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|職業 = [[官僚]]、[[社会学者]] |
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|出身校 = 東京大学 |
|出身校 = [[東京大学]]、[[エディンバラ大学]] |
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'''中野 剛志'''(なかの たけし、[[1971年]] - )は、 |
'''中野 剛志'''(なかの たけし、[[1971年]] - )は、[[官僚]]、[[社会学者]]。主な研究分野は[[経済ナショナリズム]]。[[京都大学]][[大学院]][[准教授]]。 |
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== 人物 == |
== 来歴・人物 == |
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[[神奈川県]]出身。[[東京大学]][[教養学部]]教養学科(国際関係論)卒業。[[博士]](社会科学、[[エディンバラ大学]])。 |
[[神奈川県]]出身。[[東京大学]][[教養学部]]教養学科(国際関係論)卒業。[[博士]](社会科学、[[エディンバラ大学]])。 |
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[[1996年]]([[平成]]8年)、大学卒業後に[[通商産業省]](当時)に入省、[[1999年]]([[平成]]11年)には[[資源エネルギー庁]]長官官房原子力政策課原子力専門職に就任。 |
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主な研究分野は[[経済ナショナリズム]]であり、これは[[自由主義|経済自由主義]]、[[マルクス主義]]のいずれにも属さない思考様式である。 |
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[[2000年]]([[平成]]12年)より、[[イギリス]]の[[エディンバラ大学]]に留学。同大学留学中に執筆した論文、『経済ナショナリズムを理論化する』<ref>{{cite journal |author=Takeshi Nakano |year=2004 |title=Theorising economic nationalism |journal=Nations and Nationalism |volume=10 |issue=3 |pages=211–229 |doi=10.1111/j.1354-5078.2004.00164.x }}</ref>は[[2003年]]([[平成]]15年)、[[民族性ナショナリズム学会]]の「ネイションズ・アンド・ナショナリズム賞」を受賞<ref>[http://www.lse.ac.uk/collections/ASEN/dominique_jacquin_berdal_prize.html Nations and Nationalism Prize in the Memory of Dominique Jaquin-Berdal]{{ref-en}}</ref>。[[2005年]]([[平成]]17年)にエディンバラ大学から[[博士号]]・Ph.D(社会科学)を授与。 |
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===経歴=== |
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大学を卒業した{{jdate|1996}}、[[通商産業省]](当時)に入省、{{jdate|1999}}には[[資源エネルギー庁]]長官官房原子力政策課原子力専門職に就任した。 |
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帰国後の[[2003年]]([[平成]]15年)、[[経済産業省]]資源エネルギー庁資源・燃料部政策課課長補佐、翌年からは同課燃料政策企画室併任。同年、経済産業省エネルギー・新エネルギー部新エネルギー対策課課長補佐に就任。 |
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翌{{jdate|2000}}より、イギリスの[[エディンバラ大学]]に留学。同大学留学中に執筆した論文、『経済ナショナリズムを理論化する<ref>原題: Theorising Economic Nationalism</ref>』は{{jdate|2003}}、[[民族性ナショナリズム学会]]の「ネイションズ・アンド・ナショナリズム賞」を受賞した<ref>[http://www.lse.ac.uk/collections/ASEN/dominique_jacquin_berdal_prize.html Nations and Nationalism Prize in the Memory of Dominique Jaquin-Berdal]{{ref-en}}</ref>。その後、エディンバラ大学からの[[博士号]](Ph.D)は、{{jdate|2005}}に授与されている。 |
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経済産業省には[[2010年]]([[平成]]22年)5月まで務めたが[[更迭]]され<ref name="nama2011dec">中野剛志発言 ニコニコ生放送 「グローバル恐慌の真相 中野剛志×柴山桂太」 『[[ニコニコ]]』 平成23年(2011年)12月放送</ref>、[[藤井聡]][[京都大学]][[大学院]]([[工学研究科]]都市社会工学)教授の研究室に移った<ref name="nama2011dec"/>。同教室には初め[[助教]]として加わり、翌年には[[准教授]]に昇格して現在に至る。 |
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日本に帰国後の{{jdate|2003}}、[[経済産業省]]資源エネルギー庁資源・燃料部政策課課長補佐となり、翌年からは同課燃料政策企画室併任となった。また同年、経済産業省エネルギー・新エネルギー部新エネルギー対策課課長補佐に就任した。 |
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== 研究活動 == |
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{{jdate|2010}}、[[京都大学]][[大学院]][[工学研究科]](都市社会工学専攻)[[藤井聡|藤井]]研究室に[[助教]]として出向。翌年、同研究科の[[准教授]]に就任し、現在に至る。 |
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=== 研究業績 === |
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[[イギリス経験論]]の代表的人物である[[デイヴィッド・ヒューム]]を[[経済]][[ナショナリスト]]とし、ヒュームからアメリカの経済ナショナリストである[[アレクサンダー・ハミルトン]]への流れ、ハミルトンを経由して経済ナショナリストの一大学派である[[ドイツ歴史学派]]の創始者[[フリードリッヒ・リスト]]までの思潮を辿り、ヒュームから[[ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル|ヘーゲル]]を経て、[[新古典派経済学]]の創始者の一人とされる[[アルフレッド・マーシャル]]が実は経済ナショナリストであることを論証している。また、混同されがちな経済ナショナリズムと[[重商主義]]はその立場が異なることを、「ネイション」([[国民]]あるいは人々の社会的・文化的・心理的紐帯)と「ステイト」([[政府]]あるいは政治的・法的制度)の両者の基盤の違いを軸に解明している。 |
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== 主張・言論活動 == |
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=== 経済思想 === |
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[[イギリス経験論]]の代表的人物である[[デイヴィッド・ヒューム]]が経済ナショナリストであるとする。このヒュームから、アメリカの経済ナショナリストである[[アレクサンダー・ハミルトン]]への流れ、ついで、このハミルトンを経由して経済ナショナリストの一大学派である[[ドイツ歴史学派]]の創始者[[フリードリッヒ・リスト]]までの思潮を辿り、さらにヒュームから[[ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル|ヘーゲル]]を経て、[[新古典派経済学]]の創始者の一人とされる[[アルフレッド・マーシャル]]が実は経済ナショナリストであることを解き明かす。また、しばしば混同されがちである経済ナショナリズムと[[重商主義]]とは、その立場が異なることも、「ネイション」([[国民]]あるいは人々の社会的・文化的・心理的紐帯)と「ステイト」([[政府]]あるいは政治的・法的制度)と両者の拠って立つ基盤の違いを軸に解き明かす。 |
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経済ナショナリストによる[[思想]]の再解釈を通して、これらの思想の底流にあるのは、理性と思索により抽象化・単純化した思考ではなく、[[文化]]や社会慣習、常識の蓄積などをあるがままに掴み取ろうとする[[解釈学]]的アプローチであるとする。抽象的な[[数理モデル]]や、経済現象を利己的個人に還元した[[方法論的個人主義]]など、これらに基づく[[経済学|主流派経済学]]の非現実的な抽象論を批判し、これに依拠する[[民営化]]・[[規制緩和]]・[[小さな政府]]などの[[新自由主義]]的な手法が問題解決に対して失効しているばかりか、軋轢や問題の原因だとも指摘する<ref>『国力論』より</ref> 。 |
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フリードリッヒ・リストは『[[政治経済学の国民的体系]]』の中で「ネイション」(国民)と「ステイト」(国家)の概念を明確に区別しており、リストの理論は「ステイト」ではなく、「ネイション」、あるいは「ネイション・ステイト」(国民国家)の[[政治経済学]]と位置付けているとする。リストの[[経済学]]は重商主義と混同され、重商主義と経済ナショナリズムは同一視されるが全く異なるものであるとし、その主眼は利益でも効用でもなく、国民が共有する「文化」であり、物質的要素と文化的要素は相互に関連し、ともに発展できると考えたことであるとする<ref>『グローバル恐慌の真相』173~174頁。</ref>。 |
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彼らの思想の再解釈を通して、これら思想の底流にあるのは、理性と思索により抽象化・単純化した思考ではなく、文化や社会慣習、常識の蓄積などをあるがままに掴み取ろうとする[[解釈学]]的アプローチであるとする。そして、抽象的な数理モデルや、経済現象を利己的個人に還元した[[方法論的個人主義]]など、これらに基づく[[経済学|主流派経済学]]の非現実的な抽象論を批判し、これに依拠する[[民営化]]・[[規制緩和]]・[[小さな政府]]などの[[新自由主義]]的な手法が問題解決に対して失効しているばかりか、軋轢や問題の原因だとも指摘する<ref>『国力論』より</ref> 。 |
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リストの[[保護主義]]のポイントは、①重商主義と保護主義は異なること、②保護主義は保護そのものが目的ではなく、国内分業を進め、かつ分業した国民同士の結合を強めていくことが根幹で、それが経済発展につながるということ、③保護主義を実践するには[[気候]]条件と一定の[[人口]]規模が必要であること、④保護主義と[[鎖国]]は異なり、国内分業といっても[[自給自足]]を目指したものではない、とする<ref>『グローバル恐慌の真相』178~179頁。</ref>。 |
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[[マンデルフレミングモデル]]に対して、デフレ下では金利の大幅な上昇はありえないため自国通貨高にはならないと主張している<ref>[http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-10656537835.html 内需拡大が円高を止める]</ref>。 |
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海外からの需要取り込みや国際分業の伸展により経済活性化を目指すグローバル成長戦略論には否定的である<ref>[http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-10656537835.html 内需拡大が円高を止める|三橋貴明オフィシャルブログ「新世紀のビッグブラザーへ blog」への寄稿]</ref>。外需促進は貿易黒字の拡大を伴うが、これは円高を促し国際競争力を失う自爆行為であると指摘する。むしろ、財政出動により内需を拡大することで輸入が増加し、これが円を安くし国際競争力を高めることにつながるとする。すなわち、財政出動による内需拡大こそが円高を止めるとの意見である<ref>「[[円相場]]」を参照。</ref>。 |
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[[自由貿易]]も得意な分野に特化し輸出で稼ぐということになると、他人の[[市場]]を奪い取るなどの経済的な利益だけを考えているため、ほとんど重商主義に近くなるとする。このような重商主義のロジックとリストの経済ナショナリズムが決定的に違うのは、富を取りに行くとか、富を交換するといった論点ではなく、富を自分で作り出すにはどうしたらいいかという、生産の創造性について語った点であるとする。[[リカード|デイビット・リカード]]をはじめとする標準的な自由貿易の理論は、モノを交換すると効率が良くなるとか、[[消費者]]の効用が上がると言っているだけであり、そのモノ自体をどうやって人間が作っていくか、どういう条件があれば生産ができるかという議論が全くなされていないとする<ref>『グローバル恐慌の真相』179~180頁。</ref>。 |
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=== TPPについて === |
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[[環太平洋戦略的経済連携協定]](TPP)参加は日本の国益にならないとする<ref name="wa-dan20110225">[http://www.wa-dan.com/ustarc/2011/02/2011225.php?1 週刊朝日UST劇場アーカイブ、2011年2月25日]</ref><ref>[http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-10722440426.html ドミナントストーリー(優先される物語)|三橋貴明オフィシャルブログ「新世紀のビッグブラザーへ blog」への寄稿]</ref>。国内市場の大きい大国である米国だけが主導権をもってルールの策定を行えることに加えて、安全保障上の問題から日本は米国に対して弱い立場にあるため日本に有利なルール策定はより困難で米国に妥協するしかないこと、その米国がドル安により輸出振興政策を志向すればTPPに参加しても日本の輸出は伸びない一方で関税という防波堤を失えば日本の農業は壊滅的な打撃を受けること、ISD条項に基づく訴訟によって国民皆保険制度など日本の社会制度が変えられてしまう恐れがあること、などを理由として挙げている。 |
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デイヴィッド・ヒュームは自由貿易の擁護はしていても、[[ドイツ]]が未発達の[[工業製品]]に関税をかけることは間違いではなく、自由貿易を奨励したのは、海外との[[コミュニケーション]]を盛んにすることで知識が交換されたり、海外から入る知識や技芸によって、国内の文化が刺激されて豊かになるという話であって、[[資源]]配分の効率化の話ではなく、海外市場を取りに行くべきではないと言っていたとする。また、単なる自由貿易をコマースではなく、コミュニケーションとして捉えており、コミュニケーションが上手くいき、[[文明]]が発達するためには大体同じ程度の文明水準でなければならないと言っていたとする<ref>『グローバル恐慌の真相』181~182頁。</ref>。 |
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また、安い外国の製品が輸入されるようになったことをデフレの要因として挙げ、TPPに反対する最大の理由は、価格の低い商品が今以上に輸入されてデフレがさらに進んでしまうからだとしている<ref>朝日新聞、争論 第三の開国、2011年1月18日</ref><ref>[http://www.nsk-network.co.jp/sisandefure03.htm#1 地価下落・不良債権・デフレ負の連鎖]</ref>。 |
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ヒュームをはじめ、[[18世紀]]の頃の[[啓蒙思想家]]が印象深く見ていたのが[[世界]]の成り立ちであり、経済システムがいかに文化・制度・[[法律]]・[[政治]]体制により異なっていくかということであり、経済システムが国ごとにいかに違うかというのを強調するのが政治経済学、[[社会科学]]の始まりであったとする<ref>『グローバル恐慌の真相』182~183頁。</ref>。 |
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=== エピソード === |
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[[ハイエク|フリードリッヒ・フォン・ハイエク]]の[[自由主義]]とは反[[合理主義]]であり、人間の理性には限界があり、慣行・慣習・マナーといったルールに従うべきであり、ルールに従わなければ、人間は不完全な理性しか持たないので、制度を設計したりすることはできないとする。つまり、理性を使い、国家や社会という複雑なものを合理的に設計できるという[[マルクス主義]]や[[全体主義]]は誤謬であるとし、彼らは自分たちの理論に従い世の中を設計し、その理論から外れたものについては弾圧する。ハイエクにとっての全体主義は合理主義で、反合理主義こそが自由主義であるとする<ref>『グローバル恐慌の真相』57~58頁。</ref>。 |
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[[ポランニー]]は[[1930年]]代の[[世界恐慌]]を研究した上で『[[大転換]]』を書き、[[環境]]・自然の破壊・[[労働者]]の破壊・デフレによる生産組織の破壊を防ぐ保護対策を論じたが、そう考えるとデフレ対策も保護主義であり、生産組織の保護と言えるとする<ref>『グローバル恐慌の真相』190~191頁。</ref>。 |
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[[イデオロギー]]は都合の良く巧妙に操作されるとし、自由貿易が良いという理論をイデオロギーとして流布する[[帝国]]があり、それは[[19世紀]]であれば[[イギリス]]、[[20世紀]]の戦後であれば[[アメリカ]]であったとする。アメリカは保護主義的な政策で成長したにも関らず、[[戦後]]に圧倒的な影響力を持った瞬間に、自国の製品を世界で売る必要から、各国の[[関税]]が邪魔になり、自由貿易のイデオロギーを強力に推進するようになり、これは19世紀のイギリスの理屈も同じであるとする。リストは自由貿易はイギリスの[[ナショナリズム]]だと見抜いていたとする。また、同様の趣旨を[[福沢諭吉]]が『通俗国権論』や『時事小言』の中で言っており、ドグマにとらわれない「実学」を強調しているとする<ref>『グローバル恐慌の真相』199~201頁。</ref>。 |
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=== 経済史 === |
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[[経済思想史]]の流れで経済が順調ではない時の傾向として、通常の経済学の議論で見落とされていたものに注目する動きが出てくるとし、危機の時はオーソドックスから逸脱できた国だけが生き残れるとする<ref>『グローバル恐慌の真相』166~167頁。</ref>。 |
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保護主義の議論は[[不況]]の時に必ず出てくるとする。その実例として、フリードリッヒ・リストが『政治経済学の国民的体系』を執筆した当時の19世紀のヨーロッパ、イギリスを中心にデフレ不況が起きていた[[1870年]]~[[1880年]]代の[[ヨーロッパ]]を挙げている。後者は[[鉄鋼業]]・[[重工業]]・[[石油業]]などの将来が不確実だと絶対に投資できない大規模装置産業が発達した[[第二次産業革命]]の発生した時期で、アメリカが保護主義によって世界経済の覇者として台頭した時期と重なるとしている。また、ヨーロッパでも保護主義ととった国は景気が悪くなく、ドイツも[[化学工業]]を非常に発達させたとする。さらに、貿易についても最も保護主義的だった国同士が最も盛んであり、イギリスが19世紀末から凋落したのは、世界中が保護主義をとるなかで、イギリスだけが自由貿易を堅持したためであるとしている<ref>『グローバル恐慌の真相』168~170頁。</ref>。 |
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国家が規制と統制で保護していたが、世の中が進歩して民が自立していった結果、競争が進んで保護がなくなったという[[日本人]]の勝手なイメージは間違いであるとする。[[第一次世界大戦]]以前の[[資本主義]]は、デフレであろうが、[[賃金]]がどう動こうが、労働者の保護はなかった。また、市場に任せて環境が破壊され、[[児童労働]]も平気になされていた時代であったように、完全に価格メカニズムで社会が破壊されていた時代が19世紀であり、それに対応するために、[[福祉国家]]論や[[ケインズ主義]]が出てきたとする。これを進歩とすれば、進歩するほど保護される領域が広がり、純粋に市場で決まる領域は狭くなっていくとする<ref>『グローバル恐慌の真相』192頁。</ref>。 |
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最新の研究によれば、保護主義の連鎖で世界恐慌は悪化したのではないという議論が有力であるとする。保護主義は[[1920年]]代に急に台頭したわけではなく、ヨーロッパの平均関税率は[[1910年]]代前半と1920年代後半では同じくらいであり、1920年代の終わり頃までにはほとんど全ての先進諸国で関税は引き下げられていたとする。また、[[世界恐慌]]を悪化させたと悪名高いのは、アメリカの[[スムート・ホーリー法]]であるが、この関税法の成立と、それに対する報復関税の連鎖が起きたのは、世界が大恐慌に突入した後のことであり、少なくとも保護主義は世界恐慌の原因ではないとする。悪影響があったとしてもそれは僅かであったとする有力な研究が複数あるとし、[[ピーター・テミン]]が『大恐慌の教訓』の中で、スムート・ホーレー関税法が世界恐慌を深刻化させた主たる要因であるという説を否定しているとし、[[貿易]]制限は需要を一方的に縮小させるわけではなく、内需の拡大で相殺され、それほど大きな影響にはならないとする。テミンが世界恐慌を深刻化させたのは、保護貿易ではなく、[[緊縮財政]]と高金利政策というデフレ政策により[[金本位制]]を維持しようとしたためであると言っているとする。大恐慌で株式市場が崩壊してデフレになるが、その状況では金融緩和して、財政出動すべきであるが、当時の[[フーバー]]大統領は今で言う主流派経済学を信奉していたので、[[為替]]を維持するために[[金利]]を上げて緊縮財政を施したため、世界恐慌が悪化してしまったとし、主流派経済学が大恐慌の原因であったとする<ref>『グローバル恐慌の真相』196~198頁。</ref>。 |
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=== 経済論・経済政策 === |
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==== 総論 ==== |
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[[マンデルフレミングモデル]]に対して、[[デフレ]]下では金利の大幅な上昇はありえないため、自国通貨高にはならないと主張している<ref>[http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-10656537835.html [[内需]]拡大が[[円高]]を止める]</ref>。 |
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海外からの需要取り込みや国際分業の伸展により経済活性化を目指す[[グローバル]]成長戦略論には否定的である<ref>[http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-10656537835.html 内需拡大が円高を止める|[[三橋貴明]]オフィシャル[[ブログ]]「新世紀のビッグブラザーへ blog」への寄稿]</ref>。[[外需]]促進は貿易黒字の拡大を伴うが、これは円高を促し国際競争力を失う自殺行為であると指摘する。むしろ、財政出動により[[内需]]を拡大することで[[輸入]]が増加し、これが円を安くし国際競争力を高めることにつながるとする。すなわち、財政出動による内需拡大こそが円高を止めるとする<ref>「[[円相場]]」を参照。</ref>。 |
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[[リーマン・ショック]]以来の世界的な経済危機の根本を探るために「グローバル・インバランス」(世界的な[[経常収支]]不均衡)に注目すべきとしている。[[1990年]]代~[[2000年]]代のグローバル化は[[アメリカ]]が経常収支の赤字を過剰に積み増すことにより支えられており、2000年代の[[中国]]の驚異的な成長も[[日本]]のつかの間の景気回復もアメリカの住宅[[バブル]]の産物である大量消費によって支えられていたとする。現在の経済危機を抜け出すためには、グローバル・インバランスを解消すべきであり、アメリカによる輸出増大、経常収支で黒字をため込んでいる[[東アジア]]、日本、[[ドイツ]]は内需拡大・輸入増大を行い、輸出依存の経済成長を止めなければならないとする<ref>『グローバル恐慌の真相』27,29~30,38頁。</ref>。 |
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[[構造改革]]論と旧[[社会党]]・[[鳩山由紀夫|鳩山]][[マニフェスト]]的議論は、[[経済思想]]の中でも最も素朴でレベルが低く、そのレベルの低い両極端の間に無数の政策バリエーションがあるのも関らず、二つの選択肢しか知らないのが現代日本の不幸であり、この二つで先の見えない危険な時代で乗り切ろうとするのは無謀過ぎると述べている。右側の新自由主義的なグローバル化のモデルも、左側の[[社会民主主義]]、[[福祉国家]]の議論も正しくなく、全てはグローバル化という共通した前提の上に立っていたとし、そのグローバル化はアメリカの住宅バブルの産物で、それが崩壊したため、左右の議論は通用しないという危機感を持たなければならないとする<ref>『グローバル恐慌の真相』23,163頁。</ref>。 |
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グローバル化は労働者の賃金を上げさせず格差が拡大するばかりであるため、国内の[[資本家]]と労働者の対立を誘発することを指摘している。[[ポール・クルーグマン]]、[[ローレンス・サマーズ]]などのグローバル化を推進した[[エコノミスト]]ですら、2000年代中盤以降、賃金が一向に上がっていないのを目撃すると、グローバル化は労働者に対し被害を及ぼすと認めざるを得なかったとしている。また、[[チュニジア]]や[[エジプト]]などの[[北アフリカ]]で内紛や内戦が続出したが、それもグローバルな[[穀物]]市場で[[小麦]]価格が高騰したしたためであり、[[21世紀]]型の戦争が国内紛争であるとすれば、グローバル化はその主たる原因だとしている<ref>『グローバル恐慌の真相』135頁。</ref>。 |
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アメリカ主導の[[経済政策]]の壮大な失敗の原因は経済理論の根本的な問題であるとし、[[マクロ経済]]政策はこれまで議論されなかった[[社会学]]・[[文化人類学]]の視点を導入すべきであるとする<ref>『グローバル恐慌の真相』49~50頁。</ref>。また、政治経済学、経済思想、経済学は[[自然科学]]とは異なり、知識の蓄積とともに進歩するものではなく、現代ではかなり劣化していることを指摘している<ref>『グローバル恐慌の真相』99頁。</ref>。 |
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「[[キャッチアップ]]型は終わったので、日本は新たな経済システムに移行しなければならない」という主張が混乱しており、日本の経済政策論に劣化を感じていると述べている。戦後の一時期はキャッチアップ型であったが、それは国内市場が未熟であり、先進国にキャッチアップしなければならなかったが、[[1980年]]代の[[NIES]]の成功を例に挙げ、企業が輸出戦略で成功するためには、豊かな、大規模な、先進的な、発達した市場が必要であるが、それはキャッチアップ段階だから必要なことであり、自分たちが成熟して豊かで高度な市場になったら、国内市場で十分経済は回るため、日本企業も多数のライバル企業がしのぎを削る国内市場で学習効果は得られるとしている<ref>『グローバル恐慌の真相』100~103頁。</ref>。 |
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リーマンショック後の日本の進むべき道として出てくる議論のうち、[[EU]]のような地域統合を進めて一種の[[ブロック経済]]のなかで新しい経済秩序を作り出そう議論や、これから時代をリードするのは中国をはじめとした人口の多い[[途上国]]であるという議論は期待できないとする<ref>『グローバル恐慌の真相』126頁。</ref>。 |
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実際の社会では経済学が想定する市場のように、[[宇沢弘文]]が言うところのマリアブル(可塑性・柔軟な変化の可能性)には動かないとする。人間や自然などお金では買えない価値を多分にはらんだものは、急に必要になったから取り出すとか、要らなくなったから捨てるということはできず、日本で行われた労働移動の自由化や[[派遣労働]]の問題が典型であるが、それを市場で交換した途端に、人間性や個人の尊厳などの市場で交換できないはずの大切なものが破壊されてしまうとする<ref>『グローバル恐慌の真相』189頁。</ref>。 |
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20世紀後半以降は大きな政府の時代になっており、リーマンショック後の日本はさらに大きな政府にならざるを得ないとする。デフレ脱却後、[[インフレ]]に転じたら、通常の経済に戻ればいいが、世界中がデフレになりかけている場合はそれすら難しい可能性があるとする。また、今やるべきことは海外が日本の市場や資本を取りに来るのでこれをディフェンスすること、外需を奪い合う[[帝国主義]]的な争いに巻き込まれないように、ケインズ主義的に内需を拡大することであるとする<ref>『グローバル恐慌の真相』203~207頁。</ref>。 |
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==== 資本主義・市場経済 ==== |
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[[スーザン・ストレンジ]]の[[カジノ]][[資本主義]]という言説を取り上げ、[[金融]]の自由化に懸念を示している。[[資本]]の移動を自由化すれば、資源が効率的に配分されるとか、均衡するという経済学の理論とは異なり、現実には一カ所に資本が集中することでバブルが発生し、そのバブルは必ず崩壊するという。その典型が[[1997年]]の[[アジア通貨危機]]であり、その反省によって、アジアの国々は経済危機へ備えるため、黒字をため込み、内需を拡大せず、アメリカに輸出し、外貨をため込むようになった。外貨の運用先に住宅バブルにわくアメリカに選んだとし、そのため、アメリカは住宅バブルにも関らず、金利は低位に推移し、バブルは膨らんでいってしまったとする。しかも、金融のグローバル化が進んだ現在では、バブル崩壊の影響が世界的に予想外の連鎖をもたらし、リーマン・ショックは同時多発的な国家[[債務]]危機にまで発展したとする<ref>『グローバル恐慌の真相』35~37頁。</ref>。 |
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資本主義というものは将来の不確実性に向かってお金を出す行為であり、スーザン・ストレンジを例に挙げ、資本主義そのものは[[ギャンブル]]的な要素を非常に強く持っているとする。金融・信用・資本・投資という行為が働かなければ資本主義ではなく、それは単なる[[市場経済]]であり、1990年代の日本の高コスト構造の是正を提唱した構造改革論者は市場経済のことだけを考えており、本質的な資本主義の構造を全く考えていなかったとする。[[シュンペーター]]のように[[市場経済]]と資本主義を区別しておくということは極めて重要なことであり、産業革命が進むほど市場経済の資本主義の度合いが大きくなる。つまり、実体経済と金融経済のうち、金融の部分が大きくなることを指摘している<ref>『グローバル恐慌の真相』65~70頁。</ref>。 |
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資本主義が市場経済と異なるのは、将来に向けて現在行動する、現在の支出が現在の利益ではなく将来の利益になるという点であり、現在支出した人とその利益を得る人が一致しないという点だとする。つまり、自分が現在支出したものが自分が死んだ後に将来の誰かの利益になるかもしれないという[[モラル]]が資本主義を支えているとし、シュンペーターも家族を重視することで同様の理論を提示していることを示している<ref>『グローバル恐慌の真相』84~85頁。</ref>。 |
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[[株主]]は短期的な利益を求めるので、株主の力が強くなると、経営者は技術開発や人材育成ができなくなり、市場経済が進むと視野の短期化が起こることを指摘している。また、[[労働市場]]を自由化し、[[市場メカニズム]]を働かせるほど、長期的な投資が行われなくなり、短期的になるが、アメリカの石油産業を一例に挙げ、産業の安定性や弾力性を奪うことも指摘している<ref>『グローバル恐慌の真相』85~88頁。</ref>。 |
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[[トーマス・フリードマン]]、[[ジョセフ・ナイ]]、[[カント]]によるグローバル化で経済的な相互依存が強まると、経済的に損と思うため戦争はしなくなるという「資本主義の平和」という議論については、国家は必ずしも合理的に行動しないことや、合理的に行動したとしても戦争が起きる可能性があるため、疑問を呈している。なお、この議論は平和主義が強く、グローバル化に最も警戒が少ない日本で特に強く信じられているとする<ref>『グローバル恐慌の真相』132~134頁。</ref>。 |
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==== 産業論 ==== |
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[[マサチューセッツ工科大学]]を中心に作成された「[[メイド・イン・アメリカ]]」において、[[製造業]]、モノづくりの強さというのは、その国の[[国民]]性や[[文化]]と切り離せないことを例に出し、日本の製造業の輸出産業の強さというのは、日本文化と密接の関っているとする。また、[[製造業]]を発展させるためには、勤勉さ、人と協力し合う習慣、倹約して将来のために投資しようとする精神など、様々な文化的条件や過去の蓄積が必要となり、一般労働者の水準が高く、彼らが意欲的に参加意識をもって集団行動することが不可欠であるとしている<ref>『グローバル恐慌の真相』38~39頁。</ref>。 |
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産業の発展には金融の論理と矛盾してボラティリティ(変動幅)が低さを必要とすると述べている。変動が大きい方が活力があり、秩序や安定は硬直的であり停滞しているというイメージをもっている人が多いがそれは間違いだと指摘している<ref>『グローバル恐慌の真相』112~113頁。</ref>。資本主義がダイナミックなものであるのは事実であり、不確実性が[[イノベーション]]を生むという面があるが、イノベーションをするためには、将来のリターンがあるかどうか、まったく不透明である場合には投資はできないとし、イノベーションをやる動機を起こさせるのは不確実性が低い場合だとする<ref>『グローバル恐慌の真相』121頁。</ref>。なお、現代経済学の[[不確実性]]の入れたモデルとは、[[確率論]]で表せるリスクの話であり、ケインズの言った確率論で計ることができない不確実性ではないとする<ref>『グローバル恐慌の真相』117頁。</ref>。 |
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[[農業]]は農家が単に[[食糧]]を供給し、消費者がそれを買って腹を満たすだけの存在ではないとする。農業は環境保護や田園の景観を含めて、自然環境や地域性と密接に関っており、そこにはお金では交換できない価値があり、それを全部無視してお金で取引すると、今まで地域で大事にしてきた「ナショナル・キャピタル」(国民の中で蓄積されている有形無形の資本)が壊れてしまうとする<ref>『グローバル恐慌の真相』187頁。</ref>。 |
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==== 貿易論 ==== |
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1980年代までの政治経済学では日本は輸出立国ではないのは常識であったが、1990年代から2000年代になると、輸出依存の日本は貿易立国なので輸出をしていかなければ生きていけないと言われるようになったが、[[GDP]]に占める輸出の割合からもそれは完全なる間違いであるとする。日本は1970年代から1990年代あたりまでは内需主導で成長しており、2000年代に入るまでそのバランスは崩れていなかったとし、外需主導の成長は日本経済の本来の姿ではないとする<ref>『グローバル恐慌の真相』94~95,152頁。</ref>。 |
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極端な自由貿易で自分たちの得意な産業に特化した場合、他の産業は諦めねばならず、その国にいる限り、職業選択の自由は行使できなくなるとする<ref>『グローバル恐慌の真相』195頁。</ref>。 |
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==== 公共投資 ==== |
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デフレ対策を含め財政出動の必要性を訴えており、その投資先としては、老朽化した[[橋]]、[[道路]]、[[下水管]]、被災地の復興、[[耐震]]強化、[[水害]]対策など将来に向けた[[インフラ]]が山ほど存在することを強調している。また、現代日本では老朽化したインフラの更新投資など、本来やるべきことには逆に禁欲的であり、公共投資の必要性がないという。[[社会保障]]費、あるいは[[子供手当て]]という現在の支払いのために、財源としての将来の投資や公共投資を削減しているとする<ref>『グローバル恐慌の真相』80~81頁。</ref>。 |
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ケインズ主義的な不況対策は国民統合された福祉国家でないと機能せず、マクロ経済管理ができない国はグローバル化すべきではなかったとする<ref>『グローバル恐慌の真相』153~154頁。</ref>。 |
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==== 福祉国家 ==== |
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[[北欧]]型の[[第三の道]]を目指すべきという議論については問題点を指摘している。2000年代に北欧の福祉国家が高福祉・高負担であっても経済が活性化していたのは、庶民の民度が高かったのではなく、グローバル・インバランスの産物であり、アメリカが住宅バブルで過剰消費して経済の牽引役になっていたためであるとする<ref>『グローバル恐慌の真相』159頁。</ref>。 |
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==== デフレ論 ==== |
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[[エマニュエル・トッド]]の指摘を引用し、2000年代のグローバル化で先進国の労働分配率が下落しており、グローバル化がデフレ圧力になるとしている。日本がデフレになった決定的な原因は、[[橋本政権]]の時の緊縮財政や[[消費税]]増税であるとしているが、グローバル化の下で日本以外ではデフレ圧力が顕著に見られない原因は、借金をしてまで消費を続けていたためであるとする。特にアメリカは、モノ、ヒト、カネのグローバル化によってデフレ圧力があったのを、2000年代は金融化で隠していたものの、住宅バブルの崩壊によるデフレの危機に陥っているとしている<ref>『グローバル恐慌の真相』40~42頁。</ref>。 |
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インフレ抑制のための金利の引き上げは効果的であるが、デフレ解消のための金利を引き上げては効果は乏しいとする。貨幣価値が上がるデフレでは、経済合理的に考えて、誰も消費や投資をしないという状況になり、民間の力だけでデフレを脱却することは不可能ということになるため、民間以外に消費や投資をする主体である政府が必要となり、政府が財政出動を行い、金融緩和を同時に行うべきであるとする。日本人によるデフレの認識不足を指摘しており、1990年代~2000年代に本格的な財政出動どころか十分な金融緩和すら行われなかったことをその例証として挙げている。財政出動は効果がなかったという議論を否定しており、その例証として[[小渕政権]]と[[麻生政権]]の財政出動は景気悪化を食い止めたこと、財政収支の改善をもたらしたことを挙げている。しかし、小渕政権と麻生政権はともに政治的アクシデントで財政出動が十分に行われなかったとしている<ref>『グローバル恐慌の真相』62~63頁。</ref>。 |
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1990年代になり、アメリカの新自由主義の影響を受けた構造改革派が主流になり、高コスト構造の是正を目指すべきという議論が広まっていったが、デフレが始まる最悪のタイミングであったとする。グローバル化の時代だから国際競争力が必要である、新興国の低賃金労働者に勝つために日本も低賃金にならないといけない、だからデフレでいいということになり、デフレという現象はグローバル化と整合的であったとする<ref>『グローバル恐慌の真相』63~64頁。</ref>。 |
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デフレは「物価が将来下がるかもしれない」、「貨幣価値が将来上がるかもしれない」という心理的影響を与え、誰も投資や借金をしなくなる。これは資本主義の心肺停止状態であり、資本主義を望むならば、デフレだけは回避しなければならないとする。経済構造の産業化が進み、高度化すれば、信用制度がなくては大きな投資ができないとする。資本というものは昔からあったが、[[産業革命]]が進むほど、市場経済の資本主義の度合いが大きくなる。つまり、[[実体経済]]と金融経済のうちの金融の部分が大きくなるが、デフレはその動きを停止させるとしている<ref>『グローバル恐慌の真相』69~70頁。</ref>。 |
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[[サッチャー]]、[[レーガン]]の[[1970年]]代末~1980年代の[[欧米]]は、デフレよりインフレが問題であったとする。インフレはデフレと逆で、貨幣価値が自然と下がっていく。賃金労働者が多い[[中産階級]]は、現金をもっているとその価値が下がっていくため、中産階級の没落が懸念された。つまり、インフレで生じる階級格差の問題が当時は心配されていたとする。しかし、デフレはは資本主義の心肺停止状態であり、経済そのものが失速していく。そのため、人工心臓を付けてでも、生き返らせなければならない。その人工心臓がいわゆる政府の財政出動であり、心肺停止した民間に代わって経済活動を行い、蘇生させなければならないとする<ref>『グローバル恐慌の真相』71頁。</ref>。 |
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デフレは[[給与水準]]・[[生活水準]]の悪化、投資を含む需要不足という点から怖ろしい経済現象であるとする。その理由として、給与水準・生活水準の悪化は現在の人間の心理や幸福感を著しく傷つけ、投資を含む需要不足は自分の国や共同体、家族のために今は抑制して将来に向けて投資するという、未来のことを考えて生きるという非常に人間らしいことができなくなるためであるとしている<ref>『グローバル恐慌の真相』78~80頁。</ref>。 |
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==== 新自由主義批判 ==== |
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日本で1990年代から流行した[[新自由主義]]に対しては、違和感を感じており、その理由として[[日本型経営]]が急に批判対象となったことや、人間は歴史的に形成されたルールに強く拘束されていることを挙げている。特にハイエクが個人とは共同体の一員で、歴史・伝統・慣習に束縛された存在であり、そのような人々が活動して初めて安定的な市場秩序が成立すること、人間関係・歴史・伝統・共同体から切り離された個人は[[全体主義]]的なリーダーに集まり、国家の言いなりになること、共同体・文化を破壊したり、強引に作り替えようとすると必ず全体主義に辿りつくという指摘にショックを受けたと述べている。日本型経営も歴史や文化の流れで少しずつ形成されたものであり、ハイエクも日本型経営こそが自生的な秩序(スポンテニアス・オーダー)であり、真の[[個人主義]]の基礎であると言ったに違いないとしている。日本の新自由主義者たちはそれを破壊することを明言しており、ハイエクに言わせれば彼らは偽りの自由主義者であり、全体主義者であるとし、[[小泉政権]]時の政治は見事に全体主義であったと述べている<ref>『グローバル恐慌の真相』52~55頁。</ref>。 |
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=== アメリカ経済 === |
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現在のアメリカは貧富の格差が拡大し、中間層が失われており、[[オバマ]]政権も中間層の再生に失敗したとする。アメリカが対外的に稼げそうな分野は、[[農業]]のような[[一次産業]]か、金融・[[保険]]・[[ソフトウェア]]のような[[三次産業]]であるが、農業は大規模効率化しており、金融・保険・ソフトウェアの分野で稼ぐことができるのは高学歴の[[エリート]]層だけであり、[[雇用]]の拡大や所得格差の是正には程遠いとする。さらに、格差是正には権力と地位を支配している富裕層が既得権益を諦めて、所得の再分配に同意する必要があることや、アメリカは[[イデオロギー]]的に貧富の格差には寛容な国民であること、自助努力を求める建国以来の精神などが障害となっており、アメリカはさらなる金融化・[[帝国]]化を進め、グローバル・インバランスをさらに拡大させていくというプロセスに入っていかざるを得ないと予測している。アメリカが帝国型の繁栄を維持するための経済政策が[[TPP]]や[[米韓FTA]]であり、アメリカの収奪戦略の典型であるとする<ref>『グローバル恐慌の真相』39~40,42~46,48~49頁。</ref>。 |
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=== EU経済 === |
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リーマン・ショックによる世界同時不況でユーロバブルが崩壊すると、[[ギリシャ]]の[[デフォルト]]問題が生じたが、EUは財政的に統合されていないため、ドイツなどの財政上余裕がある国の判断でデフォルトの救済が決定した。その際にドイツ国民がギリシャ救済に拒否感を示したことについて、グローバル化にナショナリズムや民主主義が抵抗している構図であったと述べている。また、[[ブリュッセル]]に集まる[[ヨーロッパ]]のエリートには[[コスモポリタン]]の伝統があり、グローバル化を推進したが、[[民主主義]]主体である一般層にはその国の文化や伝統に密接に関っており、そう簡単に国境を越えられず、[[フランス]]の農家・[[ジョゼ・ボヴェ]]の例を出し、民主主義の民主的な声というのはアンチ・グローバル化であるとしている<ref>『グローバル恐慌の真相』127,130~132頁。</ref>。 |
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=== 中国経済 === |
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現代中国はグローバル化することで成長しようとしたため、外資を導入しており、所得格差を縮小しようと、労働者の賃金を上げて経済成長させようとした瞬間に、[[ベトナム]]などのもっと賃金水準の低い国に資本が流出する。そのため、賃金を上げることができず、賃金が上がらないのに、バブルで物価だけが上がっているので、各地で労働者の暴動が頻発しているとする。また、中国は[[少子高齢化]]により市場は拡大しなくなり、労働者の減少は普通は賃金の上昇をもたらすが、賃金の上昇は中国の輸出市場戦略に致命傷を負わせるとする。高付加価値による商品の生産も技術力の問題や特許政策の不備で難しく、現状では低賃金以外で国際競争力を付けるのは難しいと分析している<ref>『グローバル恐慌の真相』143~144頁。</ref>。 |
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[[アーネスト・ゲルナー]]を例に、農民が沿海部に出稼ぎに行って豊かな所得を得るという人口移動を行われた場合、[[民族]]意識を刺激すると述べている。日本の場合、同質性が高い民族性を持つ国民であり、国民統合がすでになされておりエスニシティの摩擦が少ないが、中国のように国内に異質な民族性を有していると必ず問題が生じるとする。そのため、[[チベット]]や[[ウイグル]]で頻繁に暴動が起きているのは驚くべきことではないとする<ref>『グローバル恐慌の真相』145~146頁。</ref>。 |
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人口移動を行わずに資源を再分配するためには強権的な福祉国家が必要になるが、[[自由権]]もまともに保障されていない中国で[[社会権]]を与えた瞬間に[[民主化運動]]が起き、中国国内の秩序が不安定になるとする。それ以前に、ある資源を国家が強制的に吸い上げ、別のところに再分配するという福祉国家を成立させるには[[階級]]や[[地域]]を超えた[[アイデンティティ]]が不可欠だとし、豊かな[[漢民族]]が所得の再分配に同意するかは疑問であるとしている<ref>『グローバル恐慌の真相』147~149頁。</ref>。 |
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=== TPP問題 === |
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[[環太平洋戦略的経済連携協定]](TPP)参加は日本の国益にならないとする<ref name="wa-dan20110225">[http://www.wa-dan.com/ustarc/2011/02/2011225.php?1 週刊朝日UST劇場アーカイブ、2011年2月25日]</ref><ref>[http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-10722440426.html ドミナントストーリー(優先される物語)|三橋貴明オフィシャルブログ「新世紀のビッグブラザーへ blog」への寄稿]</ref>。国内市場の大きい大国である米国だけが主導権をもってルールの策定を行えることに加えて、[[安全保障]]上の問題から日本は米国に対して弱い立場にあるため日本に有利なルール策定はより困難で米国に妥協するしかないこと、その米国がドル安により輸出振興政策を志向すればTPPに参加しても日本の輸出は伸びない一方で関税という防波堤を失えば日本の農業は壊滅的な打撃を受けること、ISD条項に基づく訴訟によって国民皆保険制度など日本の社会制度が変えられてしまう恐れがあること、などを理由として挙げている。安い外国の製品が輸入されるようになったことをデフレ促進の要因として挙げ、TPPに反対する理由として、価格の低い商品が今以上に輸入されてデフレが促進されることを挙げている<ref>朝日新聞、争論 第三の開国、2011年1月18日</ref><ref>[http://www.nsk-network.co.jp/sisandefure03.htm#1 地価下落・不良債権・デフレ負の連鎖]</ref>。なお、自由貿易の拡大はデフレ下で実施すべき経済政策ではなく、インフレ下の経済政策であるとし、経済状況に適合する経済政策の実施をたびたび主張している。 |
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内閣官房の資料「包括的経済連携に関する検討状況」から、政府が考えるTPPの意義は経済効果の意義と外交戦略の意義の二つに分けられるとし、両者について分析を行っている。外交戦略の意義としては、①TPP交渉参加国のGDPのシェアのうち、日米でGDPで約90%以上を占め、日本が参加した場合は実質的に日米FTAであり、TPP交渉参加国に日本を加えた10カ国の中で、日本が輸出できる市場は実質的にアメリカだけであるとする。②中国と韓国がTPPに加入する可能性については、中国は自由貿易協定以前の段階で米中関係はつかえており、また自国の利益を利己的に追及するために為替操作している国が、高度に進んだ自由貿易のルールであるTPPに参加するとは思えないとする。また、韓国は複数国間による急進的な自由貿易協定であるTPPよりも、二国間で交渉するFTAの方が有利であると考えており、韓国もTPPには参加しないと考えた方がいいとする。③「「国を開く」という強い意志を示すメッセージ効果」があるとされるが、そのようなメッセージをアピールすることは、TPP交渉における日本の選択の幅を著しく狭めてしまうとする。④中国と韓国はTPPに参加する可能性は低いため、TPPはアジア太平洋の新たな地域経済統合としての枠組みには発展せず、同地域の実質的基本ルールにはならないとする。⑤多数派工作は外交戦略の初歩であり、国際ルールの策定の場では、利害や国内事情を共有する国と連携しなければ交渉は有利に進まないが、TPP交渉参加国の中には、日本と同じような利害や国内事情を有する国や、連携できそうな国は全く見当たらない。そのため、日本がTPPに参加して自国に有利になるようにルール作りを主導できる可能性はほとんどなく、TPPのルール作りは、参加各国の経済構造から生まれた政治力学によって、アメリカ主導で進むように仕組まれているとする。⑥TPPで日本に有利なルールを作ろうとした場合、アメリカと対立することは避けられないが、現在の日本はアメリカに妥協せず主張を押し通せるポジションになく、TPPにおいて日本がアメリカとともに経済統合の枠組み作りを主導することなどできないとする。⑦日本はTPPのルール作りで主導的役割を果たすことができないため、日本の国際的な影響力や交渉力は全く強化されるどころか、TPPへ参加することで、EPAやFTAの交渉との矛盾が生じてしまい、TPP以外の貿易交渉において、日本の交渉範囲を狭め、選択肢を極端に減らしてしまい、むしろ日本の国際的な影響力や交渉力は低下の方向に向かうことを指摘している。<ref>『TPP亡国論』28~55頁。2011年12月末時点で米韓FTAは批准、日本、コロンビア、カナダ、メキシコが交渉参加の申し入れをしている</ref>。 |
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TPPの議論では関税を撤廃し自由に取引すれば、その結果については全てフェアだという主張があるが、売り手と買い手で合意した値段が常にフェアではなく、市場で取引される値段とは違う「フェアな価値」があるとする。これが普通の価値という社会的な合意、常識的な合意があり、それから逸脱したものには人間は不快感や不公平感を覚えるとする<ref>『グローバル恐慌の真相』188頁。</ref>。 |
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=== 原発問題 === |
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[[福島第一原子力発電所事故]]後の[[原発]]議論や[[エネルギー]]問題に関して、[[エネルギー]][[自給率]]の向上に寄与することから原発の有用性を強調している<ref>{{cite web|url=http://diamond.jp/articles/-/12431|title=『TPP亡国論』著者・中野剛志が緊急提言!【前編】 「東電批判」はお門違い|date=2011-05-27|publisher=ダイヤモンド・オンライン|accessdate=12月16日|accessyear=2011年}}</ref>。また、発送電を分離しても技術的・経済的な問題があることから[[自然エネルギー]]等の[[新エネルギー]]の普及は進まないと指摘している<ref>{{cite web|url=http://diamond.jp/articles/-/12445|title=『TPP亡国論』著者・中野剛志が緊急提言!【後編】 発送電分離はありえない|date=2011-05-31|publisher=ダイヤモンド・オンライン|accessdate=12月16日|accessyear=2011年}}</ref>。 |
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== エピソード == |
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{{雑多な内容の箇条書き|date=2011年11月}} |
{{雑多な内容の箇条書き|date=2011年11月}} |
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* 『[[発言者 (雑誌)|発言者]]』、『[[表現者 (雑誌)|表現者]]』に評論を連載。『発言者』誌上において[[佐伯啓思]]と「[[近代]]」の解釈をめぐって論争を展開した。 |
* 『[[発言者 (雑誌)|発言者]]』、『[[表現者 (雑誌)|表現者]]』に評論を連載。『発言者』誌上において[[佐伯啓思]]と「[[近代]]」の解釈をめぐって論争を展開した。 |
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*[[2011年]]([[平成]]23年)3月17日、「TPP亡国論」の印税収入の半分相当を、[[日本赤十字社]]の「東日本大震災義援金」に寄付した<ref>[http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2011/02/tpp_12.html 中野剛志:「TPP亡国論」発刊にむけて (News Spiral)]</ref>。 |
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== 著書 == |
== 著書 == |
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== テレビ出演 == |
== テレビ出演 == |
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*『[[西部邁ゼミナール]]』([[東京メトロポリタンテレビジョン]])にゲストとして複数回出演している。 |
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|2009年3月21日 |
|2009年3月21日 |
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|国民経済を守れ!若き国士役人たちよ! |
|[http://www.mxtv.co.jp/nishibe/youtube/detail/20090321_KM0000213773.html 国民経済を守れ!若き国士役人たちよ!] |
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|2010年10月2日 |
|2010年10月2日 |
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|いつまで官僚バッシングを続けるのか |
|[http://www.mxtv.co.jp/nishibe/archive.php?show_date=20101002 いつまで官僚バッシングを続けるのか] |
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|2010年12月18日 |
|2010年12月18日 |
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|[http://www.mxtv.co.jp/nishibe/archive.php?show_date=20101218 怪談TPP] |
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|怪談TPP |
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|2011年3月16日 |
|2011年3月16日 |
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| TPP賛成論者の詭弁を論駁す |
|[http://www.mxtv.co.jp/nishibe/archive.php?show_date=20110316 TPP賛成論者の詭弁を論駁す] |
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|2011年4月16日 |
|2011年4月16日 |
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|復興をめぐる要は国家ヴィジョン TPP賛成論者の詭弁を論駁す |
|[http://www.mxtv.co.jp/nishibe/archive.php?show_date=20110416 復興をめぐる要は国家ヴィジョン TPP賛成論者の詭弁を論駁す] |
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|2011年4月23日 |
|2011年4月23日 |
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|[http://www.mxtv.co.jp/nishibe/archive.php?show_date=20110423 TPP亡国論【2】 TPP参加したとき起こる現実] |
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|2011年4月30日 |
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|[http://www.mxtv.co.jp/nishibe/archive.php?show_date=20110430 TPP亡国論【3】 経済自由主義を撃つ] |
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* 『[[超人大陸]]』([[インターネットテレビ]])に複数回出演している。 |
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|2011年2月7日 |
|2011年2月7日 |
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|TPPで日本が滅ぶ |
|[http://www.choujintairiku.com/nakano1.html TPPで日本が滅ぶ] |
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|2011年3月14日 |
|2011年3月14日 |
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|日本のデフレは必ず解決できる |
|[http://www.choujintairiku.com/nakano2.html 日本のデフレは必ず解決できる] |
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|2011年4月18日 |
|2011年4月18日 |
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|グローバル化を進めた結果 民営化、無駄削減で非常事態がさらに泥沼化 |
|[http://www.choujintairiku.com/nakano3.html グローバル化を進めた結果 民営化、無駄削減で非常事態がさらに泥沼化] |
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|2011年5月23日 |
|2011年5月23日 |
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|被災地の復興ビジョンは被災者が一番望む「元の生活に戻す」ことだ |
|[http://www.choujintairiku.com/nakano4.html 被災地の復興ビジョンは被災者が一番望む「元の生活に戻す」ことだ] |
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|2011年7月11日 |
|2011年7月11日 |
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|国家崩壊のエネルギー政策 電力自由化は無能無策の極地 |
|[http://www.choujintairiku.com/nakano5.html 国家崩壊のエネルギー政策 電力自由化は無能無策の極地] |
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|2011年8月15日 |
|2011年8月15日 |
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|脱原発論者に浮かぶ反国家思想 左翼啓蒙の手段に原発議論を持ち込むな!! |
|[http://www.choujintairiku.com/nakano6.html 脱原発論者に浮かぶ反国家思想 左翼啓蒙の手段に原発議論を持ち込むな!!] |
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|2011年9月12日 |
|2011年9月12日 |
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|参加したら終わってしまう 国を売られる瀬戸際のTPP問題 |
|[http://www.choujintairiku.com/nakano7.html 参加したら終わってしまう 国を売られる瀬戸際のTPP問題] |
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|2011年10月24日 |
|2011年10月24日 |
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|ルール策定は政治力で決まる 米韓FTAよりひどいTPP交渉となるだろう |
|[http://www.choujintairiku.com/nakano8.html ルール策定は政治力で決まる 米韓FTAよりひどいTPP交渉となるだろう] |
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|} |
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* |
* [[2011年]]([[平成]]23年)10月27日、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系[[情報番組]]『[[情報プレゼンター とくダネ!|とくダネ!]]』に[[コメンテーター]]として出演しTPP反対論を展開した。 |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
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{{Reflist|3}} |
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<references/> |
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== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
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* [[小野善生]] |
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* [[黒宮一太]] |
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* [[経済産業省]] |
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* [[佐伯啓思]] |
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* [[柴山桂太]] |
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* [[超人大陸]] |
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* [[通商産業省]] |
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* [[西部邁]] |
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* [[西部邁ゼミナール]] |
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* [[藤井聡]] |
* [[藤井聡]] |
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* [[森川亮]] |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
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[[Category:日本の経産官僚]] |
[[Category:日本の経産官僚]] |
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[[Category:京都大学の教員]] |
[[Category:京都大学の教員]] |
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[[Category:環太平洋戦略的経済連携協定]] |
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[[Category:神奈川県出身の人物]] |
[[Category:神奈川県出身の人物]] |
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[[Category:1971年生]] |
[[Category:1971年生]] |
2011年12月28日 (水) 11:45時点における版
なかの たけし 中野 剛志 | |
---|---|
生誕 |
1971年(52 - 53歳) 日本 神奈川県横浜市 |
出身校 | 東京大学、エディンバラ大学 |
職業 | 官僚、社会学者 |
配偶者 | 既婚 |
中野 剛志(なかの たけし、1971年 - )は、官僚、社会学者。主な研究分野は経済ナショナリズム。京都大学大学院准教授。
来歴・人物
神奈川県出身。東京大学教養学部教養学科(国際関係論)卒業。博士(社会科学、エディンバラ大学)。
1996年(平成8年)、大学卒業後に通商産業省(当時)に入省、1999年(平成11年)には資源エネルギー庁長官官房原子力政策課原子力専門職に就任。
2000年(平成12年)より、イギリスのエディンバラ大学に留学。同大学留学中に執筆した論文、『経済ナショナリズムを理論化する』[1]は2003年(平成15年)、民族性ナショナリズム学会の「ネイションズ・アンド・ナショナリズム賞」を受賞[2]。2005年(平成17年)にエディンバラ大学から博士号・Ph.D(社会科学)を授与。
帰国後の2003年(平成15年)、経済産業省資源エネルギー庁資源・燃料部政策課課長補佐、翌年からは同課燃料政策企画室併任。同年、経済産業省エネルギー・新エネルギー部新エネルギー対策課課長補佐に就任。
経済産業省には2010年(平成22年)5月まで務めたが更迭され[3]、藤井聡京都大学大学院(工学研究科都市社会工学)教授の研究室に移った[3]。同教室には初め助教として加わり、翌年には准教授に昇格して現在に至る。
研究活動
研究業績
イギリス経験論の代表的人物であるデイヴィッド・ヒュームを経済ナショナリストとし、ヒュームからアメリカの経済ナショナリストであるアレクサンダー・ハミルトンへの流れ、ハミルトンを経由して経済ナショナリストの一大学派であるドイツ歴史学派の創始者フリードリッヒ・リストまでの思潮を辿り、ヒュームからヘーゲルを経て、新古典派経済学の創始者の一人とされるアルフレッド・マーシャルが実は経済ナショナリストであることを論証している。また、混同されがちな経済ナショナリズムと重商主義はその立場が異なることを、「ネイション」(国民あるいは人々の社会的・文化的・心理的紐帯)と「ステイト」(政府あるいは政治的・法的制度)の両者の基盤の違いを軸に解明している。
主張・言論活動
経済思想
経済ナショナリストによる思想の再解釈を通して、これらの思想の底流にあるのは、理性と思索により抽象化・単純化した思考ではなく、文化や社会慣習、常識の蓄積などをあるがままに掴み取ろうとする解釈学的アプローチであるとする。抽象的な数理モデルや、経済現象を利己的個人に還元した方法論的個人主義など、これらに基づく主流派経済学の非現実的な抽象論を批判し、これに依拠する民営化・規制緩和・小さな政府などの新自由主義的な手法が問題解決に対して失効しているばかりか、軋轢や問題の原因だとも指摘する[4] 。
フリードリッヒ・リストは『政治経済学の国民的体系』の中で「ネイション」(国民)と「ステイト」(国家)の概念を明確に区別しており、リストの理論は「ステイト」ではなく、「ネイション」、あるいは「ネイション・ステイト」(国民国家)の政治経済学と位置付けているとする。リストの経済学は重商主義と混同され、重商主義と経済ナショナリズムは同一視されるが全く異なるものであるとし、その主眼は利益でも効用でもなく、国民が共有する「文化」であり、物質的要素と文化的要素は相互に関連し、ともに発展できると考えたことであるとする[5]。
リストの保護主義のポイントは、①重商主義と保護主義は異なること、②保護主義は保護そのものが目的ではなく、国内分業を進め、かつ分業した国民同士の結合を強めていくことが根幹で、それが経済発展につながるということ、③保護主義を実践するには気候条件と一定の人口規模が必要であること、④保護主義と鎖国は異なり、国内分業といっても自給自足を目指したものではない、とする[6]。
自由貿易も得意な分野に特化し輸出で稼ぐということになると、他人の市場を奪い取るなどの経済的な利益だけを考えているため、ほとんど重商主義に近くなるとする。このような重商主義のロジックとリストの経済ナショナリズムが決定的に違うのは、富を取りに行くとか、富を交換するといった論点ではなく、富を自分で作り出すにはどうしたらいいかという、生産の創造性について語った点であるとする。デイビット・リカードをはじめとする標準的な自由貿易の理論は、モノを交換すると効率が良くなるとか、消費者の効用が上がると言っているだけであり、そのモノ自体をどうやって人間が作っていくか、どういう条件があれば生産ができるかという議論が全くなされていないとする[7]。
デイヴィッド・ヒュームは自由貿易の擁護はしていても、ドイツが未発達の工業製品に関税をかけることは間違いではなく、自由貿易を奨励したのは、海外とのコミュニケーションを盛んにすることで知識が交換されたり、海外から入る知識や技芸によって、国内の文化が刺激されて豊かになるという話であって、資源配分の効率化の話ではなく、海外市場を取りに行くべきではないと言っていたとする。また、単なる自由貿易をコマースではなく、コミュニケーションとして捉えており、コミュニケーションが上手くいき、文明が発達するためには大体同じ程度の文明水準でなければならないと言っていたとする[8]。
ヒュームをはじめ、18世紀の頃の啓蒙思想家が印象深く見ていたのが世界の成り立ちであり、経済システムがいかに文化・制度・法律・政治体制により異なっていくかということであり、経済システムが国ごとにいかに違うかというのを強調するのが政治経済学、社会科学の始まりであったとする[9]。
フリードリッヒ・フォン・ハイエクの自由主義とは反合理主義であり、人間の理性には限界があり、慣行・慣習・マナーといったルールに従うべきであり、ルールに従わなければ、人間は不完全な理性しか持たないので、制度を設計したりすることはできないとする。つまり、理性を使い、国家や社会という複雑なものを合理的に設計できるというマルクス主義や全体主義は誤謬であるとし、彼らは自分たちの理論に従い世の中を設計し、その理論から外れたものについては弾圧する。ハイエクにとっての全体主義は合理主義で、反合理主義こそが自由主義であるとする[10]。
ポランニーは1930年代の世界恐慌を研究した上で『大転換』を書き、環境・自然の破壊・労働者の破壊・デフレによる生産組織の破壊を防ぐ保護対策を論じたが、そう考えるとデフレ対策も保護主義であり、生産組織の保護と言えるとする[11]。
イデオロギーは都合の良く巧妙に操作されるとし、自由貿易が良いという理論をイデオロギーとして流布する帝国があり、それは19世紀であればイギリス、20世紀の戦後であればアメリカであったとする。アメリカは保護主義的な政策で成長したにも関らず、戦後に圧倒的な影響力を持った瞬間に、自国の製品を世界で売る必要から、各国の関税が邪魔になり、自由貿易のイデオロギーを強力に推進するようになり、これは19世紀のイギリスの理屈も同じであるとする。リストは自由貿易はイギリスのナショナリズムだと見抜いていたとする。また、同様の趣旨を福沢諭吉が『通俗国権論』や『時事小言』の中で言っており、ドグマにとらわれない「実学」を強調しているとする[12]。
経済史
経済思想史の流れで経済が順調ではない時の傾向として、通常の経済学の議論で見落とされていたものに注目する動きが出てくるとし、危機の時はオーソドックスから逸脱できた国だけが生き残れるとする[13]。
保護主義の議論は不況の時に必ず出てくるとする。その実例として、フリードリッヒ・リストが『政治経済学の国民的体系』を執筆した当時の19世紀のヨーロッパ、イギリスを中心にデフレ不況が起きていた1870年~1880年代のヨーロッパを挙げている。後者は鉄鋼業・重工業・石油業などの将来が不確実だと絶対に投資できない大規模装置産業が発達した第二次産業革命の発生した時期で、アメリカが保護主義によって世界経済の覇者として台頭した時期と重なるとしている。また、ヨーロッパでも保護主義ととった国は景気が悪くなく、ドイツも化学工業を非常に発達させたとする。さらに、貿易についても最も保護主義的だった国同士が最も盛んであり、イギリスが19世紀末から凋落したのは、世界中が保護主義をとるなかで、イギリスだけが自由貿易を堅持したためであるとしている[14]。
国家が規制と統制で保護していたが、世の中が進歩して民が自立していった結果、競争が進んで保護がなくなったという日本人の勝手なイメージは間違いであるとする。第一次世界大戦以前の資本主義は、デフレであろうが、賃金がどう動こうが、労働者の保護はなかった。また、市場に任せて環境が破壊され、児童労働も平気になされていた時代であったように、完全に価格メカニズムで社会が破壊されていた時代が19世紀であり、それに対応するために、福祉国家論やケインズ主義が出てきたとする。これを進歩とすれば、進歩するほど保護される領域が広がり、純粋に市場で決まる領域は狭くなっていくとする[15]。
最新の研究によれば、保護主義の連鎖で世界恐慌は悪化したのではないという議論が有力であるとする。保護主義は1920年代に急に台頭したわけではなく、ヨーロッパの平均関税率は1910年代前半と1920年代後半では同じくらいであり、1920年代の終わり頃までにはほとんど全ての先進諸国で関税は引き下げられていたとする。また、世界恐慌を悪化させたと悪名高いのは、アメリカのスムート・ホーリー法であるが、この関税法の成立と、それに対する報復関税の連鎖が起きたのは、世界が大恐慌に突入した後のことであり、少なくとも保護主義は世界恐慌の原因ではないとする。悪影響があったとしてもそれは僅かであったとする有力な研究が複数あるとし、ピーター・テミンが『大恐慌の教訓』の中で、スムート・ホーレー関税法が世界恐慌を深刻化させた主たる要因であるという説を否定しているとし、貿易制限は需要を一方的に縮小させるわけではなく、内需の拡大で相殺され、それほど大きな影響にはならないとする。テミンが世界恐慌を深刻化させたのは、保護貿易ではなく、緊縮財政と高金利政策というデフレ政策により金本位制を維持しようとしたためであると言っているとする。大恐慌で株式市場が崩壊してデフレになるが、その状況では金融緩和して、財政出動すべきであるが、当時のフーバー大統領は今で言う主流派経済学を信奉していたので、為替を維持するために金利を上げて緊縮財政を施したため、世界恐慌が悪化してしまったとし、主流派経済学が大恐慌の原因であったとする[16]。
経済論・経済政策
総論
マンデルフレミングモデルに対して、デフレ下では金利の大幅な上昇はありえないため、自国通貨高にはならないと主張している[17]。 海外からの需要取り込みや国際分業の伸展により経済活性化を目指すグローバル成長戦略論には否定的である[18]。外需促進は貿易黒字の拡大を伴うが、これは円高を促し国際競争力を失う自殺行為であると指摘する。むしろ、財政出動により内需を拡大することで輸入が増加し、これが円を安くし国際競争力を高めることにつながるとする。すなわち、財政出動による内需拡大こそが円高を止めるとする[19]。
リーマン・ショック以来の世界的な経済危機の根本を探るために「グローバル・インバランス」(世界的な経常収支不均衡)に注目すべきとしている。1990年代~2000年代のグローバル化はアメリカが経常収支の赤字を過剰に積み増すことにより支えられており、2000年代の中国の驚異的な成長も日本のつかの間の景気回復もアメリカの住宅バブルの産物である大量消費によって支えられていたとする。現在の経済危機を抜け出すためには、グローバル・インバランスを解消すべきであり、アメリカによる輸出増大、経常収支で黒字をため込んでいる東アジア、日本、ドイツは内需拡大・輸入増大を行い、輸出依存の経済成長を止めなければならないとする[20]。
構造改革論と旧社会党・鳩山マニフェスト的議論は、経済思想の中でも最も素朴でレベルが低く、そのレベルの低い両極端の間に無数の政策バリエーションがあるのも関らず、二つの選択肢しか知らないのが現代日本の不幸であり、この二つで先の見えない危険な時代で乗り切ろうとするのは無謀過ぎると述べている。右側の新自由主義的なグローバル化のモデルも、左側の社会民主主義、福祉国家の議論も正しくなく、全てはグローバル化という共通した前提の上に立っていたとし、そのグローバル化はアメリカの住宅バブルの産物で、それが崩壊したため、左右の議論は通用しないという危機感を持たなければならないとする[21]。
グローバル化は労働者の賃金を上げさせず格差が拡大するばかりであるため、国内の資本家と労働者の対立を誘発することを指摘している。ポール・クルーグマン、ローレンス・サマーズなどのグローバル化を推進したエコノミストですら、2000年代中盤以降、賃金が一向に上がっていないのを目撃すると、グローバル化は労働者に対し被害を及ぼすと認めざるを得なかったとしている。また、チュニジアやエジプトなどの北アフリカで内紛や内戦が続出したが、それもグローバルな穀物市場で小麦価格が高騰したしたためであり、21世紀型の戦争が国内紛争であるとすれば、グローバル化はその主たる原因だとしている[22]。
アメリカ主導の経済政策の壮大な失敗の原因は経済理論の根本的な問題であるとし、マクロ経済政策はこれまで議論されなかった社会学・文化人類学の視点を導入すべきであるとする[23]。また、政治経済学、経済思想、経済学は自然科学とは異なり、知識の蓄積とともに進歩するものではなく、現代ではかなり劣化していることを指摘している[24]。
「キャッチアップ型は終わったので、日本は新たな経済システムに移行しなければならない」という主張が混乱しており、日本の経済政策論に劣化を感じていると述べている。戦後の一時期はキャッチアップ型であったが、それは国内市場が未熟であり、先進国にキャッチアップしなければならなかったが、1980年代のNIESの成功を例に挙げ、企業が輸出戦略で成功するためには、豊かな、大規模な、先進的な、発達した市場が必要であるが、それはキャッチアップ段階だから必要なことであり、自分たちが成熟して豊かで高度な市場になったら、国内市場で十分経済は回るため、日本企業も多数のライバル企業がしのぎを削る国内市場で学習効果は得られるとしている[25]。
リーマンショック後の日本の進むべき道として出てくる議論のうち、EUのような地域統合を進めて一種のブロック経済のなかで新しい経済秩序を作り出そう議論や、これから時代をリードするのは中国をはじめとした人口の多い途上国であるという議論は期待できないとする[26]。
実際の社会では経済学が想定する市場のように、宇沢弘文が言うところのマリアブル(可塑性・柔軟な変化の可能性)には動かないとする。人間や自然などお金では買えない価値を多分にはらんだものは、急に必要になったから取り出すとか、要らなくなったから捨てるということはできず、日本で行われた労働移動の自由化や派遣労働の問題が典型であるが、それを市場で交換した途端に、人間性や個人の尊厳などの市場で交換できないはずの大切なものが破壊されてしまうとする[27]。
20世紀後半以降は大きな政府の時代になっており、リーマンショック後の日本はさらに大きな政府にならざるを得ないとする。デフレ脱却後、インフレに転じたら、通常の経済に戻ればいいが、世界中がデフレになりかけている場合はそれすら難しい可能性があるとする。また、今やるべきことは海外が日本の市場や資本を取りに来るのでこれをディフェンスすること、外需を奪い合う帝国主義的な争いに巻き込まれないように、ケインズ主義的に内需を拡大することであるとする[28]。
資本主義・市場経済
スーザン・ストレンジのカジノ資本主義という言説を取り上げ、金融の自由化に懸念を示している。資本の移動を自由化すれば、資源が効率的に配分されるとか、均衡するという経済学の理論とは異なり、現実には一カ所に資本が集中することでバブルが発生し、そのバブルは必ず崩壊するという。その典型が1997年のアジア通貨危機であり、その反省によって、アジアの国々は経済危機へ備えるため、黒字をため込み、内需を拡大せず、アメリカに輸出し、外貨をため込むようになった。外貨の運用先に住宅バブルにわくアメリカに選んだとし、そのため、アメリカは住宅バブルにも関らず、金利は低位に推移し、バブルは膨らんでいってしまったとする。しかも、金融のグローバル化が進んだ現在では、バブル崩壊の影響が世界的に予想外の連鎖をもたらし、リーマン・ショックは同時多発的な国家債務危機にまで発展したとする[29]。
資本主義というものは将来の不確実性に向かってお金を出す行為であり、スーザン・ストレンジを例に挙げ、資本主義そのものはギャンブル的な要素を非常に強く持っているとする。金融・信用・資本・投資という行為が働かなければ資本主義ではなく、それは単なる市場経済であり、1990年代の日本の高コスト構造の是正を提唱した構造改革論者は市場経済のことだけを考えており、本質的な資本主義の構造を全く考えていなかったとする。シュンペーターのように市場経済と資本主義を区別しておくということは極めて重要なことであり、産業革命が進むほど市場経済の資本主義の度合いが大きくなる。つまり、実体経済と金融経済のうち、金融の部分が大きくなることを指摘している[30]。
資本主義が市場経済と異なるのは、将来に向けて現在行動する、現在の支出が現在の利益ではなく将来の利益になるという点であり、現在支出した人とその利益を得る人が一致しないという点だとする。つまり、自分が現在支出したものが自分が死んだ後に将来の誰かの利益になるかもしれないというモラルが資本主義を支えているとし、シュンペーターも家族を重視することで同様の理論を提示していることを示している[31]。
株主は短期的な利益を求めるので、株主の力が強くなると、経営者は技術開発や人材育成ができなくなり、市場経済が進むと視野の短期化が起こることを指摘している。また、労働市場を自由化し、市場メカニズムを働かせるほど、長期的な投資が行われなくなり、短期的になるが、アメリカの石油産業を一例に挙げ、産業の安定性や弾力性を奪うことも指摘している[32]。
トーマス・フリードマン、ジョセフ・ナイ、カントによるグローバル化で経済的な相互依存が強まると、経済的に損と思うため戦争はしなくなるという「資本主義の平和」という議論については、国家は必ずしも合理的に行動しないことや、合理的に行動したとしても戦争が起きる可能性があるため、疑問を呈している。なお、この議論は平和主義が強く、グローバル化に最も警戒が少ない日本で特に強く信じられているとする[33]。
産業論
マサチューセッツ工科大学を中心に作成された「メイド・イン・アメリカ」において、製造業、モノづくりの強さというのは、その国の国民性や文化と切り離せないことを例に出し、日本の製造業の輸出産業の強さというのは、日本文化と密接の関っているとする。また、製造業を発展させるためには、勤勉さ、人と協力し合う習慣、倹約して将来のために投資しようとする精神など、様々な文化的条件や過去の蓄積が必要となり、一般労働者の水準が高く、彼らが意欲的に参加意識をもって集団行動することが不可欠であるとしている[34]。
産業の発展には金融の論理と矛盾してボラティリティ(変動幅)が低さを必要とすると述べている。変動が大きい方が活力があり、秩序や安定は硬直的であり停滞しているというイメージをもっている人が多いがそれは間違いだと指摘している[35]。資本主義がダイナミックなものであるのは事実であり、不確実性がイノベーションを生むという面があるが、イノベーションをするためには、将来のリターンがあるかどうか、まったく不透明である場合には投資はできないとし、イノベーションをやる動機を起こさせるのは不確実性が低い場合だとする[36]。なお、現代経済学の不確実性の入れたモデルとは、確率論で表せるリスクの話であり、ケインズの言った確率論で計ることができない不確実性ではないとする[37]。
農業は農家が単に食糧を供給し、消費者がそれを買って腹を満たすだけの存在ではないとする。農業は環境保護や田園の景観を含めて、自然環境や地域性と密接に関っており、そこにはお金では交換できない価値があり、それを全部無視してお金で取引すると、今まで地域で大事にしてきた「ナショナル・キャピタル」(国民の中で蓄積されている有形無形の資本)が壊れてしまうとする[38]。
貿易論
1980年代までの政治経済学では日本は輸出立国ではないのは常識であったが、1990年代から2000年代になると、輸出依存の日本は貿易立国なので輸出をしていかなければ生きていけないと言われるようになったが、GDPに占める輸出の割合からもそれは完全なる間違いであるとする。日本は1970年代から1990年代あたりまでは内需主導で成長しており、2000年代に入るまでそのバランスは崩れていなかったとし、外需主導の成長は日本経済の本来の姿ではないとする[39]。
極端な自由貿易で自分たちの得意な産業に特化した場合、他の産業は諦めねばならず、その国にいる限り、職業選択の自由は行使できなくなるとする[40]。
公共投資
デフレ対策を含め財政出動の必要性を訴えており、その投資先としては、老朽化した橋、道路、下水管、被災地の復興、耐震強化、水害対策など将来に向けたインフラが山ほど存在することを強調している。また、現代日本では老朽化したインフラの更新投資など、本来やるべきことには逆に禁欲的であり、公共投資の必要性がないという。社会保障費、あるいは子供手当てという現在の支払いのために、財源としての将来の投資や公共投資を削減しているとする[41]。
ケインズ主義的な不況対策は国民統合された福祉国家でないと機能せず、マクロ経済管理ができない国はグローバル化すべきではなかったとする[42]。
福祉国家
北欧型の第三の道を目指すべきという議論については問題点を指摘している。2000年代に北欧の福祉国家が高福祉・高負担であっても経済が活性化していたのは、庶民の民度が高かったのではなく、グローバル・インバランスの産物であり、アメリカが住宅バブルで過剰消費して経済の牽引役になっていたためであるとする[43]。
デフレ論
エマニュエル・トッドの指摘を引用し、2000年代のグローバル化で先進国の労働分配率が下落しており、グローバル化がデフレ圧力になるとしている。日本がデフレになった決定的な原因は、橋本政権の時の緊縮財政や消費税増税であるとしているが、グローバル化の下で日本以外ではデフレ圧力が顕著に見られない原因は、借金をしてまで消費を続けていたためであるとする。特にアメリカは、モノ、ヒト、カネのグローバル化によってデフレ圧力があったのを、2000年代は金融化で隠していたものの、住宅バブルの崩壊によるデフレの危機に陥っているとしている[44]。
インフレ抑制のための金利の引き上げは効果的であるが、デフレ解消のための金利を引き上げては効果は乏しいとする。貨幣価値が上がるデフレでは、経済合理的に考えて、誰も消費や投資をしないという状況になり、民間の力だけでデフレを脱却することは不可能ということになるため、民間以外に消費や投資をする主体である政府が必要となり、政府が財政出動を行い、金融緩和を同時に行うべきであるとする。日本人によるデフレの認識不足を指摘しており、1990年代~2000年代に本格的な財政出動どころか十分な金融緩和すら行われなかったことをその例証として挙げている。財政出動は効果がなかったという議論を否定しており、その例証として小渕政権と麻生政権の財政出動は景気悪化を食い止めたこと、財政収支の改善をもたらしたことを挙げている。しかし、小渕政権と麻生政権はともに政治的アクシデントで財政出動が十分に行われなかったとしている[45]。
1990年代になり、アメリカの新自由主義の影響を受けた構造改革派が主流になり、高コスト構造の是正を目指すべきという議論が広まっていったが、デフレが始まる最悪のタイミングであったとする。グローバル化の時代だから国際競争力が必要である、新興国の低賃金労働者に勝つために日本も低賃金にならないといけない、だからデフレでいいということになり、デフレという現象はグローバル化と整合的であったとする[46]。
デフレは「物価が将来下がるかもしれない」、「貨幣価値が将来上がるかもしれない」という心理的影響を与え、誰も投資や借金をしなくなる。これは資本主義の心肺停止状態であり、資本主義を望むならば、デフレだけは回避しなければならないとする。経済構造の産業化が進み、高度化すれば、信用制度がなくては大きな投資ができないとする。資本というものは昔からあったが、産業革命が進むほど、市場経済の資本主義の度合いが大きくなる。つまり、実体経済と金融経済のうちの金融の部分が大きくなるが、デフレはその動きを停止させるとしている[47]。
サッチャー、レーガンの1970年代末~1980年代の欧米は、デフレよりインフレが問題であったとする。インフレはデフレと逆で、貨幣価値が自然と下がっていく。賃金労働者が多い中産階級は、現金をもっているとその価値が下がっていくため、中産階級の没落が懸念された。つまり、インフレで生じる階級格差の問題が当時は心配されていたとする。しかし、デフレはは資本主義の心肺停止状態であり、経済そのものが失速していく。そのため、人工心臓を付けてでも、生き返らせなければならない。その人工心臓がいわゆる政府の財政出動であり、心肺停止した民間に代わって経済活動を行い、蘇生させなければならないとする[48]。
デフレは給与水準・生活水準の悪化、投資を含む需要不足という点から怖ろしい経済現象であるとする。その理由として、給与水準・生活水準の悪化は現在の人間の心理や幸福感を著しく傷つけ、投資を含む需要不足は自分の国や共同体、家族のために今は抑制して将来に向けて投資するという、未来のことを考えて生きるという非常に人間らしいことができなくなるためであるとしている[49]。
新自由主義批判
日本で1990年代から流行した新自由主義に対しては、違和感を感じており、その理由として日本型経営が急に批判対象となったことや、人間は歴史的に形成されたルールに強く拘束されていることを挙げている。特にハイエクが個人とは共同体の一員で、歴史・伝統・慣習に束縛された存在であり、そのような人々が活動して初めて安定的な市場秩序が成立すること、人間関係・歴史・伝統・共同体から切り離された個人は全体主義的なリーダーに集まり、国家の言いなりになること、共同体・文化を破壊したり、強引に作り替えようとすると必ず全体主義に辿りつくという指摘にショックを受けたと述べている。日本型経営も歴史や文化の流れで少しずつ形成されたものであり、ハイエクも日本型経営こそが自生的な秩序(スポンテニアス・オーダー)であり、真の個人主義の基礎であると言ったに違いないとしている。日本の新自由主義者たちはそれを破壊することを明言しており、ハイエクに言わせれば彼らは偽りの自由主義者であり、全体主義者であるとし、小泉政権時の政治は見事に全体主義であったと述べている[50]。
アメリカ経済
現在のアメリカは貧富の格差が拡大し、中間層が失われており、オバマ政権も中間層の再生に失敗したとする。アメリカが対外的に稼げそうな分野は、農業のような一次産業か、金融・保険・ソフトウェアのような三次産業であるが、農業は大規模効率化しており、金融・保険・ソフトウェアの分野で稼ぐことができるのは高学歴のエリート層だけであり、雇用の拡大や所得格差の是正には程遠いとする。さらに、格差是正には権力と地位を支配している富裕層が既得権益を諦めて、所得の再分配に同意する必要があることや、アメリカはイデオロギー的に貧富の格差には寛容な国民であること、自助努力を求める建国以来の精神などが障害となっており、アメリカはさらなる金融化・帝国化を進め、グローバル・インバランスをさらに拡大させていくというプロセスに入っていかざるを得ないと予測している。アメリカが帝国型の繁栄を維持するための経済政策がTPPや米韓FTAであり、アメリカの収奪戦略の典型であるとする[51]。
EU経済
リーマン・ショックによる世界同時不況でユーロバブルが崩壊すると、ギリシャのデフォルト問題が生じたが、EUは財政的に統合されていないため、ドイツなどの財政上余裕がある国の判断でデフォルトの救済が決定した。その際にドイツ国民がギリシャ救済に拒否感を示したことについて、グローバル化にナショナリズムや民主主義が抵抗している構図であったと述べている。また、ブリュッセルに集まるヨーロッパのエリートにはコスモポリタンの伝統があり、グローバル化を推進したが、民主主義主体である一般層にはその国の文化や伝統に密接に関っており、そう簡単に国境を越えられず、フランスの農家・ジョゼ・ボヴェの例を出し、民主主義の民主的な声というのはアンチ・グローバル化であるとしている[52]。
中国経済
現代中国はグローバル化することで成長しようとしたため、外資を導入しており、所得格差を縮小しようと、労働者の賃金を上げて経済成長させようとした瞬間に、ベトナムなどのもっと賃金水準の低い国に資本が流出する。そのため、賃金を上げることができず、賃金が上がらないのに、バブルで物価だけが上がっているので、各地で労働者の暴動が頻発しているとする。また、中国は少子高齢化により市場は拡大しなくなり、労働者の減少は普通は賃金の上昇をもたらすが、賃金の上昇は中国の輸出市場戦略に致命傷を負わせるとする。高付加価値による商品の生産も技術力の問題や特許政策の不備で難しく、現状では低賃金以外で国際競争力を付けるのは難しいと分析している[53]。
アーネスト・ゲルナーを例に、農民が沿海部に出稼ぎに行って豊かな所得を得るという人口移動を行われた場合、民族意識を刺激すると述べている。日本の場合、同質性が高い民族性を持つ国民であり、国民統合がすでになされておりエスニシティの摩擦が少ないが、中国のように国内に異質な民族性を有していると必ず問題が生じるとする。そのため、チベットやウイグルで頻繁に暴動が起きているのは驚くべきことではないとする[54]。
人口移動を行わずに資源を再分配するためには強権的な福祉国家が必要になるが、自由権もまともに保障されていない中国で社会権を与えた瞬間に民主化運動が起き、中国国内の秩序が不安定になるとする。それ以前に、ある資源を国家が強制的に吸い上げ、別のところに再分配するという福祉国家を成立させるには階級や地域を超えたアイデンティティが不可欠だとし、豊かな漢民族が所得の再分配に同意するかは疑問であるとしている[55]。
TPP問題
環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)参加は日本の国益にならないとする[56][57]。国内市場の大きい大国である米国だけが主導権をもってルールの策定を行えることに加えて、安全保障上の問題から日本は米国に対して弱い立場にあるため日本に有利なルール策定はより困難で米国に妥協するしかないこと、その米国がドル安により輸出振興政策を志向すればTPPに参加しても日本の輸出は伸びない一方で関税という防波堤を失えば日本の農業は壊滅的な打撃を受けること、ISD条項に基づく訴訟によって国民皆保険制度など日本の社会制度が変えられてしまう恐れがあること、などを理由として挙げている。安い外国の製品が輸入されるようになったことをデフレ促進の要因として挙げ、TPPに反対する理由として、価格の低い商品が今以上に輸入されてデフレが促進されることを挙げている[58][59]。なお、自由貿易の拡大はデフレ下で実施すべき経済政策ではなく、インフレ下の経済政策であるとし、経済状況に適合する経済政策の実施をたびたび主張している。
内閣官房の資料「包括的経済連携に関する検討状況」から、政府が考えるTPPの意義は経済効果の意義と外交戦略の意義の二つに分けられるとし、両者について分析を行っている。外交戦略の意義としては、①TPP交渉参加国のGDPのシェアのうち、日米でGDPで約90%以上を占め、日本が参加した場合は実質的に日米FTAであり、TPP交渉参加国に日本を加えた10カ国の中で、日本が輸出できる市場は実質的にアメリカだけであるとする。②中国と韓国がTPPに加入する可能性については、中国は自由貿易協定以前の段階で米中関係はつかえており、また自国の利益を利己的に追及するために為替操作している国が、高度に進んだ自由貿易のルールであるTPPに参加するとは思えないとする。また、韓国は複数国間による急進的な自由貿易協定であるTPPよりも、二国間で交渉するFTAの方が有利であると考えており、韓国もTPPには参加しないと考えた方がいいとする。③「「国を開く」という強い意志を示すメッセージ効果」があるとされるが、そのようなメッセージをアピールすることは、TPP交渉における日本の選択の幅を著しく狭めてしまうとする。④中国と韓国はTPPに参加する可能性は低いため、TPPはアジア太平洋の新たな地域経済統合としての枠組みには発展せず、同地域の実質的基本ルールにはならないとする。⑤多数派工作は外交戦略の初歩であり、国際ルールの策定の場では、利害や国内事情を共有する国と連携しなければ交渉は有利に進まないが、TPP交渉参加国の中には、日本と同じような利害や国内事情を有する国や、連携できそうな国は全く見当たらない。そのため、日本がTPPに参加して自国に有利になるようにルール作りを主導できる可能性はほとんどなく、TPPのルール作りは、参加各国の経済構造から生まれた政治力学によって、アメリカ主導で進むように仕組まれているとする。⑥TPPで日本に有利なルールを作ろうとした場合、アメリカと対立することは避けられないが、現在の日本はアメリカに妥協せず主張を押し通せるポジションになく、TPPにおいて日本がアメリカとともに経済統合の枠組み作りを主導することなどできないとする。⑦日本はTPPのルール作りで主導的役割を果たすことができないため、日本の国際的な影響力や交渉力は全く強化されるどころか、TPPへ参加することで、EPAやFTAの交渉との矛盾が生じてしまい、TPP以外の貿易交渉において、日本の交渉範囲を狭め、選択肢を極端に減らしてしまい、むしろ日本の国際的な影響力や交渉力は低下の方向に向かうことを指摘している。[60]。
TPPの議論では関税を撤廃し自由に取引すれば、その結果については全てフェアだという主張があるが、売り手と買い手で合意した値段が常にフェアではなく、市場で取引される値段とは違う「フェアな価値」があるとする。これが普通の価値という社会的な合意、常識的な合意があり、それから逸脱したものには人間は不快感や不公平感を覚えるとする[61]。
原発問題
福島第一原子力発電所事故後の原発議論やエネルギー問題に関して、エネルギー自給率の向上に寄与することから原発の有用性を強調している[62]。また、発送電を分離しても技術的・経済的な問題があることから自然エネルギー等の新エネルギーの普及は進まないと指摘している[63]。
エピソード
この記事に雑多な内容を羅列した節があります。 |
- 『発言者』、『表現者』に評論を連載。『発言者』誌上において佐伯啓思と「近代」の解釈をめぐって論争を展開した。
- 2011年(平成23年)3月17日、「TPP亡国論」の印税収入の半分相当を、日本赤十字社の「東日本大震災義援金」に寄付した[64]。
著書
単著
- 『国力論』以文社、2008年。
- 『経済はナショナリズムで動く』PHP研究所、2008年。
- 『恐慌の黙示録』東洋経済新報社、2009年。
- 『自由貿易の罠』青土社、2009年。
- 『考えるヒントで考える』幻戯書房、2010年。
- 『TPP亡国論』集英社[集英社新書]、2011年。 ISBN 4087205843
- 『国力とは何か 経済ナショナリズムの理論と政策』講談社[講談社現代新書]、2011年。
共著
編著
共訳書
- スコット・A・シェーン『〈起業〉という幻想 アメリカン・ドリームの現実』谷口功一・柴山桂太、白水社、2011年。
- エマニュエル・ドッド『自由貿易という幻想 リストとケインズから「保護貿易」を再考する』松川周二他、藤原書店、2011年。
テレビ出演
- 『西部邁ゼミナール』(東京メトロポリタンテレビジョン)にゲストとして複数回出演している。
放送日 | タイトル |
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2009年3月21日 | 国民経済を守れ!若き国士役人たちよ! |
2010年10月2日 | いつまで官僚バッシングを続けるのか |
2010年12月18日 | 怪談TPP |
2011年3月16日 | TPP賛成論者の詭弁を論駁す |
2011年4月16日 | 復興をめぐる要は国家ヴィジョン TPP賛成論者の詭弁を論駁す |
2011年4月23日 | TPP亡国論【2】 TPP参加したとき起こる現実 |
2011年4月30日 | TPP亡国論【3】 経済自由主義を撃つ |
- 『超人大陸』(インターネットテレビ)に複数回出演している。
配信日 | タイトル |
---|---|
2011年2月7日 | TPPで日本が滅ぶ |
2011年3月14日 | 日本のデフレは必ず解決できる |
2011年4月18日 | グローバル化を進めた結果 民営化、無駄削減で非常事態がさらに泥沼化 |
2011年5月23日 | 被災地の復興ビジョンは被災者が一番望む「元の生活に戻す」ことだ |
2011年7月11日 | 国家崩壊のエネルギー政策 電力自由化は無能無策の極地 |
2011年8月15日 | 脱原発論者に浮かぶ反国家思想 左翼啓蒙の手段に原発議論を持ち込むな!! |
2011年9月12日 | 参加したら終わってしまう 国を売られる瀬戸際のTPP問題 |
2011年10月24日 | ルール策定は政治力で決まる 米韓FTAよりひどいTPP交渉となるだろう |
脚注
- ^ Takeshi Nakano (2004). “Theorising economic nationalism”. Nations and Nationalism 10 (3): 211–229. doi:10.1111/j.1354-5078.2004.00164.x.
- ^ Nations and Nationalism Prize in the Memory of Dominique Jaquin-Berdal
- ^ a b 中野剛志発言 ニコニコ生放送 「グローバル恐慌の真相 中野剛志×柴山桂太」 『ニコニコ』 平成23年(2011年)12月放送
- ^ 『国力論』より
- ^ 『グローバル恐慌の真相』173~174頁。
- ^ 『グローバル恐慌の真相』178~179頁。
- ^ 『グローバル恐慌の真相』179~180頁。
- ^ 『グローバル恐慌の真相』181~182頁。
- ^ 『グローバル恐慌の真相』182~183頁。
- ^ 『グローバル恐慌の真相』57~58頁。
- ^ 『グローバル恐慌の真相』190~191頁。
- ^ 『グローバル恐慌の真相』199~201頁。
- ^ 『グローバル恐慌の真相』166~167頁。
- ^ 『グローバル恐慌の真相』168~170頁。
- ^ 『グローバル恐慌の真相』192頁。
- ^ 『グローバル恐慌の真相』196~198頁。
- ^ 内需拡大が円高を止める
- ^ 内需拡大が円高を止める|三橋貴明オフィシャルブログ「新世紀のビッグブラザーへ blog」への寄稿
- ^ 「円相場」を参照。
- ^ 『グローバル恐慌の真相』27,29~30,38頁。
- ^ 『グローバル恐慌の真相』23,163頁。
- ^ 『グローバル恐慌の真相』135頁。
- ^ 『グローバル恐慌の真相』49~50頁。
- ^ 『グローバル恐慌の真相』99頁。
- ^ 『グローバル恐慌の真相』100~103頁。
- ^ 『グローバル恐慌の真相』126頁。
- ^ 『グローバル恐慌の真相』189頁。
- ^ 『グローバル恐慌の真相』203~207頁。
- ^ 『グローバル恐慌の真相』35~37頁。
- ^ 『グローバル恐慌の真相』65~70頁。
- ^ 『グローバル恐慌の真相』84~85頁。
- ^ 『グローバル恐慌の真相』85~88頁。
- ^ 『グローバル恐慌の真相』132~134頁。
- ^ 『グローバル恐慌の真相』38~39頁。
- ^ 『グローバル恐慌の真相』112~113頁。
- ^ 『グローバル恐慌の真相』121頁。
- ^ 『グローバル恐慌の真相』117頁。
- ^ 『グローバル恐慌の真相』187頁。
- ^ 『グローバル恐慌の真相』94~95,152頁。
- ^ 『グローバル恐慌の真相』195頁。
- ^ 『グローバル恐慌の真相』80~81頁。
- ^ 『グローバル恐慌の真相』153~154頁。
- ^ 『グローバル恐慌の真相』159頁。
- ^ 『グローバル恐慌の真相』40~42頁。
- ^ 『グローバル恐慌の真相』62~63頁。
- ^ 『グローバル恐慌の真相』63~64頁。
- ^ 『グローバル恐慌の真相』69~70頁。
- ^ 『グローバル恐慌の真相』71頁。
- ^ 『グローバル恐慌の真相』78~80頁。
- ^ 『グローバル恐慌の真相』52~55頁。
- ^ 『グローバル恐慌の真相』39~40,42~46,48~49頁。
- ^ 『グローバル恐慌の真相』127,130~132頁。
- ^ 『グローバル恐慌の真相』143~144頁。
- ^ 『グローバル恐慌の真相』145~146頁。
- ^ 『グローバル恐慌の真相』147~149頁。
- ^ 週刊朝日UST劇場アーカイブ、2011年2月25日
- ^ ドミナントストーリー(優先される物語)|三橋貴明オフィシャルブログ「新世紀のビッグブラザーへ blog」への寄稿
- ^ 朝日新聞、争論 第三の開国、2011年1月18日
- ^ 地価下落・不良債権・デフレ負の連鎖
- ^ 『TPP亡国論』28~55頁。2011年12月末時点で米韓FTAは批准、日本、コロンビア、カナダ、メキシコが交渉参加の申し入れをしている
- ^ 『グローバル恐慌の真相』188頁。
- ^ “『TPP亡国論』著者・中野剛志が緊急提言!【前編】 「東電批判」はお門違い”. ダイヤモンド・オンライン (2011年5月27日). 12月16日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
- ^ “『TPP亡国論』著者・中野剛志が緊急提言!【後編】 発送電分離はありえない”. ダイヤモンド・オンライン (2011年5月31日). 12月16日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
- ^ 中野剛志:「TPP亡国論」発刊にむけて (News Spiral)
関連項目
外部リンク
- 中野剛志 - 京都大学