「ケネディ宇宙センター第39発射施設」の版間の差分
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'''ケネディ宇宙センター第39複合発射施設'''( |
'''ケネディ宇宙センター第39複合発射施設'''(ケネディうちゅうセンターだい39ふくごうはっしゃしせつ、{{lang-en|'''Launch Complex 39'''}}、略称:{{lang|en|'''LC-39'''}})は、[[アメリカ合衆国]][[フロリダ州]][[メリット島]]にある[[ケネディ宇宙センター]]内の[[ロケット]][[射場|発射場]]である。本来は[[アポロ計画]]のために建設され、後に[[スペースシャトル計画]]での運用に対応する為の改修が施された。さらに、2007年から2009年にかけて、次期有人宇宙飛行計画である[[コンステレーション計画]]の運用に備えるために、[[アメリカ航空宇宙局|NASA]]は第39B発射台の再改修を実施した<ref name="pad1">{{Cite web|url=http://science.ksc.nasa.gov/facilities/lc39a.html|title= Launch Complex 39-A & 39-B|accessdate=September 30, 2007|publisher=[[アメリカ航空宇宙局|National Aeronautics and Space Administration]]|year=1993|author=[[アメリカ航空宇宙局|NASA]]}}</ref><ref name="pad2">{{Cite web|url=http://www-pao.ksc.nasa.gov/kscpao/nasafact/pads.htm|title=Launch Complex 39|accessdate=September 30, 2007|publisher=NASA|year=2000|author=NASA}}</ref>。第39発射台からの打ち上げは、発射台から約{{convert|3|mi|km}}離れた場所に位置する打ち上げ管制センター (LCC) から監督される。 |
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LC-39は、2基の[[発射台]] (39A, 39B) および[[スペースシャトル組立棟]] (VAB)、{{仮リンク|クローラーウェイ|en|Crawlerway}}({{仮リンク|クローラー・トランスポーター|en|Crawler-transporter}}が{{仮リンク|モバイル・ランチャー・プラットフォーム|en|Mobile Launcher Platform}}を輸送するために敷かれたVABと発射台の間の運搬路)、[[オービタ整備施設]]、{{仮リンク|打ち上げ管制センター|en|Launch Control Center}}(ファイアリングルームを含む)、{{仮リンク|第39複合発射施設プレスサイト|label=プレスサイト|en|Launch Complex 39 Press Site}}(テレビ放送や写真撮影で象徴的に映されるカウントダウン時計を併設する記者席)に加え、物流拠点等、打ち上げを支援する関連施設から構成されている<ref>{{cite web|url=http://science.ksc.nasa.gov/facilities/tour.html|title=KSC Facilities|publisher=NASA|accessdate=2009-07-06}}</ref>。 |
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もともとは[[アポロ計画]]に使用する主力ロケット[[サターンV]]の打ち上げを行うために建設された。アポロ計画終了後は一部が改造されて、[[スペースシャトル]]の打上げに利用されている。2007年から2009年にかけて、次期[[コンステレーション計画]]ヘ備えるため、[[アメリカ航空宇宙局]] (NASA) は、第39B発射台の再改造を実施した。このため、2007年以降はシャトルが打上げ可能な射点は39A発射台のみとなった。39B発射台は、アレスIロケットがキャンセルされたため、2010年から2011年にかけて上部構造物が撤去された。 |
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シャトルは[[STS-135]]を最後に退役したため、今後は民間企業による有人打上げへの活用が考えられている。 |
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== 歴史 == |
== 歴史 == |
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=== 前史 === |
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現在の第39複合発射施設周辺一帯の用地開発は、 |
現在の第39複合発射施設周辺一帯の用地開発は、1890年に少数の[[ハーバード大学]]出身の資産家が1エーカーあたり1ドルの地価で{{convert|18000|acre|km2}}の土地を購入したことに始まる。資産家たちは、後に第39A発射台が設置されることになる辺りに、クラブ会員向けに20室を備えた3階建ての木造(マホガニー製)のクラブハウスを建設した。施設内には、広い食堂、ワイン貯蔵庫、トロフィールーム、そして大量の武器や弾薬の保管庫も備え付けられていた。また、クラブハウスの上から眺める、大西洋と周囲の湿地に群がる野生生物の風景は壮観であった。1920年代に入ると、当時、水道・歩道・街灯・庭園などを完備した保養都市開発計画が推し進められていたこの土地の買い手を誘致しようと、自動車会社[[スチュードベーカー]]社の創業者の息子であったP. E. スチュードベーカーによって、カナベラル灯台の北13kmにあるデ・ソト・ビーチに小さなカジノが建てられた。複合発射施設が建設される以前は、用地の東側を{{仮リンク|フロリダ州道A1A号線|label=州道A1A号線|en|Florida State Road A1A}}が通っており、その道沿いには1885年から[[アメリカ沿岸警備隊]]の部署が置かれていた。 |
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1948年に、アメリカ海軍はケープ・カナベラルの南に位置したバナナリバー航空基地を、ドイツから接収した[[V2ロケット]]を試験するために、空軍へと移譲した<ref>{{cite web|url=http://www.patrick.af.mil/library/factsheets/factsheet.asp?id=4514|title=EVOLUTION OF THE 45TH SPACE WING|publisher=US Air Force|accessdate=2009-07-06}}</ref>。人口密集地から離れた海上へ向けて打ち上げを実行できるという目的のためには、フロリダ東海岸に面するこの基地の立地は理想的なものであった。1949年に当地は統合長射程試験基地となり、翌1950年には{{仮リンク|パトリック空軍基地|en|Patrick Air Force Base}}と改称した。1951年、空軍はケープカナベラルの一部を北側に建て増して、空軍ミサイル試験センターとした。これが後に[[ケープカナベラル空軍基地]] (CCAFS) となる。1950年代の間は、ミサイルおよびロケットの試験と開発は当地で実施された<ref>{{cite web|url=http://www.spaceline.org/capehistory/2a.html|title=THE HISTORY OF CAPE CANAVERAL CHAPTER 2: THE MISSILE RANGE TAKES SHAPE (1949-1958)|publisher=Spaceline.org|accessdate=2009-07-06}}</ref>。 |
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=== NASAによる運用 === |
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1958年にNASAが設立されると、[[マーキュリー計画]]、[[ジェミニ計画]]などの初期のミッションで使用されたロケットは、ケープカナベラル空軍基地の発射台から打ち上げられた<ref>{{cite web|url=http://www.astronautix.com/sites/capallc5.htm|title=Cape Canaveral LC5|publisher=Astronautix.com|accessdate=2009-07-06}}</ref>。 |
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1961年に[[ジョン・F・ケネディ|ケネディ]]大統領は1960年代末までに人類を[[月]]へと送り込む目標([[アポロ計画]])を発表した。この月探査計画の発表により、基地の運用範囲はケープカナベラルから隣接するメリット島まで拡張された<ref>{{cite web|url=http://www.spaceline.org/capehistory/3a.html|title=THE HISTORY OF CAPE CANAVERAL CHAPTER 3 NASA ARRIVES (1959-PRESENT)|publisher=Spaceline.org|accessdate=2009-07-06}}</ref>。NASAは早速、1962年から土地の取得を開始し、すぐさま{{convert|131|sqmi|km2}}を買い取り、さらにフロリダ州との交渉により{{convert|87|sqmi|km2}}を追加で購入した。1962年7月、当地は'''打ち上げ運用センター''' ({{lang|en|Launch Operations Center}}) と命名された。当時、CCAFSに設置されていた発射台の中で最も大きな番号が振られていたのは第37複合発射施設であったが、月複合発射施設が設計されるとともに現在の名称へと改称された。 |
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=== 初期の設計 === |
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[[File:Lc39 plan 1963 labelled.png|thumb|複合発射施設のプラン - 1963年]] |
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⚫ | 1963年の複合発射施設の初期構想では、5基の発射台 (39A - 39E) が、発射台での爆発などの損害を避けるために、{{convert|8700|ft|m}}間隔で均等に配置されることになっていた。そのうちの3基 (39A・39B・39C) は実際に建設する計画が持ち上がったが、残る2基は保留となった。当時、発射台の番号は北から南へと順につけられており、北端が39A、南端が39Cであった。ところが、この39Aは結局建設されることはなく、のちに当初の39Cは39Aに名称変更された。それ以後、北側が39B、南側が39Aとなっている。現在の39A・39Bの2基態勢が整ったのは1965年のことであった<ref>[http://history.nasa.gov/SP-350/ch-6-1.html]</ref>。右図の当初計画案では、建設されなかった核組立棟 ({{lang|en|Nuclear Assembly Building; NAB}}) の存在も確認できる。 |
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=== 初期の打ち上げ === |
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発射台を最初に使用することとなったのは、[[アポロ計画]]の月ミッションの一環として打ち上げることとなった[[サターンV]]ロケットである。それに後れて、[[スカイラブ計画]]および[[アポロ・ソユーズテスト計画]] (ASTP) では、[[サターンIB]]ロケットが打ち上げられた。発射台の元の構造は次期のスペースシャトルの需要に応じて改造されることになり、スカイラブを輸送したサターンVの最終打ち上げの後にLC-39Aが1973年より、アポロ・ソユーズテスト計画を終えたLC-39Bが1977年より、それぞれ改造期間に入った。 |
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アポロ時代にはこれらは単なる発射台(発射プラットフォームに備え付けられたアンビリカル/サービスタワー)だったが、改良工事によりサターンVロケット用の発射台を使用して[[サターンIB]]ロケット (すべてのスカイラブ有人ミッション、{{仮リンク|スカイラブ・レスキュー|en|Skylab Rescue}}、ASTP) を打ち上げることが出来るようになった。スペースシャトルに対しては、発射台に固定された(アポロ=サターン時代から残された)発射塔に、回転する可動式のプラットフォームが取り付けられ、[[オービタ]](機体)を保護するとともに、ペイロードベイに垂直向きの[[ペイロード (航空宇宙)|ペイロード]]を搬入することが出来るようになった<ref name="pad1" /><ref name="pad3">{{Cite web |
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|url=http://www.nasa.gov/mission_pages/shuttle/launch/launch-complex39-toc.html |
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|title=Feature: Launch Complex 39|accessdate=September 30, 2007|publisher=NASA|year=2006|author=NASA}}</ref>スペースシャトル以後のNASAの[[コンステレーション計画]]に際しては、2基の発射台はアポロ計画時代に近い状態に戻される一方で、[[アレスI]]と[[アレスV]]を落雷の危険から守るための[[避雷針]]が設置された。 |
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LC-39は1967年のサターンVの打ち上げで初めて使用され、無人のアポロ4号を輸送した。2度目の無人宇宙船[[アポロ6号]]の打ち上げでもLC-39Aが使用された。LC-39B発射台を使用した[[アポロ10号]]を除いては、[[アポロ8号]]に始まるアポロ計画のすべての有人ミッションは、LC-39Aを使用して実行された。1973年のスカイラブの打ち上げ以降、LC-39Aはスペースシャトル用に再構成され、1981年の[[コロンビア (オービタ)|コロンビア号]]([[STS-1]])の初打ち上げに使用された<ref |
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name="mods">{{Cite web|url=http://www.nasa.gov/mission_pages/shuttle/launch/pad-mods.html|title=Shuttle-Era Pad Modifications|accessdate=September 30, 2007|publisher=NASA|year=2006|author=NASA}}</ref>。アポロ10号の打ち上げの後、LC-39BはLC-39Aが万一の事故などの不具合により使用できなくなった場合のバックアップ発射施設として保持された。アポロ・ソユーズテスト計画後は、LC-39Aと同様の改造が施されることとなったが、予算削減のため、1986年まで使用可能な状態になかった。そして、39Bを使用した最初のスペースシャトルの打ち上げは不幸にも打ち上げに失敗した[[STS-51-L]]であり、[[チャレンジャー号爆発事故]]を引き起こすこととなった。 |
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2008年5月31日に実行された[[STS-124]]の打ち上げの際に、LC-39Aの発射台は、固体ロケットブースタの炎を逸らすために使用されるコンクリート製トレンチを中心に、大きな損害を受けた<ref name="damage">[http://www.space.com/missionlaunches/080602-sts124-pad39a-damage.html#comments SPACE.com -- NASA Eyes Launch Pad Damage for Next Shuttle Flight]</ref>。その後の調査により、この損害はエポキシ樹脂の炭化、およびトレンチ内部で耐火レンガを支える鉄製の錨が腐食したことによってもたらされたことが判明した。固体ロケットブースタの副産物として[[塩化水素]]ガスが排出されるという事実により、一層事態を悪化させることとなった<ref>{{cite journal | url=http://pbma.nasa.gov/docs/public/pbma/images/msm/STS-124FlameTrench_SFCS.pdf | title=Hit the Bricks | journal=System Failure Case Studies | publisher=NASA | date=August 2010 | volume=4 | issue=8 | pages=1–4 | author=Lilley, Steve K. | accessdate=July 20, 2011 }}</ref>。 |
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File:launch Apollo4.jpg|LC-39A発射台から初めて打ち上げられるサターンVロケット (無人の[[アポロ4号]]を積載) |
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File:LC39B Ares Conversion Work.JPG|アレスロケットの打ち上げに向けた改造作業が進むLC-39B |
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== スペースシャトル計画での運用 == |
== スペースシャトル計画での運用 == |
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=== 発射台への輸送 === |
=== 発射台への輸送 === |
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[[Image:STS-118 Launchpad.jpg|thumb|right|180px|第39A発射台で打ち上げを待つ |
[[Image:STS-118 Launchpad.jpg|thumb|right|180px|第39A発射台で打ち上げを待つ[[スペースシャトル]] [[エンデバー (オービタ)|エンデバー]]]] |
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組み立てが完了したスペースシャトルは、移動式発射プラットフォーム (MLP)の上に固定されたまま、クローラ・トランスポータ([[無限軌道]]輸送車両)に載せられ、8時間近くかけて5 - 6km離れた39番発射台まで運ばれる。発射台に到着すると、MLP が支柱に固定され、クローラ・トランスポータは発射台から離れていく。なお、[[ペイロード]](搭載物)はスペースシャトルとは別に、ペイロード輸送キャニスタの中に入れられて発射台まで運ばれる。 |
組み立てが完了したスペースシャトルは、移動式発射プラットフォーム (MLP)の上に固定されたまま、クローラ・トランスポータ([[無限軌道]]輸送車両)に載せられ、8時間近くかけて5 - 6km離れた39番発射台まで運ばれる。発射台に到着すると、MLP が支柱に固定され、クローラ・トランスポータは発射台から離れていく。なお、[[ペイロード]](搭載物)はスペースシャトルとは別に、ペイロード輸送キャニスタの中に入れられて発射台まで運ばれる。 |
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=== 発射台からの避難 === |
=== 発射台からの避難 === |
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万一の発射台での事故に備えて、緊急時にシャトル乗組員が迅速に避難できるように、複合発射施設では特別な緊急退避システムが用いられる。発射台で爆発などの事故が起きた際は、乗組員はスペースシャトル・オービタから退出して、すぐさまこの非常用のスライドワイヤー式のバスケットに駆け込んで、固定を解除する事で、射点から離れた場所にまで急降下する。その速度は最大で時速88kmにも達する。乗組員たちは地上に降りると、次に退避壕に待機させてある改良型の[[M113装甲兵員輸送車#運用国|M113装甲兵員輸送車]]に乗り込み、ヘリポートへと向かう。そして、そこから離れた安全な区域へと退避する。NASAの安全規則では、乗組員以外の全職員は、打ち上げ時には発射台から十分離れた安全な場所にいなければならないことになっているため、乗組員たちには一切外部からの援助なしで避難行動をとることが要求されている。 |
万一の発射台での事故に備えて、緊急時にシャトル乗組員が迅速に避難できるように、複合発射施設では特別な緊急退避システムが用いられる。発射台で爆発などの事故が起きた際は、乗組員はスペースシャトル・オービタから退出して、すぐさまこの非常用のスライドワイヤー式のバスケットに駆け込んで、固定を解除する事で、射点から離れた場所にまで急降下する。その速度は最大で時速88kmにも達する。乗組員たちは地上に降りると、次に退避壕に待機させてある改良型の[[M113装甲兵員輸送車#運用国|M113装甲兵員輸送車]]に乗り込み、ヘリポートへと向かう。そして、そこから離れた安全な区域へと退避する。NASAの安全規則では、乗組員以外の全職員は、打ち上げ時には発射台から十分離れた安全な場所にいなければならないことになっているため、乗組員たちには一切外部からの援助なしで避難行動をとることが要求されている。 |
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== 将来的な用途 == |
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[[File:LC39A and LC39B.jpg|thumb|上空から39A (手前) および39Bの両発射台を望む]] |
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2011年のスペースシャトルの退役をもって<ref name=bw20101028>[http://www.businessweek.com/magazine/content/10_45/b4202066178314.htm?campaign_id=mag_Oct28&link_position=link23 NASA: Lost in Space], ''Business Week'', 2010-10-28, accessed 2010-10-31.</ref>、2010年に[[コンステレーション計画]]の中止が発表されたことにより、LC-39の将来的な用途は不透明な状況が続いている。 |
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=== LC-39B === |
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NASAは、2006年12月9日に[[STS-116]]の打ち上げをLC-39Bの最終シャトルミッションとして、その運用を2007年元日に停止した。 |
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STS-116とSTS-125のミッションの間の期間には、[[STS-400]]救援ミッションのために、[[エンデバー (オービタ)|エンデバー]]をLC-39Bに待機させていた。このミッションのために、新たに{{convert|600|ft|m}}の避雷針が3本設置された。これは、[[ケープカナベラル空軍基地|ケープカナベラル]]付近にある[[アトラス V]]や[[デルタ IV]]の発射台で使用されるものと類似している。同時に、それまで設置されていた1本の避雷針とクレーンは撤去された(このクレーンはアポロ時代から存在したものである)。[[STS-125]]ミッションの完了を待って、アレスロケットの試験機である{{仮リンク|アレスI-X|en|Ares I-X}}の打ち上げを2009年10月28日にLC-39Bで実施し、成功した。 |
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アレスI-Xのフライト以降、NASAは発射台設備の大幅な刷新を実施し、[[液体水素]]、[[液体酸素]]および[[水]]の貯蔵タンクのみを残して他の設備を撤去した<ref name="sound">{{Cite web|url=http://www.nasa.gov/mission_pages/shuttle/launch/sound-suppression-system.html|title=Sound Suppression System|accessdate=September 30, 2007|publisher=NASA|year=2006|author=NASA}}</ref><ref>{{cite web|url=http://spaceflightnow.com/shuttle/sts127/status.html|title=STS-127 Rollaround starts|first=2009-05-31|publisher=Space Flight Now|accessdate=2012-06-02}}</ref>。 |
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2011年2月現在、NASAは発射台および関連施設を[[民間宇宙飛行#民間宇宙飛行会社|民間企業]]に対して、商業宇宙市場における飛行ミッションの実施を打診している<ref name=ft20110206> |
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{{cite news |last=Dean|first=James |title=Up for grabs? Private companies eye KSC facilities |url=http://www.floridatoday.com/article/20110206/NEWS02/102060317/Up-for-grabs-Private-companies-eye-KSC-facilities |accessdate=2011-02-06 |newspaper=Florida Today |date=2011-02-06 quote=''As the shuttle program nears retirement, KSC officials are evaluating whether other facilities that supported three decades of shuttle flights will transition to serve new vehicles or be discarded. The center is offering use of its launch pads, runway, Vehicle Assembly Building high bays, hangars and firing rooms to private companies expected to play a bigger role in NASA missions and a growing commercial space market.''}}</ref> |
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File:Space shuttles Atlantis (STS-125) and Endeavour (STS-400) on launch pads again.jpg|スペースシャトル計画では最後の光景となった、39Aおよび39Bの両発射台に並んで[[STS-125]]ミッションに向けて待機するスペースシャトル「アトランティス」と「エンデバー」 |
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File:Ares I-X launch 08.jpg|2009年10月28日15:30 (UTC) にLC-39Bから打ち上げられた、アレスI-X |
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=== LC-39A === |
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[[File:LC39A.jpg|thumb|LC-39A]] |
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LC-39Aも、LC-39Bと同様に、スペースシャトルの最後の飛行となった[[STS-135]]ミッション以降、コンステレーション計画の中止により将来の使途は決定していない。 |
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== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
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{{Commons| |
{{Commons&cat|Kennedy Space Center Launch Complex 39}} |
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* [[ケネディ宇宙センター]] |
* [[ケネディ宇宙センター]] |
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* [[メリット島の発射施設一覧]] |
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== 脚注 == |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
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Voyages to deep space will originate from shuttle pads |accessdate=2011年7月24日}} {{en icon}} |
Voyages to deep space will originate from shuttle pads |accessdate=2011年7月24日}} {{en icon}} |
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{{Space Shuttle}} |
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{{コンステレーション計画}} |
{{コンステレーション計画}} |
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{{Space-stub}} |
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2012年6月2日 (土) 08:22時点における版
上空から見た第39複合発射施設 | |
基地名 | ケネディ宇宙センター |
---|---|
位置 | 北緯28度36分30.23秒 西経80度36分15.64秒 / 北緯28.6083972度 西経80.6043444度 |
略称 | LC-39 |
運営者 | NASA |
総打ち上げ回数 |
153 (サターンV 13回、 サターンIB 4回、 スペースシャトル 135回、 Ares 1-X 1回) |
発射台数 | 2 |
最小/最大 軌道傾斜角 | 28度 - 62度 |
LC-39A 打ち上げ歴 | |
状態 | スタンバイ |
打ち上げ回数 |
94回 (サターンV 12回、 スペースシャトル 82回) |
初打ち上げ | アポロ4号(1967年11月9日) |
最終打ち上げ | STS-135(2011年7月8日) |
関連ロケット |
サターンV サターンINT-21 スペースシャトル |
LC-39B 打ち上げ歴 | |
状態 | 上部構造を撤去 |
打ち上げ回数 |
59回 (サターンV 1回、 サターンIB 4回、 スペースシャトル 53回、 Ares 1-X 1回) |
初打ち上げ | アポロ10号(1969年5月18日) |
最終打ち上げ |
シャトルとしてはSTS-116(2006年12月10日)が最後。 Ares 1-X 2009年10月28日 |
関連ロケット |
サターンV サターンIB スペースシャトル アレスI-X |
ケネディ宇宙センター第39複合発射施設(ケネディうちゅうセンターだい39ふくごうはっしゃしせつ、英語: Launch Complex 39、略称:LC-39)は、アメリカ合衆国フロリダ州メリット島にあるケネディ宇宙センター内のロケット発射場である。本来はアポロ計画のために建設され、後にスペースシャトル計画での運用に対応する為の改修が施された。さらに、2007年から2009年にかけて、次期有人宇宙飛行計画であるコンステレーション計画の運用に備えるために、NASAは第39B発射台の再改修を実施した[1][2]。第39発射台からの打ち上げは、発射台から約3マイル (4.8 km)離れた場所に位置する打ち上げ管制センター (LCC) から監督される。
LC-39は、2基の発射台 (39A, 39B) およびスペースシャトル組立棟 (VAB)、クローラーウェイ(クローラー・トランスポーターがモバイル・ランチャー・プラットフォームを輸送するために敷かれたVABと発射台の間の運搬路)、オービタ整備施設、打ち上げ管制センター(ファイアリングルームを含む)、プレスサイト(テレビ放送や写真撮影で象徴的に映されるカウントダウン時計を併設する記者席)に加え、物流拠点等、打ち上げを支援する関連施設から構成されている[3]。
歴史
前史
現在の第39複合発射施設周辺一帯の用地開発は、1890年に少数のハーバード大学出身の資産家が1エーカーあたり1ドルの地価で18,000エーカー (73 km2)の土地を購入したことに始まる。資産家たちは、後に第39A発射台が設置されることになる辺りに、クラブ会員向けに20室を備えた3階建ての木造(マホガニー製)のクラブハウスを建設した。施設内には、広い食堂、ワイン貯蔵庫、トロフィールーム、そして大量の武器や弾薬の保管庫も備え付けられていた。また、クラブハウスの上から眺める、大西洋と周囲の湿地に群がる野生生物の風景は壮観であった。1920年代に入ると、当時、水道・歩道・街灯・庭園などを完備した保養都市開発計画が推し進められていたこの土地の買い手を誘致しようと、自動車会社スチュードベーカー社の創業者の息子であったP. E. スチュードベーカーによって、カナベラル灯台の北13kmにあるデ・ソト・ビーチに小さなカジノが建てられた。複合発射施設が建設される以前は、用地の東側を州道A1A号線が通っており、その道沿いには1885年からアメリカ沿岸警備隊の部署が置かれていた。
1948年に、アメリカ海軍はケープ・カナベラルの南に位置したバナナリバー航空基地を、ドイツから接収したV2ロケットを試験するために、空軍へと移譲した[4]。人口密集地から離れた海上へ向けて打ち上げを実行できるという目的のためには、フロリダ東海岸に面するこの基地の立地は理想的なものであった。1949年に当地は統合長射程試験基地となり、翌1950年にはパトリック空軍基地と改称した。1951年、空軍はケープカナベラルの一部を北側に建て増して、空軍ミサイル試験センターとした。これが後にケープカナベラル空軍基地 (CCAFS) となる。1950年代の間は、ミサイルおよびロケットの試験と開発は当地で実施された[5]。
NASAによる運用
1958年にNASAが設立されると、マーキュリー計画、ジェミニ計画などの初期のミッションで使用されたロケットは、ケープカナベラル空軍基地の発射台から打ち上げられた[6]。
1961年にケネディ大統領は1960年代末までに人類を月へと送り込む目標(アポロ計画)を発表した。この月探査計画の発表により、基地の運用範囲はケープカナベラルから隣接するメリット島まで拡張された[7]。NASAは早速、1962年から土地の取得を開始し、すぐさま131平方マイル (340 km2)を買い取り、さらにフロリダ州との交渉により87平方マイル (230 km2)を追加で購入した。1962年7月、当地は打ち上げ運用センター (Launch Operations Center) と命名された。当時、CCAFSに設置されていた発射台の中で最も大きな番号が振られていたのは第37複合発射施設であったが、月複合発射施設が設計されるとともに現在の名称へと改称された。
初期の設計
1963年の複合発射施設の初期構想では、5基の発射台 (39A - 39E) が、発射台での爆発などの損害を避けるために、8,700フィート (2,700 m)間隔で均等に配置されることになっていた。そのうちの3基 (39A・39B・39C) は実際に建設する計画が持ち上がったが、残る2基は保留となった。当時、発射台の番号は北から南へと順につけられており、北端が39A、南端が39Cであった。ところが、この39Aは結局建設されることはなく、のちに当初の39Cは39Aに名称変更された。それ以後、北側が39B、南側が39Aとなっている。現在の39A・39Bの2基態勢が整ったのは1965年のことであった[8]。右図の当初計画案では、建設されなかった核組立棟 (Nuclear Assembly Building; NAB) の存在も確認できる。
初期の打ち上げ
発射台を最初に使用することとなったのは、アポロ計画の月ミッションの一環として打ち上げることとなったサターンVロケットである。それに後れて、スカイラブ計画およびアポロ・ソユーズテスト計画 (ASTP) では、サターンIBロケットが打ち上げられた。発射台の元の構造は次期のスペースシャトルの需要に応じて改造されることになり、スカイラブを輸送したサターンVの最終打ち上げの後にLC-39Aが1973年より、アポロ・ソユーズテスト計画を終えたLC-39Bが1977年より、それぞれ改造期間に入った。
アポロ時代にはこれらは単なる発射台(発射プラットフォームに備え付けられたアンビリカル/サービスタワー)だったが、改良工事によりサターンVロケット用の発射台を使用してサターンIBロケット (すべてのスカイラブ有人ミッション、スカイラブ・レスキュー、ASTP) を打ち上げることが出来るようになった。スペースシャトルに対しては、発射台に固定された(アポロ=サターン時代から残された)発射塔に、回転する可動式のプラットフォームが取り付けられ、オービタ(機体)を保護するとともに、ペイロードベイに垂直向きのペイロードを搬入することが出来るようになった[1][9]スペースシャトル以後のNASAのコンステレーション計画に際しては、2基の発射台はアポロ計画時代に近い状態に戻される一方で、アレスIとアレスVを落雷の危険から守るための避雷針が設置された。
LC-39は1967年のサターンVの打ち上げで初めて使用され、無人のアポロ4号を輸送した。2度目の無人宇宙船アポロ6号の打ち上げでもLC-39Aが使用された。LC-39B発射台を使用したアポロ10号を除いては、アポロ8号に始まるアポロ計画のすべての有人ミッションは、LC-39Aを使用して実行された。1973年のスカイラブの打ち上げ以降、LC-39Aはスペースシャトル用に再構成され、1981年のコロンビア号(STS-1)の初打ち上げに使用された[10]。アポロ10号の打ち上げの後、LC-39BはLC-39Aが万一の事故などの不具合により使用できなくなった場合のバックアップ発射施設として保持された。アポロ・ソユーズテスト計画後は、LC-39Aと同様の改造が施されることとなったが、予算削減のため、1986年まで使用可能な状態になかった。そして、39Bを使用した最初のスペースシャトルの打ち上げは不幸にも打ち上げに失敗したSTS-51-Lであり、チャレンジャー号爆発事故を引き起こすこととなった。
2008年5月31日に実行されたSTS-124の打ち上げの際に、LC-39Aの発射台は、固体ロケットブースタの炎を逸らすために使用されるコンクリート製トレンチを中心に、大きな損害を受けた[11]。その後の調査により、この損害はエポキシ樹脂の炭化、およびトレンチ内部で耐火レンガを支える鉄製の錨が腐食したことによってもたらされたことが判明した。固体ロケットブースタの副産物として塩化水素ガスが排出されるという事実により、一層事態を悪化させることとなった[12]。
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LC-39A発射台から初めて打ち上げられるサターンVロケット (無人のアポロ4号を積載)
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アレスロケットの打ち上げに向けた改造作業が進むLC-39B
スペースシャトル計画での運用
シャトルの組み立て
スペースシャトルを軌道に投入するために必要な推力は、2基の固体ロケットブースタ (Solid Rocket Booster, SRB) とスペースシャトルの3基のメインエンジン (SSME) によって生み出される。SRBはその名の通り、固体燃料を使用している。スペースシャトルのメインエンジンは、外部燃料タンク (ET) 内の液体水素と液体酸素を配合して使用される。これは、オービタ本体にはメインエンジン用の燃料タンクが備わっていないためである。通常打ち上げの数ヶ月前には、スペースシャトルを構成する3つの主要な構成要素となるオービタ、SRB、外部燃料タンクがシャトル組立棟 (VAB) に運び込まれる。そこで組み立てられたスペースシャトルは移動式発射プラットフォーム (MLP) に載せられる。SRBはユタ州の製造工場からセグメント毎に鉄道で輸送され、外部燃料タンクはルイジアナ州の製造工場から船で輸送される。この間、スペースシャトル・オービタはオービタ整備施設 (OPF) で整備が進められる。VABでは、まず2基のSRBがMLP上に固定されて組み立てられる。次に外部燃料タンクがSRBに結合され、OPFからVABに移動したオービタがクレーンで吊り上げられて、外部燃料タンクに結合され、スペースシャトルの組み立てが完成する。
発射台への輸送
組み立てが完了したスペースシャトルは、移動式発射プラットフォーム (MLP)の上に固定されたまま、クローラ・トランスポータ(無限軌道輸送車両)に載せられ、8時間近くかけて5 - 6km離れた39番発射台まで運ばれる。発射台に到着すると、MLP が支柱に固定され、クローラ・トランスポータは発射台から離れていく。なお、ペイロード(搭載物)はスペースシャトルとは別に、ペイロード輸送キャニスタの中に入れられて発射台まで運ばれる。
コロンビア号空中分解事故以降は、緊急時に備えてバックアップ用のシャトルが1-2ヶ月以内に打上げ可能になるようなスケジュールで、後続のシャトルの打上げ準備作業が進められるようになった。
音響抑制システム
それぞれの発射台近くには、打ち上げ時に発生する騒音を抑え、機体を衝撃波から保護するために利用する大量の水を溜めておく給水タンクが設置されている。この水を用いた音響抑制システム (Sound Suppression System) では、高さ88mの給水塔に1.1メガリットルの水を蓄えておき、エンジン点火直前に水を放出する。発射台への放水によってスペースシャトルのエンジンから発生する強烈な音波のエネルギーは、多くが水を振動させることに消費され残りのエネルギーが空気を振動させる。この際、放出された水は周囲の熱により大量の水蒸気となる。
発射台からの避難
万一の発射台での事故に備えて、緊急時にシャトル乗組員が迅速に避難できるように、複合発射施設では特別な緊急退避システムが用いられる。発射台で爆発などの事故が起きた際は、乗組員はスペースシャトル・オービタから退出して、すぐさまこの非常用のスライドワイヤー式のバスケットに駆け込んで、固定を解除する事で、射点から離れた場所にまで急降下する。その速度は最大で時速88kmにも達する。乗組員たちは地上に降りると、次に退避壕に待機させてある改良型のM113装甲兵員輸送車に乗り込み、ヘリポートへと向かう。そして、そこから離れた安全な区域へと退避する。NASAの安全規則では、乗組員以外の全職員は、打ち上げ時には発射台から十分離れた安全な場所にいなければならないことになっているため、乗組員たちには一切外部からの援助なしで避難行動をとることが要求されている。
将来的な用途
2011年のスペースシャトルの退役をもって[13]、2010年にコンステレーション計画の中止が発表されたことにより、LC-39の将来的な用途は不透明な状況が続いている。
LC-39B
NASAは、2006年12月9日にSTS-116の打ち上げをLC-39Bの最終シャトルミッションとして、その運用を2007年元日に停止した。
STS-116とSTS-125のミッションの間の期間には、STS-400救援ミッションのために、エンデバーをLC-39Bに待機させていた。このミッションのために、新たに600フィート (180 m)の避雷針が3本設置された。これは、ケープカナベラル付近にあるアトラス Vやデルタ IVの発射台で使用されるものと類似している。同時に、それまで設置されていた1本の避雷針とクレーンは撤去された(このクレーンはアポロ時代から存在したものである)。STS-125ミッションの完了を待って、アレスロケットの試験機であるアレスI-Xの打ち上げを2009年10月28日にLC-39Bで実施し、成功した。
アレスI-Xのフライト以降、NASAは発射台設備の大幅な刷新を実施し、液体水素、液体酸素および水の貯蔵タンクのみを残して他の設備を撤去した[14][15]。
2011年2月現在、NASAは発射台および関連施設を民間企業に対して、商業宇宙市場における飛行ミッションの実施を打診している[16]
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スペースシャトル計画では最後の光景となった、39Aおよび39Bの両発射台に並んでSTS-125ミッションに向けて待機するスペースシャトル「アトランティス」と「エンデバー」
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2009年10月28日15:30 (UTC) にLC-39Bから打ち上げられた、アレスI-X
LC-39A
LC-39Aも、LC-39Bと同様に、スペースシャトルの最後の飛行となったSTS-135ミッション以降、コンステレーション計画の中止により将来の使途は決定していない。
関連項目
脚注
- ^ a b NASA (1993年). “Launch Complex 39-A & 39-B”. National Aeronautics and Space Administration. September 30, 2007閲覧。
- ^ NASA (2000年). “Launch Complex 39”. NASA. September 30, 2007閲覧。
- ^ “KSC Facilities”. NASA. 2009年7月6日閲覧。
- ^ “EVOLUTION OF THE 45TH SPACE WING”. US Air Force. 2009年7月6日閲覧。
- ^ “THE HISTORY OF CAPE CANAVERAL CHAPTER 2: THE MISSILE RANGE TAKES SHAPE (1949-1958)”. Spaceline.org. 2009年7月6日閲覧。
- ^ “Cape Canaveral LC5”. Astronautix.com. 2009年7月6日閲覧。
- ^ “THE HISTORY OF CAPE CANAVERAL CHAPTER 3 NASA ARRIVES (1959-PRESENT)”. Spaceline.org. 2009年7月6日閲覧。
- ^ [1]
- ^ NASA (2006年). “Feature: Launch Complex 39”. NASA. September 30, 2007閲覧。
- ^ NASA (2006年). “Shuttle-Era Pad Modifications”. NASA. September 30, 2007閲覧。
- ^ SPACE.com -- NASA Eyes Launch Pad Damage for Next Shuttle Flight
- ^ Lilley, Steve K. (August 2010). “Hit the Bricks”. System Failure Case Studies (NASA) 4 (8): 1–4 July 20, 2011閲覧。.
- ^ NASA: Lost in Space, Business Week, 2010-10-28, accessed 2010-10-31.
- ^ NASA (2006年). “Sound Suppression System”. NASA. September 30, 2007閲覧。
- ^ “STS-127 Rollaround starts”. Space Flight Now. 2012年6月2日閲覧。
- ^ Dean, James (2011-02-06 quote=As the shuttle program nears retirement, KSC officials are evaluating whether other facilities that supported three decades of shuttle flights will transition to serve new vehicles or be discarded. The center is offering use of its launch pads, runway, Vehicle Assembly Building high bays, hangars and firing rooms to private companies expected to play a bigger role in NASA missions and a growing commercial space market.). “Up for grabs? Private companies eye KSC facilities”. Florida Today 2011年2月6日閲覧。
外部リンク
- Launch Complex 39 Facilities (KSC)
- “Kennedy Prepares to Host Constellation”. 2008年12月16日閲覧。
- “Voyages to deep space will originate from shuttle pads”. 2011年7月24日閲覧。