicon|BRA}} [[トッパー]] |
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|- |
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|align=center| 1992-1993 || {{flagicon|GER}} [[ウールスポーツ|ウールシュポルト]] |
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|- |
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|align=center| 1993-1995 || {{flagicon|BRA}} [[ペナルティ (スポーツブランド)|ペナルティ]] |
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|- |
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|align=center| 1995-1998 || {{flagicon|FRA}} [[ルコック]] |
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|- |
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|align=center| 1998-2000 || {{flagicon|UK}} [[アンブロ]] |
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|- |
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|align=center| 2000-2006 || {{flagicon|GER}} [[プーマ]] |
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|- |
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|align=center| 2006-2009 || {{flagicon|ITA}} [[Kappa]] |
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|- |
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|align=center| 2009-2012 || {{flagicon|GER}} [[プーマ]] |
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|- |
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|align=center| 2012- || {{flagicon|BRA}} [[オリンピクス (スポーツブランド)|オリンピクス]] |
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|} |
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{{col-3}} |
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{| class="wikitable" style="text-align:left" |
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| colspan="2"| '''スポンサー''' |
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! width=80px| 期間 |
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! width=200px| 胸スポンサー |
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|align=center|1985-1986 || サネージャ(バイク) |
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|align=center|1986 || Aurora Grundig |
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|- |
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|align=center|1987-1992 || サネージャ(バイク) |
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|- |
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|align=center|1992-1998 || General Paz Seguros |
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|- |
|||
|align=center|1998-2001 || カブレオガール(メディア) |
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|- |
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|align=center|2001-2002 ||- |
|||
|- |
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|align=center|2002-2005 || トランスアトランティカ(旅行) |
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|- |
|||
|align=center|2005-2009 || パラディーニ(食品) |
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|- |
|||
|align=center|2009-2011 || リベラ市(自治体) |
|||
|- |
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|align=center|2011- || [[インヘコンセール]](銀行) |
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|- |
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|} |
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{{col-3}} |
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{{col-end}} |
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=== ユニフォームの変遷 === |
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{| |
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|{{Football kit box|pattern_la=|pattern_b=_redquarters23|pattern_ra=|leftarm=ff0000|body=ffffff|rightarm=ffffff|shorts=ffffff|socks=888888|title=1890-1903}} |
|||
|{{Football kit box|pattern_la=|pattern_b=_navyquarters23|pattern_ra=|leftarm=000099|body=ffffff|rightarm=ffffff|shorts=ffffff|socks=888888|title=1903-04}} |
|||
|{{Football kit box|pattern_la=_goldstripes|pattern_b=_Rosario11Home|pattern_ra=_goldstripes|leftarm=000099|body=FFDD00|rightarm=000099|shorts=000099|socks=ffdd00|title=1904-}} |
|||
|} |
|||
== タイトル == |
== タイトル == |
||
[[File:Campeon-central-1971.jpg|thumb|right|270px|初めてプリメーラ・ディビシオンで優勝した1971年のチーム]] |
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[[File:Plantel de Rosario Central campeón de 1973.jpeg|thumb|right|300px|2度目の優勝を飾った1973年のチーム]] |
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=== 国内タイトル === |
=== 国内タイトル === |
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; 全国タイトル |
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* '''[[アルゼンチンプロサッカーリーグ|プリメーラ・ディビシオン]] : 4回''' |
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* '''[[プリメーラ・ディビシオン (アルゼンチン)|プリメーラ・ディビシオン]](1部) : 4回''' |
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: 1971ナシオナル、1973ナシオナル、1980ナシナル、1987 |
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: 1971ナシオナル、1973ナシオナル、1980ナシナル、1986-87 |
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* '''[[プリメーラB・ナ |
* '''[[プリメーラB・メトロポリターナ]](3部相当) : 3回''' |
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: 1942, 1951, 1985 |
: 1942, 1951, 1985 |
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*'''コンクル-ソ・ポル・エリミナシオン : 1回''' |
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: 1913 |
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*'''[[コパ・イバルグレン]] : 1回''' |
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: 1915 |
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*'''[[コパ・デ・オノール・ムニシパリダ・デ・ブエノスアイレス]] : 1回''' |
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: 1916 |
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*'''[[コパ・デ・コンペテンシア・ジョッキー・クラブ]] : 1回''' |
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: 1916 |
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*'''[[コパ・デ・コンペテンシア]] : 1回''' |
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: 1920 |
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; 地域タイトル |
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* '''ロサリオ選手権: 12回''' |
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: 1908, 1914, 1915, 1916, 1917, 1919, 1923, 1927, 1928, 1930, 1937, 1938 |
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=== 国際タイトル === |
=== 国際タイトル === |
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53行目: | 182行目: | ||
== 歴代会長 == |
== 歴代会長 == |
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{{表2列| |
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* 1889年-1900年 [[コリン・カールデル]] |
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* 1889-1900 [[コリン・カールデル]] |
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* |
* 1901-1902 [[ウィリアム・タイロール・パウル]] |
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* |
* 1902-1903 [[H・J・ムホール]] |
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* |
* 1904-1905 [[R・M・ジャクソン]] |
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* |
* 1906 [[H・スクリビナー]] |
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* |
* 1907 [[J・A・ニッセン]] |
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* |
* 1908 [[H・スクリビナー]] |
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* |
* 1909 [[ミゲル・グリーン]] |
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* |
* 1910 [[フェデリーコ・N・プップレト]] |
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* |
* 1911-1912 [[E・A・オルテッリィー]] |
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* |
* 1913 [[アルフレッド・レミー]] |
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* 1914-1915 [[E・A・オルテッリィー]] |
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* |
* 1916-1917 [[トマス・フリン]] |
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* |
* 1918-1920 [[フェデリーコ・フリン]] |
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* |
* 1921-1922 [[ニコラス・S・エオエ]] |
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* 1923-1931 [[フェデリーコ・フリン]] |
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* 1932年-1933年 [[ラファエル・J・バッビーニ]] |
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* |
* 1932-1933 [[ラファエル・J・バッビーニ]] |
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* |
* 1934-1935 [[フェデリーコ・フリン]] |
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* 1936-1938 [[フアン・T・ロウアウ]] |
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* 1939年 [[ホセ・バレンティ]] |
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* 1939 |
* 1939 [[ホセ・バレンティ]] |
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* 1939 |
* 1939 [[アドルフォ・ボグリオーネ]] |
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* |
* 1939 [[ルイス・C・マッティーア]] |
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* 1941年 [[ホセ・D・インオフ]] |
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* |
* 1940-1941 [[ホセ・B・キンターナ]] |
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* |
* 1941 [[ホセ・D・インオフ]] |
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* 1942 [[アグスティン・ロドリゲス・アラーシャ]] |
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* 1944年-1946年 [[ロベルト・モンセラット]] |
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* |
* 1943-1944 [[ホセ・E・カローリア]] |
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* |
* 1944-1946 [[ロベルト・モンセラット]] |
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* |
* 1946-1948 [[アドルフォ・ボグリオーネ]] |
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* |
* 1949 [[エルネスト・アリアス・サンス]] |
||
* |
* 1949-1950 [[アベル・モンテス]] |
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* |
* 1951-1964 [[フェデリーコ・フリン]] |
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* |
* 1965-1968 [[アドルフォ・ボエーリオ]] |
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* |
* 1969 [[ロベルト・L・リッソ]] |
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* |
* 1970-1992 [[ビクトール・J・バスコ]] |
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* |
* 1992-1993 [[アントニオ・ロデーナス]] |
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* |
* 1994-2001.9 [[ビクトール・J・バスコ]] |
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* |
* 2001.9-2002.10 [[フアン・カルロス・カンパーニャ]] |
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* |
* 2002.10-2003.8 [[ビクトール・J・バスコ]] |
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* |
* 2003.8-2006.12 [[パブロ・スカラビーノ]] |
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* 2006.12-2007.6 [[フアン・ダウベス]] |
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* 2007年8月-2007年11月 選挙まで会長職不在 |
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* 2007 |
* 2007.6-2007.8 [[パブロ・スカラビーノ]] |
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* 2007.8-2007.11 選挙まで会長職不在 |
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* 2010年6月- [[ノルベルト・エスペシアーレ]] |
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* 2007.11-2010.5 [[オラシオ・ウサンディサーガ]] |
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* 2010.6- [[ノルベルト・エスペシアーレ]] |
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== |
== 歴代監督 == |
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; 単一シーズン制時代(-1966) |
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; 2011年8月28日時点 |
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{{表2列| |
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* [[エメリコ・イルシュル]] 1939-1940 |
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* [[エンリケ・パロミーニ]] 1941-1945 |
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* György Orth 1945 |
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* [[ヘラルド・リバス]] 1945 |
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* [[フランシスコ・ロカ]] 1946 |
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* [[ヘラルド・リバス]] 1946 |
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* [[ルイス・インダーコ]] 1946 |
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* [[エンリケ・パロミーニ]] 1947 |
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* [[ヘラルド・リバス]] 1947-1948 |
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* [[フェルミン・レセア]] 1948-1954 |
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* [[アルフレード・フォヘール]] 1955-1956 |
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* [[ヘロニモ・ディアス]] 1957 |
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* [[フアン・ピオット]] 1958-1959 |
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* [[ロドルフォ・マス]] 1959 |
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* [[フアン・カルロス・フォンダ]] 1960 |
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* [[エンリケ・ルピス]] 1960-1961 |
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* [[フアン・ピオット]] 1961 |
|||
* [[エンリケ・ルピス]] 1961 |
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* [[ヒム・ロペス]] 1962-1963 |
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* [[ホセ・ダミーコ]] 1964-1965 |
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* {{flagicon|URU}} [[ウーゴ・バグヌーロ]] 1965 |
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* [[ホセ・マリア・カスージョ]] 1965 |
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* [[マヌエル・ヒウディセ]] 1966 |
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}} |
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; メトロポリターノとナシオナル時代(1967-1985) |
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<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> |
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{{表2列| |
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* - {{flagicon|ARG}} GK [[ホルヘ・ブラウン]] |
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* [[ホセ・ミーニ]] 1966-1967 |
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* - {{flagicon|ARG}} GK [[エミリアーノ・ボベーロ]] |
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* [[ミゲル・イグノミリエージョ]] 1967-1969 |
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* - {{flagicon|URU}} GK [[ファクンド・ルパルド]] |
|||
* [[フランシスコ・エラウスキン]] 1969 |
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* - {{flagicon|ARG}} GK [[マヌエル・ガルシア]] |
|||
* [[オマール・シボリ]] 1969-1970 |
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* - {{flagicon|ARG}} DF [[ナウエル・バレンティーニ]] |
|||
* [[アンヘル・トゥリオ・ソフ]] 1970-1971 |
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* - {{flagicon|ARG}} DF [[ヘラルド・ペレス]] |
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* [[カルロス・ティモテオ・グリグオル]] 1971 |
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* - {{flagicon|ARG}} DF [[ヘルマン・リベロラ]] |
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* |
* {{flagicon|ARG}} [[アンヘル・ラブルナ]] 1971 |
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* [[カルロス・ティモテオ・グリグオル]] 1971 |
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* - {{flagicon|ARG}} DF [[マリオ・バジェホ]] |
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* |
* {{flagicon|ARG}} [[アンヘル・ラブルナ]] 1971-1972 |
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* [[アンヘル・トゥリオ・ソフ]] 1972-1973 |
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* - {{flagicon|ARG}} DF [[クリスティアン・ゴドイ]] |
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* [[カルロス・ティモテオ・グリグオル]] 1973-1975 |
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* - {{flagicon|ARG}} DF [[ラファエル・デルガド]] |
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* [[フランシスコ・エラウスキン]] 1975 |
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* - {{flagicon|ARG}} DF [[パウロ・フェラーリ]] |
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* [[リカルド・デ・レオン]] 1975 |
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* - {{flagicon|ARG}} DF [[マティアス・レキ]] |
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* [[フランシスコ・エラウスキン]] 1975 |
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* - {{flagicon|URU}} DF [[ブリアン・ロペス]] |
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* |
* [[リカルド・デ・レオン]] 1975 |
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* [[ホセ・マリア・シルベーロ]] 1976 |
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* - {{flagicon|ARG}} MF [[パブロ・ベッケル]] |
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* [[フランシスコ・エラウスキン]] 1976 |
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* - {{flagicon|ARG}} MF [[オマール・サリフ]] |
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| |
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</div><div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> |
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* |
* {{flagicon|ARG}} [[アルフィオ・バシーレ]] 1976 |
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* [[カルロス・ティモテオ・グリグオル]] 1977-1978 |
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* - {{flagicon|ARG}} MF [[ルカス・ラソ]] |
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* [[アンヘル・トゥリオ・ソフ]] 1979 |
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* - {{flagicon|ARG}} MF [[マルティン・リベーロ]] |
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* [[ロベルト・サポリティ]] 1980 |
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* - {{flagicon|ARG}} MF [[マティアス・バリーニ]] |
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* [[アンヘル・トゥリオ・ソフ]] 1980 |
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* - {{flagicon|ARG}} MF [[フェデリーコ・カリーソ]] |
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* [[ネストル・マンフレディ]] 1980 |
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* - {{flagicon|ARG}} MF [[マキシミリアーノ・ロンバルディ]] |
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* [[アンヘル・トゥリオ・ソフ]] 1980-1982 |
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* - {{flagicon|ARG}} MF [[ヘスス・メンデス]] |
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* |
* [[ホセ・アウレリオ・パスクティーニ]] 1982 |
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* [[アンヘル・トゥリオ・ソフ]] 1982 |
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* - {{flagicon|ARG}} MF [[フェデリコ・ビスマラ]] |
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* [[ホセ・アウレリオ・パスクティーニ]] 1982 |
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* - {{flagicon|ARG}} FW [[サンティアゴ・ビグリエーリ]] |
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* [[リカルド・パルマ]] 1982 |
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* - {{flagicon|ARG}} FW [[アントニオ・メディーナ]] |
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* |
* [[ビセンテ・カジェターノ・ロドリゲス]] 1983 |
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* [[リカルド・パルマ]] 1983 |
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* - {{flagicon|ARG}} FW [[ハビエル・トレド]] |
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* [[ホセ・アウレリオ・パスクティーニ]] 1984 |
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* - {{flagicon|ARG}} FW [[ラミロ・コスタ]] |
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* [[レイナルド・ボルケン]] 1984 |
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* - {{flagicon|ARG}} FW [[マティアス・ガルバニス]] |
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* |
* [[ホセ・マジェオ]] 1984 |
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* |
* [[ミゲル・アンヘル・ロペス]] 1984 |
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}} |
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* - {{flagicon|ARG}} FW [[ロドリゴ・サリーナス]] |
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</div><br style="clear: left;" /> |
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; ヨーロッパシーズン制時代(1985-) |
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;監督 |
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{{表2列| |
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* {{flagicon|ARG}} [[フアン・アントニオ・ピッツィ]] |
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* [[アンヘル・トゥリオ・ソフ]] 1986-1987 |
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* [[ネストル・マンフレディ]] 1987 |
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== 歴代監督 == |
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* [[アンヘル・トゥリオ・ソフ]] 1987-1990 |
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* |
* [[カルロス・アイマール]] 1991 |
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* |
* [[アンヘル・トゥリオ・ソフ]] 1991 |
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* [[エドゥアルド・ミゲル・ソラーリ]] 1992 |
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* [[カルロス・アイマール]] 1992 |
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* [[ホセ・マジェオ]] 1992 |
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* {{flagicon|ARG}} [[ビセンテ・カンタトーレ]] 1993 |
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* [[ペドロ・マルチェッタ]] 1993-1995 |
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* [[エンリケ・サンティアゴ・フェルナンデス]] 1995 |
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* [[ネストル・マンフレディ]] 1995 |
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* [[アンヘル・トゥリオ・ソフ]] 1995 |
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* [[ネストル・マンフレディ]] 1995 |
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* [[アンヘル・トゥリオ・ソフ]] 1996-1997 |
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* {{flagicon|ARG}} [[ミゲル・アンヘル・ルッソ]] 1997-1998 |
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* {{flagicon|ARG}} [[エドガルド・バウサ]] 1998-2001 |
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* {{flagicon|ARG}} [[フアン・ホセ・ロペス]] 2001 |
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* [[ダニエル・テグリア]] 2001-2002 |
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* {{flagicon|ARG}} [[セサル・ルイス・メノッティ]] 2002 |
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* {{flagicon|ARG}} [[ミゲル・アンヘル・ルッソ]] 2002-2004 |
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* [[ウーゴ・ガジョーニ]] 2004 |
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* {{flagicon|URU}} [[ビクトル・プア]] 2004 |
* {{flagicon|URU}} [[ビクトル・プア]] 2004 |
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* [[アンヘル・トゥリオ・ソフ]] 2004 |
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* {{flagicon|ARG}} [[アリエル・クッファーロ・ルッソ]] 2004 |
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* [[アンヘル・トゥリオ・ソフ]] 2005 |
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* {{flagicon|ARG}} [[アリエル・クッファーロ・ルッソ]] 2005 |
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* [[アンヘル・トゥリオ・ソフ]] 2005-2006 |
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* [[ウーゴ・ガジョーニ]] 2006 |
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* {{flagicon|ARG}} [[レオナルド・アストラーダ]] 2006 |
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* {{flagicon|ARG}} [[ネストル・ゴロシート]] 2006-2007 |
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* [[ダニエル・リケルメ]] 2007 |
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* {{flagicon|ARG}} [[カルロス・イスチア]] 2007 |
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* [[ウーゴ・ガジョーニ]] 2007 |
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* {{flagicon|ARG}} [[レオナルド・マデロン]] 2007-2008 |
* {{flagicon|ARG}} [[レオナルド・マデロン]] 2007-2008 |
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* {{flagicon|ARG}} [[ |
* {{flagicon|ARG}} [[パブロ・サンチェス]] 2008 |
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* {{flagicon|ARG}} [[グスタボ・アルファロ]] 2009 |
* {{flagicon|ARG}} [[グスタボ・アルファロ]] 2008-2009 |
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* {{flagicon|ARG}} [[レイナルド・メルロ]] 2009 |
* {{flagicon|ARG}} [[レイナルド・メルロ]] 2009 |
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* {{flagicon|ARG}} [[ミゲル・アンヘル・ルッソ]] |
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* {{flagicon|ARG}} [[アリエル・クッファーロ・ルッソ]] 2009-2010 |
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* {{flagicon|ARG}} [[レオナルド・マデロン]] 2010 |
* {{flagicon|ARG}} [[レオナルド・マデロン]] 2010 |
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* {{flagicon|ARG}} [[レイナルド・メルロ]] 2010 |
* {{flagicon|ARG}} [[レイナルド・メルロ]] 2010 |
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* |
* [[エクトル・リボイラ]] 2010-2011 |
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* {{flagicon|ARG}} [[ |
* {{flagicon|ARG}} [[オマール・パルマ]] 2011 |
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* [[フェルナンド・ランシデイ]] 2011 |
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* {{flagicon|ARG}} [[フアン・アントニオ・ピッツィ]] 2011-2012 |
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* {{flagicon|ARG}} [[ミゲル・アンヘル・ルッソ]] 2012- |
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== 歴代所属選手 == |
== 歴代所属選手 == |
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{{main|:Category:ロサリオ・セントラルの選手}} |
{{main|:Category:ロサリオ・セントラルの選手}} |
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=== GK === |
=== GK === |
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=== DF === |
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* {{flagicon| |
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* {{flagicon|ARG}} [[アンヘル・ディ・マリア]] 2005-2007 |
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== 脚注 == |
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* [http://www.rosariocentral.com/ オフィシャルサイト] |
* [http://www.rosariocentral.com/ オフィシャルサイト] |
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* [http://davidcarc.blogspot.com/ ロサリオ・セントラル東京] |
* [http://davidcarc.blogspot.com/ ロサリオ・セントラル東京] |
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*{{es icon}} [http://www.canalla.com/ Canalla.com](ファンサイト) |
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{{DEFAULTSORT:ろさりおせんとらる}} |
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*{{es icon}} [http://www.rosariocentral.org/ RosarioCentral.Org] (ファンサイト) |
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*{{es icon}} [http://www.canallaamuerte.com/ Canalla a Muerte] (ファンサイト) |
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*{{es icon}} [http://www.lakd.com.ar/ La Akd] (ファンサイト) |
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*{{es icon}} [http://www.derosarioydecentral.com.ar/ de Rosario y de Central] (ファンサイト) |
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*{{es icon}} [http://www.decentral.com.ar/ De Central] (ファンサイト) |
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{{DEFAULTSORT:ろさりお せんとらる}} |
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[[Category:アルゼンチンのサッカークラブ]] |
[[Category:アルゼンチンのサッカークラブ]] |
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[[Category:サンタフェ州]] |
[[Category:サンタフェ州]] |
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{{Footy-stub}} |
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{{Link FA|es}} |
{{Link FA|es}} |
2013年5月30日 (木) 04:34時点における版
CAロサリオ・セントラル | ||||
---|---|---|---|---|
原語表記 | Club Atlético Rosario Central | |||
愛称 |
Los Canallas(カナージャス、ならず者) La Academia(アカデミア、学院) Los Guerreros(ゲレーロス、戦士) | |||
クラブカラー | 青色と黄色 | |||
創設年 | 1889年 | |||
所属リーグ | アルゼンチンプロサッカーリーグ | |||
所属ディビジョン | プリメーラB・ナシオナル | |||
ホームタウン | ロサリオ | |||
ホームスタジアム | ヒガンテ・デ・アロシート | |||
収容人数 | 41,824 | |||
代表者 | ノルベルト・スペシアーレ | |||
監督 | ミゲル・アンヘル・ルッソ | |||
公式サイト | 公式サイト | |||
| ||||
■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
CAロサリオ・セントラル(スペイン語: Club Atlético Rosario Central)は、アルゼンチン・サンタフェ州・ロサリオを本拠地とするサッカークラブである。2012-13シーズンはプリメーラB・ナシオナル(2部)に所属する。
首都ブエノスアイレスとブエノスアイレス州(大ブエノスアイレス都市圏)以外に本拠地を置くクラブとしては、アルゼンチンでもっとも成功を収めているクラブのひとつである。プリメーラ・ディビシオン(1部)で4度優勝しており、直近の優勝は1986-87シーズンである。さらに、1995年にはコパCONMEBOL(コパ・スダメリカーナの前身となった大会)でも優勝した。
アルゼンチン最古のサッカークラブのひとつであり、公式には1889年に設立された。クラブ名称はイギリス人が所有するセントラル・アルゼンチン鉄道会社に因んでいる。同じロサリオに本拠地を置くニューウェルズ・オールドボーイズとの試合はクラシコ・ロサリーノ(ロサリオ・ダービー)と呼ばれ、非常に白熱した試合になる。ホームスタジアムはエスタディオ・ヒガンテ・デ・アロシート(エスタディオ・Dr. リサンドロ・デ・ラ・トーレ)であり、ロサリオ市で最も大きなスタジアムである。
歴史
黎明期
1889年12月24日、セントラル・アルゼンチン鉄道のイギリス人労働者達によって、セントラル・アージェンティン・レールウェイ・アスレティック・クラブ(Central Argentine Railway Athletic Club)として設立された。1904年、セントラル・アルゼンチン鉄道とブエノスアイレス鉄道が統合され、クラブの名称が現在のクルブ・アトレティコ・ロサリオ・セントラル(Club Atlético Rosario Central)に変更された[1]。当初のユニフォームカラーは赤と白だったが、その後青と白の格子模様を経て、現在の青と黄色の縦縞に落ち着いた。
アマチュアリーグ時代(1905年-1930年)
1905年、ロサリオ市のクラブらによってロサリオサッカーリーグが設立され、ロサリオ市のサンティアゴ・ピナスコ市長がトロフィーを寄贈したため、初回大会はコパ・サンティアゴ・ピナスコと名付けられた。5月21日に行われたCAデル・ロサリオとの初戦には3-1で勝利し、6月に行われたノッティンガム・フォレストFC(イングランド)との親善試合には0-5で敗れた。1908年には初のリーグ優勝を果たし、1913年にはリーグから脱退したが、1914年に復帰すると20試合を戦って19勝1分(99得点10失点)の圧倒的な成績を残し、51得点を挙げたハリー・ハジェスが得点王に輝いた[2]。1915年と1916年にも優勝して3連覇を達成。1919年の優勝が最後のタイトルとなり、1920年に再びリーグを脱退した。脱退するやいなやアマチュア協会に加わったが、結局アマチュア協会に意見を異にしたセントラルなどのクラブは、1921年に再びロサリオサッカーリーグに復帰した。1923年、1927年、1928年、1930年にリーグ優勝し、ロサリオサッカーリーグの最多優勝クラブとなった。
1915年には、ブエノスアイレスとロサリオの各リーグ優勝クラブによって争われるコパ・イバルグレンに出場し、ブエノスアイレス王者のラシン・クラブを3-1で破って優勝した[3]。同年のコパ・デ・オノール・ムニシパリダ・デ・ブエノスアイレスではCAインデペンディエンテを1-0で破って優勝し、コパ・デ・コンペテンシア・ジョッキークラブでは再びラシンを破って優勝した。1920年のコパ・デ・コンペテンシアではCAアルマグロを破って優勝した。
プロリーグ時代(1931年-現在)
1931年、アルゼンチンではプロリーグ化が行われ、ロサリオでは初のプロリーグを組織するためにロサリオサッカー協会が設立された。サンタフェ州知事のルシアーノ・モリーナスに因み、コパ・ナカシオ・ビラはトルネオ・ゴベルナドール・ルシアーノ・モリーナスという名称に変更された。セントラルは1937年と1938年にリーグ優勝した。
1939年、セントラルとライバルのニューウェルズ・オールドボーイズはアルゼンチンサッカー協会に対してリーグ加盟の承認を求め、両クラブともプリメーラ・ディビシオン(1部)に受け入れられた。1941年のセントラルは20試合を戦って6勝しか挙げられず、プリメーラB(当時2部相当)に降格したが、プリメーラBで過ごしたのはわずか1シーズンであり、1942年には25勝4敗の成績でプリメーラ・ディビシオン昇格を果たした。1950年には再びプリメーラB降格となったが、前回同様に降格から1年で昇格を果たした。
初のリーグ優勝
アンヘル・ラブルナ監督が率いたナシオナル1971ではプレーオフに出場し、準決勝ではアルド・ポイがダイビングヘッドで決勝点を決めてニューウェルズを破った。この得点は今日でもサポーターに記憶されており、12月19日にはポイが参加する祝賀行事が行われることもある[4]。プレーオフ決勝ではCAサン・ロレンソを破り、初のプリメーラ・ディビシオン優勝を果たした。2年後のナシオナル1973では、カルロス・グリグオル監督が指揮して2度目のリーグ優勝を果たした。この時のチームの主力選手にはポイ、カルロス・アイマール、ホルヘ・ソラーリなどがおり、カルロス・ビアスット、ホルヘ・ゴンサーレス、アウレリオ・パスクティーニ、ダニエル・キリェール、マリオ・キリェール、アイマール、エドゥアルド・ソラーリ、ポイ、ラモン・ボベーダ、ロベルト・カブラル、ダニエル・アリコがレギュラーを務めた。1974年にはインスティトゥート・コルドバからストライカーのマリオ・ケンペスを獲得し、ケンペスはバレンシアCF(スペイン)移籍後の1978 FIFAワールドカップで得点王に輝く活躍を見せた。
1980年代
1970年代半ば以降は7年間無冠が続いたが、アンヘル・トゥリオ・ソフ監督が指揮したナシオナル1980で久々の優勝を飾った。この時のセントラルはピッチ上で優雅なプレーを見せ、「ラ・シンフォニカ」(オーケストラのシンフォニー)と呼ばれた。ラシン・デ・コルドバと対戦した決勝では、ファーストレグで5-0と快勝し、セカンドレグに0-2と敗れたものの、得失点差でリーグ優勝を決めた。ダニエル・カルネバーリ、フアン・カルロス・ギエルメッティ、エドガルド・バウサ、オスカル・クライジャチッチ、ホルヘ・ガルシア、ホセ・ガイタン、ダニエル・スペランディオ、エドゥアルド・バカス、フェリクス・オルテ、ビクトル・マルチェッティ、ダニエル・テグリアがレギュラーだった。その後何年かは低調なシーズンが続き、1984年にプリメーラB降格となったが、ペドロ・マルチェッタ監督が采配を振るったチームはわずか1年でプリメーラ・ディビシオン復帰を果たした。ソフ監督が再び指揮を取った1986-87シーズンには4度目のリーグ優勝を果たした。この時のチームのレギュラーはアレハンドロ・ラナーリ、エルナン・ディアス、ホルヘ・バルビス、バウサ、ペデルネーラ、オマール・パルマ、アデルキ・コルナグリア、ロベルト・ガスペリーニ、オスバルド・エスクデロ、フェルナンド・ランシデイ、ウーゴ・ガジョーニだった。
1990年代以降
1990年代最初の数年間は国内リーグで低調な成績に終わったが、1995年のコパCONMEBOLで優勝を果たした。今日においても、この年のコパCONMEBOLはサンタフェ州のクラブが獲得した唯一の国際タイトルである。アトレチコ・ミネイロ(ブラジル)戦ではアウェーでのファーストレグに0-4で敗れたが、ホームでのセカンドレグに4-0で勝利し、PK戦に4-3で勝利したロサリオが勝ち上がった。1997年11月23日のロサリオ・ダービーには4-0で勝利したが、ニューウェルズはその試合の後半途中に試合を放棄したため、毎年11月23日は"Dia del abandono"(逃亡者の記念日)とされ、セントラルのサポーターがお祝いをしている。2000年代後半には成績が低迷し、2009-10シーズン後に行われた昇降格プレーオフではCAオール・ボーイズと対戦したが、2試合合計1-4で敗れてプリメーラB・ナシオナル(2部)に降格した。この際、オラシオ・ウサンディサーガ会長の経営手腕が疑問視され、サポーターから殺害予告を受けたため、ウンディサーガはスペインに逃避した。その後、会長選挙が行われてノルベルト・エスペシアーレが新会長に就任した。2012-13シーズン開幕時点でコパ・リベルタドーレスには10度出場しており、ボカ・ジュニアーズ、CAリーベル・プレート、CAインデペンディエンテ、CAサン・ロレンソに次いでアルゼンチン5位タイ(エストゥディアンテスやCAベレス・サルスフィエルドと同数)の出場回数を誇る。
ニックネーム
最も一般的に使用される愛称はLos Canallas(ロス・カナージャス、ならず者)である。1920年代、ニューウェルズとともに難病患者を迎えてのチャリティーマッチを企画したが、あらぬ誤解から試合をキャンセルしたため、ニューウェルズのファンにこう呼ばれたのが始まりである。本来ならば蔑称として使用される単語であるが、クラブもマスコミも堂々と使用している[5]。この出来事以来、ニューウェルズはLeprosos(レプロソス、ハンセン病患者)というニックネームで呼ばれている。1928年、セントラルのサポーターがライバルのCAベルグラーノのスタジアム近くで布地を燃やし、その際に「ならず者! ならず者!」と呼ばれたのが始まりであるとする説もある[6]。2007年1月にアメリカのニュージャージー州で行われた記者会見で、ロサリオ出身のロベルト・フォンタナローサは愛称のスペル変更を行なった。彼によれば、ロサリオ出身の人々はスペイン語の「Canallas」という単語を使用しないということで、新しいスペルは「Canayas」(カナ読みはいずれもカナージャス)となった。
下部組織から優れた選手を多く輩出していることと、アマチュアリーグ時代の優勝回数が多いことがラシン・クラブに似ていることなどから、ラシン・クラブと同様のLa Academia(ラ・アカデミア、学院)という愛称も持つ。
サポーター
2008年1月にはイギリスの雑誌「UK Football」が「世界のスタジアムの熱狂度」についてのランキングを発表し、セントラルは14位でアルゼンチンのクラブ中最高位となった。CAリーベル・プレートが20位で、ボカ・ジュニアーズが23位で、ラシン・クラブが48位でセントラルに続いた[7]。アルゼンチンの地方都市では、全国的な人気クラブであるボカ・ジュニアーズやリーベル・プレートを応援するサポーターが人口の過半数を占めるとされるが、ロサリオ市では状況が異なる。1995年にナシオン紙が行った調査によると、ロサリオ市においてセントラルのサポーターは45%を占め、ニューウェルズのサポーターが30%で続いている。ボカ・ジュニアーズは7%、リーベル・プレートは6%にとどまっている。
CAチャカリータ・ジュニアーズとは非常に良好な関係を築いており、チャカリータとの試合の際には、サポーター同士がユニフォームを交換したり、スタジアム外でバーベキューをして親睦を深めている。アルゼンチンのヒムナシア・フフイ、サン・マルティン・トゥクマン、ウルグアイのナシオナル・モンテビデオ、チリのCSDコロコロ、ペルーのアリアンサ・リマ、メキシコのクルス・アスルとも良好な関係であり、ロサリオ・セントラルの本拠地であるヒガンテ・デ・アロシートではこれらのクラブのユニフォーム姿のサポーターも見られる。
かつてはCAサン・ロレンソと友好関係にあり、アルゼンチンのクラブ間随一の友情関係だったとされることもあった。そのため、彼らがヒガンテ・デ・アロシートで優勝を決めた際に、バーベキューなどで祝福することもあったが、1998年頃にサン・ロレンソ側が裏切ったことから友情関係は壊れた。しかし、アペルトゥーラ2009の最終節、サン・ロレンソ対ニューウェルズ戦でサン・ロレンソがニューウェルズの優勝を阻止し、サン・ロレンソのサポーターがニューウェルズを侮蔑するチャント(普段はセントラルのサポーターによって歌われる)を歌ったことで、セントラルの一部のサポーターはサン・ロレンソとの友好関係復帰を望んでいるとされる[8]。
セントラルサポーターの著名人には、アルベルト・オルメード(コメディアン/俳優)、リタ・ラ・サルバヘ(芸術家)、リベルタ・ラマルケ(歌手/女優)などがいる。オスバルド・バジェール、フォンタナローサなどの作家、フィト・パエス、フアン・カルロス・バグリエット、ホアキン・サビーナなどのミュージシャンもセントラルのサポーターである。ロサリオ出身のチェ・ゲバラ(革命家)もセントラルのサポーターだった。ゲバラはクラブを代表するアイコンのひとりであるため、クラブやサポーターの愛称としてLos Guerreros(ロス・ゲレーロス、戦士/ゲリラ)が用いられる。ハビエル・マスチェラーノとエセキエル・ラベッシはセントラルの入団テストに落ちた過去があり、セントラルでのプレー経験はないが、両選手ともサポーターとして知られている。ラベッシは背中にセントラルのエンブレムのタトゥーを刻んでいる。
スタジアム
ロサリオ市北東部のリサンドロ・デ・ラ・トーレ地区(アロシート地区として知られる)、アベジャネーダ大通りとジェノヴァ通りの交差部にあるエスタディオ・ヒガンテ・デ・アロシートをホームスタジアムとしている。公式には41,654人を収容する。1978 FIFAワールドカップでは、アルゼンチン代表の2次リーグ3試合すべてがヒガンテ・デ・アロシートで行われた。かつてセントラルのアイドル的存在だったマリオ・ケンペスは大声援を受け、得点王に輝く活躍でアルゼンチン代表の優勝に貢献した。
大衆文化
ロサリオ・セントラルは多くの映画、書籍、楽曲、演劇に登場し、いくつかの散文にも登場する。ロベルト・フォンタナローサの「19 de diciembre de 1971」(1971年12月19日)という物語は、ニューウェルズ・オールドボーイズ戦のためにブエノスアイレスを訪れたセントラルサポーターを題材にしている。
ユニフォーム
サプライヤーとスポンサー
2011年8月以来、アルゼンチンの都市銀行であるインヘコンセールが胸スポンサーとなっている。2012年7月、ブラジルのスポーツブランドであるオリンピクスとユニフォーム提供の契約を交わした。
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ユニフォームの変遷
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タイトル
国内タイトル
- 全国タイトル
- プリメーラ・ディビシオン(1部) : 4回
- 1971ナシオナル、1973ナシオナル、1980ナシナル、1986-87
- プリメーラB・メトロポリターナ(3部相当) : 3回
- 1942, 1951, 1985
- コンクル-ソ・ポル・エリミナシオン : 1回
- 1913
- コパ・イバルグレン : 1回
- 1915
- 1916
- 1916
- コパ・デ・コンペテンシア : 1回
- 1920
- 地域タイトル
- ロサリオ選手権: 12回
- 1908, 1914, 1915, 1916, 1917, 1919, 1923, 1927, 1928, 1930, 1937, 1938
国際タイトル
- コパCONMEBOL : 1回
- 1995
歴代会長
- 1889-1900 コリン・カールデル
- 1901-1902 ウィリアム・タイロール・パウル
- 1902-1903 H・J・ムホール
- 1904-1905 R・M・ジャクソン
- 1906 H・スクリビナー
- 1907 J・A・ニッセン
- 1908 H・スクリビナー
- 1909 ミゲル・グリーン
- 1910 フェデリーコ・N・プップレト
- 1911-1912 E・A・オルテッリィー
- 1913 アルフレッド・レミー
- 1914-1915 E・A・オルテッリィー
- 1916-1917 トマス・フリン
- 1918-1920 フェデリーコ・フリン
- 1921-1922 ニコラス・S・エオエ
- 1923-1931 フェデリーコ・フリン
- 1932-1933 ラファエル・J・バッビーニ
- 1934-1935 フェデリーコ・フリン
- 1936-1938 フアン・T・ロウアウ
- 1939 ホセ・バレンティ
- 1939 アドルフォ・ボグリオーネ
- 1939 ルイス・C・マッティーア
- 1940-1941 ホセ・B・キンターナ
- 1941 ホセ・D・インオフ
- 1942 アグスティン・ロドリゲス・アラーシャ
- 1943-1944 ホセ・E・カローリア
- 1944-1946 ロベルト・モンセラット
- 1946-1948 アドルフォ・ボグリオーネ
- 1949 エルネスト・アリアス・サンス
- 1949-1950 アベル・モンテス
- 1951-1964 フェデリーコ・フリン
- 1965-1968 アドルフォ・ボエーリオ
- 1969 ロベルト・L・リッソ
- 1970-1992 ビクトール・J・バスコ
- 1992-1993 アントニオ・ロデーナス
- 1994-2001.9 ビクトール・J・バスコ
- 2001.9-2002.10 フアン・カルロス・カンパーニャ
- 2002.10-2003.8 ビクトール・J・バスコ
- 2003.8-2006.12 パブロ・スカラビーノ
- 2006.12-2007.6 フアン・ダウベス
- 2007.6-2007.8 パブロ・スカラビーノ
- 2007.8-2007.11 選挙まで会長職不在
- 2007.11-2010.5 オラシオ・ウサンディサーガ
- 2010.6- ノルベルト・エスペシアーレ
歴代監督
- 単一シーズン制時代(-1966)
- エメリコ・イルシュル 1939-1940
- エンリケ・パロミーニ 1941-1945
- György Orth 1945
- ヘラルド・リバス 1945
- フランシスコ・ロカ 1946
- ヘラルド・リバス 1946
- ルイス・インダーコ 1946
- エンリケ・パロミーニ 1947
- ヘラルド・リバス 1947-1948
- フェルミン・レセア 1948-1954
- アルフレード・フォヘール 1955-1956
- ヘロニモ・ディアス 1957
- フアン・ピオット 1958-1959
- ロドルフォ・マス 1959
- フアン・カルロス・フォンダ 1960
- エンリケ・ルピス 1960-1961
- フアン・ピオット 1961
- エンリケ・ルピス 1961
- ヒム・ロペス 1962-1963
- ホセ・ダミーコ 1964-1965
- ウーゴ・バグヌーロ 1965
- ホセ・マリア・カスージョ 1965
- マヌエル・ヒウディセ 1966
- メトロポリターノとナシオナル時代(1967-1985)
- ホセ・ミーニ 1966-1967
- ミゲル・イグノミリエージョ 1967-1969
- フランシスコ・エラウスキン 1969
- オマール・シボリ 1969-1970
- アンヘル・トゥリオ・ソフ 1970-1971
- カルロス・ティモテオ・グリグオル 1971
- アンヘル・ラブルナ 1971
- カルロス・ティモテオ・グリグオル 1971
- アンヘル・ラブルナ 1971-1972
- アンヘル・トゥリオ・ソフ 1972-1973
- カルロス・ティモテオ・グリグオル 1973-1975
- フランシスコ・エラウスキン 1975
- リカルド・デ・レオン 1975
- フランシスコ・エラウスキン 1975
- リカルド・デ・レオン 1975
- ホセ・マリア・シルベーロ 1976
- フランシスコ・エラウスキン 1976
- アルフィオ・バシーレ 1976
- カルロス・ティモテオ・グリグオル 1977-1978
- アンヘル・トゥリオ・ソフ 1979
- ロベルト・サポリティ 1980
- アンヘル・トゥリオ・ソフ 1980
- ネストル・マンフレディ 1980
- アンヘル・トゥリオ・ソフ 1980-1982
- ホセ・アウレリオ・パスクティーニ 1982
- アンヘル・トゥリオ・ソフ 1982
- ホセ・アウレリオ・パスクティーニ 1982
- リカルド・パルマ 1982
- ビセンテ・カジェターノ・ロドリゲス 1983
- リカルド・パルマ 1983
- ホセ・アウレリオ・パスクティーニ 1984
- レイナルド・ボルケン 1984
- ホセ・マジェオ 1984
- ミゲル・アンヘル・ロペス 1984
- ヨーロッパシーズン制時代(1985-)
- アンヘル・トゥリオ・ソフ 1986-1987
- ネストル・マンフレディ 1987
- アンヘル・トゥリオ・ソフ 1987-1990
- カルロス・アイマール 1991
- アンヘル・トゥリオ・ソフ 1991
- エドゥアルド・ミゲル・ソラーリ 1992
- カルロス・アイマール 1992
- ホセ・マジェオ 1992
- ビセンテ・カンタトーレ 1993
- ペドロ・マルチェッタ 1993-1995
- エンリケ・サンティアゴ・フェルナンデス 1995
- ネストル・マンフレディ 1995
- アンヘル・トゥリオ・ソフ 1995
- ネストル・マンフレディ 1995
- アンヘル・トゥリオ・ソフ 1996-1997
- ミゲル・アンヘル・ルッソ 1997-1998
- エドガルド・バウサ 1998-2001
- フアン・ホセ・ロペス 2001
- ダニエル・テグリア 2001-2002
- セサル・ルイス・メノッティ 2002
- ミゲル・アンヘル・ルッソ 2002-2004
- ウーゴ・ガジョーニ 2004
- ビクトル・プア 2004
- アンヘル・トゥリオ・ソフ 2004
- アリエル・クッファーロ・ルッソ 2004
- アンヘル・トゥリオ・ソフ 2005
- アリエル・クッファーロ・ルッソ 2005
- アンヘル・トゥリオ・ソフ 2005-2006
- ウーゴ・ガジョーニ 2006
- レオナルド・アストラーダ 2006
- ネストル・ゴロシート 2006-2007
- ダニエル・リケルメ 2007
- カルロス・イスチア 2007
- ウーゴ・ガジョーニ 2007
- レオナルド・マデロン 2007-2008
- パブロ・サンチェス 2008
- グスタボ・アルファロ 2008-2009
- レイナルド・メルロ 2009
- ミゲル・アンヘル・ルッソ 2009
- アリエル・クッファーロ・ルッソ 2009-2010
- レオナルド・マデロン 2010
- レイナルド・メルロ 2010
- エクトル・リボイラ 2010-2011
- オマール・パルマ 2011
- フェルナンド・ランシデイ 2011
- フアン・アントニオ・ピッツィ 2011-2012
- ミゲル・アンヘル・ルッソ 2012-
歴代所属選手
GK
- ロベルト・ボナーノ 1991-1996
- ロベルト・アボンダンシェリ 1994-1996
- クリスティアン・アルバレス 2006-2008
DF
- ホセ・チャモ 1988-1991
- クラウディオ・ウベダ 1990-1994
- セルヒオ・バスケス 1992
- マルセーロ・トリビソンノ
- ロドルフォ・アルアバレーナ 1996
- マウロ・セット 2000-2002
- ダニエル・ディアス 2000-2003
- エミリアーノ・パパ 2002-2006, 2007-2008
- エドガルド・バウサ 1981-
- ギジェルモ・ブルディッソ 2009-2010
MF
- ダビド・ビスコンティ 1989-1993
- ホセ・ダニエル・バレンシア 1989
- キリ・ゴンザレス 1992-1995
- ワルテル・ガイタン 1997-1998
FW
- セサル・ルイス・メノッティ 1960-1063
- マリオ・ケンペス 1974-1976
- マルセロ・デルガド 1990-1994
- ルシアーノ・フィゲロア 2001-2003, 2010-
- セサル・デルガド 2001-2003
- 片桐淳至 2004
- マルコ・ルベン 2004-2006
- パウロ・ワンチョペ 2006
- アンヘル・ディ・マリア 2005-2007
脚注
- ^ El Nacimiento de una Pasión, Alejandro Fabbri - Buenos Aires, 2007
- ^ Liga de Rosario 1914 RSSSF
- ^ Historia del Fútbol Rosarino
- ^ "La palomita de Poy, a 40 años de una jugada legendaria", Télam, 2011-12-18
- ^ footballista、ソルメディア、2009年7月29日・8月5日合併号、39頁
- ^ De Rosario y de Central, Jorge Brisaboa, 1996 - ISBN 950-808-100-7
- ^ Hinchadas vibrantesOle、2008年1月5日
- ^ san lorenzoニューウェルス戦(A) vs newell's(visitante) Youtube
外部リンク
- オフィシャルサイト
- ロサリオ・セントラル東京
- Canalla.com(ファンサイト)
- RosarioCentral.Org (ファンサイト)
- Canalla a Muerte (ファンサイト)
- La Akd (ファンサイト)
- de Rosario y de Central (ファンサイト)
- De Central (ファンサイト)