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「Wikipedia:中立的な観点」の版間の差分

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{{保護運用}}
{{Policy|ちゆうりつてきなかんてん|WP:NPOV|WP:NPV|WP:POV|subcategory=内容}}
{{Policy|ちゆうりつてきなかんてん|WP:NPOV|WP:NPV|WP:POV|subcategory=内容}}
{{文書の要旨|title=この方針|ウィキペディアのすべての記事は「[[#中立的な観点とは|中立的な観点]]」を尊重する必要があります。これは、主題に関連する観点を[[#公平な論調|公平に提示]]し、その[[#適当な重み付け|重要度に応じた立場を与える]]ことで成り立ちます。}}
[[File:Policy.gif|thumb|right|250px|ウィキペディアの内容に関する三大方針]]
[[File:Japanese Policy.svg|thumb|right|250px|ウィキペディアの内容に関する三大方針と相互の関係]]
{{Navibox 編集案内}}
{{Navibox 編集案内}}
'''中立的な観点''' ('''NPOV''', Neutral Point Of View) はウィキペディアの根本的な方針のひとつです。これは、すべての事は特定の観点に偏らずあらゆる観点からの描写を平等に扱い、中立的な観点に沿って書ていなければならない、というものです。この方針記事以外のテンプレートポータルなども適用されます。ウィキペディアの創始者[[ジミー・ウェールズ]] (Jimmy Wales) 言葉によれば、中立的な観点は「絶対的交渉の余地のないもの」“absolute and non-negotiable” で<ref>[http://mail.wikipedia.org/pipermail/wikien-l/2003-November/008096.html 2003年11月のメーリングリストへの投稿]</ref>
'''中立的な観点''' (Neutral Point Of View, '''NPOV''') は、[[ウィキペディア]]の根本的な方針のつです。この方針のためウィキペディア上のすべての百科典的内容は中立的な観点に沿って書き記されなければなりません。こは、主題関して[[Wikipedia:検証可能性|信頼できる情報源によって公表されている]]すべて重要な観点を各観点の比重に応じて公平に描写し、きる限り編集上偏向がないようにしなければならないことを意味します。


'''Wikipedia:中立的な観点'''はウィキペディアの内容に関する三大方針1つです。他の2つ方針は「[[Wikipedia:検証可能性]]」 (Verifiability)と「[[Wikipedia:独自研究は載せない]] (No original research)です。ウィキペディアではこれらの方針を合わせて記事名前空間に書ことができる情報の種類と質を決定しています。これら三つの方針は相互補完的、議論の余地がないものであり、他のガイドラインや利用者同士での合意よっ覆されものではありません。これらの方針はほかの二つと切り離して考えるべきではなく、編集する際にはこれら三つの方針を合わせて理解るよう努めてく
中立的な観点は[[Wikipedia:五本の柱|ウィキペディアの基本原則]]つであり、[[Meta:Founding_principles/ja|他のウィキメディア・プロジェクト基本原理]]の一つでもあります。また、「[[Wikipedia:検証可能性|検証可能性]]」および「[[Wikipedia:独自研究は載せない|独自研究は載せない]]」とともにウィキペディアの内容に関する三大方針としても位置づけられています。ウィキペディアではこれらの方針を合わせて記事に書き記すことが許される情報の種類と質を決定しています。これらの方針は相互補完的に調和し機能すため、他の二つと切り離して解釈されるべきではありません。編集はこれら三つの方針すに精通した上で編集を行うことが強奨励れます


この文書で説明している中立的な観点の方針は「交渉の余地のないもの」とされ、その基盤となる[[#歴史|原理]]は、他の[[Wikipedia:方針とガイドライン|方針やガイドライン]]によって、または利用者同士の合意によって覆すことはできません。
==中立的な観点とは {{anchors||ASF|YESPOV}}==

== 中立的な観点とは{{anchors||ASF|YESPOV}} ==
{{Policy shortcut|WP:YESPOV}}
{{Policy shortcut|WP:YESPOV}}
Wikipediaのコミュニティにおいて中立とは、さまざまな[[Wikipedia:検証可能性#SOURCES|信頼できる情報源]]を注意深く、批判的に分析し、それらの出典に含まれる情報を読者明確かつ正確次ぐことを意味します。
ウィキペディアのコミュニティにおいて理解される「中立」を成し遂げようとする姿勢とは、さまざまな[[Wikipedia:検証可能性#SOURCES|信頼できる情報源]]を注意深く、批判的に分析し、それらに含まれる情報を公平、各観点の比重応じて、可能な限編集上の偏向なく読者に伝えることを意味します。ウィキペディアが目指すところは、'''論争を記述することであり、論争に加わることではありません'''
Wikipediaの狙いは'''論争を記述することであり、論争に加わることではありません'''。


執筆者が独自の視点を持っているのは当然ですが、完全な情報を伝えるよう誠実に努力しなければいけません。ある特定の観点を他方に優先して推進するものでありませんし、ある特定の観点を除外するのでもありません。
執筆者は当然のことな独自の視点を持っているのですが、完全な情報を提供するよう誠実に努力するべきであり、ある特定の観点を他方に優先して推進するようなことしてはいけませんたがって、中立的な観点とは、あるの観点を除外することを意味するのではなく、十分妥当な重みを持つすべての検証可能な観点を含でいるものです


百科事典に適切な中立的観点を達成するために下記の原則を参照してください(順不同)
百科事典にふさわしい中立の水準を達成するために下記の原則を遵守してください。


; {{anchors|意見を事実として記さない}}意見を事実として記さない
*'''意見を事実として記さない。''' 一般的に、記事にはそのトピックについて重要な意見を含んでいます。しかしその意見はWikipediaの意見として記述してはなりません。その代わりに、誰の意見であるかを文章で明記するか、あるいはそれが許される場合なら、大多数の観点などとして述べられるべきです。例えば「大量虐殺は悪行である」と述べてはいけません、しかし「ジョーンは大量虐殺は人間の悪の縮図であると記している」と述べることはできます。
: 通常、記事はその記述対象について表された重要な意見を情報として含みます。しかし、その意見をウィキペディアの見解として述べてはいけません。それよりはむしろ、その意見が特定の情報源に帰することを文中に記すか、あるいは十分な根拠を示せる場合には、広く認められている意見として記述されるべきです。たとえば、記事中で「大量虐殺は悪行である」と記述してはいけませんが、「某氏は、大量虐殺は人間の悪の縮図であると記している」と記述することはできます。
*'''深刻な論争がある主張を事実として記さない。''' もしその主張について異なる信頼できる出典間で衝突があるのなら、その主張については事実ではなく意見として扱い、文中では直接その主張を記述することは避けてください。
*'''論争の余地のない主張を単なる意見として記さない。'''信頼できる出典によって反論や論争なきものとされた事実の主張であれば、一般的にWikipediaの意見として記述されるべきです。その言説が異議なき説であることに特に反論が無いのであれば、その主張が誰のものかを記述する必要はありません(しかし出典脚注は[[WP:V|検証可能性]]を満たす助けとなります)。また、その説について論争が存在するかのような表現で記述すべきではありません。
*'''判断を下さない表現が好まれます。'''明瞭性とのバランスも考慮する必要がありますが、中立的観点は、トピックや信頼できるソースの主張に対して同情も攻撃もしません。ある意見について組み入ることなく、公平無私な言い回しをしてください。
*'''対立する観点との相対的な勢力差を正確に示す。'''そのトピックについて異なる観点を記載する際には、その相対的な勢力差が適切なレベルで反映されるよう記述してください。同等であるとの誤った印象を与えたり、特定の視点を不適切に重点的に記述することを避けてください。例えば「地球の形状について、[[フェルディナンド・マゼラン]]の調査では球体だとされ、ジョン・ハンプテンはわん曲した平面体だとしている」といった記述は、ある領域についての大多数の観点と極少数の観点を同等に伝えてしまっています。


; {{anchors|深刻な論争がある主張を事実として記さない}}深刻な論争がある主張を事実として記さない
==中立性を達成するために==
: ある問題について異なる信頼できる情報源の間で主張に衝突が生じている場合には、それらの主張については事実ではなく意見として扱い、その主張自体を文中で直接記述することはしないでください。


; {{anchors|論争の余地のない主張を単なる意見として記さない}}事実を意見として記さない
一般的には、出典を明記した情報である場合、偏っていると思われる記述をそのために単に削除する手法は避けてください。
: 信頼できる情報源によって反論や論争の余地のないものとされた事実の主張であれば、普通はウィキペディアの見解として率直に記述されなければなりません。その言説が異議なき説であることに特に反論が無いのであれば、その主張を誰かに帰属させる必要はありません(それでも、情報源への出典リンクを付けておくことは[[Wikipedia:検証可能性|検証可能性]]に役立ちます)。また、その説について論争が存在するかのような表現で記述すべきではありません。
その代わりに、文や説をもっと中立的な言い回しに書き換えられないか試みてください。
偏った情報はたいてい他の情報源からの出典を加えることでより中立的な観点に修正することができますので、中立性に関する問題は可能な限り[[WP:EP|編集によって解決]]すべきです。
情報を削除するのは、それが読者に誤解やミスリードを招き、かつその部分を推敲する方法では解決できないとする妥当な理由があると考えられる場合だけです。


; {{anchors|判断を下さない表現が好まれる}}判断を下さない言葉遣いを好んで選択する
この節では一般的な問題についての個別ガイドラインを示します。
: 明瞭さとのバランスをとらなければならないときもありますが、中立的な観点においては、主題(あるいは信頼できる情報源が主題について何と述べているか)に対して同情も非難も示しません。人々の意見や相反する所見については、公平無私の論調で表現してください。社説風に書かないでください。ある特定の観点に編集が偏向していることが見て取れるようならば、その記事は修正される必要があります。


; {{anchors|対立する観点との相対的な勢力差を正確に示す}}対立する観点との相対的な勢力差を示す
===良質な研究===
: 主題に関して異なる観点を報告する際には、それらの観点に対する相対的な支持度が適切に反映されるように記述してください。対等であるとの誤った印象を与えたり、特定の観点に不当な重みを与えたりするような記述はしないでください。たとえば、「地球の形状は、[[フェルディナンド・マゼラン]]の調査では球体だとされたが、ジョン・ハムデンの説によれば湾曲した平面体だとされる」という記述では、各観点を1人ずつの主張として記すことによって、圧倒的な多数派の観点とごく少数の人々の観点をあたかも対等であるかのように伝えてしまっています。
良質で偏りのない研究に基づく、[[WP:RS|信用され権威のある情報源]]が存在するのであれば、それはNPOV論争解決の助けとなります。
図書館にて評判の良い書籍・論文を探したり、オンラインで最も信用されている情報源を探してください。
もし何かに関しての高品質な情報源を見つけるのに手助けが必要であれば、記事のノートページで他の編集者に尋ねたり、[[Wikipedia:調べもの案内]]にて質問したりしてください。


===不偏的回し===
=== 観点の中立とは何ではない===
この方針における「中立」や「中立的」という用語が一般とはやや異なった限定的な意味で使われていることには注意してください。得てして誤解がありますが、中立的な観点の方針とは以下のようなものではありません。
Wikipediaの目的は論争を記述することであり、論争に加わりはしません。 論争を中立的に描写するために、一貫して不偏的な言い回しで視点を記述することが求められます。 そうでなければ、たとえ適切な観点に基づいて記述しようが、その記事は支持者らによる実況行為に終わってしまうからです。 不適切な言い回しは、意見の形を取られることもありますし、また事実の論述に用いる言葉という形で取られることもあり、さらにトピックの選択・記述・編成などの形で取られることもあります。 中立的な記事とは、記事中の全ての観点について偏見なく正確でバランスが取れており、かつ不偏的な言い回しで書かれたものであるべきです。


; 中立的な観点とは、中間的な観点のことではありません。
Wikipedia記事の言い回しは偏見を含めてはならず、ある観点を支持したり排除するものであってはなりません。 論争が過熱している時には、特定の支持者の情報を直接そのまま記述することは避け、代わりにその主張を不偏的な言い回しを用いて要約して記載できないかを試みてください。
: 中立的な観点の方針とは、複数の意見や見解が対立する場合にはそれらの中間に位置する意見(間を取った意見)を正しいものとして記す、という意味ではありません。もし、そのような中間的な説が信頼できる情報源によって本当に論争の余地なく正しいと位置づけられている場合は事実として率直に記述することはありますが、ウィキペディアの編集者が間を取り持つような意見を生み出したり優遇したりすることはありません。


; 中立的な観点とは、特定の観点のことではありません。
== はじめに ==
: 中立的な観点は、提示された各観点のいずれでもありません。中立的な観点の方針とは、観点のどれかを「中立的な観点」として採用する行為ではありません。むしろ中立的な観点の本質は、各々の観点と距離を保ちながら、各観点の位置づけを冷静に定めて記事中に提示することにあります。
ウィキペディアには大切な方針があります:大まかにいえば、全ての観点からの意見を公正に考慮して、偏った観点を排した記事を書くべきだ、というものです。これは、記事は偏りのない「客観的な」観点に基づいて'''のみ'''書くことができる、と誤解されることもありますが、そうではありません。


; 中立的な観点とは、全ての観点を平等に扱うことではありません。
ウィキペディアの中立性についての方針は、論争での全ての観点を公正に考慮することで、記事には特定の立場が正しいと明記したり、暗示したりするべきではない、というものなのです。
{{see also|[[#「平等な妥当性」を与えると偽の均衡を作り出しかねない|「平等な妥当性」を与えると偽の均衡を作り出しかねない]]}}
: あらゆる関連する観点を、同じような支持度や重要度があるようには扱いません。中立的な観点は、ウィキペディアの編集者が観点について独自の価値判断を下すことを禁じています。これは、一方の観点が他方の観点よりも優れていると主張すること(つまり、彼我の見方について価値判断をすること)のみならず、2つの観点ないし全ての観点が平等であると主張する([[相対主義]]でもって、先ほどとは別の価値判断をしようとする)ことをも禁じていることを意味します。説や意見を説明する表現や文量などには[[#適当な重み付け|適当な重みづけ]]がなされ、差がつけられます。重みづけの結果、記事中に書くこと自体が妥当でないこともありえます。


記事を中立的なものにするためには、我々共同作業が不可欠です。それはウィキペディア成功秘訣のひありま
; 中立的な観点とは、多数派観点とでありません
: 中立的な観点にしたがって、[[#適当な重み付け|支持度や重要度に応じて]]多数派の観点についての説明を記事の主要部とすることはありえますが、ウィキペディアが多数派の観点それ自体に立つことはありません。多数派の観点であっても、客観的かつ距離を保った論調で描写されなければならず、真実であるとか優れた見方であるとして誇大に描写してはいけません。


== 中立を達成するために ==
中立的な観点からの記事の執筆は鍛錬を必要とし、ひとつのアートともいえるものです。
原則として、単に偏向しているように思われるなどという理由で、[[WP:PRESERVE|出典を明記した情報を除去しない]]でください。その代わりに、その一文や一節をより中立的な言い回しに書き改められないか、試してみてください。偏った情報は大抵、他の情報源を引用した資料を持ち合わせて執筆することで釣り合いがとれ、より中立的で幅広い視野を提供することができるため、そのような問題は正常な編集工程を通して[[Wikipedia:編集方針|可能であれば解決]]すべきです。記述を除去するのは、それが読者に誤った情報を伝えたり誤解を招いたりするおそれがあり、なおかつその部分を書き換える方法では対応できないと信じるに足る妥当な理由がある場合のみにしてください。


この節では、よくある問題について具体的な手引きを示します。
以下のエッセイでは、このポリシーについて踏み込んで説明しますが、このエッセイ自体、多くの議論の賜物です。我々はあなたもこのエッセイを読み、それについてコメントし、大筋において理解するように強くお勧めします。


=== 適当な重み付け{{anchors|DUE|UNDUE|WEIGHT}} ===
=== 中立性の基本的な概念 ===
{{Policy shortcut|WP:WEIGHT|WP:DUE|WP:UNDUE}}
ウィキペディア成功のカギともいえる方針は、記事が「偏っていない」あるいは「中立的な観点」から書かれているべきだ、というものです。これらの用語は一般とはやや異なった意味で使われています。私たちがどのように中立性を捉えているのかを知ることは、とても重要なことです。このページを丁寧に読めば理解する助けとなるでしょう。
中立であるためには、標準名前空間にある各記事またはその他のページは、[[Wikipedia:検証可能性#何を信頼できる情報源とするか|信頼できる情報源]]で公表されているすべての重要な観点を、公表された信頼できる情報源における各観点の支持度に応じて公平に記述することが要求されます<ref group="注">ウィキペディアの編集者あるいは一般の人々の間での各観点の比較的勢力差は、観点に関連した重要性がないため、重み付けをする際の考慮に入れるべきではありません。</ref>。妥当な重み付けをすることと不当な重み付けをしないようにすることは、少数意見や少数派の観点について、より広く主張されていたり支持されていたりするような意見や観点と同じぐらい多量または詳細な説明をするべきではないことを意味します。原則として、ごく少数の人々の意見は記事に一切含めるべきではありません。場合によっては、その特定の意見について説明している記事を「関連項目」に記載するような例は許容されます。たとえば、[[地球]]に関する記事では、ごく少数派の意見であることが明白な[[地球平面説]]に対する現代の支持意見に直接言及しないでください。そのようにしてしまっては「不当な重み付け」をすることになりかねません。


不当な重み付けは、記述の深さ、文章の量、配置の突出、文の同列化、画像の使用など、これらに限らず、いくつもの方法で行われる可能性があります。少数派の観点に特に関連する記事では、そのような観点は、より多くの注目を浴び、多くの紙面を割いてもらえることになるかもしれません。しかし、これらのページでも、密接に関連する多数派の観点が存在する場合には可能な限り、多数派の観点にも適切に言及すべきであり、くれぐれも少数意見の観点のみから内容を説明しないでください。具体的には、本文のどの部分で少数意見を説明しているのかを常にはっきりさせておかなければいけません。さらに、多数派の意見を十分に詳しく説明した上で少数意見との相違点を読者が理解できるようにし、少数意見の観点に関する論争をはっきりと明らかにして説明するべきです。どの程度詳しく記述することが要求されるかは話題によります。たとえば、地球平面説のような(現代では擁護する者がほとんど、あるいは全く存在しない)歴史的見解に関する記事では、現代の立場を簡潔に述べ、続いて、現在では信用を失った考えの歴史を中立的に記述し、その観念の歴史を極めて詳細に論じることができます。その他の少数意見については、読者を誤解させないために、多数派の意見を(少数意見よりも)はるかに広範に説明することが必要とされる場合があります。
基本的には、偏りのない(中立的な観点から)記事を執筆するということは、特定の観点からの意見を主張するかわりに、論争における様々な立場を公正に説明することです。これはやや単純な定義で、もっと細かな点に配慮した定義は後に書きます。今の時点では、偏りのない記事を書くことは論争に参加することではなく論争を説明することだ、と言っておくことにします。


ウィキペディアで論争を説明する際には、とても少数の人々の主張する意見が、多数派の意見とあたかも同じくらい重要であるかのような書き方をするべきではありません。ごく少数の人々が主張する意見は、そのような意見を扱うのに特化した記事(地球平面説など)以外には記載すべきではありません。無視しがたい少数派の意見に不当な重み付けをしたり、ごく少数の人々の意見を含めたりすれば、論争の有様について読者を誤った方向に導きかねません。ウィキペディアの狙いは、競合する意見を、その話題に関して'''信頼できる情報源における表現に応じて'''提示することです。これは、記事本文のみならず、画像、ウィキリンク、外部リンク、カテゴリ、およびその他のすべての情報にも同様に適用されます。
=== なぜウィキペディアが中立的であるべきか ===
ウィキペディアは一般用の百科事典です。これは、様々なレベルでの一般的な知識を集めたものと言えます。しかし、私たち(人類)は全ての物事について同じ見方をしているわけではありません。複数の異なる論理に基づいた意見同士が競合するときや、他の視点から見ると矛盾が生ずる意見があるとき、一つの意見を固守する人は他の意見を間違いと信じ込み、知識と思わなくなってしまいます。なにが真実であるか意見が食い違う時は、何が知識であるかについての見解が異なっていると言えます。ウィキペディアは共同作業だからこそうまくいく試みです。ですが、このような見解の相違から、ある人が p であると書き、次に編集する人が p ではないと書き直すような、終わりのない「編集戦争」をどうしたら避けられるでしょうか?


以下は[[ジミー・ウェールズ]]<ref group="注">ウィキペディアの共同創始者の一人で、ウィキペディアの運営母体である[[ウィキメディア財団]]の名誉理事長。</ref>が[http://mail.wikipedia.org/pipermail/wikien-l/2003-September/006715.html 2003年9月にWikiEN-lのメーリングリストに投稿した内容]{{en icon}}からの引用です。
ウィキペディアの作業をする上で私たちが受け入れている解決策は、「人類の知識」は(意義のある、出版されている)全ての異なる観点を含む、というものです。私たちはそのような意味での人類の知識を提供することに最大限の注意を払っています。これは「知識」という語の意味としては、一般に広く受け入れられているものとそう変わらないでしょう。この意味で「知られていること」は時間と共に変化しますし、このように「知っている」という言葉を使うときには、引用符を使って表現することがあります。中世では、私たちは魔神が病をおこしたことを「知っていた」。今日では、そうではないことを「知っている」。(訳注:直接誰かの発言や文章を引用するわけではなく、それらの記述が自分の考えではないことを強調するべく、引用符を使うわけです。[http://www.wikipedia.org/wiki/Quotation_mark scare quotes]参照)


{{Quotation|
私たちはこういう意味での人類の知識を、偏った形で編纂することもできるでしょう。あるトピック T について、様々な理論を説明し、その後で T についての真実はこれこれである、と主張します。ですが、ご存知のように、ウィキペディアは国際的な共同作業のプロジェクトです。おそらく、プロジェクトが成長するに従って、ほとんど全ての事柄についての全ての観点が(いずれは)編集・執筆する人や記事を読む人の中の誰かに支持されることになるでしょう。終わりのない編集戦争を避けるためには、様々な観点を公正に扱い、どれかひとつを正しい観点として主張するようなことのないようにすべきです。そしてそれが、このページで言う記事を「偏りのない」「中立的な」ものにする方法です。中立的な観点から記事を書くことは、論争の種になっているトピックについて主張を含めずに書くことです。そのためには、競合する観点についてそれぞれの支持者にとって多かれ少なかれ納得がいくような形で記述すれば事足りることがほとんどです。
* もしも観点が多数派の観点であるならば、一般に認められている参考文献を参照してその観点が多数派だと証明することは容易なはずです。
* もしも観点が無視しがたい少数派が主張する観点であるならば、著名な擁護者の名前を挙げることは容易なはずです。
* もしも観点が極めて少数の人々が主張する観点であるならば、それが本当であるか証明可能かどうかにかかわらず、ウィキペディアはそれを記載する場所としてはふさわしくないです(ただし、事によっては一部の付随する記事を除く)。
}}


適当な重み付けを決定する際には、信頼できる情報源における観点の普及度を考慮し、ウィキペディアの編集者や一般の人々の間での普及度は考慮に入れないようにすることを心に留めてください。
このポリシーの基本的な根拠を今一度まとめると:ウィキペディアは百科事典であり、人類の知識を編纂するものです。しかしウィキペディアは国際的な利用のために共同編集されるものです。編集に携わる人々全ての間で全ての事柄について(あるいは多くの事柄について、であっても)、人類が手にしている知識にどのようなものがあるかについて特定の観点を共有することは望めません。そこで、人類の知識についてやや緩やかな見方をして、互いに競合する様々な理論がどれも人類の知識の一部である、と考えることにします。私たちは、ひとりひとりが、そして全体としても、競合する諸理論が公正に提示されるように、特定の立場が主張されないように、努力するべきです。


もしも現在ほとんど、あるいは全く信じられていない学説をあなたが証明できたとしても、ウィキペディアはそのような証明を発表する場ではありません。[[Wikipedia:信頼できる情報源|信頼できる情報源]]で発表され、論じられてさえいれば、その説を適切に記事に含めることができます。「[[Wikipedia:独自研究は載せない|独自研究は載せない]]」および「[[Wikipedia:検証可能性|検証可能性]]」も参照してください。
中立性の方針を掲げることにはもうひとつの理由があります。それは、私たちが特定の観点を読者に押し付けないことが明らかなら、読者に各自自由に考えていいのだと感じさせ、ひいては知的な独立性を支持することになります。もしもわれわれが中立性のポリシーを維持することに成功したら、世界中の全体主義的な政府や独断的な組織はウィキペディアに反対することになるでしょう:広範な問題について、競合する様々な理論を提示することは、ウィキペディアのクリエイターが、読者が各自で意見を形成する能力を信頼する、ということを示します。複数の観点について、それらの利点を公正に示し、どれか特定の観点を採用するように要求したりしない記事は、読者を解放する効果があります。中立性は独断主義を倒すのです。これはウィキペディアで作業しているほとんど全ての人がよいことだと認めていることです。


==== 観点の釣り合いをとる ====
== 中立的な観点とは何か? 「偏りのない」「中立的な」というのはここでどのような意味で使われているのか?==
記事では、その主題に関する少数派の観点に不当な重み付けをしてはならず、各観点は、その主題に関する信頼できる公表された資料の本文での扱いに応じた重みをもって論じるように努めてください。たとえば、記述対象についての単発の出来事、批判、報道は、[[Wikipedia:検証可能性|検証可能]]で偏りがないかもしれませんが、それでもなお、記事の主題に対する全般的な重要性とは不釣り合いである可能性があります。このことは、特に[[Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは新聞ではありません|ニュース]]で取り上げられることがある最近の出来事に関連した懸念事項です。
これらの用語が意味している点は一般的に見て明白ではないし、誤解されやすいものだと思われます。


====「平等な妥当性」を与えると偽の均衡を作り出しかねない====
「偏りのない」「中立的な」という言葉についてはいろいろな妥当な解釈がありえます。ですが、ウィキペディアの方針としての「偏りのない記述」が意味するところは「論争の種になるような立場を主張することなく、単に記述する」というものです。これにはもう少し説明が必要でしょう。以下にそれを示します。
{{See also|偽りのバランス}}
どのような話題に関しても、すべての重要な観点を説明することは大切ですが、ウィキペディアの方針は、すべての少数派の見解や並外れた主張<ref group="注">社会学者{{仮リンク|マルセロ・トルッツィ|en|Marcello Truzzi}}の言「並外れた主張は、並外れた証拠を必要とする」より。</ref>をまるで平等な妥当性があるかのように、一般に認められている[[メインストリーム|主流派]]の学問的成果と並べて記載する必要があると言明したり暗示したりするものではありません。世界には、世間一般に信じられているものからほとんど知られていないものまで、さまざまな信念を持つ人々がいます。例として、[[地球平面協会|地球は平面体である]]という説、[[テンプル騎士団]]は[[聖杯]]を手に入れたという説、[[アポロ計画陰謀論|アポロ月面着陸は捏造であった]]という説などがあります。[[疑似科学]]、[[偽史|空想的歴史]]、[[陰謀論]]、または、もっともらしいけれども現在認められていない言説は、認められている学術的成果との比較を通して正当化されることがあってはなりません。ウィキペディアは、これらの論点に関して、百科事典執筆者として賛成・反対いずれの立場も取りません。それを含めるとその説を不当に正当化することになる場合には、単にその情報を記載しません。あるいは、確立した学問的成果および広い世界の考えと関連づけた適切な文脈の中で、これらの考えを含めて記載します。


=== 良質な研究 ===
まず、最も重要なことは、論争の種になるような立場を、主張することなく単に記述する、ということがどのようなことかを考えてみることです。偏りのない記述は、最も普及している観点だけを提示するものではありません。また、最も普及している見方を正しい見方として提示するものでもありません。様々な異なる観点の中間に位置する観点からの意見を(中間=中立であるかのように)正しいものとして提示するものでもありません。全ての観点を提示するということは、p 主義者は p が正しいと考えており、一方で q 主義者は q が正しいと考え、現在その点をめぐる論争がある、というような記述をすることです。全ての観点を提示するにあたって、誰がどのような理由で p や q を信じており、どちらがより広く支持されているか、といった背景の説明を大量に供給できることが理想です。(広く支持されていること=正しい、とほのめかすようなことのないように気をつけてください。)詳細に書かれた記事であれば、p 主義者と q 主義者がお互いをどのように評価しているか、それぞれの立場が、相手に対して持っている強みなどを説明しつつ、どちらが優れた立場であるかについては確固として言及を避けることになるでしょう。
利用可能な[[Wikipedia:信頼できる情報源|最も評判のよい権威ある良質な情報源]]に基づく、確かで偏向のない研究は、中立的な観点を巡る争いを防ぐのに役立ちます。図書館で評判のよい書籍や学術論文を探してみたり、オンラインで最も信用されている情報源を探してください。もし高品質な情報源を見つけるのに手助けが必要であれば、作業中の記事の[[Help:ノートページ|ノートページ]]で他の編集者に尋ねたり、[[Wikipedia:井戸端|井戸端]]や関連する分野の[[Wikipedia:ウィキプロジェクト/一覧|ウィキプロジェクト]]で質問したりしてください。


=== 均衡 ===
この点について、もう少し詳しく説明すべきでしょう。中立的な観点は、論争となっている点をめぐる多くの立場の中の、比較的「中立的」な、あるいは「中間的」なひとつの観点ではない、と上に書きました。これは「中立的な観点」という語についての特殊な理解に基づくものです。ウィキペディアにおいて多くの支持を得つつある理解では、「中立的な観点」とは実際にはひとつの観点なのではなく、「中立的に記事を書くことは、どのような特定の観点も全く表明しない(暗に示したり、読者を信じ込ませようとしたりもしない)」というのが正しい、ということになります。
中立を保つには、観点ごとの支持度に応じて、それらに[[#適当な重み付け|重み付け]]をします。しかしながら、評判のよい情報源同士が互いに矛盾していたり、観点の支持度が比較的等しいときには、両方の観点を記述し、均衡をとってください。これは、公平無私の観点から意見の相違を説明している二次資料や三次資料を活用しながら、対立する意見を明確に描写することも伴います。


=== 公平な論調 ===
もうひとつ説明しておくべきことがあります。偏りのない記述をするということは、ある論争についてその特長を説明しつつ、特定の立場をとらない記述をすることである、と考えることもできます。ここでの偏りのない記述とは、論争について冷静で、公正で、分析的な描写だと考えていいでしょう。当然ながら、いずれの立場も正しいと暗示することなく、複数の観点を記述することなど可能だろうか、という疑いがあります。ですが、経験を積んだ学者、論争好きな著述家、レトリックの研究家などはみな、自分や他人の記述の偏りについてよくわきまえていて、論争の説明にどちらか一方の側をひいきするような偏りがあれば、それを見つけることもできるものです。もし望むなら、彼らは、多少の創造性を発揮し、その偏りを取り除くこともできます。
ウィキペディアは論争を“記述”するところです。論争に“参戦”はしません。 論争を中立的に描写するには、一貫して公平な論調で観点を記述することが求められます。そうでなければ、たとえ密接に関連する観点をすべて記述したとしても、その記事は熱心な支持者らによる実況解説に終わってしまいます。 話題が私見ではなく事実に基づいて記載されている場合でも、事実の取捨選択の仕方、提示の仕方、整理の仕方によっては、不適切な論調が記事に持ち込まれることがあります。中立的な記事は、記事に含まれるすべての立場を、公平で正確で釣り合いの取れた論調で記します。


ウィキペディアの記事の論調は公平であるべきで、特定の観点を支持したり排除したりしてはいけません。 論争が過熱しているときには、その論争に参加している者の主張を直接引用することは避け、代わりにその議論を公平な論調で要約して記載するように努めてください。
重要な制限事項がひとつあります。複数の観点を比較する記事では、少数派の意見について、より広く普及している観点と同じだけの詳細な説明を加える必要はありません。論争を説明する際には、少数の人々が支持する観点が、あたかも非常に広く受け入れられている観点と同じだけ注目に値するかのような書き方をするべきではありません。それは論争の形について誤解を与えかねません。公正に論争を記述するためには、競合する様々な観点を、その主題についての専門家や関係者の勢力に合わせて提示すべきです。しかし、これは少数派の観点が、それぞれの記事においても軽い扱いを受けるべきだ、ということではありません。ウィキペディアにはサイズの制限はありません。そのようなページにおいて、その観点が詳細に説明されているかも知れませんが、その観点が真実であるといった形で表現されるべきではありません。


=== 命名 ===
観点の偏りは、特に意識されていたり、熱狂的に支持されているとは限りません。例えば、ある分野の入門者は、論争の余地のない常識に聞こえることが実は特定の、論争の種になるような見方に結びついている、というようなことをしばしば見落とします。(そこで、記事の偏った見方を完全に取り除くためには専門家が必要になることも稀ではないわけです。)別の例を挙げれば、執筆者は、意図せずして「地理的」な見方の偏りを記事に反映させてしまい、ある論争がある国でどのようであるかについて、他の地域ではその論争が違う様相を呈していることを知らず、地域を明記しないままに書いてしまったりします。
{{Policy shortcut|WP:POVNAMING}}
事物や事象の命名に関しては、場合により、主題を表すために名称を選択して使用することによって、観点に偏りが見られるようになることがあります。一般的には中立的な用語を選択するのが望ましいですが、明瞭さとはバランスを取らなければなりません。信頼できる情報源(とりわけ日本語で書かれているもの)において広く使用されているために、読者によく認知されていそうな名称であれば、たとえ一部にその名称が偏っているとみなす者がいたとしても、それを使用して構いません。たとえば、広く使用されている名称である「[[国際連合]]<ref group="注">国際的には「連合国 (The United Nations) 」という呼称で、組織の公用語の1つである中国語での表記も「{{lang|zh-cn|联合国}}」。その名の由来は[[連合国共同宣言]] (Declaration of the United Nations) 。</ref>」「[[切り裂きジャック]]<ref group="注">未解決の連続殺人事件の犯人の通称。送りつけられた犯行声明文の署名に由来する名前。</ref>」「[[スペインかぜ]]<ref group="注">「スペイン」の名が付くが、流行の発生源はアメリカ合衆国。また、正確には[[風邪]]ではなく[[インフルエンザ]]。</ref>」「[[タタールのくびき]]<ref group="注">[[タタール|モンゴル=タタール]](モンゴル人)による[[モンゴルのルーシ侵攻|ルーシ侵攻]]およびルーシ支配を[[ルーシ (地名)|ルーシ]](主にロシア)側の視点で捉えた、[[ロシアの歴史|ロシア史]]を語る文脈で使われる歴史用語。日本語でロシア史やアジア史を研究した学術論文でも広く使用されていることから、日本語圏でも人口に膾炙している用語であると考えられる。名称のみを取り上げて中立的に「タタールのルーシ支配」と言い換えられないこともないが、「タタールのくびき」という言葉自体が一連の現象を明瞭に表しているため、中立化といえども主題が不明瞭になるような言い換えは適切とはいいがたい。歴史上の出来事、とりわけ当事者同士が対立することの多い、政治・軍事・外交上の出来事に関する名称については、この例に限らず、特定の立場から判断を下したような用語が一般的に使用されているものが少なくない。</ref>」は、たとえそれが特定の立場から判断を下したように見えたとしても、これらの名称は当該の主題に対する言及の仕方としては正当なもののうちの一つとみなされます。主題を表すために用いる最もよい名称は、言及される文脈次第であることもあります。とりわけ当該の主題が中心的な論題である場合には、別名を挙げ、その用法に関する論争に触れるのが適切かもしれません。


この助言は特に記事名に適用されます。一般的な用法においては複数の用語が使われているかもしれませんが、記事名としては、[[Wikipedia:記事名の付け方|記事名の付け方の指針]]に従って名称を一つだけ選択しなければなりません。別名を組み合わせて記事名とすることは推奨されません。たとえば、「アルミニウム(アルミナム)」「ジョージア(グルジア)」「日中戦争(支那事変)」とすべきではありません。代わりに、別名は記事本文内の然るべき箇所に目立つように示し、適切に[[Wikipedia:リダイレクト|リダイレクト]]を作成してください。
== この方針の言い換え:事実、様々な意見に関する事実も含めた事実を書け――だが意見は書くな ==
この方針はしばしば別の言い方で表現されます:事実、様々な意見に関する事実も含めた事実を書け――だが意見は書くな。ここでまず、「事実」という言葉は、特に深刻な論争の種になっていない情報を意味します。この意味で、「ある調査が特定の調査結果を出版したこと」は事実です。火星が惑星であることも事実です。2+2 = 4 も。ソクラテスが哲学者であるということも。これらについて真剣に反論するような人はいません。ウィキペディアンはこうした事実を思う存分記述します。その一方、「意見」という言葉は、何か深刻な論争の種になっている情報を意味します。特定の論争を「深刻」と見なすかについて確信が持てないような、判断の難しいケースも当然あります――ですが、意見を表明する記述も多くあります。神は存在する、というのは意見です。直観論理は日常論理より優れている、というのは意見です。<!--広島と長崎に原子爆弾を落とした点でアメリカは間違っている、というのも意見です。ハイジャック犯が世界貿易センタービルに突っ込んだのは正解だ、というのも意見です。-->


名称というよりも、記述的な語句を用いた記事名もあります。記述的な記事名とする場合も、話題に対する賛否を表す観点を示唆したり、問題の特定の側面に関する見解に記事の内容を閉じ込めたりすることのないよう、中立的な言い回しをするべきです(たとえば、「Xの批評」という記事名は「Xに関する社会的見解」に改名した方がよいかもしれません)。記事名が中立的であることは、複数の観点および責任ある記事の執筆を促進します。
何かが事実であるか意見であるかを判断するには、実際に物事がどうであるかは関係がありません。理論上は、誤った「事実」(全ての人が合意するが実際には誤っている観点)がありえますし、真実に照らして正しい「意見」は数多く存在します。数の上では誤った意見の方が多いようではありますが。


=== 審美的な意見の記述 ===
ウィキペディアはこのような意味での事実だけを記述することに捧げられています。意見を述べたいような時には、その意見を誰かの意見として提示することで事実の記述に変えます。つまり、「神は存在する」と意見を書く代わりに、「アメリカ人のほとんどが神が存在すると信じている」という事実や、「トマス・アキナスは神が存在すると信じた」という事実を書けばいいわけです。最初の例では意見を表明していますが、次の 2 つの例では意見を誰かの意見として提示することで事実の記述に変えています。もうひとつ重要なことは、意見を提示する際に、意見がどのように提示されるべきかについて意見が衝突することもあるということを忘れないことです。場合によっては、主題についての主要な意見全てを公正に記述し、全般的な特徴を説明するために、ある意見の説明を限定したり、いくつかの定式化された記述を提示するにとどめたりすることが必要になることもあります。
芸術その他創作活動に関わる話題(たとえば、ミュージシャン、役者、本など)を扱うウィキペディアの記事では、[[Wikipedia:言葉を濁さない|大げさな表現]]が使用される傾向にあります。これは百科事典にそぐわない記述の仕方です。審美的な意見は多種多様かつ主観的なものであるため、「だれそれが世界で最も偉大なソプラノ歌手である」といったことについては、私たちは意見の一致をみることができないでしょう。しかし、あるアーティストや作品が、著名な専門家や一般の人々にどのように受け止められたかということを記すことは適切です。たとえば、シェイクスピアに関する記事では、彼が英語による著述家の中で最も偉大な人物の一人であると広く考えられていることを記すべきです。記事では、ある創作物に関して共通する解釈の概観を、できれば専門家が抱いている解釈を引用した出典とともに示すべきです。検証可能な周知の学究的な批評を記載することは、芸術作品について有用なコンテクストを提供することになります。


=== 注意を要する用語 ===
ですが、ウィキペディアの中立性のポリシーについて、それは事実だけを記述し意見は控えるというものだと言うだけでは不十分です。ある意見についての事実を述べる時には、その意見に対立する意見についての事実を述べ、かつ、それらの意見のどれか一つが正しいと示唆せずにおくことも重要です。一般的に、それら対立する意見の背後にある考え方や、誰がそうした意見を支持しているかについての事実を提供することも重要です。(その意見を代表するような人物を引用することが、しばしば最適の方法です。)
{{Main|Wikipedia:言葉を濁さない}}
ウィキペディアには、掲載を禁止されている用語や表現はありませんが、偏向を招くおそれがあるために使用する際に注意が必要とされる表現があります。たとえば、「ジムはサンドウィッチの代金を払ったと言い張った」という文中で「言い張る」という表現を使用すると、彼の話が信憑性に欠けることを暗示させてしまいます。このように疑念を抱かせるような表現を使用すれば、一方の立場を他方に優越させて推進している記事だと思われてしまうことでしょう。そのような誘導的な言葉を使うのではなく、事実をもっと簡潔に記述するようにしてください。たとえば、「ジムはサンドウィッチの代金を払ったと言った」というように。おもねった表現、軽蔑的な表現、言葉を濁した表現、言い古された表現、特定の観点を是認するような表現は排除するように努力してください(ただし、注目に値する情報源からの引用文の一部にこれらの表現が含まれている場合はこの限りではありません)。


=== 情報源が内包する偏向 ===
== フェアであることと、好意的な立場 ==
信頼できる情報源に関する論争でよくみられる主張は、ある情報源が偏向しているので、別の情報源を優先すべきだというものです。偏向した情報源は記事に誤った観点を招く元になるため、使用するべきではないと主張する編集者もいます。しかしながら、そもそも偏向した情報源は、その他の点で根拠の薄い記事を作る元になるおそれはあるものの、ただ偏見に基づいているという点だけでは却下されません。中立的な観点は、複数の信頼できる情報源においてその意見が持つ重みに基づいて、諸情報源が内包する偏りのバランスをとることによって達成されるべきであり、特定の編集者の観点と観点が一致しない情報源を除外することによってなされるべきではありません。これは、偏向した情報源も使用されなければならないという意味ではありません。事によっては、情報を完全に除外したほうが記事の改善に資することもあるでしょう。
もしも論争についてフェアに説明するのであれば、競合しあっている様々な立場を、常に肯定的で好意的な形で提示すべきです。多くの記事は、対立する見方について紹介しつつも、特定の見方を支持するものになってしまっています。これは失敗です。ある記事が、意見ではなく事実を記述するものになっていたとしても、その記事は依然としてどのような立場に立って書かれているかを読者にそれとなく感じさせるものになっている場合があります。それはどのような事実をとりあげて説明するか、(どのような事実をとりあげないか)、それらをどのように配列し、まとめるか、といったことを通じて行われます。例えば、ある立場に対立する意見を紹介しながらそれを否定する説明を行うと、そうした対立意見を「対立意見」のセクションにまとめて紹介する場合と比べて、ずっと説得力がなくなります。


== 中立性論争に対処する ==
こうしたことをするかわりに、記事を書く時には、説明されている全ての立場は、少なくとも賛成できそうに思えるものだというトーンで書くべきです。全ての競合する立場を好意的に説明しましょう。例えば、○○の考え方はよいアイディアだ、但し、一部の反対意見によれば、そうしたアイディアは××を見落としていると言われている、という書き方ができます。もしこういう書き方ができなければ、記事の内容にはいろいろ問題が残り、後に他の人の編集の際にそれを中和するような変更がなされることになるでしょう。
=== 偏った記述は帰属化・明確化する ===
{{Policy shortcut|WP:SUBSTANTIATE|WP:ATTRIBUTEPOV|WP:INTEXT}}
偏った意見の陳述は、本文内で帰属化する方法でのみ提示することができます。たとえば、「ジョン・ドウは最も優れた野球選手である」という意見を表す陳述について、ウィキペディアでは、それがまるで事実であるかのごとく断定的に記してはいけません。「ジョン・ドウの野球技能は、アル・ケーラインやジョー・トーリといった野球関係者から賞賛されている」というように、事実に即した意見を扱った記述としてならば、記事に含めることができます。それでもなお、意見は[[Wikipedia:検証可能性|検証可能]]な情報として適切に[[Wikipedia:出典を明記する|出典を提示]]した上で記載されなければなりません。


別の方法としては、実際に事実として存在する事柄について明細に述べるか具体的に述べる方法が有効です。たとえば、「ジョン・ドウは、2003年から2006年まで、メジャーリーグで打率1位であった」といった記載の仕方があります。このような記述であれば、彼が最高の野球選手であったかどうかについては人々の間でなおも議論が続くでしょうが、ここで事実として提示された優れた打撃成績については誰もが認めるところとなるでしょう。
== 芸術作品などの特徴に関する意見 ==
特別なケースがひとつ考えられます。審美的な判断にかかわるものです。ウィキペディアの記事の一部はアート、アーティスト、その他クリエイティブな話題(例えばミュージシャン、役者、本、テレビゲーム、など)を扱うもので、執筆者が感じたことを表現する傾向にあります。これは、百科事典にそぐわない記述だと言えるでしょう。だれそれが歴史上最も偉大なベーシストである、といったことについてはわれわれは意見の一致を見ることができないでしょう。ですが、あるアーティストや作品が一般大衆や、批評家や、有名な専門家などにどのように受け止められたか、という情報は実際のところとても重要なものです。ある作品についての一般的な解釈の概説をすること、それもできればその解釈を提唱している特定の著名な人への言及なりその人の引用をつけて、はよいことです。例えば、シェイクスピアが英語による著述家の中で最も偉大な人の一人だということは、どこかの生徒が百科事典から学ぶべき重要な知識でしょう。ただし、注意して下さい――作家や作品が大衆や批評家にどのように受け止められたかを判断するためには、下調べが必要でしょう。ですが、そのような情報は百科事典にとっては非常に重要で、ウィキペディアの執筆者の独自の見解は重要ではありません。


偏った記述や意見の陳述をイタチ語法<ref group="注">故意に意味をぼかした言葉遣いのことです。</ref>で言い換えたくなる衝動は抑えてください。たとえば、「多くの人々はジョン・ドウが最も優れた野球選手だと思っている」という記述では、「どういった人たちが?」「どれだけ多くの人が?」という側面について意味をぼかした表現になっています。「多くの人々は…と思っている」といった記載の仕方が許されるのは、少なくとも1件の公表された意識調査によってそれが裏付けられている場合のみです。
== ひとつの帰結:敵のために書く ==
例えば政治的に論争の的になっているような事柄について常に自分の観点を主張しようとして、他の観点がフェアに提示されているかどうかについては気にしない人は、この中立性のポリシーに違反しています。中立性の方針は、執筆者が自分の立場だけでなく、自分と反対の立場についてもきちんと説明するように求めています。このポリシーを守るように努力しなければ、ウィキペディアはいまよりもずっと頼りない情報源になってしまうでしょう。われわれは皆、各人の観点をできるだけ好意的に説明するように努力すべきです。


==== 帰属化の表現の例 ====
これは、一部の人にとっては既に明らかな事を明文化しただけのものです。もしもわれわれ各人が完全に偏った文章を投稿してもよいとしたら、そもそも中立性のポリシーに誰かが違反するなどという可能性がどこにあるでしょうか? このポリシーの命じるところは、「中立的な観点から書け」というものです。もしも、このポリシーが「同意できない立場についても、フェアに説明を行うように各人が努力すべきだ」ということを意味しないとしたら、何を意味するでしょうか? あるいは、こう考える人もいるかも知れません「自分の立場をフェアに提示すべきだ、そして他の人がそれを編集するのを受け入れるべきだ」これは解釈としては少しは意味が通るかもしれません、でも少しだけです。もしも「ページを保存」するボタンを押す時、そのユーザーが記事の全文に責任を負っているのだとしたら、そのユーザーが自分の賛同する立場だけを説明したり、対立する立場をフェアに説明しなかったり、不完全な形で説明したりしているような場合には、その人はウィキペディアに偏った見方を付け加えていることになります。このように記事の全文に責任を負うと考えることは意味が通るでしょうか? それとも、文章の一部だけに限定して、「この部分は自分の文責だ」と考えることの方が意味が通るでしょうか? あるいはそう言うこともあるかも知れません。ですが、中立性の追及を強く、明白に掲げるこのウィキペディアのプロジェクトには、そういう態度はふさわしくないように見えます。
帰属化においては直接話法(○○によれば「△△は××」である)、間接話法(○○によれば△△は××である)、[[パラフレーズ]](○○によれば、"いわば"△△は××である)といった表現の方法があります。参照元の表現を編集の段階で自分の言葉で大まかに要約することもありますが、直接話法の場合は要約は行わずに原文をそのまま掲載する必要があります。これにより不注意による剽窃を避け、読者にその言説が誰に帰属するかを示すことができます。
{{Memo| [[ジョン・ロールズ]]は、公平な結論にたどり着くためには、政党は無知のヴェールの裏側にいると仮定して物事を考えなければならないと主張した<sup class{{!}}"reference">[[#cite_dummy|[1]]]</sup>。|check2}}


本文で出典を述べて記述する際には、不注意によって中立性を崩さないように気を使う必要があります。
あるユーザーが自分と反対の立場についてのフェアな説明を試みたところで、当の反対の立場に立つ人は、その説明が不十分なものだと考えるかも知れません。ですが、重要なのは説明が成功するか失敗するかではなく、フェアな説明を試みるべきだという考え方です。中立性をめぐる論争がある時に、全ての立場がフェアに説明されていなければならないし、誠意を持って自分の立場以外の立場をフェアに説明しようと試みなければならないという考え方をわれわれが共有していれば、その論争の解決はずっとうまく行きます。そしてそのような態度は、何も試みないことよりもずっと相手方の理解や謝意を得ることになります。


以下の文例ではドーキンスの言説のほうが一般的な観点であることを明らかにしないまま、安直に2つの言説を並べています。
「敵のために書く」と言えば、あたかもわれわれが欠陥のある議論をわざわざウィキペディアに追加するという奇妙なことをしているかのように思われるかも知れません。ですが、ともすれば不可解なこの行動について、(出版されている中で)最良の反論を、できるだけ賛同するような立場から追加しているのだ、できればその反論を、記事中で紹介しているのと同じ形で提唱している著名な人物を引用しようともしているのだ、と考えるのがいいと思います。学者、例えば哲学者は常にこういうことをします。


{{Memo|[[リチャード・ドーキンス]]は人間は[[自然選択説|自然選択]]を経て進化したと主張するが、しかしジョーン・スミスは火星より移住してきたと述べている。|cross2}}
== ひとつの例 ==
偏った見方から書かれた文章の例と、ウィキペディアの参加者がそれをどんな風に比較的偏りのない記事にして行ったかを考えてみることは、この問題についての理解の助けになるかも知れません。


他の中立性の例では、インテキスト方式によってミスリードを招く問題があります。以下の文例では ''The New York Times'' だけがこの重要な事象を発見したかのように受け取られます。
2001年初頭に、妊娠中絶([[:en:Abortion]])の記事は、自分の意見を声高に唱えようという何人かの参加者によって、レトリックの応酬のようなものに使われました。どのような議論が紹介され、それら対立する立場がどのように提示されるべきかについての合意に達することもできない状態でした。その記事に必要だったのは、様々な時代における妊娠中絶の道徳的、法的な正当性についての様々な立場を扱う踏み込んだ議論でした。そのような諸立場の議論は慎重にデザインされ、どのような特定の立場もひいきされないように工夫されました。これにより、妊娠中絶をとりまく様々な立場が、好意的な視点から強みと弱みと共に紹介されることになり、それらの諸立場を整理し、理解することを容易にしました。


{{Memo|''The New York Times''によると、酸素は水素とヘリウムに次いで宇宙に豊富に存在する元素であるとされる。|cross2}}
他にも、事実上特定の立場の推進のために書かれる形で始まり、その後、全ての立場を明確に、好意的に提示するように心がけている人々によってきれいに仕上げられることになった記事の成功の物語はたくさんあります。


出典を述べることで、このような単純な事実についても信頼できる情報源に基づいていることを読者に伝えられますが、この文章の場合、一般的には本文中では出典を述べずとも単純に事実を記述するのが最善です。
== よくある批判と回答 ==
以下に挙げるのはウィキペディアの中立性の方針についてのよくある反論、質問です。回答はリンク先あるいは[[/FAQ|FAQ]]にあります。


{{Memo|酸素は水素とヘリウムに次いで宇宙に豊富に存在する元素である<sup class{{!}}"reference">[[#cite_dummy|[2]]]</sup>。 |check2}}
* ''[[/FAQ#客観的な視点など存在しない|客観的な視点など存在しない]]''
*: 客観性などというものは存在しない。少しでも哲学的に洗練された人なら誰でも知っていることだ。それなのにどうして「中立性」のポリシーを真剣に受け止めることができるのか? 中立性、つまり偏りのない見方、というのは端的に不可能だ。


== 歴史 ==
* ''[[/FAQ#疑似科学と科学を対等に扱うのか|疑似科学と科学を対等に扱うのか]]''
{{Memo}}以下は英語版ウィキペディアの方針の歴史を説明しています。
*: 疑似科学のトピックについての記事はどのように書くべきでしょう――科学者の大部分がその疑似科学の意見は信用できないもので、真剣にとりあげる値打ちもない、と考えている場合には?


中立的な観点 (Neutral Point Of View, NPOV) は、ウィキペディアに関する最も古い運営概念の一つです。最初に表に出たのは[[ヌーペディア]]内における「不偏の方針」 ([https://web.archive.org/web/20001205000200/http://www.nupedia.com/policy.shtml#III Non-bias policy]) で、2000年に[[ラリー・サンガー]]が起草したものです。サンガーは2001年に、ウィキペディアの「考慮すべきルール」 ([https://web.archive.org/web/20010416035716/www.wikipedia.com/wiki/RulesToConsider rules to consider]) として、偏向しないことを提案しました。この提案は偏向のない百科事典を作るための目標となる中立的な観点の方針として[http://cyber.law.harvard.edu/~reagle/wp-redux/NeutralPointOfView/982358834.html 成文化]されました。[https://en-two.iwiki.icu/w/index.php?title=Wikipedia:Neutral_point_of_view&oldid=270453 最初にウィキペディアに対して中立的な観点の方針が明記された]のは、2001年12月26日のことで、サンガーによって追加されました。[[ジミー・ウェールズ]]は、さまざまな討論の場([http://lists.wikimedia.org/pipermail/wikien-l/2003-November/008096.html 2003年11月]、[http://lists.wikimedia.org/pipermail/wikien-l/2006-April/044386.html 2006年4月]、[http://www.gossamer-threads.com/lists/wiki/foundation/123928#123928 2008年3月])を通じて、一貫して中立的な観点を「交渉の余地のない」 (non-negotiable) ものとみなしています。
* ''[[/FAQ#差別主義についてはどうか|差別主義についてはどうか]]''
*: ほとんどの西洋人にとって感情を害するような見方――人種差別、性差別、ホロコーストの否定などはどうでしょうか。これらの見方を実際に持っている人はいるわけですが。もちろんわれわれはこれらの見方について「中立」であるべきではないですよね?


[[Wikipedia:独自研究は載せない|独自研究は載せない]]および[[Wikipedia:検証可能性|検証可能性]]は、中立的な観点の方針、ならびに[[#適当な重み付け|不当な重み付け]]と[[:en:Wikipedia:Fringe theories|珍奇な学説]]を扱う問題を源流としています。情報源の問題ある使い方に対処するため、[https://en-two.iwiki.icu/w/index.php?title=Wikipedia:No_original_research&oldid=2014449 2003年に独自研究は載せないの方針が設けられました]。記事の正確さを保証するために、出典を記載することを奨励する[https://en-two.iwiki.icu/w/index.php?title=Wikipedia:Verifiability&oldid=1339095 検証可能性の方針も2003年に設けられました]。不当な重み付けの節も、同年9月のウェールズによる[http://mail.wikipedia.org/pipermail/wikien-l/2003-September/006715.html メーリングリストの投稿]が手伝って2003年から発展し始めました。
* ''[[/FAQ#有害な考えを広めてしまうのではないか|有害な考えを広めてしまうのではないか]]''
*: ちょっと待った。科学対疑似科学についてのその楽観的な見方は、きちんとした考えがあってのものだろうか。疑似科学を支持する人は嘘をついたり、敵を口汚く罵ったり、何かをほのめかしたりして事実を追い払ってしまうことは歴史が示している。疑似科学を信じる人の多くはその見方を他の人に対してすぐ押し付けようとすることも。もしこのプロジェクトが地球が平らだと主張する人やホロコーストはなかったと主張する人にも平等な妥当性を認めるとしたら、(そういうつもりではないとしても)結果としてそうした人たちに正統性を与えてしまい、害悪としかいいようのないものが普及するのを助けることになってしまうことになる。


以下に、ウィキペディアの草創期、2001年にジミー・ウェールズが提示した「中立的な観点」の原点となる声明を引用します。
* ''[[/FAQ#アメリカ中心主義への批判|アメリカ中心主義への批判]]''
*: ウィキペディア英語版はアメリカ中心主義的な観点をとっているように見えます。これは中立的な観点のポリシーと矛盾しませんか?


{{Quotation
* ''[[/FAQ#偏った意見を削除して良いか|偏った意見を削除して良いか]]''
|一般用の百科事典は、中立的な観点から提供される、総合された知識を集積したものです。百科事典を執筆する際には、中立的な観点以外の特定の立場をとることは、どのような形であれ可能な限り避けるべきです。
*: 中立性の観点のポリシーは、偏った見方から書かれた文章を削除する理由として持ち出されます。これは問題ではないでしょうか?


中立的な観点からは、意見や事実について、その支持者と反対者の双方が合意できるような書き方で表現することを試みます。もちろん、100%の合意は不可能です。この世界には、自分の見方を強硬に述べること以外の表現手段を認めようとしない人たち<ref group="注">原文では、"ideologues" 「[[イデオローグ]]たち」。</ref>もいます。私たちにできることは、個々の論点については異なる意見を持つかもしれないが本来的に分別のある人々が同意できるような書き方を探し求めることだけです。
* ''[[/FAQ#どうしようもなく偏った執筆者がいる|どうしようもなく偏った執筆者がいる]]''
*: 中立性の観点のポリシーには賛成しますが、完全に、手の施しようのないくらい見方が偏った人がいます。彼らの投稿を編集しなければなりません。どうしたらいいんでしょうか。


私の言わんとするところをよく理解してもらうために、いくつか例を挙げます。
* ''[[/FAQ#中立性に関する争いについて|中立性に関する争いについて]]''
*: 中立性に関する果てしない争いをどうやったら終わらせることができるでしょう?


# 百科事典の記事では、執筆者にそういう信念があったとしても、営利企業は犯罪集団である、というような議論を展開するべきではありません。そのかわり、一部の人々はそのように信じている、という事実を提示し、その理由がなぜかを説明し、それに反対する側の主張する内容を紹介するべきです。
* ''[[/FAQ#争いのある主題についての長い記事|争いのある主題についての長い記事]]''
# 百科事典の記事では、自由放任型の資本主義が最良の社会体制である、といった議論を展開するべきではありません。(ちなみに、これは私の信念なのですが。)そのかわり、そのような見方を擁護する人たちの主張を、それに賛同しない人たちの主張と併せて紹介するべきです。
*: こんな場合はどうでしょうか? ――ある事柄について、複数の、長い記事を書く場合には、反論の余地のある前提を受け入れて書かなければ記事が書けないのではないでしょうか? 例えば進化論について書く時には、進化説と創造説(人間も他の動物も神が創造したとする説)の論争を全てのページで展開しなければならないわけではないですよね?


おそらく、あなたの書いた原稿をより百科事典的な文章にする最も簡単な方法は、ある事物がどのようであるかを書くよりも、その事物について人々がどのような信念を表しているかについて書くことでしょう。
* ''[[/FAQ#敵を応援などしたくない|敵を応援などしたくない]]''
*: 「敵のために書く」という話には納得が行きません。敵のためには書きたくないです。敵に当たる人のほとんどは、誤りだと証明できるようなことを事実として主張するという手段に頼って議論しています。中立的な観点のためには、同意できないような観点を善意を持って説明するために、私も彼らと同じような嘘をつかなければならないというのでしょうか?


もしこの声明がどことなく主観論か集産主義か帝国主義のような印象を与えるとしたら、それはただの誤解だと思いますので、私にお尋ねください。人々が何を信じているかは、客観的な事実の問題であり、中立的な観点からかなり容易に描写することができるものです。
* ''[[/FAQ#もっと別の反論があるのですが、どこに書いたらいいでしょうか?|もっと別の反論があるのですが、どこに書いたらいいでしょうか?]]''
|[[ジミー・ウェールズ|ジンボ・ウェールズ]] (Jimbo Wales)|[https://web.archive.org/web/20010416035757/http://www.wikipedia.com/wiki/NeutralPointOfView 2001年の声明文]{{en icon}}
*: 反論を書く前に、以下のリンクを参照して下さい。中立性の観点をめぐる多くの物事は、非常に多く議論されてきました。もしもその議論に貢献できるようであれば、ノートのページが利用できます。(註:全て英文)
}}


== よくある批判と回答 ==
==脚注==
以下に挙げるのは、ウィキペディアの中立的な観点の方針について、よくある反論や質問です。詳細な回答は[[Wikipedia:中立的な観点/FAQ|FAQ]]にあります。

; [[Wikipedia:中立的な観点/FAQ#中立性|中立であること]]:
* [[Wikipedia:中立的な観点/FAQ#客観的な視点など存在しない|客観的な視点など存在しない]]<br />私たちはみな偏った見方をしているということは、少しでも哲学的に洗練された人なら誰でも知っていることです。では、どうしたら中立的な観点の方針を真剣に受け止めることができるでしょうか?
* [[Wikipedia:中立的な観点/FAQ#中立性の欠如は削除の口実になるか|中立性の欠如は削除の口実になるか]]<br />中立的な観点の方針は、偏っていると受け取られた文章を除去する口実として利用されることがあります。これは問題ではないでしょうか?
* [[Wikipedia:中立的な観点/FAQ#意見ではなく事実を記せ|一つの簡単な公式化—それはどういう意味か?]]<br />以前この方針では、「意見を扱った事実も含めて、事実を記してください。意見そのものを記さないでください」と説明していました。これはどういう意味ですか?

; [[Wikipedia:中立的な観点/FAQ#異なるものの見方のバランスをとる|異なるものの見方のバランスをとること]]:
* [[Wikipedia:中立的な観点/FAQ#論敵のために書く|論敵のために書く]]<br />中立的な観点の方針は、論争の的となっている記事において、自分と反対の立場にある「論敵」の主張についてもきちんと説明するように求めていますが、どうにも納得がいきません。論敵のためには書きたくないです。論敵に当たる人のほとんどは、誤りであると論証できる多くの内容を事実として記すことを当てにしています。執筆に際して記事が中立的であるためには、同意できないような観点を説明するために嘘をつかなければならないとでもいうのでしょうか?
* [[Wikipedia:中立的な観点/FAQ#道徳的に不快な見方|道徳的に不快な見方]]<br />一部の人々が実際に抱いている[[ホロコースト否認]]など、ほとんどの読者にとって道徳的に不快な見方については、どう思いますか?まさか彼らに対して私たちの方が中立的ではないなどといわれるのではないでしょうね?

; [[Wikipedia:中立的な観点/FAQ#執筆者同士の論争|執筆者同士の論争]]:
* [[Wikipedia:中立的な観点/FAQ#偏った寄稿者への対処|偏見のある寄稿者に対処するには]]<br />不偏の方針には賛成しますが、まったく、手の施しようのないくらい見方の偏った人が見受けられます。彼らの投稿を追いかけて、後始末して回らなければいけません。どうしたらいいでしょうか?
* [[Wikipedia:中立的な観点/FAQ#絶え間ない論争を避ける|絶え間ない論争を回避するには]]<br />中立性の問題を巡って絶え間なく続く、果てしない争いをどうやったら終わらせることができるでしょうか?

; [[Wikipedia:中立的な観点/FAQ#その他の反論|その他の批判]]:
* [[Wikipedia:中立的な観点/FAQ#英米中心的な視点|英米中心的観点]]<br />ウィキペディア英語版は英米中心の観点をとっているように思われます。これは中立的な観点の方針に反していませんか?
* [[Wikipedia:中立的な観点/FAQ#ここに回答されていない反論|ここに回答されていない反論]]<br />もっと別の反論があるのですが、どこに訴えたらいいでしょうか?

中立的な観点の方針は、新規参加者にとってはあまり馴染みのないものであると同時に、ウィキペディア的アプローチの根幹を成す部分でもあるので、この方針を取り巻く多くの問題が非常に広範囲にわたって取り扱われてきました。もしもその討論に何か新たに寄与する気があるのであれば、[[Wikipedia‐ノート:中立的な観点|ノートページ]]に提議することができます。ノートに投稿して問いかける前には、以下のリンク先を今一度よくお読みください。

== 注釈 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{脚注ヘルプ}}
{{notelist2}}
<references />


== 関連ページ ==
== 関連項目 ==
; 方針およびガイドライン
* [http://www.nupedia.com/instr/nonbias.html Nupediaの中立性の観点のポリシー](英語)
* {{仮リンク|Wikipedia:利害の衝突|en|Wikipedia:Conflict of interest|label=利害の衝突}}
* [[:Category:中立的観点に議論ある項目]]
* {{仮リンク|Wikipedia:非主流学説|en|Wikipedia:Fringe theories|label=非主流学説}}
* [[m:Neutral point of view--draft|Meta-Wikipedia draft and commentary]](メタウィキ)
* [[Wikipedia:言葉を濁さない|言葉を濁さない]]
* [[:en:Wikipedia:Neutral point of view/Examples]](中立的な記述の例:英語)
* [[Wikipedia:独自研究は載せない|独自研究は載せない]]
* [[:en:Wikipedia:Neutral point of view/Examples Debate]](記述の例をめぐる議論:英語)
* [[Wikipedia:検証可能性|検証可能性]]
* [[m:Natural point of view|自然な記述]](メタウィキ)
* [[:en:Wikipedia_commentary/Responses_to_How_to_Build_Wikipedia,_Understand_Bias]](見方の偏りについて理解する:英語)
* [[:en:Wikipedia:List of controversial issues]](ウィキペディアで扱われる、最も論争を呼ぶ主題:英語)
* [[Wikipedia:避けたい言葉]]
* [[Wikipedia:論争のある記事]]
<!-- * [[:en:Wikipedia:Words that should not be used in wikipedia articles]](ウィキペディアの記事内で使われるべきでない言葉]]-->
* [[:en:Talk:Creationism]](ノート:創造説 英語)
* [[m:Positive tone]]


; 提案中の案件
== 外部リンク ==
* [[Wikipedia:日本中心にならないように|日本中心にならないように]]
* [[MeatBall:NeutralPointOfView|NeutralPointOfView]] on [[:en:MeatballWiki|MeatballWiki]]
* [[Wikipedia:避けたい言葉|避けたい言葉]]


; 補足情報
{{Wikipediaの方針とガイドライン}}
{{div col}}
* {{仮リンク|Wikipedia:観点を記述する|en|Wikipedia:Describing points of view|label=観点を記述する}}
* {{仮リンク|Wikipedia:論争のある議題の一覧|en|Wikipedia:List of controversial issues|label=論争のある議題の一覧}}
** [[:Category:論争のある話題|論争のある話題]]
* {{仮リンク|Wikipedia:中立的な観点をめぐる論争|en|Wikipedia:NPOV dispute|label=中立的な観点をめぐる論争}}
* [[Wikipedia:中立的な観点/FAQ|中立的な観点に関するFAQ]]
{{div col end}}


; 私論
{{div col}}
* {{仮リンク|Wikipedia:学術的バイアス|en|Wikipedia:Academic bias|label=学術的バイアス}}
* {{仮リンク|Wikipedia:形式上中立であれ|en|Wikipedia:Be neutral in form|label=形式上中立であれ}}
* {{仮リンク|Wikipedia:チェリーピッキング|en|Wikipedia:Cherrypicking|label=チェリーピッキング}}
* {{仮リンク|Wikipedia:礼儀正しき観点の推進|en|Wikipedia:Civil POV pushing|label=礼儀正しき観点の推進}}
* {{仮リンク|Wikipedia:コートラック|en|Wikipedia:Coatrack articles|label=コートラック}}
* [[Wikipedia:論争のある記事|論争のある記事]]
* {{仮リンク|Wikipedia:批評|en|Wikipedia:Criticism|label=批評}}
* {{仮リンク|Wikipedia:「論争を教えろ」になるな|en|Wikipedia:Don't "teach the controversy"|label=「論争を教えろ」になるな}}
* {{仮リンク|Wikipedia:読者に決めさせよ|en|Wikipedia:Let the reader decide|label=読者に決めさせよ}}
* {{仮リンク|Wikipedia:中立的な観点/実例|en|Wikipedia:Neutral point of view/Examples|label=中立的な観点の実例}}
* {{仮リンク|Wikipedia:中立的な観点は中立的な内容よりも中立的な編集を求める|en|Wikipedia:NPOV means neutral editing, not neutral content|label=中立的な観点は中立的な内容よりも中立的な編集を求める}}
* {{仮リンク|Wikipedia:中立的な観点に関するチュートリアル|en|Wikipedia:NPOV tutorial|label=中立的な観点に関するチュートリアル}}
* {{仮リンク|Wikipedia:執筆者、情報源、分野に由来する観点および独自研究|en|Wikipedia:POV and OR from editors, sources, and fields|label=執筆者、情報源、分野に由来する観点および独自研究}}
* {{仮リンク|Wikipedia:現在中心の見方|en|Wikipedia:Presentism|label=現在中心の見方}}
* {{仮リンク|Wikipedia:科学的合意|en|Wikipedia:Scientific consensus|label=科学的合意}}
* {{仮リンク|Wikipedia:科学的観点|en|Wikipedia:Scientific point of view|label=科学的観点}}
* {{仮リンク|Wikipedia:体系的バイアス|en|Wikipedia:Systemic bias|label=体系的バイアス}}
* {{仮リンク|Wikipedia:ウィキペディアの方針の背後にある論理|en|Wikipedia:The logic behind Wikipedia policy|label=ウィキペディアの方針の背後にある論理}}
* {{仮リンク|Wikipedia:ウィキペディアは情報源に記載された内容のみを記述する|en|Wikipedia:Wikipedia only reports what the sources say|label=ウィキペディアは情報源に記載された内容のみを記述する}}
{{div col end}}

; 記事
{{div col}}
* [[ウィキペディアへの批判]]
* {{仮リンク|コンセンサス・リアリティ|en|Consensus reality}}
* {{仮リンク|ジャーナリスト的客観性|en|Journalistic objectivity}}
* [[チェリー・ピッキング#一方的な主張|一方的な主張]]
{{div col end}}

; テンプレート
: [[:Category:中立性テンプレート]]も参照。
* {{tl|観点}}

{{Wikipediaの方針とガイドライン}}
{{DEFAULTSORT:ちゆうりつてきなかんてん}}
{{DEFAULTSORT:ちゆうりつてきなかんてん}}
[[Category:中立的観点に議論ある項目|* ちゆうりつてきなかんてん]]
[[Category:中立的観点に議論ある項目|* ちゆうりつてきなかんてん]]

[[af:Wikipedia:Neutrale standpunt]]
[[als:Wikipedia:Neutraler Standpunkt]]
[[an:Wikipedia:Neutralidat d'o punto d'anvista]]
[[ar:ويكيبيديا:وجهة النظر المحايدة]]
[[as:ৱিকিপিডিয়া:নিৰপেক্ষ দৃষ্টিভংগী]]
[[ast:Uiquipedia:Puntu de vista neutral]]
[[az:Vikipediya:Neytral mövqe]]
[[be:Вікіпедыя:Нейтральны пункт гледжання]]
[[be-x-old:Вікіпэдыя:Нэўтральны пункт гледжаньня]]
[[bg:Уикипедия:Неутрална гледна точка]]
[[bn:উইকিপিডিয়া:নিরপেক্ষ দৃষ্টিভঙ্গি]]
[[br:Wikipedia:Kumuniezh/Chom neptu]]
[[bs:Wikipedia:Neutralno gledište]]
[[ca:Viquipèdia:Punt de vista neutral]]
[[chr:Wikipedia:Neutral point of view]]
[[co:Wikipedia:Puntu di vista neutru]]
[[cs:Wikipedie:Nezaujatý úhel pohledu]]
[[csb:Wiki:Neùtralny pùnkt zdrzeniégò]]
[[cy:Wicipedia:Safbwynt niwtral]]
[[da:Wikipedia:Skriv Wikipedia fra et neutralt synspunkt]]
[[de:Wikipedia:Neutraler Standpunkt]]
[[el:Βικιπαίδεια:Ουδετερότητα]]
[[en:Wikipedia:Neutral point of view]]
[[eo:Vikipedio:Neŭtrala vidpunkto]]
[[es:Wikipedia:Punto de vista neutral]]
[[et:Vikipeedia:Neutraalne vaatepunkt]]
[[eu:Wikipedia:Ikuspegi neutrala]]
[[fa:ویکی‌پدیا:دیدگاه بی‌طرف]]
[[fi:Wikipedia:Neutraali näkökulma]]
[[fiu-vro:Wikipedia:Eräpoolõlda saisukotus]]
[[fr:Wikipédia:Neutralité de point de vue]]
[[fy:Wikipedy:Objektivens]]
[[gl:Wikipedia:Punto de vista neutral]]
[[gu:વિકિપીડિયા:નિષ્પક્ષ દૃષ્ટિકોણ]]
[[he:ויקיפדיה:נקודת מבט נייטרלית]]
[[hr:Wikipedija:Nepristrano gledište]]
[[hsb:Wikipedija:NPOV]]
[[hu:Wikipédia:Semleges nézőpont]]
[[hy:Վիքիպեդիա:Չեզոք տեսակետ]]
[[ia:Wikipedia:Puncto de vista neutral]]
[[id:Wikipedia:Sudut pandang netral]]
[[ig:Wikipedia:Neutral point of view]]
[[is:Wikipedia:Hlutleysisreglan]]
[[it:Wikipedia:Punto di vista neutrale]]
[[jv:Wikipedia:Cara ndeleng nétral]]
[[ka:ვიკიპედია:ნეიტრალური თვალსაზრისი]]
[[ko:위키백과:중립적 시각]]
[[lb:Wikipedia:Neutralitéit]]
[[ln:Wikipedia:Neutralité de point de vue]]
[[lt:Vikipedija:Neutralus požiūris]]
[[mg:Wikipedia:Fijerena tsy mitongilana]]
[[mk:Википедија:Неутрална гледна точка]]
[[ml:വിക്കിപീഡിയ:സന്തുലിതമായ കാഴ്ച്ചപ്പാട്]]
[[mn:Wikipedia:Төвийг сахисан байр суурь]]
[[ms:Wikipedia:Pandangan berkecuali]]
[[nl:Wikipedia:Neutraal standpunt]]
[[nn:Wikipedia:Objektivitet]]
[[no:Wikipedia:Objektivitet]]
[[pa:ਵਿਕਿਪੀਡਿਆ:ਉਦਾਸੀਨ ਨਜ਼ਰੀਆ]]
[[pl:Wikipedia:Neutralny punkt widzenia]]
[[pt:Wikipédia:Princípio da imparcialidade]]
[[qu:Wikipidiya:Mana hukllap qhawariyninlla]]
[[rmy:Vikipidiya:Birigyardo jalipen]]
[[ro:Wikipedia:Punct de vedere neutru]]
[[ru:Википедия:Нейтральная точка зрения]]
[[scn:Wikipedia:Puntu di vista niutrali]]
[[sco:Wikipedia:Whit NPOV is]]
[[sh:Wikipedia:Neutralan stav]]
[[simple:Wikipedia:Neutral point of view]]
[[sk:Wikipédia:Nestranný uhol pohľadu]]
[[sl:Wikipedija:Nepristranskost]]
[[sq:Wikipedia:Pikëpamje neutrale]]
[[sr:Википедија:Неутрална тачка гледишта]]
[[sv:Wikipedia:Neutral synvinkel]]
[[ta:விக்கிப்பீடியா:நடுநிலை நோக்கு]]
[[te:వికీపీడియా:తటస్థ దృక్కోణం]]
[[tg:Википедиа:Бетарафӣ]]
[[th:วิกิพีเดีย:มุมมองที่เป็นกลาง]]
[[tl:Wikipedia:Walang pinapanigang pananaw]]
[[tr:Vikipedi:Tarafsız bakış açısı]]
[[uk:Вікіпедія:Нейтральна точка зору]]
[[ur:منصوبہ:متعادل نقطۂ نظر]]
[[uz:Vikipediya:Betaraf nuqtai nazar]]
[[vi:Wikipedia:Thái độ trung lập]]
[[yi:װיקיפּעדיע:נייטראל]]
[[zh:Wikipedia:中立的观点]]
[[zh-min-nan:Wikipedia:Tiong-li̍p ê koan-tiám]]
[[zh-yue:Wikipedia:中立嘅觀點]]

2024年5月15日 (水) 06:24時点における最新版

ウィキペディアの内容に関する三大方針と相互の関係

中立的な観点 (Neutral Point Of View, NPOV) は、ウィキペディアの根本的な方針の一つです。この方針のため、ウィキペディア上のすべての百科事典的内容は中立的な観点に沿って書き記されなければなりません。これは、主題に関して信頼できる情報源によって公表されているすべての重要な観点を各観点の比重に応じて公平に描写し、できる限り編集上の偏向がないようにしなければならないことを意味します。

中立的な観点はウィキペディアの基本原則の一つであり、他のウィキメディア・プロジェクトの基本原理の一つでもあります。また、「検証可能性」および「独自研究は載せない」とともにウィキペディアの内容に関する三大方針としても位置づけられています。ウィキペディアでは、これらの方針を合わせて、記事に書き記すことが許される情報の種類と品質を決定しています。これらの方針は相互補完的に調和して機能するため、他の二つと切り離して解釈されるべきではありません。編集者はこれら三つの方針すべてに精通した上で編集を行うことが強く奨励されます。

この文書で説明している中立的な観点の方針は「交渉の余地のないもの」とされ、その基盤となる原理は、他の方針やガイドラインによって、または利用者同士の合意によって覆すことはできません。

中立的な観点とは

ウィキペディアのコミュニティにおいて理解される「中立」を成し遂げようとする姿勢とは、さまざまな信頼できる情報源を注意深く、批判的に分析し、それらに含まれる情報を公平に、各観点の比重に応じて、可能な限り編集上の偏向なく読者に伝えることを意味します。ウィキペディアが目指すところは、論争を記述することであり、論争に加わることではありません

執筆者は当然のことながら独自の視点を持っているものですが、完全な情報を提供するよう誠実に努力するべきであり、ある特定の観点を他方に優先して推進するようなことはしてはいけません。したがって、中立的な観点とは、ある種の観点を除外することを意味するのではなく、十分妥当な重みを持つすべての検証可能な観点を含んでいるものです。

百科事典にふさわしい中立の水準を達成するために下記の原則を遵守してください。

意見を事実として記さない
通常、記事はその記述対象について表された重要な意見を情報として含みます。しかし、その意見をウィキペディアの見解として述べてはいけません。それよりはむしろ、その意見が特定の情報源に帰することを文中に記すか、あるいは十分な根拠を示せる場合には、広く認められている意見として記述されるべきです。たとえば、記事中で「大量虐殺は悪行である」と記述してはいけませんが、「某氏は、大量虐殺は人間の悪の縮図であると記している」と記述することはできます。
深刻な論争がある主張を事実として記さない
ある問題について異なる信頼できる情報源の間で主張に衝突が生じている場合には、それらの主張については事実ではなく意見として扱い、その主張自体を文中で直接記述することはしないでください。
事実を意見として記さない
信頼できる情報源によって反論や論争の余地のないものとされた事実の主張であれば、普通はウィキペディアの見解として率直に記述されなければなりません。その言説が異議なき説であることに特に反論が無いのであれば、その主張を誰かに帰属させる必要はありません(それでも、情報源への出典リンクを付けておくことは検証可能性に役立ちます)。また、その説について論争が存在するかのような表現で記述すべきではありません。
判断を下さない言葉遣いを好んで選択する
明瞭さとのバランスをとらなければならないときもありますが、中立的な観点においては、主題(あるいは信頼できる情報源が主題について何と述べているか)に対して同情も非難も示しません。人々の意見や相反する所見については、公平無私の論調で表現してください。社説風に書かないでください。ある特定の観点に編集が偏向していることが見て取れるようならば、その記事は修正される必要があります。
対立する観点との相対的な勢力差を示す
主題に関して異なる観点を報告する際には、それらの観点に対する相対的な支持度が適切に反映されるように記述してください。対等であるとの誤った印象を与えたり、特定の観点に不当な重みを与えたりするような記述はしないでください。たとえば、「地球の形状は、フェルディナンド・マゼランの調査では球体だとされたが、ジョン・ハムデンの説によれば湾曲した平面体だとされる」という記述では、各観点を1人ずつの主張として記すことによって、圧倒的な多数派の観点とごく少数の人々の観点をあたかも対等であるかのように伝えてしまっています。

観点の中立とは何ではないか

この方針における「中立」や「中立的」という用語が一般とはやや異なった限定的な意味で使われていることには注意してください。得てして誤解がありますが、中立的な観点の方針とは以下のようなものではありません。

中立的な観点とは、中間的な観点のことではありません。
中立的な観点の方針とは、複数の意見や見解が対立する場合にはそれらの中間に位置する意見(間を取った意見)を正しいものとして記す、という意味ではありません。もし、そのような中間的な説が信頼できる情報源によって本当に論争の余地なく正しいと位置づけられている場合は事実として率直に記述することはありますが、ウィキペディアの編集者が間を取り持つような意見を生み出したり優遇したりすることはありません。
中立的な観点とは、特定の観点のことではありません。
中立的な観点は、提示された各観点のいずれでもありません。中立的な観点の方針とは、観点のどれかを「中立的な観点」として採用する行為ではありません。むしろ中立的な観点の本質は、各々の観点と距離を保ちながら、各観点の位置づけを冷静に定めて記事中に提示することにあります。
中立的な観点とは、全ての観点を平等に扱うことではありません。
あらゆる関連する観点を、同じような支持度や重要度があるようには扱いません。中立的な観点は、ウィキペディアの編集者が観点について独自の価値判断を下すことを禁じています。これは、一方の観点が他方の観点よりも優れていると主張すること(つまり、彼我の見方について価値判断をすること)のみならず、2つの観点ないし全ての観点が平等であると主張する(相対主義でもって、先ほどとは別の価値判断をしようとする)ことをも禁じていることを意味します。説や意見を説明する表現や文量などには適当な重みづけがなされ、差がつけられます。重みづけの結果、記事中に書くこと自体が妥当でないこともありえます。
中立的な観点とは、多数派の観点のことではありません。
中立的な観点にしたがって、支持度や重要度に応じて多数派の観点についての説明を記事の主要部とすることはありえますが、ウィキペディアが多数派の観点それ自体に立つことはありません。多数派の観点であっても、客観的かつ距離を保った論調で描写されなければならず、真実であるとか優れた見方であるとして誇大に描写してはいけません。

中立を達成するために

原則として、単に偏向しているように思われるなどという理由で、出典を明記した情報を除去しないでください。その代わりに、その一文や一節をより中立的な言い回しに書き改められないか、試してみてください。偏った情報は大抵、他の情報源を引用した資料を持ち合わせて執筆することで釣り合いがとれ、より中立的で幅広い視野を提供することができるため、そのような問題は正常な編集工程を通して可能であれば解決すべきです。記述を除去するのは、それが読者に誤った情報を伝えたり誤解を招いたりするおそれがあり、なおかつその部分を書き換える方法では対応できないと信じるに足る妥当な理由がある場合のみにしてください。

この節では、よくある問題について具体的な手引きを示します。

適当な重み付け

中立であるためには、標準名前空間にある各記事またはその他のページは、信頼できる情報源で公表されているすべての重要な観点を、公表された信頼できる情報源における各観点の支持度に応じて公平に記述することが要求されます[注 1]。妥当な重み付けをすることと不当な重み付けをしないようにすることは、少数意見や少数派の観点について、より広く主張されていたり支持されていたりするような意見や観点と同じぐらい多量または詳細な説明をするべきではないことを意味します。原則として、ごく少数の人々の意見は記事に一切含めるべきではありません。場合によっては、その特定の意見について説明している記事を「関連項目」に記載するような例は許容されます。たとえば、地球に関する記事では、ごく少数派の意見であることが明白な地球平面説に対する現代の支持意見に直接言及しないでください。そのようにしてしまっては「不当な重み付け」をすることになりかねません。

不当な重み付けは、記述の深さ、文章の量、配置の突出、文の同列化、画像の使用など、これらに限らず、いくつもの方法で行われる可能性があります。少数派の観点に特に関連する記事では、そのような観点は、より多くの注目を浴び、多くの紙面を割いてもらえることになるかもしれません。しかし、これらのページでも、密接に関連する多数派の観点が存在する場合には可能な限り、多数派の観点にも適切に言及すべきであり、くれぐれも少数意見の観点のみから内容を説明しないでください。具体的には、本文のどの部分で少数意見を説明しているのかを常にはっきりさせておかなければいけません。さらに、多数派の意見を十分に詳しく説明した上で少数意見との相違点を読者が理解できるようにし、少数意見の観点に関する論争をはっきりと明らかにして説明するべきです。どの程度詳しく記述することが要求されるかは話題によります。たとえば、地球平面説のような(現代では擁護する者がほとんど、あるいは全く存在しない)歴史的見解に関する記事では、現代の立場を簡潔に述べ、続いて、現在では信用を失った考えの歴史を中立的に記述し、その観念の歴史を極めて詳細に論じることができます。その他の少数意見については、読者を誤解させないために、多数派の意見を(少数意見よりも)はるかに広範に説明することが必要とされる場合があります。

ウィキペディアで論争を説明する際には、とても少数の人々の主張する意見が、多数派の意見とあたかも同じくらい重要であるかのような書き方をするべきではありません。ごく少数の人々が主張する意見は、そのような意見を扱うのに特化した記事(地球平面説など)以外には記載すべきではありません。無視しがたい少数派の意見に不当な重み付けをしたり、ごく少数の人々の意見を含めたりすれば、論争の有様について読者を誤った方向に導きかねません。ウィキペディアの狙いは、競合する意見を、その話題に関して信頼できる情報源における表現に応じて提示することです。これは、記事本文のみならず、画像、ウィキリンク、外部リンク、カテゴリ、およびその他のすべての情報にも同様に適用されます。

以下はジミー・ウェールズ[注 2]2003年9月にWikiEN-lのメーリングリストに投稿した内容(英語)からの引用です。

  • もしも観点が多数派の観点であるならば、一般に認められている参考文献を参照してその観点が多数派だと証明することは容易なはずです。
  • もしも観点が無視しがたい少数派が主張する観点であるならば、著名な擁護者の名前を挙げることは容易なはずです。
  • もしも観点が極めて少数の人々が主張する観点であるならば、それが本当であるか証明可能かどうかにかかわらず、ウィキペディアはそれを記載する場所としてはふさわしくないです(ただし、事によっては一部の付随する記事を除く)。

適当な重み付けを決定する際には、信頼できる情報源における観点の普及度を考慮し、ウィキペディアの編集者や一般の人々の間での普及度は考慮に入れないようにすることを心に留めてください。

もしも現在ほとんど、あるいは全く信じられていない学説をあなたが証明できたとしても、ウィキペディアはそのような証明を発表する場ではありません。信頼できる情報源で発表され、論じられてさえいれば、その説を適切に記事に含めることができます。「独自研究は載せない」および「検証可能性」も参照してください。

観点の釣り合いをとる

記事では、その主題に関する少数派の観点に不当な重み付けをしてはならず、各観点は、その主題に関する信頼できる公表された資料の本文での扱いに応じた重みをもって論じるように努めてください。たとえば、記述対象についての単発の出来事、批判、報道は、検証可能で偏りがないかもしれませんが、それでもなお、記事の主題に対する全般的な重要性とは不釣り合いである可能性があります。このことは、特にニュースで取り上げられることがある最近の出来事に関連した懸念事項です。

「平等な妥当性」を与えると偽の均衡を作り出しかねない

どのような話題に関しても、すべての重要な観点を説明することは大切ですが、ウィキペディアの方針は、すべての少数派の見解や並外れた主張[注 3]をまるで平等な妥当性があるかのように、一般に認められている主流派の学問的成果と並べて記載する必要があると言明したり暗示したりするものではありません。世界には、世間一般に信じられているものからほとんど知られていないものまで、さまざまな信念を持つ人々がいます。例として、地球は平面体であるという説、テンプル騎士団聖杯を手に入れたという説、アポロ月面着陸は捏造であったという説などがあります。疑似科学空想的歴史陰謀論、または、もっともらしいけれども現在認められていない言説は、認められている学術的成果との比較を通して正当化されることがあってはなりません。ウィキペディアは、これらの論点に関して、百科事典執筆者として賛成・反対いずれの立場も取りません。それを含めるとその説を不当に正当化することになる場合には、単にその情報を記載しません。あるいは、確立した学問的成果および広い世界の考えと関連づけた適切な文脈の中で、これらの考えを含めて記載します。

良質な研究

利用可能な最も評判のよい権威ある良質な情報源に基づく、確かで偏向のない研究は、中立的な観点を巡る争いを防ぐのに役立ちます。図書館で評判のよい書籍や学術論文を探してみたり、オンラインで最も信用されている情報源を探してください。もし高品質な情報源を見つけるのに手助けが必要であれば、作業中の記事のノートページで他の編集者に尋ねたり、井戸端や関連する分野のウィキプロジェクトで質問したりしてください。

均衡

中立を保つには、観点ごとの支持度に応じて、それらに重み付けをします。しかしながら、評判のよい情報源同士が互いに矛盾していたり、観点の支持度が比較的等しいときには、両方の観点を記述し、均衡をとってください。これは、公平無私の観点から意見の相違を説明している二次資料や三次資料を活用しながら、対立する意見を明確に描写することも伴います。

公平な論調

ウィキペディアは論争を“記述”するところです。論争に“参戦”はしません。 論争を中立的に描写するには、一貫して公平な論調で観点を記述することが求められます。そうでなければ、たとえ密接に関連する観点をすべて記述したとしても、その記事は熱心な支持者らによる実況解説に終わってしまいます。 話題が私見ではなく事実に基づいて記載されている場合でも、事実の取捨選択の仕方、提示の仕方、整理の仕方によっては、不適切な論調が記事に持ち込まれることがあります。中立的な記事は、記事に含まれるすべての立場を、公平で正確で釣り合いの取れた論調で記します。

ウィキペディアの記事の論調は公平であるべきで、特定の観点を支持したり排除したりしてはいけません。 論争が過熱しているときには、その論争に参加している者の主張を直接引用することは避け、代わりにその議論を公平な論調で要約して記載するように努めてください。

命名

事物や事象の命名に関しては、場合により、主題を表すために名称を選択して使用することによって、観点に偏りが見られるようになることがあります。一般的には中立的な用語を選択するのが望ましいですが、明瞭さとはバランスを取らなければなりません。信頼できる情報源(とりわけ日本語で書かれているもの)において広く使用されているために、読者によく認知されていそうな名称であれば、たとえ一部にその名称が偏っているとみなす者がいたとしても、それを使用して構いません。たとえば、広く使用されている名称である「国際連合[注 4]」「切り裂きジャック[注 5]」「スペインかぜ[注 6]」「タタールのくびき[注 7]」は、たとえそれが特定の立場から判断を下したように見えたとしても、これらの名称は当該の主題に対する言及の仕方としては正当なもののうちの一つとみなされます。主題を表すために用いる最もよい名称は、言及される文脈次第であることもあります。とりわけ当該の主題が中心的な論題である場合には、別名を挙げ、その用法に関する論争に触れるのが適切かもしれません。

この助言は特に記事名に適用されます。一般的な用法においては複数の用語が使われているかもしれませんが、記事名としては、記事名の付け方の指針に従って名称を一つだけ選択しなければなりません。別名を組み合わせて記事名とすることは推奨されません。たとえば、「アルミニウム(アルミナム)」「ジョージア(グルジア)」「日中戦争(支那事変)」とすべきではありません。代わりに、別名は記事本文内の然るべき箇所に目立つように示し、適切にリダイレクトを作成してください。

名称というよりも、記述的な語句を用いた記事名もあります。記述的な記事名とする場合も、話題に対する賛否を表す観点を示唆したり、問題の特定の側面に関する見解に記事の内容を閉じ込めたりすることのないよう、中立的な言い回しをするべきです(たとえば、「Xの批評」という記事名は「Xに関する社会的見解」に改名した方がよいかもしれません)。記事名が中立的であることは、複数の観点および責任ある記事の執筆を促進します。

審美的な意見の記述

芸術その他創作活動に関わる話題(たとえば、ミュージシャン、役者、本など)を扱うウィキペディアの記事では、大げさな表現が使用される傾向にあります。これは百科事典にそぐわない記述の仕方です。審美的な意見は多種多様かつ主観的なものであるため、「だれそれが世界で最も偉大なソプラノ歌手である」といったことについては、私たちは意見の一致をみることができないでしょう。しかし、あるアーティストや作品が、著名な専門家や一般の人々にどのように受け止められたかということを記すことは適切です。たとえば、シェイクスピアに関する記事では、彼が英語による著述家の中で最も偉大な人物の一人であると広く考えられていることを記すべきです。記事では、ある創作物に関して共通する解釈の概観を、できれば専門家が抱いている解釈を引用した出典とともに示すべきです。検証可能な周知の学究的な批評を記載することは、芸術作品について有用なコンテクストを提供することになります。

注意を要する用語

ウィキペディアには、掲載を禁止されている用語や表現はありませんが、偏向を招くおそれがあるために使用する際に注意が必要とされる表現があります。たとえば、「ジムはサンドウィッチの代金を払ったと言い張った」という文中で「言い張る」という表現を使用すると、彼の話が信憑性に欠けることを暗示させてしまいます。このように疑念を抱かせるような表現を使用すれば、一方の立場を他方に優越させて推進している記事だと思われてしまうことでしょう。そのような誘導的な言葉を使うのではなく、事実をもっと簡潔に記述するようにしてください。たとえば、「ジムはサンドウィッチの代金を払ったと言った」というように。おもねった表現、軽蔑的な表現、言葉を濁した表現、言い古された表現、特定の観点を是認するような表現は排除するように努力してください(ただし、注目に値する情報源からの引用文の一部にこれらの表現が含まれている場合はこの限りではありません)。

情報源が内包する偏向

信頼できる情報源に関する論争でよくみられる主張は、ある情報源が偏向しているので、別の情報源を優先すべきだというものです。偏向した情報源は記事に誤った観点を招く元になるため、使用するべきではないと主張する編集者もいます。しかしながら、そもそも偏向した情報源は、その他の点で根拠の薄い記事を作る元になるおそれはあるものの、ただ偏見に基づいているという点だけでは却下されません。中立的な観点は、複数の信頼できる情報源においてその意見が持つ重みに基づいて、諸情報源が内包する偏りのバランスをとることによって達成されるべきであり、特定の編集者の観点と観点が一致しない情報源を除外することによってなされるべきではありません。これは、偏向した情報源も使用されなければならないという意味ではありません。事によっては、情報を完全に除外したほうが記事の改善に資することもあるでしょう。

中立性論争に対処する

偏った記述は帰属化・明確化する

偏った意見の陳述は、本文内で帰属化する方法でのみ提示することができます。たとえば、「ジョン・ドウは最も優れた野球選手である」という意見を表す陳述について、ウィキペディアでは、それがまるで事実であるかのごとく断定的に記してはいけません。「ジョン・ドウの野球技能は、アル・ケーラインやジョー・トーリといった野球関係者から賞賛されている」というように、事実に即した意見を扱った記述としてならば、記事に含めることができます。それでもなお、意見は検証可能な情報として適切に出典を提示した上で記載されなければなりません。

別の方法としては、実際に事実として存在する事柄について明細に述べるか具体的に述べる方法が有効です。たとえば、「ジョン・ドウは、2003年から2006年まで、メジャーリーグで打率1位であった」といった記載の仕方があります。このような記述であれば、彼が最高の野球選手であったかどうかについては人々の間でなおも議論が続くでしょうが、ここで事実として提示された優れた打撃成績については誰もが認めるところとなるでしょう。

偏った記述や意見の陳述をイタチ語法[注 8]で言い換えたくなる衝動は抑えてください。たとえば、「多くの人々はジョン・ドウが最も優れた野球選手だと思っている」という記述では、「どういった人たちが?」「どれだけ多くの人が?」という側面について意味をぼかした表現になっています。「多くの人々は…と思っている」といった記載の仕方が許されるのは、少なくとも1件の公表された意識調査によってそれが裏付けられている場合のみです。

帰属化の表現の例

帰属化においては直接話法(○○によれば「△△は××」である)、間接話法(○○によれば△△は××である)、パラフレーズ(○○によれば、"いわば"△△は××である)といった表現の方法があります。参照元の表現を編集の段階で自分の言葉で大まかに要約することもありますが、直接話法の場合は要約は行わずに原文をそのまま掲載する必要があります。これにより不注意による剽窃を避け、読者にその言説が誰に帰属するかを示すことができます。

ジョン・ロールズは、公平な結論にたどり着くためには、政党は無知のヴェールの裏側にいると仮定して物事を考えなければならないと主張した[1]

本文で出典を述べて記述する際には、不注意によって中立性を崩さないように気を使う必要があります。

以下の文例ではドーキンスの言説のほうが一般的な観点であることを明らかにしないまま、安直に2つの言説を並べています。

リチャード・ドーキンスは人間は自然選択を経て進化したと主張するが、しかしジョーン・スミスは火星より移住してきたと述べている。

他の中立性の例では、インテキスト方式によってミスリードを招く問題があります。以下の文例では The New York Times だけがこの重要な事象を発見したかのように受け取られます。

The New York Timesによると、酸素は水素とヘリウムに次いで宇宙に豊富に存在する元素であるとされる。

出典を述べることで、このような単純な事実についても信頼できる情報源に基づいていることを読者に伝えられますが、この文章の場合、一般的には本文中では出典を述べずとも単純に事実を記述するのが最善です。

酸素は水素とヘリウムに次いで宇宙に豊富に存在する元素である[2]

歴史

Note 注記:以下は英語版ウィキペディアの方針の歴史を説明しています。

中立的な観点 (Neutral Point Of View, NPOV) は、ウィキペディアに関する最も古い運営概念の一つです。最初に表に出たのはヌーペディア内における「不偏の方針」 (Non-bias policy) で、2000年にラリー・サンガーが起草したものです。サンガーは2001年に、ウィキペディアの「考慮すべきルール」 (rules to consider) として、偏向しないことを提案しました。この提案は偏向のない百科事典を作るための目標となる中立的な観点の方針として成文化されました。最初にウィキペディアに対して中立的な観点の方針が明記されたのは、2001年12月26日のことで、サンガーによって追加されました。ジミー・ウェールズは、さまざまな討論の場(2003年11月2006年4月2008年3月)を通じて、一貫して中立的な観点を「交渉の余地のない」 (non-negotiable) ものとみなしています。

独自研究は載せないおよび検証可能性は、中立的な観点の方針、ならびに不当な重み付け珍奇な学説を扱う問題を源流としています。情報源の問題ある使い方に対処するため、2003年に独自研究は載せないの方針が設けられました。記事の正確さを保証するために、出典を記載することを奨励する検証可能性の方針も2003年に設けられました。不当な重み付けの節も、同年9月のウェールズによるメーリングリストの投稿が手伝って2003年から発展し始めました。

以下に、ウィキペディアの草創期、2001年にジミー・ウェールズが提示した「中立的な観点」の原点となる声明を引用します。

一般用の百科事典は、中立的な観点から提供される、総合された知識を集積したものです。百科事典を執筆する際には、中立的な観点以外の特定の立場をとることは、どのような形であれ可能な限り避けるべきです。

中立的な観点からは、意見や事実について、その支持者と反対者の双方が合意できるような書き方で表現することを試みます。もちろん、100%の合意は不可能です。この世界には、自分の見方を強硬に述べること以外の表現手段を認めようとしない人たち[注 9]もいます。私たちにできることは、個々の論点については異なる意見を持つかもしれないが本来的に分別のある人々が同意できるような書き方を探し求めることだけです。

私の言わんとするところをよく理解してもらうために、いくつか例を挙げます。

  1. 百科事典の記事では、執筆者にそういう信念があったとしても、営利企業は犯罪集団である、というような議論を展開するべきではありません。そのかわり、一部の人々はそのように信じている、という事実を提示し、その理由がなぜかを説明し、それに反対する側の主張する内容を紹介するべきです。
  2. 百科事典の記事では、自由放任型の資本主義が最良の社会体制である、といった議論を展開するべきではありません。(ちなみに、これは私の信念なのですが。)そのかわり、そのような見方を擁護する人たちの主張を、それに賛同しない人たちの主張と併せて紹介するべきです。

おそらく、あなたの書いた原稿をより百科事典的な文章にする最も簡単な方法は、ある事物がどのようであるかを書くよりも、その事物について人々がどのような信念を表しているかについて書くことでしょう。

もしこの声明がどことなく主観論か集産主義か帝国主義のような印象を与えるとしたら、それはただの誤解だと思いますので、私にお尋ねください。人々が何を信じているかは、客観的な事実の問題であり、中立的な観点からかなり容易に描写することができるものです。

— ジンボ・ウェールズ (Jimbo Wales)、2001年の声明文(英語)

よくある批判と回答

以下に挙げるのは、ウィキペディアの中立的な観点の方針について、よくある反論や質問です。詳細な回答はFAQにあります。

中立であること
  • 客観的な視点など存在しない
    私たちはみな偏った見方をしているということは、少しでも哲学的に洗練された人なら誰でも知っていることです。では、どうしたら中立的な観点の方針を真剣に受け止めることができるでしょうか?
  • 中立性の欠如は削除の口実になるか
    中立的な観点の方針は、偏っていると受け取られた文章を除去する口実として利用されることがあります。これは問題ではないでしょうか?
  • 一つの簡単な公式化—それはどういう意味か?
    以前この方針では、「意見を扱った事実も含めて、事実を記してください。意見そのものを記さないでください」と説明していました。これはどういう意味ですか?
異なるものの見方のバランスをとること
  • 論敵のために書く
    中立的な観点の方針は、論争の的となっている記事において、自分と反対の立場にある「論敵」の主張についてもきちんと説明するように求めていますが、どうにも納得がいきません。論敵のためには書きたくないです。論敵に当たる人のほとんどは、誤りであると論証できる多くの内容を事実として記すことを当てにしています。執筆に際して記事が中立的であるためには、同意できないような観点を説明するために嘘をつかなければならないとでもいうのでしょうか?
  • 道徳的に不快な見方
    一部の人々が実際に抱いているホロコースト否認など、ほとんどの読者にとって道徳的に不快な見方については、どう思いますか?まさか彼らに対して私たちの方が中立的ではないなどといわれるのではないでしょうね?
執筆者同士の論争
  • 偏見のある寄稿者に対処するには
    不偏の方針には賛成しますが、まったく、手の施しようのないくらい見方の偏った人が見受けられます。彼らの投稿を追いかけて、後始末して回らなければいけません。どうしたらいいでしょうか?
  • 絶え間ない論争を回避するには
    中立性の問題を巡って絶え間なく続く、果てしない争いをどうやったら終わらせることができるでしょうか?
その他の批判
  • 英米中心的観点
    ウィキペディア英語版は英米中心の観点をとっているように思われます。これは中立的な観点の方針に反していませんか?
  • ここに回答されていない反論
    もっと別の反論があるのですが、どこに訴えたらいいでしょうか?

中立的な観点の方針は、新規参加者にとってはあまり馴染みのないものであると同時に、ウィキペディア的アプローチの根幹を成す部分でもあるので、この方針を取り巻く多くの問題が非常に広範囲にわたって取り扱われてきました。もしもその討論に何か新たに寄与する気があるのであれば、ノートページに提議することができます。ノートに投稿して問いかける前には、以下のリンク先を今一度よくお読みください。

注釈

  1. ^ ウィキペディアの編集者あるいは一般の人々の間での各観点の比較的勢力差は、観点に関連した重要性がないため、重み付けをする際の考慮に入れるべきではありません。
  2. ^ ウィキペディアの共同創始者の一人で、ウィキペディアの運営母体であるウィキメディア財団の名誉理事長。
  3. ^ 社会学者マルセロ・トルッツィ英語版の言「並外れた主張は、並外れた証拠を必要とする」より。
  4. ^ 国際的には「連合国 (The United Nations) 」という呼称で、組織の公用語の1つである中国語での表記も「联合国」。その名の由来は連合国共同宣言 (Declaration of the United Nations) 。
  5. ^ 未解決の連続殺人事件の犯人の通称。送りつけられた犯行声明文の署名に由来する名前。
  6. ^ 「スペイン」の名が付くが、流行の発生源はアメリカ合衆国。また、正確には風邪ではなくインフルエンザ
  7. ^ モンゴル=タタール(モンゴル人)によるルーシ侵攻およびルーシ支配をルーシ(主にロシア)側の視点で捉えた、ロシア史を語る文脈で使われる歴史用語。日本語でロシア史やアジア史を研究した学術論文でも広く使用されていることから、日本語圏でも人口に膾炙している用語であると考えられる。名称のみを取り上げて中立的に「タタールのルーシ支配」と言い換えられないこともないが、「タタールのくびき」という言葉自体が一連の現象を明瞭に表しているため、中立化といえども主題が不明瞭になるような言い換えは適切とはいいがたい。歴史上の出来事、とりわけ当事者同士が対立することの多い、政治・軍事・外交上の出来事に関する名称については、この例に限らず、特定の立場から判断を下したような用語が一般的に使用されているものが少なくない。
  8. ^ 故意に意味をぼかした言葉遣いのことです。
  9. ^ 原文では、"ideologues" 「イデオローグたち」。

関連項目

方針およびガイドライン
提案中の案件
補足情報
私論
記事
テンプレート
Category:中立性テンプレートも参照。