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「今出川清水」の版間の差分

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{{Notice|近年の調査結果により、「出合清水」が「今出川清水」に、「今出川湧水」が「出合清水」へと、名称が入れ替わっています。歴史に関しても、混同している部分があります}}
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'''出合清水'''(であいしみず)は、[[広島県]][[安芸郡 (広島県)|安芸郡]][[府中町]]石井城一丁目2番街区にある[[湧水]]である。[[1985年]]([[昭和]]60年)[[名水百選]]<ref>[http://www2.env.go.jp/water/mizu-site/meisui/data/index.asp?info=70 環境省名水百選(出合清水)] - [http://www2.env.go.jp/water/mizu-site/meisui/index.html 名水百選] -[[環境庁]] </ref>の一つに指定されている。また、府中町指定の[[名勝]]にも指定されている<ref>[http://www.kyouiku.town.fuchu.hiroshima.jp/sho_b_deai.htm 出合清水] - [http://www.kyouiku.town.fuchu.hiroshima.jp/index.html 府中町教育委員会]</ref>。
{{Infobox 湖
|名称=今出川清水(出合清水)
|画像=[[ファイル:Deai-shimizu 20120923-2.JPG|280px|今出川湧水(出合清水)]]
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'''今出川清水'''(いまでがわしみず)は、[[広島県]][[安芸郡 (広島県)|安芸郡]][[府中町]]石井城一丁目2番街区にある[[湧水]]である。[[1985年]]([[昭和]]60年)[[名水百選]]<ref name="env">[https://www2.env.go.jp/water-pub/mizu-site/meisui/data/index.asp?info=70 環境省選定名水百選 今出川清水(いまでがわしみず)] - 環境庁</ref>の一つに指定されている。また、府中町指定の[[名勝]]にも指定されている<ref>[http://www2.town.fuchu.hiroshima.jp/www/contents/1333001224559/index.html 出合清水] - [http://www2.town.fuchu.hiroshima.jp/www/genre/0000000000000/1324907095852/index.html 府中町教育委員会]</ref>。


名水百選選定時から2012年まで、環境庁への届け出時のミスで'''出合清水'''(であいしみず)とされ、120m離れた先に存在する『'''今出川湧水'''』との名称の取り違えが明らかになった<ref name="chugoku20121017">[http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201210170128.html 府中の湧き水、名前違い判明] - 中国新聞 2012年10月17日<br />『「名水百選」府中の湧き水 出合清水 実は今出川だった 町史に誤記 案内板訂正へ』 - 中国新聞 朝刊 2012年10月17日 24面</ref><ref name="fuchu10">{{PDFlink|[http://www2.town.fuchu.hiroshima.jp/www/contents/1348187253901/files/20.pdf 広報ふちゅう 2012年10月 20ページ]}} - 府中町</ref>。

この項目では、今出川清水・出合清水など周辺部にある湧水についても合わせて触れる。


== 概要 ==
== 概要 ==
水源は[[水分峡森林公園|水分峡]]から浸透した[[地下水]]という説と<ref name="chugoku20100518">『名水研究 地域おこしへ 府中の「出合清水」テーマ マツダ短大 住民と連携 清掃も』 - 中国新聞 朝刊 2010年5月18日 22面</ref><ref name="chugoku20110723">『名水「出合清水」再生へ 府中の住民 きょうから一帯清掃』 - 中国新聞 朝刊 2011年7月23日 22面</ref>、太田川水系府中大川支流「榎川」の扇状地扇端部の伏流水との説がある<ref name="env"/>。
水源は[[水分峡森林公園|水分峡]]から浸透した[[地下水]]という説と[[太田川]][[水系]][[府中大川]]支流「榎川」の[[扇状地]]扇端部の[[伏流水]]との説がある。古くから近隣住民の生活用水として大切に管理されており、石造の貯水池は湧出口から順に[[飲料水]]用、食料品の[[洗浄]]水用、[[洗濯]]用に区切られ整備されている。現在は水量不足や水質検査により飲料には供していないが、水天宮を祀り今も大切に管理されている<ref>[http://www.pref.hiroshima.lg.jp/page/1172126454088/index.html - 1-2-3.河川環境に関する現状と課題] - [http://www.pref.hiroshima.lg.jp/category/1172119181826/index.html 太田川下流ブロックの概要] - [http://www.pref.hiroshima.lg.jp/category/1172117572396/index.html 一級河川太田川水系太田川下流ブロック] - [http://www.pref.hiroshima.lg.jp/category/1172117504493/index.html 広島県の河川計画] - [[広島県]]</ref>。

記録に残っている範囲では、『安芸府中村社寺堂古跡帖』(1712年)や『安永七年総社八幡差縺覚』(1778年)、『芸藩通志の付図』(1825年)、『芸州厳島図会』(1842年)、『芸州府中荘誌』(1932年)などに記載がある<ref name="chugoku20121017"/>。以前は、同様の湧水が周辺に多く存在したが、農業の衰退により一部を除いて消滅した<ref>『安芸府中町誌 通史編』49ページ・50ページ</ref>。2011年には海田酒販組合が、水源とされる水分峡の地下水をペットボトルに詰めた『水分峡のうまい水』が3600本製造し販売した<ref>『水分峡の水に郷土愛を詰め 海田酒販組合』 - 中国新聞 朝刊 2011年11月16日 26面</ref>。また、同じ水源とされる湧き水で、近くにある『田所明神社』の『田所神水』は飲用することが出来る<ref group = "補足">位置的にも、今出川湧水・出合清水の中間にある</ref>。

=== 今出川清水 ===
別名『東川』<ref>『安芸府中の文化 第3集』13ページ</ref><ref>『安芸府中町誌 資料編』336ページ</ref><ref group = "補足">『安芸府中村社寺堂古跡帖』に「一 同 今出川 但シ東ノ川とも村ニテ申候」と記述がある</ref>。名水百選選定時から2012年まで『出合清水』とされていた。

古くから近隣住民の生活用水として大切に管理されており、石造の貯水池は湧出口から順に[[飲料水]]用、食料品の[[洗浄]]水用、[[洗濯]]用に区切られ整備されている。水天宮を祀り今も大切に管理されている<ref>[http://www.pref.hiroshima.lg.jp/page/1172126454088/index.html - 1-2-3.河川環境に関する現状と課題]{{リンク切れ|date=2012年10月}} - [http://www.pref.hiroshima.lg.jp/category/1172119181826/index.html 太田川下流ブロックの概要]{{リンク切れ|date=2012年10月}} - [http://www.pref.hiroshima.lg.jp/category/1172117572396/index.html 一級河川太田川水系太田川下流ブロック]{{リンク切れ|date=2012年10月}} - [http://www.pref.hiroshima.lg.jp/category/1172117504493/index.html 広島県の河川計画]{{リンク切れ|date=2012年10月}} - [[広島県]]</ref>。

1974年の新聞に、1950年頃に水道が引かれるまで、地域の住民が洗顔や洗濯、米とぎなどに清水が使われ、近くの子供や主婦が、敷石がツルツルのためよく転落したことや、おしめ替えの時にすぐに洗濯することで3組で足りたと、記録が残っている。また、1974年頃は清水を利用する20軒あまりが共同で月に1回、水替えや泥さらいを行っていた<ref name="chugoku19742623">『心の歳時記 水恋い 水神の命脈いまも 生活の変化で薄らいだ信仰』 - 中国新聞 朝刊 1974年6月23日 11面</ref>。

以前は飲料水としても使われていたが、周辺部の宅地化の進行や道路整備により水量が減少したほか、[[1988年]](昭和63年)以降の水質調査で[[大腸菌]]が検出、[[1993年]]([[平成]]5年)以降、教育委員会により「この水は飲めません」と看板が設置された<ref name="chugoku20100518"/><ref name="chugoku20110723"/>。

2010年以降、名水再生の活動が活発化し、2010年にはマツダ工業技術短期大学校が、ブラシによるコケや汚れの清掃および濁り水のくみ出しが<ref name="chugoku20100518"/><ref>{{PDFlink|[http://www2.town.fuchu.hiroshima.jp/www/contents/1332461508252/files/3-4.pdf 広報ふちゅう 2010年7月 3-4ページ]}} - 府中町</ref>、2011年には地域住民による守る会が結成され、ポンプにより水をくみ出した後で、底の清掃を行った<ref name="chugoku20110723"/><ref>{{PDFlink|[http://www2.town.fuchu.hiroshima.jp/www/contents/1332394656212/files/9.pdf 広報ふちゅう 2011年10月 9ページ]}} - 府中町</ref>。

『芸藩通志』に古歌として『安藝の國府、出合清水に今出川 温品あらしいつもはげしき』と詠まれている<ref name="gesyu172">『芸州府中荘誌』172ページ</ref>。

<gallery>
ファイル:Deai-shimizu 20120923-1.JPG|別の角度より
ファイル:Deai-shimizu 20121020-1.JPG|水天宮と湧水部
ファイル:Deai-shimizu 20121020-2.JPG|手前の区分が食料品の洗浄用<br />奥の区分が洗濯用
ファイル:Deai-shimizu 20121018-1.JPG|案内板
</gallery>

=== 出合清水 ===
{{Infobox 湖
|名称=出合清水(今出川湧水)
|画像=[[ファイル:Imadegawa-yusui 20121018-2.JPG|280px|今出川湧水(出合清水)]]
|所在地=[[広島県]][[安芸郡 (広島県)|安芸郡]][[府中町]]石井城一丁目9番街区<br />位置 :<br />{{coord|34|23|56.4|N|132|30|39.2|E|​display=inline|region:JP_type:landmark}}
|面積=
|周囲長=
|最大水深=
|平均水深=
|貯水量=
|標高=
|成因=[[湧水]]
|淡汽=[[淡水]]
|湖沼型=
|透明度=
}}
別名『出井清水』<ref>『安芸府中の文化 第3集』12ページ</ref><ref>『安芸府中町誌 資料編』336ページ</ref><ref group = "補足">『安芸府中村社寺堂古跡帖』に「一 清水 出井と申候又出合とも申候」と記述がある</ref>。名水百選選定時から2012年まで『今出川湧水』とされていた。

今出川清水の南東側120m離れた位置にあり、周辺部には古代[[安芸国]]の[[国府]]があり、総社跡や田所屋敷跡(田所明神社)などに隣接し、聖なる水として、お供えされた<ref>[http://www2.town.fuchu.hiroshima.jp/www/contents/1333005631932/index.html 今出川湧水] - 府中町</ref>。以前は、『芸州厳島図会』に描かれた通りの大きな清水だったが、水害により埋もれ、掘り起こされた物の、現在のような小さな清水になっている。

『芸藩通志』に、先の古歌の他に『あきの國出合の清水、鷲の森 阿弥陀がみねに いつくしま山』と詠まれている<ref>『芸州府中荘誌』171ページ</ref>。

<gallery>
ファイル:Imadegawa-yusui 20121018-1.JPG|出合清水
ファイル:Tadokoro-myo-jinja.JPG|田所明神社
ファイル:Soja-ato 20121020-1.JPG|総社跡
</gallery>
{{-}}
=== 名称の取り違いの判明 ===
2012年10月に、近くに在住する大学名誉教授の調べで、約120m離れた所にある『今出川湧水』との名称の取り違えがあることが判明した。『芸藩通志の付図』(1825年)や『芸州厳島図会』(1842年)、『芸州府中荘誌』(1932年)を確認した結果、取り違えの事実が判明した<ref name="chugoku20121017"/><ref name="fuchu10"/>。

『安永七年総社八幡差縺覚』の「一、御殿の前に井戸がある。この井戸を出井の清水と言い、その脇に今出川という川がある」との記述<ref>『安芸府中の文化 第6集』23ページ</ref>より、出合清水と今出川清水が別個に存在すること。

『芸藩通志』の府中村の地図や<ref>『芸藩通志 第二巻』483ページ</ref><ref>『安芸府中町誌 資料編』67ページ</ref>、『安芸郡和庄村より矢賀村迄道筋袖控』の地図<ref>『安芸府中町誌 資料編』70ページ</ref>に西側に今出川、東側に出合清水の記載があること。『芸州厳島図会』の絵図に田所宅(田所明神社)の東側、および総社の南側に「居出井清水」の記述があり、出合清水の位置が確認できること<ref>『芸州厳島図会 上巻』442ページ・443ページ</ref><ref>[http://www2.town.fuchu.hiroshima.jp/www/contents/1333005736449/index.html 総社跡] - 府中町</ref>。『芸州府中荘誌』の『今出川は石井城坂本氏の下の泉なり』<ref name="gesyu172"/><ref group = "補足">2012年現在でも今出川の北側に坂本宅は存在する</ref>などの記述。周辺住民への聞き取りや、1974年に発行された中国新聞の記事に「通称東川。”いまいで川”とも記述されている」<ref name="chugoku19742623"/>の記述があることなどが確認された<ref name="chugoku20121017"/>。

同年7月に開催された審議会で参加7人で確認された。今後、町史や案内板の訂正を予定している。取り違えた理由として、1978年に発行された町史に写真付きで間違えて掲載されたことより、それを元に報告したことが名称の取り違えの理由と思われている<ref name="chugoku20121017"/><ref group = "補足">『安芸府中町誌 通史編』50ページに、間違えた写真と共に『図1-21 出合清水(石井城)』と記述されている</ref>。

11月17日に、町内の施設で『出合清水名称訂正説明会』が開催された<ref>[http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201211180025.html 名水百選の湧き水訂正を説明] - 中国新聞 2012年11月18日<br />『名水誤称で経緯を説明 府中町教委 看板訂正「慎重に検討」』 - 中国新聞 朝刊 2012年11月18日 21ページ</ref>。


== 交通 ==
== 交通 ==
* [[広島駅]]下車 広電バス大須経由温品四丁目行「本町四丁目」下車 徒歩5分
* [[広島駅]]下車 広電バス大須経由温品四丁目行「本町四丁目」下車 徒歩5分
* 出合清水までは市街地の隘路のため車で進入することはできない。また、近隣に駐車場はない。
* 出合清水までは市街地の隘路のため車で進入することはできない。また、近隣に時間貸しの駐車場はない。

== 補足 ==
<references group = "補足"/>

== 参照 ==
<references />

== 参考文献・サイト ==
;文献
* 『安芸府中の文化 第3集』(編集・発行 : 府中町重要文化財保護協会)昭和44年3月発行
:: 『安芸府中村社寺堂古跡帖』(1712年発行)に関する記述あり
* 『安芸府中の文化 第6集』(編集・発行 : 府中町重要文化財保護協会)昭和47年3月発行
:: 『安永七年総社八幡差縺覚』(1778年発行)に関する記述あり
* 『安芸府中町誌 通史編(第一巻)』(編集 : 府中町誌編修委員会、発行 : 広島県安芸郡府中町)昭和54年3月31日発行
* 『安芸府中町誌 資料編(第二巻)』(編集 : 府中町誌編修委員会、発行 : 広島県安芸郡府中町)昭和52年9月10日発行
:: 『安芸府中村社寺堂古跡帖』(1712年発行)、『芸藩通志』(1812年)、『安芸郡和庄村より矢賀村迄道筋袖控』(江戸末期)に関する記述あり
* 『芸藩通志 第二巻』(復刻版)(編集者 : 頼杏坪 他、発行所 : 国書刊行会)昭和56年1月25日発行
* 『芸州厳島図会 上巻』(復刻版)(編集者 : 福田直記、発行者 : 宮島町)昭和48年12月13日発行
* 『芸州府中荘誌』(復刻版)(編集者 : 菅原守、発行所 : 默平堂書店)昭和47年発行
* 『[[中国新聞]]』([[中国新聞社]])各バックナンバー

;サイト
* {{PDFlink|[http://www2.town.fuchu.hiroshima.jp/www/contents/1348187253901/files/20.pdf 広報ふちゅう 2012年10月 20ページ]}} - 府中町(ふるさと歴史散歩 第106回)
* {{PDFlink|[http://www2.town.fuchu.hiroshima.jp/www/contents/1350952510639/files/22.pdf 広報ふちゅう 2012年11月 22ページ]}} - 府中町(ふるさと歴史散歩 第107回)
* {{PDFlink|[http://www2.town.fuchu.hiroshima.jp/www/contents/1353906801959/files/26.pdf 広報ふちゅう 2012年12月 26ページ]}} - 府中町(ふるさと歴史散歩 第108回)
* [http://www2.town.fuchu.hiroshima.jp/www/contents/1353304079441/index.html 出合清水・今出川清水の名称(位置)訂正の説明会] - 府中町


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
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== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Deai-shimizu Imadegawa-yusui}}
* [http://www.pref.hiroshima.lg.jp/page/1265942957957/index.html 安芸郡府中町の「宮の町」「石井城」あたりを歴史散策(府中町)] - [[広島県]]
* [https://www2.env.go.jp/water-pub/mizu-site/meisui/data/index.asp?info=70 環境省選定名水百選 今出川清水(いまでがわしみず)] - [https://www2.env.go.jp/water-pub/mizu-site/meisui/index.html 名水百選] -[[環境庁]]

* [http://www.pref.hiroshima.lg.jp/page/1265942957957/index.html 安芸郡府中町の「宮の町」「石井城」あたりを歴史散策(府中町)]{{リンク切れ|date=2012年10月}} - [[広島県]]
== 脚注 ==
* [http://www2.town.fuchu.hiroshima.jp/www/contents/1333001224559/index.html 出合清水] - 府中町
<references />
* [http://www2.town.fuchu.hiroshima.jp/www/contents/1333005631932/index.html 今出川湧水] - 府中町
* [http://www2.town.fuchu.hiroshima.jp/www/contents/1333004676681/index.html 国庁屋敷・田所明神社と田所文書(広島県重要文化財)] - 府中町
* [http://www2.town.fuchu.hiroshima.jp/www/contents/1333005736449/index.html 総社跡] - 府中町


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2012年12月1日 (土) 01:45時点における版

今出川清水(出合清水)
今出川湧水(出合清水)
所在地 広島県安芸郡府中町石井城一丁目2番街区
位置
今出川清水の位置(日本内)
今出川清水
北緯34度23分59.41秒 東経132度30分35.28秒 / 北緯34.3998361度 東経132.5098000度 / 34.3998361; 132.5098000座標: 北緯34度23分59.41秒 東経132度30分35.28秒 / 北緯34.3998361度 東経132.5098000度 / 34.3998361; 132.5098000
成因 湧水
淡水・汽水 淡水
プロジェクト 地形
テンプレートを表示

今出川清水(いまでがわしみず)は、広島県安芸郡府中町石井城一丁目2番街区にある湧水である。1985年昭和60年)名水百選[1]の一つに指定されている。また、府中町指定の名勝にも指定されている[2]

名水百選選定時から2012年まで、環境庁への届け出時のミスで出合清水(であいしみず)とされ、120m離れた先に存在する『今出川湧水』との名称の取り違えが明らかになった[3][4]

この項目では、今出川清水・出合清水など周辺部にある湧水についても合わせて触れる。

概要

水源は水分峡から浸透した地下水という説と[5][6]、太田川水系府中大川支流「榎川」の扇状地扇端部の伏流水との説がある[1]

記録に残っている範囲では、『安芸府中村社寺堂古跡帖』(1712年)や『安永七年総社八幡差縺覚』(1778年)、『芸藩通志の付図』(1825年)、『芸州厳島図会』(1842年)、『芸州府中荘誌』(1932年)などに記載がある[3]。以前は、同様の湧水が周辺に多く存在したが、農業の衰退により一部を除いて消滅した[7]。2011年には海田酒販組合が、水源とされる水分峡の地下水をペットボトルに詰めた『水分峡のうまい水』が3600本製造し販売した[8]。また、同じ水源とされる湧き水で、近くにある『田所明神社』の『田所神水』は飲用することが出来る[補足 1]

今出川清水

別名『東川』[9][10][補足 2]。名水百選選定時から2012年まで『出合清水』とされていた。

古くから近隣住民の生活用水として大切に管理されており、石造の貯水池は湧出口から順に飲料水用、食料品の洗浄水用、洗濯用に区切られ整備されている。水天宮を祀り今も大切に管理されている[11]

1974年の新聞に、1950年頃に水道が引かれるまで、地域の住民が洗顔や洗濯、米とぎなどに清水が使われ、近くの子供や主婦が、敷石がツルツルのためよく転落したことや、おしめ替えの時にすぐに洗濯することで3組で足りたと、記録が残っている。また、1974年頃は清水を利用する20軒あまりが共同で月に1回、水替えや泥さらいを行っていた[12]

以前は飲料水としても使われていたが、周辺部の宅地化の進行や道路整備により水量が減少したほか、1988年(昭和63年)以降の水質調査で大腸菌が検出、1993年平成5年)以降、教育委員会により「この水は飲めません」と看板が設置された[5][6]

2010年以降、名水再生の活動が活発化し、2010年にはマツダ工業技術短期大学校が、ブラシによるコケや汚れの清掃および濁り水のくみ出しが[5][13]、2011年には地域住民による守る会が結成され、ポンプにより水をくみ出した後で、底の清掃を行った[6][14]

『芸藩通志』に古歌として『安藝の國府、出合清水に今出川 温品あらしいつもはげしき』と詠まれている[15]

出合清水

出合清水(今出川湧水)
今出川湧水(出合清水)
所在地 広島県安芸郡府中町石井城一丁目9番街区
位置 :
北緯34度23分56.4秒 東経132度30分39.2秒 / 北緯34.399000度 東経132.510889度 / 34.399000; 132.510889
成因 湧水
淡水・汽水 淡水
プロジェクト 地形
テンプレートを表示

別名『出井清水』[16][17][補足 3]。名水百選選定時から2012年まで『今出川湧水』とされていた。

今出川清水の南東側120m離れた位置にあり、周辺部には古代安芸国国府があり、総社跡や田所屋敷跡(田所明神社)などに隣接し、聖なる水として、お供えされた[18]。以前は、『芸州厳島図会』に描かれた通りの大きな清水だったが、水害により埋もれ、掘り起こされた物の、現在のような小さな清水になっている。

『芸藩通志』に、先の古歌の他に『あきの國出合の清水、鷲の森 阿弥陀がみねに いつくしま山』と詠まれている[19]

名称の取り違いの判明

2012年10月に、近くに在住する大学名誉教授の調べで、約120m離れた所にある『今出川湧水』との名称の取り違えがあることが判明した。『芸藩通志の付図』(1825年)や『芸州厳島図会』(1842年)、『芸州府中荘誌』(1932年)を確認した結果、取り違えの事実が判明した[3][4]

『安永七年総社八幡差縺覚』の「一、御殿の前に井戸がある。この井戸を出井の清水と言い、その脇に今出川という川がある」との記述[20]より、出合清水と今出川清水が別個に存在すること。

『芸藩通志』の府中村の地図や[21][22]、『安芸郡和庄村より矢賀村迄道筋袖控』の地図[23]に西側に今出川、東側に出合清水の記載があること。『芸州厳島図会』の絵図に田所宅(田所明神社)の東側、および総社の南側に「居出井清水」の記述があり、出合清水の位置が確認できること[24][25]。『芸州府中荘誌』の『今出川は石井城坂本氏の下の泉なり』[15][補足 4]などの記述。周辺住民への聞き取りや、1974年に発行された中国新聞の記事に「通称東川。”いまいで川”とも記述されている」[12]の記述があることなどが確認された[3]

同年7月に開催された審議会で参加7人で確認された。今後、町史や案内板の訂正を予定している。取り違えた理由として、1978年に発行された町史に写真付きで間違えて掲載されたことより、それを元に報告したことが名称の取り違えの理由と思われている[3][補足 5]

11月17日に、町内の施設で『出合清水名称訂正説明会』が開催された[26]

交通

  • 広島駅下車 広電バス大須経由温品四丁目行「本町四丁目」下車 徒歩5分
  • 出合清水までは市街地の隘路のため車で進入することはできない。また、近隣に時間貸しの駐車場はない。

補足

  1. ^ 位置的にも、今出川湧水・出合清水の中間にある
  2. ^ 『安芸府中村社寺堂古跡帖』に「一 同 今出川 但シ東ノ川とも村ニテ申候」と記述がある
  3. ^ 『安芸府中村社寺堂古跡帖』に「一 清水 出井と申候又出合とも申候」と記述がある
  4. ^ 2012年現在でも今出川の北側に坂本宅は存在する
  5. ^ 『安芸府中町誌 通史編』50ページに、間違えた写真と共に『図1-21 出合清水(石井城)』と記述されている

参照

  1. ^ a b 環境省選定名水百選 今出川清水(いまでがわしみず) - 環境庁
  2. ^ 出合清水 - 府中町教育委員会
  3. ^ a b c d e 府中の湧き水、名前違い判明 - 中国新聞 2012年10月17日
    『「名水百選」府中の湧き水 出合清水 実は今出川だった 町史に誤記 案内板訂正へ』 - 中国新聞 朝刊 2012年10月17日 24面
  4. ^ a b 広報ふちゅう 2012年10月 20ページ (PDF) - 府中町
  5. ^ a b c 『名水研究 地域おこしへ 府中の「出合清水」テーマ マツダ短大 住民と連携 清掃も』 - 中国新聞 朝刊 2010年5月18日 22面
  6. ^ a b c 『名水「出合清水」再生へ 府中の住民 きょうから一帯清掃』 - 中国新聞 朝刊 2011年7月23日 22面
  7. ^ 『安芸府中町誌 通史編』49ページ・50ページ
  8. ^ 『水分峡の水に郷土愛を詰め 海田酒販組合』 - 中国新聞 朝刊 2011年11月16日 26面
  9. ^ 『安芸府中の文化 第3集』13ページ
  10. ^ 『安芸府中町誌 資料編』336ページ
  11. ^ - 1-2-3.河川環境に関する現状と課題[リンク切れ] - 太田川下流ブロックの概要[リンク切れ] - 一級河川太田川水系太田川下流ブロック[リンク切れ] - 広島県の河川計画[リンク切れ] - 広島県
  12. ^ a b 『心の歳時記 水恋い 水神の命脈いまも 生活の変化で薄らいだ信仰』 - 中国新聞 朝刊 1974年6月23日 11面
  13. ^ 広報ふちゅう 2010年7月 3-4ページ (PDF) - 府中町
  14. ^ 広報ふちゅう 2011年10月 9ページ (PDF) - 府中町
  15. ^ a b 『芸州府中荘誌』172ページ
  16. ^ 『安芸府中の文化 第3集』12ページ
  17. ^ 『安芸府中町誌 資料編』336ページ
  18. ^ 今出川湧水 - 府中町
  19. ^ 『芸州府中荘誌』171ページ
  20. ^ 『安芸府中の文化 第6集』23ページ
  21. ^ 『芸藩通志 第二巻』483ページ
  22. ^ 『安芸府中町誌 資料編』67ページ
  23. ^ 『安芸府中町誌 資料編』70ページ
  24. ^ 『芸州厳島図会 上巻』442ページ・443ページ
  25. ^ 総社跡 - 府中町
  26. ^ 名水百選の湧き水訂正を説明 - 中国新聞 2012年11月18日
    『名水誤称で経緯を説明 府中町教委 看板訂正「慎重に検討」』 - 中国新聞 朝刊 2012年11月18日 21ページ

参考文献・サイト

文献
  • 『安芸府中の文化 第3集』(編集・発行 : 府中町重要文化財保護協会)昭和44年3月発行
『安芸府中村社寺堂古跡帖』(1712年発行)に関する記述あり
  • 『安芸府中の文化 第6集』(編集・発行 : 府中町重要文化財保護協会)昭和47年3月発行
『安永七年総社八幡差縺覚』(1778年発行)に関する記述あり
  • 『安芸府中町誌 通史編(第一巻)』(編集 : 府中町誌編修委員会、発行 : 広島県安芸郡府中町)昭和54年3月31日発行
  • 『安芸府中町誌 資料編(第二巻)』(編集 : 府中町誌編修委員会、発行 : 広島県安芸郡府中町)昭和52年9月10日発行
『安芸府中村社寺堂古跡帖』(1712年発行)、『芸藩通志』(1812年)、『安芸郡和庄村より矢賀村迄道筋袖控』(江戸末期)に関する記述あり
  • 『芸藩通志 第二巻』(復刻版)(編集者 : 頼杏坪 他、発行所 : 国書刊行会)昭和56年1月25日発行
  • 『芸州厳島図会 上巻』(復刻版)(編集者 : 福田直記、発行者 : 宮島町)昭和48年12月13日発行
  • 『芸州府中荘誌』(復刻版)(編集者 : 菅原守、発行所 : 默平堂書店)昭和47年発行
  • 中国新聞』(中国新聞社)各バックナンバー
サイト

関連項目

外部リンク