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2024年8月29日 (木) 00:24時点における最新版
龔心湛 | |
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プロフィール | |
出生: |
1869年6月2日 [旧暦]清同治8年己巳4月22日[1][2] |
死去: |
1943年12月14日 [旧暦]民国32年癸未11月17日[1] 中華民国天津特別市 |
出身地: | 清安徽省廬州府合肥県 |
職業: | 政治家 |
各種表記 | |
繁体字: | 龔心湛 |
簡体字: | 龚心湛 |
拼音: | Gōng Xīnzhàn |
ラテン字: | Kung Hsin-chan |
和名表記: | きょう しんたん |
発音転記: | ゴン シンヂャン |
龔心湛 龚心湛 龔心湛 Gōng Xīnzhàn | |
---|---|
生年月日 | 1869年6月2日 |
出生地 | 清 安徽省廬州府合肥県(現:合肥市) |
没年月日 | 1943年12月14日 |
死没地 | 中華民国 天津特別市 |
出身校 | 国子監 |
所属政党 | 安徽派 |
在任期間 | 1919年6月13日 - 1919年9月24日 |
大総統 | 徐世昌 |
在任期間 | 1924年11月 - 1925年12月 |
臨時執政 | 段祺瑞 |
在任期間 | 1919年1月 - 1919年9月 |
大総統 | 徐世昌 |
龔 心湛(きょう しんたん)は、清末、中華民国の政治家。清代末期に地方官僚をつとめ、民国時代には北京政府で主に財務官僚として高官となる。また、安徽派に属し、一時は臨時国務院総理となった。字は仙洲、仙丹。
事績
[編集]監生(国子監の学生)で、卒業後にイギリスに留学した。日本、アメリカ、フランス、イタリア、フィリピンなどで公使館の随員となる。帰国後は、広東知府兼署理按察使に任命され、さらに欽廉兵備道も兼ねた。さらに、雲南臨安開広道、雲南提法使も歴任している。
1912年(民国元年)以降、武昌造幣廠廠長、漢口中国銀行行長、賑撫局督弁、安徽省国税籌備処処長、財政司司長を歴任した。1914年(民国3年)、安徽省財政庁庁長となる。1915年(民国4年)6月、北京政府財政部次長に昇進し、さらに塩務署督弁も兼ねた。同年12月、督弁経界局事務に任命される。1916年(民国5年)4月、参政院参政となる。
1918年(民国7年)11月、安徽省省長に任命されたが、就任しなかった。1919年(民国8年)1月、北京政府財政部総長兼幣制局督弁兼造幣廠総裁に就任する。同年6月から3か月間、一時的に国務総理を代行した。
1924年(民国13年)11月、段祺瑞執政政府で内務部総長兼揚子江水道討論委員会会長兼賑務督弁となった。1925年(民国14年)11月、署交通部総長となり、12月、正式に交通部総長に任命された。1926年(民国15年)4月、辞任している。翌年6月、耀華玻璃公司総董に任命され、12月、督弁京都事宜を兼任した。
晩年は天津に居住し、銀行や保険会社で董事長(理事長)などをつとめた。1942年(民国31年)3月30日、南京国民政府(汪兆銘政権)の華北政務委員会が設置した諮詢会議の委員に任命された。
1943年(民国32年)12月14 日、天津で死去。享年75(満74歳)。
注
[編集]参考文献
[編集]- 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。
- 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。
- 『支那最近の状勢概観(東洋協会調査部調査資料第49輯)』東洋協会、1941年。
- 徐沅「合肥龔公墓志銘并序」卞孝萱・唐文権編『辛亥人物碑伝集』鳳凰出版社、2011年。
中華民国(北京政府)
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