コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「丸井今井」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Tyr sp (会話 | 投稿記録)
63行目: 63行目:
*[[1891年]] - 小樽、室蘭両支店を開設
*[[1891年]] - 小樽、室蘭両支店を開設
*[[1892年]] - 函館支店を十字街近くの末広町に開設
*[[1892年]] - 函館支店を十字街近くの末広町に開設
(※現在の本町に移転後は、暫くの間、函館市水道局庁舎となっていたが、十字街角に、新築して移転した為、現在は、函館市地域交流まちづくりセンターになっている)
*[[1897年]] - 旭川支店を開設
*[[1897年]] - 旭川支店を開設
*[[1919年]] - 株式会社に改組し商号を丸井商店に変更する
*[[1919年]] - 株式会社に改組し商号を丸井商店に変更する

2009年2月12日 (木) 01:20時点における版


株式会社丸井今井
MARUI IMAI Inc.
種類 株式会社
市場情報 非上場
略称 まるい、まるいさん(広告で略称を使用時は《まるい》と表記)
本社所在地 日本の旗 日本
060-8667
北海道札幌市中央区南1条西2丁目11
設立 2005年10月31日
1872年(明治5年)創業
※北海道丸井今井は1919年(大正8年)設立
業種 小売業
事業内容 百貨店業
代表者 代表取締役社長・畑中幸一
資本金 20億1,000万円
売上高 883億0,737万円(2007年1月期)
従業員数 1,516名(2007年4月1日現在)
決算期 1月
主要子会社 北海道丸井今井/百貨店業
北海道百科/道産品の開発・卸・販売
丸井ソフトサービス/情報処理、衣料品リフォーム
関係する人物 今井藤七
外部リンク http://www.marui-imai.co.jp/
テンプレートを表示
丸井今井札幌本店
ファイル:丸井今井旭川店.jpg
丸井今井旭川店
丸井今井函館店
ファイル:丸井今井室蘭店.JPG
丸井今井室蘭店

株式会社丸井今井(まるいいまい、英称MARUI IMAI Inc.)は、北海道最大手の日本の百貨店新潟県三条市出身の創業者・今井藤七が札幌に小間物商を開業した1872年明治5年)を創業年とする。

会社概要

  • 札幌本店 - 札幌市中央区南1条西2丁目(〒060-8667)
    • 千歳空港店(ショップ) - 新千歳空港ターミナルビル内
  • 旭川店 - 旭川市1条通8丁目左1-175(〒070-8655)
    • 旭川空港店(ショップ) - 旭川空港ターミナルビル内
  • 函館店 - 函館市本町32-15(〒040-0011)
  • 営業所 - 小樽、苫小牧、釧路
  • 北海道丸井今井室蘭店 - 室蘭市中島町1丁目25-1(〒050-8555)

概要

現在の丸井今井の会社設立は2005年で、札幌本店のほか、旭川市函館市室蘭市(北海道丸井今井が運営)に店舗がある。

会社分割前の旧丸井今井(現・北海道丸井今井)の会社設立は1919年(大正8年)。

札幌本店の年間売上高は約640億円(2003年)で、道内百貨店首位。

なお、後述の再生計画により、小樽店苫小牧店は2005年10月23日午後7時をもって閉店。また、釧路店2006年8月20日午後7時をもって閉店。

北海道では高級百貨店と認識される一方で、「丸井さん」と敬称を付けて呼ばれるほど親しまれてもいた。しかし、1997年にメインバンクの北海道拓殖銀行が破綻、また創業者一族の元社長による公私混同ともいえる資金融資が明るみとなり、一時は経営危機に陥ったが、整理回収機構から債務の半額免除を受けるなどして経営再建に取り組んでいた。しかし、2008年7月期決算で6億3300万円の経常赤字となったことで経営再建を断念し、2009年1月29日に民事再生法の適用を申請した。

札幌駅ビル「JRタワー」内に大手老舗百貨店・大丸が進出したことや、室蘭市では郊外型大手大型スーパーが大量進出したことなどにより、再び劣勢に立たされていた。

ちなみに、丸井今井は伊勢丹を中心とする共同仕入れ機構である全日本デパートメントストアーズ開発機構(A・D・O)に加盟しているが、首都圏を中心に店舗を展開する丸井とは全くの別会社であり、資本関係もない。また、大丸の札幌進出前は同社とも商品提携関係があった。

沿革

再生計画

丸井今井は札幌本店と函館店が黒字で、両店舗が他の5店舗の収益を支えているいびつな経営状況だったことなどから、以下の再生計画案を2005年6月(一部は7月)に正式発表し、9月の株主総会で承認された。

  1. (1)黒字の札幌本店と函館店、赤字ではあるものの、将来性があるとした旭川店は、採算事業関連会社や丸井今井の商号とともに、2005年10月31日に設立される新設会社(株式会社丸井今井)に継承する。(2)小樽店と苫小牧店、室蘭店、釧路店は、不採算事業関連会社とともに分割会社(北海道丸井今井株式会社)に継承して、後に清算する(いわゆる会社分割)。
  2. (1)小樽・苫小牧両店は2005年10月23日、釧路店は2006年8月20日に閉店。(2)室蘭店は2010年1月頃に存廃判断をする(ただし、株主総会では原則閉店の方向に転換していることや、MORUE中島が開店したことにより客の流れがMORUE中島に流出し、売り上げがさらにダウンする可能性が高いため、閉店時期の判断になる可能性が濃厚となっている)。
  3. 福岡の岩田屋、名古屋の名鉄百貨店に続いて伊勢丹と業務提携する(なお、福岡の岩田屋は伊勢丹の傘下となっている)。

旧小樽店について

小樽グランドホテルなどが入った複合施設として暫定営業中だったが、2009年3月に閉鎖されることとなった。複合施設の1つだった小樽グランドホテルが2月15日での閉鎖を決めたことが背景にある。

なお、2005年10月21日、小樽店閉店に伴い外商を目的とした営業所を開設した。

旧苫小牧店について

苫小牧店は2006年10月ゼウスシティ(複合施設)として復活したが、ゼウスシティについては開店当初からテナントが目標数に達せず、2007年6月には入店テナントが「当初の計画通りに店舗の運営、管理がなされていない」と主張して、ゼウス被害者の会を設立するなど、郊外型大型スーパーへの対抗が難しいことを露呈していた。そんな中、売り上げ不振などから2008年4月末で閉店することになった。

なお、2005年10月21日、苫小牧店閉店に伴い外商を目的とした営業所を開設した。

旧釧路店について

閉店が小樽・苫小牧両店より10か月遅かった釧路市では、市役所・商工会議所・商店・市民を中心として設立した「釧路の百貨店を守る会」が「釧路の百貨店を守りましょう。」・「地元商店で買い物をしましょう。」・「釧路の商店街を守りましょう。」というスローガンを掲げ存続や閉店見直しを求める運動を展開。また、市役所・商工会議所・中心街をはじめとする商店が、市民に対して丸井今井のポイントカードである「クレオカード」への加入と釧路店並びに地元商店の利用を促した。

しかし、2005年度の売上が前年比で大幅減という事実によって、2006年8月20日で閉店することが確定、それに伴って存続運動は頓挫した。なお、閉店に伴い外商を目的とした営業所が2006年8月16日、10年ぶりに復活した。

そんな中、2006年10月に札幌のコンサルティング会社へ売却されることが決定し、年内には地元商店を中心にした複合施設「キュート」(KUTE)として開店する計画が発表された。しかし、テナント探しは難航、2007年5月に開店が無期限延期となった。その影響から、8月には「キュート」を所有していた不動産会社が土地・建物の売却を決定、2008年2月に別なコンサルティング会社がKUTEの名称を使わない条件で買い取った(2008年2月22日釧路新聞参考)が、依然テナント探しが難航、開店時期は白紙の状態にある。

丸井今井邸

かつて、今井藤七の出身地である新潟県三条市には「丸井今井三条店」が存在した。 「三条店」の名称であったが小売の店舗ではなく、今井の生家があった付近に別宅として建てた邸宅を丸井今井で管理していたもの。新潟県内における採用活動や仕入の拠点として使われていた時期もあった。一連の経営難により地元に無償譲渡され現在は「丸井今井邸」として地元保存団体の管理の下、イベントスペースとして活用されている。

2006年6月22日に隣接する精肉店工場から出火、延焼し邸宅の一部が焼けたが、2007年初頭までに改修を終え、活用を再開している。

また、2004年7月13日に発生した新潟・福島豪雨(7・13水害)では、丸井今井から三条市に対し義援金を寄付した。

参考文献

  • 北海道新聞取材班 『実録・老舗百貨店凋落 - 流通業界再編の光と影』 講談社、2006年、ISBN 4062753308
  • 丸井今井編 『丸井今井九十年史』 丸井今井、1962年
  • 丸井今井編 『丸井今井百年のあゆみ』 丸井今井、1973年
  • 丸井今井百二十年史編纂委員会編 『株式会社丸井今井創業百二十年史』 丸井今井、1992年

関連項目

呉服店時代の丸井今井出身者が独立し創業した百貨店

外部リンク