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「熊野一族7人殺害事件」の版間の差分

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2008年6月28日 (土) 07:15時点における版

熊野一族7人殺害事件(くまのいちぞくしちにんさつがいじけん)とは、1980年 に三重県で一族7人が身内に殺された事件。犯行後に犯人は自殺。当時、帝銀事件に次ぐ大量殺人事件と報道された。

経緯

1980年(昭和55年)1月31日の昼過ぎ、三重県熊野市の農業を営むA(当時44歳)の妻が、親戚に泣きながらSOSの電話を入れた。

お父ちゃんがおかしくなった。

すぐに駆けつけた親戚らに妻は、Aがここ数日、体調不良で意味不明な発言を繰り返していたことを打ち明ける。やがて夕方頃、Aの状態が落ち着いてきたので、姉夫婦と弟3人が飲み物を買いにライトバンで外出。その間、Aは突然、義兄の弟(当時29歳)に斧を振り下ろし、家族や親戚に次々と襲い掛かり殺していった。

義理の弟は血まみれで隣の鉄工所に駆け込み、すぐさま鉄工所の経営者がAの家に行くと、無表情のAが猟銃で義兄(当時58歳)を射殺しているのを目撃。鉄工所の経営者も足に銃弾を受けた。

鉄工所の経営者の妻などから119通報。救急車とパトカーが駆けつけるが、Aが猟銃を持って、家の周辺をうろついていて、近づけない状態が続く。Aが家に入ると警官が外から説得するも、猟銃自殺してしまう。

玄関前に停車してあった軽トラの荷台にAの義兄の射殺遺体発見。Aの斧から逃れようとしたのか、買い物に使用したライトバンから、運転席にAの弟(当時38歳)、後部差席にAの妹(当時41歳)、Aの息子2人(当時4歳と5歳)がいずれも血まみれの遺体で発見。室内でAの母親(当時80歳)とAの姉(当時55歳)が同じく血まみれの遺体で発見。

Aの妻(当時38歳)は意識不明の重体、義兄の弟と鉄工所経営者は重傷。


Aが酒に酔っているという119番通報もあったが、Aの遺体からアルコールは検出されず。

Aは親からミカン畑を受け継いで、かなりの収入を得ていた。だが農閑期に石工として働いていたことから、職業病である振動病に悩み、石工の労災不正受給に悩み、長男(事件当時14歳)が腎臓病で入院生活を送っていたことを悩んでいたことが、後に生存者らや周囲の証言で発覚するも、なぜAがこのような凶行に及んだのかは現在も不明である。

関連項目

外部リンク