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「小林酒造 (北海道)」の版間の差分

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| 画像説明 = 小林酒造のレンガ倉庫
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| 市場情報 = 非上場
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| 本社E(東経)及びW(西経) = E
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| 設立 = [[1878]]
| 設立 = 創業:1878年<br>設立:1943
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| 業種 = 食料品
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| 事業内容 = 酒造・酒販など
| 事業内容 = 酒造・酒販など
| 代表者 = 代表取締役社長 小林 米三郎
| 代表者 = 代表取締役社長 4代目小林米三郎
| 資本金 = 5000万円
| 資本金 = 5000万円
| 売上高 = 2億80百万円(2011年3月31日現在)
| 売上高 = 2億80百万円(2011年3月31日現在)
| 従業員数 = 15人(2011年3月現在)
| 従業員数 = 15人(2011年3月現在)
| 決算期 = 3月31日
| 決算期 = 3月31日
| 主要株主 = 小林米孝 95%、小林本店 5%
| 主要株主 = 小林米孝 95%、[[小林本店]] 5%
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| 主要子会社 = 小林本店
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'''小林酒造株式会社'''(こばやししゅぞう)は、[[北海道]][[夕張郡]][[栗山町]]にある[[醸造業|酒造メーカー]]。
[[Image:Kobayashi brewing2.JPG|thumb|right|250px|記念館中庭に設置されているタンク]]


1878年([[明治]]11年)に[[札幌市|札幌]]で創業したが、初代小林米三郎(以下、初代米三郎)が[[夕張炭鉱]]の需要に目を付け、1900年(明治33年)に[[夕張郡]]角田村(現在の[[栗山町]])に本拠地を移転させた。近隣には日本国内有数の炭鉱である[[夕張炭鉱]]があり、主として炭坑夫ら向けに醸造された<ref name=":8">{{Cite book|和書 |title=そらち炭鉱遺産散歩 |year=2003 |publisher=共同文化社 |pages=178-180 |author=風間健介}}</ref>。代表銘酒は「北の錦」<ref>{{Cite book|和書 |title=ほっかいどう地酒ラベルグラフィティー 華麗なラベル銘酒150余年の歩み |date=2024-5-10 |publisher=亜璃西社 |pages=82-85 |author=能登亨樹・和田由美}}</ref>。
'''小林酒造株式会社'''(こばやししゅぞう)は、[[北海道]][[夕張郡]][[栗山町]]の酒造メーカーである。


==歴史==
== 沿革 ==
=== 札幌での創業 ===
*[[1878年]]([[明治]]11年)[[札幌市|札幌]]の[[すすきの]]近くで創業。のち製造量増加に伴い豊富な水と広大な土地を求め、[[1900年]](明治33年)栗山に工場移転、現在に至る。『北の錦』が主力[[商標]]であるが、その名は「'''北の'''地で'''錦'''を飾る」という初代、小林米三郎の意気込みから来ている。
[[File:Kobayashi Shuzo early Showa era.jpg|thumb|昭和初期の小林酒造]]


1878年(明治11年)、小林傳四郎は[[札幌市|札幌]]の[[すすきの]](現在の中央区南3西4)で酒造業を創業した<ref name=":2">{{Cite book|和書 |title=北海道の酒造家と酒造史資料 |date=4月10日 |year=2015 |publisher=サッポロ堂書店 |page=7}}</ref><ref>{{Cite book|和書 |title=カイ |date=1月20日 |year=2011 |publisher=ノーザンクロス |page=14}}</ref>。当時、道内における酒造業者は少なかった<ref name=":2" />ため、先駆的な事業形態であった。登録商標は「北関」「勇駒」であった<ref name=":3">{{Cite book|和書 |title=カイ |date=1月20日 |year=2011 |publisher=ノーザンクロス |page=15}}</ref>。
*[[2003年]]度の全国新酒鑑評会(独立行政法人酒類総合研究所が発表)において、道産米100%の[[日本酒]]で金賞を受賞。


=== 栗山町への移転 ===
*築100年になる[[レンガ]]・石([[札幌軟石]])造りの蔵は造り酒屋としては全国でも珍しく、蔵をはじめ住宅を含めた13棟が国の[[登録有形文化財]]に登録されている。その一部を活用したコンサートホール『なつかしホール』が[[1999年]]([[平成]]11年)の[[加藤登紀子]]による「ほろ酔いコンサート」をこけら落としに各種行事に利用されている。
製造量の増加に伴い、豊富な水と広大な土地を求め、1900年(明治33年)栗山に工場移転し、傳四郎の移転に伴って、初代小林も栗山に移り住んでいる<ref name=":2" />。初代小林の時代には既に北海道でも有力な酒蔵となっていた<ref name="秋吉1967p137">秋吉茂『ニッポン・リッチ伝』謙光社、1967年、pp.137-144</ref>。


札幌から栗山へと酒蔵を移設した理由について、4代目小林米三郎(以下、4代目小林)は「酒造業として札幌の地が手狭になったということもありますが、最大の要因は、燃料の確保です。<ref name=":3" />」と述べており、酒造の際に必要な石炭の入手が容易であったことを要因として挙げている。 『北の錦』が主力[[商標]]であるが、その名は「'''北の'''地で'''錦'''を飾る」という初代小林米三郎の意気込みから来ている。
*[[1999年]](平成11年)初夏公開の映画『[[鉄道員 (小説)|鉄道員]]』の撮影で酒蔵を[[ロケ地]]に提供し、[[2004年]](平成16年)秋公開の映画『[[雨鱒の川]]』の撮影が邸宅、工場、倉庫で行われた。


[[新潟県]][[刈羽郡]](のちの刈羽郡[[二田村]]、現・[[柏崎市]])に生まれた田中栄は<ref name=大14>帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』帝国秘密探偵社、1943年、北海道23頁</ref>、17歳の時に初代小林の養子となり<ref name="秋吉1967p137"/>、2代目小林米三郎を襲名して酒造業を継承した<ref name=北人>『北海道歴史人物事典』北海道新聞社、1993年、p.332</ref>。1919年(大正8年)には[[北海道炭礦汽船]](北炭)への納入権を獲得し、小林酒造が飛躍的な発展を遂げる契機となった<ref name="秋吉1967p137"/>。
*一時期小林本店札幌本店内に札幌営業所を置いていた。


==酒蔵特徴==
=== 現代動向 ===
[[File:Kobayashi Yonesaburo 2.jpg|thumb|left|2代目小林米三郎と妻]]

[[太平洋戦争]]後、2代目小林は小林酒造の工場の自動化に取り組んだ<ref name="秋吉1967p137"/>。栗山工場は日本酒2160キロリットル(1万5000石)、焼酎550キロリットル(3000石)、[[合成清酒|合成酒]]180キロリットル(1000石)で計12億円の売上高を記録し、単一の工場としては北海道一の売上高を記録した<ref name="秋吉1967p137"/>。1967年(昭和42年)時点では日本酒・焼酎・合成酒などで年間4700キロリットルを製造し、北海道最大の酒造メーカーであった<ref name="秋吉1967p137"/>。1947年(昭和22年)には2代目小林が[[参議院議員]]に当選した<ref name=国407>『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年、p.407</ref>。

2代目小林は1959年(昭和34年)に栗山町名誉町民に推挙されている。1964年(昭和39年)3月、2代目小林によって関連企業として株式会社[[小林本店]]が設立された。一時期は小林本店札幌本店内に小林酒造の札幌営業所が置かれていた<ref>[https://www.town.kuriyama.hokkaido.jp/soshiki/31/619.html 略史] 栗山町</ref>。

蔵を活用したコンサートホール「なつかしホール」があり、1999年(平成11年)にはこけら落しとして[[加藤登紀子]]の「ほろ酔いコンサート」が開催された。独立行政法人[[酒類総合研究所]]が主催する2003年度の[[全国新酒鑑評会]]において、小林酒造は道産米100%の[[日本酒]]で金賞を受賞した。

2006年(平成18年)6月18日、13棟の建物が[[登録有形文化財]]に登録された<ref name=":9"/>。2019年(令和元年)5月20日、栗山町など8市4町が申請したストーリー「本邦国策を北海道に観よ! ~北の産業革命『[[炭鉄港]]』」が[[日本遺産]]に認定され、「小林酒造建造物群」も構成文化財となった<ref>[https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/stories/story068/culturalproperties/ 本邦国策を北海道に観よ! ~北の産業革命「炭鉄港」~] 日本遺産</ref>。

== 立地 ==
札幌方面からの栗山町の入口にある、[[北海道道45号恵庭栗山線|道道45号線]]の夕張川にかかる馬追橋のたもとに位置する<ref>{{Cite book|和書 |title=北海道栗山町 挑戦、感動、そしてやさしさ |date=2003-3 |publisher=栗山町 |page=14-16}}</ref>。1万坪の敷地内に[[煉瓦]]造や[[札幌軟石]]の倉庫の[[切妻屋根]]のシルエットが並ぶ。

== 建築物 ==
[[File:Kitanonishiki Brewery Museum ac (1).jpg|thumb|北の錦記念館]]

2006年(平成18年)6月18日、敷地内にある[[小林家 (栗山町)|小林家住宅]]、一番蔵、四番蔵、五番蔵、六番蔵、蒸米場、旧ビール倉庫・缶詰資材庫、旧資材庫、二番蔵、三番蔵、製麹室、北の錦記念館(旧事務所)、旧精米場の13棟が、[[登録有形文化財]]に登録された<ref name=":9">{{Cite book|和書 |title=北海道の近代和風建築 |date=2007-3 |publisher=北海道教育委員会 |pages=114}}</ref>。築100年以上の[[煉瓦]]造や石造([[札幌軟石]])の蔵は、[[造り酒屋]]としては全国でも珍しいとされる。

# 小林家住宅 - 構造:木造2階建 建築年:1901年(明治34年)<ref name=":4" /><ref name=":9" />
# 一番蔵 - 構造:煉瓦作り平屋建 建築年:1900年(明治33年)もしくは1919年(大正8年)<ref name=":9" />
# 四番蔵 - 構造:木骨石造2階建 建築年:1900年(明治33年)<ref name=":4" /><ref name=":9" />
# 五番蔵 - 構造:木骨石造2階建 建築年:1900年(明治33年)<ref name=":4" /><ref name=":9" />
# 六番蔵 - 構造:木骨石造平屋建 建築年:1900年(明治33年)<ref name=":4" /><ref name=":9" />
# 蒸米場 - 構造:木骨石造平屋建 建築年:1900年(明治33年)<ref name=":9" />
# 旧ビール倉庫・缶詰資材庫 - 構造:レンガ造平屋 建築年:1920年(大正9年)<ref name=":4" />
# 旧資材庫(昔の酒道具展示館) - 構造:レンガ造平屋建 建築年:1920年(大正9年)<ref name=":9" />
# 二番蔵 - 構造:レンガ造2階建 建築年:1921年(大正10年)<ref name=":4" /><ref name=":9" />
# 三番蔵 - 構造:レンガ造2階建 建築年:1921年(大正10年)<ref name=":4" /><ref name=":9" />
# 製麹室 - 構造:レンガ造平屋建 建築年:1922年(大正11年)<ref name=":4" /><ref name=":9" />
# 旧精米場 - 構造:木造平屋建 建築年:1953年(昭和28年)<ref name=":9" />
# [[北の錦記念館]](旧事務所) - 構造:鉄筋コンクリート2階建 建築年:1944年(昭和19年)<ref name=":9" /><ref name=":4" />

=== 小林家住宅 ===
{{main|小林家 (栗山町)}}
小林家住宅(現在の[[小林家 (栗山町)|小林家]])は、[[入母屋造]][[瓦葺き|瓦葺]]であり、1930年(昭和5年)に一部増築している<ref name=":4" />。ほか、一部の倉庫に、旧[[夕張鉄道]]敷設時に余ったレールを買い取り、加工して施設内の支柱にしている<ref name=":8" />。

=== 一番蔵 ===
一番蔵は、創業当初は屋根付きの作業場であった考えられており、冬の低温と積雪を考慮すると空地では酒造作業は不可能で、それまで使用していた建物を、1908年(大正7年)に建て替えたもの、と推定されている<ref>{{Cite book|和書 |title=日本の酒蔵 |date=2009-3-10 |publisher=九州大学出版社 |page=201 |author=山口昭三}}</ref>。

=== 北の錦記念館 ===
構内入口に位置する北の錦記念館は、小樽の銀行をモデルに設計され、焼き締めレンガ風タイル貼られている<ref>{{Cite book|和書 |title=日本全国タイル遊覧 |date=2022-10-10 |publisher=書肆侃侃房 |pages=15-17 |author=吉田真紀}}</ref>。かつては事務所として使用していたが、1995年(平成7年)より一般公開している<ref name=":4">{{Cite book|和書 |title=道南・道央の建築探訪 |date=2004-11-19 |publisher=北海道新聞社 |pages=144-145}}</ref><ref name=":10">{{Cite journal|date=2024-3|title=炭鉄港女子のココ見て!炭鉄港 北の錦記念館|journal=炭鉄港 栗山 歴史をめぐる旅物語|publisher=炭鉄港推進協議会}}</ref>。造り酒屋のイメージとは離れたモダンな外観やインテリアがあり、独立円柱で支えられた梁や大きな金庫室を有してほか<ref name=":4" />、2階に続く階段の壁には、型押しの二丁掛けタイルが貼られている。館内では酒造りの歴史を刻んだとっくりなどの酒器をはじめ什器・身の回り品など、約5,000点を展示しているほか、日本酒の試飲も可能。蔵元限定酒など、ここでしか手に入らない商品もある<ref name=":10" /><ref name=":8" />。

<gallery>
Kobayashi Shuzo 1st kura ac.jpg|一番蔵
Kobayashi Shuzo 2nd kura ac (2).jpg|二番蔵
Kobayashi Shuzo 3rd kura ac.jpg|三番蔵
Kobayashi Shuzo 5th kura ac.jpg|五番蔵
Kobayashi Shuzo 6th kura ac (2).jpg|六番蔵
Kobayashi Shuzo Old Sake Tools Exhibition Museum ac.jpg|旧資材庫(昔の酒道具展示館)
Kobayashi Shuzo factory tour ac (1).jpg|中庭に設置されているタンク
Kobayashi Shuzo factory tour ac (2).jpg|トロッコのレールと転車台
Kitanonishiki tasting corner ac (1).jpg|北の錦記念館の試飲コーナー
Kitanonishiki Brewery Museum ac (3).jpg|北の錦記念館の[[栗山英樹]]監督応援コーナー
</gallery>

== 酒蔵の特徴 ==
*北海道産米の使用: 近年創出された、北海道の酒米「[[吟風]](ぎんぷう)」、「彗星(すいせい)」を積極的に使用した日本酒を造っている。
*北海道産米の使用: 近年創出された、北海道の酒米「[[吟風]](ぎんぷう)」、「彗星(すいせい)」を積極的に使用した日本酒を造っている。
*古い蔵の活用: 北海道の気候と空調が無くても安定した古蔵を利用して古酒製品を、純米酒で5年、原酒1-2年、大吟醸3年を目安に熟成させている。
*古い蔵の活用: 北海道の気候と空調が無くても安定した古蔵を利用して古酒製品を、純米酒で5年、原酒1-2年、大吟醸3年を目安に熟成させている。
*[[活性炭]]による調整の廃止: 活性炭調整を廃し、日本酒本来の色、風味を残す製法による、山吹色の酒を製造。
*[[活性炭]]による調整の廃止: 活性炭調整を廃し、日本酒本来の色、風味を残す製法による、山吹色の酒を製造。
*道内各地の水を使用: 所在地の水に拘らず、酒によって一番合うと思われる水を使用する。
*道内各地の水を使用: 所在地の水に拘らず、酒によって一番合うと思われる水を使用する。
*全量特定名称酒: [[2007年]](平成19年)より全商品を[[特定名称酒]]にしている。
*全量特定名称酒: 2007年(平成19年)より全商品を[[特定名称酒]]にしている。
*栗山にある2軒の農家に依頼し、北海道で初めてとなる本州以外の米を使用した日本酒を制作した<ref name=":7">{{Cite book|和書 |title=栗山ふるさと文庫3 栗山の史実 民話 |date=2004-1-30 |year=2004 |publisher=栗山町教育委員会・栗山町図書館 |page=73}}</ref>。

== 主な商品 ==
[[File:Kitanonishiki bottles ac (1).jpg|thumb|北の錦 純米大吟醸 天竺牡丹]]

* 北の錦 純米大吟醸「雪心」-酒米を35%まで磨いた最高級品。酒造好適米の「吟風」、「彗星」を使用<ref name=":5">{{Cite journal|author=|date=2019-7|title=日本酒セット早見表|journal=栗山町ふるさと応援寄付2019「KRYM」|pages=34-35|publisher=栗山町経営企画課}}</ref><ref name=":6">{{Cite journal|date=2019-7|title=日本酒セット早見表|journal=栗山町ふるさと応援寄付2021「KRYM」|pages=34-35|publisher=栗山町経営企画課}}</ref>。
* 北の錦 純米大吟醸-華やかな洋梨を思わせる香り、端麗やや甘口<ref name=":5" /><ref name=":6" />。
* 北の錦 大吟醸-米の旨味と厚みを感じられすっきりと飲める<ref name=":5" /><ref name=":6" />。
* 北の錦 純米吟醸-しっかりとした旨味と厚み。食中向き<ref name=":5" /><ref name=":6" />。
* 北の錦 純米特別-キレが良く爽快な辛口<ref name=":5" /><ref name=":6" />。
* 北の錦 純米-栗山町・後藤農場産の酒造好適米「きたしずく」を100%使用。やや甘口<ref name=":5" /><ref name=":6" />。
* 蔵囲完熟 秘蔵純米-温度変化の少ない蔵のタンクで4年以上熟成させた古酒。中華料理や豚の角煮に合う<ref name=":6" />。
* 純米 とろりにごり-にごり酒。北の錦記念館限定品<ref name=":5" /><ref name=":6" />。
* 真冬詰 大吟醸-酒造好適米「吟風」使用。辛口。北の錦記念館限定品<ref name=":5" /><ref name=":6" />。
* 特別純米 渡里酉-栗山町で収穫した酒米だけを使用し醸造した「地酒」で辛口。春に飛来する渡り鳥の風景をラベルにしている<ref name=":5" /><ref name=":6" />。

== 受賞歴 ==

=== 全国新酒鑑評会 ===
* 2004年(平成15酒造年度) 金賞受賞(平成16年5月21日)<ref name=":1" />
* 2005年(平成16酒造年度) 金賞受賞(平成17年5月26日)<ref name=":1" />

=== 創業から戦前までの受賞歴<ref>{{Cite book|和書 |title=北海道の酒造家と酒造史資料 |year=2015-4-10 |publisher=サッポロ堂書店 |page=141-190 |author=加藤良己}}</ref> ===

* 1902年(明治35年)5月 北海道清酒品評會(函館清酒組合主催)酒銘:北關(関) 等別:壹(一)等 
* 1911年(明治44年)5月 北海道清酒品評會(上川酒造組合主催)酒銘:北魁 等賞:壹銀牌杯
*  同上 酒銘:北關 等賞:三等褒状
* 1916年(大正5年)9月 第3回北海道酒類品評會(釧路) 酒銘:北關2號(号) 等別:貳(二)等銅牌
* 1927年(昭和2年)9月 第5回北海道酒類品評會 酒銘:北の錦(3) 等別:壹等
*  同上 酒銘:北の錦(2)、北の錦(1) 等別:参等
* 1928年(昭和3年)4月5日 第7回酒類きき酒品評會(北海道酒造組合聯合会主催) 酒銘:北の錦 等別:参等
* 1934年(昭和9年)12月 第12回酒類品評會(北海道酒造組合聯合会主催) 酒銘:北の錦(ロ) 等別:入選
* 1935年(昭和10年)10月19日 第九回北海道酒類品評會(日本醸造協會北海道支部主催) 酒銘:北の錦(ト) 等別:優等賞
*  同上 酒銘:北の錦(へ)、(ハ) 等別:特選賞
*  同上 酒銘:北の錦(ロ)、(ホ) 等別:入選賞
* 1936年(昭和11年)9月21日 酒類研究會(北海道酒造組合聯合会主催) 酒銘:北の錦(イ)、(ハ)、(二) 級別:B級
* 1938年(昭和13年)10月 第13回酒類品評會 酒銘:北の錦(2) 賞別:B級  

== 舞台・ロケ地とした作品 ==
* 1974年(昭和49年) - 松竹映画『[[あした輝く]]』の撮影でロケ地を提供<ref name=":0">{{Cite book|和書 |title=「北の錦」オフシャルハンドファンブック2023 |date=2023-4-10 |publisher=小林酒造株式会社 |page=30}}</ref>。
* 1999年(平成11年) - 初夏公開の映画『[[鉄道員 (小説)|鉄道員]]』の撮影で酒蔵を[[ロケ地]]に提供<ref name=":0" />。[[高倉健]]や[[小林稔侍|小林念侍]]、[[志村けん]]が北の錦を痛飲していた。
* 2004年(平成16年) - 秋公開の映画『[[雨鱒の川]]』の撮影が小林家、工場、倉庫で行われた<ref name=":1">{{Cite book|和書 |title=「北の錦」オフシャルハンドファンブック2023 |date=2023年4月10日 |publisher=小林酒造株式会社 |page=34}}</ref>。
* 2014年(平成26年) - 映画『[[ぶどうのなみだ]]』のロケ地を提供<ref name=":1" />。

== 関連会社 ==
* [[小林本店]]


==関連項目==
== 関連項目 ==
*[[日本酒メーカー一覧]]
* [[日本酒メーカー一覧]]
*[[栗山英樹]](前・[[北海道日本ハムファイターズ]]監督):本人とタイアップした「夢は正夢」という酒をファイターズ監督就任より前から販売している。
*[[小林米三郎]](2代)、現代表者は4代米三郎。


==関連会社==
== 脚注 ==
<references />
*[[小林本店]]


==外部リンク==
== 外部リンク ==
* [http://www.kitanonishiki.com/ 小林酒造のホームページ]
* {{Official|http://www.kitanonishiki.com/}}
* [http://www.sorachi.pref.hokkaido.jp/so-tssak/html/parts/12kobayasi_liqor.html/ 「そらち 産業遺産と観光」小林酒造のページ]{{リンク切れ|date=2019年10月}}
* [http://www.sorachi.pref.hokkaido.jp/so-tssak/html/parts/12kobayasi_liqor.html/ 「そらち 産業遺産と観光」小林酒造のページ]{{リンク切れ|date=2019年10月}}



2024年10月8日 (火) 13:58時点における版

小林酒造株式会社
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本の旗 日本
069-1521
北海道夕張郡栗山町錦3丁目109
北緯43度03分40.27秒 東経141度46分08.0秒 / 北緯43.0611861度 東経141.768889度 / 43.0611861; 141.768889座標: 北緯43度03分40.27秒 東経141度46分08.0秒 / 北緯43.0611861度 東経141.768889度 / 43.0611861; 141.768889
設立 創業:1878年
設立:1943年
業種 食料品
法人番号 5430001047281 ウィキデータを編集
事業内容 酒造・酒販など
代表者 代表取締役社長 4代目小林米三郎
資本金 5000万円
売上高 2億80百万円(2011年3月31日現在)
従業員数 15人(2011年3月現在)
決算期 3月31日
主要株主 小林米孝 95%、小林本店 5%
主要子会社 小林本店
外部リンク http://www.kitanonishiki.com/
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小林酒造株式会社(こばやししゅぞう)は、北海道夕張郡栗山町にある酒造メーカー

1878年(明治11年)に札幌で創業したが、初代小林米三郎(以下、初代米三郎)が夕張炭鉱の需要に目を付け、1900年(明治33年)に夕張郡角田村(現在の栗山町)に本拠地を移転させた。近隣には日本国内有数の炭鉱である夕張炭鉱があり、主として炭坑夫ら向けに醸造された[1]。代表銘酒は「北の錦」[2]

沿革

札幌での創業

昭和初期の小林酒造

1878年(明治11年)、小林傳四郎は札幌すすきの(現在の中央区南3西4)で酒造業を創業した[3][4]。当時、道内における酒造業者は少なかった[3]ため、先駆的な事業形態であった。登録商標は「北関」「勇駒」であった[5]

栗山町への移転

製造量の増加に伴い、豊富な水と広大な土地を求め、1900年(明治33年)栗山に工場移転し、傳四郎の移転に伴って、初代小林も栗山に移り住んでいる[3]。初代小林の時代には既に北海道でも有力な酒蔵となっていた[6]

札幌から栗山へと酒蔵を移設した理由について、4代目小林米三郎(以下、4代目小林)は「酒造業として札幌の地が手狭になったということもありますが、最大の要因は、燃料の確保です。[5]」と述べており、酒造の際に必要な石炭の入手が容易であったことを要因として挙げている。 『北の錦』が主力商標であるが、その名は「北の地でを飾る」という初代小林米三郎の意気込みから来ている。

新潟県刈羽郡(のちの刈羽郡二田村、現・柏崎市)に生まれた田中栄は[7]、17歳の時に初代小林の養子となり[6]、2代目小林米三郎を襲名して酒造業を継承した[8]。1919年(大正8年)には北海道炭礦汽船(北炭)への納入権を獲得し、小林酒造が飛躍的な発展を遂げる契機となった[6]

現代の動向

2代目小林米三郎と妻

太平洋戦争後、2代目小林は小林酒造の工場の自動化に取り組んだ[6]。栗山工場は日本酒2160キロリットル(1万5000石)、焼酎550キロリットル(3000石)、合成酒180キロリットル(1000石)で計12億円の売上高を記録し、単一の工場としては北海道一の売上高を記録した[6]。1967年(昭和42年)時点では日本酒・焼酎・合成酒などで年間4700キロリットルを製造し、北海道最大の酒造メーカーであった[6]。1947年(昭和22年)には2代目小林が参議院議員に当選した[9]

2代目小林は1959年(昭和34年)に栗山町名誉町民に推挙されている。1964年(昭和39年)3月、2代目小林によって関連企業として株式会社小林本店が設立された。一時期は小林本店札幌本店内に小林酒造の札幌営業所が置かれていた[10]

蔵を活用したコンサートホール「なつかしホール」があり、1999年(平成11年)にはこけら落しとして加藤登紀子の「ほろ酔いコンサート」が開催された。独立行政法人酒類総合研究所が主催する2003年度の全国新酒鑑評会において、小林酒造は道産米100%の日本酒で金賞を受賞した。

2006年(平成18年)6月18日、13棟の建物が登録有形文化財に登録された[11]。2019年(令和元年)5月20日、栗山町など8市4町が申請したストーリー「本邦国策を北海道に観よ! ~北の産業革命『炭鉄港』」が日本遺産に認定され、「小林酒造建造物群」も構成文化財となった[12]

立地

札幌方面からの栗山町の入口にある、道道45号線の夕張川にかかる馬追橋のたもとに位置する[13]。1万坪の敷地内に煉瓦造や札幌軟石の倉庫の切妻屋根のシルエットが並ぶ。

建築物

北の錦記念館

2006年(平成18年)6月18日、敷地内にある小林家住宅、一番蔵、四番蔵、五番蔵、六番蔵、蒸米場、旧ビール倉庫・缶詰資材庫、旧資材庫、二番蔵、三番蔵、製麹室、北の錦記念館(旧事務所)、旧精米場の13棟が、登録有形文化財に登録された[11]。築100年以上の煉瓦造や石造(札幌軟石)の蔵は、造り酒屋としては全国でも珍しいとされる。

  1. 小林家住宅 - 構造:木造2階建 建築年:1901年(明治34年)[14][11]
  2. 一番蔵 - 構造:煉瓦作り平屋建 建築年:1900年(明治33年)もしくは1919年(大正8年)[11]
  3. 四番蔵 - 構造:木骨石造2階建 建築年:1900年(明治33年)[14][11]
  4. 五番蔵 - 構造:木骨石造2階建 建築年:1900年(明治33年)[14][11]
  5. 六番蔵 - 構造:木骨石造平屋建 建築年:1900年(明治33年)[14][11]
  6. 蒸米場 - 構造:木骨石造平屋建 建築年:1900年(明治33年)[11]
  7. 旧ビール倉庫・缶詰資材庫 - 構造:レンガ造平屋 建築年:1920年(大正9年)[14]
  8. 旧資材庫(昔の酒道具展示館) - 構造:レンガ造平屋建 建築年:1920年(大正9年)[11]
  9. 二番蔵 - 構造:レンガ造2階建 建築年:1921年(大正10年)[14][11]
  10. 三番蔵 - 構造:レンガ造2階建 建築年:1921年(大正10年)[14][11]
  11. 製麹室 - 構造:レンガ造平屋建 建築年:1922年(大正11年)[14][11]
  12. 旧精米場 - 構造:木造平屋建 建築年:1953年(昭和28年)[11]
  13. 北の錦記念館(旧事務所) - 構造:鉄筋コンクリート2階建 建築年:1944年(昭和19年)[11][14]

小林家住宅

小林家住宅(現在の小林家)は、入母屋造瓦葺であり、1930年(昭和5年)に一部増築している[14]。ほか、一部の倉庫に、旧夕張鉄道敷設時に余ったレールを買い取り、加工して施設内の支柱にしている[1]

一番蔵

一番蔵は、創業当初は屋根付きの作業場であった考えられており、冬の低温と積雪を考慮すると空地では酒造作業は不可能で、それまで使用していた建物を、1908年(大正7年)に建て替えたもの、と推定されている[15]

北の錦記念館

構内入口に位置する北の錦記念館は、小樽の銀行をモデルに設計され、焼き締めレンガ風タイル貼られている[16]。かつては事務所として使用していたが、1995年(平成7年)より一般公開している[14][17]。造り酒屋のイメージとは離れたモダンな外観やインテリアがあり、独立円柱で支えられた梁や大きな金庫室を有してほか[14]、2階に続く階段の壁には、型押しの二丁掛けタイルが貼られている。館内では酒造りの歴史を刻んだとっくりなどの酒器をはじめ什器・身の回り品など、約5,000点を展示しているほか、日本酒の試飲も可能。蔵元限定酒など、ここでしか手に入らない商品もある[17][1]

酒蔵の特徴

  • 北海道産米の使用: 近年創出された、北海道の酒米「吟風(ぎんぷう)」、「彗星(すいせい)」を積極的に使用した日本酒を造っている。
  • 古い蔵の活用: 北海道の気候と空調が無くても安定した古蔵を利用して古酒製品を、純米酒で5年、原酒1-2年、大吟醸3年を目安に熟成させている。
  • 活性炭による調整の廃止: 活性炭調整を廃し、日本酒本来の色、風味を残す製法による、山吹色の酒を製造。
  • 道内各地の水を使用: 所在地の水に拘らず、酒によって一番合うと思われる水を使用する。
  • 全量特定名称酒: 2007年(平成19年)より全商品を特定名称酒にしている。
  • 栗山にある2軒の農家に依頼し、北海道で初めてとなる本州以外の米を使用した日本酒を制作した[18]

主な商品

北の錦 純米大吟醸 天竺牡丹
  • 北の錦 純米大吟醸「雪心」-酒米を35%まで磨いた最高級品。酒造好適米の「吟風」、「彗星」を使用[19][20]
  • 北の錦 純米大吟醸-華やかな洋梨を思わせる香り、端麗やや甘口[19][20]
  • 北の錦 大吟醸-米の旨味と厚みを感じられすっきりと飲める[19][20]
  • 北の錦 純米吟醸-しっかりとした旨味と厚み。食中向き[19][20]
  • 北の錦 純米特別-キレが良く爽快な辛口[19][20]
  • 北の錦 純米-栗山町・後藤農場産の酒造好適米「きたしずく」を100%使用。やや甘口[19][20]
  • 蔵囲完熟 秘蔵純米-温度変化の少ない蔵のタンクで4年以上熟成させた古酒。中華料理や豚の角煮に合う[20]
  • 純米 とろりにごり-にごり酒。北の錦記念館限定品[19][20]
  • 真冬詰 大吟醸-酒造好適米「吟風」使用。辛口。北の錦記念館限定品[19][20]
  • 特別純米 渡里酉-栗山町で収穫した酒米だけを使用し醸造した「地酒」で辛口。春に飛来する渡り鳥の風景をラベルにしている[19][20]

受賞歴

全国新酒鑑評会

  • 2004年(平成15酒造年度) 金賞受賞(平成16年5月21日)[21]
  • 2005年(平成16酒造年度) 金賞受賞(平成17年5月26日)[21]

創業から戦前までの受賞歴[22]

  • 1902年(明治35年)5月 北海道清酒品評會(函館清酒組合主催)酒銘:北關(関) 等別:壹(一)等 
  • 1911年(明治44年)5月 北海道清酒品評會(上川酒造組合主催)酒銘:北魁 等賞:壹銀牌杯
  •  同上 酒銘:北關 等賞:三等褒状
  • 1916年(大正5年)9月 第3回北海道酒類品評會(釧路) 酒銘:北關2號(号) 等別:貳(二)等銅牌
  • 1927年(昭和2年)9月 第5回北海道酒類品評會 酒銘:北の錦(3) 等別:壹等
  •  同上 酒銘:北の錦(2)、北の錦(1) 等別:参等
  • 1928年(昭和3年)4月5日 第7回酒類きき酒品評會(北海道酒造組合聯合会主催) 酒銘:北の錦 等別:参等
  • 1934年(昭和9年)12月 第12回酒類品評會(北海道酒造組合聯合会主催) 酒銘:北の錦(ロ) 等別:入選
  • 1935年(昭和10年)10月19日 第九回北海道酒類品評會(日本醸造協會北海道支部主催) 酒銘:北の錦(ト) 等別:優等賞
  •  同上 酒銘:北の錦(へ)、(ハ) 等別:特選賞
  •  同上 酒銘:北の錦(ロ)、(ホ) 等別:入選賞
  • 1936年(昭和11年)9月21日 酒類研究會(北海道酒造組合聯合会主催) 酒銘:北の錦(イ)、(ハ)、(二) 級別:B級
  • 1938年(昭和13年)10月 第13回酒類品評會 酒銘:北の錦(2) 賞別:B級  

舞台・ロケ地とした作品

関連会社

関連項目

脚注

  1. ^ a b c 風間健介『そらち炭鉱遺産散歩』共同文化社、2003年、178-180頁。 
  2. ^ 能登亨樹・和田由美『ほっかいどう地酒ラベルグラフィティー 華麗なラベル銘酒150余年の歩み』亜璃西社、2024年5月10日、82-85頁。 
  3. ^ a b c 『北海道の酒造家と酒造史資料』サッポロ堂書店、4月10日、7頁。 
  4. ^ 『カイ』ノーザンクロス、1月20日、14頁。 
  5. ^ a b 『カイ』ノーザンクロス、1月20日、15頁。 
  6. ^ a b c d e f 秋吉茂『ニッポン・リッチ伝』謙光社、1967年、pp.137-144
  7. ^ 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』帝国秘密探偵社、1943年、北海道23頁
  8. ^ 『北海道歴史人物事典』北海道新聞社、1993年、p.332
  9. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年、p.407
  10. ^ 略史 栗山町
  11. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『北海道の近代和風建築』北海道教育委員会、2007年3月、114頁。 
  12. ^ 本邦国策を北海道に観よ! ~北の産業革命「炭鉄港」~ 日本遺産
  13. ^ 『北海道栗山町 挑戦、感動、そしてやさしさ』栗山町、2003年3月、14-16頁。 
  14. ^ a b c d e f g h i j k l 『道南・道央の建築探訪』北海道新聞社、2004年11月19日、144-145頁。 
  15. ^ 山口昭三『日本の酒蔵』九州大学出版社、2009年3月10日、201頁。 
  16. ^ 吉田真紀『日本全国タイル遊覧』書肆侃侃房、2022年10月10日、15-17頁。 
  17. ^ a b “炭鉄港女子のココ見て!炭鉄港 北の錦記念館”. 炭鉄港 栗山 歴史をめぐる旅物語 (炭鉄港推進協議会). (2024-3). 
  18. ^ 『栗山ふるさと文庫3 栗山の史実 民話』栗山町教育委員会・栗山町図書館、2004年1月30日、73頁。 
  19. ^ a b c d e f g h i “日本酒セット早見表”. 栗山町ふるさと応援寄付2019「KRYM」 (栗山町経営企画課): 34-35. (2019-7). 
  20. ^ a b c d e f g h i j “日本酒セット早見表”. 栗山町ふるさと応援寄付2021「KRYM」 (栗山町経営企画課): 34-35. (2019-7). 
  21. ^ a b c d 『「北の錦」オフシャルハンドファンブック2023』小林酒造株式会社、2023年4月10日、34頁。 
  22. ^ 加藤良己『北海道の酒造家と酒造史資料』サッポロ堂書店、2015年4月10日、141-190頁。 
  23. ^ a b 『「北の錦」オフシャルハンドファンブック2023』小林酒造株式会社、2023年4月10日、30頁。 

外部リンク