「ジョン・バーク (政治家)」の版間の差分
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バークは[[アイオワ州]]キオカク郡で生まれ、[[ダコタ準州]]に移住した。ノースダコタ州がアメリカ合衆国の州に昇格した後、[[1891年]]に州下院議員、[[1893年]]から[[1896年]]に州上院議員を務めた。[[民主党 (アメリカ合衆国)|民主党]]員として、ノースダコタ州知事を3期(1907年-1913年)務めたが、これはノースダコタ共和党がほとんど実質的な反対勢力では無かった時期にあたった。 |
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[[1912年]]に[[ボルティモア]]で開催された[[1912年民主党全国大会|民主党全国大会]]で、バークは熱心に[[ウッドロウ・ウィルソン]]の大統領候補指名を支持した。バークは第1回目の投票でノースダコタの代議員票を全てウィルソンに向けさせた。民主党の重鎮で元大統領候補者の[[ウィリアム・ジェニングス・ブライアン]]がウィルソンを支持し、またバークの親友でもあったので、バークが副大統領候補に出馬することを望んだ。しかし、バークは[[インディアナ州]]の代議員達にその票を合わせる約束をしていたために出馬を保留した。その結果、インディアナ州出身の[[トーマス・R・マーシャル]]が副大統領候補に選ばれた。1912年11月にウィルソンが大統領に当選した後、バークは[[アメリカ合衆国財務官]]に指名された。バークはこの職をウィルソンが退任する[[1921年]]まで務めた。 |
2024年7月18日 (木) 23:50時点における最新版
ジョン・バーク John Burke | |
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ジョン・バークの彫像 | |
生年月日 | 1859年2月25日 |
出生地 | アメリカ合衆国アイオワ州キオカク郡 |
没年月日 | 1937年5月14日 |
死没地 | ミネソタ州ロチェスター[1] |
出身校 | アイオワ大学[1] |
所属政党 | 民主党 |
第10代ノースダコタ州知事 | |
当選回数 | 3 |
在任期間 | 1907年 - 1913年 |
在任期間 | 1913年 - 1921年 |
ジョン・バーク(英:John Burke、1859年2月25日-1937年5月14日)は、アメリカ合衆国の弁護士、法学者であり、ノースダコタ州の政治指導者である。
伝記
[編集]バークはアイオワ州キオカク郡で生まれ、ダコタ準州に移住した。ノースダコタ州がアメリカ合衆国の州に昇格した後、1891年に州下院議員、1893年から1896年に州上院議員を務めた。民主党員として、ノースダコタ州知事を3期(1907年-1913年)務めたが、これはノースダコタ共和党がほとんど実質的な反対勢力では無かった時期にあたった。
1912年にボルティモアで開催された民主党全国大会で、バークは熱心にウッドロウ・ウィルソンの大統領候補指名を支持した。バークは第1回目の投票でノースダコタの代議員票を全てウィルソンに向けさせた。民主党の重鎮で元大統領候補者のウィリアム・ジェニングス・ブライアンがウィルソンを支持し、またバークの親友でもあったので、バークが副大統領候補に出馬することを望んだ。しかし、バークはインディアナ州の代議員達にその票を合わせる約束をしていたために出馬を保留した。その結果、インディアナ州出身のトーマス・R・マーシャルが副大統領候補に選ばれた。1912年11月にウィルソンが大統領に当選した後、バークはアメリカ合衆国財務官に指名された。バークはこの職をウィルソンが退任する1921年まで務めた。
1916年にはノースダコタ州からアメリカ合衆国上院議員選挙に出馬したが落選した。1924年から1937年5月14日に死ぬまでノースダコタ州最高裁判所の判事を務めた。ノースダコタ州バーク郡はバークの栄誉を称えて名付けられた。
1963年、ノースダコタ州はワシントンD.C.アメリカ合衆国議会議事堂の国立彫像ホール・コレクションにバークの青銅像を寄贈した。
第二次世界大戦中のリバティ船ジョン・バークはバークに因んで名付けられた(その撃沈される様子がpictures of the explosionに収められている)。
脚注
[編集]外部リンク
[編集]- John Burke Papers at The University of North Dakota
- National Statuary Hall Collection includes biography and photo of statue.
公職 | ||
---|---|---|
先代 カルミ・トンプソン |
アメリカ合衆国財務官 1913年4月1日–1921年1月5日 |
次代 フランク・ホワイト |
先代 エルモア・Y・サールズ |
ノースダコタ州知事 1907年–1913年 |
次代 L・B・ハンナ |
先代 ウィリアム・ニュースル |
ノースダコタ州最高裁判所首席判事 1929年–1931年 |
次代 アドルフ・M・クリスチャンソン |
先代 アレクサンダー・バー |
ノースダコタ州最高裁判所首席判事 1935年–1937年 |
次代 アドルフ・M・クリスチャンソン |