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「バックドロップ・クルディスタン」の版間の差分

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『'''バックドロップ・クルディスタン'''』(''Back Drop Kurdistan'')は、[[日本]]における[[クルド人]]家族を扱う[[2007年]]の[[ドキュメンタリー映画]]。
『'''バックドロップ・クルディスタン'''』(''Back Drop Kurdistan'')は、[[日本]]における[[クルド人]]家族を扱う[[2007年]]の自主制作[[ドキュメンタリー映画]]。


== 概要 ==
== 概要 ==
当時、[[日本映画大学|日本映画学校]]に在籍していた[[野本大]]が卒業制作の題材を探している時に出会った、[[在日クルド人]]のカザンキラン一家を、約年にわたって追ったドキュメンタリー<ref>{{Cite web |title=OpenId transaction in progress |url=https://plus.chunichi.co.jp/blog/hirano/article/245/5091/ |website=plus.chunichi.co.jp |access-date=2023-02-20}}</ref>この企画を卒業制作として提出するもあえなく落選。撮影を続行するため、同校を中退して本作を完成させた。<ref>{{Cite web|和書|title=同世代に向けた「やっちゃえば」 野本大監督インタビュー {{!}} CINRA |url=https://www.cinra.net/article/interview-2008-07-11-195503-php |website=www.cinra.net |access-date=2023-02-20 |language=ja}}</ref>
当時、[[日本映画大学|日本映画学校]]に在籍していた野本大が卒業制作の題材を探している時に出会った、[[在日クルド人]]のカザンキラン一家を、約3年にわたって追ったドキュメンタリー<ref>{{Cite web |title=OpenId transaction in progress |url=https://plus.chunichi.co.jp/blog/hirano/article/245/5091/ |website=plus.chunichi.co.jp |access-date=2023-02-20}}</ref>この企画を卒業制作として提出するもあえなく落選。撮影を続行するため、同校を中退して本作を完成させた。<ref>{{Cite web|和書|title=同世代に向けた「やっちゃえば」 野本大監督インタビュー {{!}} CINRA |url=https://www.cinra.net/article/interview-2008-07-11-195503-php |website=www.cinra.net |access-date=2023-02-20 |language=ja}}</ref>


== あらすじ ==
== あらすじ ==
[[トルコ]]での迫害を逃れ、日本にやって来た[[クルド人]]のカザンキラン一家。UNHCR([[国連難民高等弁務官事務所]])に対して[[難民認定]]を求め、カザンキラン一家は[[国連大学]]前で座り込みを行う。それによってUNHRより難民認定を受けることができたのも束の間、日本国は国連の認定を無視して、父・アーメットと長男ラザマンを拘束し、トルコへ[[強制送還]]してしまう。残されたのは長女・ゼリハのみ。
[[トルコ]]での迫害を逃れ、日本にやって来た[[クルド人]]のカザンキラン一家。UNHCR([[国連難民高等弁務官事務所]])に対して[[難民認定]]を求め、カザンキラン一家は[[国連大学]]前で座り込みを行う。それによってUNHRより難民認定を受けることができたのも束の間、日本国は国連の認定を無視して、父・アーメットと長男ラザマンを拘束し、トルコへ[[強制送還]]してしまう。残されたのは長女・ゼリハのみ。


これまで「傍観者」に過ぎなかった野本は、その問題の背景を探りだすため、自らトルコに向かう。
これまで「傍観者」に過ぎなかった野本は、その問題の背景を探りだすため、自らトルコに向かう。トルコに帰国後、カザンキラン一家は今度はニュージーランドに亡命し、レストランを経営し車3台を所有する生活を送っている

== 出演者の実生活のエピソード ==
アメメット・カザンキラン一家は、日本に10年近く[[不法滞在]]していたが、2004年に難民認定申請が却下となり退去命令が出て強制送還のために職員が訪れると、ガソリンをかぶる抗議活動をしている<ref name=onnagumi>{{Cite web|和書|title=
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== 受賞 ==
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2024年9月21日 (土) 07:47時点における版

バックドロップ・クルディスタン
監督 野本大
製作 大澤一生
撮影 野本大、山内大堂、大澤一生
編集 大澤一生
製作会社 バックドロップフィルム
配給 日本の旗 アップリンク
公開 日本の旗 2008年7月5日
上映時間 102分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語トルコ語
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バックドロップ・クルディスタン』(Back Drop Kurdistan)は、日本におけるクルド人家族を扱う2007年の自主制作ドキュメンタリー映画

概要

当時、日本映画学校に在籍していた野本大が卒業制作の題材を探している時に出会った、在日クルド人のカザンキラン一家を、約3年にわたって追ったドキュメンタリー[1]この企画を卒業制作として提出するもあえなく落選。撮影を続行するため、同校を中退して本作を完成させた。[2]

あらすじ

トルコでの迫害を逃れ、日本にやって来たクルド人のカザンキラン一家。UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)に対して難民認定を求め、カザンキラン一家は国連大学前で座り込みを行う。それによってUNHRより難民認定を受けることができたのも束の間、日本国は国連の認定を無視して、父・アーメットと長男ラザマンを拘束し、トルコへ強制送還してしまう。残されたのは長女・ゼリハのみ。

これまで「傍観者」に過ぎなかった野本は、その問題の背景を探りだすため、自らトルコに向かう。トルコに帰国後、カザンキラン一家は今度はニュージーランドに亡命し、レストランを経営し車3台を所有する生活を送っている。

出演者の実生活のエピソード

アメメット・カザンキラン一家は、日本に10年近く不法滞在していたが、2004年に難民認定申請が却下となり退去命令が出て強制送還のために職員が訪れると、ガソリンをかぶる抗議活動をしている[3]。7月13日-9月22日に、アメメット・カザンキラン一家ら2家族が辛淑玉らと、国際連合大学前に難民不認定に対する座り込みの抗議を行い、その間、福島みずほやクルド難民弁護団団長の大橋毅がカザンキラン一家らを支援している[3][4]

2004年に、「おんな組いのち」元祖世話人の辛淑玉や「クルド人の難民認定を支援する会(略称「クルドの会」、代表は東文男、現在は活動停止)」は、日本労働組合総連合会東京都連合会情報労連東京都協議会東京交通労働組合、東京地下鉄労働組合、自治労東京都本部、東京都公立学校教職員組合東急観光労働組合、全水道東京水道労働組合などに呼びかけ、2万人以上の「日本国政府にクルド人の難民認定を求める署名」の署名を集めている[3]

2005年4月20日に、自主帰国を拒否したアメメット・カザンキラン一家が、入管に身柄を拘束されて強制送還される[4]

なお、一連の騒動に関し、在日クルド人支援組織の「クルディスタン&日本友好協会」と「クルドを知る会」は、アメメット・カザンキランら二家族について、クルド人でもないし難民でもないとし、クルド人を偽装した偽装難民であったという調査結果を月刊サイゾー誌上で公表している[4]。これについて、偽装難民の難民認定申請を支援していた「クルド人難民二家族を支援する会」は、「国連が一度難民と認定した人物は、それが疑わしくとも日本政府は難民として扱うべき」と主張し、偽装難民を支援していた弁護士の大橋毅らは「難民として認めなくとも在留許可ぐらいは、出せるはず」などと主張している[4]

受賞

脚注

  1. ^ OpenId transaction in progress”. plus.chunichi.co.jp. 2023年2月20日閲覧。
  2. ^ 同世代に向けた「やっちゃえば」 野本大監督インタビュー | CINRA”. www.cinra.net. 2023年2月20日閲覧。
  3. ^ a b c 難民と共に・・・・ 「ありがとう」”. おんな組いのち. 2024年9月21日閲覧。
  4. ^ a b c d クルド難民、実は「難民」でも「クルド人」でもなかった!?”. 清谷信一公式ブログ 清谷防衛経済研究所. 2024年9月21日閲覧。
  5. ^ YIDFF: これまでの映画祭: 2007”. www.yidff.jp. 2023年2月20日閲覧。
  6. ^ 毎日映画コンクール 第62回(2007年)”. 毎日新聞. 2023年2月20日閲覧。

外部リンク