「上里一将」の版間の差分
m ボット: 言語間リンク 5 件をウィキデータ上の d:q2092923 に転記 |
編集の要約なし タグ: サイズの大幅な増減 |
||
(3人の利用者による、間の3版が非表示) | |||
31行目: | 31行目: | ||
'''上里一将'''(うえさと かずまさ、[[1986年]][[3月13日]] - )は、[[沖縄県]][[宮古島市]](旧[[平良市]])出身の[[プロフェッショナル (サッカー)|サッカー選手]]([[ミッドフィールダー|MF]])である。 |
'''上里一将'''(うえさと かずまさ、[[1986年]][[3月13日]] - )は、[[沖縄県]][[宮古島市]](旧[[平良市]])出身の[[プロフェッショナル (サッカー)|サッカー選手]]([[ミッドフィールダー|MF]])である。 |
||
⚫ | |||
⚫ | |||
小学1年生の時に友人の誘いでサッカーを始め<ref>[http://www.zaikaisapporo.co.jp/sports/consa/3.shtml 上里 一将選手] 財界さっぽろ</ref>、3年生から本格的に打ち込むようになる<ref name="uesato3">[http://www.consadole.net/s_interv/article/4 EPISODE.4 - 上里 一将] 2009 選手スペシャルインタビュー</ref>。当時は身長に恵まれず、中学校に入学した時点で138cmしかなかった事もあって<ref name="uesato3" />所属チームの練習後に1人居残り左足の技術を徹底的に磨き続けた<ref name="uesato3" />。中学校卒業後は地元の高校で、上里の中学3年生次に[[第79回全国高等学校サッカー選手権大会|全国高等学校サッカー選手権大会]]への初出場を果たした[[沖縄県立宮古高等学校]]に進学<ref group="注">同校出身の[[上里琢文]]([[京都サンガF.C.]]に2009年加入)とは名字が同じだが血縁関係はない。</ref>。高校の3年間で全国大会の出場は適わず、個人としても代表や選抜に招集された経験もなかった為に全国的には無名の存在だったが、当時から攻撃的な中盤の選手としてボールコントロールには定評があり<ref name="uesato2">[http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-119834-storytopic-86.html 初ゴール決め充実 コンサドーレ札幌・上里] 琉球新報 (04.12.31)</ref>、その才能を評価した[[Jリーグ ディビジョン2|J2]]の[[コンサドーレ札幌]]より誘いを受け、[[2003年]][[11月22日]]に同クラブより上里の獲得が発表された<ref>[http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00003549&search%5Bkeyword%5D=%8F%E3%97%A2 宮古高校 上里一将 選手 2004年新加入選手内定のお知らせ] J's GOAL (03.11.22)</ref>。同校出身者、並びに[[宮古島]]出身者として初のJリーガーとなった<ref name="uesato2" /><ref name="uesato4">[http://www.vortis.jp/fan/voice/vol40.html 上里 一将] 徳島ヴォルティス オフィシャルサイト</ref>。上里は日本最南端でプレーする自分に届いた日本最北端のプロクラブからのオファーに「いったいどこで僕のプレーを見ていたのだろう?」と思ったという<ref name="uesato3" />。 |
|||
⚫ | |||
⚫ | |||
⚫ | |||
[[2004年]]は背番号24を与えられ、この年に新監督に就任した[[柳下正明]]の指導の下、クラブが若手育成路線に方針転換を図った最初の年という事もあって<ref group="注">この年の札幌は外国籍選手やJクラブからの補強は一切しておらず、地域リーグでプレーをしていた元[[ジュビロ磐田|磐田]]の[[清野智秋]]以外、2名の大卒新人と6人の高卒新人のみという極端なものだった。</ref>、高卒新人ながら早くから出場機会が与えられ、[[ミッドフィールダー#攻撃的ミッドフィールダー|トップ下]]をはじめ[[ミッドフィールダー#守備的ミッドフィールダー|ボランチ]]でも起用された。トップ下のポジションには[[砂川誠]]という絶対的な存在がおり、シーズン序盤に主力選手で同ポジションも務められる[[三原廣樹]]が大怪我を負って長期離脱した事もあって、このポジションの2番手を同じく高卒新人で同期入団の[[桑原剛]]と激しく争った。[[5月19日]]J2第13節[[水戸ホーリーホック|水戸]]戦の後半36分に砂川誠と途中交代で公式戦初出場を果たすが、翌[[6月]]には左足を骨折し離脱した<ref>[http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00008905&search%5Bkeyword%5D=%8F%E3%97%A2 上里一将選手の負傷について] J's GOAL (04.06.25)</ref>。戦列に復帰すると、[[8月8日]]のJ2第26節[[湘南ベルマーレ|湘南]]戦で初の[[スターティングメンバー|スタメン]]出場を果たす。この試合ではボランチで起用されたが<ref>[http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00010243&search%5Bkeyword%5D=%8F%E3%97%A2 【J2:第26節】湘南 vs 札幌:試合終了後の各選手コメント] J's GOAL (04.08.08)</ref>、試合中に肉離れを起こした為に<ref>[http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00010293&search%5Bkeyword%5D=%8F%E3%97%A2 【J2:第27節 札幌 vs 川崎F プレビュー】首位・川崎F、勝者のマインドをもって勝ち点3を取り戻せるか?] J's GOAL (04.08.10)</ref>前半で交代となり<ref>[http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00010242&search%5Bkeyword%5D=%8F%E3%97%A2 【J2:第26節】湘南 vs 札幌:柳下正明監督(札幌)記者会見コメント] J's GOAL (04.08.08)</ref>、再度の離脱を余儀なくされた<ref>[http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00010291&search%5Bkeyword%5D=%8F%E3%97%A2 上里一将選手の負傷について] J's GOAL (04.08.10)</ref>。復帰後は途中出場ながら毎試合に起用され続け、[[9月]]からは先発で起用されるようになると、[[11月14日]][[第84回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]4回戦[[ジェフユナイテッド市原・千葉|市原]]戦の後半34分に約30mの距離からミドルシュートを決め<ref>[http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00013546&search%5Bkeyword%5D=%8F%E3%97%A2 【天皇杯4回戦:札幌 vs 市原 レポート】前線、中盤の途中出場陣が活躍。J2最下位札幌が延長VゴールでJ1市原に金星] J's GOAL (04.11.15)</ref>公式戦初ゴールを挙げた。その一方で、チームは若手中心の布陣の為に他チームとの戦力差が顕著に見られ、リーグ戦では序盤から最下位に沈んでしまい、上里がリーグ戦に出場した全17試合のうち勝利を挙げられたのも僅か1勝だった。 |
|||
[[2005年]]は背番号を19に変更<ref>[http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00015458&search%5Bkeyword%5D=%8F%E3%97%A2 2005年 スタッフ・選手について] J's GOAL (05.01.17)</ref>。リーグ戦序盤こそ途中交代でボランチでの起用が目立ったものの、[[4月]]からチームが3-5-2のフォーメーションにトップ下を2枚を置く攻撃的な布陣を採用するとトップ下でレギュラーとして定着し、砂川誠と共に札幌の攻撃を牽引し多くの得点機を演出する活躍を見せる。[[5月21日]]のJ2第13節湘南戦でリーグ戦初ゴールを挙げ勝利に貢献し、[[6月25日]]第18節[[横浜FC]]戦ではミドルシュートを決め、札幌の公式戦通算100勝となる勝利に貢献した<ref>[http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00020767&search%5Bkeyword%5D=%8F%E3%97%A2 【J2:第18節 横浜FC vs 札幌 レポート】通算500ゴールに100勝。札幌のメモリアルな勝利の前に、横浜FCはまたも勝ち点3ならず] J's GOAL (05.06.26)</ref>。これらの上里の活躍と成長を裏付けるように、リーグ戦中盤にかけてチームの成績も向上し一時は3位につけるなど上位争いを演じる立役者の1人となる<ref>[http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00029394&search%5Bkeyword%5D=%8F%E3%97%A2 【2006シーズン 戦力分析レポート:札幌編】機は熟した! 昇格をつかみ取る勝負のシーズン] J's GOAL (06.02.14)</ref>。ところが、[[8月21日]]に行われた練習試合で左ひざ[[前十字靭帯]]損傷の大怪我を負い、シーズンの残りを棒に振った<ref>[http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00023114&search%5Bkeyword%5D=%8F%E3%97%A2 上里 一将選手の負傷について] J's GOAL (05.08.27)</ref>。 |
|||
⚫ | |||
[[沖縄県立宮古高等学校|宮古高校]]<ref group="注">同校出身の[[上里琢文]]([[京都サンガF.C.]]に2009年加入)とは名字が同じだが血縁関係はない。</ref>から[[2004年]]に[[コンサドーレ札幌]]に加入。[[宮古島]]初のJリーガーとなる。高校時代に全国大会出場などの経験はなかったものの、ルーキーイヤーの2004年から[[ミッドフィールダー#攻撃的ミッドフィールダー|トップ下]]として中盤の一翼をにない、2005年にはレギュラーとして定着。しかし同年8月末の練習試合で左ひざ[[前十字靭帯]]断裂の大怪我を負い、シーズンの残りを棒に振った。翌[[2006年]][[7月8日]]の[[愛媛FC|愛媛]]戦で途中出場し、約11ヶ月ぶりに試合復帰を果たした。復帰後は[[ミッドフィールダー#守備的ミッドフィールダー|ボランチ]]としての起用が多かったが、[[8月19日]]の[[ベガルタ仙台|仙台]]戦で途中出場しトップ下に入ると1アシスト1ゴールと活躍した。 |
|||
[[2006年]]からは背番号を20に変更<ref>[http://www.consadole-sapporo.jp/news/2006/01/007079.html 2006年 コンサドーレ札幌スタッフ・選手について] コンサドーレ札幌公式サイト (06.01.16)</ref>。前年に負った怪我の影響は大きく、チームに合流後もコンディションを取り戻せずにいた事や、上里が離脱していた間にクラブが代役として補強した[[西谷正也]]が期待に見合う活躍を見せていた事、同期入団で同い年の[[鈴木智樹]]をはじめ、この年に移籍加入した[[大塚真司]]、[[芳賀博信]]、[[関隆倫]]らが主力に定着していた事などもあり、公式戦の復帰までには実に11ヶ月を要する事となった。[[7月8日]]のJ2第26節[[愛媛FC|愛媛]]戦の後半19分に[[西嶋弘之]]と途中交代で実戦復帰を果たすと、以降も途中出場ながら主にボランチで起用され続け、[[8月19日]]のJ2第34節[[ベガルタ仙台|仙台]]戦の後半20分に砂川誠に代わり途中出場しトップ下に入ると、後半41分に[[石井謙伍]]のゴールをアシストし、続く44分にはゴールまで約35mの位置から自身もミドルシュートを決め勝利に貢献するなど<ref>[http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00036974&search%5Bkeyword%5D=%8F%E3%97%A2 【J2:第34節 札幌 vs 仙台 レポート】二十歳のレフティー・上里カズが厚別に歓喜を呼んだ。仙台は鬼門・厚別の壁をまたしても打ち破れず。] J's GOAL (06.08.20)</ref>存在感を示し、リーグ終盤には先発でも起用された。 |
|||
監督が[[三浦俊也]]に代わった2007年は、守備力のある選手を重視する起用方針のために出場機会が激減。しかしサテライトリーグ等で[[ディフェンダー_(サッカー)#サイドバック|サイドバック(SB)]]やボランチとしての経験を積むことで守備力やフィジカルの強さを身につけ、2008年後半から再び出場機会をつかんだ。 |
|||
[[2007年]]、監督が[[三浦俊也]]に代わると守備力のある選手を重視しメンバーを固定する起用方針のために出場機会が激減する。前年までの3-5-2のフォーメーションからトップ下を置かない4-4-2に代わり、攻撃的な中盤では西谷正也、砂川誠、プロ2年目の[[藤田征也]]が起用され、ボランチでは大塚真司、芳賀博信が主力として起用された事に加えて[[カウエ・サントス・ダ・マッタ|カウエ]]、[[鄭容臺]]の加入もあって上里がこの年にスタメンで起用された試合は1つもなく、砂川誠や石井謙伍が途中出場で起用に応える活躍を見せていた事、シーズン終盤に入るとプロ2年目の[[西大伍]]や高卒新人の[[岡本賢明]]が積極的に起用された事などもあってリーグ戦でベンチ入り出来たのも僅か8試合に留まり出場時間も7試合で82分であった<ref>[http://www.j-league.or.jp/data/view.php?c=sapporo&t=p_record&g=j2_1&y=2007 選手出場記録 コンサドーレ札幌 2007Jリーグ ディビジョン2] J.LEAGUE 公式記録</ref>。その一方でチームはリーグ開幕から首位を独走しJ2優勝を果たすが上里個人としては非常に苦しいシーズンとなった。 |
|||
2009年は[[石崎信弘]]監督に指名され[[主将#サッカーにおける主将|キャプテン]]に就任。レギュラーとして、主にボランチや左SBで起用された。[[8月5日]]第32節の[[アビスパ福岡|福岡]]戦において、自陣側センターサークル手前の推定65mの位置からロングループシュートを決めた<ref name="nikkan2009">[http://www.nikkansports.com/soccer/news/p-sc-tp0-20090806-527847.html 札幌MF上里が65メートル弾 / J2] [[日刊スポーツ]] 2009.08.06</ref>{{Refnest|group="注"|Jリーグ公式記録としては[[ゴールキーパー (サッカー)|GK]]のものなど80m以上の位置からのゴールもあるが、これらは多くの場合[[フリーキック (サッカー)|FK]]が一度相手GK前で弾み、頭上を越えて決まっていることに対し、上里のゴールはその位置からゴールを狙い、意図どおり相手GKの頭上を越えて直接ゴールネットに突き刺さる<ref name="nikkan2009" />という難易度の高いものであった。}}。得点能力の向上も見せ最終的に6得点でシーズンを終えた。2010年も年間を通して出場し、4得点を挙げる。 |
|||
[[2008年]]は前年にボランチのポジションを争ったカウエが退団したが、新たに[[クライトン・アルベルト・フォントーラ・ドス・サントス|クライトン]]、[[ディビッドソン純マーカス]]が加わり、新シーズン開幕後も依然として起用されない状態が続いた。しかし、前年からサテライトリーグ等で[[ディフェンダー_(サッカー)#サイドバック|サイドバック]]やボランチとしての経験を積んで来た事が実を結び守備力やフィジカルの強さを身につけるなど成長を遂げ、[[8月27日]]のJ1第23節[[ガンバ大阪|G大阪]]戦の後半33分に藤田征也と途中交代でJ1初出場を果たすと以降のリーグ戦で全試合に起用された。[[9月20日]]のJ1第25節[[ジェフユナイテッド市原・千葉|千葉]]戦では後半3分に[[平岡康裕]]と途中交代で左サイドバックで起用されると札幌の攻撃の起点として活躍し、試合では破れたものの千葉の守備陣を苦しめるなど<ref>[http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00071359&search%5Bkeyword%5D=%8F%E3%97%A2 【J1:第25節 札幌 vs 千葉】レポート:17位千葉vs18位札幌の直接対決は得点の奪い合いの末、千葉が勝利。勝点を24へと伸ばして16位・磐田に迫る] J's GOAL (08.09.21)</ref>、途中出場ながら起用に応える働きを見せた。チームは[[8月]]以降1勝も出来ずに[[10月19日]]の[[柏レイソル|柏]]戦で敗戦しJ2降格が決定してしまうが、リーグ戦終盤にはボランチでスタメン起用されるようになると、攻撃の中心として若手の藤田征也、西大伍らとの連携から何度もチャンスを作る場面が多く見られ、翌年以降の躍進を予感させる戦いぶりを見せた<ref>[http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00075917&search%5Bkeyword%5D=%8F%E3%97%A2 【ゆく年くる年】コンサドーレ札幌2008ベストゲーム:J1第16節 千葉vs札幌(@フクアリ:7月13日)] J's GOAL (08.12.30)</ref>。 |
|||
[[2011年]]は[[FC東京]]へ期限付き移籍。左[[ミッドフィールダー#サイド・ミッドフィールダー|サイドハーフ(SH)]]、左SBとしての適性も見せたが<ref>[http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/fctokyo/news/201101/CK2011012602000091.html 万能レフティー上里 3役お任せ] [[東京中日スポーツ]]、2011.01.26</ref>、中盤での展開力を買われ<ref>[http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/fctokyo/news/201105/CK2011050702000066.html 上里、ボランチで新司令塔に 高精度パスで攻撃活性化させる] [[東京中日スポーツ]]、2011.05.07</ref><ref name="js2011" />主に[[ミッドフィールダー#攻撃型|セグンド・ボランチ(攻撃型ボランチ)]]として[[梶山陽平]]らとポジションを争った<ref>[http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/fctokyo/news/201111/CK2011110102000070.html 大熊監督 ボランチ上里を評価] [[東京中日スポーツ]]、2011.11.01</ref>(梶山を前線に押し上げる形での併用もあった<ref name="js2011">[http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00118529.html 【J2:第11節 FC東京 vs 富山】プレビュー] [[J's GOAL]]、2011.05.08</ref>)。 |
|||
[[2009年]]は新監督に就任した[[石崎信弘]]に指名され[[主将#サッカーにおける主将|キャプテン]]に就任<ref>[http://www.consadole-sapporo.jp/news/2009/02/008518.html 2009年 コンサドーレ札幌 キャプテン・副キャプテン決定のお知らせ] コンサドーレ札幌公式サイト (09.02.21)</ref>。リーグ戦が開幕するとレギュラーとして主にボランチや左サイドバックで起用され、チーム最多の48試合に出場(うち先発出場は47試合)し、出場時間もチームトップの[[西嶋弘之]]に次ぐ4,013分に到達するなど上里にとって飛躍の年となった。リーグ戦が始まると序盤こそ勝てない時期が続き、[[3月25日]]のJ2第4節湘南戦では試合開始早々にチームメイトの[[チアゴ・キリーノ・ダ・シウヴァ|キリノ]]と接触し裂傷を負い負傷退場してしまう不運にも見舞われたが<ref>[http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00079764&search%5Bkeyword%5D=%8F%E3%97%A2 【J2:第4節 札幌 vs 湘南】石崎信弘監督(札幌)記者会見コメント] J's GOAL (09.03.25)</ref><ref>[http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00079791&search%5Bkeyword%5D=%8F%E3%97%A2 【J2:第4節 札幌 vs 湘南】レポート:終了間際に一瞬のスキを突いた湘南が敵地で劇的勝利! 札幌も敗れはしたが、内容では湘南を圧倒していた。] J's GOAL (09.03.26)</ref>、続く[[3月29日]]J2第5節[[ファジアーノ岡山FC|岡山]]戦で豪快なミドルシュートでシーズン初ゴールを挙げると<ref>[http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00080251&search%5Bkeyword%5D=%8F%E3%97%A2 【J2:第6節 熊本 vs 札幌】プレビュー:共に1勝1分3敗と波に乗れない熊本と札幌。南北決戦を制し、第1クール中盤に向けて上昇気流に乗るのはどちらか。] J's GOAL (09.04.05)</ref>、[[4月]]からはチームも13試合連続で不敗を続けるなど好調を維持し攻守の要としてチームを支えた。また、得点能力の向上も見せており、上述の岡山戦でのゴールをはじめ、[[6月27日]]J2第24節[[ベガルタ仙台|仙台]]戦では左サイドの深い位置からゴールを決め<ref>[http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00084953&search%5Bkeyword%5D=%8F%E3%97%A2 【J2:第24節 仙台 vs 札幌】試合終了後の各選手コメント] J's GOAL (09.06.27)</ref><ref>[http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00084994&search%5Bkeyword%5D=%8F%E3%97%A2 【J2:第24節 仙台 vs 札幌】レポート:コントロールされた戦い方の中、前半は札幌、後半は仙台に主導権。1-1の結果に見える、手応えと課題。] J's GOAL (09.06.28)</ref>、[[8月5日]]J2第32節の[[アビスパ福岡|福岡]]戦では自陣側センターサークル手前の推定65mの位置からロングループシュートを決めるなど<ref>[http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00087282&search%5Bkeyword%5D=%8F%E3%97%A2 【J2:第32節 札幌 vs 福岡】レポート:札幌がホームで3得点完勝!プロ初先発となったMF古田寛幸が力強く攻撃を牽引してみせた。] J's GOAL (09.08.06)</ref><ref name="nikkan2009">[http://www.nikkansports.com/soccer/news/p-sc-tp0-20090806-527847.html 札幌MF上里が65メートル弾 / J2] [[日刊スポーツ]] 2009.08.06</ref>{{Refnest|group="注"|Jリーグ公式記録としては[[ゴールキーパー (サッカー)|GK]]のものなど80m以上の位置からのゴールもあるが、これらは多くの場合[[フリーキック (サッカー)|FK]]が一度相手GK前で弾み、頭上を越えて決まっていることに対し、上里のゴールはその位置からゴールを狙い、意図どおり相手GKの頭上を越えて直接ゴールネットに突き刺さる<ref name="nikkan2009" />という難易度の高いものであった。}}、持前の視野の広さとキックの精度を活かしたゴールも多く挙げ、[[9月20日]]のJ2第40節福岡戦ではプロ入り後初となる直接フリーキックを決めており<ref>[http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00089690&search%5Bkeyword%5D=%8F%E3%97%A2 【J2:第40節 札幌 vs 福岡】レポート:膠着したゲームはセットプレーが勝敗を分けた。上里一将の直接FKが札幌に歓喜の勝点3を呼び込んだ!] J's GOAL (09.09.21)</ref>、最終的に自身最多となる6得点でシーズンを終えた。 |
|||
⚫ | |||
[[2010年]]は前年終盤に若手の[[岩沼俊介]]が左サイドバックで台頭した事で主戦場をボランチに移し、同じく前線からポジションを移して来たプロ3年目の[[宮澤裕樹]]と共にダブルボランチを組みシーズンを戦った。このシーズンの初ゴールを[[4月11日]]J2第6節[[柏レイソル|柏]]戦の後半3分にゴールから約40mの位置で直接フリーキックを豪快に決めると<ref>[http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00099583&search%5Bkeyword%5D=%8F%E3%97%A2 【J2:第6節 札幌 vs 柏】レポート:双方にファインゴールが生まれた熱戦。柏のハイレベルなプレーぶりと、札幌の伸びシロが感じられたドローゲームだった。] J's GOAL (10.04.12)</ref>、ここから自身初となる3試合連続ゴールを挙げ<ref>[http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00100626&search%5Bkeyword%5D=%8F%E3%97%A2 【J2:第9節 甲府 vs 札幌】レポート:成長を実感。4ゴール、4連勝で甲府が昇格圏内入り] J's GOAL (10.04.30)</ref><ref>[http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00100664&search%5Bkeyword%5D=%8F%E3%97%A2 【J2:第10節 熊本 vs 札幌】プレビュー:熊本がいい流れを維持するか、それとも札幌が悪い流れを断ち切るか。注目の南北決戦。] J's GOAL (10.05.02)</ref>、チームの攻撃の起点としてだけではなく自らも得点源となり活躍していたものの、その一方でチームは勝てない試合が続き下位に低迷してしまう。上里自身も[[7月]]に入ると怪我の影響でコンディションを落としてしまい、[[9月23日]]のJ2第27節柏戦では前半23分と同ロスタイムに立て続けに[[イエローカード]]を受けてしまいプロ7年目にして初の退場を経験した<ref>[http://www.consadole-sapporo.jp/info/topteam/2010/detail/27_100923.html 2010 J LEAGUE DIVISION 2 第27節 vs 柏レイソル] コンサドーレ公式サイト</ref><ref group="注">この試合では上里とダブルボランチを組んだ[[宮澤裕樹]]も後半28分、同34分にイエローカードを受けプロ入り後初退場を経験している。</ref>。シーズンオフに入ると、クラブの財政問題が表面化し多くの主力選手が移籍をする中で上里自身もこの年にJ2降格が決定した[[FC東京]]からの獲得オファーを受け移籍を決断。翌[[2011年]][[1月5日]]に同クラブへ[[期限付き移籍]]する事が発表された<ref>[http://www.consadole-sapporo.jp/news/2011/01/000500.html コンサドーレ札幌 上里一将選手 FC東京へ期限付き移籍のお知らせ] コンサドーレ公式サイト (11.01.05)</ref>。 |
|||
[[2013年]]は札幌へ復帰<ref>[http://www.consadole-sapporo.jp/news/2013/01/013751.html 上里 一将 選手 徳島ヴォルティスより復帰のお知らせ] [[コンサドーレ札幌]]、2013.01.11</ref>。 |
|||
=== FC東京 === |
|||
背番号は前年に[[前田俊介]]が背負っていた背番号32を与えられる。この年のF東京はJ2ながら[[サッカー日本代表|日本代表]]の[[今野泰幸]]、[[権田修一]]、[[石川直宏]]をはじめ、[[徳永悠平]]、[[森重真人]]、[[高橋秀人]]、[[梶山陽平]]ら実力者を擁し、Jリーグ全体としても屈指の戦力を誇っていた為に激しいポジション争いを強いられた。シーズン開幕前のキャンプでは左[[ミッドフィールダー#サイド・ミッドフィールダー|サイドハーフ]]、左サイドバックとしての適性も見せたが<ref>[http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/fctokyo/news/201101/CK2011012602000091.html 万能レフティー上里 3役お任せ] [[東京中日スポーツ]]、2011.01.26</ref><ref>[http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00113673&search%5Bkeyword%5D=%8F%E3%97%A2 【2011キャンプレポート:F東京】2月10日(木)阿久根謙司社長がキャンプに帯同。選手たちとのコミュニケーションを深める] J's GOAL (11.02.10)</ref>、リーグ戦が始まるとこれらのポジションでは、前年に[[セリエA (サッカー)|セリエA]]に移籍した[[長友佑都]]の穴を埋める活躍を見せていた[[中村北斗]]や、若手の[[田邉草民]]、[[椋原健太]]が主力として起用された。一方、監督の[[大熊清]]からは中盤での展開力を買われ<ref>[http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/fctokyo/news/201105/CK2011050702000066.html 上里、ボランチで新司令塔に 高精度パスで攻撃活性化させる] [[東京中日スポーツ]]、2011.05.07</ref><ref name="js2011" />主に[[ミッドフィールダー#攻撃型|セグンド・ボランチ(攻撃型ボランチ)]]として梶山陽平らとポジションを争った<ref>[http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/fctokyo/news/201111/CK2011110102000070.html 大熊監督 ボランチ上里を評価] [[東京中日スポーツ]]、2011.11.01</ref>(梶山を前線に押し上げる形での併用もあった<ref name="js2011">[http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00118529.html 【J2:第11節 FC東京 vs 富山】プレビュー] [[J's GOAL]]、2011.05.08</ref>)。リーグ戦では開幕戦以外の全試合にベンチ入りを果たし、出場時間こそ多くなかったものの起用された試合では期待に応える働きを見せ、チームがJ1昇格を決めた[[11月19日]]のJ2第36節[[ガイナーレ鳥取|鳥取]]戦では後半ロスタイムに移籍後初ゴールを挙げるなど<ref>[http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00128835&search%5Bkeyword%5D=%8F%E3%97%A2 【J2:第36節 鳥取 vs F東京】鳥取側レポート:J1昇格を争うクラブとの歴然たる差。鳥取は1点こそ奪ったものの、大量失点に沈む。] J's GOAL (11.11.20)</ref>J2優勝に貢献した1人となった。また、同年開催の[[第91回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]でも2回戦以降の全試合にベンチ入りし、チームは優勝を果たすが上里の試合出場は適わなかった。シーズンオフの[[2012年]][[1月10日]]にF東京から上里の移籍期間満了が発表され<ref>[http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00131098&search%5Bkeyword%5D=%8F%E3%97%A2 上里一将選手 期限付き移籍期間満了のお知らせ] J's GOAL (12.01.10)</ref>、同日、[[徳島ヴォルティス]]に期限付き移籍する事が所属元の札幌・徳島双方から相次いで発表された<ref>[http://www.consadole-sapporo.jp/news/2012/01/011683.html コンサドーレ札幌 上里 一将選手 徳島ヴォルティスへ期限付移籍のお知らせ] コンサドーレ札幌公式サイト (12.01.10)</ref><ref>[http://www.vortis.jp/news/detail.php?pressid=4276 上里 一将選手 期限付き移籍にて加入決定のお知らせ] 徳島ヴォルティス公式サイト (12.01.10)</ref>。 |
|||
⚫ | |||
徳島では[[裴乗振|ペ・スンジン]]が移籍した事に伴い空番となった札幌時代と同じ背番号20を与えられ<ref>[http://www.vortis.jp/news/detail.php?pressid=4935 徳島ヴォルティス2012 シーズン チーム体制について] 徳島ヴォルティス公式サイト (12.02.02)</ref>、札幌時代の西嶋弘之、F東京時代の[[鈴木達也 (サッカー選手)|鈴木達也]]とは再びチームメイトとなった。この年から新監督に就任した[[小林伸二]]の信頼を得て、リーグ戦が始まると主力ボランチとして起用され徳島の攻撃の起点としても活躍した<ref name="uesato4" />。開幕戦からスタメン出場を果たし勝利に貢献するが、間もなくチームは不調に陥り[[5月]]まで1勝も出来なくなり下位に低迷すると、同時期に上里自身も不調に陥ってしまい先発からも外れており、途中起用された[[4月30日]]のJ2第11節[[水戸ホーリーホック|水戸]]戦では失点の起点になってしまうなど苦しい時期を過ごした<ref name="uesato4" /><ref>[http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00136689&search%5Bkeyword%5D=%8F%E3%97%A2 【J2:第11節 水戸 vs 徳島】レポート:本間幸司、立ちはだかる。悪い流れでも勝ち切る“したたかさ”で水戸が徳島を退け、今季2度目の3連勝。4位に浮上!] J's GOAL (12.05.01)</ref>。以降は徐々に調子を取戻し安定した活躍を見せるが、チームの調子は今ひとつ上がらず最終的に15位に留まった。シーズン終了後にはJ2降格が決定した所属元の札幌より復帰要請を受け上里はこれを受諾<ref name="uesato5 |
|||
">[http://www.nikkansports.com/soccer/news/p-sc-tp1-20121223-1063269.html 札幌 上里が3季ぶりに復帰] J1ニュース : nikkansports.com</ref>。翌[[2013年]][[1月11日]]に上里の札幌復帰が正式に発表され<ref>[http://www.vortis.jp/news/detail.php?pressid=4917 上里 一将選手 期限付き移籍期間満了のお知らせ] 徳島ヴォルティス公式サイト (13.01.11)</ref><ref>[http://www.consadole-sapporo.jp/news/2013/01/013751.html 上里 一将 選手 徳島ヴォルティスより復帰のお知らせ] [[コンサドーレ札幌]]、2013.01.11</ref>、プロ10年目となる節目のシーズンを古巣札幌で迎える事が決まった。 |
|||
=== コンサドーレ札幌 === |
|||
この年からは新監督に上里がかつてプロ入り後の3年間にコーチとして師事を受けた[[財前恵一]]が就任しており、同監督には前年から大幅に若返ったチーム<ref>[http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00150365&search%5Bkeyword%5D=%8F%E3%97%A2 【全40クラブ戦力分析レポ:札幌】31人中18人が北海道出身者という地元色の強い新星・札幌。財前新監督が標榜するポゼッションサッカーで、プレーオフ進出圏内を目指す!] J's GOAL (13.02.28)</ref>の中心選手として期待された{{Refnest|group="注"|上里の札幌復帰には新監督に就任が決定した[[財前恵一]]の強い要望があったとされ<ref name="uesato5" />、この年の札幌は20歳以下の選手が11人在籍するなど、チームの平均年齢も23.6歳と上里が入団した2004年を彷彿させる極端な陣容だった。}}。リーグ戦が開幕すると主力ボランチとして起用され、[[河合竜二]]、宮澤裕樹、高卒新人の[[深井一希]]、[[堀米悠斗]]らとポジションを争いながら、出場した試合では多くの得点を演出するなど札幌の中盤において欠かせない働きを見せた。一方、チームは若手中心の布陣を余儀なくされていた事もあって序盤こそ敗戦が続いていたが、徐々に成績も上向くと[[6月8日]]J2第18節[[愛媛FC|愛媛]]戦の前半5分に直接フリーキックを決め<ref>[http://www.jsgoal.jp/news/_prog/view.php?press_code=00156777&search%5Bkeyword%5D=%8F%E3%97%A2 【J2:第18節 愛媛 vs 札幌】レポート:札幌の裏を突き、ゴールを重ねた愛媛が今季初の逆転勝利。連敗を3で止める。] J's GOAL (13.06.09)</ref>、札幌復帰後の初ゴールを挙げる。[[7月]]にはJ1クラブから上里への正式な獲得オファーが届くが、これを断っていた事が報道によって明らかとなっており<ref>[http://www.nikkansports.com/soccer/news/p-sc-tp1-20130813-1172612.html 札幌上里、J1完全移籍の打診断り残留へ] J2ニュース : nikkansports.com</ref>、その後も攻守に渡り奮闘していたが、[[9月19日]]に右膝前十字靱帯断裂の大けがを負い<ref>[http://www.consadole-sapporo.jp/news/2013/09/015398.html 上里一将 選手の負傷について] [[コンサドーレ札幌]]、2013.09.19</ref>全治8ヶ月を要する事がクラブから発表され<ref>[http://www.consadole-sapporo.jp/news/2013/09/015410.html 上里一将 選手の全治について] [[コンサドーレ札幌]]、2013.09.21</ref>、残りのシーズンを棒に振る事となってしまい、上里不在の中チームは後一歩のところで[[J1昇格プレーオフ|プレーオフ]]進出を逃した。 |
|||
⚫ | |||
⚫ | |||
⚫ | |||
==所属クラブ== |
==所属クラブ== |
||
;ユース経歴 |
|||
⚫ | |||
* [[検索結果沖縄県宮古島市立平良中学校|平良市立平良中学校]] |
|||
⚫ | |||
* [[沖縄県立宮古高等学校]] |
|||
⚫ | |||
;プロ経歴 |
|||
* 2004年 - 現在 {{Flagicon|JPN}} [[コンサドーレ札幌]] |
|||
⚫ | |||
⚫ | |||
==個人成績== |
==個人成績== |
||
68行目: | 87行目: | ||
|[[2008年のJリーグ|2008]]||[[日本プロサッカーリーグ|J1]]||12||0||1||0||1||0||14||0 |
|[[2008年のJリーグ|2008]]||[[日本プロサッカーリーグ|J1]]||12||0||1||0||1||0||14||0 |
||
|- |
|- |
||
|[[2009年のJリーグ|2009]]||rowspan=" |
|[[2009年のJリーグ|2009]]||rowspan="6"|J2||48||6||colspan="2"|-||1||0||49||6 |
||
|- |
|- |
||
|[[2010年のJリーグ|2010]]||28||4||colspan="2"|-||1||0||29||4 |
|[[2010年のJリーグ|2010]]||28||4||colspan="2"|-||1||0||29||4 |
||
74行目: | 93行目: | ||
|[[2011年のJリーグ|2011]]||[[FC東京]]||32||17||1||colspan="2"|-||0||0||17||1 |
|[[2011年のJリーグ|2011]]||[[FC東京]]||32||17||1||colspan="2"|-||0||0||17||1 |
||
|- |
|- |
||
|[[2012年のJリーグ|2012]]||[[徳島ヴォルティス|徳島]]||rowspan=" |
|[[2012年のJリーグ|2012]]||[[徳島ヴォルティス|徳島]]||rowspan="3"|20||32||0||colspan=2|-||1||0||33||0 |
||
|- |
|||
|[[2013年のJリーグ|2013]]||rowspan="2"|札幌||30||1||colspan="2"|-||0||0||30||1 |
|||
|- |
|- |
||
|[[ |
|[[2014年のJリーグ|2014]]||||||colspan="2"|-|||||||| |
||
{{:利用者:Bcjp/t/fbp国内表 通算始|2|日本|J1}}12||0||1||0||1||0||14||0 |
{{:利用者:Bcjp/t/fbp国内表 通算始|2|日本|J1}}12||0||1||0||1||0||14||0 |
||
{{:利用者:Bcjp/t/fbp国内表 通算行|日本|J2}} |
{{:利用者:Bcjp/t/fbp国内表 通算行|日本|J2}}224||15||colspan="2"|-||11||1||235||16 |
||
{{:利用者:Bcjp/t/fbp国内表 通算終}} |
{{:利用者:Bcjp/t/fbp国内表 通算終}}236||15||1||0||11||1||249||16 |
||
|} |
|} |
||
2014年1月19日 (日) 23:53時点における版
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||
愛称 | カズゥ | |||||
カタカナ | ウエサト カズマサ | |||||
ラテン文字 | UESATO Kazumasa | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1986年3月13日(38歳) | |||||
出身地 | 沖縄県宮古島市 | |||||
身長 | 172cm | |||||
体重 | 70kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | コンサドーレ札幌 | |||||
ポジション | MF | |||||
背番号 | 20 | |||||
利き足 | 左足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
2004- 2011 2012 |
コンサドーレ札幌 →FC東京(loan) →徳島ヴォルティス(loan) |
157 (13) 17 (1) 32 (0) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。2012年12月10日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
上里一将(うえさと かずまさ、1986年3月13日 - )は、沖縄県宮古島市(旧平良市)出身のサッカー選手(MF)である。
来歴
小学1年生の時に友人の誘いでサッカーを始め[1]、3年生から本格的に打ち込むようになる[2]。当時は身長に恵まれず、中学校に入学した時点で138cmしかなかった事もあって[2]所属チームの練習後に1人居残り左足の技術を徹底的に磨き続けた[2]。中学校卒業後は地元の高校で、上里の中学3年生次に全国高等学校サッカー選手権大会への初出場を果たした沖縄県立宮古高等学校に進学[注 1]。高校の3年間で全国大会の出場は適わず、個人としても代表や選抜に招集された経験もなかった為に全国的には無名の存在だったが、当時から攻撃的な中盤の選手としてボールコントロールには定評があり[3]、その才能を評価したJ2のコンサドーレ札幌より誘いを受け、2003年11月22日に同クラブより上里の獲得が発表された[4]。同校出身者、並びに宮古島出身者として初のJリーガーとなった[3][5]。上里は日本最南端でプレーする自分に届いた日本最北端のプロクラブからのオファーに「いったいどこで僕のプレーを見ていたのだろう?」と思ったという[2]。
コンサドーレ札幌
2004年は背番号24を与えられ、この年に新監督に就任した柳下正明の指導の下、クラブが若手育成路線に方針転換を図った最初の年という事もあって[注 2]、高卒新人ながら早くから出場機会が与えられ、トップ下をはじめボランチでも起用された。トップ下のポジションには砂川誠という絶対的な存在がおり、シーズン序盤に主力選手で同ポジションも務められる三原廣樹が大怪我を負って長期離脱した事もあって、このポジションの2番手を同じく高卒新人で同期入団の桑原剛と激しく争った。5月19日J2第13節水戸戦の後半36分に砂川誠と途中交代で公式戦初出場を果たすが、翌6月には左足を骨折し離脱した[6]。戦列に復帰すると、8月8日のJ2第26節湘南戦で初のスタメン出場を果たす。この試合ではボランチで起用されたが[7]、試合中に肉離れを起こした為に[8]前半で交代となり[9]、再度の離脱を余儀なくされた[10]。復帰後は途中出場ながら毎試合に起用され続け、9月からは先発で起用されるようになると、11月14日天皇杯4回戦市原戦の後半34分に約30mの距離からミドルシュートを決め[11]公式戦初ゴールを挙げた。その一方で、チームは若手中心の布陣の為に他チームとの戦力差が顕著に見られ、リーグ戦では序盤から最下位に沈んでしまい、上里がリーグ戦に出場した全17試合のうち勝利を挙げられたのも僅か1勝だった。
2005年は背番号を19に変更[12]。リーグ戦序盤こそ途中交代でボランチでの起用が目立ったものの、4月からチームが3-5-2のフォーメーションにトップ下を2枚を置く攻撃的な布陣を採用するとトップ下でレギュラーとして定着し、砂川誠と共に札幌の攻撃を牽引し多くの得点機を演出する活躍を見せる。5月21日のJ2第13節湘南戦でリーグ戦初ゴールを挙げ勝利に貢献し、6月25日第18節横浜FC戦ではミドルシュートを決め、札幌の公式戦通算100勝となる勝利に貢献した[13]。これらの上里の活躍と成長を裏付けるように、リーグ戦中盤にかけてチームの成績も向上し一時は3位につけるなど上位争いを演じる立役者の1人となる[14]。ところが、8月21日に行われた練習試合で左ひざ前十字靭帯損傷の大怪我を負い、シーズンの残りを棒に振った[15]。
2006年からは背番号を20に変更[16]。前年に負った怪我の影響は大きく、チームに合流後もコンディションを取り戻せずにいた事や、上里が離脱していた間にクラブが代役として補強した西谷正也が期待に見合う活躍を見せていた事、同期入団で同い年の鈴木智樹をはじめ、この年に移籍加入した大塚真司、芳賀博信、関隆倫らが主力に定着していた事などもあり、公式戦の復帰までには実に11ヶ月を要する事となった。7月8日のJ2第26節愛媛戦の後半19分に西嶋弘之と途中交代で実戦復帰を果たすと、以降も途中出場ながら主にボランチで起用され続け、8月19日のJ2第34節仙台戦の後半20分に砂川誠に代わり途中出場しトップ下に入ると、後半41分に石井謙伍のゴールをアシストし、続く44分にはゴールまで約35mの位置から自身もミドルシュートを決め勝利に貢献するなど[17]存在感を示し、リーグ終盤には先発でも起用された。
2007年、監督が三浦俊也に代わると守備力のある選手を重視しメンバーを固定する起用方針のために出場機会が激減する。前年までの3-5-2のフォーメーションからトップ下を置かない4-4-2に代わり、攻撃的な中盤では西谷正也、砂川誠、プロ2年目の藤田征也が起用され、ボランチでは大塚真司、芳賀博信が主力として起用された事に加えてカウエ、鄭容臺の加入もあって上里がこの年にスタメンで起用された試合は1つもなく、砂川誠や石井謙伍が途中出場で起用に応える活躍を見せていた事、シーズン終盤に入るとプロ2年目の西大伍や高卒新人の岡本賢明が積極的に起用された事などもあってリーグ戦でベンチ入り出来たのも僅か8試合に留まり出場時間も7試合で82分であった[18]。その一方でチームはリーグ開幕から首位を独走しJ2優勝を果たすが上里個人としては非常に苦しいシーズンとなった。
2008年は前年にボランチのポジションを争ったカウエが退団したが、新たにクライトン、ディビッドソン純マーカスが加わり、新シーズン開幕後も依然として起用されない状態が続いた。しかし、前年からサテライトリーグ等でサイドバックやボランチとしての経験を積んで来た事が実を結び守備力やフィジカルの強さを身につけるなど成長を遂げ、8月27日のJ1第23節G大阪戦の後半33分に藤田征也と途中交代でJ1初出場を果たすと以降のリーグ戦で全試合に起用された。9月20日のJ1第25節千葉戦では後半3分に平岡康裕と途中交代で左サイドバックで起用されると札幌の攻撃の起点として活躍し、試合では破れたものの千葉の守備陣を苦しめるなど[19]、途中出場ながら起用に応える働きを見せた。チームは8月以降1勝も出来ずに10月19日の柏戦で敗戦しJ2降格が決定してしまうが、リーグ戦終盤にはボランチでスタメン起用されるようになると、攻撃の中心として若手の藤田征也、西大伍らとの連携から何度もチャンスを作る場面が多く見られ、翌年以降の躍進を予感させる戦いぶりを見せた[20]。
2009年は新監督に就任した石崎信弘に指名されキャプテンに就任[21]。リーグ戦が開幕するとレギュラーとして主にボランチや左サイドバックで起用され、チーム最多の48試合に出場(うち先発出場は47試合)し、出場時間もチームトップの西嶋弘之に次ぐ4,013分に到達するなど上里にとって飛躍の年となった。リーグ戦が始まると序盤こそ勝てない時期が続き、3月25日のJ2第4節湘南戦では試合開始早々にチームメイトのキリノと接触し裂傷を負い負傷退場してしまう不運にも見舞われたが[22][23]、続く3月29日J2第5節岡山戦で豪快なミドルシュートでシーズン初ゴールを挙げると[24]、4月からはチームも13試合連続で不敗を続けるなど好調を維持し攻守の要としてチームを支えた。また、得点能力の向上も見せており、上述の岡山戦でのゴールをはじめ、6月27日J2第24節仙台戦では左サイドの深い位置からゴールを決め[25][26]、8月5日J2第32節の福岡戦では自陣側センターサークル手前の推定65mの位置からロングループシュートを決めるなど[27][28][注 3]、持前の視野の広さとキックの精度を活かしたゴールも多く挙げ、9月20日のJ2第40節福岡戦ではプロ入り後初となる直接フリーキックを決めており[29]、最終的に自身最多となる6得点でシーズンを終えた。
2010年は前年終盤に若手の岩沼俊介が左サイドバックで台頭した事で主戦場をボランチに移し、同じく前線からポジションを移して来たプロ3年目の宮澤裕樹と共にダブルボランチを組みシーズンを戦った。このシーズンの初ゴールを4月11日J2第6節柏戦の後半3分にゴールから約40mの位置で直接フリーキックを豪快に決めると[30]、ここから自身初となる3試合連続ゴールを挙げ[31][32]、チームの攻撃の起点としてだけではなく自らも得点源となり活躍していたものの、その一方でチームは勝てない試合が続き下位に低迷してしまう。上里自身も7月に入ると怪我の影響でコンディションを落としてしまい、9月23日のJ2第27節柏戦では前半23分と同ロスタイムに立て続けにイエローカードを受けてしまいプロ7年目にして初の退場を経験した[33][注 4]。シーズンオフに入ると、クラブの財政問題が表面化し多くの主力選手が移籍をする中で上里自身もこの年にJ2降格が決定したFC東京からの獲得オファーを受け移籍を決断。翌2011年1月5日に同クラブへ期限付き移籍する事が発表された[34]。
FC東京
背番号は前年に前田俊介が背負っていた背番号32を与えられる。この年のF東京はJ2ながら日本代表の今野泰幸、権田修一、石川直宏をはじめ、徳永悠平、森重真人、高橋秀人、梶山陽平ら実力者を擁し、Jリーグ全体としても屈指の戦力を誇っていた為に激しいポジション争いを強いられた。シーズン開幕前のキャンプでは左サイドハーフ、左サイドバックとしての適性も見せたが[35][36]、リーグ戦が始まるとこれらのポジションでは、前年にセリエAに移籍した長友佑都の穴を埋める活躍を見せていた中村北斗や、若手の田邉草民、椋原健太が主力として起用された。一方、監督の大熊清からは中盤での展開力を買われ[37][38]主にセグンド・ボランチ(攻撃型ボランチ)として梶山陽平らとポジションを争った[39](梶山を前線に押し上げる形での併用もあった[38])。リーグ戦では開幕戦以外の全試合にベンチ入りを果たし、出場時間こそ多くなかったものの起用された試合では期待に応える働きを見せ、チームがJ1昇格を決めた11月19日のJ2第36節鳥取戦では後半ロスタイムに移籍後初ゴールを挙げるなど[40]J2優勝に貢献した1人となった。また、同年開催の天皇杯でも2回戦以降の全試合にベンチ入りし、チームは優勝を果たすが上里の試合出場は適わなかった。シーズンオフの2012年1月10日にF東京から上里の移籍期間満了が発表され[41]、同日、徳島ヴォルティスに期限付き移籍する事が所属元の札幌・徳島双方から相次いで発表された[42][43]。
徳島ヴォルティス
徳島ではペ・スンジンが移籍した事に伴い空番となった札幌時代と同じ背番号20を与えられ[44]、札幌時代の西嶋弘之、F東京時代の鈴木達也とは再びチームメイトとなった。この年から新監督に就任した小林伸二の信頼を得て、リーグ戦が始まると主力ボランチとして起用され徳島の攻撃の起点としても活躍した[5]。開幕戦からスタメン出場を果たし勝利に貢献するが、間もなくチームは不調に陥り5月まで1勝も出来なくなり下位に低迷すると、同時期に上里自身も不調に陥ってしまい先発からも外れており、途中起用された4月30日のJ2第11節水戸戦では失点の起点になってしまうなど苦しい時期を過ごした[5][45]。以降は徐々に調子を取戻し安定した活躍を見せるが、チームの調子は今ひとつ上がらず最終的に15位に留まった。シーズン終了後にはJ2降格が決定した所属元の札幌より復帰要請を受け上里はこれを受諾[46]。翌2013年1月11日に上里の札幌復帰が正式に発表され[47][48]、プロ10年目となる節目のシーズンを古巣札幌で迎える事が決まった。
コンサドーレ札幌
この年からは新監督に上里がかつてプロ入り後の3年間にコーチとして師事を受けた財前恵一が就任しており、同監督には前年から大幅に若返ったチーム[49]の中心選手として期待された[注 5]。リーグ戦が開幕すると主力ボランチとして起用され、河合竜二、宮澤裕樹、高卒新人の深井一希、堀米悠斗らとポジションを争いながら、出場した試合では多くの得点を演出するなど札幌の中盤において欠かせない働きを見せた。一方、チームは若手中心の布陣を余儀なくされていた事もあって序盤こそ敗戦が続いていたが、徐々に成績も上向くと6月8日J2第18節愛媛戦の前半5分に直接フリーキックを決め[50]、札幌復帰後の初ゴールを挙げる。7月にはJ1クラブから上里への正式な獲得オファーが届くが、これを断っていた事が報道によって明らかとなっており[51]、その後も攻守に渡り奮闘していたが、9月19日に右膝前十字靱帯断裂の大けがを負い[52]全治8ヶ月を要する事がクラブから発表され[53]、残りのシーズンを棒に振る事となってしまい、上里不在の中チームは後一歩のところでプレーオフ進出を逃した。
プレースタイル
視野の広さからくるキラーパスと、精度の高いプレースキック[54]が持ち味。プロ入り当初は攻撃的MF(トップ下)だったが、ボランチや左サイドハーフ、左サイドバックなど、複数のポジションをこなせるようになった。
シュートが武器と言われるものの自身はそれを不得意と否定しており、パスの精度や視野の広さが自分の持ち味と語っている[55]。
所属クラブ
- ユース経歴
- プロ経歴
個人成績
このテンプレートは利用者空間内にあるため使用しないで下さい。:今後はコピー先のTemplate:サッカー選手国内成績表_topを使用して下さい。 |
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2004 | 札幌 | 24 | J2 | 17 | 0 | - | 4 | 1 | 21 | 1 | |
2005 | 19 | 23 | 2 | - | 0 | 0 | 23 | 2 | |||
2006 | 20 | 22 | 1 | - | 3 | 0 | 25 | 1 | |||
2007 | 7 | 0 | - | 1 | 0 | 8 | 0 | ||||
2008 | J1 | 12 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 14 | 0 | ||
2009 | J2 | 48 | 6 | - | 1 | 0 | 49 | 6 | |||
2010 | 28 | 4 | - | 1 | 0 | 29 | 4 | ||||
2011 | FC東京 | 32 | 17 | 1 | - | 0 | 0 | 17 | 1 | ||
2012 | 徳島 | 20 | 32 | 0 | - | 1 | 0 | 33 | 0 | ||
2013 | 札幌 | 30 | 1 | - | 0 | 0 | 30 | 1 | |||
2014 | - | ||||||||||
通算 | 日本 | J1 | 12 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 14 | 0 | |
日本 | J2 | 224 | 15 | - | 11 | 1 | 235 | 16 | |||
総通算 | 236 | 15 | 1 | 0 | 11 | 1 | 249 | 16 |
経歴
- 2004年: 5月19日J2初出場 - J2第13節 vs水戸ホーリーホック (厚別)
- 2004年11月14日:公式戦初得点 - 天皇杯4回戦 vsジェフユナイテッド市原 (室蘭)
- 2005年:J2初得点 - 5月21日J2第13節 vs湘南ベルマーレ (平塚)
- 2008年: 8月27日J1初出場 - J1第23節 vsガンバ大阪 (厚別)
- 2009年:J2 100試合出場 - 8月 5日J2第32節 vsアビスパ福岡 (厚別)
脚注
- 注釈
- ^ 同校出身の上里琢文(京都サンガF.C.に2009年加入)とは名字が同じだが血縁関係はない。
- ^ この年の札幌は外国籍選手やJクラブからの補強は一切しておらず、地域リーグでプレーをしていた元磐田の清野智秋以外、2名の大卒新人と6人の高卒新人のみという極端なものだった。
- ^ Jリーグ公式記録としてはGKのものなど80m以上の位置からのゴールもあるが、これらは多くの場合FKが一度相手GK前で弾み、頭上を越えて決まっていることに対し、上里のゴールはその位置からゴールを狙い、意図どおり相手GKの頭上を越えて直接ゴールネットに突き刺さる[28]という難易度の高いものであった。
- ^ この試合では上里とダブルボランチを組んだ宮澤裕樹も後半28分、同34分にイエローカードを受けプロ入り後初退場を経験している。
- ^ 上里の札幌復帰には新監督に就任が決定した財前恵一の強い要望があったとされ[46]、この年の札幌は20歳以下の選手が11人在籍するなど、チームの平均年齢も23.6歳と上里が入団した2004年を彷彿させる極端な陣容だった。
- 出典
- ^ 上里 一将選手 財界さっぽろ
- ^ a b c d EPISODE.4 - 上里 一将 2009 選手スペシャルインタビュー
- ^ a b 初ゴール決め充実 コンサドーレ札幌・上里 琉球新報 (04.12.31)
- ^ 宮古高校 上里一将 選手 2004年新加入選手内定のお知らせ J's GOAL (03.11.22)
- ^ a b c 上里 一将 徳島ヴォルティス オフィシャルサイト
- ^ 上里一将選手の負傷について J's GOAL (04.06.25)
- ^ 【J2:第26節】湘南 vs 札幌:試合終了後の各選手コメント J's GOAL (04.08.08)
- ^ 【J2:第27節 札幌 vs 川崎F プレビュー】首位・川崎F、勝者のマインドをもって勝ち点3を取り戻せるか? J's GOAL (04.08.10)
- ^ 【J2:第26節】湘南 vs 札幌:柳下正明監督(札幌)記者会見コメント J's GOAL (04.08.08)
- ^ 上里一将選手の負傷について J's GOAL (04.08.10)
- ^ 【天皇杯4回戦:札幌 vs 市原 レポート】前線、中盤の途中出場陣が活躍。J2最下位札幌が延長VゴールでJ1市原に金星 J's GOAL (04.11.15)
- ^ 2005年 スタッフ・選手について J's GOAL (05.01.17)
- ^ 【J2:第18節 横浜FC vs 札幌 レポート】通算500ゴールに100勝。札幌のメモリアルな勝利の前に、横浜FCはまたも勝ち点3ならず J's GOAL (05.06.26)
- ^ 【2006シーズン 戦力分析レポート:札幌編】機は熟した! 昇格をつかみ取る勝負のシーズン J's GOAL (06.02.14)
- ^ 上里 一将選手の負傷について J's GOAL (05.08.27)
- ^ 2006年 コンサドーレ札幌スタッフ・選手について コンサドーレ札幌公式サイト (06.01.16)
- ^ 【J2:第34節 札幌 vs 仙台 レポート】二十歳のレフティー・上里カズが厚別に歓喜を呼んだ。仙台は鬼門・厚別の壁をまたしても打ち破れず。 J's GOAL (06.08.20)
- ^ 選手出場記録 コンサドーレ札幌 2007Jリーグ ディビジョン2 J.LEAGUE 公式記録
- ^ 【J1:第25節 札幌 vs 千葉】レポート:17位千葉vs18位札幌の直接対決は得点の奪い合いの末、千葉が勝利。勝点を24へと伸ばして16位・磐田に迫る J's GOAL (08.09.21)
- ^ 【ゆく年くる年】コンサドーレ札幌2008ベストゲーム:J1第16節 千葉vs札幌(@フクアリ:7月13日) J's GOAL (08.12.30)
- ^ 2009年 コンサドーレ札幌 キャプテン・副キャプテン決定のお知らせ コンサドーレ札幌公式サイト (09.02.21)
- ^ 【J2:第4節 札幌 vs 湘南】石崎信弘監督(札幌)記者会見コメント J's GOAL (09.03.25)
- ^ 【J2:第4節 札幌 vs 湘南】レポート:終了間際に一瞬のスキを突いた湘南が敵地で劇的勝利! 札幌も敗れはしたが、内容では湘南を圧倒していた。 J's GOAL (09.03.26)
- ^ 【J2:第6節 熊本 vs 札幌】プレビュー:共に1勝1分3敗と波に乗れない熊本と札幌。南北決戦を制し、第1クール中盤に向けて上昇気流に乗るのはどちらか。 J's GOAL (09.04.05)
- ^ 【J2:第24節 仙台 vs 札幌】試合終了後の各選手コメント J's GOAL (09.06.27)
- ^ 【J2:第24節 仙台 vs 札幌】レポート:コントロールされた戦い方の中、前半は札幌、後半は仙台に主導権。1-1の結果に見える、手応えと課題。 J's GOAL (09.06.28)
- ^ 【J2:第32節 札幌 vs 福岡】レポート:札幌がホームで3得点完勝!プロ初先発となったMF古田寛幸が力強く攻撃を牽引してみせた。 J's GOAL (09.08.06)
- ^ a b 札幌MF上里が65メートル弾 / J2 日刊スポーツ 2009.08.06
- ^ 【J2:第40節 札幌 vs 福岡】レポート:膠着したゲームはセットプレーが勝敗を分けた。上里一将の直接FKが札幌に歓喜の勝点3を呼び込んだ! J's GOAL (09.09.21)
- ^ 【J2:第6節 札幌 vs 柏】レポート:双方にファインゴールが生まれた熱戦。柏のハイレベルなプレーぶりと、札幌の伸びシロが感じられたドローゲームだった。 J's GOAL (10.04.12)
- ^ 【J2:第9節 甲府 vs 札幌】レポート:成長を実感。4ゴール、4連勝で甲府が昇格圏内入り J's GOAL (10.04.30)
- ^ 【J2:第10節 熊本 vs 札幌】プレビュー:熊本がいい流れを維持するか、それとも札幌が悪い流れを断ち切るか。注目の南北決戦。 J's GOAL (10.05.02)
- ^ 2010 J LEAGUE DIVISION 2 第27節 vs 柏レイソル コンサドーレ公式サイト
- ^ コンサドーレ札幌 上里一将選手 FC東京へ期限付き移籍のお知らせ コンサドーレ公式サイト (11.01.05)
- ^ 万能レフティー上里 3役お任せ 東京中日スポーツ、2011.01.26
- ^ 【2011キャンプレポート:F東京】2月10日(木)阿久根謙司社長がキャンプに帯同。選手たちとのコミュニケーションを深める J's GOAL (11.02.10)
- ^ 上里、ボランチで新司令塔に 高精度パスで攻撃活性化させる 東京中日スポーツ、2011.05.07
- ^ a b 【J2:第11節 FC東京 vs 富山】プレビュー J's GOAL、2011.05.08
- ^ 大熊監督 ボランチ上里を評価 東京中日スポーツ、2011.11.01
- ^ 【J2:第36節 鳥取 vs F東京】鳥取側レポート:J1昇格を争うクラブとの歴然たる差。鳥取は1点こそ奪ったものの、大量失点に沈む。 J's GOAL (11.11.20)
- ^ 上里一将選手 期限付き移籍期間満了のお知らせ J's GOAL (12.01.10)
- ^ コンサドーレ札幌 上里 一将選手 徳島ヴォルティスへ期限付移籍のお知らせ コンサドーレ札幌公式サイト (12.01.10)
- ^ 上里 一将選手 期限付き移籍にて加入決定のお知らせ 徳島ヴォルティス公式サイト (12.01.10)
- ^ 徳島ヴォルティス2012 シーズン チーム体制について 徳島ヴォルティス公式サイト (12.02.02)
- ^ 【J2:第11節 水戸 vs 徳島】レポート:本間幸司、立ちはだかる。悪い流れでも勝ち切る“したたかさ”で水戸が徳島を退け、今季2度目の3連勝。4位に浮上! J's GOAL (12.05.01)
- ^ a b 札幌 上里が3季ぶりに復帰 J1ニュース : nikkansports.com
- ^ 上里 一将選手 期限付き移籍期間満了のお知らせ 徳島ヴォルティス公式サイト (13.01.11)
- ^ 上里 一将 選手 徳島ヴォルティスより復帰のお知らせ コンサドーレ札幌、2013.01.11
- ^ 【全40クラブ戦力分析レポ:札幌】31人中18人が北海道出身者という地元色の強い新星・札幌。財前新監督が標榜するポゼッションサッカーで、プレーオフ進出圏内を目指す! J's GOAL (13.02.28)
- ^ 【J2:第18節 愛媛 vs 札幌】レポート:札幌の裏を突き、ゴールを重ねた愛媛が今季初の逆転勝利。連敗を3で止める。 J's GOAL (13.06.09)
- ^ 札幌上里、J1完全移籍の打診断り残留へ J2ニュース : nikkansports.com
- ^ 上里一将 選手の負傷について コンサドーレ札幌、2013.09.19
- ^ 上里一将 選手の全治について コンサドーレ札幌、2013.09.21
- ^ 2011年 FC東京選手名鑑 (OCN)
- ^ 182ch vol.49