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== 関連事項 ==
== 関連事項 ==
小学校国語教科書の教材の定番ともいえる作品である。[[1956年]]、[[大日本図書]]の国語教科書に採用されたのが最初である。ついで[[1968年]]には[[日本書籍]]の、1968年には[[東京書籍]]の、[[1971年]]には[[光村図書]]の、[[1977年]]には[[教育出版]]の、[[1980年]]には[[学校図書]]の、[[1989年]]には[[大阪書籍]]の、国語教科書に採用された。また、比較的短く登場人物も少ないことから、学芸会の演目にもよく用いられる。<!-- 初期原稿のラストシーンでごんは嬉しかったと記されていたが、あえて”うなずきました”に変更された。理由は、国語教科書に採用されたことから、児童が読む際に、'''ごんの気持ちを児童に考えさせるためだとされている'''{{要出典}}。-->
小学校国語教科書の教材の定番ともいえる作品である。[[1956年]]、[[大日本図書]]の国語教科書に採用されたのが最初である。ついで[[1968年]]には[[日本書籍]]の、1968年には[[東京書籍]]の、[[1971年]]には[[光村図書]]の、[[1977年]]には[[教育出版]]の、[[1980年]]には[[学校図書]]の、[[1989年]]には[[大阪書籍]]の、国語教科書に採用された。また、比較的短く登場人物も少ないことから、学芸会の演目にもよく用いられる。


[[1985年]]には[[毎日放送]]製作・[[TBSテレビ|TBS]]系列放送の「[[まんが日本昔ばなし]]」が番組10周年記念として、[[アニメ映画]]を製作。全国のホールを借りて巡業形式で上映した。その際、母狐(声:[[市原悦子]])と死別することになった出来事も追加された。声の出演は[[田中真弓]](ごん)、[[常田富士男]](兵十)。この映画はテレビの本放送でも流されている。主題歌は[[葛城ユキ]]の「心からイエスタデイ」。
[[1985年]]には[[毎日放送]]製作・[[TBSテレビ|TBS]]系列放送の「[[まんが日本昔ばなし]]」が番組10周年記念として、[[アニメ映画]]を製作。全国のホールを借りて巡業形式で上映した。その際、母狐(声:[[市原悦子]])と死別することになった出来事も追加された。声の出演は[[田中真弓]](ごん)、[[常田富士男]](兵十)。この映画はテレビの本放送でも流されている。主題歌は[[葛城ユキ]]の「心からイエスタデイ」。

2013年1月5日 (土) 05:24時点における版

ごん狐』(ごんぎつね)は、新美南吉作の児童文学。南吉の代表作で、初出は「赤い鳥1932年1月号。作者の死の直後に刊行された童話集『花のき村と盗人たち』に収載された。

南吉の出身地である愛知県知多郡半田町(現在の愛知県半田市)岩滑(やなべ)地区の矢勝川や、隣の阿久比町にある権現山を舞台に書かれたといわれている。筆者が村の老人から聞いた話という体裁をとっており、「城」や「お殿様」、「お歯黒」という言葉が出てくることから、江戸時代から明治ごろが舞台となっている。

登場人物

  • ごん - ひとりぼっちの小。いたずら好き。
  • 兵十(ひょうじゅう) - ごんのいたずらの被害者の一人。
  • 加助 - 兵十の知り合い。

あらすじ

物語は村の茂平からの伝聞という形式になっている。

両親のいない小狐ごんは村へ出てきては悪戯ばかりして村人を困らせていた。ある日ごんは兵十が川で魚を捕っているのを見つけ、兵十が捕った魚やウナギを逃すという悪戯をしてしまう。それから十日ほど後、兵十の母親の葬列を見たごんは、あのとき逃がしたウナギは兵十が病気の母親のために用意していたものだと悟り、後悔する。

母を失った兵十に同情したごんは、ウナギを逃がした償いのつもりで、鰯を盗んで兵十の家に投げ込む。翌日、鰮屋に鰯泥棒と間違われて兵十が殴られていた事を知り、ごんは反省する。それからごんは自分の力で償いをはじめる。しかし兵十は毎日届けられる栗や松茸の意味が判らず、加助の助言で神様のおかげだと思い込むようになってしまう。それを聞いてごんは寂しくなる。

その翌日、ごんが家に忍び込んだ気配に気づいた兵十は、またいたずらに来たのだと思い、ごんを撃ってしまう。兵十がごんに駆け寄ると土間に、栗が固めて置いてあったのが目に留まり、はじめて、栗や松茸がごんの侘びだったことに気づく。

「ごん、おまえ(おまい)だったのか。いつも、栗をくれたのは。」と問いかける兵十に、ごんは目を閉じたままうなずく。兵十の手から火縄銃が落ち、筒口から青い煙が出ているところで物語が終わる。

物語の背景

この物語の舞台である愛知県半田市は、南吉の出生地である。 南吉が、この物語を執筆したのは、わずか17歳(1930年)の時であった。この物語は、彼が幼少のころに聞かされた口伝を基に創作された。 南吉は4歳で母を亡くしており、孤独でいたずら好きな狐の話が深く影響を与えたとされている。

『ごん狐』は、元猟師の口伝として存在したオリジナルの『権狐』、新美南吉が口伝を物語にまとめた草稿の『権狐』及び、南吉の『権狐』を鈴木三重吉が子供用として編集した『ごん狐』が存在する。 国語の教材や絵本で一般に親しまれているのは『ごん狐』である。 南吉の草稿の冒頭部分によれば、口伝の伝承者は「茂助」という高齢の元猟師であり、若衆倉の前で幼少の南吉に話を伝えたとされている[1]

伝承者「茂助」は確認されておらず、口伝のオリジナルは失われてしまっていることから、草稿の冒頭部分も南吉の創作作品の一部ではないかという見方も存在する。 ただし、草稿の『権狐』には本職の猟師でないと知りえないような情報が含まれている。 また、口伝に登場する権は、兵十の母の葬式を見て、悪さをしなくなりました。というところで終わり、撃たれておらず、それ以降の展開を南吉が創作したのではないかとも言われている[1]

鈴木三重吉が行った編集は、全国的な物語の普及を目的として、贖罪の位置づけを強調するとともに、語り手の存在感を薄めた他、場面の単純化、表現の一般化、地域性の排除など30数ヶ所にのぼり、近代の童話として大胆に手を加えられた結果、普遍的な共感をもたらす作品として完成した。 その一方で、当時の社会情勢(部落有林の国有化による猟師の廃業など)の光景や口伝的要素、地域色(方言の標準語化など)、文学的表現が失われたとされている[1]。例えば、鈴木は「納屋」が方言であるとして、本文中の「納屋」を「物置」に修正したが、一箇所「納屋」のままになっている所がある(正確には「納屋」と「物置」は別の物を指すため、茂助が母屋の他に納屋と物置という二種類の建物を所有していると解釈できてしまう)。

ごんが目を閉じたままうなずく、有名なラストシーンの草稿は「権狐はぐったりなったまま、うれしくなりました。」であり、登場人物の心情に立ち入った編集もされている。

新美南吉の草稿『権狐』は文学的な別作品として、大日本図書より『校定新美南吉全集』第10巻に収録され、一般に公開されている。

関連事項

小学校国語教科書の教材の定番ともいえる作品である。1956年大日本図書の国語教科書に採用されたのが最初である。ついで1968年には日本書籍の、1968年には東京書籍の、1971年には光村図書の、1977年には教育出版の、1980年には学校図書の、1989年には大阪書籍の、国語教科書に採用された。また、比較的短く登場人物も少ないことから、学芸会の演目にもよく用いられる。

1985年には毎日放送製作・TBS系列放送の「まんが日本昔ばなし」が番組10周年記念として、アニメ映画を製作。全国のホールを借りて巡業形式で上映した。その際、母狐(声:市原悦子)と死別することになった出来事も追加された。声の出演は田中真弓(ごん)、常田富士男(兵十)。この映画はテレビの本放送でも流されている。主題歌は葛城ユキの「心からイエスタデイ」。

「ごんぎつね」には2011年10月、新美の故郷である愛知県半田市から特別住民票が交付された。なお生年月日は執筆完成の1931年10月6日とされた。

関連図書

出典

  1. ^ a b c 『岡山大学教育学部研究集録』111号,1999.7.15 木村功著 (新美南吉「権狐」論)より

外部リンク