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御霊神社 | |
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所在地 | 鎌倉市坂ノ下4-9 |
主祭神 | 鎌倉権五郎景政 |
創建 | 不明(平安時代後期と推定) |
例祭 | 9月18日(本文参照) |
権五郎神社(ごんごろう じんじゃ)は神奈川県鎌倉市長谷坂ノ下にある神社。通称は御霊神社。
由緒
権五郎神社の創建年代は詳らかではないが、御霊信仰思想の広がりと鎌倉氏による地方開発の展開を考慮すると、平安時代後期であると推定することができる。もとは関東平氏五家の始祖、すなわち鎌倉氏・梶原氏・村岡氏・長尾氏・大庭氏の5氏の霊を祀った神社であったとされ、五霊から転じて御霊神社と通称されるようになった。後に、鎌倉権五郎景政の一体のみに祭神は集約され、祭神の名から権五郎神社と呼ばれた。
鎌倉景政は、平安時代後期の関東平氏の一族であり、鎌倉・梶原・村岡・長尾・大庭の5氏とともに鎌倉武士団を率い、現在の湘南地方一帯の地方開発に従事した。景政はまた、その武勇をもって知られ、16歳の時、源義家の陣営に連なって後三年の役(1083年-1087年)に従軍して活躍した際のエピソードがよく知られている。。『奥州後三年記』の伝えるところによれば、景政は左目を敵に射られながらも屈することなく、射手を倒し帰還した。左目に突き刺さった矢を抜こうと、一人の武士が景政の顔に足をかけたところ、景政はその非礼を叱責したと言う。かかる伝承から、志の成就(学業成就、必勝招来)の神徳があるとされる。また、林羅山の考定によれば眼病平癒にも効験があるとされる(『本朝神社考』)。
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本殿の扁額
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坂ノ下の住宅街を抜けてゆく参道
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社地のすぐ目の前を江ノ電が通っている
境内
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稲荷社
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秋葉神社
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祖霊社
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第六天社
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地神社
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祖霊社
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石上神社
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御嶽神社
タブノキ
社務所の前にそびえるタブノキは、樹高20m、推定樹齢350年に達し、冠状に広がった樹枝が見事である。鎌倉市指定天然記念物、および神奈川県選定「かながわの名木100選」(1984年12月選定)。
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境内のタブノキ
分社
神奈川県内には本社と同系列の神社が多数存在する。詳細については各項目参照。
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祭事
- 1月1日 元旦祭
- 7月25日に近い日曜日 石上神社例祭 — 御供流し神事(ごくながししんじ)と呼ばれる。海神の霊を鎮め、海難の犠牲者の霊を慰めるために御供(神前に供えた赤飯)を献げる。例祭当日に先立つ7月20日に神幸祭を執り行う。権五郎神社の前浜(現在の由比ガ浜)の海中に御供を捧持した若者たちが泳ぎ出て、船に乗せた神輿を拝してから、海中に御供を流す。
- 9月17日 敬老祭
- 9月17日 例祭 — 宵宮祭 (よいみやさい)
- 9月18日 例祭 — 面掛行列(神奈川県指定無形民俗文化財)、鎌倉神楽、神幸祭
交通機関
参考文献
- 吉田 茂穂、2002、『鎌倉の神社小事典』、鎌倉春秋社 ISBN 4-7740-0205-4
- 権五郎神社 — 神奈川県神社庁公式サイト内
- 権五郎神社境内の由緒書
関連項目
外部リンク
- 権五郎神社 — 神奈川県神社庁公式サイト内
- 坂ノ下の御霊神社のタブノキ — 神奈川の名木100選公式サイト内