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「江田駅 (神奈川県)」の版間の差分

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駅名は「江田」と表記するが、周辺の町名は「荏田」と表記する。これは建久年間にこの土地に江田小次郎という豪族がいて、これが後に「荏田」に変化したといわれている。駅名をつけるにあたり、当時の当用漢字表にない「荏」の字を避けて「江田」とした。
駅名は「江田」と表記するが、周辺の町名は「荏田」と表記する。これは建久年間にこの土地に江田小次郎という豪族がいて、これが後に「荏田」に変化したといわれている。駅名をつけるにあたり、当時の当用漢字表にない「荏」の字を避けて「江田」とした。


なお、「荏田」と言う地名は、隣の[[都筑区]]にも存在する。これは当駅がたつ[[青葉区 (横浜市)|青葉区]]と[[都筑区]]が元々[[緑区 (横浜市)|緑区]]と[[港北区]]の一部から分区したことによる。
なお、「荏田」と言う地名は、隣の[[都筑区]]にも存在する。これは当駅が所在する[[青葉区 (横浜市)|青葉区]]と[[都筑区]]が元々[[緑区 (横浜市)|緑区]]と[[港北区]]の一部から分区したことによる。<br>元来の荏田町は[[大山街道]]の宿場町であり、[[都筑郡]]荏田村が[[1889年]]合併して山内村大字荏田となり、[[1939年]][[横浜市]]への編入で港北区荏田町となったが、[[1969年]]緑区を分区した際に緑区に編入された。しかし後年[[港北ニュータウン]]の整備に伴い該当地域の一部が再度港北区に編入されたため、2区に跨る事となり、結局[[多摩田園都市]]を中心とする青葉区と港北ニュータウンを中心とする都筑区に再編された際も、荏田はそのまま2区に跨って存在する事となった


=== 赤田谷戸・赤田隧道===
=== 赤田谷戸・赤田隧道===

2007年7月22日 (日) 02:28時点における版

江田駅(えだえき)は、神奈川県横浜市青葉区荏田町にある東京急行電鉄田園都市線である。

江田駅東口(2007年5月4日撮影)
江田駅東口(2004年8月9日撮影)
江田駅西口(2004年8月9日撮影)

駅構造

高架駅で、島式ホーム2面4線である。1番線・3番線には柵が設けられ急行・準急通過専用線となっており、各駅停車は2・4番線を使用する。

  • 平日朝は当駅で各駅停車が急行・準急の通過待ちを行う。日中は回送電車が通過待ちを行うことがある。
  • 柵が設けられるまでは急行・快速は内側の2・3番線を通過、各停は通過待ちのない列車は2・3番線に停車、通過待ちのある列車は1・4番線に停車していた。
  • 柵が設けられたのは1999年前後。この際下り通過線を2番線から1番線に変更するに伴い、下りホームをあざみ野側に延長して線路の配線を変更し、急行が通過線に入線する時のスピードダウンを極力抑える構造にした。その遺構として下りホームの市が尾側には使用されていない一角が存在する。
  • エレベータが上下ホームに設置されており、バリアフリーに対応している。上下ホーム共に待合室設置済み。
  • トイレは1階改札口内にある。多機能トイレも設置されている。このほか東口の改札外に横浜市管理の公衆便所がある。
1 (通過専用線)
2
田園都市線 長津田中央林間方面
3 (通過専用線)
4
田園都市線 二子玉川渋谷永田町北千住押上春日部久喜南栗橋方面

利用状況

1日あたり乗車人員の推移
  • 1日平均乗降人員 36,335人(2005年度、田園都市線内第18位)
  • 1日平均乗車人員 18,304人(2005年度)

横浜市営地下鉄ブルーライン(3号線)が開通する以前は江田から市営バス300系統(新横浜駅~江田駅)に乗って港北ニュータウンへ行くのが一般的だった。そのため地下鉄の開通した1993年に利用者数が激減した。しかし同時期に、1980年代後半から90年代前半にかけて開発された赤田地区(現在のあざみ野南)やみすずが丘に家が立ち並び始め利用者数は徐々に回復する。地下鉄が開通した現在でも港北ニュータウン荏田南地区の場合、江田駅にバスで行く人が多い。

駅周辺

路線バス

東口

西口

  • 江田駅
    • 横浜市営バス 東急バス
    • 4番乗り場…荏田南・みずきが丘方面
      • <301> 仲町台駅(荏田南・都筑ふれあいの丘経由)(市営)
      • <301> センター南駅(荏田南・中の瀬経由)(市営)※日中のみ
      • <南301> センター南駅(荏田南・中の瀬経由)(東急) ※平日日中のみ
      • <市71> 市が尾駅(荏田南・大丸経由)(東急)
      • <304> センター南駅(みずきが丘経由)(市営)
      • 青葉台営業所 (国道246号線経由)(東急) ※平日土曜夜間2本のみ

歴史

駅名の由来

1960年に免許された際の仮称駅名は「荏田(えだ)」であった。これは駅設置予定地の地名である荏田町から採ったものだが、1965年9月の常務会で「江田」に正式決定した。「荏田」の由来、並びに「荏」が「江」に変わった理由は下記参照。

備考

"えだ"の表記

駅名は「江田」と表記するが、周辺の町名は「荏田」と表記する。これは建久年間にこの土地に江田小次郎という豪族がいて、これが後に「荏田」に変化したといわれている。駅名をつけるにあたり、当時の当用漢字表にない「荏」の字を避けて「江田」とした。

なお、「荏田」と言う地名は、隣の都筑区にも存在する。これは当駅が所在する青葉区都筑区が元々緑区港北区の一部から分区したことによる。
元来の荏田町は大山街道の宿場町であり、都筑郡荏田村が1889年合併して山内村大字荏田となり、1939年横浜市への編入で港北区荏田町となったが、1969年緑区を分区した際に緑区に編入された。しかし後年港北ニュータウンの整備に伴い該当地域の一部が再度港北区に編入されたため、2区に跨る事となり、結局多摩田園都市を中心とする青葉区と港北ニュータウンを中心とする都筑区に再編された際も、荏田はそのまま2区に跨って存在する事となった。

赤田谷戸・赤田隧道

田園都市線あざみ野駅~江田駅の間には1980年代まで田んぼが広がる未開発の地区が残っていた。現在あざみ野南と呼ばれる地区である。この地区は赤田谷戸と呼ばれ荏田町に含まれていた。沿線の他の地区が軒並み開発されて住宅地化されていく中、ここだけは多摩田園都市の開発以前の光景がそのまま残っていた。野生のホタルも生息していたという。赤田地区緑地の存続運動も行われたが、1980年代後半に東急により谷戸の開発・埋立てが進み、現在では跡形もなくなってしまった。

この開発に伴いホームのあざみ野よりに存在し東急最短のトンネルであった赤田隧道は崩され、代わりに歩道橋が架けられた。

隣の駅

東京急行電鉄
■田園都市線
■急行・準急
通過
■各駅停車
あざみ野駅 - 江田駅 - 市が尾駅

関連項目

1977年9月27日に江田駅近くで発生。
東名高速の建設最中に発掘される。

外部リンク