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「労働争議」の版間の差分

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===サボタージュ===
===サボタージュ===
[[破壊活動|サボタージュ]](仏:sabotage)とは日本語として定着した「[[サボる]]」の元の言葉であり、[[フランス語]]が起源である。「サボ」「怠業」ともいわれる。サボタージュは本来「木靴」を表す言葉で、フランスの労働者が争議行為中に木靴で機械などの設備叩い抗議意思表示したことから今日のような「怠業」という意味が生まれた。
[[破壊活動|サボタージュ]](仏:sabotage)とは日本語として定着した「[[サボる]]」の元の言葉であり、[[フランス語]]が起源である。「サボ」「怠業」ともいわれる。サボタージュは「木靴(sabot)から派生したフランス語で、元来は争議行為中に木靴で足踏み相手声をかき消したり、工場や農場などで仕事をしたくない労働者が木靴を投げ込んで機械を故障させ修理が済むまでの操業停止を仕組んだこと。そこから今日のような「怠業」という意味が生まれた。


争議行為としてのサボタージュは労働者が仕事の能率を著しく、又は会社にダメージを与えていることが判る程度に落として会社に自分たちの労働条件の向上のメッセージを送ることである。このやり方は、争議権が認められていない[[公務員]]も制度上合法的に行うことが出来る。
争議行為としてのサボタージュは労働者が仕事の能率を著しく、又は会社にダメージを与えていることが判る程度に落として会社に自分たちの労働条件の向上のメッセージを送ることである。このやり方は、争議権が認められていない[[公務員]]も制度上合法的に行うことが出来る。
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====順法闘争(遵法闘争)====
====順法闘争(遵法闘争)====
業務に関わる法令や規則を、それが定められた意味を無視して拡大解釈し、業務能率を停滞させるサボタージュの一種である。主に[[国家公務員]]などが用いた戦術。スト実施側の理屈としては、法令・規則を遵守しているのであるから形式的には通常の業務行為であり、ストライキではないというもの。
業務に関わる法令や規則を、それが定められた意味を無視して拡大解釈し、業務能率を停滞させるサボタージュの一種である。主に[[国家公務員]]などが用いた戦術。スト実施側の理屈としては、法令・規則を遵守しているのであるから形式的には通常の業務行為であり、ストライキではないというもの。したがって「順法闘争」というのはスト側の呼び方であり、NHKなど主要マスコミは「いわゆる順法闘争」と言っていた


日本では、下記に示す旧日本国有鉄道(国鉄)の順法闘争がよく知られている。
日本では、下記に示す旧日本国有鉄道(国鉄)の順法闘争がよく知られている。

2012年4月7日 (土) 01:01時点における版

労働争議(ろうどうそうぎ)とは、労働者が自らの労働条件の向上を目指して行う様々な活動である。

日本法である労働関係調整法6条では、「この法律において労働争議とは、労働関係の当事者間において、労働関係に関する主張が一致しないで、そのために争議行為が発生している状態または発生する虞(おそれ)がある状態をいう」と定義されている。

労働者(組合)の側から見た場合には「労働闘争」、「労使紛争」とも呼ばれる。

争議行為の種類

労働争議状態における労働者による争議行為について以下にて説明する。なお、使用者側による争議行為としてはロックアウトがある(ストライキとは逆の手法)。

ストライキ

ストライキは争議行為の一つで「スト」「同盟罷業」ともいう。ストライキを参照のこと。

ピケッティング

ピケッティング(英:picketing)とは労働者側がスト破りを防ぐために組合員が職場を見張って他の労働者を入れさせないようにし、ストライキなどの実効性を確保する行為である。世間にストライキ目的を訴えるためになされることもある(この場合、会社・事業所の出入り口に数名の見張りを立てることが多い)。「ピケ」「ピケット」「ピケを張る」ともいわれる。労働組合にはその労働運動における団結を維持する為の統制権が認められており、組合員以外の労働者の就業を妨害しない限りにおいて合法とされている。ピケッティングを参照のこと。

  • これとは逆に使用者側が労働者を職場から閉め出す行為はロックアウトといわれる。

サボタージュ

サボタージュ(仏:sabotage)とは日本語として定着した「サボる」の元の言葉であり、フランス語が起源である。「サボ」「怠業」ともいわれる。サボタージュは「木靴(sabot)」から派生したフランス語で、元来は争議行為中に木靴で足踏みをして相手の声をかき消したり、工場や農場などで仕事をしたくない労働者が木靴を投げ込んで機械を故障させ修理が済むまでの操業停止を仕組んだこと。そこから今日のような「怠業」という意味が生まれた。

争議行為としてのサボタージュは労働者が仕事の能率を著しく、又は会社にダメージを与えていることが判る程度に落として会社に自分たちの労働条件の向上のメッセージを送ることである。このやり方は、争議権が認められていない公務員も制度上合法的に行うことが出来る。

消極的怠業(順法闘争、安全サボなど)は正当な争議行為だが、積極的怠業(不良品の故意の製造など)は不当な争議行為として刑事免責及び民事免責を受けられない。

順法闘争(遵法闘争)

業務に関わる法令や規則を、それが定められた意味を無視して拡大解釈し、業務能率を停滞させるサボタージュの一種である。主に国家公務員などが用いた戦術。スト実施側の理屈としては、法令・規則を遵守しているのであるから形式的には通常の業務行為であり、ストライキではないというもの。したがって「順法闘争」というのはスト側の呼び方であり、NHKなど主要マスコミは「いわゆる順法闘争」と言っていた。

日本では、下記に示す旧日本国有鉄道(国鉄)の順法闘争がよく知られている。

旧日本国有鉄道の順法闘争

日本国有鉄道(国鉄)の労組職員(主に国労動労)がよく用いた順法闘争として「安全サボ」がある。運転士又は機関士が列車を運転している時にカーブや駅などで速度を落とす区間がある場合、規定で定められたとおりあるいはそれ以上に速度を落とし列車を遅らせてダイヤを乱し、上層部に労働条件の向上のメッセージを送るやり方である。

例えば列車前方の線路上に鳥がいた場合、ほぼ必ず鳥は逃げるため通常はそのまま走行して全く問題がない。ところが順法闘争では「線路上に障害物を発見したから」等という理由で列車を停止させるなどの論理でダイヤを乱す行為が平然と行われた。列車過密輸送により規程を守っていると列車が遅れてしまうというように違反をしなければ現場が回らない場合もあったが、規程で定められた上限よりも極端に速度を落としたり危険を感じたと称して停止したりすることもある。

この闘争の方法は、法的に明確に禁じられた行為とまでは言えないが、利用者の激しい感情的反発を買うことになる。ストライキによる列車運休ならば通勤・通学を完全に諦める乗客が多いが、それが順法闘争であれば列車は削減・遅延されても一応動いているためそれが出来ず(遅延証明書の発行はあった)、結果として乗客は闘争の時期には列車を待つため長い行列を作り、更に混雑する列車に押し込められる状態にされていた。このことが、後述するようにしばしば暴動にまで発展する結果につながる。

国鉄の労働組合がこの闘争手段を初めて採用したのは1952年12月14日のことである[1]。国労は、それまではスト禁止を補完する公共企業体仲裁委員会や公共企業体調停委員会(のちに公共企業体等労働委員会に一本化)に賃金について仲裁や調停を申請していたが、仲裁・調停案を政府が「財政の逼迫」を理由に拒否することが相次いだことから戦術を転換した[1]。1956年に仲裁裁定実施につき政府の努力義務が公共企業体等労働関係法に盛り込まれ、翌年から仲裁裁定は完全実施された。しかし、国労側は「裁定審議の引き延ばし」などを理由に春闘で順法闘争を敢行した[1]。「一斉休暇闘争」や「緊急職場集会」といった「実質的なスト」もおこなわれるようになり、さらに1961年には国労を含む公労法関係労働組合協議会が非合法を承知でのスト実施を宣言するにいたるが、その後も順法闘争は争議手段として用いられた。

1970年代にはこの順法闘争が頻発した。通勤電車におけるダイヤの乱れと混雑が助長、恒常化したために利用者の不満は大きく、埼玉県上尾駅を中心とする乗客による暴動(上尾事件)や、首都圏の複数の駅における同時多発的な暴動(首都圏国電暴動)に発展する場合もあった。また順法闘争などと言いながら、その一方で服装規定違反、食事をしながらの運転行為[2]、業務放棄、横柄な接客態度などは常態化しており、飲酒乗務による事故も発生した。そのため、利用者からは賛同は得られず、ほぼ敵意のみが向けられる結果となった。

一連の順法闘争が首都圏各地で乗客の暴動を招き利用者が国鉄に見切りをつけ、いわゆる「国鉄離れ」が決定的となった面もある。この頃はモータリゼーションの高まりにより鉄道全体の利用客が減少した面もあるが、首都圏では鉄道利用の通勤客は増大するばかりであった。

旅客輸送では乗客は列車の遅延に対して私鉄やバスなどの代替交通手段に乗り換えるなどして対処することができるが、深刻だったのは貨物輸送である。前述の通り、折しもこの時期はモータリゼーションの高まりにより、高速道路、高規格国道が整備されていった時代であり、トラック輸送が中心となっていた時代である。そして、貨物が自ら乗換えることができなかった事に加え、意図的にダイヤを乱した事で輸送の信頼性を損なうことになり、貨物でも「国鉄離れ」が進み、トラック輸送へのシフトが加速した結果、接続する私鉄の貨物も減収する皮肉な結果となった。地方の中小私鉄で貨物を主体に収益を上げていた会社は続々と赤字転落に陥り、少なくない数の路線・会社が廃止・解散に追い込まれた。[要出典]

さらには、労働争議に積極的ではない組織の構成員に対して業務を妨害する、危害を加えるといった悪質な行動も散見された。挙句には運用できないよう予め車両の部品を取り外してしまう、運転機器を破壊してしまうという行為まで実行された。結局、行き過ぎた順法闘争は国民の反感を買った一方で、経営面では特に貨物輸送に打撃を与え、当時の首相であった三木武夫により「ストには屈しない」とする声明が出され、国労側の完全敗北と言う形で終結した(詳細はスト権スト)。

ボイコット

ボイコット(英:boycott)とは労働者が自社製品の購買を控えるように訴え、使用者に経済的打撃を与え、自らの団体目的達成を目指す行為である。「不買運動」ともいう。原則として合法であるが、取引先に不買を働きかける二次的不買運動は違法とされている。詳しくはボイコットのページを参照。

国鉄の順法闘争は結果的に国鉄へのボイコットを呼ぶ結果となった。

注釈

  1. ^ a b c NHK取材班『NHKスペシャル 戦後50年そのとき日本は』第5巻、日本放送出版協会、1996年、p.273 - 275
  2. ^ 国鉄~JR西日本OBの宇田賢吉(870000kmの鉄路、『鉄道ファン』誌)によれば、後に国鉄は体質改善の一環として職員の大手私鉄視察を行なった。その時西武鉄道の車両基地に国鉄の運転所・車両区にはない24時間営業の食堂が設置されているのを見て驚いたそうである。宇田氏は長距離列車の乗務員の場合「ホカ弁抱えて列車に乗り込む」状況だったと述べており、国鉄側にも改善の遅れがうかがわれる。しかしそういったことが食事しながらの運転という人命軽視を大目に見る理由となり得ないのは明らかである。

関連項目