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「三畳紀」の版間の差分

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{{生代}}
{{生代}}
'''三畳紀'''(さんじょうき、英:Triassic period)は、約2億5190万年前から約2億130万年前<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.geosociety.jp/uploads/fckeditor//name/ChronostratChart_jp.pdf |title=International Chronostratigraphic Chart(国際年代層序表)|publisher=[[日本地質学会]] |accessdate=2020-04-17}}</ref>までにあたる[[中生代]]最初の[[地質時代]]の一つ。[[後期三畳紀|後期]]、[[中期三畳紀|中期]]、[[前期三畳紀|前期]]の3つの世に区分される。'''トリアス紀'''(トリアスき)とも呼ばれる。


開始および終了の時期は、研究者やその学説によって、いずれも互いに1000万年前後の年代差がみられる<ref group="注釈">速水格は約2億4200万年前から約2億800万年前までの約3400万年間を想定しているが、重慶自然博物館([[中華人民共和国]])製作の図録『掘りたて恐竜展 展覧会図録』では2億4800万年前から2億600万年前までと説明している。なお、約2億5100万年前に始まり、約1億9960万年前までとしているのは[[仲田崇志]]である。</ref>。
'''三畳紀'''(さんじょうき、{{lang|en|Triassic period}})は、現在から約2億5100万年前に始まり、約1億9500万年前まで続く[[地質時代]]である。'''トリアス紀'''(トリアスき)と訳すこともある。三畳紀の名は、南[[ドイツ]]で発見されたこの紀の[[地層]]において、赤色の[[砂岩]]、白色の[[石灰岩]]、茶色の砂岩と堆積条件の異なる三層が重畳していたことに由来する。


== 名称と時期区分 ==
[[中生代]]の最初の時代であり、[[ペルム紀]](二畳紀)の次、[[ジュラ紀]]の前にあたる。開始と終了の時期は説によって1000万年前後の差が見られる。
[[ファイル:Frechitesnevadanus.jpg|200px|right|thumb|三畳紀のアンモナイト([[アメリカ合衆国]][[ネバダ州]]産出)]]
[[ファイル:Encrinus liliiformis 180308.jpg|200px|right|thumb|エンクリヌス・リリイフォルミス(ドイツ/ムッシェルカルク層産出)]]


名称は、南[[ドイツ]]で発見されたこの紀の[[地層]]において、二畳紀(ペルム紀)の上層に、上位より、
== 概要 ==
*コイパー砂岩(Keuper([[:en:Keuper|英語版]])、上畳統):赤色の[[砂岩]]
[[ファイル:LateTriassicGlobal.jpg|250px|right|thumb|三畳紀後期の地球]]
*ムッシェルカルク(Muschelkalk([[:en:Muschelkalk|英語版]])、殻灰統):白色の[[石灰岩]]
[[ファイル:Thecodontosaurus.jpg|250px|right|thumb|三畳紀後期に生息していた[[原竜脚下目|原竜脚類]]、[[テコドントサウルス|テコドント]]]]
*ブンテル砂岩(Bunter([[:en:Bunter (geology)|英語版]])またはBuntsandstein([[:en:Buntsandstein|英語版]])、斑砂統):茶色の砂岩
と[[堆積]]条件の異なる3層が重畳していたことに由来する。


ドイツの[[地質学者]][[フリードリヒ・フォン・アルベルティ]]([[:en:Friedrich August von Alberti|英語版]])が[[1834年]]に命名した<ref name="hayami">速水(2004)</ref><ref name="zukan">浜田・益富(1966)pp.77-83</ref>。
[[古生代]]最後のペルム紀と中生代最初の三畳紀の境目([[P-T境界]])に、[[地球]]史上最大の[[大量絶滅]]があった(ペルム紀末の大量絶滅)。[[地球]]内部からの[[プルームテクトニクス#ホットプルーム|スーパープルーム]]による火山活動によって,生物種の90パーセントないし95パーセントが絶滅したともいわれている{{要出典}}。[[三葉虫]]や[[方解石サンゴ]]、[[紡錘虫|紡錘虫類]]などが絶滅し、それまで繁栄していた[[単弓類]]なども[[種 (分類学)|種]]や[[属 (分類学)|属]]のレベルではほとんどが絶滅して、大きく衰退した<ref name=fortey>フォーティ(2003)pp.305-312</ref>。[[軟体動物]]では、さまざまな[[二枚貝]]が死滅し、[[アンモナイト|アンモナイト類]]を含む[[巻貝]]も大きな打撃を受け、[[腕足類]]もまた死亡率が高かった<ref name=fortey/>。[[棘皮動物]]においても同様の傾向がみられた<ref name=fortey/>。


ヨーロッパにおいて、ブンテルは浅い凹地に堆積した色鮮やかな堆積物を含有する系列、ムッシェルカルクは貝類化石をともなう石灰岩系列で、コイパーは、厳しい[[乾燥]]を示す[[岩塩]]と[[石膏]]の層をともなう大陸の堆積物の系列として知られてきたが、今日では第4の系列としてレエティクが含まれ、三畳紀最新の地層に位置づけられている<ref name="kurt95">クルテン(1983)pp.95-99</ref>。
その後、空席になった[[ニッチ]](生態的地位)を埋めるように、[[主竜類]]を中心とした爬虫類が繁栄し、その中から三畳紀中期には[[恐竜]]や[[ワニ]]、[[カメ]]類、[[翼竜]]が出現した<ref name=dino>「三畳紀の世界」『掘りたて恐竜展 展覧会図録』</ref>。海では中生代まで生き残った数種をもとにアンモナイトが栄えた<ref name=fortey/>。


しかし、実際には[[ドイツ]]周辺の海成層は三畳紀中期に属する年代のものに限られるため、三畳紀全体を通しての編年には[[アルプス山脈]]、[[ヒマラヤ山脈]]、および[[北アメリカ大陸]]北部における海生動物の[[化石]]に富む地層も併用され、これらを標準として国際的な時期区分が設定されている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.geosociety.jp/uploads/fckeditor//name/ChronostratChart_jp.pdf |title=INTERNATIONAL CHRONOSTRATIGRAPHIC CHART(国際年代層序表) |publisher=[[日本地質学会]] |accessdate=2021-03-10}}</ref>。
三畳紀には、ほとんど全ての[[大陸]]が合体し、北極から南極に至る[[パンゲア大陸]]と呼ばれる[[超大陸]]が形成されていた。パンゲア大陸の周囲には、[[パンサラッサ]]、東側には[[テチス海]]と呼ばれる湾状の海が広がっていた。


== 自然環境 ==
三畳紀の終わりに、再びやや小規模な大量絶滅があった。大量の哺乳類型爬虫類も絶滅した<ref name=dino/>。海ではアンモナイトの多くの種が絶滅し、また、爬虫類や単弓類も大型動物を中心に多くの種が絶滅した。まだ比較的小型だった恐竜は、三畳紀末期には[[竜脚類]]が出現し、そののち急速に発展していく。
古生代末、ほとんど全ての[[大陸]]が合体し、三畳紀には[[北極]]から[[南極]]に至る[[パンゲア大陸]]と呼ばれる[[超大陸]]が形成された<ref name=hayami/>。また、[[山地]]をくずして内陸部に広大な[[平野]]をつくる陸地の平原化現象がおおいに進行した。内陸部の平野には[[乾燥]][[気候]]の影響で[[砂漠化]]の進行がいちじるしく、赤色の[[砂]]が堆積していった<ref name=saito24>斎藤(1979)pp.24-31</ref>。砂漠のところどころには[[オアシス]]が点在した<ref name=saito24/>。


パンゲア大陸の周囲には、[[パンサラッサ]]と称されるひとつながりの巨大な海洋と、大陸の東側には[[テチス海]]と呼ばれる湾状の海が広がり、一部は[[珊瑚礁]]となっていた。
気温は徐々に上昇していった。ペルム紀に30パーセントほどあった[[酸素]]濃度も10パーセント程度まで低下し、[[ジュラ紀]]頃までの約1億年もの間、低酸素状態が続いた。

古生代終期に寒冷化した[[気候]]も、三畳紀を通じて[[気温]]は徐々に上昇していったものと推定される。ペルム紀に30パーセントほどあった[[酸素]]濃度も10パーセント程度まで低下し、[[ジュラ紀]]頃までの約1億年間、低酸素状態が続いた。

三畳紀は、広大な大テチス地向斜の発展がみられた時期と考えられている<ref name=kurt95/>。この[[地向斜]]から、2億もの年月を経たのち、[[アルプス・ヒマラヤ造山帯]]など[[新期造山帯]]と称される若い[[山脈]]が形成されていくものとみられている<ref name=kurt95/>。

== 生物 ==
[[ファイル:BelemniteDB2.jpg|100px|right|thumb|ベレムナイト(推定図)]]
[[大量絶滅#ペルム紀末|ペルム紀末の大量絶滅]]の後、空席になった[[ニッチ]](生態的地位)を埋めるように、海生生物では、古生代型の海生動物にかわって、新しい分類群がつぎつぎに出現した。[[花虫綱|六放サンゴ]]やさまざまな翼形(よくけい)二枚貝などが発展するようになり<ref name=hayami/>、アンモナイトは、中生代まで生き残った数種をもとにセラタイト型が爆発的に増えた<ref name="fortey">フォーティ(2003)pp.305-312</ref>。また、類縁する[[ベレムナイト]]が著しく多数にわたって現れた<ref name=kurt95/>。棘皮動物のうち[[ウニ|ウニ類]]は古生代においてはまだ十分な発達をとげなかったが、中生代には急激に進化しはじめ、多くの種を生じた<ref name=zukan/><ref group="注釈">[[オーストリア共和国]][[チロル州]]のセント・カシンは、キダリスと称されるウニ化石の産地として著名である。</ref>。このような新しい種の出現によって、三畳紀後期にはいったん損なわれた生物多様性を再び回復した<ref name=hayami/>。

三畳紀の[[海成層]]の[[示準化石]]として重要なものとしては、セラタイト型アンモナイト、翼形二枚貝(ダオネラ、ハロビア、モノティス等)のほか、[[原生動物]]の[[放散虫]]、貝蝦([[エステリア]])、[[ウミユリ]](棘皮動物)の一種エンクリヌス・リリイフォルミス<ref group="注釈">「ユリ型をしたウミユリ」という意味。</ref>があり、[[歯]]状の[[微化石]][[コノドント]]は生物学上の位置づけが未解決の部分もあるが、[[層位学]]的にはきわめて重要である<ref name=hayami/><ref name=zukan/>。なお、ダオネラは、現在の[[ホタテガイ]]に近縁する絶滅種であり、ダオネラ頁岩は[[堆積学]]的見地からも重視される<ref name=zukan/>。

[[ファイル:Thecodontosaurus.jpg|250px|right|thumb|三畳紀後期に生息していた[[原竜脚下目|原竜脚類]]、[[テコドントサウルス]]]]
[[ファイル:Odontochelys fossil sketch 01.JPG|150px|right|thumb|最古のカメ、[[オドントケリス]]の化石実測図]]

これに対し陸上の動植物はペルム紀中に大変革を終えており、P-T境界においては海生生物におけるほどの劇的な変化をともなっていない<ref name=hayami/><ref name=zukan/>。ペルム紀においてすでに[[主竜類]]などをはじめとする[[爬虫類]]が水中のみならず陸上生活に適したものが増加し、三畳紀には体躯の大きなものも出現して繁栄した<ref name=zukan/>。主竜類の中から三畳紀中期には[[エオラプトル]]や[[ヘレラサウルス]]などの[[恐竜]]や[[翼竜]]、[[ワニ]]が出現、また主竜類に近い系統から[[カメ]]類が現れた<ref name=dino>「三畳紀の世界」『掘りたて恐竜展 展覧会図録』</ref>。爬虫類はまた、[[肺呼吸]]を完全にし、種類によっては[[皮膚]]を[[ウロコ]]や硬い[[甲羅]]でおおうことによって乾燥した陸地への生活に適応していった<ref name=saito24/>。

この時代の恐竜(初期恐竜)は、陸生[[脊椎動物]]のなかにあって特に大型であったわけではなく、初期恐竜と併存していた恐竜以外の爬虫類のなかに、それよりもはるかに大きく、個体数の多い種もあったと推定される<ref name=dino/>。中でもこの時代にワニ類を輩出した[[クルロタルシ類]]は繁栄の絶頂にあり、陸上生態系において支配的地位を占めていた。三畳紀の恐竜化石は特に[[南アメリカ大陸]]で多数検出されており、北米・[[アフリカ]]・[[ヨーロッパ]]などでも確認されている<ref name=dino/>。[[湿地]]帯などにのこされた爬虫類の足跡化石が多く発見されるようになるのも三畳紀に入ってからであり、これにより、肉食種が植物食種を捕食するシステムが成立していたことが推測される<ref name=zukan/>。カメは、現存種には歯のある種はないものの、[[オドントケリス]]や[[プロガノケリス]]など初期のカメには顎に歯があったことが確認されている<ref name=kurt95/>。また、四肢は現在の[[ゾウガメ]]に類似しており、陸上生活者であると考えられている<ref name=dino/>。三畳紀のワニ類もまた陸上生活者であり、全長は1メートルにおよばなかった<ref name=dino/>。

非哺乳類の単弓類が最後に繁栄したのも三畳紀だった。初頭には大型ディキノドン類[[リストロサウルス]]や最後の大型テロケファルス類[[モスコリヌス]]に加え、小型の[[トリナクソドン]]のような[[キノドン類]]が多種多様な爬虫類と共存した。前期には[[カンネメイエリア]]や[[キノグナトゥス]]がさらなる大型化と多様化を達成し、中期〜後期にかけても大型種では植物食の[[プラケリアス]]、雑食の[[エクサエレトドン]]や[[ディアデモドン]]、肉食の[[トルシキノドン]]が変わらぬ繁栄を見せ、小型種では[[トラベルソドン類]]や[[イクチドサウルス類]]が生態系の隙間を埋めた<ref>金子隆一(著)哺乳類型爬虫類 三畳紀の項</ref>。

こうした三畳紀特有の生物相は、南米[[ロス・コロラドス層]]を見るに、三畳紀中盤から末期にかけて概ね維持されていた<ref>Tetrapod association and palaeoenvironment of the Los Colorados Formation (Argentina): a significant sample from Western Gondwana at the end of the Triassic
(Andrea B Arcucci:2004)</ref>。ただし[[竜脚形類]]や[[新獣脚類]]の台頭など、留意すべき点もある。

なお最初の[[哺乳類]]が現れたのも三畳紀であった<ref name=kurt95/>。哺乳類は、中生代を通じて小型であり、大きくても[[ネコ]]か[[小型犬]]ほどの大きさであり多くの種は[[ドブネズミ]]か[[ハツカネズミ]]の大きさほどしかなかった<ref name=dino/>。

これらの内、一部の系統では歩行/走行と呼吸を並行して行うことが出来るようになっていた。これにより、後代の生物には真の恒温性を獲得することになる<ref>The evolution of locomotor stamina in tetrapods: circumventing a mechanical constraint(David R Carrier:1987)</ref>。

三畳紀には、従前は陸上でしかみられなかった爬虫類であったが、三畳紀に入ってその一部が海に進出した<ref name=dino/>。[[イクチオサウルス]]などの[[魚竜]]や、泳ぐのに特化したひれ状の足をもつ[[プラコドン]]などの[[鰭竜類]]({{Sname||Sauropterygia}})、[[タラットサウルス]]類、[[板歯目]]などがそれである<ref name=kurt95/><ref name=dino/>。

[[魚類]]のうち、[[サメ]]のなかまはペルム紀末の大量絶滅によって打撃を受け、その繁殖は限定的であったが、[[硬骨魚綱|硬骨魚類]]は海中において顕著に繁殖した<ref>ルッキェリ『生物の上陸』(1982)pp.99-102</ref>。[[両生類]]は、中期に体長5メートルを越すと推定される[[マストドンサウルス]]があり、これは史上最大級の両生類の一つと考えられている。両生類には、[[分椎目]]の[[アファネランマ]]に代表されるトレマトサウルス類のように海水に適応した種さえあったが、三畳紀を通じてその多くは衰退していった<ref>ルッキェリ『生物の上陸』(1982)pp.102-110</ref>。

[[ファイル:Meyers b15 s0826b.jpg|140px|right|thumb|三畳紀の植生想像図]]
陸上の植物では[[シダ植物]]や[[裸子植物]]が著しく分布域を広げ<ref name=hayami/>、[[ボルチア]]やアメリカ合衆国[[アリゾナ州]]における[[アラウカリオキシロン]]の珪化森林にみられるように[[マツ]]や[[スギ]]の遠祖となる[[針葉樹]]が現れた<ref name=saito24/>。[[種子植物]]でありながら独立した[[精子]]をつくる[[イチョウ類]]や[[ソテツ類]]、[[ベネティティス類]]も多かった。湿地帯には、現在の[[シダ植物]]の[[ヒカゲノカズラ科]]の類縁種である[[リンボク (化石植物)|古代リンボク]]が豊富にのこり、[[シダ]]や[[トクサ]]も密に分布した<ref name=kurt95/>。また、古生代後期からひきつづき、ゴンドワナ植物群とアンガラ植物群とが植生を競いあっていた<ref name=hayami/>。

== 終わり ==
{{main|[[:en:Triassic–Jurassic extinction event]]}}
三畳紀の終わりに、再びやや小規模な大量絶滅があった。海洋ではアンモナイトの多くの種が姿を消し、魚竜などの海洋棲爬虫類も打撃を受けた。陸上では[[キノドン類]]、[[ディキノドン類]]の大半の種といった大量の[[単弓類]](哺乳類型爬虫類)が絶滅した<ref name=dino/>。三畳紀の終末を生き延びた恐竜など陸生脊椎動物は、繁殖様式([[卵]]など)や生活様式から乾燥にとくに強いタイプのものと考えられる<ref name=dino/>。また、爬虫類も単弓類同様に大型動物を中心に多くの種が絶滅した。まだ比較的小型だった恐竜は、三畳紀末期には[[竜脚類]]のような大型種も出現し、そののち急速に発展していく。絶滅の原因としては、直径3.3 - 7.8km程度の隕石の落下<ref>{{PDFlink|[http://www.kumamoto-u.ac.jp/daigakujouhou/kouhou/pressrelease/2013_file/20130916-18.pdf 岐阜と大分から巨大隕石落下の証拠:最大で直径約8kmと推定}} [[海洋研究開発機構]]</ref>あるいは、中央大西洋マグマ分布域(Central Atlantic Magmatic Province)における[[火山活動]]との関連が指摘されている<ref>{{Citation|last1=Hesselbo|first1=S.P.|last2=Robinson|first2=S.A.|last3=Surlyk|first3=F.|last4=Piasecki|first4=S.|year=2002|title=Terrestrial and marine extinction at the Triassic-Jurassic boundary. synchoronized with major carbon cycle perturbation: A link to initiation of massive volcanism|journal=Geology|volume=30|pages=251-254}}.</ref>
<ref>{{Citation|last1=McElwain|first1=J.C.|last2=Beerling|first2=D.J.|last3=Woodward|first3=F.I.|year=1999|title=Fossilplants and global warming at the Triassic-Jurassic boundary.|journal=Science|volume=285|pages=1386-1390}}.
</ref>
<ref>{{Citation|last1=McElwain|first1=J.C.|last2=Hesselbo|first2=S.P.|last3=Haworth|first3=M.|last4=Surlyk|first4=F.|year=2007|title=Macroecological responses of terrestrial vegetation to climatic and atmospheric change across the Triassic/Jurassic boundary in East Greenland.|journal=Paleobiology|volume=33|pages=547-573}}.</ref>。こうした環境の変化を経る中で、獣弓類は生態系の脇役へと姿を変え、かつて覇権を誇った[[クルロタルシ類]]は姿を消していった。そして敏捷で呼吸効率の良い[[恐竜]]が生態系の主役を担うようになる<ref>Models for the rise of the dinosaurs
(Michael J Benton:2014)</ref>。なお恐竜の先駆けとして登場した[[シレサウルス類]]もまた、子孫筋にニッチを明け渡していた。

== 地層 ==
三畳紀の地層を'''三畳系'''という。

三畳紀には大規模な[[海進]]はなかったとみられており、そのため、[[安定陸塊]]においては[[陸成層]]や台地[[玄武岩]]が卓越し、海成層の分布はほとんどみられない<ref name=hayami/>。一方、テチス海域だった地域および大洋周囲の変動帯ないし準安定地域だった地域には、しばしば珊瑚礁由来の[[石灰岩]]や層状[[チャート (岩石)|チャート]]をふくんだ三畳系海成層もみられる<ref name=hayami/>。

== 日本において ==
日本の三畳系は、ふるくは分布範囲はきわめて狭小であるとみなされてきたが、一時期古生代に属すと考えられてきた外帯([[太平洋]]側)のチャート層や石炭岩からコノドント化石が見つかり、これによって三畳紀の地史が大きく解明された。すなわち、従来古生代後期の地層とされてきた海洋性の石灰岩や[[チャート (岩石)|チャート]]、また、海底[[火山岩]]のうちのかなりの部分が三畳紀に形成された地層であるとみなされるようになった<ref name=hayami/>。一方、内帯([[日本海]]側)および外帯一部には、三畳紀にすでに付加された古生代の地層と三畳紀前後に形成された[[花崗岩]]および広域[[変成岩]]が分布して、これらを基盤として三畳紀後期における陸棚性・瀕海性の厚い堆積物が比較的小範囲に点在する。その多くは[[炭層]]をふくみ、産出化石は[[シベリア]]方面の種との共通性を示している<ref name=hayami/>。

=== 皿貝動物群 ===
[[北上山地]]南部の[[太平洋]]沿岸にある[[宮城県]][[南三陸町]]皿海集落には三畳系後期ノリアン階の貝化石産地があり、集落名を採って「皿貝動物群」あるいは「皿貝化石群」と称される。ここでは、モノティスと称される翼形[[二枚貝]]の検出が特徴的である<ref name=zukan/>。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
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=== 参照 ===
=== 出典 ===
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== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
*「The Triassic」https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0960982216313239(Michael J.Benton:2016)-三畳紀についての包括的な論文

* [[浜田隆士]]・[[益富壽之助]]『原色化石図鑑』[[保育社]]、1966年9月初版。ISBN 4-586-30048-5
* [[斎藤常正]]『世界の恐竜』[[講談社]]、1979年6月。
* グイド・ルッキェリ原著『図説自然と人間の歴史6 生物の上陸』[[小学館]]、1982年3月。
* B.クルテン『恐竜の時代』[[平凡社]]、1983年6月。
* {{Cite book|和書|author=ジェームズ・ローレンス・パウエル|translator=寺嶋英志・瀬戸口烈司|title=白亜紀に夜がくる-恐竜の絶滅と現代地質学|year=2001|publisher=[[青土社]]|id=ISBN 4791759079}}
* 周世武・平山廉監修「三畳紀の世界:恐竜の登場した時代(2億4800万年前-2億600万年前)」『重慶自然博物館所蔵 掘りたて恐竜展 2001-2002[展覧会図録]』[[RKB毎日放送]]、2001年。
* 周世武・平山廉監修「三畳紀の世界:恐竜の登場した時代(2億4800万年前-2億600万年前)」『重慶自然博物館所蔵 掘りたて恐竜展 2001-2002[展覧会図録]』[[RKB毎日放送]]、2001年。
* リチャード・フォーティ『生命40億年全史』[[草思社]]、2003年3月。ISBN 4-7942-1189-9
* リチャード・フォーティ『生命40億年全史』[[草思社]]、2003年3月。ISBN 4-7942-1189-9
* 速水格「三畳紀」小学館編『日本大百科全書』(スーパーニッポニカProfessional Win版)小学館、2004年2月。ISBN 4099067459


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
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* [[地質時代]] - [[顕生代]] - [[中生代]]
* [[地質時代]] - [[顕生代]] - [[中生代]]


<!-- == 参考文献 == -->
== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* {{Cite web|和書|url=http://www.geosociety.jp/name/content0062.html |title=地質系統・年代の日本語記述ガイドライン 2014年1月改訂版 |publisher=日本地質学会 |accessdate=2014-03-19}}
* {{Cite web|和書|url=http://www.geosociety.jp/uploads/fckeditor//name/ChronostratChart2014_1.pdf |title=INTERNATIONAL CHRONOSTRATIGRAPHIC CHART (国際年代層序表) |format=PDF |publisher=日本地質学会 |accessdate=2014-03-19 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20150525225257/http://www.geosociety.jp/uploads/fckeditor//name/ChronostratChart2014_1.pdf |archivedate=2015-05-25 |url-status=dead|url-status-date=2017-09}}
* [http://www2.tba.t-com.ne.jp/nakada/takashi/strat-chart/strat-chart.html 地質年代表](仲田崇志)
* [http://www2.tba.t-com.ne.jp/nakada/takashi/strat-chart/strat-chart.html 地質年代表](仲田崇志)


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[[sl:Trias]]
[[sr:Тријас]]
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[[tl:Triyasiko]]
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[[uk:Тріасовий період]]
[[vi:Kỷ Trias]]
[[zh:三叠纪]]

2024年7月5日 (金) 00:31時点における最新版

地質時代中生代[* 1][* 2]
累代 基底年代
Mya[* 3]
顕生代 新生代 66
中生代 白亜紀 後期白亜紀 マーストリヒチアン 72.1
カンパニアン 83.6
サントニアン 86.3
コニアシアン 89.8
チューロニアン 93.9
セノマニアン 100.5
前期白亜紀 アルビアン 113
アプチアン 125
バレミアン 129.4
オーテリビアン 132.9
バランギニアン 139.8
ベリアシアン 145
ジュラ紀 後期ジュラ紀 チトニアン 152.1
キンメリッジアン 157.3
オックスフォーディアン 163.5
中期ジュラ紀 カロビアン 166.1
バトニアン 168.3
バッジョシアン 170.3
アーレニアン 174.1
前期ジュラ紀 トアルシアン 182.7
プリンスバッキアン 190.8
シネムーリアン 199.3
ヘッタンギアン 201.3
三畳紀 後期三畳紀 レーティアン 208.5
ノーリアン 227
カーニアン 237
中期三畳紀 ラディニアン 242
アニシアン 247.2
前期三畳紀 オレネキアン 251.2
インドゥアン 251.902
古生代 541
原生代 2500
太古代[* 4] 4000
冥王代 4600
  1. ^ 基底年代の数値では、この表と本文中の記述では、異なる出典によるため違う場合もある。
  2. ^ 基底年代の更新履歴
  3. ^ 百万年前
  4. ^ 「始生代」の新名称、日本地質学会が2018年7月に改訂

三畳紀(さんじょうき、英:Triassic period)は、約2億5190万年前から約2億130万年前[1]までにあたる中生代最初の地質時代の一つ。後期中期前期の3つの世に区分される。トリアス紀(トリアスき)とも呼ばれる。

開始および終了の時期は、研究者やその学説によって、いずれも互いに1000万年前後の年代差がみられる[注釈 1]

名称と時期区分

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三畳紀のアンモナイト(アメリカ合衆国ネバダ州産出)
エンクリヌス・リリイフォルミス(ドイツ/ムッシェルカルク層産出)

名称は、南ドイツで発見されたこの紀の地層において、二畳紀(ペルム紀)の上層に、上位より、

  • コイパー砂岩(Keuper(英語版)、上畳統):赤色の砂岩
  • ムッシェルカルク(Muschelkalk(英語版)、殻灰統):白色の石灰岩
  • ブンテル砂岩(Bunter(英語版)またはBuntsandstein(英語版)、斑砂統):茶色の砂岩

堆積条件の異なる3層が重畳していたことに由来する。

ドイツの地質学者フリードリヒ・フォン・アルベルティ英語版)が1834年に命名した[2][3]

ヨーロッパにおいて、ブンテルは浅い凹地に堆積した色鮮やかな堆積物を含有する系列、ムッシェルカルクは貝類化石をともなう石灰岩系列で、コイパーは、厳しい乾燥を示す岩塩石膏の層をともなう大陸の堆積物の系列として知られてきたが、今日では第4の系列としてレエティクが含まれ、三畳紀最新の地層に位置づけられている[4]

しかし、実際にはドイツ周辺の海成層は三畳紀中期に属する年代のものに限られるため、三畳紀全体を通しての編年にはアルプス山脈ヒマラヤ山脈、および北アメリカ大陸北部における海生動物の化石に富む地層も併用され、これらを標準として国際的な時期区分が設定されている[5]

自然環境

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古生代末、ほとんど全ての大陸が合体し、三畳紀には北極から南極に至るパンゲア大陸と呼ばれる超大陸が形成された[2]。また、山地をくずして内陸部に広大な平野をつくる陸地の平原化現象がおおいに進行した。内陸部の平野には乾燥気候の影響で砂漠化の進行がいちじるしく、赤色のが堆積していった[6]。砂漠のところどころにはオアシスが点在した[6]

パンゲア大陸の周囲には、パンサラッサと称されるひとつながりの巨大な海洋と、大陸の東側にはテチス海と呼ばれる湾状の海が広がり、一部は珊瑚礁となっていた。

古生代終期に寒冷化した気候も、三畳紀を通じて気温は徐々に上昇していったものと推定される。ペルム紀に30パーセントほどあった酸素濃度も10パーセント程度まで低下し、ジュラ紀頃までの約1億年間、低酸素状態が続いた。

三畳紀は、広大な大テチス地向斜の発展がみられた時期と考えられている[4]。この地向斜から、2億もの年月を経たのち、アルプス・ヒマラヤ造山帯など新期造山帯と称される若い山脈が形成されていくものとみられている[4]

生物

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ベレムナイト(推定図)

ペルム紀末の大量絶滅の後、空席になったニッチ(生態的地位)を埋めるように、海生生物では、古生代型の海生動物にかわって、新しい分類群がつぎつぎに出現した。六放サンゴやさまざまな翼形(よくけい)二枚貝などが発展するようになり[2]、アンモナイトは、中生代まで生き残った数種をもとにセラタイト型が爆発的に増えた[7]。また、類縁するベレムナイトが著しく多数にわたって現れた[4]。棘皮動物のうちウニ類は古生代においてはまだ十分な発達をとげなかったが、中生代には急激に進化しはじめ、多くの種を生じた[3][注釈 2]。このような新しい種の出現によって、三畳紀後期にはいったん損なわれた生物多様性を再び回復した[2]

三畳紀の海成層示準化石として重要なものとしては、セラタイト型アンモナイト、翼形二枚貝(ダオネラ、ハロビア、モノティス等)のほか、原生動物放散虫、貝蝦(エステリア)、ウミユリ(棘皮動物)の一種エンクリヌス・リリイフォルミス[注釈 3]があり、状の微化石コノドントは生物学上の位置づけが未解決の部分もあるが、層位学的にはきわめて重要である[2][3]。なお、ダオネラは、現在のホタテガイに近縁する絶滅種であり、ダオネラ頁岩は堆積学的見地からも重視される[3]

三畳紀後期に生息していた原竜脚類テコドントサウルス
最古のカメ、オドントケリスの化石実測図

これに対し陸上の動植物はペルム紀中に大変革を終えており、P-T境界においては海生生物におけるほどの劇的な変化をともなっていない[2][3]。ペルム紀においてすでに主竜類などをはじめとする爬虫類が水中のみならず陸上生活に適したものが増加し、三畳紀には体躯の大きなものも出現して繁栄した[3]。主竜類の中から三畳紀中期にはエオラプトルヘレラサウルスなどの恐竜翼竜ワニが出現、また主竜類に近い系統からカメ類が現れた[8]。爬虫類はまた、肺呼吸を完全にし、種類によっては皮膚ウロコや硬い甲羅でおおうことによって乾燥した陸地への生活に適応していった[6]

この時代の恐竜(初期恐竜)は、陸生脊椎動物のなかにあって特に大型であったわけではなく、初期恐竜と併存していた恐竜以外の爬虫類のなかに、それよりもはるかに大きく、個体数の多い種もあったと推定される[8]。中でもこの時代にワニ類を輩出したクルロタルシ類は繁栄の絶頂にあり、陸上生態系において支配的地位を占めていた。三畳紀の恐竜化石は特に南アメリカ大陸で多数検出されており、北米・アフリカヨーロッパなどでも確認されている[8]湿地帯などにのこされた爬虫類の足跡化石が多く発見されるようになるのも三畳紀に入ってからであり、これにより、肉食種が植物食種を捕食するシステムが成立していたことが推測される[3]。カメは、現存種には歯のある種はないものの、オドントケリスプロガノケリスなど初期のカメには顎に歯があったことが確認されている[4]。また、四肢は現在のゾウガメに類似しており、陸上生活者であると考えられている[8]。三畳紀のワニ類もまた陸上生活者であり、全長は1メートルにおよばなかった[8]

非哺乳類の単弓類が最後に繁栄したのも三畳紀だった。初頭には大型ディキノドン類リストロサウルスや最後の大型テロケファルス類モスコリヌスに加え、小型のトリナクソドンのようなキノドン類が多種多様な爬虫類と共存した。前期にはカンネメイエリアキノグナトゥスがさらなる大型化と多様化を達成し、中期〜後期にかけても大型種では植物食のプラケリアス、雑食のエクサエレトドンディアデモドン、肉食のトルシキノドンが変わらぬ繁栄を見せ、小型種ではトラベルソドン類イクチドサウルス類が生態系の隙間を埋めた[9]

こうした三畳紀特有の生物相は、南米ロス・コロラドス層を見るに、三畳紀中盤から末期にかけて概ね維持されていた[10]。ただし竜脚形類新獣脚類の台頭など、留意すべき点もある。

なお最初の哺乳類が現れたのも三畳紀であった[4]。哺乳類は、中生代を通じて小型であり、大きくてもネコ小型犬ほどの大きさであり多くの種はドブネズミハツカネズミの大きさほどしかなかった[8]

これらの内、一部の系統では歩行/走行と呼吸を並行して行うことが出来るようになっていた。これにより、後代の生物には真の恒温性を獲得することになる[11]

三畳紀には、従前は陸上でしかみられなかった爬虫類であったが、三畳紀に入ってその一部が海に進出した[8]イクチオサウルスなどの魚竜や、泳ぐのに特化したひれ状の足をもつプラコドンなどの鰭竜類Sauropterygia)、タラットサウルス類、板歯目などがそれである[4][8]

魚類のうち、サメのなかまはペルム紀末の大量絶滅によって打撃を受け、その繁殖は限定的であったが、硬骨魚類は海中において顕著に繁殖した[12]両生類は、中期に体長5メートルを越すと推定されるマストドンサウルスがあり、これは史上最大級の両生類の一つと考えられている。両生類には、分椎目アファネランマに代表されるトレマトサウルス類のように海水に適応した種さえあったが、三畳紀を通じてその多くは衰退していった[13]

三畳紀の植生想像図

陸上の植物ではシダ植物裸子植物が著しく分布域を広げ[2]ボルチアやアメリカ合衆国アリゾナ州におけるアラウカリオキシロンの珪化森林にみられるようにマツスギの遠祖となる針葉樹が現れた[6]種子植物でありながら独立した精子をつくるイチョウ類ソテツ類ベネティティス類も多かった。湿地帯には、現在のシダ植物ヒカゲノカズラ科の類縁種である古代リンボクが豊富にのこり、シダトクサも密に分布した[4]。また、古生代後期からひきつづき、ゴンドワナ植物群とアンガラ植物群とが植生を競いあっていた[2]

終わり

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三畳紀の終わりに、再びやや小規模な大量絶滅があった。海洋ではアンモナイトの多くの種が姿を消し、魚竜などの海洋棲爬虫類も打撃を受けた。陸上ではキノドン類ディキノドン類の大半の種といった大量の単弓類(哺乳類型爬虫類)が絶滅した[8]。三畳紀の終末を生き延びた恐竜など陸生脊椎動物は、繁殖様式(など)や生活様式から乾燥にとくに強いタイプのものと考えられる[8]。また、爬虫類も単弓類同様に大型動物を中心に多くの種が絶滅した。まだ比較的小型だった恐竜は、三畳紀末期には竜脚類のような大型種も出現し、そののち急速に発展していく。絶滅の原因としては、直径3.3 - 7.8km程度の隕石の落下[14]あるいは、中央大西洋マグマ分布域(Central Atlantic Magmatic Province)における火山活動との関連が指摘されている[15] [16] [17]。こうした環境の変化を経る中で、獣弓類は生態系の脇役へと姿を変え、かつて覇権を誇ったクルロタルシ類は姿を消していった。そして敏捷で呼吸効率の良い恐竜が生態系の主役を担うようになる[18]。なお恐竜の先駆けとして登場したシレサウルス類もまた、子孫筋にニッチを明け渡していた。

地層

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三畳紀の地層を三畳系という。

三畳紀には大規模な海進はなかったとみられており、そのため、安定陸塊においては陸成層や台地玄武岩が卓越し、海成層の分布はほとんどみられない[2]。一方、テチス海域だった地域および大洋周囲の変動帯ないし準安定地域だった地域には、しばしば珊瑚礁由来の石灰岩や層状チャートをふくんだ三畳系海成層もみられる[2]

日本において

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日本の三畳系は、ふるくは分布範囲はきわめて狭小であるとみなされてきたが、一時期古生代に属すと考えられてきた外帯(太平洋側)のチャート層や石炭岩からコノドント化石が見つかり、これによって三畳紀の地史が大きく解明された。すなわち、従来古生代後期の地層とされてきた海洋性の石灰岩やチャート、また、海底火山岩のうちのかなりの部分が三畳紀に形成された地層であるとみなされるようになった[2]。一方、内帯(日本海側)および外帯一部には、三畳紀にすでに付加された古生代の地層と三畳紀前後に形成された花崗岩および広域変成岩が分布して、これらを基盤として三畳紀後期における陸棚性・瀕海性の厚い堆積物が比較的小範囲に点在する。その多くは炭層をふくみ、産出化石はシベリア方面の種との共通性を示している[2]

皿貝動物群

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北上山地南部の太平洋沿岸にある宮城県南三陸町皿海集落には三畳系後期ノリアン階の貝化石産地があり、集落名を採って「皿貝動物群」あるいは「皿貝化石群」と称される。ここでは、モノティスと称される翼形二枚貝の検出が特徴的である[3]

脚注

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注釈

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  1. ^ 速水格は約2億4200万年前から約2億800万年前までの約3400万年間を想定しているが、重慶自然博物館(中華人民共和国)製作の図録『掘りたて恐竜展 展覧会図録』では2億4800万年前から2億600万年前までと説明している。なお、約2億5100万年前に始まり、約1億9960万年前までとしているのは仲田崇志である。
  2. ^ オーストリア共和国チロル州のセント・カシンは、キダリスと称されるウニ化石の産地として著名である。
  3. ^ 「ユリ型をしたウミユリ」という意味。

出典

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  1. ^ International Chronostratigraphic Chart(国際年代層序表)”. 日本地質学会. 2020年4月17日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 速水(2004)
  3. ^ a b c d e f g h 浜田・益富(1966)pp.77-83
  4. ^ a b c d e f g h クルテン(1983)pp.95-99
  5. ^ INTERNATIONAL CHRONOSTRATIGRAPHIC CHART(国際年代層序表)”. 日本地質学会. 2021年3月10日閲覧。
  6. ^ a b c d 斎藤(1979)pp.24-31
  7. ^ フォーティ(2003)pp.305-312
  8. ^ a b c d e f g h i j 「三畳紀の世界」『掘りたて恐竜展 展覧会図録』
  9. ^ 金子隆一(著)哺乳類型爬虫類 三畳紀の項
  10. ^ Tetrapod association and palaeoenvironment of the Los Colorados Formation (Argentina): a significant sample from Western Gondwana at the end of the Triassic (Andrea B Arcucci:2004)
  11. ^ The evolution of locomotor stamina in tetrapods: circumventing a mechanical constraint(David R Carrier:1987)
  12. ^ ルッキェリ『生物の上陸』(1982)pp.99-102
  13. ^ ルッキェリ『生物の上陸』(1982)pp.102-110
  14. ^ [http://www.kumamoto-u.ac.jp/daigakujouhou/kouhou/pressrelease/2013_file/20130916-18.pdf 岐阜と大分から巨大隕石落下の証拠:最大で直径約8kmと推定 (PDF) 海洋研究開発機構
  15. ^ Hesselbo, S.P.; Robinson, S.A.; Surlyk, F.; Piasecki, S. (2002), “Terrestrial and marine extinction at the Triassic-Jurassic boundary. synchoronized with major carbon cycle perturbation: A link to initiation of massive volcanism”, Geology 30: 251-254 .
  16. ^ McElwain, J.C.; Beerling, D.J.; Woodward, F.I. (1999), “Fossilplants and global warming at the Triassic-Jurassic boundary.”, Science 285: 1386-1390 .
  17. ^ McElwain, J.C.; Hesselbo, S.P.; Haworth, M.; Surlyk, F. (2007), “Macroecological responses of terrestrial vegetation to climatic and atmospheric change across the Triassic/Jurassic boundary in East Greenland.”, Paleobiology 33: 547-573 .
  18. ^ Models for the rise of the dinosaurs (Michael J Benton:2014)

参考文献

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  • 浜田隆士益富壽之助『原色化石図鑑』保育社、1966年9月初版。ISBN 4-586-30048-5
  • 斎藤常正『世界の恐竜』講談社、1979年6月。
  • グイド・ルッキェリ原著『図説自然と人間の歴史6 生物の上陸』小学館、1982年3月。
  • B.クルテン『恐竜の時代』平凡社、1983年6月。
  • ジェームズ・ローレンス・パウエル 著、寺嶋英志・瀬戸口烈司 訳『白亜紀に夜がくる-恐竜の絶滅と現代地質学』青土社、2001年。ISBN 4791759079 
  • 周世武・平山廉監修「三畳紀の世界:恐竜の登場した時代(2億4800万年前-2億600万年前)」『重慶自然博物館所蔵 掘りたて恐竜展 2001-2002[展覧会図録]』RKB毎日放送、2001年。
  • リチャード・フォーティ『生命40億年全史』草思社、2003年3月。ISBN 4-7942-1189-9
  • 速水格「三畳紀」小学館編『日本大百科全書』(スーパーニッポニカProfessional Win版)小学館、2004年2月。ISBN 4099067459

関連項目

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外部リンク

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