「ヘリオガバルス」の版間の差分
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{{Otheruseslist|ローマ皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌ|[[シリア]]のエメサ(現在の[[ホムス]])で崇拝された太陽神エル・ガバル(El-Gabal;山の神の意)|ヘーリオス}} |
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'''ヘリオガバルス'''は |
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# [[シリア]]のエメサ(現在の[[ホムス]])で崇拝された太陽神[[エル・ガバル]](El-Gabal;山の神の意)。ヘリオガバルス(Heliogabalus)はラテン語。これはギリシアの太陽神[[ヘーリオス]](Helios)が中東で土着化した神である。デウス・ソール・インヴィクトゥス(Deus Sol Invictus;不敗の太陽神の意)と習合した。 |
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# 上記の神に由来するローマ皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスの呼び名。本項ではこの人物について解説する。 |
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{{基礎情報 君主 |
{{基礎情報 君主 |
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| 人名 = ヘリオガバルス |
| 人名 = ヘリオガバルス |
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| 君主号 = ローマ皇帝 |
| 君主号 = ローマ皇帝 |
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| 画像 = Elagabalo (203 o 204-222 d.C) - Musei capitolini - Foto Giovanni Dall'Orto - 15-08-2000 .jpg |
| 画像 = Elagabalo (203 o 204-222 d.C) - Musei capitolini - Foto Giovanni Dall'Orto - 15-08-2000 .jpg |
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| 画像サイズ = |
| 画像サイズ = 250px |
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| 画像説明 = |
| 画像説明 = カピトリーノ美術館所蔵「ヘリオガバルス胸像」 |
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| 在位 = [[218年]] - [[222年]] |
| 在位 = [[218年]] - [[222年]] |
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| 戴冠日 = |
| 戴冠日 = |
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| 別号 = ウァリウス・アウィトゥス・バッスス<BR>''Varius Avitus Bassianus'' |
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| 別号 = |
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| 全名 = マルクス・アウレリウス・アントニヌス |
| 全名 = カエサル・マルクス・アウレリウス・アントニヌス・アウグストゥス<BR>''Caesar Marcus Aurelius Antoninus Augustus'' |
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| 継承者 = [[アレクサンデル・セウェルス]] |
| 継承者 = [[アレクサンデル・セウェルス]] |
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| 継承形式 = |
| 継承形式 = 継承 |
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| 配偶者1 =[[:en:Julia Cornelia Paula|ユリア・コルネリア・パウラ]] |
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| 配偶者1 = |
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| 配偶者2 =[[:en:Aquilia Severa|アクウィリア・セウェラ]] |
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| 配偶者3 =[[:en:Annia Aurelia Faustina|アンニア・アウレリア・ファウスティナ]] |
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| 配偶者4 =[[:en:Hierocles (charioteer)|ヒエロクレス]](男性) |
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| 子女 =[[アレクサンデル・セウェルス]]([[従兄弟]]・養子) |
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| 王家 = |
| 王家 = |
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| 王朝 =[[セウェルス朝]] |
| 王朝 =[[セウェルス朝]] |
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| 賛歌 = |
| 賛歌 = |
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| 父親 = セクストゥス・ウァリウス・マルケルス |
| 父親 = [[:en:Sextus Varius Marcellus|セクストゥス・ウァリウス・マルケルス]] |
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| 母親 = ユリア・ソエミアス・バッシアナ |
| 母親 = [[:en:Julia Soaemias|ユリア・ソエミアス・バッシアナ]] |
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| 出生日 = [[203年]][[3月20日]] |
| 出生日 = [[203年]][[3月20日]] |
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| 生地 = [[エメサ]] |
| 生地 = [[エメサ]] |
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| 死亡日 = [[222年]][[3月11日]] |
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| 没地 = ローマ |
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| 埋葬地 = |
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'''マルクス・アウレリウス・アントニヌス・アウグストゥス''' ({{lang-la|Marcus Aurelius Antoninus Augustus}}<ref>In [[Classical Latin]], Elagabalus' name would be inscribed as <small>MARCVS AVRELIVS ANTONINVS AVGVSTVS</small>.</ref> [[203年]][[3月20日]] - [[222年]][[3月11日]])は第23代ローマ皇帝で、[[セウェルス朝]]の第3代当主。'''ヘリオガバルス'''('''Heliogabalus''')という渾名で呼ばれる事が多、これは[[オリエント]]における[[ヘーリオス]]信仰の派生系である太陽神[[エル・ガバル]]を信仰したことに由来する。 |
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'''ヘリオガバルス'''(ラテン語:'''Heliogabalus'''、[[203年]][[3月20日]] - [[222年]][[3月11日]])は、[[ローマ帝国]][[セウェルス朝]]の[[ローマ皇帝|皇帝]](在位:[[218年]] - 222年)であり、'''エラガバルス'''(Elagabalus)とも呼ばれる。本名は'''マルクス・アウレリウス・アントニヌス'''(Marcus Aurelius Antoninus)。ローマ史上で最も伝統から逸脱した皇帝として知られる。皇帝となる前は、[[シリア属州]]にあった故郷の町[[エメサ]](現在の[[ホムス]])で太陽神[[エル・ガバル]]の神官をつとめており、皇帝即位後はエル・ガバルをローマ帝国の最高神とし、エメサから「聖なる石」をローマに持ち込んだ。 |
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[[セウェルス朝]]の初代皇帝[[セプティミウス・セウェルス]]の外戚であるバッシアヌス家の出身で、元の本名は'''ウァリウス・アウィトゥス・バッスス'''といった。セウェルスの長男であったカラカラ帝が暴政の末に暗殺されるとバッシアヌス家は追放されるが、彼の母[[:en:Julia Soaemias|ユリア・ソエミアス]]は密かに復権の謀議を画策した。血統上、カラカラ帝の従兄弟にあたるソエミアスは自身が夫と儲けた子息アウィトゥス(ヘリオガバルス)が先帝の落胤であると主張して反乱を起こした。戦いは帝位を得ていたマクリヌス帝の敗北に終わり、セウェルス朝の復権を名目に僅か14歳のヘリオガバルスが皇帝に即位した。 |
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== 生涯 == |
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=== 名前 === |
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父は[[セクストゥス・ウァリウス・マルケルス]]、母は[[ユリア・ソエミアス・バッシアナ]]。母ユリアは皇后[[ユリア・ドムナ]]([[セプティミウス・セウェルス]]の妻)の姪にあたる。母ユリアはヘリオガバルスが、従兄に当たる[[カラカラ]]帝の実子であると主張した。 |
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しかし彼の統治はしばしば今までも登場した暴君達の悪名すらも越える、ローマ史上最悪の君主として記憶される事となった。ヘリオガバルスは極めて退廃的に性生活へと没頭し、しかもその性癖は倒錯的で常軌を逸したものであった。また宗教面でも従来の慣習や制度を全て無視してエルガバルを主神とするなど極端な政策を行った。 |
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彼の本名は'''ウァリウス・アウィトゥス・バッスス'''(Varius Avitus Bassus)と呼ばれ、のちに'''ウァリウス・アウィトゥス・バッシアヌス・マルクス・アウレリウス・アントニヌス'''(Varius Avitus Bassianus Marcus Aurelius Antoninus)という名になる。 |
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ヘリオガバルスの退廃した性生活についての話題は、彼の政敵によって誇張された部分があると見られているが<ref name=emperorsatbay>{{cite book |title=The Roman Empire at Bay: Ad 180?395 |first=David Stone |last=Potter |year=2004 |publisher=Routledge |isbn=0-415-10057-7}}</ref>、後世の歴史家も余り中立的にヘリオガバルスへ触れる事は無く、[[エドワード・ギボン]]に至っては「醜い欲望と感情に身を委ねた」として'''最悪の暴君'''と評価している<ref name="Gibbon">Gibbon, Edward. ''Decline and Fall of the Roman Empire'', Vol. 1, Chapter 6.</ref>。「ヘリオガバルスという名の印象は、彼自身の退廃によって決定付けられた」と[[バルトホルト・ゲオルク・ニーブール]]は評している<ref>Niebuhr, B.G. ''History of Rome'', p. 144 (1844). Elagabalus' vices were, "Too disgusting even to allude to them."</ref> |
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ヘリオガバルスという呼び名は太陽神ヘリオガバルスに由来。彼の治世はほんの数年ではあったが、ローマの神々をないがしろにしたり、また性的な指向<!-- もしくは嗜好。趣向は、一般的辞書によれば「工夫を凝らすこと」 -->で逸脱した面があった。その支配はしばしば退廃の代名詞とされ、彼にちなむ小説や絵画が[[19世紀]]以降多く製作されている。 |
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== |
==生涯== |
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{{See|セウェルス朝}} |
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ヘリオガバルスはまた、神々のような子供を授かりたいという理由から、処女として貞節を守る[[ウェスタの巫女]]と結婚した。一説には強制的にさせたといわれている。ウェスタに仕える巫女が男性と関係を持った場合、生きたまま穴に埋められるというのが古来の習わしだったので、この事はローマの人々を驚愕させた。 |
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ヘリオガバルスは元老議員[[:en:Sextus Varius Marcellus|セクストゥス・ウァリウス・マルケルス]]と、[[:en:Julia Soaemias|ユリア・ソエミアス]]の子として[[203年]]に生まれた<ref name="herodian-history-v-3">Herodian, ''Roman History'' [http://www.livius.org/he-hg/herodian/hre503.html V.3]</ref>。父マルケルスは騎士階級出身で、後に元老院入りを果たした人物であった。母方の祖母[[ユリア・マエサ]]はセウェルス朝の開祖[[セプティミウス・セウェルス]]の皇妃[[ユリア・ドムナ]]の妹であった<ref name="dio-history-lxxix-30">Cassius Dio, ''Roman History'' [http://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Roman/Texts/Cassius_Dio/79*.html#78-30 LXXIX.30]</ref>。従って母ソエミアスはセウェルスの嫡男である[[カラカラ]]帝とは[[従兄弟]]の関係にあり、皇帝家の一員であった<ref name="herodian-history-v-3"/>。幼少期のヘリオガバルスは一族の生業である神官として養育されたと見られている。 |
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[[217年]]、カラカラ帝が弟([[ゲタ]]帝)を殺害するなどの暴政によって元老院の信望を失うと、皇帝は暗殺され近衛隊長[[マクリヌス|マルクス・オペリウス・マクリヌス]]が新たな皇帝となった。 |
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また[[220年]]、彼は自らを太陽神ヘリオガバルスの最高司祭と称して、この中東の神を帝国の最高神とすることを図り、故郷の[[エメサ]]から聖なる石である黒い円錐形の隕石(Baetylus)を持ってこさせ、それをローマの神々が宿る[[パラティーノ|パラティヌス]]の丘の東側に置き、神殿(Elagabalium)を築かせた。現在でもその基礎は残っている。 |
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[[Image:Elagabalus Denarius Fides.jpg|thumb|left|300px|ヘリオガバルス帝を描いた[[デナリウス]]。彼の発行した通貨の多くには軍の忠誠を謳った文言が刻まれており、カラカラ帝の威光による軍の支持を重要視していた様子が伺える。]] |
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=== 男色 === |
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即位したマクリヌス帝はセウェルス一族を宮殿から一掃する事で、セウェルス朝復活の目論見を防ごうとした<ref name="herodian-history-v-3"/>。だが中東の属州シリアへと幽閉されたセウェルス一族の内、カラカラ帝の叔母[[ユリア・マエサ]]は孫であるヘリオガバルスを帝位に付ける謀議を巡らしていた<ref name="herodian-history-v-3"/>。ヘリオガバルスは既に先帝カラカラとは[[女系]]を通じて親族であったが、帝位継承を更に正当化するべくマエサの意向を受けたソエミアスは自らが従兄弟の妾であり、ヘリオガバルスが先帝の落胤であると主張した<ref name="herodian-history-v-3"/>。続いてマエサはセウェルス家の富を駆使し、第3軍団「[[第3軍団ガッリカ|ガッリカ]]」の兵士や将軍を買収して戦力を調達した。5月16日、軍団指揮官[[:en:Valerius Comazon Eutychianus|ヴァレリウス・エウティキアヌス]]はヘリオガバルスへの忠誠を正式に宣言した<ref>Cassius Dio, ''Roman History'' [http://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Roman/Texts/Cassius_Dio/79*.html#78-31 LXXIX.31]</ref>。挙兵に際して、ヘリオガバルスは「ヴァリウス・アウィトゥス・バッシヌス」という名前を、カラカラの本名に準えて「マルクス・アウレリウス・アントニヌス」に改名した<ref>Cassius Dio, ''Roman History'' [http://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Roman/Texts/Cassius_Dio/79*.html#78-32 LXXIX.32]</ref>。 |
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ヘリオガバルスの性的な指向、性自認に関しては様々な議論がなされてきた。まずヘリオガバルスは男女合わせて5人以上と結婚あるいは性的関係を繰り返している。 |
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ヘリオガバルスの反乱を知ったマクリヌス帝は直ちに遠征軍を派遣したが、遠征軍内で軍団兵による内乱が発生してしまった。指揮官は暗殺され、兵士達は指揮官の首をローマに送り返すと、ヘリオガバルスの軍勢に合流した<ref name="herodian-history-v-4">Herodian, ''Roman History'' [http://www.livius.org/he-hg/herodian/hre504.html V.4]</ref>。軍の反乱を前にマクリヌス帝はヘリオガバルスを「偽のアントニヌス」と痛罵し、反乱を発狂した神官による暴挙とする手紙を元老院に書き送った<ref>Cassius Dio, ''Roman History'' [http://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Roman/Texts/Cassius_Dio/79*.html#78-36 LXXIX.36]</ref>。元老院はマクリヌスの言い分を認めて、軍とは異なりヘリオガバルスを僭称帝とする決議を可決した<ref>Cassius Dio, ''Roman History'' [http://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Roman/Texts/Cassius_Dio/79*.html#78-38 LXXIX.38]</ref>。 |
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女性との関係は、最初に[[プラエフェクトゥス・プラエトリオ]]の父を持つユリア・コルネリア・パウラ、離婚後には前述のウェスタ神の巫女ユリア・アクィラ・セウェラと結婚。1年後、彼女を捨てて賢帝[[マルクス・アウレリウス・アントニヌス|マルクス・アウレリウス]]の子孫アントニア・ファウスティナと結婚、彼女はすでに既婚であったが、夫を処刑して結婚した。そしてその年の暮れに再び離婚すると、またウェスタの巫女セウェラとよりを戻している。 |
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元老院の支持を得たマクリヌス帝は自ら軍を率いて親征を開始したが、マエサに買収された第2軍団「[[:en:Legio II Parthica|パルティカ]]」の裏切りによって[[:en:Battle of Antioch (218)|アンティオキアの戦い]]において敗北した<ref name="herodian-history-v-4"/>。マクリヌスは命からがら戦場から脱してイタリア本土へ戻ろうとしたが、カッパドキアで捕らえられ処刑された<ref name="herodian-history-v-4"/>。同じく捕らえられたマクリヌス帝の子息[[ディドゥメニアヌス]]も処刑された<ref name="herodian-history-v-4"/>。 |
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また[[カッシウス・ディオ]]は「ヘリオガバルスは奴隷である自分の馬車の御者とも肉体関係にあり、彼の一番の好みはこの[[アナトリア半島|小アジア]]からの金髪の奴隷[[ヒエロクレス (奴隷)|ヒエロクレス]]であった」と伝えている。ヘリオガバルスは顔に化粧を厚く塗り、また自分をヒエロクレスの妻、愛人、后と呼ばれるのを好んだと言われる。このような記述から現代の歴史家は、彼を[[性同一性障害]]ないし[[トランスジェンダー]]だったと判断している{{要出典|date=2008年3月}}。 |
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アンティオキアでの勝利を持ってヘリオガバルスは元老院の許可なしに皇帝即位を宣言した<ref name="dio-history-lxxx-2">Cassius Dio, ''Roman History'' [http://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Roman/Texts/Cassius_Dio/80*.html#79-2 LXXX.2]</ref>。ローマの法に完全に違反した行為であったが、3世紀の皇帝達にはしばしば見られた行為ではあった。また同時にマクリヌス帝の治世を批判する手紙を元老院に送付して行為の正当化を図っている<ref>Cassius Dio, ''Roman History'' [http://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Roman/Texts/Cassius_Dio/80*.html#79-1 LXXX.1]</ref>。結局の所、元老院は既成事実を追認する形でヘリオガバルスの帝位、そしてカラカラ帝の実子である事を承認した<ref name="herodian-history-v-5">Herodian, ''Roman History'' [http://www.livius.org/he-hg/herodian/hre505.html V.5]</ref>。同時に暴君とその母として忌避されていたカラカラとユリア・ドムナを神として祭るという要求も承諾し<ref name="benario-soamias-mamaea">{{cite journal | last = Benario | first = Herbert W. | title = The Titulature of Julia Soaemias and Julia Mamaea: Two Notes | journal = Transactions and Proceedings of the American Philological Association | volume = 90 | pages = 9?14 | url = http://links.jstor.org/sici?sici=0065-9711%281959%2990%3C9%3ATTOJSA%3E2.0.CO%3B2-N | accessdate = 2007-08-04 | year = 1959 | doi = 10.2307/283691 | publisher = Transactions and Proceedings of the American Philological Association, Vol. 90 }}</ref>、逆にマクリヌス帝が「[[ダムナティオ・メモリアエ|名誉の抹殺]]」に処されることになった<ref name="dio-history-lxxx-2"/>。また新しい近衛隊長には反乱の立役者[[:en:Valerius Comazon Eutychianus|ヴァレリウス・エウティキアヌス]]が任命された<ref name="dio-history-lxxx-4">Cassius Dio, ''Roman History'' [http://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Roman/Texts/Cassius_Dio/80*.html#79-4 LXXX.4]</ref>。 |
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=== 殺害 === |
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ヘリオガバルスの逸脱した性格は、自ら祀る太陽神の祭儀を他人に強要するにまで至り、ここに祖母[[ユリア・マエサ]]はヘリオガバルスの廃位を画策、そしてまだ少年の[[アレクサンデル・セウェルス]]を擁立する。ヘリオガバルスはこれに対してアレクサンデルの処刑を[[プラエトリアニ]]に命令するが、[[222年]]、ユリアより賄賂を受け取ったプラエトリアニによって逆に殺害された。彼の遺体は[[ティベリス川]]に投げ込まれたと言う。 |
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===初期の治世=== |
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== 関連項目 == |
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[[Image:Elagabalus Denarius Fortuna Head.png|thumb|right|220px|ヘリオガバルス帝が描かれた[[デナリウス]]銀貨]] |
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* [[秘身譚]] |
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218年の冬、ヘリオガバルス帝と重臣達は[[ニコメディア]]で過ごしていたが<ref name="herodian-history-v-5"/>、歴史家カッシウス・ディオによればこの少年皇帝が問題を抱えた人物なのは既に明らかになっていたとされる。皇帝として「自制心をもって慎重に生きる」ようにと諭した家庭教師を、ヘリオガバルスは不愉快に思って殺害したと伝えられる<ref name="dio-history-lxxx-6">Cassius Dio, ''Roman History'' [http://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Roman/Texts/Cassius_Dio/80*.html#79-6 LXXX.6]</ref>。同時期に[[ユリア・マエサ]]は神官にして皇帝という人物を元老院が受け入れるように、神官のローブを身に纏ったヘリオガバルス帝の肖像を[[:en:Victoria (mythology)|ウィクトリーア]]女神像の前に掲げさせた<ref name="herodian-history-v-5"/>。元老議員は議事堂の[[:en:Victoria (mythology)|ウィクトリーア]]女神像に捧げ物をする習慣があったので、嫌でも神官姿のヘリオガバルス帝に捧げ物をする形になった。 |
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== 外部リンク == |
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こうした振る舞いに後盾であった反マクリヌス派の軍勢は早くもヘリオガバルス帝を推挙した事を後悔し始め<ref>''Augustan History'', Life of Elagabalus [http://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Roman/Texts/Historia_Augusta/Elagabalus/1*.html#5 5]</ref>、[[:en:Gellius Maximus|ゲッリウス・マキムス]]将軍に率いられた第4軍団「[[:en:Legio IV Scythica|スキュティカ]]」、及び元老議員ウェルスに扇動された第3軍団「[[第3軍団ガッリカ|ガッリカ]]」(彼らは反乱に加担していた)の兵士はニコメディアからローマに向かうヘリオガバルス帝を襲撃した<ref name="dio-history-lxxx-7">Cassius Dio, ''Roman History'' [http://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Roman/Texts/Cassius_Dio/80*.html#79-7 LXXX.7]</ref>。だが反乱軍は足並みが揃わずに自壊し、「[[第3軍団ガッリカ|ガッリカ]]」は消滅した<ref>{{cite web | last = van Zoonen | first = Lauren | title = Heliogabalus | url = http://www.livius.org/he-hg/heliogabalus/heliogabalus2.html#Life1 | year = 2005 | publisher = [http://www.livius.org/ livius.org] | accessdate = 2007-08-18 }}</ref>。 |
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219年、[[:en:Valerius Comazon Eutychianus|エウティキアヌス]]やマエサと共にローマへ入城したヘリオガバルス帝は、取り巻き達を要職に就けて体制を固めた<ref name="herodian-history-v-7">Herodian, ''Roman History'' [http://www.livius.org/he-hg/herodian/hre507.html V.7]</ref>。例えばエウティキアヌスは近衛隊長に続いて3度の執政官叙任を受け、更に属州総督として2度派遣されている<ref name="dio-history-lxxx-4"/>。私生活の退廃も人事にも影響を与え、男性の愛人であった奴隷[[:en:Hierocles (charioteer)|ヒエロクレス]]を共同皇帝にしようとしたり<ref name="dio-history-lxxx-15">Cassius Dio, ''Roman History'' [http://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Roman/Texts/Cassius_Dio/80*.html#79-15 LXXX.15]</ref>、別の愛人である戦車競技の選手ゾティクスを皇帝の執事長に任命している<ref name="dio-history-lxxx-16">Cassius Dio, ''Roman History'' [http://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Roman/Texts/Cassius_Dio/80*.html#79-16 LXXX.16]</ref>。 |
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財政面では父と主張したカラカラがそうしたように銀の含有量を減らしてデナリウス銀貨の切り下げを行うが、一方でカラカラが創始したアントニヌス銀貨は廃止した<ref>Tulane University "Roman Currency of the Principate"[http://www.tulane.edu/~august/handouts/601cprin.htm]</ref>。 |
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初期の統治で部分的ながらまともな統治が行われていたのは、祖母[[ユリア・マエサ]]と母[[:en:Julia Soaemias|ユリア・ソエミアス]]による執政が行われていた為と考えられている<ref name="augusta-elagabalus-i-4">''Augustan History'', Life of Elagabalus [http://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Roman/Texts/Historia_Augusta/Elagabalus/1*.html#4 4]</ref>。この野心に満ちた二人の女性は元老院に名誉称号すら要求し、ソエミアスは「クラリッシマ」(''Clarissima'')、マエサは「元老院の女神」(''Mater Castrorum et Senatus'')をそれぞれ授与された<ref name="benario-soamias-mamaea"/>。実権を掌握して女帝に近い振る舞いを見せる祖母と母に対してヘリオガバルス帝は何ら意見できず、ただの傀儡でしかなかった。 |
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===宗教政策=== |
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[[Image:Elagabalus Aureus Sol Invictus.png|thumb|left|310px|アウレリウス金貨に描かれたヘリオガバルス帝。裏面にはヘロディアヌスが伝えるようにエルガバルの化身とされた黒曜石が戦車に乗せられてパレードを行っている様子が描かれている。]] |
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[[セプティミウス・セウェルス]]帝の時点でローマ国内には太陽神信仰が流行する傾向にあり<ref>{{cite book | last = Halsberghe | first = Gaston H. | title = The Cult of Sol Invictus | year = 1972 | location = Leiden | page = 36|publisher= Brill }}</ref>、先に述べたように太陽神信仰の一つである[[エルガバル]]を奉じる神官であったヘリオガバルス帝はこれを好機と捉え、エルガバルを古代ローマの多神教における最高神に位置づけるべく「デウス・ソル・インウィクトクス」と尊称させ、天空神[[ユピテル]]をも従える存在とした<ref name="dio-history-lxxx-11">Cassius Dio, ''Roman History'' [http://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Roman/Texts/Cassius_Dio/80*.html#79-11 LXXX.11]</ref>。同時に天空神ユピテルに従うとされていた[[カピトリヌスの三女神]]も[[エルガバル]]の妻とされ、権威を高めようとした<ref name="herodian-history-v-6">Herodian, ''Roman History'' [http://www.livius.org/he-hg/herodian/hre506.html V.6]</ref>。 |
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更にヘリオガバルス帝は「神々に身を捧げる」という意図から処女を貫かねばならない戒律([[ウェスタの処女]])を持つ巫女[[:en:Aquilia Severa|アクウィリア・セウェラ]]との結婚を認めさせ、「神の子」を生み出そうとした<ref name="dio-history-lxxx-9">Cassius Dio, ''Roman History'' [http://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Roman/Texts/Cassius_Dio/80*.html#79-9 LXXX.9]</ref>。本来であれば[[ウェスタの処女]]を辱めたものは神の罰を避ける為に生き埋めにされると決められており、ローマにおける宗教的慣例を踏み躙る事を意味した<ref>Plutarch, ''Parallel Lives'', Life of Numa Pompilius, [http://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Roman/Texts/Plutarch/Lives/Numa*.html#10 10]</ref>。 |
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独自の宗教政策の果てにヘリオガバルス帝は「[[:en:Elagabalium|ヘリオガバリウム]]」と呼ばれる巨大な[[エルガバル]]神の宮殿をパラティーノの丘に建設させ、故郷エメサから持ち込んだ[[黒曜石]]を神具として崇拝させた<ref name="herodian-history-v-5"/>。歴史家[[ヘロディアヌス]]によれば「黒曜石は神界からの賜り物の如く崇拝が行われた」とされ、表面の文様が太陽神エルガバルの姿を描いていると信じられていた<ref name="herodian-history-v-3"/>。新たなる崇拝における信仰心を示すため、ヘリオガバルス帝自身も[[割礼]]を行い<ref name="dio-history-lxxx-11"/>、踊り子として祭壇の前で舞う様子を元老院議員に見る事を強要した<ref name="herodian-history-v-5"/>。民衆は神殿で皇帝が神の賜りとして配る食事を目当てに神殿の祝祭に殺到したと伝えられる<ref name="herodian-history-v-6"/>。そしてこの祝祭の仕上げに金細工や宝石類で飾り付けた馬引きの戦車に、黒曜石を載せて街中を凱旋させたとヘロディアヌスは記録している。 |
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{{quotation|6頭もの巨大な白馬に引かれた二輪戦車は金銀細工で飾られる絢爛なものだったが、異様にも誰も乗っておらず無人で走らされていた。しかしその周囲には護衛の兵士が併走しており、ちょうど無人の豪華なる戦車に「神が乗っている」事を想定しているようであった。ヘリオガバルス帝はその後ろから神に従うように馬を走らせていた<ref name="herodian-history-v-6"/>。}} |
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ヘリオガバリウムには帝国中の神具や神器が集められ、キュベレー神殿・ウェスタ神殿・神官学校などの宝物品や[[パラディウム|トロイのパラディウム像]]や[[:en:Ancile|マルスの盾]]などが持ち込まれた。こうした行為はヘリオガバリウムこそが帝国唯一の[[聖地]]となるべきとするヘリオガバルス帝の命令によるものであった<ref>''Augustan History'', Life of Elagabalus [http://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Roman/Texts/Historia_Augusta/Elagabalus/1*.html#3.4 3]</ref>。 |
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===性的倒錯=== |
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[[Image:Aquilia Severa coin obverse.png|thumb|right|2度目の妻として迎えられ、後に再々度結婚することになる[[ウェスタの処女]]で巫女の[[:en:Aquilia Severa|アクウィリア・セウェラ]]。后妃としてデナリウスに描かれている。]] |
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急進的な宗教政策以上にヘリオガバルス帝を有名足らしめるのは倒錯的かつ退廃した性生活に関する伝承で、そもそも正式な結婚すら4回の離婚と5回の結婚を繰り返している<ref name="dio-history-lxxx-9"/>。最初に結婚した相手は[[:en:Julia Cornelia Paula|ユリア・コルネリア・パウラ]]という女性で、同じシリアに領地を持つ有力貴族の娘であることから皇帝即位時に周囲が決めた政略結婚であったと見られる<ref name="herodian-history-v-6"/>。だがヘリオガバルス帝は早々とパウラと離婚すると、前述したように戒律を破らせてまで[[ウェスタの処女]]たる巫女[[:en:Aquilia Severa|アクウィリア・セウェラ]]を手篭めにして再婚した<ref name="herodian-history-v-6"/>。周囲の批判から程なくアクウィリアとの婚姻を解消した後、三度目の妻として迎えたのは[[:en:Annia Aurelia Faustina|アンニア・アウレリア・ファウスティナ]]であった<ref name="herodian-history-v-6"/>。彼女はかの賢帝[[マルクス・アウレリウス]]の曾孫で、その子であり暴君として暗殺された[[コモドゥス]]帝の大姪であった。これはセウェルス朝の前王家にあたる[[ネルウァ=アントニヌス朝]]との連続性を主張する政治的意図があったと見られる。 |
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ところがその年の内にまたもや離婚し<ref name="dio-history-lxxx-9"/>、今度は事もあろうに奴隷でしかも男性であるヒエロクレスの「[[妻]]」として結婚を宣言した<ref name="dio-history-lxxx-15"/>。さらに「[[ローマ皇帝群像]]」によれば同じく男性の愛人である戦車選手ゾティクスとも結婚したと伝えられている<ref name=autogenerated1>''Augustan History'', Life of Elagabalus [http://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Roman/Texts/Historia_Augusta/Elagabalus/1*.html#10 10]</ref>。カッシウス・ディオはヘリオガバルス帝の性的倒錯を記録し、同性愛だけでなく女装癖があったとして実際にその現場を見たとまで記録している。カッシウスは「皇帝は何時しか男を漁る為に酒場に入り浸る習慣を持ち、化粧と金髪の鬘をつけて売春に耽溺した」と批判している<ref>Cassius Dio, ''Roman History'' [http://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Roman/Texts/Cassius_Dio/80*.html#79-14 LXXX.14]</ref>。 |
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元老院議員として宮殿に出入りしていたカッシウスは、皇帝が最終的に帝国の中枢である宮殿に客を呼び込んで売春宿にするという醜態まで晒したと記録している。 |
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{{quotation|…遂に皇帝は権威ある宮殿までも自らの退廃の現場とした。宮殿の一室に売春用の場所を用意して、そこを訪れる客に男妾として体を売ったのだ。ヘリオガバルスは売春婦がそうするように裸で部屋の前に立ち、カーテンを掴んで客を待った。そして男が通りかかると哀れを誘うような柔らい声で甘えるのだった<ref>Cassius Dio, ''Roman History'' [http://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Roman/Texts/Cassius_Dio/80*.html#79-13 LXXX.13]</ref>。}} |
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ヘロディアヌスもこの噂について言及しており、ヘリオガバルス帝は化粧でこうした行為の為に相応しい容貌を得ていたという<ref name="herodian-history-v-6"/>。売春の一方でヒエロクレスに妻として従い、性転換を行える医師を高額で募集していたとまで言われている<ref name="dio-history-lxxx-16"/>。この事からヘリオガバルス帝の性癖について同性愛や両性愛というより、[[トランスジェンダー]]の一種として見る論者も多い<ref>{{cite book | last = Benjamin | first = Harry | last2 = Green | first2 = Richard | title = The Transsexual Phenomenon, Appendix C: Transsexualism: Mythological, Historical, and Cross-Cultiral Aspects. | publisher = The Julian Press, inc | year = 1966 | location = New York | url = http://www.symposion.com/ijt/benjamin/appendix_c.htm | accessdate = 2007-08-03 }}</ref><ref name="glbtq-enc-elagabal">{{cite encyclopedia | last = Godbout | first = Louis | title = Elagabalus | encyclopedia = GLBTQ: An Encyclopedia of Gay, Lesbian, Bisexual, Transgender, and Queer Culture | publisher = glbtq, Inc | location = Chicago | year = 2004 | url = http://www.glbtq.com/social-sciences/elagabalus.html | accessdate = 2007-08-06 }}</ref>。 |
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===暗殺=== |
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221年、度重なるヘリオガバルス帝の奇行に周囲は耐えかねており<ref name="dio-history-lxxx-15"/>、近衛隊も皇帝の異常な狼藉に激しい嫌悪を感じていた<ref name="herodian-history-v-7"/>。加えて宮殿外でも民衆や元老院が皇帝への不満と怒りを高め、王族内でも影の実力者である祖母[[ユリア・マエサ]]が孫を見切りつつあったが、共に実権を握っていたヘリオガバルスの母[[:en:Julia Soaemias|ユリア・ソエミアス]]は宗教政策を協力に後押しするなど息子への協力を続けていた<ref name="herodian-history-v-7"/>。そこでマエサは長女ソエミアスの妹である次女ユリア・アウィタの息子で、もう一人の孫にあたるアレクサンデル・セウェルスを後継者する計画を立て、ヘリオガバルス帝に従兄弟を養子にするように認めさせた<ref name="herodian-history-v-7"/>。しかし途中でヘリオガバルス帝は近衛兵隊がアレクサンデルに接近し始めた事から危機感を覚え、養子縁組を取り消した<ref name="herodian-history-v-8"/>。 |
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ヘリオガバルスは失脚したアレクサンデルを幽閉して、近衛兵達には既に死亡したと伝えて動揺させようとした<ref name="herodian-history-v-8"/>。だがこれが彼の命取りとなった。近衛隊は動揺するどころが逆に激怒して反乱を起こし、アレクサンデルの生死の確認とその責任を取るように要求した<ref name="herodian-history-v-8"/>。恐れをなしたヘリオガバルスは慌ててアレクサンデルの生存を発表して、従兄弟を解放した。3月11日に近衛隊の城砦に逃れたアレクサンデルは歓声をもって迎えられ、誰もがヘリオガバルスへの忠誠を続ける事を拒絶した。軍は即座に彼を指導者にして反ヘリオガバルスの軍勢を挙げ、宮殿へと進軍した<ref name="herodian-history-v-8"/>。 |
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全ての後ろ盾を失ったヘリオガバルスは母ソエミアスと共に反乱軍に捕らえられ、カッシウス・ディオによれば揃って処刑されたと伝えられる。 |
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{{quotation|…怯えたヘリオガバルスは衣類箱の中に隠れて宮殿から逃げようとしたが、あえなく反乱軍に見つけられて広場に引き出された。先に捕らえられていたソエミアスは泣き喚きながら息子に縋りついたが、兵士達は親子をその場で殺害した。ヘリオガバルスとソエミアスの首は切り落とされ、首の無い親子の遺体は裸体で馬に乗せられて市中を引き回された。憎まれた18歳の皇帝の遺体は晒し者にされた後、首と共に川へ投げ出された<ref name="dio-history-lxxx-20">Cassius Dio, ''Roman History'' [http://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Roman/Texts/Cassius_Dio/80*.html#79-20 LXXX.20]</ref>。}} |
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皇帝の死によってエウティキアヌスやヒエロクレスのような取り巻き達は一掃され<ref name="dio-history-lxxx-20"/>、エルガバル神も地方の土着信仰へと戻された<ref name="herodian-history-vi-1">Herodian, ''Roman History'' [http://www.livius.org/he-hg/herodian/hre601.html VI.6]</ref>。女性の元老院への関与も明確に禁止され<ref name="augusta-elagabalus-i-4"/><ref>{{cite book | last = Hay | first = J. Stuart | title = The Amazing Emperor Heliogabalus | location = London | publisher = MacMillan | year = 1911 | url = http://members.aol.com/heliogabby/amazing/aeh1.htm | archiveurl = http://web.archive.org/web/20080202104958/http://members.aol.com/heliogabby/amazing/aeh1.htm | archivedate = 2008-02-02 | page = 124 | accessdate = 2008-05-03}}</ref>、かつてマクリヌスに課した「名誉の抹殺」を自らも受ける事になった<ref>''Augustan History'', Life of Severus Alexander [http://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Roman/Texts/Historia_Augusta/Severus_Alexander/1*.html#1 1]</ref>。 |
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==評価== |
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[[Image:The Roses of Heliogabalus.jpg|left|thumb|320px|「'''ヘリオガバルスの薔薇'''」[[ローレンス・アルマ=タデマ]](1888年)]] |
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===ローマ皇帝群像=== |
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彼の評伝については、当時の歴史書における常として後に即位した皇帝やその支持者によって誇張された部分があると考えられている。そうした誇張の中で特に有名なのが『ローマ皇帝群像』が主張する「客人に薔薇の山を落として窒息死させるのを楽しんだ」とする噂であり、このエピソードは有名な[[ローレンス・アルマ=タデマ]]の絵画「'''ヘリオガバルスの薔薇'''」のモチーフとされている<ref>''Augustan History'', Life of Elagabalus [http://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Roman/Texts/Historia_Augusta/Elagabalus/2*.html#21 21]</ref>。 |
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現在では『ローマ皇帝群像』における他の評伝と同じく、ヘリオガバルス伝の殆どは信用に値しないと見なされている<ref>{{cite book | last = Syme | first = Ronald | authorlink = Ronald Syme | title = Emperors and biography: studies in the 'Historia Augusta' | year = 1971 | location = Oxford | publisher = Clarendon Press | page = 218 | isbn = 0-19-814357-5 }}</ref>。そもそも『ローマ皇帝群像』は遥か後年の4世紀頃に編纂された歴史書であり<ref>{{cite book | last = Cizek | first = Eugen | title = Histoire et historiens a Rome dans l’Antiquite | year = 1995 | location = Lyon | publisher = Presses universitaires de Lyon | page = 297 }}</ref>、加えて捏造や創作が非常に多い事で知られている。ヘリオガバルス伝においても当然ながらそうした嘘が含まれていると見るのが自然である<ref>{{cite book | last = Syme | first = Ronald | authorlink = Ronald Syme | title = Emperors and biography: studies in the 'Historia Augusta' | year = 1971 | location = Oxford | publisher = Clarendon Press | page = 263 | isbn = 0-19-814357-5 }}</ref>。ただし第13節から17節までは例外的に資料的な信憑性が存在すると見られ、現在でも意義を認められている<ref>{{cite journal | last = Butler | first = Orma Fitch | title = Studies in the life of Heliogabalus | journal = University of Michigan studies: Humanistic series IV | year = 1910 | location = New York | publisher = MacMillan | page = 140 }}</ref>。 |
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===カッシウス・ディオ=== |
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同時代の歴史家で、自らも高名な元老院議員として皇帝の動向を知る立場にあった[[カッシウス・ディオ]]も、『ローマ皇帝群像』ほどではないにせよ退廃や性的倒錯について多くを記録し、厳しい批判を展開している。カッシウスが書き残した『ローマ史』は『ローマ皇帝群像』に比べて遥かに高い信憑性を持ち、帝政中期のローマを知る上での第一の文献として高く評価されている。そうした点を踏まえれば、『ローマ皇帝群像』などの後世における書籍で面白半分に誇張された要素はありつつも、実際にヘリオガバルスが幾分の問題を抱えた人物であった事は動かしがたい。 |
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ただしカッシウスも何ら歴史家として不誠実ではなかったとするのは中立的でない。「ローマ史」の評伝が書かれた時代の多くを彼は現役の元老議員として過ごしたが、それ故に属州総督などの任務で外地に赴いている時間も多かった。彼自身、ローマに滞在していた友人の政治家達からの報告を二次資料として採用している事を認めている。またカッシウスはヘリオガバルス帝の後に即位したアレクサンデル・セウェルス帝を支持しており、その点も加味される必要はある<ref>{{cite book | last = Syme | first = Ronald | authorlink = Ronald Syme | title = Emperors and biography: studies in the 'Historia Augusta' | year = 1971 | location = Oxford | publisher = Clarendon Press | pages = 145?146 | isbn = 0-19-814357-5 }}</ref>。 |
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===ヘロディアヌス=== |
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[[File:Medal of Elagabalus.jpg|thumb|「ヘリオガバルスのメダル」([[ルーヴル美術館]])]] |
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ヘロディアヌスはカッシウス・ディオと同じ時代の目撃者として記録を残した歴史家で、コモドゥス帝の即位からゴルディアヌス3世の暗殺までを記録した『ローマ人の歴史』を残した。カッシウス・ディオの記録とは必然的に重複してるが、それぞれ別の調査によって記録を残している点で意味を持つ<ref name="livius-herodian">{{cite web | last = Lendering | first = Jona | authorlink = Jona Lendering | title = Herodian | year = 2004 | url = http://www.livius.org/he-hg/herodian/herodian.html | publisher = Livius.org | accessdate = 2008-05-03}}</ref>。ヘロディアヌスは宮殿に出入りできる立場でなかったという点でカッシウスに劣るが、その分より中立的に皇帝達の動向を残す事に務めている。彼の関心の多くは性的退廃より宗教政策についてであり、その詳細な内容はエルガバル信仰を調べる上で重要な記録となっており、実際に後の研究<ref>{{cite book | last = Cohen | first = Henry | authorlink = Henry Cohen (numismatist) | title = Description Historiques des Monnaies Frappees sous l’Empire Romain (8 volumes) | year = 1880?1892 | location = Paris | page = 40 }}</ref><ref>{{cite book | last = Babelon | first = Ernest Charles Francois | title = Monnaies Consulaires II | year = 1885?1886 | location = Bologna | publisher = Forni | pages = 63?69 }}</ref>と考古学的調査で裏付けられている<ref>''[[Corpus Inscriptionum Latinarum]]'', CIL II: 1409, 1410, 1413 and CIL III: 564?589.</ref>。 |
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===エドワード・ギボン=== |
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近代の歴史家で『ローマ帝国衰亡史』で激しくヘリオガバルスを批判した。 |
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{{quotation|ヘリオガバルスの異常な性欲はウェスタの処女を辱め、多くの妻を取り替えただけでは満足しなかった。女装する事に愉悦を覚え、恋人達を有力者にすることで帝国の尊厳を汚し続けた。(中略)…ヘリオガバルスの伝承はある程度脚色された部分を持つだろう。しかしそれを前提にしてもヘリオガバルスは全ての点においてローマ史上最悪の皇帝であった<ref name="Gibbon"/>。}} |
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{{quotation|ヘリオガバルス、女性の身形と行動を行う女々しさで皇帝の権威を傷つけた最初の男<ref>Gibbon, Edward, ''The History of the Decline and Fall of the Roman Empire'', Chapter XL.</ref>。}} |
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==創作作品== |
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[[Image:Elagabalus Forchtenstein.jpg|thumb|widthpx|Elagabalus on a wall painting at castle Forchtenstein]] |
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ヘリオガバルスの退廃僻は後世における[[デカダン派]]の運動で注目された<ref name="glbtq-enc-elagabal"/>。道徳に欠けた唯美主義者というヘリオガバルスのイメージは、その後も今日に至るまで数多くの創作作品への意欲を生み出した。 |
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===文学=== |
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*「イリディオン」(1836年、[[:en:Zygmunt Krasi?ski|ジクムント・クラシンスキ]]) |
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*「[[ウィリアム・ウィルソン]]」 (1836年、[[エドガー・アラン・ポー]]) |
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*「ル・アゴニエ」 (1889年、[[:en:Jean Lombard|ジャン・ロンバード]]) |
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*''[[The Sun God]]'' (1904), a novel by the English writer [[Arthur Westcott]] |
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*''[[De Berg van Licht]]'' (''The Mountain of Light'') (1905), a novel by the Dutch writer [[Louis Couperus]] |
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*''[[Algabal]]'' (1892?1919), a collection of poems by the [[German language|German]] poet [[Stefan George]] |
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*''[[The Amazing Emperor Heliogabalus]]'' (1911), a [[biography]] by the Oxford don [[John Stuart Hay]] |
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*''[[St. Dorothy]]'', a poem by [[Algernon Charles Swinburne]], which refers to the saint's martyrdom under the emperor Gabalus |
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*''[[Heliogabale ou l'Anarchiste couronne]]'' (''Heliogabalus, or the Crowned Anarchist'') (1934), an essay by the French [[surrealism|surrealist]] [[Antonin Artaud]] |
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*''[[The Lottery in Babylon]] (1941), a short story by Argentine writer Jorge Luis Borges, references a biography, "Life of Antoninus Heliogabalus." |
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*''[[Family Favourites (novel)|Family Favourites]]'' (1960), a novel by the Anglo-Argentine writer [[Alfred Duggan]] |
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*''[[Child of the Sun (novel)|Child of the Sun]]'' (1966), a novel by [[Lance Horner]] and [[Kyle Onstott]], who were more famous for writing the novel behind the movie ''[[Mandingo (film)|Mandingo]]''. |
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*''Super-Eliogabalo'' (1969), a novel by the Italian writer [[Alberto Arbasino]] |
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*''[[Breakfast of Champions]]'' (1973), a novel by [[Kurt Vonnegut]] that mistakenly refers to [[Phalaris]], a Sicilian tyrant, as Heliogabalus |
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*''[[Boy Caesar]]'' (2004), a novel by the English writer [[Jeremy Reed (writer)|Jeremy Reed]] |
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*[http://web.archive.org/web/20080117160838/http://www.holycow.com/dreaming/helio/ Being an Account of the Life and Death of the Emperor Heliogabolus], a 24-hour comic by [[Neil Gaiman]] |
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*''[[Roman Dusk]]'' (2008), a novel in the [[vampire]] [[Count Saint-Germain]] series by [[Chelsea Quinn Yarbro]]. In the novel, Heliogabalus has just become Caesar and is depicted on several occasions as the [[Decadence]] ensues. |
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===絵画=== |
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*''[[The Roses of Heliogabalus]]'' (1888), by the Anglo-Dutch academician Sir [[Lawrence Alma-Tadema]] |
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*''[[:Image:Heliogabalus High Priest of the Sun.jpg|Heliogabalus, High Priest of the Sun]]'' (1866), by the English decadent [[Simeon Solomon]], once a close friend of [[Algernon Charles Swinburne]] |
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===漫画=== |
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*''[[Vassalord]]'' (2006?), [[Nanae Chrono]]'s Manga, where the flamboyant main character, Johnny Rayflo (an ancient vampire), is referred to occasionally as "The Confined Elagabalus." |
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*''Being an Account of the Life and Death of the Emperor Heliogabolus'' (1991), by [[Neil Gaiman]].<ref>{{cite web|url=http://www.holycow.com/dreaming/stories/being-an-account-of-the-life-and-death-of-the-emperor-heliogabolous |title=The Dreaming ≫ Blog Archive ≫ Being An Account of the Life and Death of the Emperor Heliogabolous |publisher=Holycow.com |date= |accessdate=2011-03-11}}</ref> Published in ''Cerebus'' #147 (1991). |
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*Helioglobolus ? biography in the Swedish anthology ''Galago,'' by [[Simon Gardenfors]]. |
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===音楽=== |
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*''[[Eliogabalo]]'', an opera by Venetian Baroque composer [[Francesco Cavalli]] (1667) |
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*''[[Heliogabale]]'', an opera by French composer [[Deodat de Severac]] which premiered in 1910 |
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*''[[Heliogabalus Imperator]]'' (''Emperor Heliogabalus''), an orchestral work by the German composer [[Hans Werner Henze]] (1972) |
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*''[[Eliogabalus]]'', an album by rock band [[Devil Doll (band)|Devil Doll]] (1990) |
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*''[[Six Litanies for Heliogabalus]]'', by the composer and saxophonist [[John Zorn]] (2007) |
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*Elagabalus (as Heliogabalus) is mentioned in the "[[Major-General's Song]]" from the [[Gilbert and Sullivan]] [[Savoy opera|opera]] ''[[The Pirates of Penzance]]'': "I quote in [[elegiac]]s all the crimes of Heliogabalus." |
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*[http://heliogabale.free.fr/ ''Heliogabale, a french rock band''], a French rock band which has released five albums since 1995, among them "the full mind is alone the clear" recorded by [[Steve Albini]] in 1997 |
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*''[[Heliogabalus (song)|Heliogabalus]]'', a song by [[Momus (artist)|Momus]] from his 2001 album ''Folktronic'', in which the narrator defends Heliogabalus, saying he "wasn't to blame" for the "deaths he caused" |
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===演舞=== |
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*''[[Heliogabale]]'', a contemporary dance choreographed by [[Maurice Bejart]] |
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===映画=== |
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*''[[Heliogabale]]'', a 1909 [[silent film]] by the French director [[Andre Calmettes]] |
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*''[[Heliogabale, ou L'orgie romaine]]'', a 1911 silent [[short film|short]] by the French director [[Louis Feuillade]] |
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===演者=== |
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*Mencken, H.L. and Nathan, George Jean. ''Heliogabalus A Buffoonery in Three Acts.'' New York: Alfred A. Knopf, 1920. |
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*[http://www.elgatotheatre.org/diablo.html ''Elagabalus, Emperor of Rome''] (2008), a play by the American dramatist Shawn Ferreyra, which premiered in [[San Francisco, California|San Francisco]], [[California]], January 18 through February 2, 2008 |
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*Escobar, C.H. de. "Heliogabalo: O SOL E A PATRIA". Ed. Devir. Rio de Janeiro. 1989. |
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*[[Sky Gilbert|Gilbert, S.]] ''Heliogabalus: A Love Story.'' Toronto, Cabaret Theatre Company, 2002. |
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===語源=== |
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*The Spanish word ''heliogabalo''<ref name="DRAE">''[http://buscon.rae.es/draeI/SrvltGUIBusUsual?TIPO_HTML=2&TIPO_BUS=3&LEMA=heliog%C3%A1balo heliogabalo]'' in the [[Diccionario de la Real Academia Espanola]]. Retrieved on 2008-05-03.</ref> means "person overwhelmed by gluttony". |
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==出典== |
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{{reflist|colwidth=30em}} |
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==資料== |
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{{Commons|Elagabalus}} |
{{Commons|Elagabalus}} |
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{{wikiquote}} |
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* [http://www.roman-emperors.org/elagabal.htm Entry on Elagabalus from De Imperatoribus Romanis] |
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* [http://www.jerryfielden.com/essays/elagabalus.htm Antoninus Elagabalus and his relationship with the Senate] |
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* [http://www.symposion.com/ijt/benjamin/appendix_c.htm Appendix C of The Transsexual Phenomenon by H. Benjamin] mentioning Elagabalus as transsexual |
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* [http://www.roman-empire.net/decline/elagabalus.html Biography of the life and reign of the Roman Emperor Elagabalus] |
|||
* [http://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Roman/Texts/Historia_Augusta/Elagabalus/1*.html Life of Elagabalus] (''Historia Augusta'' at LacusCurtius: Latin text and English translation) |
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* [http://members.aol.com/heliogabby/bio/eng.htm ''Historia Augusta'', English translation at Heliogabby] |
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===主要資料=== |
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{{refbegin}} |
|||
*[http://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Roman/Texts/Cassius_Dio/79*.html Cassius Dio, ''Roman History'' Books 79], and [http://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Roman/Texts/Cassius_Dio/80*.html 80], English translation. |
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*[http://www.livius.org/he-hg/herodian/hre000.html Herodian, ''Roman History'', Book 5], English translation. |
|||
*[http://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Roman/Texts/Historia_Augusta/Elagabalus/1*.html ''Historia Augusta'', The Life of Elagabalus Parts 1] and [http://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Roman/Texts/Historia_Augusta/Elagabalus/2*.html 2], Latin text with English translation. |
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{{refend}} |
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===副次的資料=== |
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{{refbegin}} |
|||
*{{cite book |last= Benjamin |first= Harry |title = The Transsexual Phenomenon |year= 1966 |publisher= The Julian Press, inc |location= New York | url= http://www.symposion.com/ijt/benjamin/ |accessdate= 2005-04-27 |isbn= 0-446-82426-7}} |
|||
*{{cite book |last= Birley |first= Anthony |title = Lives of the Later Caesars |year= 1976 |publisher= Penguin |location= Harmondsworth |isbn= 0-14-044308-8}} |
|||
*{{cite web | last = Di Blasio | first = Jan Claus | title = Reign of Vanity: Elagabalus, the Sun-God emperor | year = 2008 | url = http://www.theromanforum.com/?p=943 | accessdate = 2008-12-01 }} |
|||
*{{cite book |last= Grant |first= Michael |title= The Roman Emperors |year= 1997 |publisher= Barnes & Noble | pages = 126?130 |isbn= 0-7607-0091-5}} |
|||
*{{cite book |last= Gualerzi |first= Saverio |title = Ne Uomo, Ne Donna, Ne Dio, Ne Dea: Ruolo Sessuale E Ruolo Religioso Dell'imperatore Elagabalo |year= 2005 |publisher= Patron |location= Bologna |isbn= 88-555-2842-4}} |
|||
*{{cite book |last= Halsberghe |first= Gaston H. |title= The Cult of Sol Invictus |year= 1972 |publisher= Brill | location = Leiden | page = 36 }} |
|||
*{{cite book |last= Icks |first= Martijn |title = Images of Elagabalus |year= 2008 |publisher= Radboud Universiteit |location= Nijmegen |isbn= 978-90-902367-9-7}} |
|||
{{refend}} |
|||
* Martijn Icks, "Heliogabalus, a Monster on the Roman Throne: The Literary Construction of a 'Bad' Emperor," in Ineke Sluiter and Ralph M. Rosen (eds), ''Kakos: Badness and Anti-value in Classical Antiquity'' (Leiden/Boston: Brill, 2008) (Mnemosyne: Supplements. History and Archaeology of Classical Antiquity, 307), |
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====伝記==== |
|||
*{{cite encyclopedia | author = Meckler, Michael J. | date = August 26, 1997 | url = http://www.roman-emperors.org/elagabal.htm | title = Elagabalus | encyclopedia = De Imperatoribus Romanis | accessdate = 2008-05-03}} |
|||
*{{cite encyclopedia | author = Hoeber, Karl | year = 1910 | url = http://www.newadvent.org/cathen/07206b.htm | title = Heliogabalus | encyclopedia = [[Catholic Encyclopedia]] | volume = VII | accessdate = 2008-05-03}} |
|||
====画像==== |
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*[http://www.wildwinds.com/coins/ric/elagabalus/t.html Wildwinds coin archive: Elagabalus]. Large archive of ancient Roman and provincial coins bearing the image of Elagabalus. Retrieved on 2008-05-03. |
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*[http://www.coinarchives.com/a/results.php?results=100&search=Elagabalus Coinarchives coin archive: Elagabalus]. Large archive of ancient Roman and provincial coins issued under Elagabalus, including coins of family members. Retrieved on 2008-05-03. |
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2011年6月4日 (土) 15:57時点における版
ヘリオガバルス Heliogabalus | |
---|---|
ローマ皇帝 | |
カピトリーノ美術館所蔵「ヘリオガバルス胸像」 | |
在位 | 218年 - 222年 |
別号 |
ウァリウス・アウィトゥス・バッスス Varius Avitus Bassianus |
全名 |
カエサル・マルクス・アウレリウス・アントニヌス・アウグストゥス Caesar Marcus Aurelius Antoninus Augustus |
出生 |
203年3月20日 エメサ |
死去 |
222年3月11日 ローマ |
継承 | アレクサンデル・セウェルス |
配偶者 | ユリア・コルネリア・パウラ |
アクウィリア・セウェラ | |
アンニア・アウレリア・ファウスティナ | |
ヒエロクレス(男性) | |
子女 | アレクサンデル・セウェルス(従兄弟・養子) |
王朝 | セウェルス朝 |
父親 | セクストゥス・ウァリウス・マルケルス |
母親 | ユリア・ソエミアス・バッシアナ |
マルクス・アウレリウス・アントニヌス・アウグストゥス (ラテン語: Marcus Aurelius Antoninus Augustus[1] 203年3月20日 - 222年3月11日)は第23代ローマ皇帝で、セウェルス朝の第3代当主。ヘリオガバルス(Heliogabalus)という渾名で呼ばれる事が多、これはオリエントにおけるヘーリオス信仰の派生系である太陽神エル・ガバルを信仰したことに由来する。
セウェルス朝の初代皇帝セプティミウス・セウェルスの外戚であるバッシアヌス家の出身で、元の本名はウァリウス・アウィトゥス・バッススといった。セウェルスの長男であったカラカラ帝が暴政の末に暗殺されるとバッシアヌス家は追放されるが、彼の母ユリア・ソエミアスは密かに復権の謀議を画策した。血統上、カラカラ帝の従兄弟にあたるソエミアスは自身が夫と儲けた子息アウィトゥス(ヘリオガバルス)が先帝の落胤であると主張して反乱を起こした。戦いは帝位を得ていたマクリヌス帝の敗北に終わり、セウェルス朝の復権を名目に僅か14歳のヘリオガバルスが皇帝に即位した。
しかし彼の統治はしばしば今までも登場した暴君達の悪名すらも越える、ローマ史上最悪の君主として記憶される事となった。ヘリオガバルスは極めて退廃的に性生活へと没頭し、しかもその性癖は倒錯的で常軌を逸したものであった。また宗教面でも従来の慣習や制度を全て無視してエルガバルを主神とするなど極端な政策を行った。
ヘリオガバルスの退廃した性生活についての話題は、彼の政敵によって誇張された部分があると見られているが[2]、後世の歴史家も余り中立的にヘリオガバルスへ触れる事は無く、エドワード・ギボンに至っては「醜い欲望と感情に身を委ねた」として最悪の暴君と評価している[3]。「ヘリオガバルスという名の印象は、彼自身の退廃によって決定付けられた」とバルトホルト・ゲオルク・ニーブールは評している[4]
生涯
ヘリオガバルスは元老議員セクストゥス・ウァリウス・マルケルスと、ユリア・ソエミアスの子として203年に生まれた[5]。父マルケルスは騎士階級出身で、後に元老院入りを果たした人物であった。母方の祖母ユリア・マエサはセウェルス朝の開祖セプティミウス・セウェルスの皇妃ユリア・ドムナの妹であった[6]。従って母ソエミアスはセウェルスの嫡男であるカラカラ帝とは従兄弟の関係にあり、皇帝家の一員であった[5]。幼少期のヘリオガバルスは一族の生業である神官として養育されたと見られている。
217年、カラカラ帝が弟(ゲタ帝)を殺害するなどの暴政によって元老院の信望を失うと、皇帝は暗殺され近衛隊長マルクス・オペリウス・マクリヌスが新たな皇帝となった。
即位したマクリヌス帝はセウェルス一族を宮殿から一掃する事で、セウェルス朝復活の目論見を防ごうとした[5]。だが中東の属州シリアへと幽閉されたセウェルス一族の内、カラカラ帝の叔母ユリア・マエサは孫であるヘリオガバルスを帝位に付ける謀議を巡らしていた[5]。ヘリオガバルスは既に先帝カラカラとは女系を通じて親族であったが、帝位継承を更に正当化するべくマエサの意向を受けたソエミアスは自らが従兄弟の妾であり、ヘリオガバルスが先帝の落胤であると主張した[5]。続いてマエサはセウェルス家の富を駆使し、第3軍団「ガッリカ」の兵士や将軍を買収して戦力を調達した。5月16日、軍団指揮官ヴァレリウス・エウティキアヌスはヘリオガバルスへの忠誠を正式に宣言した[7]。挙兵に際して、ヘリオガバルスは「ヴァリウス・アウィトゥス・バッシヌス」という名前を、カラカラの本名に準えて「マルクス・アウレリウス・アントニヌス」に改名した[8]。
ヘリオガバルスの反乱を知ったマクリヌス帝は直ちに遠征軍を派遣したが、遠征軍内で軍団兵による内乱が発生してしまった。指揮官は暗殺され、兵士達は指揮官の首をローマに送り返すと、ヘリオガバルスの軍勢に合流した[9]。軍の反乱を前にマクリヌス帝はヘリオガバルスを「偽のアントニヌス」と痛罵し、反乱を発狂した神官による暴挙とする手紙を元老院に書き送った[10]。元老院はマクリヌスの言い分を認めて、軍とは異なりヘリオガバルスを僭称帝とする決議を可決した[11]。
元老院の支持を得たマクリヌス帝は自ら軍を率いて親征を開始したが、マエサに買収された第2軍団「パルティカ」の裏切りによってアンティオキアの戦いにおいて敗北した[9]。マクリヌスは命からがら戦場から脱してイタリア本土へ戻ろうとしたが、カッパドキアで捕らえられ処刑された[9]。同じく捕らえられたマクリヌス帝の子息ディドゥメニアヌスも処刑された[9]。
アンティオキアでの勝利を持ってヘリオガバルスは元老院の許可なしに皇帝即位を宣言した[12]。ローマの法に完全に違反した行為であったが、3世紀の皇帝達にはしばしば見られた行為ではあった。また同時にマクリヌス帝の治世を批判する手紙を元老院に送付して行為の正当化を図っている[13]。結局の所、元老院は既成事実を追認する形でヘリオガバルスの帝位、そしてカラカラ帝の実子である事を承認した[14]。同時に暴君とその母として忌避されていたカラカラとユリア・ドムナを神として祭るという要求も承諾し[15]、逆にマクリヌス帝が「名誉の抹殺」に処されることになった[12]。また新しい近衛隊長には反乱の立役者ヴァレリウス・エウティキアヌスが任命された[16]。
初期の治世
218年の冬、ヘリオガバルス帝と重臣達はニコメディアで過ごしていたが[14]、歴史家カッシウス・ディオによればこの少年皇帝が問題を抱えた人物なのは既に明らかになっていたとされる。皇帝として「自制心をもって慎重に生きる」ようにと諭した家庭教師を、ヘリオガバルスは不愉快に思って殺害したと伝えられる[17]。同時期にユリア・マエサは神官にして皇帝という人物を元老院が受け入れるように、神官のローブを身に纏ったヘリオガバルス帝の肖像をウィクトリーア女神像の前に掲げさせた[14]。元老議員は議事堂のウィクトリーア女神像に捧げ物をする習慣があったので、嫌でも神官姿のヘリオガバルス帝に捧げ物をする形になった。
こうした振る舞いに後盾であった反マクリヌス派の軍勢は早くもヘリオガバルス帝を推挙した事を後悔し始め[18]、ゲッリウス・マキムス将軍に率いられた第4軍団「スキュティカ」、及び元老議員ウェルスに扇動された第3軍団「ガッリカ」(彼らは反乱に加担していた)の兵士はニコメディアからローマに向かうヘリオガバルス帝を襲撃した[19]。だが反乱軍は足並みが揃わずに自壊し、「ガッリカ」は消滅した[20]。
219年、エウティキアヌスやマエサと共にローマへ入城したヘリオガバルス帝は、取り巻き達を要職に就けて体制を固めた[21]。例えばエウティキアヌスは近衛隊長に続いて3度の執政官叙任を受け、更に属州総督として2度派遣されている[16]。私生活の退廃も人事にも影響を与え、男性の愛人であった奴隷ヒエロクレスを共同皇帝にしようとしたり[22]、別の愛人である戦車競技の選手ゾティクスを皇帝の執事長に任命している[23]。
財政面では父と主張したカラカラがそうしたように銀の含有量を減らしてデナリウス銀貨の切り下げを行うが、一方でカラカラが創始したアントニヌス銀貨は廃止した[24]。
初期の統治で部分的ながらまともな統治が行われていたのは、祖母ユリア・マエサと母ユリア・ソエミアスによる執政が行われていた為と考えられている[25]。この野心に満ちた二人の女性は元老院に名誉称号すら要求し、ソエミアスは「クラリッシマ」(Clarissima)、マエサは「元老院の女神」(Mater Castrorum et Senatus)をそれぞれ授与された[15]。実権を掌握して女帝に近い振る舞いを見せる祖母と母に対してヘリオガバルス帝は何ら意見できず、ただの傀儡でしかなかった。
宗教政策
セプティミウス・セウェルス帝の時点でローマ国内には太陽神信仰が流行する傾向にあり[26]、先に述べたように太陽神信仰の一つであるエルガバルを奉じる神官であったヘリオガバルス帝はこれを好機と捉え、エルガバルを古代ローマの多神教における最高神に位置づけるべく「デウス・ソル・インウィクトクス」と尊称させ、天空神ユピテルをも従える存在とした[27]。同時に天空神ユピテルに従うとされていたカピトリヌスの三女神もエルガバルの妻とされ、権威を高めようとした[28]。
更にヘリオガバルス帝は「神々に身を捧げる」という意図から処女を貫かねばならない戒律(ウェスタの処女)を持つ巫女アクウィリア・セウェラとの結婚を認めさせ、「神の子」を生み出そうとした[29]。本来であればウェスタの処女を辱めたものは神の罰を避ける為に生き埋めにされると決められており、ローマにおける宗教的慣例を踏み躙る事を意味した[30]。
独自の宗教政策の果てにヘリオガバルス帝は「ヘリオガバリウム」と呼ばれる巨大なエルガバル神の宮殿をパラティーノの丘に建設させ、故郷エメサから持ち込んだ黒曜石を神具として崇拝させた[14]。歴史家ヘロディアヌスによれば「黒曜石は神界からの賜り物の如く崇拝が行われた」とされ、表面の文様が太陽神エルガバルの姿を描いていると信じられていた[5]。新たなる崇拝における信仰心を示すため、ヘリオガバルス帝自身も割礼を行い[27]、踊り子として祭壇の前で舞う様子を元老院議員に見る事を強要した[14]。民衆は神殿で皇帝が神の賜りとして配る食事を目当てに神殿の祝祭に殺到したと伝えられる[28]。そしてこの祝祭の仕上げに金細工や宝石類で飾り付けた馬引きの戦車に、黒曜石を載せて街中を凱旋させたとヘロディアヌスは記録している。
6頭もの巨大な白馬に引かれた二輪戦車は金銀細工で飾られる絢爛なものだったが、異様にも誰も乗っておらず無人で走らされていた。しかしその周囲には護衛の兵士が併走しており、ちょうど無人の豪華なる戦車に「神が乗っている」事を想定しているようであった。ヘリオガバルス帝はその後ろから神に従うように馬を走らせていた[28]。
ヘリオガバリウムには帝国中の神具や神器が集められ、キュベレー神殿・ウェスタ神殿・神官学校などの宝物品やトロイのパラディウム像やマルスの盾などが持ち込まれた。こうした行為はヘリオガバリウムこそが帝国唯一の聖地となるべきとするヘリオガバルス帝の命令によるものであった[31]。
性的倒錯
急進的な宗教政策以上にヘリオガバルス帝を有名足らしめるのは倒錯的かつ退廃した性生活に関する伝承で、そもそも正式な結婚すら4回の離婚と5回の結婚を繰り返している[29]。最初に結婚した相手はユリア・コルネリア・パウラという女性で、同じシリアに領地を持つ有力貴族の娘であることから皇帝即位時に周囲が決めた政略結婚であったと見られる[28]。だがヘリオガバルス帝は早々とパウラと離婚すると、前述したように戒律を破らせてまでウェスタの処女たる巫女アクウィリア・セウェラを手篭めにして再婚した[28]。周囲の批判から程なくアクウィリアとの婚姻を解消した後、三度目の妻として迎えたのはアンニア・アウレリア・ファウスティナであった[28]。彼女はかの賢帝マルクス・アウレリウスの曾孫で、その子であり暴君として暗殺されたコモドゥス帝の大姪であった。これはセウェルス朝の前王家にあたるネルウァ=アントニヌス朝との連続性を主張する政治的意図があったと見られる。
ところがその年の内にまたもや離婚し[29]、今度は事もあろうに奴隷でしかも男性であるヒエロクレスの「妻」として結婚を宣言した[22]。さらに「ローマ皇帝群像」によれば同じく男性の愛人である戦車選手ゾティクスとも結婚したと伝えられている[32]。カッシウス・ディオはヘリオガバルス帝の性的倒錯を記録し、同性愛だけでなく女装癖があったとして実際にその現場を見たとまで記録している。カッシウスは「皇帝は何時しか男を漁る為に酒場に入り浸る習慣を持ち、化粧と金髪の鬘をつけて売春に耽溺した」と批判している[33]。
元老院議員として宮殿に出入りしていたカッシウスは、皇帝が最終的に帝国の中枢である宮殿に客を呼び込んで売春宿にするという醜態まで晒したと記録している。
…遂に皇帝は権威ある宮殿までも自らの退廃の現場とした。宮殿の一室に売春用の場所を用意して、そこを訪れる客に男妾として体を売ったのだ。ヘリオガバルスは売春婦がそうするように裸で部屋の前に立ち、カーテンを掴んで客を待った。そして男が通りかかると哀れを誘うような柔らい声で甘えるのだった[34]。
ヘロディアヌスもこの噂について言及しており、ヘリオガバルス帝は化粧でこうした行為の為に相応しい容貌を得ていたという[28]。売春の一方でヒエロクレスに妻として従い、性転換を行える医師を高額で募集していたとまで言われている[23]。この事からヘリオガバルス帝の性癖について同性愛や両性愛というより、トランスジェンダーの一種として見る論者も多い[35][36]。
暗殺
221年、度重なるヘリオガバルス帝の奇行に周囲は耐えかねており[22]、近衛隊も皇帝の異常な狼藉に激しい嫌悪を感じていた[21]。加えて宮殿外でも民衆や元老院が皇帝への不満と怒りを高め、王族内でも影の実力者である祖母ユリア・マエサが孫を見切りつつあったが、共に実権を握っていたヘリオガバルスの母ユリア・ソエミアスは宗教政策を協力に後押しするなど息子への協力を続けていた[21]。そこでマエサは長女ソエミアスの妹である次女ユリア・アウィタの息子で、もう一人の孫にあたるアレクサンデル・セウェルスを後継者する計画を立て、ヘリオガバルス帝に従兄弟を養子にするように認めさせた[21]。しかし途中でヘリオガバルス帝は近衛兵隊がアレクサンデルに接近し始めた事から危機感を覚え、養子縁組を取り消した[37]。
ヘリオガバルスは失脚したアレクサンデルを幽閉して、近衛兵達には既に死亡したと伝えて動揺させようとした[37]。だがこれが彼の命取りとなった。近衛隊は動揺するどころが逆に激怒して反乱を起こし、アレクサンデルの生死の確認とその責任を取るように要求した[37]。恐れをなしたヘリオガバルスは慌ててアレクサンデルの生存を発表して、従兄弟を解放した。3月11日に近衛隊の城砦に逃れたアレクサンデルは歓声をもって迎えられ、誰もがヘリオガバルスへの忠誠を続ける事を拒絶した。軍は即座に彼を指導者にして反ヘリオガバルスの軍勢を挙げ、宮殿へと進軍した[37]。
全ての後ろ盾を失ったヘリオガバルスは母ソエミアスと共に反乱軍に捕らえられ、カッシウス・ディオによれば揃って処刑されたと伝えられる。
…怯えたヘリオガバルスは衣類箱の中に隠れて宮殿から逃げようとしたが、あえなく反乱軍に見つけられて広場に引き出された。先に捕らえられていたソエミアスは泣き喚きながら息子に縋りついたが、兵士達は親子をその場で殺害した。ヘリオガバルスとソエミアスの首は切り落とされ、首の無い親子の遺体は裸体で馬に乗せられて市中を引き回された。憎まれた18歳の皇帝の遺体は晒し者にされた後、首と共に川へ投げ出された[38]。
皇帝の死によってエウティキアヌスやヒエロクレスのような取り巻き達は一掃され[38]、エルガバル神も地方の土着信仰へと戻された[39]。女性の元老院への関与も明確に禁止され[25][40]、かつてマクリヌスに課した「名誉の抹殺」を自らも受ける事になった[41]。
評価
ローマ皇帝群像
彼の評伝については、当時の歴史書における常として後に即位した皇帝やその支持者によって誇張された部分があると考えられている。そうした誇張の中で特に有名なのが『ローマ皇帝群像』が主張する「客人に薔薇の山を落として窒息死させるのを楽しんだ」とする噂であり、このエピソードは有名なローレンス・アルマ=タデマの絵画「ヘリオガバルスの薔薇」のモチーフとされている[42]。
現在では『ローマ皇帝群像』における他の評伝と同じく、ヘリオガバルス伝の殆どは信用に値しないと見なされている[43]。そもそも『ローマ皇帝群像』は遥か後年の4世紀頃に編纂された歴史書であり[44]、加えて捏造や創作が非常に多い事で知られている。ヘリオガバルス伝においても当然ながらそうした嘘が含まれていると見るのが自然である[45]。ただし第13節から17節までは例外的に資料的な信憑性が存在すると見られ、現在でも意義を認められている[46]。
カッシウス・ディオ
同時代の歴史家で、自らも高名な元老院議員として皇帝の動向を知る立場にあったカッシウス・ディオも、『ローマ皇帝群像』ほどではないにせよ退廃や性的倒錯について多くを記録し、厳しい批判を展開している。カッシウスが書き残した『ローマ史』は『ローマ皇帝群像』に比べて遥かに高い信憑性を持ち、帝政中期のローマを知る上での第一の文献として高く評価されている。そうした点を踏まえれば、『ローマ皇帝群像』などの後世における書籍で面白半分に誇張された要素はありつつも、実際にヘリオガバルスが幾分の問題を抱えた人物であった事は動かしがたい。
ただしカッシウスも何ら歴史家として不誠実ではなかったとするのは中立的でない。「ローマ史」の評伝が書かれた時代の多くを彼は現役の元老議員として過ごしたが、それ故に属州総督などの任務で外地に赴いている時間も多かった。彼自身、ローマに滞在していた友人の政治家達からの報告を二次資料として採用している事を認めている。またカッシウスはヘリオガバルス帝の後に即位したアレクサンデル・セウェルス帝を支持しており、その点も加味される必要はある[47]。
ヘロディアヌス
ヘロディアヌスはカッシウス・ディオと同じ時代の目撃者として記録を残した歴史家で、コモドゥス帝の即位からゴルディアヌス3世の暗殺までを記録した『ローマ人の歴史』を残した。カッシウス・ディオの記録とは必然的に重複してるが、それぞれ別の調査によって記録を残している点で意味を持つ[48]。ヘロディアヌスは宮殿に出入りできる立場でなかったという点でカッシウスに劣るが、その分より中立的に皇帝達の動向を残す事に務めている。彼の関心の多くは性的退廃より宗教政策についてであり、その詳細な内容はエルガバル信仰を調べる上で重要な記録となっており、実際に後の研究[49][50]と考古学的調査で裏付けられている[51]。
エドワード・ギボン
近代の歴史家で『ローマ帝国衰亡史』で激しくヘリオガバルスを批判した。
ヘリオガバルスの異常な性欲はウェスタの処女を辱め、多くの妻を取り替えただけでは満足しなかった。女装する事に愉悦を覚え、恋人達を有力者にすることで帝国の尊厳を汚し続けた。(中略)…ヘリオガバルスの伝承はある程度脚色された部分を持つだろう。しかしそれを前提にしてもヘリオガバルスは全ての点においてローマ史上最悪の皇帝であった[3]。
ヘリオガバルス、女性の身形と行動を行う女々しさで皇帝の権威を傷つけた最初の男[52]。
創作作品
ヘリオガバルスの退廃僻は後世におけるデカダン派の運動で注目された[36]。道徳に欠けた唯美主義者というヘリオガバルスのイメージは、その後も今日に至るまで数多くの創作作品への意欲を生み出した。
文学
- 「イリディオン」(1836年、ジクムント・クラシンスキ)
- 「ウィリアム・ウィルソン」 (1836年、エドガー・アラン・ポー)
- 「ル・アゴニエ」 (1889年、ジャン・ロンバード)
- The Sun God (1904), a novel by the English writer Arthur Westcott
- De Berg van Licht (The Mountain of Light) (1905), a novel by the Dutch writer Louis Couperus
- Algabal (1892?1919), a collection of poems by the German poet Stefan George
- The Amazing Emperor Heliogabalus (1911), a biography by the Oxford don John Stuart Hay
- St. Dorothy, a poem by Algernon Charles Swinburne, which refers to the saint's martyrdom under the emperor Gabalus
- Heliogabale ou l'Anarchiste couronne (Heliogabalus, or the Crowned Anarchist) (1934), an essay by the French surrealist Antonin Artaud
- The Lottery in Babylon (1941), a short story by Argentine writer Jorge Luis Borges, references a biography, "Life of Antoninus Heliogabalus."
- Family Favourites (1960), a novel by the Anglo-Argentine writer Alfred Duggan
- Child of the Sun (1966), a novel by Lance Horner and Kyle Onstott, who were more famous for writing the novel behind the movie Mandingo.
- Super-Eliogabalo (1969), a novel by the Italian writer Alberto Arbasino
- Breakfast of Champions (1973), a novel by Kurt Vonnegut that mistakenly refers to Phalaris, a Sicilian tyrant, as Heliogabalus
- Boy Caesar (2004), a novel by the English writer Jeremy Reed
- Being an Account of the Life and Death of the Emperor Heliogabolus, a 24-hour comic by Neil Gaiman
- Roman Dusk (2008), a novel in the vampire Count Saint-Germain series by Chelsea Quinn Yarbro. In the novel, Heliogabalus has just become Caesar and is depicted on several occasions as the Decadence ensues.
絵画
- The Roses of Heliogabalus (1888), by the Anglo-Dutch academician Sir Lawrence Alma-Tadema
- Heliogabalus, High Priest of the Sun (1866), by the English decadent Simeon Solomon, once a close friend of Algernon Charles Swinburne
漫画
- Vassalord (2006?), Nanae Chrono's Manga, where the flamboyant main character, Johnny Rayflo (an ancient vampire), is referred to occasionally as "The Confined Elagabalus."
- Being an Account of the Life and Death of the Emperor Heliogabolus (1991), by Neil Gaiman.[53] Published in Cerebus #147 (1991).
- Helioglobolus ? biography in the Swedish anthology Galago, by Simon Gardenfors.
音楽
- Eliogabalo, an opera by Venetian Baroque composer Francesco Cavalli (1667)
- Heliogabale, an opera by French composer Deodat de Severac which premiered in 1910
- Heliogabalus Imperator (Emperor Heliogabalus), an orchestral work by the German composer Hans Werner Henze (1972)
- Eliogabalus, an album by rock band Devil Doll (1990)
- Six Litanies for Heliogabalus, by the composer and saxophonist John Zorn (2007)
- Elagabalus (as Heliogabalus) is mentioned in the "Major-General's Song" from the Gilbert and Sullivan opera The Pirates of Penzance: "I quote in elegiacs all the crimes of Heliogabalus."
- Heliogabale, a french rock band, a French rock band which has released five albums since 1995, among them "the full mind is alone the clear" recorded by Steve Albini in 1997
- Heliogabalus, a song by Momus from his 2001 album Folktronic, in which the narrator defends Heliogabalus, saying he "wasn't to blame" for the "deaths he caused"
演舞
- Heliogabale, a contemporary dance choreographed by Maurice Bejart
映画
- Heliogabale, a 1909 silent film by the French director Andre Calmettes
- Heliogabale, ou L'orgie romaine, a 1911 silent short by the French director Louis Feuillade
演者
- Mencken, H.L. and Nathan, George Jean. Heliogabalus A Buffoonery in Three Acts. New York: Alfred A. Knopf, 1920.
- Elagabalus, Emperor of Rome (2008), a play by the American dramatist Shawn Ferreyra, which premiered in San Francisco, California, January 18 through February 2, 2008
- Escobar, C.H. de. "Heliogabalo: O SOL E A PATRIA". Ed. Devir. Rio de Janeiro. 1989.
- Gilbert, S. Heliogabalus: A Love Story. Toronto, Cabaret Theatre Company, 2002.
語源
- The Spanish word heliogabalo[54] means "person overwhelmed by gluttony".
出典
- ^ In Classical Latin, Elagabalus' name would be inscribed as MARCVS AVRELIVS ANTONINVS AVGVSTVS.
- ^ Potter, David Stone (2004). The Roman Empire at Bay: Ad 180?395. Routledge. ISBN 0-415-10057-7
- ^ a b Gibbon, Edward. Decline and Fall of the Roman Empire, Vol. 1, Chapter 6.
- ^ Niebuhr, B.G. History of Rome, p. 144 (1844). Elagabalus' vices were, "Too disgusting even to allude to them."
- ^ a b c d e f Herodian, Roman History V.3
- ^ Cassius Dio, Roman History LXXIX.30
- ^ Cassius Dio, Roman History LXXIX.31
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- ^ Cassius Dio, Roman History LXXIX.38
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- ^ Cassius Dio, Roman History LXXX.1
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- ^ a b Cassius Dio, Roman History LXXX.4
- ^ Cassius Dio, Roman History LXXX.6
- ^ Augustan History, Life of Elagabalus 5
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- ^ a b c d Herodian, Roman History V.7
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- ^ a b Cassius Dio, Roman History LXXX.16
- ^ Tulane University "Roman Currency of the Principate"[1]
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- ^ Halsberghe, Gaston H. (1972). The Cult of Sol Invictus. Leiden: Brill. p. 36
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- ^ a b c Cassius Dio, Roman History LXXX.9
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資料
主要資料
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- Herodian, Roman History, Book 5, English translation.
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副次的資料
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- Birley, Anthony (1976). Lives of the Later Caesars. Harmondsworth: Penguin. ISBN 0-14-044308-8
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- Gualerzi, Saverio (2005). Ne Uomo, Ne Donna, Ne Dio, Ne Dea: Ruolo Sessuale E Ruolo Religioso Dell'imperatore Elagabalo. Bologna: Patron. ISBN 88-555-2842-4
- Halsberghe, Gaston H. (1972). The Cult of Sol Invictus. Leiden: Brill. p. 36
- Icks, Martijn (2008). Images of Elagabalus. Nijmegen: Radboud Universiteit. ISBN 978-90-902367-9-7
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伝記
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- Hoeber, Karl (1910). "Heliogabalus". Catholic Encyclopedia. Vol. VII. 2008年5月3日閲覧。
画像
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- Coinarchives coin archive: Elagabalus. Large archive of ancient Roman and provincial coins issued under Elagabalus, including coins of family members. Retrieved on 2008-05-03.
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