「フランス第二帝政」の版間の差分
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Category:フランスの歴史 |
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2005年8月29日 (月) 12:32時点における版
第二帝政(だいにていせい)は、1852年から1870年までフランスに存在した君主政体。ナポレオン・ボナパルトの甥であるルイ・ナポレオン(ナポレオン3世)が1851年12月2日にクーデターを起こして政権を奪取し、国民投票によってフランス皇帝に即位した。
ナポレオン3世は1854年のクリミア戦争、1859年のイタリア統一戦争などに参戦し、インドシナ、アフリカ北部にフランスの植民地を作ったが、メキシコ出兵の失敗により打撃を受けた。日本の戊辰戦争では、徳川幕府を支援した。
第二帝政の注目すべき点は、その治世の前半と後半ではまったく違った政治体制となっていることと、なおかつ第二帝政が「人民主権」と「自由」を目指す共和政への過渡期であったことである。1852年~1860年までは権威帝政と呼ばれ、ナポレオン三世の支配下のもとで自由、報道の規制が行われた。だが、1860年~1870年までの自由帝政は、その名の通り報道規制の緩和や議会への大幅な譲歩による自由解放が実現された。
メキシコ出兵失敗の名誉挽回のため1870年、プロイセンに宣戦したが(普仏戦争)、セダンの戦いで惨敗し、プロシャ軍に捕われた。皇帝不在となったフランスでは第三共和政が誕生するが、パリでは一時、史上初の労働者による政権パリ・コミューンが樹立された。