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{{サッカー選手 |
{{サッカー選手 |
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|名前=上里一将 |
|名前=上里 一将 |
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|画像の説明= |
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|本名= |
|本名= |
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|愛称=カズ<ref name="guide2014">{{Cite book|和書|title=コンサドーレ札幌オフィシャル・ガイドブック2014|page=47|year=2014|publisher=[[北海道新聞社]]|url=http://shop.hokkaido-np.co.jp/book/products/detail.php?product_id=497}}</ref>、カズゥ |
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|愛称=カズゥ |
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|カタカナ表記=ウエサト カズマサ |
|カタカナ表記=ウエサト カズマサ |
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|アルファベット表記=UESATO Kazumasa |
|アルファベット表記=UESATO Kazumasa |
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|身長=172cm |
|身長=172cm |
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|体重=70kg |
|体重=70kg |
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|所属チーム名= |
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|血液型=A型 |
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|所属チーム名=[[コンサドーレ札幌]] |
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|ポジション=[[ミッドフィールダー|MF]] |
|ポジション=[[ミッドフィールダー|MF]] |
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|背番号= |
|背番号= |
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|利き足=左足 |
|利き足=左足{{R|elg2014|guide2014}} |
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|ユース年1=2001-2003|ユースクラブ1={{Flagicon|JPN}} [[沖縄県立宮古高等学校|宮古高校]] |
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|クラブ=[[コンサドーレ札幌]]<br />→[[FC東京]](loan)<br />→[[徳島ヴォルティス]](loan) |
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|クラブ1={{Flagicon|JPN}} [[北海道コンサドーレ札幌]] |年1=2004-2016 |出場1=258 |得点1=19 |
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|年=2004-<br />2011<br />2012 |
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|クラブ2=→{{Flagicon|JPN}} [[FC東京]] |年2=2011 |出場2=17 |得点2=1 |
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|出場(得点)=157 (13)<br />17 (1)<br />32 (0) |
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|クラブ3=→{{Flagicon|JPN}} [[徳島ヴォルティス]] |年3=2012 |出場3=32 |得点3=0 |
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|クラブ成績更新日=2012年12月10日 |
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|クラブ4={{Flagicon|JPN}} [[ロアッソ熊本]] |年4=2017-2018 |出場4=44 |得点4=2 |
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|代表国= |
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|クラブ5={{Flagicon|JPN}} [[FC琉球OKINAWA|FC琉球]] |年5=2019-2022 |出場5=137 |得点5=9 |
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|代表年= |
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|通算出場=488|通算得点=31 |
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|代表年1=|代表1=|代表出場1=|代表得点1= |
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|代表成績更新日= |
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|監督年= |
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'''上里一将'''(うえさと かずまさ、[[1986年]][[3月13日]] - )は、[[沖縄県]][[宮古島市]](旧[[平良市]])出身の[[プロ |
'''上里 一将'''(うえさと かずまさ、[[1986年]][[3月13日]] - )は、[[沖縄県]][[宮古島市]](旧[[平良市]])出身{{R|sapporo2003}}の[[プロサッカー選手|元プロサッカー選手]]。ポジションは主に[[ミッドフィールダー|ミッドフィールダー(MF)]]。 |
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宮古島及び宮古高等学校出身で初のプロサッカー選手。 |
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==来歴== |
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==プレースタイル== |
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{{出典の明記|date=2019年1月|section=1}} |
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視野の広さからくる[[パス (サッカー)|キラーパス]]と、精度の高いプレースキック<ref>[http://www.ocn.ne.jp/sports/jleague2011/j2/fctokyo/12425.html 2011年 FC東京選手名鑑 (OCN)]</ref>が持ち味。プロ入り当初は攻撃的MF(トップ下)だったが、ボランチや左サイドハーフ、左[[ディフェンダー (サッカー)|サイドバック]]など、複数のポジションをこなせるようになった。 |
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小学1年生(6歳{{R|elg2014}})の時に友人の誘いでサッカーを始め<ref>[http://www.zaikaisapporo.co.jp/sports/consa/3.shtml 上里 一将選手] 財界さっぽろ{{リンク切れ|date=2017年10月}}</ref>、3年生から本格的に打ち込むようになる<ref name="uesato3">[http://www.consadole.net/s_interv/article/4 EPISODE.4 - 上里 一将] 2009 選手スペシャルインタビュー</ref>。当時は身長に恵まれず、中学校入学時点で138cmしかなかった事もあって{{R|uesato3}}所属チームの練習後に1人居残り左足の技術を徹底的に磨き続けた{{R|uesato3}}。中学校卒業後は地元の高校で、上里の中学3年生次に[[第79回全国高等学校サッカー選手権大会|全国高等学校サッカー選手権大会]]への初出場を果たした[[沖縄県立宮古高等学校]]に進学<ref group="注">同校出身の[[上里琢文]]([[京都サンガF.C.]]に2009年加入)とは名字が同じだが血縁関係はない。</ref>。高校の3年間で全国大会の出場は適わず、個人としても代表や選抜に招集された経験もなかった為に全国的には無名の存在だったが、当時から攻撃的な中盤の選手としてボールコントロールには定評があり<ref name="uesato2">[http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-119834-storytopic-86.html 初ゴール決め充実 コンサドーレ札幌・上里] 琉球新報 (04.12.31)</ref>、その才能を評価した[[J2リーグ|J2]]の[[北海道コンサドーレ札幌|コンサドーレ札幌]]より誘いを受け、[[2003年]][[11月22日]]に同クラブより上里の獲得が発表された<ref name="sapporo2003">{{Cite web|和書|url=http://www.menkoi.net/consadole/news/tp924.html |title=宮古高校 上里一将 選手 2004年新加入選手内定のお知らせ |accessdate=2014年3月24日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20040217101928/http://www.menkoi.net/consadole/news/tp924.html |archivedate=2004年2月17日 }} コンサドーレ札幌 (2003年11月22日)</ref>。同校出身者、並びに[[宮古島]]出身者として初のJリーガーとなった{{R|uesato2}}<ref name="uesato4">[http://www.vortis.jp/fan/voice/vol40.html VOICE2012 Vol.40 上里 一将] 徳島ヴォルティス オフィシャルサイト</ref>。上里は日本最南端でプレーする自分に届いた日本最北端のプロクラブからのオファーに「いったいどこで僕のプレーを見ていたのだろう?」と思ったという{{R|uesato3}}。 |
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=== コンサドーレ札幌 === |
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シュートが武器と言われるものの自身はそれを不得意と否定しており、パスの精度や視野の広さが自分の持ち味と語っている<ref>182ch vol.49</ref>。 |
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[[2004年]]は背番号24を与えられ、この年に新監督に就任した[[柳下正明]]の指導の下、クラブが若手育成路線に方針転換を図った最初の年という事もあって<ref group="注">この年の札幌は外国籍選手やJクラブからの補強は一切しておらず、地域リーグでプレーをしていた元[[ジュビロ磐田|磐田]]の[[清野智秋]]以外、2名の大卒新人と6人の高卒新人のみという極端なものだった。</ref>、高卒新人ながら早くから出場機会が与えられ、[[ミッドフィールダー#攻撃的ミッドフィールダー|トップ下]]をはじめ[[ミッドフィールダー#守備的ミッドフィールダー|ボランチ]]でも起用された。トップ下のポジションには[[砂川誠]]という絶対的な存在がおり、シーズン序盤に主力選手で同ポジションも務められる[[三原廣樹]]が大怪我を負って長期離脱した事もあって、このポジションの2番手を同じく高卒新人で同期入団の[[桑原剛]]と激しく争った。[[5月19日]]J2第13節[[水戸ホーリーホック|水戸]]戦の後半36分に砂川と途中交代で公式戦初出場を果たすが、翌[[6月]]には左足を骨折し離脱した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.consadole-sapporo.jp/news/tp1168.html |title=上里一将選手の負傷について |accessdate=2014年3月24日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20040807055914/http://www.consadole-sapporo.jp/news/tp1168.html |archivedate=2004年8月7日 }} コンサドーレ札幌 (2004年6月25日)</ref>。戦列に復帰すると、[[8月8日]]のJ2第26節[[湘南ベルマーレ|湘南]]戦で初の[[スターティングメンバー|スタメン]]出場を果たす。この試合ではボランチで起用されたが<ref>[http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00010243.html 【J2:第26節】湘南 vs 札幌:試合終了後の各選手コメント] J's GOAL (04.08.08)</ref>、試合中に肉離れを起こした為に<ref>[http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00010293.html 【J2:第27節 札幌 vs 川崎F プレビュー】首位・川崎F、勝者のマインドをもって勝ち点3を取り戻せるか?] J's GOAL (04.08.10)</ref> 前半で交代となり<ref>[http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00010242.html 【J2:第26節】湘南 vs 札幌:柳下正明監督(札幌)記者会見コメント] J's GOAL (04.08.08)</ref>、再度の離脱を余儀なくされた<ref>{{Cite web|和書|url=http://consadole-sapporo.jp/news/tp1206.html |title=上里一将選手の負傷について |accessdate=2014年3月24日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20040815092255/http://consadole-sapporo.jp/news/tp1206.html |archivedate=2004年8月15日 }} コンサドーレ札幌 (2004年8月9日)</ref>。復帰後は途中出場ながら毎試合に起用され続け、[[9月]]からは先発で起用されるようになると、[[11月14日]][[第84回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]4回戦[[ジェフユナイテッド市原・千葉|市原]]戦の後半34分に約30mの距離からミドルシュートを決め<ref>[http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00013546.html 【天皇杯4回戦:札幌 vs 市原 レポート】前線、中盤の途中出場陣が活躍。J2最下位札幌が延長VゴールでJ1市原に金星] J's GOAL (04.11.15)</ref> 公式戦初ゴールを挙げた。その一方で、チームは若手中心の布陣の為に他チームとの戦力差が顕著に見られ、リーグ戦では序盤から最下位に沈んでしまい、上里がリーグ戦に出場した全17試合のうち勝利を挙げられたのも僅か1勝だった。 |
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[[2005年]]は背番号を19に変更<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.consadole-sapporo.jp/news/tp1349.html |title=2005年度 コンサドーレ札幌選手 背番号一部変更のお知らせ |accessdate=2014年3月24日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20050308044003/http://www.consadole-sapporo.jp/news/tp1349.html |archivedate=2005年3月8日 }} コンサドーレ札幌 (2005年1月15日)</ref>。リーグ戦序盤こそ途中交代でボランチでの起用が目立ったものの、[[4月]]からチームが3-5-2のフォーメーションにトップ下を2枚を置く攻撃的な布陣を採用するとトップ下でレギュラーとして定着し、砂川と共に札幌の攻撃を牽引し多くの得点機を演出する活躍を見せる。[[5月21日]]のJ2第13節湘南戦でリーグ戦初ゴールを挙げ勝利に貢献し、[[6月25日]]第18節[[横浜FC]]戦ではミドルシュートを決め、札幌の公式戦通算100勝となる勝利に貢献した<ref>[http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00020767.html 【J2:第18節 横浜FC vs 札幌 レポート】通算500ゴールに100勝。札幌のメモリアルな勝利の前に、横浜FCはまたも勝ち点3ならず] J's GOAL (05.06.26)</ref>。これらの上里の活躍と成長を裏付けるように、リーグ戦中盤にかけてチームの成績も向上し一時は3位につけるなど上位争いを演じる立役者の1人となる<ref>[http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00029394.html 【2006シーズン 戦力分析レポート:札幌編】機は熟した! 昇格をつかみ取る勝負のシーズン] J's GOAL (06.02.14)</ref>。ところが、[[8月21日]]に行われた練習試合で左ひざ[[前十字靭帯]]損傷の大怪我を負い<ref>[http://www.consadole-sapporo.jp/news/2005/08/006981.html 上里 一将選手の負傷について] コンサドーレ札幌 (2005年8月26日)</ref>、シーズンの残りを棒に振った<ref>[http://data.j-league.or.jp/SS/jpn/team/2005020003_000014_2_W0707_J.html 選手出場記録] Jリーグ (2005年12月3日)</ref>。 |
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==来歴== |
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[[沖縄県立宮古高等学校|宮古高校]]<ref group="注">同校出身の[[上里琢文]]([[京都サンガF.C.]]に2009年加入)とは名字が同じだが血縁関係はない。</ref>から[[2004年]]に[[コンサドーレ札幌]]に加入。[[宮古島]]初のJリーガーとなる。高校時代に全国大会出場などの経験はなかったものの、ルーキーイヤーの2004年から[[ミッドフィールダー#攻撃的ミッドフィールダー|トップ下]]として中盤の一翼をにない、2005年にはレギュラーとして定着。しかし同年8月末の練習試合で左ひざ[[前十字靭帯]]断裂の大怪我を負い、シーズンの残りを棒に振った。翌[[2006年]][[7月8日]]の[[愛媛FC|愛媛]]戦で途中出場し、約11ヶ月ぶりに試合復帰を果たした。復帰後は[[ミッドフィールダー#守備的ミッドフィールダー|ボランチ]]としての起用が多かったが、[[8月19日]]の[[ベガルタ仙台|仙台]]戦で途中出場しトップ下に入ると1アシスト1ゴールと活躍した。 |
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[[2006年]]からは背番号を20に変更<ref>[http://www.consadole-sapporo.jp/news/2006/01/007079.html 2006年 コンサドーレ札幌スタッフ・選手について] コンサドーレ札幌公式サイト (06.01.16)</ref>。前年に負った怪我の影響は大きく、チームに合流後もコンディションを取り戻せずにいた事や、上里が離脱していた間にクラブが代役として補強した[[西谷正也]]が期待に見合う活躍を見せていた事、同期入団で同い年の[[鈴木智樹]]をはじめ、この年に移籍加入した[[大塚真司]]、[[芳賀博信]]、[[関隆倫]]らが主力に定着していた事などもあり、公式戦の復帰までには実に11ヶ月を要した{{R|nik2009-06}}。[[7月8日]]のJ2第26節[[愛媛FC|愛媛]]戦の後半19分に[[西嶋弘之]]と途中交代で実戦復帰を果たすと、以降も途中出場ながら主にボランチで起用され続け、[[8月19日]]のJ2第34節[[ベガルタ仙台|仙台]]戦の後半20分に砂川に代わり途中出場しトップ下に入ると、後半41分に[[石井謙伍]]のゴールをアシストし、続く44分にはゴールまで約35mの位置から自身もミドルシュートを決め勝利に貢献するなど<ref>[http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00036974.html 【J2:第34節 札幌 vs 仙台 レポート】二十歳のレフティー・上里カズが厚別に歓喜を呼んだ。仙台は鬼門・厚別の壁をまたしても打ち破れず。] [[J's GOAL]](06.08.20)</ref> 存在感を示し、リーグ終盤には先発でも起用された。 |
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監督が[[三浦俊也]]に代わった2007年は、守備力のある選手を重視する起用方針のために出場機会が激減。しかしサテライトリーグ等で[[ディフェンダー_(サッカー)#サイドバック|サイドバック(SB)]]やボランチとしての経験を積むことで守備力やフィジカルの強さを身につけ、2008年後半から再び出場機会をつかんだ。 |
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[[2007年]]、監督が[[三浦俊也]]に代わると守備力のある選手を重視しメンバーを固定する起用方針によって構想から外れ<ref name="nik2009-06">[https://www.nikkansports.com/soccer/news/p-sc-tp0-20090606-503440.html 札幌MF上里、記念の勝利両親に贈る] [[日刊スポーツ]] (2009年6月6日)</ref>、出場機会が激減する。前年までの3-5-2のフォーメーションからトップ下を置かない4-4-2に代わり、攻撃的な中盤では西谷、砂川、プロ2年目の[[藤田征也]]が起用され、ボランチでは大塚、芳賀が主力として起用された事に加えて[[カウエ・サントス・ダ・マッタ|カウエ]]、[[鄭容臺]]の加入もあって上里がこの年にスタメンで起用された試合は1つもなく、砂川や石井謙伍が途中出場で起用に応える活躍を見せていた事、シーズン終盤に入るとプロ2年目の[[西大伍]]や高卒新人の[[岡本賢明]]が積極的に起用された事などもあってリーグ戦でベンチ入り出来たのも僅か8試合に留まり出場時間も7試合で82分であった<ref>[http://data.j-league.or.jp/SS/jpn/team/2007020003_000014_1_W0707_J.html 選手出場記録 コンサドーレ札幌 2007Jリーグ ディビジョン2] J.LEAGUE 公式記録 (2007年12月1日)</ref>。その一方でチームはリーグ開幕から首位を独走しJ2優勝を果たすが上里個人としては非常に苦しいシーズンとなった。 |
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2009年は[[石崎信弘]]監督に指名され[[主将#サッカーにおける主将|キャプテン]]に就任。レギュラーとして、主にボランチや左SBで起用された。[[8月5日]]第32節の[[アビスパ福岡|福岡]]戦において、自陣側センターサークル手前の推定65mの位置からロングループシュートを決めた<ref name="nikkan2009">[http://www.nikkansports.com/soccer/news/p-sc-tp0-20090806-527847.html 札幌MF上里が65メートル弾 / J2] [[日刊スポーツ]] 2009.08.06</ref>{{Refnest|group="注"|Jリーグ公式記録としては[[ゴールキーパー (サッカー)|GK]]のものなど80m以上の位置からのゴールもあるが、これらは多くの場合[[フリーキック (サッカー)|FK]]が一度相手GK前で弾み、頭上を越えて決まっていることに対し、上里のゴールはその位置からゴールを狙い、意図どおり相手GKの頭上を越えて直接ゴールネットに突き刺さる<ref name="nikkan2009" />という難易度の高いものであった。}}。得点能力の向上も見せ最終的に6得点でシーズンを終えた。2010年も年間を通して出場し、4得点を挙げる。 |
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[[2008年]]は前年にボランチのポジションを争ったカウエが退団したが、新たに[[クライトン・アルベルト・フォントーラ・ドス・サントス|クライトン]]、[[ディビッドソン純マーカス]]が加わり、新シーズン開幕後も依然として起用されない状態が続いた。しかし、前年からサテライトリーグ等で[[ディフェンダー (サッカー)#サイドバック|サイドバック]]やボランチとしての経験を積んで来た事が実を結び守備力やフィジカルの強さを身につけるなど成長を遂げ、[[8月27日]]のJ1第23節[[ガンバ大阪|G大阪]]戦の後半33分に藤田征也と途中交代でJ1初出場を果たすと以降のリーグ戦で全試合に起用された。[[9月20日]]のJ1第25節[[ジェフユナイテッド市原・千葉|千葉]]戦では後半3分に[[平岡康裕]]と途中交代で左サイドバックで起用されると札幌の攻撃の起点として活躍し、試合では敗れたものの千葉の守備陣を苦しめるなど<ref>[http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00071359.html 【J1:第25節 札幌 vs 千葉】レポート:17位千葉vs18位札幌の直接対決は得点の奪い合いの末、千葉が勝利。勝点を24へと伸ばして16位・磐田に迫る] J's GOAL (08.09.21)</ref>、途中出場ながら起用に応える働きを見せた。チームは[[8月]]以降1勝も出来ずに[[10月19日]]の[[柏レイソル|柏]]戦で敗戦しJ2降格が決定してしまうが、リーグ戦終盤にはボランチでスタメン起用されるようになると、攻撃の中心として若手の藤田、西大伍らとの連携から何度もチャンスを作る場面が多く見られ、翌年以降の躍進を予感させる戦いぶりを見せた<ref>[http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00075917.html 【ゆく年くる年】コンサドーレ札幌2008ベストゲーム:J1第16節 千葉vs札幌(@フクアリ:7月13日)] [[J's GOAL]](08.12.30)</ref>。 |
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[[2011年]]は[[FC東京]]へ期限付き移籍。左[[ミッドフィールダー#サイド・ミッドフィールダー|サイドハーフ(SH)]]、左SBとしての適性も見せたが<ref>[http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/fctokyo/news/201101/CK2011012602000091.html 万能レフティー上里 3役お任せ] [[東京中日スポーツ]]、2011.01.26</ref>、中盤での展開力を買われ<ref>[http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/fctokyo/news/201105/CK2011050702000066.html 上里、ボランチで新司令塔に 高精度パスで攻撃活性化させる] [[東京中日スポーツ]]、2011.05.07</ref><ref name="js2011" />主に[[ミッドフィールダー#攻撃型|セグンド・ボランチ(攻撃型ボランチ)]]として[[梶山陽平]]らとポジションを争った<ref>[http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/fctokyo/news/201111/CK2011110102000070.html 大熊監督 ボランチ上里を評価] [[東京中日スポーツ]]、2011.11.01</ref>(梶山を前線に押し上げる形での併用もあった<ref name="js2011">[http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00118529.html 【J2:第11節 FC東京 vs 富山】プレビュー] [[J's GOAL]]、2011.05.08</ref>)。 |
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[[2009年]]は新監督に就任した[[石崎信弘]]に指名され[[主将#サッカーにおける主将|キャプテン]]に就任<ref>[http://www.consadole-sapporo.jp/news/2009/02/008518.html 2009年 コンサドーレ札幌 キャプテン・副キャプテン決定のお知らせ] コンサドーレ札幌公式サイト (09.02.21)</ref>。クラブ史上最年少での主将抜擢だった<ref>[https://www.nikkansports.com/soccer/news/p-sc-tp0-20090222-463688.html 札幌のカズ・上里がクラブ最年少主将に!] [[日刊スポーツ]] (2009年2月22日)</ref>。リーグ戦が開幕するとレギュラーとして主にボランチや左サイドバックで起用され{{R|nik2009-06}}<ref>[https://www.nikkansports.com/soccer/news/p-sc-tp0-20090523-497980.html 札幌、厚別初戦の東京V戦は奇策で臨む] [[日刊スポーツ]] (2009年5月23日)</ref>、チーム最多の48試合に出場(うち先発出場は47試合)し、出場時間もチームトップの[[西嶋弘之]]に次ぐ4,013分に到達するなど上里にとって飛躍の年となった。リーグ戦が始まると序盤こそ勝てない時期が続き、[[3月25日]]のJ2第4節湘南戦では試合開始早々にチームメイトの[[チアゴ・キリーノ・ダ・シウヴァ|キリノ]]と接触し裂傷を負い負傷退場してしまう不運にも見舞われたが<ref>[http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00079764.html 【J2:第4節 札幌 vs 湘南】石崎信弘監督(札幌)記者会見コメント] J's GOAL (09.03.25)</ref><ref>[http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00079791.html 【J2:第4節 札幌 vs 湘南】レポート:終了間際に一瞬のスキを突いた湘南が敵地で劇的勝利! 札幌も敗れはしたが、内容では湘南を圧倒していた。] [[J's GOAL]] (09.03.26)</ref>、続く[[3月29日]]J2第5節[[ファジアーノ岡山FC|岡山]]戦で豪快なミドルシュートでシーズン初ゴールを挙げると<ref>[http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00080251.html 【J2:第6節 熊本 vs 札幌】プレビュー:共に1勝1分3敗と波に乗れない熊本と札幌。南北決戦を制し、第1クール中盤に向けて上昇気流に乗るのはどちらか。] J's GOAL (09.04.05)</ref>、[[4月]]からはチームも13試合連続で不敗を続けるなど好調を維持し攻守の要としてチームを牽引した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.hokkaido-np.co.jp/news/consadole/169748.html |title=【道スポ】上里、リーグ通算出場100試合達成だ 両親の前で勇姿見せる |accessdate=2014年3月24日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20090612060950/http://www.hokkaido-np.co.jp/news/consadole/169748.html |archivedate=2009年6月12日 }} [[北海道新聞|どうしんウェブ]] (2009年6月6日)</ref>。また、得点能力の向上も見せており、上述の岡山戦でのゴールをはじめ、[[6月27日]]J2第24節[[ベガルタ仙台|仙台]]戦では左サイドの深い位置からゴールを決め<ref>[http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00084953.html 【J2:第24節 仙台 vs 札幌】試合終了後の各選手コメント] J's GOAL (09.06.27)</ref><ref>[http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00084994.html 【J2:第24節 仙台 vs 札幌】レポート:コントロールされた戦い方の中、前半は札幌、後半は仙台に主導権。1-1の結果に見える、手応えと課題。] J's GOAL (09.06.28)</ref>、[[8月5日]]J2第32節の[[アビスパ福岡|福岡]]戦では自陣側センターサークル手前の推定65mの位置からロングループシュートを決めるなど<ref>[http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00087282.html 【J2:第32節 札幌 vs 福岡】レポート:札幌がホームで3得点完勝! プロ初先発となったMF古田寛幸が力強く攻撃を牽引してみせた。] J's GOAL (09.08.06)</ref><ref name="nikkan2009">[https://www.nikkansports.com/soccer/news/p-sc-tp0-20090806-527847.html 札幌MF上里が65メートル弾 / J2] [[日刊スポーツ]] 2009.08.06</ref>{{Refnest|group="注"|Jリーグ公式記録としては[[ゴールキーパー (サッカー)|GK]]のものなど80m以上の位置からのゴールもあるが、これらは多くの場合[[フリーキック (サッカー)|FK]]が一度相手GK前で弾み、頭上を越えて決まっていることに対し、上里のゴールはその位置からゴールを狙い、意図どおり相手GKの頭上を越えて直接ゴールネットに突き刺さる{{R|nikkan2009}}という高難度のものであった。}}、持前の視野の広さとキックの精度を活かしたゴールも多く挙げ、[[9月20日]]のJ2第40節福岡戦ではプロ入り後初となる直接フリーキックを決めており<ref>[http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00089690.html 【J2:第40節 札幌 vs 福岡】レポート:膠着したゲームはセットプレーが勝敗を分けた。上里一将の直接FKが札幌に歓喜の勝点3を呼び込んだ!] J's GOAL (09.09.21)</ref>、最終的に自身最多となる6得点でシーズンを終えた。 |
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[[2012年]]は[[徳島ヴォルティス]]へ期限付き移籍。 |
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[[2010年]]は前年終盤に若手の[[岩沼俊介]]が左サイドバックで台頭した事で主戦場をボランチに移し、同じく前線からポジションを移して来たプロ3年目の[[宮澤裕樹]]と共にダブルボランチを組みシーズンを戦った。このシーズンの初ゴールを[[4月11日]]J2第6節[[柏レイソル|柏]]戦の後半3分にゴールから約40mの位置で直接フリーキックを豪快に決めると<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.hokkaido-np.co.jp/news/consadole/225854.html |title=【道スポ】札幌 首位・柏とドロー 上里40メートルFK弾実らず |accessdate=2014年3月24日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100416013346/http://www.hokkaido-np.co.jp/news/consadole/225854.html |archivedate=2010年4月16日 }} [[北海道新聞|どうしんウェブ]] (2010年4月13日)</ref><ref>[http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00099583.html 【J2:第6節 札幌 vs 柏】レポート:双方にファインゴールが生まれた熱戦。柏のハイレベルなプレーぶりと、札幌の伸びシロが感じられたドローゲームだった。] J's GOAL (10.04.12)</ref>、ここから自身初となる3試合連続ゴールを挙げ<ref>[http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00100626.html 【J2:第9節 甲府 vs 札幌】レポート:成長を実感。4ゴール、4連勝で甲府が昇格圏内入り] J's GOAL (10.04.30)</ref><ref>[http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00100664.html 【J2:第10節 熊本 vs 札幌】プレビュー:熊本がいい流れを維持するか、それとも札幌が悪い流れを断ち切るか。注目の南北決戦。] J's GOAL (10.05.02)</ref>、チームの攻撃の起点としてだけではなく自らも得点源となり活躍していたものの、その一方でチームは勝てない試合が続き下位に低迷してしまう。上里自身も[[7月]]に入ると怪我の影響でコンディションを落としてしまい、[[9月23日]]のJ2第27節柏戦では前半23分と同ロスタイムに立て続けに[[イエローカード]]を受けてしまいプロ7年目にして初の退場を経験した<ref>[http://www.consadole-sapporo.jp/info/topteam/2010/detail/27_100923.html 2010 J LEAGUE DIVISION 2 第27節 vs 柏レイソル] コンサドーレ公式サイト</ref><ref group="注">この試合では上里とダブルボランチを組んだ[[宮澤裕樹]]も後半28分、同34分にイエローカードを受けプロ入り後初退場を経験している。</ref>。シーズンオフに入ると、クラブの財政問題が表面化し多くの主力選手が移籍をする中で上里自身もこの年にJ2降格が決定した[[FC東京]]からの獲得オファーを受け移籍を決断。翌[[2011年]][[1月5日]]に同クラブへ[[期限付き移籍]]する事が発表された<ref>[http://www.consadole-sapporo.jp/news/2011/01/000500.html コンサドーレ札幌 上里一将選手 FC東京へ期限付き移籍のお知らせ] コンサドーレ札幌公式サイト (11.01.05)</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.fctokyo.co.jp/home/index.phtml?cont=item&item=10578 |title=上里 一将選手 期限付き移籍加入決定のお知らせ |accessdate=2014年3月24日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110108142014/http://www.fctokyo.co.jp/home/index.phtml?cont=item&item=10578 |archivedate=2011年1月8日 }} FC東京 (2011年1月5日)</ref>。 |
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[[2013年]]は札幌へ復帰<ref>[http://www.consadole-sapporo.jp/news/2013/01/013751.html 上里 一将 選手 徳島ヴォルティスより復帰のお知らせ] [[コンサドーレ札幌]]、2013.01.11</ref>。 |
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=== FC東京 === |
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シーズン開幕前のキャンプでは左[[ミッドフィールダー#サイド・ミッドフィールダー|サイドハーフ]]、左サイドバックとしての適性も見せたが<ref>[https://web.archive.org/web/20110130032915/http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/fctokyo/news/201101/CK2011012602000091.html 万能レフティー上里 3役お任せ] [[東京中日スポーツ]]、2011.01.26</ref><ref>[http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00113673.html 【2011キャンプレポート:F東京】2月10日(木)阿久根謙司社長がキャンプに帯同。選手たちとのコミュニケーションを深める] J's GOAL (11.02.10)</ref>、リーグ戦が始まるとこれらのポジションでは、前年に[[セリエA (サッカー)|セリエA]]に移籍した[[長友佑都]]の穴を埋める活躍を見せていた[[中村北斗]]や、若手の[[田邉草民]]、[[椋原健太]]が主力として起用された。一方、監督の[[大熊清]]からは中盤での展開力を買われ<ref>[https://web.archive.org/web/20110517031822/http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/fctokyo/news/201105/CK2011050702000066.html 上里、ボランチで新司令塔に 高精度パスで攻撃活性化させる] [[東京中日スポーツ]]、2011.05.07</ref>{{R|js2011}}主に[[ミッドフィールダー#攻撃型|セグンド・ボランチ(攻撃型ボランチ)]]として梶山陽平らとポジションを争った<ref>[https://web.archive.org/web/20111103231438/http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/fctokyo/news/201111/CK2011110102000070.html 大熊監督 ボランチ上里を評価] [[東京中日スポーツ]]、2011.11.01</ref>(梶山を前線に押し上げる形での併用もあった<ref name="js2011">[http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00118529.html 【J2:第11節 FC東京 vs 富山】プレビュー] [[J's GOAL]]、2011.05.08</ref>)。リーグ戦では開幕戦以外の全試合にベンチ入りを果たし、出場時間こそ多くなかったものの起用された試合では期待に応える働きを見せ、チームがJ1昇格を決めた[[11月19日]]のJ2第36節[[ガイナーレ鳥取|鳥取]]戦では後半ロスタイムに移籍後初ゴールを挙げるなど<ref>[http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00128835.html 【J2:第36節 鳥取 vs F東京】鳥取側レポート:J1昇格を争うクラブとの歴然たる差。鳥取は1点こそ奪ったものの、大量失点に沈む。] J's GOAL (11.11.20)</ref> J2優勝に貢献した1人となった。また、同年開催の[[第91回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]でも2回戦以降の全試合にベンチ入りし、チームは優勝を果たすが上里の試合出場は適わなかった。シーズンオフの[[2012年]][[1月10日]]にFC東京から上里の移籍期間満了が発表され<ref>[http://www.fctokyo.co.jp/?p=147926 上里一将選手 期限付き移籍期間満了のお知らせ] FC東京 (2012年1月10日)</ref>、同日、[[徳島ヴォルティス]]に期限付き移籍する事が所属元の札幌・徳島双方から相次いで発表された<ref>[http://www.consadole-sapporo.jp/news/2012/01/011683.html コンサドーレ札幌 上里 一将選手 徳島ヴォルティスへ期限付移籍のお知らせ] コンサドーレ札幌公式サイト (12.01.10)</ref><ref>[http://www.vortis.jp/news/detail.php?pressid=4276 上里 一将選手 期限付き移籍にて加入決定のお知らせ] 徳島ヴォルティス公式サイト (12.01.10)</ref>。 |
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=== 徳島ヴォルティス === |
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徳島では札幌在籍時と同じ背番号20を与えられ<ref>[http://www.vortis.jp/news/detail.php?pressid=4935 徳島ヴォルティス2012 シーズン チーム体制について] 徳島ヴォルティス公式サイト (12.02.02)</ref>、札幌時代の[[西嶋弘之]]、FC東京時代の[[鈴木達也 (1982年生のサッカー選手)|鈴木達也]]とは再びチームメイトとなった。この年から新監督に就任した[[小林伸二]]の信頼を得て、リーグ戦が始まると主力ボランチとして起用され徳島の攻撃の起点としても活躍した{{R|uesato4}}。開幕戦からスタメン出場を果たし勝利に貢献するが、間もなくチームは不調に陥り[[5月]]まで1勝も出来なくなり下位に低迷すると、同時期に上里自身も不調に陥ってしまい先発からも外れており、途中起用された[[4月30日]]のJ2第11節[[水戸ホーリーホック|水戸]]戦では失点の起点になってしまうなど苦しい時期を過ごした{{R|uesato4}}<ref>[http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00136689.html 【J2:第11節 水戸 vs 徳島】レポート:本間幸司、立ちはだかる。悪い流れでも勝ち切る“したたかさ”で水戸が徳島を退け、今季2度目の3連勝。4位に浮上!] J's GOAL (12.05.01)</ref>。以降は徐々に調子を取戻し安定した活躍を見せるが、チームの調子は今ひとつ上がらず最終的に15位に留まった。シーズン終了後にはJ2降格が決定した所属元の札幌より復帰要請を受け上里はこれを受諾<ref name="uesato5">[https://www.nikkansports.com/soccer/news/p-sc-tp1-20121223-1063269.html 札幌 上里が3季ぶりに復帰] [[日刊スポーツ]] (2012年12月23日)</ref>。翌[[2013年]][[1月11日]]に上里の札幌復帰が正式に発表され<ref>[http://www.vortis.jp/news/detail.php?pressid=4917 上里 一将選手 期限付き移籍期間満了のお知らせ] 徳島ヴォルティス公式サイト (13.01.11)</ref><ref>[http://www.consadole-sapporo.jp/news/2013/01/013751.html 上里 一将 選手 徳島ヴォルティスより復帰のお知らせ] コンサドーレ札幌、2013.01.11</ref>、プロ10年目となる節目のシーズンを古巣札幌で迎える事が決まった。 |
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=== コンサドーレ札幌復帰 === |
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この年からは新監督に上里がかつてプロ入り後の3年間にコーチとして薫陶を受けた[[財前恵一]]が就任しており、同監督には前年から大幅に若返ったチーム<ref>[http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00150365.html 【全40クラブ戦力分析レポ:札幌】31人中18人が北海道出身者という地元色の強い新星・札幌。財前新監督が標榜するポゼッションサッカーで、プレーオフ進出圏内を目指す!] J's GOAL (13.02.28)</ref> の中心選手として期待された{{Refnest|group="注"|上里の札幌復帰には新監督に就任が決定した財前の強い要望があったとされ{{R|uesato5}}、この年の札幌は20歳以下の選手が11人在籍するなど、チームの平均年齢も23.6歳と上里が入団した2004年を彷彿させる極端な陣容だった。}}。2度の移籍を経て精神面や守備面で大きく成長<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.hokkaido-np.co.jp/news/consadole/436426.html |title=【道スポ】上里 ワイルドに変身 |accessdate=2014年3月24日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130126113318/http://www.hokkaido-np.co.jp/news/consadole/436426.html |archivedate=2013年1月26日 }} [[北海道新聞|どうしんウェブ]] (2013年1月25日)</ref>。献身的プレーを発揮できるようになり<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.hokkaido-np.co.jp/cont/consa-club/206990.html |title=J1昇格圏へ かく戦え 札幌OBに聞く (上) 曽田雄志さん 守備の一体感必要 / 上里に期待 |accessdate=2014年3月24日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130827213157/http://www.hokkaido-np.co.jp/cont/consa-club/206990.html |archivedate=2013年8月27日 }} [[北海道新聞|どうしんウェブ]] (2013年8月22日)</ref>、リーグ戦が開幕すると主力ボランチとして起用され、[[河合竜二]]、[[宮澤裕樹]]、高卒新人の[[深井一希]]、[[堀米悠斗]]らとポジションを争いながら、出場した試合では視野の広さと高精度の左足を活かしてテンポ良く配球し攻撃を展開<ref name="elg2014">{{Cite book|和書|title=Jリーグ選手名鑑2014 エルゴラッソ特別編集|page=176|year=2014}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.hokkaido-np.co.jp/news/consadole/448999.html |title=【道スポ】27歳若大将 上里 プロ10年目、今やチームの要 |accessdate=2014年3月24日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130316075832/http://www.hokkaido-np.co.jp/news/consadole/448999.html |archivedate=2013年3月16日 }} [[北海道新聞|どうしんウェブ]] (2013年3月14日)</ref>。多くの得点を演出するなど札幌の中盤において欠かせない働きを見せた。一方、チームは若手中心の布陣を余儀なくされていた事もあって序盤こそ敗戦が続いていたが、徐々に成績も上向くと[[6月8日]]J2第18節[[愛媛FC|愛媛]]戦の前半5分に直接フリーキックを決め<ref>[http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00156777.html 【J2:第18節 愛媛 vs 札幌】レポート:札幌の裏を突き、ゴールを重ねた愛媛が今季初の逆転勝利。連敗を3で止める。] J's GOAL (13.06.09)</ref>、札幌復帰後の初ゴールを挙げる。[[7月]]にはJ1クラブから上里への正式な獲得オファーが届くが、これを断っていた事が報道によって明らかとなっており<ref>[https://www.nikkansports.com/soccer/news/p-sc-tp1-20130813-1172612.html 札幌上里、J1完全移籍の打診断り残留へ] [[日刊スポーツ]] (2013年8月13日)</ref>、その後も攻守の要、精神的主柱として<ref>{{Cite web|和書|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/soccer/jleague/news/20130919-OHT1T00191.htm |title=【札幌】上里、右ひざ前十字じん帯断裂で今季絶望 |accessdate=2014年3月24日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130920022842/http://hochi.yomiuri.co.jp/soccer/jleague/news/20130919-OHT1T00191.htm |archivedate=2013年9月20日 }} [[スポーツ報知]] (2013年9月20日)</ref> 奮闘を続けていたが、[[9月19日]]に右膝前十字靱帯断裂の大けがを負い<ref>[http://www.consadole-sapporo.jp/news/2013/09/015398.html 上里一将 選手の負傷について] コンサドーレ札幌、2013.09.19</ref> 全治8ヶ月を要する事がクラブから発表され<ref>[http://www.consadole-sapporo.jp/news/2013/09/015410.html 上里一将 選手の全治について] コンサドーレ札幌、2013.09.21</ref>、残りのシーズンを棒に振る事となってしまい、上里不在の中チームは後一歩のところで[[J1昇格プレーオフ|プレーオフ]]進出を逃した。 |
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2014シーズンは怪我の影響を受けリハビリからスタート。5月の第15節愛媛FC戦で復帰し、試合前にはサポーターから「待ってたぜ上里!」という弾幕が掲げられた。復帰3戦目の水戸ホーリーホック戦では1ゴール1アシストの活躍<ref>[http://web.gekisaka.jp/news/detail/?139639-139639-fl 札幌、7戦ぶり勝利は4発快勝…1G1Aの上里「今日は親父の誕生日」] [[ゲキサカ]] (2014年5月25日)</ref>。攻撃の起点となる配球と中盤でのセカンドボール回収で<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.hokkaido-np.co.jp/news/consadole/563807.html |title=【道スポ】バルバリッチ監督初勝利へのキーマンMF上里 きょう群馬戦で先発濃厚 |accessdate=2017年4月23日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140920043240/http://www.hokkaido-np.co.jp/news/consadole/563807.html |archivedate=2014年9月20日 }}[[北海道新聞]] (2014年9月20日)</ref> リズムを作り、シーズン終盤には松本戦、磐田戦で正確なフリーキック、湘南戦では強烈なミドルシュートを決めるなど得点能力の高さも示した。一方チームは、1試合を残しJ1昇格の可能性を消滅させてしまい、またも悔しいシーズンとなった。 |
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2015シーズンはキャンプから監督の[[イヴィッツァ・バルバリッチ|バルバリッチ]]の信頼を掴み、開幕戦にスタメン出場を果たす。しかしその後深井や新加入の稲本の活躍の影響、さらに上里自身も調子を落とし、出場機会が減ってしまう。[[四方田修平]]への監督交代後は6試合連続でスタメンで起用されるなど調子を戻したかに見えたが、終盤はベンチ外になる試合もあり、この年は1ゴール0アシストと不本意なシーズンとなってしまった。アシストがないシーズンは上里にとって初めてだった。 |
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2016シーズンは慢性的な股関節痛に苦しみ<ref>{{Cite book|和書|title=[[サッカーマガジン]] 2016北海道コンサドーレ札幌 J2優勝&J1昇格記念号|page=40|year=2016|publisher=[[ベースボール・マガジン社]]}}</ref>、序盤は中々試合に絡むことができなかったが、稲本や宮澤の負傷により夏場にチャンスを得るとそれに応える動きを見せ、松本戦や清水戦という大事な試合で活躍。特に松本戦は最後までガムシャラに走り回り、ロスタイムには[[パウロ・ロベルト・ゴンサガ|パウリーニョ]]のシュートをみぞおちでブロックし、気持ちが入ったプレーを見せた。しかしその後は前寛之の活躍や自身のケガの影響により再びメンバーから外される試合も少なくなかった。終盤の千葉戦、金沢戦ではスタメンで起用されるも、シーズン終了後契約満了により札幌を退団。 |
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=== ロアッソ熊本 === |
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2017年、最初にオファーがあったという<ref>{{Cite book|和書|title=[[J2マガジン]] Vol.45|page=93|year=2017|publisher=[[ベースボール・マガジン社]]}}</ref>[[ロアッソ熊本]]へ完全移籍。主にセントラルハーフでチームの中心選手となり、開幕戦ではコーナーキックから安柄俊の先制点をアシスト。[[平繁龍一]]は「一度カズさんを経由してから攻撃に行くことが多くなり、攻撃のパターンが増えた」と話すなど、チームからは新加入ながら絶大な信頼を得られている。その後は、第3節山形戦の後半アディショナルタイムにコーナーキックからGK佐藤昭大のヘディングゴールをアシストし、第5節[[大分トリニータ|大分]]戦ではJ2通算300試合出場を達成。また、「熊本地震復興支援マッチ」と釘打たれたJ2第8節松本戦で移籍後初のゴールとなる直接フリーキックを決めた。シーズン途中に監督が[[清川浩行]]から[[池谷友良]]へ交代するもコンスタントに試合出場を重ね、この年は結局28試合に出場し1ゴール4アシストの成績を残した。 |
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2018年、札幌時代に発症した慢性的な股関節痛が再発しシーズン開幕前のキャンプから負傷離脱となり、実戦復帰は第21節松本戦までズレ込んだ。その後もケガの影響で短時間のみの出場となりながらも、持ち味である視野の広さと正確なパスで熊本の攻撃を支え続け、J2第28節横浜FC戦でシーズン初の先発出場と同時に熊本移籍後初のゲームキャプテンに指名された。つづく第29節岐阜戦ではプロ入り後初となるヘディングシュートを決め、第31節山形戦で実戦復帰後初のフルタイム出場を果たした。が、出番は限定的であり、 |
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同シーズンをもって契約満了となり退団した<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.gekisaka.jp/news/jleague/detail/?259831-259831-fl |title=J3自動降格圏内の熊本、8選手の契約満了を発表 |publisher=ゲキサカ |date=2018-11-22 |accessdate=2022-12-03}}</ref>。 |
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=== FC琉球 === |
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2019年、出身地・沖縄県を本拠地に置く[[FC琉球OKINAWA|FC琉球]]に加入<ref>[http://fcryukyu.com/news/15040/ 上里 一将選手 移籍加入のお知らせ] FC琉球、2018.12.26</ref>。 |
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J2初年度の琉球をキャプテンとして支え、40試合に出場し4ゴール2アシストと琉球の中盤に必要不可欠な存在となった。鋭い楔のパスやサイドチェンジ、強烈なミドルシュート、粘り強い守備など全盛期を彷彿とさせるプレーを連発し、情報誌サッカーキングJ2優秀選手賞を受賞した。その活躍を見たアルビレックス新潟から夏に獲得オファーが届いたが、地元沖縄に貢献したいという思いから残留を決断した。 |
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2020年8月1日、第9節の[[ファジアーノ岡山FC]]戦でJ通算400試合出場を達成<ref>{{cite news|url=https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1167212.html|title=FC琉球、9試合目で今季初勝利 攻撃的サッカーようやく結果|publisher=琉球新報|date=2020-8-2|accessdate=2021-1-16}}</ref>。 |
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2021年10月26日、練習中に右膝[[半月板]]損傷の負傷。同年11月15日に手術を受けた<ref>{{Cite web|和書|url=https://fcryukyu.com/news/30160/ |title=上里一将選手の負傷について |publisher=FC琉球 |date=2021-11-14 |accessdate=2022-12-06}}</ref>。 |
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2022年11月18日、シーズン終了後契約満了により琉球を退団<ref>{{Cite web|和書|url=https://fcryukyu.com/news/36726/ |title=上里一将選手 契約満了のお知らせ |publisher=FC琉球 |date=2022-11-18 |accessdate=2023-01-20}}</ref>。 |
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2023年2月7日、現役引退を発表。 |
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=== 現役引退後 === |
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2023年2月7日、現役引退と同時にFC琉球アカデミーのロールモデルコーチに就任することが発表された<ref>{{Cite web|和書|url=https://fcryukyu.com/news/38438/ |title=上里一将選手 現役引退 ならびにFC琉球アカデミーロールモデルコーチ就任のお知らせ |publisher=FC琉球 |date=2023-2-7 |accessdate=2023-10-26}}</ref>。 |
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2023年10月24日、Jリーグ功労選手賞の受賞が決定<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jleague.jp/news/article/26280/ |title=功労選手賞 受賞者決定のお知らせ |publisher=日本サッカープロリーグ |date=2023-10-24 |accessdate=2023-10-26}}</ref>。 |
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==プレースタイル== |
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視野の広さからくる[[パス (サッカー)|キラーパス]]と、精度の高いプレースキック<ref>[http://www.ocn.ne.jp/sports/jleague2011/j2/fctokyo/12425.html 2011年 FC東京選手名鑑 (OCN)]</ref> が持ち味。プロ入り当初は攻撃的MF(トップ下)だったが、ボランチや左サイドハーフ、左[[ディフェンダー (サッカー)|サイドバック]]など、複数のポジションをこなせるようになった。強烈なミドルシュートも得意としており、隙があればどこからでも狙ってくる積極的な姿勢も魅力のひとつ。試合の流れを読むゲームコントロール、チーム全体をまとめる統率力やキャプテンシーも備えている。 |
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==所属クラブ== |
==所属クラブ== |
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* [[宮古島市立南小学校|平良市立南小学校]]{{R|guide2014}} |
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*2004年 - 現在 [[コンサドーレ札幌]] |
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* [[検索結果沖縄県宮古島市立平良中学校|平良市立平良中学校]]{{R|guide2014}} |
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**2011年 [[FC東京]] ([[期限付き移籍]]) |
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* [[沖縄県立宮古高等学校]] |
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**2012年 [[徳島ヴォルティス]] (期限付き移籍) |
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* 2004年 - 2016年 {{Flagicon|JPN}} コンサドーレ札幌 / [[北海道コンサドーレ札幌]] |
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** 2011年 {{Flagicon|JPN}} [[FC東京]] ([[期限付き移籍]]) |
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** 2012年 {{Flagicon|JPN}} [[徳島ヴォルティス]] (期限付き移籍) |
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* 2017年 - 2018年 {{Flagicon|JPN}} [[ロアッソ熊本]] |
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* 2019年 - 2022年 {{Flagicon|JPN}} [[FC琉球OKINAWA|FC琉球]] |
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==個人成績== |
==個人成績== |
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|[[2012年のJリーグ|2012]]||[[徳島ヴォルティス|徳島]]||rowspan= |
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;出場歴 |
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*[[2004年]]{{0}}[[5月19日]]:[[J2リーグ|J2]]初出場 - [[2004年のJリーグ|J2第13節]] vs[[水戸ホーリーホック]] ([[札幌厚別公園競技場|厚別]]) |
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==経歴== |
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*[[2004年]][[5月19日|{{0}}5月19日]]:[[Jリーグ ディビジョン2|J2]]初出場 - [[2004年のJリーグ|J2第13節]] vs[[水戸ホーリーホック]] ([[札幌厚別公園競技場|厚別]]) |
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*2004年[[11月14日]]:公式戦初得点 - [[第84回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯4回戦]] vs[[ジェフユナイテッド市原・千葉|ジェフユナイテッド市原]] ([[室蘭市入江運動公園陸上競技場|室蘭]]) |
*2004年[[11月14日]]:公式戦初得点 - [[第84回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯4回戦]] vs[[ジェフユナイテッド市原・千葉|ジェフユナイテッド市原]] ([[室蘭市入江運動公園陸上競技場|室蘭]]) |
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*[[2005年]] |
*[[2005年]]{{0}}[[5月21日]]:J2初得点 - [[2005年のJリーグ|J2第13節]] vs[[湘南ベルマーレ]] (平塚) |
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*[[2008年]] |
*[[2008年]]{{0}}[[8月27日]]:[[J1リーグ|J1]]初出場 - [[2008年のJリーグ|J1第23節]] vs[[ガンバ大阪]] (厚別) |
||
*[[2009年]][[8月5日|{{0}}8月{{0}}5日]]:J2 100試合出場 - [[2009年のJリーグ|J2第32節]] vs[[アビスパ福岡]] (厚別) |
*[[2009年]][[8月5日|{{0}}8月{{0}}5日]]:J2 100試合出場 - [[2009年のJリーグ|J2第32節]] vs[[アビスパ福岡]] (厚別) |
||
*[[2013年]][[4月7日|{{0}}4月{{0}}7日]]:J2 200試合出場 - [[2013年のJリーグ|J2第{{0}}7節]] vs[[ファジアーノ岡山FC]] ([[岡山県総合グラウンド陸上競技場|カンスタ]]) |
|||
*[[2017年]]{{0}}[[3月26日]]:J2 300試合出場 - [[2017年のJリーグ|J2第{{0}}5節]] vs[[大分トリニータ]] ([[熊本県民総合運動公園陸上競技場|えがお健康スタジアム]])<ref name="jleague2017">[http://www.jleague.jp/release/post-48463/ 2017明治安田生命J2リーグ第5節 上里一将 選手(熊本)J2通算300試合出場達成] Jリーグ (2017年3月26日)</ref> |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
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;注釈 |
;注釈 |
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{{Reflist|group="注"}} |
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;出典 |
;出典 |
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{{Reflist|3}} |
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==関連項目== |
==関連項目== |
||
*[[沖縄県出身の人物一覧]] |
*[[沖縄県出身の人物一覧]] |
||
*[[コンサドーレ札幌の選手一覧]] |
*[[北海道コンサドーレ札幌の選手一覧]] |
||
*[[FC東京の選手一覧]] |
*[[FC東京の選手一覧]] |
||
*[[徳島ヴォルティスの選手一覧]] |
*[[徳島ヴォルティスの選手一覧]] |
||
*[[ロアッソ熊本の選手一覧]] |
|||
*[[FC琉球OKINAWAの選手一覧]] |
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==外部リンク== |
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{{コンサドーレ札幌のメンバー}} |
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*{{Sports links}} |
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*{{Wayback|url=https://ameblo.jp/uesato-kazumasa/ |title=kazu life |date=20100808172127}} - 公式ブログ |
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*{{Facebook|100002750170389}} |
|||
*{{Wayback|date=20071024023828|url=http://www.soccer-m.ne.jp/player/sapporo/uesato.html|title=プロフィール}} - WEBサッカーマガジン (2007年2月13日) |
|||
*{{Wayback|date=20111101041958|url=http://www.fctokyo.co.jp/home/index.phtml?cont=player/player&pprof_id=32|title=プロフィール (2011年)}} - FC東京 |
|||
*{{Wayback|date=20120718214101|url=http://www.vortis.jp/player/detail.php?id=3030|title=プロフィール (2012年)}} - 徳島ヴォルティス |
|||
*{{Wayback|date=20160826054730|url=http://www.consadole-sapporo.jp/team/20160211066/|title=プロフィール (2016年)}} - 北海道コンサドーレ札幌 |
|||
*[http://roasso-k.com/top_team/photo17/17_20.htm プロフィール] - ロアッソ熊本 |
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{{北海道コンサドーレ札幌歴代主将}} |
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{{DEFAULTSORT:うえさと かすまさ}} |
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[[Category: |
[[Category:ロアッソ熊本の選手]] |
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[[Category:FC琉球OKINAWAの選手]] |
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[[Category:沖縄県出身のスポーツ選手]] |
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[[Category:1986年生]] |
[[Category:1986年生]] |
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[[Category:存命人物]] |
[[Category:存命人物]] |
2024年11月20日 (水) 11:07時点における最新版
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||
愛称 | カズ[1]、カズゥ | |||||
カタカナ | ウエサト カズマサ | |||||
ラテン文字 | UESATO Kazumasa | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1986年3月13日(38歳) | |||||
出身地 | 沖縄県宮古島市 | |||||
身長 | 172cm | |||||
体重 | 70kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
利き足 | 左足[2][1] | |||||
ユース | ||||||
2001-2003 | 宮古高校 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2004-2016 | 北海道コンサドーレ札幌 | 258 | (19) | |||
2011 | → FC東京 | 17 | (1) | |||
2012 | → 徳島ヴォルティス | 32 | (0) | |||
2017-2018 | ロアッソ熊本 | 44 | (2) | |||
2019-2022 | FC琉球 | 137 | (9) | |||
通算 | 488 | (31) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
上里 一将(うえさと かずまさ、1986年3月13日 - )は、沖縄県宮古島市(旧平良市)出身[3]の元プロサッカー選手。ポジションは主にミッドフィールダー(MF)。 宮古島及び宮古高等学校出身で初のプロサッカー選手。
来歴
[編集]小学1年生(6歳[2])の時に友人の誘いでサッカーを始め[4]、3年生から本格的に打ち込むようになる[5]。当時は身長に恵まれず、中学校入学時点で138cmしかなかった事もあって[5]所属チームの練習後に1人居残り左足の技術を徹底的に磨き続けた[5]。中学校卒業後は地元の高校で、上里の中学3年生次に全国高等学校サッカー選手権大会への初出場を果たした沖縄県立宮古高等学校に進学[注 1]。高校の3年間で全国大会の出場は適わず、個人としても代表や選抜に招集された経験もなかった為に全国的には無名の存在だったが、当時から攻撃的な中盤の選手としてボールコントロールには定評があり[6]、その才能を評価したJ2のコンサドーレ札幌より誘いを受け、2003年11月22日に同クラブより上里の獲得が発表された[3]。同校出身者、並びに宮古島出身者として初のJリーガーとなった[6][7]。上里は日本最南端でプレーする自分に届いた日本最北端のプロクラブからのオファーに「いったいどこで僕のプレーを見ていたのだろう?」と思ったという[5]。
コンサドーレ札幌
[編集]2004年は背番号24を与えられ、この年に新監督に就任した柳下正明の指導の下、クラブが若手育成路線に方針転換を図った最初の年という事もあって[注 2]、高卒新人ながら早くから出場機会が与えられ、トップ下をはじめボランチでも起用された。トップ下のポジションには砂川誠という絶対的な存在がおり、シーズン序盤に主力選手で同ポジションも務められる三原廣樹が大怪我を負って長期離脱した事もあって、このポジションの2番手を同じく高卒新人で同期入団の桑原剛と激しく争った。5月19日J2第13節水戸戦の後半36分に砂川と途中交代で公式戦初出場を果たすが、翌6月には左足を骨折し離脱した[8]。戦列に復帰すると、8月8日のJ2第26節湘南戦で初のスタメン出場を果たす。この試合ではボランチで起用されたが[9]、試合中に肉離れを起こした為に[10] 前半で交代となり[11]、再度の離脱を余儀なくされた[12]。復帰後は途中出場ながら毎試合に起用され続け、9月からは先発で起用されるようになると、11月14日天皇杯4回戦市原戦の後半34分に約30mの距離からミドルシュートを決め[13] 公式戦初ゴールを挙げた。その一方で、チームは若手中心の布陣の為に他チームとの戦力差が顕著に見られ、リーグ戦では序盤から最下位に沈んでしまい、上里がリーグ戦に出場した全17試合のうち勝利を挙げられたのも僅か1勝だった。
2005年は背番号を19に変更[14]。リーグ戦序盤こそ途中交代でボランチでの起用が目立ったものの、4月からチームが3-5-2のフォーメーションにトップ下を2枚を置く攻撃的な布陣を採用するとトップ下でレギュラーとして定着し、砂川と共に札幌の攻撃を牽引し多くの得点機を演出する活躍を見せる。5月21日のJ2第13節湘南戦でリーグ戦初ゴールを挙げ勝利に貢献し、6月25日第18節横浜FC戦ではミドルシュートを決め、札幌の公式戦通算100勝となる勝利に貢献した[15]。これらの上里の活躍と成長を裏付けるように、リーグ戦中盤にかけてチームの成績も向上し一時は3位につけるなど上位争いを演じる立役者の1人となる[16]。ところが、8月21日に行われた練習試合で左ひざ前十字靭帯損傷の大怪我を負い[17]、シーズンの残りを棒に振った[18]。
2006年からは背番号を20に変更[19]。前年に負った怪我の影響は大きく、チームに合流後もコンディションを取り戻せずにいた事や、上里が離脱していた間にクラブが代役として補強した西谷正也が期待に見合う活躍を見せていた事、同期入団で同い年の鈴木智樹をはじめ、この年に移籍加入した大塚真司、芳賀博信、関隆倫らが主力に定着していた事などもあり、公式戦の復帰までには実に11ヶ月を要した[20]。7月8日のJ2第26節愛媛戦の後半19分に西嶋弘之と途中交代で実戦復帰を果たすと、以降も途中出場ながら主にボランチで起用され続け、8月19日のJ2第34節仙台戦の後半20分に砂川に代わり途中出場しトップ下に入ると、後半41分に石井謙伍のゴールをアシストし、続く44分にはゴールまで約35mの位置から自身もミドルシュートを決め勝利に貢献するなど[21] 存在感を示し、リーグ終盤には先発でも起用された。
2007年、監督が三浦俊也に代わると守備力のある選手を重視しメンバーを固定する起用方針によって構想から外れ[20]、出場機会が激減する。前年までの3-5-2のフォーメーションからトップ下を置かない4-4-2に代わり、攻撃的な中盤では西谷、砂川、プロ2年目の藤田征也が起用され、ボランチでは大塚、芳賀が主力として起用された事に加えてカウエ、鄭容臺の加入もあって上里がこの年にスタメンで起用された試合は1つもなく、砂川や石井謙伍が途中出場で起用に応える活躍を見せていた事、シーズン終盤に入るとプロ2年目の西大伍や高卒新人の岡本賢明が積極的に起用された事などもあってリーグ戦でベンチ入り出来たのも僅か8試合に留まり出場時間も7試合で82分であった[22]。その一方でチームはリーグ開幕から首位を独走しJ2優勝を果たすが上里個人としては非常に苦しいシーズンとなった。
2008年は前年にボランチのポジションを争ったカウエが退団したが、新たにクライトン、ディビッドソン純マーカスが加わり、新シーズン開幕後も依然として起用されない状態が続いた。しかし、前年からサテライトリーグ等でサイドバックやボランチとしての経験を積んで来た事が実を結び守備力やフィジカルの強さを身につけるなど成長を遂げ、8月27日のJ1第23節G大阪戦の後半33分に藤田征也と途中交代でJ1初出場を果たすと以降のリーグ戦で全試合に起用された。9月20日のJ1第25節千葉戦では後半3分に平岡康裕と途中交代で左サイドバックで起用されると札幌の攻撃の起点として活躍し、試合では敗れたものの千葉の守備陣を苦しめるなど[23]、途中出場ながら起用に応える働きを見せた。チームは8月以降1勝も出来ずに10月19日の柏戦で敗戦しJ2降格が決定してしまうが、リーグ戦終盤にはボランチでスタメン起用されるようになると、攻撃の中心として若手の藤田、西大伍らとの連携から何度もチャンスを作る場面が多く見られ、翌年以降の躍進を予感させる戦いぶりを見せた[24]。
2009年は新監督に就任した石崎信弘に指名されキャプテンに就任[25]。クラブ史上最年少での主将抜擢だった[26]。リーグ戦が開幕するとレギュラーとして主にボランチや左サイドバックで起用され[20][27]、チーム最多の48試合に出場(うち先発出場は47試合)し、出場時間もチームトップの西嶋弘之に次ぐ4,013分に到達するなど上里にとって飛躍の年となった。リーグ戦が始まると序盤こそ勝てない時期が続き、3月25日のJ2第4節湘南戦では試合開始早々にチームメイトのキリノと接触し裂傷を負い負傷退場してしまう不運にも見舞われたが[28][29]、続く3月29日J2第5節岡山戦で豪快なミドルシュートでシーズン初ゴールを挙げると[30]、4月からはチームも13試合連続で不敗を続けるなど好調を維持し攻守の要としてチームを牽引した[31]。また、得点能力の向上も見せており、上述の岡山戦でのゴールをはじめ、6月27日J2第24節仙台戦では左サイドの深い位置からゴールを決め[32][33]、8月5日J2第32節の福岡戦では自陣側センターサークル手前の推定65mの位置からロングループシュートを決めるなど[34][35][注 3]、持前の視野の広さとキックの精度を活かしたゴールも多く挙げ、9月20日のJ2第40節福岡戦ではプロ入り後初となる直接フリーキックを決めており[36]、最終的に自身最多となる6得点でシーズンを終えた。
2010年は前年終盤に若手の岩沼俊介が左サイドバックで台頭した事で主戦場をボランチに移し、同じく前線からポジションを移して来たプロ3年目の宮澤裕樹と共にダブルボランチを組みシーズンを戦った。このシーズンの初ゴールを4月11日J2第6節柏戦の後半3分にゴールから約40mの位置で直接フリーキックを豪快に決めると[37][38]、ここから自身初となる3試合連続ゴールを挙げ[39][40]、チームの攻撃の起点としてだけではなく自らも得点源となり活躍していたものの、その一方でチームは勝てない試合が続き下位に低迷してしまう。上里自身も7月に入ると怪我の影響でコンディションを落としてしまい、9月23日のJ2第27節柏戦では前半23分と同ロスタイムに立て続けにイエローカードを受けてしまいプロ7年目にして初の退場を経験した[41][注 4]。シーズンオフに入ると、クラブの財政問題が表面化し多くの主力選手が移籍をする中で上里自身もこの年にJ2降格が決定したFC東京からの獲得オファーを受け移籍を決断。翌2011年1月5日に同クラブへ期限付き移籍する事が発表された[42][43]。
FC東京
[編集]シーズン開幕前のキャンプでは左サイドハーフ、左サイドバックとしての適性も見せたが[44][45]、リーグ戦が始まるとこれらのポジションでは、前年にセリエAに移籍した長友佑都の穴を埋める活躍を見せていた中村北斗や、若手の田邉草民、椋原健太が主力として起用された。一方、監督の大熊清からは中盤での展開力を買われ[46][47]主にセグンド・ボランチ(攻撃型ボランチ)として梶山陽平らとポジションを争った[48](梶山を前線に押し上げる形での併用もあった[47])。リーグ戦では開幕戦以外の全試合にベンチ入りを果たし、出場時間こそ多くなかったものの起用された試合では期待に応える働きを見せ、チームがJ1昇格を決めた11月19日のJ2第36節鳥取戦では後半ロスタイムに移籍後初ゴールを挙げるなど[49] J2優勝に貢献した1人となった。また、同年開催の天皇杯でも2回戦以降の全試合にベンチ入りし、チームは優勝を果たすが上里の試合出場は適わなかった。シーズンオフの2012年1月10日にFC東京から上里の移籍期間満了が発表され[50]、同日、徳島ヴォルティスに期限付き移籍する事が所属元の札幌・徳島双方から相次いで発表された[51][52]。
徳島ヴォルティス
[編集]徳島では札幌在籍時と同じ背番号20を与えられ[53]、札幌時代の西嶋弘之、FC東京時代の鈴木達也とは再びチームメイトとなった。この年から新監督に就任した小林伸二の信頼を得て、リーグ戦が始まると主力ボランチとして起用され徳島の攻撃の起点としても活躍した[7]。開幕戦からスタメン出場を果たし勝利に貢献するが、間もなくチームは不調に陥り5月まで1勝も出来なくなり下位に低迷すると、同時期に上里自身も不調に陥ってしまい先発からも外れており、途中起用された4月30日のJ2第11節水戸戦では失点の起点になってしまうなど苦しい時期を過ごした[7][54]。以降は徐々に調子を取戻し安定した活躍を見せるが、チームの調子は今ひとつ上がらず最終的に15位に留まった。シーズン終了後にはJ2降格が決定した所属元の札幌より復帰要請を受け上里はこれを受諾[55]。翌2013年1月11日に上里の札幌復帰が正式に発表され[56][57]、プロ10年目となる節目のシーズンを古巣札幌で迎える事が決まった。
コンサドーレ札幌復帰
[編集]この年からは新監督に上里がかつてプロ入り後の3年間にコーチとして薫陶を受けた財前恵一が就任しており、同監督には前年から大幅に若返ったチーム[58] の中心選手として期待された[注 5]。2度の移籍を経て精神面や守備面で大きく成長[59]。献身的プレーを発揮できるようになり[60]、リーグ戦が開幕すると主力ボランチとして起用され、河合竜二、宮澤裕樹、高卒新人の深井一希、堀米悠斗らとポジションを争いながら、出場した試合では視野の広さと高精度の左足を活かしてテンポ良く配球し攻撃を展開[2][61]。多くの得点を演出するなど札幌の中盤において欠かせない働きを見せた。一方、チームは若手中心の布陣を余儀なくされていた事もあって序盤こそ敗戦が続いていたが、徐々に成績も上向くと6月8日J2第18節愛媛戦の前半5分に直接フリーキックを決め[62]、札幌復帰後の初ゴールを挙げる。7月にはJ1クラブから上里への正式な獲得オファーが届くが、これを断っていた事が報道によって明らかとなっており[63]、その後も攻守の要、精神的主柱として[64] 奮闘を続けていたが、9月19日に右膝前十字靱帯断裂の大けがを負い[65] 全治8ヶ月を要する事がクラブから発表され[66]、残りのシーズンを棒に振る事となってしまい、上里不在の中チームは後一歩のところでプレーオフ進出を逃した。
2014シーズンは怪我の影響を受けリハビリからスタート。5月の第15節愛媛FC戦で復帰し、試合前にはサポーターから「待ってたぜ上里!」という弾幕が掲げられた。復帰3戦目の水戸ホーリーホック戦では1ゴール1アシストの活躍[67]。攻撃の起点となる配球と中盤でのセカンドボール回収で[68] リズムを作り、シーズン終盤には松本戦、磐田戦で正確なフリーキック、湘南戦では強烈なミドルシュートを決めるなど得点能力の高さも示した。一方チームは、1試合を残しJ1昇格の可能性を消滅させてしまい、またも悔しいシーズンとなった。
2015シーズンはキャンプから監督のバルバリッチの信頼を掴み、開幕戦にスタメン出場を果たす。しかしその後深井や新加入の稲本の活躍の影響、さらに上里自身も調子を落とし、出場機会が減ってしまう。四方田修平への監督交代後は6試合連続でスタメンで起用されるなど調子を戻したかに見えたが、終盤はベンチ外になる試合もあり、この年は1ゴール0アシストと不本意なシーズンとなってしまった。アシストがないシーズンは上里にとって初めてだった。
2016シーズンは慢性的な股関節痛に苦しみ[69]、序盤は中々試合に絡むことができなかったが、稲本や宮澤の負傷により夏場にチャンスを得るとそれに応える動きを見せ、松本戦や清水戦という大事な試合で活躍。特に松本戦は最後までガムシャラに走り回り、ロスタイムにはパウリーニョのシュートをみぞおちでブロックし、気持ちが入ったプレーを見せた。しかしその後は前寛之の活躍や自身のケガの影響により再びメンバーから外される試合も少なくなかった。終盤の千葉戦、金沢戦ではスタメンで起用されるも、シーズン終了後契約満了により札幌を退団。
ロアッソ熊本
[編集]2017年、最初にオファーがあったという[70]ロアッソ熊本へ完全移籍。主にセントラルハーフでチームの中心選手となり、開幕戦ではコーナーキックから安柄俊の先制点をアシスト。平繁龍一は「一度カズさんを経由してから攻撃に行くことが多くなり、攻撃のパターンが増えた」と話すなど、チームからは新加入ながら絶大な信頼を得られている。その後は、第3節山形戦の後半アディショナルタイムにコーナーキックからGK佐藤昭大のヘディングゴールをアシストし、第5節大分戦ではJ2通算300試合出場を達成。また、「熊本地震復興支援マッチ」と釘打たれたJ2第8節松本戦で移籍後初のゴールとなる直接フリーキックを決めた。シーズン途中に監督が清川浩行から池谷友良へ交代するもコンスタントに試合出場を重ね、この年は結局28試合に出場し1ゴール4アシストの成績を残した。
2018年、札幌時代に発症した慢性的な股関節痛が再発しシーズン開幕前のキャンプから負傷離脱となり、実戦復帰は第21節松本戦までズレ込んだ。その後もケガの影響で短時間のみの出場となりながらも、持ち味である視野の広さと正確なパスで熊本の攻撃を支え続け、J2第28節横浜FC戦でシーズン初の先発出場と同時に熊本移籍後初のゲームキャプテンに指名された。つづく第29節岐阜戦ではプロ入り後初となるヘディングシュートを決め、第31節山形戦で実戦復帰後初のフルタイム出場を果たした。が、出番は限定的であり、 同シーズンをもって契約満了となり退団した[71]。
FC琉球
[編集]2019年、出身地・沖縄県を本拠地に置くFC琉球に加入[72]。 J2初年度の琉球をキャプテンとして支え、40試合に出場し4ゴール2アシストと琉球の中盤に必要不可欠な存在となった。鋭い楔のパスやサイドチェンジ、強烈なミドルシュート、粘り強い守備など全盛期を彷彿とさせるプレーを連発し、情報誌サッカーキングJ2優秀選手賞を受賞した。その活躍を見たアルビレックス新潟から夏に獲得オファーが届いたが、地元沖縄に貢献したいという思いから残留を決断した。
2020年8月1日、第9節のファジアーノ岡山FC戦でJ通算400試合出場を達成[73]。
2021年10月26日、練習中に右膝半月板損傷の負傷。同年11月15日に手術を受けた[74]。
2022年11月18日、シーズン終了後契約満了により琉球を退団[75]。
2023年2月7日、現役引退を発表。
現役引退後
[編集]2023年2月7日、現役引退と同時にFC琉球アカデミーのロールモデルコーチに就任することが発表された[76]。 2023年10月24日、Jリーグ功労選手賞の受賞が決定[77]。
プレースタイル
[編集]視野の広さからくるキラーパスと、精度の高いプレースキック[78] が持ち味。プロ入り当初は攻撃的MF(トップ下)だったが、ボランチや左サイドハーフ、左サイドバックなど、複数のポジションをこなせるようになった。強烈なミドルシュートも得意としており、隙があればどこからでも狙ってくる積極的な姿勢も魅力のひとつ。試合の流れを読むゲームコントロール、チーム全体をまとめる統率力やキャプテンシーも備えている。
所属クラブ
[編集]- 平良市立南小学校[1]
- 平良市立平良中学校[1]
- 沖縄県立宮古高等学校
- 2004年 - 2016年 コンサドーレ札幌 / 北海道コンサドーレ札幌
- 2017年 - 2018年 ロアッソ熊本
- 2019年 - 2022年 FC琉球
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2004 | 札幌 | 24 | J2 | 17 | 0 | - | 4 | 1 | 21 | 1 | |
2005 | 19 | 23 | 2 | - | 0 | 0 | 23 | 2 | |||
2006 | 20 | 22 | 1 | - | 3 | 0 | 25 | 1 | |||
2007 | 7 | 0 | - | 1 | 0 | 8 | 0 | ||||
2008 | J1 | 12 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 14 | 0 | ||
2009 | J2 | 48 | 6 | - | 1 | 0 | 49 | 6 | |||
2010 | 28 | 4 | - | 1 | 0 | 29 | 4 | ||||
2011 | FC東京 | 32 | 17 | 1 | - | 0 | 0 | 17 | 1 | ||
2012 | 徳島 | 20 | 32 | 0 | - | 1 | 0 | 33 | 0 | ||
2013 | 札幌 | 30 | 1 | - | 0 | 0 | 30 | 1 | |||
2014 | 26 | 4 | - | 0 | 0 | 26 | 4 | ||||
2015 | 27 | 1 | - | 1 | 0 | 28 | 1 | ||||
2016 | 18 | 0 | - | 0 | 0 | 18 | 0 | ||||
2017 | 熊本 | 28 | 1 | - | 1 | 1 | 29 | 2 | |||
2018 | 16 | 1 | - | 0 | 0 | 16 | 1 | ||||
2019 | 琉球 | 40 | 4 | - | 0 | 0 | 40 | 4 | |||
2020 | 42 | 2 | - | - | 42 | 2 | |||||
2021 | 34 | 2 | - | 0 | 0 | 34 | 2 | ||||
2022 | 21 | 1 | - | 1 | 0 | 22 | 1 | ||||
通算 | 日本 | J1 | 12 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 14 | 0 | |
日本 | J2 | 476 | 31 | - | 14 | 2 | 489 | 33 | |||
総通算 | 488 | 31 | 1 | 0 | 15 | 2 | 504 | 33 |
- 出場歴
- 2004年5月19日:J2初出場 - J2第13節 vs水戸ホーリーホック (厚別)
- 2004年11月14日:公式戦初得点 - 天皇杯4回戦 vsジェフユナイテッド市原 (室蘭)
- 2005年5月21日:J2初得点 - J2第13節 vs湘南ベルマーレ (平塚)
- 2008年8月27日:J1初出場 - J1第23節 vsガンバ大阪 (厚別)
- 2009年:J2 100試合出場 - 8月 5日J2第32節 vsアビスパ福岡 (厚別)
- 2013年:J2 200試合出場 - 4月 7日J2第 vs 7節ファジアーノ岡山FC (カンスタ)
- 2017年3月26日:J2 300試合出場 - J2第 vs 5節大分トリニータ (えがお健康スタジアム)[79]
脚注
[編集]- 注釈
- ^ 同校出身の上里琢文(京都サンガF.C.に2009年加入)とは名字が同じだが血縁関係はない。
- ^ この年の札幌は外国籍選手やJクラブからの補強は一切しておらず、地域リーグでプレーをしていた元磐田の清野智秋以外、2名の大卒新人と6人の高卒新人のみという極端なものだった。
- ^ Jリーグ公式記録としてはGKのものなど80m以上の位置からのゴールもあるが、これらは多くの場合FKが一度相手GK前で弾み、頭上を越えて決まっていることに対し、上里のゴールはその位置からゴールを狙い、意図どおり相手GKの頭上を越えて直接ゴールネットに突き刺さる[35]という高難度のものであった。
- ^ この試合では上里とダブルボランチを組んだ宮澤裕樹も後半28分、同34分にイエローカードを受けプロ入り後初退場を経験している。
- ^ 上里の札幌復帰には新監督に就任が決定した財前の強い要望があったとされ[55]、この年の札幌は20歳以下の選手が11人在籍するなど、チームの平均年齢も23.6歳と上里が入団した2004年を彷彿させる極端な陣容だった。
- 出典
- ^ a b c d 『コンサドーレ札幌オフィシャル・ガイドブック2014』北海道新聞社、2014年、47頁 。
- ^ a b c 『Jリーグ選手名鑑2014 エルゴラッソ特別編集』2014年、176頁。
- ^ a b “宮古高校 上里一将 選手 2004年新加入選手内定のお知らせ”. 2004年2月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月24日閲覧。 コンサドーレ札幌 (2003年11月22日)
- ^ 上里 一将選手 財界さっぽろ[リンク切れ]
- ^ a b c d EPISODE.4 - 上里 一将 2009 選手スペシャルインタビュー
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- ^ a b c VOICE2012 Vol.40 上里 一将 徳島ヴォルティス オフィシャルサイト
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- ^ 【J2:第26節】湘南 vs 札幌:試合終了後の各選手コメント J's GOAL (04.08.08)
- ^ 【J2:第27節 札幌 vs 川崎F プレビュー】首位・川崎F、勝者のマインドをもって勝ち点3を取り戻せるか? J's GOAL (04.08.10)
- ^ 【J2:第26節】湘南 vs 札幌:柳下正明監督(札幌)記者会見コメント J's GOAL (04.08.08)
- ^ “上里一将選手の負傷について”. 2004年8月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月24日閲覧。 コンサドーレ札幌 (2004年8月9日)
- ^ 【天皇杯4回戦:札幌 vs 市原 レポート】前線、中盤の途中出場陣が活躍。J2最下位札幌が延長VゴールでJ1市原に金星 J's GOAL (04.11.15)
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- ^ 2017明治安田生命J2リーグ第5節 上里一将 選手(熊本)J2通算300試合出場達成 Jリーグ (2017年3月26日)
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 上里一将 - Soccerway.com
- 上里一将 - FootballDatabase.eu
- 上里一将 - WorldFootball.net
- 上里一将 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 上里一将 - J.League Data Siteによる選手データ
- kazu life - ウェイバックマシン(2010年8月8日アーカイブ分) - 公式ブログ
- 上里一将 (100002750170389) - Facebook
- プロフィール - ウェイバックマシン(2007年10月24日アーカイブ分) - WEBサッカーマガジン (2007年2月13日)
- プロフィール (2011年) - ウェイバックマシン(2011年11月1日アーカイブ分) - FC東京
- プロフィール (2012年) - ウェイバックマシン(2012年7月18日アーカイブ分) - 徳島ヴォルティス
- プロフィール (2016年) - ウェイバックマシン(2016年8月26日アーカイブ分) - 北海道コンサドーレ札幌
- プロフィール - ロアッソ熊本