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* [https://projectsimma.wixsite.com/aynuitah 樺太アイヌ語プロジェクトsimma] - 樺太アイヌ語のオンライン学習ウェブサイト。村崎恭子の門下生の発案で作成された。 |
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2024年7月29日 (月) 00:01時点における版
人物情報 | |
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生誕 |
1937年??月??日 日本 台北州 |
出身校 | 東京外国語大学・東京大学 |
学問 | |
研究分野 | 言語学(アイヌ語) |
研究機関 | 横浜国立大学 |
村崎 恭子(むらさき きょうこ、1937年 - )は、アイヌ語の研究者。横浜国立大学名誉教授。専攻は言語学、樺太アイヌ語学。
来歴
村崎は元々は東京外国語大学でモンゴル語を専攻していた。その後に東京大学に学士入学した際、アイヌ語の辞典を編纂するプロジェクトが偶然にも進行中であった。その際に樺太アイヌ語の調査を当時の指導教官に勧められたことが、アイヌ語研究に携わる転機となった。[1]
また、村崎は1963年9月に『民族学研究』27巻4号の誌上で、 1962年6月の時点で北海道での千島アイヌ語の話者が途絶え、事実上死語となったことを報告した。彼女は1962年の夏に北海道で調査を行ったが、結果として千島アイヌ語のインフォーマントは既に存在しなかった。[2]
経歴
- 1937年 台北州生まれ[3]
- 1960年 東京外国語大学外国語学部モンゴル語学科卒業[4]、東京大学文学部言語学科学士入学
- 1962年 東京大学文学部言語学科卒業
- 1964年 東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了
- 1967年 東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学
- 2002年 横浜国立大学定年退職
受賞・栄典
- 1977年: 第5回金田一京助博士記念賞を受賞(「カラフトアイヌ語」を中心とする一連のアイヌ語研究に対して)
主な著作
- 『浅井タケ口述 樺太アイヌの昔話』草風館 ISBN 4883231186 C3096 2001年
- 『少数民族言語資料の記録と保存―樺太アイヌ語とニヴフ語―』大阪学院大学情報学部 2001年
- 『樺太アイヌ語口承資料 (2) 』横浜国立大学教育学部 1995年
- 『ユーカラ・おもろさうし』(共著)新潮社 ISBN 4106207257 1992年
- 『樺太アイヌ語口承資料1』北海道大学言語文化部 1989年
- 『アイヌ語基礎語彙集(東別方言と本別方言)』東京外国語大学 1983年
- 『カラフトアイヌ語 -文法編- 』1979年(国書刊行会)
- 『カラフトアイヌ語』1976年(国書刊行会)
- 『一般言語学』(共著)みすず書房 ISBN 4622019701 1973年
- 『樺太アイヌ語入門会話』First Step For the Sakhalin Ainu Language (樺太アイヌ語シリーズ1)平成21年9月11日 (緑鯨社)
連載
- アイヌ語地名で探る日本列島-『聚美』、2011年10月より連載。
脚注
- ^ ことば村・ことばのサロンA 「日本のことばとアイヌ語」 話題提供 村崎恭子(元横浜国立大学教授) - 地球ことば村(2024年7月12日閲覧)
- ^ 千島アイヌ語絶滅の報告 - J-STAGE, 民族学研究 1963年 27巻4号 p.657-661 (2024年7月12日閲覧)
- ^ 村崎恭子 - みすず書房(2024年7月12日閲覧)
- ^ 最後の話し手-消滅する樺太アイヌ方言 村崎 恭子 氏 (2024年7月12日閲覧)
- ^ KAKEN — 研究者をさがす | 村崎 恭子 (10014515) (2024年7月12日閲覧)
外部リンク
- 『浅井タケ昔話全集 I, II』 (村崎恭子 編訳) - 東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所 オンラインリソースポータル
- 樺太アイヌ語プロジェクトsimma - 樺太アイヌ語のオンライン学習ウェブサイト。村崎恭子の門下生の発案で作成された。