「ノート:幸福の科学/過去ログ1」の版間の差分
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|result1=存続|page1=幸福の科学|date1=2007年10月13日 |
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''このページは一度削除が検討されました。削除についての議論は[[Wikipedia:削除依頼/幸福の科学]]をご覧ください。'' |
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== 完全な引用は避けましょう == |
== 完全な引用は避けましょう == |
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タイトルからして明らかに仏教書と分かるものに「真説・八正道」「観自在力」「仏陀再誕」「永遠の仏陀」「大悟の法」があるが、「真説・八正道」は伝統仏教の八正道を現代人にも分かりやすいようにオリジナルの八正道の中身を多少変えて解説した本で、「仏陀再誕」はサブタイトルに「縁生の弟子たちへのメッセージ」となっていて仏教用語を前面に出さずに過去世で仏教と縁のあった現代人に対するメッセージという体裁になっている。「永遠の仏陀」は「仏陀再誕」の続編のような位置づけで、やはり仏教用語は直接出さないで教えのみが書かれている。 |
タイトルからして明らかに仏教書と分かるものに「真説・八正道」「観自在力」「仏陀再誕」「永遠の仏陀」「大悟の法」があるが、「真説・八正道」は伝統仏教の八正道を現代人にも分かりやすいようにオリジナルの八正道の中身を多少変えて解説した本で、「仏陀再誕」はサブタイトルに「縁生の弟子たちへのメッセージ」となっていて仏教用語を前面に出さずに過去世で仏教と縁のあった現代人に対するメッセージという体裁になっている。「永遠の仏陀」は「仏陀再誕」の続編のような位置づけで、やはり仏教用語は直接出さないで教えのみが書かれている。 |
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その他の書籍は、あまり仏教用語は出ないが、目次の部分からしてちゃんと仏教用語が出てくる。 |
その他の書籍は、あまり仏教用語は出ないが、目次の部分からしてちゃんと仏教用語が出てくる。 |
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仏教用語の出る書籍には「太陽の法」「希望の法」「幸福の革命」「宗教の挑戦」「常勝の法」「幸福の科学とは何か」「奇跡の法」「霊界散歩」「繁栄の法」「宗教選択の時代」「信仰告白の時代」「ダイナマイト思考」などがある。 |
仏教用語の出る書籍には「[[太陽の法]]」「[[希望の法]]」「[[幸福の革命]]」「[[宗教の挑戦]]」「[[常勝の法]]」「幸福の科学とは何か」「[[奇跡の法]]」「[[霊界散歩]]」「[[繁栄の法]]」「[[宗教選択の時代]]」「[[信仰告白の時代]]」「[[ダイナマイト思考]]」などがある。 |
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なお幸福の科学が世界宗教と呼ばれるようになる時代には仏教路線を捨ててエル・カンターレ教団路線に路線変更する可能性がある。」 |
なお幸福の科学が世界宗教と呼ばれるようになる時代には仏教路線を捨ててエル・カンターレ教団路線に路線変更する可能性がある。」 |
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--[[利用者:松原俊|松原俊]] 2006年8月3日 (木) 11:33:34 (UTC) <small>/ 履歴より署名補完 --[[利用者:Kanjy|Kanjy]] 2006年11月6日 (月) 11:10 (UTC)</small> |
--[[利用者:松原俊|松原俊]] 2006年8月3日 (木) 11:33:34 (UTC) <small>/ 履歴より署名補完 --[[利用者:Kanjy|Kanjy]] 2006年11月6日 (月) 11:10 (UTC)</small> |
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書き忘れましたが、公共性や利便性は商業目的や利益目的の広告性を緩和する面もあるという考え方でもあります。--[[利用者:Poh|Poh]] 2008年9月1日 (月) 06:47 (UTC) |
書き忘れましたが、公共性や利便性は商業目的や利益目的の広告性を緩和する面もあるという考え方でもあります。--[[利用者:Poh|Poh]] 2008年9月1日 (月) 06:47 (UTC) |
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「リンク先は公式サイトだけにする」という意見を支持します。理由は「公式サイトは『幸福の科学』を支持するサイトではないから」です。言葉遊びと受け取る方もあるでしょうが,「XXさんの支持者」とか「XXさんの意見に賛成の人」と言ったときはXXさん自身を含まないのと同じように考えるとよいと思います。[[利用者:Suzukitaro|Suzukitaro]] 2009年6月30日 (火) 21:39 (UTC) |
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== いきなり削除はしないで。 == |
== いきなり削除はしないで。 == |
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問題とされるのは件の文章がネット以外のソースが提示されていないということだけです。 |
問題とされるのは件の文章がネット以外のソースが提示されていないということだけです。 |
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他のサイト等への誘導的な文章があるわけではないので「興味を煽る」かどうかはあなたの主観に過ぎません。またそのようなものに「興味を持たせる」こと自体にはWikipedia上の問題はありません。その他の疑問につきましては[[Wikipedia:信頼できる情報源]]、[[Wikipedia:検証可能性]]、[[Wikipedia:独自研究は載せない]]等を読まれてください。--[[利用者:Poh|Poh]] 2008年11月22日 (土) 10:56 (UTC) |
他のサイト等への誘導的な文章があるわけではないので「興味を煽る」かどうかはあなたの主観に過ぎません。またそのようなものに「興味を持たせる」こと自体にはWikipedia上の問題はありません。その他の疑問につきましては[[Wikipedia:信頼できる情報源]]、[[Wikipedia:検証可能性]]、[[Wikipedia:独自研究は載せない]]等を読まれてください。--[[利用者:Poh|Poh]] 2008年11月22日 (土) 10:56 (UTC) |
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:まずは、[[Help:ページの編集]]とノート:幸福の科学の「署名」を熟読してくださいとしかいいません。 |
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:海外施設一覧についてですが結局、現地に行くには事前に調べる必要があるので出典は必要だと考えます。住所を載せる必要は無いと思います。ただし、月刊誌で一般の方でも確認することができるかどうかは検証が必要になってきますし、そもそも記事自体が必要なのか考えてしまいます。 |
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:基本教義については、この教団の法の特徴は一体何なのか考えてみましょう。『悟りの挑戦(上巻)』の引用を基本教義とするならば、そのことを裏付ける出典が必要になります。上記のことを言い出した場合、『[[ノストラダムス戦慄の啓示]]』を基本教義と勘違いしたことで起きた事態の二の舞がおきるのは想像に難くありません。--[[特別:投稿記録/59.139.212.226|59.139.212.226]] 2008年11月22日 (土) 11:17 (UTC) |
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::[[特別:投稿記録/59.139.212.226|59.139.212.226]] さん、判決文の出典に[要出典]のテンプレート付けられてましたが、書籍や新聞と同様ですので必要ならば自分で調べてください。 Wikipediaで要求されているのはあくまでも「検証可能性」です。--[[利用者:Poh|Poh]] 2008年11月22日 (土) 11:38 (UTC) |
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::Pohさん、内容は把握しています。[http://lexposition.blogs-de-voyage.fr/archive/2007/09/08/フライデー事件(威力業務妨害、集団偽証を指示).html この記事]だとは思いますが。あの文章の内容からすると最高裁の上告棄却文ですよね。なぜ、東京地裁の番号を出したのか不明なんですが。脚注に最高裁の判例の番号を載せないと矛盾が生じると思いますが。--[[特別:投稿記録/59.139.212.226|59.139.212.226]] 2008年11月22日 (土) 12:22 (UTC) |
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*>問題とされるのは件の文章がネット以外のソースが提示されていないということだけです。> |
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それをいうなら、同じ言葉をお返ししますよ。ネット以外のソースが提示されていないのは問題の文章も同じです。ネットでの推測について、「信頼できる情報源」であるということを証明するものはないのに、「ネットで調べたら判るんじゃないですかー」みたいな書き捨てになっていますよね。 |
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さらには、その情報源の検証が可能かどうか?という疑問にも答えになっていない。単なるデマかもしれない話について、憶測されているとわざわざ書き添える必要はないはず。その情報をここに書きこんだら明らかに独自研究となるような話なのに、そういうのがあるよと、わざわざ紹介する必要性があるとは思えませんが。 |
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つまりですね、いきなりあの部分を削除してしまうと問題あると思ったから、わざわざ回りくどいことしただけで、本音は削除すべきだということが云いたかっただけです。私の作った例文自体はどうでもいい内容です。ただの誘い水です。 |
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*海外施設については、記事自体が必要ないのならば、国内施設についても必要ないと判断してもおかしくないと思います。何故なら、海外の場合、支部とはいっても国内の精舎的役割を果たしているからです。たとえば、ロンドン支部精舎はヨーロッパ全土で唯一の精舎です。 |
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それとは別に、海外に関しての情報は必要ないというのであれば、それは個人的な見解と受け止めます。 |
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実際に現地で確認したいのであれば、住所を教団に問い合わせれば良いのではないでしょうか?秘密にしてこそこそやっているわけではありません。 |
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どうしても月刊誌を確認したければ、バックナンバーを可能な限り取り寄せれば良いではないですか?落慶日も親切に記載しているのだから。 |
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つまり、そういう確認方法もあるというだけで、建物自体は逃げ隠れするものではないので検証は可能であるということです。 |
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国内精舎に関しても同じことだと思うので、海外施設だから特別証明する必要があるとは云えません。なお、ロンドン支部精舎までは教団史2008年版にも記載してあります。 |
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住所に関しては、国内施設は都市名を記載しています。海外では支部名が都市名であるので記載の必要はないと判断します。 |
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*基本教義については、それが基本教義であることが当該書籍にハッキリ明記してあるので、それで証明できます。 |
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最初に「基本教義は…」と書いているのは、原文にも書いてあるからです。まず、根本経典が明記してあって、その次に基本教義について書いてあり、最後に当該書籍が基本教義のどの部分について書かれているのかを説明しているという構図になっています。「まえがき」に書いてあります。 |
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ちゃんと確認してから云ってください。出典を書いていても確認しないで削除してたら意味ないでしょう。 |
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さらにいうなら、教団設立当初から基本教義は変わっていません。 |
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1987年3月8日に第1回講演会から「幸福の原理」が説かれています。まだ教団設立1年目です。違うものを基本教義だと勘違いするのは個人的な問題です。(出典:書籍「幸福の原理」「ユートピアの原理」) |
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--[[利用者:Hikarinotenshi|Hikarinotenshi]] 2008年11月22日 (土) 13:48 (UTC) |
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*それから、この項目は「完全な引用はさけましょう」の一番下に付け足す意図がありました。違うものを新たに立てる意図はありませんでした。 |
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--[[利用者:Hikarinotenshi|Hikarinotenshi]] 2008年11月22日 (土) 14:02 (UTC) |
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:59.139.212.226さん、裁判の経緯について日経新聞の記事より出典に追加しておきました。地裁であっっても判決文は公的な文書ですからソースに問題はないですし、地裁の判決を基に記述することは禁止事項ではないでしょう。また表記も地裁まででの内容になってます。もし最終判決までこれが否定されることがなかったことが確認できれば「~業務妨害行為であると判断された」から「業務妨害である」と変更可能です。また二審以降否定されたのならその旨も記述可能です。それは記述されたい方が調査し出典明記の上記述されればいいでしょう。 |
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:Hikarinotenshiさん、「インターネットサイト等で実際の信者数に関する情報が推測・推定されている。」という文章は、これが新聞や週刊誌に載ったのであれば問題なく掲載可能です。今回はソースの提示がないので、ネットのみの情報および独自の注釈とみなされただけです。除去されたことは問題ないとは思いますが、回答待ちの場合Wikipediaでは1週間置くのが慣例ですから憶えておかれるとよいでしょう。また「信者数が1000万人」という記述が本文にありますが、これもネットでの憶測と同様かそれ以上に信頼できない数字です。ただ幸福の科学の公称会員数であったから掲載が可能だというだけです。(1000万人記述も出典は無いですが、週刊新潮で見た記憶があるので私はあえて突っ込んでません)Hikarinotenshiさんはもう少しWikipediaのルールについて勉強されてから編集や議論に参加されたほうがいいように思えます。--[[利用者:Poh|Poh]] 2008年11月23日 (日) 11:06 (UTC) |
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*>これが新聞や週刊誌に載ったのであれば問題なく掲載可能です。> |
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仮説を述べても意味はないです。結局は何を根拠にしているのかということが明確でないということを問題にしていると初めから云っています。つまり、私が云っていることを追認したということで良いですね。 |
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*>「信者数が1000万人」という記述が本文にありますが、これもネットでの憶測と同様かそれ以上に信頼できない数字です。> |
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では、この点についても、出典・根拠を明確に示せなかった場合には、単なる憶測として処理して良いと考えて良いということですね? |
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公称ということは、根拠が示せるはずですから。おかげ様で一気に解決できます。 |
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1週間ルールについては、削除した後に気がつきましたが、削除しましたと報告しましたし、すでに1週間たっても何のリアクションもなかったので、それはそれで問題なくなったと考えています。次の日曜日までに根拠の示せる人は示してください。雑誌の情報などの憶測ではなく、公式の数字であるという根拠です。雑誌に載ったら問題ないとは云えませんよ。2008年10月1日の週刊新潮との裁判でも、週刊新潮の記事が事実でないと判決が出たばかり。雑誌や新聞でも事実誤認はありえるというのは社会の常識だと思います。これは、「信頼できる情報源」に該当せず、「検証可能」という範疇に入れて良いものではないでしょう。ですから、繰り返しあなたの云っていることは矛盾していると申し上げているのです。 |
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--[[利用者:Hikarinotenshi|Hikarinotenshi]] 2008年11月23日 (日) 14:38 (UTC) |
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:>おかげ様で一気に解決できます。 |
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:それはあなたがルールご存じなかったのかが今頃やっと解かったいうことすね。仮説を述べたのはあなたにルールを教えるためです。要するにあなたが書かれていた「インターネットサイトでの会員数の推測・推定に誘導することになる可能性があります。いたずらに煽ることになりかねません。」という理由はWikipediaでは全く受け入れられない無駄な論点だったということです。またあなたがこちらで「信頼できる情報源」としての新聞雑誌等の問題点をの述べたところで何の価値も持たないものです。ウィキペディアに書いたことは削除(除去とは違う)にでもならない限り残って行きますので、いずれリールの意味が解かれば、自分がいかにばかげたことを書いていたかわかるでしょう。これ以上そうならないためにご注意申し上げているまでです。Wikipediaで認められているソースが提示できれば事実誤認であっても掲載はでき、事実であってもソースが提示できなかったり証明できなければ掲載できないというのがWikipediaのルールです。「幸福の科学の公証会員数1000万人」というのが「根拠のない信頼できない数字」「嘘としか思えないような数字」であってもソースがあるから掲載できたということです。念のため<s>「1000万人」</s>と「アフロディーテ祭中止」に'''要出典'''のテンプレートを付けておきます。--[[利用者:Poh|Poh]] 2008年11月24日 (月) 02:08 (UTC) 訂正--[[利用者:Poh|Poh]] 2008年11月24日 (月) 02:18 (UTC) |
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*ルールが判ったのは11月17日です。教えていただくまでもありませんでした。 |
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ですが、削除したことはわざわざ報告しているし、何も反論なかったですから時効と考えています。ルールというより、慣例ですよね。実際、いきなり削除することには言及しようとしないわけですから、ルールを振りかざすのは二股膏薬ですね。 |
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書いたことが残ることはよく判った上で書いています。そのことの意味も理解した上で書いています。逆にそれを利用しているということです。無かったことにしようとしているわけではありません。 |
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「アフロディーテ祭中止」に出典はありません。しかし、行われなかったことは事実です。行われなかったことが確認できる出典を求めるというのも現実的とは云えないと思います。それこそ会内文書通知くらいのものでしょう。 |
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つまり、有ったことを確認する証拠を出すならともかく、無かったことを確認する証拠を出せというのは乱暴過ぎると思います。また、過去に行われた行事が、出典がないことを根拠に現在も行われているように残っているというのもおかしな話です。この場合は単に削除すれば良いということですか? |
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私は何もむやみやたらに削除したいわけではありません。今現在を基準に読んだ場合、過去のデーターが現在の基準に合わないということに対する補足説明なしに、それがあたかも実状であるかの認識で定着してしまうことに対する懸念を持っているだけです。 |
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ですから、1千万を残すのならば、その一千万という数字が一般的に考える信者数のカウント方法と違うということが明確に判るようにする必要があるということです。 |
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ただ、あなたの云ったように、独自研究と判断されるような説明にならざるを得ないのと、出典の問題もあり、特に解決策が提示されない(できない)ということになると削除も考える必要があるかなと思っているのです。 |
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--[[利用者:Hikarinotenshi|Hikarinotenshi]] 2008年11月24日 (月) 04:10 (UTC) |
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*現在出典とされている10周年記念誌は教団内部のみの頒布で、発行部数が少なく信者でも持っている人は少数です。一般に検証可能な出典といえるものではありません。 |
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また、教団内の自画自賛的要素も強い内容なので、対外的に正式に公表した数字というのとは性格が異なります。 |
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さらに、この数字の具体的内訳が非常に曖昧であるという問題もあります。当時の会員制度からすると、月刊誌を毎月届けてあげただけでも会員と数える「誌友会員」が含まれているなど、宗教教団の一般的な信者数の数え方と違います。 |
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世間一般の考える信者数という基準からすると、1996年の三宝帰依した者のみを信者とする会員制度の是正以後でなければならず、そういう意味で、一千万人については別途説明を要するものの、それを付加するのが難しいということになると、「公表されていないので不明」以外は全て記載するべきものとは云えないと考えています。 |
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--[[利用者:Hikarinotenshi|Hikarinotenshi]] 2008年11月24日 (月) 04:57 (UTC) |
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:乱暴だと言う前に、あなた自身がWikipediaに書いていいことと悪いことをしっかり把握しておくべきです。アフロディーテ祭中止の件はソースがないと名言されたので、ネット上でのデマかもしれないので戻しておきました。Wikipediaはニュース速報ではないので性急な編集はする必要はないのです。あと大川きょう子の役職「立宗名誉補佐」の箇所に'''要出典'''を付けておきました。ルールに意義があるならこんなところで「演説」するのではなく、しかるべき場所で意見するなり変更のために行動されればよいでしょう。ただし、あなたの言われてることや考えてることは既に多くの利用者が持っていて、それらを踏まえた上で共通して守られるべきものとしてルールが作られたのだということは知っておかれたほうが良いでしょう。それと信者数の箇所の除去では、私はあなたについて何も批判はしてません。今後のトラブル等を避けるために、そのような慣例があることをお知らせしたまでです。--[[利用者:Poh|Poh]] 2008年11月24日 (月) 09:17 (UTC) |
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*ということは、現時点で二つとも出典の可能性がないので削除しておきました。出典が示せるようになったら再度作成すればよいことですから。 |
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それとも「要出典」と付けておけば何でも書けるという方がお好みでしょうか。それだったらいくらでも書けますね。 |
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ルールに関しては、一部にだけ主張するような人に云われてもね。 |
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--[[利用者:Hikarinotenshi|Hikarinotenshi]] 2008年11月24日 (月) 10:59 (UTC) |
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:「一部」と言われても一度に全部の方針については言及できないでしょう。それに違反を犯した側が言うべきことではないです。出典の提示責任があるから例えば「大川の不倫、愛人問題」などは掲載されずに済んでいるのです。あなたも一部しか見ていません。--[[利用者:Poh|Poh]] 2008年11月24日 (月) 22:35 (UTC) |
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*おかしなことを云いますね。慣例というのは強制を伴うルールではないので違反ではないと思いますが。まあ、そういことを語るところでないのでこれくらいで止めときますが、執拗にからみますね。--[[利用者:Hikarinotenshi|Hikarinotenshi]] 2008年11月25日 (火) 11:43 (UTC) |
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違反というのは出典のないものを書いたことす。違反を犯して開き直れば許されるとでも思ってるのでしょうか?しかも全く関係のない慣例のことを言われてると勘違いされているのは、ご自分の犯した違反に全く自覚がないとしか思えません。--[[利用者:Poh|Poh]] 2008年11月25日 (火) 22:46 (UTC) |
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:また見出し通りの事が起きてます。このような初心者が現れることは[[幸福の科学]]の記事では珍しいことではありません。この件は「[[利用者‐会話:もけどな]]」のほうで、しばらく。[[利用者:もけどな|もけどな]]さんと対話を続けていきます。--[[利用者:Poh|Poh]] 2008年11月27日 (木) 10:43 (UTC) |
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*出典のないものは他にも前からありますが、そういうことには寛容なんですねということもすでに云いました。だから、あなたの云う事はおかしいと云っている。まあ、云ってもしょうがない人だと思うので、もう云いません。--[[利用者:Hikarinotenshi|Hikarinotenshi]] 2008年11月30日 (日) 09:19 (UTC) |
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ちょっとコメントします。[[利用者:Hikarinotenshi|Hikarinotenshi]]さんの 2008年11月24日 (月) 04:10 (UTC) の書き込みについて指摘しておきます。《「アフロディーテ祭中止」に出典はありません。しかし、行われなかったことは事実です。行われなかったことが確認できる出典を求めるというのも現実的とは云えないと思います。》については、もちろん現実的な話です。その「アフロディーテ祭」が百科事典への記載としてあるべきならば、[[Wikipedia:信頼できる情報源|信頼できる情報源]]にて、中止となったことは記載されているであろうという立場をウィキペディアは取っています。例えば、適当な検索エンジンで「イベント 中止」とか「祭 中止」などと検索してみてください。幾つかの情報が容易に見つかることでしょう。ですから、「中止になったことは証明できない」ということはないのです。もし、信頼できる情報源が見つからないのであれば、中止になった事実、或いはそのイベント自体の記述がウィキペディア日本語版にとって必要なのかということも検討してみてください。(もちろん、出典があれば何を書いてもいいということはありませんので、次の段階としてはその点を注意する必要があります) |
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《また、過去に行われた行事が、出典がないことを根拠に現在も行われているように残っているというのもおかしな話です。》については、一般論でいえば、何らかのイベントが毎年一回というように継続されていたが、ある時点で止めてしまった場合にどうするのかという話になると思います。ウィキペディア日本語版の記述をみて、それが今でも実施されていると解釈できてしまう場合、それはその記述の仕方に問題があることが多いです。対処の例としては次のような方法があると思います。 |
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* 信頼できる情報源に『イベント主催者は「これからも毎年実施する」と述べた』と書かれてあったのであれば、それを出典として「イベント主催者によれば、XXXX年の時点では、これから毎年実施する予定である」とでも記載する。 |
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* XXX5年に信頼できる情報源が『XXX5年Y月Z日にAが開催された。本イベントはXXX1年から毎年開催されている』とあれば、それを出典として「XXX5年現在、本イベントはXXX1年から毎年開催されている」とでも記載する。 |
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要するに、確定していない未来を、確定したように記述することはあまり適切ではないということなのです。[[Wikipedia:すぐに古くなる表現は使わない]]も参照してみてください。 |
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また、2008年11月30日 (日) 09:19 (UTC) のコメント《出典のないものは他にも前からありますが、そういうことには寛容なんですねということもすでに云いました》についても私の見解を一般論として書いておきます。現状のウィキペディア日本語版では「[[Wikipedia:検証可能性]]」が軽視されていると私は考えています。非常に残念なことです。で、個人的には残念ではあるのですが、検証可能性を満たしていない記述はウィキペディア日本語版内に無数にあるのです。ただ、その状況下でも問題視されない記述というものは、それは大半の人がみても「まあ、妥当なことが書いているだろう」と判断されているからです。 |
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しかし、検証可能性が問題視される場合があります。例えば「[[Wikipedia:独自研究は載せない]]」に抵触するような内容と疑われる場合です。事実或いは真実を記載していた場合でも、そのように疑われてしまうことはもちろんあるでしょう。でも、その場合もまずは検証可能性を満たすように信頼できる情報源を提示するということが我々には期待されています。その上で、他者との合意を得ていく作業を継続する必要があります。 |
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現時点のウィキペディア日本語版では、こんな感じで動いていると理解してもらっていいと思います。 |
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最後に書いておきますが、人によっては、気にくわない記述を除去したいがために「検証可能性」を持ち出してくる人もいると思います。その場合も、本来は出典は必要なのだというウィキペディア日本語版の基本方針に立ち返って対応してみてください。そうすれば、そんなに悪い結果は招かないんじゃないかと思います。--[[利用者:Iwai.masaharu|iwaim]] 2008年12月2日 (火) 16:10 (UTC) |
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:ですから、ウィキペディア日本語版の基本方針に立ち返って対応すればいいので「他に寛容」と批判を返したところで既に書いた「開き直り」でしかありません。出典がないことで気になるのがあるのなら自分で対処すればいいだけのことです。--[[利用者:Poh|Poh]] 2008年12月5日 (金) 11:49 (UTC) |
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*Iwai.masaharuさん。わたしは、「2008年現在中止」と記述しました。「聖者は一人に集約されるべき(というニュアンス)」という教団運営の方針が働いているため、再開される見通しはないと聴いています。ただ、もし再開されることがあれば、「20××年再開」と加えることができるようにしました。つまり、「中止」としたのであって、「廃止」とはしていません。実質「廃止」なのですが、ここは充分に考慮して言葉を選びました。 |
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これと並行して、この追記に出典がないという指摘以前に、そもそも行事リスト自体に出典が示されていないことには全く触れられていない。おかしくないですか?全体的に出典がないことは問題なく、追記部分だけ出典要求されるという問題、こういう対応の仕方を矛盾していると繰り返し指摘しているわけです。 |
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さらに、行事というものは年々変化していくものと考えてよいものだと思います。新しい行事が加わったり、無くなる行事もあったり、名称が変わったりします。なので、出典と同時に、いつの時点の情報なのかも明記する必要はあるのではないかと思います。 |
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そういったことを少しづつ問題提起して調整していきたいと思っていましたが、最初から排除方向でしか話してくれないし、勝手にやれみたいな突き放しや、出典がどうのと私が編集した部分だけをやり玉に挙げるなどの個人攻撃に終始して先に進めないということを云ったわけです。 |
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出典を示さなければならないということでいえば、大部分が出典を示していないということは何れ問題提起したいと考えていました。問題視しない人がいても責められませんが、それならその方針を貫いて欲しいものです。 |
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こういう事から、出典が示されたとしても、その情報自体が古くなってしまうことは避けられないと判ると思いますが、必ずしも出典の更新が出来るわけではないという問題が残るということも念頭に置いてもらいたいと思います。 |
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例えば、きょう子先生の肩書きに出典がないなど、急に思い出したような出典要求がありましたが、出典自体は存在します。書籍のプロフィールに書いてあります。しかし、出版日、増版日によっては肩書が違っています。新たな初版本が発行されるということでもないと最新の肩書きは出典確認が難しいです。 |
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また、随分昔に限定的に出版されたものを出典として示して、これを検証可能と認めるかどうかという問題など、問題は沢山あり、合わせて考えなくてはならい問題ではあります。 |
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でも、一度にまな板に乗せてしまうとややこしくなるので、中途半端になってしまうのはやむを得ないのです。 |
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駄目だ駄目だじゃなくて、どうしたら問題解決できるかということを一緒に考えていくのが本当の在り方じゃないかと思うのですが、いきなり検証もしないで削除されたり、駄目ダメ云うばかりの突き放しですから、自分たちの縄張りを荒された程度にしか考えられないのだろうと感じます。 |
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それで、話し合いによる解決は無理なんだろうと思っています。--[[利用者:Hikarinotenshi|Hikarinotenshi]] 2008年12月6日 (土) 05:01 (UTC) |
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: 《こういう事から、出典が示されたとしても、その情報自体が古くなってしまうことは避けられないと判ると思いますが、必ずしも出典の更新が出来るわけではないという問題が残るということも念頭に置いてもらいたいと思います》という問題はもちろんあるわけです。それでですね、ウィキペディア日本語版は、というかウィキペディア全体としては、それでいいという立場を取っているわけです。つまり、「更新が止まってしまい、記述自体が虚偽の内容になる」ことは避けるべきとしていますが、「更新が止まってしまい、記述自体が古くなる」ことは許容範囲なのです。《例えば、きょう子先生の肩書きに出典がないなど、急に思い出したような出典要求がありましたが、出典自体は存在します。書籍のプロフィールに書いてあります。しかし、出版日、増版日によっては肩書が違っています。》について、同じ書籍でも版によって肩書きが異なるってのは当然あります。で、それについては、書籍情報に版指定を入れることで、検証可能性については問題がなくなります。{{Tl|Cite book}}にも「edition」というパラメータが用意されています。また、《新たな初版本が発行されるということでもないと最新の肩書きは出典確認が難しいです》については理解できますが、ウィキペディアはそういう立場を取るってのは揺るがせないことなのです。要するに、検証可能性を満たす信頼できる情報源から、その肩書きが報じられない場合、そもそも百科事典に掲載する価値がないのではないか?ということなのです。 |
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: 《駄目だ駄目だじゃなくて、どうしたら問題解決できるかということを一緒に考えていくのが本当の在り方じゃないかと思うのですが》については、おっしゃる通りですね。ただ、ウィキペディアでは検証可能性を満たすことは、本来必須事項なわけですから、他者から「出典は?」と問われた場合、それをどうしても掲載すべきとするならば、出典を出すことは必須の行動です。それなしに問題解決はありえないのです。[[Wikipedia:検証可能性]]にも『この三方針は議論の余地がないものであり、他のガイドラインや利用者同士での合意によって覆されるものではありません。』とあるではないですか。 |
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: 《いきなり検証もしないで削除されたり、駄目ダメ云うばかりの突き放しですから、自分たちの縄張りを荒された程度にしか考えられないのだろうと感じます。それで、話し合いによる解決は無理なんだろうと思っています》については、検証可能性について異論がある状況下にて、検証可能性を無視して掲載を求めるってのは横車を押すようなものです。それを踏まえた上で、Pohさんと、あるいはウィキペディア日本語版の利用者たちと話し合いによる解決は無理と判断なさっているということなのでしょうか? --[[利用者:Iwai.masaharu|iwaim]] 2008年12月6日 (土) 08:22 (UTC) |
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::私から申し上げたいことは、[[利用者:Hikarinotenshi|Hikarinotenshi]]さんのことは6年半前から知ってますが、Wikipediaにおいてもアクティブに意見を述べられたり編集される方なので、Wikipediaのルール・方針を最低限は知っていないと他の編集者に迷惑をかけることにもなるので、落ち着いて方針文書をしっかり読まれてから行ったほうが良いですよということでありまして、それは最初から申し上げていることでもあります。 |
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::「行事の出典」ですが月刊誌や雑誌に出てることぐらいはわかっているので、要求すればすぐ出せるということであえて求めてはいません。ただ「アフロディーテ祭2008年8月中止」というのは現在のタイミングでどこに出てるのかな?ということです。また「大川きょう子の新しい役職」は[http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20081030-00000001-facta-pol 『月刊FACTA』](2008年11月号)や『週間ポスト』(2008年11月17日号)に載った「一会員に降格」というのがあなたが編集された時点では信頼できる最新ソースだと思われます。ソースがなく掲載不可なものならすぐに修正して、あなたが方針文書を読み直すなどして同じことを繰り返さないようにすればいいだけのことです。 |
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::ちなみにアフロ中止ときょう子の役職は、信者はみな口を揃えたように「嘘」だ「デマ」だと言っているファルコン氏(元幸福の科学職員)から最初に出たもので、ファルコン氏の後に全く同じ事を書かれても、一般人としてはソースがなければネットでのデマの受け売りなのかどうかも見分けがつかないのであります。--[[利用者:Poh|Poh]] 2008年12月6日 (土) 10:06 (UTC) 追加修正--[[利用者:Poh|Poh]] 2008年12月28日 (日) 09:44 (UTC) |
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*幸福の科学は、宗教であり、現時点では必ずしも万人がその真偽を検証できない研究成果であっても、それがまだ発見されいないだけ(さまざまな人が認識していないだけということ)と考えると、これは中立的な観点からは認識されていないということになります。また、宗教は神や仏を唱えています。これは、宗教側から見て、不利だと思います。これは削除しないほうがいいと思います。--[[利用者:ミッチュ|ミッチュ]] 2010年9月3日 (月) 17:40 (UTC) |
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== メモ == |
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== 公式 == |
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はじめて投稿します。いろいろな宗派をWikipediaで調べておりましたら幸福の科学にたどり着きました。それで公式サイトが外部リンクに無いので奇妙にも不便にも感じつつこのノートに寄らせてもらいました。一応全部読ませていただきましたが、明らかにおかしいと思えるのは公式ページの掲載がこの教団に限って議論のまっただ中で、掲載が許されていないことです。他の宗教団体のページでは結構複数のリンクが堂々と掲載されているのにここの外部リンクだけ(私が見てきた中では)公式サイトが問題になっているようですね。幸福の科学さんの肩を持つ訳ではないですが、何か奇妙です。それともWikipediaとしてはここから外部リンクに公式サイトを載せない方針の始まりとされているのでしょうか?利用者としては他の宗教団体のページ同様に理解の道具として公式ページの掲載が欲しいですね。くれぐれもダブルスタンダードの無いようにお願いします。--twinsfather 2009年2月2日1時30分 |
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:中立的観点は必ず守られるべき方針です。方針を守ることを拒否している人たちがいるため貼れない状態が続いている状況です。公式サイトだけ貼られている記事もあるようですが、そこは公式サイトが中立なのか方針が守られていないかのどちらかなのでしょう。また公式が見たければ過去ログから跳べますしグーグル検索でも出せます。あなたが公式とは別の観点から作られたサイトを併載されれば掲載可能です(保護解除が先ですが)。--[[利用者:Poh|Poh]] 2009年2月6日 (金) 13:56 (UTC) |
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== 公式サイトについて == |
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時間をあけまして申し訳ありません。 |
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他の検索エンジンで調べればよいという問題ではないと思いますよ。 |
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pohさんのご意見で、 |
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(違反を見つけたら対処するのが基本的なルールであり「他にも違反している記事があるから許される」というものではありません。また利用者はすべての 記事を編集する義務はありません。他の記事に違反を見つけたのであれば、見つけた利用者がしかるべき対処を行えばよいのです。 |
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コメントアウト前の外部リンクは特定の宗教思想の宣伝布教を目的としたものであり、公式サイトも含め中立的とはいえないものですから、別の立場のサ イト無しでは郁さんの言われる「掲載しても良いサイト」にはならないことになります。Wikipediaで重視されるのはWikipediaの公式(な方針)であ り、幸福の科学の公式(サイト)ではありません。決して「暴論」や「不適当な議論」ではありません。影響範囲を心配されるのなら、これらの観点から もう一度他の記事のリンクを見直されることをお奨めします。--Poh 2008年8月26日 (火) 10:33 (UTC)(一部修正)--Poh 2008年8月26日 (火) 11:36 (UTC) ) |
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という部分があります。Wikipediaの編集に携わる者としては、Wikipedia全体に中立的観点の基準が適用されるという理想の精神の元、個別の記事の中立性の維持を心がけるべきかと思いますがまちがいでしょうか? Pohさんのご意見からは、ここ(幸福の科学の外部リンク)のみ中立的観点を適用し、他所に見られる問題へのリンケージは無視する、関知しないと言われているように見えます。 |
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法律でもルールでも宗教教義でもその中身の一部分を誇張したり強調して適用すると世の中の常識を覆す結果が発生することが多々あります。(すみません。非常識と言っているのでは決してありませんから) そのような言葉のレトリック的な領域の仕事からは編集する者としては離れなければいけないと思います。したがって、ここではWikipediaの中の宗教団体の括りで中立的観点を学習し、ここ(幸福の科学の外部リンク)にも引いてくるようにすべきではありませんか? |
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他のほとんどの団体が公式リンクを掲載しています。それに対して疑義が提出されてはいないようです。ですからここ一団体の公式サイトをコメントアウトして疑義を唱えるのではなく他の団体と同じく公式サイトを載せ、問題がある団体だと考えるのであれば反対のサイトをご当人が載せる、あるいは他から募ればよいのではないかと考えます。その上でその場所で公式サイトの中立性について疑義を唱えればいいのです。そして、その疑義を建設的に上の括りに上げていったらどうでしょう? |
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中立的観点の意味合いを2種類に使いましたが、公式サイトの中身の中立性に関して少なくともWikipediaの宗教団体の括りではまだ結論が出ていないから現状の様なのではないですか? 今の状態では、全体への問題提起を幸福の科学さんの外部リンクの項でで実験しているような形です。以前に中立的観点を逸した編集の疑義が上がりこのような状態になっていることも理解しています。その上で公平な立場の編集が速やかに進むことを希望します。--[[利用者:Twinsfather|Twinsfather]] 2009年2月28日 (土) 15:14 (UTC)Twinsfather 2009年3月1日(日)0:03(utc) |
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:[[利用者:Twinsfather|Twinsfather]] さんのご意見は「他の記事で方針が守られていないのだからここでも違反をすべきだ」ということのように考えられます。なぜならばTwinsfatherさんの言われてる《宗教団体の括りで中立的観点を学習し》とは中立的観点ではなく宗教団体の括りの中での平均に過ぎないと考えられるからです。コメントアウト前の当記事の外部リンクがそうであったように他の宗教の記事の中にも中立的観点が守られてないものもありえます。その現状で他を学習したところで違反の真似をすることにしかなりません。違反を見つけたのでよりより理想に近い状態にして問題提起をしているのでありまして、それを他の団体に習い違反の状態に戻して議論したり反対のサイトを募るのは間違いだと思います。 |
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:他を参考にすることは良いことではありますが、公式な方針には冒頭に'''「多くの利用者に支持されており、すべての利用者が従うべきだと考えられています」'''と記されています。これは'''方針文書が他を参考にしなくても一対一でどの記事にも適用可能なものである'''ことを意味していると考えられます。また先の文は「局所的」という意味でのレトリックとは言えないでしょう。他で方針が守られていないことを、私が上の括りにおいて疑義を提出する役には無いと考えているだけでなく、そうしなければ当記事の違反を正せないということは全く無いと考えております。 |
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:また私自身としては公式サイトを掲載する必要は無いと考えております。公式サイトはガイドラインでは「掲載してよい」サイトとなっていますが「掲載しなければならない」必須項目という訳ではありません。あくまでも公式サイトを掲載したい利用者がご自分で方針に違反しない形で掲載すれば良いのです。それを申し上げたら、方針を守ってまでも公式サイトを載せようとする方が現れなかっただけのことです。--[[利用者:Poh|Poh]] 2009年3月1日 (日) 14:27 (UTC) |
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:[[利用者:Twinsfather|Twinsfather]] さんのいわれる《宗教団体の括りでの中立的観点》と《公平な立場の編集》について思うことがあるので追記します。記事:幸福の学においてのみ方針が厳守させられていることを不公平とお考えなのかもしれませんが、もし私が方針を違反したり現状のルール等を変革する方向で編集を推し進めるのであれば、全体を考慮してしかるべき対処をする義務が生じます。ただ今回の件では私は現状の方針を守るように編集や問題提起をしているのでありまして、この場合には他の方針が守られていない記事にまで責任を持つ必要はないと考えられます。 |
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:[[利用者:Twinsfather|Twinsfather]] さんが現状をダブルスタンダードだとお考えで改善をご希望であれば、それは希望される方が上部への疑義申し立てや改善要求をされるべきであります。この記事の方針違反を正した私に対して「それをするなら他の記事も改善すべきで、それが嫌ならここでも方針違反を認めろ」と言われるのは越権行為としか思えません。--[[利用者:Poh|Poh]] 2009年3月2日 (月) 02:10 (UTC) |
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{{コメント}}[[ノート:幸福実現党]]での議論中にPohさんは無期限ブロックとなりました。公式サイトの掲載の可否については[[:Wikipedia‐ノート:外部リンクの選び方#公式サイトについて]]の議論を参照してください。--[[利用者:模様砂漠2|模様砂漠2]] 2009年6月10日 (水) 23:36 (UTC) |
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2009年5月20日、総選挙での候補者擁立を目指し政党「幸福実現党」を立ち上げる旨発表。http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2009052001000910.html --[[特別:投稿記録/220.100.101.4|220.100.101.4]] 2009年5月20日 (水) 12:11 (UTC) |
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== 幸福の科学は塾も経営しています。 == |
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幸福の科学は[[QUALIER]][http://www.academy.co.jp/]という学習塾を北関東中心に展開しています。パンフレッドに幸福の科学が支持母体だと記載されていました。--[[利用者:SANGARI|SANGARI]] 2009年6月28日 (日) 14:22 (UTC) |
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↑この記事については全面的に事実ではありません。QUALIERには幸福の科学の資本が入っているわけでなく、また教義的な指導も受けていません。幸福の科学が支持母体だと記載されているパンフレッドが本当に存在するのならぜひ見てみたい。明らかにそんなパンフレッドは存在しません。[[利用者:QUARIER|QUARIER]] 2009年7月14日 (火) 08:15 (UTC) |
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ごめんなさいね。どうやら社長の[http://59.106.109.168/index.php/%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%83%87%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97 河内宏之]氏が幸福の科学の信者だったみたいですね。勘違いしていました。--[[利用者:SANGARI|SANGARI]] 2009年7月14日 (火) 09:02 (UTC) |
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== 文献情報 == |
|||
出典になり得る文献を紹介しておきます。英文で発表がやや古いですが、教祖の人物像・教団の沿革と構成・信徒数・信徒の構成・教義・出版業など教団について包括的に論じた研究論文ですので参照に値すると思います。無料で閲覧可能。 |
|||
{{cite journal |
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|author=Trevor Astley |
|||
|title=The Transformation of a Recent Japanese New Religion: Õkawa Ryðhõ and Kõfuku no Kagaku |
|||
|journal=Japanese Journal of Religious Studies |
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|volume=22 |
|||
|issue=3 - 4 |
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|publisher=Nanzan Institute |
|||
|pages=pp. 343 - 380 |
|||
|date=1995 |
|||
|url=http://www.nanzan-u.ac.jp/SHUBUNKEN/publications/jjrs/pdf/454.pdf |
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|format=pdf |
|||
}} |
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--[[利用者:Gd1031|Gd1031]] 2009年12月10日 (木) 03:43 (UTC) |
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上記の資料は、虚偽の情報を含んでおり、ここからの引用は大変危険です。--[[利用者:Kengaku|Kengaku]] 2009年12月12日 (土) 07:52 (UTC) |
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::虚偽とされる点について、具体的な箇所を示して御指摘ください。また文献の信頼性について下の節に見解を記しました。--[[利用者:Gd1031|Gd1031]] 2009年12月12日 (土) 17:52 (UTC) |
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== 資料「The Transformation of a Recent Japanese New Religion」は虚偽情報 == |
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:↓ここで使われている'''「信用ある出典」'''とは[[利用者:Kengaku|Kengaku]]さん個人の見解であり「[[Wikipedia:信頼できる情報源]]」とは一切関係ありません。 --[[特別:投稿記録/61.112.252.164|61.112.252.164]] 2010年1月26日 (火) 08:34 (UTC) |
|||
上記の資料は、虚偽の情報を含んでおり、ここからの引用は大変危険です。著者Trevor Astleyは、1990年代に日本のマスコミで出された情報を十分な検証もないまま引用しており、日本の裁判で「敗訴」したものや、「和解」で販売停止した書籍からの情報が含まれています。'''「信用ある出典」とはいえません'''。 |
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[http://www.justice-irh.jp/kibou_no_kakumei/index.html 幸福の科学法務室ホームページ希望の革命]、をよくお読みください。このサイトは、「宗教法人幸福の科学法務室」が運営し、幸福の科学の裁判(訴訟)について、解説しています。幸福の科学に対して[[1991年]]ごろより[[講談社]]およびその関連メディアより、[[名誉毀損罪]]・[[信用毀損罪・業務妨害罪]]に該当する記事が多数出され、この虚偽の記述に対し多くの裁判がなされました。 |
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[http://www.justice-irh.jp/saikousai_h110709.html 最高裁平成11年7月9日第二小法廷判決 平成10年(オ)第1146号損害賠償請求上告事件] - 週刊現代敗訴 |
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[http://www.justice-irh.jp/tokyo_h081004.html 東京地裁平成8年10月4日判決] - [[1996年]]の判決文、ライター:早川和廣の敗訴、控訴なく確定。 |
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[http://www.justice-irh.jp/tokyo_h081120.html 東京地裁平成8年11月20日和解調書] - [[1996年]]の和解調書判決、宗教学者:島田裕巳の実質的敗訴。 |
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[[誹謗中傷]]、[[名誉毀損]]、[[名誉毀損罪]]、[[信用毀損罪・業務妨害罪]]、などをよくお読みのうえ投稿・編集をしてください。--[[利用者:Kengaku|Kengaku]] 2009年12月12日 (土) 07:52 (UTC) |
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:御教示ありがとうございます。上記の文献の信頼性の件についてですが、少々御見解に疑問を感じますので記します。私はこの文献はウィキペディアでいうところの「[[Wikipedia:信頼できる情報源|信頼できる情報源]]」に該当すると思います。理由は以下([[大川隆法]]での拙編集が差し戻されましたのでそちらの件も含めます)。 |
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:*Astleyの論文は1995年発表で、1991年ごろの出版社との係争は既知の上で書かれたものです。「[[Wikipedia:信頼できる情報源|信頼できる情報源]]」の基準を当て嵌めるならば、「幸福の科学」および「大川隆法」については幸福の科学による刊行物や週刊誌、1991年当時に発表された記事などは「一次情報」に該当し、それらを概観し吟味の上で書かれた学術論文である本文献は「二次情報」に該当します。したがって「一次情報源となる資料を注意深く扱った、信頼できる二次情報源に頼るべき」とのウィキペディアの方針に合致します。 |
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:*「1990年代に日本のマスコミで出された情報を十分な検証もないまま引用して」いると書かれましたが、この御指摘は失当に思います。Astleyは特に大川隆法の経歴と幸福の科学初期の動向については出版社との争議なども検討した上、島田や早川の記事は論争的なものであるとし「'''幸福の科学が信頼できる「中立的」な文献であると認めたものに依拠するよう注意した'''」旨明記してあります(p. 344 註3を参照)。これはAstleyが幸福の科学の側の判断も重視した上で論文を執筆したことを示しています。 |
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:*Astleyが大川の経歴などについて主に依拠した文献は21世紀文明研究会著『これが「幸福の科学」だ!!』(アクア出版1991年)ですが(下記の通り、その内容はその時点で既出の論文とも合致するものです)、これは幸福の科学が名誉毀損等で対象とした「雑誌」「週間現代」「フライデー」には(管見の限り)該当せず、オンライン書店を見る限りでは現在も販売されています。また仮に係争があったにせよ Astley は学術論文を執筆する上で資料の取捨選択を行っているわけですから、当事者である幸福の科学がその信頼性を認めていないこと自体は情報源の信頼性とは無関係です。 |
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:*判決文などを拝見しましたが、大川隆法の個人の学歴等について争ったものは見受けられません。さらにいえば、[http://www.justice-irh.jp/kibou_no_kakumei/index.html 幸福の科学による出版社との係争の概括]を参照すると、教団が問題としたのは1991年5月以降のマスコミの動向および「大川隆法総裁がノイローゼで精神分裂の病歴があるかのような捏造記事」ですが、それ以前にも大川個人の経歴を述べた論文、例えば社会学者沼田健哉による「幸福の科学の研究」『桃山学院大学社会学論集』24 (2) pp. 81-112 桃山学院大学(1990年)が発表されており、これには病歴などは書かれておらず教団は問題にしていません。Astleyの論文の基本的な事実情報は沼田の論文と合致しており、同様に病歴などは記載されていません。したがって、これらの論文が指摘する事項を事実として記載することによってウィキペディアが一連の裁判で認定された中傷や名誉毀損を問われるものとは思いません。<small>一部補記--[[利用者:Gd1031|Gd1031]] 2009年12月12日 (土) 18:48 (UTC)</small> |
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:さらにいえば、本項目の保護措置解除および百科事典的な記述のためには係争当事者となった幸福の科学や週刊誌などのいずれにも過度に依拠しない記述が必要と思うのですが、Astleyおよび沼田の論文はある程度客観的に記述するための基本文献になるのではと期待しています。 |
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:最後に、差し戻された[[大川隆法]]の拙編集はややトリビアルな事項に偏向した加筆であったかも知れないと反省しており、現在は充実した伝記記事になるよう改稿も検討しているということを述べておきます。--[[利用者:Gd1031|Gd1031]] 2009年12月12日 (土) 17:21 (UTC) |
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:追記:「虚偽」との御指摘ですが、含まれている虚偽情報とは具体的にどの箇所であるのか示してください。執筆時に注意したいと思います。--[[利用者:Gd1031|Gd1031]] 2009年12月12日 (土) 17:55 (UTC) |
|||
:私は、まだ全然登校歴がないのですが、一応申し上げておくと、宗教は、神仏などを掲げているので、神仏はまだ確認されてないだけと考えると、きちんとした根拠がなくともまだ確認されてないだけとか、その様な難しい面があると思います。--[[利用者:ミッチュ|ミッチュ]] 2010年10月1日 (金) 18:05 |
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:さらに追記:長くなって恐縮ですが Trevor Astley による1995年の論文について言及している、もしくは依拠している文献や記事を探してみました。今のところ調べた限りではこの論文の信頼性に留保をつけるものがないため、虚偽の情報を含む、あるいは中傷の責を問われる可能性があると主張される方は、具体的に根拠を挙げて誤りを含む箇所を示すか、信頼性についてネガティヴな言及をしている別の文献を挙げて下さるとありがたいと思います。また議論の可能性として「'''情報源としては信頼に値するが、内容に基いて執筆した際に誹謗中傷になる恐れのある事項が含む'''」という指摘もあるかと思いますが、その場合は記事の執筆に向けての合意を形成したいと思いますので意見の表明を乞います。なおこの論文が1995年に書かれたことを考慮すれば講談社との係争の発端となった島田・早川等の記事に触れることは当然必要であるため、'''虚偽情報を含む文献を「参照している」というだけでは有効な指摘ではない'''ことに留意して下さい。上にも記しましたが Astley は大川隆法の経歴および教団初期の動向について述べる際、論争的な文献に注意を払った旨を明記しています。 |
|||
:;Astley の該当論文に言及している、もしくはこれに依拠している文献や記事 |
|||
::*{{cite book |
|||
|author=Peter Bernard Clarke |
|||
|title=Bibliography of Japanese New Religious Movements |
|||
|publisher=Routledge |
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|date=1999 |
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|isbn=978-1-873410-80-6 |
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}} |
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:::ロンドン大学宗教史・宗教社会学名誉教授の編集による、日本の新宗教各団体についての紹介とビブリオグラフィと集成した書籍。幸福の科学の参考文献として挙げられた46文献(邦語文献を含む)に Astley の論文を収録。該当部分の執筆者は幸福の科学本部に情報の提供を受けており中立的な内容と推測できる。Astley 論文の紹介文:"Examines the rise to prominence of Kofuku-no-Kagaku, the way in which its organization, teachings and public profile have changed in the course of the movement's development." (p.164) |
|||
::*{{cite journal |
|||
|author=HAGA Manabu and Robert J. KISALA |
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|title=Editors’ Introduction: The New Age in Japan |
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|journal=Japanese Journal of Religious Studies |
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|volume=22 |
|||
|issue=3-4 |
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|publisher=Nanzan Institute |
|||
|date=1995 |
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|url=http://www.nanzan-u.ac.jp/SHUBUNKEN/publications/jjrs/pdf/448.pdf |
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|format=pdf |
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}} |
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:::該当論文掲載誌による紹介。論文全般を詳細で有用な文献と評価(中傷記事の扱いにも言及):"[Astley] has been able to offer us an insightful and detailed account of the development of Kofuku no Kagaku, principally in terms of doctrine and recruitment strategy. Astley’s article provides a wealth of information on this new, and increasingly significant, religious group and its eccentric but obviously talented leader, Okawa Ryuho. [...] He identifies two events in 1991 that may have contributed to this development: a controversy ignited by what proved to be a false report on Okawa in the popular press, and a very public clash with Aum Shinrikyo." |
|||
::*{{cite book |
|||
|author=Mark Juergensmeyer |
|||
|title=The Oxford handbook of global religions |
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|publisher=Oxford University Press |
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|date=2006 |
|||
|isbn=9780195137989 |
|||
}} |
|||
:::Ch. 15 "Japanese New Religious Movements" の Bibliography に挙げている。 |
|||
::*{{cite book |
|||
|author=Richard Bergeron, Bertrand Ouellet |
|||
|title=Croyances et sociétés: communications présentées au dixième colloque international sur les nouveaux mouvements religieux, Montréal, août 1996 |
|||
|publisher=Fides |
|||
|date=c1998 |
|||
}} |
|||
:::Ch. 7 "The Fallout From Aum" の References に挙げている。 |
|||
::*{{cite journal |
|||
|author=Erica Baffelli |
|||
|title=Mass Media and Religion in Japan: Mediating the Leader’s Image |
|||
|journal=Westminster Papers in Communication and Culture |
|||
|volume=4 |
|||
|issue=1 |
|||
|pages=pp. 83-99 |
|||
|publisher=University of Westminster |
|||
|date=2007 |
|||
|url=http://www.wmin.ac.uk/mad/pdf/WPCC-Vol4-No1-Erica_Baffelli.pdf |
|||
|format=pdf |
|||
}} |
|||
:::幸福の科学に関する事実について参考文献として使用。 |
|||
::*{{cite journal |
|||
|author=Hermansen, Christian Morimoto |
|||
|title=El Cantāre's View of Christ: An Analysis of the Concept of Christ in Representative Works by Kōfuku no kagaku's Founder, Okawa Ryuho |
|||
|journal=Kwansei Gakuin University journal of studies on Christianity and culture |
|||
|volume=9 |
|||
|pages=pp. 69-115 |
|||
|publisher=関西学院大学 |
|||
|date=2007 |
|||
|url=http://kgur.kwansei.ac.jp/dspace/bitstream/10236/3048/1/20091002-4-18.pdf |
|||
|format=pdf |
|||
}} |
|||
:::幸福の科学の立場を尊重した有用な文献と紹介:"Trevor Astley's 1995 article is very informative with a sympathetic attitude towards the organization" |
|||
::*{{cite web |
|||
|url=http://www.mata-web.com/japon/index.php?option=com_content&view=article&id=925:buddha-saitan-sortie-dun-film-controverse&catid=22:actualite-cinema&Itemid=6 |
|||
|author=AnimeWatcher |
|||
|title=Buddha Saitan: sortie d'un film controversé |
|||
|publisher=MATA-web |
|||
|date=16 Septembre 2009 |
|||
|accessdate=2009-12-14 |
|||
}} |
|||
:::正確性と細かな経緯の記述を評価:"Le sujet [=Kodansha jiken] fut par ailleurs traité avec précision par Trevor ASTLEY dans le Journal d'Etude des Religions en 1995 qui ne lui épargne aucun détail dans son passage du complexe d'infériorité au complexe de supériorité pour celui qui dirigeait un culte qui disait représenter 10% de la population de l'archipel". |
|||
:--[[利用者:Gd1031|Gd1031]] 2009年12月15日 (火) 04:16 (UTC) |
|||
== 職員(大川家の運転手)による連続パンティー強盗事件 == |
|||
保護がかかる原因となった編集合戦の案件であった記事を飼料として載せておきます。 |
|||
*{資料}2000年、幸福の科学[[職員]]による若い[[女性]]だけを狙い背後から襲い[[パンティー]]を奪い取る事件が発生した。 |
|||
[[現行犯]]により[[逮捕]]された後、[[犯人]]の住む[[東京]][[五反田]]にある幸福の科学職員[[寮]]からは、奪い取った100枚に及ぶ女性の[[下着]]が隠されているのが発見された。犯人は事件発生の前年に運転手として雇われ、小学校に通う大川の子供の送り迎えもしていたという。教団はその職員を[[解雇]]、[[破門]]させるが、[[マスコ]]ミの取材には「[[無罪推定]]が働く段階であり、揣摩憶測(しまおくそく)による一連の報道被害を憂慮しています」と回答した。 |
|||
*{出典}『週刊新潮』女性パンツ脱がせて奪う「幸福の科学」職員の変体不幸 [[2000年]]9月7日号 |
|||
--[[特別:投稿記録/220.107.3.46|220.107.3.46]] 2010年7月31日 (土) 04:04 (UTC) |
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完全な引用は避けましょう
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「原文ママでないから誤り」という理由で削除はNGです
[編集]著作権保護のため引用せずに主旨を記述したことを逆手にとって「そのようには述べてない」といって削除した参加者がいましたが、甚だ中立性に欠き、wikipediaの公共性を損ないます。
- 悪い例:90年代に述べられた「今世紀中に」という発言のママ引用を避けたところ、『「20世紀中に」などという発言は無かったので削除した』など
wikipediaにおいてはwikipediaのルールを優先させていただきます。
「誤記があり全文削除」はNG。その部分だけ添削しましょう
[編集]関連部分を全文削除するのは恣意的に過ぎ、中立性に欠きますので、削除を復帰させ添削で反映させます。
- 悪い例:軽井沢精舎はリゾート施設でなく、参拝もされてない→軽井沢精舎関連の全文を削除
- 正しい例:→軽井沢精舎関連の記述に、リゾート施設そのものではなく、参拝されてない情報を添える
見解の相違で「誤りだから削除」はNG。併記しましょう
[編集]wikipediaは意見を述べる場所ではありません。見解の相違は削除ではなく併記してください
「匿名ゆえに根拠がないので削除」はNG。ここはwikipediaです
[編集]ここは匿名ボランティアの支える百科事典です。その情報の信用性が低いと思ったら、根拠を「匿名であるから」以外から持ってきて併記して下さい。
- 悪い例:「特定団体の公式情報でないから削除」
- 正しい例:特定団体の公式情報とその他の情報を併記
そもそも都合の悪いファクトは削除などNG!
[編集]都合のよいファクトを併記して下さい!
編集保護指定に基づく議論
[編集]- 松原俊より
ウィキペディアに幸福の科学の項目があるとも知らずにウィキペディアの「仏教用語一覧」という項目を見ると、そこに、阿含宗や創価学会はあるのに幸福の科学がなかったので自分なりに仏教教団としての幸福の科学について記事を書いて用意した上で幸福の科学の項目を作ったら既に誰かが幸福の科学の項目を作成していらっしゃったのを発見して、ここに来ました。 ウィキペディアの仏教用語一覧に幸福の科学を掲載するには今の記事のままじゃ不足だと思いますので編集を許可していただくか編集保護をしてる方に幸福の科学の仏教教団としての側面を追加掲載していただきたいと思います。以下に掲載したのは私が用意した幸福の科学の紹介記事です。よろしくお願いします。 「幸福の科学は仏教教団である。 それは幸福の科学現総裁の大川隆法自身が再誕の仏陀つまり過去世でゴータマ・シッダールタ釈尊であることが前提になっているからである。 その証拠に仏教関連書籍が多く出されている。 本のタイトルからして明らかに仏教書と分かる書籍もあるが、その他の書籍でも仏教用語が頻繁に出ている。 本格的に仏教理論を解説した書籍に「釈迦の本心」「沈黙の仏陀」「悟りの挑戦・上下巻」「仏陀の証明」がある。これらの書籍は仏教理論をかなり勉強してないと書けない書籍である。特徴としては伝統仏教による仏教理論の解説の単なる受け売りを掲載したものでなく現代語で、しかも仏教理論を自分で勉強して自身の中で消化した上で大川隆法自身の言葉で仏教理論が解説されていることである。仏教理論なんか勉強せずとも仏教は解説できると思って仏教理論をほとんど勉強せずに自身の霊能による力のみで仏教書を書いて仏陀の再誕を自称していた高橋信次(宗教法人GLAの創始者)とは一線を画している。また「沈黙の仏陀」はおそらく、佐倉哲エッセイ集というサイトの[1]の記事に対するアンチテーゼと思われるが「仏陀の沈黙」で検索すると検索結果に「仏陀の沈黙」というテーマを扱ったサイトが幾つか出る(仏教学部のサイトが一番上に出る)のでよくわからない。このテーマは仏教学全体のテーマかも知れないので「沈黙の仏陀」は、そのテーマに対する答えとして出版されたのかも知れない。 タイトルからして明らかに仏教書と分かるものに「真説・八正道」「観自在力」「仏陀再誕」「永遠の仏陀」「大悟の法」があるが、「真説・八正道」は伝統仏教の八正道を現代人にも分かりやすいようにオリジナルの八正道の中身を多少変えて解説した本で、「仏陀再誕」はサブタイトルに「縁生の弟子たちへのメッセージ」となっていて仏教用語を前面に出さずに過去世で仏教と縁のあった現代人に対するメッセージという体裁になっている。「永遠の仏陀」は「仏陀再誕」の続編のような位置づけで、やはり仏教用語は直接出さないで教えのみが書かれている。 その他の書籍は、あまり仏教用語は出ないが、目次の部分からしてちゃんと仏教用語が出てくる。 仏教用語の出る書籍には「太陽の法」「希望の法」「幸福の革命」「宗教の挑戦」「常勝の法」「幸福の科学とは何か」「奇跡の法」「霊界散歩」「繁栄の法」「宗教選択の時代」「信仰告白の時代」「ダイナマイト思考」などがある。 なお幸福の科学が世界宗教と呼ばれるようになる時代には仏教路線を捨ててエル・カンターレ教団路線に路線変更する可能性がある。」 --松原俊 2006年8月3日 (木) 11:33:34 (UTC) / 履歴より署名補完 --Kanjy 2006年11月6日 (月) 11:10 (UTC)
たねさんの求められた議論の無いまま編集保護指定以降に削除された部分を復帰されたことには賛成します。しかし「併記性」を軸に議論し合意を形成するのが望ましいのであれば…
- 信者数について:以下の方が併記性が高いと思うのですがいかがでしょうか。
「公称人数は1000万人。『支部数・精舎数などから概算して実質人数10万人、活動信者2万人』など様々な推測もある。
- 特に問題ないと思います。公称人数が発表された年がわかる人がいたら追加して頂ければよいかと思います。Silver river 2006年2月8日 (水) 14:28 (UTC)
- 軽井沢精舎について:「参拝が勧められてない」「リゾート施設そのものではない」という主張を併記した編集保護直前のバージョンがよいと思うのですがいかがでしょうか。
- そのバージョンでよいと思います。この施設への記事については、今回の編集合戦が起こるに以前にも削除された経緯があります。幸福の科学はこの施設を公表していないようなので、場所については嬬恋村という地名を入れておくだけで十分かと思います。Silver river 2006年2月8日 (水) 14:28 (UTC)
- 「教祖専用のリゾート施設」「教祖個人で使用しているが宗教法人施設であるので非課税である」なんってのはどうですか? 場所は嬬恋村「鎌原」まで分かってます。「嬬恋村村役場に問い合わせればその存在を確認できる」が消えてしまいました。--Jilan 2006年2月10日 (金) 09:14 (UTC)
- 「リゾート型施設」「宗教施設で登録」「一般職員・一般信者に告知されておらず参拝はされてない」というみっつの情報があればそのように類推する事も可能ということで、そこまできつく書かずとも大丈夫と思いますがいかがでしょうか。自分の写真を中心に添えた祭壇を寄付100万目安で下賜しているという情報があれば「教祖の写真を100万で売っている。偶像崇拝である」と書くまでもないのと同様と思います。--Anone 2006年2月10日 (金) 09:58 (UTC)
- 教義について:Anti kkさんのバージョンが双方の主張を併記しているのでベターと思います。
僕は編集合戦の当事者とたねさんが判断されてると思いますので、僕から編集はいたしません。ご判断、お任せ致します。--Anone 2006年2月8日 (水) 04:27 (UTC)
- この宗教の教義の特徴については、まだまだ書かれていないことが多いのが現状かと思います。私からは、時間が許せば何らかの編集をするだろうと思います。Silver river 2006年2月8日 (水) 14:28 (UTC)
- 参考図書について:編集保護指定以降、議論のないまま教団発行以外の書籍が削除されてるのもいかがなものかと。みなさまのご判断にお任せ致します。--Anone 2006年2月8日 (水) 04:49 (UTC)
- 記事を書く上で参考にした書籍があれば挙げて頂ければと思います。本文のところでも、題名が分からなければ仕方がないのですが、題名が分かるものは明記しておくべきと思います。Silver river 2006年2月8日 (水) 14:28 (UTC)
- 出典についての確認
- 自分の過去世は「黄金の法」、長男の名前は「月刊・幸福の科学」、過去世は「愛は風の如く」。釈迦10大弟子は「高橋信次霊言集講義」で合ってましたっけ?
- 生い立ちのところ、「旧・平凡からの出発」と講義、「新旧・太陽の法」と講義で網羅できてない部分ございますか? 中川隆・自費出版の話の出たセミナー名を失念しました。どなたか覚えてらっしゃいますか?
- 高橋信次のカンターレへの言及は高橋信次最後の講演に掲載されてます。
- クート・フーミ他が神智学に出てくるという大川自身の発言は「旧・正心法語講義」であってましたか?--Anone 2006年2月8日 (水) 17:52 (UTC)
アドバイスありがとうございます。ウィキペディアの編集の仕方がまだ完全にわかってないので、とりあえず最初のころの記述から削除されたものを復帰させ、自分なりに少し文章を整えました。Anoneさんの指摘を反映すべく、少し整理してから修正したく思います。--Anti kk 2006年2月8日 (水) 05:28 (UTC)
- 「Wikipedia的中立的観点」で警告しておいたことが現実のものとなってしまいました。revertの過程での細かいミスによる不具合もありましたが、原因となっているのは、やはり幸福の科学信者によるWikipedia:中立的な観点や両論併記を無視した削除にあると思われます。また「完全な引用は避けましょう」の小見出しにある「NG」も全て幸福の科学信者によるものです。批判者側はすべて中立性を心がけ、中立の範囲内で編集を行っています。信者側にはその点を理解した上で解除後は編集にあたっていただきたいです。ここは幸福の科学の組織内ではないので、その点の分別はつけていただきたいです。このような教団内外の区別もつかず教団理論を一般に強要するような行動ばかりとっているのはカルト教団信者に見られる特徴だといえます。これ以上カルト性を露呈したくないのであれば常識を持って編集に当たるべきです。厳しい表現になりましたが、幸福の科学信者の皆さんにはそのあたりはくれぐれもよろしくお願いいたします。--Jilan 2006年2月8日 (水) 08:04 (UTC)
- もちろんrevert自体も好ましいものではありませんが、そもそも削除自体がNGであり、あの時点ではkk信者に議論など望める状態ではなく、やむを得ない面もあったと思います。--Jilan 2006年2月8日 (水) 10:59 (UTC)
嬬恋村は、群馬県吾妻郡ですね。これは単純な間違いです。--Anti kk 2006年2月8日 (水) 11:19 (UTC)
完全に中立的な記事を書いたとしたら、シンパからはアンチが書いたように思われ、アンチからはシンパが書いたように感じられるでしょう。ご理解ください。Silver river 2006年2月8日 (水) 14:28 (UTC)
- Silver riverさんの言われることは考慮しないといけませんね。アンチによる編集が増えると一般の方から見てアンチよりになる可能性はあります。それでも批判を許さず全文削除したkk信者の行為は中立的観点を全く度外視していて論外です。アンチは良識を持っているのでその様なことはしません。あのようにルール違反を平然と行ったことは、一部の狂信的信者の暴走と見るかkkの本質と見るかは、数多くの信者を相手にした経験のある者にとっては既に結論が出ていることで、kkの活動が公安の監視下に置かれている理由を考えてもわかることです。ただウィキペディアでは初めての例なので、もう少し様子を見る必要はあるでしょう。NGを連発した信者さんからは謝罪なりコメントもないので、おそらく反省などは全くないのかもしれません。ご本人にその意思がないものを無理強いしても意味はないですが、少なくとも同じ過ちだけは繰り返していただきたくないものです。--Jilan 2006年2月9日 (木) 08:53 (UTC)
*Mark22より
- 履歴によれば 特別:Contributions/222.13.35.52 さんです。 --Kanjy 2006年11月6日 (月) 11:10 (UTC)
2006年10月20日、「antikkfalcon」による根拠のない嫌がらせ取れるの書き込みと、それに対する戻しの編集が行われ、結局、編集合戦となって編集保護になった。 編集保護は仕方ない面もあるが、ノートによる合意を求めているにも関わらず、そのルールを無視した、「antikkfalcon」による一方的で偏った書き込みが原因と思われる。 対処としては「antikkfalcon」の書き込み禁止が先ではないかと思われる。明らかにアカウントにある通り「嫌がらせ」の意図を持った無責任で「antikkfalcon」のような書き込み手に対する対応が迅速になされることが、Wikipedia自体の信用が高まっている中、中立で公平な対処がなされるほうが望ましいと思われる。2006年10月21日 (土) --特別:Contributions/222.13.35.52 2006年10月20日 (金) 15:06 (UTC) / 履歴より署名補完 --Kanjy 2006年11月6日 (月) 11:10 (UTC)
根拠を明示しております。それが信者側によって勝手に削除されております。例えば、以下の改ざんがなされています。
私の書き込み
公称人数は1000万人となっている。 しかし、「全信者数 10万~15万人、うち精舎に参拝している活動信者数2万~3万人」と元職員らによって暴されている。上記数値は教団内信者台帳ネットワーク「ELIS」(エリス エル・カンターレ・インフォメーション・システムの略)の数値であり、信憑性が高い。
改ざん後
公称人数は1000万人となっている。しかし、「全信者数100~150人、うち活動信者数20~30人」とされている。上記数値は教団内信者台帳ネットワーク「ELIS」(エリス エル・カンターレ・インフォメーション・システムの略通称「桜の先祖供養」または「愛から祈りへ」と言われる)の数値であり、信憑性はとっても高い。
これを改ざんした人物はIPアドレスから幸福の科学信者サイドの編集を続けていた人物です。 私は数値の根拠も挙げていたのですが、それを信憑性の無いいたずら書きかのように改ざんしています。
また、軽井沢精舎・宇都宮仏宝館に関しても、違法・脱税をカットした版もありましたが全て削除されています。 違法・脱税を抜いた版の完全削除はノートによる合意違反です。 幸福の科学側は自分に気に入らない記載があると全て削除しております。私は幸福の科学側が記載した 各精舎の説明その他を削除してはおりません。そのままにしています。
中立性を損なう行為を続けているのは幸福の科学側です。 ですので松原俊さん版への差し戻しをお願い致します。 --Antikkfalcon 2006年10月26日 (木) 11:43 (UTC)
--Wmobile 2006年11月6日 (月) 「違法・脱税」などと書いていますし、それについて争っているようですが、本当にそのような事実はあるのでしょうか?ここは百科事典であるということからして、税務当局からそのような判定を下された事実があれば書いても良いが、なければ、書くのは控えるべきと思う。 あと、数値の根拠は、内部告発を自分が知っているというレベルでは、説得力に欠けます。なぜならntikkfalcon氏は、明らかにアンチの立場ですから、そのままを鵜呑みに出来ないでしょう。 また、「IPアドレス」から云々も、IPアドレスを見る限りは、多くの人が関わっているように思えます。 -- Wmobile 2006年11月6日 (月) 9:07 (UTC) / 履歴より署名補完 --Kanjy 2006年11月6日 (月) 11:10 (UTC)
- 松原俊より
小林興起氏が織田信長の生まれ変わり、鳩山邦夫氏が豊臣秀吉の転生という記述がありますが、この出典をはっきりしてください。 僕が持ってた「逆境からの脱出」リーフレット版にはこのことが書いてありましたが 現在この小冊子は「理想国家日本の条件」に入ってますが織田信長と豊臣秀吉が現在誰に生まれ変わってるかという名前の部分は伏せられてます。 名前が伏せられてるということは織田信長と豊臣秀吉の生まれ変わりが誰かなんて 本当のことはよく分からないということになります。 小林興起氏と鳩山邦夫氏がこのことをどう思ってらっしゃるのか コメントをとった方がいいと思います。 小冊子に書いてあったことは信憑性に乏しいです。 このリーフレットは、かなり古い物で現在販売中止されていて入手困難です。 --松原俊 2007年10月19日
@「幸福の科学は仏教教団である」というのは明らかな誤認です。
理由① 「基本教義が仏教教義を中心としたものとはされていないこと」 書籍「悟りの挑戦 上巻」のまえがきに基本教義の全文が紹介されていますが、ここに仏教教義を基盤としているとは明記されておらず、また、そう推定されるべき内容も記載されていません。仏教的な用語が用いられていますが、教義を説明する際に理解し易いように、仏教的に説明をしているといった程度に止まっています。 理由② 「基本教義の内容には前歴があること」 書籍「太陽の法」などで、四正道「愛・知・反省・発展」の教えは、かつて金星時代に用いられ、また、ムー帝国に於いて「ラ・ムー」の説いた教えであるということが知られています。釈迦仏教よりもラ・ムーの影響の方が強い教義であるということは明白です。 理由③ 「釈迦仏教とは一線を隔す先進宗教であることを強調している」 「仏教教団」というのは、世間一般の認識からすると、「伝統仏教」を継承する教団を差すと思われますが、「伝統仏教とは違う先進宗教、現在進行形の啓示型宗教である」ということを強調してきた歴史があるので、はっきり区別する必要があります。 理由④ 「信仰の対象が違う」 伝統仏教教団の信仰の対象は釈尊や阿弥陀仏などですが、幸福の科学ではそういった仏たちの上に立つ存在、「神々の主」(本仏)が信仰の対象とされています。 釈尊も分身扱いでしかなく、釈迦仏教は分身が興した宗教でしかありません。 あえて仏教という言葉を使って表現するならば、「エル・カンターレ仏教」という新宗教として釈迦仏教とは区別されるべきです。 理由⑤ 「釈迦仏教(伝統仏教)とは教義が違う」 釈迦仏教においては財産を持つことを執着に繋がることとして否定していましたが、幸福の科学においては発展の教えを有し、経済的成功を肯定するばかりか、むしろ人類の幸福に繋がるものとして奨励しています。 また、戦争に対する最新の見解として、戦争を完全に否定した釈尊とは違い、インドで仏教が衰退した原因がそこにあるとした上で、防衛戦争は必要だと明言されています。また、アメリカとの同盟関係強化以外では自国で防衛強化を図る以外に日本を守る術はないとの見解も90年代から繰り返し示されているのも事実です。 ここまで示せば充分ではないでしょうか。 --Hikarinotenshi 2008年11月6日 (木) 16:07 (UTC)
Hikarinotenshiさんのおっしゃるとおり、「幸福の科学」は「仏教教団」であると限定してしまうと、中興の祖らによる「経典宗教」としての仏教とは明らかに違い、啓示を基にした「啓示宗教」であるという観点が見落とされてしまうのでそのとおりだと思います。あえて、整理すれば、再誕の仏陀による新たなる仏教となりますが、ご指摘のとおり、分身である釈尊の本体であるエル・カンターレが信仰の対象であることを表すには不十分です。とにかく、既存の分類の範疇に入らないと思うので、エル・カンターレが耳になじまない方には、釈尊の魂の本体の、本仏の教えが今説かれているとでも説明するのがよいかと思っています。 --Pinoko555 2008年11月7日 (金) 11:53 (UTC)
@会員数についての記述
>1997年以降、教団は信者数に関する情報を公に公表していないため、正確な信者数は不詳である。また、インターネットサイト等で実際の信者数に関する情報が推測・推定されている。》
この記述では、インターネットサイトでの会員数の推測・推定に誘導することになる可能性があります。いたずらに煽ることになりかねません。事実、会員数に関する質問が某サイトでときどき為されています。また、そうしたところではあたかも確実であるかのように語られているので、「会員数についてはそちらでかくにんしてください。」と云っているのと同じというのは問題があると思います。
「1997年以降、教団は信者数に関する情報を公に公表していないため、正確な信者数は不詳である。インターネットサイト等で、過去の教団内資料の流出データーであると称する話などから実会員数の推測・推定が為されているが、提供者情報の信憑性や情報の古さなどに疑問点もあり憶測の域を出ていない。また、会員制度の度重なる変更により過去に提示された数値は現在の会員数の参考にはならなくなっている。」
とするのが現実に則していると思います。 --Hikarinotenshi 2008年11月8日 (土) 11:38 (UTC)
- 「@会員数についての記述」について。厳密に言えばネットだけの情報は掲載できません。問題点のご指摘は幸福の科学のみの観点でWikipediaでは関係ありません。ご提案された文章は独自の研究と見られる可能性が高いと思われます。--Poh 2008年11月8日 (土) 12:04 (UTC)
:おっしゃっている意味が解かりません。それを云うなら、現に「インターネットサイト等で実際の信者数に関する情報が推測・推定されている」と興味を煽るような記述があることに問題があるのではないかと思います。 つまり、この文言に問題があるから削除するか、残すのなら、インターネット情報に信憑性と正確性に疑いがあるということも併記するのでなければ、外部資料に情報を委ねているのと同じです。 また、「幸福の科学のみの観点」にはあたらないと思います。その情報を客観的に読んでも、「私はデータを見て知っています。」というレベルの話で、客観的な証拠となるものが確認できるわけではなく、また、そのデータが正確なものだったとしても、その収集時期から現在までの会員の増加ペースの変化なども考えられていないため、年数が経つほど参考にはならなくなります。 また、時系列的に、会員数が公表されていた頃と会員制度が違っていること、インターネット情報で出回っている会員数も現在の会員制度になる前に推測されていた数値を基にしているなど、あやふやであることが客観的に判ることなので、補足説明する必要も出ます。 つまり、現にネット情報を記載している状況で、 「厳密に言えばネットだけの情報は掲載できません。」と云っていることの意味が理解できないですよ。 「インターネットサイト等で実際の信者数に関する情報が推測・推定されている」という文言を残すのならば、それだけ云い訳しなければ中立ではないというのが私の意見です。だから、インターネットサイト云々の部分が相応しくないと判断されればここまで云い訳する必要もないのではないでしょうか? それが私の真の問題提起なのです。 --Hikarinotenshi 2008年11月11日 (火) 04:28 (UTC)
*特に反論がないようなので、該当部分だけ削除させていただきました。 --Hikarinotenshi 2008年11月16日 (日) 15:46 (UTC)
Wikipedia的中立的観点
[編集]幸福の科学(以下kk)信者またはシンパと見られる者から不当なリバート(差し戻し)が見られるようになりました。もしこれがエスカレートし編集合戦となれば編集保護がかけられる恐れがあります。特にkk側は自分達に都合の悪い記載を防ぐためにあえて保護を狙って編集合戦を仕掛けてくる可能性があります。管理者の方々にはその点を踏まえての適切な対応をお願いいたします。
Wikipediaの編集において最も重要視されるべきはWikipediaでの指針や慣例であり、kk側の理論や内部都合ではありません。ましてWikipediaは百科事典でありkkの布教や教義解説の道具ではありません。あくまでも中立的立場からkkの事実を解説する場です。肯定・批判の各意見がある場合は肯定・批判の両論を併記することにより中立性を保つのがWikipediaで望まれる方法です。jilan 04:18 2006年02月07日 (UTC)
- そのとおりです。また、全面的な revert がかかった時点で、結果的に削除されている文が多数みられます。わかりやすいところでは、嬬恋村が長野県と記述されていたのが一度群馬県に修正されたものの、revert によって再び長野県に差し戻されたりしています。ご注意ください。Silver river 2006年2月7日 (火) 14:58 (UTC)
- ともかく、保護したのであれば、本文中にもその旨の表記をお願いしたいのですが。--Road N 2006年11月7日 (火) 19:17 (UTC)
- 遅れ馳せながら、保護のお知らせを本文ページ冒頭に置きました。 --Kanjy 2006年11月8日 (水) 11:29 (UTC)
本文編集の注釈等
[編集]創価学会が支持している政治団体は新進党ではなく公明党なので修正しました。 もしもこの修正が間違っているならば元に戻してください。--Masakazu88 2005年9月11日 (日) 10:19 (UTC)
最後の方に書籍や映画のリストが並んでいるんですが、これだけやっちゃうと宣伝に見えちゃうんですが。 秀の介 12:32 2003年11月3日 (UTC)
まず、質問を。
- 公的になされた…公的って何ですか?
- 幸福の科学に集う人々は、…集う人々って何ですか?広い意味で取ると、集っている人々は、みんな本当にこの文章で語っていることをやっているのかなぁと思ってしまいますが。
Kozawa 13:14 2003年11月3日 (UTC)
このページをよくするための提案をしてくださってありがとう。 情報を加えるために映画と一部の書籍をリストに追加しましたが、 書籍は外して映画のみにするとか、あるいは、宣伝にならないように、 外部リンクは公式ページのみにすることにしてかまいませんか?
質問に対する返事
- 「公的」は講演会を通じて世間一般に公表されたという意味で用いました。「大川隆法であって大川隆法ではない」といったフレーズも当時、マスコミが報道して話題になりました。
- そういう趣旨のことを公示してやっているという事実だけは明らかなんですが、実態調査はどのようにするか、利害関係のない人による報告が望まれますね。会の布教誌等ではその趣旨に沿った内容しか載らないでしょうし。
- 施設、肩書きなどは事実なんですけれども、活動の目的については新興宗教という性質上、「である」調ではなく、「としている」であるべきかと思いますがいかがでしょう。
- 活動欄などについて、「一切衆生救済のための伝道活動」といった部分は評価が定まってから記述する方がよいかと思いますがいかがでしょう。
- できましたら、「公的」と「集う人々」との単語については、誤解のない表現に修正頂きたいと思います。よろしくお願いします。 Kozawa 06:25 2003年11月4日 (UTC)
- そうですね。ご指摘のところ等を修正いたしました。ログイン状態になってなくてすみません (Silver_river)
「真の伝道機関」とか「真」が二回出てくるんですが、意味が分かりません。本当に仏教系かどうかも議論の余地があるような気もするんですが・・・。
- 新興宗教のジャンル分けは難しいですね。考えてみます。
「首席」という言葉は成績上位という意味よりも限定されるので、あとで修正を入れます。Silver river 11:04 2003年11月5日 (UTC)
「東京大学法学部を卒業した大川隆法(本名:中川隆)が1986年10月に設立した宗教団体」の部分ですが、大学卒業後すぐに任意団体を設立したかの誤解を受けそうです。(実際、私も最初そう思いました)
- 商社を退社後であることを追記しました。Silver river 16:22 2003年11月9日 (UTC)
外部リンクにおいて説明なく削除されたものを削除前の状態に戻しました。公式サイト等は幸福の科学側の宣伝や営業のためのサイトであり、それだけではWikipediaが幸福の科学教団の布教活動を支援していると捉われる虞があります。また特に幸福の科学は公証会員数について虚偽の発表をするなど、虚偽捏造や隠蔽を多く行う性質があります(もし信者側からの要望があれば、その例を更に列挙します)。真実の記載や中立性を保つためにはやや批判的なサイトの併載は必要不可欠です。--jilan 04:42 2006年02月07日 (UTC)
ノートページでは誰の発言かわかるように必ず署名をしてください。署名方法はWikipedia:ノートのページでは投稿に署名をするにあります。たね 2006年2月7日 (火) 15:45 (UTC)
- 保護中なのでどうにもできない(というより正確な数値が分からないので直せない)のですが、信者数がなんだかおもしろい数字になっています。その人数じゃあの建物は建てられないだろう!みたいな。--どりんく 2007年3月4日 (日) 03:29 (UTC)
名前の統一
[編集]大川隆法の呼称で統一すべきではないでしょうか? 記事中に大川総裁という呼称があるのですが、違和感があります。210.232.213.238 2007年10月9日 (火) 06:03 (UTC)
(Newsflash氏による)同一HPへのリンクの重複回避
[編集]別項目ではあるが、同一HPのへのリンクが、「報道記録」の項目にありますが、 「反対者」という項目にあるHPと同じものです。違和感があります。 HPの宣伝ではないのかと思えてしまいます。--Wmobile 2007年10月14日 (日) 03:25 (UTC)
- 「反対者」のリンクを追加したのは私ですが、とりあえず削除依頼の方の議論を待ってから考えても良いでしょう。裁判の方は、リンク形式にする事なく、(個人の名誉毀損に注意して)事実をありのままに書き込んだ方がいいでしょう。信者にとってもアンチにとっても一般者にとってもそれがいいと思います。--カークー 2007年10月14日 (日) 11:51 (UTC)
- 「報道記録」を追加したのは私ですがサイト宣伝・紹介でなく報道記録へのリンクが目的なので、お二人の意見を鑑みサイトTOPへのリンクは削除させていただきました。--Newsflash 2007年10月15日 (月) 10:30 (UTC)
- blogを「報道記録」とは恐れ入ります。ノート:大川隆法でも指摘しましたが、blogへのリンクは基本的に排除されるべきです。また、リンク先のいくつかについては末尾に「(転載元)」とあり、著作権侵害の疑いがあります。仮に転載だった場合、著作権侵害であり禁止される外部リンクです。--郁 2007年10月16日 (火) 03:01 (UTC)
- リンク先の内容が純粋な報道記事だけではないため、リンク先のblogの内容はその個人サイトの管理人の著作物として扱われると思います。また、独自研究色の強い内容を含むblogへの外部リンクは削除しました。詳細はノート:大川隆法を参照ください。122.27.17.254 2007年10月16日 (火) 12:18 (UTC)
項目見出し「同一HPへのリンクの重複回避」を「(Newsflash氏による)同一HPへのリンクの重複回避」と明確化してみました。もし不都合があれば修正してください。関谷裁判敗訴として外部リンクに加えられているサイトですが、書籍をOCRで丸ごと取り込んだ著作権違反のサイトへの誘導するようなリンクがあり著作権侵害を助長するサイトです。外部リンクとしては不適切。--Shakeben 2007年10月16日 (火) 13:18 (UTC)
リンクに説明書きをするべきか否か
[編集]- 現在、反対者のリンク先に説明書きが成されております。「内容に誤りが多い」[2]や「ウソの内容を含む」[3]はあまりにも独自研究色が強いため削除させていただきました。これを認めるということは、幸福の科学側のリンクにも「予言ははずれる事が多い」とか「問題のある書籍は絶版修正される事が多い」と書いていい事になります。中立性というのは幸福の科学にとっての中立性ではありません。広く見識を深めるための中立性です。ここは幸福の科学の宣伝場所ではありません。万人が様々な知識を得て活用する場なのです。--カークー 2007年10月16日 (火) 03:17 (UTC)
blogへの外部リンクは排除すべき
[編集]blogへのリンクはWikipedia:外部リンクの選び方#掲載すべきでない外部リンクにより、基本的に排除されるべきだと考えます。現状、多数のブログが、アクセスアップを狙ってか、掲載されております。これらがすべてブログ作者による自己リンクだとは思いませんが、百科事典としての性格上、やはり、Wikipediaの方針にしたがい削除すべきと考えます。--Pinoko555 2007年10月19日 (金) 12:32 (UTC)
百科事典としての客観性を担保するために、賛成派・反対派のどちらであれ、どちらかに甚だしく偏ったblogへのリンクは、やはり、Wikipediaの方針に従い、削除すべきだと思います。好き嫌いといった感情を持ち込み、読者を誘導したければ、別のところですべきだと思います。--Geistwesen 2007年10月19日 (金) 16:06 (UTC)
たしかにブログでのリンクは排除すべきですよね。私は賛成です。他の項目でも基本的にそうすべきであると思います。Wikipediaの利点と問題点を考えておりましたが、ここが非常に参考になりました。ありがとうございます。一部の個人の意見が公式・公認の見解のように思われやすくなりますね。Wikipediaの基本的ルールと百科事典という客観性を必要とする機能を維持するためにもこの意見は良いと思います。--Chamkun 2007年10月20日 (土) 09:33 (UTC)
- 現時点ではブログは削除されていますが、今後も注意が必要ですね。こうしてみると、外部リンクが適切かどうかが気になってきます。公平なリンクとなると、信者サイトは肯定的、反対派サイトは否定的になり、全員が納得することはありえないでしょう。なので、公式サイトにしぼるというのも手かなと思います。フランスのサイトも創価学会、日蓮正宗のみならず、日本の仏教系の伝統宗教までもセクトとして認識されており、カトリックの地盤での文化的な理解の断絶も一因ではないかと思います。--Shakeben 2007年10月21日 (日) 04:51 (UTC)
掲示板への外部リンクは排除すべき
[編集]- 上記の「blogへの外部リンクは排除すべき」でも、触れましたが、掲示板は、書かれている内容が容易に変わり、(例.スパム投稿だらけの掲示板など)内容の信頼性ということでは、百科事典に乗せるのは不適と思います。少なくとも、他宗の宣伝をかねたような掲示板やサイトは不適ではないかと思います。--Shakeben 2007年10月24日 (水) 13:04 (UTC)
- (賛成)公式ページかどうかで選ぶというのも、基準が明確でよいと思う。--Pinoko555 2007年10月25日 (木) 11:05 (UTC)
外部リンクは公式ページに絞りませんか
[編集]- 上記項目、「掲示板への外部リンクは排除すべき」にてもコメントしましたが、外部リンクは公式ページに絞りませんか。理由としては、基準が明確でよいと思うからです。--Pinoko555 2007年11月1日 (木) 12:08 (UTC)
- 明確な基準があると、編集合戦にならず建設的だと思います。
- ページをリンクすべきかどうかは、著作権上問題がないかなど、総合的に判断が必要だとは思いますが、Wikipediaとしては公式ページのリンクが分かるだけでも使命は果たしていると思う。ブログとか個人サイトは、各種検索サイトがあるので、それでカバーすればよいと思う。--Wmobile 2007年11月17日 (土) 11:42 (UTC)
- そろそろ絞り込みをはじめてもいいんじゃないんでしょうか。--Geistwesen 2007年11月18日 (日) 13:07 (UTC)
- 絞込みを行いました。--Pinoko555 2007年12月11日 (火) 10:11 (UTC)
外部リンクのリンク先ページについて
[編集]Wikipedia:外部リンクの選び方#掲載すべきでない外部リンクに「6.有償、若しくはユーザー登録を必要とするサイト。」があるため、 認証を必要とするページへのリンクが目立つトップページは、ウイキペディアからリンクするのはさけたほうが親切だと思います。もちろん、ユーザー登録せずに見れるページがほとんどですので、トップページでもよいという考えもあるかとは思います。しかし、誤解をさけるためにも、認証無しですぐ見れるページにリンクするのがよいかと思います。その際、私の判断になりますが、一番必要とするであろう、アクセスマップの情報が載っているページをリンクさせていただいたわけです。(写真が載っているページもきれいだとは思ったのですが)。なにかありましたらノートにご記入ください。ログイン方法はHelp:ログイン、署名方法はHelp:ログイン#編集時に署名するをご覧下さい。--Global 2007年10月27日 (土) 12:38 (UTC)
- 現時点では、各リンク先のページの下部にある「このサイトのご利用に際して」をクリックして遷移するページ中には、「リンクについて」という項目があり、その中で必ずトップページへリンクするように指定されています。できましたらリンク先のサイトの事情を考慮してトップページへリンクするようお願い申し上げます。また、各総本山のリンクはトップページになっていますが、地方精舎のリンク先のみをアクセスのページとされる理由は何でしょうか? Silver river 2007年10月27日 (土) 23:15 (UTC)
- 「トップページへリンクするように指定」については、見落としていました。それでしたら、やはりトップページがよいと思います。総本山については気づいたときには既にリンクが張られていたので、特に意識せずそのままにしてあるだけです。この後、リンクを戻しておきます。--Global 2007年10月28日 (日) 03:12 (UTC)
出典のない記述について
[編集]本文中に[要出典]が付けられているものがいくつかあり、また「社会運動、慈善活動、地域活動等」の一部が出典のないことを理由にコメントアウトされています。出典のない記述は宣伝目的のための巷説の流布とみなされかねません。Wikipedia:検証可能性、Wikipedia:信頼できる情報源をご理解の上出典の明記をお願いいたします。信頼できる情報源では特に「反体制勢力、宗教集団、過激派のウェブサイト」「特別な主張には特別な証拠が求められる」「自己公表された情報源」「複数の情報源を確認する」「偽の権威に注意」等を重視されるようにお願いいたします。--Poh 2008年8月25日 (月) 07:04 (UTC)
- 出典の明記されていないものと個人の研究のおそれがあるものをコメントアウトしました。除去して議論に持ち込むことも可能ですがソフトな対処にしました。復旧されたり新たに加筆される場合は出典の明記をされるようお願いいたします。--Poh 2008年8月27日 (水) 10:02 (UTC)
- 「複数の情報源を確認する」については、教義など内部のことは教団発表の資料でも問題ないですが、慈善活動のような外部も関わっているものは外部からの情報源が明記されているほうが信頼性は高いと思います--Poh 2008年9月1日 (月) 22:15 (UTC)
外部リンクが中立的な観点違反している
[編集]外部リンクが公式サイトや教団よりのものだけとなってます。これはWikipedia:中立的な観点に完全に違反しています。 --221.113.173.146 2008年8月24日 (日) 13:49 (UTC)
- コメントアウトした者として一言。「外部リンクは公式ページに絞りませんか」という提案があったようですが、Wikipedia:中立的な観点は公式なルールであってローカルの上位に位置するものです。公式な方針に違反するローカルルールはWikipedia認められません。教団非公認サイト(批判サイトを含む)を併記するか、それ拒絶するのであれば外部リンクそのものを除去するか、どちらか一つの選択が必要でしょう。--Poh 2008年8月25日 (月) 06:29 (UTC)
- 批判サイトで、Wikipedia:外部リンクの選び方に照らして掲載しても良いサイトがなければ、公式サイトも掲載するな、ということでしょうか。それは少々暴論のような気がします。その論法を敷衍すると、ほとんどの項目で外部リンク節を除去しなければなりません。また、影響範囲が非常に広い主張ですので、いち項目のノートで行なうのは不適当ではないでしょうか。--郁 2008年8月25日 (月) 09:23 (UTC)
- Wikipedia:外部リンクの選び方はガイドラインですが「中立的な観点」は|ウィキペディアの「公式な方針」です。また「外部リンクの選び方」の中にも中立的な観点という項目はあります。これらはWikipediaすべての記事に共通しているものであります。
- 違反を見つけたら対処するのが基本的なルールであり「他にも違反している記事があるから許される」というものではありません。また利用者はすべての記事を編集する義務はありません。他の記事に違反を見つけたのであれば、見つけた利用者がしかるべき対処を行えばよいのです。
- コメントアウト前の外部リンクは特定の宗教思想の宣伝布教を目的としたものであり、公式サイトも含め中立的とはいえないものですから、別の立場のサイト無しでは郁さんの言われる「掲載しても良いサイト」にはならないことになります。Wikipediaで重視されるのはWikipediaの公式(な方針)であり、幸福の科学の公式(サイト)ではありません。決して「暴論」や「不適当な議論」ではありません。影響範囲を心配されるのなら、これらの観点からもう一度他の記事のリンクを見直されることをお奨めします。--Poh 2008年8月26日 (火) 10:33 (UTC)(一部修正)--Poh 2008年8月26日 (火) 11:36 (UTC)
Wikipedia:外部リンクの選び方によると、「記事が、組織や人物、ウェブサイトなどに関するものである場合、その公式サイト」は「掲載してよい外部リンク」であるとされており、すべて除去するというのは乱暴なのではないかと思います。ですが、「外部リンクは最小限度にとどめること」ともされていますから、コメントアウトがなされる前の状態もよい状態ではないでしょう。全部消せとか全部残せとかではなく、どれを残しどれを消すのかという慎重な議論が必要だと思います。--114.145.63.112 2008年8月26日 (火) 11:58 (UTC)
- お二方ともまだ初心者なのかもしれませんが、違反があれば除去するのは当たり前のことでWikipediaでは普通に行われていることです。外部リンク全部に違反がある場合は全部除去することになります。私はただ除去しろと言ってるのではなく、違反をやめる(推奨)か除去するかの選択ですと申し上げています。公式な方針に則って申してるだけで乱暴でも暴言でもありません。ちなみに中立の問題が解決されなければ数だけ減らしてもリンクの掲載は出来ません。--Poh 2008年8月27日 (水) 09:45 (UTC)
- 方針の解釈・運用レベルでなんだかおかしい話になっているように見えますが。 -- NiKe 2008年8月27日 (水) 10:06 (UTC)
- どこがおかしいのかご指摘お願いいたします。--Poh 2008年8月27日 (水) 10:23 (UTC)
- 私のコメントが正しく理解されていないように思えます。私は、ガイドラインに違反しているが大目に見ろ、などとは一言も言っておりません。ガイドラインに照らして考えたときに、すべてを除去する必要はない、ということを申し上げました。その根拠として、「Wikipedia:外部リンクの選び方によると、「記事が、組織や人物、ウェブサイトなどに関するものである場合、その公式サイト」は「掲載してよい外部リンク」であるとされており、」と申し上げました。
付け加えますと、「外部リンクの選び方」ではさらに- ただし、上の第3項および第4項においては、以下の掲載すべきでない外部リンクのどの項目にも該当しないことを確認すべきです。第1項、第2項については、掲載すべきでない外部リンクは中立的観点、検証可能性、独自の研究を載せない、などのポリシーに適合するかどうか考える手がかりを与えてくれますが、掲載すべきでない外部リンクのどれかに該当するからといって、直ちにそのサイトへの外部リンクが排除されるわけではありません。大切なのは、情報の信頼性、検証可能性など、リンク先の内容の質や、似たような外部リンクをいくつも掲載しないことなど、上記「基本的な考え方」の各項目について慎重に吟味する事です。
- と書いてありますので、すべて外すというのは乱暴な議論なのではないか、と申し上げたのです。--114.145.63.112 2008年8月27日 (水) 13:14 (UTC)
- 私のコメントが正しく理解されていないように思えます。私は、ガイドラインに違反しているが大目に見ろ、などとは一言も言っておりません。ガイドラインに照らして考えたときに、すべてを除去する必要はない、ということを申し上げました。その根拠として、「Wikipedia:外部リンクの選び方によると、「記事が、組織や人物、ウェブサイトなどに関するものである場合、その公式サイト」は「掲載してよい外部リンク」であるとされており、」と申し上げました。
- Wikipedia:外部リンクの選び方の中だけで考えるからそのようになるのです。Wikipediaには優先順位があります。公式な方針であるWikipedia:中立的な観点を優先的に考えなければいけません。--Poh 2008年8月27日 (水) 20:42 (UTC)
- Wikipedia:外部リンクの選び方は公式な方針を考慮した上で正式化されています(当該ノートの正式化前の議論(過去ログ)の「「掲載してもよい外部リンク」 について」節を参照)。また、公式サイトが大なり小なり宣伝目的である以上、Poh氏の主張はWikipedia:外部リンクの選び方#掲載してよい外部リンクの1項を「中立的な観点に反する」とするものです。どうぞ、Wikipedia‐ノート:外部リンクの選び方で問題提起してください。--郁 2008年8月27日 (水) 22:07 (UTC)
除去に捉われているのか問題の本質が見えていないようなので改めて説明いたします。先の提案「外部リンクは公式ページに絞りませんか」は教団側の意向のみを反映し批判者と内部異端分子を排除する考え方です。コメンアウト前は教団公式サイト及び公認サイトだけでこれは100%教団側の意向で独占された形となっています。これは中立であるWikipediaの方針とは相反するものであります。この方針解釈がおかしい、間違いであるといわれる方はご指摘お願いいたします。その対策としては他のリンクを併記し(50%とまではいかないまでも)少なくとも100%独占は回避する(推奨)。もしそれが嫌でこれまで通りの100%教団独占に固辞するのであれば、止むを得ずリンクを除去し教団/その他、双方0%ということ中立を確保するという単純な理論です。細部の見直しはその後の話です。--Poh 2008年8月28日 (木) 03:09 (UTC)
郁さんに申し上げますと「掲載してもよい外部リンク」であっても他に問題があればその部分は考慮、検討する必要があります。また「公式な方針」は「ガイドライン」より優先順位が高いことも再度申し上げます。(件の公式サイトは「外部リンクの選び方」の中だけでも問題はありますが)--Poh 2008年8月28日 (木) 03:32 (UTC)
- どうやら前後の状況を確認されていないようですね。件の提案は#(Newsflash氏による)同一HPへのリンクの重複回避からの流れで出されたもので、不適切な外部リンクの追加に対処するためのものです。適切な批判サイトの追加や、検証して不適切と判明した外部リンクを除去することを妨げるものではありません。だいたい、「教団側の意向のみを反映し批判者と内部異端分子を排除する考え方です」とはどこから出てきたのでしょうか。各利用者に確認されましたか? 確認もせず他人の意図を決め付けるのは非常に失礼なことだというのは理解されているでしょうか。
- ガイドラインは、各種方針を考慮し、その上で個別具体的な基準を定めたものです。これの意味するところはガイドライン(個別具体的)で解決できる場合は方針(包括的)を持ち出さないということです。これはWikipedia:外部リンクの選び方において基本的な考え方の最後に方針への言及があることや、掲載してよい外部リンクの但し書きが傍証となります。「方針は常にガイドラインに優先する」あるいは「方針はガイドラインの上位に位置する」という考え方ではこれらは説明できません。--郁 2008年8月28日 (木) 21:37 (UTC)
- 郁さんへ、感情的なならないで理性的に先の提案が『「批判者と内部異端分子を排除する」ことにならない』ということをしっかり述べてください。「失礼」だと言うのはそれが出来てから言うことです。もしできないのならあなたが判断を誤ったということで、その時は自分に欠けていた新しい知恵を得たのだと前向きに考えてください。あなたが考え違いしているところはそこにあります。ここはWikipediaです。幸福の科学ではありません。
- ガイドラインを見たところで「方針はガイドラインの上位に位置する」が理解できないのは当たり前ですし、ガイドラインにそれを書く必要があるわけでもありません。まずWikipedia:外部リンクの選び方#中立的な観点をよくよく読んでください。私が今問題提起している内容とその解決策(推奨される方)がそのまま書いてあります。そこにある「ある特定の観点」とは「幸福の科学」のことです。
- 過去の経緯があったからといって現在が中立な的観点に違反したものであってよいということではないのです。方針やガイドラインに従って不適切な外部リンクを除去した結果、残ったものが中立的な観点で不適切になったのなら、残ったものに問題点があるということです。--Poh 2008年8月29日 (金) 09:29 (UTC)
まあ、利用者:Pohの論理は暴論だな。「教団非公認サイト(批判サイトを含む)を併記するか、それ拒絶するのであれば外部リンクそのものを除去するか、どちらか一つの選択が必要でしょう。」ってのは利用者:Pohのオリジナルルールで、Wikipediaのどこにもそんなルールはない。しかし、批判サイトを載せないというのも問題であり、基本的には、代表的なものをいくつか併記する方向で検討すべきではないのだろうか。--Ginz 2008年8月29日 (金) 09:47 (UTC)
- Ginzさん、あなたは問題の本質と解決策がわかってるだけ他の方よりずっと優れてると思います。というかこれが普通なだけかな。ただ私の今までの意見をもう一度読み直せば単なる暴言ではないことは解かると思います。余裕があれば、もし取り決め通り批判者サイトが併記できなかったらどうなるかも考えてみてください。もちろんそれが推奨されるべきでないことは何度も述べてます。--Poh 2008年8月29日 (金) 10:12 (UTC)
- 公式サイトを見直してみましたが、トップページのリンクボタン6個のうち4個までが書籍、入会、行事など金銭がらみの広告で、広告ではない総裁紹介でさえその中には著作の広告が入ってます。これでは中立性以外にも広告としてサイトを考えなければいけません。緩和するためには業務妨害になるサイトでも併記しなければ・・・。もちろん公式サイトを作る人はWikipediaの方針とは関係ないのでどうするかは自由だし、公式サイトが金銭収入を得ることに偏重していても批判されることはないですけど。ただWikipediaに掲載するのであればその点も考慮することは必要になります。公式サイトを掲載したい方は、まずは掲載可能な批判者サイトを探すことが最初に踏むべき手順となるのではないでしょうか。--Poh 2008年8月29日 (金) 11:13 (UTC)
- 投稿履歴を拝見しましたが、ノート:ヌーディズムでは「あまり長くその状態にしないほうがよい」としながらも批判サイトがない状態で掲載を容認しているにも関わらず、こちらでは問答無用ですべてコメントアウトし、批判サイトがなければ公式サイトも掲載するなとは、ダブルスタンダードと言わざるを得ません。--郁 2008年8月30日 (土) 12:25 (UTC)
- 向こうでも事前に中立的な観点からの注意点を申し上げてるので、ダブルスタンダードではなく一貫した主張をしています。Wikipediaでは一週間待つのは慣例ですから掲載した人のその後を見ているところです。その前にあなたが、ヌーディズムでアクションを起こされたいのでしたらご自由にどうぞ。
- こちらでは批判者サイトが無くなった時点で中立的な観点の問題を考慮しなければいけなかったのです。改善策を取らないで長い間外部リンクの編集を続け、さらには公式サイトに絞るという改悪まで行ってしまったところが間違いだったのです。
- Wikipedia:外部リンクの選び方に「中立的な観点」がある意味はもう理解されましたでしょうか?上にある禁止される外部リンク」「掲載してもよい外部リンク」「掲載すべきでない外部リンク」での関門を通過して来たものに対していってることです。駄目なものは掲載できないのですから「必ず守られるべき方針です」といってる対象は「掲載してもよい外部リンク」ということになります。また公式サイトは例外とするなどとは書かれてません。批判サイトがなくなった時点で「中立的な観点を確保するために、ある特定の観点から作られたサイトに偏って外部リンクを掲載すべきではありません」という状態にになってしまっていたということです。--Poh 2008年8月30日 (土) 21:34 (UTC)
- ちょっと聞いてみたいのですが、例えば朝日新聞の外部リンクには公式サイトしかありません。東海旅客鉄道の外部リンクには公式サイトしかないどころか、新幹線の予約サービスへのリンク(「金銭がらみの広告」ですよね)があります。Pohさんの目には、このようなケースはどのように映るのでしょうか?--123.224.169.131 2008年8月30日 (土) 23:17 (UTC)
- 私の主観を聞かれているので、主観でお答えします。朝日新聞の外部リンクの場合は無料ニュース配信が中心で、直接販売促進につながる売り込みではないので広告性は低いと思います。朝日新聞の中立性の問題はは外部でもさんざん言われてますしノートでも議論はあるようですが、新聞社全体としてのはっきりした結論はWikipediaでは出ていないように思います。気になる方は外部リンクのことで中立性を論議されてみてはいかがかと思いますが、私がそれをする気はありません。東海旅客鉄道はサービスの紹介が中心で朝日新聞に比べれば商品(サービス)説明は多いですが公共性を考えれば必要な情報の提供といえるでしょう。ドコナニwebはトップにあるので不要ですがあれば便利かなといったところです。新幹線の予約サービスはエクスプレス予約は商業目的かつ記事の本題でから外れているので除去しておきました。ただし今後こちらで例を挙げられた他記事に問題があっても、原則として編集に手を出しませんし、お答えしない場合もあります。問題は他記事ではなくこちらの記事がどうであるかということです。--Poh 2008年8月31日 (日) 10:08 (UTC)
- なるほどありがとうございます。私も、ここで挙げた記事の外部リンクがどうなっているかにあまり興味はありません。Pohさんが外部リンクというもの一般についてどのようにお考えになっているのかを知る手がかりとしてお聞きしました。これ以降は私は他の記事について言及しません。
Pohさんの認識をお聞きして少し気になったのが、東海旅客鉄道のサービス紹介について「公共性を考えれば必要な情報の提供といえる」とおっしゃっていることです。これを読み、私とPohさんとでは、読者にとって有用な情報を与える外部リンクとはどのようなものなのか、という認識に差があるように感じました。Wikipedia:外部リンクの選び方は、外部リンクは「記事の内容を補完するものであること」「記事の内容についての読者の更なる理解への助けとなること」を求めています。サービスの紹介が「公共性を考えれば必要な情報の提供といえる」と認識されているというのは、外部リンクが読者の「理解」のためにあるということを考慮されていないのではないのかな、と感じたのです。
その上で、この記事についてです。確かに余計な外部リンクは多いですが、少なくとも「http://www.kofuku-no-kagaku.or.jp/ 」のリンクは、私は「記事の内容を補完するものであること」「記事の内容についての読者の更なる理解への助けとなること」を満たしていると考えます。もちろん、このウェブサイトはまったく中立的な観点に立っていません。ですが、公式サイトであるということを明示すれば、読者に対して「このリンク先は中立的でない」という注意を与えているのと同じであると思うのです。中立的な観点に立っていない、ということを理解したうえでリンク先を読むならば、それは、幸福の科学自身が自身のことをどのように見せようとしているのか、という、中立的な観点からの理解に対しても有用となるものであると私は考えます。「掲載すべきでない外部リンクのどれかに該当するからといって、直ちにそのサイトへの外部リンクが排除されるわけではありません。」というガイドラインの一文は、そのような意味で書かれていると私は解釈しています。
長くなりましたが、私の主張は、「http://www.kofuku-no-kagaku.or.jp/ 」へのリンクのみを残して他は全除去、このリンクの前には、公式サイトである旨を明示する(必要ならば、公式サイトであるから中立的な内容ではないという注意書きを明記する)ということで、観点の問題は解決できる、というものです。--123.224.169.131 2008年9月1日 (月) 03:12 (UTC)
- なるほどありがとうございます。私も、ここで挙げた記事の外部リンクがどうなっているかにあまり興味はありません。Pohさんが外部リンクというもの一般についてどのようにお考えになっているのかを知る手がかりとしてお聞きしました。これ以降は私は他の記事について言及しません。
インデント戻します。「外部リンクは利便性ではなく読者の理解のためにあると」という考え方はIP氏のほうが正しいと思います。 「掲載すべきでない外部リンクのどれかに該当するからといって、直ちにそのサイトへの外部リンクが排除されるわけではありません。」 それを無視して反対者サイトを除去してしまった結果が逆に中立的な観点に問題をきたす結果になったということです。「2.情報の信頼性、検証可能性などにおいて書籍や学術論文などと同等の水準を保っており、出典、参考文献として掲げるに値するサイト。」これだって判断基準は多種多様です。除去が厳格(というより作為的?)だったから、その後の現状もまた厳格にルールを当てはめて見られているということです。自業自得だと思います。 注意書きについてですが、外部リンクは向こうに跳んでしまえばそこはWikipediaではありません。Wikipedia内での中立性や他の方針は関係なくなります。記事に付ける場合とは違って注意書きの効力はないと考えられますです。また跳ぶ前に先入観を持たせることは相手サイトの領域を侵すことにもなります。やはりガイドライン通り併載が望まれます。 私としては中立性を壊した人かそれと同じ立場の人、公式サイトを掲載したい人が「別の観点から作られたサイト」を探して掲載するべきだと思います。または批判者等が別のリンクを貼るまでコメントアウトのまま待つということではないでしょうか。--Poh 2008年9月1日 (月) 06:07 (UTC)
書き忘れましたが、公共性や利便性は商業目的や利益目的の広告性を緩和する面もあるという考え方でもあります。--Poh 2008年9月1日 (月) 06:47 (UTC)
「リンク先は公式サイトだけにする」という意見を支持します。理由は「公式サイトは『幸福の科学』を支持するサイトではないから」です。言葉遊びと受け取る方もあるでしょうが,「XXさんの支持者」とか「XXさんの意見に賛成の人」と言ったときはXXさん自身を含まないのと同じように考えるとよいと思います。Suzukitaro 2009年6月30日 (火) 21:39 (UTC)
いきなり削除はしないで。
[編集]何の討議もなくいきなり削除し、何ら理由の説明もないというのは卑怯なやり方。問題有りと思うなら討議するべき。ページを私物化してはならない。
昨日の投稿分を全て削除されてしまいました。何も説明がないので理由も判りません。それどころか、元々記載されていた文章も含めて削除された箇所もありました。ですので、白紙状態からの再投稿にしました。これが繰り返される様だと保護依頼することになります。 記事の内容は、海外施設一覧(出典は不要だと思いますが、月刊誌で一般の方でも確認することができます)と教義項目です。 教義項目については、全てが削除されていました。 投稿した教義説明は、書籍「悟りの挑戦 上巻」で正式に公表された公式教義です。それをそのまま引用することなく、一般の方が理解し易い語句に書き換えて説明しています。ただ、教団専門用語の理解には説明を要すると考えたため、補足説明を加えています。問題があると思うなら、ここで討議してください。 いきなり削除だけというのはオカシイと思います。
投稿内容
<公表されている公式基本教義の要約>(出典:悟りの挑戦 上巻)
- 基本教義は、「正しき心の探究」と、その具体的展開としての「幸福の原理」である。その中心の教えは「愛」と「悟り」と「ユートピア建設」という言葉で表すことができる。「愛」とは「与える愛」であり、仏教の「慈悲」と「布施」の精神を根拠としている。「悟り」とは「仏性の顕現」であり、霊界の多次元構造で説明している。「ユートピア建設」とは、仏陀(大川隆法)の考えた理想社会、仏法を学ぶ人たちのつくる平和な社会を理想とするものである。 - 「愛」と「悟り」は、書籍「太陽の法」で示された通り、「愛の発展段階説」によって繋がっている。そして、東西両文明を融合して、地球規模の理想郷を建設するための精神的主柱となる。 - こうして、「愛」と「悟り」と「ユートピア建設」が一体となり、仏神の理想が実現されるのである。
(専門用語理解のための補足説明)
- 「正しき心の探究」=仏の御心に自らの心を合わせていこうとすること。(仏我一如)(出典:書籍「愛の原点」 第6章 :書籍「幸福の法」 第4章) 日々継続するべきものとされている。(出典:書籍「愛の原点」 第5章)
- 「幸福の原理」=「正しき心の探究」の具体的な修行課題。「愛」、「知」、「反省」、「発展」の四つの原理(四正道)をいう。 - 仏教的に【因縁果報】で説明するならば、「愛」が【因】(直接原因)「知」と「反省」が【縁】(間接原因)「発展」が【果】(結果)で「ユートピアの実現」が【報】となる関係にある。
--Hikarinotenshi 2008年11月22日 (土) 02:12 (UTC)
- 新たに見出しを付けるときは一番下に付けてください。--Poh 2008年11月22日 (土) 10:35 (UTC)
Hikarinotenshiさんの2008年11月11日の疑問にこちらでお答えします。
>現に「インターネットサイト等で実際の信者数に関する情報が推測・推定されている」と興味を煽るような記述があることに問題があるのではないかと思います。
問題とされるのは件の文章がネット以外のソースが提示されていないということだけです。 他のサイト等への誘導的な文章があるわけではないので「興味を煽る」かどうかはあなたの主観に過ぎません。またそのようなものに「興味を持たせる」こと自体にはWikipedia上の問題はありません。その他の疑問につきましてはWikipedia:信頼できる情報源、Wikipedia:検証可能性、Wikipedia:独自研究は載せない等を読まれてください。--Poh 2008年11月22日 (土) 10:56 (UTC)
- まずは、Help:ページの編集とノート:幸福の科学の「署名」を熟読してくださいとしかいいません。
- 海外施設一覧についてですが結局、現地に行くには事前に調べる必要があるので出典は必要だと考えます。住所を載せる必要は無いと思います。ただし、月刊誌で一般の方でも確認することができるかどうかは検証が必要になってきますし、そもそも記事自体が必要なのか考えてしまいます。
- 基本教義については、この教団の法の特徴は一体何なのか考えてみましょう。『悟りの挑戦(上巻)』の引用を基本教義とするならば、そのことを裏付ける出典が必要になります。上記のことを言い出した場合、『ノストラダムス戦慄の啓示』を基本教義と勘違いしたことで起きた事態の二の舞がおきるのは想像に難くありません。--59.139.212.226 2008年11月22日 (土) 11:17 (UTC)
- 59.139.212.226 さん、判決文の出典に[要出典]のテンプレート付けられてましたが、書籍や新聞と同様ですので必要ならば自分で調べてください。 Wikipediaで要求されているのはあくまでも「検証可能性」です。--Poh 2008年11月22日 (土) 11:38 (UTC)
- Pohさん、内容は把握しています。この記事だとは思いますが。あの文章の内容からすると最高裁の上告棄却文ですよね。なぜ、東京地裁の番号を出したのか不明なんですが。脚注に最高裁の判例の番号を載せないと矛盾が生じると思いますが。--59.139.212.226 2008年11月22日 (土) 12:22 (UTC)
- >問題とされるのは件の文章がネット以外のソースが提示されていないということだけです。>
それをいうなら、同じ言葉をお返ししますよ。ネット以外のソースが提示されていないのは問題の文章も同じです。ネットでの推測について、「信頼できる情報源」であるということを証明するものはないのに、「ネットで調べたら判るんじゃないですかー」みたいな書き捨てになっていますよね。 さらには、その情報源の検証が可能かどうか?という疑問にも答えになっていない。単なるデマかもしれない話について、憶測されているとわざわざ書き添える必要はないはず。その情報をここに書きこんだら明らかに独自研究となるような話なのに、そういうのがあるよと、わざわざ紹介する必要性があるとは思えませんが。 つまりですね、いきなりあの部分を削除してしまうと問題あると思ったから、わざわざ回りくどいことしただけで、本音は削除すべきだということが云いたかっただけです。私の作った例文自体はどうでもいい内容です。ただの誘い水です。
- 海外施設については、記事自体が必要ないのならば、国内施設についても必要ないと判断してもおかしくないと思います。何故なら、海外の場合、支部とはいっても国内の精舎的役割を果たしているからです。たとえば、ロンドン支部精舎はヨーロッパ全土で唯一の精舎です。
それとは別に、海外に関しての情報は必要ないというのであれば、それは個人的な見解と受け止めます。 実際に現地で確認したいのであれば、住所を教団に問い合わせれば良いのではないでしょうか?秘密にしてこそこそやっているわけではありません。 どうしても月刊誌を確認したければ、バックナンバーを可能な限り取り寄せれば良いではないですか?落慶日も親切に記載しているのだから。 つまり、そういう確認方法もあるというだけで、建物自体は逃げ隠れするものではないので検証は可能であるということです。 国内精舎に関しても同じことだと思うので、海外施設だから特別証明する必要があるとは云えません。なお、ロンドン支部精舎までは教団史2008年版にも記載してあります。 住所に関しては、国内施設は都市名を記載しています。海外では支部名が都市名であるので記載の必要はないと判断します。
- 基本教義については、それが基本教義であることが当該書籍にハッキリ明記してあるので、それで証明できます。
最初に「基本教義は…」と書いているのは、原文にも書いてあるからです。まず、根本経典が明記してあって、その次に基本教義について書いてあり、最後に当該書籍が基本教義のどの部分について書かれているのかを説明しているという構図になっています。「まえがき」に書いてあります。 ちゃんと確認してから云ってください。出典を書いていても確認しないで削除してたら意味ないでしょう。 さらにいうなら、教団設立当初から基本教義は変わっていません。 1987年3月8日に第1回講演会から「幸福の原理」が説かれています。まだ教団設立1年目です。違うものを基本教義だと勘違いするのは個人的な問題です。(出典:書籍「幸福の原理」「ユートピアの原理」) --Hikarinotenshi 2008年11月22日 (土) 13:48 (UTC)
- それから、この項目は「完全な引用はさけましょう」の一番下に付け足す意図がありました。違うものを新たに立てる意図はありませんでした。
--Hikarinotenshi 2008年11月22日 (土) 14:02 (UTC)
- 59.139.212.226さん、裁判の経緯について日経新聞の記事より出典に追加しておきました。地裁であっっても判決文は公的な文書ですからソースに問題はないですし、地裁の判決を基に記述することは禁止事項ではないでしょう。また表記も地裁まででの内容になってます。もし最終判決までこれが否定されることがなかったことが確認できれば「~業務妨害行為であると判断された」から「業務妨害である」と変更可能です。また二審以降否定されたのならその旨も記述可能です。それは記述されたい方が調査し出典明記の上記述されればいいでしょう。
- Hikarinotenshiさん、「インターネットサイト等で実際の信者数に関する情報が推測・推定されている。」という文章は、これが新聞や週刊誌に載ったのであれば問題なく掲載可能です。今回はソースの提示がないので、ネットのみの情報および独自の注釈とみなされただけです。除去されたことは問題ないとは思いますが、回答待ちの場合Wikipediaでは1週間置くのが慣例ですから憶えておかれるとよいでしょう。また「信者数が1000万人」という記述が本文にありますが、これもネットでの憶測と同様かそれ以上に信頼できない数字です。ただ幸福の科学の公称会員数であったから掲載が可能だというだけです。(1000万人記述も出典は無いですが、週刊新潮で見た記憶があるので私はあえて突っ込んでません)Hikarinotenshiさんはもう少しWikipediaのルールについて勉強されてから編集や議論に参加されたほうがいいように思えます。--Poh 2008年11月23日 (日) 11:06 (UTC)
- >これが新聞や週刊誌に載ったのであれば問題なく掲載可能です。>
仮説を述べても意味はないです。結局は何を根拠にしているのかということが明確でないということを問題にしていると初めから云っています。つまり、私が云っていることを追認したということで良いですね。
- >「信者数が1000万人」という記述が本文にありますが、これもネットでの憶測と同様かそれ以上に信頼できない数字です。>
では、この点についても、出典・根拠を明確に示せなかった場合には、単なる憶測として処理して良いと考えて良いということですね? 公称ということは、根拠が示せるはずですから。おかげ様で一気に解決できます。 1週間ルールについては、削除した後に気がつきましたが、削除しましたと報告しましたし、すでに1週間たっても何のリアクションもなかったので、それはそれで問題なくなったと考えています。次の日曜日までに根拠の示せる人は示してください。雑誌の情報などの憶測ではなく、公式の数字であるという根拠です。雑誌に載ったら問題ないとは云えませんよ。2008年10月1日の週刊新潮との裁判でも、週刊新潮の記事が事実でないと判決が出たばかり。雑誌や新聞でも事実誤認はありえるというのは社会の常識だと思います。これは、「信頼できる情報源」に該当せず、「検証可能」という範疇に入れて良いものではないでしょう。ですから、繰り返しあなたの云っていることは矛盾していると申し上げているのです。 --Hikarinotenshi 2008年11月23日 (日) 14:38 (UTC)
- >おかげ様で一気に解決できます。
- それはあなたがルールご存じなかったのかが今頃やっと解かったいうことすね。仮説を述べたのはあなたにルールを教えるためです。要するにあなたが書かれていた「インターネットサイトでの会員数の推測・推定に誘導することになる可能性があります。いたずらに煽ることになりかねません。」という理由はWikipediaでは全く受け入れられない無駄な論点だったということです。またあなたがこちらで「信頼できる情報源」としての新聞雑誌等の問題点をの述べたところで何の価値も持たないものです。ウィキペディアに書いたことは削除(除去とは違う)にでもならない限り残って行きますので、いずれリールの意味が解かれば、自分がいかにばかげたことを書いていたかわかるでしょう。これ以上そうならないためにご注意申し上げているまでです。Wikipediaで認められているソースが提示できれば事実誤認であっても掲載はでき、事実であってもソースが提示できなかったり証明できなければ掲載できないというのがWikipediaのルールです。「幸福の科学の公証会員数1000万人」というのが「根拠のない信頼できない数字」「嘘としか思えないような数字」であってもソースがあるから掲載できたということです。念のため
「1000万人」と「アフロディーテ祭中止」に要出典のテンプレートを付けておきます。--Poh 2008年11月24日 (月) 02:08 (UTC) 訂正--Poh 2008年11月24日 (月) 02:18 (UTC)
- ルールが判ったのは11月17日です。教えていただくまでもありませんでした。
ですが、削除したことはわざわざ報告しているし、何も反論なかったですから時効と考えています。ルールというより、慣例ですよね。実際、いきなり削除することには言及しようとしないわけですから、ルールを振りかざすのは二股膏薬ですね。 書いたことが残ることはよく判った上で書いています。そのことの意味も理解した上で書いています。逆にそれを利用しているということです。無かったことにしようとしているわけではありません。
「アフロディーテ祭中止」に出典はありません。しかし、行われなかったことは事実です。行われなかったことが確認できる出典を求めるというのも現実的とは云えないと思います。それこそ会内文書通知くらいのものでしょう。 つまり、有ったことを確認する証拠を出すならともかく、無かったことを確認する証拠を出せというのは乱暴過ぎると思います。また、過去に行われた行事が、出典がないことを根拠に現在も行われているように残っているというのもおかしな話です。この場合は単に削除すれば良いということですか?
私は何もむやみやたらに削除したいわけではありません。今現在を基準に読んだ場合、過去のデーターが現在の基準に合わないということに対する補足説明なしに、それがあたかも実状であるかの認識で定着してしまうことに対する懸念を持っているだけです。 ですから、1千万を残すのならば、その一千万という数字が一般的に考える信者数のカウント方法と違うということが明確に判るようにする必要があるということです。 ただ、あなたの云ったように、独自研究と判断されるような説明にならざるを得ないのと、出典の問題もあり、特に解決策が提示されない(できない)ということになると削除も考える必要があるかなと思っているのです。 --Hikarinotenshi 2008年11月24日 (月) 04:10 (UTC)
- 現在出典とされている10周年記念誌は教団内部のみの頒布で、発行部数が少なく信者でも持っている人は少数です。一般に検証可能な出典といえるものではありません。
また、教団内の自画自賛的要素も強い内容なので、対外的に正式に公表した数字というのとは性格が異なります。 さらに、この数字の具体的内訳が非常に曖昧であるという問題もあります。当時の会員制度からすると、月刊誌を毎月届けてあげただけでも会員と数える「誌友会員」が含まれているなど、宗教教団の一般的な信者数の数え方と違います。 世間一般の考える信者数という基準からすると、1996年の三宝帰依した者のみを信者とする会員制度の是正以後でなければならず、そういう意味で、一千万人については別途説明を要するものの、それを付加するのが難しいということになると、「公表されていないので不明」以外は全て記載するべきものとは云えないと考えています。 --Hikarinotenshi 2008年11月24日 (月) 04:57 (UTC)
- 乱暴だと言う前に、あなた自身がWikipediaに書いていいことと悪いことをしっかり把握しておくべきです。アフロディーテ祭中止の件はソースがないと名言されたので、ネット上でのデマかもしれないので戻しておきました。Wikipediaはニュース速報ではないので性急な編集はする必要はないのです。あと大川きょう子の役職「立宗名誉補佐」の箇所に要出典を付けておきました。ルールに意義があるならこんなところで「演説」するのではなく、しかるべき場所で意見するなり変更のために行動されればよいでしょう。ただし、あなたの言われてることや考えてることは既に多くの利用者が持っていて、それらを踏まえた上で共通して守られるべきものとしてルールが作られたのだということは知っておかれたほうが良いでしょう。それと信者数の箇所の除去では、私はあなたについて何も批判はしてません。今後のトラブル等を避けるために、そのような慣例があることをお知らせしたまでです。--Poh 2008年11月24日 (月) 09:17 (UTC)
- ということは、現時点で二つとも出典の可能性がないので削除しておきました。出典が示せるようになったら再度作成すればよいことですから。
それとも「要出典」と付けておけば何でも書けるという方がお好みでしょうか。それだったらいくらでも書けますね。 ルールに関しては、一部にだけ主張するような人に云われてもね。 --Hikarinotenshi 2008年11月24日 (月) 10:59 (UTC)
- 「一部」と言われても一度に全部の方針については言及できないでしょう。それに違反を犯した側が言うべきことではないです。出典の提示責任があるから例えば「大川の不倫、愛人問題」などは掲載されずに済んでいるのです。あなたも一部しか見ていません。--Poh 2008年11月24日 (月) 22:35 (UTC)
- おかしなことを云いますね。慣例というのは強制を伴うルールではないので違反ではないと思いますが。まあ、そういことを語るところでないのでこれくらいで止めときますが、執拗にからみますね。--Hikarinotenshi 2008年11月25日 (火) 11:43 (UTC)
違反というのは出典のないものを書いたことす。違反を犯して開き直れば許されるとでも思ってるのでしょうか?しかも全く関係のない慣例のことを言われてると勘違いされているのは、ご自分の犯した違反に全く自覚がないとしか思えません。--Poh 2008年11月25日 (火) 22:46 (UTC)
- また見出し通りの事が起きてます。このような初心者が現れることは幸福の科学の記事では珍しいことではありません。この件は「利用者‐会話:もけどな」のほうで、しばらく。もけどなさんと対話を続けていきます。--Poh 2008年11月27日 (木) 10:43 (UTC)
- 出典のないものは他にも前からありますが、そういうことには寛容なんですねということもすでに云いました。だから、あなたの云う事はおかしいと云っている。まあ、云ってもしょうがない人だと思うので、もう云いません。--Hikarinotenshi 2008年11月30日 (日) 09:19 (UTC)
ちょっとコメントします。Hikarinotenshiさんの 2008年11月24日 (月) 04:10 (UTC) の書き込みについて指摘しておきます。《「アフロディーテ祭中止」に出典はありません。しかし、行われなかったことは事実です。行われなかったことが確認できる出典を求めるというのも現実的とは云えないと思います。》については、もちろん現実的な話です。その「アフロディーテ祭」が百科事典への記載としてあるべきならば、信頼できる情報源にて、中止となったことは記載されているであろうという立場をウィキペディアは取っています。例えば、適当な検索エンジンで「イベント 中止」とか「祭 中止」などと検索してみてください。幾つかの情報が容易に見つかることでしょう。ですから、「中止になったことは証明できない」ということはないのです。もし、信頼できる情報源が見つからないのであれば、中止になった事実、或いはそのイベント自体の記述がウィキペディア日本語版にとって必要なのかということも検討してみてください。(もちろん、出典があれば何を書いてもいいということはありませんので、次の段階としてはその点を注意する必要があります)
《また、過去に行われた行事が、出典がないことを根拠に現在も行われているように残っているというのもおかしな話です。》については、一般論でいえば、何らかのイベントが毎年一回というように継続されていたが、ある時点で止めてしまった場合にどうするのかという話になると思います。ウィキペディア日本語版の記述をみて、それが今でも実施されていると解釈できてしまう場合、それはその記述の仕方に問題があることが多いです。対処の例としては次のような方法があると思います。
- 信頼できる情報源に『イベント主催者は「これからも毎年実施する」と述べた』と書かれてあったのであれば、それを出典として「イベント主催者によれば、XXXX年の時点では、これから毎年実施する予定である」とでも記載する。
- XXX5年に信頼できる情報源が『XXX5年Y月Z日にAが開催された。本イベントはXXX1年から毎年開催されている』とあれば、それを出典として「XXX5年現在、本イベントはXXX1年から毎年開催されている」とでも記載する。
要するに、確定していない未来を、確定したように記述することはあまり適切ではないということなのです。Wikipedia:すぐに古くなる表現は使わないも参照してみてください。
また、2008年11月30日 (日) 09:19 (UTC) のコメント《出典のないものは他にも前からありますが、そういうことには寛容なんですねということもすでに云いました》についても私の見解を一般論として書いておきます。現状のウィキペディア日本語版では「Wikipedia:検証可能性」が軽視されていると私は考えています。非常に残念なことです。で、個人的には残念ではあるのですが、検証可能性を満たしていない記述はウィキペディア日本語版内に無数にあるのです。ただ、その状況下でも問題視されない記述というものは、それは大半の人がみても「まあ、妥当なことが書いているだろう」と判断されているからです。
しかし、検証可能性が問題視される場合があります。例えば「Wikipedia:独自研究は載せない」に抵触するような内容と疑われる場合です。事実或いは真実を記載していた場合でも、そのように疑われてしまうことはもちろんあるでしょう。でも、その場合もまずは検証可能性を満たすように信頼できる情報源を提示するということが我々には期待されています。その上で、他者との合意を得ていく作業を継続する必要があります。
現時点のウィキペディア日本語版では、こんな感じで動いていると理解してもらっていいと思います。
最後に書いておきますが、人によっては、気にくわない記述を除去したいがために「検証可能性」を持ち出してくる人もいると思います。その場合も、本来は出典は必要なのだというウィキペディア日本語版の基本方針に立ち返って対応してみてください。そうすれば、そんなに悪い結果は招かないんじゃないかと思います。--iwaim 2008年12月2日 (火) 16:10 (UTC)
- ですから、ウィキペディア日本語版の基本方針に立ち返って対応すればいいので「他に寛容」と批判を返したところで既に書いた「開き直り」でしかありません。出典がないことで気になるのがあるのなら自分で対処すればいいだけのことです。--Poh 2008年12月5日 (金) 11:49 (UTC)
*Iwai.masaharuさん。わたしは、「2008年現在中止」と記述しました。「聖者は一人に集約されるべき(というニュアンス)」という教団運営の方針が働いているため、再開される見通しはないと聴いています。ただ、もし再開されることがあれば、「20××年再開」と加えることができるようにしました。つまり、「中止」としたのであって、「廃止」とはしていません。実質「廃止」なのですが、ここは充分に考慮して言葉を選びました。 これと並行して、この追記に出典がないという指摘以前に、そもそも行事リスト自体に出典が示されていないことには全く触れられていない。おかしくないですか?全体的に出典がないことは問題なく、追記部分だけ出典要求されるという問題、こういう対応の仕方を矛盾していると繰り返し指摘しているわけです。 さらに、行事というものは年々変化していくものと考えてよいものだと思います。新しい行事が加わったり、無くなる行事もあったり、名称が変わったりします。なので、出典と同時に、いつの時点の情報なのかも明記する必要はあるのではないかと思います。 そういったことを少しづつ問題提起して調整していきたいと思っていましたが、最初から排除方向でしか話してくれないし、勝手にやれみたいな突き放しや、出典がどうのと私が編集した部分だけをやり玉に挙げるなどの個人攻撃に終始して先に進めないということを云ったわけです。 出典を示さなければならないということでいえば、大部分が出典を示していないということは何れ問題提起したいと考えていました。問題視しない人がいても責められませんが、それならその方針を貫いて欲しいものです。 こういう事から、出典が示されたとしても、その情報自体が古くなってしまうことは避けられないと判ると思いますが、必ずしも出典の更新が出来るわけではないという問題が残るということも念頭に置いてもらいたいと思います。 例えば、きょう子先生の肩書きに出典がないなど、急に思い出したような出典要求がありましたが、出典自体は存在します。書籍のプロフィールに書いてあります。しかし、出版日、増版日によっては肩書が違っています。新たな初版本が発行されるということでもないと最新の肩書きは出典確認が難しいです。 また、随分昔に限定的に出版されたものを出典として示して、これを検証可能と認めるかどうかという問題など、問題は沢山あり、合わせて考えなくてはならい問題ではあります。 でも、一度にまな板に乗せてしまうとややこしくなるので、中途半端になってしまうのはやむを得ないのです。 駄目だ駄目だじゃなくて、どうしたら問題解決できるかということを一緒に考えていくのが本当の在り方じゃないかと思うのですが、いきなり検証もしないで削除されたり、駄目ダメ云うばかりの突き放しですから、自分たちの縄張りを荒された程度にしか考えられないのだろうと感じます。 それで、話し合いによる解決は無理なんだろうと思っています。--Hikarinotenshi 2008年12月6日 (土) 05:01 (UTC)
- 《こういう事から、出典が示されたとしても、その情報自体が古くなってしまうことは避けられないと判ると思いますが、必ずしも出典の更新が出来るわけではないという問題が残るということも念頭に置いてもらいたいと思います》という問題はもちろんあるわけです。それでですね、ウィキペディア日本語版は、というかウィキペディア全体としては、それでいいという立場を取っているわけです。つまり、「更新が止まってしまい、記述自体が虚偽の内容になる」ことは避けるべきとしていますが、「更新が止まってしまい、記述自体が古くなる」ことは許容範囲なのです。《例えば、きょう子先生の肩書きに出典がないなど、急に思い出したような出典要求がありましたが、出典自体は存在します。書籍のプロフィールに書いてあります。しかし、出版日、増版日によっては肩書が違っています。》について、同じ書籍でも版によって肩書きが異なるってのは当然あります。で、それについては、書籍情報に版指定を入れることで、検証可能性については問題がなくなります。{{Cite book}}にも「edition」というパラメータが用意されています。また、《新たな初版本が発行されるということでもないと最新の肩書きは出典確認が難しいです》については理解できますが、ウィキペディアはそういう立場を取るってのは揺るがせないことなのです。要するに、検証可能性を満たす信頼できる情報源から、その肩書きが報じられない場合、そもそも百科事典に掲載する価値がないのではないか?ということなのです。
- 《駄目だ駄目だじゃなくて、どうしたら問題解決できるかということを一緒に考えていくのが本当の在り方じゃないかと思うのですが》については、おっしゃる通りですね。ただ、ウィキペディアでは検証可能性を満たすことは、本来必須事項なわけですから、他者から「出典は?」と問われた場合、それをどうしても掲載すべきとするならば、出典を出すことは必須の行動です。それなしに問題解決はありえないのです。Wikipedia:検証可能性にも『この三方針は議論の余地がないものであり、他のガイドラインや利用者同士での合意によって覆されるものではありません。』とあるではないですか。
- 《いきなり検証もしないで削除されたり、駄目ダメ云うばかりの突き放しですから、自分たちの縄張りを荒された程度にしか考えられないのだろうと感じます。それで、話し合いによる解決は無理なんだろうと思っています》については、検証可能性について異論がある状況下にて、検証可能性を無視して掲載を求めるってのは横車を押すようなものです。それを踏まえた上で、Pohさんと、あるいはウィキペディア日本語版の利用者たちと話し合いによる解決は無理と判断なさっているということなのでしょうか? --iwaim 2008年12月6日 (土) 08:22 (UTC)
- 私から申し上げたいことは、Hikarinotenshiさんのことは6年半前から知ってますが、Wikipediaにおいてもアクティブに意見を述べられたり編集される方なので、Wikipediaのルール・方針を最低限は知っていないと他の編集者に迷惑をかけることにもなるので、落ち着いて方針文書をしっかり読まれてから行ったほうが良いですよということでありまして、それは最初から申し上げていることでもあります。
- 「行事の出典」ですが月刊誌や雑誌に出てることぐらいはわかっているので、要求すればすぐ出せるということであえて求めてはいません。ただ「アフロディーテ祭2008年8月中止」というのは現在のタイミングでどこに出てるのかな?ということです。また「大川きょう子の新しい役職」は『月刊FACTA』(2008年11月号)や『週間ポスト』(2008年11月17日号)に載った「一会員に降格」というのがあなたが編集された時点では信頼できる最新ソースだと思われます。ソースがなく掲載不可なものならすぐに修正して、あなたが方針文書を読み直すなどして同じことを繰り返さないようにすればいいだけのことです。
- ちなみにアフロ中止ときょう子の役職は、信者はみな口を揃えたように「嘘」だ「デマ」だと言っているファルコン氏(元幸福の科学職員)から最初に出たもので、ファルコン氏の後に全く同じ事を書かれても、一般人としてはソースがなければネットでのデマの受け売りなのかどうかも見分けがつかないのであります。--Poh 2008年12月6日 (土) 10:06 (UTC) 追加修正--Poh 2008年12月28日 (日) 09:44 (UTC)
- 幸福の科学は、宗教であり、現時点では必ずしも万人がその真偽を検証できない研究成果であっても、それがまだ発見されいないだけ(さまざまな人が認識していないだけということ)と考えると、これは中立的な観点からは認識されていないということになります。また、宗教は神や仏を唱えています。これは、宗教側から見て、不利だと思います。これは削除しないほうがいいと思います。--ミッチュ 2010年9月3日 (月) 17:40 (UTC)
メモ
[編集]公式
[編集]はじめて投稿します。いろいろな宗派をWikipediaで調べておりましたら幸福の科学にたどり着きました。それで公式サイトが外部リンクに無いので奇妙にも不便にも感じつつこのノートに寄らせてもらいました。一応全部読ませていただきましたが、明らかにおかしいと思えるのは公式ページの掲載がこの教団に限って議論のまっただ中で、掲載が許されていないことです。他の宗教団体のページでは結構複数のリンクが堂々と掲載されているのにここの外部リンクだけ(私が見てきた中では)公式サイトが問題になっているようですね。幸福の科学さんの肩を持つ訳ではないですが、何か奇妙です。それともWikipediaとしてはここから外部リンクに公式サイトを載せない方針の始まりとされているのでしょうか?利用者としては他の宗教団体のページ同様に理解の道具として公式ページの掲載が欲しいですね。くれぐれもダブルスタンダードの無いようにお願いします。--twinsfather 2009年2月2日1時30分
- 中立的観点は必ず守られるべき方針です。方針を守ることを拒否している人たちがいるため貼れない状態が続いている状況です。公式サイトだけ貼られている記事もあるようですが、そこは公式サイトが中立なのか方針が守られていないかのどちらかなのでしょう。また公式が見たければ過去ログから跳べますしグーグル検索でも出せます。あなたが公式とは別の観点から作られたサイトを併載されれば掲載可能です(保護解除が先ですが)。--Poh 2009年2月6日 (金) 13:56 (UTC)
公式サイトについて
[編集]時間をあけまして申し訳ありません。 他の検索エンジンで調べればよいという問題ではないと思いますよ。 pohさんのご意見で、 (違反を見つけたら対処するのが基本的なルールであり「他にも違反している記事があるから許される」というものではありません。また利用者はすべての 記事を編集する義務はありません。他の記事に違反を見つけたのであれば、見つけた利用者がしかるべき対処を行えばよいのです。 コメントアウト前の外部リンクは特定の宗教思想の宣伝布教を目的としたものであり、公式サイトも含め中立的とはいえないものですから、別の立場のサ イト無しでは郁さんの言われる「掲載しても良いサイト」にはならないことになります。Wikipediaで重視されるのはWikipediaの公式(な方針)であ り、幸福の科学の公式(サイト)ではありません。決して「暴論」や「不適当な議論」ではありません。影響範囲を心配されるのなら、これらの観点から もう一度他の記事のリンクを見直されることをお奨めします。--Poh 2008年8月26日 (火) 10:33 (UTC)(一部修正)--Poh 2008年8月26日 (火) 11:36 (UTC) ) という部分があります。Wikipediaの編集に携わる者としては、Wikipedia全体に中立的観点の基準が適用されるという理想の精神の元、個別の記事の中立性の維持を心がけるべきかと思いますがまちがいでしょうか? Pohさんのご意見からは、ここ(幸福の科学の外部リンク)のみ中立的観点を適用し、他所に見られる問題へのリンケージは無視する、関知しないと言われているように見えます。 法律でもルールでも宗教教義でもその中身の一部分を誇張したり強調して適用すると世の中の常識を覆す結果が発生することが多々あります。(すみません。非常識と言っているのでは決してありませんから) そのような言葉のレトリック的な領域の仕事からは編集する者としては離れなければいけないと思います。したがって、ここではWikipediaの中の宗教団体の括りで中立的観点を学習し、ここ(幸福の科学の外部リンク)にも引いてくるようにすべきではありませんか? 他のほとんどの団体が公式リンクを掲載しています。それに対して疑義が提出されてはいないようです。ですからここ一団体の公式サイトをコメントアウトして疑義を唱えるのではなく他の団体と同じく公式サイトを載せ、問題がある団体だと考えるのであれば反対のサイトをご当人が載せる、あるいは他から募ればよいのではないかと考えます。その上でその場所で公式サイトの中立性について疑義を唱えればいいのです。そして、その疑義を建設的に上の括りに上げていったらどうでしょう? 中立的観点の意味合いを2種類に使いましたが、公式サイトの中身の中立性に関して少なくともWikipediaの宗教団体の括りではまだ結論が出ていないから現状の様なのではないですか? 今の状態では、全体への問題提起を幸福の科学さんの外部リンクの項でで実験しているような形です。以前に中立的観点を逸した編集の疑義が上がりこのような状態になっていることも理解しています。その上で公平な立場の編集が速やかに進むことを希望します。--Twinsfather 2009年2月28日 (土) 15:14 (UTC)Twinsfather 2009年3月1日(日)0:03(utc)
- Twinsfather さんのご意見は「他の記事で方針が守られていないのだからここでも違反をすべきだ」ということのように考えられます。なぜならばTwinsfatherさんの言われてる《宗教団体の括りで中立的観点を学習し》とは中立的観点ではなく宗教団体の括りの中での平均に過ぎないと考えられるからです。コメントアウト前の当記事の外部リンクがそうであったように他の宗教の記事の中にも中立的観点が守られてないものもありえます。その現状で他を学習したところで違反の真似をすることにしかなりません。違反を見つけたのでよりより理想に近い状態にして問題提起をしているのでありまして、それを他の団体に習い違反の状態に戻して議論したり反対のサイトを募るのは間違いだと思います。
- 他を参考にすることは良いことではありますが、公式な方針には冒頭に「多くの利用者に支持されており、すべての利用者が従うべきだと考えられています」と記されています。これは方針文書が他を参考にしなくても一対一でどの記事にも適用可能なものであることを意味していると考えられます。また先の文は「局所的」という意味でのレトリックとは言えないでしょう。他で方針が守られていないことを、私が上の括りにおいて疑義を提出する役には無いと考えているだけでなく、そうしなければ当記事の違反を正せないということは全く無いと考えております。
- また私自身としては公式サイトを掲載する必要は無いと考えております。公式サイトはガイドラインでは「掲載してよい」サイトとなっていますが「掲載しなければならない」必須項目という訳ではありません。あくまでも公式サイトを掲載したい利用者がご自分で方針に違反しない形で掲載すれば良いのです。それを申し上げたら、方針を守ってまでも公式サイトを載せようとする方が現れなかっただけのことです。--Poh 2009年3月1日 (日) 14:27 (UTC)
- Twinsfather さんのいわれる《宗教団体の括りでの中立的観点》と《公平な立場の編集》について思うことがあるので追記します。記事:幸福の学においてのみ方針が厳守させられていることを不公平とお考えなのかもしれませんが、もし私が方針を違反したり現状のルール等を変革する方向で編集を推し進めるのであれば、全体を考慮してしかるべき対処をする義務が生じます。ただ今回の件では私は現状の方針を守るように編集や問題提起をしているのでありまして、この場合には他の方針が守られていない記事にまで責任を持つ必要はないと考えられます。
- Twinsfather さんが現状をダブルスタンダードだとお考えで改善をご希望であれば、それは希望される方が上部への疑義申し立てや改善要求をされるべきであります。この記事の方針違反を正した私に対して「それをするなら他の記事も改善すべきで、それが嫌ならここでも方針違反を認めろ」と言われるのは越権行為としか思えません。--Poh 2009年3月2日 (月) 02:10 (UTC)
コメントノート:幸福実現党での議論中にPohさんは無期限ブロックとなりました。公式サイトの掲載の可否についてはWikipedia‐ノート:外部リンクの選び方#公式サイトについての議論を参照してください。--模様砂漠2 2009年6月10日 (水) 23:36 (UTC)
2009年5月20日、総選挙での候補者擁立を目指し政党「幸福実現党」を立ち上げる旨発表。http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2009052001000910.html --220.100.101.4 2009年5月20日 (水) 12:11 (UTC)
幸福の科学は塾も経営しています。
[編集]幸福の科学はQUALIER[4]という学習塾を北関東中心に展開しています。パンフレッドに幸福の科学が支持母体だと記載されていました。--SANGARI 2009年6月28日 (日) 14:22 (UTC)
↑この記事については全面的に事実ではありません。QUALIERには幸福の科学の資本が入っているわけでなく、また教義的な指導も受けていません。幸福の科学が支持母体だと記載されているパンフレッドが本当に存在するのならぜひ見てみたい。明らかにそんなパンフレッドは存在しません。QUARIER 2009年7月14日 (火) 08:15 (UTC)
ごめんなさいね。どうやら社長の河内宏之氏が幸福の科学の信者だったみたいですね。勘違いしていました。--SANGARI 2009年7月14日 (火) 09:02 (UTC)
文献情報
[編集]出典になり得る文献を紹介しておきます。英文で発表がやや古いですが、教祖の人物像・教団の沿革と構成・信徒数・信徒の構成・教義・出版業など教団について包括的に論じた研究論文ですので参照に値すると思います。無料で閲覧可能。
Trevor Astley (1995). “The Transformation of a Recent Japanese New Religion: Õkawa Ryðhõ and Kõfuku no Kagaku” (pdf). Japanese Journal of Religious Studies (Nanzan Institute) 22 (3 - 4): pp. 343 - 380 .
--Gd1031 2009年12月10日 (木) 03:43 (UTC)
上記の資料は、虚偽の情報を含んでおり、ここからの引用は大変危険です。--Kengaku 2009年12月12日 (土) 07:52 (UTC)
- 虚偽とされる点について、具体的な箇所を示して御指摘ください。また文献の信頼性について下の節に見解を記しました。--Gd1031 2009年12月12日 (土) 17:52 (UTC)
資料「The Transformation of a Recent Japanese New Religion」は虚偽情報
[編集]- ↓ここで使われている「信用ある出典」とはKengakuさん個人の見解であり「Wikipedia:信頼できる情報源」とは一切関係ありません。 --61.112.252.164 2010年1月26日 (火) 08:34 (UTC)
上記の資料は、虚偽の情報を含んでおり、ここからの引用は大変危険です。著者Trevor Astleyは、1990年代に日本のマスコミで出された情報を十分な検証もないまま引用しており、日本の裁判で「敗訴」したものや、「和解」で販売停止した書籍からの情報が含まれています。「信用ある出典」とはいえません。
幸福の科学法務室ホームページ希望の革命、をよくお読みください。このサイトは、「宗教法人幸福の科学法務室」が運営し、幸福の科学の裁判(訴訟)について、解説しています。幸福の科学に対して1991年ごろより講談社およびその関連メディアより、名誉毀損罪・信用毀損罪・業務妨害罪に該当する記事が多数出され、この虚偽の記述に対し多くの裁判がなされました。
最高裁平成11年7月9日第二小法廷判決 平成10年(オ)第1146号損害賠償請求上告事件 - 週刊現代敗訴
東京地裁平成8年10月4日判決 - 1996年の判決文、ライター:早川和廣の敗訴、控訴なく確定。
東京地裁平成8年11月20日和解調書 - 1996年の和解調書判決、宗教学者:島田裕巳の実質的敗訴。
誹謗中傷、名誉毀損、名誉毀損罪、信用毀損罪・業務妨害罪、などをよくお読みのうえ投稿・編集をしてください。--Kengaku 2009年12月12日 (土) 07:52 (UTC)
- 御教示ありがとうございます。上記の文献の信頼性の件についてですが、少々御見解に疑問を感じますので記します。私はこの文献はウィキペディアでいうところの「信頼できる情報源」に該当すると思います。理由は以下(大川隆法での拙編集が差し戻されましたのでそちらの件も含めます)。
- Astleyの論文は1995年発表で、1991年ごろの出版社との係争は既知の上で書かれたものです。「信頼できる情報源」の基準を当て嵌めるならば、「幸福の科学」および「大川隆法」については幸福の科学による刊行物や週刊誌、1991年当時に発表された記事などは「一次情報」に該当し、それらを概観し吟味の上で書かれた学術論文である本文献は「二次情報」に該当します。したがって「一次情報源となる資料を注意深く扱った、信頼できる二次情報源に頼るべき」とのウィキペディアの方針に合致します。
- 「1990年代に日本のマスコミで出された情報を十分な検証もないまま引用して」いると書かれましたが、この御指摘は失当に思います。Astleyは特に大川隆法の経歴と幸福の科学初期の動向については出版社との争議なども検討した上、島田や早川の記事は論争的なものであるとし「幸福の科学が信頼できる「中立的」な文献であると認めたものに依拠するよう注意した」旨明記してあります(p. 344 註3を参照)。これはAstleyが幸福の科学の側の判断も重視した上で論文を執筆したことを示しています。
- Astleyが大川の経歴などについて主に依拠した文献は21世紀文明研究会著『これが「幸福の科学」だ!!』(アクア出版1991年)ですが(下記の通り、その内容はその時点で既出の論文とも合致するものです)、これは幸福の科学が名誉毀損等で対象とした「雑誌」「週間現代」「フライデー」には(管見の限り)該当せず、オンライン書店を見る限りでは現在も販売されています。また仮に係争があったにせよ Astley は学術論文を執筆する上で資料の取捨選択を行っているわけですから、当事者である幸福の科学がその信頼性を認めていないこと自体は情報源の信頼性とは無関係です。
- 判決文などを拝見しましたが、大川隆法の個人の学歴等について争ったものは見受けられません。さらにいえば、幸福の科学による出版社との係争の概括を参照すると、教団が問題としたのは1991年5月以降のマスコミの動向および「大川隆法総裁がノイローゼで精神分裂の病歴があるかのような捏造記事」ですが、それ以前にも大川個人の経歴を述べた論文、例えば社会学者沼田健哉による「幸福の科学の研究」『桃山学院大学社会学論集』24 (2) pp. 81-112 桃山学院大学(1990年)が発表されており、これには病歴などは書かれておらず教団は問題にしていません。Astleyの論文の基本的な事実情報は沼田の論文と合致しており、同様に病歴などは記載されていません。したがって、これらの論文が指摘する事項を事実として記載することによってウィキペディアが一連の裁判で認定された中傷や名誉毀損を問われるものとは思いません。一部補記--Gd1031 2009年12月12日 (土) 18:48 (UTC)
- さらにいえば、本項目の保護措置解除および百科事典的な記述のためには係争当事者となった幸福の科学や週刊誌などのいずれにも過度に依拠しない記述が必要と思うのですが、Astleyおよび沼田の論文はある程度客観的に記述するための基本文献になるのではと期待しています。
- 最後に、差し戻された大川隆法の拙編集はややトリビアルな事項に偏向した加筆であったかも知れないと反省しており、現在は充実した伝記記事になるよう改稿も検討しているということを述べておきます。--Gd1031 2009年12月12日 (土) 17:21 (UTC)
- 追記:「虚偽」との御指摘ですが、含まれている虚偽情報とは具体的にどの箇所であるのか示してください。執筆時に注意したいと思います。--Gd1031 2009年12月12日 (土) 17:55 (UTC)
- 私は、まだ全然登校歴がないのですが、一応申し上げておくと、宗教は、神仏などを掲げているので、神仏はまだ確認されてないだけと考えると、きちんとした根拠がなくともまだ確認されてないだけとか、その様な難しい面があると思います。--ミッチュ 2010年10月1日 (金) 18:05
- さらに追記:長くなって恐縮ですが Trevor Astley による1995年の論文について言及している、もしくは依拠している文献や記事を探してみました。今のところ調べた限りではこの論文の信頼性に留保をつけるものがないため、虚偽の情報を含む、あるいは中傷の責を問われる可能性があると主張される方は、具体的に根拠を挙げて誤りを含む箇所を示すか、信頼性についてネガティヴな言及をしている別の文献を挙げて下さるとありがたいと思います。また議論の可能性として「情報源としては信頼に値するが、内容に基いて執筆した際に誹謗中傷になる恐れのある事項が含む」という指摘もあるかと思いますが、その場合は記事の執筆に向けての合意を形成したいと思いますので意見の表明を乞います。なおこの論文が1995年に書かれたことを考慮すれば講談社との係争の発端となった島田・早川等の記事に触れることは当然必要であるため、虚偽情報を含む文献を「参照している」というだけでは有効な指摘ではないことに留意して下さい。上にも記しましたが Astley は大川隆法の経歴および教団初期の動向について述べる際、論争的な文献に注意を払った旨を明記しています。
- Astley の該当論文に言及している、もしくはこれに依拠している文献や記事
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- Peter Bernard Clarke (1999). Bibliography of Japanese New Religious Movements. Routledge. ISBN 978-1-873410-80-6
- ロンドン大学宗教史・宗教社会学名誉教授の編集による、日本の新宗教各団体についての紹介とビブリオグラフィと集成した書籍。幸福の科学の参考文献として挙げられた46文献(邦語文献を含む)に Astley の論文を収録。該当部分の執筆者は幸福の科学本部に情報の提供を受けており中立的な内容と推測できる。Astley 論文の紹介文:"Examines the rise to prominence of Kofuku-no-Kagaku, the way in which its organization, teachings and public profile have changed in the course of the movement's development." (p.164)
- HAGA Manabu and Robert J. KISALA (1995). “Editors’ Introduction: The New Age in Japan” (pdf). Japanese Journal of Religious Studies (Nanzan Institute) 22 (3-4) .
- 該当論文掲載誌による紹介。論文全般を詳細で有用な文献と評価(中傷記事の扱いにも言及):"[Astley] has been able to offer us an insightful and detailed account of the development of Kofuku no Kagaku, principally in terms of doctrine and recruitment strategy. Astley’s article provides a wealth of information on this new, and increasingly significant, religious group and its eccentric but obviously talented leader, Okawa Ryuho. [...] He identifies two events in 1991 that may have contributed to this development: a controversy ignited by what proved to be a false report on Okawa in the popular press, and a very public clash with Aum Shinrikyo."
- Mark Juergensmeyer (2006). The Oxford handbook of global religions. Oxford University Press. ISBN 9780195137989
- Ch. 15 "Japanese New Religious Movements" の Bibliography に挙げている。
- Richard Bergeron, Bertrand Ouellet (c1998). Croyances et sociétés: communications présentées au dixième colloque international sur les nouveaux mouvements religieux, Montréal, août 1996. Fides
- Ch. 7 "The Fallout From Aum" の References に挙げている。
- Erica Baffelli (2007). “Mass Media and Religion in Japan: Mediating the Leader’s Image” (pdf). Westminster Papers in Communication and Culture (University of Westminster) 4 (1): pp. 83-99 .
- 幸福の科学に関する事実について参考文献として使用。
- Hermansen, Christian Morimoto (2007). “El Cantāre's View of Christ: An Analysis of the Concept of Christ in Representative Works by Kōfuku no kagaku's Founder, Okawa Ryuho” (pdf). Kwansei Gakuin University journal of studies on Christianity and culture (関西学院大学) 9: pp. 69-115 .
- 幸福の科学の立場を尊重した有用な文献と紹介:"Trevor Astley's 1995 article is very informative with a sympathetic attitude towards the organization"
- AnimeWatcher (2009年9月16日). “Buddha Saitan: sortie d'un film controversé”. MATA-web. 2009年12月14日閲覧。
- 正確性と細かな経緯の記述を評価:"Le sujet [=Kodansha jiken] fut par ailleurs traité avec précision par Trevor ASTLEY dans le Journal d'Etude des Religions en 1995 qui ne lui épargne aucun détail dans son passage du complexe d'infériorité au complexe de supériorité pour celui qui dirigeait un culte qui disait représenter 10% de la population de l'archipel".
- --Gd1031 2009年12月15日 (火) 04:16 (UTC)
職員(大川家の運転手)による連続パンティー強盗事件
[編集]保護がかかる原因となった編集合戦の案件であった記事を飼料として載せておきます。
現行犯により逮捕された後、犯人の住む東京五反田にある幸福の科学職員寮からは、奪い取った100枚に及ぶ女性の下着が隠されているのが発見された。犯人は事件発生の前年に運転手として雇われ、小学校に通う大川の子供の送り迎えもしていたという。教団はその職員を解雇、破門させるが、マスコミの取材には「無罪推定が働く段階であり、揣摩憶測(しまおくそく)による一連の報道被害を憂慮しています」と回答した。
- {出典}『週刊新潮』女性パンツ脱がせて奪う「幸福の科学」職員の変体不幸 2000年9月7日号